日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

夏休み中も、勉強してね。

2016-07-27 07:56:25 | 日本語学校

曇り。早朝雨が降っていたようです。

例年ですと、梅雨の終わりには集中豪雨と決まっていたような。ところが、今年は雨がかなり少なかったようで、それで、雨の量云々というよりも降ったか降らなかったかが話題
となっています。

時折見かけるテレビの天気図には、最初のころは熊本地方にかかる雨雲が気にかかっていましたが、最近では北海道にかかっている雨雲が気になっています。…確か、北海道には梅雨がない…なかったはずなのだけれども、という目で見てしまうからなのでしょう。

さて、学校です。

「Cクラス」には、一年生と二年生が同居しているのですが、一年生(今年の4月に来た人たち)が二年生を見て、「ああ、こんなものでいいのか。じゃあ、自分もこれで良い」と思うようになるのか、あるいはこうなってはならぬと決意を新たにするのかは、難しいところでしょうね。

少なくとも、五月末頃までは、このレベルでいいのだ…みたいな雰囲気が見て取れましたので、(二年生には気の毒ですけれども)注意を促していました。が、六月には、アルバイト疲れから来る(多分)気の緩みとも相俟って、中弛み現象が起きていました。

やっと七月に入ってから、正常(多分)に近づいて来た…と思ったら、夏休みです。この期間、クラスに一人でも、学校で勉強するという人が現れると、雰囲気が違ってくるのですが。そうでないと、夏休みを境に大きくぶれてしまう人が出てきてしまいます。

スリランカ勢は、「話す・聞く」で生きていますから、アルバイト先はだいたい、レストランです。それで学校で勉強していたときよりも、(夏休みが終わると)随分と話せるようになって出現という人が出てきます。で、自分は日本語が上手だと誤解してしまうことになる。人は「幸せな勘違い」が大好きで、ややもすると、楽な方、楽な方へと靡いてしまいます。その危険性に気づく人は、この国の人の中では、特に稀だと感じられるのですが。

もっとも、「話す・聞く」だけですから、下手をすると、漢字どころか、いや、カタカナどころか、ひらがなだって危なくなって学校に戻ってくる…ことだってありなのです。

一方、ベトナム勢は、漢字を書き、文法を覚えしても、「聞く・話す」が、だめですから、簡単な日常会話すら聞き取れぬようになって(学校に)戻ってくる。

これから考えると、ベトナムの人にとって、毎日、学校に来て、日本人教師の話す日本語を聞くという簡単な作業だけでも、彼らが思っている以上に大きな意味を持っていることにあるのでしょう。

聞き取れさえすれば、ベトナム人の中には非常に努力する人もいるので、どれだけ楽になるだろうと思われるのですが、なかなかうまくいきません。覚えようと練習すればするほど別の音になってしまい、一週間後二週間後には、こちらが首をかしげざるを得ないような単語になっていたりするのです。

ベトナム人学生は、とにかく工場から離れること。できるだけ早く、アルバイト先をレストランなり、コンビニなり、日本人との話が普通にできる場所に替えること(もちろん、日本語を学びに来た。そのために頑張れる人は…ですが)。これが大切であると痛感しています。学校だけではだめなのです。せっかく日本に来ているのですから。日本人との会話が、一度頭にしまい込まずとも、直でできるようになるためには、現場が大切なのです。生活の中で日本語を使うという作業が大切になるのです。

もっとも、ヒアリングがいいと言われているスリランカ人でも、その話の意味を改めて聞いてみると、適当に答えていたのがバレて、意味がわかっていないことが露呈してしまいますから、「えばれない」はずなのですが。

もちろん、どちらにも頑張れる人もできる人もいます。そうではない人が多いと、教える方としても、大変。大半が、国に帰らずに進学したいと言いますから。

日々是好日
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進学は考えているけれども……????

2016-07-26 08:51:31 | 日本語学校
曇り。

ちゃんとお日様が出てくるのを見た…見たんですよね、だからカーテンまで閉めたというのに…、お空はもう厚い雲に覆われています。

先週末も近くの公園で「盆踊り」がありました。今週末には隣の公園でも「盆踊り」が催されるようです。昨年は、この会場に、インド人の女子学生が来てくれて、一緒に踊っていましたっけ。スリランカの卒業生(男子)も来ていたのですが、話が一旦、「踊ること」になると、途端に、逃げて行ってしまいました。これも慣れがあるのでしょう。

さて、学校です。

二年生は、頑張れる人は頑張っていますが、頑張れない人はそのままになっています。来日してから一年以上経っていても、『初級Ⅱ』のクラスにいても、どうしていいのか判らないのでしょうね。文法というのは、積み重ねの部分がありますから、前の部分がわかっていなければ、新しいところで頑張るぞと思ってもなかなか思い通りにはいきません。

連鎖のひもがあちらでもこちらでも切れてしまい、耐えられなくなってしまうのです。意欲は多少あるにしても、それ(現時点でのわからなさ)に耐えられるほどではない。それに打ち勝てるほどでなければ、そこはそれ、それで終わりとなってしまいます。

文法がわからなければ、単語を覚えるだけでもいいのですが(そうすれば、下のクラスに移れたときに、余裕ができる)、それができねば、新しい人達に一方的に押されていくだけになる。

国でも勉強した経験があまりないのでしょうし、それで十分であるという家庭に育ってもいるのでしょうし…。

ただ、面白いことに、同じよう(状態)でありながら、ベトナム人は、「勉強が嫌いだから」とか「できません」とか言って、できていないことを認める態度をとるのですが、スリランカ人は言いませんね。

まず、自分ができないのを認めないし、していないのも認めません(あれで、「していないことになる」のだとは思っていないのでしょう)。

ベトナム人に比べて、ヒヤリングがいいし、耳で聞いてすぐにそれをオウム返しに言えるので、普通の日本人は彼らがそれほど理解していないというのも気づかない。だから、(アルバイト先でのそういう反応になれていますから)自分は日本語ができると思ってしまうのでしょうね。

努力を要する漢字は覚えられませんから、それを以て自分の才を計ってもいいと思うのですけれども、それはしませんね。易きにつくというよりも、メンツが保てそうな方に偏ると言った方がいいのかもしれません。

だから、いざ進学を考えねば…となったときに、自縛状態になってしまうのでしょう。

困ったものです。

自分のレベルがわかっているベトナム人学生が早々と自分のレベル相当の専門学校の募集要項を集め始めているというのに、レベルを決めかねてウロウロしてしまうので、大変。私たちが言うところの「レベル」は、彼らが思っている自分の「レベル」とは余りに違いすぎているので、なかなか心が定まらないのでしょう。

さて、こんな大変な時期が、これから始まろうとしています。

日々是好日
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二年生にとって、夏休みは総仕上げの時期

2016-07-25 08:08:33 | 日本語学校
曇り、時々晴れ。

いつの間にか、蝉の声が降ってくる中を自転車を走らせている…ような状態になりました。夏ですね、でも、確か、この辺りはまだ梅雨が明けていないはず…。…で、面倒なので、考えるのをやめます。

なるようにしかならないし、またそうであってもいいような気がしているのは、年のせいかもしれません。

あまりに「便利なように」と、そればかりを追求しすぎてしまい、却って自分の首を絞めているような…。それゆえ、前に見えるのは滅びの道一筋であるような…。

恐竜たちが滅んだのは、彼らの責任ではないけれども、人類が滅ぶとしたら、身から出たさびと言われるかもしれませんね。

とはいえ、暑いときにはエアコンを使い、適当に、店でほしいものを買う…、それなりに不足ない生活をしているのですけれども…。

さて、学校です。

「夏休みはいつから」とか、「夏休みはいつまで」とかいった質問が、聞かれなくなって、久しいような気がします。あれは6月の末頃でしたから、アルバイトに関係して聞いていたのでしょう。

それも終わり、そういう意味では最近は静かです。彼らなりの日常にもどっているのかもしれません。

留学生というのは「苦学生」である。特に日本語学校に在籍している頃は、中でも一番辛い期間である。…と、確かに、そう見えるかもしれませんが、学生達はそれでも、それなりに楽しんでいるようです。もちろん、経済的に見れば、大変は大変でしょうが。

「A・Bクラス(Cクラスでも数人)」は夏休みが総仕上げ。専門学校を目指すものは、願書を取りに行ったり、そのときに話を聞いたりせねばなりませんから、夏休みといえど、油断大敵。また戻ってきてから、学校に連絡し、教師がいるときに、願書を書き、また受験指導も受けねばなりませんから、その意味でも忙しい。特に数人の学生は…早めに決まってくれると、私たちの方でもホッとします。

(彼らが合格できそうなところで)私たちが知っているところには限りがありますし、こういう学生に限って、知り人が少ないので、(彼らの)アンテナにも引っかからない…。

人が行ったところへ、同じように「行きたい」と言うのですが、「そこはあなたは無理」というのが伝わらない…。例年、こういう学生が一人か二人、(多いときには五人ほども)出てしまうのですが。最後は「友達に聞きなさい」としか、言えない時もありました。こちらとしても「打つべき手がない…」…場合だってあるのです。

ある程度、話せさえすれば、どこかに行ける…専門学校の中には、「学生が要る」だけの所もあり、彼らとは「もちつもたれつ」の関係でいられるのでしょう。

彼らの国から入れる場合(日本語学校)は、最初は、どういう人が頑張れるかがわかりませんから、間に立っている人を信用するしかないのですが、それでも、何回か経ちますと、この人(間に立っている人)はどういう人なのか、わかってくる部分がありますから、用心しいしい、入れることになります。また、きちんとした学生を出してくれる学校とわかれば、一度に数人入れることもあります。

ただ、勉強しないのがわかっているのに、入れるということはありません、日本語学校では。わからないから、最初は苦労してしまうのです。

けれども、来年卒業する学生は、割といいですね。再来年になったら、またもう少しよくなるかもしれません。日本語がある程度できていないと、専門学校も選べないのです。

どうも、それがわからない学生もいて…今、ちょっと苦労しています。

日々是好日
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夏休みを控えて

2016-07-22 08:36:28 | 日本語学校
小雨。

黒雲が立ち籠め、梅雨空特有の重苦しい空です。

九州・東海地方の梅雨明け宣言が出されてから、やっと梅雨本来の姿に戻ったような、そんな気さえしてきます。

さて、学校です。

夏休みを控え、二年生は、さまざまです。

11月に「日本留学試験」を受ける者と受けない者、受けない者のうち、「N2」を目指せる者とそうではない者、そうではない者のうち、「N3」は取りたいと励んでいる者とそうではない者、そうではない者のうち、それでも日々の学習に励める者と何のために学校にいるのか判らない者。

来日後、一ヶ月もせぬうちに、だいたい分かれてしまいます。ただ、言語の面で、不器用な人でも、言葉というのは日本の剣道などと同じで、倦まず弛まず続けていけば、皆、ある程度までは遣えるようになります。ある意味では、上手下手というのはないも同然。それから先は「お人柄」でやっていける部分も少なからずあり、だからこそ、コミュニケーションもとれるようになるのでしょう。だいたい意思の疎通を欠いてしまうと、仕事だって、勉強だってうまくいかなくなってしまいます。
(日本語において)それ以上を求める場合は、言語方面の才能が必要になるでしょう。もっとも、日本語学校にいる間に学ぶ日本語というのはそこまでは至りません。長くて二年くらいのものですもの。「あいうえお」から始めれば、特に非漢字圏の人にとっては、『N2』レベルの漢字を覚えるのだって大変な作業なのですから。

そして、言語の才能のある者は言語の世界に、経済の才のある者は経済の方面で、機械の能力のある者は、またその世界へと分かれていき、それなりのものを学ぶようになる。ただ、基礎的なことが身についていなければ(この場合は日本語です)、日本で生活していくのは辛い。だから、日本に留学しようとする者は先に日本語を学ぶのでしょう。

夏休みを控えた二年生は、今、何を考えているのかしらん。

進路のアンケートをとり、彼らと話してみましたが、一応の道筋はそれぞれ描いているものの、具体的な進路先の名前というのはまだ出てきません。友達がいるからというのが一番多いですね。もちろん、友達の話を聞いて行く気になるか、または他を探すようになるのかはまた別のことですが。

一年生はどうしょうね。

4月に来た者でも、わずか三ヶ月余り。7月に来た者は、来て早々夏休みになってしまうのですから、不安でしょうね。

普段は接点のない一年生と二年生が話せるのが、課外活動とか、伝統行事の作業の時。それくらいのものなのです。だから、二重の意味でこういう活動には参加してほしいのです。

そうすれば、一年生も、来年になってうろたえることなく、動くことができるでしょう。来年の自分の姿が予測できるというのは強いのです。「先」が見えると、どうすべきかがわかってくる。どう動けばいいかが見えてくる。

実際に、そういう学生は強い。二年生の様子を見るだけでなく、聞いておくこともできるのですから。

日々是好日
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「富士山1日バス旅行」の事前指導。

2016-07-21 08:30:53 | 日本語学校
小雨。

やはり、梅雨時は雨が降らないと…。

「ムクゲ(木槿)」の花はしぼんでいます。蕾はまだまだありますから、きっと雨のせいでしょう。「ツキミソウ(月見草)」も小さくなっています。雨のせいですね。

涼しい風が吹いています。暑さも一段落…というより「梅雨寒」なのかもしれません。

さて、昨日は、午前のクラス、午後のクラス共に、授業後半に「富士山1日バス旅行」のために、Ⅰ時間ほど事前指導を入れました。30分ほどDVDを見て、それから簡単なスケジュールの説明、バスの中で歌うために日本語の歌の練習などをしました。その前には各クラスの教室で、バス座席の希望を取りました。

面白いことに、「Aクラス」で、三人ほど「先生の隣」と言う者あり。びっくりしましたね。学校ができてから毎年、箱根やら、富士山、日光などへの1日バス旅行をしてきたのですが、そんなことを言ってきたのは、これまで、一人だけでしたもの。

で、友達が居ないタイプかというと、そうでもないのです。「先生の隣」の席は(先生にうるさく)「『漢字を書け』と言われたり、『文法を覚えろ』と言われたり、大変ですよ」と脅かすと、すぐに現実に立ち戻って、友達の名前を書いたり、「(選びかねて)誰でもいいです」と書いたりしていましたが。

これまでは、「先生の隣」、即「遅れてきた者」「騒ぎすぎていた者」に対する「罰である」かのような嫌いもあったのですが、これからすると、ちと考え直さねばならなくなったのかもしれません。あるいは、私にもう「迫力」がなくなったのかな(自分では、「あったつもり」なんですけれども。まあ、どちらにせよ、もう、安易に「先生の隣」なんて言ってはまずいということですね。

ところで、午前は二年生クラス(AB)、午後は一年生クラス(CDE)に実施したのですが、性根と言いましょうか、了見の善し悪しと言いましょうか、そんなのは一年かそこいら日本にいたからといって、簡単に変わるものではないと言うことがよく判りました。

一年生(今年の4月、7月に来日)は、まだ日本語も聞き取れないでしょうし、日本の生活もわからないでしょうから、国に居たときと同じようにしてしまうのだろうなと情状酌量の余地ありなのですが、これが二年生になっても変わらない。思えば、こういう学生は一年生の時もそうであった…。

事前指導ということで、富士山のDVDを見ていたのに、席に着くやいなや、すぐにスマホから目が離れなくなる者、隣になったのがうれしいのか、(隣の者と)母語で話し始める者、もちろん、シ~ンと見ている者が多いので、目につきますし、彼らの声は耳にも届く。

私と目が合って、慌てて話をやめる者もいれば、こちらを見ながら、聞こえないと思ってか、トーンを落として話し続ける者もいます。一概に年齢が25を越えていればとか、越えていなければとか言えないとは思いますが、年が上の者に多いですね、こういうのは。

もっとも、スリランカにしても、ベトナムにしても、静かにして人の話を聞くという躾(教育)はそれほど受けてきているようにはみえません。何度注意されても、同じこと。ほんの数分で、またすぐに戻ってしまうのです。厳しく言うと、何もすることがないとばかりに寝てしまうのです。

興味がないのでしょうね。こんな人に限って、「私の国は世界で一番すごい。なぜなら…」と喚くので、大変です。他の国の人はそんな名前聞いたことがないので、「知らない」としか答えようがないのですが。そうすると、「えっ。知らないの!知らないの!」と騒ぎ、お前は無知だとばかりの態度を取ることもあるのです。本当に困りものです。

国は違えど、そういうのが何人かいると、どっちがすごいで言い合いになることもあるのです。「まあ、世界にはいろいろな国があるからね。せっかく自分の国を離れたのだから、他の国のことを知ろうと思ってみたら」とは言ってみるのですが、あまり効果はありませんね。(DVDを見ているときには、日本語を)聞きたいと言う人の邪魔にならないので、寝てくれたほうが良いのかもしれないなどと、うるさすぎるときには思ってしまうのですが、彼らにしてみれば、損だとは思うのですけれども。

教員というのは、教室の勉強だけでなく、課外活動の時の様子、そしてこういう事前指導でのDVDを見る時の様子などで、学生の能力を見極めようとするものです。可能性と言った方がいいのかもしれませんが。もちろん、日本語学校ですから、語学力がある程度なければどうにもしようがないのですが、(それらの活動を通して)好奇心とか、忍耐力、あるいは、リーダーシップの有無なども見ているのです。

それらは、皆、進路先を決める時や最後のクラス分けの時の参考にしますから、いい加減にしていると、割を食ってしまうと思うのですけれどもね。これは学校だけではなくて、会社でも同じでしょう。見ている人は見ているのですから。

日々是好日
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まだ来日後四ヶ月だけれども、もう四ヶ月過ぎたと思った方がいいですよ。

2016-07-20 17:21:04 | 日本語学校

晴れ。…今は晴れています。

早朝、三時半過ぎ、あまりに激しい雨音が続くので、思わず、カーテンを開けて覗いてしまいました。

その雨も小半時ほどで上がり(ほとんど感じられないくらいにあり)、静かになったのですが。いやあ、驚きましたね。しばらく雨が降らず、降ってもすぐ止むといった格好で、「今が梅雨」という言葉自体、どこかへ吹っ飛んでいましたもの。

まあ、おかげで、(学生達は)不意の雨にうろたえ、そのまま突っ走り(アルバイトがあるので)、熱を出すということがめっきり減っていました。昨今の風邪は、いわゆる冷房風邪(冷房病)のようなもの。外気温との差から来る病でしょう。

さて、一年生です。

一年生は、大変ですね。最近、アルバイト疲れが目に見えるようになってきました。二年生の場合は、はっきりと(彼らが目指す進路の違いからでしょう)していますから、もう今更注意してもどうなるものでもないと思われるところもあるのですが、一年生は、まだ日本語すら海のものとも山のものともつかぬような状態ですから、ハッパをかけて起こしています。

もちろん鞭だけではなく飴も使ったり、ジワジワと攻めたりもしているのですが。

だいたい、どちらかの時間(前半か後半)には起きているという学生が大半なので、どうにかなっているのです。そうでなかったら、「なんのために学費を払っているの」と、喚いていなければならないところです。

そして、「富士山一日バス旅行」のことです。8月2日に富士山へ行くのですが、そのための歌の練習です。やはり「Aクラス」「Bクラス」の女子はすごい。さすがです。男子は弱いですねえ。いつものことですけれども。

それが一年生になりますと、「Cクラス」なんぞは字が読めるのに、どうして歌わなければならないのという辛そうな顔でこちらを見るか、あるいは声が出ていても、蚊の鳴くような声であったりする。思わずこちらも、「いじめているわけじゃないのだけれどもなあ」と言いたくなってしまう。

特に「Cクラス」はベトナム勢が多いので、ヒアリングと発音の問題が少なからずあるのです。だから他の国の人たちに比しても頑張らねばならないのです。それが「ブンブンブンブン蜂が飛ぶ」くらいお声になってしまいますから、勢いこちらの声の方が勝ってしまう。

とはいえ、「歌の先生(担任以外)」が頑張ると言ってくれましたから、それに期待するしかない。歌いたくないと言う人の気持ちは、嫌になるほどわかってしまうので、本当は私だって責めたくないのです。嫌なものはいやですもの。

日々是好日
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卒業生が報告に来てくれました。というか、大変だったようですねえ。

2016-07-19 11:51:03 | 日本語学校
晴れ。

九州や東海地方では梅雨が明けたようですが、ここ関東地方はまだ梅雨明け宣言が出されていません。でも、カンカン照りです。朝のうちは曇り(予報では)…のはずなのに、カンカン照りなのです。「セミ(蝉)」の声もミ~ンミ~ンと喧しい。「セミ」の声を聞くと、虫取り網を抱えた子供たちの姿が目に浮かびます。これは、もう夏休みです…。ああ、暑い。

さて、先週の金曜日、卒業生がやって来ました。1、2週間前にも連絡があったそうですが、そのときは、折悪しく、(私の方で)用事があり、気を利かした教員がその旨を伝えますと、では、またの日に…ということになっていたらしい。

で、今回は不意にやって来ました。…で、私はうっかりと別の用事を忘れて、彼に付き合ってしまいました…。

彼は簡単に「報告しますね」と言いながら…だったのですが、彼が話してくれた、(卒業後の)ここ数ヶ月のことは、そんな一言ですむようなことではありませんでした。

ニコニコ笑いながら、やりたいこと(勉強したいこと)だったから、頑張れた…そうでなかったら、(こんなに辛いこと)頑張れなかったと思う…。

一時は本当にあきらめようと思ったくらい大変だったらしい。(彼は)日常会話には別に困らぬし、合格はまだでも「(日本語能力試験の『N2』」レベルの力は十分にある。けれども、それで、理工系の大学で日本人と伍してやっていけるかというと…そういうものではない…。確かにそうですよね。それはわかる。

「最初は一生懸命聞いていても、ふっと眠ってしまうんです。みんな(日本人です)と違って私は一つ一つ聞いたものを、英語に訳して、それからあるものは母語に訳して、聞いていますから。作業が大変で(それと気づかぬうちに)疲れてしまうのです…。」

「アルバイトは週に一回か二回にしました。予習だけで2時間ほどもかかってしまうのです」

「いくら予習しても、聞いたときにはその言葉がストレートに入っていかない。で、わからない。国で物理を習っていても、そのときのやり方と同じではないから、また大変です」

「国では物理の式にそのまま入れて答えを出せばよかった。けれども、日本ではその前に、微分の式でその式を導き、それから答えを出すというやり方をしなければならないと言われました。その微分の式を解いていくためには、その都度、日本語で説明を加えていかなければなりません。このときに日本語を間違えてしまうのです。答えははっきり(物理の式に放り込めば)出ているのに、その途中段階で躓いてしまって、いい点が取れないのです」

「元素記号でもそう。元素は見ればわかります。でも呼び方が違うのです。『N』を『窒素』と先生は授業の時、言います。だから化学式も大変です。『塩化ナトリウム』と言われても、何のことかわかりません。『Nacl』と、見ればすぐにわかるのに…」
あまりに辛いときには、オーストラリアに留学した方が楽だったとか、今からでも遅くない。向こうに行ってやり直そうかとか、いろいろ考えたそうです。けれども、ここまで頑張ったのだ。自分にはもうこの道しかないと思って、やっとここまで頑張れた…のだそうです。

試験が再来週(来週になっているでしょう)あるとか。とにかく落とさないようにしたいとだけ言っていました。「本当に、落としたくないのです。今はいい点を取ろうとか、そんなことは何も考えていません。ただ落としたくないだけです」

ニコニコと笑いながら、というより、やっと笑えるようになったと言うところなのでしょう。
 
聞くと、仲良しの日本人の友達が、もう三人もできて、クラスは違うけれども、いつも一緒に学食で昼ご飯を食べているのだとか。早く終わった者が席を確保しておくのだと言います。

一年生の今期(前期)は取らなければならない単位も多くて大変だけれども、来期は少し楽になりそうだとも言っていました。クラブにも入りたい。そして先輩と知り合って、話を聞きたい。大学でどう過ごしたらいいのか、どういうことができるのかなどを聞きたいとも言っていました。

この学校にいたときには、細くって、風が吹けばヒョロヒョロと、どこかへ飛んでいってしまいそうな、そんな感じがしていたのですが、心身共に一回り大きくなったような印象を受けました。

大学に合格してから、学費のために、アルバイトに追われ (この学校にいた)最後の数ヶ月は、それほど日本語の学習に集中できなかった彼。学校にいるときに「N2」に合格できていれば、よかったと思っているでしょうね。

でも、終わったことは終わったこと。今は前進あるのみ。それを一番感じているのも彼なのでしょう。

日々是好日
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暑い、暑いと思っている間に、また「川村学園女子大学」へ行く候となりました。

2016-07-14 07:54:50 | 日本語学校
曇り。

時折、不思議さを感じさせるほどに時折…、日が射してきます(日が射すような天気ではないのです)。

空気は、全くの「梅雨時」のもの。この時期は強烈な色彩は願い下げですね。いかにも、暑苦しそう。淡い色の「ムクゲ(木槿)」や「ツキミソウ(月見草)」がふさわしい。

今朝も,冗談抜きで暑い。ムシムシしています。けれども自転車を走らせている限りでは、心地よいのです。ただ、降りた途端にドッと汗が噴き出してきますから、これも善し悪し。困ったものですね。

さて、今日、学校の女子で、都合がつく者(7月生は除外です)は皆、「川村学園女子大学」へ行きます。そして、男子とアルバイト等で行けない女子は学校に残って勉強をします。もちろん、進路の調節などをして、活動に参加する女子が不利にならないようにしてあります。

大学での活動は午後からですので、午後のクラスで、この活動に参加する女子は学校には来ないのですが、他の学生は授業を受けなければ成りません。ところが、それをどうもわかっていなかった男子もいたようで、昨日は「えっ?」「えっ?」という声があちこちから聞こえてきました。それと同時に、私も大学へ行きたいです…という男子の声も。不公平だということなのでしょう。皆、それなりに興味を持っているようです。これが勉強に結びつくといいのですけれどもね。

午後のクラスは、ほとんどが今年の4月に来日した人たちですから、まあ、それは「笑い事」で終われますが、午前のクラスで「もう一度確認するね。行けない女子は?」と聞いた時、なんと2名の男子が手を上げました。

まったく、何を聞いていたのやら。

午前のクラスでは、今日の事でも質問が具体的でしたが、午後のクラスでは、「きれいな大学」の「きれい」に女子たちの関心は集まっているようで、もっとも、これはしようがないことなのでしょう。日本だって、きれいな女子大学じゃなければ、女子は行きたがらないと聞いていますもの。ところが男子まで「きれいだったら、行ってみたい」…。これには、「男子は行かなくていいの」。

男子等、行かせてもらえない上に、授業だなんてと、内心では毒づいているかもしれません。

日々是好日
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「どのクラスでも、学生達の間で差が拡がってきています。そりゃあ、そうでしょうね。一年も経てば…。」

2016-07-11 08:32:26 | 日本語学校
晴れ。

今朝も青空。とはいえ、これから、どうなるのか、わかりません。一応、「梅雨」時なんですから。

お天気なんて、人生のよう。今晴れていても、あっと言う間にザアザア降りになるということもありますし。

さて、学校の近くでは、先週頃から、か細く聞こえていた「セミ(蝉)」の声が、はっきりと聞こえてくるようになりました。「セミ」たちも、きっと梅雨が明けたと思ったのでしょう、こんなお天気ですものね。

学校では、だんだん今のクラスをそのままに、授業をしていくのが難しくなってきています。

学生達の素質というか、その面からも。そしてやる気度からも。また休まないという基本的な姿勢度から。…もちろん、一つだけでどうこうというわけではありませんが、往々にして、これらの二つ三つが重なりあっているのもなのです。

資質はあっても休みがちになってしまうと、どうしても出席していないところが空白になってしまう。それが重なれば、当然のことながらついて行けなくなってしまいます。

やる気はあっても、資質的に(これは外国語を学ぶという言語的な観点から見た場合が主で、他の能力は関係ありません)問題があれば、問いに対する答えがトンチンカンなものになってしまいます。こういう人で、ほぼ出席していれば、ゆっくりやって行きさえすれば、「言葉」ですもの、できるようになっていくのですが。

資質もそれほどない、やる気もそれほどない。しかも休みがちとなると、これは同じ所を何度も学ばざるを得ない。

たとえば、「テ形」の導入時に休んだ、後も休みがちであるから、「テ形」がなんたるかも、どうすれば「テ形」になるかもわからない。また、「受け身」の導入時に休んだ、それから続けざまに二日ばかり休んだ。受け身がスッポリと抜け落ちている。では、もう一度となる。

ところが、こういう人は、二度目も同じ所で休んだりする。何度くり返しても、同じ所がわからない。聞いてみると、出席していても、そのとき寝ていたりしている。これは、もう学校で勉強したとは、言えません。

何でも勢いというものがあり、言語も速くバッとやってしまって(できるならば)、日本にいますから日本人と自由に話ができるようになっていれば、学ぶことが面白くなります。その反対に、ダラダラと二年間ほども日本にいても、結局、「生活日本語」の域から抜け出せていなければ、それは日本人との意見交流みたいなものができませんから、つまらない。

で、「日本人は馬鹿だ。何も考えていない」という思いだけで終わってしまう。たいていの日本人は馬鹿ではありませんから、日本語ができない外国人とは、よほどのことがない限り、話したいなどとは思いません。疲れるだけですから。

まあ、これはどこの国でも同じでしょう。その国の人と深く関わりたいと思えば、まず言語をものにするのが一番です。それから、あるいは同時進行の形でその国への理解は深まっていくものですから。

とはいえ、毎日きちんと学校に来て勉強していても、理屈がわかるのに時間がかかる人もいます。また「初級1」で理解力が終わりになる人も、「Ⅱ」で終わりになる人もいます。「中級」からの「読解」がまるでダルマさん状態になってしまう人もいます。本当にわからないのです。4行ほどの短い段落の意味を聞いても、悩んでしまうか、とにかく言ってしまえとこちらが頭を抱えてしまうような答えを出してくる場合だってあるのです。

最初、真面目に「どうしてそういう答えになるのか」と考えたりしていましたが、これは無駄なことでした。「わからない」と言えないのです、こういう人たちは、習慣で。それで、とにかく何でも手当たり次第に、言えるもの(記憶にあるものを)を言ってしまう。(一緒に、幾度か声に出して読んでいますし、単語の説明や文法の説明も終わっています。だから、耳に残っている単語を口にするのです。改めて読んで答えを探すという習慣がない人たちも、少なからずいるのです)。

当たればいいけれども、当たっても、別にその理由はないのです。それを導き出したという理由が本人にないので、どうしてそういう答えになった?」と聞く方が罪作りになってしまうのです。彼らにすれば、「当たったのだから、いいじゃない」でしょうけれども。

これは、日本語云々の問題でもなし、彼らが今迄育ってきた教育がそういうものを要求してこなかったということに尽きると思います。覚えればいい、あるいは言えればいいというものだけだった…これまで。おそらくそうだったのでしょう。

だから、考える習慣、あるいは性癖(変かしらん)のある人は、(こちらが何も言わずとも)考えたりするけれども、(そうではない人たちは)これまでそんなことは要求されなかったから、突然日本に来てテストにそんなものが出てきたり、授業で聞かれたりすると、焦ってしまう。そして、シッチャカメッチャカな答えを言ってしまう。わかりませんとか言えませんし、どう考えていいのかわからないということもあるでしょうね。で、いったい何なんだということになってしまう、彼らにしてみれば。

それを少しずつ考えられるようにしていってやらねばならないのですが、そうなると、資質的にも頑張り度も十分な人たちが、暇になってしまう。しかも困ったことに日本語学校には二年しかいられませんから(その人たちはこの、大学受験までの1年半から一年の間に、できるだけたくさん学びたいと思っていますから)、当然のことながらクラスの中がギクシャクしてきてしまいます。

中国で教えていたときには、はっきりと「あの人たちに教えても無駄だから自分だけに教えてくれ」と言いに来た学生もいました。が、さすがに、こういう途上国の人たちはそこまで言いに来ません。国でこういう扱いに慣れているのでしょう。とはいえ、焦っているのはわかります。

国では親が他の手段を講じて上のレベルの勉強ができたでしょうが、日本では学校だけが頼りなのです。アルバイト先(レストランなど)で「ヒアリング力」や「単語力」をある程度研けても、それは「日常的なもの」に限られ、「中級以上」では、まず無理なのです。「漢字圏」の学生なら、本や新聞などを読んで自主的に能力を高められても、「非漢字圏」の学生は、学校での「読み物」くらいが関の山。それ以上の要求は、アルバイトをしながらの学生達には酷というもの。できません。

で、夏休み明けが勝負と言うことになります。もしかしたら、夏休み中もかしらん。

日々是好日
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「日本人にとって、一番大切なことは何ですか」

2016-07-08 08:46:18 | 日本語学校
曇り。

この時期にしては巨大な「台風1号」が沖縄に近づいています。またそこから派生している雨雲が九州地方にかかっています。

雨が必要な関東地方は空梅雨状態なのに(降ってもごくわずか、水瓶のある地域には雀の涙ほどしか降っていないのでしょう)、地震のあった地域ほど豪雨に見舞われているというのは、皮肉なものです。神さまは時々人に辛いことをしますね。

さて、「七夕」祭りの後の授業でのこと。昨日、書きましたように、私自身「Cクラス(二年生と一年生の混合クラス)」での授業に焦点が絞り切れていなかったからでしょう。二年生も不満足、新しい人たちとも、一ヶ月経っても、どこかつながっていない感じがずっとしていました。きっとあまり歓迎されていなかったのでしょう。

ところが、「七夕」祭りの飾り作り作業で手を動かし、飾り付け作業で体を動かしたからか、後半(クラスの授業は前半と後半に別れています。その間、30分の休憩があるのですが、非漢字圏の学生が多いことから、そのうちの半分は漢字指導に当てています)の授業に入ろうとしたとき、一人の新4月生(ベトナム)が「日本人は、何が一番大切か」と聞いてきました。

明らかに「物」ではなく、「心」に関する「一番大切なもの」のことでした。

彼は「経済」志望です。「信用」と答えるべきであったのかもしれません。けれども、私はあえて、「今」、そして、「命」と答えました。「今、共にいる人を大切にする」「今、できることを懸命にやる」。それしかないのです、矛盾しているようですけれども。

「10年後」「20年後」を考えることには長けている人は、「今」をなおざりにしがちです。「1年後」「10年後」というのも、一日、一日の積み重ねであってのこと。「今」を大切にできない人には(「今、見えている人」を「仕事」を大切にできなければ)、「10年後」「20年後」もないでしょう。

ベトナムの学生も、スリランカの学生も、「お金持ちになりたい」と言います。それはわかります。発展途上の道を走っている人たちは、お金があれば何でもできそうな気になるのです(もちろん、お金は大切です)。日本に来て、お台場に行ったり、秋葉原へ行ったりすれば、ほしいものがたくさんあります。けれども、それらは今の彼らのアルバイトのお金では買えません。

「お金があっても買えないものがある」に気づいている人は稀で、「たくさんお金があれば、友達にいい顔ができる」「何でもほしいものが買える」くらいのことで、日本を見ているのです。

ただ、日本人の私たちから見ると、何か大切なものが欠けているような気がするのです。

日本は自然災害の多い国で、津波や火砕流、鉄砲水、土砂崩れなどで、今年になってからも、「もっと生きたい」と思っていた人が、たくさん死にました。生き残った(日本全国の)人たちが、「もっと家族と共にいたかった」「したいことがまだあった」という思いを残して亡くなった人たちのことを思い、「私たちは今を大切にしよう。今、身近にいる人たちを想おう。今、できることをやろう」と心を新たにしているのです。

さまざまな「思い」願いを置いてこの世を去らなければならなかった人たち、またそのことに思いを馳せる人たち。もちろん、「忘れないようにしよう」と言われても、人は辛いことは忘れたいと思うし、思い出したくないとも思う。

だから「『今』を大切にしよう」となったのでしょう。亡くなった人たちには、もう、何もしてやることができない。けれども、今「そばにある」人たちにはまだなにがしかのことができる。皆がそういう気持ちでいれば、きっと今よりももう少し住みやすい土地になる。

もっとも、彼の専門のことを考えて、「信用」のことも言いました。ただこの説明は、まだ『みんなの日本語Ⅱ』さえ終わっていない人たちには、ちと難しい。で、これは軽く言っただけです。

その後、気をよくした他の学生が、「雪はいつ降りますか」。二年生で真面目に頑張っているベトナムの学生が、「今年、東京は降ったけれども、ここは降らなかった」。「ええっ。ここは降らないのですか」「どこに行けば雪が見られますか」などと言い始め、かなりリラックスした雰囲気になりました。

そこで、そういう話はやめ、「はい、『N4』の漢字の本を開いて」と、その日の分の漢字の練習に入りました。大した時間ではなかったのですけれども。

ちょっと、気持ちが近づいたかな…。

日々是好日

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まだ「梅雨」???…。もう「真夏」のようです。

2016-07-07 08:35:09 | 日本語学校
晴れ。

夕立……になるの????。今はきれいな青空が拡がっていますが、大気は不安定で、急にザァッとくるかも…なんて言われますと、頭に浮かぶのは「夕立」…以外ない。でも、まだ「梅雨」の期間ですよねえ。

とはいえ、「アジサイ(紫陽花)」はみすぼらしくなっていますし、「ホタルブクロ(蛍袋)」なんて、あっと言う間に姿を消してしまいましたし…。「キョウチクトウ(夾竹桃)」や「タチアオイ(立葵)」が、もう幅を利かせています。

そういえば、最近、空き地でよく見かけていた「ニワゼキショウ(庭石菖)」を見ていません。

里山というか、低山に通っていた頃には、あちこちでいろいろな野草を見つけ、そのたびに、満足していたものでしたが、点と線(しかも近所です)だけの生活になってしまうと、そんなことは夢のまた夢になってしまいましたね。

とはいえ、季節は巡ってきます。

さて、学校です。

火曜日の「七夕」が終わってからのことです。

実は、午前のクラスでは、授業の後半に「七夕」祭りができたのですが、午後のクラスではそのまま会場を使ったので、後半が授業ということになりました。

確かに午後のクラスの授業は少々やりにくかった…、とはいえ、これはマイナスだけでなく、プラスの面もありました。

「Cクラス(4月生と二年生の混合クラス)」というのは、皆、ゼロから始めたというのではなく、真面目にコツコツ勉強している(今年来た)4月生(『みんなの日本語Ⅰ』は終えてきています)と、二年生(…これも一筋縄には行きません)とから成っているのですが。

この二年生というのには、「聞く・話す」力だけは(一年日本にいることから)ついてはいるけれども、「漢字」や「文法」はかなり劣るというグループと、アルバイト疲れで、学校に来るなり眠ってしまうというグループとの二つがあるのです。

もちろん、眠っていないからきちんと勉強できるかといえばそういうものでもなく、おそらく集中力がない(もっとも、人というのは好きなこと、しなければいけないと自覚できること以外、簡単に、集中して物事をできるものではありません。ましてや、それほど勉強する習慣のついていない人たちにおいてをや)のか、単語の読みなど一緒に読んでいるかと思うと、突然声が止んでしまったりするのです。

見ると、大きく目を開けたまま、こちらを見ているふう(実際は、何も見えていないと思います))、あるいは本の上に目はあるけれども、文字を追っていないのです。名を呼ぶと、この世に舞い戻ったかのように驚いて、大きな声で「えっ!勉強していました」などと言う。おそらくは「気が飛んでいる」突然他のことを考えてしまうのでしょう、それで、リピートしてなかったことなど全く記憶にないのでしょう。

これが、単語読みくらいならばいいけれども、見ていると文法の説明などをしているときにも同じことをやっている。眠っているのではないのですが、おそらく、90分の授業のうち半分ほどはこういうふうにして消えているのでしょうね。けれども本人に自覚はありませんから、終わってから、「真面目に勉強していたか」と聞かれると、「ずっと起きていて(確かに起きてはいた)、一生懸命勉強していた」と言います。これを国でもやっていたのでしょうね。他のことを考えていた時には授業に参加できていませんから、彼の気持ちとしては「30頁を見ていたはずなのに、もう34頁になっている。…なぜ?」となるのでしょうし、皆が34頁を読んでいるときに、(突然、目覚めた彼は)30頁の続きを読んだりして、あきれられたりしてしまうのでしょう。

まあ、4月生の中にも、なかなかできない人が入っていたりしましたから、一概に二年制の方だけに問題があるというわけでもないのです。

ただ、二年生は、こんなふうにして、一年間を過ごしてきているわけですから、こちらがいろいろ言っても今更という感じになってしまうのです。これまで、来日してからも、ずっと言われてきた…でも、どうにもならなかった、あるいはできなかった人たちです。それが個人的な資質の問題であったということもあるでしょうし、家庭環境、つまり経済的な理由でどうにもしょうがなく、そうなったということもあるでしょう。

ただ、まだ4月生は(能力に応じた)クラス分けができていませんから(今のクラス分けは、ただ、国でどれほど勉強してきたかで分けただけです)、そういう二年生と今から同じことをやってもらっても困りますし、それでいいのだと思われても困るのです。

ですから、こういうクラスでは、二年生にとって時々耳が痛くなるようなことも言わねばならなくなります。得てして、本領を発揮したことのない人たちは己の力というものを過信しがちです。

懸命に生きてきた人たちは、いい意味でも悪い意味でも、自分の力には「限界」があることを知っているものですが、こういう人たちは、学校での勉強を懸命にした経験がないので、高を括ってしまうのです。する前から「難しいからできない」と口癖のように言うだけです。内心では、「覚える価値がないからやらない。やれないのではなく、やらないのだ。覚えるつもりがないから、やれないだけなのだ」と思っているなと察知できるのです。

実際にやってみないから、自分が懸命にやってもできないことがわからないのでしょう。

人というものは、どうにもできないものですね。人に強要できることなんて、本当に少ない。結局は当人の意思次第なのです。

このクラスは、三つか四つのグループに分けられ、それをいつも考えながら授業を進めているのですが、二ヶ月が過ぎる頃から、はっきりと軸足を4月生の、可能性がある人たちの方に合わせ始めました。二年生は、その不満も少しあると思います。

けれども、学校ですからね。やはり「勉強をしたい、そしてする人たち」が主役なのです。

で、話は戻り、「祭り」の後の、功罪の件なのですが、それは、また別の機会に。

日々是好日
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「ひな祭り」。

2016-07-06 14:35:28 | 日本語学校
曇り。

昨日は涼しかったのですが、今日は一転、暑くなるとのこと。また体調を崩す人が出てくるかもしれません。

さて、学校です。

昨日は、みんなで「七夕」祭りをいたしました。午前、午後と二つのグループに分かれ、「七夕」の説明、歌の紹介の後、「願い事」を短冊に書き、それから、好きな色の色紙を選び、いろいろな飾りを折っていきました。

午前の学生達はほとんどが二年生ですし、「七夕」の飾り作りも飾り付けも、また願い事を書くのも二度目です(4月生と7月生は)から、スムーズに流れていったのもわかるのですが、午後の学生達もそれなりに、できたような気がします。

そうは言いましても、説明の時にも皆が色紙を折っている時にも、ずっと携帯を見ていた学生もいました。注意すればその都度やめるのですが、こういうお祭り行事の時には、何となく厳しい言葉を発するのも、「取り上げる」のも、憚られるような気がします(もちろん、言わざるを得ないときもあるのですが)。

最後に、さすがに取り上げようと思って注意したのですが、このときには画面に向かって「手を振って切ったので」もう言うのをやめました。こういう習慣は変えられないと見えます。授業中もきっとそうなのでしょう。本人にやる気がなければ、いくら言っても同じことです。また、中には、なかなか色紙に手が伸ばせないという学生もいました。

どの期においても、初めての作業の時には、こういう学生が出てくるものです。ただ、教師が心しておくべきは、誰がそれをしているか、そうなってしまうかを知っておくこと。そのためにも、特に自分のクラスの学生達からは目を離さないようにしておきます。

私たちが提供する「祭り」の作業を、そのままやってみようとする学生は、まず、安心なのですが、喰わず嫌いであったり、これは女子供の遊びだと見下してやらなかったりしている場合は、少し注意して見たほうがいいのです。もちろん、携帯でずっと遊んでいるような学生は論外ですが。

最初は、手を出せずに、ただ皆の作業を見ているだけであった学生も、最後にはそれなりのものを作り上げたようでした(飾り付けの時に、いくつか手に提げていました)。それから、飾り付けの時に「願い事」の短冊一枚しか手にしていなかった学生がいたのですが、そばにいた教員に聞いてみると、「2、3作ってはいたけれども、『きれいじゃないから嫌だ』と糸をつけなかった」とのこと。それは、まあ、ありでしょう。

私は足が痛くなったので、階段のところにいて皆の様子を見ていたのですが、ドアのところにいた二年生がいろいろと話しかけてきました。彼は二年生ですが、午後のクラスにいます。毎日きちんと学校に来はするものの、来ても眠ってしまう。注意しても、多分、日本に来るために背負わされたものが少なくないのでしょう、本人の自由にはならないようです。

見ると「大学に入りたい」と短冊に書いてあります。彼はこのクラスに来たときから、一番、入りやすそうな専門学校の名をあげ、そこに行くと明言していました。それで、聞くと「大学に入りたいよぉ」。それから「専門学校に入って、二年したら、国に帰る。お金があるよ」とか、「日本語が上手だったら、お金持ちだよ」とか言います。

そして、「ベトナム人はみんなそう」と付け加えます。以前はそういう学生が確かに多かったと思います。が、最近は、ある程度ベトナムで勉強してきている学生も少なくないのです。つまり、国できちんと勉強してから来ている学生のうち、はじめっから、金を稼ぐ目的である人はそれほど多くはないのです。

一歩譲って、来日前はそうであっても、来日後、外の学生が大学に行くと頑張っていると、自分も…というような気になったりする。ここに以前と今とでは大きな違いがあると思うのです。以前はそう思うようになっても、それが許される環境になかった人がいたのです。来日のために借金をしていると、それを返すのは当然彼の役になる。来日も彼というよりも一族の期待を背負ってしている場合も多かったことでしょう。

そう思うと、アルバイトに精を出していても、どこか余裕があるような気がします、今年のベトナムの学生達には。今は、勉強が大変だから、ここを卒業したら専門学校へ行くと言っている学生の中から、頑張って勉強して大学に入って、それから日本の会社に入りたいという学生が増えてくるかもしれません。

日々是好日

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(非漢字圏の学生でも)「N2」まで、日本語学校で勉強したいと言う人が増えないかあ。

2016-07-01 11:30:11 | 日本語学校
晴れ。

柔らかな日差しです。湿度も高そうだし、モヤモヤッとした感じです。でも、それで困るというほどではありません。

午前のクラスでは、昨年来日した学生達が、真面目に(日本語能力)試験のことを考えてくれているので、ホッとしています。受験に真摯に向き合っているのは、見ていても、気持ちがいいし、うれしいことです。

中には、(大学ではなく)専門学校へ行くという学生もいるのですが、それでも、どこでもいいというのではなく、選んでから行くつもりなのです。できれば、(「N3」を取っていれば)奨学金やら特典があるところがいい。そういうふうに考えることができる学生に対しては、私たちも、どこかしら、おおどかに構えていられます。

留学生の中には、年齢が他の学生達よりも長けている者もいますし、今更、「4年間勉強するというのには、耐えられない。長すぎる」という人もいるのです。それで、専門学校のことを、それぞれ、先輩たちに聞いて、それから決めていくのでしょう。年が少しばかり上でも、いろいろなことを知りたいとか、勉強したいとかいう学生もそれなりにいることはいるのですが、それほど多いというわけではないのです。

どこへ行こうと、彼らなりの人生設計(計算)のもとで、動くのであれば、私たちもとやかく言う必要もないのです。既に大学を卒業していたり、短大を出ていたりしているのであれば。

もちろん、これは、来日後、一生懸命努力をしてきた学生のことで、勉強もしないし、アルバイトをかなりしていても、少しのお金も貯められないという学生とは違います。そういう人たちは、どこにいても、おそらく国にいた時と同じで何もできないでしょう。

そういう人たちには、同じような人たちが行った先があり、そこに潜り込むしかないのでしょう。

専門学校であっても、かれらなりの「棲み分け」があるのです。

もちろん、勉強したいと言う人や真面目な人をそんなところへはやれませんし、反対に勉強しない人を真面目な専門学校へもやれません。お互いに苦労するだけなのです。

日本にいれば、そういうことが先にわかるからいいですね。ちょっと専門学校がうらやましくなってきます。

日本語学校は、現地から直接呼んできますから、面接や話を聞いて(ただ、相手先の人が通訳しますから、どこまでが本当か今一つわからないところもあります)、学生のことがある程度は感じ取れても、その「ある程度以上」は、わからないのです。来日を希望している、彼らにしてもそうでしょう。言葉通り、本当に勉強、勉強と言われる日本語学校か、それとも、とにかく学費を払えば、何でも「可なり」という日本語学校なのかが、わからないと思います。

人を「頭数」としか見做していないような日本語学校でも、「一生懸命勉強してください」と、現地では言うでしょうし、「アルバイトに精を出すぞ」と思っている学生でも、「真面目に勉強します」と言うでしょうから。

あまり一生懸命勉強されてしまうと、教材費が高くなるので、困ると思っているような日本語学校でも、「『N1』まで教えられます」と言うでしょう。本心は「『みんなの日本語Ⅰ、Ⅱ』で終われば(二年間)、うちの学校は教材費は安いですと言えるのでそっちの方がいい」と思っていても、そんなことは言うはずがありませんもの。

もちろん、日本に来てから、変わる人もいます。よい方に変わる場合も、反対の場合もあるのですが。

私たちは、目先の「金」でなく、もう少し、「自分の将来」を考えて行動してほしいと思うのですが。

日々是好日

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