日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「Eクラス(十月生)」でも、漢字を教えるのが、随分、楽になりました。もっとも、まだ「N4」ですが。

2024-01-31 08:07:44 | 日本語学校

晴れ。

今朝も風がなく、餃子のお月さんと並走しながら…いやいや並歩しながらの登校。この餃子、どうにか他のものに…と思いながら見つめていると、…「あった。マンボウ」。…でも、じっと見つめていると、やはり餃子になってしまう。もう仕方がない、餃子さんで我慢してもらおう…。

さて、「Eクラス(10月生)」。漢字を教えるのが、随分、楽になりました。楽になったはいいけれど、かなりの格差。言われたとおりに、しっかり書いてきた人は、「カタカナ交じり」、「(既習の)漢字交じり」の、パーツの説明を聞きながら、一度書いてやると、もう、だいたい書ける…。もっとも、まだ、「N4漢字」ですが。

その中に、一人、「書け、書け。手(を動かせ)」といくら言っても、「はい、先生」で、見つめているだけの学生がいるのです。「『はい』と言うだけで、書いてないでしょ。見ているだけでしょ」。「はい、先生」。…埒があかない。かといって、愛嬌はあるのです。「どうして、そんなことを言うの。ちゃんと見ているでしょ。覚えようとしているんですよ」とこちらを見つめて、つまり、目で悲しそうに訴える。

「見ているだけでは覚えられません。はい、鉛筆を持って。はい、手を動かして」…なぜそこまで言わねばならぬのか、子供じゃあるまいし。…と、思うのはこちらだけで、向こうとしては、困ったなあで、「困ったちゃん」になっている。「『第三回』の漢字テストを何回受けましたか」とは言わぬけれども、「…もう五回ですよ。飽きたでしょ」と心では思っている。もっとも、1回目の30点から始まって、少しずつは伸びている。35点、55点、55点、そして今週は65点。頭はいいのに、こうまで嫌いかねえ。

ちょっと無理そうな人には、ここまできつく言わないのですが(そういう人には、「大丈夫。少しずつ、ゆっくりやっていこうね。随分、形がきれいになりましたよ」…文句を言われている学生の方は、きっと、「俺だけぇ…」と思っているでしょうね)、彼の場合はできるはずなのです、ちょっとでも練習すれば。それを嫌がる。書くのが面倒で堪らぬ様子なのです。私の方こそ、彼を見ていると、困ったちゃんになってしまいそう。

それから、途中から入ってきた二人。日本語なるものは、初めてだという「十一月」からの人は、書いている様子を見る限りでは、かなり「十月生」に近づいている。一方、国で勉強してきたという「一月生」は…、ちょっと厳しいですね、どうも何かが、足を引っ張っているよう。

同じように、とんでもない「ひらがな」を書いていた「ネパール」の学生。「(ネパールの)先生が悪い」と言いながら、練習して、じきに、宿題が、それほどの抵抗なく見られるようになった…というのとはちょっと違う。もう少し時間がかかるかもしれません。日本語では「ひらがな」「カタカナ」が基本で、それがきちんと書けていないと、「漢字」もおかしくなる…というより、「漢字」を覚えるのに手間がかかってしまうものなのですが。

もっとも、そうではない人も確かにいました。昨年いたネパールの学生の中に、「ひらがな」だけは、どうしても「…読めない」字になってしまう人がいたのです。宿題を見るのが、少々苦痛でした。「答え」ではなくて、「文字の訂正」ばかりしていたような気がします。最後には、ボールペンの色を変えて、「答え」の問題点はこの色の方、「文字」はこの色の方と、せざるをえなかった。…向こうもイヤだったでしょうが、私もちょっとね。上から、幾度となく(「ひらがな」を)なぞらせてみても、いざ、自分で書くとなると、すぐに元の字に戻ってしまう。「あああ、努力が元の木阿弥じゃああ…」。本人も苦しかったでしょうが、私も…どうしようでしたね。頑張っているのがわかりましたから。

ところが、「漢字」の導入が始まってみると、すぐ「きれい」に書けるようになったので、びっくり。共々、驚いて、お互いに「首をかしげ、「どうしてですかね。きれいですね」。それからは、書くのが楽しくなったようです。褒められるとよけいうれしいものですから。私も一回一回褒めていました。「ひらがな」の時の分を埋めるように。

そういうこともあったので、一概に否定的な見方はできないのですが、まあ、普通は「ひらがな」「カタカナ」がきちんと書けないと、「漢字」の形も変ですよね。バランスが悪いのです。偏と旁があっちゃこっちゃに行っていたり、大小が反対だったり…。

まずは「隗より始めよ」みたいなもので、「ひらがな」から練習していくのはそれなりの理屈があるのです。一応の(文字の)導をした後は、つまり、後は本人の努力次第。こちらとしては宿題のノートを見て、その都度訂正を加え、注意を促すくらいしかできません。それで、大半の人は、どうにかなってきていますから。

日々是好日
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「叱咤激励」された苦しい日々をすっかり忘れて、のんびりと幸せそうな「A・Bクラス」の面々。

2024-01-30 08:01:20 | 日本語学校
晴れ、

一月は「い(往)ぬる」、二月は「逃げる」、三月は「去る」…。もう一月も終わりです。早いものですね。学校のカギを開ける時も、もう手探りということはなくなりました。はっきりと見える…ということはもう夜も明け初めている…。

今朝のお月さんは、「餃子」でした。どうもあまり雅ではないので、餃子、餃子と言いたくはないのですが、やはりどうしても餃子に見えてしまうのです。

若い頃、イスタンブールに行ったことがありました。ヨーロッパ側の塔からアジア側を見た時、これだったのだと不思議な感覚に襲われました。既視感ではないのですが、以前、そっくりな情景を見たことがあったような気がしたのです。子供の頃、ギリシア神話に夢中になっていた時期があり、その時の気持ちが蘇ってきたかのようでした。その中のある本の挿絵に、オリンポスの山から、ゼウスが人々の様子を見ている…、そんな気分にさせられたのです。塔から下を見た時の近さというか、その近さだったのです。

宇宙から神々が下界を見下ろすと言うのではなかったのです。この近さがいい、これぞギリシア神話。それからインドや中国、北欧など、各国の神話を読み始めたのですが、インドやエジプトの神話にはそれほどの近さは感じませんでした。やはりギリシアですね。今ではギリシア・ローマ神話と言った方がいいのでしょうか。

日本神話の中でも、神様が、泣いたり、笑ったり、怒ったり、けんかしたりを繰り返しています。別に偉くはない。とはいえ、もう今では、皆、小さな祠か神座の中に鎮座ましまし、ただ人々を見ているだけ。何かしてくれるとしたら、妖怪か、鬼の方でしょうね。即物的で、それもいい。人々は(幸せを)念じるだけだし、神々はそれを聞くだけ。そして、おそらく、祈る…神に祈るのではなくて、神々が祈る、人々の幸せを祈る。だから、神の名で、争うべきではないのです…。

人々が、神々に「私たちの幸せを祈ってください」と、道ばたの祠でも、神社でもいいのですが、手を合わせ、祈る。叶うかどうかは関係ありません…関係ないこともないのですが、まあ、二の次です。まず、祈る。その行為がいいのです。それで満足すべきなのでしょう。祈るという行為で終わり、あとは他者に任せてしまうのがいい、潔い。本当は自分の問題ですよというところがいい。失敗したら自分が悪かったで、恨みっこ無しなのです。

さて、「A・Bクラス」の面々。これまで「やれ、覚えろ」、「やれ、読め、書け」。果ては、「やれ、試験だ。しっかりやれ」と毎日のように檄を飛ばされ、発破をかけられ、叱られして来たことをすっかり忘れて果て、まだ進路が決まっていない(試験がまだなのです)人も居るのに、皆、とてものんきそうな、幸せそうな顔をしています。

先だっての「何か、(教科書の他に)勉強したいことはありませんか」という問いかけに、「四字熟語」やら「ことわざ」などが出てきてびっくりしたのですが、もっとびっくりしたことに、授業の度毎(まだ三回ほどですが)に「四字熟語」と「ことわざ」をそれぞれ、五つか四つほども入れてみると、言い出しっぺ以外の人達も、真面目に写したりするだけでなく、面白そうに聞いてくれているいうことこと。

これまでに、こういう「ことわざ」とかを試してみたことはあったのですが、大体は尻切れトンボで終わり、ガーンと来て、ポシャりと息絶えていたのですが、へ~え、この人達がねえ…という感じ。失礼しました。

で、先週から幾度か、何か見たいものはありませんか…専門に関係する「アニメーション」は出てくると思ったけれども、「着物」「刀」「侍」「日本の歴史」「日本美術」なんぞが出てきました。… 「侍」とか「刀」はアニメ関係だなとは思うのですが、「非漢字圏」の学生でも、そういうものがしりたいという、そういう時代になってきたのですねえ。すると、一人が、「忍者」と「侍」はどう違うと隣に聞いていた。なるほど…。

コロナの前までは、大半の留学生の目的は、進学であり、就職で、「日本文化」などは、クラスに一人くらいは興味を持つ者がいても、授業としては成立しませんでした。彼らにとってはよその国の「文化」なんぞは、いわゆる高嶺の花。アルバイトで金を稼ぎ、ビザが下りる程度には勉強する…というのが関の山。

やはり、文化というのは「贅沢」の範疇に属していたのです。変わりましたねえ。

「Dクラス」や「Eクラス」はまだまだですが(『初級』レベルが終了していない)、「Cクラス」に最初からいる人達は、だんだんと余計な話(直接授業内容とは関係のない話)ができるようになってきています。人は貶されると、反発し、何か言ってやりたくなる。ケチをつけられると、よし、ケチをつけてやろうと鵜の目鷹の目で探し始める。成功した時のうれしそうなこと。まあ、そこまで悪辣なことはできませんが(お互いに)。遠慮がなくなると、言い合っても、別に気にならなくなります。

私たちも、この人は大丈夫かなと、あまり気にしなさそうな人から始めるのですが、次第に、下を向いているだけだった人が鎌首をもたげてくるように、顔を上げ始め、何か言いたそうな様子を見せ始める。誰かがその人に話を振ると、うれしそうに、「だめ」とか、「悪い」くらいしか言えなかったのが、次第に単語から文へと長くなってくる。すると、言ってやる方も、面白くなるものだから、もっと言い始める。言葉の応酬が始まると、もうこちらは待っているだけでいい。口を挟むのは、助け船が必要な時くらい。

どのクラスでも、はやくこういうふうになるといいですね。頑張らないと、すぐに後輩達が入ってきますよ。四月は目前ですから。

日々是好日

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学校へ来てから、まず、勉強道具を机の上に出しておく…そこから始まりましたね。

2024-01-29 08:32:12 | 日本語学校
晴れ。

月を見ると、何気なく、中学時代を思い出してしまいます。夏休み、クラブで山に行った時のこと、どうも、道に迷ったらしく、湿地をザバザバと歩いたり、陸に上がってほっとして、皆でトンボ採りをしたりして、疲れ果てて学校に戻ってきた時のこと、校門に大きな月がかかっているのが見えて、居待ち月やな。

どんな月だったのかは忘れてしまいましたが、いつの間にか、一つの映像が、真偽のほどはともかく、脳裏に浮かんできます、居待ち月やな。という言葉と共に。

まあ、それはともかく、今朝の月はかなり欠けていました。それに、だんだん日の出が早くなるからか、歩くのも少々楽になりました。それに今朝は、公園でドッグランめいたものをする人も居なかったし。

さて、学校です。

「Eクラス(10月生)」もかなりまとまってきて、授業が楽になってきました。やはり三ヶ月ほどはかかりましたね、一応の流れができるまでは。あっちを打ち、こっちを打ちしているうちに、一人ずつ、こちらの意図することが飲み込めてきたようです。

最初は、授業が始まる前に「席に着いておく」から始まり、次に(ペチャクチャと同国人とおしゃべりしているだけなので)、席に着いたら先に教科書や筆記道具を出しておく(授業が始まってから、ワサワサと鞄から出してくるのです。鉛筆や消しゴムなどは鞄のどっかに転がっているらしく、捜すのにこれまた時間がかかる)。ここまでできれば、後は簡単です。

そういう習慣がない人達に、それを「しろ」というのは、多少、酷である(どうも最初は意味がわからなかったらしい…怪訝そうな顔で見られましたもの)ことは、経験上わかってはいます。それで、その習慣がつくまでは、こちらが(教卓の)前に陣取って見ていなければなりませんでした。(そうする意味がわかって)すぐできる人も居れば、いつまで経っても、(私が前に座って見ているというのに)来るなり隣近所に話しかける…という人も居ました。やはり、休みがちだとそうなってしまいます。皆が留学生だと「一斉」が、すぐにできるようになるのですが、在日生が多いとそうは行きません。

先に来ていた人も、(私のやり方がわかっていても)習慣上、無視するわけにはいかないらしく、こちらを見ては、困ったような顔をして相手をしている…こいつぁ、お国柄で、だめだとは言えないんだなと思った時は、その人の代わりに「遅れてきて何をしている」と一喝するしかない。それでも止めない人は止めませんね。面白いことにインド圏の女性が、これまでに何人かいた…。

男子はこちらのやり方がわかれば(毎日、来ていれば、わかるでしょう。誰かがやられれば、「こりゃあ、まずい」と)すぐに対処できるのに対して、おそらく、女性は、社会性がないというか、そういう経験がない人が多いのでしょう。家(と、学校)だけで暮らしていれば、自分しか見えなくてもしょうのないことです。


以前「女性問題」について、彼らの国の状態を訊いたことがあるのですが、その時、最初は「わかる」と言ったので、「では…」と訊いていくと、戸惑ってしまって、何も答えられない。「(国…レベルは無理か)では、あなたの町では」と狭めて訊いていっても…答えられない。「でも、わかると言ったでしょ」と言ってみると、つまり、「わからない」と言えなかった…だけだったのです。これも「習慣」のようです、「わからない」とは言えない。すぐに何でも「わかる」と言ってしまい、(日本では)墓穴を掘ってしまう。訊きますからね、一応。それに、(言語の問題というわけではなく)家族、親類なら言えても、もう少し範囲を広げると、もう答えることができない。そういう教育を受けてきていないのでしょうし。

最後に「隣の人のことはわかる」…。そうか、この人達の「社会は近所(という範囲で終わり)なんだ」と思わされたことが、何度もありました。女子のみならず、男子でも子供は一人で外に出るのは、危ない(から出されたことがない場合もある)。学校への行き帰りで見える貧しい人の様子も、自分たちとは全く関係がないと思っているから、見れども見えず…で、気にならない。

日本に来て、教室の様子や学生の様子が見えても、(誰も話している人がいなくても)…国と同じことをしてしまう。何の問題も感じない。

勉強道具を、来たらすぐに出す…そこまでできてから、次の段階。返却された宿題をみたり、単語や漢字を覚えたり、わからないことを、教員に訊いたりする…。まず一つずつ、習慣をつけていってもらいます。国も違えば、背後にある文化も、当然のことながら言語も違うし、これまで受けてきた教育のあり方も違う。学歴も違えば、年齢も違うし、日本語歴も違う。そういう人達でも、ここへ来たら、同じようにしてもらう。慣れれば、何のこともないのです。却って楽だと言うことに気づくでしょうし。

その上、「とはいえ、日本語を学びたいという点だけは同じですから…」とは、思えないような人も、このクラスには混ざっているので、そこでも差は出てくる。「もうちょっとやれば、いいのに…」と思われる人(つまり、来日後の身の振り方が決まっているので適当にやっていても問題ない人)でも、下賤な言い方ですが、損得勘定をしてもらうということで、日本語の方に向いてもらうしかないのです。

日々是好日
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「仇」は「冬の寒さ」だった?

2024-01-26 08:02:21 | 日本語学校

晴れ。

少々風はありますが、まあ、冬です、冬の寒さは続いています。今朝は、満月に寄り添われるようにしての出勤でした。「スーパームーン」じゃないけれども、空気が乾燥しているからなのでしょう、本当に大きく見えました、お月様。

子供の頃、自分についてきて離れようとしない「月」に、「どうして」と尋ねたことがありましたが、さて、「月」は何と答えたのでしょうか。子供の頃なんて、だいたいが自問自答。お話を作って楽しんでいたわけで、その頃の自分は、どう答えたのかな、子供の頃の自分に聞いてみたいような気もしますが、子供時代を離れてもう久しい私には、答えを探せそうもありません。

さて、学校です。

「Cクラス」に入ってきた三人。…というか、三人のうちの二人は、代わりばんこに休んでいます。「休みが増えるとついて行けないよ(『ついて行けなくなる』ではないのです。頑張れば、四月頃にはどうにかなるだろうということで入れているのですから)」というのが、伝わっているはずだとは思うのですが、困りましたね。

外国へ、その国の言葉を勉強しに来たという留学生にとって、一番大切なのは、学ぶ時間がきっちりと確保されているということ。…最低でも、学校に毎日来なければ「空白」があちこちに出てしまいます。せっかく留学したのに、休みがちでは、特に「基礎」を学んでいる時に休んでしまうと、後で取り返しがつかなくなる畏れも出てきます。なにせ、みていると、休んだ次の日に来ても、「昨日、何を勉強した?」なんて周りの人に聞いている姿なぞ見せたことがないような人達ですから。

『みんなの日本語(1)(Ⅱ)』を学んでいる時でしたら、翌日も(学校で)復習は繰り返していますし、週に一度か二度は、まとめての復習もしていますから、まあ、どうにかなるでしょう、多分。もちろん、それでも、どうにもならないという人も出て来ることだってあります。が、その「基礎の基礎」が終わり、「N3」に片足を突っ込んだくらいのレベルともなりますと、それほどの親切さではやれません、こちらでも。分野毎に分かれますし、分野毎に教師も替わりますし。

まして、上のクラスに編入したわけですから、上のクラスに元からいた人達は、「まあ、復習だな」くらいの気持ちでいられても、下から上がってきた人達にとっては、それどころではないはず。上がって来てまだ、二週間。教え方も学び方も違っていますから、それに慣れるのに、少々時間もかかる。その期間に休みがちになってしてしまうと、ちょっとこれからがきついでしょうね。

もちろん、体が基本ですから、病気だとか足が痛いとか、それぞれ各人の事情というのもあるのでしょうが。

夏休み期間は毎日(七月生ということで、夏休みはほとんど無しで授業をしていました)のように、以前の彼らのクラスに行っていたので、ある程度は彼らの様子が掴めていたのですが、それ以後、一月の初めまで、クラスに行っていなかったので、彼らの様子は噂のように聞くだけでした。学校の近くに引っ越したので、休まないようになったということは聞いたのですが、「冬」の寒さに負けたのか、クラスに来てからもう今日で二週間になるのですが、学校で勉強した九日のうち、一人は三日も休んでいますし、もう一人も二日休んでいます。

先日、そのことを話した折、「元のクラスに戻りたくない(アルバイトの関係もあるでしょうが)」と言いますし、教科書も買っていたので、「では、頑張ってみてください。もし、ついて行けないと思ったら、戻りたいと言ってください。それはそれで構いませんから」と言っておいたのですが、さあ、どうなりますかしらん。

この「上がってきた」三人のうち、一人は、休まずに来ています。最初は堅くなっていたようですが、前からいる一人が、「(先生に)聞いてください(質問してください)。大丈夫ですから」…大丈夫とはどういう意味だ…。と言いながら、いつも通り、ちょっとわからないと、すぐに聞いてきていましたので、大丈夫だろうと思ったのでしょう、昨日は自分から聞いて来ました。

休みがちの人は、年が彼女よりも上だからでしょう、まだ聞けるほどには慣れていないようですね。こちらが訊くと、「ちょっと…」と言うくらい。どこがわからなくて、どこがわかっているかが、まだ掴めないのでしょう。毎日来て、頑張ってさえいれば、どうにかできるであろうと思ってこちらが上げたのですから、最初から転けるのはちょっとね。

普通にやってさえいれば、元からいる人達(四月生)は、七月に「N2」、新しく入ってきたこの三人(七月生)は、七月に「N3」、そして十二月には「N2」を受験させるべくプランを練っているのです。ちょっと頑張って学校に来ないと、この計画も計画だけで終わってしまったという、あってはまずいことですが、計画倒れになってしまうかもしれません。

日々是好日
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11月中旬に来た人(在日生)の補講も、やっと一区切り、つけることができました。

2024-01-25 08:26:00 | 日本語学校

晴れ。

さて、学校です。

11月の中旬に日本語を勉強したいとやってきた学生に、個別に少しずつ教えていき、昨日、やっと『みんなの日本語(Ⅰ)』が終わって、ほっ。

彼女も頑張りました。「この人は、どうにかなるかな」と思って始めてみたのですが(10月生は既に一ヶ月以上勉強していましたので、普通なら、このクラスに入れるのはちょっと無理なのです。ただ、午前も午後も学校に来て勉強すると言いましたので、それなら、ある程度は面倒がみれるかと思い、始めたのです)、大して時間の取れない中での「作業」です。授業と授業の合間に、長くて一時間、授業と授業の合間を縫って、ある時は10分だけやり、後はどうすればいいかの指示だけするという時もありました。一週間ほども他の学生の面倒を見るために、時間が全然取れないこともありました。その時は、やはり前にやった部分がきれいになくなっていて、ガーンとなりましたけれども。

「言葉」の勉強というのは、別に裃を着てやるようなものではありませんが、ただ、せっかく学校でやるわけですから、まずお国訛りのような「文字」や「発音」の癖は注意してやらねばなりません。短期間には改められなくとも、自分のどこに問題があるかだけは認識させておかねば、後々面倒なことになります。

最初に教えてみた時か、あるいは会った時かに、どうにか「させられそうだ」と思えればやるし、「これは無理だな、ゆっくりさせるしかない」と思えば、次のクラスが始まるまで待たせるか、どうすればいいかこちらも考えます。相手次第で、こちらのやり方も変わるのです。

彼女の場合は、ちょうど中途半端な時期だったので、どうにかなれそうな人なら「既に始まっているクラス」に入れる。もし、無理だなと思われたら、(次に始まるクラスへ入るべく)待たせるか、(教員の都合がつけば)「文字」など基本的なことを入れながら、次のクラスが始まるのを待たせるか…する。

普通、「在日生」はこの後者の方なのです。ただ「留学生」は(大卒者でなければ、「N4」合格が条件)、「ひらがな」「カタカナ」は無論のこと、「漢字」もいくつかは書けているはずですから、それほどゆっくりした進度ではやりません。もちろん、学校では「あいうえお」から始めるのですが、それも母国での勉強をチェックするという感じでやると行った方がいいのでしょう。つまり、「在日生」で、日本語が白紙の人が、急にこういうクラスに入ると、アップアップしてしまうということにもなりかねないのです。「ひらがな」「カタカナ」は二週間程度で終わり、すぐに「漢字」に入ることになりますから。

ただ、「ネパール」や「バングラデシュ」から来た人(昨年の留学生)の「ひらがな」「カタカナ」はひどかったですね。書かせるようなテスト(N5)であったら、合格なんてできなかったでしょう。「国の先生が悪い」と言っていましたが、一度入ってしまった文字を改めさせるのは、至難の業。しかも、書くという習慣がない人達が大半ですから。普通、(私も)半年ほどで匙を投げ(それまでは、一字一字、宿題の文字を訂正したり、個別に呼んで書かせたりするのですが)、専門学校の願書を書く時まで放っておくということになってしまいます。「願書書き」は、そりゃあ、真剣に書きますね。多分、「生まれて初めて、文字はきれいに書かねばならない」ということを痛感するのでしょうね、このときに。

で、話は元に戻りますが、彼女は「午前」は自習、乃至私が教え、「午後」は「十月生クラス」に入って勉強する(最初は無理でしたが、だんだん、一緒に口が動く…少しでも…ようになりました)というのをこれまで繰り返していました。だんだん、口が動かせるようになってきていたとはいえ、『みんなの日本語(Ⅱ)』は、やはり難しい。いくらきいていたとはいえ、そこで放り出すわけにもいかず、これからは週一で、一時間ほど、『みんなの日本語(Ⅱ)』をやってやることに。これは彼女からの申し出です。つまり私が一時間取れる時に来るということです。

12時に、お祈りをせねばならぬようですから、彼女もホッとしていることでしょう。これまでは、学校でやっていたようですから。というわけで、水曜日以外は、1時に来ればいいことになりました。

日々是好日
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「クラスに合わせて、「N3文法」暗記用の作り直しです。

2024-01-24 08:17:57 | 日本語学校
晴れ。

さて、「Eクラス(10月生)」のことです。

中に一人、中国人がいるのですが、彼は「初級」が終わった段階で、すぐに「Cクラス」に移し、七月の日本語能力試験(N2)に向けて頑張ってもらいますから、それでいいのですが、今、考えているのは残された他の人達のことです。

10月に来て、やは四ヶ月が過ぎ、三月の頭には『みんなの日本語(Ⅱ)』が終わる(予定)。終われば、「N3」レベルの、「文法」「読解」「ヒアリング」などが始まる。その準備のことなのです。

学生達が来てから、いつも「この人達はどれほど伸びるかな」とか、「もし、伸びしろがあまりない場合は、どういうやり方で攻めていったらいいのか」とか、考えながら授業を進めているのですが、このクラスでは、「初級」が終われば、それほど速く進める必要はなさそうだと見ています。

クラスの構成員が変われば、授業の仕方も少しずつ手を入れて変えていかなければなりません。それは内容にもよるでしょうが、だいたい一週間毎に少しずつ変えています。このクラスは、10月に来たということで、「非漢字圏」にしては多少速いペースで授業を進めていきました。『(Ⅱ)』に入ってからはその余裕もなくなってきたので、週一で復習の時間を入れることにしたのですが、やはり魔の「月曜日」は健在で、それが金土日と休みが三日も続いてしまうと、月曜日の一時限目など、絵カードを見せても、「その単語は何?」という顔をされてしまいます。

で、あらかじめ、その担当教員に、月曜日の事(つまり、真っ白けになってやってくる)と、初回はあまり入らない(反応が速い人が少ないのです)ので、型の練習だけでいい旨を伝えているのですが、やはり月曜日の最初の授業の時は辛いようですね。私などこういう方面は強いので、「忘れたのね。大丈夫。毎日やれば、覚えるから」ですぐに切り替えができるのですが、真面目な教員はそれが難しいようです。

「初級」のうちは、出来の有無にかかわらず、苦手意識だけは持たせてはならぬのです。真面目についてこようとするけれども、なかなか思うに任せないという人には、ニコニコニコ顔で、10課くらい前のページを開かせ、「簡単?」と言ってやります。もちろん、「そこは簡単だけれども、この課は…」と言うのですが、「そうね、でも、○○課(随分あとの課です)勉強していたら、その時は(この課のことを)どう思うだろう」と聞き直してみると、大抵は、へへへへ…と言って引き下がります。勉強とはあまり縁のない人は、こういう面で、我慢がきかないのです。できる人は、最初はこんなもんだろうと思っているので、大丈夫なのですが。

で、昨日のことです。…私は今期は月曜日にこのクラスに入っていないので、火曜日が少々辛いと言うことになります。で、その通りだったのが昨日のこと。ただ、二回、三回と繰り返すと、声がだんだん大きくなってくるので、繰り返しただけのことはある。真面目なのです、皆。漢字を除けばですが。

漢字で言えば、三人、どうにもこうにも手を打てない人がいる。一人はよくできないのですが、どうしてできないのかよくがわからない(難物です。既習も未習も区別がつかないようなのです…それがこちらとしても、捉えかねている、なぜなのか。練習はそれなりにしているのですが)。一人は、完全に手を抜いている。一人は懸命なのだけれども難しいのだろうなと思われるので、テストが3回目であろうが、4回目、5回目であろうが、できれば、褒めることにしています、よくやったと。

今は、彼ら向けに、「N3文法」の暗記用の文(構文)を作り直しています。これまでは、クラスの中に一人か二人、多い時は三人ほど「N2」は大丈夫だろうと思われる人がいたので、「N2文法」の暗記用構文の方に力を入れていたのですが、彼らはおそらく「N3」止まりであろうと思われるのです、七月には。ということは、「N3」の方を充実させておかねばならないということになります。

もちろん、「N2」の内容をやっておかなければ、普通の学生達は「N3」合格は難しいでしょう…から、簡単な「N2」のものもやってはおきますが、やはり重点は「N3」です。

「非漢字圏」の学生が多い、「在日生」が少なくない…など、クラスの様子はコロナ前と随分変わりました。その変わり様に沿って、自分たちもやり方を変えていかなければならないのでしょう。皆、目的があって学んでいるのですから。

日々是好日
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「四分野」の他に「文字」がある…。

2024-01-23 08:30:07 | 日本語学校
晴れ。

朝、地面が濡れていました。お湿り程度の雨が降ったのでしょう。こういう雨の降り方って、冬?…じゃない、冬じゃないみたい…。冬は乾燥しているものなのです、こっち側は。だから、富士山がここでもきれいに見える…はずなのに…。雨がよく降るとは…ちょっと変。しかも雨が降ると気温が下がるから、やはり冬ときている。「雨?」、「冬?」。雨と冬とがごっちゃになってしまう。

まあ、異常気象ですから、何でもありなのでしょうけれども。

最近、よく「スイセン」の白い花を見かけます。「白」ですね。以前、海沿いの崖で、崖の上に咲いている「スイセン」の群落を見たことがありました。その時は「ほうっ」と思ったのですが、実は、日本各地で見られるようですね。普、人が行かないところにひっそりと、いえ、時至れば、バアッと姿を現す…だから、人は驚くし、感動もするでしょうし、時には、見えた物の外に「別の何か」を感じたりもするのでしょう。

そういうのは、いいですね。思いもよらぬ所で出会うというのは。「見たくて見に行き、見た」というのではない、いわゆる「出逢い」。そういうときに人は「縁」を思ったり、「天から、至福の時を与えられた」と感動したりするのでしょう。

人がそういう「時間」や「物」を作り出せるのは、本当に稀。だから、それを作り出せる人を「天才」と呼ぶのでしょう「もう、人の領域を超えている」ということで。

さて、普通の人の中にいる普通の人達、つまり私たちのことです。

時々、どうして自分はすごいと思えるのかなと思わされる人がいるのですが、そのたびに、「そう思っていいのは、他者のみである」という言葉を思い出します。そう思っている限り、その人は、不幸のドンズマリの中で右往左往せざるを得ないでしょうから。

才能の有無というのは、最後の最後までわからないものです。ちっとばかり他の人よりも上手くらいなら、誰にでもわかることなのでしょうけれども。

「努力」というと、ちょっと語弊があるのでしょうが、つまり「時間」と「手間」を、普通の人よりも多くかけている人達がいるとします、同じように、そうしている人がいたとしたら、それを「努力と感じない人」の方が最後には勝ちます。「私はこんなに頑張っているのに」と思っている限り、「過度の疲労」が「(そのものに対する)思い」を打ち負かしてしまうでしょうから。

「おもしれええ」と、ただ熱中しているだけなのに、「必死に努力している人」と同じくらいの熱量を費やしている人。…もしかしたら、これが「才能の有無」の決め手になっているのかもしれません。

「言葉」を学ぶというのも同じこと。ある程度のレベルになったら、使いたくなる…だれでもそうでしょう。ただ、そこに至るまで、普通の人が普通の人を教えているわけですから、ある程度の「方便」が必要になってくる。まずは苦手意識を持たせない。言葉は悪いですが、騙しても…おもしれええと感じさせる必要があるのです。

それが「一斉授業」では難しい。「聞く」「読む」「書く」「話す」の四分野というけれども、それに足して、こういう人達(「非漢字圏」で、彼らの文字というのが「一種類だけ」。しかも、それが「表音文字」である場合)には、「漢字」が大きな障害となる。

ただ、「日本が好き」というだけで、この地に来ているというのなら話は別です。西欧やアメリカから来ている人達は、別に来る必要はないのです、ただ、来たいから来た…だけ。来て、あるいは来る前に、「日本の文字(ひらがな、カタカナ、漢字)」を見つけて面白がって身につけようとしているのなら、話は別なのですが。
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こういう日本語学校で日本語を学んでいる、つまり「(日本語を)学ばねばならない」人達はそうではないのです。できれば、「漢字」なんてのは学びたくない。次から次に出てくるのですから。おそらく、漢字なんて、学んでも学んでも終わりがなく見えているのででしょう。それを面白がる余裕なんてありません。

「ひらがな」だけで、事足れりと思っていたら、「カタカナ」が出てきた「…同じだろ。なんでこんなのも勉強するんだ…」と思っていたら、漢字まで出てきた。本を見ると「N5」の漢字とある。すると、「『N4』『N3』『N2』『N1』の漢字なんてのもあるんだろうな…ええっ、とんでもない」。学生によっては、「漢字も20個ほども覚えた。『ひらがな』『カタカナ』の他にだぜ。すごいと思ってくれよ」でしょうね。…ところが、だれもすごいなんて思ってくれない。

だいたい、こういう学生には「書くという習慣」がない、なぞって形を正しくして覚えるという習慣自体ないのです。だから「い」と「こ」の区別が付かないのです。教室では(こちらが最初のうちは、厳しく目を光らせているので)言われたとおりノートを定位置に置いて書いているので、(文字が)ひっくり返ると言うこともないのでしょうが、宿題などうちでする時、斜めにノートを置いていたりすれば、書いているうちに、「や」なのか「わ」なのかわからない文字になってしまう。斜めに書いてみれば、…まあ、似てる「ひらがな」の多いこと。「カタカナ」だってそう。

姿勢を正して、ノートを前にキチンと置くという習慣がないので、ひどい時は90度も傾けて、それほどいっていなくとも、60度くらいは傾いていますねえ、だいたい。すると、まっすぐの線、たとえば「う」がひねくれた線になってしまうし、「え」の上の点だって、あらぬ方に置いてしまう。

「ひらがな」「カタカナ」が正しく書けなければ、勢い「漢字」なんてのも、ひどい状態になる。もっとも、こちらも随分譲歩して、「読めればいい」くらいの気持ちになっているのですが、それでも、耐えきれない時がある。

それから、面白いのは、文字を小さく書けないこと、それを見て、ミャンマーの学生が「○○国の文字はみんな大きいのですか?」と聞いてきた…実際はノートに文字を書く習慣がないから、小さく書けないだけ。文字を習い立ての子供がそうでしょう。慣れるまで時間がかかるのが普通ですけれども、三字書いて、四字目にはもう違う文字になってしまうような人達は、書くのが「苦行」のようですね。

とはいえ、「漢字」だけは、面白がってとはなかなか行かない。特に「初級」の時は。ある程度覚えられれば、面白がらせる手もないわけではないのですけれども。

日々是好日
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まだ「(外国人用の)日本語の教科書」だけを勉強するの?…飽きたでしょう?…本当は私の方が飽きたのかも。…毎年、この時期になると、こう言いたくなってしまいます。

2024-01-19 08:15:25 | 日本語学校
曇り。

まだ空は暗い…。お天気がよくないと、しらじらと明け初めるお空の美しさも見られないし、より一層、寂しくなってしまいます。

さて、学校です。

卒業を控えている「A・Bクラス」。週三で入っているのですが、「N2」試験の授業が終わって、今は「N1」レベルの教科書を使っているのですが、飽きませんかねえ。「日本語(が主になっている)だけの本なんて、そろそろつまらんと思いだしてもいい頃なのですけれどもねえ。

本来なら、そろそろ「日本語」の勉強が主というよりも、知識面が主になって、それで日本語のレベルを上げる勉強にシフトしていくべきなのですが…。このクラス、「映像」を見せると、途端に内職(スマホを見たり、他の授業の宿題をしたり)し始めてしまう人が出てくる。それで、こちらも癇癪を起こし、もう教科書だけやると、啖呵を切ってしまいました。

それと、やるのは「N1」文法のつまみ食いみたいなものですかね。ただ、暗記用のものをザッと流しているだけなのですが。これは「N3」に入った頃から始めています。軽く意味を説明し、暗記用の短文を読めるようにしてやるだけなのですが、一応、そうしておくと、「文法」担当の教員が、本当に大切な説明に集中できるのです。読めないとそれだけで学生の方でもストレスになってしまいますから。

とは言いましても、かなり日本語が聞き取れるし、読めるというのに、(外国人用の日本語の)教科書だけというのはつまらない。こっちも飽きた。で、昨日、「副詞」を入れてみた。案外面白がってくれたので、ついでに、他に何か勉強しておきたいようなことはありますか?と聞いてみたのです。なにせ、もう教科書だけの授業ではないでしょうと言いたいような時期なのですから。「環境問題」でもいいし、「歴史」でもいい。ただ「クラス」によって、ある種の傾向があるので、そういうことに関心がないようだと、時間の無駄になってしまいます。

…「N2」試験の準備をしながら、それが終わってからの(勉強の)準備のために、チラチラと聞いてみたのです。が、その時の印象では、「教科書だけの勉強になれているクラス」で、「他のことにはそれほど関心を見せない」クラス。…どうも学校の勉強とは、「教科書」を見ることだと思い込んでいるような「クラス」であると。う~ん。面白くない、真面目なクラスなのです。

昨年度の「卒業生クラス」は人数こそ(コロナ禍のせいで)少なかったものの、「時事問題」に興味を示す学生がいて、わからないことをよく質問してくれました。それで、映像を見せていくうちに、ますます疑問が出てきたようでした。そのうちに、他の学生も質問するようになり、結局は、説明に「歴史参考資料(高校)」が必要になった(以前、中国人学生が多い頃に用いたもので、もう随分前の資料ですが、それでもないよりはまし。事前指導ができますから)。まあ、面白かったですね、やりとりだけで授業ができますから、準備は大変でしたけれども。こちらもおかげでいろいろと調べたり、ニュースやらを真剣に見ておいたりで、勉強になりました。

今年度のクラスは、昨年度のクラスとは違い、「教科書」だけに不満はないような…気がしたのです。とはいえ、もうそういう段階ではないので、「いつか入れよう、何でもいいから、他の教材をいつか入れよう」とチャンスを窺っていたのですが、それを試みる度に、…失敗。本当に興味がないんだ。結局、日本語のレベルがどうであれ、その時は、やる時期ではなかったのでしょう。

すると、昨日のことです。一人が「ことわざを勉強したい」…へえ。これに興味があるとは思わなんだ…。以前ちょっとこれを入れておこうかなと思って、小出しにしたことがあったのですが、みんなシラッーとしていたので、こりゃあ、だめだと放っておいたのです。食いつきがいいクラスもあったのですが、そういう感じではありませんでしたね。それから、もう一人、「四字熟語」と言った学生がいました。…なるほどね。彼女は大学入学が決まってから、大学の方から入学前試験とでも言いましょうか、事前試験が数回あるそうで、どうもその最初の試験にショックを受けたらしい。「国語」で「四字熟語」が出てきたのです。それで、ガーンとなった。それを聞いて、「学校でもやりますか」と、その時、言ってみてのですが、答えが「(他の)先生に(ことわざの)辞書をもらったから、大丈夫。自分でやる」だったのです。

その時はそう思っていたけれども、実際に一人で勉強してみると、よく意味がわからなかったと見えます。確かに四字熟語はそうでしょうね。中国の歴史やら物語やらが絡んできているものもありますから。

で、「わかった。来週から少しずつやろう」と言うと、なぜか「明日も(先生の授業が)ある」。「今日、聞いて、明日はないでしょう、来週、来週」とは言ったものの、一応、彼らの興味をひきそうなものをいくつか準備しておきましょう。やりたい時がやり時でしょうから。

日々是好日
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「漢字」、「漢字」、「漢字」です。「初級」を終える頃には、ガーンとのしかかってきます。

2024-01-18 08:15:08 | 日本語学校
晴れ。

学校に着いた時には、うっすらと、小さな雲がお空に浮かんでいるのが見えました。白いかな。

さて、学校です。

月曜日から、「Cクラス」に(「Dクラス」から)移ってきた三人。まだ三日しか経っていないというのに、既に二人が一日ずつお休みしています。三人のうちの一人は、午後は元のクラスにも出ているので、多分、三月に入るまでには内容的にも、やり方にも慣れていくでしょう。が、残りの二人は、休みが続くと、ちょっとこのクラスでは無理かな…という気がします。ということは、元のクラスにも戻らざるを得ない…かも。

三ヶ月くらいの差(四月生と七月生)だったら、「初級」さえ、終わっていれば、1ヶ月半である程度は追いつける…もちろん本人が努力するというのが前提ですが。ただ半年ともなると(「四月生」と「十月生」)、「初級」のうちはちときつい、無理でしょうね(ここで、言っているのは、「非漢字圏」の学生のことです)。一年か二年経っていれば、上のクラスでも真面目にやっていない人はデコボコ状態の日本語ですから、真面目にさえやっていれば、追いつくのはそれほど難しいことではない。「漢字」ができるかできないかで差が付いているからです。

「漢字」が書け、読め、そして一字毎の意味が把握できているかが、決め手。この三人のうちの一人は、私は大丈夫かな?と不安視していたのですが、来てみると、やはり漢字が難ですかね。書かせてみると、既習のものがサッと書けない。書き順も間違えているし、形も取れていない…書き慣れていないのです。高校受験を目指している学生だけは、サッと書けるので、頑張ればなんとかなるであろうと思われるのですが。

「上級」の教材では、「漢字塗れ」(彼らが言うところの)の文章になります。耳だけに頼っている人は、まず文字を逐って読むことができません。もちろん、そういう文章になってしまうと、聞いただけで答えを出せるものでなし。時々、それができる人はいるのですが、普通は読んでもらえませんから、その能力(?)も役には立たない。

だいたい、就職したとして、仕事一つ一つに、いちいち読んでくれるような親切な会社はまず、ないでしょう。「時間がないから、各自、読んどいて」と予定表や書類を渡されるのが関の山です。

で、「Dクラス」です。おそらく「Dクラス」で残っている人達もいずれ、「Eクラス」に吸収されることでしょう。12月に、二、三日、授業を受けに来た時には、文を繰り返して言ったり、多少変換させて言ったりはできるのですが(既に学習済みでしたから、書けない。(ディクテーションの時)「ひらがな」でも書いていけないから隣の人のを見るしかない…見てもしょうがないんじゃないかなと思うのですけれども。(周りを)見ないで書かされている「Eクラス」とドッコイドッコイの仕上がり。差はそれほどありません、「Eクラス」は初めて勉強する内容なのですから。「中級」に進むことを考えれば、「書けない」ということはついて行けないということに繋がります。

「Dクラス」にも、端っから、ついて行くのが難しそうだなという三人を除いて、やればできるはずなのに、できない、やらない(書くという習慣がないから、書かない。書いても三、四回も書けば、飽きてしまう)人が一人います。毎日、注意されてもできない。二、三回書いてすぐにボーッとなってしまう。注意されてハッとなるの繰り返しです。漢字の導入の時には特に。ディクテーションで、漢字を入れろと言うと、壁に貼られてい漢字を見て探すのですが、選ぶのは難しいでしょうね。ただ、「ひらがな」で書かれたものを見ると、皆、正しいのです。その都度、「あ~あ、漢字、漢字」と言ってやると、へへへへと困ったような顔をする。「そいつは無理な相談だ」くらいに思っているのでしょう。

この「Eクラス」。10月に始めた時には、日本語ゼロ者が四人。しかともしれぬ日本語を習ってきている人が四人(あり得ない字を書く人もいました)。「Dクラス」から下りてきたけれども、全然日本語を学ぶという気持ちのない(取り繕いはしますが)人が一人。日本滞在は長いらしいけれども、虫食い状態の人が一人。来校した時、今、(このクラスが)勉強している課(その時、10課くらいでしたか)はもう勉強したから、勉強していない課からやりたいると言って、希望通りの課から始めたのに、前の部分がわかっていなくて青ざめた人が一人。そして、今、一月生二人のうちの一人が入ってきているのですが、独学で「N3」の前の方までやったと言う話だったのに、「ひらがな」からやり直さねばならぬという人が一人。もう一人、11月の中旬に入ってきた人が一人。彼女もゼロでしたが、休み時間や授業の合間を縫って、少しずつ教えていくと、(もちろん、まだ「20課」ですが)今は少しは皆と一緒に言えるようになった…かな。漢字テストも一緒に受けられるようになっています。まだ2回目ですが。

新年度になって、四月生が来る頃には、皆、決まったクラスで、落ち着いて勉強できるようになっているのでしょうか。…まあ、なるでしょうね。毎年、こんなものですから。

日々是好日
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こう寒いと、自転車通学じゃない方がいいかもしれませんね。

2024-01-17 08:02:42 | 日本語学校
晴れ。

昨日は寒かった。風も強かったし。で、今日はと言いますと、風は感じられませんし、早朝も昨日ほどは寒く…ない。しかも、今日の最高気温は11度とか。昨日は10度に至らなかったというのが、調べなくともわかるくらい寒かった…。

で、寒さに弱い南国の人達が多いという学校です。

昨日は、寒風が肌を射貫くように吹いていたので、午前のクラスで(自転車で来た人は大変だろうと)スリランカの学生に訊いてみると、にっこりと笑って、「歩いて来ました」。…そうか、スリランカの人は、国では乗ったことがないという人が大半だったっけ。彼らはまだ練習していないんだ。七月に来たのに、まだ歩いているんだ。もっとも、バイト先へ行くのに電車を使うから、それほどの必要性を感じていないのかもしれません。歩くのはそれほど苦にならないと見えます。

で、午後のクラスです。中国人学生が、これは何かと、紙を持ってきました。どうも違法駐輪で、警察から貼られていたらしい。「罰金ですか」と訊く。見ると「警告」と書いてある。私もよくよく見たのは初めてなので、「どこへ取りに行ったらいいのか、いくら払えばいいのか」などがどこかに書かれているのではないかと見てみたが、どこにも書いていない。「上へ行って訊いてごらん」と職員室へやる。すぐに、ほっとした顔で戻ってきた。初回なので、警告に収まったらしい。「よかったね。これからちゃんと駐輪場に置いてね」で、終わったけれども、そりゃあ、びっくりしますよね、最初は。

そういえば、ベトナム人学生が、お巡りさんが怖いと言っていましたっけ。もっとも、後で、私たちが言っていることが本当だとわかって、「日本の『ケーサツ』は、優しいです」に変わりましたが。

私たちの、いわゆる「お財布を落とした」…すぐ交番へ、「(道で)落とし物を拾った」。…すぐ交番へ…、「困ったことが発生した」…すぐ交番へという、こういう感覚が、どうもわからないという国の人が少なくなくて、ちょっと困る。で、困った時は交番へなどと言ってしまう。

実は、以前に、こんなことがあったのです。土曜日に偶然、駅でウロウロしている学生に会ったのです。友達が熱があってどうしていいかわからないと言う。当時はそれほどスマホの活用ができていなかったので、「困った時は交番へ」と言って、駅の交番に連れて行ったのです。そして土曜日に開いている病院をお巡りさんに捜してもらったのですが、その時のベトナム人学生の顔が、本当に変だった。…悪いことをしていないのに(どうして警察に連れて行く…不可解)…そんな感じでした。

もっとも、親身になって捜してくれるお巡りさんの様子を見て安堵したのでしょうね、ありがとうございますと言って帰って行きましたが。悪いことをしなければ、日本の交番のお巡りさんは本当に優しい。もっとも、あまり言い過ぎると、お巡りさんの仕事を増やしてしまっていけないかしらん。

日々是好日
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「休み」明けで、一週間が過ぎ、どうでしょうか。忘れている人が…少なくはない…。

2024-01-16 08:20:01 | 日本語学校
晴れ。

学校の「ジャコバサボテン」は、「休みの苦難」(誰も面倒を見てくれない)にも耐え、まだ花を咲かせています…すごい。「休み」前の勢いこそ衰えたものの、まだいくつも蕾をつけています…すごい。この花を持ってきてくれた卒業生に似て、…しぶとい。

さて、「A・Bクラス」は二人を除いて、進学先も就職も決まり(かな?)、かなり落ち着いてきました。「Cクラス」は、人数が少ないからでしょう、だいたいいつも通りという感じ。「Dクラス」も、漏れ聞いたところでは、皆、元気だそうで、問題は「Eクラス」。

四月から、きちんとこのクラスで勉強できるであろうと思っているのですが、途中から入ってきた二人。一人は、自分の空き時間に面倒を見ながら、少しずつ進めているのですがまだまだ追いつくには程遠い。『みんなの日本語(1)』も終わっていないのです。もう少し早くこの学校に来ていてくれたら、問題なかったのですけれどもね。

もう一人、一月に来日したばかりの学生は、独学で「N3」までしたと言う話だったのですが、…独学はあくまで独学…にすぎませんでした。「ひらがな」からやり直さねばならないのです。しかも、練習が足りていないのでしょう、動詞の活用もそれほどわかっているようには見えない…「やった」は「やった」に過ぎず、「知っている」も、「知っている」に過ぎぬのです。

しかも、この「Eクラス」の面々。明るく新学期も登校してきたはいいものの、「休み中、全く勉強していなかったなあ」を絵に描いたように、スッカラカンになっていた…。その上、(真面目に復習していたように思われる三、四人を除いて)それを苦にしていない…ハアとため息をつきたくなるほど…ハア。

彼らの気持ちとしては、「休みは休み。休みでしょ(休んで何が問題???)」なのでしょう。「休み」があったから、「忘れるのは当然」と来た。…こちらはこちらで、「当然じゃない」と叫びたくなるんですけれども。特に休み前の「他動詞・自動詞」の「動詞」、この単語が涙が出るほど出てこない。「やったよね」、「勉強したよね」と念を押し、彼らも「うん(見たことはある)。」…それで終わりかよ。

いきり立つ私を宥めるように、「先生、大丈夫よ」…なにが大丈夫だ!

四日ほど絵カードで復習を繰り返しては見たものの、どうもはっきりしない…霧の中で泳いでいるような顔つきをしている。これは単語の意味から確認していかねばならぬか…。そう思ってみていましたが、彼ら、月曜日になると、また白紙に戻ってしまうので、それは来週からということにして、先週は一応、終えました。昨日はこのクラスの授業に入っていないので、今日やってみます。

この人達のレベルからみれば、少々進み方が速いのかもしれないということで、昨年の終わり頃から週一で、毎日の復習とは別に、まとめ的な復習の時間を入れているのですが、それでも追いつかなくなるかも…とも見ています。とはいえ、あまりゆっくりやってしまうと、頑張っている人が救えなくなる…。なにせ、「十月生」ですから、四月に来た人達から見れば、半年遅れということになるんです。

語学に関して言えば、少々勘がいいなという人が三人ほどいるけれども(中国人は除きます)、一人は欲がなく、一人は漢字をやろうとしない、合格できなくとも平気。週一の「漢字テスト」の時は、壁に貼ってある「N5」の漢字をコソコソと見てはいるものの、一つズレると全部が無に帰するというような状態だし、もう一人は、卒業後の進路が決まっているので、「それなりに来て、やっているだけ」という雰囲気が抜けきらない。

で、後の人達はごく普通の、学生達。休み前のように、毎日、復習をかなりやっているので、家では宿題をするくらい(でいい)という生活が続けば、どうにかなるのだろうけれども、「冬休み」のように二週間ほども休みが続くと、貯めていた貯金(学校で学んだこと、覚えたこと)がきれいさっぱりと消えてしまう…。

「漢字」なんてのも、最初に「書く」という習慣がつけば、それほど苦になることでもないと思うのですが、まず「書く」習慣がなければ、鉛筆を持つこと自体が面倒ということになるのです。

とはいえ、「学校に着いたらすぐに勉強道具を机の上に出しておく」という習慣は、消えていませんでしたね。もちろん、まだ「出した」で終わりの人も見られるのですが、こちらが20分ほども前に教室に行くと、質問をしたり、見てくれと漢字が書かれたノートを出してくる学生もいますから、教科書を開いて見ておくという習慣も少しずつ広がっていくのかも知れません。

ただ、一番、そういう習慣をつけてほしい人達は、ギリギリに来る傾向にあるので、早く来ている人達のこういう変化を知らないのです。

こちらが勧め、一人がそれをいろいろなことが聞けるわけですから)、それを見ている人達がその利点に気づき、徐々にまねをしていく。そうなってはじめて、クラスの雰囲気が作れていく…つまり、教室に来たら勉強モードにすると言うことなのです。もちろん、一二時限と三、四時限の間の休み時間は、まあ賑やかですが。

クラスに、別の人が加わっても、クラスの雰囲気さえしっかりできあがっていれば、クラスは壊れませんね。新しく来た人がそのクラスに染まっていけばいいのです。これが逆でクラスが乱されていくと、クラス経営は失敗しているということになります。

日々是好日
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ついつい、お天気の話から始まってしまう日本人。

2024-01-12 08:13:21 | 日本語学校
晴れ。

今朝は昨日よりも寒い…とはいえ、風がない。風がないから少しはいいかというと、そんなことはない。風がなくともこうまで寒いのか…。

今朝の、(行徳の)最低気温は1.7度とか。昼は、昨日よりも暖かくなると言っていましたが、それで15度にはならないようです。

以前、中国にいたとき、出会えば、すぐに「ご飯は食べたか」と訊かれたので、最初のうちは、本当に戸惑いました。「こんにちは」みたいな感じで、関係ない時にでも訊かれるのです。「私が食べたか食べなかったかが、あなたに関係あるの。勝手でしょ」と言いたくなってしまうのですが、それも、少し経つと、こちらに対する思いやりであることがわかって、ぐっと腹に収めることに…。ただ、いつまで経っても馴染められず、答えるのがちょっと面倒でしたね。もちろん、相手は「こんにちは」感覚で言っているので、「はい、食べました」とでも言っておけば、よかったのでしょうが。

それが今、巡り巡って、「お天気を問う」ことで、学生達を煩わせているようです。。

今頃ですと、「今日は寒いですね」とか、「昨日に比べれば、今日は少し暖かい」…。「夜は冷えるそうだから…」とか、「雨になるかもしれないから気をつけてね」とか…。

「お天気が気になる」のは習い性になっている…と言ってもいいのでしょう。一日に何度も天気予報を見てしまいます。見てどうなるのかというわけでもないのですが、見るのです。一日中うちにいても見てしまう。洗濯とか、外で作業するわけでもないのに見てしまう…。

「(この季節は)雨が降らない」と決まっている(?)地方から来ている人にとっては、煩わしいことこの上もない…ことなのかもしれません。また、反対に、「雨が降っていないのに、出勤の時、日本人は皆、傘を持っていた。すると驚いたことに昼に雨が降った…なぜ日本人は雨が降ることが判っていたのだ」などと、驚いてしまう人もいたりする…ようですし。

「異文化」というと、少々大仰に聞こえるかもしれません。しかしながら、「異文化」というのは、日本国内に於いても、それを感じることはあるものですし…。いわゆる「違うな」感覚です。

ですから、ご近所さん同士である「東アジア」の国であっても、やや離れている「東南アジア」の国々であっても、それは同じ。

「アフリカ」や「中近東」、「南アメリカ」からであったら、(「違うはず」と思っていますから)身構えられても、ご近所さんだと「…はず」という認識が自他共にそれほどありませんから、齟齬を来しがち。「思い込み」で失敗することもある。もとより、それが摩擦を生む場合もあれば、気がつくことで、反対に興味を持って見られる場合もある。

言葉だけの問題ではありません。身振り手振りにしてもそう。表情にしてもそう。宗教や伝統にかなり雁字搦めに育ってきている人達は、こちらが注意しても耳に入らないということだってある。まず、「違う」とは思っていませんから。自分たちと同じ考え方をすると思っている。

別に「それ」が悪いとか、不愉快だとか言うわけではないのです。日本人が「それ」を見たときに、どう感じてしまうかということなのです。もし、日本人が(ここは日本という島国ですから)拒否感を覚えやすいとか、怪訝に思ってしまうであろう場合には、それを伝えておかねばならないと思います。それを知った上で、どうするかはその人の問題。それで押し通す人もいるでしょうし、少しずつ変えていける人もいます。どちらにせよ、言われたからといって急に変われるものでなし。また、それを変えよとも、(こちらは)言いません。

二十年以上を、ある環境ので過ごしてきた人が、新しい環境に入ったからといって、(変えることのプラス・マイナスを感じぬまま)変えられるかというと、そういうことはないでしょう。

これは一種の適応力と言ってもいいのかもしれません。「ふ~ん。日本人はこれがイヤなんだ。じゃあ、ちょっと考えてみよう」という。もちろん、全然変わらない人もいますから、そういう人を見ていると、日本では暮らしにくいだろうなと思ってしまう。本人に自覚がなければ、こちらが百万言費やそうと海の中に小石を投げるようなもの。どだい無理な話なのです。

二十才前くらいであれば、だいたいすぐに環境に適応できるでしょう。まねをするという形であったり、アルバイト先でも言われたからという理由で、そうしたりするのです。ただ年齢が高いとそれはかなり難しい。こちらが言うことに不満を抱くということにもなりかねません。自分たちのやり方が、世界一番いい(正しい)と思っている(思っているようにしか感じられない)人だって少なくないのですから。私たちの言うところの「ここでは」がなかなか正確には伝わらないのです。別に彼らのやり方を否定しているわけではないのです。「ここでは、こうしておいた方がいい」くらいで言っているだけなのですが。

こちらが何か言ったときに、「よくわからない」と答えたり、判っていないような態度を示してくれれば、多分、変わる可能性が高い。少なくとも、こちらの言っている意味はわかっているでしょうから。ところが、「はい、はい」と言っているだけだと、…多分、判っていない。その人の何にこちらが注意を呼びかけているのかに気づけない。だから、「はい」で終わり。そう言う人を見ると、日本では暮らしにくいだろうなあと思ってしまう。とはいえ、多分、そう言う人は他者の気持ちや言動をそれほど気にしたりしないでしょうから、他者を無視してそれなりにやっていけるのかもしれません。

こんなことは、「どうすれば楽で、どうすれば大変か」なんて、本当に判りません。けれども、時々、フウッとため息をついてしまうようなことがあるのです。

日々是好日
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『みんなの日本語(Ⅰ・Ⅱ)』が終わった段階で、クラス替えを何人かすることになります。

2024-01-11 08:35:18 | 日本語学校
曇り。

今朝は、風があって、かなり寒い。「うう…熱を奪うな」とでも言いたくなるほど。雪国の人には叱られそうですが…。風があると、昨日よりもずっと寒さを感じてしまいます。最低気温3,9度。そして、気温も、今日は10度にいかないとか。ブルブルです。

昨日、「Cクラス」では、授業が始まった時に来ていたのは一人だけ。彼はいつも10分以上も前に来ているので、別に不思議でも何でもないのですが…。「そうか、今日は君だけか…」。彼もそう思ったようで、「今日は私だけですか…」。

12月の「日本語能力試験」前までは、それでも8人ほどはいたのです、このクラスでも。「留学生」二人に、「在日生」が七人。「在日」はそれぞれ個人的な事情があり、学ぶ期間も決まっていませんから、試験などを境に、終止符を打つということもよくあること。目的もないのに、お金や時間を費やしてまで勉強するかというと、まず、そんなことはしないでしょう。

それで、今年は、続けると言っていた「在日生」二人と「留学生」二人、計四人で、始まる予定だったのですが、「在日生」一人が足のけがで来られないという連絡があり、三人で始めることに。もっとも、(昨日は)もう一人の留学生が、20分ほど経った頃、「…眠ってしまった…。ごめんなさい」とやってきたので、どうにか二人で授業ができました。

ただ、来週からは、下のクラス(「Dクラス」)から二人か三人上がってくるとのことですから、少しは賑やかになるでしょう。うち、二人は「留学生」で、一人は「両親に聞いてから」という「在日生」。高校受験を目指しているので、きちんと勉強する人であれば、やはり少しでも先をやった方がいい。

一方、午後の「Eクラス」。彼らが来日したのは、昨年の10月なので、真面目に勉強していても、なかなか「四月生」と同じにはなれません。はじめの頃の、三ヶ月と、九ヶ月の差はかなり大きい。

まあ、一年ほども経てば、一緒に勉強してもどうにかなるかな、「ヒアリング力」と、「漢字の力」さえついていれば…。ただ、「非漢字圏」の学生であって、この両者が共に成立しているかというと、それほどはいません。大体は、「ヒアリング力」はあるけれど…で、終わってしまう。それに比べて、「漢字圏」の学生はというと、「漢字力」はどうにかなっても、「ヒアリング」がついていかない…。

そうは言いましても、「ヒアリング」なんてのの鍵を握っているのは、時間だけですから、真面目に(学校で)勉強さえしていれば、どうにかなってきます。一方、「漢字力」はと言いますと、…どうにかなる…とは(本人が)思っていても、そうは問屋が卸さない…でしょう。日本人だって、中国人だって、努力せねば覚えられないものなのですから。

いくら日本人のようにペラペラ話せている人でも、「はい、読んでください」と言われたら、ガーンとなる。…読む場所に、漢字が現れてくれば、読めないので固まってしまうか、適当に読むしかない。(そういう人の)状況を知らない日本人は「あれ、日本人のように話せているのに。学校で日本語を学んでいるはずなのに」と不思議に思ってしまう。

「初級」ではありませんから、教科書に「ルビ」なんてのは振っていません。読みが止まる度に、いちいちこちらが言ってやらねばならない。。一人読みができなければ、問いに答えるどころではありません。そうなると、「読解」の授業自体が成立しませんから、お引き取り願うしかないのです。級が進めば進むほど、漢字の量は増えていきます。「読む・書く・聞く・話す」の四分野が、多少の凹凸はあっても、適度に身につけて行けていないと、「読む・書く」分野がドーンと凹んでしまうと、ここだけは、いつまで経っても簡単な文章しか読めないと言うことになる。

しかしながら、こういう人は「聞く・話す」には自信があるので、なんでこんな簡単な文章を読むんだと面白くはない。これが、「在日生」で、「文字」の縛りがない人達だけのクラスであれば、「ドラマ」なり「映画」なりを使って面白く授業をやることもできるのですが、留学生もいるクラスでは、そうはできません。「日本語能力試験」がしっかりと立ち塞がっているのです。これを無視して、進学や就職ができるかというと、できないのです。

尤も、日本に長くいると、勘が付くと言いますか、文の流れでこうであろうと、読める(言える)場合もあるのです。実はこれが一番怖い。「勘」で読んで(言って)いるのですが、それなりに文としてはつじつまが合っているので、聞いているだけであったら、そうかと相手は思うでしょう。しかしながら、実際に文章を読んでみると、全く違う事が書いてあったということも少なくありません。一遍で信用をなくしてしまいます。それらしい文を言っているに過ぎないのですから。授業ならまだしも、これが仕事で金銭的な問題が絡んでいるようなものですと、大ごとになってしまいます。本人はごまかしているつもりなど全くないのですから、よけいに大変です。

「在日生」の場合、「話せるようになれればそれで十分である」という人もいますから、その場合は、「(漢字は)覚えた方がいいよ」くらいにして、きつい言い方はしていません。どの国にいるにせよ、文字が読めなければ、生活に支障を来すであろうくらいの事は判っているはずですから。実際、「Eクラス」でも、今、一番必死になって漢字を覚えようとしている人は、在日生なのです。もちろん、勉強の習慣が自国でもあってのこと。そうでなければ、だいたい「カタカナ」で音を上げています。

さて、昨年度のクラスの人達、四月生、七月生、十月生は、今年、どんな年にすることができるかしらん。努力次第だということが、判ってくれるといいのですが。

日々是好日
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昨日、新学期での授業始まりの日は、どのクラスでも、まず無事に終わったようです。

2024-01-10 11:40:22 | 日本語学校
曇り。

昨日ほどには、寒さは感じられないものの、やはり冬ですね。寒い。建物の中にいても、寒いのですから、被災地の寒さはどれほどか…思いやられます。日本にいる限り、「明日は我が身」なのですから。

さて、学校です。

学生達は、休み前の、いつも通りの顔で、登校してきました。授業開始、15分ほど前にはだいたいが揃っていた「Dクラス」。休み前と同じように、来ていました。いつもギリギリでやってくる学生も一人、昨年同様、ギリギリでやってきました。…変わらんな。この、変わらないところに安堵してしまうというのも、地震立国(?)だからか。とぼけている人はとぼけているなりに、せっかちの人はせっかちなりに、いつも通りだとほっとしてしまいます…。もちろん、にやっとなどはしませんが。

学校の四クラスのうち、留学生が多い二クラスを除けば、在日生が何割かはいるのです。コロナはまだそれほど収まってはいませんから。それ故、面倒なことながら、同一クラスであっても、在日生に見せる顔と、留学生に見せる顔とを異ならせる必要が生じてきます。留学生は在日期間が決まっているので、その期間内に、次の進学先ないし、就職先を決めさせておかなければなりません。そうでなければ、心に背く帰国せねばなりませんから、それなりに厳しく対してしまいます。

一方、在日生は、とにかく勉強したいと、仕事の合間を縫って来ていたり、お子さんが病気だなどと、その人の問題と言うよりも周りの問題で振り回されてしまうことも少なくないのです。本人が頑張ればどうにかなるという留学生とは違います。宿題一つにしても、「できなかった」と困り顔で言いに来る人達に、「できるときにやればいいから」と答えるしかありません(数人が、数日分をまとめて持ってこられると、見るのに時間がかかって大変なのは大変なのですが、それでもやってくるのです。)。

留学生なら、その大半は、しなくていいのならやりたくない…でしょうね。来日前は、国の、それぞれの家庭で、何もせずに暮らしていた人達です。外国(ここでは日本)へ留学すれば、勉強だけでなく、掃除、洗濯、料理作りも自分でしなければなりませんし、ある程度日本語が話せるようになると、アルバイトも加わってくるでしょう。時間のやりくりに慣れていない人たちにとって、それはとても大変なことなのです。

おまけにと言いますが、東アジア、東南アジアの一部の国を除けば、「書く」という習慣があまりない人達もいますから、問題や答えをノートに書くという作業が、これまた私たちが考える以上に大変。以前、人数的にも多かった中国人の場合は、それが全くありませんでした。ベトナム人もフィリピン人、タイ人もだいたい大丈夫。大変なのは、南アジア以西の国から来た人達。「○㍉で○行」というノートはあまり役に立ちません。一行に入れられないのか、まあ、不経済なノートの使い方をしてきますし、一ページから順に使ってほしいのですが、突然、前に空いているところに書いて、提出してきたりしますから、どこに書いているのか捜すのに苦労したりする。そういう習慣(?)を改めさせるにも時間がかかってしまう。つい、やってしまうのでしょうね、彼ら。それを注意するにしても、日本的な言い方、やり方では通じない場合も多く、はっきりと、時には嫌みったらしく言った方がいい場合もある。今だけと唱えながらやっているのです、こちらは。日本人にそうやったら、友達がいなくなってしまいます。

とはいえ、自由ですねえ。最初のころは面白がっていたのですが、日本での就職のこと、進学のことを考えると、そう面白がってもいられません。一応、「見る人のことを考えろ」と言わざるを得ないのです。それでハッとしてくれればいいのですが、それが通じない相手もいる。我流なのです。ノートの使い方ひとつにしても。

これは高校受験で数学を教えているときに気づきました。…中学の数学の基礎の基礎です。ノートの使い方がめちゃくちゃだったのです。約分するにも、こんな書き方をしていたら、そりゃあ、計算を間違えるよとしか言いようがない。気の毒になってしまうのですが、優しい顔をしていたら、多分、ずっとそうしてしまうでしょう。その都度文句を言ってやるしかないのです。日本の会社で、それほどの実力もない段階で、これをやれば、それは顰蹙ものです。誰も認めてくれないでしょうし、相手にもしてもらえないでしょう。日本語のレベルにもよるでしょうが、「実力」の出しようもない。それに彼らが自分で思うところの実力というのも、大したものでない場合もありますし。

頭は悪くない、けれども、それでやっていけるかというと、外国ではそれではやっていけませんね。母国では考えずに済んだような事でも、異国では考えなければならないことも少なくないでしょうし、それなりの努力も必要になってくる。

言葉の面で言えば、日本語では「漢字」がそれに相当するでしょうか。「自分は頭がいいから」だけに頼っていると、いつの間にか、漢字を懸命に練習して覚えてきた人に追いつけなくなっている…。漢字が覚えられないというということは、文章が読めないということなのです。つまり、会社に入っても、書類が読めないのです…。会社で書類が読めないと言うことは、大した仕事はさせてもらえないでしょう。いざというときに、頼りにされないのです。

何事にせよ、本人がその気にならなければ始まりません。今年も、漢字をやろうとしない学生との「戦い」は続きそうです。その気にさせるのは、本当に難しい。手を変え品を変えやっているのですが。

日々是好日
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謹賀新年

2024-01-09 08:19:21 | 日本語学校

謹賀新年。

遅ればせながら、新年のお慶びを申し上げます。

今年は年の初めから、大きな地震が能登半島を直撃し、そのショックが収まらないうちに、羽田で飛行機事故が発生し、正月どころではありませんでした。日々の暮らしが一瞬で消えてしまうような島に生きていることを感じさせられています

とはいえ、皆、例年通り、頑張っていくつもりです。

今年もどうぞよろしくお願いします。

日々是好日

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