日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

大きなスイカを抱えて挨拶に来てくれました。思わず、笑ってしまいましたけれども…ありがとうね。

2016-06-29 07:56:14 | 日本語学校
曇り。

一日中曇り…だそうです。

「ムクゲ(木槿)」でしょうか、「フヨウ(芙蓉)」でしょうか、優しい花が咲いています。「キキョウ(桔梗)」も、「ギボウシ(擬宝珠」も花をつけています。「夏の花」という気がしますけれども。

「梅雨」本番、あるいはこれからが「梅雨」の本番のはずなのに、あまり「梅雨」らしくない日々が続いているせいか、もう「梅雨」が明けたような気がしています。こういう、気持ちが、お天気に左右されてしまうような感じも、考えてみれば面白い。

「『梅雨』とは、こんなものである」が、もうセットされているのでしょう、自分の中に。もちろん、日本人(日本という風土に長年住んでいれば、異国からの人であっても同じでしょう)なら、みな同じような思いであると思います。

もしかしたら、年を取ると言うことはこういうことなのかもしれませんね。決めつけるというわけではないけれども、じんわりと、「AはBである」というのが、心の中に(薄いベールであっても)積み重なっている。それが確固としたものになっている…わけではないけれども、少しでも違ってくると、「あれっ?」と違和感を覚えてしまう。

思えば、学生達に「夏は暑い、秋は涼しい、冬は寒い、春は暖かい」と教えているのも、根は同じなのでしょう。

別に「夏は寒い」であっても、かまわないのですけれども。実際に北半球、南半球と、立場を変えずとも、緯度の高低で、「夏も寒い」「冬も暑い」だったりするものですし。

「夏は暑いものだ」と、「ものだ」がついてしまうのも、面白いといえば、面白い。彼ら(留学生)に対しているときにも、こういう、おかしなことは起こっているのでしょう。

ただ、それに気づいていても、日本で暮らすことを選んでいる学生には、「(日本人は)こう考えている」とか、「こう感じている」というのは、告げておかなければなりません。日本で書かれている文章も、大半はそういう「常識」で書かれているものですから、「違う」なんて思ったら、「答え」も右に行ったり左に行ったりしてしまいます。

ともかく、一応、「日本人はこう考えている」「こう感じている」を知っておくことが大切なのです。これは別に、試験のためだけではありません。これからの数年を、この風土の中で過ごすことを選んでいるならば、知っておく方がいいでしょう。もちろん、これはどこ(の国、地域)へ行っても同じことです。

さて、学校です。

昨日、お昼ごと、「明日(今日のことです)国に帰る」という卒業生が大きなスイカを抱えてやって来ました。「よくぞ、こんなでかいのを抱えてきた」と笑ってしまったのですが、本人は大まじめ。「大変だったよ」「重かったよ」と褒めてもらいたくてたまらない様子。もちろん「ありがとう」だったのですが。

行った専門学校が、全く面白くなく「勉強を教えてくれない。何も教えてくれないよ。お金だけ」。だから「やめた」。で、「帰る」。

帰れる彼女のような学生は、恵まれた方と言えるでしょう。だいたい、あの専門学校はだめだと言ったのに、「勉強したくないから、あそこへ行く」と言ったのは誰だ。

大きなスイカを担いで、帰国の挨拶にやって来たというのに、さんざん叱られて…、でも、挫けていませんでしたね。あっけらかんとしていました。

「荷物を運んでくれる人がそろそろ来る頃だから」と言って、帰っていきましたが、こういうふうに、ごく普通に留学して、ごく普通に帰っていく…のが一番いいのでしょう。

とはいえ、中国からの学生だって、ほんの10年くらい前までは、借金をしてきていたので、厭だと思っても返済が終わり、なにがしかのものを手に入れるまでは、帰るに帰れなかったい…という人たちが少なからずいたのです。それから考えると、今、苦労をしているベトナムやスリランカの学生達だって、直に彼女のようになれるかもしれませんね。

日々是好日
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いろいろな学生がいますね、すべきこともせずに、他人ばかり非難する人とか…。

2016-06-28 08:37:14 | 日本語学校
雨が降っています。

今朝は20度にもなっていなかったようで、ひんやりした空気が、快い。歩いても、汗をかかないなと思いながらやって来たのですが、さて、玄関のドアを開けますと、途端に、むっとした空気が…。昨日が残っていたようですね…。

天気図を見ていますと、この雨雲も、関東の南部に集中していて、水瓶の方には薄い青が被さっているだけ。この分で行きますと、真夏には水不足が大々的に報じられることになりそうです。最近、節水の方法なんて、テレビでも言われるようになっていますもの。もっとも、結局は「こまめに蛇口を閉める」に尽きるのでしょうけれども。

さて、学校です。

こういうのは、この学校では初めてでしょうかしらん、子供のことでワンワン言う親が出てきました。あまりうれしくはないのですけれどもね、初めてと言いましても。

勉強しない(ベトナムでベトナム人教師がベトナム語で教えても、わからない)のは織り込み済みでしたが、日本に来て、寮でも、当番になっているのに、部屋の掃除をしないと、同室者からクレームがついていた学生です。そのたびに注意はしていたのですが、なにせ、(日本語が)わからないし、高を括っている(甘やかされてきたのでしょう)のかもしれません。

勉強はしない。だいたい、できないのは、わかっていました。向こう(ベトナムの学校)でもできないけれども、)経験を積ませたいと言うことで頼まれた学生です。勉強できないのは、本人の能力の問題で、どうにもできないのは…できない。おそらく、これは日本語だけの問題ではないでしょう。

ただ、勉強しない(やろうという姿勢も見せないというのはいただけない)し、寮の(共同生活をするという意味での)義務を果たさないくせに、不満だけは親にギャアギャアと喚いているとは思わなかった(すぐに寮の部屋を見に行きました。一階の部屋なので、窓際の方にいる女子学生が、窓を開けたがらなかったというのは事実です)。

どこの国にも、モンスターはいるようです。こういう子供の性格はわかっていたでしょうにね、親なら。いや、こういうふうに育てられてきたからこそ、だらだらとだらしなくなり、何でも思い通りになると思い込んで騒ぐようになったのでしょう。

こちらとしても、最初から厳しく問い詰めたり、激しい口調で非難したりしたくはありませんでした(掃除の件にしても)。けれども、多分、そうしなければ、相手を甘く見て、なんでも思い通りになると勘違いしてしまうようなタイプなのでしょう。

また、それに踊らされて、何でも、この親や学生の方が正しいと言いに来るというベトナムの学校側についても、ちょっと考えさせられてしまいましたね。この学生は向こうでも寮生活をしていたのですから、彼女の性格は、外国人の私たちよりもよくわかっているはずです。

実は、こういうのは、初めてで、私の方としましても、ちょっと腹を立てています。やはり、日本語がある程度できていないと、何を言っても、徒労なのでしょうね。他のベトナム人学生に通訳を頼んでも、「おらが大将」で(今迄)きていたと見え、彼らを小馬鹿にしてかかっています(言うことを聞きません)。ベトナムの家庭の躾もできていないのでしょう。他の人の迷惑にさえなっているというのに。

それが厭なら最初から、自分で部屋を借りて暮らせばいいし、まただいたい、(そういう性格であることがわかっていたら)こちらも日本に呼びませんでした。彼女の分を、一生懸命に勉強するからという真面目な学生に振り替えられたのにと思います。

やはり、ベトナム人が、ベトナム語で教えても、何が何だかわからなかった学生は、呼ぶべきではなかったのでしょうね。この(ベトナムの)日本語学校から呼ぶのは初めてだったので、どういう学生を送り込もうとしているかという意味での様子見も入っていたのですが。だって、相手が、どういう学校かがわからねば、これから、私たちとしても、どうすべきかがわかりませんもの。付き合うにせよ、付き合いをやめるにせよ。

でも、やはり、他の学校と同じに、厳しくすればよかったと、今では後悔しています。他の学生達と同じようなことができなければ、(日本では)どこへ行っても問題になるでしょう。

勉強云々は、それほど問いません。人にはそれぞれ能力に差があるのは当然ですし、得手不得手もありますから。但し、生活上の問題は大きいのです。相手のことを思いやることができるか、他の人に迷惑をかけないような生活ができるかどうかというのが一番大きいのです。

それに、だいたい、そういう人のためにこちらが悩む必要もないし、他の真面目な学生が耐える必要もないのです。

親が出てくるくらいなら、全部親が面倒を見ればいいことで、日本くんだりまで来させる必要もないのです。言っておきますが、こういう文句が出たのは、彼女のところが初めてです。

あんな学生と同室で、厭な思いをしているであろう他国の学生の方が気の毒になってきました(聞くと、一人は「う~ん」、もう一人は「…でも、大丈夫」と言っていましたけれども)。

日々是好日

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金曜日、「鎌倉」へ行って参りました。

2016-06-27 08:22:08 | 日本語学校
晴れ。

うっすらと白い雲が青い空をキャンパスに流れています。

時折吹く風は涼しげではあるものの、日差しは強い。梅雨の晴れ間というよりも、真夏に片足を突っ込んだかのよう。「クチナシ(梔子)」の花はもう茶色になり、ポトリポトリと落ちています。「キョウチクトウ(夾竹桃)」は既に三分くらい花をつけ、「タチアオイ(立葵)」は、真っ盛り。夏ですねえ。

最近は、「水」の心配をする人が増えてきて、梅雨時の話題としては、違和感がある…のですが、実際、今年は、まとまった雨が降っていないのです。この辺りというか、ダムのある辺りを避けて雨雲が流れているような…。梅雨時だというのに、満々と水をたたえた(ダム)とならないところが、なんともやるせない。

思えば、ダムのなかった頃は、東京にもこんなに人がいなかった…。その土地が養える人口というのがありますから、ここは「水がこのくらいだから、人口もこのくらい」で、よかった。人口がこのくらいになったから、ダムを造らなければならないとはならなかった。

技術が進み、できること、またその可能性とやらが増えてくると、不満やゆとりがなくなって、却って、ギュウギュウ詰めの中で暮らさねばならなくなる…というのは、どうも本当のことのようです。

さて、学校です。

遅きに失した嫌いもありますが、先週の金曜日、皆で「鎌倉」へ参りました。「鶴岡八幡宮」も「大仏」さんも、小学生さんやら中学生さんやらに囲まれていましたから、ちとうるさいと思ってらしかたかもしれませんね。「長谷寺」の「アジサイ(紫陽花)」はちょうど見頃だったようで、帰りに聞くと、男子学生も「海と…花がきれいだった」。

「アジサイ」は、ちょっととってつけたような気味もなきにしもあらず…ですが、海は本当に楽しかったようで、最初、「くさい。これ、何のにおい?」と顔をしかめていた男子も、「海は怖いから、そばに行くのは厭だ」と言っていた女子も、いつの間にか裸足で砂山を駆け回っていましたし、ジャブジャブと海の中に入っていましたから、きっと楽しかったのでしょう。

それでもお寺や神社は出てこなかった。メインは、私の気分としては、あっちの方でしたのに…。でも、「やはり」ですかしらん。

鎌倉は、山に囲まれているというよりも、もともとは山の中。だからでしょう、ここに比べると、ズンと植物の力が強いような印象を受けました。いい土なのでしょうね。

この辺りは樹も力ないというか、か弱げに見えます。時折、山の方へ行くと、ホッとします。土の香り、草の香り、樹の香りが違うのです。これを、学校とアルバイト先という2点でしか動いていない学生達、気がついたかなあ。

日々是好日
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明日は「鎌倉」へ行って参ります。

2016-06-23 18:09:29 | 日本語学校
さて、午後になって晴れ間が拡がってきました。朝の雨が嘘のようです。

今日、各教室で、明日の注意をいたしました。授業の終わりに「明日は」と問いかけますと、子供のように「八時半まで」と答えます。中には「お弁当」とか「水」とか言う者もいます。まさか、言っておいて、遅れるなんてことはないだろうなと皆を見ていますと、こちらのそんな気持ちを、全く忖度もせずに、彼らは、明るく帰っていきます。いい人達。

授業の最初には、「明日は、『行徳駅』から『大手町駅』まで行って、それから歩いて『東京駅』に行って…」と確認させていますと、(「初級クラス」では、大手町がわからない学生もいますから)、あちらでもこちらでも、ムニャムニャと説明している声が聞こえます。前にも言ったんだけれどもと思いながら、あれから随分経ったからしょうがないかなと彼らの顔を見ていました。

「鎌倉」と言いましても、ほとんどの学生達は聞いたこともありません。だいたい彼らが知っているのは「京都」、「北海道」くらいのものです。それなのに、「鎌倉」へ行くというのですから、しかも往復で3000円近くもするというのですから、気分が萎えてくるのもわかります。それで、「鎌倉」へ行くと告げた時点から、もうすぐに「鎌倉」のDVDを見せておいたのです。

もちろん、行くと言っても日帰りですから、あれもこれも見るというわけには参りません。「鶴岡八幡宮」「江ノ電」「高徳院の大仏」「長谷寺のアジサイ」「由比ヶ浜」のさわりくらいのものでしたが、それだけでも、彼らの顔が明るくなったような気がします。中でも一番の楽しみは、最後の「由比ヶ浜」でしょう。

晴れたらいいのですけれどもね。晴れずとも雨でなければいいのですけれどもね。誰かさんが、「日本の海は汚い。青くない」と言っていましたから、少しでも青い海を見せたいのですけれどもね。

まあ、何はともあれ、雨が降らないことを祈ります。

日々是好日
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「梅雨本番」のような…雨が降っています。

2016-06-23 08:31:54 | 日本語学校
雨。

「アサガオ(朝顔)」の花が雨に打たれています。まあ、それもそれなりに風情があってよろしいのですけれども。何も真夏の早朝が、いつも「アサガオ」の花にふさわしいというわけでもありませんし。

ところが、「ケイトウ(鶏頭)」だけは、雨に濡れると…ちょっとね。何か違うような気がしてくるから、不思議。…本当に不思議ですね、こういう感覚は。

だんだん雨音が激しくなってきました。さっきまで、小降りでしたのに。

こういう雨音を聞くと、「『梅雨』本番」と言いたくなってきます。大きな「アジサイ(紫陽花)」の葉に、緑色をしたきれいな「アマガエル(雨蛙)」が乗っている。時々「ウシガエル(牛蛙)」の大きな声が響いてくる…近くに沼でもあるのだろうか…。

「ウシガエル」を初めて見たときには、思わず「正体見たり、枯れ尾花」と叫んでしまいましたが。「ウシ」というのは、声だけの意味だったのですね。内心では、どんな大きなカエルだろうと思っていましたもの、子供のときから。

さて、学校です。

「足が痛い、痛い」と言っていた学生も、学校に来られるようになりました。自転車に乗れるようになれば、しめたもの。あとは待つばかりです。とにかく水をたくさん飲んで、尿酸を流してしまえ…(言われたとおりに頑張っているようです)。もちろん薬も飲み続けて…。ただ、痛みがあるうちは大変だから、痛み止めの薬が必要だったら、また出して

彼を含めて、「字」を書くのが苦手な学生というのが、何人かいる…。これは母国でもそうだったのでしょう。とはいえ、「ベトナム人で『字』を書くのが苦手だとなると、少々困る」。「困る」というより、「どうしよう」と言った方がいいのかもしれません。

スリランカ人は、二年いても「ひらがな」に難ありの人が少なくないのですが、「ヒアリング」と「話す」のには長けていますから、専門学校の面接には強いのです。ところが、ベトナム人は「ヒアリング」と「会話」に難ありですから、「書く」テストで差をつけるより他ないのです。それなのに、その「強み」のはずの「字」が不得手となりますと、こちらの手に負えなくなってしまう…。

それで、毎日「書け」「書け」「書け」と言い、訂正をくり返しているのですが、それを、見ない。また、その場で見るように言い、その場で直させても、心に留め置く気が無いらしく、翌日には同じようにやってしまう。難物ですね。ヒアリングさえよければ、それほどのことはないと思うのですが。

見ていると、ちょっとかわいそうに思えてくるときもあるのです。日本へ来て、言葉が多少なりとも、聞き取れるようになっていると、きっともう少し勉強が楽しくなると思うのです。

日々是好日

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人付き合いの難しさ

2016-06-21 14:32:27 | 日本語学校
小雨。

あっと言う間に水無月が終わってしまいそうです。

九州地方では、地震に続き、記録的な大雨が降ったとか。地震に大雨、この分ではまた台風も大きいのが来るのかもしれません。

思えば、九州で雨が降っていても、関東は空梅雨めいていたとか、台風も九州は頭上を通過するけれども、関東に至る前に消滅してしまったとか、掠めただけとか、そういうことが案外に多かったような気がします。

長細くて、複雑な地形の然らしめるところなのかもしれませんが、今回も、ここではそれほどの雨は降らず(いくつもあるダムでも、給水制限がなされたとか、なされるであろうとか言われていますが)、ザアザア降りも、午後だけのようで、帰宅時間の6時頃には曇りマークがついていました。

当方も、こういうお天気にやられ、風邪ひきさんの一人になってしまいました。病院に行っても、なかなかすぐには咳を止めることはできないらしく、少しでも大声を出すとすぐに咳き込んでしまいます。これではすごめない…。

上のクラスでは、さすがに(そういう状態の私を)からかうということもなく、「暑かったり、寒かったりしますからね」などと市井のおじさんおばさんのような慰め方をする。

ところが、一年生クラス(4月生)では、まだまだ彼らの国でのやり取りそのままの反応が帰ってくる。やはり1年という歳月は、無駄ではなかったようですね。

風土の違いによるのでしょうか、人付き合いのやり方も、またそれに伴う反応の仕方も、みんな違う…だから「失礼な」などと腹を立てることほど疲れることはない…。ただ、学校だけで彼らの日本での生活が終わるというわけではありませんから、日本のこともしっておかねばならない。

「君らの国ではいいけれども、それは…日本ではだめだよ」と言わねばならないことも案外に少なくなく、その都度、それを改めさせるべく、注意しているのですが、なかなかにわかってはくれない。そりゃあそうですよね。国でのやりかたで、(国では)別に困ったことなどないわけですから。急に日本ではだめなどと言われても、何が何だかわからない…。

これも、日本語のレベルが上がれば、それなりに消えていくのでしょう。なんとなれば、彼らは、日本で日本語を学び、また日本でアルバイトをしているのですから。人付き合いなんて、他者のある話ですもの。

「こなされる」というと変かもしれませんが、そのようになるのです。もちろん、日本語学校では、日本語レベルがそれほど高くない間は柔らかに注意を促すくらいで、それほどきつくは言わないのですが。向こうは自分たちのやり方でよかれと思ってやっているのですから、その気持ちは十分にわかりますもの。

但し、だんだんに日本語のレベルが上がってくるにつれ、学生の方でも、「あれ。なんだか変だな」と気づくことが増えてきます。

実際に自分が予期したような反応が返ってこないときの方が増えてくるからでしょう。そして自分で改めたり、あるいは、教員に聞いてみたりする。そんなことをしながら、「軌道修正」をして行くのでしょうね。

ところが、それができない人がいる。往々にして、そういう人たちは、日本語のレベルもそのまま(三ヶ月か半年ほどのレベルから上がれないのです。単語数は増やせても、それくらいのものなのです)。覚えようとして何かをしたり、努力するというのが…やはり苦手なのでしょう。つまり、私たちが思っているところの「勉強」とは違うのです。

で、何度やっても、同じようなところが「理解」できない。説明をすれば、わかったとは言うのですけれども。おそらくそれは日本に一年あまりいるうちに、アルバイトなど体で覚えた「言葉」であって、「文法」としての覚え方ではないのでしょう。

まあ、私たちだって、文法文法と言って、言葉を覚えてきたわけではありませんから、それでもいいのでしょうけれども。

ただ、そういう人はなかなか日本人的なやり方がわかりませんから(また、自分の国以外の国のこともわかりませんから)、何かことあるたびに、こちらが転けるようなことをしたりする。

すべてとまでは言いませんが、結局は日本語のレベルの問題なのでしょうね。もちろん、日本語が日本人並みに話せても、まったく外国人という人もいますし、日本語が大してうまく話せなくても、話の機微が掴める人もいる。

全く人付き合いとは難しい。

日々是好日
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どうしたらいいかしらん

2016-06-16 08:15:18 | 日本語学校
曇り。

昼過ぎから雨になるそうです。

小さい学校には小さいなりの苦衷がある。その一つが個々に適したクラスを作れないことでしょう。

これは、日本の小中学校でも同じです。あまりに「平均」とか、「底上げ」とか、あるいは「個々に適した授業を」などと拘っていると、自家中毒に陥ってしまいます。出口のない穴の中に足を滑らせて入り込んでしまったように、結局は、にっちもさっちも行かなくなってしまうのです。

こちらは、あれこれ悩んでいるというのに、向こうは考え方を改めることを知りませんし、態度でもそれができないときている。

当然のことながら、それほど勉強する気のない人たちや、一斉授業に適していない人たち(これは日本的な考え方なのかもしれません。彼らの国では、ワイワイガヤガヤが普通で、先生の話を静かに聞くなんて指導はなされていないでしょう。またそんなことができるような教室でもないのでしょう)で、2年目になっても、それを改められなかった場合、ちょっと悲惨なことになってしまいます。そういう人は往々にして、新しく来た人たちと、同じクラスになってしまいますから。当然のことながら、大変な目に遭わされるのは、新しく来た人達です。

もともと聞く力だけはあり、また、オウム返しが得意。意味がそれほどわかっていなくとも、アルバイトなどで返事などができるほどには取り繕える、そういう人たちと、真面目だか、ヒアリング力の乏しい人たちとが一緒になった場合、真面目な方が負けてしまう…。それでもやる気を出して頑張っている者がいれば、それこそ賞賛に値する…。

とはいえ、クラスは、はっきりと二分化されてしまうのです(眠っている人は論外です)。同国人の場合は、そうであっても、なんとも思わないようです。多分、ゴチャゴチャと一緒にいることに慣れているので、(その人が授業の内容が)わかっていようといまいと、関係ないし、それを意識したことすらないのでしょう。だって、普通に遊べる人たちですから。中には、コイツはわかっていないなと気づく者もいるかもしれませんが、大半は、「できる」と「できない」の区別をつけた経験もないのです、これまで。

それを、最初は、できない人を差別しない「いい傾向」などと脳天気に考えていると、後でしっぺ返しを食ってしまいます。こういう人たちは「天然」のままで、試験を受けようとしますから。ひどいのになると、教科書や前回のテストを丸写しして、他の者に、自分の点数を見せびらかす者までいる…。あっけにとられたり、怒ったりする方が負け。それで何が悪い…そう、本気で思っているんだ…ということに気づかされるだけです。

律儀に対応して、ある程度、能力のある日本人教師が、律儀に対応してしまいますと、踊らされた挙げ句に「なんだ、こりゃあ」となってしまう。彼らは何とも思っていませんから。もちろん、自分はやらずとも文句だけは一丁前に言いますから。こちらは無駄なことに腹を立てていると、自分で自分に腹を立ててしまう。賽の河原の石積みです、まったく。

一番いいのは、何の訓練も受けていない人が、彼らの相手をずっとしてやること。もちろん、上達しないのに、おかしいなと不信感を抱く人は出るかもしれませんが、それで何ともないのです。もともとそういう人たちで、「天然」でやっているだけのこと。漢字を書けと言われれば、100回でも書くでしょう。その都度、間違いをただしてやり、意味も教えてやり、忍耐強くやってやっても、結局のところ、入っていかないのです、これは10年ほど前の彼らの同国人たちと同じです。どうしてだろうと、当方も不思議に思うのですが、そうなのです。多分、国でもそうだったのでしょう。

アルバイトなどはできます(アルバイトレベルのことですけれども。つまり、手伝いです)。他の、普通の学生と大差ないほどに。

わかっていても、わかっていなくとも、適当にそれらしく返事もできるし、詰問調に追い詰めていかなければ、彼らが適当に答えていただけということもわかりません。なあなあでそれなりにできているのです、日常生活では。

けれども、そういう人たちと、ヒアリングも悪く、鈍くさいけれども、コツコツと真面目にやっていく国の人たちとが同じクラスになった場合、悲劇ですね。

前にもそういうクラスを持ったことがあったのですが、そのときは皆同じ年に来ていました。それでも、ヒアリングに大きな差がありましたから(それは1週間もせずにわかることです。はっきり言いますと、一言二言交わせばわかることです)、大変でした。

漢字やら文法やらを一生懸命に覚えようとする学生(ヒアリングが悪いので、覚えてもすぐに消えてしまうのです。1週間、同じ文型、同じ単語をくり返しても、土日が挟まると、音が消えていて、やり直し。そしてどうにか入ったなと2、3週間後に思われても、それから1か月ほども後で確かめてみると、全部ではありませんが、7、80%ほども消えていて愕然としたことがありました、文型の方ですけれども。

単語や漢字は必死になって覚えてくれますから、楽と言えば語弊がありますが、その面では、ホッとさせてもらえました。けれども、あれだけこちらも繰り返し、一斉に言わせたり、個別に言わせたりして、労力を費やして、やっと覚えたというのに、それでも、こうまできれいに忘れてしまえるものか。シーシュポスにさせてしまったようで、どうにもこうにも、居心地が悪い。

机上での勉強、教科書を使った勉強、座っての勉強とは別のところから攻めていかねば、この人たちは、年度を替え、期を異にしても、常に同じことをくり返すのではあるまいか。

もちろん、この国の人たちの中にも、ヒアリング力が他国の学生達と伍して戦える者もいます。けれども、割合から言えば、懸命に頑張っている割りには成果の上がらない人のほうが圧倒的に多いのです。

適当にやっている者は、何でもそれなりでしょうから、それは彼らの問題です。けれども懸命にやっているけれども、徒労に終わっているかに見える場合、それはこちらの選択した教材が間違っているのであり、授業方法が誤っているのでしょう。

どうしたらいいのでしょうね。

きっと彼らに適ったやり方があると思うのですが。その一つは体を使った言葉の覚え方、あるいはリズムで文型を記憶していくというやり方でしょう…。けれども、いかんせん、私は音楽とは無縁の人間なので、こういう人たちを教えるのには適していないのです。

荷が重いなあ…。

日々是好日
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ベトナム人学生の、さりげない「助け合い」。

2016-06-15 08:41:47 | 日本語学校
曇り。

昨日は本当に忙しかった。

と言いましても、お互いに勘違いして…だったのですが。

「足が痛い」という学生がいて、授業後、病院を探してから、寮に彼を訪ねていったのです。連れて行くつもりだったのですが、そのとき、私が言った「(病院へ)行きますか」というのを、彼は「(こんなに痛いのに、アルバイトへ)行きますか」と捉え、必死になって「行きません」「行きません」をくり返したのです。

彼は今年の4月に来たばかり。まあ、同期に来たベトナム人の中では一番ヒアリングはいい方でしたが、それでも、やはり「日本語の音を捉えて、それをベトナム語に訳してから」となると、あっちこっちで行き違いのようになるらしく、一度思い込んでしまうとなかなか修正できません。

まあ、これも、「勉強が主です。アルバイトを主にしてはならない」とか「大変でも、寝るな」と学校で言われつけているので、ぱっとそっちの方へ頭が回ってしまったのでしょう。

私の方でも、一生懸命、「行きません」「行きません」と言うので、それほどでもないのかなと思ったり、何か事情があるのかなと思ったり…で、無理強いはせずに、「では、明日行きなさい」。彼は「はい」と答えていましたが、これもよく聞き取れていなかったのかもしれません。

一人が学校の帰りに聞いていた病院を見に行ったらしく、「他の病院を近くに見つけた」と言いましたので、その病院の様子を見に、彼と一緒に出ていきました(外科も内科も何もかもわかりませんから、不安だったのです)。ところが、遠いのです。それで、さっき言った病院の方へ彼を連れて行き、「こちらの方へ連れてきた方がいいのではないか」と言いますと、「明日先生がついてきてください」と言います、「明日は後半に授業があるので、終わってからね」と答えます。ついでに、「どうして今日はだめですか。ここは七時までだから、いいと思ったのに」と言いますと、びっくりしています。

みんな4月に来たばかりですから、頑張って勉強しているといいましても、やはりそこはいろいろな思い込みとか聞き違いとかがあります。で、大慌てで、足が痛いと言っている学生に電話をします。私は私で、荷物を取りに戻りがてら、学校に残っている教員に、その旨を伝えます。

すぐ病院に戻ったのですが、なかなか学生が来ません。「タクシーで来ると言っていたけれども、見つけられないのかしら」と聞きますと、一人が、自転車に彼を乗せてやってくると言います。そして、「日本では捕まりますね」と確かめます。まあ、「『足が悪くて歩けない人です。今、病院へ行くところです』と言えば、お巡りさんは優しいから同情してくれるかもしれませんね」。こんなことを話していますと、四人でやって来ました。結局、アルバイトが午後ないという学生が皆、ついて来たのです。

検査を二つほどしましたので、お金がかかりました。持っているかなと思いながら見ていますと、皆で助け合ってお金を出しています。だれも「先生」なんて簡単に借りようとはしません。薬は別に薬局へ行かなければなりませんから、足が痛いという学生を連れて、三人は帰ります。見ると、残った学生一人が「一万円札」を握りしめています。一緒に来た誰かが貸したのでしょう。検査代が高かったので、薬代も一万円はするのかと思ったのかもしれません。もちろん、まだ検査の結果が出ていませんので、当座の痛み止め薬と湿布だけです。千円もかかりませんでした。

薬局でも、少し待ったのですが、そのときに、「薬の説明をしてください」と言います。そのつもりで私も残っていたので、「漢字の、朝、昼、晩はわかりますね」から始めます。彼は漢字をよく勉強していますので、その点は安心していたのですが、これがわからないレベルの学生が残っていたとしたら、ちょっと大変だったなと思います。

薬剤師さんが説明してくれたとおりに説明し、それから別れたのですが、かれこれ8時近くにはなっていたでしょう。最後まで薬局に残った学生は、おなかがすいていたと思います。けれども先に帰った学生がご飯を作っていてくれるでしょうから、戻ったらすぐ食べられます。

自然に、さりげなく助け合っている姿は気持ちのいいものです。足が痛くてうんうん唸っていた学生には気の毒でしたが、とても爽やかな気持ちになれました。

とはいえ、だからといって手は抜きませんぞ、それどころか、だからこそ、今まで以上に厳しくしますぞ。そして、頑張って、みんなで、大学に行きましょうね。

日々是好日
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4月14日、昨日のブログです

2016-06-15 07:53:57 | 日本語学校
晴れ。

青空が拡がっています。

湿度は76%と出ていましたが、嘘のように爽やかな朝です。風もひんやりとして心地よい。でも、昼から27度くらいにはなるそうですから、やはり夏ですね。

日本は五季あるとよく言われます。「春」「梅雨」「夏」「秋」「冬」。もちろん、詳しく見ていけばどの国においても微妙な季節の移ろいはあるでしょうから、100季あっても、365季あっても、少しもおかしくない…。

まあ、それはさておき。こうもお天気がいいと、日差しが目に眩しくて困ります。風が涼しいだけに、木陰に入ると、肌寒いくらいなのですが、光が直接当たるところにいますと、、途端に目が痛くなってきます。やはりこういう時期は,サングラスを手放さない方がいいのかもしれません。

さて、学校です。

昨日は雨がかなり強く降っていたので、そのせいでしょう。前日のアルバイトの帰りに雨にやられたらしく、「お休みさん」がどのクラスにも出ていました。

暑い日が続くと思っていたら、急に冷たい雨です。当然のことながら、彼らには心の準備も体の準備もできていません。というわけで、「頭が痛い…」「おなかが痛い…」「だるくて動けない…」。

今年来た学生達は、多分「疲れ」でしょう。ちょうどアルバイトにも学校にも慣れたころです。気の緩みも出てきます。そんなときの冷たい雨です。…もう、いいや。動けない…となったと見えて、いつもはいっぱいの教室が、ポコン,ポコンと穴が空いていました。

「Cクラス」など、席替えを目論んでいたのですが、ちょっと失敗したような…。まずいときにやってしまいましたね。勢い込んで、早く来た者から順に、「あっちの席」「こっちの席」とやっていたのに、定刻になっても、席が埋まっていません。ベトナムの学生たちは、朝のアルバイトが12時に終わってから、寮に戻り食事を済ませてやってくるので、いつもギリギリなのです。それでギリギリまで待っていたのですが、…ううん、埋まらない…。

結局、席替え後の感じが掴めずじまいになってしまいました。ちょっと、時期を誤ったかなというところ。今日、二人ほど替えてみようと思っているのですが(席替えしながら、話しているときにわかったことがあったのです。あの二人は日本に来る前から親しかった…)、どうなるでしょうね。

このクラスは、昨年の学生が半分ほど残っているのですが、それも一枚岩というわけではありません。(二年生の)ベトナム人学生も、とにかく真面目に取り組もうとしている者と半ばあきらめて、いえ最初から勉強目的ではなかったな派に分かれていますし、適当に話せるけれども、集中力も根気もないというスリランカ人学生がとにかくおしゃべりをしたいという意気込みで席に着きます。

そこに、今年の4月に来た、ヒアリングは悪い(だから話せないし、なかなか覚えられない)けれども、一生懸命に勉強しようとしているベトナム人学生がいるものですから、折り合いをつけるのが難しい。

知っている単語を、二年生が先を争って言おうとするものですから、一年生は考えるいとまがない。で、二年生の方では、知っているのはこちらが聞く前から(同じ練習をくり返しているので、彼らにとっては耳胼胝でしょう)ワッと言ってしまうのですが、知らないものはそのまま。日

本に来てから、どれだけ「それではだめだ」と言われてきたのでしょう。それでも変われなかったし、今またこちらがそれを言っても、同じです。覚えていないものを覚えなくてはという気が無いから、今このクラスにいるのでしょうけれども。

聞けば、わかっているというけれども、やらないということは、わかっていないか、忘れてしまうか、どうでもいいと思っているのでしょうねえ。ただ、テストが好きで、テスト、テストと言うけれども、テストをしてみると、一年生の方ができたりする。

教師の方は、きちんとやろうとする人の方を大切にするものです(ドン臭く見えても、必ず上達するものなのです、そういう人たちの方が)。そのおたおたしている一年生の方が(彼らがばっと言ってしまうので)口頭練習ができない。それで、少し抑えると、「勉強したいのに邪魔をされた」然として、寝たふりをしたりする。

おそらく、彼らの国でも、ずっとそうやって、してきたのでしょうね。これでは何事によらず、机の上での勉強は、得意というわけにはいかないでしょう。とはいえ、日本に来たのも、高校を出てすぐというわけでもなく(数年経っています)、もう彼らの国でのやり方が染みついているようですから、もう変われないでしょうし、そこから何か突破口をと思っても、この学校にいるうちは無理でしょう。

あとは専門分野での勉強ができる専門学校へ行って、それなりの華を咲かせてくれることを祈るしかないような気がするのですが。彼らの方では、全くそんな気が無いところがすごい。私の方では、ハアッといつもため息なのですが。

日々是好日
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「ホタルブクロ」は健在でした

2016-06-13 08:28:12 | 日本語学校
雨。

午後には雨雲が東の空へ去るとのことですが、今は落ち着いた降りをしています。

今日、やっと「ホタルブクロ(蛍袋)」を見つけました。例年、あのお宅の、ちょうど角の当たりに、二鉢置いてあった…。と思って、学校への行き帰りに注意して見ていたのですが、これまで見つけられなかったのです。

今年は雨が少なかったからでしょう、例年に比べて半分ほどの背丈の「ホタルブクロ」が、ピンクの小さな花をつけていました。けれど、見つからなかったはずです。いつもなら、ぐっと前面に出されているはずが、今年は他の鉢の間に押しこまれ、隙間から、やっと顔を覗かせていた…のが見えたくらいのものでしたから。

花も小振りでしたから、山野草という趣は薄れていました。見ているうちに気の毒になってしまったくらいです。山にあれば、山の地下水が、地表近くを走っているはずですから、多少雨が少なくとも、こんなにヒョロヒョロとは育っていなかったでしょう。茎もしっかりとして逞しげであったはず。これじゃあ、気がつかないはずです。趣を異にした、見知らぬ「ホタルブクロ」でした。とはいえ、見つけて、「梅雨」が来た…ということが実感できました。

下手をすると「今年は空梅雨???」なんて思っていたものでしたから、梅雨時らしい雨が降るとちょっとうれしくなります。雨の花、雨になると勢いを増す樹、草木のみならず、人をも含めて、雨を待ちわびている生き物が、それはそれは多いのです。

さて、学校です。

先週辺りから、学校でも、少なからぬ「カ(蚊)」が出没し始めました。日本人の習性として、見るなり「パチッ」とやりたくなるのですが、これをスリランカの学生の前でやってしまうと、「センセッ」と驚きの声が上がるのです。ちなみに、この「センセッ」というのは、「すごい。やったァ。先生、すご~い」の感嘆のものではなく、「…虫を殺した…ひどい人…」という非難の、叫び声なのです。

しかも、「そうです、私は殺虫人です」と笑えないところが、困ってしまう…。彼らは「蚊」を誰かが見つけると、手で捕まえて、窓の外へ逃がしてやるのです。また戻ってくるから無駄だなどと不信心者は思うのですが、それでも、それをくり返しています(もちろん、「蚊」の顔はわかりませんから、入ってきたのが、前のヤツなのか、あるいは新顔なのかはわかりません)。

…殺さないのです。共存ですね。でも、これは辛い。刺されるのはこっちですからね。痒い思いをしてイライラさせられるのはこっちなのですからね。で、勢い、「パチッ」どころか、「バチン」となってしまう。しかも、時にはムキになって追い回したりしてしますから、それこそ「…ひどい人」ということになる。

これは「ゴキブリ」に対しても同じ。というわけで、「ゴキブリがいた。○○○○○を使ったら」は、彼らの前では禁句なのです。小さな「チャバネゴキブリ」でも見つけたら最後、大騒ぎをしてしまう日本人なんて、彼らにとっては理解不能の民族なのでしょうねぇ。

日々是好日
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久しぶりの青空です。

2016-06-10 14:40:38 | 日本語学校
曇り。今日は久しぶりに青空が見られそうです。…でも、ムシムシの一日になりそう…。

関東地方が「梅雨入り」してから、ずっとお天気は不安定でした。おかしな天気が続くと、お花までおかしくなったのか、この辺りでも「アジサイ(紫陽花)」がもう枯れ始めたとか、そんな話まで耳に入っています。

「鎌倉散策」の目玉の一つが、「鎌倉の寺は花の寺」ということで、たくさんの「アジサイ」を一望することですから、行ってみたはよいけれど、「みんな枯れていた…」では、お話になりません。かといって、「留学試験」の前には連れて行けませんし…。…本当にムズムズ…。

学生達はと言いますと、「鎌倉」よりも、試験。しかも目前に迫っている「留学試験」よりも、「N2」や「N3」といった日本語能力試験の方に心が向いているようです。それに、大学の「オープンキャンバス」の方にも。

ほんの2、3年前までは、「行った方がいい。行ってみるだけでいいから」といくら勧めても、何の反応も見せなかったのに、変われば変わるもの。聞いてみたクラスでは、その大半が「行ってみたい」と言います。

これも先輩が(その大学に)行っているからでしょうし、また、彼らがビザの申請などで、卒業後、学校に来るたびに、職員室にいる教員が「クラスに行って、皆に大学のことを話してあげて」と頼んでいるから、親しみがあるのでしょう。

それに、昨年のオープンキャンバスでのことを聞き知っている学生や、一年生の時に、既に行ったことがある学生が、「お昼をごちそうになった」とかうれしそうに皆に教えていますと、「行ってみたい」という気にもなるのでしょう。

大学と長いおつきあいができているというのは、こういう面でもありがたいことです。もちろん、オープンキャンパスに行っても、厭な思いをさせられたではどうにもなりません。その点、おつきありがある大学では、きちんと親切に対応してくださるので、これまでに行った学生で、「怖かった」とか、「もう、厭」などと言いに来た学生はだれもいません。

「面白かった」とか、「(この学校の怖い教師に比べて)大学の先生はとても優しいです!」を強調する輩だっているのですから。

ただ、昨年、一昨年といろいろと大学側にはご迷惑をおかけしたこともあり、学生達にはさりげなくブレーキをかけています。

あまりに親切にしていただくと、もうそれだけで、全部オッケーになったと勘違いして、もともと勉強しない学生が、いい気になって騒ぐということだってあるのです。

同じように日本に来て、同じようにアルバイトをしていても、1年という歳月は、彼らの根性を試しているようで、ある意味では無慈悲なものです。もちろん、勉強をきちんとしてくれる方がいいですし、大学に行ってくれる方が、私たちとしてはうれしい。なんとなれば、専門学校へ行くよりも視野や視野が拡がるでしょうから。

「留学試験」の模擬試験をやっていて、私が一番焦るのは、こういう視野の狭さや知識の欠如から答えられないというところなのです。説明しても、言葉だけではどうにもならないので、DVDを見せたりするのですが、これ(見せるの)もまた、見せる時期や見せ方が難しい。ある程度のレベルになっていなければ、見せても意味がないのです。勉強の一助としてみせるわけですから、彼らにそれを受け取るだけの心の準備が、前提条件として必要になってくるのです。

さすがに、「Aクラス」では、そういうものを見せても、すぐに矮小化して笑いを取ろうとするような学生は見られません。が、これも、こちら側の根気だなと思います。見せるたびに、繰り返し繰り返し教えていく根気が必要になってくるのです。時期をあやまつと、相手がこちらの意図するところを汲み取れませんから、騒ぐだけになってしまいます。

ですから、留学試験の模試の時が一番いいのです。学生達も真剣に見、考えてくれますから。

日々是好日
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関東地方は、昨日「梅雨入り」をしたそうです。

2016-06-06 08:24:02 | 日本語学校
曇り。

寒いくらいです。

調べてみると、寒いはず、19度ほどと出ていました。今日は最高気温が22度、晩には18度くらいにまで下がるそうですから、また風邪引きさんが続出するということになるかもしれません。

湿度も90とか92%。これにも参るようですね。慣れているはずの日本人でも、鬱陶しいと感じられるくらいですもの、慣れていない人たちにとっては、大変です。

さて、学校です。

学生達と話しているとき、一人が「どうして、日本人は電車に飛び込むのか」と聞いてきました。

こういう場合、まず「電車がない国は別として、自殺する人はどこの国にもいる」と言わねばなりません。話はそれから始めなければならないのです。

どうも、先日の遅刻は、それが理由らしい。だからでしょう。が、そこには、自分たちの国にはそんな人はいないという気持ちがチラホラ見え隠れする。で、どこの国にも自殺する人はいる。またその手段も様々。ただ、それが発表される国(統計まで取られて、しかもある程度の信憑性がある)と、発表しない国とがある。…そこまで話したところで、「あっ、そういえば、自殺したという話を聞いたことがある」という学生も出てきます。が、まだ、びっくりしたままの人もいる…。

発表しない国の中には、故意に発表しない国さえある。まずいことは、国民に知らしめないから、国外に出られるほどの豊かさを享受している家庭の子弟たちでも、国の現状を知らぬまま外に出、そこで見聞きし、驚いたりする。

人は誰でも同じ。自殺する人が0の国なんてどんなに幸せな国であろうとも、ないはず。

日本のように自然災害の多い国では、生きていたいと思っていても、地震が来、津波が来、火山の爆発がありなどして、懐かしい人たちと別れなければならないことが少なくない。だから、その人たちの無念さを思えば、「自殺してはいけない」と言われて育つ。

けれども、人はそれほど強くはないから、ふと「魔が差して」電車に飛び込んだりすることもあるだろう。死にたいと思うことだってあるだろう。

これは私の経験ですが、「鬱になったな」「危ないな」と、どんなに家族や周りの友人たちが用心していても、気遣っていても、その人がふらりとそこから出ていってしまったら、もう守りきれるものではありません。「最近、明るくなったね。もう大丈夫だね」と思って気を緩めた頃が一番危なかったりする。

話は戻りますが、留学生たちは自殺する人がいるなんて、おそらく実感したのは日本が初めてなのでしょう。だから、「日本人は」となるのでしょう。

自分の国にもそういう人がいるということは、想像だにしていないのです。

これは、「N3」くらいまで行ってからの、授業の進め方が難しくなる原因の一つにもなっています。「読解」の授業が難しくなるのです。教えていても、「わかっていないな」ということがはっきりとこちらに伝わってきても、時間がなければ、単語や文法の説明で誤魔化すよりしかたがないことだってある。

本当は、単語や文法の説明よりもそちらの方がずっと大切なんでしょうけれども。時々「もし、『N3』とか『N2』とかの試験がなければなあ」などと思ったりすることもあります。もっとも、なかったらなかったで、勉強しない人がたんと出てきて困るのでしょうけれども。

「環境問題」、「貧困」「格差」などを知っていることを前提にして書かれている文章が読めないのです。そんなことを思ったこともない…。ましてや、「宗教や民族の対立」となると、「彼らは本当に悪い」で、終わってしまって、歴史的にもそこに追い詰められていった人々の気持ちや立場などを思いやるなど考えたこともない…。だから、筆者の言わんとするところが全く掴めない。

馬鹿なことを書いていると思うのか、下手をすると、「単語」も「文法」もわかっても、答えが正しくなかったりする。時々「どうしてこの人はこんなことを考えるのか」と、説明を加えた後に聞いてきたりする人もいる。もとより、様々な立場や考え方があるので、一概に正しい、正しくないとは言えないのですが、両方の立場の拠って立つところの考えが掴めていないと、「作文」なんて書けるはずがない。これは母語であっても書けないでしょう。

最近は、上のクラスでもだんだん雑談めいたことを入れはじめたりしているのですが、私の用いる語句はだいたいが既習のものですし、文法だって知れたもの、だから一応「知識」としては入るのですが、いかんせん、まだ「DVD」を見せられるほどには至っていないのです。話よりも、本当は「見た」ことがあるという方がずっと強い印象を与えられると思うのですが。

日々是好日
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