晴れ。
昨日も大気が安定していなかったのでしょう。日中も突然の雨。それから、夜になってから、雷様がまたお出ましに。
留学生達は、「…ほんとうに、日本の天気は判らない」。そんなことを言っているくせに、折りたたみの傘をいつも持っていなさいという言葉には反応が鈍い…。高を括っていたのでしょうね。急に雨が降り出すと、しまったという顔をして、恨めしげに外を見る人がいるのですが。
学生達が帰る頃には、既に、雨は止んでいましたし、あらたに降り始めもしていませんでした。だから大丈夫だったのですが、それでも、毎日折りたたみの傘は持っていた方がいいのです(置いておくと、降った時にだれかに持って行かれてしまいますから)。特に午後の学生達が帰るのは、もう夕方とも呼んでいいような時間帯ですから。この時間帯には、夏場でも夕立に見舞われることはよくありますもの。
さて、学校です。
先日、あるインド圏の人に会いました。10月生(の募集に)は、まだ間に合うかと聞かれたので、「インド圏の人も、10月は避けた方がいい」と言っておきました。すると、大変なのは、お金の問題だけだと言います。
これは、「日本に寄越すだけ」という仕事をしている人と、「来てから」を考えなければならない立場の私たちとの差が、如実に出たようなやり取りでした。
もちろん、留学費用がなければ、留学はできない相談です。でも、ぎりぎりで来ていても、結局は、何も出来ないのです。「それから」が見えないのですから。それに、インド圏の女性であれば、アルバイトや生活などの援助をする人がいない限り、中国人女性やベトナム人女性のように働ける…とは、限らないのです。
こう言いますと、黙ってしまいました。「来させれば、それで終わり」というのは、あまりにも安直な考え方。来てから、(彼等の)生活が軌道に乗るまで、日本にいる人が呼ぶのであれば、それを見守る義務もあると思うのです。学校側も努力はしますが、やはり文化も生活のパターンも、そして何よりそれを訴える言葉が違うのです。判る人が世話をした方がいい。それができなければ、やはり、呼ぶのは控えた方がいいと思うのです。
こういう、日本の日本語学校へ来られる人たちは、十分と言えずとも、そこそこの財力がある人の子弟であったり、親戚であったり、また身近に貸してくれる人を持っていたりする場合が多いのです。もちろん、そうではない人達もいることはいました。けれども、結果として、それでも頑張れるだけの頑張り力を持っている人は、それほど多くはなかったのです。
この学校は小さな学校です。そこまで出来ない人を「いいですよ」と言って、来日させ抱え込み、かつぎりぎりで頑張っている他の学生達の援助をするということはやはり無理なのです。ぎりぎりで頑張っている学生達を待つことはできます(財政的に)。けれども、それだけです。ある程度の経済力がなければ、やはり勉強なんて、普通の人は出来ないのです。
結局、その「インド圏」の人の言いたかったことは、金の問題さえクリアできたら、日本に来させることができる…だけだったのですが、私たち学校側としては、「(来てから)頑張れるかどうか」、日本語が出来なければ、当然のことながら、アルバイトは辛いものとなります。だれかの紹介で(アルバイト先へ)行っても、日本語がゼロに近い状態であったら、それは「(日本語が)上手になってから来てね」と言うことになってしまいます。
「来られた」で、終わりではなく、「来た。それから」が問題になるのです。
10月生として来られても、四月に来た学生に比べて、次の進学時までに、既に半年損をしているのです。アルバイトで稼いで、貯金をするにしても、半年分足りないわけです。しかも、日本語を日本で学べる時間も半年足りていないのです。
スリランカから来ている学生で、国で日本語の「初級Ⅰ」を学び終えてやって来ている場合、不思議なことに、それ以上がなかなか行けないのです。もちろん、「初級Ⅱ」程度までは何とかなります。けれども、それ以上のものが身につかないのです。それ以上を学ぶ力(知識欲)がないか、あるいはそれ以上を学ぶ必要がないと思っているかは判りませんが。
1年経っても、「進歩がないな(もちろん、少しは違います)」と、適当に(社会問題とかはだめですが)聞き取れるし、ペラペラと話すことだけは話せますから、(この進歩のなさに)がっかりさせられてしまうのです。
だって、日本にいてアルバイトしているわけですから(彼等は殆ど、会話というか、耳から吸収するので)工場やレストランの賄いででも働いていれば、そういう単語は、自然と身に付けられていくことでしょう。でも、それで終わりなのです。
学校で学ぶもの、特に「中級」以降は、たとえ会話の時間であっても、もう少しずつ、「非日常」と言いますか、(彼等の現在の状況からしてみれば)大学での学園祭の事であったり、プレゼンテーションのことであったりするので、…関係ないし、想像もできない。ある意味では、それは日本の生活(アルバイト先で話し、同じ国の人とだべる)とは、全く関係がない「抽象的な概念の世界」の事のようにでも感じられることでしょうから、判らないし、また判ろうともしないようなのです。
判らないだろうな、(こちらは)判らないだろうと思っているけれども、相手にはそれが通じない。本人は「皆、判っている。簡単」と思っているので、話してみても、完全にすれ違いになるのです。
「そうか、こういうところで頭の良さというのは出てくるのだな。頭のいい人達はこういう説明をする必要がないもの」と、こちらでは、何度も、こういう、それでも「徒労」を、繰り返しながら、思うのです。
スリランカ人学生が増えると、こういう事をさせられる機会も増えてきます。出来ていないのが歴然としているのに、どうして出来ていると思えるのだろうと、不思議に思われるのですが、(本人は)聞き取れ、話せているつもりだから、そうなるのでしょう。けれども、本当は理解も出来ていないし、こちらの意図も全くわかれないのです。スリランカ人を教える上での、これも大きな壁の一つなのですが、相変わらず、今日も、こちらの歯車は、空回りに終わってしまいました。そしてその度に、疲れるのです。
とはいえ、相手が求めているのは、別に、より高いレベルの日本語を学んで知識を得たいとかそういったことではないのです。こちらが、相手のために空回りをする必要も無いのです。本当に。考えれば考えるほど、自分が馬鹿だなあと思います。けれども、教室に入れば、また同じことを繰り返してしまうという愚。きっと来週も、またそうしてしまうのだろうなと思います。もちろん、これはお互いに不幸なことなのでしょうが。
日々是好日
昨日も大気が安定していなかったのでしょう。日中も突然の雨。それから、夜になってから、雷様がまたお出ましに。
留学生達は、「…ほんとうに、日本の天気は判らない」。そんなことを言っているくせに、折りたたみの傘をいつも持っていなさいという言葉には反応が鈍い…。高を括っていたのでしょうね。急に雨が降り出すと、しまったという顔をして、恨めしげに外を見る人がいるのですが。
学生達が帰る頃には、既に、雨は止んでいましたし、あらたに降り始めもしていませんでした。だから大丈夫だったのですが、それでも、毎日折りたたみの傘は持っていた方がいいのです(置いておくと、降った時にだれかに持って行かれてしまいますから)。特に午後の学生達が帰るのは、もう夕方とも呼んでいいような時間帯ですから。この時間帯には、夏場でも夕立に見舞われることはよくありますもの。
さて、学校です。
先日、あるインド圏の人に会いました。10月生(の募集に)は、まだ間に合うかと聞かれたので、「インド圏の人も、10月は避けた方がいい」と言っておきました。すると、大変なのは、お金の問題だけだと言います。
これは、「日本に寄越すだけ」という仕事をしている人と、「来てから」を考えなければならない立場の私たちとの差が、如実に出たようなやり取りでした。
もちろん、留学費用がなければ、留学はできない相談です。でも、ぎりぎりで来ていても、結局は、何も出来ないのです。「それから」が見えないのですから。それに、インド圏の女性であれば、アルバイトや生活などの援助をする人がいない限り、中国人女性やベトナム人女性のように働ける…とは、限らないのです。
こう言いますと、黙ってしまいました。「来させれば、それで終わり」というのは、あまりにも安直な考え方。来てから、(彼等の)生活が軌道に乗るまで、日本にいる人が呼ぶのであれば、それを見守る義務もあると思うのです。学校側も努力はしますが、やはり文化も生活のパターンも、そして何よりそれを訴える言葉が違うのです。判る人が世話をした方がいい。それができなければ、やはり、呼ぶのは控えた方がいいと思うのです。
こういう、日本の日本語学校へ来られる人たちは、十分と言えずとも、そこそこの財力がある人の子弟であったり、親戚であったり、また身近に貸してくれる人を持っていたりする場合が多いのです。もちろん、そうではない人達もいることはいました。けれども、結果として、それでも頑張れるだけの頑張り力を持っている人は、それほど多くはなかったのです。
この学校は小さな学校です。そこまで出来ない人を「いいですよ」と言って、来日させ抱え込み、かつぎりぎりで頑張っている他の学生達の援助をするということはやはり無理なのです。ぎりぎりで頑張っている学生達を待つことはできます(財政的に)。けれども、それだけです。ある程度の経済力がなければ、やはり勉強なんて、普通の人は出来ないのです。
結局、その「インド圏」の人の言いたかったことは、金の問題さえクリアできたら、日本に来させることができる…だけだったのですが、私たち学校側としては、「(来てから)頑張れるかどうか」、日本語が出来なければ、当然のことながら、アルバイトは辛いものとなります。だれかの紹介で(アルバイト先へ)行っても、日本語がゼロに近い状態であったら、それは「(日本語が)上手になってから来てね」と言うことになってしまいます。
「来られた」で、終わりではなく、「来た。それから」が問題になるのです。
10月生として来られても、四月に来た学生に比べて、次の進学時までに、既に半年損をしているのです。アルバイトで稼いで、貯金をするにしても、半年分足りないわけです。しかも、日本語を日本で学べる時間も半年足りていないのです。
スリランカから来ている学生で、国で日本語の「初級Ⅰ」を学び終えてやって来ている場合、不思議なことに、それ以上がなかなか行けないのです。もちろん、「初級Ⅱ」程度までは何とかなります。けれども、それ以上のものが身につかないのです。それ以上を学ぶ力(知識欲)がないか、あるいはそれ以上を学ぶ必要がないと思っているかは判りませんが。
1年経っても、「進歩がないな(もちろん、少しは違います)」と、適当に(社会問題とかはだめですが)聞き取れるし、ペラペラと話すことだけは話せますから、(この進歩のなさに)がっかりさせられてしまうのです。
だって、日本にいてアルバイトしているわけですから(彼等は殆ど、会話というか、耳から吸収するので)工場やレストランの賄いででも働いていれば、そういう単語は、自然と身に付けられていくことでしょう。でも、それで終わりなのです。
学校で学ぶもの、特に「中級」以降は、たとえ会話の時間であっても、もう少しずつ、「非日常」と言いますか、(彼等の現在の状況からしてみれば)大学での学園祭の事であったり、プレゼンテーションのことであったりするので、…関係ないし、想像もできない。ある意味では、それは日本の生活(アルバイト先で話し、同じ国の人とだべる)とは、全く関係がない「抽象的な概念の世界」の事のようにでも感じられることでしょうから、判らないし、また判ろうともしないようなのです。
判らないだろうな、(こちらは)判らないだろうと思っているけれども、相手にはそれが通じない。本人は「皆、判っている。簡単」と思っているので、話してみても、完全にすれ違いになるのです。
「そうか、こういうところで頭の良さというのは出てくるのだな。頭のいい人達はこういう説明をする必要がないもの」と、こちらでは、何度も、こういう、それでも「徒労」を、繰り返しながら、思うのです。
スリランカ人学生が増えると、こういう事をさせられる機会も増えてきます。出来ていないのが歴然としているのに、どうして出来ていると思えるのだろうと、不思議に思われるのですが、(本人は)聞き取れ、話せているつもりだから、そうなるのでしょう。けれども、本当は理解も出来ていないし、こちらの意図も全くわかれないのです。スリランカ人を教える上での、これも大きな壁の一つなのですが、相変わらず、今日も、こちらの歯車は、空回りに終わってしまいました。そしてその度に、疲れるのです。
とはいえ、相手が求めているのは、別に、より高いレベルの日本語を学んで知識を得たいとかそういったことではないのです。こちらが、相手のために空回りをする必要も無いのです。本当に。考えれば考えるほど、自分が馬鹿だなあと思います。けれども、教室に入れば、また同じことを繰り返してしまうという愚。きっと来週も、またそうしてしまうのだろうなと思います。もちろん、これはお互いに不幸なことなのでしょうが。
日々是好日