日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「寒さ」。「アルバイト」。

2012-01-31 14:15:42 | 日本語の授業
 寒い、今日はまた一際寒さを感じます。ここ(市川市)でも、予想気温が、0度から6度と出ていました。大平洋側はカンカラカンの日照り状態で、日本海側は家が潰れてしまうほどの大雪。三日で三㍍ほども積もれば、雪下ろしも間に合わなくなるのは当然です。だいたい、テレビで見ていると、九州に降るような雪ではないのです。

 いかにも重そうで、ボトリボトリと音が立つような降り方をしています。それが、そのままの姿で重なっていけば、それはもう「積雪」です。救いはありません。故郷(九州)のように、風に軽やかに舞い、それこそ地面に着いた途端に溶け去るような代物ではないのです。九州の雪は、猫も大喜びで、飛びついて遊ぶようなものですが、北国の猫が雪にじゃれつくなんて聞いたことがありません。すぐに霜焼けになってしまうことでしょう。それどころか、生き埋めになってしまう科もしれません。

 さて、学校です。
少しずつ、在日の人からの連絡が入るようになってきました。もちろん、連絡があったからといって、すぐにここで勉強するというわけではないのですが、去年の「地震、津波、原発」のあと、ドドッとものすごい勢いで外国人達が日本を後にし、日本人だけになった静かな日本を覚えている者の目からすれば、却って、日常が戻りつつあるような気さえしてきます。

 私たちは、日本がどうなるのだろう、この美しい国が失われてしまうのだろうかと、そのことの方が不安だったのですが。異国の人たちは、別にこの国に愛着があるわけでなし、その点は関係なかったわけです。

 必要に応じて「戻り、また帰る」を繰り返し、そしていつか母国で生涯を終えることになるのでしょう。私たちが、この国で生を終えたいと思うように。

 さて、学生たちのアルバイトがなかなか決まりません。いえ、「一月生」以外は、ないことはないのですが、どうしても時間が折り合わず、土日だけ、とか変則的な形になっているのです。本来、毎日四時間ほどというのが一番いいのでしょうけれど。また少し経済的に余裕があれば、土日だけでもいいのでしょうけれども。

 1年ほどを既に日本で暮らしてる学生たちであったら、それでもどうにかする術があるのでしょうが、その過渡期、つまり半年足らずというのが一番不安定なのです。面接に行っても、どうしても日本語の問題が出てきます。初級でも、クラスで勉強しているときには(クラスの勉強は一生懸命していますから)、それほど下手であるような気はしないのですが、外に出れば、まだまだなのです。

 今日も、自習室で「ABクラス」の学生二人の、作文書きの指導をしていますと、「Dクラス」の学生が二人やってきました。ふと見ると、「ABクラス」の学生が私と話しているのをジッと聞いています。いえ、「ジッと」と言うより、「ボウッと」と言った方がいいのかもしれません。ハッと気がついて、「どうしたの」と訊くと、「いいなあ、上手だなあ」と言います。そしてため息です。

 早く、彼らと同じように話せるようになりたいのでしょう。けれども、まだまだですよ。とはいえ、もうすぐですよ。まじめに毎日学校へ来ることが第一歩、そして教師の言うとおりの形で授業に参加できることが第二歩。それから先は…、今は要求していません。彼らがそのまま抵抗なく参加できるような形を考えていますから。

 でも、その時に、「そうか、まだ日本語が下手だもんな。思わず、いいなあ、日本語が上手だなあ、羨ましいなあと、(「ABクラス」の)二人に見とれていたのだろうと、おかしいやらかわいらしいやらで、ぷっと吹き出してしまいました。「Dクラス」の二人は、わけがわからずに、ただ笑われていると思って怒っていましたが。

日々是好日
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「課外活動、NHKスタジオパークにて」。

2012-01-30 07:40:16 | 日本語の授業
 寒い日が続いています。寒さだけではなく、日本海側や北海道などでは、大雪が続いています。この数日で3㍍とか、4㍍近く積もっている所もあるそうで、山地ならいざ知らず、人々が生活している場で、これではたまりません。雪下ろしに追われている人々の様子をテレビで見ていますと、私たちが雪が降らないかなあなんて思っているのが、申し訳ないような気分になってきます。

 ただこちらでも、最近の挨拶は「寒いですね。こうも寒いと嫌ですね」なのです。最高気温が六度くらいになってしまいますと、いかにも冬になったのだという気がいたします。こう言うと北国の方から叱られてしまいそうなのですがが。

 さて、学校です。
金曜日に行った「NHKスタジオパーク」では、小学生の群れとの戦いでした。小学生はノートを片手に、いろいろなクイズに答えたり、アナウンサーや声優の役を試みたりと、(私たちとは)意気込みが違っていました。

 彼らにとってはしっかりとカリキュラムに組み込まれた授業の一つで、放送局について「学ぶ」であり、「学ぶ」でありますから、きっとテーマもあり、「宿題」も出されているのでしょう。で、負けてしまった学生達…。それなりに、子供達の居ないところで、いろいろな事をしていたようでしたが。

 終わってからも、十数名の学生達が、近くの原宿の方へ行ったようです。後で聞きますと、皆で入れるレストランがなかったらしく、大部分の学生達はそこで萎えて、私たちの後を追うようにして戻ってきたようでしたが。

 「A・Bクラス」くらい(一年半か二年近く)になっていますと、もう学校の活動や仲間たちなどとでも、あるいはアルバイト関係とかでも、いろいろな所へ行っていますから、頼もしい限りなのですが、それがまだ、一年にも満たぬ学生達だけとなりますと、私たちも心配になってきます。

 が、よくしたもので、「A・Bクラス」の学生たちや、来日後かなりの日数が経っている学生たちに、そのことを頼んでおきますと、ちゃんと面倒を見てくれています。やはり同じ学校の学生同士は知り合いになっておかなければなりません。

 そのためにも、一緒に(課外活動とかで)出るというのはいいのでしょう。午前と午後とに分かれて、「課外活動」などに出てしまうと、同じ学校にいながら、顔を見たこともない人たちがどうしても出てきます。

 もちろん各クラスごとに、レベルに合わせた所へ行くというのが一番いいのかもしれませんが、アルバイトと勉強に追われている学生たちにとっては、こういう課外活動というのは、勉強(東京の名所などへ行く、知識を深める)半分、そして気分転換(友達と楽しんだり、他のクラスの人と話す機会がある。つまり他のクラスのレベルがわかる)半分なのです。

 自分のクラスだけですと、どうしても小さな井戸の中で「お山の大将」になってしまう人が出てきます。特に「初級」においてはそうなのです。「上級」かそれ以上ですと、そのほかにもいろいろなもの(外国人用の教科書ではなく)を与えることができますから、「できないこと、知らないことが山ほどある」ということを、判らせることもできるのですけれども。

 もっとも、これとても、能力というより、気質とでも言ったほうがいいのかもしれません、それに気づかないというか、そういうことを全く見ようとしない(耳も塞いでいるのでしょう)という人もいるので、必ずしもそれができるというわけではないのですが。

 また、お天気に戻ります。
今週も、また寒気団がやってくるようですから、この寒さはしばらく続きそうです。とはいえ、もう「ボケ(木瓜)」の花も「ロウバイ(蠟梅)」も咲き始めていますから、あと少しですね、それまでせいぜい気張ってまいりましょう。

日々是好日
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「課外活動」。「去年の震災、原発を振り返って」。

2012-01-27 08:21:36 | 日本語の授業
 昨日、帰る頃には、剣のような寒月と、そして既にいくつかの星が、くっきりと空に貼りつけられていました。明日はいい天気だろうと思っていたのですが、今朝は空ももやにかすんでいるような感じです。早朝の星も、今朝は見えません。

 さて、今日は渋谷スタジオへ見学に参ります。
一月、二月、三月と、この間は、試験(日本語能力試験、留学生試験)に逐われることもなく、「卒業式」関係のことを除けば、比較的、課外活動に力を割ける時期でもあります(本当のことを言いますと、まだ進学先が決まっていない学生たちの願書書きや、受験準備で全く時間に余裕がないのですが)。

 というわけで、この間は、予定通り、月一の割合で、学生達を東京都内へ連れて行くことができます。これが、6月7月、そして10月11月ともなりますと、かわいそうだと思いながらも、テスト勉強に明け暮れるということになってしまうのですが。

 で、また気になるのはお天気です。本当に心がけのいい人達が多いと見えて、今朝もいいお天気になりました。今は雲1つありません。先頃出されました、三ヶ月予報によりますと、今年は例年よりも温度が低めということですから、4月の入学式後に花見にも行けるかもしれません。

 去年は3月の11日に大変な震災が起こり、それゆえ、ちょうど4月の桜の頃には帰国していた学生が多かったので、彼らに日本の桜を見せてやることが出来ませんでした(日本に残っていた学生たちは連れて行けたのですが。不思議なことに、去年ほど「蕾の桜」「満開の桜」「散る桜」が、揃って見られたことはありませんでした。花吹雪の中で歓声を上げていた学生たちの姿が今でも目に浮かびます)。けれども、今年は間に合うかもしれません。

 思えば、昨年はいろいろな事がありました。「地震や津波までは大丈夫。けれども原発だけは」と、来日を辞退する学生が相次ぎました。私たちとしても、もし何かあったら、責任はとれませんから、来日を勧めたりするわけにもいかず、なかなか難しいところでした。気持ちの上では、彼らの国に残っていても、活路は開けないだろう、日本に来て学び、新しい道を切り開いた方がいいだろうと思いながらも、です。

 ちょうど、3月の頃には、この辺りでも、米が不足しがちで(震災地に多くを運び、都心近くは後回しにされたということを後で聞きましたが)、身内から別のルートで米を送ってもらい、学生たちに分けたり、米が駄目な学生には手分けしてパンを買いに走ったり、表面上はいつも通りの顔をして見せながらも、内心では、これからどうなるのだろう、この人達をいざというときにはどうしたらいいのだろうと、不安で一杯でした。

 私たち日本人は、日本で何事か起こっても、それは日本人として甘んじて受けなければならないと思っています。なぜなら戦時中とは違い、自分たちで決めることができるなかで(自分たちで選んで決めて)、美しい日本を、結局はこのような状態にしてしまったのですから。制度が悪いなら、改めようという人を選べばよいのです。制度上問題があるとしても、それを改められない国とは違うはずですから。

 他のどの国に行っても、やはり日本が一番心が安まりますし、この美しい土地でなら、永遠の眠りについてもいいなという所がたくさんありますし。

 けれども、例えば、去年の4月に来たばかりの学生達が、つまり、「日本語は話せない、聞いてもわからない」という人達が、もし、一人で歩いていて何かあったとしたら、と考えたとき、私たちとしても何も言えないのです。ですから、彼らや彼らの親御さんには、(聞かれても)日本へ来て勉強した方がいいとは、どうしても言えませんでした。将来をどうするかという問題は、それは、もう、その人の問題であり、私たちには相談されても、自分で決めてほしいとしか言えない質のものだったのです。

 とはいえ、今、日本は落ち着いています。今年もあと少しで卒業式を迎えます。結局あの騒動で帰国し、帰れなくなった学生は一人だけでした。この彼女も、家庭の経済的な理由で戻れなかったのであり、あれとは無関係のものでした。

 あれから一年近くが経とうとしています。一時帰国していた学生達は、戻ってきても、かなり生活が苦しくなったと聞いています(それでも戻ってよかったと言います)。1年近くアルバイトして、進学のために貯めていたお金が、帰国で、いったんはゼロか、それに無限大に近くなったわけですから。ほとんどの学生は、帰国前にアルバイト先にきちんと断りを入れていましたから、戻ってもそれまで通り働くことができたようでしたが、中には新たなアルバイト先を見つけるために、やらでもいいような苦労をさせられた学生も居たと聞いています。

 それにしても、彼らも後もう少しで卒業です。帰国していた一ヶ月ほどが、やっと伸び始めていた日本語の力に影を落としていないといえば嘘になるでしょう。少し、みんなより遅れて戻って来た学生は、7月の日本語能力試験の申し込みに間に合わず、受けることができませんでしたし。ただ、その中でも戻ってきて、新たな自分の人生を切り開こうとして(あれからずっと)努力してきたわけですから、頑張る気力も違って見えます。また一時帰国したが故に、日本での生活の良さを身を以て知った学生もいましたし。

 人はその中にいる時には、どうしても不平や不満を言いがちです。けれども一度その中から出てみると、その良さ、そして苦労させられているが故に、先に見つかるかもしれない自分の可能性というものも感じられてくるものと思われます。これらはきっと彼らにとって得難いものとなるに違いありません。

 結局は、七難八苦だけが人を鍛えることができ、逞しい人にしていくのでしょうから。

日々是好日
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「閉め出された…」。「馴れて子どもっぽくなってしまった学生たち」。

2012-01-26 10:12:34 | 日本語の授業
 今朝は、市川市でも、とうとう最低気温が零下になってしまいました。水たまりにうっすらと氷が張っています。昨日は霜柱を見たという人もいましたっけ。それなのに、今朝、私は外に、二十分ほども閉め出されていました。

 オートロックの建物というものは、本当に不便です。今日という日に限って、鍵を忘れて外に出てしまったのです。階段の下のドアを開けて一歩か二歩踏み出した途端、後ろでガチャというきつい音がして…、思わずぎょっ。はっと我に返ってしまいました、鍵を忘れてた…。

 しようがないので、どうにかして階段の手すりが柵になっているところを越えられないものかと、あっちからもこっちからも見てみたのですが、この体重と私の腕力では自分の体を持ち上げることすらできません。うーんと唸りながら、寒いのでうろうろしてみたり、準備体操をしてみたりして時間稼ぎをしていたのですが、なかなか人が出てこないのです。「そろそろ新聞を取りに出てくる人がいてもおかしくないものだが」とか、「出勤時間帯になっているはずだが」とか思って、エレベーターの方を覗いてみたりしてみたのですが、外からは死角になっていて見えないのです。

 やっと一階の人が新聞を取りにドアを開けて出てきたので、柵の外から「申し訳ありませんが、鍵を持って出なくて…開けてください」。その人が私のことを知っていてくれて助かりました。ただ、その後に気がついたのですが、防犯カメラが、柵に取りついている私や、運動している私の方に、しっかりと向いていました…。

さて、学校です。
「Dクラス(7月生と10月生の混合クラス)」の学生たちは日本での生活にも、学校にも慣れてきた…のはいいのですが、これが「なれなれしい」の方に随分近づいた馴れ方で、教室に入ろうとすると先回りしてドアを開けなくしてしまうとか、ひどい時には職員室のドアまで、向こうからしっかりと押さえつけて、入ろうとする私を入れなくし、「先生、私はだれでしょう」。そして決まって「先生、恐かった(びっくりした)」と言うのです。もう完全に切れて、「こらああ」。そうすると「きゃっ、きゃっ」言って逃げていきます。

 それが大卒なのです。勉強はよくできるし、最初は澄ました顔をしていたのですが、だんだん慣れてくるに従って「地」が出てきました。本当にみんな子どもっぽいのです。最初は「七月生」がそうやっているのを白い目で見ていた(ような気がします)のに、それが(来日後)彼らと同じくらいの長さ(三ヶ月くらい)が経つと、同じようなことを始めるのです。巨漢(一㍍90近い)のくせに、「もう!子ども!」。

 これも、日本語が、ある程度聞き取れるようになり、単語も「初級Ⅰ」が終わってきますと、「とにかく使いたい、日本語を使いたい」という気持ちが、沸々と湧いてくると見えます。時々、言いかけて急に「(残念そうに)…判らなくなった」となるのですが、でも言いたいと見えて、また言いかけるのです。私の方も、最初はつきあっているのですが、最後には「もう、いやだ。しらない!」とやってしまうのです。が、相手はお構いなし。そんな私を無視して言い続けると言うこともあるので、「敵も然る者、ひっかくもの」です。多分、向こうの方が「うわて」なのでしょう。

 先日も、奇妙奇天烈な音や動作をする(サルのキーキーいう音に近いものから、サルが食べている様子みたいな行動)者(これは別の学生です)がいるので、「それはお猿さんです。きちんとすわりましょう」。あるいは「それはお猿さんの声です。日本語で話しましょう」と言ったりしていたのですが、もう何度も何度も(既に来て三ヶ月です。これはその間、ずっと続いています)やるので、「こら。いい加減にしろ。勉強の時に、そんなことするな。そんな音を立てるな」とやってしまったのです。

 そうしたら、「先生、大丈夫よお」。「大丈夫じゃない。だめでしょ」。それを聞いていた他の学生、自分も何か言いたくて堪らない、「先生、大丈夫。あれはサルじゃありません。宇宙人です」。すると、他の学生が「いえいえ、宇宙のサルです」。

 もう、私をも含めて、みんな同じようなものなので、いつの間にかみんな宇宙人になってしまい、大爆笑。怒る気も失せてしまいました。

 少々品がない会話なのですが、言葉のやり取りというのは大切です。それがおもしろければ、話したいという気持ちはますます強くなります。反対にこちらが拒否してしまうと、話すことに怖じて話さなくなってしまいます。

 どのような形であれ、教科書に書いてあるものを、互いに言い合うだけのレベルから、少しずつ離れ、自分の言いたいことを、たとえ拙くとも、「言おうとし、そして言ってみようとする」というのはとても大切です。しかも教師は、その時期を見逃さないようにしなければなりません。彼らが言おうとして言えない時には、もちろん教えることはあります。けれども、そうでなければ、よほどのことがない限り、訂正しません(文法は別ですが)。それなりに流していきます。

 一番大切なのは、「言いたいことを言ってみる気になる」ことなのですから。しかも、その時の表現というのは、彼らの国や民族の色合いがかなり色濃く出ているのです。「ああ、この人達はこういう表現をするのだ」ということが、私たちにもよくわかり、それがおもしろかったりもするのです。

「初級Ⅰ」が終わるということは、つまり、ある程度その内容が自分のものになっているということは、とても「大したことなのだ」と思います。いつも、学生たちの、この頃を見て。

日々是好日

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「お土産を持ってやって来た卒業生。来るなり、さあ、手伝ってと仕事させられる」。

2012-01-25 08:54:10 | 日本語の授業
 今朝も寒い…はずなのですが、(昨日よりも)それほど寒くはない…。変ですね。大手町の方では一瞬、(都心で)今年最初の「零下」になったと言っていましたのに。

 学校でも、(来た時に)職員室の温度は、8度でした。ただ、うちを出る時には、さすがに階段は使えず、エレベーターに乗ってしまいましたけれども。昨日の雪が残っていたのです。それが凍って、滑るのです。昨日の朝はそれに気づかず、階段に入るところで、ズリッとやってしまい、思わず、だれも見ていなかったろうなと、まわりをキョロキョロしまいましたが。

 それなのに、それなのに、こんな中を、昨日、卒業生が、山形の自動車学校(合宿形式)へ行った時のお土産にと、イチゴのバームクーヘンを持ってきてくれました。私たちは、「滑るから外へ出るのは嫌だ。寒いから外へ出るのは嫌だ」と思っていたような日でしたのに。

 ところが、かわいそうなことに、来るなり、「おお、よく来た。はい、仕事が待っていたよ」。早速、あれして、これ手伝ってと、やらされてしまいます。彼は人がいい上に、何かをする時に力を惜しまないのです(この学校にいたときも、そうでした。例外は日本語の勉強だけだったのです、本当に)。

 まずは、彼が入った大学の、同じ学部を目指している在校生へ一言二言、大学や学生生活について話してほしい。それから願書書きの手伝いもしてほしい。彼は(私たちに、あれして、これしてと言われるのは)慣れているとばかりに、読んできた学生にあれこれ説明してくれています。聞くともなしに聞いていますと、こういう時はこうしろとか、こう言ってはだめだとか、微に入り細に入り、指導してくれています。

 その途中に、運悪く届けられた「灯油運び」の仕事が入ってしまいました。これが結構重いのです。すぐに腰を上げて運んでくれます。腰が軽いのです。様子を見て、必要だなと思うと、頼まなくてもさっさとやってくれます。

 在学生の手伝いが終わったころ、アルバイトのことを聞いてみました(この近所でアルバイト先を見つけたかったのです)。判らないけれども、チェーン店だから、どこかで募集しているかもしれないと言うのです。それで、午前のクラスが終わるまでちょっと待っていて、と頼むと、また「はい」で、素直に待ってくれます。ほんとうに在学中はこんなに「いい子」だったのかしらんと思われるほど「いい子振り」です。しかも、出したコーヒーのカップを、「大丈夫、アルバイトで慣れているから」と言いながら、自分でシャカシャカ洗いにかかります。

 ただ、電話番号を聞かれた時に、私は、携帯を持ち合わせていなかったのですよね、すると、「どうして持っていないの!」と急に態度が偉そうになります。わたしとしても、「だって、使うのは迷子になった時だけだもん、今はいらないの」と言い返すと、なぜか、「ああそうか、(機械音痴だから)」とすぐに納得してくれました。まあ、ちょっと、あまりに物わかりがいいので、却って腹が立ちましたけれども。

 それからもう一つ、私がさっさとコピーしているのを、「合点がいかん」という顔つきで、見ていたのですが、急にニヤリと笑ったのです。こういう顔つきをしている時は、何か悪巧みを考えている時ですから、ん?という目つきで見やると、コピー機の後ろや横の壁を指さして、「へへへへへ。使い方が書いている…(だから使えるんだ)」と言うではありませんか。

 なかなか、抜かりなく観察していますね。この調子なら、どの会社に入っても大丈夫でしょう。彼を落とした会社が後悔することになりそうです。

 それから、彼にも「日本に来たことを後悔しているか」と聞いてみました。「後悔していない」という返事です。

 この学校にいた二年間、「(日本語の勉強を)やればできるのに、やらない。だいたい、やる気がない。授業中も、どうにかして話を脇道に逸らそう、逸らそうと、要らぬ努力をしていた」ので、いつも叱られていた。そして大学に入っても、最初の一年間、そのノリでいた。

 おそらくそのままだったら、今の彼はなかったでしょう。きちんと生きてきた人間にはそれなりの雰囲気ができているものです。自信がついて、物事に対する心持ちも変わってきたのでしょう。

 大学二年生のころから、せっかくこの学部に入ったのだから「資格」をとろうと、それこそ、寝る間も惜しんで勉強したのだそうです。その結果、「勉強癖」がついて、大嫌いであった学業面における努力(これは、あくまで想像です。間違っていたらごめんなさい)も、苦にならなくなったのでしょう。

 彼は人間が好きなのです。話したり、遊んだりするのが大好きなのです。人なつっこくて、仲間が大好き。机の上にしがみついて、机の上のものと格闘してばかりいるような、人間の存在が感じられないような空気は、苦手であったと思います。もちろん、(この)学校にいた時には、勉強しなければなりませんから、いくら日本語が話せるようになっていても、それだけでは叱られているばかりいることになります。

 内定をもらって、会社に行くようになっても、最初の二三年は苦しいことが続くでしょう。けれども、それさえ超えられれば、今度はそれがキャリアとなって、後ろから彼を後押ししてくれることになります。

 アルバイトにしても、同じ所で六年間も頑張れたというのは、それだけでも、胸を張って人に言えることなのです。そう、日本人は考えます。

 で、私の方は、とにかく頑張って、彼の残してくれたメールに、「これは実験です。メール届きましたか」と送ってみるつもりです。予定では、今週中にするつもりなのですけれども…。

日々是好日
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「『初級』の三課で、既に難しい…」。

2012-01-24 14:45:07 | 日本語の授業
「雪見にはコタツにあきたやつばかり」 (古川柳)

 やっと雪になりました。朝、起きてみると、うっすらと白く積もり、それがシャーベット状になっています。六年ぶりにこんなに積もったと聞きました。思えば雪らしい雪をずっと見ていませんでした。

 ただ、昨日、学生たちがまだ学校にいる頃には、降っていたのは雪ではなく、氷雨でしたから、皆で「雪だ!雪だ!」と騒ぐことは叶いませんでした。とはいえ、雪が降ってくれると、どのような形であれ、多少なりとも積もってくれると、冬を味わえたような気分になれるから不思議です。そして、冬に対する心残りがなくなります。どこやら、ゆったりと春を待てるようになるのです。御飯に味噌汁のノリで行きますと、冬は雪、です、やはり。

 さて、学校です。
「Dクラス」では、ベトナムから来た学生たちが、そろそろ「第三課」にして、覚えられる単語の限界を超えたような様子を呈してきました。これは、考えようによっては随分早すぎるような気もするのですが(覚える単語の数が少なければ、それほど努力しなくとも、授業中だけで充分のはずです)。毎日勉強できていれば、いざ知らず、間に、土曜と日曜とかが入りますと、途端にそれが切れてしまうのです。二日間で、頭が洗い流されたように真っ白になり、そのまま、学校に来てしまうわけですから、そりゃあ、どうにもならないでしょう。新しい単語なんぞ入りません。新しい単語と、少しばかり様子が似ている前の単語とがごちゃごちゃになって、お手上げ状態になってしまうのです。とはいえ、学生によって、多少違っていますから、一律に文句を言うわけにはいかないのですが。

 何と言いましても、12月にベトナムへ行って、彼らと会った時(一月生と、それから四月に申請したいという学生とに会いました)、4月生たちよりも、日本語のレベルが下に見えたくらいでしたから(面倒をみていた人の話では、この一月生は22課くらいまで学び終え、4月生はまだ12課だということでしたのに)。

 けれども、焦っても、どうにかなるなら別ですが、どうにもならないのです。ただ、彼らなりの(わかる)「速さ」というものがありますから、それを見つけてその速さで進めていくしかありません。そして、こういう速さというのは、一人一人というよりも、クラス毎に違うのです。この「Eクラス」と、他のクラスとを比較して、「どうだ、こうだ」というのは愚かなことで、それぞれに相応しいやりかたをするしかないのです。そのクラスごとに一番いいであろうと考えられるやり方、進度でいくしかないのです。そうすれば、一年ほども経てば、どうにか日本で生活できるようにはなるでしょう。

 まじめに毎日通って来る学生は、それなりに話せ、聞き取れるようになりますし、四級ほどの漢字なら、別に困らなくなります。日本語なんて(どこの言葉でも同じですが)、生まれた時からここに住んでいる人はだれでも自然に(そう思っているだけなのかもしれませんが)話せるのですから。それが言葉というものなのですから。

 もちろん、勉強したいと、それのみを念じて、来日している学生は、やはり覚え方が速いのは確かです。が、そうでなくとも、一年半ないし、二年という期間を馬鹿にはできません。毎日学校へ来て、言われたことをまじめにやってさえいれば、それだけで、外国語を学ぶことが苦手だという学生でも、どうにかなるものなのです。それが現地へ来て学ぶということなのです。この地での生活、つまり暮らしが、大きな味方になってくれるのです。

 たとえ、今は「初級1」の「三課」を覚えるのが大変だという学生でも、日々繰り返しているうちに、十課くらいになったときには、三課なんてなんでもないと思えるようになっています。それが「時間を味方につけた」ということなのでしょう。

日々是好日
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「ベトナムの正月。中国の春節」。

2012-01-23 11:54:47 | 日本語の授業
 今朝も寒い。北風と共にやって来た冬将軍が、日本列島にどっかりと腰を下ろし、しばらくはこのあたりに居座ってやろうと考えているのでしょう。冬、冬、本格的な冬です。なんと言いましても、もう一月も下旬ですものね。確かにあのまま行くとは思ってはいませんでした…。 

 とはいえ、少し寒さが和らいだある一日、「ボケ(木瓜)」の蕾が膨らんでいるのを見つけました。(季節は)遅々として進まず、ではなく、確実に進んでいたのです。だいたい、「大寒」は過ぎました。次は、「立春」です。

 さて、学校です。
 寒くて、氷雨が降っているような朝は、学生達の出が悪く、いつもなら、疾うに来ているはずの学生までも、始業ベルと同時に駆け込んでくるような始末。そうなりますと、玄関で団子状態になってしまい、気の弱い者はますます入れなくなってしまいます。
 
 この学校では、大半の留学生が寮に住んでいますので(歩いて来られる距離にあります)、ついつい、「(布団の中で)もうちょっと、もうちょっと」と思ってしまうのでしょう。そしていつの間にか、9時になっている…というわけ。

 電車通学やバス通学の学生は、いつも通りの時間(少し早めの時間)に来られなければ、これはもう、遅れてるということになりますから、(寮生活をしてる学生に比べて)気の毒なのですけれども。

 その上、今日は、ベトナムでも中国でもお正月になります。中国人はきちんと来ていますが、ベトナムの学生は、どうもだめなようですね。電話をしますと、明るい声が帰ってきました。「今日はお正月です。みんなで新年会をします」。

 これも、ほんとうは、忘年会と言ったのです。新しい年を迎えるわけだから、新年会ですよと言いますと、あれっと言う顔をしていました。きっとアルバイト先で忘年会があり、そのことが印象に残っているのでしょう。
 
 ベトナムから来た学生が、(今の)中国から来た学生と同じように(日本の生活の流れに則って行動できるように)なるのは、いつからでしょうね。

 そういえば、90年代の頃までは、中国から来た学生たちも、春節になると、「私1人が日本にいます」と悄げきっていましたっけ。それがいつの間にか、(彼らから)言われなければ、(私たちの方でも)今日が春節であることを忘れるようになってしまいました。

 以前から考えてみれば、中国人も随分変わったといえるでしょう。世界には自分たちとは違う生活の流れがあるということが、判る人が増えてきたのです。ごく自然に、「中国にいたら、別だけれども、今は日本にいるのだから、日本のやり方でやるのが当然だ」というふうに、気負いなく思えるようになったのでしょう。

 だから自分たちの習慣を(他国にいるにもかかわらず、他国の者に)押し付けなくなったのです。

 こういう仕事をしていますと、時々、こういう面で非常に厄介としか考えられない人たちと出喰わすことがあります。随分前になりますが、母国における自分たちの習慣を叫び、学校で決めてある勉強時間をも変えさせようとする人たちがいましたっけ。それにはこちらの方が頭に来て、激しく怒って遣り合ったものでしたが、それに比べると、ベトナム人にしても、以前の中国人にしても穏やかなものです。私たちにしても、「そうか、寂しいのか」と少々心が動くことがあるくらいですから。

 そうは言いましても、勉強は勉強。一月に着たばかりの学生まで、新年会で学校を休んではなりません。午後は寮に行って、連れてくることに致しましょう。

日々是好日
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「久しぶりの雨」。「卒業前のクラス」。

2012-01-20 08:51:56 | 日本語の授業
 東京都心では初雪が降ったそうです。それを聞いても、どこか、心がウキウキしてきません。ここ(行徳)では…無理でしょうね。朝から、ずっと小雨が降っています。都心では最低気温が2度、最高気温が6度と出ていましたが、ここでは4度から7度の間ですもの。これでは雪は…ちょっと無理…かな、というところです。

 学生たちに、雪を見せてやりたいのですけれども。雪さえ降っていれば、多少(彼らにとっては)寒くとも、我慢できるでしょうから。それが雨では。しかも、冷たい、冷たい雨ですもの。

 さて、学校です。
「二年生クラス」は、どことなく落ち着いていないような感じがします。「日本語を集中して勉強できるのも、あと少ししかないのに(大学や専門学校では、専門の勉強をしなければなりませんから)」と、私たちは思うのですが、彼らはそうは思っていないようです。気を揉んでいるのは、「教師ばかりなり」というわけです。このことが判って、懸命に勉強してさえしてくれていれば、この流れ(勉強をし続ける)で、そのまま大学や専門学校に入ってもやっていけると思うのですが。

 「N1」や「N2」レベルの日本語力では、大学に入った時に困るということが判っているかどうかは、とても大切なことです。

 学びたい専門がある人、それを人に勧められて適当に選んだのではなく、自分で選んだ人は、その知識なりを獲得するためには、「N1」レベルの日本語力では、遙かに足りないということが判っているでしょうから、焦るのでしょうが、そうではなければ、アルバイトをする時に困らない程度の日本語力で事足れりとなってしまいます。それが、私たちにとっては、少々やるせないところなのです。

 それ故に、卒業生が学校に来て、大学の勉強や生活のことを話してくれるのはありがたいのです。一年目や夏休み前であれば、それほど自分のこととは考えられていないのですが、12月を過ぎ、年が改まりしたこの頃になりますと、それこそ我がこととして考えられるようになってきます。

 というわけで、これを読んだ卒業生たち、後輩のために学校に来て一言、できれば活を入れてやってください。

日々是好日
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「冬鳥」。「鍵をかけない人たち」。

2012-01-19 08:32:11 | 日本語の授業
 曇り。薄い雲のベールが、空全体にかかっていような様子です。今日は曇り、そして、明日は雨、もしかしたら雪がチラとでも降ってくれるかもしれません。

 今朝は鳥たちの姿をよく見ました。まずは空を行く鴨の群れです。五六羽が一グループとなって、三角の二辺そのままの体勢で飛んでいきます。後から後から来るので、見とれて歩いていると側溝に落っこちてしまいそうになります。

 見ているうちに、いつもとは違う道に入っているのに気がつきました。少し旧いアパートが続いています。この近所には、雀が道に下りていたり、軒でピーチク囀っていたりしているところがありましたから、きっと雀さんたちのお宿があるのでしょう。最近は見かけることの少なくなった雀たち。あの雲助さんのような顔(雲助の隈取りのように見えるのです)を見ると、なにやらホッと致します。

 そして、今、学校でブログを書いているのですが、窓の直ぐ近くにある電線に、今度はヒヨドリのお出ましです。あっちを見たり、こっちを見たり、少しも落ち着きません。首を、ヒョコヒョコと動かして(もしかしたら360度くらい動くのではないしらん)、いたずらを仕掛けようと、何か企んでいるのかもしれません(顔が見えないと、それほど敵意は抱けないのですが、あのくちばしの辺りを見ると、丸まっこい雀やメジロとは違った人相に見えてきてしまうのです。なんとも申し訳ない限りなのですが)。

 実は、私は、今、二週間に一度、治療院に通っているのですが、その時の電車の窓から見える景色に、いつも心を慰められています。

 住んでいる行徳の町は海の町。近くの川を見れば、この町は、潮の満ち干で上った下ったりする水の流れの中にあるような気がしてくるような姿をしています。それが、二週に一度、東京を経て、埼玉の方まで行きますと、もうここは田園地帯。田畑が拡がり、遠くには日光の山々が見えています(東京を通る時は地下鉄になりますから、地下の中です)。

 ゴトゴトと電車に揺られながら、本を読んだり、窓外の景色を見たりしていますと、降りるのを忘れてしまいそうになることがあります。四季折々の景色が、見る度に姿を変えて現れてくるのですから、飽きることがありません。しかも、穏やかな変化で。以前は一週間毎でしたから、それほどの変化は見えなかったのですが、二週間ともなりますと、その変化は目に見えてくるようになります。それがいいのです。

 さて、学校です。
「Eクラス(一月生)」で、昨日は「鍵」が新出単語として出ていました。二課の二回目でしたので、皆、単語はよく覚えていました。「鍵は?」というと皆ニコニコしながら、自分の鍵を出してくれます。まあ、その時はそれでよかったのですが。

 ところが、その日、寮の点検に行った教員が戻ってきて「もう(大変です)。二階の部屋には二部屋とも鍵がかかっていたけれども、一階の部屋はどこも鍵をかけていないんですよ。だれもいないのに」

 彼らがニコニコと笑いながら見せてくれたあの鍵は、いったいなんだったのでしょうね。鍵は何のためにあると思っているのでしょうね。あれほど、「鍵をかけること」と注意しておいたのに。

 普通、日本人は出かける時には、必ず鍵をかけますし、時々、「あれ、鍵をかけたかしらん」と不安になって家に戻ることすらあるのです。鍵だけはかけておいてくださいね。先生達も心配です。

 というわけで、今日から暫くの間、鍵のチェックに廻ることになりました。

皆さん、注意しておいてくださいね。いくら言っても鍵をかけるのを忘れるようですと、毎日毎日、鍵、鍵、鍵。鍵はかけましたかと言われ、(鍵を)かけるべく、一緒に寮に戻らなければならない羽目になるかもしれませぬぞ。

日々是好日
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「自由に、一時帰国する」。

2012-01-17 14:15:24 | 日本語の授業
 曇り。今朝はなかなか明けませんでした。六時を過ぎても暗いので、雨でも降るのかしらんと思ったくらいだったのですが、テレビの天気予報を見ると、晴れてくるとのこと。まずは無難な一日になりそうです。

 さて、学校です。
最近、ベトナムの学生が、いとも簡単に「一時帰国をする」と言ってくるので、私たちとしてもちょっと困っています。「今は、休みじゃありませんよ。勉強するために日本に来たんでしょう」と言っても、埒が明かず、習慣が(日本とは)違うからだと言ってしまえばそうなのでしょうが、そう言いに来る学生たちは、その上、それほど経済的にも豊かではないのです(実際、帰国したいという理由も、私たちにはよくわからない。つまり、彼らが帰ってもどうなるものでもない…ようなものなのです)。

 一時帰国して、戻ってきた時に、今やっているアルバイトの口もなくなっている…(何と言いましても、まだまだ日本語が下手なのです。贅沢は言えません)かもしれないということが、わかりませんし。

 経済的にそれほど豊かではない者が、一度でも帰国すると、戻ってきた時に背負わなければならない重荷が、さらに大きく、重くなっている可能性が強いのですが。それに、経済的に余裕がなくなると、本来なら、進学が目的で来日していても、落ち着いて勉強するという気にもならないでしょうし。

 だいたい、一時帰国する時には、往復の飛行機代はもとより(手ぶらで帰れるはずもありませんから)、お土産なんぞも買わなければならないでしょうから。

 それに戻ってきて、運良く以前と同じアルバイトができたとしても、それだけのお金が既に羽が生えて飛んでいってしまっているわけですから、また一から出直しです。

 やはり、以前の学生たちとは、「強さ」が違うのかもしれません。以前(彼らと)同じような境遇にあった中国人学生たちは、(春節などの時)「寂しい、寂しい。国にいた時には、いつも家族みんなでお祝いをしていた。ここ(日本)では一人だ」と言いながら、それでも帰りませんでした。「大学(専門学校)に入れるまでは頑張る」と言い、入ったら入ったで、「お金を使ってしまったから、今、帰れない」と言ったものでした。

 最近はどうなのでしょう。中国人学生も、豊かになって、日本に来てから、一度もアルバイトをしたことがないという人もいるようです。ただ、私たちのような学校に来る学生たちは、やはり以前と大して変わっていないような気がします。
 
 「日本に来るまでは、親が面倒をみてくれた。だが一旦来てしまえば、よほどのことがない限り、自分の力で頑張る」という学生がほとんどなのです。「だって、帰ったらお金がなくなってしまうでしょう」。聞くと決まってこんな答えが返ってきます。

 去年の三月には、地震・津波・原発などで、中国人学生が何人も帰国しました。そしてそのほとんどが戻ってきたのですが、口を揃えて言ったのは、「帰国しなけりゃよかった。ああ、これからが大変」

 「中国に帰っても、何もすることがなかった。退屈で、つまらなかった。日本では、アルバイトや勉強で、時間もないし、疲れていた。けれども、とても充実していた。中国に帰ってから、一二週間ほどもすると、やはり、日本に戻りたいと思った」と、皆同じようなことを言うのです。

 ベトナムの学生たちは、帰国しても、どうも、そういうふうには思わないような気がします。「とにかく、二年間、日本語学校で勉強しながらアルバイトをして、それから、専門学校でもアルバイトをして、なにがしかの金を持って帰る」くらいしか、頭に思い描いていないのではないでしょうか。もしかしたら「学びたい」具体的なものが頭にないから、その(学ぶ)ためには、金がかかるということが実感できないのかもしれません。

 私は、よく、彼らにこう言います。「(日本語学校の)二年間を、『初級』だけで終わる人は、お金がこれくらいですみます。そして『中級』までの人はこれくらいかかります。『上級』までいく人はこれくらい。それ以上の人はもっとたくさんかかります。たくさん勉強したいという人は、それだけお金がかかります。その代わり、たくさん勉強できて、いろいろなことを知ることができます。大学や大学院へ行って日本人と話しても、困らなくなります。みんなはどうしたいですか」

 こんなことを言ってみても、それが、(多分、彼らの母国での経験から)想像できないから、まるで隣の村にでも行くかのように、何も考えずに、「帰る」と言うのでしょう。帰りたいから、帰るというのでは、事後処理(本当にそうです)が大変になるというのに。

 いくらそう言っても判らないし(聞く耳を持たないし)、こういう人たちは、実際、どうするのでしょうね。まあ、そういうことにまで思いが至る人たちなら、帰らないのでしょうが。

日々是好日
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「学校に…少し慣れた…」。

2012-01-16 12:45:18 | 日本語の授業
 曇り。久々に今にも雨が零れてきそうな、そんな雲が空一面に広がっています。

 「芸が身を助く」ということわざがあります。それを受けて、
「芸が身を助けるほどの不幸せ」という川柳になります。そうすると、それが狂歌の世界では、
「芸が身を助けず しかも好きで下手 身は立てもせず 浮き名のみ立つ」というふうになっていきます。

 川柳ではちらと笑うことができても、なぜか狂歌になると、どのようにふざけていようとも、笑えないのです。ふと考え込んでしまうということになってしまいます。

 ことばの数が増えると、それだけ物語が作りやすくなってしまうからでしょうか、それとも顧みるきっかけを作りがちになるからでしょうか。

 とはいえ、
「三度たく 米さえ 強(こは)し柔(やはら)かし 思ふままにはならぬ 世の中」    便々館湖鯉鮒(べんべんかん こりふ)

 さて学校です。
日本語なんて初めて聞いた…ような顔でやってきた「Eクラス」の学生たちも、少しずつこの学校に慣れてきたようです。

 これは、別の言い方をしますと、悪い面も表に出てくるということでもあります。「ここ(学校)では、何を言ってもいいのだ」という気持ちになることは大切なのですが、それが、わがままに見える場合もあるのです。

 もちろん、これは一人だけというわけではなく、皆、この時期には、少しそうなってくるようですが。特に同じ国から来ている人が何人か、1つのクラスの中にいる場合はそうなりがちなのです。一人の場合は、とにかく、必死に、コミュニケーションをとるための言葉(ここでは日本語です)を身に付けなければなりませんから、そんな余裕などないというのが、実情でしょうが。

 自分たちの国では(自分たちの方が圧倒的に多数を占めているですから)、「あの人(外国人)達はこうだ、ああだ」と言っていてもいいのでしょうが、ここでは、自分も外国人であり、少数者であるわけで、それは通用しません。

 これが二三ヶ月ほどもたち、クラスの人たちと「仲間」という意識ができるようになってきますと(その頃には簡単な会話はできるようになっていますから)、「仲間」という気持ちから、そういう考え方は消えていくのですが。

日々是好日
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「モンゴル国から来た学生」。

2012-01-13 08:57:54 | 日本語の授業
 晴れ。
昨日は、学校を退く頃、小雨がぱらついていました。しかも、昨日の朝には、道に氷まで張っていたので、今朝は、「もしかすると、もしかすると」と、雪の欠けらでも見えないかと淡い期待を抱いていたのでしたが。やはり、だめでした。今朝は氷の姿も見えません。一番寒い時には、0度近くまで下がっていたとのことでしたのに。

 とはいえ、今日は、昨日よりも暖かくなるそうです。予報では、昼は11度。この辺りはもう少し暖かくなるでかもしれません。

 今朝、学校の植木に水を遣っている時に、「ジンチョウゲ(沈丁花)」が蕾をつけているのに気がつきました。そういえば、少し前まで咲き誇っていた「サザンカ(山茶花)」が、既に、ハラハラと花びらを落としています。もう少し経てば、「ツバキ(椿)」が咲き出し、「春」が感じられるようになるのでしょう。

 正月に戻っていた九州では、海辺に、「レンギョウ(連翹)」も「ロウバイ(蠟梅)」も「タンポポ(蒲公英)」も「ホトケノザ(仏の座)」も咲いていました。それからすれば、ここはまだ「冬のまま」なのです。

 さて、学校です。
私は、学生たちが、何に「美を感じるか」というのがとても気になります。これは、人を理解しようとする時に、どうしても必要な一つであると思うのです。

 いつもは、課外活動で学生たちを連れて行っている時や、教室で雑談をしている時、何気ない彼らの動作や、言葉でそれを判断しているのですが、先日、「Dクラス」で、授業中に、それが話題になりました。自分の国で一番美しいと思う「景色」は何かという問いです。

 このクラスは、当時、11名の学生がいました。国籍は、ベトナムとインドとモンゴルです。ベトナム人学生が言ったのは、湾や山で、インド人学生も同じ。モンゴル国の学生が言ったのは、非常に透明度の高い湖の名でした。

 この、モンゴル国から来た学生のことなのですが、彼は以前、私にこんなことを言ったことがありました。
「先生、モンゴルに行ったことがありますか。モンゴルはとてもきれい。岩山がある。洞窟がある。ここはとてもきれい。行ったほうがいい」。

 そのとき、「洞窟、ん?ん????」で、洞窟に美を感じる?。まあ、ラスコー洞窟や
アルタミラの洞窟なら、国の誇りとして私たちに言うこともあるのでしょうが。私が、そのことかと思って、それを聞いた時、「昔の人が住んだかもしれないけれども…わからない」と、(そこの所はよく知らないまま)私に、単に「美しいから」という理由で、その場所を告げたのだということがわかったのです。その洞窟があるのは、岩山で、それがいいのだと言うのです。

 日本人の感覚から言えば、何もない「岩山」で、その中にある「洞窟」で?…んんん?というところでしょう。そこから草原が一望できるのであるならば、真っ青な空と緑の草原に「美」を感じることがあるでしょうが、そこから見た光景ではなく、彼の頭の中には「岩山」と「洞窟」が、美の対象だったのです。

 そして、この「湖」です。広々とした空間か…、何もないところに屹立する岩山か…と、何となく、彼の求めているものが、一つながりになりそうな感覚はありました。そして、昨日。彼が職員室のドアを開けるなり、「先生、臭い。変な匂いがする」。私たちには何も匂わなかったのに。

 そういえば、授業中も、この寒いのに、直ぐに窓やドアを開けたがります。「先生、気持ちが悪い。嫌だ」と言って。

 彼は、(もしかしたら、「モンゴル国の人は」と言った方がいいのかもしれませんが)、日本人の「美」や「心地よさを感じる空間」とは、全く違ったところに「居心地のよさ」や、「美」を感じているのかもしれません。

 日本的な「坪庭の美」や、いわゆる「枯山水の幽玄の美」、これなどは、どこまでも続く平原に屹立した岩山や海のように広い透きとおった湖などに、心地よさや解放感、自由を感じる人たちには、理解しがたいことなのかもしれません。

 彼は、チマチマとした教室に、こぢんまりとした机といすというセットで勉強しなければならない日本での生活に、すでに堪らないほどの息苦しさを感じているのかもしれません。

 とは言いましても、日本に来てしまったのです。そして、大学院に行きたいと言っているのです。我慢するしかありません。で、私が今、彼に言っているのは「我慢、日本の生活に慣れること」の二点だけ。ただ、そういう彼の苦衷を察した上で(そう)言うのと、そうではないのとでは、それから後のフォローの仕方に違いが出てきます。

 やはり、預かった留学生の(もちろん、まずは勉強ですが、それ以外の、等閑にすべからざることとして)、民族的な価値観も理解しておかねばなりません。

日々是好日
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「生まれたところの価値観、倫理観から、なかなか脱することができない、人というもの」。

2012-01-12 09:49:22 | 日本語の授業
 さてさて、ブログとは厄介なものです。私としたところで、同じ人のブログを毎日見るというわけでもなく、だからそれ一回で(その人の心待ちなり、判断力なり、見識なりを)判断するのはいけないということは判っているのですが、ややもするとそうなりがちであり、それ故、他人の事は言えないのですが。

 私はこのブログで、よく愚痴を言います。愚痴を言うどころか、時には怒り、感情的になってしまうこともあります。相手を自分とは遠い存在であると感じていれば、まあ、私としても、当然すべきであること以上をやってやったのだから、後はその人が決めればいいと突き放して見ることもできるのでしょうが、1年ないし、2年ほどを、「毎日を共にする」と言ってもいいような状況の下で過ごしてきたわけですし、それも「目的を同じうして」ですから、相手(学生)に対して気合いが入ってしまうのです。他人事とは思えなくなってしまうのです。

 私は、別に宿命論を奉じているわけではありませんが、そういう中で、人の一生というのは、変えられないものなのかと、悲しく辛く切なくなることが度々あります。

 随分前のことになりますが、言語に関する分野で、高い能力を示した学生がいました。日本語が上達するにつれて、私にも、それが言語の分野だけにとどまるものではないということがわかりましたので、それで、彼女に、大学進学を考えてみるように言ってみたのです。ところが、出た反応は「とんでもない。そんなこと、考えたこともない」といったものでした。

 彼女の頭には、「借金までして日本へ来た。毎日学校へ通って、しっかりとビザはとる。そうすれば、日本語学校の2年と専門学校の2年とをあわせて、4年間は日本にいられる。その間、まず借金を返し、それから稼げるだけ稼いで、帰国する」しかなかったのです。

 彼女の母国での環境がそれで、その世界から抜け出すことが出来ないのです。せっかく、日本へ来たというのに。

 彼女の世界でも、近い存在の人達の中に大学に行った人がいなかったわけではないでしょうに、それに、彼女には「大学に行くだけのお金は稼いでいるし、能力がある」でしたのに。それであっても、それ則ち「大学へ行って、学ぶ」には、どうしても繋がっていかなかったのです。

 それで、私たちとしても最後の手段です。これは別に騙しているわけではないのですが、そういう学生には、「受けるだけ受けてごらん。行かなくてもいいから。試し、試し。自分の力がどれだけあるか知ってみたいとは思わない?」と言うことにしています。努力して懸命に勉強しているうちに気持ちも変わるかもしれないですから。このまま金を稼ぐだけであったら、どう考えても惜しいのです。彼女の実力から考えてみて、国立の名門校を受けさせることにしました。

 当時、日本語能力試験の「一級」に合格することは、彼女にとってそれほど難しいことではありませんでした。だいたい、試験問題というのも、それほどの「知識」は必要ではありませんし、彼女の記憶力も、テスト問題でも一度見たら、直ぐに覚えてしまうといったくらいでしたから。

 彼女の日本での生活というのは、「部屋で教科書もノートも開いたことがない、勉強するのは学校だけ」。その学校での勉強というのも、アルバイト疲れで、半分眠っているような状態でした。にもかかわらず、ディクテーションも毎回ほぼ完璧に近い状態でした。

 そういう彼女でしたから、百歩譲って、受験することにした時以降でも、アルバイト優先です。けれども、国立大学は、それだけで合格できるはずがありません。日本語の力だけでは、全くだめなのです。論文書きの練習、それに日本史の知識や読解力(ある程度の知識も必要になってきます。一級試験のように答えやすい設問が出されるわけではありません)が要求されます。

 私も授業がありますから、いつもいつも彼女に都合のいい日に、個人レッスンが出来るというわけではありません。それで「土日に出て来て勉強しろ」と言ったのですが、「アルバイトがある」と言います。

 いよいよ試験が迫って来た一月には、そんなことは言っていられませんから、「もう時間がない。今度の土日は、アルバイトを休んで出てこい」と、かなり厳しく言ったのですが、相変わらず、「休めない。アルバイトがある」です。自分の休みの日じゃないと、一緒に勉強できないのだと言います。

 それ(一月)までは、(彼女には)お金の問題もあるし、大変だろうからと、私の方で知恵を絞って、短い時間でどうにかなるようにと考えながら教えていたのですが、そんなこんなで、どうあっても合格するための勉強をさせていくには時間が足りません。それで、私の方でも、プッツンいって、「もう教えない。これは、私のことじゃない、あなたの問題だ。自分で頑張る気がないのなら、やめてしまえ」とやってしまったのです。

 すると、そのころには、同じクラスの中国人が皆、大学を受験したということも関係していたのでしょうし、その(彼女が目指していた)大学が名門校で、日本人ならだれでも知っているということもわかっていたのでしょう、他の教員に、私にわびを入れてくれと言いに来たようでした。

 それで、不十分ではあっても、どうにか、ある程度の勉強ができて、その大学に合格できたのですが、それからしばらく経って、他の学生から「(彼女は)初めは大学に行っていたようだが、国に帰って、もう数ヶ月、戻ってきていない」ということを聞きました。

 頑張れば、奨学金ももらえたでしょうに。彼女には、これまでの世界(中国)での価値観(倫理観)でしか動けなかったのです。

 家庭が仕送りできるほど裕福ではないとか、借金をかなりして来日しているとか、日本で学んでいる外国人学生達の背には、さまざまな荷が負われていることが多いのですが。
その荷をすべて返して、日本で大学に入ることができても、そして身体だけは日本にいてかつての世界から離れていても、心が母国(母国の習慣とか価値観など)から離れることができなければ、やはり、元に戻ってしまうのです。

 日本で働くにせよ、母国で働くにせよ、日本で大学を出ていれば、今(日本語学校を卒業してからとか、専門学校を卒業してからとか)、帰るよりも、ずっと彼らの両親のためにも、兄弟のためにもなるであろうに、それが想像できないのです。苦しいのは今だけ。関を一つ越え、二つ越え、三つ越えと、いくつも越えて、せっかく有名大学に入れても、彼女の生まれた環境の制約(これは心の持ち方一つだと思うのですが)から逃れることは出来なかった、逃れると言うよりも、自分からそこにまた戻っていってしまった。

 来日後、もう少し生活にゆとりがあったら、いろいろな物を見たり、聞いたりして考える時間があったでしょうに。学校に来ることも、彼女にとっては、おそらく義務であり、学んでいるという積極的な気持ち(好奇心を満たす)ではなかったでしょう。もう少し、勉強の方に心を向ける余裕があったら、彼女もこの学校にいる間に、中国で培われた価値観から離れることが出来たかもしれません。けれども、大学に行った後、大学では普通「自主・自立」ですから、個別に面倒見てくれるわけではありませんし、それほど堅固ではなかった(まだ、少しぐらつき始めた程度だったのでしょう)己が、元の世界に戻っていくのに、それほどの時間は必要なかったのでしょう。

 少なくとも、そういう環境にある学生が、日本で勉学に励むには、ある程度の、「わがままであること」が、必要になります。ふるさとでの価値観では「いつも親に、たくさん仕送りしてくる子」の方が、「仕送りを少なくして、勉強している子」よりも、いい「いい子」であるのでしょうから。「見えるもの」でしか、人は判断できません。「勉強なんて、つまらないことをして、金を送ってこない子」は、ふるさとでは「いい子」に見てもらえないでしょうから。

 それも、私たちには、判らないことはないのです。彼らの所では「金がすべて」で、金さえあれば何でもできるし、反対に金がなければ何もできない。それどころか、それが原因で、人としての尊厳が奪われることも、日本の比ではないのでしょうから。嵐の中に、裸で突っ立っているような、そんな気持ちにもなるのでしょう。才能があっても、見出してくれる人はいない。見出せるほどの能力や資力のあるうな人は、どこの国にもいるでしょうが、農村に生まれてしまえば、そういう人に出会い、助けてもらえるというチャンスも、皆無に近いのでしょう。

 ただ、国を出るということは、違う価値観を知る機会に恵まれたということです。もちろん、新しい価値観だから、すべて正しいと、決まっているわけではありません。が、初めっから、「働く」気持ちで来ていると、何も変われないのです。「見れども見えず、聞けども聞こえず」です。心に響いてくるものを一つ一つ拾えとは言っていませんが(そういうことができるだけの時間も余裕もないのです)、1つでも響いたものを大切にできるだけの感性は、「聞こう、見よう」という心がけがない限り育ちません。日本にいながら、自分の国で働いているのと同じになってしまうのです。

 人は、生まれてからの環境を、檻と悟れずに満足できるもののようです。まあ、これも、私たちの、ひとりよがりの感傷にすぎないのかもしれませんが。

日々是好日
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「新学期」。

2012-01-11 14:09:22 | 日本語の授業

 朝は曇りでしたが、昼には、陽射しが戻り、暖かささえ感じられるようになりました。朝の予報では、昼過ぎに「一時、雨」とあったのですが、どうやら今日も、昨日と同じような、いい天気になりそうです。

 最近、よく、地上にまき散らされた小さな木の実を目にします。いったいだれの仕業なのでしょう。緑の妖精、「メジロ」も,見かけませんし、「ホオジロ」も「ハクセキレイ」も、見ていません。どこにでもいるのは、「ハト」か「ヒヨドリ」か「カラス」くらいなものです。もちろん、ここはお狩り場の近くですから、川辺や海辺には、海鳥や水鳥がたくさんいるのですけれども。

 私は、どうも、ヒヨドリが怪しいと思っているのですが。うちのベランダにも、なぜか一カ所だけいつも紫の木の実が落ちているところがあるのです。これはあまり美しい眺めではありませんから、どうにかしたいと思っているのですが。それに、気づいた時に、犯人はだれなのだと、空を見上げても、だれもいないのです。

 さて、学校です。
 昨日は新学期でした。今年、最初に、学校で授業がありました。みんな来ているかなと思いながら教室に向かいますと、やはり欠けた席がいくつかありあます。

 けれども、学校に来た学生たちは、思っていたよりも日本語が消えていませんでした。実は、「Dクラス(10月生)」の学生達にはあまり期待していなかったのです。来日後二ヶ月ほどで休みに入ってしまうので、かつての学生たちの中に、休み明けには、話が通じなくなっているという学生も、ままいたからです。

 ところが、アルバイトの方に力を入れた分、日本語の方はお留守になっているであろうなと思っていた学生が、休み前に比べて日本語が話せるようになっていたのです。しかも、昨日は「可能形」の一回目でした。練習の勘が鈍っていたり、活用形を忘れていたりすると面倒だなと思っていたのに、それほどのことはありませんでしたから、うれしい「オヨヨ」でした。

 ただし、ベトナム人学生は5人、モンゴル人学生は1人、欠席でしたから、可能形をキチンと入れることができるかどうかは、今日次第ということになりそうですが。

 ところで、この地には外国人が多く住んでおり、その関係で、日本語を教えてほしいという方がよくお見えになります。そして、自分たちが必要とするレベルまで上達した段階で来なくなるというのが普通のパターンなのですが、時々、そのまま素直に学ぶことができない人も出てくるのです。

 ここで学びたいのだと申し込みに来た段階で、「もし、(みんなと同じように)できなかったら、どうする?ひらがなが書けなかったらどうする?」と、まるで影を捉えるようなことを言ったりするのです。

 「学校で書き方は教えるし、読み方も教える。それが覚えられるかどうかは、本人の努力次第だ」と言っても、どうもそれが通じていないように思われるのです。いえ、日本語ではわかっています(と思います)。けれども、一番大切な部分が、思考回路の途中で切れているような感じがするのです。そして最後の「できなかったら」へと飛んでしまうのです。まだ勉強も始めていないのに。

 「学んだ。何回も自分で書いて練習した。覚えた」のうちの、個人作業(何回も自分で書いて練習した)の部分が、こういう人たちの頭の中では、どうも理解できないような気がするのです。

 何事かを始めようと思った時には「もしも」は要らないのです。こちらとしても「とにかく、来て勉強しなさい。書けと言われたら書きなさい。宿題をせよと言われたら、その通りにして来なさい」としか言えないではありませんか。なにせ、まだなにも始めていないのですから。

 「何事も、一日一日の積み重ね。一字でも多く書いた者の勝ち」。人は何事かを始めようという場合、愚直に戻る必要があるのかもしれません。

日々是好日

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「新学期の始まりをまえにして」。

2012-01-10 11:23:20 | 日本語の授業
 今年、初めてのブログです。
皆様、お変わりありませんか。

 快晴。
関東地方は、日本海側や東北、北海道の方々に申し訳ないほど、連日「お日様マーク」が続いています。ただ、こうなりますと、どうも生来の心配症が頭をもたげてきます。

 「なんか来そうな」というよりも、「来るぞ、来るぞ、なんか来るぞ」といった感じなのです。が、これも昨年、未曾有の大震災、それに続く原発事故などを経験した故のものなのでしょうか。

 さて、学校です。
「Cクラス」、「Dクラス」の授業は、今まで通りの、教科書などを利用したやりかたで進みます。が、「A・Bクラス」では、「日本社会を理解する」といいますと、大仰に聞こえるかもしれませんが、趣旨は、つまりそれ以外の何物でもなく、それを心に置いて、残りの授業を進めていくということになります。

 「留学生試験」や「日本語能力試験」が控えていた昨年の12月までは、どうしても「試験で点を取れるよう」なやり方を中心にせざるを得ませんでした。もう少し内容を深めたいと思っても進度の関係上、それもなかなかままならず、どうも不完全燃焼のままに過ぎていったような気がします。おそらく、これは、どの教員も同じでしょう。二年あるいは一年半で、大学や専門学校、大学院に入れなければならないのですから。

 けれども、これからは、もう少し、普通の日本人聞いていたような、見ていたような、ことを、授業で学んでいくことになります。

 つまり、教材を「普通のもの」に変えていくのです。「外国人用のものじゃないよ」ということなのです。

 もちろん、彼らは日本で生活しています。周りは日本人だらけ(と言っては変かもしれませんが)のはずですし、アルバイトでもそのはずです。

 ところが、学校とアルバイトだけの生活をしている学生たち(まじめな学生です)の中には、そうではないという学生も少なくないのです。日本語学校というのは、日本人用の学校ではありませんから、日本人は教員だけです。しかも、アルバイトも(コンビニやおでん屋さんで働いている学生はまだいいのですが)、工場で働いている学生は、アルバイト先でも外国人ばかり、下手をすると同国人ばかりということになってしまいます。

 こうなりますと、日本人とは接点がありませんから(あっても、仕事中はそういう話はできません)、今、何が流行っているのかとか、何が問題になっているのかとかいったことに、全く触れる機会がなくなってしまうのです。

 学校でも、日本の文化や習慣に慣れるよりも先に、他国から来た学生たちとの間の異文化が問題になりますし、アルバイト先でも、彼らよりも下手な日本語を話している外国人と共に働くということになりますから、なかなか日本を知るということには繋がらないのです。

 「N1」や「N2」レベル(日本語能力試験)に達している学生や、身内が日本人と結婚しており、日本のことを聞く機会の多い人ならまだ救いはあるのですが、そうでなければ、悪くすると、大学や専門学校へ行っても、何も日本人と話ができない(共通の話題を探し出せない)というようなことにもなりかねません。

 それゆえに、卒業を控えた学生には、特に最後の数ヶ月は、「話の種」を身に付けさせるべく、各教員が、知恵を絞って、それなりのものを考えて、やっていかねばならないのです。

 とはいえ、これも学生たちの能力、あるいは資質、興味などを見てから決めることで、いくらすばらしいものを見せたとしても、彼らにそれを受け入れるだけの下地がなかったり、準備が整っていなかったりすれば、見せたとしても詮無きことです。

 どうしてもこれだけは(教えておかなければ)というものは、毎年同じもの(あるいは同程度のもの)を取り上げてはいるのですが、それ以外は、時々の学生たちが今のレベルで受け入れられるであろうと思われるものを予定しています。

 さて、さて、今年はどんなものが出てきますやら。楽しみです。
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