日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

きれいなものは、誰でも好きです。

2016-11-30 09:32:35 | 日本語学校
晴れ。

11月最後の今日、12月中旬並みの寒さになるそうです。お日様が出ていても、気温はそれほど上がらないとか。夜には雨になりそうだとか聞いてしまうと、師走が足早に近づいているのが実感でき、思わずブルブルブル…。

今日は午後の授業が終了後、学校でもクリスマスの飾り付けをするそうで、それを聞くと今年もそういう時期に至ったかと年の暮れの忙しなさを思います。街では、既に、色とりどりの光に包まれ始めていますけれども。学校では、「日本語能力試験」が終わってからやっと、「年の暮れ」を落ち着いて、思うようになる…のが、例年の慣わし…。ちょっと世間の流れとは、ずれているかもしれません。

しかしながら、「クリスマスのイルミネーション」と聞くと、すぐに数年前の学生のことが思い出されます。

こういうイルミネーションなどは、普通、学生達が帰った後とか、学生達が授業中、こっそりと(授業の迷惑にならないような形でということです)されるものなのですが、あるとき、遅刻した学生が、この作業を「見つけ」ました。

遅刻しているというのに、じっと見ていて、動こうとはしません。そして遠慮がちに「手伝ってもいいですか」と訊くのです。

ちょっと手が足りなそうなところい手を伸ばし、うれしそうにニコニコして「こういうのは好きです。したいです」。…でもね、もう授業は始まっています…。

イスラム教の学生でしたが、おそらく、こういうのは別に宗教とかとは関係ないのでしょう。見ていて「きれいだったから」とか、あるいは「何かで見たことがあって、やってみたかったから…」とか、そういう、あどけなさが残るような類いの心持ちから生まれてくるものなのでしょう。

宗教も時には、芸術など美に関するものを利用したりするけれども、逆はないのです。

もし、人知の及ばないものに対する畏怖や憧れなどから、宗教というものが人の心に芽生えたのであるとするならば、美だってそのようなものなのですから。もちろん、「美」に対して、崇拝の念を持つというのは極端であるとしても、「きれいだな」と思い、その作業に自分も加わりたいと思うのは、ごくごく普通のこと。特に純な心の持ち主にとっては。

例年、飾ってくださっていた女性の先生が、今、旅行に行かれているので、今年もまた男性教師が二人で飾りに取り組みます。

なぜか、この学校では女性教師の方が強面で、男性教師の方が優しいと思われているようですから、学生達が帰ってからでないと、少し面倒なことになるかもしれません。

「こっちにつけた方がいい」とか、「あっちまで延ばした方がいい」とか、アルバイトがない学生達が、お節介をし始めると大変ですもの。だって、みんな、こんなこと、大好きなんですから。

日々是好日

コメント

第二回「模擬テスト」。コツコツ頑張ってきた人はそれなりの成果が見えますよ。

2016-11-29 08:40:01 | 日本語学校
晴れ。

今日は晴れているのに、北風が少々強いからか、ぐっと寒さが感じられます。

学校でも、気づかぬうちに、「モクセイ(木犀)」の花が散り、「キク(菊)」の花も、今は散りかけ、そして「サザンカ(山茶花)」の花が満開の時を迎えようとしています。

昨日、「日本語能力試験」に向け、「初級クラス(7,10月生)」を除く、4クラスで、第2回目の模擬試験を実施しました。

学生には、あまり自覚がないようですが、コツコツと地道に努力してきた人たちは、それなりにレベルが上がってきているのが窺えて、私たちもなんだかホンワカしています。

ただ、これが点数にすぐ結びついたり、結果を出せたりするかといいますと、そうはならない…ということで、励みには、ならないのです。そこが悶々とさせられるところなのですが。

ただし、以前はかなり時間を掛け、あちらから攻め、こちらから攻めしても、なかなか判ってもらえなかったことが、(今では)何の障害もなく、スルリと肚に落ちていくようなのがうれしい。思わず、「日本語のレベルが上がったねえ」などと褒めたくなってしまいます。ところが、言われた方は、意味がよく判らぬようで、キョトンとしています。

その都度、「ああ、そうなのだ。今を一生懸命に生きているから、自分が見えないのだ」と変に納得してしまい、こちらはこちらでまた、キュンとさせられてしまいます。

一方、簡単に聞き取れたり、労せずして話せたり(母語が日本語と文法の構成などがよく似ているのです)する人たちは、往々にして、それで良しとしてしまいますから、レベルもそこで止まってしまいます。

アルバイト先で早くから重宝されて、日本語が上手だとチヤホヤされても、そこで用いられる単語も文も、そして仕事も限られたものですから、それ以上にはならないのです。「それで終わり」の日本語でしかないのです、勉強しようと思わない限りは。

多分、彼らは彼らでそれでいいのでしょう、学ぶことに関して、「欲」は、別にないのです。来日だけが目的だったのでしょうから。テキトーに、日本で、金を稼ぎ、それで面白く生活できればそれでいいのです。が、今、留学しているのですよね。勉強するために来ているのですよね。そういう人たちには、少なくとも、学校へ来い。勉強しろと言いたくなってしまいます。

もちろん、いつも、くどく言っているのです。言っている自分が嫌になるくらい。

しかしながら、来日目的が違うと、こちらのこういう言葉も、全然意味をなさぬのです。だって、来られちゃったもの。文句があるなら、来させなけりゃいいでしょ。なんでしょうねえ。来るときには面接でしおらしくしていても、来てしまえば、もうこっちのものという顔になっています。

「勉強したいのだけれども、勉学のためにはお金が要る。アルバイトせねばならない。だから勉強もままならぬ」と嘆いている人たちとは、見えている姿は似ていても、全く似て非なるものなのです。

来日前、その国へ行き、その国の教師達の力を借りて、確認しているのですけれどもねえ。日本人同士でも相手を見るのは難しい。しかも、そのとき(私たちが会った時)は、皆、日本へ行きたいと思い、行くためには、「N5」に合格せねばなりませんから、努力をしている真っ最中ときています。皆、「勉強しています」の顔になっているのですもの。

で、来た途端、「日本にはいろいろなものがある。アルバイトをすれば、親が稼いでいる金の数倍の現金が得られる。あれも欲しい。これもしたい」となってしまうのでしょう。

で、何のためにアルバイトをしているのか判らなくなってしまう…本末転倒となってしまうのも、「初心」がきっちりとなかったからなのでしょう。

みんなが行くから…。大学に合格できなかったから…。

本当に「初心」が大切です。つまり来日の「目的」がはっきりしているかどうかということ。

今度行くときには、それをきっちり聞きただそうと思います。

これまでは、見るつもりでいろいろ聞いて、彼らがそれほど答えられなくても、「この国と日本とではできることが違うからなあ」とか思ってしまい、そこのところが少々甘くなっていました。…反省。

日々是好日
コメント

「サクラ」、「雨」、「地震」。

2016-11-22 09:34:05 | 日本語学校

小雨。今は止んでいるようです。少し明るくなりました。

先週でしたか、歩いて学校に来た日のことです。角のマンションの「サクラ(桜)」の木の下で、サクラの落ち葉を集めている初老のご婦人を見かけました。

きれいなので集めているかと思いきや、「片づけ」とのこと。

「桜の落ち葉は、いい堆肥になるんだけれどもねえ、集めても誰も使ってくれないんだけれどもねえ、習慣で集めてしまうのよ」
「ドングリのなる木の葉はだめよ。固いから」

そして、やおら「ドッコラショ」と立ち上がり、「今日はこれくらいにしておきましょ。きりがないもの」

こういう「サクラ」の葉が、肥料になるのなら、日本全土にはたくさんあるのだもの、どうにかならないものでしょうかしらん。こういう「落ち葉拾い」は、皆人が「秋を楽しみ」ながらできるもの。この時期だけでも、「サクラ」の木の下で、恒例の「落ち葉拾い」をするというふうにはできないものでしょうかしらんねえ。

恒例の「大掃除」と言われるよりも、人が集まりそうな気がするのですが。

さて、「サクラ」はともあれ、「雨」です。

最近、また雨が、よく降るようになりました。一日中というのは少ないのですが、数時間パラパラという感じ。今日もそうでした。もっとも、これを書いているうちに日が射してきましたけれども。

さて、「サクラ」と「雨」はともかく、今朝も「地震」がありました。警報が鳴って少し経つと「グラリ、グラリ」が続きました。

朝、洗剤が切れたので入れ替えていたのです。すると、突然、アナウンサーの声が、急を告げるものとなり、これはいつものとは違うぞとテレビの画面をみると、福島沖で発生し、その揺れがもうすぐ来るとのこと。身構えていると、グラリ。少し長かったのですが、こちらに、津波はきたのかしらん。

ただ出勤前に「引き波」が起きているところもあると言っていましたから、津波は来たのでしょうね。

テレビではずっと「逃げろ、津波を見に海岸へ行くな」をくり返し、叫んでいました。けれども、ここでは皆、いつも通りに出勤、登校するために、足早に道を急いで行きます。我がこととなるのは、やはりすぐ近くで発生してからなのでしょう。

慣れが一番怖い、確かにそう。「これは大きいぞ」と思い、情報を知るためにテレビを付けるほどでなければ、なかなか動けないのです。

もちろん、留学生達を預かっていますから、彼らにはよく話していますし、そういうセンターへ連れて行ったこともあるのですが、実際に体験しないことにはなかなかわからないものなのでしょう。

地震はこんなものだというのは、頭では判っても、「だから…」が、映像を見せてもスルリとは入って行きません。

これも無理からぬこと。「地震の巣」に長く暮らしてきた日本人だって、自分がそういう災害に直面しない限り、気がつかぬ事が多いのですもの。

今日のは、ここでも「震度4」と少し大きかったのですが、自分でも「慣れ」によるものか、「麻痺」しているのかはよく判らないのですけれども、いつも通りの生活をしています。いくら「巨大ナマズ(鯰)」の上で生存していることが判っていても、だめですねえ。

あの惨事を皆見ていたのに、命の尊さは皆知っているはずなのに、どこかしら、まだまだという気持ちがあるのです。

かえって、素直に驚きを見せる学生達に、驚かされ、初心にかえらねばと思わされています。

日々是好日

コメント

「漢字」を覚えようと努力するかどうかで、差は出てきます。

2016-11-17 08:32:14 | 日本語学校
晴れ。

「ウルトラスーパームーン」こそ見逃したものの、その前日、そして翌日と大きな大きなお月様を見ました。もうこれで満足です。その日でなくとも、「やはり大きい!と感じられ、宇宙に触れられたような気がしましたもの。

そして、今朝は残んの月。薄い白い月が西の空に浮かんでいます。

さて、学校です。

もう半年も過ぎたというのに、漢字が書けない学生がいます。パーツを覚えていないのです。今年はこのクラスでは一人、女性です。写しているというのに、あり得ない線を堂々と書いて提出してきます。線が太く字も大きく、堂々としているだけに、間違いが悲しくなってしまいます。

ベトナムの学生は書けないと言ってもそれほどの事はないのです。せいぜい、(教師)「汚い」(学生)「はい、汚いです」で、仕舞いにできる程度なのです。が、覚えられない学生委はそれでは済みません。初めのころ、授業終了後、何度か残してパーツを教えてみたおですが、全く効果なし。

もう「N3」漢字に入っていますから、今更…となってしまいます、こちらも。本人が自覚し、覚えようと努力しない限り、いくら手を貸しても、どうにもならないのでしょう、おそらくは。

漢字が0に近いと、このクラスに残れないよと言ってあるのですが、あまり気に掛けているようすはありません。

ちょっと大変ですね。

もう一人のスリランカ人女性もちょっと大変。変に「私はきちんとやっている」意識が高いので、注意してもちぐはぐな反応しか返ってきません。

最初、中級の教科書に入ったばかりのころは、漢字はだめだけれども、読解力はあるなと思っていたのですが、それも授業中、読まれた内容を聞いて、耳で覚え、答えを言っていたに過ぎず、一人で問題をやらせてみると気の毒なほどできないことがわかり、がっかり。一人で文章を読めなければ、試験に合格できません。これも漢字の意味が読み取れないからなのです。

クラスの、他の国から来た学生達がパーツをだいたい覚え、書くのも速くなっているのに比べると、もう悲しいほど。差は歴然としています。皆が写し終えても、この二人だけはまだ半分ほどを必死で写しています。しかも、写して提出したというのに、一人のノートには、とんでもない漢字が並んでいます。

幾度注意しても、「書けないけれども、読める」と言い張ってきかないのです。判らないのでしょう。残せば、なにか特別待遇を受けているかのごとく受け取ってしまうようで、これはまずいなともうやめているのですが、時々、いらいらっとしてしまいます。授業中に注意するだけに留めてはいるのですが、それももう無駄骨かなという感じになっています。

先日のテスト、さすがに「N3」などのテストになりますと、読めないから解けないことがわかり、少しは懲りたのかなと見ていたのですが、次の日も相変わらず。もうこれは、打つ手なしです。

「聞き、話す」が、ベトナム人や中国人よりもできるので、自分の(日本語力の)方が上だと、単純に思い込み、しかも、それが、相手の変化に応じて変わるということがないのでしょう。

他の学生が自分よりも漢字をよく知っているとか、読めるとか、漢字を見て意味を類推できているとか(それなのに、自分はできない)、そういうことの方には頭が回らない。

多分、上を見ようとしない気質かな。常に自分より下を見ている…そんな人が、かなりこの国から来ているような気がします。…これは、この学校だけのことでしょうか。

スリランカからの学生(ネパールやインドもそのようですが)には、そういう傾向があるようですね。これが「落とし穴」なんですがね。たいていの学生は気づかない。まるで鳥無き里の蝙蝠といったところです。

こういう学校に来る留学生の(言語方面における)能力はだいたい同じ。特別優れているという人はいないと言ってもいいでしょう。もちろん、時々「出現」するのですが、ただ非常に少ない。それに、大半がアルバイトせねばならぬ苦学生というのも同じなのです。

だから、あとは、どれだけ、頑張れるか、勉強に興味が持てるか、だけだと思うのです。

日々是好日
コメント

「職人気質」を尊ぶというのは、ちょっと理解できないことかもしれません。

2016-11-15 10:34:19 | 日本語学校
曇り。

早朝は厚い雨雲に覆われていましたが、だんだん雲が薄くなり、切れ間もでき、時折、お日様がお顔を覗かせて…人間界の住人としては、「やれ、ありがたや」という気分になってきます。

宗教に関して言えば、私は哲学など必要ない…もちろん、神学はあってもそれに逆らうであろう哲学などいらんと言われてしまえばそれまでなのでしょうが。

自然界の森羅万象を見て、感動し、畏れ、また泣くでも悩み苦しむでもいい…。それしかヒトにはできないでしょう。それに、そこには本来、何者のであれ、意図などない…という気がするのです。言葉では、いろいろ言ってはいても。

ただ自然に絶句するだけの人もいれば、かたしろのように、それに神という名を付ける人もいる。

巨岩や絶壁、渦潮などを見ては威に打たれ、畏れ、色とりどりの黄葉に包まれた山を見ては驚嘆し、サクラの儚さを見てはしみじみと涙を落とし、などでいいのではないでしょうかしらん。日本人はただそうやって生きてきたような気がするのです。昔の人はもちろん、病気が流行れば神に祈り、日照りの時には雨乞いをしたりしたでしょうが。

だいたい、どんな神様であれ、人を脅すことが仕事ではないと思うのです。

まあ、そうは言いましても、こどものとき、「川にゴミを投げ込むと、(川の神様に)○□△されるよ」とか、「虫を苛めると、○△□にされるよ」とか言われて育っていますので、「どうやら神様も悪戯をされると頭にきて仕返しをするのだな」ということは感じていますけれど。

とはいえ、考えてみれば、大人げないこと。神様から見れば、ちっぽけな存在に過ぎない人間がした、ちょっとした悪戯を根に持って、仕返しするなんて。

いろいろな国から来た人たちが持ってくる、いろいろな宗教を見聞きするたびに、否応なく、「宗教」を感じさせられることがあるのです。まあ、そこら辺はあいまいというか、厳密さのない日本ですから、どんな神様であってもいいのですが。

さて、学校です。

先日、驚いたのですが、「注射の経験がない」という人が少なからずいたのです。まず、「針を刺す」ということにパニックをきたし、男子学生まで「怖い」。で、怖くないよと付き添いが2~3人。終わってしまえば、「思ったほどのことはなかった…」けれども、その席に座るまでが一騒動。

検査のための採血で、それほどの血を採るわけではなかったのですが、そういう人に捕ってみれば、初体験ですから、私たちが思っているほど簡単なことではなかったようです。

まあ、それはさておき。今年の4月生のことです。

なかには、遅刻欠席はほとんどしないけれども、アルバイト時間が多いものだから、学校では眠くて、勉強がテキトーになっているような学生もいる。注意すると、「来年の一月まで」と言う。はは~ん、テト(正月)に帰るつもりだな…。それからは、「アルバイトも一つにして一生懸命勉強するから」と言うのですが、それまでにおそらく一回クラス編成をせねばならない、そのときに現「中級クラス」に残れているかどうかは判らない…。そう言っても、たぶん、ピンと来ないのでしょうね、キョトンとしている。

去年の学生達は皆、午前(のクラス)ですし、彼は専門学校でいいと言っているので、大学進学クラス、専門学校進学クラスの別があまり判らないのでしょう。これは大きいのです。

専門学校クラスにも、勉強しに来たというのがはっきり判る学生もいます。たとえば、10月に来た人たち。半年違うと日本語学校にいる間にはなかなか追いつけないのです。なにせ、南国の人たちで、「毎日学校に定刻に来て勉強するので、終わり」なのですから。「中級からはそれでは不十分なのですが、初級の時と同じように、座っている。もっとも、言われたことはします。けれどもねえ。

「漢字」などは、日本人だって中国人だって、子供のときから懸命に書いて覚えたのです。そうしなければ覚えられないものなのです。ところが、そう言ってもよく判らない。「中国人だからできるのは当たり前」で終わってしまい、その(努力の)過程が見えない。見えないから、「私は中国人じゃないから」で、言い抜けができると思っている。

これも想像力の欠如と言えばそれまでなのでしょうが、字というものは、懸命に何度も何度も書いて覚えねばならないものだとは考えられないのです。彼らの国の文字はそういうものではありませんから。

「ひらがな」を書いて覚えて、それで仕舞いになればいいものを、なんと「カタカナ」まで出てきたぜ。やっと一応書けるようになった。ほっとした。ところが、それが済むと来日後2週間で今度は漢字まで覚えさせられる。書け、書けと言われる。「ひらがな」さえ判ればそれでいいではないか、だってこれだって日本の文字だもの。

で、覚えられない人は、一年で20くらいでも書ければいい方。習ったときは三字か四字どうにか覚えられても、すぐに忘れてしまう。だいたい書くという習慣がない人が多いので、宿題をサボると、途端にひらがなまで、書けなくなってしまう。ひらがなに似て非なるものとなってしまう。「さ」など逆立ちして見えますし。

書くという習慣を重んじる国がいいのか悪いのか判りませんが、私たちの社会が、「漢字」を使い続ける限り、日本語を学ぶ上では必要なことでしょう。

頭も悪くない、機転も利く、少々「ズル」がついてもおかしくないほどには賢い。そういう人ほど、書くという単純作業(本当はそうでもないと思うのですがね)が馬鹿らしくなってしまうようです。

商業を生業としている民族はそうなのかもしれません。「職人」作業をもって「誇り」となし、またそれを重んじる民族とは相容れないものがあるのかもしれません。

日々是好日
コメント

アルバイト探しがだんだん楽になってきました。もちろん、日本語力によりますけれども。

2016-11-14 09:30:57 | 日本語学校
曇り。時々薄日が射しています。

それでも、今夜、雨になるそうですから、傘は手放せません。先だって、雨が降ったときには、雨が暖気を連れてき、止むと途端に春のような暖かさが続き、思わず首をひねって、「こいつぁ、違うぜ」。

だいたいこの時期は「一雨毎に寒くある」のが定番ですもの。それが暖かくなるのですからねえ。もう学生に偉そうに、「雨の後は寒くなるから注意しなさい」なんて言えなくなってしまいます。

ここ数週間はやけに忙しく、落ち着いて街の草木を見る遑もなかったのですが、はっと気づくともう「秋」。木枯らし1号は、もう、とっくに吹いたのですけれども。

久しぶりで見たような「サクラ(桜)」の樹。魔法をかけられたように、見事な姿に変わっていました。「サクラ」は春も美しいけれども、秋も美しい。隣に立つ、冬の「ススキ(薄)」のようにボウボウになってしまった「ヤナギ(柳)」の木が哀れに見えてきます。

秋と言うよりも暦の上では既に冬なのでしょう。とはいえ、「イチョウ(公孫樹)」の葉が黄に染まるまでにはまだ少し間があるようで、木々の姿を見る限り、まだ冬は始まっていないことになります。

だいたい、南北に細長い列島を金太郎飴のように、ばっさりと「今は冬」と切ってすてること自体、無理があります。10月に雪の降っていた北海道でも「秋」といい、30度近い日のあった東京や九州でも、その日を「秋」というのは、わけがわからんとしか言えないのです。

それに、温暖化が進めば、これこれしかじかの草木が芽を吹いて、何々という鳥たちがやってくる時を、「春」という。と、こんな定義自体が覆されてしまいます。「季語」が死んでしまうかもしれません。江戸時代の春の季語から、現代の春の季語をみれば、矛盾が生じてしまう…ということになれば、ここは体感温度、体感季節で行くしかありませんね。

閑話休題

街には所々に「夏の名残」というか、「残んの夏」というか、そんなものもチラホラ見られます。

廃れた「アサガオ(朝顔)」の花が垣根越しに見えたり、「キョウチクトウ(夾竹桃)」の赤が、深い緑の合間から顔を覗かせていたり、思わず「喰われ残りの鴨がなく」などと感じてしまって、申し訳ない…(季語が違いますけれども)。

木々も草花もそれなりに頑張っているのに、そんな悪口を言うとは…。

さて、学校です。

最近は、ここ行徳付近でもレストランなどのアルバイト募集が増えています。本当に人手不足なのですねえ。

数年前には、確認の電話をすると(確認なしに学生に電話などをさせますと、相手の対応如何によっては、学生が泣き出すほどの嫌な対応をされることがあるのです)、「外国人はちょっと」と言われるのはまだましで、もっと失礼極まりない口調で断られたりすることもありました。ところが、今では、そういう店からも、働きたい人はいないかと連絡があったりするのです。

それに、時々、「学校に説明に行きたいのだが」とか、勝手にファックスが送られてきたり、本当に変わりましたねえ。

学生の方には「近場を探せ」で、日本語が全くと言っていいほどできない学生は、同国人がいる工場にいくしかないでしょうが、言葉がある程度できるようになれば、自転車でいけるか、あるいは乗り継ぎなしでいけるところを探すように言ってあります。こちらも強気になっています。

それに、彼らが留学生であることを理解してくれているところでなければ困りますし、便利がって学校の活動に支障をきたすようなことをさせられても困ります。

彼らは研修生でもありませんし、就労ビザで来ている人たちでもありません。進学を目指して勉強するといってきている人たちなのです。

そこで働いて、そしてきちんと大学なり普通の専門学校なりに進む。そう考えてくれているところがいいアルバイト先なのです。

チェーン店でも、面接だけでなく日本語のテストなどがあるところもあります。進学を目指し、いいアルバイト先を探そうという学生は大変です。二度落ちた人もいますし、まだ合格できない人もいます。でも、そこがいいと、学生は頑張って二度であろうが三度であろうが、試験を受けますから(つまり勉強しますから)、私たちにとっても大歓迎です。

店のほうだって、日本語が上手な人のほうがいいに決まってますから、待遇に差が出れば、学生たちのほうでも励みになるでしょう。

アルバイトが決まれば、店の料理の名前を覚えなければなりませんし、料理の特徴も覚えなければなりません。それなりに大変なはずなのですが、学生たちは、「自分が働くときには日本人は一人か二人、あと四人はみんなベトナム人」とか、「日本人は一人、あとみんなスリランカ人」とか言うのです。まあ、日本語もある程度話せて(聞けて)、彼らが楽しければそれでいいかとも思うのですが。

そういえば、10月に上野動物園に行ったときも、外国人ばっかりだったのに驚いたものでした。グローバル化は少しずつ目でも感じられるようになり、それがだんだん当たり前になりつつあるのですね。

ただ、おかげさまで、日本語さえ、ある程度できていれば、そして真面目に学校にきて勉強さえしていれば、以前ならなかなか採用にならなかったレストランやコンビニでも、ごく普通に採用してもらえるようになりました。

そして日本語が上手になったら、頑張って大学に行ってほしいものですね。四年間ありますし、見えてくるものも違いますから。

日々是好日
コメント