日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

『土曜日』のクラス

2008-06-30 07:44:55 | 日本語の授業
 昨日、日曜日に『日本語の会話』を勉強したいという元学生(?)が、他の三人を連れてやってきました。「自分はここでこうやって学び、一級に合格したけれど、自分がいくら説明しても彼らには勉強するということが解らないので、先生(私)に説明してほしい」と言うのです。

 前に一度、彼がもう一度、今度は会話を学びたいと言ったのを、断っていたのです。一人だけでは開けないと言って。彼が会話を勉強したいというのもわかるのです。去年は1級試験のためだけに使いましから、勉強の時間を。彼は勉強にかけては貪欲ですので(それに、目的をしっかり持っているのです)、教える方も大変なのです(本当です)。他の人に教える二倍か三倍を週に一回の授業で入れねばなりません。吸収して、また次の土曜日に来ますから、また新しい準備をしておかなければなりません。

 「日本人と話していれば、簡単に日本語が上手になるだろう」とか、「日本に来てずっとテレビを見ている、わかるからもう自分は上手だ」と、思いこむことのできるレベルの人だったら本当に楽です。こういう人が相手だったら、「日本人」なら「だれでも」先生になれます。座って、「上手、上手」と言っていればいいのです。なんといっても相手がそれを望んでいるのですから。レベルがある程度ある教師など必要ありません。ですから、当然、お金を払って学ぶという状況に身を置くことはないでしょう。

 初め、この「元学生」さんも、そういう人達と一緒でした。そういう人達は「日本人と雑談したい」ですから、「学びたい」というのとは根本的に違います。両者に「ほどよく」、などというのは私にはできません。必然的にこちらにぶつかってくる方に目がいきます。

 その結果、ついて来られない人達は(私から決して捨てることはありません。言葉は悪いのですが、どんなにレベルが低くとも、必死についてくる人には必ず「フォロー」をします)教室に来なくなります。

 本来ならば、二つクラスがあったらよかったのでしょうね。のんびりと週一回で、普通のクラスの速度でやる(毎日勉強しているクラスのことです。ここには、中国人だけではありませんし、大卒者だけでもありません)クラス(学費を安くして、それなりにです)と、目的意識を持ってとにかく短期間にその目的を達成させるだけの気力を持っている人のクラス(これは授業が終わってからも、ノートの検査や宿題の採点など、教師も休めませんので、多少学費も高くなります)と。

 けれども、それだけの人数がいませんでしたから、結局、「今年、一級試験に合格する」という目的を持っていた人だけが残りました。

 ということで話は元に戻りますが、彼ら三人と話していて、この人達には「知識を得るためにはお金を払わなければならない」という基本的な概念がないことが解りました。多分始めてもすぐに雑談の方へ引き込もうとするだろうし、あるいは、「これだけはやってきてください(次回まで一週間であります。一時間か二時間くらいはどんなに忙しくても自由な時間はあるでしょう。もし日本でそれほどの時間がないくらい忙しくできるようだったら、すでに日本語など学ぶ必要はありません)というこちらの要求も、馬耳東風でしょう。

 本当は、しばらく土曜日は授業をしたくないと思っていたのですが、彼の熱心さに負けてしまいました。「他の人が来ないようだったら、プライベートレッスンにする?それだったらいいけど。ただし、一時間だけ」ということにしてしまいました。

 今週から忙しくなります。普通クラスで一週間のカリキュラムの内容を、週一回に盛り込まなければなりません。しかも、一時間(本当は一時間では終わりません、それでいつも長めになってしまうのです。けれど、そうやって一級試験を合格したんですから、彼にも解っているでしょう、私のやり方は)で。そのためには、教室でしかできないことと、一人でもできることをはっきりと分けておかなくてはなりません。それに、その確認が必要なことと必要ないことも分けておかなくてはなりません。

 けれど、一生懸命勉強してくれる人と一緒にいるということは教師冥利に尽きることです。
    日々是好日 
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「天山来客」さんと「笑口常開」さんについて

2008-06-29 09:30:14 | 日本語の授業
 今日は北京からお便りを送ってくださる「天山来客」さんと、「笑口常開」さんのことを少々ご紹介しましょう。

 お二人と知り合ってから随分経ちます。まず、先に知り合った「天山来客」さんから。

 「天山来客」さんとは、中国で仕事をしていたときに知り合いました。同僚なのですが、形の上では私が日本語を指導したということになっています。いつも「先生」「先生」と呼んでくださるので、こちらの方でもそんな気になってしまうのですが、あくまで「元同僚」です。

 まあ、私の気分的な感じでは「◯◯(汚い言葉です)」がつくほどまじめな方で、初めのうちは、中国にもこういう「職人肌」の人がいたのかと驚いたものでした。ただちょっと、怒りっぽいのと、相手に対する思いやりが勘違いに基づいているような所もあって、人間関係を作るのが難しい人だろうなと思ったこともありました。けれども、立場の弱いもの、不幸なものには「考えられないほど親切でやさしい」のです。尤もこれは「カギ括弧」付きです。立場が弱くても、不幸でも図太い人には、すぐにそれなりの反応をしてしまうようですから。

 勉強人間で、負けず嫌い。会議の時でも、必死に単語帳とにらめっこ。上の人にへつらったり、調子を合わせたりすることも不得手。日本にはこういう人が大勢いますよね。しかも、日本社会では、「あの人は。職人だから」と尊敬し、その存在を認めてしまうような所があります。が、中国はそういうふうではない。だから、私は彼のような人が中国で生きぬいていくのは難しいだろうと思っていました。「職人さん」を尊ぶ日本の方がむいていると思えたのです。今もその考えは変わりませんが、けれど、日本での彼の職場は「井戸端会議」が盛んで、「モラルが崩れかけているように思える」所でした。

 そんなこんなで疲れ果て、中国へ戻ったのです。どうせ苦労するなら母国でと思い極めたのでしょう。日本語は中国でも有数の大学、大学院で学んでおりますし、中国でも、日本でも法律事務所に勤めていました。弁護士です。日本語と中国語の法律の両方に非常に詳しく、この学校でも中国の法律で解らないことがあると、面の皮を厚くして教えてもらっています。その日本語たるや、法律でしか用いないような古めかしい言葉なのですから、これは一体どういう意味に取ったらいいのだと、日本人の私が問うほどなのです。

 今は会社を立ち上げたいと手続きをしているところですので、もし、ごらんになっている日本の会社の方の中で、興味がおありになる方があったら、ご一報ください。彼の所に連絡します。

 さあ、次は「笑口常開」さんです。この方とは、中国の会社を引き上げてから、出会いました。ある日突然、事務所に来たのです。風のようにと言った方がいいでしょう。日本語を勉強したいと。連絡はしたはずだというのですが、私の方には届いていませんでした。とにかく来たときから、非常に中国人らしいのですが、その一方「らしくもない」という変わった印象を受けました。

これは、「天山来客」さんと「笑口常開」さんのお二人に共通していることなのですが、知性における「柔軟さ」を感じるのです。

 中国では子供の頃から、ある思想・主義に則った教育を受けます。それは、その人の中で、いつの間にか血肉となり、ある部分では骨となり、いったんその中で成人してしまうと、もう変えることなどできません。他者を全く寄せ付けないのです。中国の人と話していて、どうしても越えられないような、大きな壁にぶつかったと感じるのはそういうときです。個人の問題としてではなく。
 
 お二人には、「他者の話を聞く。他者を認める」ことをしてもらいました。政治的には対立している人のことでも、食わず嫌いでなく、知ってから、やなり嫌いだと言えばいいではないかと言うとすぐにそうしてくれました。大声を出して、騒ぎ立てて、相手の話を封じるという、私たちから見れば、粗野なところを感じないのです。
  
 私は、今から二十年くらい前、当時70歳くらいの学者先生にお会いして、いろいろお話を伺っていたことがあります。そのとき、不思議なことに、まるで日本人と話しているような感覚に陥りました。自然なのです。国とか民族とかの違いをまるで感じませんでした。けれども考えてみれば、その方達は自分たちで共産主義を選んだのです。無理強いされたのでもなく、それしかない世界で育ったのでもなく、自分たちが選択できた時代の方々のお一人だったです。きっと、明治の開国青年達は、そういう時代の中国の憂国青年達と出会い、交流を深めていたのでしょうね。考え方も心の持ち様もすんなりと流れていくのです。異国の人なのに、ぎくしゃくするところがないのです。

 「笑口常開」さんは、共産党の方ではなかったと思いますが、私のみますところ、普通の共産党の方よりも、共産党員的だと思います。これは悪い意味でではなく、いい意味でです。国を憂い、愛国心に溢れているのです。中国でも共産党の幹部の汚職問題や芳しからぬ噂が話題に上ることがありますが、そのたびに「共産党は本来そうではない」と眼で必死に主張していました。何となれば、私に言ってもしようがなかったからです。

 私には共産党のことは、わかりませんし、共産主義というのも解りません。それが絶対であるとも思えません。中国にいるときは、当然のことながら、新聞にも会議にもそういう(「共産党だからすばらしい」「共産党員だから悪いことはしない」みたいな)話は出てきます。上の人であればあるほど、しょっちゅう口に出していなければ、胡乱な者に思われてしまうでしょうから、本人が「一」程度にしか思っていないようなことでも、「百」ほどに言わねばならぬのでしょう。そういう胡散臭さをよく感じていました。

 けれども、当時「笑口常開」さんの国に対する思い、共産主義に対する思いというのは、とても「純なもの」であるような気がしました。「自分にとって『純なもの』であるから、『俗的な関係』になりたくない。だから、近づかない」といったふうな。勿論、あれから十年以上経ちました。私がそう感じたのは、「笑口常開」さんが日本にいるときでしたから、今は国に戻ってどういうふうになったのか、しかとしたことはわかりませんが。

 これは「天山来客」さんも同じです。これでもかこれでもかと不満ばかり言っているのですが、魯迅における「文章」と同じです。無視してもいい相手だったら、だれが情熱を以て、憤りや不満を書き立てたりするでしょう。お二人とも国やふるさと、自分の国の人々が幸せになって欲しいという気持ちはとても強いものです。

 私たち日本人も日本が好きです。この山河に愛着を持っています。死ぬときはやはり、ここで死にたいと思っている人が大半でしょう。ただ、みんなが幸せに暮らせるのなら、どんな主義でも、どんな政治体制でもかまわないと思っているところが現中国とは違うところでしょうか。また、私には、日本には共産党は根付かないという気がします。キリスト教が根付かないのと同じように。

 それも、だれもそんなに信じてもいないし、そうとも思っていないけれど、天皇制があるからと私には思えるのです。それで、「信じる」世界は足りるのです。彼らは私たちに何をしてくれるわけでもないし、私たちも彼らに何を要求しているわけでも、期待しているわけでもありません。ただ「存在し続ける」という責任を負わせているだけです。生身の人間である彼らにとっては、大変辛いことだと思いますが、彼らが存在し続けていることによって、精神的には、奇妙な「泰平」状態にあるのが、日本のような気がするのです。 

 「天山来客」さんと「笑口常開」さんのお二人は、これまで会ったことはありません。もし会ったとして、どうかなと思うときもあります。お二人の性格には、とても近いところと、全く違うところとが、本当に極端な形で存在しており、私には想像ができないのです。

 けれど、私にとってはとても大切なお二人です。これからもどうぞよろしく。 
                     日々是好日
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「元気がもどった中学生」

2008-06-28 08:07:15 | 日本語の授業
 ドスンドスンドスン、バッタンバッタン、階段を上る大きな重い音。中にいる者にはだれが来たかすぐ解ります。間髪を入れず「こんにちは!」昨日とうって変わり、明るい声が響きます。復活の響きです。「今日も元気ねえ」言わずもがなのこの言葉がつい口から出てしまいます。

そうですね。子供は忙しい。つまらないことに、かまけている時間はありません。けれど心なしか授業をするものの声が優しくなっています。数学を教える者の声もまた然り。
 
 日本でも、ずうっと前、私たちの頃に、転校生というのが問題になったことがあります。日本が高度経済成長をひた走っていたその頃、父親が転勤につぐ転勤で、家族がそれについていく場合、小中学校はともかく、高校編入が大きな問題となりました。

 成績のよい生徒はどこに転校しようが、一目置かれ、あまり問題は生じなかったようですが、そうではなかった場合、父親の転勤先に、ふさわしい高校が見つからないという状況が生まれてしまうのです。

 これは国内にとどまらず、国外の転勤も含まれます。特に高校二年から三年にかけて、父親が転勤しなければならなくなった場合、子供だけ下宿生活を始めたり、父親だけが赴任先に行ったりすることも少なくなかったと聞きます。今ではそれが当たり前だし、だれもそれでどうこう言うこともないようですが。

 これが、「行き先の言葉が話せない」ということになると、子供にとって問題はいやが上にも大きくなります。まず、違う環境に行くというだけで、ストレスがたまるでしょう。その上、クラスメートや教師との意思の疎通が図れない、これは本当に大変なことです。人間はどうあがいても、やはり社会的動物なのです。社会と切り離されると精神に変調をきたしてしまうものなのです。

 けれど、人は辛かったことは早く忘れてしまえるようにもできています。人は無力な存在です。自分の力でどうにもできないことは山ほどあります。忘れるしかありません。忘れて、明日を生きていくほかありません。そういう本能をもっているからこそ、人はある程度、精神のバランスを保ち、様々のことに耐えることができるのでしょう。

 ただ、この子のように、身近にその存在を感じ、成長を見てしまうと、距離は置くべきだということは分かっていても(何となれば、人は結局は一人で生きていくしかありませんから)、ここで生きる術を少しでも早く身につけて欲しいと思います。そのためには、何はともあれ、友人を作り、楽しみを見つけることです。そして、そのための第一歩が、日本語という、彼女にとっての異国の言葉を覚えることなのです。、

 ともかく彼女が元気を取り戻してくれてよかったよかった。

 授業が終わると、いつものように、大きな鞄をバサッと持ち上げ、身体の左右にユッサユッサ揺らしながら、「さようなら」とうれしそうに一言。そして、元気よく大股で帰って行きました。

 「この子に幸あれ」と祈らずにはいられません。
  日々是好日
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つきが回ってきた

2008-06-27 19:18:03 | 学生から
 昨日は久しぶりの清涼日でした。本来なら残っていた仕事をゆっくり丹精をかけて片付けたかったのですが、裁判所に出かけなければなりませんでした。例の労働紛争に決着をつけるためでした。

 今からちょうど2年ほど前、北京のある法律事務所を辞めるときに散々難癖を付けられ、労働関係を切ろうとしても切れなくなったため、やむを得ず労働仲裁を提起しました。法定の60日の審理期間が明けた後、案の定こちらの完勝を認める裁決が出ました。

 だが、流石に法律事務所というもので、このような激しい市場競争の中におかれているだけ、ただでさえ血眼になって獲物を追い求めているのに、逆に目にもとまらぬ雑魚に噛み付かれてしまっては、なかなかこれを許すわけには行きますまい。仲裁判断の定める執行期間が疾うに来ましたが、それでも履行しない。法定の提訴期間も過ぎてしまいましたが、やはり何の反応も見せない。

 しぶといなと歯を食いしばって裁判所に強制執行を申し立てました。受理した裁判官は、一通り申立書に目を通した後、事務的に受理証憑を発行してくれ、「よし、待っていればいい」と机越しに一言をよこすと、又今までやってきた習字の練習に取り掛かった。すっきりした気分で帰宅した私ですが、3日後思いもかけずに裁判所から「強制執行棄却の裁定が出たので取りに来なさい」という電話通知をもらいました。理由は、負けた法律事務所が既に提訴したというのです。

 「ちきしょう!それならば、なぜ法定期間内に被告の俺に通知しないのか。」

 裁判所に罰則がないからといって、こんな不法行為を勝手気ままにしていいというわけではないだろう。あんまりに憤慨した私が、もう裁判所に出かけるのが嫌になった。それ以後、当該裁判所からの電話に一切出ないことにしました。文書による送達はやつらの法定義務だからです。

 裁判所による一審は、北京市東城区基礎人民法院で行うことになっていた。

 まあ、いいでしょう。どうせ無責任なやつらですから、法定の手続だけ踏んでいけばいいと思いました。

 あれから約2週間後、電話による連絡に失敗した裁判官は、書留で訴状及び法的根拠のない「談話」手続に出頭しろという呼出状を送ってきました。本当は、それをも無視したかったのですが、周りの関心者から行ってみたほうがいいという助言を受けて少々躊躇った。

 結局、仕事が忙しいため、法律がある程度分かっている気性の優しい弟を代理人に立てて答弁書を持って行かせました。委託書にはわざと和解する権利を留保したから、これで大丈夫だろうと考えていました。

だが、それはとんでもない大失敗でした。

 夜、仕事が終わった後、電話で弟に裁判所の様子を聞いてみた。
 
 「和解した...」

 その話を聞いたとたん、私は気が動転し、怒りを抑え切れなかった。

 「貴様!…」

 和解とは、例の法律事務所との労働関係の維持を認めたということです。あれ以来、弟に対して私は二度といい気で受け入れたことはなく、ずっとにらみ続けてきました。

 勝つべき訴訟は、こうした中途半端の形で挫折してしまったのです。裁判官は、授権もないのに和解を促した上、更に正式な調停書をもくれませんでした。弟のやつは実に頭が悪い。けど、それより、裁判所のやつらは一体何をしたがっているのだろう。やくざかそれともボン引きか。結局、発効した調停書が見れないため、執行申立もできなければ、再審申立手続も処理できなかったのです。散々知人に頼んで、案件に関する裁判所内の保存ファイルを閲覧・コピーしてもらったものの、ないないという不埒の結果ばかりでした。これまでにずっと支えてきてくれた友人たちの顔にも、あきれた色が現れた…

 あれから1年4ヶ月ほど過ぎた今年4月1日、中国では新しい改定民事訴訟法が施行されました。

 お陰様で、民事再審手続について詳しく訴因を定め、具体的な審査期間を設けるなど制度化しました。

 エープリルフールの悪夢から目を覚めるやいなや、私は例の労働訴訟の再審申立手続の処理に動き出した。つきもまわってきたというか、今度自ら例の裁判所に行ったら、もらうべきもののもらえなかったあの和解に関する調停書を含め、案件に関する裁判所内の保存ファイルを全て見れたうえ、コピーも取れました。再審申立書を提出したら、すぐ受理されました。

 それから待てと暮らせど更に3ヶ月近く経った一昨日の午後、ようやく例のボン引き裁判所の上級裁判所にあたる北京第二中級人民法院から再審受理意思確認の通知電話が来ました。

 しめた!今度こそ慎重に処理しましょう。馬鹿であっても、それに公正なる裁判を出してもらうように努力するほかありません。長引いてきたあのくだらない紛争に終止符を打つために…

 天山来客 
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「中学生」

2008-06-27 07:45:03 | 日本語の授業
 この学校では、就学生、そして在日の方が日本語を学んでいます。

 その中に、中学校に行く年齢の人が二人います。四月の新学期が始まるまでは、小学校へ行かねばならぬくらいの子供が一人、来ていました。小学校の低学年の児童であれば、普通はクラスの中に混じっているだけで、すぐに会話には不自由しなくなります。

 けれども高学年になりますと、そうもいきません。「てにおは」をある程度学んでおかねば、勉強は勿論、友だちもつくれません。それに国ごとに、算数などのレベルも違うし、教科の内容も違ってきます。この小学生の場合は、新学期までに九九やら、小学一年生の本やらを読めるまでにはなりました。後は子供達と遊びながら、本人の力で生きていくということになります。幸せなことに、彼を受け入れてくれる小学校も見つかりましたし、そのクラスには外国から来たクラスメートもいるようで、楽しくやっているようです。

 ただ、中学生くらいになると、他にもいろいろな問題が生じてきます。その中に日本語の「発音」の問題があります。勿論、国や民族によって様々ですから、「あ」「い」「う」「え」「お」はもとより、発音に問題が生じやすい「サ行」と「タ行」、「ナ行」と「ラ行」の区別も、すぐにしてのける人もいれば、ほとんどの音がとれず、何を言っているのか相手に伝えることのできない人もいます。

 義務教育を受けるべきお子さん達が、「相手に解る程度に日本語の発音ができ、意思の疎通が少しはできる程度に日本語の単語や文法を理解しておく」。それが、本来ならばこの学校の役目の一つなのでしょう、「日本語を教える」というのが、こういう学校の目的なのですから。

 けれども、彼らは、中学校に通いながら、日本語を学んでいるのです。学校で学ぶとき日本語が必要不可欠の学科もあれば、数学など数式を見れば、だいたいのことが分かるものもあります。数学など、ちょっとしたヒントを与えれば、「知っている、国でも習った」と言う具合に、簡単に勘を取り戻せる部分もあるのです。これは日本人の子供達を一緒に授業を受けてもらいたいですね。それほど、教師に迷惑はかけないと思います。却って、数学が苦手な日本人の子供の方が大変なのかもしれません。と言うわけで、この学校では、現在、日本語を教える者と簡単な計算を指導する者とに分かれて、学校帰りの中学生を教えています。

 彼らが日本に呼ばれたのを後悔しないように、そして日本の学校でうまく生きていけるように、その地ならしをするのが、一応日本語を教えると言うことで彼らを預かっている、我々の当面の仕事だと思っているのですが。

 実は、昨日、中学校が終わってから、通っている女の子の様子が変だったのです。「総合」の授業で保育園に行っている(一昨日と昨日)と言うことだったのですが、何かあったのでしょうか。

 これまでは、学校のことを聞くと、「楽しい」という言葉が返ってきましたし、「友だちもいる」ということでしたので、生活面ではそれほど心配していませんでした。どちらかといえば、さっぱりした男の子のような、明るい子でしたので、我々の方も、全く遠慮せず、いつもからかってばかりいました。

 その子が、元気がないのです。一昨日は「保育園の子供がおもしろかった」「日本語は(指で少しを示して)ちょっと、ちょっと」と言って、かなりハイの状態だったのに、昨日はうって変わって、どう水を向けても黙っているのです。

 我々が彼女のことを知るのは、たとえ一週間のうちの五日であろうとも、一日に長くて二時間、短ければ、一時間ぐらいにすぎません。(女の子ですし、電車に乗って帰るので、どんなに遅くても、6時半には学校を出そうと話し合っているのです)

 心のうちをうかがい知ることは、まだまだできません。

 大人ならば、(就学生はどんなに若くても、18歳以下と言うことはありませんから)それなりに自分が完成できていますから、こちらにも対処の仕様があります。けれど、まだ発達の過程にある児童生徒には、少々迷ってしまいます。力づけた方がいいのか、それとも見守った方がいいのか。それに何より、慰めようにも、問いかけようにも、言葉がありません。

 昨日は、少々悩んでしまいました。今日はいつものように、元気に「こんにちは」とやってきてほしいものです。
             日々是好日
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女子大へ

2008-06-26 13:17:18 | 日本語の授業
 。

 この24日、女子学生達が、川村学園女子大学へお邪魔し、昨日そのときの様子を聞きました。引率した教師の話では学校にいる時を考えれば、信じられないほど明るく生き生きと話していたそうで、ほっとしました。テレビドラマやアニメーションのことを話していたそうです。女子大の学生さん達がとても親切で、根気強く聞いてくれ、日本語学校の学生達も怖じることなく話せたそうです
 学生達が登校してから、彼らにも聞きました。「楽しかった」と言う言葉が、みんなの口から弾けるように飛び出してきました。どんなテレビドラマの話をしたのかと聞くと「花より男子」と言う言葉が返ってきました。(おかしいな。私が聞いたときには、「ニュースを見ています」としか言っていなかったのに)遅れてきた学生に「上手に話せたんだって?」と言うと、「みんなやさしかったから」。座っていた学生達は、言外の意を汲み取って、大笑い。

 女子大の学生さん達、ありがとうございました。皆さんの話をすると、学生達の顔が輝きます。きっと皆さん方と話していた時間は、緊張した生活を送っている学生達にとって得難い思い出になったでしょう。

 今度は、この学校の学生が、模擬授業の対象者となります。この学校で習い始めたばかりの学生も行きます。どうぞ、お手柔らかに。

 日本語学校の学生の中には、なかなかヒアリングが上達せず、焦っている者もいます。このヒアリングというものが曲者で、日常会話なら、二三ヶ月もすれば、適当に話せたりするものですが、あいにくなことにここは学校で、新しい知識をどんどん入れなければなりません。そういうわけで、日常会話はすでに上達しているのに、実力の発揮できる場所がないのです、学校では。

 アルバイト先や友だちの間では、あまり不自由していなくても、学校という場はそういうわけにはいきませんから、勢い、不遇をかこつということになってしまいます。

 それで、課外活動が生きてくるのです。例えば、前回の「鎌倉散策」や、8月の「富士山一日旅行」。こういう活動は、見聞を広めるということも目的なのですが、旅の中で、できるだけ多くの日本人の方と知り合い、その方達と話をしてもらいたいのです。学校とアルバイト先の往復しかできない学生達にとって、これはとても必要なことだと思います。
 
 旅先で出会った日本人の方達と話をすることを通して、日本語の上達を確認したり、いつもは褒めてくれない教師に、その現場を見せつけ、自信を回復することができるのです。

 こういう旅行から帰ってくると、学生達は、口々に「先生達はまだまだというけれど、旅で出会った日本人はみんな『日本語が上手ね』と言った」と言うのです。

 勿論、会話能力が上がっているのは、我々にもわかっているのですが、学校では知識も入れねばならず、おまけにその知識を生かした主張もできるようにさせねばならず、「日常会話ができれば、それでいい」と簡単に言うわけにはいかないのです。

 日常会話は学校に行かずとも、その地にある程度の期間、暮らしていればできるようになります。「ひらがな」や「カタカナ」も 、見よう見まねで写せば、それらしく見えましょう。

 けれども、「人はなぜ学校へ行くのか、また行かねばならぬと思うのか」と問えば、「それだけでは満たされぬものを感じるから」ということになるのではありますまいか。

 ただ、日本語学校の学生達は、そう感じる前に、山盛りの料理が目の前に並べられ、食べることを強要され(?)ているので、これだけできても、まだまだ目の前には山のようにある。「分け入っても分け入っても山」の心境になるのでしょう。

 かわいそうだと思いはするのですが、ご褒美は、校外活動で出会った日本人の方から言ってもらえる「上手だねえ」のほめ言葉と、「大学や大学院、あるいは一級試験の合格か、望む会社への就職」と言うことになりましょう。
日々是好日
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输入中文的结果

2008-06-26 12:59:03 | 学生から
老师们好!

北京的焦在这里输入中文看看是否能正确显示,祝学校一帆风顺!
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鳥のさえずり

2008-06-26 12:38:40 | 学生から
かわいい鳥のさえずりを聞きたいんですね。
五輪大会のお陰で、北京では工事の音が聞えたり、工事の風景を見かけたり毎日を送っています。一日も早く、いや、一時間も早く、大会の開催を願っています。申し訳ないですが、別にオリンピック好きではなく、なんでもかんでもオリンピックって、嫌ですね。私は土木出身だから、常に建設ラッシの中にそびえ立ち上がった、新しい建物にやや不信感を感じています。今回の四川地震を振り返って見ると、怖くてたまりません。現地に入った建築専門家の話によると、沢山の手抜き工事があっても不思議ではなく、建物自体の構造的な問題なら解決易いかも、社会的なシステムなんかすぐに変えるものではないという。それがともかく、オリンピックの大慌ての波は、私たち日々の仕事にも及んでくるとは全く思いかけませんでした。進行中のプロジェクトへの検査も、新しいプロジェクトの申請も、オリンピックの前に殺到してきました。オリンピック後にすべき仕事は一気に前倒しています。仕方が無く頑張ろうと思ったら、暗に何のために頑張っているかと思ってしまいました。だれが私の仕事とオリンピック大会に関係付けましたか。けれど、せっかくの大会だから、やはりその成功も願っています。
笑口常開
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お願い

2008-06-25 15:02:14 | 学生から
 外国語はやはり難しい。
 普段喋っているだけではごまかしというか下手くそな説明を交えていくらでもその場を乗り越えることが出来ますが、こうして文章を書いてしまいますと、そのような「裏技」が利かなくなるので、一生懸命脳みそを振り絞って伝えようとすることを表現してみたところで、結局やはりどこかで微妙に間違えたり考えたことを伝えきれなったりしています。
 これは文章能力が足りないと言えば、正に正論だと思います。だって中国語で文章をするのにも私は同じく苦しいと思うところがありますから。
 大抵、小さいときから私は作文が嫌っていました。国を愛するとか、社会に奉仕するとかのようなテーマで自由作文をしさないという風にばかり書かされてきましたので、本当に身に体験もないこのようなことをどういう風に書いたらいいか苦しくてなりませんでした。それでも、上手に書かなければ単位が得られず進学に影響を及ぼしますので、この手あの手を使って何とか「作文」を完成させてきています。
 今思えば、その惨めさといったら、二度と体験したくありません。そのように勉強させられてきたせいか、大学に入った後でも、作文は大嫌いです。でも、中国語でごまかしの文章を書くのは、既に慣れてきたというか、何とかやり越すことができるのです。
 そのうちに、日本語が外国語として少し出来るようになった所で、今度は又日本語で作文することを要求されるようになりました。これこそ大変なことである。
 もともと文章能力が足りないから、それに加えて稚拙極まりない考え方しか内容に盛り込むことが出来ないので、お笑いばかりを買うのは想像できるほどです。
 幸い、皆が似たり寄ったりしているのか、それとも中国人の私に対して先生が特に甘かったのか知らないのですが、無事大学、更に大学院まで卒業することが出来ました。
 振り返ってみれば、自分の大学は本当に高校の延長線上のようなもので、そこで一応の日本語しか習得することが出来ませんでした(人のことはよく分からないですが、私の場合ですね)。
 人生は戦場である、ということは大学卒業時の就職活動で少し理解できました。旨い仕事に付き損ねた私が、半ば就職に諦め、半ば人生に迷い込み、大学院に入りました。
 でも、本当は大学院に入ったお陰で、学習の意味又はその面白さが少し分かってきたようもので、散々本を読みまくり、生きることの意味を求め、自分の思考力を養い始めたのです。言ってみれば、自分はそのような晩熟なものです。
 無論、その時から読んだもののの殆どは日本語の本です。日本語で読めることにより、私は改めて自分を見直し、自分が生きている国を見直し、更にこれまで自分が認識してきた世界を繰り返し繰り返し見直してきたのです。
 そのようなことは、結局どれほど自分の日本語能力の向上につながったのか、又どれだけ自分の仕事に役立ったのか考えたことはありませんが、自分としては特に不満・悔いも持っておりません。というのは、それにより自分は少なくとも人間として成長したからです。勿論、日本語を勉強してそろそろ20年にもなるのにもかかわらず、文章能力が未だに培われていないことは非常に悔しいですが・・・
 勉強が足りないのだ、それも承知しております。けど、所詮外国語なので、外国人並みの言語能力は先ず期待できないという考えは常に自己慰めとして負けに備えております。
 結局、やはり外国語ですからね。勉強しても勉強しても、勉強しつくせないものがあり、しかも、勉強したものにしたって、旨く習得できなかったり忘れたりしているため旨く使えないものも多い。加えて、年も人生半ばに近づき、ぼけといおうか強張りといおうか、外国語の更なる上達が難しくなってきているのでは、とも考えております・・・
 尊敬する先生及び友人の皆様、私の書いた稚拙なブログをご覧になった場合、不適切なところにお気づきのときは、どうか悪しからずにぜひ一言ご指摘のほどよろしくお願いいたします。
  天山来客  
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「異文化」

2008-06-25 07:54:54 | 日本語の授業
 今日もかわいい小鳥のさえずりが聞こえています。

 先日、台湾から来た学生が、「日本は、花がきれい」と言いました。そういえば、以前ベトナムから来た学生も、そんなことを言っていたような気がします。

 四季折々の花が、季節を彩る、これがいいのかもしれません。我々から見ると南国は花々に満ちあふれ、今更日本の花のどこに目移りするのだろうと思うのですが。

 ドイツ人の友だちとおかしな言い合いをしたことがあります。わたしが「ああ、もうスミレが咲いた。春になったんだね」と言うと、彼女が「おまえは間違っている。春になったから、スミレが咲いたのである。おまえの論理は間違っている」。私には二の句が継げませんでした。

 日本人は確かに感性の民族なのでしょう。時には「文章を書いているのに、そこには何の主張も感じられない。つまらん」なんて言われることもあります。「主張なんていらないのだ。読んだ人が、何かを感じ取り、そこから、或いは別の思いに駆られるかもしれないし、行動を起こすかもしれないが、それでいいのだ。強く主張し、押しつけがましい態度で人に接するのは、日本人にとってあまり好ましい態度とは言えないし、そういう人は、多分避けられる傾向にある」などというと、「訳が分からん」で終わりになることもあります。

 けれど、いろいろな人がいていいのですから、それを悪いと言うことはできないでしょう。

 日本には、いい神様もいれば、病気などの困った神様もいます。みんな受け入れてきたのです、昔は。

 始めは客人のように遇し、一歩遠ざけているものの、いつの間にか、知らぬ間にこの日本という一家のメンバーになっている。それでいいのでしょう。そうやって日本という国は成立してきたのでしょうから。
   日々是好日
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カラスのこと

2008-06-24 07:38:48 | 日本語の授業
 この学校は、東西線の行徳駅が最寄り駅なのですが、日本橋まで20分、東京駅まで30分と、非常に交通の便がいい上に、東京都から一川越えたところにありますから、物価も安いのです。

 ここに住む人の中には、近くにある野鳥の森に、惹かれる人もいれば、ディズニーランドが近い所がいいという人もいます。埋め立て地なので、坂も少なく、自転車で行き来が楽にできます。ただ自転車道に乗り上げている車が目立つところが困りものですが、そこはみんなスーイスーイと避けて走っています。

 こう聞くと、「ふんふん。なかなかいいところのようだな」とお思いでしょう。確かにいいところなのですが、実は4月5月とカラスに悩まされていました。

 朝学校に着くと、一番先に耳にするのは「カアー」でなければ、「ギャア」というカラスの声。若い先生の話によると、何でも近くにボス鴉がいるとのことで、公園の一番高い木のところで睨みを効かせている(?)らしいのです。

 そういえば、一度近くの小学校の桜の木の枝に、鴉と猫がにらみ合っているのを見かけたことがありました。「オー」とそのまま自転車で通り過ぎてしまったのですが、桜の花が咲く前でしたから、一匹と一羽の表情までよく見えました。どうも猫の方が分が悪そうでした。

 ところが、5月の終わり頃から、ウグイスやらその他の小鳥たちの囀りが聞こえるようになったのです。今では「カラスさん、あなたはどこへ行ったの」の世界です。姿もほとんど見かけませんし、「ギャア」も「カア」もカラスを連想させるものは全くありません。何でも、カラスを多く見かけたのは、彼らが子育てをしていたからなのだそうです。

 どちらにしても、「日本人はカラスが好きなのですか」という学生からの問いかけがなくなっただけ楽になります。カラスに対する気持ちというのは、「いわくいいがたい」ものがあります。「カラスの勘三郎さん」という言い方もありますし、「カラスの頭の良さを物語るもの」を日本人はよく耳にも目にもしています。悪声を憎む気持ちもありますし、あの姿を美しいと思う人もいないでしょうが、だからといって、不吉な鳥だと一言で片付けることもできません。

 しかし、最近は、美しい小鳥の声を耳にし、時々はかわいらしい小鳥が飛び回っているのを目にすることもあります。

 こうなると小鳥談義に花が咲きます。よく啼き声を聞かせてくれるウグイスはとても若い雄らしく、「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ…」が、まともに聞こえたためしがありません。それでも、少しずつそれらしくはなっているのですが、まだまだですね。

 こう言いながら学生の顔を見ると、ヒヤリングが少々劣っている学生は、「何を言っているのか」或いは「何を言いたいのであろう」とまじめな顔をしているのですが、ヒヤリングがいい学生は…、もうこんなのはだめですね。こういうときは、目を合わせない方がいいと処世術を心得ているので、話はそこで打ち切りです。

 今日は暑くなるそうですが、朝晩は涼しく、今も「涼しい」を通り越して、「肌寒い」くらいの風がカーテンを揺らしています。

 今日は、女性陣が「川村学園女子大学」へお邪魔します。日本語教師のタマゴさん達とディスカッションをするためです。残された初級の学生達と上級の男子学生は私の授業を受けることになります。「女子大だから、男子学生はだめなのだ」と言うと、「差別だ」と訳の分からないことを言っていましたが、もし行くことになったらどうするんでしょうね。教室に入っても、何も話せないでしょうね。座っているだけで役に立たないでしょうね、多分。だから、「君は行っても行かなくても同じ」とは、さすがの私も言えませんでしたが。
    日々是好日
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2008-06-23 10:50:23 | 学生から
 夏至が過ぎてしまいますと、さすがに夏本番が来たような気がいたします。梅雨というものこそないですが、北京ではここ数日雷雨が毎夜のように続いています。雨が上がった後は一旦涼しくなりますが、翌日、日差しが強くなるにつれて、気温が又ぐんと盛り上がってきます。やはり夏ですからね。一雨ごとに暑さも増します。
 昼間、小鳥の囀りの中に蝉のざわめきがいつの間にか混じりこんできています。蝉というと、声が「岩に染み入る」日本の蝉の様子が又目に浮かびます。北京の蝉より体格が少しほっそりしていて白っぽく見えますが、鳴き声にかけては並大抵のものではありません。うだるような暑さの中で、こやつだけが元気に熱唱しているのはいとも悔しいです。
 昼間は蝉の声、夜はやはりヤンコ踊り。十数年もの間に、北京は、町の様子や人の生活振りがめまぐるしく変わってきたものの、変わらないのは、この夏の風物詩です。愛好者として、婆ちゃんや爺ちゃん達が殆どですが、偶には若者の姿も見かけられます。尤も、ヤンコ踊りのほかに、現代風らしい様々な踊りもあちこちで勝手に踊られています。何といっても、暑いですからね。夕食後、健康のために散歩がてらにその場の隊列に加わり、リズミカルに体を動かして一汗をかくのは確かに良いことです。
     天山来客 
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脅威を与える自然の中で

2008-06-23 07:18:18 | 日本語の授業
 昨晩は、かなりまとまった雨が降りました。梅雨時の雨は、うれしい反面、不安をも伴います。集中豪雨になれば、土砂崩れが、「必ず」のように狭い日本列島のどこかで発生し、命を奪われる人も、悲しみに暮れる人も出てきます。

 今年は、地震まで起き、土砂崩れによって堰き止められた水が増すごとに、関係者の胸も押しつぶされそうになっています。

 本来、梅雨とは、春先にそれぞれ「名乗り出でたる木の芽」を育むもの。と同時に、私たち、この小さな島に住む者に、ここは火山灰によって積み上げられた不安定な大地であり、そこを仮の宿として、生を営んでいるにすぎないということを知らしめるものでもあります。

 そう考えると、自然を天と見なし、天は畏れ敬うべきものとしてきた、かつての列島の住人達の心が今、どこへ行ったのかと不安に駆られてしまいます。

 私たち日本人には、「自然は怖い。征服できるものではない」という思いが、澱のように心の奥底に潜んでいます。先祖代々、火山の噴火や地震、津波など圧倒的な自然の力を受けてきたせいで、これは理屈ではありません。

 そういう思いをしていない国や民族の中には「自然は科学の力によって征服できる」と考えている人達もいます。否、日本人の中にも、人間の叡智が結晶したる科学の力によって、自然の脅威をなくすことができると考える人が出てきています。それは、本当でしょうか。私たちの、いわゆる「科学の力」が増すごとに、自然はそれに相当するような脅威を与えようとします。現代人も、結局は、数千年前の人々と同じように、「天」にひれ伏すしかできなくなるのではありますまいか。そんなことさえ考えてしまいます。

 けれども、私たちはその中で生きてきました。これからも、この平凡な「ヒトの生」を生きていくでしょう。それと共に、この中で生きていくしかないと思い定めることからしか見えない未来というものもあるでしょう。

 「日本人は本当に単純だ」(これは悪意ではありません)と、よく言われます。日本人は他の民族や国の人に比べて、楽観的であるとも思います。それは、あがいても「為す術のない」ものを持っていることによって、培われた第二の天性ではないのでしょうか。自然に身を委ねる、このことの大切さをもう一度考えてみる必要があるのかもしれません。
     日々是好日 
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良師との出会い

2008-06-22 12:55:06 | 学生から
 先日、11年ぶりに大学院時代を同じ共同宿舎で一緒に過ごしてきたある同級生に会いました。
 当時英米文学を専攻していた所謂美男子流エリートだった彼は卒業後、銀行、外資系企業を点々と経て、今金融コンサルティング会社を経営しています。
 ギャンブル、カラオケが好きなのは、今も変わっていないようですが、当時クラスメート及び同級生のみんなをうならせる侃々諤々とした話し振りは、今はうかがえません。わざと韜晦しているのでしょうか、それとも…
 まあ、好きなタイプではありませんので、詮索する必要はないと思いますが、その中で、周りの女性クラスメートのお世辞の下で、一度だけ、彼はふんと鼻を鳴らすと、半ば吹聴らしく自慢話をしたことがあります。
 「日本語って、実をいうと、俺は高校の時にもう少し知っていたよ。当時の俺の担任は、元は日本から帰国した華僑だった。文革の中、俺の高校に物理の先生として下放されたのさ。尤も、高校時代、俺の先生の中にはすごい人は結構居たよ。国語の先生は、朱自清(亡き中国の有名な学者)の弟子だったし…」
 そうか、国語の先生は、有名な学者の弟子だったのか、うふふ、クラスメート及び同級生の皆をうならせるほどの識見を持っていたわけがよく理解できたような気がしました。
 まあ、事実はともあれ、同級生の言ったことには、少なくとも一つだけ本当だと思われるものがあります。つまり、立派な先生との出会いが人の一生の恵みとなること。古い言葉で言い換えますと、「朱に交われば赤くなる」。そういうわけです。
 振り返ってみれば、自分のこれまでの人生は、実に平凡極まりないものです。けど、それに対して自分は大変満足もしています。時間・空間的に考える場合、人の存在は短く、世界も小さい。苦楽半々というのは、世の中の常です。それより、今の平凡を自由に送らせることができるようになったのは、正にかつて数々の立派な先生に出会ったお陰だと思います。
 
  天山来客  
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間違えました

2008-06-22 09:03:41 | 日本語の授業
 昨日、ミスをしてしまいました。「いずれ、菖蒲か杜若」のところで、「菖蒲」にしようか「アヤメ」にしようかと、迷い始め、そんなことを迷っているうちに、そう言えば「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」なんてのがあったなとか、「歩く姿はドラム缶」てのもあったぞと、連想の輪は、水面の輪のように広がり続け、そのまま「アヤメと菖蒲」と続けてうってしまいました。

 もし、母語が日本語でない方、見ていらっしゃったら、ごめんなさい。母語が日本語の方が見ていらっしゃったら、勘弁して下さい。「あ~あ、この人もやってる。呆けだな」と。

 随分以前なのですが、中国語を習っているとき、勉強かたがた、月刊誌や、隔週の文芸誌などを買って読んでいたのですが、そこで覚えた熟語や慣用句などを、「よし。実地訓練」とばかりに、中国人の友人の前で、試みたことがあります。だいたいは成功したのですが、あるとき、変な顔をしたかと思うと、「うまい、うまい」とおなかを抱えて大笑いするのです。しかも、そこには4人か5人、いましたからね、みんな笑うのです。褒めてくれるのはいいけれど、どうも反応がおかしい。不審に思って問いただしてみると、「えっ。おまえが作ったのじゃないのか」と怪訝そうに言うのです。

 私が、慣用句を作れるようなレベルにないことは、とうにご存じだろうにと、ムカッとした顔をしていると、すぐに「正しい言葉」を教えてくれたのですが、赤面ものでした。なんといっても、外国人ですからね、これはおもしろいと思ったら使いたくなるのです。

 これは、外国語に限りません。

 私は、学生の頃、戦後すぐの頃からの、月刊誌を読みふけったことがあります。私たちの時代には、すでに普通の人達の口に上らなくなっていた人達の名もそこで覚えました。その中の一人に花田清輝という人がいるのですが、この人には騙されました。まだ「『書かれているもの』を疑うという心」を持っていなかったのです。この人の文章に出てくることをみんな「本当のもの、本当のこと」だと思っていました。

 読むたびに「へ~え。こんな歌を作っていたのか」とか、「へ~え。あの人(歴史上の著名人)にこんな逸話があったのか」と驚き、一人前の知識を得たような錯覚に陥っていました。それからずっと経って、この人が「創作者」として有名であったことが分かるまで、私はあの頃読んだ本の中の、いろいろなことを信じていたのです。

 「原本」に触れたことのある人なら、そんなことはなかったでしょうけれど。すぐに「怪しい」ということが分かったでしょうけれど。実に巧みに騙すのです。いえ、騙すというのはおかしい。信じさせるのです、自分から蜘蛛の巣に飛び込むように誘い入れるのです。

 それで、外国人相手には、気をつけています。気をつけていても、よくぽろぽろとこぼれ落ちてしまうのですが。

 「これは…」と聞かれるたびに、知っていることは答え、知らないことは「待ってね。調べるから」。そして、間違えていたら「ごめんね」の世界。

 日本語という言葉を使いながら、何十年もこの日本にいるのに、そして、日本語という言葉を使って思考しているというのに、なかなか自分の胃の腑に落ちてこない言葉も思考もあります。使い切れていないものは、やはり説明ができません。

 けれど、そうやってこの国で朽ち果てていくのかもしれません。昔の人は桜の樹の下に埋められることを思い、思うと同時に「満開の桜の花の、花びらの一枚」になった自分を夢見ることができたでしょうが、私たちの頃はどうでしょうね。尤も、想像することは自由です。
            日々是好日

 
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