晴れ。
爽やかです。五月を目前にして、「五月晴れ」の一日となりそうです。
明るいと、何だか周りがくっきりと見えて、雑に置いていた物を、ちょっとだけですが、きちんと並べたり、引き出しにしまったり…しそうな気がします。
さて、学校です。
一年生は、休みが続くというのをあまり理解できていないようですが、カレンダーを指して「休みです。休みです。赤の字は休みです」などとやれば、「へえ、日本は休みが多い…」。これは、大半が宗教とかとは関係の無い休みなのですが、学校に来なくていい日と捉えて、うれしいくらいに思っているのでしょう。
けれども、少し考えてみると、(日本人は)お正月にしても、お盆にしても、宗教的なものというより、この国の文化として捉えている人の方が多いのではないでしょうか。もちろん、何々宗教という名は同じでも、国毎に微妙に違っていますから、それも文化であると言えないこともない…でしょうし。
土着宗教というのは、いわゆる、その国の文化を総まとめしたようなもの。日本でいうと、霊魂の存在を、あまり信じられないような人でも、「恐山」は知っていますし、「イタコ」に呼ばれた霊と語り合って涙する人の話を聞いて、せせら笑う人はあまりおりますまい。それどころか、反対に、人の情の深さとか、支えなくしては立っていられない人の弱さなどの方を感じてしまう人の方が多いのではないでしょうか。
それに、日本人なら誰でも、亡くなった人と会いたいと、古代、山で一夜を過ごしていたという習慣や、その時の、その人の気持ちを否定できる人はいないでしょう。
「宗教など無い国」と言われながら、文化と宗教とが分かちがたく存在しているのが日本。きちんと分けることなどできません。日本人の心はまだ「原始」のままなのかもしれません。「情」と「知」とを分けることが出来ないのです。だって、どちらも「心」なんですもの。
そのなかを、無意識のうちに泳いでいるのが日本人。だから、宗教的な立場から、黒白を付けられてしまうと、ギクッとしてしまうのです。そして逃げ場は「お天道様」。「だれにも理解されずともよい。お天道様が見ていてくださるから」。
お天道様とは、その名の通り、「お日様」のことなのですが、多分、それを口に出している人も、明確にそれが「お日様である」とは思っていないでしょう。おそらく、諸々の「神としか言いようのないような存在」のことで、風であったり、雨であったり、あるいは星であったり、木であったり、石であったり、水であったり…で、具体的な存在ではないのです。それは、今でいうところの、自然、あるいは宇宙のことなのかもしれませんしね。
だから、宗教を盾にとって主張されるのが苦手です。
だって、それは文化で、「普遍的なもの」ではない…ような気がしているのです。ある地域ではそれが正しくとも、他の地域ではそうは認められないってことだってあるでしょうし。
そのことを、日本に来ている異国の人が少し理解してくれると好いのですが。
日々是好日
爽やかです。五月を目前にして、「五月晴れ」の一日となりそうです。
明るいと、何だか周りがくっきりと見えて、雑に置いていた物を、ちょっとだけですが、きちんと並べたり、引き出しにしまったり…しそうな気がします。
さて、学校です。
一年生は、休みが続くというのをあまり理解できていないようですが、カレンダーを指して「休みです。休みです。赤の字は休みです」などとやれば、「へえ、日本は休みが多い…」。これは、大半が宗教とかとは関係の無い休みなのですが、学校に来なくていい日と捉えて、うれしいくらいに思っているのでしょう。
けれども、少し考えてみると、(日本人は)お正月にしても、お盆にしても、宗教的なものというより、この国の文化として捉えている人の方が多いのではないでしょうか。もちろん、何々宗教という名は同じでも、国毎に微妙に違っていますから、それも文化であると言えないこともない…でしょうし。
土着宗教というのは、いわゆる、その国の文化を総まとめしたようなもの。日本でいうと、霊魂の存在を、あまり信じられないような人でも、「恐山」は知っていますし、「イタコ」に呼ばれた霊と語り合って涙する人の話を聞いて、せせら笑う人はあまりおりますまい。それどころか、反対に、人の情の深さとか、支えなくしては立っていられない人の弱さなどの方を感じてしまう人の方が多いのではないでしょうか。
それに、日本人なら誰でも、亡くなった人と会いたいと、古代、山で一夜を過ごしていたという習慣や、その時の、その人の気持ちを否定できる人はいないでしょう。
「宗教など無い国」と言われながら、文化と宗教とが分かちがたく存在しているのが日本。きちんと分けることなどできません。日本人の心はまだ「原始」のままなのかもしれません。「情」と「知」とを分けることが出来ないのです。だって、どちらも「心」なんですもの。
そのなかを、無意識のうちに泳いでいるのが日本人。だから、宗教的な立場から、黒白を付けられてしまうと、ギクッとしてしまうのです。そして逃げ場は「お天道様」。「だれにも理解されずともよい。お天道様が見ていてくださるから」。
お天道様とは、その名の通り、「お日様」のことなのですが、多分、それを口に出している人も、明確にそれが「お日様である」とは思っていないでしょう。おそらく、諸々の「神としか言いようのないような存在」のことで、風であったり、雨であったり、あるいは星であったり、木であったり、石であったり、水であったり…で、具体的な存在ではないのです。それは、今でいうところの、自然、あるいは宇宙のことなのかもしれませんしね。
だから、宗教を盾にとって主張されるのが苦手です。
だって、それは文化で、「普遍的なもの」ではない…ような気がしているのです。ある地域ではそれが正しくとも、他の地域ではそうは認められないってことだってあるでしょうし。
そのことを、日本に来ている異国の人が少し理解してくれると好いのですが。
日々是好日