日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「宗教」を盾に、主張されるのは、日本人は苦手です。

2017-04-28 08:18:51 | 日本語学校
晴れ。

爽やかです。五月を目前にして、「五月晴れ」の一日となりそうです。

明るいと、何だか周りがくっきりと見えて、雑に置いていた物を、ちょっとだけですが、きちんと並べたり、引き出しにしまったり…しそうな気がします。

さて、学校です。

一年生は、休みが続くというのをあまり理解できていないようですが、カレンダーを指して「休みです。休みです。赤の字は休みです」などとやれば、「へえ、日本は休みが多い…」。これは、大半が宗教とかとは関係の無い休みなのですが、学校に来なくていい日と捉えて、うれしいくらいに思っているのでしょう。

けれども、少し考えてみると、(日本人は)お正月にしても、お盆にしても、宗教的なものというより、この国の文化として捉えている人の方が多いのではないでしょうか。もちろん、何々宗教という名は同じでも、国毎に微妙に違っていますから、それも文化であると言えないこともない…でしょうし。

土着宗教というのは、いわゆる、その国の文化を総まとめしたようなもの。日本でいうと、霊魂の存在を、あまり信じられないような人でも、「恐山」は知っていますし、「イタコ」に呼ばれた霊と語り合って涙する人の話を聞いて、せせら笑う人はあまりおりますまい。それどころか、反対に、人の情の深さとか、支えなくしては立っていられない人の弱さなどの方を感じてしまう人の方が多いのではないでしょうか。

それに、日本人なら誰でも、亡くなった人と会いたいと、古代、山で一夜を過ごしていたという習慣や、その時の、その人の気持ちを否定できる人はいないでしょう。

「宗教など無い国」と言われながら、文化と宗教とが分かちがたく存在しているのが日本。きちんと分けることなどできません。日本人の心はまだ「原始」のままなのかもしれません。「情」と「知」とを分けることが出来ないのです。だって、どちらも「心」なんですもの。

そのなかを、無意識のうちに泳いでいるのが日本人。だから、宗教的な立場から、黒白を付けられてしまうと、ギクッとしてしまうのです。そして逃げ場は「お天道様」。「だれにも理解されずともよい。お天道様が見ていてくださるから」。

お天道様とは、その名の通り、「お日様」のことなのですが、多分、それを口に出している人も、明確にそれが「お日様である」とは思っていないでしょう。おそらく、諸々の「神としか言いようのないような存在」のことで、風であったり、雨であったり、あるいは星であったり、木であったり、石であったり、水であったり…で、具体的な存在ではないのです。それは、今でいうところの、自然、あるいは宇宙のことなのかもしれませんしね。

だから、宗教を盾にとって主張されるのが苦手です。

だって、それは文化で、「普遍的なもの」ではない…ような気がしているのです。ある地域ではそれが正しくとも、他の地域ではそうは認められないってことだってあるでしょうし。

そのことを、日本に来ている異国の人が少し理解してくれると好いのですが。

日々是好日
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「初夏」なのに、雨がよく降ります。

2017-04-27 08:55:03 | 日本語学校
小雨。

予報では9時前くらいに止むとか。けれども、ここは海岸沿いで、多少ずれるのが常であるから、きっと7時ごろには止むだろう、いや、もう少しかしらんなどとチラチラと祖との様子を見ていたのですが、結局、いつも通りに出てきました。で、やはり少し濡れてしまいました。

とはいえ、「初夏」(気持ちはまだ「晩春といった感じ」なのですが)、「フジ(藤)」の花も盛りを迎えています…。

春はよく雨が降り…「菜種梅雨」と言われるほどに、初夏は爽やかな「五月晴れ」というのが、定着しているので、どうしてもそんな気になってしまうのでしょう。

「サクラ(桜)」は香らないからかしら、サクラに近づく人はあまりいません。遠くから花を愛でるといった感じ。それにひきかえ、「ウメ(梅)」や「フジ」のそばには必ずと言っていいほど人がいて、香りを楽しんでいる。

この「春の雨」のおかげで、あちこちから野草が勢いづいています。野草というのは根が張っていて、一度鉢の中に住み着いたら、めったなことでは追い出せません。結局、根負けして、諦めてしまう…というのが常なのですが。

うちのベランダにもそういった植木鉢がいくつか転がっています。けれども、野草を愛でる術を覚えてからは、今年はどんなのが飛んでくるかなと楽しみにするようになりました。そんなこんなの話を、ある人としていたら、うちに「ウラシマソウ(浦島草)」がやって来て、毎年姿を見せている…そうな。

思わず、へえ~。

「ウラシマソウ」なんて、山野の薄暗いところで、ニョッキと鎌首をもたげている「野草」ですよね。それが飛んできたのか…不思議な気がしました。けれども、春になると、毎年、ヘビに覗かれているようで、ちょっとぞっとしてしまいます。お好きな方には申し訳ないのですけれど。

さて、学校です。

去年までは、「Aクラス」と「Bクラス」というのは、学力や生活態度などに、はっきりとした差があったのですが、今年は、ほとんど差がありません。「Bクラス」の学生が、時として2,3人ウトウトしてしまうくらい。学力や生活態度には大きな違いがないのです。

授業速度が違うだけ。それも「7月」とか「10月」に来日したから遅くなっただけの話で、休みがちでこちらが寮へ迎えに行かなければ学校に来ないとか、いつも寝ているとかいったことはほとんど見られません。

アルバイトの関係で、その時間、少し船を漕いでしまうだけなのです。起こせば、頭をかきながら、頑張ります。問題になっているのは、その下のクラスに落とした、ベトナムの学生が一人いるくらいで、あとは大したことはないのです。

ひと頃に比べると、随分楽になりました。

とはいえ、大卒ではない人も、就職できることがあるそうで、ベトナムの学生の中には、勉強よりも、「就職」のほうに心が動いている人も出ています。私たちからすると、「『就職』したときに困るから、今『勉強』しておいた方がいい」なのですが、そうは行かないのですね。

「N4」レベルでも、意思の疎通はできるから、「便利」という感じて引いて行かれるのでしょうか。けれども、それでは「使い捨て」と同じ。来日前と「技術的」にも「知識的」にも同じまま、日本で働くということになってしまうのです、多少、日本語力だけは身についても。

中には、アルバイトもかなり詰めているであろうに、よく勉強する学生がいます。彼女は勉強が好きなのだろうと思いますし、その点に関して努力も厭いません。いい加減ではないのです。そんな彼女に、「大学へ行くというのは考えていないの?」と訊くと、「専門学校に行く。そして借りたお金を返し、少しお金を貯めて国に帰る」といかにもうれしそうに言うのです、「少しお金を貯めて」のところが特に。

そうか。お金を少しでも貯めて持って帰るというのが、彼女の希望であり、親の期待であるのであろう…とは思われるのですが、余計なことかもしれませんが、残念に思われます。せっかく日本に来たのだから、国では勉強できなかったことを勉強して欲しいし、またそれが出来ると思いますのに、本人がその点に関して欲がないものですから、少しも話が進まないのです。

それどころか、こんな答え方が返ってきます。「先生、大丈夫(心配しなくて)。日本語学校の2年間と専門学校の2年間で返せるから。それに、少しお金も貯まるから」。私たちが心配しているのはそんなことではないのですけれどもね。

なかなか説得できません。

日々是好日

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「花言葉」

2017-04-26 08:09:58 | 日本語学校
曇り。

今日の最高気温は20度に達しないとか。…というふうに、私は気温を気にしているのです、日本人の常として。そして、それなりに学生達に促しているのですが、気にすることを。

ところが、なかなかわかってもらえませんね。

「肌寒いな」と思われる日でも、ニコニコしながら、半袖で来る人がいるかと思うと、夏かと思われるような暑い日でも、ダウンで来る人もいる。で、聞いてみると、やはり半袖で来た人は、「えっ。寒いのですか」と言いますし、ダウンを着てきた人は「えっ、ちょうどいいです」などと不審そうに言う。

どうも、体感温度が違うとしか思えない。まあ、本人がそれで好いのならいいのですけれども。

さて、街では、例年通り、ゴールデンウィークを前にして、「フジ(藤)」の花が盛りを迎えています。この辺りは藤棚様のものしかありませんから、それで知るしかすべはないのですけれども、こんな時期、山へ行きたいですね。里の近くの木々や草花が生い茂っている山へです。そういう所では、もう遠くから、はっきりと長い藤の花房が見えます。辺りの緑に埋もれてしまいそうですが、それでも薄い紫が見えるのです。これが白藤だともっとはっきり見えます。

山に育てられた花は生命力に溢れていると感じられるのはこういう時です。土からして違いますもの。こどもの頃、庭を作る時、植木屋さんに山の土を持ってきてもらうということがありました。

山の土はホクホク、ほかほかしていて、黒かった…。ミミズや土を肥やすいろいろな小動物、そして虫たちの存在を抜きにしては語れません、この「肥えた土」というのは。

雨に祟られていない頃、里山へ行き、道から少し外れた木の下を歩いたりしますと、まるで雲の上を歩いているような感覚に陥ります。フワフワしているのです。何年も何十年もその場所に落ち葉が積もり、また積もって、そうなったのでしょう。その下では虫たちがせっせと働いています。

「働く」というと、ちょっとおかしいですね。でも、そんな気がします。

そして土を肥やしていくのでしょう。お金のかかる人工的な肥料など要らず、その地に適さないものは淘汰され、適してものが育っていく。自然の循環の、無駄のないすばらしさを感じるのはこういう時です。

さて、学校です。

昨日、「Aクラス」で「N3読解」の単語説明をしていた時、「花言葉」という言葉に、学生達、「あれ?」。ただ、恋人に、「黄色いバラ」をあげた方がいいか、「赤いバラ」をあげた方がいいかと訊きますと、「赤いバラ」という答えが返ってきましたから、それとなくそういうものは知っているらしいのですが。

中には、「本当ですか」などと無粋な質問をして来る者さえいました。思わず、「本当かどうかなんて関係ない。それらしければ好いのだ」とムキになってしまいましたが。

もちろん「花言葉」などに振り回されず、相手の好きな花を贈るのが一番好いのだろうけれども…。

とは言いながら、無粋な質問をした彼、終わってから「見たいです」と手を伸ばしてきました。興味はあるのでしょうね。

日々是好日
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「サツキ」の花が満開になっています。

2017-04-25 08:31:39 | 日本語学校
晴れ。

早朝、少し出ていた雲も、もうすっかり姿を消しています。快晴。。

街路樹の下にある植え込みの「サツキ(皐月)」が、もう満開になり、道が明るくなっています。「サツキ」の花なんて、濃いピンクや白だけではないのです。マンションの植え込みなど、四・五種類ほどの色を揃えている所もありますもの、華やかですね。

それに、白い花が咲き誇っている並び…かと思いきや、下からオレンジ色が見えたりする。信号で待っている折りなど、ついつい植え込みを覗いてしまいます。

さて、学校です。

4月11日からの開講、そして20日の入学式、新入生が勉強を始めてから、すでに2週間過ぎたわけですが、ネパールの学生達は、なかなか日本式の授業になれてくれません。いや、もちろん、最初に比べれば、かなり自分をコントロール出来るようになったとは思うのですけれど。

本当はスリランカからの学生が来る前に慣れさせておきたかったのです…(スリランカからの学生は、昨日、成田に着いたそうですから、今日は学校に来るでしょう)。

彼らの傾向として、わかったらすぐに言ってしまう。しかも答えだけ言おうとする。…「省エネ」というわけではありますまいが。復唱というのが苦手。ほかの人の様子を見るのが苦手で、自分だけのペースでやりたがる。教師の指示通りにするのも苦手。だから、力尽く…で、しなければならないことが多くなる。

まあ、注意すればおさまる(そのときだけは)程度なので、その注意を繰り返すしかないのでしょうが。

もちろん、だからというわけでもありますまいが、「声が大きい」「間違えてくれる」「明るい」「笑い声が絶えない」などと言った、長所もあります。

これがベトナムからの学生だけであると、「(わかっていても)黙っている」「声が小さい」「表情が読めない」などということもありますから、足して二で割るとちょうどいい。

今は「ひらがな」をここへ来て始めて習ったという中国からの若者がいるので、彼が緩衝地帯となっています。明るいし、わからなくても「ああ、そうか」で、屈託がないのです。

スリランカ勢が来ると、この「初級」クラスも人が揃うことになりますから、それからですね。本格的なクラス作りは。

日々是好日
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たとえ、「N3」に合格出来ても、出来なくても…。

2017-04-24 08:50:37 | 日本語学校
晴れ。

穏やかな朝です。「ハナミズキ(花水木)」の花が満開です。駅の近くに「ハナミズキ」を街路樹としている通りがあり、先日、久しぶりにそこを通って、満開になっているのを発見。

でも、考えてみれば、既に「サクラ」の季節は終わっているのです。若葉の季節の始まる頃、「ハナミズキ」が街を彩る…のは、ごく普通の風物詩。…そうでした。

「タンポポ(蒲公英)」の黄色い花の間から、濃い紫の「スミレ(菫)」が顔を覗かせています。なぜか、春、紫の濃い「スミレ」を見つけると、「やったァ」という気分になるのですが、そんな気分になる人は、案外多いのではないでしょうか。

さて、学校です。

「Aクラス」でも、「Bクラス」でも、「N3読解」の授業が始まっています。「Aクラス」の方が三ヶ月ほども早いのですが、どちらのクラスでも、学生達が半知半解…の顔つきをしています。「読解」になかなか慣れないのです。

答えが出せる人は、すぐに出せるのですが、真面目でコツコツとやるタイプの人ほど、スッキリしないという顔つきで私を見ています。

「読解」のコツというか(別にそんなものはないのですが)、文章をかなり読みこなしていれば、ある程度は困らないはずなのですが、おそらく彼らの国ではそれほどの文章を読むという機会が、あまりないのでしょう。

「Aクラス」の学生達は、自分で読ませ、答えを選ばせ、それから説明を加え、間違っていた箇所を指摘すると、「ああ、そうだ。そうだ」と言ってくれる学生が少しずつ出てきていますが、まだ始めて3回しか経っていない「Bクラス」では、そうは行きません。一人か二人は、それなりに「理解しよう」としているのですが、そのほかの学生はまだまだ煙に包まれたような顔をして聞いています。

単語の量も違いますしね、「A」と「B」では。それに、単語を覚えても、文法を知っていても、それが文章の中でのものとなると、全く別物に映るようで、それゆえに大変。本当に文章を読んだ経験がないのだなあと思ってしまいます。

そんな国から来ている学生達の中においても、例年、一人か二人は、すぐにコツを呑み込み、正しい答えを選ぶことができる人はいるのですが、今年は、それが…いないような…。

2年か1年半ほどで、日本語の「あいうえお」から始めた人に、「読解」の能力までつけるというのは、かなりきつい作業です(ある程度の素地がないと出来ることではありません)。それでも、そんな彼らに合ったやり方というか、完全には理解できていなくとも、答えを出せるようなやり方を多少は教えているのですが。

たとえば、漢語なら漢字一字一字の意味から考えてみる(一つでも想像はつく)とか、接続詞の意味から答えのあり場所を想像するとか、指示語の指すところを考えてみるとか…。いくつか考えられることは、教えてあるのですが、実戦が乏しいと、それも効力を発揮できるまでには至れません。

特に春休みの前に、「少し出来るようになった」かに見えた「Aクラス」の学生達。休みがあると、多分、限りなくゼロに近づくだろうなという予測が残念ながら当たり(春休みがあったのです)、がっかりさせられてしまいました。

まあ、そういうことの繰り返しなのでしょうけれども。

「N3」レベルまで、きちんとやれた(単語を覚え、漢字を覚え、文法を覚えした)学生というのは、「N2」まで続けられるものなのです、普通。

が、「非漢字圏」の学生で、日本での生活日本語(アルバイトで覚えた日本語、主にヒアリング力なのですが)の能力だけで、「N3」に合格してしまった学生というのは、本人は「N3」だって楽に合格できたのだから、「N2」なんてちょろいもんだと思っていても、だめなのですよね。

それで、「N3」に合格できても、「N2」までの授業に耐えられる学生とそうではない学生。前者は「N2」に向けてのクラスに入れますが、後者は無理なのです。それから、たとえ「N3」の試験に合格できていなくとも、それまで毎日学校に来、漢字を覚え、文法を覚え、単語を覚えてきた学生は、もちろん、得点を加味しはしますが、引き続き、上のクラスでも頑張れるものなのです。

ずっと「N3」試験向けの授業を受けるよりは、「N2」試験向けにクラスで語彙量を増やし、漢字や文法を覚え、そういう文章を読んでいった方がずっと力が付くのです。

アルバイトをしながらでも、毎日勉強を続けることができた学生なら、それは可能なのです。

日々是好日
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二年生がきっちりと私たちの意味するところを伝えてくれたのには驚きました。

2017-04-21 11:28:08 | 日本語学校

曇り。

昨日、午前中は爽やかないいお天気だったのですが、午後になると雲が出始め、そして今日は一面、灰色の雲に覆われています。「所により雨」、ただの「通り雨」のようですが、言われて空を見てみれば、確かに水分の多そうな、ずっしりとした重そうな雲です。

さて、昨日は「入学式」でした。

式はまあ、いつも通りに、それなりに和やかに進んで終わったのですが、「う~ん」と感心させられたのは、その後の国別(ベトナム、スリランカ、ネパール、そのほかの国)に分かれての「茶話会兼入学後の諸注意、そして、後片付け終了後の入寮に際しての諸注意と誓約書のサイン」時における二年生の姿でした。

書かれていることだけではなく、そういう規則を作らざるを得なかった理由やら経緯やらも、各教員が話したのですが、それを二年生が彼らの国の人たちにわかるような言い方で、しかも説得するように話してくれていたのです。

新入生は、まだ彼らの国のやり方しか知りません。学校では、寮として近所のアパートを借りているのですが、例えば、ベトナムの学生は、二階と一階とで大声で話したり、あるいは真夜中に部屋で大騒ぎをしたりして、よく問題になっていたのです。そうしないようにいくら言っても、彼らの国ではそれは当たり前のことで、いえ、それよりも、そうできることが誇らしいこと、あるいは見せびらかすに値するようなことであり、決して文句を言われるような筋合いはないと思っているようなのです。彼らの態度から、それはうかがえました。

もちろん、これは、今年の4月生だけのことではなく、現二年生のなかにも、まだそういう人はいます(以前は本当に多かった)。ただ、こういう人は、あまり学校に来ていないし、日本語力も毎日来てきちんと勉強している人たちに比べ、劣っているのです、平均的に。

つまり私たちが日本の習慣や生活のやり方などについて説明しているときに居合わせていないのです。単語の説明やら、内容の説明やらをしているとき、突然、学生が、「これはいけないことですか」等と聞くことがあります。授業の流れとはあまり関係がなくともその都度、説明を加えていくことにしています。なぜなら、この一つ一つが、自分たちの習慣と違うことを知識として習得できる、好いチャンスだと思われるからです。

本当に「塵も積もれば山となる」。こういう日常の一つ一つは小さなことではありますし、どこまで理解させられたかはわかりません。しかしながら、彼らを変えていくきっかけとなっていくかもしれません。こういうことを聞いた後でのアルバイトでの作業は、聞く前とはきっと違うことでしょうし、その経験がまた重なれば、「納得」していけるでしょう。

ただいつまでも変われない人は、注意されること自体が不満なのです。それどころか、反対に、「私たちだって楽しむ権利がある」と噛みつかれたことさえありました。

真夜中に近所が寝静まっているときに酒を飲んで大騒ぎをすれば、それは近所迷惑ではおさまりません。警察沙汰になることさえあるのです。それなのに、「なぜそれがいけないんだ。私の勝手だ」となる。そういうことが全く理解できないのです。きっと国では、彼らの親も親戚も、周りの人たち皆が、そうやって騒いで楽しんでいたのでしょう。そのとき、通りがかった人がいれば、そういう人に声をかけ、一緒に騒ぐことだってあるでしょう。だいたい、農村部かそんなところで、騒いでも近所迷惑なんてことはないような場所で育っているのでしょうから。

日本では、そういうことは、よほどの田舎に行かない限り、なかなかあることではありません。

ここ、行徳近辺はいわゆる都心で働く人も多く、夜はシ~ンと静まりかえっています。みんな寝ているのです、翌日の仕事や勉強に備えて。友達と飲んだり、食事をしたりするのは、会社の近くの飲み屋でしょうし、あるいは戻ってきてするにしても、まず家でやるということはないでしょう。この近辺の居酒屋などでして、自分の家で真夜中に大騒ぎをする人など、まずいません。

で、それをしないように、毎回入学式の度に注意しているのですが、それがわからない。
もちろん、これはベトナムだけのことではありませんでした。以前、寮に住まわせていたスリランカの学生にもありましたし、中国人の学生にもそういう人はいました。

ただ今は、中国人の学生は少なくなりましたし、スリランカの学生は、スリランカの日本語学校のほうで、日本での部屋のことは考えてくれることになっていますので、問題はベトナムの学生だけになりました。

で、話は戻ります。

なぜ、感心させられたかと言いますと、二年生がこちらの意を汲んで、ベトナム人にもわかるように説明し、日本はベトナムとは違うということをはっきり言ってくれたようなのです。それは新入生のうち、一番文句を言いに来ていた、あるいは不満タラタラの表情をしていた学生の顔つきがどんどん変わっていったのを見てもわかりました。

「(クラス分けのことについても)学校で決める。学校で決めたことには従ってもらう。(また他の場所に住みたいということについても)、勝手に引っ越したりするのであれば、私たちは「留学したい」というあなたたちの希望を受け入れることはなかった。寮に住むという約束をしたから、この学校で申請をしたのだ」と、かなりきつく言ったのですが、そのころにはもうベトナムや中国流の「大声で騒いだ者勝ち」という様子は消え、大人しくなっていました。

反対に、私が強く厳しく言ったとき(多分語気がきつかったのでしょうね)、隣にいたネパール人グループが皆ギョッとした顔で私を見たのです。彼らの国では、こういう大声で叱責する、されるはあまりないのでしょう。彼らの方が緊張していたと、職員室に戻ったとき、ネパール担当の教員が笑いながら話してくれました。

お国柄、あるいは昔からの伝統、躾が生きているかどうかということも関係しているのかもしれませんね。

日々是好日
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今日は、4月生の「入学式」です。

2017-04-20 15:47:28 | 日本語学校
快晴。

昨日の、あの「嵐」が嘘のように静まりかえっています。もし、目の前に湖があったなら、湖面が鏡のようになっているとでも言いたくなほどでしょう。

最近は、早朝、小鳥たちの声の賑やかなこと。寒いと喉も縮こまってしまっていたのでしょう。というわけで、ピーチク、パーチク…どころではなく、キーッと鋭い声がしたかと思うと、ポォッ、ポォッなんて間延びした声までしてくる。

桜が散ってしまうと、なにやら、空間が寂しく感じられてくるものなのですが、目を転ずれば、寂しいどころではなく、なかなか華やかになっているのです。

里山、あるいは低山にでも登れば(高山とまでいかずとも)、きっと今頃は、若葉の間から、白や黄、ピンクや赤、青などの花々が見え隠れしていることでしょう。

冬山であっても、チョロチョロと流れる小川の、その底を覗いてみれば、紅葉がきれいな色のまま敷き詰められているような姿でしたから、決して冬枯れした寂しいものではありませんでした。

春も過ぎ、初夏にでもなれば、山は緑が溢れんばかりになり、そこに在るだけで、生き返るような気がしてくる…。多分、心が、満ち足りてくるからなのでしょう。人に対して優しい気持ちになれるような気がします。

さて、学校です。

授業はもう13日から始まっているのですが、「入学式」を、今日します。まだスリランカからの学生が来ていないので、全員が揃ってとはいきませんが、これはいつものこと。日本での手続きのように、何でもスムーズに運ぶというわけにはまいりません。

新入生は、ネパール、ベトナム、バングラデシュ、中国、そして、おそらく24日に来日できそうなスリランカからの学生達、18名。このうちスリランカからの3名が間に合いませんでしたから、結局15名での入学式ということになります。

そして出迎えるのは、午前の「Aクラス」と、「Cクラス」の学生達、併せて26名。

午後の「Bクラス」は今回は参加できませんが、今度午後の部のときに、新入生を迎えてくれることになるでしょう。

だいたい「入学式」は簡単に済ませることにしており(一年に4回もしますから)、式が終われば、茶話会兼交流会ということで、軽くお菓子とジュースで顔つなぎをしてもらい、学校のこと、そしてアルバイトのことなどを話してもらいます。

最近はベトべナムからの学生が減り、ネパールからの学生が増えてきたので、きっとアルバイト先での話も変わってくるでしょう。ベトナムからの学生は、だいたい100字くらいの漢字を覚えてくるので、「ひらがな」「カタカナ」もおぼつかない人がいるネパールからの学生とはちょっと違います。

ネパールの学生が増えると、宿題のノート見が大変になってきます。気がつくと、彼らのノートは赤い部分ばかりになってしまい、これでは(彼らも)何を、どう見ていいのかわからなくなってしまうだろうなと苦笑いしてしまいます、私が赤くしてしまったのですが。

悪いところは、ノートを机の縁に水平に置かないことです。90度も傾けて書いていると、「イ」と「ト」が全く同じ形になってしまうのです。字も、上から下へと書いていくのではなく、下から上へと押し上げていくように書くのです。「ひらがな」のうちからこうでは、漢字になったときが思いやられます。

しばらくは力尽くで(相手の手の上に手を置いて、指の力加減とかをわからせていく)やっていくより他はないでしょう。口だけでは、やってみせるだけでは、わからないようなのですもの。

まだ最初のころは、何でも(わかってもわからなくても)「わかりました」としか言えないでしょうし。

日々是好日

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「ポピー」の花が咲き、「アセビ」が花をつけようとしています。

2017-04-19 14:22:17 | 日本語学校
晴れ。快晴。

いいお天気です。

つい先だって、ピッカピッカの小学校一年生や、幼稚園児たちを見たばかりでしたのに、もう、当たり前のようにカバンを背負い、学校へ向かっている彼らの姿を見かけるようになりました。

子供たちは、普通、周りの環境に慣れるのが速いと言いますが、本当にそのようです。しかしながら、大半がこうでありますと、そうできない子というのは、辛いものでしょうね。

ところで、今朝、「ポピー」の花が咲いているのに気がつきました。新しく工事が始まるらしく、人が立ち入らなくなると、隅っことかが「自由の地」となり、いろいろな草花が飛んできては芽吹いていきます。一年かそれくらいも放っておかれますと、それは、生えたい放題になってきます。もう少し放っておかれたら、「バッタ」や「カマキリ」、「テントウムシ」などがやって来て賑やかになるでしょう。でも、少しずつ重機が運ばれています。彼らの天国の地も、もうすぐ失われてしまうかもしれません。

それから、あるお宅で「アセビ(馬酔木)」が少し花をつけているのも見つけました。

「磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありと言はなくに」                                       大伯皇女

この歌を先に知ったせいか、「アセビ」には、どこかしら「挽歌」の匂いがつきまとっています。

さて、学校です。

実は、留学を希望する高卒者の場合、「N5」合格という壁があるのですが、これに合格しているからと言って、きちんと「ひらがな」「カタカナ」が書けるかというとそういうものではなく、それがなかなか悩ましいことです。

試験は「マークシート」式、正しいと思われる所を埋めていけばいいのです。で、やって来た学生に、「ひらがな」と「カタカナ」を書かせてみると、もう、これが大変。ナンジャモンジャの字で書いてケロリとしています。……これは、いくらなんでも、…読めない…。

おそらく、彼らは「ひらがな」を読めはするのでしょうが、「読める」と、正しく「書ける」というのは、全く、違う…。彼らは書いてつもりでも、だいたいノートを机の縁と平行に置くどころか、90度ほども傾けて書いている(スリランカ等の国と同じです)。

字形がナンジャモンジャであるどころか、「ます」など、二字なのに、書いてるのを見るとなぜか三字になっていたりする。「わたしは」を、「わたしわ」と書いていたりする。これは下手をすると、この学校にいる2年間、(いくら注意しても)書き続け、そのまま卒業すると言うことにもなりかねない。毎日学校に来れば、本を見る機会は必ずあるでしょうに、それが改まらない…多分、字を見ると言う習慣がないのでしょう。

「文字」を追うという習慣が出来ていないとしか、考えられないのです。「知っていること」というのは、周りの人たちとのおしゃべりで得たものにすぎず、一度腹の中へストンと落として、それから身につけたというものではないのでしょう。

もちろん、そういう知識も大切ですが、ただ、学校で勉強させてみると、そういう「聞いた知識」だけに頼って来た人は、なかなか「読解問題」が解けないのです。「読んで、考える。時には二度三度読み直しながら考える」という作業が苦手なのです。「読解問題」を解くにせよ、一度、パラパラと目を通し、どこか引っかかったところ、気になったところ、あるいは知っている言葉があったところを、「答え」として言う。

だから、「どうして」とか、「どこに書いてありましたか」という問いかけに戸惑ってしまうのでしょう。「そう思ったから」としか答えようがない世界にいるようですから。

もとより、誰にも、何度も見ていて気がつかなかったということはあります。けれども、それとは少し違うようなのです。ハッともしないのです、言われても。

もちろん、国力というのは、教育力も含まれているので、国によっては、地域によって、その教育力にばらつきが生じていることもあるでしょう。

とはいえ、日本(日本に来てから日本語学校)で、読解力を養うというのには、かなり難しい。まず、そういう人は「N3」合格もおぼつかないものなのです。ということは、文章を読むという段階まで至らないうちに、卒業となってしまう。悲しいことですが、それが現実なのです。

そういう人でもその人のレベルなりの知識を増やしてやりたいのですが、それとても「N4」レベルくらいの勉強に追われて、なかなか思うようには参りません。

日々是好日
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来日が遅れていた新入生が、また一人来ました。

2017-04-18 08:20:32 | 日本語学校
雨。風強し。

雨はもう止んでいますが、風はまだまだ強く、「暴風警戒」ですね。これでは。

それでも、向かい風を受けながら、自転車で、えっちらおっちらとやって来ました。南から低気圧の中心に巻き揉まれるように風が吹き込み、それと同時に雨雲が沸き立って、それで、雨。でも、暖かい雨です。「寒風吹きすさぶ中」ではないので、大丈夫。

雨が止めば、気温がどんどん上がり、最高気温は28度にもなるとかならないとか。もうこうなると夏です。桜が散るとすぐに夏になる…感覚的にはちょっと変…。

もちろん、今週も中盤を過ぎると平年並みになるそうですが。

で、昨日、今日の風のせいでしょう、路肩に桜の蕊が堆く摘まれていました。風が渦を描くようにしてまとめたのでしょう、自然のなせるワザ。もう蕊桜も終わりです。

ふと見上げると、新緑の緑が雨に洗われて美しい。手紙も、これからは「新緑の候」と書かなければ…。

さて、学校です。

遅れていた新入生が、また一人やって来ました。バングラデシュからの学生です。何回やっても申請が通らず、待っている間に大学院を出てしまったという人です。一体何が問題だったのでしょう。

もちろん、彼とは違いますが、スリランカの学生の場合、名前が違っていて不許可になったりすることもありました。それ自体は彼のミスなのですが、あまりそう言うことに拘らないようなのです。名前が七つも八つもあるし、しかも発音が英語とは微妙に異なっているので、他の文字を入れたり、入れなかったり…。例えば、あるときは「Y」を加えたり、またあるときには加えなかったり。おおらかなのでしょう、「そんなことはどうでもいい、私は私なんだから…」で、向こうでは通ってきたのでしょう。

日本へ来ても、そんなことがあったので、「いったい、どっちが本当?」と聞きますと、「どっちでもいい」「…どっちでもいいはだめで云々」と言って、一応、パスポートの通りに書くようにさせているのですが、こうなると、その「(書かれた)紙」を見ないと、書けないということになってしまいます(忘れるというのです、つけたか、つけなかったか)。

彼からしてみると、本当に日本は七面倒くさい…だったのでしょうね。

バングラデシュでも、もう随分前にこんなことを言った学生がいました。「あるとき村に警官が来て、戸籍を作ると言った。(そのときの)先生が、若い方がいいだろうと言って、生まれた年を数年若くした…」で、彼が言うには、「本当は数年年上なのです」。

そういえば、日本でも、私の母の頃は届け出を遅れて出したので、生まれた日が違うといこともあったそうな。だから、「あのおばさんは本当は何月何日生まれなんだよ。うちでやる誕生日のお祝いはその日にしていた」なんてこともあったそうですから。

ただ困るのは、これは、もうずっと前の中国人の学生から聞いたことですが、「私は弟よりも年下なのです」。何でも市役所の人が間違って書いたらしい。けれども、あの国では「官」が強いし、プライドが強くて、自分の誤りを認める習慣がないので、そのままになっている…。こんなのは困ります。

もちろん、今ではもう、そんなことはないでしょうけれども、どちらの国でも。

日々是好日
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今年も、桜(はな)の季節は終わってしまいました。

2017-04-17 08:35:52 | 日本語学校
曇り。

うっすらと雲がかかっています。日差しは強い。今日も夏日になるのでしょう。もっとも、朝晩はやはり4月ですね、最低気温は15度ほどにしかならないとか。

今日は、南からの風が強く吹き、雨も3時頃から降り出すとの予報が出ていました。夜のアルバイトがある学生は、特に電車を使う学生は、要注意です。「東西線」は、海の上にかかっている部分があるので、風に弱いのです。徐行だけなら、まだましですが、不通になったりしますと、もうその日のうちにうちに帰れないということにもなりかねません。そのときはそばの日本人に聞くことと言ってありますが、うまく聞けるのは二年目の学生くらい。一年目の学生は、やはり先輩と一緒のアルバイトの方が無難です。何があるかわかりませんもの。

ところで、この辺りではすっかり桜が散ってしまいました。土曜日には、風に散らされて、あちこちの道の上で、渦を巻いている花びらを見かけたのですが、もうそれも見えなくなりました。

桜の樹は蕊だけになった花をおいているだけ。この蕊も、出てきた若葉に隠れて、薄ぼんやりとして見えます。桜の樹は、ひと頃の華やかさを失い、地味なものになってしまいました。

その代わり、桜が咲いている頃には、上下で派手さを競っていた「ナノハナ(菜の花)」が、我が世の春とばかりに、燦めいて見えます。この美しさも、じきに失われてしまうのでしょうが。

そういえば、「オオアラセイトウ」の、紫の花が方々で見られるようになりました。そして、「シャガ(著莪)」が咲き、「フジ(藤)」の花も房を長くし、花をつけていくことになるのでしょう。房が少しずつ伸びてきたような気がします。気がついたときにはもう花が咲いているというのが「フジ」の特徴……私がうっかり屋だからでしょうかしらん。

さて、学校です。

13日に授業が始まり、14日には新入生に「プレイスメントテスト」を行いました。

これは彼らの国での日本語のレベルが関係してくるので、「一年間、母国で日本語を学んだ」からと言って、『みんなの日本語Ⅰ』が終わっているかというと、そういうものでもなく、また出来ていないからと言って、学習能力がないかというと、そういうものでもなく、どれだけやって来たか、あるいはそれを覚えているかということがわかるだけのものに過ぎないのです。……少々諄い言い方をしましたが、それというのも、テストが終わってからの、彼らの不安そうな顔を見たからなのです。

「漢字は100覚えました」と言っていたネパールの学生、同時に「上のクラスで速くたくさん勉強したい」とも言っていました、行徳駅に迎えに行ったときでしたが。

ところが、テストは出来ていなかったのです。先生に恵まれていなかったのでしょうね。それで一人でできるところはコツコツやった…それが漢字を覚えることだけだった…のでしょう。

「あいうえお」を埋めていくのも、ちと問題があった。「読解・文法」をやらせているとき、何度も救いを求めるようにこちらを見ていたのです。そのときは、「無視」をしたのですが、試験後、「このテストは、『出来なかったからどうだ』と言うのではなく、『今、これくらいわかっている』というのを見るためのものだから、安心しなさい」と言うと、少しわかるネパール人学生が、彼に説明をしていました。

途端に空気が緩み、ホッとしたのがわかりました。

ベトナムの学生は、だいたい『みんなの日本語』の30課くらいまではわかって(50課まで習ってきていても)来日しています。ですから、「N5」くらいのテストには余裕で合格できるのです。ところがネパールでは教員の日本語のレベルもそれほど高くないのでしょう、満足に教えてもらっていないような気がします。

もっとも、だから来日後、ずっと成績が悪いままかというと、そういうものでもなく、最初は、それこそ「あいうえお」から始めた学生でも、「追いつき追い越せ」ができる人はいるのですから、これから頑張ればいいのです。

反対に、最初、皆よりも成績がよく、高を括っているうちに、追い越され、身動きがとれなくなった人も出ているのです。

結果は、再来年の三月までに出せばいいのですから。

日々是好日
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日本では、のんびりしていると置いていかれるよ…と、脅してはみたものの…。

2017-04-14 12:49:46 | 日本語学校
晴れ。

青空が広がっています。すっかり葉桜になってしまった近所の桜。しかし、春になると日本中、どこもかしこも急に桜で埋め尽くされてしまったような気がするのが不思議。まるで桜が地から涌いてきたかのようです。

こんなに桜の樹ってあったっけ。それが、まあ、感想です。しかも、いまだに、時々、桜の新種が発見なんていう記事が新聞に載っていたりするのです。

そういえば、江戸期、園芸は大ブームだったようで、いろいろなものが作られたそうな。ところが、関東大震災で壊滅的な打撃を受け、その後、45年3月の東京大空襲で、ほとんどが燃失し、今では本の中でしか見ることが出来なくなっています。

特に「キク(菊)」や「アサガオ(朝顔)」の多種多彩な種類は、江戸の富裕層から一般庶民にまで、皆に好まれたそうで、品種改良というか、誰も作っていない形状のものを作ることに命をかけたり、一攫千金を目論んだりする人たちが随分いたそうな。中には、現代人がカンブリア紀の生物を見て、肝を潰したように、驚くような奇妙奇天烈な形状のものもあったそうで、先人たちは一体どうやってイメージを膨らませていったのでしょうね。

とはいえ、この「誰も作ったことがない」、「誰も見たことがない」という言葉ほど、人を惹きつけるものはなかったのでしょう。

社会が、平和で爛熟期を迎えると、人はそういうことを考えるのでしょうね。

ただ、自然災害が多い日本では、「当たり前であることほど大切なものはない」という共通認識が、他国よりもよほど強くあるはずと思えるのですが、それでも、そうならないところが、人の人たるゆえんなのかもしれません。

さて、学校です。

新しい「クラス」が、昨日始まりました。高校を出たばかりの人が多く、何だか中学生か高校生を教えているようというのが、授業をした教員の感想です。留学生は、だいたい『みんなの日本語Ⅰ』は終えてきているはず…ただ、ネパールではそうはいかないようですね。

日本語を教えられるような教員がいないのでしょう。日本語ができる人はもっといい儲かり口があるのでしょう。だから、恐ろしくゆっくりと、まるで牛のよだれのようにたら~り、たら~りと教えていかざるをえないのでしょう。はやくやってしまうと、その先が教えられないから…。土日以外毎日学校へ行って勉強していたといっても、半年でよくて10課ほど。

で、来日して一番初めに会ったとき、開口一番「日本では速いからね」ということにしています。もちろん、二年生に通訳してもらってですが。

今日一課、明日二課、明後日三課…と教科書を開いて強調しておきます。まあ、これは脅しみたいなものかもしれませんが。でも、これが効かない人が多いので、ちょっと困る。一応、驚いてはくれるのですが。

日々是好日
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「開花宣言」が出た…を、誤解して、花見に行ってしまった。がっかりしたようです。

2017-04-13 14:48:27 | 日本語学校
2017/04/13

晴れ。

春の天気は秋のお天気と同じで油断ができません。

昨日も、朝のうちは、きれいな雲が見えていたのに、お昼を過ぎますと、だんだんお空が怪しくなっていき、ちょうど、ネパールからの二人の新入生が、食事のために在校生の部屋へ行こうとしていたとき、パラパラと雨粒が落ちてきました。

大事には至らなかったのですが、きっと驚いたでしょうね。彼らの国は雨季と乾季、その二つですもの。降るならザァーッとではないのかしらん。今日、「Aクラス」の学生に確かめてみましょう。人は生まれた国の風土から、なかなか逃れられないものらしく、少しでも違うと慌ててしまうようなのです。…まあ、私だけがそうなのかもしれませんけれども。

昨日、寮へ行って、先に来ていた学生達が落ち着いたかどうかを確かめてきたのですが、そのときに、二年生が、「『千鳥ヶ淵』に花見に行ってきた。ボートにも乗った」というのです。「でも、サクラは咲いていなかった…。先生が、そのころ、開花すると言っていたのに…」。

聞くと、3月28日に行ってきた…。そりゃあ、「開花宣言」が出たというのと、「満開」とは違う。「この頃、『開花宣言が出るだろう』と、言われていますよ」と言ったのを、「花がたくさん咲くだろう」と捉えた。本当に、正確さに欠けた言い方でした。「『開花宣言』というのは、一つの樹に五つくらいの花がついたときに出るものなのだ」と付け加えるべきでした。

それから、彼はこんな事も言っていました。「サクラは日本じゃなくて、ネパールが原産地だと言われているけれども、ネパールのサクラはこんなに花が咲かない。きれいじゃない(彼の気持ちでは、本当にネパールと同じ花なの?)」。

日本では、幾世代にも亘って、サクラの品種改良をやってきた。それでやっと、このように種類も増え、花数も多いのができるようになったのだ。 …に類するようなことを言ったのでしたが、果たしてわかったかしらん。

そういう、「花のようなものにまで、必死になって品種改良を重ねて」ということがイメージできないかもしれません。草木のみならず、動植物全てにわたってなされていることなのですが。

それから、昨日の夕方、羽田に着いた学生を寮に連れて行く途中、近くの公園に寄ろう。あそこはサクラがまだ咲いているだろうから」と言うと、「夜にサクラを見るのですか」と驚いていました。夜、花を見て愉しむという習慣がないのかもしれません。

公園の脇を通ったとき、いくつかのグループがシートを敷いて盛り上がっていたのですが、それを不思議そうに見ていました。そんな彼らも、日本で専門学校や大学に行き、日本の会社で働くようになったら、当然のことのように、日本人と一緒に花見を愉しみ、夜桜を愉しみ、そこで酒を飲んだり、ごちそうを食べたりするようになることでしょう。

それぞれの国には、それぞれのものを、愉しむやり方がそれぞれあるのでしょう。

日々是好日
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サクラ…散る…。

2017-04-12 08:55:01 | 日本語学校
晴れ。

綿飴を引き延ばしたような雲が、春らしい淡々とした青空を流れていきます。見ていると、「サクラ(桜)」の花びらが風に誘われて、柔らかく弧を描くように降ってきます。けれども、昨日は雨でした。散り敷いたサクラの花びらを…、これじゃあ、拾おうとする人もいないでしょうと見てしまいます。

子供の頃は、「モミジ」が散った後、木の葉のお布団と言って、その中に潜り込んで遊んだものでした。そして、「サクラ」の花びらも、何となく集めたくなるような存在でした。堆く積んで、その高さ、量を競う…。今となれば、それはもやは贅沢な遊び…でした。

そんなこんなで地面の上の「サクラ」の花びらを見ていますと、そのかたわらに「スギナ(杉菜)」の子が、もう立派な「スギナ」になって立っています。「ヤエムグラ(八重葎)」も、「カタバミ」も花をつけ、タンポポも、雨に打たれた後、小首を傾げるようにして花をつけています。

もう「サクラ」が終われば、緑の葉に覆われ、あt初夏と言ってもよい時期となるのでしょうね。なんだか寂しいような、それでいて街が明るくなるのが待たれるような、そんな春の終わりとなりそうです。

さて、学校です。

休みの間、咲いていた鉢植えの花が、職員会議の昨日、ふと見ると、みんな散っていました。もう少し頑張ってくれたら、花好きな何人かの教員が喜んでくれたでしょうに、少し申し訳ないような気持ちになりました(愉しんでいたのはこっちだけでしたから)。

けれども、もう別の鉢では初夏の花が開く準備をしています。季節は移っていくもので、心残りは多少あっても、心はだんだんと新しいものの方へ行ってしまう。そうやって人はあきらめを学ぶのかもしれません。

昨日の職員会議は、全員揃い、久しぶりの賑やかな会となりました。そして会の終わり、それぞれが近況報告をしたのですが、皆さん、いろいろあったようですね。そうか、そうか、それで、おなかいっぱいになるほどのお土産があったのかと、頭より先におなかが納得していました。

教員が多いと、学生も話が出来る教員を選ぶことが出来ます。おそらくは、「何となく合わない」くらいのものなのでしょうが、それが相性というもので、なかなか合わすことができない教員とずっと一緒だと学生の方も疲れてしまいます。

もちろん、教員もそれを考えながら、対応しているのですが、人(教員)が多いと、一人では目が届かないところに、他の教員の目が届き、学生が救われるということもあります。
それがいいのでしょうね。一日の授業のうち、九十分、九十分のどちらがで多少面白くなくとも、もう一つの方で救われる。だから毎日来ることができる。きっとそうなのでしょうね。

日々是好日
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花海棠で、「お花見」です。

2017-04-11 10:40:46 | 日本語学校
雨。

だんだん強くなってきました。出るときはそれほどでもなかったので、自転車で来ましたが、漕いでいるうちにも雨脚が強くなってきたのを感じました。今日は本格的な雨になりそうです。

学校近くの小学校の所まで来たとき、急に雨のにおいがしたのです。「サクラ(桜)」が満開になっていましたから、樹々のにおいと一緒になって、よけい強く香ったのかもしれません。いい匂いです。全身で感じられる匂いです。以前、山里を歩いていた時を思い出しました。いいものです。木々の緑と水とが一緒になったような香りというのは。

と言いながら、桜を見ますと、既に花は咲ききって、後は風に誘われるのを待つばかりとなっています。

この、桜の頃は、「モモ(桃)」の花もまだ咲いていますし、街はなかなか華やかなのですが、もう一つ、「カイドウ(海棠)」も花の頃を迎えているのです。

今年は、桜の花見ならぬ、ベランダの「海棠」から、幾輪かの花をつかせている花柄というのでしょうか、それをいくつか切って、朱塗りのお椀に浮かべ、海棠で花見としゃれてみました。部屋の中でお花見です。

部屋で見ると、こんなに鮮やかであったのかと驚かされるほどの華やかさです。却って、桜の「サクラ色」が、寂しげに感じられるほどでした。

花見をするにしても、何も桜でなくてもいいなと思い始めたのも、年齢の然らしめるところなのでしょう。

さて、学校です。

黙って一時帰国していた学生が少し早めに戻ってきました。彼を送ってきた(ベトナムの)日本語学校に連絡して、親御さんに話してもらった結果、こうなったのでしょう。

彼が戻ってきたのが、土曜日の夜中。彼は寮に住んでいるのですが、この期、一年目を終えて、寮を出た学生もいれば、新たに寮に入ることになっている新入生もいます。誰と誰が一緒に住むかは私たちが決めますが、それをあらかじめ先に住んでいる学生達に告げておきます。どうしても気が合わない、問題があるという時は、学生が言いに来ます(訴えに来ると言った方が良いのかもしれませんが)。言いに来た場合は(その学生を)呼んで話してみます。彼らの考えを考慮する場合もあれば、我慢しなさいという場合もあります。

しかしながら、彼は帰っていましたから(何も言わずに)、対象外です。

ベトナムのテト(正月)の時にも数人が帰り、案じていたとおり、戻っていたときには学力が落ちていました。で、本人は嫌だったでしょうが、下のクラスに行かざるを得なくなり、そのときはじめて、多分「しまった」と思ったでしょうね。

今度の学生は、もう落ちようがないと思って安心して帰ったのでしょう(いや、そこまでは考えていなかったのかもしれませんが)。とはいえ、どこにでも落とし穴はあるものです…そう、思ったかしら。

「(この学校にいる)2年は帰らないでください。約束できますね」と言い、申請するときに、(ベトナムで)きちんと約束したはずです。

約束を破れば、いろいろと不利益が生じてきます。それがわかるのにも時間がかかることなのかもしれませんが。

日々是好日

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大学に入れた学生は、キャピキャピして、楽しそう…。

2017-04-10 09:34:13 | 日本語学校
晴れ。

昨日、一昨日の雨風にやられて、桜の花がずいぶん散っています。それでも満開に見えるのが不思議です。地面にこれだけ散り敷いているのだから、かなりの量の花びらが風に飛ばされたのだろうと思うのですけれども。

まあ、散らされて葉桜になっても、蕊桜になっても、風情は変わりませんから、まだまだ楽しめるので、文句はないのですが。

そんなことを言っていても、風と雨が共に来れば、今日か、明日、あるいは明後日に、花吹雪となって、桜ももう終わりだなとなるかもしれず、やきもきさせられてしまいます。

さて、学校です。

休み中も、卒業した学生達が三々五々来ていたのですが、金曜日に同じ大学に合格した三人が一緒にやってきました。キャピキャピして、何を言ってもおかしいらしく、ニコニコがとれません。まるで大学に合格したばかりの、日本人の大学生のようです。

やはり専門学校に行った人たちとは雰囲気が違っています。日本人の海の中に投げ込まれたわけですから、これからは何をするにしても、日本人のようにせざるを得なくなります。この時は、表情や動作まで、この学校にいたときとは違って見えました。

彼らの国というのも、それぞれ、簡単に外国に遊びに行けるようなところではありません。日本に行く前は、「異国へ行くのだ」と奮い立っていても、来日後周りに同国人が何人もいたり、同じ日本語学校から来ている者がいたりすると、異国意識が薄れていくのかもしれません。

国にいるときと同じようにしても「大丈夫」という気持ちになるのかもしれません。

そういう彼らの背中を押すのが、たいていの場合、一度(彼らの国で)社会に出たことがある者、あるいは彼らよりも年が上の者です。「日本で、こうやってもいいのかしらん」とためらっている彼らの背を、「構わない、構わない。同じだ」と押すのです。

違うのですけれどもね。

アルバイトで金が入った。高校を出たばかりの彼らが持ったこともない額だ。これが自由に使える…で、好きなものを買ったり、カラオケで遊んだりしてしまうのでしょう。

国で借金をして両親が送り出してきていても、結局は数ヶ月そうやって(稼いだ金が)泡のように消えてしまう…例もあるのです。

まあ、きちんきちんと親の代わりにお金を返し、大学には入れるように貯め、勉学に励む人もいるのですけれども。
別に先入観で言うつもりはないのですが、これまでの経験から言うと、「こういう経験で来ている者は少し気をつけて見なければな」というのがいくつか判って来ています。

もちろん、人それぞれですから、こういう国から来ているから、きっとこういう行動をとるだろうと決めつけるのは正しくはない。けれども、傾向だけは知っておかなければ、注意のしようもないのです。

人はそれほど強くはありません。特に高校を出てすぐに日本に来ていたりすると、つい声の大きい者、楽しそうなことを言っている者に,釣られてしまうのです。

最初は釣られて一緒に遊んでいても、自分ではっと気づけてやめられる者もいます。そういう人たちと手を切ることのできる者はいいのですが、たいていの、こういう国から来た人たちは、まるで判で押したように、年が上の者に従います。嫌でもそうせざるを得ないのかもしれません。まあ、アルバイトで手に入れた小銭もあることだし、それで誰かの部屋でわあっと騒いだ方が、その方が楽だし、楽しい…。

自分の国で、自分の金でそういう面白いことができない人に、そういう勝手をさせてやりたくて、こういう学校はあるのではありません。ただ、ずっと流されっぱなしという人が少ないのも事実ですが。

多くの学生は、自分の力で留学を果たしているわけではありません。両親にしても、留学するための金の幾分かあるいは大半は、どこかに借りなければならなかったでしょう。来日してから、できるだけ短い間にそれを返済しなければならないとしたら、もう勉強どころではないでしょう。

ただ、昨今は国である程度日本語ができるようになってから来日していますし、日本に来てからのアルバイト先にもそれほど困らないので、以前よりは勉強に集中できるようです。

とはいえ、お国柄というのはなかなか変われないもののようで、アルバイトの金が入るとすぐにカラオケで騒いでお金を使ってしまう者は、まだあんなバカなことをしていると言われてもやり続けているようです。

留学生というのは勉強をするために日本に来ているのです。ほとんどの学生は、日本語を勉強してそれから何かを身につけなければ、日本で生活していくのは難しい。日本語さえできれば、そのまま日本社会で働けるかというと、そんなものではないのです。

日本語学校で勉強しているうちに、就職ができる人が少しずつ出ていますが、その仕事もアルバイトの頃と大して違いがないようなものです。それでもいいのでしょうが、少なくとも、ある程度の日本語力は身につけてから始めてほしいと思います。

そうでなければ、結局、困るのは自分なのです。

日々是好日
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