日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「国で勉強してきた」というのは、案外、怖い。

2024-06-07 08:34:35 | 日本語学校
今朝、小学校の方から聞き慣れない鳥の声が聞こえて来ました。まるで、「スィーチョンの「スィー」を切ったような、それを太くしたような、そんな声。新顔ですね。直に止んだので、どこかへ飛んでいってしまったのでしょう。来週も聞けるかな。

さて、学校です。

「新入生クラス」。3列目の端の席で安心していたのでしょうね。下を向いて何かをじっと見ていたスリランカの男子。教科書の口頭練習をさせていたので、多分、飽きたのでしょう。スリランカ人学生は、国で「N5]か「N4」くらいは勉強してきているので、最初っからの勉強は、どうも退屈のようです。とはいえ、こうやって「俺はできるから」と勝手なことをしているうちに、置いてきぼりを食らわされるということもよくあることなので、「N3」内容に入ったときに悲惨な状態になるということも、まあ、少なくはない。

この「国で勉強してきた」というのは、案外、曲者で、実際は「穴ぼこ状態」であることも、経験上、まあ、よくある事の一つ。「ここが欠けていた」とか、「えっ。そんな意味。しらなかった」という感じのはずなのですが、それに気付けるのが、思っているより、ずんと少ないのです。気づけるのは、ある程度、能力のある学生だけといってもいいでしょう。

何かしらの「日本語試験」で「N5」に、合格していないと、(高卒者では)日本への留学という道が閉ざされてしまうので、その「試験用」(対策というのは少々おこがましい)の勉強しか、していないというのが実情のようです。だから、「穴ぼこ」を埋める作業が必要になってくるのです。「N4」に合格してきたといっても、来日してきたときに会って、やはり「あいうえお」からやった方がいいと思われるような人だっているのです。もちろん、これは「四月生」や「七月生」といった、ある程度、時間に余裕のある学生だけですが。これが「一月生」なんかになりますと、やり直す時間がありませんから、適当なところで手を打つしかなくなるのです。

もう20年近くも前のこと。「N3」に合格したという「バングラデシュ」の学生が来たので、「さて、如何ほどの者やらん」と会ってみると、「ひらがな」すら満足に書けない。こちらが話すことも判らない。「N5」のごく初期の文法すらチンプンカンプン。…これで「N3」合格????。ただ「試験用の問題集」だけをセッセとやっていたらしい。恐るべし。これも才能です。なんてったって、意味もわからず、覚えられるのですから。その上、覚えただけでなく、その中に規則性なるものを見いだし、その能力でもって、テストに合格できた。頭は良かったけれども、来日後も、語学の習得の方へその能力は向かわなかった…。

で、今の学生です。気付くまで、じっと見てやります。周りも私の視線が気になるようで、それとなく、その学生をちらちらっと見ている。その学生、なんとなく不穏な空気を感じてでもしたのか、顔を上げて、私の視線に気付いた。手の動きからスマホでも見ていたのでしょうが、ハッとして、皆の練習に合わせます。私の視線が離れると、すぐにまた下を向く。口が動いていないので、練習していないのが、すぐにわかります。何度も視線を戻しているのに、気がつかないのが面白い。

彼らのような国では、教師なんて、勉強しない学生、できない学生なんて、端っから相手にしていないのでしょう。だから、平気なのでしょうね。ところが、日本では繰り返ししますからね、油断はできないのです。「優しい」目つきで見るなんてことは、まず、ありません。「鋭い」というよりも「険しい」目つきで見ています、勉強しない学生を。もっとも、頑張っても、なかなかできない学生には、そんな目では見ません。彼らなりに頑張っていれば、どの教員も、「親切な」というか、「待っている」というか、「穏やかな」目で見ています。

「初級」の授業ですが、「基本」の練習が一通りすんだら、今度は、単語を変えたり、意味を多少変えたりして、既習の学生でも飽きないような練習に移ります。すると、やはり、その間、自分はできると「緩みきっていた」学生は、ついて行けなくなりますね。当たり前ですが。授業の流れが(ボケーとしている間に)途切れたので、どこからついて行っていいのか判らなくなってしまうのです。当然のことながら、不安そうに辺りを見回すしかない。

毎年、スリランカをはじめとして、「インド圏」の学生に多く見られる行動なのですが、こちらが注意しても変われる学生は少ないですね。上(の学生)を見ずに、自分よりも下(の学生)ばかりを見るという傾向がある。それで、「自分はすごい」と思うようで、これは、来日後変われるかというと、無理でしょうね、よほどのことがない限り。彼らの国で勉強してきた、おそらくは12年分の垢と言ってもいいでしょう。こちらも、(そう思っていても)最初は必ず注意しますけれども、注意しつづけて、もう二ヶ月ほども過ぎているというわけですから、もう変われないでしょう。そうやってやっても、直そうとしないのなら、それまでの能力ということにします。実際、口頭で注意すれば、それで授業の流れが、切れてしまいますから、他学生にとっては、あまりいいこととは言えません。

で、勢い、目で知らしめるということになる。何をやっているかは本人が一番よくわかっています。勉強に関係ないことをしていれば、気付いたとき、一応は、真面目にやっている振りをする。「振り」で終わってしまえば、それまでですね。もう注意されなくなって、貯金(国でやってきた分)がなくなると、今度来る「七月生」と一緒にどうぞとなっていく。もちろん、「一課」あたりからやった方がいいのか、あるいは「テ形」くらいから入れた方がいいのか、また『みんなの日本語(Ⅱ)』から「七月生クラス」に入れた方がいいのかは、その都度考えていきます。

今年度の募集は、「四月生」と「七月生」だけですから、それでも(勉強が)できないからとズルズルと、またもう一つ落ちて、「十月生」と一緒にやるということはできなくなります。だから、踏みとどまれるかどうかがカギとなる。

一応、留学生というのは、下は一番若くて十九才、上は二十五才くらいですから、もう子供とは言えない。しかも、留学(勉強)したいとやってきているわけですから、目的は、それなりにあるでしょう。しかしながら、こういう態度で、それができるかしらん。怪しいものですね。ヒアリングがいいということは、時によると、マイナスになる場合だってあるのです。

日々是好日
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