日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今年は、「蚊」を、あまり見ていません。

2018-08-31 09:12:23 | 日本語学校
晴れ。

今朝も、猛暑です。

今年の夏は、「蚊」のブンブンという羽音をほとんど聞いていません。それは、よかったねえというところなのですけれども、なんか変。それに、暑さで、木々も参ったようで、葉を日焼けさせています。

普段なら、お盆が過ぎた辺りから、飛び回っているはずの「アカトンボ(赤蜻蛉)」も、まだ姿を現していません。暑さで山から下りる気にならなかったのでしょうか。

季節感が狂ってきますね。

今年は、「チョウ(蝶)」の姿も、「トンボ(蜻蛉)」の姿も、あまり見ていません。夏は、それなりの時機に、咲くべき花々も咲きはしたけれども、あっという間に姿を消してしまったような気がします。決まった時に、「花火大会」があり、「盆踊り」も開かれはしたものの、人が「夏はこうである」という取り決めで動いているだけで、やはりあるべきものがないと…どこか違和感を拭えません。

なんか変だなあ…。ホントに変だなあ…。

さて、学校です。

「夏休み」は、今日で終わりです。今週、学校に来た学生達には、「授業はいつからですか」と確認を取っているのですが、来ていなかった学生は大丈夫ですかしらん。毎期、こういうことになってしまうのですが、多分、心配しすぎなのでしょう。いつもちゃんと来ていますから。

一昨日、「面接」の練習をした学生二人、帰りにニコニコして、「先生、明日も来ます」。この二人、一昨日は九時に来ると言ったのに、スリランカタイムで、来たのは10時過ぎでした。

それで、「何時に来るの?」。「…九時は無理かな…10時なら大丈夫」。「ホントかな?」。「本当です。大丈夫です」と胸を張っていたのに、昨日は…やっぱり、来ませんでした。この中の一人は、「好きなことは?」で、「寝ることです」と答えていましたから、やっぱり…無理だったのでしょうね

というわけで、「面接」の練習は中途半端で終わっています。「実際にやってみる」が抜けているのです。…でも、まあ、大丈夫か。「聞く・話す」は、できる人達ですから。

日々是好日
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今年は、「アカトンボ(赤蜻蛉)」をまだ見ていません…。

2018-08-30 09:22:51 | 日本語学校

曇り。

時折、薄日が射しています。暑いことは暑いのですが、それでも、ちょっと違いますね、特に早朝は。

少し前まで、たとえ、早朝四時であろうと、起きてすぐ、窓を開けたくはなかった。なぜなら、熱風が吹き込んでくるから…でしたのに、今は、余裕でとまでは言いませんが、それでも、開けてもなんということはないのです。しかも、開けると涼しい風が吹いてくる日だってありました。
とはいえ、今年は、「台風」どころか、「秋雨前線」も「大変、大変」です。前から、「台風と重なるから、大きな災害を引き起こすことがある」と言われていたものの、こんなにひどかったっけ…。今年は、まるで「一人でもやれるんだぜ」と自己主張しているかのよう。「(『秋雨前線』って)こんなに凄かったっけ」と、驚かされるような現象が、各地で起きています。

「点」というか、小さな面で、移動しながら被害を大きくしていくのです。何よりも、予報天気図に記された、赤のバッテンマーク(雷様の印)がすごい。あまりに多すぎて、真っ赤っかになってしまい、バッテンの形すらわからなくなるほどです。

例年ですと、「梅雨前線」の方がずっと「災害」と結びついて印象に残っているものなのに。なんとなれば、長いですもの、こっちの方の「雨季」は。だいたい長雨で緩んでいる土壌に、ドッと雨が降ると、土砂崩れになる。雨で水かさが増している川に、ドッと雨が降ると、洪水になる。何よりも、この期間の長さが災害に繋がってしまうのです。

ただ、この「秋雨前線」は、秋を連れてきてくれますから、今年のように猛暑が続いていると、待たれますね。思わず、空を仰いで「今、どちらにいらっしゃいますか、『秋雨前線』さん」なんて言いたくなってしまう。もちろん、涼しさを連れてくるとはいえ、雷雨、雹、竜巻になることもありますから、本当は「くわばら、くわばら」なんですけれども。

さて、学校です。

「夏休み」に、よく学校へきて、勉強していた台湾の学生、いつの間にか、集中力がつき、「数学」が面白くなってきたようです。この分で行くと、数学では高校入試に合格出来るかもしれませんね。あとは「英語」をもう少し頑張らなくてはね。

そして、昨日、9月の2週目に専門学校の試験があるというスリランカの学生が二人、面接の練習に来ました。やはり、助詞が抜けやすい。ヒアリングはいいのですけれども、話すと「ちょっと…」というところです。

そして、4時近くになって、寮の光熱費の紙を取りに来た、今年の四月学生。私と台湾の学生が一緒に勉強しているのを見て、「何を勉強していますか。私も数学を勉強したいです」。

訊くと、本はリュックに入っていると言います。「では、せっかく学校に来たのだから」と、三階で勉強していくように勧めます。少し経ってから様子を見に行くと、「N3」の文法を読んでいました。「判るか」と訊きますと、「ベトナム語で書いてあるから判る」と言います。「では、そこに在る単語は判るか」…、キョトンとした表情。「文法さえ判ればいい。なぜならこれは文法の本だから」。そう思っていたのでしょう。

「非漢字圏」の学生が、なかなか文章が読めない理由の一つに、語彙力の欠如というのがあります。「インド圏」の学生は、だいたいヒアリングがいいので、生活日本語レベルであったら、大丈夫なのですが、語彙の中でも「漢語」つまり、音読みが主の「漢語」のものが、なかなか定着しないのです。まして、ヒアリング力も大して無いベトナムの学生においては、もう「大変さ」が3乗、4乗で攻めて来ているようなものです。

この学生、発音はそれほど悪いわけではない、ということは、ヒアリング力がつくのも、時間の問題でしょう。ということは、今のうちからでも、語彙は増やせるのです。日本にいるのですから。見て覚えた言葉でも、耳にする機会が増えれば、それだけ定着する可能性が高くなる。

で、もう一度、最初から読み直し、知らない単語に線を引いていくよう勧めます。それからまた少し経ってから上がっていきますと、線を引いた、その横に単語の意味を律儀に書いています。

「そんなことをする必要はない。今は線を引いていくだけでいい。読み進めていけば、幾度も出てくる語があることに気づく。その時に調べればいい。その方が覚えられる」

多分、彼はこのやり方でも十分にやっていけるでしょう。もとより一つ一つやっていかなければ落ち着かないという人もいますから、一概に「このやり方がいい」とは言えません。

これから何をしたいかと訊きますと「勉強したい」。「何を勉強したい?」「何でも。何でも勉強したい」

まだ「何を」がないのです。そういう学生がほとんどではあるものの、彼のように「なんでも勉強したいのだが、まだ『何を』がない」人はそう多くはありません。

頑張ってほしいものですね。

日々是好日
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涼しい朝です。

2018-08-29 09:43:01 | 日本語学校
曇り。

だんだん、草むらが賑やかになってきました。今朝など、窓を開けると、冷やっこい風が吹き込んできて、その涼しさに驚いてしまいました。といって、特別気温が低いわけでもないのです。それを、どうも涼しいと、感じてしまう。人間に「絶対温度」ないんですね。なんでも「相対」で感じてしまうから、楽というか、困ったことというか。

もちろん、こんな人間だから、暑さにも耐えられるし、苦しさにも悲しさにも耐えられるのでしょうけれども。

今朝、学校に来る途中、「アサガオ(朝顔)」と「ミニトマト」で緑のカーテンを作っていたのでしょうか、ちょうど「ミニトマト」を収穫している所に出くわしました。

よく「緑のカーテン」を作るとかなり温度が違ってくるし、野菜を使うと一石二鳥だと言われているのですが、ゴーヤも苦手だしなあ…。でも、「ミニトマト」はいいですね。軽いし、すぐ生るでしょうし…。

…と、こんな暢気なことを言っていられません。

今度は、「台風21号」が発生し、勢力を増しながら、来週辺りやって来そうだとか。

9月の初めから、台風休みというのは、ちょっと困りますね。実習生も来ることですし。

さて、学校です。

今日、面接の練習に、3名。そして、願書書きに、一人やって来ることになっています。それから、中国人の学生(在日)が二人、よく勉強にやって来ていますから(今日も来るでしょう)、自習部屋は、今日、ちょっと賑やかになりそうです。

日々是好日

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この辺りでは、もう「セミ(蝉)」の声は聞こえてきません。

2018-08-28 09:11:58 | 日本語学校

曇り。

昨日は予報通り、夕方になると、あっという間に黒い雲に覆われ、どこやら遠くで雷の音が…。慌てて家に帰ったのですが、雨が降り出したのはそれから数時間も後のこと。

東京や北部関東では、ゲリラ豪雨やら、雹やら、強風やらに見舞われ、電車も止まったりして、大変だったとか。もうヒートアイランドで猛暑(で、大変だ)どころではありません。日本の気候って、こうだったかしらん???と首を傾げざるをえないような、極端なお天気が続いています。

最高気温が30度で、「今日は涼しい」なんて感じてしまうから、体感というのも、ちょっと頼りにならない(今日は、昨日の雨のせいで、5度か7度ほども低いらしい)。

とはいえ、先週の土曜日。鷲宮駅で、一休みしていると、いつの間にか「ミンミンゼミ」の声が消え、「ツクツクボウシ」が鳴き出していました。もっとも、草むらの秋の虫たちの声にかき消されてしまいそうな弱々しいものではありましたけれども。

季節はすでに秋。で、正直な虫たちは、そろそろ…と出張ってきたのでしょうが、この暑さです。驚いたでしょうね。春の初めなら、サクラの頃に、雪が降ると言うことも、なきにしもあらずなのですが、暑さがこうも続くと、慣れていない虫たちは堪らないでしょうね。徐々に体が暑さに慣れているはずの我々、ヒト族でも、一日か二日でも、過ごしやすい日がきてしまうと、もう暑さには耐えられなくなってしまいますもの。

小さな虫たち、涼しさがやって来るまで、もう少し、頑張ってくれるといいのですが。

さて、学校です。

夏休み中とはいえ、時々お客様が来られます。専門学校や大学の方々がよく見えられるのですが、暑い中、フウフウと汗をかきながら、説明してくださいます。数ヶ月に一度、進学した学生達の成績、出席率、その他、彼らの近況などを、封書で送ってくださる学校はあるのですが、それ以外は、なかなか知ることができません。それで、こうやって訪ねてくださる時に彼等の様子を知ることができるので、私たちとしてもありがたいのです。もっとも、何も知らなくていらっしゃる方もいるので、その時はそれなりに拝聴しているのですが。なにせ、今年もお世話になるかもしれませんし。

学生達も、ちょいちょい顔を見せてくれます。専門学校の説明会に行く前とか、行ってからとか(願書書きです)、それから受験票を取りに来たり(学校に届くようにしてあります)、寮費を納めに来たり…。

その時に、「今日は休みです」とか、「今日は2時から(まだ1時間も間があったり)」とか言ったりしますと、「さあ、勉強していけ」ということになりますから、学生達も然る者であって、ギリギリに来るか、あるいは、「昨日は夜番でした」、「まだ昼ご飯を食べていません」なんぞを、こちらが訊く前に付け加えたりする。だいたい、そう聞かれた時には、次にこう来るだろうという知恵が働きますから、ちっとやそっとじゃこちらの策には乗ってこない。

とはいえ、学生達の「心づもり」を、こちらも知っておく必要があります。この「心づもり」というのは、主に進学や、将来のことなのですが、昨日も、一人、学生が来たので、彼と話しているうちに、私たちが彼について考えていることと違うことが判り、これは対策を練らねばとなりました。

日本語学校の留学生に、家でも勉強させるというのは、かなり大変なことで、「初級」段階の「宿題」が、せいぜいなのかもしれません。自ら、積極的に、不得手な(自分で見つけて、必要があると思って、そういう)部分を覚えたり、書いたりするということは、難しいことのようです。つまり、「ここを書け」とか、「これを覚えろ」と言われない限り、大半の者はできないのです。国でも、勉強は学校だけで、家ではしていないという人がほとんどであれば、日本に来て、急にこれをやれといわれても困るだけというのもわかりますが、それでは何も学べません

もちろん、ヒアリングがいいという民族は、居るだけで(日本にいるのですから、聞けるところ時間もたくさんあります)、「生活日本語」は大丈夫になりますが、「N3」くらいから、だんだん知識も必要になってきますから、そこで止まってしまうのです。

日本にいて、適当な(正確ではない)日本語でどうにかなるところで働くだけなら、それで十分です。けれども、勉強するのだから、知識も持たせ、他の日本人から、それなりの待遇を受けられるようにしたいと考えるのが、学校や現場の教師。そこで摩擦めいたものが起きるのです。

母国の高校の成績はとてもいい。けれども、そこに胡座をかいて、日本でもそれでやっていけると思っていると、そうは問屋が卸さない。

ハッと気がついたら、来た時のクラスには居られなくて、クラス編成試験の時に、もう一度勉強しようなんてことになってしまう。しかしながら、国でのことが忘れられないので、(自分は頭がいいという自尊心です)、面白くない。だから、学校に来なくなったりする人も出る(どこに居ても同じ人は、そういうことも考慮して、もう上のクラスに置いています。ただ本代はかさみますね。上に行けば行くほど学ぶものも増えていきますから)

自分はできると言い張っても、実際には、漢字が読めませんから、文章の意味もわかりません。こちらが文章を読んでやれば、だいたいは判るのでしょうが、一人で作業するように言われると、そこで「お仕舞い」になってしまいます。

かといって「ヒアリングの時は残ってもいいけれども、読解やN2文法、N2漢字は下のクラスで」とは、ならないのです。

そのレベルの文法が判らなければ、そのレベルのヒアリング力も身についたものとはなりませんから。

難しいですね。でも、結局は、切磋琢磨されていないことから来る問題です。自分より上のレベルの人も知らなければ、しっかりと読んでいかなければ意味が掴めないような知識も知らないのでしょう。鳥無き里の蝙蝠と言ったら、言い過ぎでしょうか。

とはいえ、私たちが頭がいいなとか、できるなとか思えるような人は、早くにこの悪しき思い違いを、少しでも早く改めてほしいのです。そうすれば、もっと学びに適した環境で、自分よりの上の人たちと出会い、聞いたこともないような知識、アイデアと出会うこともできるでしょうから。

日々是好日
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ペラペラしゃべれるからといって、日本語のレベルが高いとは限りません。

2018-08-24 08:59:50 | 日本語学校
小雨。

時折、渦を巻くような感じで雨が降ってきます。台風のせいと言えば、そうなのでしょうけれども、この辺りはそれほどのことはなく、ちょっと気が抜けた…くらいのものです。

朝、起きた時には、雨も全く降っておらず、拍子抜けして、キョトン。それが1時間ほども経った頃でしょうか、パラパラと降り出したので、「さては今頃やって来たか」と緊張…したけれども、ものの10分も保たず、また止んで…。

出た時は、小糠雨程度でした。それで、自転車にしようと家を出たのですが、皆、考えることは同じと見えます。いつもに比べ、自転車が多かったような気がしたのは、あながち、「気がした」だけではないのでしょう。

とはいえ、風は生暖かく、まるで春一番のよう。台風が送り込んでいるこの熱風も、海水温が高止まりしているからなのでしょう。母体は海水温と言えるかもしれません。

満潮時に台風に出くわしてしまった港は大変です。海が膨張して見えます。遊歩道も海の中、車道を呑み込まんばかり。「津波」に限らず、「高潮」も怖い。

「海辺に住んでいる人間が一番海のことを知っている」とは、よく言われることですけれども、最近は海辺に住んでいても、海と関係のない仕事をする人が多く、それ故に、災害が大きくなりがちなのかもしれません。

海、山に住んでいても、海、山と関わりのない生活をしていれば、「海の民、山の民」とは言えないのでしょう。

さて、学校です。

同じインド圏(日本人から見れば)の人達とは言え、スリランカ人学生とネパール人学生とは本当に違います。

その一つが、長期休暇後の日本語レベルにうかがえるのも面白い。

スリランカ人学生の長所は「聞く・話す」ですから、休みが長かろうが短かろうが、関係ありません。休み明けでも(日本語)レベルに変化はなく、却って上手になっているくらいです。如何に学校での勉強に向いていないかがわかります。

働いたり、遊んだりで覚えていくようで、漢字を覚えたり、難しい文法を覚えたりといった、ある程度「努力」が必要なことは、大してする習慣がありませんから、学校が開いていても開いていなくても関係ないのでしょう。

聞いて覚え、ペラペラしゃべれるようになるといっても、ほとんどが生活に直結していることばかりですから、そのまま日本の普通の会社に勤めたりしますと、かなり大変なことになってきます。相手(日本人)の言っていることが判らないでしょうから。とはいえ、対策はあるようで、「相手に話させないで、一方的にまくし立てる」。これに尽きるようです。相手が何かしゃべれば、それに答えなければなりませんから、自分が判っていないのがバレてしまう。それは困る。とにかく、「しゃべったれ」というところなのでしょう。

学校に通っている間は、(日本語教師はそれをさせませんから)いやでも自分が判っていないのを、鼻先に突きつけられて、指摘されてしまう(プライドが傷つきますね)。でも、こうやって指導するしかないのです。判っていないのを誤魔化そうとする手合いが多すぎるのです。彼等同士がやっているように、それを見過ごしてしまうと、結局、困るのは自分たち。スリランカ人同士のように、なあなあとやってくれて、しかも、業績のいい会社というのは、あまりないと思いますから。

そういうところに入れたとしても、日本の会社はそれほど親切ではありませんから、いくらペラペラしゃべってみせても、何かの拍子にバレたりしますと、「こいつ、やっぱり、(意味が)わかっとらんのかい」と肚でせせら笑われてしまう。

「判らない」と、正直に言う人には、親切に応対する人はいても、誤魔化してやり過ごそうという人には、だれも親切になぞしてくれません。

大変ですね。そうではない人もいましたけれども、そういう人にしても、こういうスリランカ人の「性格」は嫌だと言いますね。

その反対に見えるのが、ネパール人。

長期休暇中でも、寮費を払いに来たり、宿題のチェックを受けに来たり、進学の相談に来たりとするのですが、見事に(日本語)レベルが落ちていきます。こういうのはベトナム人と同じ。

この人達は、勉強は学校だけでするものと思っているのだなと、それが本当によく判ります。これはこれで困ったことですけれども、素直な人達が多いので、なぜ休み中も勉強しなければならないかと、その理屈を丁寧に説明してやると、中にはハッと気づいて、勉強し出す人も出てくるので、叱り甲斐、説明し甲斐があります。

ただ、山国で、閉鎖的なところに育ったからか、それ故に情報も少なかったからか、本当に知らないことが多い。学校の勉強では、最初、それが問題になってくるのですが、もとより、これは彼等だけのことではありません。「知らない」と言うか、あるいは知ったかぶりをして誤魔化そうとするかだけの違いにすぎませんから。

「知らない」と言ってもらうと、こちらもスマホで見させたり、DVDを探したりして、教えることができるのですが、それがないと、こちらも素通りしてしまいます。そして、判らないというのを、単語や文法の問題として捉えてしまうことになります。却って、ソンなんですけれどもね。。

もっとも、日本に住んでいても、そういうことが必要になってくるような社会に入らなければ関係ないことなのでしょうけれども。

日々是好日
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台風はまだ来ていません。夜にならなければ、雨にならないそうです。

2018-08-23 11:30:25 | 日本語学校

晴れ。

今晩から、「台風20号」の影響で、雨になるとか。今はそれが信じられないくらい晴れています。雲は、低いところで、空を縁取るように見えるくらいで、雨になりそうな気配は全くありません。でも、巨大台風は来ているのですよね。下手をすると、地域によっては、雨が1000ミリを超えるかもしれないとか。晴れているこちらが、申し訳ないような気分です。

さて、学校です。

教員が一人、スリランカに向けて出発しました。いわゆる、「面接」です。

「ネパール」や「ベトナム」、「スリランカ」、そして以前の中国の場合は、行って、面接して…。中国では、こちらも、ある程度、中国が判るので、会えば、それなりに判断できたのですが(日本人同士でも、人を見るのは難しい)、「ネパール」や「ベトナム」はそうはいきません。

1度目は互いに様子見です。向こうの学校、ないし間に立つ人が連れてきた中から、会って、一人か二人、入れてみます。その学生が勉強しなかったり、相手校や中間の人が、学生が問題を起こした時、面倒を見なかったりすれば、もう2回目は遠慮してもらいます。

これが普通。

但し、「ネパール」の場合は、更地のような感覚でした。実際には、すでにたくさんの留学生が日本に来ていたというのに。向こうでは、日本に留学するのに、「ひらがな」くらいが、ちょっとできただけで、もう大丈夫と踏んでいたようなのです。それでも「N5」の試験に通ったりしますからね。これは「スリランカ」も「ベトナム」の同じです。それが相場、というと何ですが、日本の日本語学校が、現地に面接に行っても、ありきたりの小テストで終わりで、勉強ややる気の方はあまり気にしていなかったらしい。だから、それでいいと思っていたのでしょう。

こちらにしても、「ネパール」が「『非漢字圏』とはいえ、インド圏だから、ヒアリングはいいだろう。ヒアリングさえよければ、こちらの言うことがわかるだろうから、『ベトナム』の学生のように三重苦で悩むことはなかろう」くらいの感覚で、入れたのです。

ところが、豈図らんや。これが本当に大変で、日本語には動詞の活用があることも、すんなり入らなければ、文字も「『ひらがな』で、終わり」くらいの知識しかなかった。「カタカナ」や「漢字」があることは知っていても、それを「ここまでやれ。どうしてしない」とせっつかれるとは思っていなかったらしい。

人柄は本当にいいのですが、勉強に関して言えば、ノホホンとしていて、毎日「どうして勉強しないのか」と怒られても、焦っているだけ。大卒であれば、彼等の国では「すごい」と言われるからなのか、日本語を甘く見ていた。

で、クラスの再編成の時に、バッタバッタと落とされた。ここで始めて、ショックを受けたらしい。

「どうしてですか」と訊きに来た学生が数名いました。クラス再編成テストのみならず、それまでの数ヶ月ごとのテスト結果を見せ、「できていないから、もう一度やった方がいい」。「これから頑張るから、このままでいさせてくれ」と言われても、「前のができていないのに、次のレベルは無理だ」。

これで、初めて、頑張らないと落とされるという意味が分かったのかもしれません。なあなあでは、やっていられないのです。

この点、スリランカの学生や、かつてのベトナムの学生は、カンニングという手があった。相手に要求されれば、当然のように見せるし、なかには同じテストを持って来て、答えを写していたスリランカの学生もいました。丸見えですから、そのそばに行って、黙って見てやると、嫌な顔をする。本当にカンニングが習いになっているとしか思えないような連中でした。

ところが、ネパールの学生は、「カンニングをしてはいけない。答えを見せてはいけない」と言っておくと、見せるように要求された学生が、芯から困ったような顔で、私たちを(助けてくれと言わんばかりの目で)見つめるのです。

そして、終わった後、「先生、悪いことをしたような気持ちになったけれども、見せたらいけないんだよね。だから、見せなかったよ」と言いに来るのです。

日本で勉強したい、日本で働きたいと思ったら、ズルはだめです。仕事や勉強ができなくても、それは、仕事ができない、勉強ができないだけのこと。もちろん、できた方がいい。けれども、それはそれで終わりであって、それで、人格まで貶められるようなことはないのです。けれども、狡いことをして、できたと誇っていると、人格まで嫌われてしまいます。信用できない人ということになるのです。まあ、一事が万事というところなのでしょう。それが嫌なら、みんながそうやっている世界に戻ればいいと、普通は思います。お互いに嫌な思いをし合っているわけなのですから。いい気分でいられるところに帰った方がいいとしか言いようがありません。

今は、「面接の仕方」や「その後の話の内容」などの勘所がどうにか判ったような気分でいます。

「ベトナム」や「ネパール」では、一人に30分あるいはそれ以上を掛けることもあります。来てしまえば、こちらの問題になってしまうのですから、こちらも必死です。まず、勉強したいという学生を探します。あとはやる気ですね。国で『みんなの日本語』を50課くらいまできちんとやっていると、ああ、勉強する気だなというのがわかります。もとより、国によって教師がいないなどの事情がありますから、それでも『みんなの日本語』25課まではやっておいて欲しい。つまり「N5」レベルです。

「N5」に合格したと言って面接に来ても、ろくに「ひらがな」も「カタカナ」も書けない。単語も覚えていない。これはカンニングを疑わざるをえません。しかも、いけしゃあしゃあとしていれば。以前、そういうベトナムの大卒者がいました。わけがわからないとしか言いようがないのですが。

留学生には来日後、時間がそれほどないのです。長くて2年。大学進学を考えると、四月生でも1年半くらいのものでしょうか、日本語を日本で勉強できるのは。ですから、『みんなの日本語』1冊目くらいは終えてきて欲しい。日本では日本人でしかできないような勉強をして欲しいのです。国でできるものは国でしてきて欲しい。つまり、時間、曜日、数、あるいは単語などの暗記です。

今年の9月には、ネパールへ、10月にはベトナムへ行って、面接してきます。しかし、今年の四月生の時も、七月生の時も、会って、話して、勉強していたのを確認していたのに、許可が下りなかったのです。私たちとしては、書類もさることながら、見るのは人ですから、銀行などの理由で落とされてしまうと、どうしていいのかわからないという気分になってしまいます。

いい人に来てもらいたいと、これほどまでに手をかけているのに(教えるのは私たちですから、変な人を入れてしまうと、こちらが苦労します。教えること以外で苦労したくないというのが本音です)、相手のお国の事情みたいなので落とされてしまうと、面接に来てくれた学生にも申し訳ないような気持ちになってきます。

ネパールの学生を入れることを考え始めてから、ネパール関係の本を何冊か読んで(インターネットでも論文がでていました)、ネパール事情を少しでも知ろうとしているのですが、その過程で、学生達の親が利用している銀行と言うのは、海外送金ができるような大手のものではなく、普段は、言わば、日本の「講」のようなものであるということ。低カーストのものでも、グローバル化が進んだことにより、富者が生まれ、その人達が中心になって、同カースト内での助け合い、相互補助のような仕組みを作り、そういうところに、金を預けたり、借りたりしている人も少なくないのだということを知りました。

日本の、いわゆる銀行という概念は、もしかしたら、彼等には乏しいのかもしれません。
彼等が利用しているところでの記録はあっても、それはだめと言われる。ならば、他の大銀行に、一時的に金を入れるしかありません。けれども、そこの記録はありませんから、結局、真偽を疑われ、また落とされてしまう。

同じ日本語学校の親しくしている方が、向こうで、彼等が使っている銀行に出向き、しっかりと話をして確認をしてきた。それなのに、その銀行も、日本の入管が認めるものとはならず、学生達は全滅となった。

はあ、本気で勉強したいと思っている学生達はどうしたいいのでしょうね。

会って、選んでくると、強気で言いながらも、内心では忸怩たるものがあります。

日々是好日

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「集まっては散り、散ってはまた集まる」というのが人の世の習いなのかもしれません。

2018-08-22 09:33:23 | 日本語学校
晴れ。

「W(19号、20号)台風が近づいているというのに、こちらは「晴れ」です。大して風も吹いていません。小さいとは言われる日本も、こうも違うと、それほど小さくはない…と思ってしまいます。

学生達と話していると、日本という国の、面積上の大きさが、「普通」であるような気がしてきます。その昔、古代ギリシアでは、ポリスの人口が、ある一定以上になると、人が他の土地を求めて出ていくというのを聞いたことがあります。自治というか、皆で話し合って決めるには、限界があるということなのでしょう。

日本でも、「中央(政府)が、何もかも決めるのは無理だ。広すぎる。道州に分け、それぞれの地域で、その地域のためになる政治を考えた方がいい」という案が、いまだに燻り続けています。時々、出てくるのです、ふいと。忘れた頃に。

それぞれの土地の風土が違う。人気も違う。歴史も違う。当然のことながら、作物も違ってくる。何を重点に栽培した方がいいかなんてものも、中央には判らんだろうし、人々が何を欲しているのかも判らんだろう。そうなれば、その土地の人がちが、自分たちで選んだ方がいいとなるのでしょう。

とはいえ、そういうところでも、地域エゴが必ず出てきます。狭く、小さい場所であっても、そこには必ずと言っていいほど富者と貧者は存在しますから。自分たちはたくさんの税金を納めているのに、自分たちの生活を豊かにするために使われていない。他の「ノホホン」と暮らしているげに見える人達のために使われているのではないかという不平等感です。

「『森は海の母』。だから『森を育てよう』と漁師さん達が立ち上がった」とはならないのです。

もちろん、「金持ち喧嘩せず」ですから、皆が皆、何億円も自由になる金を持ち、ほかの人に1億くらい遣っても「へのかっぱ」というのなら話は別ですが。

日本人が、一見独立しているように見えるのは、「人様に迷惑を掛けない」から。つまり「自分も人様に迷惑を掛けられたくない」から。

なにせ、皆、自分が生きるだけで精一杯なのです。他者をそれほど構えなのです。

思えば、日本が貧しかった頃は、隣の家に「醬油がきれたから、ちと貸しておくれ」だの、「今日は客が来るので、皿と器を2、3枚貸しておくれ」だの言えた時代でした。皆が貧しく、自分だけでは生きていけないということが共通理解としてあったからなのでしょう。

今は、一人でも生きていける…と「誤解できる時代」なのかもしれません。とはいえ、全く社会、他者を必要としない人は、おそらくいないでしょう。ゼロとは言いませんが。

今は、いくらなんでも、「野に捨てて けだものに ほどこすべし」とは、普通、なれないのです。勝手に死んだって、その後片付けをする人がいます。縁者に連絡をする人もいます。放っておかれないのです。

尤も、こう言えた一遍上人とは時代が違います。「生ぜしも独りなり 死するも独りなり されば 人と共に住するも独りなり」と言えたのも、乱世に生きた宗教者の一人として、考えに考えた末のことでしょう。とはいえ、翻って考えれば、つまり、それほどに「つながり」というか「人と人との関係」を意識していたのかもしれませんし。

さて、つながりの中で生き、それを全く意識していないように見える学生達です。

昨年の「四月生」は、新学期が始まれば、最後の学費を払わなければなりません。少なからぬ学生が、「(この学校の)学費は自分のアルバイトで大丈夫だけれども、進学のためのお金は『送ってもらう』」と言います。

去年、一昨年までは、そういう学生の方が断然少なかったのに、今年は、そういう学生の方が多いような気がします。以前はベトナムの学生など、送ってもらえるのに、メンツから、送ってもらわないで、自分が送るという学生がよくいました…なのにねえ。

それなりに、お金に不自由しないような人達が増えたのかもしれません。

日々是好日
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時々、出会う学生達に、「勉強の様子」を訊いています。すぐに逃げ腰になられてしまうのですが。

2018-08-20 09:33:00 | 日本語学校

曇り。

沖縄・九州を窺っている「台風19号」の影響なのか、今日は曇りです。雨が降る可能性も高く、折り畳み傘を勧める予報官も多い。

先週の金曜日は「秋晴れ」でした。空はどこまでも青く澄み、雲一つないという、久しぶりの秋空。風は強かったけれども、あれが、雲を追い払ってくれたのでしょう。

で、土曜日。

鷲宮駅に着くと、既に「ミンミンゼミ」の声が、草むらから湧くように響いてくる虫たちの合奏にかき消され…。蝉ももう終わりなのかと、感傷的になってしまいました。

今年の蝉は本当に可哀想でした。……「ミンミンゼミ」のことですけれども。猛暑にやられてか、彼等の「期間」は本当に短かった。普段なら、あちこちに仰のけに転がっている蝉たちの姿が見かけられたであろうに。今年はそれも疎らで、私が目にしたのは子供がつついていた一回を入れても3度だけ。その時は元に戻してやると、すぐに飛んでいきましたけれども。

さて、学校です。

夏休みには、学生達の顔を見ることが少なく、「頼りのないのは元気の印」とそのままにしているのですが、寮にいる学生達とは、彼等のアルバイトの行き帰りに出会うこともあり、その都度、「つつがなきや」と確認しています。

今朝も、アルバイトへ行く途中のベトナムの男子学生、一人に会いましたし(自転車を飛ばしていました)、学校に着いてからは、一人、ネパールの女子学生が寮費を持って来ました。

「アルバイトへ行く途中」という言葉がなければ、休み中の様子などを訊いたりできるのですが、途中とあれば、なかなか捕まえて、話をすることもできません。

木曜日は「今、終わったところ…」と、正直に言った(今年の)四月生に、勉強の様子を尋ねると、一様に「『N5(漢字)』はいいけれども…、『N4』は…」という返事。「N5」を終えたばかりの学生にとっては、「N4」の漢字は、とても量が多く、形も複雑に見えるのでしょう。これが、「N4」まで終わると、そうでもないのですがね。もちろん、「N4」までの漢字試験に合格した学生は、ですが。それが「N3」まで合格してしまうと、かなり自信がついてきます。

「難しい」で、諦めてしまうと、そこで止まってしまい、後がありません。とにかく、諦めずに、「書いて、書いて、書いて」いくと、いつの間にか、難しかったのが噓のように思えてくるものなのでしょう。何事によらず、そうなのでしょうけれども。

日々是好日
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少し、秋の気配がしてきたような…。

2018-08-16 10:11:04 | 日本語学校

晴れ。

まるで台風のような強い風が吹いています。しかも秋の風のように、ひんやりとしています。

「立秋」が過ぎた頃には、「へえ。これからは、残暑となるの?まだ猛暑でしょ」と巷では囁かれていたのに、お盆が過ぎると、これです。

とはいえ、8月中はよく台風がやって来ました。なのに、関東のこのあたりでは雨が恋しくなるほど…降らなかった…。けれども、天気予報図を見ていると、同じ関東の、あっちゃこっちゃで、雷様のマーク、オレンジ色のバッテンがついている。ここでも、1度だけだったと思うのですが、遠くで雷様の太鼓の音が聞こえていたことがあったような…、それくらいのもの。

ただ、台風の卵の熱帯低気圧が、南の海のそこかしこで、生まれているようですから、これからどうなるかわかりませんけれども。

さて、学校は…どうですかしらん。

「お盆」前には、二人ほど学校に勉強に来ていました。一人は毎日のように来ていたのですが、これも高校受験を控えていれば、ノホホンと帰国して遊ぶというわけにはまいりますまい。そしてもう一人は、「珍しいね」と問いかけると、「部屋では勉強できないから…」。言われてみれば、確かにそう。休みだからと言って勉強するようには見えない…他の面々は。

こういう東南アジア(ベトナムを除く)、南アジアから来ている学生達の、共通点の一つに、自分のレベルが見えないということがあります。これは日本人の私たちだから、特に強く感じてしまうことなのかもしれませんが。

彼等は、つまり、話せれば、いいのです。おそらく、何語によらず、会話さえできるようになれば、それで終わりなのです。日本語にしてもそうなのでしょう。読んで知識を増やすとは、ならないのです。「学ぶ」とは、「『アルバイトで困らない言葉が話せればいい』のとは違う」のが、わからない。日常会話レベルで終わってしまい、これではなんのために学校で勉強しているのかわからない…。

学校では、読めなければ…と言い、そのためには文字を覚えなければ…と言う。文字も「ひらがな」だけでなく、「カタカナ」も覚えなければ…と言う。一応、「ひらがな」「カタカナ」ができれば、次に「漢字」となる。それなのに、だいたい「カタカナ」で躓いて、その後の「漢字」というのまで続かない…。

だいたい、アルバイトでも、電車などで出会う日本人でも、日本語でそれなりに話せさえすれば、皆、一様に「日本語が上手ね」と言います。それで、「そうか、(自分は)上手なのか。じゃあ、勉強する必要なんてないや」となる。それでも「やれ、やれ」と言うのは、学校の教師くらいでしょう。

文字が読めなくて、彼等の最終の目的である「日本の会社に就職」できるものか。

ところが、話せるだけで、入れたりするのです。でも、後が大変。猫を被って面接をしているわけではないのですが、日本人にとって「外国語はヒアリングが一番難しい」ものですから、「ペラペラ話してみせる」だけで、「すごい」になってしまう。ほんとうは、適当に話せるだけで、社会人が普通に使う言葉も文法も全然わかっていないのに。

アルバイトでは、それほど複雑な思考は必要としませんから、日常会話でどうにかなる。ところが、そこで、ある程度の責任を持たされたりしますと、「理解力」も必要になってくる。まず、相手の指示を正確に理解し、その指示通りに事を運ばなくてはなりません。あるいは、スタッフに指示を出さなくてはならないこともあるでしょう。

ここで躓くのです。やはり「ひらがな」の世界で生きているだけの人は。

私たちが思っている以上に、会社では(日本人同士の)、「漢語」が多用されているのです。「ひらがな」だけの言葉で、指示を出そうとすると、これが思いの外に難しい。子供相手はいい、しかし、相手は大の大人。仕事も普通にできる。ただ指示を出しても正確には分からないし、相手の指示もはっきりとは伝わらない。

ということで、日本の会社に入っても、日本人から見れば、「判らないのに、訊かないで誤魔化すヤツ」となるし、向こうから見れば「指示を出しているのに、その通りにできない、あるいは遣ってくれない嫌な日本人」ということになる。

漢字を書けるようになって、そしてその時に訓読みも音読みも覚えて、音読みの単語をどんどん覚えていけば、将来役に立つ。そうしなければ、日本にいても、いずれ困ることになる。

そういうのは、判っていることなのですけれどもねえ。

彼等が、今、いわゆる「日本人と話しているという日本語」、アルバイトで使うような日本語の世界とは、違うのですけれどもねえ。いくら言っても、それは判らないようです。

ペラペラ話せるようになってからが、「始まり」なんですけれどもねえ。やはり、目的意識がそれほどない人には、これは、とても難しいことのようです。

日々是好日
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昨日「富士山五合目、1日バス旅行」をしてきました。

2018-08-03 09:56:53 | 日本語学校

晴れ。

猛暑が続いています。

昨日、無事、「富士山五合目・河口湖・白糸の滝」から戻ってきました。

運転手さんも、ガイドさんも、馴染みの方で、「お久しぶりです。また、お願いします」「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」という挨拶から、バス旅行は始まりました。一人のガイドさんはそれこそ何年もお願いしている方で、もう一人の方も2年目で、印象に残っている方です。お二人とも、タイプは全然違うのですが、話していても気分がよく、学生達がなついているというのが共通です。…外国人の学生たちが親しめるというのが一番のポイントです。

世話をしてくださる方が同じだと、年ごとの感想もかなり具体的になってきます。「前回よりも、○○の歌が上手になっていた」とか、「昨年は雨で気の毒だったのに、今年は富士山が裾野まで見えてよかった」とか。こちらも肩の荷を半分どころか、かなり下ろせます。

実は、数年前でしたが、外国人に対して、かなり失礼な言い方をするガイドさんに出くわして、イライラさせられたことがありました。それで、今、お世話になっているガイドさんに当たった時、「大当たり。来年もこの人だといいね」。で、次の年もこの方、その次も…で、今は、安心してお任せできるので、大助かり。

そして昨年、車一台では収容しきれないということで、もう一人、ガイドさんがいらっしゃったわけですが、もう体当たりという感じの方で、元気のいいこと、いいこと。学生達は完全に呑まれていましたね。

学生達は、国が違うと言うことで、つまり、皆それぞれ、多少なりとも習慣に違いがあるのです。ある年は、スリランカの学生が多かったり、ベトナムの学生が多かったり、そして今は、スリランカとベトナムとネパールが拮抗しているのですが、その間に、フィリピンやバングラデシュ、パキスタン、インド、中国、台湾などの学生が入ります。

日本語が未熟な人達ですので、慣れていなければ、時々、イラッとさせられることもあったでしょう。このガイドさん達は、あれっと思った時には理由を考えて、それなりに答えを見いだしたり、あるいはどうしてかと私たちに訊いてくれたりしました。

私たちも話し甲斐のある人だと思っていますので、気がついたことは話しています。すると、次に生かしてくださるのです。彼らに合ったゲームや、小話、身振り手振りの歌など。学生達が飽きないように考えてくれていることがよくわかります。ただ、今年の学生達は、歌が好きで、自分たちが歌っていなくても、聞いていたい人が多かった…。で、せっかく準備してくださっていたのが活かせないこともあったでしょう。申し訳ない。

人と人との間のことですから、言葉は不自由でも、失礼なことを言われれば、感じでわかります。結局は相手のお人柄次第なのです。

二人の運転手さんも真反対の性格の方だったようで、1号車は、真面目一方、2号車は「何なら演歌を聴かせてやろうかい」くらいの方だったという話。

今年の学生達は、ネパール人学生が多かったからか、集合時間にインドの在日生が一人遅れただけで、あとは問題なく、やって来て、言われるままに整列。お陰様で、15分ほど早めにやって来たバスを待たせることなく、そのまま、スルスルと学生達は乗車し、富士五合目へ。帰り、渋滞は2,3度ありましたが、それでも止まってしまうようなことはなく、予定を、30分ほど遅れるだけで戻ってこられました。

普段、会うことのほとんどない午前、午後の学生達。同国人であれば、浅草やお台場など近場での見学で仲良くなれることもあるでしょう。が、国が違ってしまうと、同じ学校にいても、なかなか話をするということにはなりにくい。

物の言い方一つ取っても、ある国では当然のことであっても、他のある国から見れば失礼千万の言い方になることもある。そこは、慣れた教員がいますから、間を適当に取り持つこともできる。判れば、なんと言うことはないのです。話しにくいなと思えば、無理に話す必要はなく、他の話しやすい人と話せばいいこと。それでも、知っているということで、挨拶くらいはしあえるでしょう。面白いなと思えば、そこで交流が始まったりすることもある。

人と人との関係というのは、本当に面白い。同国人の場合、なかなか変われないところがあるのに対して、異国の人との場合、却って、誤解が「瓢箪から駒」になったりすることもある。しかも、その確率がかなり高いときている。

こういう「1日バス旅行」というのも、そういう出会いのチャンスの一つだと言えましょう。

みんな楽しかったそうで、まずは、よかった、よかった。あとは夏休みを有意義に過ごしてくれることを祈るだけです。時間があったら、学校に勉強しにおいでと、言ってはいるのですが、果たして何人来るかしらん。

日々是好日
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「今日、勉強した お相撲さん、見ました」。メールが入っていました。

2018-08-01 08:34:13 | 日本語学校

晴れ。朝からカンカン照りです。

お日様がカンカンと照っているので、今朝は道を変え、日陰を選んでやって来ました。それでも、建物や木々の蔭が切れるところでは、カーン、カーンと音がしてきそうに日差しはきつい。

「文月」は暑さの月でした。しかも、大きな台風がやって来て(まだ九州あたりで迷走していますが)、大変な月でした。「酷暑」というレベルを、これまでの上に作るべきではないかと真剣にささやかれているとかいないとか。でも、本当です。これからもっと暑くなるでしょうから。

そして、「葉月」。本来なら、これから、本格的な「暑さの夏」の始まりのはず。今日も明日も、見たくはないけれども、予報掲示板(?)では、「35度」と真っ赤に塗られていました。もっとも、これが紫色に塗られるようになると、もっと、もっと、怖いのですけれども。

この暑さは地球規模のようで、夏、涼しいはずのヨーロッパでも灼熱地獄が続いているとか。その上、ドイツなどでは、湿度が一桁だとか。「こいつぁ、大変だ!」です。

日本は暑いことは暑いけれども、一応、湿度はありますからね。ただ、晴れているのに、湿った風が朝から吹いていて、湿度が80パーセントとか、90パーセントとかであると、それはそれで辛いこと。

私が子供のころは、夏、真昼は暑いけれども、夕方近くなると、途端にグッと湿度が上がって、「ザァッと一雨来て、ホッ」というのが常だったような気がするのですが。今は、夕立なんてのも死語になったのかしらん。「一雨来ると涼しくなる」なんて、口癖のように言っていた人もいましたけど…、今、そんなこと言ったりしたら、笑われてしまうかもしれません。

さて、学校です。

きのう、インターネットを使って、「横綱の土俵入り」を見せました。相撲を見たのは初めての人もいたようで、「大きい」「肩がすごい」…。でも、相撲取りの場合、筋肉が発達している人の方が力が強いとは限りません。一見ふわふわに見える「あんこ型」の人の方が、力が強かったりすることもあるのです。でも、これは、判らないみたいですね。

で、授業が終わってからのこと。午後、学生からメールが入っていました。「今日、勉強したお相撲さん、見ました」。驚いたでしょうね。映像で見るのと、実物を見るのとは全く違いますもの。日本人だって、お相撲さんが地下鉄の、同じ車両に入ってきたら、そりゃあ、目が釘付けになってしまいます。別格ですね、お相撲さんは。大きさもさることながら、着物でしょ、それに、髷でしょ、「たまげた」ことでしょうね。

でも、よかったね。

話を聞いたら、きっとみんな羨ましがることでしょう。

日々是好日
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