日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

東京は暑いと思っていた…。

2008-09-30 07:41:41 | 日本語の授業
 出かけ際に、外を覗くと、昨日の雨は霧雨になっていました。これならたいしたことはあるまいと、傘も持たずに出てきたのですが、失敗でしたね。だんだん服が湿り気を帯びてくるような、そして靴まで水気を吸って重くなるような、そんな鬱陶しさにつきまとわれ、路上の花や草木も見ずに必死で学校まで歩いてきました。着いた時には、汗びっしょりです。メタポ対策には、なるほど歩くのが一番いい。

 ところで、昨日の事でした。午前のクラスが終わってから、残って学校で勉強をしていた学生が、アルバイトへ出る時、ついと私のそばへ寄って来て「先生、東京はどうしてこんなに寒いのですか。もう冬ですか」。彼女は、遼寧省の出身です。言われて、そっちの方がずっと寒いのじゃないかという表情をすると、「日本は、暑いと聞いていた。寒い時の服を持ってきていない」。思わず「すぐ送ってもらいなさい」と大声で叫んでしまいました。

 中国の北方では、東京の気候を、タイやフィリピンと同じと思っているのではないかと思ってしまいます、彼らの話を聞いていますと。「ほんとの冬はもっと寒い」と脅しますと、「どうしよう」。

 まあ、昨日は特別で「11月の気温」ということでしたから、「晩秋」か「初冬」並みの気温で震え上がったのも無理からぬ事でしたが。

 しかし、いったいどうしてこんな誤解をしたのかと考えながら、話を聞いていますと、中国でも、日本の「若い人向けのドラマ」や「アニメ」などが紹介されているようで、そこからこんな勘違いをしてしまったようなのです。日本人は、冬でも薄着ですからね。でも、これは一概に「伊達の薄着」というわけでもないのです。

 中国では、とにかく子供に厚着をさせます。「少し寒くなったかな」くらいでも、もう何重にもくるまれます。綿入れにくるみ込まれた子供は、まるで布団が歩いているみたいに見えました。

 日本から行った当座は、それが不思議でたまりませんでした。子供は少し運動すれば、すぐ汗をかいて、暖まるもの。こんなに着ぶくれしていたら、まず、動けないじゃないかと。コロコロ転がって終わりじゃないかと。全く子供らしくない。お爺やお婆でもあるまいしと。

 日本では、昔から「子供は風の子」と言われてきました。「子供には薄着をさせるのが、身体のために一番いい」と。また、「そうでないと健康には育たない」とか、「厚着の子供は不健康で、病気がちになる」とも、言われてきました。そして、薄着のまま、外で、遊ぶのが一番いいとされてきたのです(もっとも、最近は、塾の勉強や、プールへ行ったりと、なかなか幼児や児童でも自由な時間は見つけられないようですが)。

 だから、『有名幼稚園』などでは、「冬も裸で過ごさせます」というのをうたい文句にしている所もあるくらいです。「乾布摩擦」を、幼稚園や小学校で取り上げているところも、もうニュースにはならないくらい多いのです。

 子供とはそういうものとしか考えられなかったので、中国で見かけた中国人の子供は、かわいいとか言う前に、これで大丈夫なのだろうかと感じられたのも無理からぬ事でしょう。

 そういう習慣の違いから、日本の薄着の子供を、中国のテレビで見れば、「なんと、東京は暑いところか。冬でも子供が半袖で走っている」となるでしょうし、日本の「ドラマ」や「ニュース」で、冬に短パンやミニスカートで、町を闊歩する若い女性を見れば、ますますその思いを強くすることでしょう。

 けれども、一言で言えば「東京の冬は寒いです」。しかも、大陸の乾燥した寒さとは違い、じめじめとした、下から迫って来る湿り気を帯びた、水気の寒さですから、「体感温度」は、同じ零度でも、もっともっと寒く感じられます。

 フフホトから来た女の子も「寒い」「寒い」を連発していました。寒さの質が違うので、震え上がっていたようです。

 私も北京で暮らしていた時、「今日の温度は、マイナス10度」と言われて驚いたことがありました。日が照っていると、それほど寒さを感じないのです。もちろん風が強い日には、体温がさらわれていくようで、「マイナス10度ね。これなら解る」と思ったものですが。

 寒さに震え上がっている二人(高校を卒業したばかりです)には、早速若い先生が、ユニクロを教えていました。ここで「二千円か三千円で、厚手のものを買って当座を凌げ」ということなのでしょう。

 今日は、お昼には雨が一時止むそうですから、学校においてある自転車(「天山来客」さんが、帰国する時、学校に寄付してくれたものです)に乗って、二人で見に行ってくればいい。中国からすぐ送ってもらうにせよ、今日明日の用には立ちませんから。

日々是好日
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プランターの曼珠沙華

2008-09-29 07:47:43 | 日本語の授業
 今日も朝から肌寒く、長袖姿となってしまいました。道行く人も、ヤッケや上着を羽織り、急に町が暗くなったような気がします。まだ黄葉が始まっていないので、しょうがないですね。

 今年は、このあたりに限って言えば、空梅雨ならぬ、「空台風?」かと思われたのですが、「イタチのサイゴッペ」ですかね、ゆるゆるとやって来そうです、台風が。

 今朝、「曼珠沙華」を見かけました。プランターに「一株」だけでしたので、あの強烈な赤を感じる暇もありませんでした。なんだか、か弱い赤が目の前をスッとよぎったような、それだけの印象でしかありませんでした。しかしながら、山野で見かける、逞しい「曼珠沙華」は違います。真っ赤っかです。その上、群生なんぞしていますと、辺りの空気までカッカッと燃え立ってくるような、そんな感じなのです。

 それが、「手活けの花」ならぬ、「プランターの花」になってしまうと、「赤」も上品に薄れ、こうも野性味がなくなってしまうものなのですかね。それとも、しっかりと根付いていないのでしょうか。まるで、人生の縮図を見るようで、哀れささえ覚えてしまいます。

 人も根(母国)を離れて、他国で暮らすということになりますと、独り立ちできるまでの期間、幼子に戻ったような状態になってしまいます。なんだか頼りなくなってしまうのです。そう見えない人でも、浮遊しているような躁状態にこそなれ、足が地に着いていないのは同じことです。

 そのまま萎んでいく人もいれば、しっかりと大地を踏み、根付いていく人もいます。萎んでいかないように、手助けをするのが我々の仕事なのですが、どうしても、ある程度は勉強をしなければならないので、その習慣がついていない人は、置いて行かれたような、寂しさを感じるようです。

 「最初は、(先生が何を言っているのかわからずに)困ったけれど、それは、みんな一緒だった。同じだったから、(それだけで)楽しかったのに、いつの間にか皆は意味が分かった上で笑っている。自分には皆が笑う意味が分からない…」と、そんな風になってしまうのです。

 勉強する習慣がない人に、それまでの監督者の元を離れさせた上で、勉強させるようにしろと言うのは無理なことです。親が出来ないことを、他者に、しかも外国人にさせようというのは、もっと無理なことです。しかも、「環境さえ変えれば、勉強するはずだ」と、雲を掴むような当てもない期待に胸を弾ませて、国を出すのですから、こちらから見れば、いったいこの親は何を考えているのだろうということになってしまいます。

 その上、こんな事を言う人もいるのです。「日本の日本語学校へ行ったら、『数学』や『英語』も教えてもらえるのか」。彼らがどういうつもりで、そんなことを言っているのか、私には分かりません。母国で、同じ国の先生に、母国語で、教えてもらいながら、とうとう解らなかったという「数学」や「英語」が、まだ「イロハ」もわからないというのに、日本語で、どうやって教えることが出来るのでしょう。そういう学生は、おそらく一年経っても「一級レベル」には、到達できないでしょうから、二年で、「中学生レベル(一級レベル)」ということになります。まず、「日本語だけでいいから、がんばって」という類の人達なのです。

 母国語で、それができていれば、後は日本語の問題です。母国語と日本語を対応させていけばいいだけですから、それは日本語学校の仕事だと言えましょう。それは大丈夫。早く一級レベルになっていれば、道は、自ずと開けてきます。

 普通は、母国で勉強しなかった人は、外国へ行っても勉強するはずがないのですが、例外があるのです。それは、「やりたいことがある」という人の場合です。ですから、私たちは、「普通高校を出ていない人」、或いは「統一試験の成績がとても普通ではないくらい悪い人」で、日本へ行きたいという人には、必ず、「日本で何を学びたいのか」と尋ねることにしています。もちろん、誰でも、どこへでも行く自由があります。けれど、同時に、その責任も義務も必要です。

 今までは、ただタラタラしていた。けれど、やりたいことが見つかった、目的が見つかった、その実現のために、日本へ行きたい。そういう人は変われる可能性が大きいのです。その思いが強ければ強いほど、夢の実現のため、或いは夢とまでは行かなくても(人間好きなことのためには、いろいろなことを犠牲にできるものですから)、その実現のためにがんばれるのです。

 もちろん、普通高校を出ていて、しかも、成績がよかった人や、大学を卒業している人には、何も言いません。言う必要がないからです。目的がなくても、勉強しているうちに見えてくるでしょう。少なくとも、勉強する習慣が既に身についていますから、日本語の上達も速いでしょう。それに、その速さに応じて、学ぶことも増えていくでしょうから、興味のあることを、一年乃至二年という期間で、探り当てることも無理ではないでしょう。

 勉強する習慣もついていない、何をやりたいのかも解らない。「とにかく、行きやすいから日本へ行くか」だったら、留学させない方がいい。少なくとも、勉強してもらおうと、いろいろな教材を備えたり、ずる休みをさせないようにしている、この学校は、向きません。

 日本は、狭い小さな国ですけれども、そういう人にあった、日本で、日本語を教える学校はたくさんあると思います。日本へやろうと考えている親御さんは、よくよく自分の子供の性格や出来、そして現在の状態などを考えてから、日本の、日本語学校や専門学校、短大、大学へ送り出して下さい。

 その方が、本人にとっても、受け入れることになる相手校にとっても、幸せなのです。

日々是好日
         (ここをクリックすれば、中国語の翻訳が読めます!)
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季節の「変わり目」

2008-09-27 12:00:53 | 日本語の授業
 昨日は、朝から蒸し暑く、まるで「蒸し風呂」の中へでも放り込まれたような、変な天気でした。ところが、お昼過ぎにサーと驟雨が来てからは、一雨ごとに寒くなるという、秋のお天気そのままに、気温がぐっと下がって、狐にでもつままれたよう…。帰る時には、冷たい風になっていました。

 そして、今日です。朝は二十度を切っていました。寒いですね。学校へ来る時も、長袖姿の人の姿が目立ちました。ヤッケ姿で犬を散歩させている人もいましたし。

 思えば、19日(つい先週の出来事でした)「寒い、寒い、きっと寒いに違いない」とびくびくしながら行った、フフホトも北京も寒くありませんでした。その上、「乾燥しているに違いない」と思っていたフフホトは、緑に包まれていましたし、「カラカラの乾燥」どころか、21日にはザーザー雨で、「嘘だろう。ここは本当にモンゴルなのか」と、もう予想と大違いで何が何だか解らぬうちに、北京へと戻ったような案配でした。北京でも、予想外に暑く、厚手の上着も、セーターも必要なく、フウフウと汗をかきながらの二日間でした。着いた日には雨も降っていましたし。

 日本に戻っても暑かった。中国へ出発する前は、台風が来るとの天気予報に一喜一憂していたのに、戻ったら、「台風は来なかった」。そして、大陸に比べれば、やさしいものの、真夏のような暑さでした。でも、暑かったのは二・三日で、今日の、この涼しさです。

 本当に、「秋」はこうでなくてはいけません。こうでなくては「秋」とは言えません。今日は、涼しさも秋らしく、お空も典型的な「秋晴れ」の青空です。その「青」の上を、ふわふわとした軽い雲が漂っています。

「女心と秋の空」と、なぜか「秋空」には「女心」が登場してしまうのですが、暑かったり、涼しかったり(この「涼しさ」を「寒さ」に感じてしまうところに、すでに「風邪を引くぞ」の兆しなのです)が、続くと、覿面、学校では、病人が増えてしまいます。人の身体というのは本当に正直なものですね。

 中国人の学生は、南から来ている人でも、寒さには強いというか、「四季の移ろい」に順応性があるらしく、学校を休むというまでには至らないのですが、南の国から来た学生達は、バタンバタンと将棋倒しのように、倒れていきます。

 毎年のことですが、梅雨の頃と、秋口とが、彼らにとって、日本暮らしの最難関の関所といった感じになってしまいます。一年がんばれると、もう大丈夫なのですが。これも、「夏に秋が始まり、秋に冬が始まり、冬に春が始まり」といった「その季節になった時には、既に次の季節が始まっている」という日本の四季の形を、徐々に身体が体得していくからなのでしょう。しかしながら、初めはだめですね。7月生にとっては、一種の「洗礼」のようなものです。

 上のクラスの人達はもう大丈夫なのですが、彼らの口からは、「声が出ません」とか、「頭が痛いです」とかいった言葉が、「おはようございます」や「こんにちは」の代わりに出てきます。ここで無理をさせると、結局は「風邪引きさん」が増えるということになってしまいますから、無理はさせられません。させられないのですが、勉強はどんどん進んでいきます。一日でも休んだら大変です。

 今週で、『初級Ⅰ』のクラスは『初級Ⅱ』になりましたし、『初級Ⅱ』のクラスは『中級』に入ってもう二・三週間が過ぎているというわけですから、今休まれると大変です。とにかく毎日がんばって学校へ来てもらわなくてはなりません。「お湯をたくさん飲みなさい」とか、「いつも一枚多めに服を持っていなさい」とか、先生方は大忙しです。

 それに、『初級Ⅱ』に入った段階で、このクラスの中国人のうち、余力のある人には『中級』にも参加するように勧めていますので、勉強の「分量」がますます増えていきます。日本語の「イロハ」から始めた人が、同時に、二クラスを受けるというのは、多少抵抗があるでしょうが、『初級Ⅱ」になっていれば、もうそれほど抵抗はないでしょう。

 つまり、もう『初級Ⅱ』に入ったということは、日本語を学び始めて三ヶ月が経過したと言うことですし…、まあ、普通にいって、「4級レベル」には達しているということですから、そろそろ手を広げたほうがいいのです。そして、どうにか、二クラスを同時進行という形で続けてもらい、いずれ、今年の4月開講のクラスと合併して、来年の7月には、「日本語能力試験の一級」をめざすと言う形になってもらうのが、一番望ましい。

 就学生達は、アルバイトをしながら、学校で勉強していますし、在学期間は決まっています。もう少し勉強してもらわなくてはならないレベルの人でも、延長はできません。それ以上は、この学校にいられないのです。もちろん、自分の国でも、勉強なんてしなかったという人は別ですが、普通の学力があれば、「一級レベル」は一年くらいで終わらせて、その上の、せいぜい高校くらいには、レベルと上げておかないと、大学や大学院に入学することが出来ても、そこで苦労するということになってしまいます。

 しかし、在日ビザで来ている人達には、基本的に時間の制限がありません。ゆっくり勉強してもいいのですが、実際は早ければ早いほどいいのです。月ごとにお金を払っているわけですから。特に中国の方の中には、出来るだけ早く「一級試験」に合格して、日本で仕事をしたいという「大卒者」が少なくありません。「留学生試験」は難しいのですが、「一級試験」というのは、きちんと習ったことを勉強してさえいれば、また、大学で勉強をしたことのある人にとっては、それほど難しい試験というわけではないのです。

 その「留学生試験」のことですが、実は、私には、この試験が始まってから、一つだけ、変えた「やり方」があるのです。

 以前は、文法用語のうち、少々難しいものは、もう少し後でとか、上級になってから、入れようとか導入時期を割合に考慮したりしていたのですが、今はほとんどと言っていいほど考えていないのです。

 迷わず、文法事項が出た時に、その単語を入れるようにしています。いろいろと忖度しても仕方がないということに、(このテストのお陰で)気づかされたのです。その上、その方が、お互いに楽だということにも、気がついたのです。

 学生達は、そういう言葉の導入後は、当然のことのように、覚え、復習時に問えば、その言葉を返してきます。外国人である彼らにとっては、その方が自然なのかもしれません。難解であるであろうと、勝手に思って出し渋っていた私の方が、おかしかったのかもしれません。

 まあ、そういうわけで、授業が、随分楽になりました。

日々是好日
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「雀さん」という表現

2008-09-26 07:41:06 | 日本語の授業
 今日は、強い向かい風の中を走らせてきました。目に入る背高い草が、大きく身体を揺らしています。虫達の声も「ジー、ジー」と抑えたトーンで迫ってきます。それなのに、なぜか、自転車に乗っている私の廻りを離れない蝶がいました。秋の蝶というと、随分侘びしげですね。お盆の頃の黒い揚羽は、死者の魂だから、触るなと言うことを聞きましたが、秋の蝶はどうなのでしょう。

 路上では、雀さんが整列を作ってご出勤です。小さいのが頭を下げ何かを啄みながら、チョンチョンと同じ速度で跳ねています。

 この「雀さん」とか、「猫さん」・「お犬さん」とかいう言い方は、どうも外国の方には馴染めないようで、「あ、烏の勘三郎さんだ」と窓から外を見て言う度に、「日本では、烏にも名前があるのですか」などと言われてしまいます。

 この学校では、中国人を除けば、南の国から来た人が大半を占めています。宗教も仏教・キリスト教・ヒンズー教・イスラム教と(その中の流派とかはよく解りませんが)四つ。彼らの目には、ヒトとその他の動物が一体になって交流しているような(野生動物もです)、こういう日本人の習慣は、奇妙なものに映るようです。

 輪廻思想とか、愛情表現とかは別にしても、日本人は動物とすぐに心を通わせたがるものらしく、しかも、そこに上下関係をつけるのを躊躇っているらしく、それが、ますますこういう「(言語)表現」の理解を難しくしているのでしょう。

 そういえば、主語に関してなのですが、昨日、『初級』の授業の時に、こんな事がありました。「『あしたは 試合です。』と言われたら、さて、なんと答えるでしょう」という問題です。普通は、理解していなくとも(三択ですから)、「多分これであろう」という程度で、選んでしまうのですが、インド人の学生が「『ああ、そうですか』です。でも、ここには答えがありません」と言って、譲らないのです。

 答えは「がんばってください」だったのですが、彼曰く「試合で何をしますか。見に行きますか。試合をしますか。解りません。誰が試合に行きますか。書いていません。わかりません」。こう言い張ってきかないのです。挙げ句は「先生、日本語にはロジックがありません」。私がまた何か言うと、「わかります。わかります。でも、ロジックがありませんから、難しいです」と胸を押さえてため息。

 他の学生は、それをおもしろがったり、なるほどと思ったりと様々でしたが、こんな日本語の「言語感覚」を掴むのは難しいでしょうね。「僕は うなぎ」と注文するのと同じです。こんな事を言われたら、この学生は、きっと「えっ。この人は人間ではなく、ウナギだったのか」と目を白黒させてしまうに違いありません。

 それから、一つ訂正です。

 昨日このクラスでは、クルミが捌けて、クッキーはあまり捌けた様子がなかったと書きましたが、そうではありませんでした。一昨日、しっかり、大きいのを七つも食べた奴がいました。しかも、選りながら。

 昨日、まだ、このクラスの学生達に一巡できるほど残っていたので、授業の終わりにまた持って行ったのですが、「昨日、七つ食べた人は、今日は最後」と言うと、その人は完全にすねていました。「いらない。いらない」。「一つならいい」と言っても、そっぽを向いてしまうのです。

 「ようし、いらないんだな」と念を押して、こっちも知らん顔をしていたのですが、一人「どれが一番おいしいの」と尋ねた学生がいたんですよね。すると、俄然張り切って、「これ、これ。ああ、それはだめ」とか、いつの間にか中国人以上に、中国のお菓子に詳しくなっていて、蘊蓄を傾け始めたのです。「ああ、ちょっと機嫌が直ったようだな」と思いながら、ふと見ると、説明しながら、次々に口の中に放り込んでいるではありませんか。「うん、これはいい。ああ、これはだめね」とか言いながら。

 私の見るところでは、昨日も三つか四つは食べていましたね。

日々是好日
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中国で買った「お土産」

2008-09-25 07:47:27 | 日本語の授業
 今朝は少々早く来たせいか、虫たちもまだ目覚めていなかったようです。

 実は、昨日、非常に疲れていたことを、内心喜んでいたのです(何となれば、「年を取ると、疲れは翌日には出ずに、何日か経ってから出る」と言うではありませんか)。しかしながら、傍らの人曰く、「この疲れは、19日にフフホトで得た疲れである」と。がっくり来てしまいました。

 さて、学校です。中国で旧友達が選んでくれたお土産は、学生達みんなに喜んでもらえました。中国人の、特に北方から来た学生達が、お菓子の蘊蓄を一くさり。それを他の国の人や南方から来た人達が聞くという具合で、本来ならば、漢字の導入や練習をしなければならない時間がゆっくりと和やかに流れていきます。

 面白いもので、クラスによって、売れ行き筋が、異なっていました。上級クラスでは「稲香村」のクッキーめいたものが、うまく捌けました。干した果物も大丈夫。平均的にみんな喜んでもらえたようです。中級クラスでも(なぜか「先生、お土産が欲しい」と下を向きながら呟いた中学生さんが、すっかり言ったことを忘れていましたけれど)、このクッキーはなくなっていました。中国人の学生は、親切ですね。餡が苦手だというインド人の学生に、一生懸命餡のないクッキーを捜し、「食べろ、食べろ」と勧めていました。まあ、この時に限らず、この二人は(二人ともIT関係の仕事のために日本に来ています)、いつも互いに助け合っているのですけれど。

 ところが、初級のクラスでは少々違っていました。話題になったのはクッキーではなく、干した果物、それもクルミだったようです。ちょうど彼らが漢字のテストの時に、先生が配られたようで、お皿の上のクルミを見るなり、中国人の学生達が、異口同音に「Aさん、クルミを食べて。食べて。頭がよくなります」。言われたインド人の学生は「私は、もう頭がいいです。いりません」。プライドを傷つけられたのでしょうか。彼はインドの有名大学を出ているのですが(7月生です)、まだ4級の漢字をすべて覚え込んだというわけではなく、後半部分が「ちょっとあやふや」なのです。それを、みんなちゃんと知っているのですね。

 そういうわけで、中国人の学生達は、「クルミを食べたら、ちゃんと思い出せる。がんばれ」という意味で、クルミを勧めたのでしょう(みんな、彼が一生懸命練習していることを知っているからこその親切なのです)。

 その、インド人のAさんなのですが、初めは「私は、クルミなんか食べなくても、大丈夫。フン。」だったのに、試験中に、やっぱり、こっそりとクルミに手を伸ばしていたそうです。例によって、自信がなくなる所、つまり4級の後半部分に至った時に、です。

 ところが、試験中、もう一人、クルミに手を伸ばした人がいました。さっき大きな声で、Aさんに、クルミを勧めていた中国人学生の一人です。これに気づいたAさんは、大いばり。急に公然とクルミに手を伸ばし、いくつも口に運んでいたそうです。それでいいのです。クルミは頭にも、身体にもいいですものね。

 実は、「出張のお土産」に、はじめは月餅を買おうと考えていたのですが、北京で旧友と食事している時に、「スーパーにも、デパートにも、もう、ない」という事を知らされ、愕然とし、うろたえている時に、このお菓子を勧められ、急遽、予定変更して買うことにしたのです。しかし、どこにでもあるとは聞いたものの、具体的な場所はわかりませんでしたから、その後で、以前の同僚や学生と会った時に、聞いたのです。この近所にあるかどうかと。すると、すぐに、北京駅の近くの、そのチェーン店へ連れて行ってくれました。そして、ついでに、選んでもらったという次第なのです。そこには、クッキーだけでなく、いろいろなお菓子がありました。干した果物もたくさんあったので、それをぼんやり見ていると、「これは呆け防止」だの、「頭がよくなる」だの、(好意から)いろいろなものを勧めらたのです、以前の同僚に。

 ちょっと考えてみると、おかしいですね。フフフです。普通、日本的に考えると、あのように「これはいいんだ。これはあなたのためにいいものなんだ」的な勧め方は。ある意味では「おまえはもう呆けが始まっている。まだでも、もうすぐ始まるはずだ。だから、これを食べておけ」なのですが、勧めてくれる彼らの表情には、好意と親切さが溢れているのです。それで、私も思わず、吹き出しそうになるのを堪えながら、自分の分まで買ってしまいました。クッキーの種類を選んでくれたのも、彼らです。箱詰めのことやら、壊れやすいので手荷物で持って帰るように勧めてくれたのも彼らです。

 その成果が、ちゃんとこうして出て、どの国の人にも(クッキーが苦手な人は、干した果物をつまんでいましたし、干した果物が苦手な人はクッキーをつまんでいました)喜んでもらえました。このお店を勧めてくれた人にも、連れていって選んでくれた人にも、感謝です。

 しかしながら、たとえ日数は短くとも、留守にすると大変ですね。授業が終わった5時くらいから、約束していた一組以外にも、2組のお客さんが来てしまい、てんてこ舞いでした。一組は娘さんをこの学校の就学生として入れたいという中国人のお母さんを連れた、元学生。一組は、今年早稲田の別科へ入学するという学生を連れたミャンマーの先生(とても感じのいい方でした。つまり、私たちと同じ「匂い『教師の』」のする人という意味でです)。もう一組は、IT関係の人で、仕事が見つかるまで、日本語の勉強に励みたいという恋人を連れた女性。

 「勉強する気があるのなら、この学校はちょうどよいけれど、もし、そうでないのなら、ここは、むかない。近くにいくつも日本語学校があるから、そちらも当たってみてくれ」と言っても(本来なら、言いにくいことです。けれど、実際問題としてはそうなのです)、通用する相手ばかりでした。よかった、よかった、です。

 これは、親の都合で日本へ来なければならなくなったという、子達は別ですが、それ以外の大人であれば、当然のことでしょう。

 就学生には、勉強が目的ではない人もいますし、進学をめざしていない人もいます。めざしていても、母国で勉強する習慣がついていなければ(20年近くも、或いはそれ以上もそういう習慣の下で育っているのです)、突然日本に来て、アルバイトをしながら、まじめに勉強をやれと言っても無理です。

 けれど、夫の仕事の関係で日本に来たという人や、日本で仕事をするには日本語が必要である(現在IT関係の仕事も不況のようです)ということから日本語の勉強を始めた人は、だいたいまじめに勉強してくれます。

 そうなると、就学生も釣られて「勉強にいそしむ」ということになりますから、私たちにしても、そういう人が来てくれるのはうれしいのです。

 とはいうものの、日常に戻れるのは(落ち着けるのは)、きっと来週からでしょう。

日々是好日
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中国から戻りました

2008-09-24 08:02:38 | 日本語の授業
 疲れました。19日から、フフホトを廻り、21日に北京へ戻り、昨日の夜、成田に戻ってきました。少々強行軍であったかもしれません。年を考えますと。

 成田へ帰ると、既に秋の虫たちが、いろいろな音色で(喧しく)出迎えてくれました。空気もどこかしら柔らかく感じられましたし、日中の温度差も大陸に比べれば穏やかで、この地は(色々なことが言われているにせよ)人体にやさしい地であることを実感しました。

 しかし、フフホトでは、新しい出会いがありましたし、北京では、旧友と旧交を温めることが出来ました。旧友と言っても、もう二十歳ほども下の人達です。心遣いをするのはあちらの方で、こちらはずっと甘えっぱなしでした。

 けれど、疲れました。

 このブログは、いつも朝の6時半前後に学校へ来て、だいたい一時間から一時間半ほどかけて書いているのですが、今日はちょっと書く気力が出てきません。昨日の夜8時頃、ウチに着いた時には、なにがしかの気力が、まだ残っていたのですが、だめですね。日本に着いてしまうと、身も心も緩んでしまいます。

 今朝、いつもよりかなり遅く学校に来ても、留守の間の能力試験のチェック、そして、日常の活動に戻るためには、まず、教室の机を拭くことから始めなければなりません。

 と言うわけで、中国からの報告は、いずれまたの機会に譲ることにいたします。

 それにしても、フフホトで出会った方々、それから久しぶりに会えた友人達(中には13年ぶりに会った以前の大学生もいました)、皆さん、ありがとうございました。お陰でいい旅が出来ました。

 実を言いますと、近年は北京に行っても、友人に会って安否を確かめ、旧交を温め合うくらいで(それはそれとしてうれしいのですが)、何か教師として「やった!」と感じられるようなことが、少なかったのです。今回は、フフホトへ行き、彼の地で学生達と、かなり突っ込んだ話が出来ました。もちろん、欲を言えば、授業をさせてもらえたらもっと気分よく帰れたのですが。

 けれど、欲はかけばかくほど、出てくるモノですから、それはそれでいいのです。

 というわけで、今日は無事に着いたという報告だけです。もうちょっと気力があればいいのですが…。

日々是好日
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「大学院へ進む」ということ。「日本語講師」募集しています。

2008-09-18 08:11:23 | 日本語の授業
 先日、一人の中国人女性が、この学校の卒業生と共にやってきました。中国人の友人をこの学校に入れたいと言ってやって来たのですが、話を聞いてみると、彼女は、日本の某大学の研究生だそうで、「これからどうすべきか悩んでいる」と言うのです。

 「研究生?じゃあ、修士をめざしているの」と聞くと、「そう思っていたのだが、『大学で、もう一度、大学生から始めたら?』と言われた」というのです。

 結構日本語は話せているように見えたのですが、系統的に学んだ日本語ではないので(独学で得た「中国人の日本語」の匂いがしました)、もう二年も日本にいるけれども、「今年『一級』試験に合格できる自信はない」と言います。この「研究生期間」を何に使ったかと言えば、彼女の場合、「日本語の基礎」を学ぶために使っただけなのです。しかも、「研究生」のための、(毎日の)日本語講座なんて、普通はあまり考えられませんから、大学もそんなことのために人を雇ったりはしないでしょう。

 しかしながら、この「誤算」の、そもそもの発端は、「『中国の大学』を卒業後、直接、『中国』から『日本の大学の研究生』になれる」という甘い言葉に釣られたことにありました。

 私たちから見れば、「『日本語能力試験』の『一級』にも合格していないのに?」と驚くだけなのですが、彼女らはその方面に関しては、本当に無知だったのです。

 大学の別科であろうと、月曜日から金曜日まで毎日日本語の勉強をさせてくれるところは稀です。ほとんどないと言ってもいいくらいです。大学は基盤が「大学生」ですから、「別科の学生」は、そのための「予備生」に過ぎません。「重視している」のは、当然のことながら、「大学生」であり、「まだ大学生になっていない『別科の学生』」ではないのです。しかも、夏休みは、大学生並みに長いのです。遊ぶつもりだったり、稼ぐつもりだった便利でしょうが、もし、きちんと勉強したいと思う学生だったら、大変です。

 こういう知識なしに、研究生になったなんて、私たちからすれば、ちょっと信じられないのですが、これは相手の大学側の説明不足か、或いは、「聞きたいことしか耳に入らない」という、あの習慣からか、そこの所は、ちょっと私たちにも解りませんが、彼女にしてみれば、この大学の研究生になれたのだから、二年が過ぎれば、自然に大学院の修士になれると思いこんでいたのでしょう。なれないことがあるなんて、しかも、大学生からやり直せと言われるなんて、そんなことは、全く考えていなかったのでしょう。

 「『日本』の大学の研究生」というのは、「『中国』の大学の研究生」というのとは、漢字は同じでも意味が少々異なります。身分は安定していません。一年乃至、二年の期間で、大学院の修士乃至、博士課程の試験に合格して、修士課程乃至博士課程の学生になれればいいのですが、二年経っても入学試験に合格できず、帰国するか、就職の道へ進むかする人も少なくないのです。

 普通、中国の大学を卒業して、日本の大学院に入りたい人は、まず、日本の日本語学校へ入り、「日本語能力試験」の「一級」をめざします。それから、大学院の試験を受けるのですが、日本で「一級」をめざす理由というのが、ほとんどの大学院の、研究生や修士の試験で、専門以外に、「日本語能力試験、一級程度のレベルの日本語ができること」を入学試験参加の条件に上げているからなのです。

 「日本語能力試験の一級程度のレベル」というのは、かなり含みを持たせた言い方で、その人を受け持つことになる担当教官が、「日本語が出来なくて面倒でも、責任を持つ」と言えば、通ることもあるのでしょう。

 ただ、「一級程度のレベル」があっても、そこには「専門性の高い日本語」というのが、欠けています。大学院に進む場合、いくつかの要素が必要になるのですが、日本語に関してだけ言いますと、「意思の疎通を図るための日本語」と「専門用語」の二つは必須条件です。これがないと、もし直接修士に進めたとしても、苦しいですね。一人だけ「蚊帳の外」と言うことになってしまいますから。この苦しさは、本人のみならず、担当することになる教授方にとっても同じだと思います。

 それで、中国の大卒者で、日本の大学院をめざす者は、まず、大学院の研究生になり、研究生期間中に、大学生と一緒に、大学の講義を受け、専攻する学問の「専門用語」や「専門的な言いまわし」、「専門的な言語的習慣」などを、覚えてもらうことになっています。

 それなのに、研究生の時に「基礎の日本語」を学んでいるのですから、当然、他の人達が、その一年乃至二年の間に学んでいる「専門性の高いもの」は、学べていないということになります。

 もちろん、その期間に、教授方とも接触する機会はあったでしょうから、「そこで認めてもらえなかったから」と言えば、そう言えなくもないのですが、やはり、それにしても無理があります。日本語で専門のことについて語れないのですから、認めてもらいようがないのです。

 直接日本に来てしまえば、中国とは違う日本の常識も知らないわけですから、きっと研究生の二年間に、いろいろな誤解を受けたり、誤解したりを繰り返しているでしょう。それは、大学院の先生方にも、しっかり連絡は行っているでしょうから、あまりにそれがひどいと「行きたい研究室の先生が、逃げ腰になってしまう」ということもあるでしょう。

 一見無駄に思われる日本語学校の「一年乃至二年」は、この意味からも無駄ではないのです。その間にアルバイトや地域との交流を通して、日本人に対する理解も増すでしょう。また「日本語の上級(一級)」と言われる、所謂『基礎編』が終われば、いろいろなことを学ぶことが出来ます。一応モノが読めるようになっていますから、「『専門』に関わりのある新聞の記事」や「文学作品」なども大丈夫でしょうし、歴史や地域などの「ドキュメンタリー番組」なども、ある程度は聞き取れる(これも授業ですから、「単語」や「背景」などは説明し、理解しやすいようにします)ようになっているでしょう。

 それに何よりも、日本にいるという「地の利」は得難いものだと思います。「一級レベル」になっていれば、自分でいろいろなことを調べ、いくつもの大学に当たりをつけることも出来ます。先生から「返事」がくれば、すぐに日時を決めて、会いに行くことも出来ます。その先生から断られたとしても、他の先生を紹介して頂いたり、専門に関する有益な話を伺えることもあるでしょう。少なくとも、専門に関することについて相談できる専門家を、一人は見つけたと言うことになります。「小さな種」かもしれませんが、大きく花を開かせることだって出来るかもしれない「可能性を秘めた種」です。

 日本にいれば、自分からこ積極的に、相手を選ぶことも出来るのです。大学院の先生とは、単に専門性云々だけでなく、「相性」というのも大切です。それを見極めることができるのも、日本にいて、直接相手に会うことが出来るからではありますまいか。

 「急がば、まわれ」と言うではありませんか。自分の事を「天才」と思ってはいけません。「天才」というのは、「そんじょそこらにいるもの」ではないのです。一歩一歩地道に進んでいった方が、却って早く「望むモノを手に入れられる」ということもあるのです。

よーく考えてから、留学の仕方を考えてみて下さい。

日々是好日
          (ここをクリックすれば、中国語の翻訳が読めます!)
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ホームページ(中国語版)が完成しました

2008-09-17 07:52:26 | 日本語の授業
 ホームページの「中国語」版ができあがりました。

 あっという間でした。連絡があって、見ると、「中国語」版が、当然のことながら、中国語で拡がっていました。しかも、我々には出来ないような気配りを添えて。

 その上、ここには、「日本語」版にはない「前文」が書かれてあります。「天山来客」さんからの、いわゆる「『日本語を学ぼうとする人』へのメッセージ」です。その中には、彼の「日本への思い」と同時に、「彼自身の、日本語との間で築かれた『歴史』」というものも含まれ、職場で机を並べていた時のことを思い出さずにはいられませんでした。

 どういういきさつで日本語を専門にするようになったのかは、私にも分かりません。ただ、「日本語は向かないよ。どうしてフランス語を選ばなかったの」と無礼なことを言った覚えがあるだけです。

 知り合った時から、学究肌の人でした。飲み込みも早く、根本から考えようとする。その上、実務にも長けている。ただ、難は、心が柔らかすぎること。まじめすぎること。弱いもの、傷ついている者に対する同情心が強すぎること。

 これでは、中国の機構の中では大変です。重宝がられ、面倒な仕事を押しつけられこそすれ、大切にされるということはないでしょう。バックもないことですし。適当に使い回され、ポイとされるのがオチではないのかと思ったのです。誠実な人、職人肌の人は、損をします。

 あの頃、どうして大学院に残らなかったのかと尋ねたことがあります。もちろん、愚かな質問でした。解ってはいたのですが、しかしながら、そう質問せざるを得なかったのです。いつまで経っても子供のナイーヴさを持ち続け、しかも聡明であれば、ああいう、ある意味では完全に「ある価値観の下で完成された社会」では、大事にされるということは、ありえないことですから。

 「いい仕事をしたい。勉強をしたい」という、「自分の仕事にプライドを持ちたい。また、持っている」という、ただそれだけの、馬鹿まじめな人間よりも、上司と一緒に食事をしながら、お愛想を振りまいたり、空港への送り迎えを嫌がらずにやる方が、大事にされるのは当然でしょう(そういう人は、得てして、仕事が出来ません。その人にとっても、その方が楽なのです。その間、大手を振って仕事を休めますから)

 いい仕事ができる人、また、そうしたい人は、できれば、そんなことに時間を割かれたくないというのが本音でしょう。けれど、それを表情に出してしまえば、それは、煙ったがられますね。

 それで、ついつい、聞いてしまったのです。どうして大学に残らなかったのかと。どうして会社なんぞに入ってしまったのかと。大学なら研究に没頭できるし、それさえしていればいいのだからと。

 大学でなら、象牙の塔で保護されていますから、こういうタイプの人でも、それなりに生きることが出来るのではないかと考えたのですが、これも日本的な考え方でした。中国社会がそうではないということが、いくら解っていても、年を取ってから中国語を学んだもので、すぐに日本社会が頭に浮かんで来て、そこからこういう事を言ってしまうのです。

 日本の社会だって、大学機構だって、それほどバラ色というわけではありませんが、彼のようなタイプは、日本の大学院の方が向いています。日本社会は、ああいう学究肌、職人肌の人に「甘い」のです。つまり、あいつは変わっている。しかし、仕事は出来る。つまり、変わり者だと言うことで、一切を「免除」されてしまうのです。一度こういう「お墨付き」がついてしまうと、はっきり言えば、後は「やり放題」です。何てったって、「お墨付き」があるんですから。天下公認の「研究一途」さんになるというわけです。

 不思議なことですが、こういう便利な(温情の)習慣が、江戸の昔から日本にはありました。もちろん、他者と異なる特異な才能がなければ、ただの変わり者なのですが、それさえあれば、「特別な変わり者」ということで、心の赴くままにさせてくれるのです。

 彼と机を並べている頃には、「もう少し上手になったら、俳句をやるように勧めてみよう」と考えていました。けれども、一緒に仕事をしているうちに、なんだか、そうでもないような気がしてきたのです。

 理知的な面では、確かに俳句が似合っています。特に芭蕉に時折見られる、漢文調の鋭い句など、少し勉強したら、それなりに言葉の流れをものに出来るのではないのかと思われたのです。が、どこかいつも泣きべそをかいているような、柔らかな「心の表情」が、芭蕉などの俳人によく見られる「強靱さ」を裏切っていたのです。

 専門が違えば、普段はそんなことを考えもしません。しかし、当時机を並べていたもう一人の女性にも、別のことでしたが、同じようなことを考えました。(彼女も第二外国語大学の日本語科を出ています)

 彼女は、「俳句」とか「短歌」とか、或いは「川柳」や「狂歌」といったものではなく、「日本の詩」が向いているような気がしたのです。しかも、「赤い鳥」調の童謡めいたものが、です。

 詩を読むリズムというか、それを捉えるために、当時、よく一緒に「立原道造」の詩を音読しました。詩というもののすばらしさは、文字ではなく、「音」として独立できるところにあります。短歌や俳句はそうはいきません。ひらがなや漢字、時にはカタカナまで動員して、目でも訴えなければならないからです。短さ故の宿命でしょう。優れた詩が、見た目に、どれほど美しくても、です。

 しかし、「天山来客」さんは、専門を変えました。法律を専門にし、弁護士として羽ばたこうとしています。専門が変わったことは残念ですが、それでも、あの見事な日本語を駆使し、日中貿易などの面で、幅広い活躍をなさることを、祈って止みません。

日々是好日
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「かつて生きていた人々」に対する態度

2008-09-16 08:01:08 | 日本語の授業
 今朝は、雨の中を歩いてきました。それもいつの間にか霧雨のようになり、着いた頃には止んでいました。

 先週の土曜日、いつものように授業を終えた後、久しぶりに友人と会いました。Uターンしたのかなと思われるくらい、連絡がなかったので、電話があった時には本当に驚きました。聞けば、まだ渋谷のマンションは残してあるとのこと。二・三ヶ月に一週間だけ、東京に戻ってくるとのこと。

 理由を聞くと、お母様の病気のせい…。認知症が少しずつ進行し、目を離すわけには行かないのだそうです。ただ最初は嫌がっていたディサービスも最近は喜んでいくようになったということで、暗い一方というわけでもなく、それなりに毎日を過ごしていると言っていました。

 「老い」というのは、誰にでも訪れるものです。人間がこのように機械文明を発達させたが故に、初めて、多くの人が「老いる」という状態に直面するようになりました。

 ただ、そういう「『老い』という文化」は今までなかったものですから、自分の中でも「あるがままにあること」を認めるのは、辛いことです。その人の周りにいる人々にとっても、同じように辛いことです。けれども、現実に「老い」というものは、確実に存在しますから、逃げようがないのです。

 「老い」はともかく、まだ「精神」が存在しますから、将来的は「明るいもの」になるかもしれません。

 しかしながら、それに付随して、避けることの出来ない「死」について考えるのは、今の日本人にとって、それほど自然なことではないのです。

 だれもが「昨日今日とは思わざりしを」とため息をつきながら、受け入れるほかないのです。肉親の死ですら。

 日本にいれば、ほとんど目にすることのないもの、それは「ヒトの屍体」です。交通事故に遭って、死者が出ても、テレビはその「かつて生きていた人の身体」を映しません。路上に運悪く投げ出された時も、すぐにシートがかぶせられます。「屍体」は、たとえ人としての「尊厳」を失った状態であっても、まだ「人」なのです。ものは言わねど、決して「人であることをやめた存在」ではないのです、日本人にとって。

 外国ではそうではありません。中国にいる時も、「『人の屍体』を『物体』として見ている」と感じさせられたことが何度もありました。おそらく、自分の身体や、肉親の身体は別なのでしょうが、他者においては、もはやすでに「人ではない」のです。

 戦時中ならいざ知らず、戦争のない国で…どうしてなのか解りませんが。イズム教育ばかりが盛んで、情操教育がおざなりになっていたのかもしれません。しかし、こういう部分は「国」による教育云々というよりも、伝統的な文化であるような気がしてならないのですが。

 たとえば、世界でも有名な仏教国があります。そこの人達は優しく、穏やかで熱心な仏教徒だと、日本人の誰もが思っています。しかし、彼らにしたところで、戦いになれば人も殺しますし、だれかが自分の「秘密、乃至悪口」を他の人に言ったとなれば、血眼になって「犯人」を捜し出そうとします。人が一変してしまうのです。これは、「荒々しい人が荒々しいことをする」のとは違い、見る者にある種の恐怖感さえ与えてしまいます。

 けれど、彼らにしてみれば、古くからそう行ってきたにすぎないのであって、「自分たちの事をそう思いこんで、賛美している日本人ほど愚かなものはない」ということなのでしょう。

 人間が抱く、「『思い込み』より来たる『他者のイメージ』」というものほど、頼りなく、あやふやで、罪作りなものはありません。全く実態と関係なく、「『A』だから、きっと『B』だ」と、決めつけてしまうのですから、怖ろしい限りです。

 異なった風土、文化、歴史を生きぬいてきた民族を(しかも、それぞれがまた、個別の生い立ちを持っているわけですから)、自分たちの思考回路に則って、取り込み、枠にはめ込もうとしてしまうのです。相互理解を口にしながら、相手の「ありのまま」を見ずに。いえ、一旦こうなってしまったら、もう相手の姿なんて、何も見えなくなってしまうでしょう。人間は、すばらしいけれど、愚かでもあります。

 たとえ、その人に殴られても、「いや、彼が殴ったのではない」なんてことも、言い出しかねません。

 「死者」に対する感慨もそうです。「日本は平和だから」ではないのです。古くからの、しきたりや習慣、死者に対する思いなどが綯い交ぜになって、こういう感慨を抱くようになり、このように死者と向き合っているのです。

 第二次世界大戦は、このような「日本」から見ると、とんでもない「イクサ」でした。ものを記録するようになってからも、それ以前から考えても、おそらくは、とんでもない汚点となる「イクサ」でした。どうして、このような歴史を持つ国が、あのように、世界中を敵に回して人を殺し始めたのかと、日本の歴史をひもとく者はきっと不思議に思ってしまうことでしょう。

 しかも、肉食の習慣がほとんどなかったのですから、「動物の解体ですらままならぬという民族が」です。

 ある人が「どの民族でも、民族ごと狂う時代がある」と言っていましたが、あの頃が、日本にとってそうなのでしょうか、秀吉の頃と共に。

 また、雨が降り出しました。台風の影響で前線が活発になっているのでしょう。今日は一日、重い雨に降り込められてしまうかもしれません。

日々是好日
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クラスの雰囲気

2008-09-13 12:08:39 | 日本語の授業
 昨日は、Cクラス(『初級Ⅰ』)の授業がない日だったので、授業が終わった先生から、学生達の様子を聞きました。

 楽しいですね。自分が教えている時は、「力ずく」でやらねばならぬ時も、少なくはないので、学生の様子も「楽しそう」とばかりは言えないのですが、若い先生方の話からは、「生き生きとした」彼らの様子が伝わってきます。

 先進国では、みんな英語を使っていると思い込んで、日本語の「いろは」も知らず、「ひらがな」も「カタカナ」も書けずに来た「インド人」の学生。しばらくは英語を「ひけらかす」だけで終わっていたのに、最近は新しい「インド人」の学生が、英語を使う度に、「だめ」「日本語で話して下さい」を連発しているそうです。

 解らない言葉があっても、「『自分で』調べる」という習慣がなく、すぐに「先生」と、教師を呼び、教えてもらおうとしていた彼。その度に、叱りつけたり、毎回、後ろの索引を開かせ、「自分で捜せ」などと言わねばなりませんでした。それよりも何よりも、「復習」と「予習」が、いかに大切であるかを諭さねばなりませんでした(中国人学生が多いので、ついて行けなくなるのです、のんびりしていると)。

 その彼が、今では、新しい「インド人」の学生に「それは、勉強しました。10課にあります」。「自分で調べてください。習った単語は、先生に聞きません」など、日本語で、のたまっているのだそうですから。全く。驚くやら、うれしいやら。

 とはいうものの、彼自身、単語をしっかりとは覚えてはいないのですから、面白いですね。ただ、日本語が「面白くなり出したようだ」というのは、感じます。このまま、こういう気持ちのまま、大学入試まで走って行けたらいいのですけれど。

 しかし、こうなったら、もう少し手を離しても大丈夫でしょう。四六時中、手取り足取りで文句を言われるのも、気ぶっせいでしょうし。

 『中級』に入った「Bクラス」の学生達の反応も、面白いですね。もっと「難しい」とか、「大変だ」という言葉が、上がってくるものだとばかり思っていましたのに。

 中国人の学生は、「『文』レベルで見ていたものが、『文章』レベルになると、こういう理解の仕方になるのか」と、納得しながら勉強しているような感じです。これも、年齢に幅があり、その上、目的が一様でないのがいい影響を与えているのかもしれません。家族滞在で日本に来て、ついでに日本語を学び、能力を生かして仕事をしたいという人と、大学へ行きたいという高校を卒業したばかりの学生。互いに助け合って、いい感じです。

 「非漢字圏」の学生達たちは、新出漢字を書く度に、「それは『医者のシャ』と同じです」とか『病院のインの左』とかいう言葉が、出てきます。間違える場合も少なくはないのですが、積極的な人が増えると、こちらも「漢字の教材」をもう少し増やしてやりたくなってしまいます。授業が終わると、午後の時間を生かして、早速、課毎の漢字をまとめて書いておくことにしました。

 以前作っていた「漢字カード」は、一枚ずつやる時にはいいのですが、まとめて貼るには、ちょっと不便で、面倒なのです。残って自習している学生達の面倒をみながら、チョコチョコッと、一応10課までは、準備できました。よしよしです。

 ただ問題は、貼っておくと「漢字テスト」の時や、「ディクテーション」の時に、ニコニコしながら見るのですよね。もっとも「漢字テスト」の時は、だめですけど、「ディクテーション」の時は、いつも大目に見ています。探し出せるだけたいしたものだということで。

 この漢字の練習の時には、中国人学生には、注意を要する漢字以外は、プリントなどをさせているのですが、中国人の学生の中にも、中学生さんがいますからね。彼には、「非漢字圏」の学生達と一緒に、漢字を練習させています。その時は、余裕があるのでしょう。「解ります」「ああ、これはわかりません。難しいですね」と一人でぶつぶつ言っています。半分はこちらに聞かせるのが目的でしょうが。

 こういう比較はあまりよくはないのでしょうが、年々、勉強だけに集中できる学生の数が、相対的に増えているような気がします。もちろん、皆いろいろな問題があるので、勉強に集中出来ない学生も、必ずいることはいるのですが、若い先生が「教えるのが楽しい」とか、「この教科書は、こういう教科書だったんだ」などと言っているのを聞くにつけ、「いい学生がいなければ、教師も育たない」ということを、身を以て感じてしまいます。

 学生を呼び出して、注意を与えるなどということは、「古強者」がやればいいことで、若い人には、「学校事務」や「授業」などを勉強してもらいたい。それが出来ないかぎり、一人前の「大人」の学生に「注意を与える」などということなんてできっこありませんから。

日々是好日
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人の可能性。人は本当にすばらしい

2008-09-12 08:01:40 | 日本語の授業
 今日は、暑さが、ぶり返してくるそうです。言われてみれば、確かに、朝から暑さがジリジリと迫ってきているようで、暑い。ここ二・三日、影を潜めていた、蝉の声さえ聞こえてきました。

 昨日のお昼前、まるで夕立のような雨がザッと降って来、それから本格的な秋が始まったのかと思われるくらい涼しくなりましたのに、今朝はもう、うって変わって、「夏の復活」です。

 夏。夏というと、夏休み。夏休みというと、プールへ急ぐ子供達。しかし、夏休みはとっくに終わり、新学期はもう始まっているはず。今日はこんなに暑いからとわけでもありますまいに、朝の6時頃から、大きな学生鞄を背負い、黄色の帽子をかぶった小学生達が、学校へと歩いている姿を何人も見かけました。こんな朝早くから、いったいどうしたのでしょうね。

 小学生と言えば、私が、小学生の頃、こんな記事を読んだことがあります。

 戦争や貧しさから、小学校も碌に行っていなかった人達が、60歳や70歳になってから、小学生に混じって、勉強しているという記事です。高校生の頃も、下の学年に「定年退職」した人が、通っているという話を聞きました。この人がいると、生徒達が本当にまじめに勉強するので、先生達は大助かりという噂と共にですけれど。

 彼らが小学校や中学校に通っていた頃と、私たちの頃とでは、情報量も格段に違っていたでしょうに。15、6歳の子供といえば、彼らにとっては、まるで孫と一緒に勉強しているようなものでしたでしょうに。懸命に勉強する、その姿には、子供でもなにがしかを感じてしまうのでしょう。当時、先生方が生徒に「勉強せよ」という言葉をかける必要がなかったと聞きました。

 本当に、日本人の子供でも、大人でも、外国人の子供でも、大人でも、勉強するのは大変です。特に外国で解らない言葉を、初めて習得しなければならないというのは、大変です。

 「のんびりした国」から「のんびりした国」へ行くというのなら、そうでもないのでしょうが。また、「気忙しい国」から「のんびりした国」へ行くというのなら、話は違うのでしょうが。

 のんびりした国から、この「日本」へですものね。大変で当たり前です。しかも、大人であった場合、「この言葉を習得すれば、給料が上がる」とか、「日本で働ける」という、二三年後の将来像が描けなければ、毎日はむなしいものになってしまいます。

 純粋に「学問だけ」というのは、先進国の人達だけに許された「甘え」なのかもしれません。

 日本に来られるかどうかわからなくて、大変。日本に来たら来たで、言葉が分からなくて大変。日本語が片言でも話せるようになったらなったで、今度は、「非漢字圏」の人達には、漢字というものが出てきて、大変。漢字をどうにか書けるようになっても、今度は、いろいろな「読み」があることに、気づいて愕然。

 漢字圏の学生にはない悩み、苦しみが、非漢字圏の学生達を襲います。しかし、そうであっても、「気力・体力」で乗り切って、日本の大学に通い、現在就職活動をしている人もいるのですから、たいしたものです。

 ただこういう人は圧倒的に少ないのです。ほとんどは、三ヶ月ほどで、崩れてしまいます。彼らは別に彼らの国で「選ばれ」て、日本に来ているわけではないのです。意識の上では、日本人の若者が国外へ行くのと同様、「漠然とした期待」だけで来ているのです。

 日本留学とかを終えて、帰国した同国人は、彼らよりも現金を持っているでしょうし、彼らが知らないことをたくさん知っているのでしょうから、当然えらく見えるでしょうね。

 「そうなりたい」し、「日本へ行けば、そうなれるはずだ」という「ぼんやりした期待」だけで、日本に来てしまった彼らですから、気忙しい日本の社会には、なかなか馴染めないでしょう。問題を起こしがちになってしまいます。彼らにとっては、日常生活の「いつも通りの行動」であっても、日本の社会では「非常識な」という「枕詞」がついてしまうことも多いのです。

 その差異に、気づくのも遅いのです。これは「感性」の問題で、「自分たちと違う世界があり、その習慣に則って生活している人たちがいる」という認識がなければ、説明されても、「どうして、どうして」、「私は違う」で終わってしまうのです。説明すれば、「わかる」というものではないのです。本当に「感性」の問題だと思います。「解る人」「気づく人」には、「解る」でしかないのです。

 日本に10年、20年と住んでいても、日本人と交わることがなければ、日本にいたことにはなりません。日本人の習慣が解っていないからです。聞きかじったことを、さも得意げに、日本について知らない人に話して、それで終わりになるだけです。

 淡い期待を抱いて日本に来ても、まず、勉強があります。就学生として来ているのですから。「『ひらがな』を覚え、『カタカナ』まで覚えた。よしよし」と思ったら、それで、打ち切りではなく、今度は「漢字」です。

 昔(今はどうか解りませんが)、「識字学級」というのがありました。在日韓国人の老人や日本で差別を受けて育った人達が、主に通ったのですが、そこで漢字まで習って、「ああ、これでやっと人並みになった」と喜んだという話や、「これで、知識を吸収することができる」と期待に胸を膨らませているという話などを聞いたことがありました。「漢字」まで知らないと、やはり、ただの日本語が話せるだけの「文盲」に過ぎないのです。

 「知識」や、いわゆる「学問」というものは、ただ「聞いた」だけではだめなのでしょう。なぜか解りませんが。「技芸」なら、「口伝え」と言うことも出来るでしょうが、「すべて覚える」というのは、普通の生活をしている人にとって、とても難しいことだと思います。

 「書かれているもの」を「読む」ことによって、人は知識を得、「思考する」のではありますまいか。それで初めて「思考言語」を習得すると言うことになるのではありますまいか。

 以前教えた学生の一人に、こんな青年がいました。体力も知力もありました。しかし、彼は10月に来たので、一年ほど日本語を学んだと言う状態で、大学入試を受けなければならなかったのです。しかも、来日時、日本語に関しては、「白紙状態」でした。

 彼は、がんばりました。『初級』の教科書は、ほとんど「丸暗記」していました。四級・三級の漢字も、とにかく、「書く」・「読む」を、アルバイトの行き帰りに繰り返し、忘れても忘れても繰り返し、『中級』に入っても、それを続けていました。

 彼の口癖は、「先生、時間がないねえ。もっともっと勉強したいねえ」でした。

 一年経つ頃には、言いたいことを相手に伝えられるようにはなっていましたが、文章も読めなければ、書けもしなかったのです。「六月の留学生試験」の「作文」で、呆然としていたのを覚えています。そういう問題について、考えるという教育を受けてはいなかったのです。

 ただ、勉強したいことがはっきりしていたのと、自分の勉強したいことについて大学の先生に語ることができたという点が、他の学生達と全く違っていました。休みの日には、電気屋に入り浸り、コンピュータをなめるように見、店員に説明を聞き、動かしてみる。それを繰り返していたようです。

 大学は、「一年でこれほどまでになれた」ということと、「勉学に対する熱意」、それと「彼の将来性」を買って、入学させてくれたのでしょう。そして、彼も、その大学で、すばらしい先生に出会い、すばらしい友人に出会い、今も生き生きと学業に励んでいます。

 こうなれる人は少ないのです。それでも、なれる人はいる。人間は、本当にすばらしいと思います。

日々是好日
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日本の詩歌を教える

2008-09-11 07:54:56 | 日本語の授業
 今朝は、また自転車での通勤に戻ってしまいました。急に歩くというのは、やはり、あまりよくはありませんね。何でも少しずつ、少しずつ。焦りは禁物です。

 昨日、一昨日と秋の虫の音を楽しみながら、学校へ来たのですが、今日は自転車で、ゆっくり漕いでも、それでも、歩くことに比べれば、ひとっ飛びで学校へ着いてしまいます。

 歩いている時には、それほどだとは思わなかったのに、早朝の虫の声には、力がありません。それは、「秋の歩みの鈍さ」のせいなのでしょうか、それとも、「失われ行く秋」と見、秋自体が薄れていくからだと思った方がいいのでしょうか。昔に比べ、「夏」の力が増し、「冬」の力が弱まり、それと共に「春」と「秋」が、ズンと「存在感をなくしている」のではないでしょうか。

 「今の東京の気温は、西郷さんや大久保さんが生きていた頃の鹿児島の気温である」というのを聞いたことがあるのですが、「温暖化のスピードが増した、どうにかせねばならぬ」と言われるよりも、ずっと現実味を帯びて聞こえますね。

 実は、私も、今から30年ほども前に、鹿児島へ行ったことがあるのです。その時、「これが桜島か、これが薩摩の暑さか」と不思議な感傷に浸ってしまいました。薩摩は、九州人にとっても特別な存在です。同じ九州であるとはいえ、古来から、熊本の南部から薩摩にかけては、少々別格なのです。

 人間に「優しい」気候ではないのです。九州でも東北部は、住人に、「間が抜けていてもよい、独りよがりであってもよい」と、そうであることを許してくれているような気候なのですが、あそこは違うのです。「気候」が、或いは「自然」がと、言った方がいいのかもしれませんが、人と対立しているような、人を支配しているような、そういうある種の畏れを抱いて見ねばならぬといったふうな存在なのです。

 もちろん、自然というのは偉大で、畏怖すべき存在であります。人間なんぞは「蟻ん子」のようなものですから、ただ見上げて畏れ入っていればいいだけなのでしょうが、それでも、地域によっては、畏怖心というものも薄らいで、やさしく包まれているような錯覚に陥らせてくれるようなものでもあるのです。

 その、畏怖すべき気候を有する、鹿児島と同じように、東京がなるというのは、恐るべき事であり、うろたえざるを得ません。

 「今の秋」は「失われて」しまうのでしょうか。それと共に、詩歌に残された情感も、感じ取ることが出来なくなってしまうのでしょうか。

 実は、近頃、若い頃には感じ取れなかった、「自由律の俳句」に、少々心を奪われているようなのです。

 以前は、「季語」のない詩歌は、「歴史」という「時間の幅」を拒否しているようで、どこか親しめませんでした。それに、「それは『散文』と『詩』との狭間にあるものであり、成功すれば『詩』になりうるものであるけれども、失敗したら無様なものでしかないのではないか」などと、生意気なことも考えていたのです。

 しかし、これも歳なのでしょうね。「『時間の幅』など、どうでもいいではないか。『技巧』などどうでもいいではないか。そのときの『驚き』や『喜び』、そして、何よりも『発見』を綴れば、それが人々の心を呼び覚ます『共鳴の波』となり、人々の心を『感動で揺さぶる』のであって、それ以上のものを要求すべきではないのではないか」と、思い出したのです。

 本当に、こんなものは「一瞬の感動」であり、「感傷」であり、また、「苦味」でしかないものなのです。平凡な人生の「切り取られた一瞬」でしかないものなのです。大上段に振りかぶって「やあ、やあ、我は感動したり」などというようなものではないのです。ただそれだけのものであり、それ以上の何物でもないのです。

それなのに、「それなのに」です。どうして、人は読むだけで心を揺り動かされ、追体験できたり、思い出に浸ったりすることができるのでしょう。

 「秋が来た 雑草に座る」
 「さみしい風が 歩かせる」
 「この旅 果てもない つくつくぼうし」
 「山のするどさ そこに 昼 月をおく」
山頭火のこんな、不思議でもなんでもない言葉とその配列。また
 「咳をしても ひとり」
の放哉。

 特に、放哉のこの句には、私には、思い入れがあります。北京の雑踏の中で、歩いていた時のことです。周りは人、人、人。そして、私もその人の波の中で、ただせわしげに歩いていた一人でした。何気なくいつものように歩いていた、その一瞬に、この言葉が浮かび、この句が突然、ストンと、腹の底に落ちたのです。

 「句というものは、理屈でわかるものではない」ということが、初めてその時、わかりました。

 けれども、これも、「彼らと同じように、山を歩いたことがある、彼らの見た月を見たことがある。彼らの感じた風を感じたことがある」であって初めて、「読むことで体感できる」ものではありますまいか。

 日本人の私ですらそうです。「理屈なし」の理解には、それなりの人生の長さと、それに付随した歩みが必要なのです。

 四季折々の、日本の山野を歩くことなしに、それを読ませると言うことの不条理さを、感じずにはいられません。

日々是好日
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子供なら、放っておいても、「学習修得言語」が修得できる?

2008-09-10 08:07:48 | 日本語の授業
 今日も昨日に続いて、ゆっくりと歩いてきました。歩くと自転車では見えなかった景色が見えてくるものだと言いますが、出勤という慌ただしさの中にも、確実に、そうですね、見えてくるものがあります。玄関先にちょこなんと行儀よく座っている猫(主人を送った後でしょうか)や、散歩のイヌ(主人を引っ張っている躾の出来てないものや、もうかなりの年なのでしょう、同じように年老いた主人と一緒にとぼとぼと歩いている老犬などもいます)。アスファルトを敷いた駐車場の、そのわずかな隙間から、たくましくも生え上がっているエノコログサなど、どこか郷愁をそそられる景色ばかりです。

 私には、エノコログサを見ると、手折りたくなるという習性があります。とはいうもののは、このエノコログサはという奴は、三・四本束になってしまうと、ちっとやそっとの力では折れる事じゃありません。引き抜くなんてのも、もってのほか。そんじょそこらの力自慢ががんばったって、軍配が上がるのはあっちの方というくらいしぶとい、所謂雑草なのです。

 それでも、私は、エノコログサやカンスゲなどの、ふわふわした雑草が大好きで、ナイフやはさみなどで切っては、それを使って猫と遊んだものです。ただ、これは家の中に持ち込んでしまうと、厄介なのです。すぐに枯れて種が飛び散ってしまいますから、掃除が大変なのです。そうなってしまうと、不実な猫はとんずらしてしまいますから、私一人が残され、怒られてしまうとい惨めなことになってしまいます。

 それから、小さい頃はオタマジャクシとカエルの区別なんてつきませんから、オタマジャクシを拾ってきて、こっそり飼い、カエルになって叱られたなんてことも、よくありました。

 昔は、田舎のちょっとした小川には、川蛭がいて血を吸われたりもしたのですが、源五郎やメダカや鮒なんかもいましたから、いつも子供で賑わっていました。夏になると、大人も交えての蛍狩りも当たり前でしたし、蛍を蚊帳の中に放つなどといったことも、至極普通に行われていました。

 その様相が一変したのは、テレビのチャンネルが増え始めた事と関係があるのではないでしょうか。チャンネルが少なかった頃は、啓蒙的なものやドキュメンタリーのようなものが多く、子供が手を出したくなるような気分のものではなかったのです。見ても、「勉強」といった感じになってしまい、子供が求める「面白い」の世界とは無縁でしたから。それは、すなわち、子供がテレビから「自由」だったということなのです。

 しかしながら、テレビには「放映される決まった時間」というものがありました。ところが、昨今は、時間に制約されることなく、テレビ番組を見ることができます。これはますます便利になり、ビデオが発売されたと思ったら、次はDVD、そして、今は、好きな時に好きなものを呼び出すことができるものまで発売されています。

 大衆が、科学の恩恵を十分に受けられるようになるのは、すばらしいことです。しかし、便利さの陰には、それと相反する「負の部分」も必ず存在します。大人はまだいいのです。自分で自分を「縛ること」もできるし、ある種の「価値判断」を下せもするでしょう。

 では、子供はどうでしょう。まだ、原始人、いわゆる、発達段階にある子供が、「過程」を経ずに、インターネットや携帯、ゲームに捉えられてしまったらどうなるでしょう。

 ネットにはまり込んだり、ゲームにのめり込んだりしてしまうと、その前の段階をしっかりと経験していない子供は、自制がきかなくなってしまいます。そのままズルズルと底なし沼に沈んでいくのがオチです。

 では、どうしたらいいのでしょう。まだ、本能で生きている段階ですから、「快、不快」が判断の決め手となってしまいます。「不快」な事を、理を以て説明しても、わかるはずがありません。それは「面白い」事ではないのですから。

 こんな時、他人ではだめです。子供からそれを取り上げたり、遊ぶ時間を決めたりすることができるのは、親だけなのです。特に日本にいる外国人の場合は。

 もちろん、親の方にその危険性についての自覚がなければ、無理ですし、子供との間に信頼関係が構築されてなければ、子供は親の言うことなんぞききはしないでしょう。

 この問題が、小学校や中学校の途中で日本へ呼ばれてしまった外国人の子弟に(つまり、戸籍の上の問題ではなく、日本で生まれ、日本で育ち、日本語を日本人の子供達と同じように学びながら育った子供達ではない、子供達の事です)、起こった場合、処置が本当に難しいのです

 外国人の子弟が、義務教育の年齢に(私は高校卒業までは、まだその社会で生きるための基礎的なことを学んでいなければならない年齢だと思うのですが)、日本へ呼ばれてしまうと、「学習習得言語」が構築されていないまま、日本語を学ばなければならないと言うことになってしまいます。日本語が出来ないのですから、学校の勉強も解らないのです。中国人夫婦の場合、中国においてくるか、或いは、親が高学歴であれば、母親が中学校くらいの内容は、母語で教えられますから、それほど問題にならないのですが。

 母親にそれほどの学力がない場合は、大変です。

 たとえば、日本人であった場合、日本人は、外国ですぐに日本人学校を作ってしまいます。子供を、外国へ連れて行った方がいいのかを、まず一番に考え、次に、連れていくとしたら、現地にちゃんとした学校があるのかどうかを見ます。そして、現地の日本人学校の教師の質を問うのが最後。これをクリアしたら、連れていくことになるのでしょう。そして、受験期には、受験の二年くらい前には、日本に戻してしまいます。欧米などの先進国でしたら、現地の学校に預けることもあるでしょうが、そうでなければ、ほとんどの親は現地の「日本人学校」に預けます。

 しかし、この東アジアのように、親が教育に関心を持つ地域というのは、世界的に見れば、少ないのです。子供が外国に、その国の言葉も話せないのに、ポンと放り込まれ、そこで心身ともに苦しむ…であろうことを、想像できない親御さんも多いのです。

 子供は、放っておいても育つし、育ったらすぐに、働き手と見なされるのが普通なのです。親だってそうだったのですから、自分の子供にも同じことをするでしょう。教育にお金をかけるなんてとんでもないと、考えている外国人の親御さんも、今、日本にはゴマンといるのです。

 「子供なら、言葉は放っておいても、すぐ上手になれる」というのは、本当でしょうか。努力もせずに上手になれるものなのでしょうか。

 ペラペラと流暢に日本語を話している高校生くらいの外国人の青年に、「本を読んでごらん」と言うと、これまた、淀みなく読んでのける。聞くと、「小学校の高学年の頃から日本に来て、中学校も日本の学校へ通った。でも、高校入試に失敗した」というのです。

 初めは、「こんなに日本語が上手なのに、どうして高校受験に失敗したのか」が、解りませんでした。全く日本人の子供達と同じに見えるのです。「話す」のも、「聞く」のも、「読む」のも。それで、もう一押しと、読んだ本の内容、指示語とかも含めて、聞いてみると、全くと言ってよいほど、答えられないのです。

 彼は「学習習得言語」が、習得出来ていなかったのです。こういう子供達が、今、確実に日本で増えています。戸籍も日本人で。

 高校を卒業して、日本に、「日本語」を学びに来ている外国の子弟たちが、たとえ日本語は、流暢に話せなくても、読めなくても、母語という「学習習得言語」を持っている限り、何不自由なく、日本でのアルバイトをこなしているのを見るにつけ、「日本の小中学校で(途中からであれ)、学んだ経験を持つ」彼らの将来を、危ぶまずにはいられません。

日々是好日
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菊花。卒業生

2008-09-09 08:04:50 | 日本語の授業
 朝夕、めっきり秋めいてきました。思えば、今日は「重陽の節句」。むべなる哉。もう、菊のお節句になっていたんですね。

 「菊の節句」で連想されるのは、菊酒でも、お習字でもなく、「菊人形」といったところでしょうか。子供の頃は、よく連れられて見に行ったものでした。近くの遊園地で、毎年、菊の品評会と菊人形展が同時に開かれていたのです。子供ですから、お目当ては、本当のところ、遊園地の「アヒルさんレース」でしたけれど。でも、あの菊人形の臈長けた姿と、鮮烈な菊の香だけははっきりと覚えています。

 小学校のころ、国語の教科書に、「菊花の精」の物語が載っていました。花の精というのは、古今東西どの国の昔話や神話にも必ずと言っていいほど登場するものなのですが、花の精が、「人間界に出、人間と交わり、しかも自分で同種の花を育てる」というのが、少し不思議で、読みながらも、なにやらその話に埋没できぬ自分を感じました。後に中国へ行き、白話文で、『聊齊志異』を読んだ時、その記憶がふっと蘇ってきました。もちろん、子供の時の記憶と多少異なってはいましたが。

 日本の翻訳物、特に子供向けに訳されたものというものは、どのような物であろうと、「毒」を薄められて登場します。内容が変えられていることもしばしばです。この物語は内容こそ変えね、「生々しさ」が全く消えていました。もちろん、大人向けの物を読めば、すぐに解ることなのですが。子供向けに「毒を薄め、内容を多少変える」というその理由も、今では解るような気がします。

 (小学校のころ、『グリム童話』を「発見」したことがありました。この『グリム童話』は私が知っていた『グリム童話』とは、全く異なっていたのです。本当に恐ろしくて、何日も夜歩けなくなってしまいました。「闇」と「影」が怖くて怖くてたまらなかったのです。大人になって、「シュバルツバルトの森」の話を聞き、映像を見た時、「童話の世界の闇」と「森の闇」が初めて一つになりました。あの民族は本当に不可思議千万な民族です。不思議さを感じるにとどまらず、あの暗さに神秘さえ感じてしまうほどなのです)。

 けれど、まあ、当時、私は「ギリシャ神話」や「北欧神話」に夢中になっていましたから、この「中国物」を新鮮な思いで読みました。「これこそ『「東洋』だ」なんて、思っていましたから。

 しかしながら、栄枯盛衰と言うべきか、菊やキンモクセイなどが脳裏に浮かぶ頃、街角で目につくのは、うらぶれた夾竹桃の姿です。我が世の春とばかりに咲き誇っていたのは、つい昨日のことのように思えますのに、もう花を…いくつも残していません。

 ところで、昨日は早朝から、卒業生の「お出まし」でした。聞くと、今年の3月に卒業したにもかかわらず、今でも以前のアルバイト先に勤めているということ。その帰りに寄ったということでした。中国人の学生にしてから、そういう状態の人もいるのですから、学生達がこの近くから出たがらないのも頷けます。

 一度この近くに住んでしまうと、なかなか遠くへは行けなくなってしまうのです。アパートも、アルバイトも捜しにくいことですし。

 考えてみれば、日本人であってもそうですから、まして、外国から来ており、しかも、日本に住んでいる同国人が少ない場合は、なおさらです。

 私たちも、卒業後、進学を希望する学生に対しては、この面でも、かなり気を使います。

 はっきりと「専攻」したい学科が決まっている学生は、関東地区でしたら、どこであろうとあまり不満は出ないのですが、そうでない学生の場合、この近くか、進学先に同じ国の人がいるかが、決め手になります。一人だとだめなのです。頼る人がいないと、「誰でもいいから助けて」になってしまうのです。この学校にいれば、私たちも手伝えるのですが、そうでなければ、なかなか望むようには行かない場合も出てきます。

 もっとも、私たちがいくら考えても、すでに弦を放れているわけですから、思いも寄らぬ事が起こらないとは言い切れません。それはそうなのですが、避けられるものなら、避けられる道を歩み、ある程度の技術を身につけ、次につなぐという生き方をしてもらいたい…のですが。

 さて、この卒業生です。彼は、今、横浜国立大学の研究生です。今年、修士を受験するといっていましたが、本当に日本語が下手。下手なのです。自分でも悲しいでしょうね。そうは思うのですが。下手なのです。

 言語の場合、特に初期教育というのは大切です。彼の場合も、中国で「飛び飛びに」日本語を勉強していたので、日本に来て、日本語を勉強しても、すべて「中途半端」になってしまうのです。「みんな聞いたことはあるような、ないような」「わかるような、わからぬような」。しかし、「聞き取れない」、「話せない」という二重苦で、ここにいる時も、「しょうがない。大学院に行けば、専門しか勉強しないわけだから、その専門を通して、日本語を勉強すればいい」で、過ごしていたのですが、やはり下手は下手。
 
 面と向かって「下手だ。下手だ。どうしてそんなにまだ下手なのだ」を連発してしまいましたから、困ったでしょうね、彼も。しかし、いい青年ですから、ニコニコして「ええ、下手なんです」。でも、「専門の授業はみんな解ります」。こう言われては、もう不満の持って行きようがありません。しかも、先生はとても親切にして下さるそうですし。

 いい大学は、先生も留学生に親切です。在校生達も、そんな「いい大学や専門学校」に進めたらいいのですけれど。

日々是好日
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皆で「協力する」ということ

2008-09-08 08:15:56 | 日本語の授業
 不思議なことですが、日本人(大人)においては当たり前のことで、他国の、また他民族の人たちにわかりにくいことに一つに、「連帯責任」とか、「チームプレー」とかいうことがあります。

 私にしても、子供の頃は、こういう事がよく解りませんでした。それで、「連帯責任」とやらいう理由で、罰掃除をやらされたり、叱られたりすることが不服でたまりませんでした。そういう時、子供は皆、口にこそ出さね、「私はちゃんとやっているのに…(どうしてAちゃんと一緒に叱られなければならないんだ)」と、呟いていたと思います。

 けれども、学校で、そういうことが行われていたのは、「一人が不始末をしでかしたら、皆でカバーしなければならない。また、そんな不始末をしないように、注意してやらなければならない。なぜなら、同じクラスメートなのだから」。つまりは、こういう理屈があったからなのです。

 この理屈を、「『日本』では、子供のうちに『身体』で学んでおかなければならない」ということが、はっきりと分かったのは、やはり社会に出、仕事を始めてからでした。クラブ活動で、運動部に入っていた人達は、多分その中で体得していたでしょうが、そうでない普通の子供には、わかりにくい理屈だったのです。身体は(そうしつけられていますから)、そう動きますけれど、頭では一万回ぐらいも「嫌だ。嫌だ」を叫んでいたのです。

 しかしながら、実際に働いてみると、「誰もが、全部を、一人でやりこなすことは、出来ない」と言うことに気がつきました。ベテランであろうと、不得手な分野はある。新卒はなおさらです。教育係の人やベテランに、折につけ、教えてもらわなければ何も出来ないのです。

 それはまた、そのベテラン達も「かつて、歩んできた道」でした。教えてもらった人が「ありがとうございます。助かります」と言うのは当たり前なのですが、そこには同時に、「『次』は自分が教えなければならない」という暗黙の了解もあったと思います。だから、先輩達も、無報酬で教えてくれ、会社もそのために「一見無駄に見える時間」を、新卒の教育のために割いてくれたのだと思います。

 けれども、もし、「教えてもらいっぱなしで、すぐにやめる」というのが、普通の行為になったとしたら、誰もそんなことはしてくれなくなるでしょう。会社もそんな(何も出来ない、信用できない)人間を雇ったりしなくなるでしょう。できあがっている(ある種の仕事だけ)人間以外は雇わなくなるでしょう。

 その方が、ずっと安くつくし、「成果も、早く『目に見える』」のです。「教育」というのは、「お金」も「時間」もかかります。その上、相手は「未知数」の、しかも「未経験者」です。手っ取り早く、「出来る」人間を雇い、だめだったら、すぐ捨てればいい。そういうドライな関係の方が、楽でいい。「育てる」には、何年もかかります。

 その上、毎日のように相対しているわけですから、「情」も湧きます。その人に対する「義務感」やら、「責任感」まで感じるようになってしまうかもしれません。そんな煩わしい関係など、見ずに済む。結局、「人間」ではなく、「部品集め」の方が、会社にとっても楽で経済的なのです。そうではないでしょうか。

 日本に来たばかりの学生達は、特に途上国からき他学生は、「どうして、アルバイトを休む時、先に連絡しなければならないのか」と不審に思うようです。「休んだら、その分のお金は引かれる。それでいいじゃないか」と。

 日本の会社や組織では、人件費が高いということもあって、余分な人を雇っていられるほどの余裕はありません。あっても、他の「意味のあることに」使いますし、もし、そう見えたとしても、それなりに必要があってそうしている場合が多いのです。それ故、一人でも急に休んでしまうと、だれかが、他の人がその人の分まで、やらなければならなくなってしまいます。割を食ってしまうのです。チームを組んで仕事をしているわけですから、いわゆる「連帯責任」という形になり、本来なら、少し余裕を持って仕事が出来たはずなのに、ぎりぎり状態でしなければならなくなりますから、働いている人は大変です。「休んだら、給料が減る。それで、終わり」というような、簡単なことではないのです。

 アルバイトの時に、この理屈が分かっていないと、大学や専門学校を卒業した後、日本の会社で働き始めても、うまくいきません。

 外国人から、今でもよくこんな話を聞くのです。「今の会社の人はうるさい。給料のいい会社があったら、そっちに移るつもりだ」。もうこうなっては、日本の会社の、いわゆる「10年先を見据えて、未熟者を、『身銭を切って』育てる」という、やり方は通じなくなってしまいます。

 私は、彼らを見ているうちに、日本で大学まで進めるくらいの能力があるのなら、日本語学校で学んでいるうちに、その常識「会社に勤め始めた時は、(少なくとも、三年間は)君たちは、使い物になっていないのだ。それを、数ヶ月の社会人教育や、その後数年の実務教育で、会社が『身銭を切って』一人前に育て上げてやって居るのだ。その間、会社が将来を見、身銭を切っているのであって、もし、その前に止めたりするのが、普通になるのであれば、その分を自分の金で学んだ人しか、会社は採用しなくなる」ということまで、教え込みたくなってしまうのです。

 もちろん、彼らに、これらを告げたとしても、腹の底におちて行くには時間がかかるのでしょうが。

日々是好日
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