日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『イチョウ(公孫樹)』がますます気になります」。「リーダーなんて」。

2013-11-29 08:26:39 | 日本語の授業
 晴れ。今朝は寒かった。予報でも、5度から14度とありましたし。もっとも陽が出てからは、それほどの寒さは感じられないのですけれども。

 「イチョウ(公孫樹)」が気になります。色づきと散り具合が…。気ぜわしいですね。日本人は、一年に二回、こういう状態になるのですけれども。

 春は、「サクラ(桜)」の花に追われ、秋は「紅葉(黄葉)」に追われる。こういう国に生まれたばっかりにこんな気持ちにさせられる…。

「春風の 花を散らすと 見る夢は 覚めても 胸の さわぐなりけり」(西行)
「花散らす 風の宿りは だれか知る 我に教えよ 行きて うらみむ」 (素性法師)
「梢吹く 風の心はいかがせむ 従ふ花の 恨めしきかな」 (西行)

これらをそのまま、「秋風」と換え、「もみじ」と置き換えれば、心は同じ、成立します。

「紅葉」予報では、「明治神宮外苑」のイチョウ並木の見頃は今週末とか。

「これ小判 たった一晩 いてくれろ」をもじって、
「これ木の葉 たった○○いてくれろ」と念じたいような気分です。

 さて、
 「リーダーとは」とか、「リーダーになる条件」とかいう、「リーダー」論が、常に街の本屋に堆く積まれ、またテレビなどでもよく特集が組まれています。それほど、「リーダー」が待ち望まれ、リーダー論に適せぬ一般大衆は「リーダー」になることを夢見なければならないのでしょうか。

 リーダーになりたいと思わねばならぬのか、またならねばならぬものなのか、ちょっと不思議な気がするのです。そんな脅迫観念に付きまとわれねばならないのかと。

 これも「独り立ち」できていない「日本人だから」なのでしょうか。最近は、「だれかが呼びかけ、自然に集まり、そして互いに何の関係も持たずにそのまま去り、そしてまただれか他の人の呼びかけで集まり、そして散る」、そういう活動も増えているように思われるのに。そこでは皆が、いわゆる「リーダー」であり、だれか決まった人による行動ではありません。

 人は、だれか、いわゆる「リーダーシップなるもの」を持った、特定の人が組織を作らねば、何もできないと思い込んでいるのかもしれません。その「だれか」が、普通の生活を送っている「あなた」でもいいし、またその横の、「あなた」でもいいとは、思えないのでしょう。

 もちろん、100人を超す集団を「束ねていく」のは大変でしょう。が、それぞれ、その「個」が、きちんと立っていれば、特別のリーダーシップなるものを振るわずとも、さまざまな事が成立していくような気がするのです。

 その中の、だれかが呼びかけ、皆が合意できれば、(成立するまでの意見の交換を通じて、見分けられた個々人の能力から)自然と役割分担が決まっていく。必要なのは、互いに、他者の美点を感じるセンスであり、他者を尊重できる態度だけでしょうに。

 というのも、昨今の「リーダー」の最たるものであるべき、またあるはずの「政治」を司る人達(それも国府ですから、最たるものです)に、それほどのリーダーシップが感じられないのです。

 これなら、街のオッさん、おばさん達の方がずっと優れている…。本当にそう感じるのです。なんといっても、オッさん達には「こころ」がありますから。「おらが街」のために、汗水垂らしてでも行動できるという「こころ」がありますから。

 「地位」が人の成長を邪魔するのか。それとも、それに伴う「金」や「権力」「権限」なるものなのか。「地位」などに殺されるくらいなら、それ(その地位に就くこと)を「拒否」できるくらいの「ハラ」を持てばいいのに。

 結局、個人個人の意思を明らかにして、まとめ、集団で行動できるというのは、古代ギリシアのポリスを成立させていた人数感覚しかないのでしょう。これ以上になると、「個」が埋もれて、人々の意思が通らなくなる…という感覚です。そう感じたら、そう感じた人々がポリスを出て、新たな国をつくるしかないのです。「規模には限界がある」とも思うのです。

 その集団の資質にもよるのでしょうが、「2日や3日、寝ずとも突っ走れるという人を必要とすしているか」、「多くの人が陶酔できるような人を必要としているか」、「『上』を目指して、邪魔になるものは根こそぎ殺し尽くしてしまえるほどの『非人情性』』を必要としているか」。本当に、人々は、リーダーの条件に「カリスマ性」を求めているのでしょうか。

 戦乱の世には、人々が「異常な心理状態」にあったでしょうし、「教育」を受けることもできなかったでしょう。また、「情報」も制限されていたことでしょうし。

 けれども、平和な世が続き、人々も望めば十分な教育を受けることができるような時代に、本当に、今、世に喧しく言われている「リーダー」が必要なのでしょうか。

 穏やかに、生活を送ることを願う人。その人達の生活を守ろうとする人。本来、この2者しかなく、そして後者の思いが、いつの間にか、緩やかなリーダーを育んでいくというのが理想なのではないでしょうか。

 本来、日本はその伝統はあったはず。村祭の世話役や、消防団、何かの儀式の時のとりまとめ役、それらができる人達が、そのやり方、伝統を若者に伝えていく。その過程でリーダーが作られていったと思うのです。それが「心ある」リーダーであると思うのです。

 昨今のリーダー論は「成功した人」か「成功できる人」しか見ていないようで、どこか薄ら寒くなってしまうのです。

日々是好日
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「何度も日本語ができないと、アルバイトは見つからないよと言ったけれども…」

2013-11-28 12:25:26 | 日本語の授業
 今朝の気温は14度と少し。そして日中は17度くらいとの予報。けれども、陽が落ちてからはグッと下がって10度を切るとありましたから、やはり今日もダウンが相応しいのでしょう、少しばかり暑くても。

 タイの中学生さんと話していると、「そうか、異国で生まれ、異国で育ち、また母国へ戻り、そしてまた生まれ故郷の異国へ来た人というのは、子どものうちから、こういうことも考えておかねばならぬのか」と考えさせらることがあります。

 本人は、まだ子どもだからでしょうか、その現実を、そういうものだとそのままに受け入れているように見えるのですけれども。

 彼の場合、そのどちらに「近さ」を感じているのかは、まだ自分でもわからないのかもしれません。Aと言えば、きっと、いや違うという声が聞こえてくるでしょうし、かといって、Bとも言えぬ。結局は、将来、どこで仕事を始め、生活の基盤を持つことになるのかで決まってくることなのでしょうが。

 ただ、高校や大学で知り合った人というのは、他で知り合った人とは、少しばかり重みが違うように思われますから、大切に選んでもらいたいものです。これは自分で選び、自分が行きたいと思って行った場合だけに限られるのかもしれませんから、尚更に。
  
 さて、どうしょうもなく疲れて、勉強などやっていられないという学生が多い「Dクラス」のスリランカ勢です。こんなに一度に来る(昨年は一期に一人ずつでした。つまり一年で三人か、多くても四人)ということは、必ずどこかに無理が出る(勉強するつもりがない、または勉強とはあまり縁がないという人も含まれている)と言うことで、それも彼らは来るまで分かっていなかった…(来てから、「しまった」でしょう。「来る学校を間違えた」)。例の、「行けば何とかなる」なのでしょう。でも、何ともならないのですけれども。

 きっと、母国で、「おいしい話」ばかり聞いていたのでしょう、日本に関する。簡単に金が儲けられるとか、日本には面白いことがたくさんあるとか…。

 日本での生活は面白いことばかりでもないし、簡単に金も儲けることもできません。それどころか、日本語ができなければ、アルバイトもないし、面白いことも経験できない…。その現実に気がつくのが、だいたい来日後一ヶ月くらい…。

 アルバイトがない、ない、ない…と言って騒ぎ出すのですが、日本語ができないのですから、当たり前なのに。もちろん、これはスリランカ人だけではありません。ベトナム人もそうです。(人数が)多いからネットワークがあるだろうと思っても、飽和状態になれば、それも威力を発揮できませんし。

 日本語ができなければ電話もかけられない。かけてもだれと何語で話すつもり…ということになる。そう言われた意味がやっとわかって、慌て始めるのが来日後一ヶ月…あああ。

 「せめて、『初級Ⅰ』くらい勉強した人を寄越してくれ。そうでなければ、ずっとできないままで専門学校へ行かなければならなくなる」というのが、我々の、偽らざる気持ちなのですが。

 実際、(日本へ来て)困るのは、送られてきた学生達。そして勉強しない、あるいはできないという学生達を前にした教師達。だいたい(アルバイトが)あっても、そんなに条件のいいところなんて、ありません。というわけで、…いつも眠い。学校も休みがちになる。

 休んだり、遅刻したりが、1日か2日程度なら、放課後、残して勉強を見てやることもできます。しかしながら、こうも休まれると、しかも、それが一人や二人ではなくなると、もうお手上げ状態。面倒をみても、その2、3日後に、また休む。そして、それの繰り返し。そうなると、残して面倒をみた分までが無駄になる。次に残した時、前のところが真っさらになっているのがわかりますから。それに、アルバイトに疲れている彼らにしてみれば、ありがた迷惑というところでしょう。教師が必死になればなるほど、早く帰って寝たいのに、余計なお節介をするとしか思えないのです。

 残すにしても、贔屓はできませんから、端っから勉強する気のない人まで、一緒に残さざるを得なくなる(あの国は何でも「一緒がいい」ようです。「悪平等」というのは、中国にいる時に、よく感じさせられたことなのですが、彼らの国でもそんなところがあります。何だか、皆一緒にしないと、まずそうなのです。勉強する気がなくても、一緒に残っていれば、それで除外されていないような気分になるのかもしれません)。

 というわけで、「もう一度やり直すしかないね」で、もう面倒を見ることはやめ、そのままにしてあります。ただ、ビザのことはしっかりと告げて。80%を切った時は一年はでないのだと。

 どうして、勉強できるような状態で送り出せないのでしょうか。不思議な気がします。せめて『初級Ⅰ』がしっかりと頭に入ってから出していれば、スリランカ人はヒアリングが悪くないので(聞き取りができるということと、聞いて学んでいくタイプの人達が多いという意味で、東アジアの「目で覚えるタイプ」とは違うのです)、『初級Ⅰ』の単語・文法をたらい回しに使っていれば、だいたいは事足ります。語彙にしても、日本にいればだいたい身につきます、かなり短い時間で。

 ところが、まだ「ひらがな」が定着していない段階で送り出されてしまうと、もうどうしょうもありません。来日後(アルバイトなどを探すために)駆け回っている間に、きれいに「ひらがな」の「う」が「ら」になったり、「ん」になったり、何が何だかわからないような字になってしまいます。

 耳が良いと言っても、「正確な」という枕がはいると、怪しい人がかなりいるのです。幾つかの音は正確には聞き取れていません。けれども、意味はとれているのです。本人は「上手」のつもりでも、ディクテーションをすると、ボロボロ間違いが出てくるのでわかります。しかし、訂正された箇所を見直すという習慣が、母国でつけられている人も少ないので、別に、気にならないのでしょう、間違えていても。他の人達が教科書を見ずにディクテーションをしているというのに、教科書を写して、「自分はできた、できた」と声を上げている人さえいるのですから。

 正直に参加していた人は不愉快極まりないのでしょうが、最近はそれも無視できるようになってきたようです。私たちとしては、書かないよりは、写してもいいから「ひらがな」を書いた方がいいと思って黙認しているだけで、決してそれを奨励しているわけではないのですが。

 学校も、中国人の数が少なくなると、それに向いた計画を立てざるを得ず、そうなると「N1」クラスというのが成立しなくなります。

 「非漢字圏」の学生達は、一応、「初級Ⅰ」の最初から始めた場合、1年(2年目の7月)で「N3」、1年半(12月)で「N2」を目指すというカリキュラムになってしまうのです。

 中国人の学生が多かった頃は一年で「N1」だったのと比べると、かなり緩いやり方(間延びしているかのように感じられるかもしれませんが)なのですが、ある意味では、こうやって着実に実力を伸ばしていけるようにした方がいいのでしょう。

 ということで、主教材を考えていくことになりました。

 今回、「Bクラス(中国人が三人入ってはいましたが)」でやってみたのは、「中級教材」から直ぐに「上級教材」に移らず、間に「N2文法」と「N2読解」の問題集を入れることでした。「読解」は、ある意味では成功だったと思います。やり方は彼ら自身でやらせていくと言うのではなく、共にやるということ。

 「例題」を通して問題の解き方のコツを把握し、然る後、「練習」をやっていく。その「練習」も、その都度「『問い』だけを先に見ておいた方がいいのか」とか、「『問い』の1、2、3、4を読んでおいた方がいいのか」とかを、付け加えながら、共に読み(一人で黙読させるのではなく、朗読です)、それから単語の意味を聞いたり、説明を加えたりしていきました。

 彼らは、国で大学を出ていても、試験問題の解き方の指導なんて、あまり受けていないのではないかしらん。おかしな話ですが、やりすすめていくうちに、「これはいいですね」なんて言葉が学生の方から出て、やっぱり…と思いましたもの。

 今回は、「試し」で、それほど時間がとれなかったのですが、もう少し余裕があったら、後半の問題にはある程度「N2」の文法が出ていましたから、それらも適当にチェックしていけたでしょう。

 その他に、「N3」文法を簡単にまとめたものを作り、「Aクラス(大半はベトナム人、他は中国人一人、フィリピン人一人、バングラデシュ人一人)」と先の「Bクラス」に配りました。「Aクラス」では、授業2回分で全体的に説明し、そして火曜と最後の金曜日に質問を受けるという形でやり、「Bクラス」では、30分ほどでザッと流しただけだったのですが、それでも、「Bクラス」程度で、やっとこさ、この「N3文法」が判るという感じなのです。

 ちなみに、「Aクラス」では、ほとんどが今度「N3」を受け、「Bクラス」では「N2」を受けます。

 この文法のことなのですが、「N3」の試験を受けるという「非漢字圏」の学生達に、「N3」が合格していなければわからないような単語を多用されても、(学生達にとっては)チンプンカンプンなのです。「漢字圏」用のものは、ちょっと困ります。語彙は語彙、文法は文法でわかるものが必要なのです。そういうものが一つでもあれば、説明が楽になるのですが。

 だいたい、中国人(漢民族)は、「N3」は受けないでしょう。「N2」ぐらいとっておかなくては物の役に立ちませんし。以前の中国人達は「N1」のことしか言いませんでした。

 非漢字圏であって、しかも欧米出身者のためでなく、後発国出身者向けの「N3文法」なんてのがないものですかね。これは、「中級レベルの教科書」にも言えることなのですが、目線が先進国用なのです。それで、学生達は、どうして筆者がそう考えるのかがわからないのです。実際に授業をしていく時に、本文を使って、文法や単語の意味を説明していくよりも先に、そういう要らざる説明に時間をとられて困ったということもありました。

 それに、厚い本はだめです。薄くて、必要最低限のことがわかりやすく書いてあるものがいいのです。ないから、その都度こちらが、自分の学生達向けに考えていかなければならないのですが、現場に立って授業をかなりこなしながら、そういうことをしていくというのはかなり大変なことです。毎日追われていくようなものですから。

 こちらが、この学校の学生向けにチョコッと変えるだけでいいような教材。そういうものがないかしらん。

日々是好日
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「小さな学校でも感じさせられた、『異文化』」。

2013-11-27 14:53:43 | 日本語の授業
 やっと雲が晴れてきたようです。家を出る時は、雨雲のような灰色の重たい雲が一面に垂れ込めていました。

 陽が射し込んできています。周りを見ると、その陽に照らされて、きれいな黄紅葉が輝いています。けれども、その中に、生気を失って、頭を垂れている木々も見られるのです。夏には清楚な姿を見せていた「フヨウ(芙蓉)」もその一つ。カサカサに乾いた黄みを帯びた白っぽい葉が、後は風に靡いて散りゆくだけというような様子で立っています。頼りなげです。

 冬が近づくと、夏の盛んな頃とは全く違った(気分の)姿を目にし、「生き物」としての「植物」を、深く感じさせられることがあります。

 とはいえ、季節毎に盛りを迎えるものはあると見え、鮮やかに目に飛び込んできた色がありました。あれはいったい何者なのでしょうね。「タデ(蓼)」の一種のように見えるのですが。外連味を帯びたあざとい赤です。しかもせいが高い、1.5メートルはゆうに越えているでしょう。こうなると、もう「赤まんまの花」などは歌えません。観賞用の、既に「赤まんま」と無縁の者としか感じられないのです。色が日本のとは違う。強すぎる…人工的過ぎる…のです。

 さて、学校です。

 昨日、「七月生」の授業をしていた教員が、一人の女子学生が教室を出たり入ったりして困ったということを話してくれました。彼女は、授業中、勝手に教室の外でに出て電話したりするようなタイプではないので、私もちょっと驚いたのですが。

 何でも、母国から、「今度、日本へ、団体で行くのだが、決められたホテルは高いから、もっと安いホテルを探してくれ」という電話がきて困っているらしい。しかも、やいのやいのと急かされているようなのです。教師が、「(あなたはまだ)できないでしょう。できないのだから断りなさい」と言っても、それは「できない(断れない)」と言うばかり。

 日本語が下手(はっきり言った方がいいのです。この場合)であるから、捜せない。これが一つ。それから、「彼らの政府が決めたホテルに、団体で泊まるということでビザが下りているのだから、勝手に他のところに行くことは許されない。もしそれが発覚した場合、彼女自身、責任はとれないだろう」というふうに詳しく説明しても、「できない(断れない)」と言うばかり。

 教室にいた、他の学生(同国人)が、「そうだ。断った方がいい。わかったら(ばれたら)大変だから」と言っても、「できない(断れない)」と言うばかり。埒が明きません。

 この教師も困って、「だめだからね」と言って切り上げたそうなのですが。

 だいたい、スリランカ人は、男女を問わず、決められない人が多いのです。はっきりと言うことができない状況にあるのでしょう。普通のことなら、即断即決が出来そうな人でも、こと、自分の国の人間関係が絡んでくると、途端に、メエメエと鳴いて逃げ腰になってしまうのです。

 狭い「村社会」で、何か新しいこと、普通とは変わったことをしようとすると、その都度、いろいろな所に罪作りをしてしまう。それで、結局、何も新しいことができない。頼まれたことでも、断ってしまえば、角が立って、次に何かを頼もうとしても、その時のことで意地悪をされてしまうかもしれないなんて考えてしまう。

 だから、普通の「善人」は、声が大きくて、わがままな人に振り回されて、それで、終わりになってしまう…。

 スリランカ人の女性は、それに輪をかけて、できないことが多い。その前に、何と言っても、社会性が乏しいのです。日本で言うところの「普通のこと」ができない社会と言った方がいいのかもしれませんが、時々、気の毒になることがあります。

 以前、この学校にいた女子学生も、日本にいた時には、夜遅く、アルバイトから、自転車を飛ばして帰ったりしたことがあったのに、一時帰国すると、スリランカでは、一人ではどこへも行けない。どこへ行くのも、「危ないから」ということで、親同伴の車の中。全く自由がなかったと言います。

 では、日本にいる時は、全く自由かというと、大間違いで、日本でも、彼女らは気を遣いまくりです。アルバイトの帰りでも、駅で見知らぬスリランカの男性がいたら、慌てふためいて逃げ帰る。決して彼らと話そうとはしません。却って、声をかけられてはならぬと言います。聞くと、「スリランカ人の男は悪いですから」と言うだけ。

 日本で、片言でも話す、スリランカの男性は、この学校の学生と親族の男性、それにその人(親族の男性)達が話してもいいと連れてきた男性だけだと言います。「他の人とは絶対に話しません。話しかけられても知らん顔します。(スリランカの男性は)悪いですから。日本人の男性は大丈夫です。悪くないです。話しても大丈夫です(悪い人や変な人もたくさんいると思うのですけれども…)。」

 この「悪い」というのも、彼女の日本語の語彙が不足しているので、このような表現になってしまだけなのでしょうが、けれども、何となく、彼女の言わんとするところは伝わってきます。スリランカでは、見知らぬ男性と、普通に(私たちがはなしているようには)話すことはできないのだろうと。

 そういう中で育っている彼女らは、行動力に著しく欠けているというのも、当然と言えば当然です。常に父親に頼ったり、親族の男性に頼ったり、また彼らを通して、彼らの知り合いの男性に頼ったりして過ごしてきたのでしょう。

 スリランカの女性達の状況がそれほど呑み込めていなかった頃は、もちろん、中国人女性と同じとまでは考えていませんでしたが、ある程度は自分達でもできるだろうくらいにしか考えていませんでした。

 スリランカ人女性にとっては(多分、スリランカだけではないでしょう)、外国に一人で留学するということは私たちが思っている以上に大変なことなのです。それがわかったのは、初めてスリランカ人女子学生を入れてから随分経ってからのことでした。普通は、日本に既に、夫がいたり、兄弟がいたり、かなり近い親族がいたりして問題はないのです。それでも、彼女たちと話していると、時々、えっと驚かされることも少なくないのです。

 話は戻るのですが、ホテルを頼まれた彼女、まだ、だれに相談していいのかわからずに、オタオタしているのかもしれません。頼みになる男性が近くにいるならばともかく(いるのなら、親族であればそっちに連絡するでしょうし)、どうするつもりなのでしょうか。

 何か聞いてみようと思っていたのですが、今日はお休み。明るい顔で、「『できない』って言いました」と、明日、来てくれるといいのですけれども。

日々是好日
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「昨日の暴風雨」「毎日何本もビールを飲まずに、貯金した方がいい…と思うけれども」

2013-11-26 08:54:15 | 日本語の授業
 夜来の風で、あちこちに木の葉の吹きだまりができています。空気がしっとりとしていて、さすがに雨のあとは違う…。

 とはいえ、気になるのは、「イチョウ(公孫樹)」の「黄葉」の程度と、そしてこういう大風の後の「散り具合」。

 埼玉の方では、既に先週、きれいに黄葉していましたし、根元には、小さな黄の扇がチラホラしていましたし。けれども、ここ、行徳の小学校では、まだ青みを帯びているのですよね。この分なら、来週の3日には間に合う…かもしれない、いや、間に合ってほしい…。

 実は、12月3日が、「紅葉狩り」の日なのです。「明治神宮外苑」の「イチョウ並木」を見て、それから「小石川後楽園」へ行き、「紅葉狩り」をする。何年も秋にはこうやっているのですが、黄葉をバックの写真で、黄葉が黄金色に輝いていたのは、たったの一度だけでした(朝がきれいと言うことで、いつからか、いつも朝に行くことにしているのですが)。

 それ以外の時も、きれいなのはきれいなのですが、既に散っている樹がかなり見受けられたり、黄葉には、ちと早すぎたり…なかなか、うまくいかないものですね。

 さて、学校です。

 大学を目指している者、専門学校に行くことを決めた者、まだそれを決めかねている者、卒業後何をしたらいいのかを、まだ漠然と考えているだけの者、中には、まだ卒業したくないという学生もいます。

 以前でしたら、笑って、(その時には、「友達と離れたくない。ここは楽しかったから」なんてかわいいことを言ってくれていたので)次に進まなければなんて言えたのですが、最近の「卒業したくない」は、「次に進むためには、新たに金が要る。それが準備できないから、ここにいたい」だけという手合いが多いのです。

 日本語学校というのは、最長二年しか在籍できません(もっともそれを聞いていた在日の学生が、「えっ、どうしましょう」。彼女のような場合には、何年通ってもいいのです。また、忙しい時にはお休みしても大丈夫なのです。私たちが言っているのは、日本語を学ぶということで、留学生の資格を取っている人達のことなのです)。その間に、日本語力を高め、次に進んでいくための資金も蓄えておかなければなりません。

 そこで、不思議に思うのは、今時の学生達。こらえることができない人が多いのです。母国にいた時のように、やはり金を使うべきでないところに多く使う学生が多いのです。特にベトナムの男子学生。

 「部屋代も払えないし、学費もまだまだできない」と言っているくせに、部屋へ行けば、ゴミ袋には、山のようなビールが…入っている。

 我慢できないのか…判らないな。金がないのは、皆、同じ。進学したいというのも、皆、同じ。金がなくてアルバイトもないのなら、貯めようもないけれども、アルバイトもあるし、貯金できるはずの収入もある。けれども、貯金もしない。きれいに使い切ってしまう。かといって、国に送っているわけでもない…わからないな、どうして。

 きちんと計画を立てれば最初の入学金と学費くらい、なんとかなるはずなのに。けれども、これがなんともならないらしい。

 だいたい、いつ行っても、ビールの空きかんの山。あれだけの量をどうやっていつも飲み干すことができるのか、こっちの方では反対に、それに悩んでしまいます。

 先日、「Dクラス(10月生クラス)」で、簡単な計算をして見せました。

「今も、机の上にジュースの缶やペットボトルをおいている者がいる。さて、毎日、学校で、このジュースを飲んだとして、一週間でいくらになるか。」
「600円」。
「それでは、1か月(四週として)では?」。
「2400円」。
「一年(だいたい50週として)では?」
「オーッ。12万円」。
「では、二年では?」
「24万円」。
 
 もちろん、このように毎日飲む者はいないのですが、それをビールで計算するとどうなるか。そう問いかけると、ベトナムの女子学生は、「もっとです」とか、「毎日一本だけじゃありません。何本も飲んでいます」とか、そういう答えが返ってきます。けれども、男子学生は知らん顔をしているだけです。

 お金がそれほど潤沢でない時、普通の、平均的な人で、「どうして暮らしていけばいいのかが計算できる」のは、アジアの中では、東アジアだけなのでしょうか。

 多分、彼らは、昼に皆が集まった時にはビールを何本も飲み、それをいつものごとく繰り返し、そして、学費を払う時には「金がない」と言う。本当にないのか、それともこういう無駄な付き合いで、ボロボロと落としているだけなのか。

 これは、いくら私たちが指導して、単純計算までして教えていっても、変えられないことのようです。人に、「金がない」と偉そうに言えるのは、もしかしたら、彼らの悪しき教育のせい?かも、なんて穿ったことまで考えてしまいます。

 数十年前は、中国でも「金があることは悪であり、金がない人はいい人である」というような、怖ろしい思想が蔓延っていました。

 日本では、無駄なお金を使わず、有意義に使えるように貯金していくことは褒められこそすれ、貶されるなんてなかったのですがね。しかも、人に、「金がない、金がない」と言うことこそ恥ずべきこととされていたのですがね。

 日本でも、無駄遣いせず、頑張っていても、金がない状態の人はいます、山ほどいます。その時はだれも咎めだてしたりはしません。頑張ってもどうにもこうにもならない時はだれにだってあるのですから。そうではなく、自分が少し我慢すればよいだけの時。つまり、そうすれば、だれにも迷惑をかけることなく、また恥ずかしいことを言ったりせずともすむ。それなのに、最低の我慢もせずに、その挙げ句、金がない、金がないと騒ぐ…。

 一人がするのなら、それは個人の問題でしょうけれども、そうではなく、それどころか、そうでない人が圧倒的に少数派であったなら、それは彼らの社会の問題なのではないかと勘ぐってしまってもしょうがないということなのでしょう。

日々是好日
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「今年は『秋』を感じられなかった…」。「生活の安定」。

2013-11-25 08:40:33 | 日本語の授業
曇り。空に灰色の雲が厚く垂れ込めています。昼過ぎから雨になるとか。ずっと乾燥していましたから、少しホッとしています。

 街は「ケヤキ(欅)」の葉も疎らになり、秋を通り越して「真冬」が、直ぐそこまでやって来ているような。今年は夏からが速かった。なかなか、「暑さが去らないね」と言っていたのに、ある日、急に、冬将軍がド~ンと大砲を撃ち込んだような「冬」が来た。それから、ちょっと、秋が、それらしく顔をのぞかせはしたのですが、その時には既に「虫たちの声」も絶えていました。秋は寒さの中で終わっていたのです。

 今年だけが、強く「異常」を感じさせるのか。これまでの、「人々が毎年のように唱えていた『異常』とは、どこかしら違うような、この『異常』」。

 これまでにも、「夏の暑さがいつまでも続く」とか、「梅雨が終わらず、そのまま秋になった」とかいうことはありました。が、今回は、それを超えて、感覚的に超えてはならぬ一線を超えているような気がするのです。

 どうなるのでしょうね。日本も、そして世界も、地球上の様々な生き物も…。

 さて、その地球上の生物。その生物の一種たる人間。その人間が学んでいる学校です。

 人はもしかしたら、1年後の己の運命を知っていたとしても、まだ何かを学ぼうとしたり、好奇心を満足させたりしようとできる生き物なのかもしれません。もちろん、一寸先は闇。何が起こるのか、だれにもわかりません。

 このまま、ずっと、これまで通りであるとしたら、そうであるならば、やはり、日本語学校の学生達は、皆、日本語の勉強をした方がいいのです。日本語の勉強をすると言って国を出ているのですから。しかもここは日本なのですから。

 とはいえ、少なからぬ学生が、少しでも楽な方、楽な方へと流れていきそうになっています。楽な方、楽な方と言っても、アルバイトがあるのなら、そして選ぶことができるのなら、それはまだいい方。ある程度の日本語力があるということなのですから。自分の立ち位置さえ忘れなければ、それほど困るということはないのです。

 もちろん、最初から、「なんで、こんな学生が来てしまったの?」とか、「どうしてこんな人を寄越したのだろう」と思われる学生もいることはいます。けれども、大半の学生達は、日本にも、どこにでもいるような、普通の若者達なのです。

 ですから、勉強よりも、「生活」が、最初は大切となってしまいます。生活がそれなりに安定してくれば、「勉強」にも心が向くでしょう。それが、見つからないとなると、不安ばかりが募ってくる。落ち着いて勉強どころではなくなってしまうのです。

 なかなかアルバイトが見つからなければ、その(アルバイトを探す)過程で、人を信じられなくなったり、他者に恨みを抱いたりしてしまう。そうなると、それは顔にも態度にも表れてきますから、日本の普通のレールに乗れなくなってしまいます。普通にやっていれば、ある程度の人々の善意の下で暮らしていくことができるのに。

 この、「普通」というのも説明が難しいのですが、日本に来た語学留学生が、「普通でいられる」というのは、親が、ある程度の現金を持たせることができるかどうかで、決まるような気がするのです。

 来日後、直ぐに、自分でアルバイトを探し回れるほどの語学力を持っている学生は、別ですが(いることはいるのですが、本当に少数です)、ほとんどは、「ひらがな」「カタカナ」がやっとというところで来日しているのです、きちんと国でも勉強しておくように言ってあるのに。していなければ、来日後、アルバイトも探せないと言ってあるのに。

 日本へ来るなり、目先の損得を考えて、あっちへ流れ、こっちへ流れしていると、同胞の信頼も失う可能性もありますし。来日後、必ず面倒をみてくれるとわかっている人がいればいいのですが、そうでなければ、頼れない人(その人自身、ネットワークを持っていなかったり、日本語がお寒い状態)を頼ったり、そして意の如くならないからと言って、その人を恨んでしまったり…。

 人は、どのような場合であれ、自分に責任を感じて悩むことは、少ないようです。例えば、教員という狭い世界であってもそうです。学生が思い通りに伸びてくれない時、その一因を自分であると思い、己を叱咤激励して学んでくれればいいのですが、そこはそれ、中には「学生が悪い」と言い放ち、己の責とせぬ人もいます。こういう人はある程度で頭打ちになってしまいます。その時は(器用であれば)、小器用に取り繕えたとしても、直に、(成長は止まってしまいます)「適当にやる」という習慣が身についてしまいます。

 どのような仕事であっても同じなのでしょうけれども。だから、人は「好きこそものの上手なれ」というのでしょう。好きであったら、うまくなりたいと工夫しますもの。

 これは教師のみならず、学生にも言えることなのですが。

日々是好日
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「名前… ええ! 姓がない!? ええっ!本当はこれじゃない?! ええっ……」

2013-11-22 14:18:14 | 日本語の授業
 快晴。こうも秋らしい爽やかな日が続くと、ちょっと不安になってきます。大丈夫でしょうね、どこかに落とし穴が潜んでいるのではないでしょうかしらん…。

 別に心配症というわけでもなく、あまりに平穏無事な日が続くと、こんなふうな気分になってしまう…というのが、普通の、平均的な日本人なのでしょう。

 中国にいる時、いつも、騙されるのではないかと緊張しているのが、とても嫌だったのですが(自分ではピンピンに神経を研ぎ澄ませているような気分)、中国人の友人に、そう言うと、「ええっ」と驚かれ、「いつもボケッとしているナと思っていた」と言われ、愕然としたことがありました。

 私のつもりでは、外に出る時、周りを、おさおさ怠らず、警戒して、ビシッとしているつもりだったのに。そうは見えていなかったのか…。

 平和呆けしているし、だれかが助けてくれるものと信じ込むのが習いとなっている日本人は、(中国人の目からは)どこから見ても、やはり間抜けであったようです。

 きっと、心配し、警戒している部分というか、面が、彼らとは違うのでしょう。だから、不用心にも見えてしまうのでしょう。

 ちょっとの地震にオタオタする中国人の友人を笑ったりしていたのですが、それも、環境の違いですかね。数年前に、夜中に地震が起きた時のことです。パジャマのまま外に飛び出したという話を聞いて、日本人は皆大笑い。

 だって、あれくらいの地震なら、揺れで一度目覚めたとしても、日本人なら、直ぐにまた寝直してしまいます。それが、パジャマを着たまま外に飛び出したなんて言うのですから。外にいた人の方がびっくりしたことでしょう。その上、家の中で揺れても(特に寝ている時には揺れは大きく感じられるものです)、それが外では全く感じられなかったなんてこともよくあることです。

 地震などに関しては、日本人は、(地震の経験がない国や地域の人達から見れば)神経質なほど構えています。ところが、よく騙されたり、なくした品が戻ってくるはずがないと思い込んでいる人達から見れば、「多分、戻ってくると思うよ」なんて言っている日本人は、脳天気のアホにしか見えないでしょう。

 もちろん、理想は、地震などに慣れたりすることなく、しかも人を簡単に信じることのできる社会なのでしょうけれども。

 さて、学校です。

 大学進学のための願書書きが始まっています。一組は既に終わり、それを見ていた次の組が自分達も早く書きたいとやって来ました。彼らが下書きしたり、それをまた書き直したりしているのを見て、やっと少し焦り始めたのでしょう。けれども、「日本語能力試験」がすぐそこに控えています。それが終わってからやっても間に合うということで、待ってもらっているのですが…。

 ところで、こういう願書書きの時には、面倒なことがいろいろ出てきます。もちろん、一つ二つどころではないのです。その中でも、もし、私たちがこういう日本語学校なぞに勤めていなくて、外国人とただの友達づきあいだけで終わっていたとしたら、おそらくは全く知らなかったであろうと思われるようなことの一つに、「名前」があります。これはとても大変。だって、人の基本となる「名前」に関することなのですから。

 中国の内モンゴルの学生達の時のこと。初めて、彼らの名前を聞いた時、「姓」がないなんて思ってもいませんでした。無意識のうちに、おそらくは最初の一字か二字が姓であろうと思い、別に問いただしたりすることはなかったのですが、ある時、彼らには姓がなく、名前だけであることがわかり、びっくり。

 日本では、試験の申し込みにせよ何にせよ、「姓」と「名」を分けて書くようになっていますから、いちいち申込先にどうしたらいいのかを聞かねばなりません。私たちからすれば、自分の名を「『割いて』書かせる」というのも、ちょっと…と思われたりはするのですが、彼らは、それは事務的なことでしょうしようがないと思っているようです。が、こちらとすれば、何か気の毒なことをさせているような気がして…落ち着かないのです。

 そして、スリランカの学生達。まず、長い、名前が長いのです。たとえば「リリアン・リチャード・ジョナサン・…」なんて、八つも九つも続く名を持つ者がいる。当然、枠に入り切りません。だいたい、名前を書く枠は(姓と名を含めて)二十字分くらいしかないのです。で、途中「L・R」にしたりして、枠内に収めることになってしまう。

 次に「姓」です。「本当は、こっちの方が『姓』なのだけれども、途中にあるので、パスポートにする時、ここを姓にするように言われた」。「…???」
 
 よくわからないのですが、結局は、(願書やら申込書やらは)パスポート通りに書かなければなりませんから、「本当は何々だけれども」ということを言いながら、別のことを書くということになるのです。それに、彼らは英語だと言うけれども、発音とスペルとが合わないのです。

 そのせいか、彼ら自身、名前を書く時に書き間違えるということもあるのです。最初は「嘘でしょう、自分の名前を書き間違えるなんて」と思っていましたが、スペルを見ながら、彼らの発音を聞いていると、長いし、こりゃァ、しょうがないかななんて気にもなってきます。

 そして、バングラデシュの学生の名前です。申し込みの名前を書く欄に、きれいにボールペンで書いてあるのですが、その確かめのために、パスポートを見ると、違うのです、名前が。「バングラデシュよ、お前もか」という感じで、在留カードを見てみると、彼が書いてあった通りの名前が書いてあるのです。よくわからない…と首を捻っていると、本当の名前は在留カードに書いてある通りだといいます。ただ、彼の場合は「姓」がないので、パスポートを取得する時に、「姓」がつけられたらしい。ただ、彼の気持ちとしては、「これは私の名前じゃありません。あっちが私の本当の名前です」。

 ただ、大学の願書にはパスポートと同じ名前にしなければなりませんから、書き直さなければなりません。でも、彼の顔を見ると…「本当じゃないのにナ。こう書かなければならないのかナ」というのがありありとしています。

 本当に大変です。彼らも、そして私たちも。

日々是好日
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「靴下穿かない派」。「皆の手伝いができるかどうか」。

2013-11-20 08:54:26 | 日本語の授業
 まあまあ、今日のお空のきれいなこと。秋空です。ここ数日、快晴が続いていて、それはそれなりに、きれいな青空だったのですが、今日のお空は刷毛で、うっすらと刷かれているでもなく、ただ青一色ときています。しかも、それが、大陸でしか見られないような「きれいな青」なのですから、見とれてしまいます。そして西の空には、今にも消えてしまいそうな、淡い、白い、まん丸なお月様が…。

 紅葉の頃もそうなのですが、時々自然は、厳しく人に対するだけでなく、このような姿も見せてくれます。というわけで、人は、地震や台風、大雪、洪水などの頻発する、この地にも、居続けることができるのでしょう。それどころか、居続けたいと願うのかもしれません。

 あのような津波に呑み込まれた「地」にさえ、人は出来るならば直ぐにでも帰りたいと願うのですもの。我が故郷であっても、それは同じこと。日本のみならず、世界のどの地であっても、人の、故郷を想う気持ちは同じでしょう。つまり、「帰りたい、どのようなことがあっても」なのです。科学が発展してくると、その万人共通の願いが叶えられないような状況が、時には作り出されてしまいます。それが、何とも切ない。他人事ではないのです、明日は我が身。それを常に忘れずに人のために尽くせるか、公僕たる身を忘れずにいられるかが、そういう責任ある地位にある人の要の部分なんでしょうけれども。

 さて、今日は快晴で洗濯日和。ということは、かなり乾燥している…。日曜日まで続くとのことですから、いいような悪いような…。

 今朝、天気予報を見ていますと、「朝、既に湿度40%」なんて出ていました。それがお昼には20%くらいまで行くそうで、風邪引きさんが、またまた続出しそうな様子になっています。何といっても、まだ何人か、どうしても「靴下を穿かない」さんがいるようですから。

 一冬を越さないことには、「靴下の必然性」がわからないようで、今でも裸足につっかけみたいな恰好で、しかも上だけは、ダウンに目だけ出すような帽子、そして手袋という重装備でやって来ます。「下でしょ。下でしょ。靴下を穿きなさい。つっかけ、ペタペタはだめ」と、学校に来た時、そして帰る時、玄関で捕まえては、教員のだれかが言っています。

 とはいえ、やはり「一冬」を経験したことがあるかどうかで決まるというのが実情のようです。いうだけ無駄なようなのですが。「靴下を穿く気持ち悪さ」が勝つか、「寒い、たまらん」というのが勝つかというところなのでしょう。頑固な「靴下穿かない」派が、やっと穿いてきた時には、ほっとしてしてしまうのですが、なかなかこういう気持ちは彼らにはわからないようです。

 一昨日、一人のベトナム人学生が、耳が痛いとやって来ました。彼はほとんど日本語がわかりません。そして私たちもベトナム語がわかりません。彼が来た意味は、「どうしたらいいか、病院へ行きたい」だったのでしょうが、私たちは病院へ連れて行けたとしても、医者の言葉を彼に伝える術もありませんし、彼の返答を医者に伝えることもできません。それで、だれか寮の先輩に連れて行ってもらうように言ったのですが、それを通訳していたベトナム人女子学生は、それ(連れていくという手間)を嫌がります(彼も彼女には頼みたくなさそうでしたけれども)。

 もっとも彼女はそういうこと(手助け)を迷惑と感じるタイプのようで、私たちにしても、彼女に言っても無駄だということはわかっていたのです。で、彼女に一応言うだけは言ってみながら、腹では、だれがいいかななんて考えていました。

 そして、昨日のこと。ちょうど遅れてやって来た彼の学生(耳が痛いと言っていた)に話していたところに、親切な、いつものベトナム人男子が通りかかりました(彼は私たちの頼み事だけでなく、他の人の面倒もよく見てくれます)。それで、どうして私たちが彼を病院に連れて行けないかを、まず通訳してもらいました。

 なぜかと言いますと、この耳が痛いと言ってやって来た学生、どうも、私たちが親切でなくて連れていってくれないように思っている節があったのです。私たちにしてみれば、「連れていくことはできるが、連れていっても無駄だから(何もできないから)連れていかない」ということなのですが、彼には、連れていく前に、そのことが想像できないのです。

 これは彼だけではなく、また、ベトナム人だけというわけでもなく、どこの国の人にも、まま見受けられることなのですが。私の経験では、中国にいる時にも、こういうことはありました。「連れていっても何の役にも立てないから」と言っても、なかなかわかってくれず、無駄でも連れて行ってやるということが「いい人の証」になるのだと思い知らされたことが、少なからず、あったのです。

 後で、「あの人は連れて行ってくれたけれども、彼女は連れて行ってくれなかった」と蔭でこき下ろされたり…。暇だったらやってもいいのですが、どうせ暇なのですから(無駄足になると言うことがわかっていても、それで気持ちが収まるのなら)。けれども、忙しい時にその、何の成果も上げられないということがわかっているようなことに手を出す気持ちにはなれません。特に、病院などは、言葉がわからなければどうにもならないのです。…けれども、彼らにとっては、こういう、いわゆる「無駄足」一手間が大切なのでしょう。

 で、それが終わってから、病院に彼を連れて行ってやってくれないかと頼んだところ、この先輩学生、水曜日はアルバイトの始まりが遅いので、朝の授業が終わってから連れていってやってもいいと言ってくれたのです。

 彼のように(ベトナム人学生でも)、来日後、一生懸命勉強してきた、二、三人の学生には、こういう頼み事ができるのですが、彼らが卒業してからあと、どうなるか。ちょっとに思い浮かばないですね。今の(ベトナム人学生の)一年生に、彼らのような学生がいるかな…。

 その点、スリランカの学生達は、私たちが気づく前に、彼らで何とかしてくれていますから、終わってしまってから、「えっ、医者に行ったのか」と感じることも多いのですが。ベトナム人学生は、そういう意味での助け合い(テストの時の助け合いは、禁じても、禁じてもやるくせに)は、あまりしないようですね。

 私たちから見ると、今の二年生の、あるベトナム人学生たち(もちろん、二、三人だけですが)のように、「先生、大丈夫。私が連れて行くから」と言ってくれる人は、多分、日本でも(どこの国でも)大丈夫と思われ、いくら自分で勉強ができる、大したものだと思い込んでいる学生でも、こういうことができないようでは、日本でも(どこの国でも)うまくいかないだろうなと思われるのですけれども。

 日々是好日
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「秋の蜂」。

2013-11-19 08:44:38 | 日本語の授業
 晴れ。昨日は昼過ぎから風が強くなり(ただ、冷たい風ではなかったのですが)、学校の前に止めてある自転車がバタバタと倒れていきました。しかも、ちょっと独り立ちができないような自転車が、私の自転車の隣に停めてあったのですよね。ど派手な色に塗られて。思わず、「おい、おい。いったいだれのだ」なんで、品のないことを言ってしまいました。すると、大きなスリランカの男子学生が、やって来て、蚊の鳴くような声で、「私の」。

 むむ。まだ来たばかりだし、何を言っても通じないだろうし…というわけで、文句も言えません。身振り手振りで、「この手のはいけません」。…うーん、わかったかしらん。

 さて、今朝は、10度を切っていたようです。お日様が出ていても、10度を切ると、さすがに(昨日に比べれば)…寒いかな…。

 けれども、この「寒い」には、どこかしら余裕があるのも事実です。だって、あの11月初旬の寒さと言ったらなかったもの。完全に「12月」で、そして「冬」でしたもの。それに比べれば、この「11月らしい11月」のお天気も気温も、私たちから見れば、楽勝です。

 だからでしょうか、最近、街で猫を見かけることが多くなってきました。猫もお天気さえよければ、お部屋にジッとしているよりも、お外を歩き回っていた方が気持ちがいいのかも知れません。ひと頃は「猫はうちの中において外に出してはいけない」とか、特に鳥インフルエンザが流行った時などは、「危なくて外に出せない」とかいった飼い主もいたようですが。

 猫を見ると、どうしても、ついつい、「お猫さん、こっち向いて」と言いたくなるのですが。これも、私一人ではなく、課外活動の時など、私と「同類」の学生があっちにもこっちにもいるのです。タイの学生は、猫派が多そう…、スリランカの学生は、犬派のよう。それも大型犬派のようで、見せてもらった写真(うちの犬と言って)のどれもに、大きいのが写っていました。日本でこんな犬を飼ったら、犬の方が不幸せになるような気がするのですが、彼らの国では全く問題にならないのでしょう。だって、学生達の家と来たら、どれもこれも大きくて、広い庭付きですもの。

 さて、学校です。

 昨日の帰りのこと。学生達を玄関でいつものように送っていると、今週から授業を受け始めた、ミャンマーの女子学生が、玄関で、何か言っていたのです。見ると靴を脱いでいたので、「寒いですよ。履いてから出なさい(玄関では靴を履かずに、外に出てから履くという習慣が、仏教国の学生達にはあるので)」と言っていると、どうもそれだけではないようなのに気がつきました。蜂に刺されて痛いと言っていたのです。それから薬を買いにいくやら、氷で冷やすやら、私たちはテンヤワンヤ。

 何せ、「今週から学び始めた」程度の、日本語のレベルです。こちらが言うことも向こうが言うことも、多分、正確には伝わり合ってはいないのでしょう。それでも、そういう状況に慣れているといえば、そう言えないこともないような我々。ある程度の意思は通じ合えたでしょう。氷で冷やすことで腫れも少し退き、それに薬を塗ることで、少しはよくなったかな。そしてともかくも、どうにか帰ることはできたようです。

 しかし、あれですね。「秋の蝶」という言葉はよく聞くものの、「秋の蜂」ですか…。聞かないなあ。確かに彼女の靴の中をのぞくと、蜂がジッと縮こまっていました。彼にしてみれば、強風の中、やっと安全地帯だと思って潜り込んだブーツの中。そこが脅かされるであろうとは思ってもみなかったことなのでしょう。

 これまでは、ブーツの時期に蜂が蠢いているなんて考えたこともなかったのですが。早速、午後の学生達には、帰る時に靴の中をよく見るのですよと言っておきましたが。ブーツの中に潜り込まれていると、うーん、ちょっと辛いところですねえ。

日々是好日
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「冬から秋へ」。「高校受験を控えた中学生さん」。

2013-11-18 08:45:43 | 日本語の授業
 晴れ。快晴。雲一つありません。やっと「冬から秋」になったような気がします。

 とはいえ、紅葉が深まる前に、「サザンカ(山茶花)」の花が咲き、既に「ツバキ(椿)」は蕾を大きくしています。このままでは、12月の「紅葉狩り」の前に、木の葉が皆、落ちてしまうのではないかと、(色を移らせていく街路樹を)恨めしげに見ていたものでしたが。

 今日は「11度から19度」とのこと。やっと秋です。これで色の移ろいも少し収まるでしょうか。

 そういえば、先週の金曜日はザッと雨が降った後の星のきれいだったこと。久しぶりでたくさんの星を見ました。もちろん、お月様もきれいで、「秋の月」はいいものだと、「ススキ」でも飾ろうかという気になりましたもの。

 と言いましても、無粋なことに、買わなくてはなりません。そこら辺にあるというものではないのです。それにあったとしてもよそ様の土地に生えているわけですから、ズイズイと入っていって、引き抜くというわけにもいきません。田舎だったら、土手に生えている。河原に生えている。どうぞ御勝手にと言わんばかりに生えているのですが。しかも、今は「お月見」は疾うに過ぎていますから、スーパーでも売っていないのです。というわけで、頭の中だけの「お月見」です。

 さて、学校です。先週は本当に忙しかった。授業が終わってから、中学生さんの勉強を見ている日が多かったのですが、金曜日など、6時間授業の後に、「さて」というところで現れた中学生さん。

「先生、きょうはずっと国語でいいですか」
あれあれ。「国語」は苦手で、「数学」の時は活き活きとして見えた彼も「国語」の読みが終わった後、意味を聞いていくと、しょぼんとして見えていたものですのに。どうして自分から「数学」ではなく、「国語」なのか(予定では数学だったのです、教えるのは私ではなく)と思っていると、先週と同じ、宿題が出ていたのです。今度は「作文」です。

 彼の名誉のために言っておきますと、彼は「国語」は喜ばなくても、「作文」はそんなに嫌わないのです。言いたいことがある。けれども、多分、まだ、言語の関係で、置き換えられない、まとめられないというだけのことなのでしょう。それを考えることができるから、少し心の整理ができるという意味でも、彼にとっていいことなのかもしれません、作文を書くと言うことは。

 宿題は「小論文」を考えてくると言うことで、その幾つかのタイトルの説明をしていくと、直ぐに「これを書く」と言ってあるタイトルを指さしました。聞くと「いじめられたから」。

 最初は「誰々さんを、いじめているのを見た」とか、「こういうふうにしていじめられていた」とか言っていたのですが、「それは皆、他の人のことだね。自分はなかったの」と聞くと、「あった」と言います。

 日本では、「タイ人」ということで、いじめられたし、タイに戻ると、今度は「日本人みたい」ということでいじめられた…。じゃあ、そのことを書こうということで、これまでどんなことがあったかを言わせていくと、「でも、それは『論文』じゃない」と言うのです(論文というのは、どっかから引き抜いてきたものを偉そうにたくさんの漢字を入れて書かなければならないと思っているようです。それも、まあ、ありなのですが)。

 「『論文』じゃなくてもいい。難しいことを書かなくてもいい。自分の気持ちが表せたらいい」と言って、ドンドン彼の経験を言わせていったのですが、「いやあ、タイの男子も案外強いのですね」

 これまでにも、こういう高校受験を控えた外国人を何人か教えたことがあるのですが、タイ人は二人とも女子でした。姉妹で、このお姉さんが強かった。同じタイ人のおとなしい女の子がいじめに遭うと、代わりに出張っていって、いじめていた日本の男子を泣かせたりしていましたっけ。

 彼も、「いじめられても泣かない(小学校一年生の時は泣いていたそうですけれども)。決して負けない。やり返す」と言っていました。そうか、

 こういう時に難しいのは、私(大人の日本人)の言葉に直さないこと。それから、彼の心の流れに沿わせてその通りに書くようにさせていくことなのです。一番いけないのは「作ること」。

 もちろん、私が「見た」と言っても、単語も彼のものですし、文章の流れも彼のその時の心のままなのです。思い出していったように、そしてその時の心持ちを、今時点の彼の言葉で表していく。これが大切なのだと思います。

 結局、一応、書き終えられたのは(「先生は、600字以上800字以下と言った。だから、800字書きたい」と言い張っていたので)、七時を回っていました。

 金曜日はいろいろと重なっていたので、こういう「突発事項」があると、どうしても休日に出てきて、残りの仕事をやってしまわなくては、次の週が悲惨なことになってしまいます。けれども、終わった後の彼の晴れやかな顔を見ると、よかったなと、つい思ってしまうのです。

 何でもそうですが、自分だけが大変とか、自分だけがたくさんやらされているなどと思っている人とは、なかなか仕事を共にすることはできません。教師という仕事は、(教務関係は決められているので、それからあまりはみ出ると言うことはないのですが)結局、終わりがないのです。経験があるから仕事が減るかというと、そういうものではないのです。これが事務関係のしごととは違うところだと思うのですが。

 その分、目が肥えていますから、もっとやった方がいいことに気がついてしまいます。もちろん、やらない人はやらないし、やらなかったと言ってだれも責める人はいません。もしかしたら、同じ学校の中で見えているのはその人だけかもしれないのですから。ということで、黙っていても、だれがやれと言うわけでもないのですが、仕事は自然、増えてきます。

 以前、公教育に従事した関係から、公教育というのはいいですね。黙っていても、資料は出る。なくても、ほしいと言えば、どんどん出してもらえる。その点、こういう日本語教育は、ないものが多く、なければ、自分で作らねばならないのです。

 それが出来ない人は、それまでのことで、それはまたそれでしょうがない。そういう人はそこまでで、どうにかやれるだけの場数を踏むとかして経験を積んで少なくとも学生に不利にならないようにしていかねばならないのです。

日々是好日
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「もう、勉強するのを諦めている…『十月生』」。

2013-11-07 08:56:30 | 日本語の授業
 雨。シトシトと降っています。昼過ぎにはやむそうですから、ずっとこのままのシトシト状態で行くのでしょうか。秋のシトシト雨。というのはいいですね。もっとも、家にいて、ぼんやり雨を見ていられたら…という条件付きなのですが。

 さて、学校です。

 来日後、一ヶ月近くが過ぎた「十月生」。そろそろ、「今後」が見えてきてもいい頃です。一人は既に落ちています(本当に「見事」と言っていいほど勉強しません。普通は来日後一ヶ月ほどは頑張れない人でも頑張ってみせるものなのですが。例えば、宿題を写したりして、一度くらいは不十分でも出したりする…くらいはね)。

 ところが、宿題はまず、していないようですし。文法が難しくても、例えば、単語など、授業中、真面目に受けていれば、学校でだいたい覚えられるほど、(この学校では)復習に時間をかけているというのに。まったく、授業中、何を考えているのでしょうね、多分、何も考えていない…ような。まだ「9課」くらいに過ぎないというのに、覚えていないし、少しも口が動いていない(形容詞だけでも覚えられれば、いわゆる起死回生のチャンスですのに)。

 彼の国でもこうだったのでしょう、そして国では、適当にできていた…のでしょうね。これまでスリランカの学生を見ている限り、「(スリランカでは)適当にできていたのだろうな」と思われる人達が多かった…(もちろん、日本人でも留学していて、そう見られる人達はいます。けれども、スリランカの学生達は日本でアルバイトもしなければならないのです。日本でアルバイトをして、金を稼いでから、留学できるという日本人とは違うのです。それなのに、こうでは、後が大変なのです)。

 ベトナム人の場合は、大きな声で試験中に(友達に)聞いたりするので、腹を立てていたりしたのですが(これも以前のこと。いえ、二年ほど前のことに過ぎないのですが、今の学生にはあまり見られません。カンニングしても、許せる範囲でしています)、スリランカ人は、黙って教科書や漢字のプリントを見て、写すのです(もちろん、それでも間違えますから、如何に頭に入っていないかがわかるのですが)

 それは…、日本に来て急に真面目にやれと言っても無理なこと。その点は同情してしまいます。そういう人は「何が良くて、何が悪いのか」を、また「何が適して、何が適さないか」を、自分では判断できないでこれまで来ていたでしょうから、そういう人を来日させた「人が悪い」のです。その一端をになったと言えば、私たちもそうなるかもしれません。が、本当のことを言いますと、スリランカに行って、授業をしてみて判断しようとしても、一回では彼らのことはわからないのです。私たち日本人には。

 表面的には穏やかで、何でも譲るように見えます。親切で、何でも言われた通りに「返事する」ように思われます(ここまで書いて、笑ってしまいました。まるで、よく言われている日本人じゃありませんか)。

 実際に、スリランカに行って授業をしてみても、彼らのうち、だれが考える作業ができて、だれができないかなんてわかりません、たった一回の授業では。なにせ、日本語が全く理解できないし、聞いたことがないような人でも、40字くらいの文なら直ぐにリピートできるのですから。これは現地のスリランカ人教師に頼むしかないのです。考えずには、リピートすることができない日本人なんぞは、これ一つで「スリランカ人は頭がいい」なんて誤解してしまうのですから。

 以前の経験で言いますと、これができて来日した学生が一人いました(その時はすごい意なんて思っていましたが)。もちろん、スリランカ人ですから直ぐにペラペラ話せるようになりますが、考えることに関して言いますと、ゼロに近いような人でした。

 それから、昨今増えてきたベトナム人学生。今は一つの日本語学校を除くと、勉強はできなくてもやろうとする意思をかなり強く感じられる学生を送ってくれています。(だから、同じように増えたスリランカ人学生の問題が強く浮き出てくるのかもしれませんが)

 ベトナム人学生はヒアリングが悪い人が多いので、だいたいは反応が鈍く、最初は彼らの真面目さが見えないのです。ただ、話しているうちに人柄の良さとか、それなりに懸命に勉強してきているのとかがわかりますので、面接の時に「OK」と言ったのです。

 もちろん、(既に書類を出していて)、嫌でもどうにもならないという人達を送ってくる学校もあるのですが、こういう学校は、次第に、教育を目的としている日本の日本語学校からは棄てられていくことでしょう。ただ、一言付け加えて言えば、彼の学校が送ってくる人、皆が、どうにもならない(勉強するつもりで来たのかどうかがわからない)人達ばかりというわけではありません。今、懸命に勉強している人達もいます。だから、今のところは、切るに切れず、難しいところというのが実情なのですが。

日々是好日
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「『お台場』で」。

2013-11-05 08:36:45 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日は「文化の日」で、お休みでした。学生達は、「休み」であることに、気がついていなかったようで(「赤の日」が休みであるということに気がつくと)、「月曜日は学校に来ても、先生はいません(多分「ね」もつけたかったのだと思いますが)」などと念押しに「励む」学生も出てきます。

 面白いもので、そう言われますと、当方としても、つい、つい、「へへへ、います。学校へ来て勉強をしますか」なんて、言いたくなってしまいます。

 さて、先週の金曜日、「お台場」へ行って、「ソニー・エクスフローラサイエンス」を見て、それから「お台場海浜公園」へ行き、時間の経つのも忘れて、のんびりしてきました。

 ここ、「行徳」からは、まず、東西線で、「日本橋」まで行き、そこから銀座線に乗りかえて、「新橋」まで参ります。そこで(せっかくですから)モノレール「ゆりかもめ」に乗って、「お台場駅」を目指すというコースだったのですが、「新橋駅」に着いて、モノレール乗り場まで構内を歩いていた時のこと。

 ベトナムの女子学生が、眼をキラキラさせて、「先生」と近寄ってきました。「ここは東京ですね。きれい。とてもきれい」。

 彼女は「七月生」です。途中、夏休みもあったことですし、普通なら、一度くらいは東京に行く機会もあったはずです。ところが、彼女はどうも、これが最初の東京らしいのです。

 日本語学校にいる留学生というのは(アルバイト先に東京が含まれていなければ)、普通、アルバイトと学校の往復で一日は終わってしまいます。後は家に帰って休むだけなのです。数年前までは、そういう学生がほとんどだったものですから、ふと、当時を思い出してしまいました。

 最近は、そうでもなく(もちろん、二年目に入った学生などは、自分達だけでいろいろな所へ行っていました)、来て直ぐの学生でも、東京の友達の所へ行ってきたとか、秋葉原へ行って買い物してきたとか言っていましたから、まだそういう学生がいたことにちょっと驚いたのです。

 「ソニー・エクスフローラサイエンス」には、案内の人が各所にいて、不慣れな学生達にアドバイス(遊び方や見方)してくれましたから、学生達もそこで過ごした1時間は「あっという間」に感じられたことでしょう。

 途中、学生が二人ほど、帰っても良いかとやって来たので、先に帰し、残りの学生達を連れて、海浜公園へ下りていきました。

 向こう岸の上を「飛行船」が飛んでいます。「ウミウ(海鵜)」の黒い姿が、浮かんだり消えたりしています。青い海水の上を白い海鳥が漂っているかと思いますと、どこやらへ飛んで行ってしまいます。そこで、だいたい三十分ほど、のんびりとしたでしょうか。砂場には犬を連れた人が散策していましたし、小さな子ども達がお母さんに連れられて遊んでいました。

 子ども好きのスリランカ人の男子学生が、早速「一緒に写真を撮りたいのですが(良いのか悪いのか)」と聞きに来ました。「一緒に撮ってもいいですか」と聞いてみるように言いますと、直ぐにお母さんの方に向かって歩いて行きます。

 許しを得たのでしょう。子どもを抱き上げて一緒に写真を撮っています。ついにはこちらにまで連れてきて、皆で撮ることになりました。本当に彼らは子どもが好きなのですね。

 一度、皆で、「課外活動」へ行くと、これにはそれなりの意義もあり、楽しさもあることがわかってきます。それを一度も経験せぬまま、巣立ってしまうと…私たちとしてはせっかく日本に来て、何も知らぬで、まだ日本にいることになるのかと、寂しい思いがしてしまいます。

 学校側が行った方がいいと言う時には、行った方が良いのです。どうしたらいいのかわからないときには、まずしたほうがいいのです。彼らの先入観(彼らの母国での考え方)や習慣は、まず外国に来たら、捨てた方が良いのです。その後で、以後のことを決めた方が良いのです。これは進路にも関係してくることですから。

日々是好日
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「皆で、『お台場』に、行ってきます」。

2013-11-01 08:21:25 | 日本語の授業
 晴れ。晴れて良かった。

 今日は課外活動で、「お台場」へ参ります。予定では、11時頃、「ソニー・エクスフローラサイエンス」に入館し、12時からは「お台場海浜公園」へ行くことになっています。が、果たして予定通りに行けるかしらん。

 毎度のことなのですが、1年に4回、新入生を迎えた後、最初の課外活動の時に、彼らの「今後」が占えるようなことが起こるのです。

 「今度の学生達はきちんと皆、定時に集まれた」時もあれば(非常に珍しいのですが)、「何度電話をかけても出ない。来るのかどうかさえわからない」人達が多かった時もありました。

 これも、多分、母国での習慣もあるでしょうが、待つ身(定時に集まって、彼らを待っている学生)のことを考えないという想像力のなさも関係しているような気もします。

これは何も、どこの国だからどうだというわけでもないのです。

 中国人学生が多かった時も、いつも遅れてくる女子学生がいました。遅れてきても平気なのです。私たちがいくら言っても、時間を守れなかったのですが、待たされた台湾の女子学生(美人で、これまで、いつも皆からチヤホヤされて育ってきたなということが一見してわかるような女性でした)が、「私がなぜあんな人を待たなければならないの」と怒りはじめ、平然と遅れてきた彼女に向かって「あなたは私を待たせたのよ。どう言うつもりなの。次は絶対にこういうことをしないでちょうだい」と怒りも露わに彼女を怒鳴りつけたことがありました。

 彼女の剣幕に恐れをなしたのでしょう、次からは遅れなくなりましたから。こういう人は、怒鳴りつけられたり、叩かれたりしなければ、ルールが守れないのでしょう、嫌なことですが。話してもどうにかなるというタイプではなかったようです。たまに来るのです、こういうタイプが。

 中国人のみならず、だいたいが、彼らの母国での、こういう活動と同じと考えて、最初は来ようとしない人もいます。ところが、一度参加してみると、「面白かった。今度はいつですか」などと聞きに来る学生も出てきたりしたのです。

 ベトナム人学生もそうでしたね。彼らの場合、「行かない…」で、理由も何もないのです。それが、だんだんに、皆も行くから(この、「皆」というのは、他のベトナム人学生もという意味で、他の国の人達とか、クラスメートとかはさしていません)になり、そして、普通に参加するようになってきたのです、今では。

 私たちから見ても、参加しない人は「注意マーク」付きという感じなのです。一事が万事で、こういうことに気持ちよく参加できる学生というのは、だいたい、適応力のある人が多く、アルバイトでも、何でも、日本で、うまくやれる人が多いのです。そうでない人は、いろいろと日本で問題を引き起こしやすいのです。

 その点、転校生は感動してくれますから、うれしいですね。「みんなといろいろな所へ行けていいなあ。1年分損した」なんて、言ったりして、こう言う課外活動を心待ちにしてくれるのです。

 また、私たちにとっても、学生を知る上で、こういう活動は役に立つのです。教室の中では、しょぼくれていた学生が、俄然、元気付き、明るく楽しそうに振る舞っているのが見られたり、友達を作れない学生を見つけられたり。もちろん、それだけではありません。教室では、どうしても授業が主になりますから、個人的な話などは、ほとんどこういう課外活動時の電車の中とか、目的地へ歩いている途中などでしか、できないというのが実情なのですから。

 特に、11月ともなりますと、進学についての話が多くなります。経済的なことも、そして、進学先についての相談なども出てきます。そういう二年生達との会話や、その時の雰囲気などを、一年生や新入生達にも見ていてほしいのです。

教室の中では、同じくらいのレベルの学生達だけですから、二年生であっても、初級をやり直さなければならないような学生だけしか知りません。彼らよりも自分の方が上だと考えて、お山の大将になってしまうような若者だっているのですから。

 そういう人達(二年経っても、初級)は、大学進学や大学院進学などは目指していませんから、彼ら(新入生)にとっても、比較の対象とはできないのです。その点、、日本人である我々と自由に話している二年生を見せることは意義があるのです。

 いろいろな意味から、この「課外活動」は役に立っています。その他にも、卒業生がこんなことを言っていました。

 彼女は大学に進学したのですが、そこで会った日本人学生と話している時に、どこに行ったことがあるかと聞かれて、

「モミジ(紅葉)の頃なら六義園、小石川後楽園、明治神宮外苑、そしてサクラ(桜)の頃なら千鳥ヶ淵でしょ。それから、上野動物園、浅草、江戸東京博物館、ディズニーランド、ディズニーシー、朝日新聞社…それからどこへ行ったっけ。ちょっと遠くでは、日光、富士山、鎌倉、横浜。それから、京都と奈良(これは彼らの時だけです。本当に勉強してくれた学年でいたから)…」。

 相手の日本人学生は地方から来ていた人だったので、とても驚いたのだそうです。こういうことから話が弾み、いい友達になれたらいいですね。

日々是好日
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