日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「花の色は」。「『国語教育』としての『古典文芸』」。「十月生」。

2009-09-30 08:15:37 | 日本語の授業
 今朝は雨です。シトシトと、あるかなきかの、糸を引くような雨が続いています。いわゆる「秋の長雨」なのでしょう。「秋の長雨」といえば、すぐに、

「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」(小野小町)

の「ながめ(眺めと長雨の縁語)」を思い出してしまいます。思い出すのは何も、この歌が好きだからというわけではありません。「短歌の技巧」を習った時の、いわば「代表作」として浮かんできてしまうのです。

 思えば、学校教育での「古典文芸」は、(私たちの頃は)文法中心でありました。素直に歌を味わうというようなものではありませんでした。それ故でしょう、「国語」の時間の「古典」の時間は、一向に楽しくなかったのです。本来ならば、「読み」を深めるための「文法」であったのでしょうに、反対に、嫌悪観を抱くようになってしまいました。

 それと反対に、「文学」とは関係のない「日本史」の中での「古典」の方が面白かったのです。知らない歌や文章が出てきましたし、それを読むと世界が深く、そして拡がっていくような気がしたのです。それまで「個」の世界に拘泥していましたのに、それに「社会」や「時間(古代から現代に繋がる流れ)」が加わったように思えたのでしょう。子供ですから、単純に自分が偉くなったような気がしました。今から思えば、可笑しいのですが、そう思えた自分が、ある意味では、愛おしいという心情にもなってくるから不思議です。

 「歴史資料」としての「古典」は、時代や生活に密着していました。当然、先生の語りは多くなります。「古典」は単に味わえばよく、「時代」は語ってもらえばよかったのですから、その時間は、自分の好奇心を刺激し、また満足させてくれるものでした。

 人は「個」の世界を生きながら、「社会」という「多」の中でも存在している。また、それを見ている「現代人」としての自分がいる。そういうことも面白かったのです。世界は二重にも三重にも、また表があれば裏もあるようにも見えました。人というのは面白い、おそらくそう思えた最初だったのでしょう。

 「文法」というのは、読み進めていくうちに、身につけていくというやり方の方が自分にはあっていたのかもしれません。数学の方程式を覚えるようには、覚えるわけにはいかなかったのです。いえ、そういうと、「数学好き」の人には悪いかもしれません。彼らは解くのが面白いのであって、先に方程式を覚え、それに当てはめて解いていく何ぞは、本来邪道であると言っていましたから。結局は「文芸」も「数学」も同じなのかもしれません。その道の「好者」にとっては。

 本来ならば、自分なりに味わい、感じた上での、(問題解決のための)「文法」教育でよかったのでしょう。そのことに興味を持っている子供にとっては。何となれば、それ(「古典」)を学ぼうというのは、(身につけているのは)現代語ではあれ、また子供ではあれ、同じ日本人なのですから。

 もちろん、一年間で何を習得し、三年後には、こういうことが出来るようになっておれねばならぬということが、定まっている学校教育においては、そういう脇道(?)にそれるわけにはいきません。「国語」教師も、大半は、文学好きであったのでしょうから、それはなんとも切ないところです。好きなようにしゃべらせておけば、いろいろと面白いことも聞けたのに、と思わせるような人が何人もいました。けれども、「学校教育の中での国語教師」という彼らの立場がそれをさせなかったのです。生徒を高校や大学に合格させねばならなかったのですから。

 この歌にしても、「小町伝説」を語り、「二通りの意味」を語れば、この歌の深さを子供なりに理解できたような気もするのです。その時に「縁語」なり、「掛詞」なりは、巧まずして知ろうという気にもなれたでしょう。

 かえすがえすも残念なのは、自分の中の「古典文芸」に対する思いと、「学校教育」での「国語」とにズレがあったような気がすることです。あれは、別世界のものであるというような気分で授業を受けていたのですから。

 その故でしょうか、(「百人一首」で先に覚えていた歌であるにも拘わらず)この歌を見ると、常に「縁語」だの「掛詞」だのが浮かんでくるのです。最後の「小野小町」という作者名に至って初めて、「卒塔婆小町」や「深草少将」だのを思い出すといった始末なのです。

 この歌は、或いは教師にとっては、和歌における技巧を手っ取り早く教えるための、格好の教材に過ぎなかったのかもしれません。悲しいことですが、試験というものがある限り、「教養として身につける」だけの世界というものは、どんどん遠のいていくのです。

 もし、それが、「平等世界」の「行き着く果て」であるとしたら、「また何をか言はんや」です。

 「『理屈』は、いらない。今、この歌を語れ」と、勝手な解釈で、歌を「汚していく?」っても、心の深厚を養えこそすれ、その反対であるはずはないのに、と思えてなりません。

 さて、雨に拘っているうちに、昨日来た学生の事を思い出してしまいました。

 昨日は、二人、成田に到着しました。一人は、ベトナムから、もう一人は、上海からです。ベトナムのQ君は、朝到着し、上海のK君は夕方到着しました。

 荷物を置いて一休みしたら、直ぐ学校に来るように言ったのに、Q君は、寮に着くなり、ベッドに潜り込み、午後の学生が出る時も、まだ眠っていたのだそうです。なぜ、(入管から)許可が下りたのかも判らない程度の、「日本語レベル」なので、多分、来日後は大変でしょう。その覚悟が、ひたすら眠り、他者の手を必要とする「彼」にあるのかどうなのかは、これからの問題ですが。

 上海から来たK君は、以前、私たちが大連に行った時に、会ったことがあります。大人しいのですが、きっちり反論できる、いわゆる物静かな上海ッ子でした。彼は荷物を置くなり、直ぐに学校に来ました。明日は、一人でも来られるということでしたので、上海の家に、無事に着いたことを、学校から電話連絡してもらい、寮の鍵を渡して帰ってもらいました。

 彼にしてみれば、日本へ来た翌日、少々しんどいということにもなりましょうが、今日は、朝9時から、いろいろなことをやってもらわなければなりません。学校の手続きを済ませた後は、市役所へ行って届けを出さなければなりませんし。

 今日は、一日中、雨が降るそうなので、自転車が使えませんから、歩きになりますが、まあ、ついでと言ってはなんですが、秋の雨に濡れた街を見てみるのもいいでしょう。それから、彼は「Dクラス」に入ることになっていますので、戻ってきたら、早速、「日本語能力試験(二級)」の申し込みもしてもらわなければなりません。

 そして、午後は、いよいよ「Dクラス」での授業が始まります。中国人の場合は、こういう時(つまり、矢継ぎ早にいろいろさせても)、日本人と同じ反応をしますので、当方としても、安心なのですが、ベトナム人のQ君は、ちょっと心配です。もしかしたら、南インドのノリでしなければならないかもしれません。ただ、「蟻の歩み」であろうと、歩み続けることさえできれば、「なんとかなる」とそればかりを思いながら、指導していかねばならないかもしれません。

日々是好日
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「『葛』の花、また『曼珠沙華』」。「『蝙蝠』の訪れ」。

2009-09-28 08:34:58 | 日本語の授業
 お久しぶりです。

 ブログをお休みして、いつの間にか、10日ほどが過ぎていました。秋の連休は珍しく、しかも、自分としては、二日授業を休まねばならなかったくらいにしか考えていなかったので、前の(ブログの)日付を見て、驚いてしまいました。迂闊にも、前回書いたのは、十日前の9月18日でした。

まんじゅしゃげ

 ところで、故郷は、まだ、夏でした。が、「クズ(葛)」の花と「マンジュシャゲ(曼珠沙華)」の花だけは、満開状態で、夏の終わりを告げていました。空港から家までは、一部、高速道路を通ります。その両脇は田であったり、山を切り開いたものであったりするのですが、多くは、竹林です。故郷の近くは、竹の里とも呼ばれ、竹細工が名物でもあります。その竹林と田の合間を縫うように、時々山肌が露呈しているのですが、そこを葛の蔓が覆っていたのです。

 一方、田は、もうすぐ「刈り入れ」時を迎えるのでしょう。渡る風に稲穂が揺れていました。そして、その田を区切る「畦」には、決まったように、真っ赤な「マンジュシャゲ」の花が咲いていたのです。

 ここで、「マンジュシャゲ」と言いましたが、この花には、いくつもの名があると言われています。一説によると、数十どころではないそうですが、それだけ、人に近いところにある花だったのでしょう。私がよく使うのは、「ヒガンバナ(彼岸花)」と「ジゴクバナ(地獄花)」の二つです。

 この「怖ろしげな名」を初めて聞いたのは、かなり古く、小学生の頃であったと記憶しています。学校で聞いたのか、或いは図書館で偶然に目にしたのか、それは忘れてしまいましたが、説明には、「ヒガンバナ」の由来として、「(秋の)お彼岸の頃に咲く」とありました。けれども、「彼岸」はあの世を指します。大地を覆うかのように一面に咲き、大地を赤で覆い尽くすかに見えた「あの毒々しい赤」が、子供心に、彼岸にあるという「血の池地獄」を思わせたとしても不思議ではありますまい。

 それから、「ジゴクバナ」の由来です。名前とはうって変わって、悲しげな話がつきまといます。この花は全身が有毒であると言います。昔、飢えに苦しんだ人々が、(毒であることを知りながら、飢えに)堪えきれず、この花の根を食べ、苦しみながら死んでいったとありました。畦や墓によく植えられていたというのも、この毒であることを知っている動物がそれに近づかないため、田や墓が守られたからだと聞きました。今でも畦に植えられているのは、その名残なのでしょう。

 この花の周りは、緑一色の田ですから、「マンジュシャゲ」の赤は、ひときわ目立ちます。最近は、白やら黄やらのマンジュシャゲも見られるようになりましたが、やはり、白や黄ではこの名の由来は生きてきません。やはり赤でなくてはならないのです。

「つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華」  (山口誓子)

「路の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の 灼(いちしろ)く 人皆知りぬ わが恋ふる妻」     (柿本人麻呂)

 この「赤」に代表される「マンジュシャゲ」に比べれば、「クズ」の花などは可愛らしい限りです。ただ、この「蔓」は猛々しい。

「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」(山上憶良)

「萩(はぎ)の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし) また藤袴(ふじばかま) 朝顔の花」(山上憶良)

 この山上憶良(やまのうえのおくら)の歌で、私たちは、「秋の七草」の名を覚えたものでしたが、当時の花名と現在の花名とは、一致してはいないそうで、「朝顔」などは、学校では、「現在の桔梗である」と習いましたが、さて実際のところ、どうなのでしょう。

「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり」(釈 迢空)

釈 迢空(しゃく ちょうくう)という名も、この頃に覚え、それが折口信夫(おりくちしのぶ)のまたの名であったということも、思えばおかしな事です。学校では、この人が、著名な民俗学者であるということよりも、一歌人としてのほうが、知られていたのです。

 それから、随分後に『死者の書』を読んで、やはりこの人は民俗学者であると実感したものでしたが、私の中では、あくまで、歌人なのです。『海やまのあひだ』で知られている。

 さて、とりとめのないこと綴っているうちに、お客さんがやって来ました。何かの影が部屋をよぎったのです。なんと「コウモリ(蝙蝠)」でした。夕方の帰宅時には、よく見かけたものですが、朝のこんな明るさの中で見ようとは。

 室内を飛ぶ、その影の飛び方は、ひらひらとまるでチョウ(蝶)」のよう。それにしては大きすぎる…と思って、待っていると、またやってきました。確かに「コウモリ(蝙蝠)」です。

 彼(彼女?)は、彼なりに焦っているのでしょうが、なんとものんびりとした飛び方に見えます。そろそろ姿を消し始めた「ツバメ(燕)」に比べれば、彼ら(ツバメ)なら、三四回も往復できそうな距離を、オタオタと行き来しています。何かにぶつからない前に(実は、数年前、窓にぶつかって脳しんとうを起こした「ツバメ」がいたのです)慌てて、彼の後を追いながら、窓を開け放っていきます。

 まあ、無事に勝手に来たところから出ていきましたが、なんともはや、このような可愛らしい歓迎のうちに、今日も始まっていきそうです。

日々是好日

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「(勉強していないから)『四級』には合格できないが、『二級』なら大丈夫」と言った人。

2009-09-18 08:22:53 | 日本語の授業
 今朝も、爽やかです。
今朝は、犬を連れた人を多く見かけました。それが女性であった場合、申し合わせたかのように、「ショッキングピンク」の「ジャケット」やら「トレーナー」やらを、羽織っているのです。中高年の間で、派手なピンクが流行っているのかなと思いながら、やって来たのですが、学校に着いてみると、隣のアパートへ新聞を配達に来た若い女性も、ピンクのトレーナーを羽織っていました。

 もしかしたら、「今は秋だから、『秋の色』でなければ」とか、「夏なのに、『秋の色』を着るなんて、ちょっと体裁が悪い」などという感覚は、もう時代遅れなのかもしれません。かつての、「四季」どころか、「月ごと」に色を分け、それを楽しんだという伝統も、もうなくなってしまったのでしょう。

 若い頃は、秋に、「春の色」を纏うのが、「権威」に対する「抵抗」であったりしたのでしょうに。それが、いざ「自由」になってしまうと、やけに「しきたり」やら「習慣」やらが恋しくなってしまいます。

 さて、学校では、「昨年度」入学した学生たちが、いよいよ「志望校」を決めなければならない時期になりました。ただ、「四月生」や「七月生」などはまだいいのですが、「十月生」や「一月生」ともなりますと、(まだまだ日本語の力がそれほどついていませんので)本当に大変です。特に「一月生」で、進学を目指している(「非漢字圏」の)学生たちは、本人が思っているよりも、もっと大変なのです(「一月生」のうち、中国人の一人は、3月に帰国の予定ですので、この中には含めません)。

 この中には、いくら説明しても、「英語で受験するから大丈夫」と言う学生や、まだ「三級」に二三本、毛が生えたほどの日本語力でしかないのに、「『二級』は大丈夫」と言い張る学生やらがいて、担任の教師は毎日説得に頭を悩ましています。彼らのために「よかれ」と思ってやっていることなのに、そこには、現状の認識に「ズレ」がありますから、なかなか相手に通ぜず、「この先生は、何を言っているんだ。私は、『三級』に合格出来たんだから、『二級』だって大丈夫だ」と、「能力試験」を軽く考えてしまうようなのです。

 「非漢字圏」の学生だから、「二級」と「三級」の差も判らないんだろうと、笑うことなかれ。以前、中国人の中に、こんな学生がいたのです。この学校の学生ではありませんでしたが。

 彼は、漢族の学生で、上海から来ていました。来日した時のレベルは、「四級」レベルにも達していないといったところでしょうか。けれども、自分(の日本語力)に、すごい自信を持っていたのです。

 私の見たところ、言語の習得に必要な、ある種の「資質」にも乏しいし、「努力するという習慣」もついていない。その上、頑張るんだという「意欲」も「姿勢」もみられない。見事に「ないない尽くし」の学生なのです(普通なら、一つくらいはあります)。それなのに、不必要どころか、却って、勉強する上で邪魔になるであろうに、「わけの判らない自信」だけは、十二分にあるのです。

 それが、不思議でたまりませんでした。自信があるからには、一つくらいいいところはあるだろう。それが、どう捜しても見あたらないのです、彼の中に。

 教師には、「因果な性分」があって、学生となった人の「心理」やら「性格」やら、その「生い立ち」やら、いろいろ知っておかなければ、行動できないのです。そうしておかないと、指導できない部分があるからなのですが(相手によって「指導のやり方」は異なります。性格の違いによっても、生い立ちによっても、それを使い分けなければなりませんし、その時の相手の心理情況によっても、言葉や態度を変えなければならない場合も、あるのです)

 しかしながら、彼の、その自信の「拠って立つ所」を知った時には、腹が立つやら、あきれるやら。「本当に馬鹿な男だ」と思いましたし、そんな奴のために、考えてやった自分が惨めにもなりました。

 中国人は(勿論、高校程度の学力は必要ですが)、日本語を習ったことがない人でも、日本語の新聞を見て、大体の意味を察することが出来ます。ただ、これは、察するだけです。それでも、「アラビア語」や「ヒンディ語」のように、「チンプンカンプン」で、「何が何だか判らない」というものとは違います。

 これは、日本人が、中国のものを見た時でも同じです。察することは出来ます。聞いても判らないのですが、表意文字である「漢字」が、意味を「取り持って」くれるのです。中国語の場合、漢字だらけですから、意味の区切りをつけるのが難しいのですが、それでも、見知った漢字を拾っていけば、何となく意味が判ってしまう…ような気がしてくるのです。

 この男子学生は、まだ「四級」にも至らず、一緒に学び始めた人たちのレベルにも至っていないのにも拘わらず、なぜか、当時、彼一人だけ、中国で、「二級」のテストを受けたのだそうです。他の学生達は、中国の日本語学校が指定した通り、「四級」の試験を受け、ある者は合格し、ある者は失敗していたと言います。が、天才でない限り、語学の勉強は「一歩一歩、歩んでいかねばならない」が原則ですから、それは当然なことです。
 その彼も、合格はしなかった(当然です)のですが、「200点」近い点数を得たのだそうです。それが、あの「自信」となっていたのです。彼の日本語に対する「見くびり」は、ここから来ていました。
 「自分は日本語の才能がある」と、「勉強しなくとも日本語のテストには合格できる」と、ほんとうに、煽てる人もいないなのに、どうやって「豚は木に登れる」というのでしょう。

 この「思い込み」により、日本に来ても、勉強はしない。勉強しないにも拘わらず、目指すは「一級」。初めから「一級」のみ。「四級試験」も「三級試験」も、そして、今となっては「二級試験」も素通りです。どんなに叱られても、平気なのです。そして、言うことが振るっていました。「『一級試験』に合格できればいいのだから、「二級試験」に合格する必要はない」。

 言葉は悪いのですが、彼を見ていると、魯迅の『阿Q伝』を思い出しました。「精神勝利法」という奴です。アルバイトしなくても、生活に困っているふうはありませんでしたから、社会主義国出身でありながら、親は金持ちなのでしょう。本当に、魯迅は偉大です。今でも、中国人理解に、役立つような作品を書いていたのですから。

 当然のことながら、学校では、誰も彼に日本語の能力があるなどとは思いません。教師が認めないだけでなく、同じ国の人たちも、変わり者扱いどころか、完全に「シカト」していました。しかし、「それはいけない。仲良くしろ」と言ったところで、それは無理というもの。彼は、不思議なことに、一人で天狗になれたのです。相手は必要なかったようなのです。

 というわけで、「一級試験」に賭けていた彼は、アルバイトもせずに、日本語学校の授業が終わってからは、別の「一級のための補講の学校」へ通っていました。その学校はいいですね。こんな手合いが多ければ多いほど、儲かります。基礎が出来ていないのに、プリントだけはしたがっていたようですから。

 「運命」の12月が来て、彼は意気揚々と試験会場に向かい、自信満々で戻ってきました。すでに「鬼の首は取った」という気分だったのでしょう。そして、発表の日、見事に不合格。「ありえない」「あり得ない」を連発していたと言います。

 彼と同じレベルで来日し、アルバイトに励みながら、学校の勉強に精を出していた学生は、わずか8か月ほどで「一級試験」に合格するか、「いい大学」に合格しました。彼は、両方ともうまくいかず、結局、専門学校に行ったそうです。そこでも、どうしょうもないでしょう。

 実は、日本語学校の就学期間が一年間しかない場合、「大学受験」と「能力試験」の日にちが非常に接近してしまうことがあります。その時は、学生に、どちらを取るかを選ばせました。当然、普通、彼らは「大学入試」をとります。ただ、時間的に、多少なりとも、余裕がある場合は、「一級合格」は持っていて損のない資格ですから、受けるように勧めていましたが。

 まあ、「漢字圏」の学生にしてから、こんな人もいたのですから、「非漢字圏」の学生を笑えません。で、彼らには、「二級試験問題」を見せてみました。すると、見て青ざめる学生と、「これ、わかる。これも、わかる」と、長い文章の中で泳いでいる「わずかばかりの見知った漢字」を見つけ、「(だから、)『二級』は簡単」と言いたがる学生とに分かれました。

 しっかりと勉強する習慣のついている学生は、「では、合格できるためにはどうしたらいい」と尋ねます。「中級」に入って、半年にも満たぬのに、(「非漢字圏」の学生が)「二級試験」に合格するというのは、まず無理でしょう。アルバイトもせねばならず、勉強だけに集中出来るという境遇にもありませんから。そう尋ねてくる学生には、「日々の勉強の大切さ」を諭します。日々の勉強が「力」となるのです。

 それが、「漢字圏」の学生であったら、そして、普通の大卒レベルであったら、「一級合格」だけを目指す場合ですが、「読解」と「文字語彙」に賭けさせれば、合格できないこともありません。ただし、それは「正道」ではありません。よんどころない事情があり、「資格」だけ欲しい、「実力」は必要ないという場合だけです。日本語で話させてみれば、「一級の実力」がないのは、すぐに判ってしまいます。

 これからすると、「二級試験」の難しさがわかるのにも、ある程度の(日本語の)レベルが、必要なのかもしれません。

 まあ、(教室で)「理解を得る」というのも、ボチボチでしょう。教師の方が、焦ってもどうにもならないでしょうから。私たちの方でも、彼らによかれと思ってやっていることですし、こういう気持ちはいつか彼らにも通じるでしょう。ただ、時間に制限のあることですから、「ギリギリ」でも困るのですが。できれば、少し早めに判ってもらいたいものです。

 ところで、来週は、「月」「火」「水」と、木曜日までお休みが続きます。で、「木」「金」と遅い夏休みを取ることにしました。この「『日々是好日』子」が書く「ブログ」は、予定では、「再来週の月曜日」までお休みします。

日々是好日
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「『母国での自分を一時脇へ置いて、この地の現実に適応出来るかどうか』ということ」

2009-09-17 07:39:07 | 日本語の授業
 今朝も青空を見ることができました。優しい水色の空です。子供の頃はこのような青でも、「抜けるような真っ青な空」と表現していました。が、大陸の、砂漠の、あの濃い青、深い紺色をグッと明るくしたような、あの青を見てからは、日本の空に「抜けるような」という「枕」をつけることが出来なくなりました。当時、島国の住人たる私は、あのような「青」を知らなかったのです。

 それと同じような事がどこででも起こります。また、誰の身にも起こります。誰でも外国へ行けば、そういう思いを抱くでしょう。もし、抱いたことがないという人がいたとするなら、却って問題です。人は「他」を認識しながら、「自他」の区別をつけていきます。「他」を認識できない人間に「自」がどれほど認識できるでしょう。異なった「風土」の地へ行くというのは、その意味からも、意義があるのです。自分を「小さな井戸」から引き出す、その「きっかけ」になることも多いのです。

 とは言いましても、それができない人も少なからずいます。私たち、教師が「素直な人」が、「一人勝ちをする」というのも、あながち嘘ではないのです。「素直な人」は、現実をそのまま受け入れます。そちらの方が優れていれば、「優れている」と認めるでしょうし、優れていなければ、悲しむだけです。なぜなら、そのような地で、それから生きていかねばならないのですから。

 ところが、自分の心を、「以前の自分、あるいは、世界に冠たる何々民族」という大きな石で押さえつけながら、異国へ旅立った人は、なかなか、その「素直さ」を自分のものとすることができません。必ずと言っていいほど、そこには「色つきガラス」が存在するのです。「だから(このだからが何故に存在するのかは判らないのですが)自分は大したものだから」という、「色つきガラス」が。

 実際は、人というものは「大したもの」でも、また、「実像」以下の存在でもありません。そのままです。あるがままなのです。他の人の、目に見えているままなのです。このような小さな学校では、学生の出来がいいクラス(まずは、そういう「△△年に来たか」であり、そういう「○○月生であるか」なのですが)と、なぜか、大半があまり言語を習得するに適した才能を持っていないと思えるクラスの時とがあります。200人とか300人を超える学校であれば、それほどでもないでしょうけれど。

 それでも、面白いことに、学生たちの反応は、常に、三つに分かれます。下だけを見て(といいましても、数は少ないのですが)、「おのれこそ」と天狗になる人、その反対に、「こんなはずじゃない。自分はこんなにいい成績であるはずがない」と戸惑ってしまう人、そして、いわゆる「素直な人」です。

 「おのれこそ」などと、普段は思い上がれるはずはありませんから、こう思える人は、よほど(学力的には)程度の低い地で育った人でありましょう。「上には上がある」という現実、この冷たい現実を知らないし、感じ取れないのですから。

 「こんなはずじゃない」と思う人の大半は、それまで、きちんとした教授法で学んだことのなかった人たちです。ある意味では、素直なのですが、「こんなはずじゃない」から、「そうだ。もともと、自分は優れていたのだ」とコンプレックスが裏返しになって、変な優越感を抱いてしまう場合もあるので、少々注意しなければなりません。もちろん、それがそのまま、「よかった。頑張ろう」と思っていく場合もありますので、注意しながら見ていかなければなりません。

 時々、学生達を見ていると、見えぬ相手と戦っているように思えることがあります。「おのれの作り出した妄念」と闘っているのでしょう。この「妄念」も、おのれの「本心の一つの変形」でしかないのでしょうけれど。

 仏教で、「百八つ」あるといわれる「煩悩」も、ある意味では、「妄念」から生じたもの。そうやって、一人で、見えぬ敵と戦い続け、刀折れ、矢尽きて、倒れていく人もいるように見えます。この「妄念」に囚われている時には、どのような「解脱」を促す言葉も、その耳には届きません。まるで、「妄念」という、この人の中の、小さな細胞が、この人の身体を乗っ取り、そして、他者の言葉が耳に入らないように、細胞膜で塞いでいるかのようなのです。

 耳を塞ぎたいと思っている人の手を、力尽くで引き離してみても、そこからは何も生まれません。その時は、「待つ」しかないのです。待って、人並みの心に戻った時に、その時の最善の策を考える、おそらくは、それしかないのでしょう。こちらが苛立ってもしようがなにのです。

 学生達は、教師が思っているよりも、ずっと教師の「心の波」がわかります。「さざ波」の時はいいのですが、「水底、響(とよ)む」くらいの波になりますと、まるで、それに共鳴するようかのに、学生達の心も揺れ、不安定になってしまいます。ですから、教師は、そのような時、一時的に、「待ちの姿勢」をとり、「なかった」ように振る舞っていなければならないのです。無責任のようで、言葉は悪いのですが。

 こういう日本語学校に来ている「就学生」というのは、勿論、「18才になったばかり」という人もいますが(こう言う人は、大体問題がないのです。直ぐに順応してくれます)、ほとんどは、既に、日本で言うところの大学を卒業しているような年齢以上なのです。わずか数ヶ月で、彼らの「心の澱」をこそぎ落とせるかというと、まずは不可能でしょう。ある意味では、彼らの、その「上澄み」の部分だけで、話をしているのではないかと感じられる時さえあるのですから。

 ただ、普通、時間が経てば、こういう人でも、「日本で暮らす」ということが判ってきます。自分の国にいた時のようにはいかないということも判ってくるはずです。それが、民族や国、地域によっては、かなりの時間を要することもあるのですが、それでも、判る時はきます。ただ、それが、この学校での就業期間中かどうかは、何とも言い難いところなのですが。

日々是好日
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「思いを伝えられる言葉」。「落ち葉の音」。

2009-09-16 08:47:30 | 日本語の授業
 いいお天気です。昨夜はかなり雨が降ったようでしたが。
 いつもと同じ時間に出たというのに、今朝は、なぜか猫たちの姿をよく見かけました。道を横切っている猫、犬と睨み合っている猫、お家へ入りたいとニャンニャン鳴いている猫、駐車場の車の下で、外を窺っている猫。目が合うという感じではなかったのですが、過ごしやすくなったので、外出が増えたのでしょう、人と同じですね。

 来週は、5月の「ゴールデンウィーク」並みの連休がやってきます。
 学校の近くに住んでいない学生の中には、「夏休みは、学校がなかったから楽しくなかった」という学生もいましたが、今度は大丈夫でしょうか。

 いつもは、「学校」と「アルバイト」で、毎日を忙しく過ごしている学生達も、(休みが続くと)外との接点が、「アルバイト」しかないということになってしまいます。学校へ来さえすれば、たとえ勉強は大変であろうと、仲間と話したりと、いつもの自分に戻れる時間が作れるのですが、そうでなければ、堪えられなくなってしまうようです。

そうならないためにも、宿題を多めに出しておきましょう。「鬼」とか「嫌な先生」とか「嫌い」とか、いわれない程度に。

 その連休が終わる頃には、「10月生」が、そろそろ成田に到着するでしょう。今まで、一人しかいなかったネパールの学生は、新しく来ることになったネパール人女性を指して「知っています。同じ学校で、勉強していました」と大喜び。

 彼のことは、(これまで同じ国から来た人がいなかったので)ちょっと可哀想に思っていました。もっとも、同じヒンディ語を話せるインド人もいることはいたのですが、一人は午前のクラス(彼は午後のクラスです)ですし、もう一人は、同じクラスですが、女性です。

 この新しいネパール人女性にとっては、楽ですね。同じネパール人もいて相談に乗ってくれるし、女同士、同じ言葉で話したい時には、インド人のこの女学生を捜せばいいわけですから。これまでは、何かあった時には、このヒンディ語圏のインド人の学生か、同じインド人ですが、タミル系の学生が、彼らの面倒を見てくれていました。先輩たちが、彼の面倒を見てくれていたように、きっとこの二人も、新しく来た学生の面倒を見てくれることでしょう。

 この「面倒をみる」というのは、日本で暮らしていくための「イロハ」から、勉強や「課外活動」のことまで、いろいろ含みます。「課外活動」で、学校の外へ行くにしても、(まだ「初級」段階であれば、日本語がうまく話せません)おしゃべりができなければ、開放感もそれほど味わえません。誰とも話せなければ、みんながどんなに面倒を見ようと思っても、殻に閉じこもってしまいがちです。そんな時は、必ず、誰か教員が一緒に行動するか、面倒見のいい他の国の学生か、近い国の学生達に相手になってもらっているのですが、他の学生達が、楽しそうにさんざめいているのを見るにつけ、寂しさは、「いや増すばかり」ということになってしまいます。

 それを見ている我々も辛いのですが、これからは大丈夫でしょう。ヒンディ語を使う人が四人になったわけですから。それも、高校を卒業して直ぐといった人たちが、三人になるわけですから、これまでとは違い、反対に手綱をしっかりと握っていなければならなくなるかもしれません。けれども、まあ、秋の「課外活動」は、きっと楽しくなることでしょう。

 ところで、今年も、秋に「紅(黄)葉」を見に連れて行く予定なのですが、去年は事前指導に「落ち葉の音」の事を入れてしまい、非難されてしまいました。

 実は、日本の「秋の音」の一つに、落ち葉の上を歩く音を入れたのです。それで、高校を卒業したばかりの一人が、音をさせてやろうと、地面に散り敷かれた「イチョウ(銀杏)」の落ち葉の上を、必死になって歩いたらしいのですが、音がしなかったのです。「先生、音がしない」と泣くよう声を上げ、非難の目で、私を見たのです。「しまった」でしたね。「ごめんなさい」とは言ったのですが、「もう、先生…」。その子は、本当に落ち葉の音を立てたかったのです。

 私も、彼らに「紅(黄)葉」を説明する時、ついつい、子供の時のことや、山で歩いた道の事などが思い出されて、落ち葉の音のことを言ってしまったのですが、それが大失敗でした。しかし、こんなことをよく覚えていたものです。行ったら、音を立ててやろうと待ち構えていたのでしょう。

 ところが、その日は運悪く、雨の後の道でありました。雨が降っていなくとも、銀杏の落ち葉であれば、どれほどの音もしますまいが。今年は、用心して「音」の説明は抜きにするつもりです。

 人というものは、時を重ねてきますと(自分では全く意識はしていないのですが)、経験が増えてきます。「一度だけ」という経験も、一回や二回ではありません。この「落ち葉の音」というのも、そうでした。公園の落ち葉にしても、それが近くにある小さな公園であれば、カサコソ程度なのですが、森林公園のものともなりますと、それが一段と大きくなります。それが、山の懐深く入り、人跡の無い所になりますと、却って音は消えてしまうのです。どんなに晴れた日が続こうと、山の水は涸れることがありませんから。

 山の落ち葉は幾重にも重なり、それは、毎年同じところに知里積ものですから、深いところは常にシットリと濡れているものなのです。それに、フカフカしているのです。歩くと音がするどころか、音が吸い込まれていくようで、身体も沈んでしまいます。

 中国の、乾燥した地方から来た人たちには、こういう日本の木々の「豊かさ」を、DVDなどで見るだけでなく、実際に体験してもらいたいのですが、しかしながら、この日本語学校にいる間は、宣伝だけのことにしておかざるを得ません。一緒に連れて行ってやれないのは可哀想なのですが、日本で、大学か、或いは大学院に行くことになったら、誰かと郊外の山に行く機会も出来るでしょう。東京の郊外もなかなか捨てたものではありません。

 特に西部に広がる奥多摩地方は、青梅からの電車に乗って、奥多摩まで、どの駅で降りても、いい山がありますし、いい渓谷があります。しかも、日帰りで行けるのです。これを楽しまないという手はありません。

「そこし怜(たの)し 秋山我は」(額田王)

 東京の近郊の山なら、12月でも入れます。ただ、黄や紅の落ち葉が、渓谷に浮いているのを見たいのなら10月に行った方がいいでしょう。夏も山の花はきれいですし、春も山の緑は美しい。けれど、一人になりたい時や、しみじみとした感傷に浸りたい時には、人が来なくなった「秋の終わり」か「初冬」の頃がいいと思います。

 険しい山だったら、人を拒否しているのですが、東京近辺の、標高500か600㍍くらいの山だったら、山と言うよりも、山里と言った方がいいような雰囲気です。山登りというよりも、里に帰るといった趣なのです。ただ、そこはそれ、山は山ですから、身支度はしっかりと、そしてルートを外さないようにするということは忘れてはならないのですが。

日々是好日
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「『情報化社会』と、一口に言うけれど」。

2009-09-15 08:26:24 | 日本語の授業
 静かな朝です。空気も停まっているような、そんな気さえしてきます。陽の光はありません。昨日の輝きが嘘のようです。

 昨日、達成された「イチロー」の記録に、日本中が湧いています。海を隔てての報道にも拘わらず、達成された瞬間に、もう日本ではみんなが知ったということも、考えてみれば、怖ろしいことです。私が子供の頃に衛星放送が始まり、初めての情報は「ケネディが暗殺されたというものでした。今では、「何でも」、どこに住んでいようと、同時進行で知ることが出来るのですから。

 とはいえ、「何でも」というのは、怖ろしい「落とし穴」です。私たち、日本人は、ほとんどの情報を、知りたければ、或いは、その情報の持ち主が発信さえしてくれれば、受け取ることができると思っています。勿論、倫理的に問題のあるものは別ですが。

 けれども、国や地域によっては、その地の権力者などによって、情報を遮断されたり、或いは、偽の情報を流されたりすることもあるのです。「そんなのは、聞いたことがないから、嘘だ」は、成立しない国や地域もあるのです。

 まだ、ベルリンの壁があった頃、「国のテレビやラジオは、本当の事を報道しないから、英語を学ばなければならなかった。英国のニュースを聞くためだ」という人がいました。言うまでもないことですが、日本人ではありません。彼らの国では、怖ろしいほど情報が少ないのだそうです。だから、世界がどう動いているのかを、外国語を学ばない限り知ることが出来ないというのです。

 つまり、情報を握ることができる人が権力者であり、その情報を知っているが故に、彼らは、(権力ばかりか)金まで儲けることができるというのです。庶民には、そんな「生の情報」は手に入りませんから、金を儲けることなどできません。生まれた時のまま、死ぬまで貧しいというのです。まるで、中世の封建主義の世の中ではありませんか。中世の騎士物語といえば、聞こえはいいけれど、その下で、蠢いていた「無知蒙昧」と言われる一般人民になりたくはありません。

 権力者になりたいとまでは思わなくとも、その枝葉の先っぽでもいいから、そこに繋がりたい、それが、彼の地の、蟻ン子のように見られていた庶民の「高望み」だというのです。

 私たち、日本人には、全く判らない世界でした。日本に住んでいる日本人だったら、世界の動きなど、機械など全然いじれない人でも、テレビやラジオのスイッチを入れれば、直ぐに知ることが出来ます。外国語が全く聞き取れなくとも、英語から直ぐに日本語に情報を翻訳してくれる人たちがいますから、知りたいことを、知りたい時に、手に入れることができます。

 その上、図書館に行ってリクエストさえすれば、それに関する本も直ぐに取り寄せてもらえます。勿論、「ただ」です。税金を払っているわけですから、当然の権利であると私たち、日本人は、思っています。この図書館というのは、各大学が持っている図書館ではありません。国公立の、近場の図書館です。

 そういう、いわば、見えない「重いベール」を、ほとんど感じずに、(日本では)過ごせるものですから、却って、反対に、(日本にいると)見えないものも出て来ていたのでしょう。私には、最初、彼らの言っていることがよく判りませんでした。彼らの立場というのも。

 日本には、政府(執政党)と仲の悪い新聞もあります。その新聞と仲の悪い週刊誌や月刊誌もあります。どこかで、誰かが互いを「あげつらっている」ような向きもないわけではありませんが、よくよく読み解いていくうちに、その中から、真実めいたものが覗くこともあります。だから、仲が悪くとも、こういうものはいいのです。もっとも、本当に仲が悪いのかが、今度は心配になるのですが。

 誰もに「開放されて然るべきもの」は、開放されているのが当たり前。日本人はそう考えます。それを当時、東側の人に言いました。彼らも「当然」と言います。けれども、この「開放されて然るべきもの」が何であるかが、私たちと彼らとは違っていました。彼らは、国費留学生でしたから、謂わば、その国のエリートであり、数年後、或いは数十年後の国の幹部の一翼を担えなくとも、その端っこには座ることが出来る立場にいました。ですから、当然のことながら、(その国を)支配者側の考え方をします。

 「(私たちの国の)国民はレベルが低いから」。こういう人たちが言う言葉は決まっていました。「国民はレベルが低い」。戦後、既に何十年も経っているということを、彼らは知らないとでも言うのでしょうか。彼らは、自らの責任を感じずに、ほざけたのです。「国が情報を操作しているのは事実である。しかしながら、理由がある。なんとなれば、国民のレベルは低いから」。そして、返す刀で、「自分は情報を知りたい。だから、英語を勉強している」。彼らの頭の中には、自分もその国の民であるという自覚がありません。彼らの国には、支配者である、あるいは、支配者になれるであろう「選ばれた層」と、常に下敷きにされている、「一般大衆」とがあるだけなのです。

 「(一つに引っ括れる)国民はいないんだ」というのが、彼らと話していた時の私の感想でした。「嫌だな」というのも、正直な気持ちでした。「こんな人たちと話したくない」というのもそうです。私は外国人ですから、彼らは、それなりに対してくれました。けれども、同じ国の人間だったら、ああいう態度でいてくれたかどうかはわかりません。多分、違うでしょう。

 共産主義というのは、悪い面もあるでしょうが、いい面もあります。ただ、これは、日本などの「先進国の人間の甘い」見方だと思います。私たちは、自分たちの国のレベルで他国をはかりますから、「共産主義の国民は、すべて同じ権利が与えられているだろう」と考えます。資本主義の国の国民は、かなりの程度を自分の力でやり遂げなければなりませんから。悲しい言い方ですが、「自己責任」という形でです。失敗もします。路頭に迷うということもあり得ます。

 しかし、共産主義の国では、国が責任を持って、国民に必要な福利事業をしてくれているはずだ。日本などという資本主義国よりも暮らしやすいはずだと、日本人なら、誰もが考えていたはずです。

 ところが、「おっとどっこい、違ってた」のです。共産主義の、彼らの国では、国民の面倒を国が見てくれていなかったのです。学校教育も、医療現場も、みんな、国や地方の幹部のためのものであり、幹部の家族のものであったのです。

 留学中、こういう国の人たちと話していて、どうしても、話がかみ合わないし、平行線でぎくしゃくしてしまうということが、多々ありました。ある話題になると、まるで「完全にシャッターを降ろされた店」のようになってしまうのです。おそらく、その内部では、語るべきもの、或いは語るに足るべき物を随分持っていたと思うのですが、その話題になると、まるで、そんな問題が存在していないという目になるのです。「そんなことはない」の一言で、すべて片付けられてしまうのです。

 「そうか、こうやって、こういうところの政府の人は、やり過ごしてきたんだ。彼らは、こんなごく若いうちから、そういう修行ができているんだ」と、傷つきやすい私たちは思いました。もし、自分が彼らの国に生まれていたら、一般人民に生まれても苦しかろうし、権力者に繋がる人として、生まれていたとしても、辛かろうなと思いました。彼らのようにはできないもの。ただ、隣にいた日本人が、「そういう国に生まれていても、日本に生まれていた時のような心をもっていると思ったら、大間違いだ。それなりに生きていけるに決まっているよ」。本当にそうです。いらざる心配でありました。

 この日本語学校に来ている、途上国、乃至、自称途上国の人たちは、少なからず、「日本に暮らすことのメリット」がわかりません。一年か一年半ほどで、一級レベルになるか、四分野(「読み」「書き」「聞き」「話す」)すべてにおける「一級レベル」は無理であるとしても、「聞く」分野だけでも、「一級レベル」になっていれば、(日本の)大学でその自由を使用するための「入門」くらいは教えておけるのですが、「三級レベル」で止まってしまう(「三級」に合格した後、どうしても「読み」の部分が伸びない人がいるのです。しかも、面倒になって、「漢字を覚える」だけに終始してしまいがちなのです。つまり、本来の「読んで理解できるようになるために、漢字を覚えている」というのが抜けてしまうのです)と、それもかないません。そうなると、何のために、日本に来ているのかと私などは悲しくなってしまいます。

 けれども、これも、(彼らが育ってきた)国の問題なのです。せっかく、日本に来られたというのに、祖国でのこれまでを背負い、価値観もそれに則り、日本での生活も、その幅や浅さから抜け出せずにいる人を見ると、己の非力を感じます。しかしながら、彼らはそれに不満を感じていないのです。多分、その人は、今、アルバイトがあれば、それで満足なのです。そのお金を、どう使うかにおいては、私たちの考えと彼らのそれとは、大きな大きな海に隔てられているほども離れているのです。

日々是好日
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「鳴尾に立てる一つ松」。「自分の(日本語の)レベルを知るということ」。

2009-09-14 08:42:06 | 日本語の授業
 今朝は、「青」が、空の大部分を占めています。そうなりますと、不思議なことに、木々の緑に、真夏の頃の「輝き」が戻ってくるようなのです。それも、お日様の光が当たっているからなのでしょうか。同じ緑ながら、他と違う、「自分だけの色」を主張し始めているようなのです。ただ、日陰に入りますと、途端に、色もくすみ、「その他、諸々の緑」も、ただの「緑」と称されるだけで終わってしまいそうなのですが。

「わが身こそ 鳴尾に立てる一つ松 よくもあしくも また類なし」(慈円)

 木々に限らず、草であろうと、犬猫であろうと、そして、人であろうと、こう思って生きていくべきなのでしょう。せっかく、授かった「生」なのですから。

 「(太陽の)光」を思う時、自然に「ほのぼの」とする人もいれば、「灼熱地獄」を思い浮かべる人も、これありで、結局、これもそれも、彼の「光」には、「私心」がないことからくるのでしょう。誰にも、同じように与えられる光、そこには「私心」も「邪さ」も見あたりません。それに比べ、「運命(の神)の目」には、「贔屓」と言う言葉が隠されているような気がするのですが、そう思うのは、私一人でしょうか。

 ある者は、生まれながらにして、「神に愛されし者」となり、ある者は、一生を「苦しみの中にのたうつ」という定めを授かる。これはなぜなのでしょう。

 そう言いますと、そう思うこと自体、間違っているという言葉が聞こえてきそうです。だれにでも、たとえ、一瞬であろうと、まるで「地球上のすべての光を浴びているかのように思える」時があると言うのです。そうかもしれません。そうでなければ、人というものは弱いもの。残りの人生をそのまま生き続けていくことは不可能でしょう。

 さて、学校です。「Aクラス」では、どこの大学を受験するか、だいたい三つほどは選べているようです。それに引き比べ、「Bクラス」の学生達は、一年も経たぬうちに、志望校を決めねばならないのですから大変です。チュンチュン雀ばりに、アタフタと騒いでいます。けれども、何と言いましても、一番大変なのは、今年の1月に来た「Cクラス」の学生達。

 彼らは簡単に、一年いれば一年分だけ上手になり、二年いれば二年分上手になれると思っています。しかしながら、厄介なことに、そうは、うまく、問屋が卸さないのです。こちらからは、学校に残っていても、まだまだずっと伸びるであろうと思える人と、わずか半年であろうと、言語を学ぶ上で、「限界」が来ている人とが見えるのです。

 もし、前者であれば、学ぶこと自体におもしろさを感じている真っ最中ですから、日本語学校で学ぶことは、その人にとってマイナスにはならないでしょうが、後者であれば、「日本語だけを日本語学校で学ぶ」よりも、専門学校へ行って、何かの専門を学びながら、「ついでの日本語」を学んだ方がいいと思われるのです。

 特に、「漢字圏」出身でない学生は、まだその人のレベルが「三級」程度になったばかりですと、「二級」問題と「三級」問題の違いが判りません。大した違いがないように思えるらしいのです。ですから、簡単に、「『三級』に合格したから、次は『二級』だ」と、これまた、半年ほどで、(ちょっと努力すれば)合格できるように思い、それを口にも出してしまいます。

 以前、こういうことがありました。あるインド人の学生が、私のところへ来て、先生のクラス(「Aクラス」)へ行きたいと言うのです。彼のクラスの中国人学生は、大卒者が多く、しかも、まじめなので、(しゃべることだけが好きで、授業中も話をわき道へそらしたがる)彼とは、あまり馬が合いません。それで、疎外感を味わっていたようなのです。課外活動の時に一緒になる、(当然、外に出たわけですから、教室の中とは違います)キャピキャピしているかに思えた「Aクラス」の学生とならうまくいくと思ったのでしょう。なんとなれば、「Aクラス」の中国人たちは、高校を卒業したばかりの子たちが主でしたし、おしゃべりな彼を、却って、おもしろがっていましたから。ただし、課外活動の時だけです。授業の時には、全くそういうではありません。けれど、彼が知っていたのは、課外活動の時だけですから、あのクラスなら楽しく勉強できると、彼なりに踏んだのでしょう。

 「甘い、甘い」と、直ぐに言いそうになったのですが、まあそこは堪えて、「Aクラス」の学生達が勉強していた「(上級の)教科書」を見せてやりました。彼のレベルは、「三級」に毛の生えた程度でしたし、その上、漢字は「三級」のものさえ、うろ覚えでしたから、一目見れば驚いて取り下げると思ったのです(「聞く」「話す」だけは大したものでしたが、あまり文法に則ったものではありませんでしたから、試験になると、かなり不利ですね)。ところが、豈図らんや、「大丈夫。頑張れば追いつける」と来たのです。

 その時は、そうか、「(『二級』と『三級』の)差」が判るにも、それなりのレベルが必要なのかと驚いたものでしたが、この程度(三級)の時には、何を話してやっても、どこがどうだと説明してやっても、通じるはずがないのです。日本語のレベルの他に、日本語のイメージがないのです。全く彼らの想像力の外で、(先生が)ワアワア言っているくらいにしか聞いていなかったのでしょう。

 その彼も、結局「中級」をもう一度やり直すことになって、今は午後のクラスに通っています。おしゃべりはおしゃべりなのですが、自分の日本語のレベルどれほどなのか、多少は判ったようです。

日々是好日
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「教室のエアコン」。「モンゴル語で教育を受けてきた人達(中国の『モンゴル族)』」

2009-09-11 08:31:51 | 日本語の授業
2009/09/11
 今朝は、初め、薄い白い雲が、お空を覆っているかに見えていました。が、それが、三階の窓を開ける頃には、灰色の雨雲のような様子になり、今では少々厚みを増して、お空に浮かんでいます。雨が降るのは、明日のはず…と思いながらも、不安な気持ちで空を見ていますと、青空が覗いているところがありました。この分なら、きっと大丈夫でしょう。今日は、雨になることはないでしょう。

 夏から秋にかけての、この季節は、体調を整えるという点から見れば、なかなかに捉えがたく、後悔することも多いのです。
 日中は暑いのですが、朝晩は、かなり涼しい。しかも、湿度がある。今年、来た学生達は、この変化に戸惑い、風邪をひく人も出ています。

 まず、この涼しさが理解できないのです。それから、朝晩と昼の、温度差が判らない。特に午後の学生達は大変です。学校に着いたばかりの時は、汗を掻いていますから、皆「暑い。暑い」と言っているのですが、さて、エアコンをつけてしまうと、「さあ、大変」なのです。なぜなら、この汗は、5分ほどもじっとしていれば、直ぐにひいてしまうような類のもので、(真夏の時のように)ずっと暑いというわけではないのです。けれども、それが、彼らには判らないのです。いくら暑いとはいえ、エアコンをつけてしまうと、汗がひくと同時に、スゥ~とした冷気が身体を這いのぼっていく…というようなことにもなりかねません。

 下の階はまだいいのですが、上の階は、日中、真夏の太陽が、真夏と同じように、ガンガン照りつけてきますから、エアコンをつけないわけにはいかないのです。で、エアコンをつけて凌ごうとするのですが、学生の中には、真夏の格好で、素足という人もいる。その人は、エアコンの風に抵抗を示し、一人、「寒い。寒い」と言っている。学生でも、心優しい人たちは、(自分の事はそっちのけにして」暑いと言っている人のためにしてやったらいいのか、それとも、こっちで寒いと言っている人のことを考えてやった方がいいのかと、あちら立てれば、こちらが立たずで、右往左往してしまうということになってしまいます。もっとも、私だったら、大まかなところは、自分にあわせて、みんなやってしまいますけれど…。学生には、「我慢するのだ」とか何とか言って(だから、ひどい先生とか、困った先生とか言われてしまうのでしょうけれど)。

 皆、アフリカやアジア、ラテンアメリカなど、気候も風土も違う地域から来ています。一般に、暑い地域から来ている人が多いのですが、寒いなら、寒いでやりようがありますし、暑いなら、暑いで、また、やりようもあるのですが、季節の変わり目ともなりますと、そう簡単にやり過ごすわけにはいきません。彼らにしてみれば、得体が知れないというところでしょう。夏から秋にかけての過ごし方というのは難しいのです。まあ、教師が注意はしていますが、これまでの習慣を変えていくというのは、なかなか簡単にはいかないようです。

 さて、中国人の学生です。これまで、この学校では、一口に中国人と言っていたのですが、細かく言えば、つまり、漢族か朝鮮族が主でした。ほとんど漢字について説明を要しなかった人たちだったのですが。それで、「読解文」においても、それほど注意をしていなかったのですが、同じ中国人と言っても、モンゴル族は、少々違うようです。非漢字圏の学生達とは、また違った意味で、教え方を考えていかねばならないようなのです。

 日本人が中国語を学ぶ時、特に文化的な要素が強い文章の場合は、一言か二言、ヒントを与えられれば、(大体の文章は)直ぐに推測ができました。文学作品などでもそうです。日本における、文化の基盤というのは、どのように西欧化され、表面的には、欧米という肉付けがなされていようとも、何千年かの(中国との)つきあいの中で培われた部分というのは、おいそれと払拭できるようなものではないのです。

 それは、漢族の学生達も同じでした。私たちが中国語を学んだように、わずかなヒントで、勘を働かすことができたのです。これは、朝鮮族の学生達(朝鮮族の学校ではなく、漢民族の学校で、学んだ人たちでしたが)にも同じようなものを感じました。勿論、ある程度学力がある学生の場合においてでしたが。

 ところが、モンゴル族の学生には、それがきかないようなのです。7月に、「日本語能力試験(一級)」に合格した学生の中に、一人、モンゴル族の学生、Hさんがいたのですが、彼女は、漢族なら、およそ必要としないであろう努力を重ねていました。それは、「漢字」であり、漢字の表すところの「意味」だったのです。「上級」の教科書に入ってからは、毎日の「ディクテーション」のために、いつも一時間ほど、早めに来ていました。毎日何をやっているのかなと思って覗いたことがあったのですが、一生懸命、教科書を読んだり、写したりしていたのです。それでも、漢族や朝鮮族の学生に比べると、「漢字」の部分や「文字語彙」の部分は劣っていました。まるで、非漢字圏の学生達のように、練習しないと忘れてしまうようなのです。

 Hさんは、大卒で、大学院に入りたいという強い希望を持っていましたから、夏休みもいつもどおりに、勉強を続けることができたようでしたが、それほどの覚悟が出来ていない高卒のCさんは、彼女に比べても、また一段劣りました。

 その上、「Aクラス」では、漢族の学生も朝鮮族の学生も、夏休みに毎日のように学校に来て勉強していたのですが、Cさんは、三週間ほどの夏休みの間、二回くらいしか学校に来て勉強していませんでした。これでは、差がつくのも当然です。もしかしたら、「根性」が違うのかもしれません。モンゴル族の人は、全体的に大人しく、のんびりしているように見えましたから。

 そんなわけで、Cさんは、「休み明け」のテストで、成績が30点ほども下がっていました。漢族や朝鮮族の人であったら、わずか三週間くらいのことで、(しかも、帰国ではなく、日本にいたわけですから)そういうことになるなんて、およそ考えられないことです。彼女は、学校に来なかったとはいえ、遊び呆けて勉強しなかったというわけではないのですから。

 今の「Dクラス(4月生)」には、モンゴル族が多いのです。クラスは全部で、15名。中国人は10名。そのうち、モンゴル族が6名、漢族が3名、朝鮮族が1名です。また、ネパール、スリランカ、タイ、カンボジア、インドが各1名います。

 同じ中国人でも、漢族は3名しかいません。モンゴル族と朝鮮族が、7名もいるのです。しかも、彼らは彼らの民族の言葉で、小学校から高校、あるいは、大学まで学んできており、学んだ文字も彼らの民族の文字です。いわば、今まで通りの(中国文化で育っている人対象の)「教案」では、やっていけないのです。

 ということは、「中級」に入ってからも、また「上級」でも、「漢字」を中心にして、「読解」を進めるというやり方では通用しないでしょう。「非漢字圏用」の「教案」で攻めていくしかないのかもしれません。

 というわけで、今、だんだんシフトをずらしていっているところです。急に変えてしまうと、そうでなくても、不器用な「Dクラス」の学生達が、またまた、ずっこけるかもしれませんから。

日々是好日
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「国語の教科書」。「『日本語を学ぶ』から、『日本語の名作を学ぶ』へ」。

2009-09-10 08:15:01 | 日本語の授業
 昨夜、ふと、何かが、微かに窓を叩いているのを感じました。そこで、耳を欹ててみると、雨の音のような気がするのです。窓を開けてみると、やっぱり雨です。道はすっかり濡れていました。変ですね。帰宅の時には、全くその兆候もなかったのに。何となく得をしたような気分になってしまいました。春先の雨もいいけれど、秋の雨はもっといい。部屋の中にいても、秋草をしとど濡らす雨の滴が感じられて来ます。

 実は昨日、帰り際のことが、ずっと尾を引いていました。こびりついていたといった方がいいのかもしれません。不快だったのです。それを一時的にも、雨が救ってくれたような気がします。

 それは、こういうことなのです。この学校には、在日の人も少なからず通っているということは、幾度かここでも取り上げました。その中に、来年高校を受験したいという中学生がいるのです。その子は、「初級」を終えぬまま、中学校の方へ戻っていたのですが、先日、その子が親御さんと一緒に、高校受験を控えて心配だから、少し指導してくれないかと来たのです。そこで、今、教員の一人が、午後の授業後、高校受験を控えた彼女を教えているのですが、その相談として、中学校の「国語」の教科書を見せられたのです。

 勿論、その教科書の「表紙の美しさ」や、「デザインや色などが凝らされたページ」にも驚いたのも事実ですが、それよりも何よりも、その「薄さ」に仰天したのです。「内容」も女優の作有りと、「多彩」といえば「多彩」なのかもしれませんが、その「多彩さ」は「誰が書いたか」の多彩であるに過ぎないし、また「話題」が多彩であるに過ぎず、「国語」本来の、いわば「日本語を守る」という意味からいえば、かなり「常軌を逸脱」したものに感じられたのです。

 私が認識していた、「国語」の教科書に載せられるべきものというのは、まず「名文家」のものでなければならないし、その文を通して、なにがしかの「日本語の豊かさ」というものが、子供の心に残るものでなければならないはずのものでありました。「話題が、今の時勢にあっているから」とか、「これなら、子供でも興味を惹かれて読むだろう」などという理由では、「国語」の教科書に載せるべきではないと思うのです。それらは、その話題性に応じて、「社会科」や「理科」、或いは「数学」などの、「副読本」という形で取り上げればいいことであって、「その国を代表すべき」義務教育段階の「国語」の教科書には載せるべきではないと思うのです。

 民族の伝統を後世に伝えていくべき「教科書」です。勉強しない子も、勉強する子も、皆が読むのです。読まなくとも、作家の名前ぐらいは、そこで、知るのです。義務教育段階の教科書というのは、「畏れ多い」もののはずですし、「畏れ多い」ものとして、取り扱われて然るべきです。故に、「その国を代表すべき」名文を載せなければなりません。いくら名が知れていようと、テレビによく出て来る人であろうと、わずか、たったあれだけの枚数の教科書に載せられていいはずはないのです。有名だからとか、テレビに出ているからとかいう理由で、だから、子供でも飛びつくだろうとなどと、安直なことは考えずに、そこは、あくまで、頑固に、保守的にすべきであると思うのです。

 この「名文」、或いは「名作」の中には、彼らが読んでおかなければならない「翻訳」ものも含めます。「翻訳家」の文章のすばらしさは、作家の名と共に私たちの記憶にも新しいところです。ドイツ文学であったら、私ほどの年齢のものはみな、高橋義孝や高橋健二という人の名を知っているでしょうし、中国文学であったら、竹内好という人の名を知らぬ者はいないでしょう。

 私たちは、彼らの「文章」を通して、異国の作家たちを理解してきました。そこには、媒介としての「秩序正しく、文化の香りのする」名文、日本語がありました。「魯迅」の「故郷」や、「ヘルマンヘッセ」の「車輪の下」、ゲーテの「ファウスト」の一部などは、中高校生時代に誰もが親しんだ作品です。先人が血を吐くような思いで、日本語に変えていった文章です。例え、子供に判っても判らなくても、徒や疎かなことでは、そこに手を入れてはならぬと思います。

 子供に判らせるためと、あまりにも「子供に媚びている」のではありますまいか。それは、私から見れば、逆に子供を馬鹿にしているようにも思えるのですが。子供が、理解しようと、またできまいと、かまわないのです。今日感動するか、あるいは、十年後、二十年後に感動するか、それは神のみぞ知るなのですから。そこに載せるだけでいいのです。知らせるだけでいいのです、こういうすばらしい日本語の文章があるということを。そして、それを活かして、人の心を動かすものが書けるのだということを、伝えるだけでもいいのです。

 子供、百人のうち、一人でも、それに感動する心を持てたら、それでいいではありませんか。大人だって、百人が百人、すべての人が、その文章を、完全に理解できるとは限りません。読むチャンスを与えるのは、大人の役目です。公教育でそのチャンスを与えるのは、国の役目です。子供の「可能性」を信じて、すばらしいものを常に提示し続けるべきではありませんか。「子供である彼らにはわかるまいから」と決めつけ、「判る範囲で」と考えていけば、与えていくもののレベルは、どんどん下がっていきます。それは、何でもそうでしょう。

 おそらく、今、紙上を賑わしている政治でもそうでしょう。「国民が馬鹿だから、馬鹿な国民に合わせた人をトップに据えてやろう。そうすれば、彼らは『自分たちと同じだから』と喜ぶだろう」などと考えたなれの果てが、現状なのかもしれません。これは衆愚政治の前兆ですし、それが判らないほど日本人は愚かではありますまい。

 「教育」の世界でも、「未知の部分」の提示を忘れてはならないのです。

 話が、「日本語教育」の分野に戻りますが、私が常に、学生達を、早く「一級レベル」にしたいと思っていることの理由がそこにあります。「一級レベル」になっていれば、日本の中学生が楽しめるくらいのものは、そう努力を要せずに読むことができます。この「努力をせずに」という意味は、「文法」とか「単語の意味」で努力をしないというくらいの意味です。読み手(外国人学生)は、すでに、彼の地では高校を卒業していたり、大学を卒業していたりしているわけですから、「内容理解」には、(その人の持っている「感性」を抜きにすれば)全く問題がありません。

 外国人学生達は、「日本語」という「道具」を使いこなせないばかりに、不遇を喞っているのです。基本的な(つまり、「一級」程度の)「文法」や「単語」が判れば、いろいろな「日本語で書かれた名文」で、楽しませることができるのです。それは「音」からでもいいし、「(作者の)感性」や「主題」からでもいいのです。「(作者の)感性」は、それぞれの国の文化や地勢などとの関係もありますから、説明を要します。けれども「音」は、関係ないのです。読み込めば読み込むほど、心地良くなるような「短歌」や、ギスギスと軋るような音の連続に不快さを感じ、感じるけれども、読み込んでいくにつれて、その「音」が、却って、深い思想や諦観の世界へと読者を誘っていくような、そんな「詩歌」もあります。

 こういう言い方をしてはならないのかもしれませんが、「国語」の教科書は、「何を書いたか」や「何が書かれているか」を、第一義に、選んで欲しくないのです。まず「名文かどうか」、「後世に伝えていくべき価値があるかどうか」で、選んで欲しいのです。

 本が嫌いな子を、「国語」の時間だけで、本好きにするのは、どうやっても無理なことです。諦めた方がいい。サッカー好きな少年を、学校で「国語」を学ぶ、そのわずかな時間内で変えさせることができますか。サッカー場から、図書館へと、彼の活躍の場を移させることができますか。彼を変身させて、「図書館少年」にさせることができるなんて、だれも考えたりはしないでしょう。本が好きなら、「本が好き」で、よし。サッカーが好きなら、「サッカーが好き」で、よいのです。それが、その子の「幸福な時間」の記憶になり、「心の豊かさ」にも通じるでしょうから。

 「名文」は知らしむべきですし、知らしめていかねばなりません、読まずとも。この国の民ならば、「(自国の)名文の記憶」を、心のどこかに留めておくべきです。また、外国人にも、日本語を学ぶ以上、何を学びたいかに拘わらず、(「理系」であろうと、「文系」であろうと)日本語の麗しさを、片鱗なりとも、伝えておくべきです。大学や大学院に入った外国人の大半は、日本語関係の専攻でない限り、「日本語の麗しさ」を知らぬまま、日本に滞在しているのです。そして、帰国していくのです。「何を学んだか」はあっても、その時に使われた言語に対する「尊敬」はないのです。

 そのためにも、ここにいる間に、彼らに「『日本文学』の入門」程度のものは、読ませておきたいのです。

日々是好日
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「日本語能力試験(一級)」。「一年前は、自分(学生)も、ああだった?」。

2009-09-09 08:08:04 | 日本語の授業
 町の空気がすっかり落ち着きました。ひと頃は、「涼しさ」を通り越して、「肌寒さ」すら感じられたくらいでしたから、人のみならず、草木も、いえ山川草木のすべてが、慌てふためいていたのかもしれません。

 それも過ぎ、今、町は落ち着きを取り戻しています。これからは、秘やかに季節は流れていき、時間の流れと共に、草花や木々の紅が町を彩ってくれることになるでしょう。

 今日は晴れとの予報で、昨日の蒸し暑さも和らぎ、気持ちのいい一日になりそうです。

 さて、学校です。
 7月の「日本語能力試験」の余波は、まだ続いています。大半が去年の七月に来日した「Aクラス」の学生、12名のうち、「一級試験」に参加したのが、9名。その中には、「つきあいです」と言って申し込んだ、インド人学生も、先に「二級試験」に合格していた「Bクラス」のミャンマー人学生もいました。この9名の学生のうち合格したのが、5名。不合格であっても、皆、いわゆる「惜しい!」とでも言うしかないような、いい点数でしたから、12月には大丈夫、合格できることでしょう、これまで通り、続けて、まじめに勉強してさえいれば。

 一方、「二級試験」を受け、「惜しい!」点数で合格できなかった「中学生さん(それくらいの年齢ですので、高卒の学生からもそう思われています)」は、いまでも、
「(試験のことは)言わないで、悔しい」
と言います。彼は、本当にこの「合格証」が欲しかったのです。
「大丈夫と思いました。でも、とても難しかった」。
多分、彼の中国語の能力以上の文章(読解)であったし、知識が必要だったのでしょう。何となれば、中国にいるとき、
「勉強なんて、全然したことがなかった」
と、今でも豪語しているくらいの少年ですから。

 「聴解」や「文字語彙」は、ある程度の時間が経てば、どうにかなるものです。学校へわざわざ行かなくとも、生活の中で学び取れるものも少なくありません。勿論、「文字語彙」の中には、日常生活では、あまりお目にかからないものもあります。そういうものは、学校で、そういう読み物を見せてもらっておかない限り、自分でやるというわけにはいかないでしょう。特に、文字を介在に知識を吸収するという習慣のない人にとっては。その上、「試験問題」も以前に比べて、随分難しくなりました。10年前、20年前の「一級試験」の問題を学生達に見せると、「わあ、簡単!」と皆大喜びするくらいですから。

 ただ「読解」は、彼らの母語の能力の域を出るということは、非常に稀ですので、「読解」で点数がとれないと、「一級試験」合格は、望み薄になります。この「中学生」さんが、既に「学習能力」の基盤があるほどの中国語を習得出来ていれば、問題ないのですが、もし、まだそれを身体に纏う以前に、日本に来てしまっていたとしたら、これは大変なことになります。これから「日本語」で、それを身につけなければならないのですから。間に合ってくれればいいのですが、そうでなければ、難しい、本当に難しいと思います。

 人は、軽く、「外国に行けば、母語の他にもう一つ言葉が話せるようになるからいいじゃないか」と言いますが、「思考言語の習得」や「理解力の養成」などの面においては、人間には、成長期もあり、また、横ばい期もあると思える節もあるのです。また、もしかしたら、年齢に関係なく、下降期すらあるのかもしれません。そうなると、いろいろな出来事に遭遇した時、何も考えることができずに、すべてを感情的にやってしまうということにもなりかねません。

 サルもそうでしょう。小猿は学習能力があり、新しい事に果敢に立ち向かっていき、それを習得することができますが、ある年齢を超えたサルは、もうそれができないのです。人も多分同じなのでしょう。私自身、そうだと思いますから。勿論、人には理性で、ある程度は、それを打ち破ることができますが、それでも、「思考言語の獲得」などは、生半可なことでは、どうにもならないのです、すでにその時期を外れている場合。

 日常生活に全く支障がないほどの日本語を巧みに操っていると思われる人でも、文章を与え、意味をとらせようとすると、パニックに陥ったりするのです。判らないのです。筋道が見えないのです。こういう人は、かつて何事か不幸なことがあり、それ(思考言語)を習得出来ないまま、ここに至っているとしか思えないのです。

 まず、母語をしっかりと身につけておかないと、いろいろなモノを学習していくこともできないのです。もしかしたら、「感じる」から「思考する」に至る道が消えているのかもしれません。頭の中が霧に包まれているような状態になり、物事がはっきり見えないようなのです。見えないのは、「物事の筋」道なのかもしれませんが。

 その点、高校まで、自分の国で過ごし、当たり前に勉強して来た、「高校を卒業したばかりの」学生は、新しい知識であろうと、新しい概念であろうと、習得していくことができます。それは、ある程度は、母国にいた時の知識の対訳という形でなされるのでしょうが、日本という国に来、しかも、上の学校へ行くということは、それまでの母国での知識でどうにかなるというはずもありません。知識のみならず、新しい概念までも、習得していかなければならなくなるのですから。その時、国での学力、あるいは、学習能力が試されるのです。

 勿論、日本語学校にしてみれば、大卒者を多く入れた方が、手っ取り早く「点数」が稼げるので、便利です。しかしながら、私から見れば、大卒者は、既に頭が硬くなっていて、「にっちもさっちもいかない」ということも少なくないのです。ここでは、日本語だけではなく、(学ぶ上での)考え方から教えていきますから。頭が柔らかく、直ぐにこちらのやり方に反応してくれると、「ああ、これは本当に頭がいい人だな」とホッとするくらい、そういう人は少ないのです。

 それよりも、ちゃんと学校で勉強して来た、高校を卒業したばかりの学生の方が、教え甲斐があります。勿論、そうは言いましても、大学での四年間というのは、良きにつけ悪しきにつけ、本はある程度読んできていますから、教師からしてみれば、「楽」です。高校生の頭の幼さに比べれば、勉強に関して言えばですが、教師のレベルが低くても、自分でやってしまうので、学校側は資料や教材にお金をかければ済むくらいで、本来ならば一番大切な、教師の質をそれほど考慮しなくても済むのです。それに、中国人の大卒者は、直ぐに諦めます。現実的な人たちですから、見捨てるのも早いのです。その環境の中で、生きる道を捜すのは、彼らの得意技なのかもしれません。

 しかしながら、高校を卒業したばかりの学生はそうはいきません。こちらのやり方次第です。こちらのやり方がいいと、ずんずん伸びていきます。わるいと直ぐに落ちていきます。それが、教育に携わっている者の立場からは、とてつもなく面白いのです。とはいえ、自分たち(高卒者)にはその変化がわかりません。

 そういえば、この夏休みに、こういうことがありました。
 去年の7月に来た学生達が、夏休みに自習していた時の事です。その時、新しく来た17才の少女を、彼らが自習している教室で、私が教えていたのですが、その少女の様々な反応に、例の「中学生」も、そして、「おしゃまさん」たちも、びっくりしたのです。中の一人が、私に聞きました。
「先生、私たちも日本へ来たばかりの頃は、こんな風でしたか」
今は、挨拶や、教室での行動など、どこの大学へ行っても恥ずかしくないようになりましたが、その彼らとて、この学校に来たばかりの頃は、いろいろな事(?)をしていました。その都度、学校の教師が指導し、アルバイト先の日本人からも嫌われないように、或いは、日本で不都合なく生活していけるように、育ててきたのです。

 教員たちの日々の活動は、「(学生達の行動の)些細な発見」から始まります。小さなことを見逃さないでいるのが、大切なのです。些細なことを、「面倒だから」と注意しないでいると、それが大きな問題に繋がっていくかもしれませんし、教室活動の妨げになるかもしれません。もし、日本語学校で働いている教師たちが、「自分は、日本語を教えるだけだから」などと考えていたら、大きな間違いです。そういう人は、ただの「しゃべる人」でしかなく、「学校の教員」とは称すべきではないでしょう。つまり、日々の生活指導が出来て初めて、認められるのです、この学校では。

日々是好日

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「フフホトの乾燥」。「学生との『相性』」。「人間的であること」。

2009-09-08 08:34:13 | 日本語の授業
 昨夜か早朝、雨が降ったのでしょう、地面は微かに濡れています。湿度も、まだかなり高いとのことでしたが、フフホト帰りの私からすれば、日本では、雨が降ろうが降るまいが、湿度は高いのです。

 「乗り物嫌い、旅行下手」の私が、二泊三日の中国の旅から、無事に戻ってきたのは、六日の夜のことでした。四日の金曜日、成田発北京経由で、夜フフホトに着き、翌日、五日の夕方にフフホトから北京へ飛び、六日に、また成田へ戻るという、かなりの強行軍でした。さすがに昨日の朝は、授業準備に追われ、ブログを書く余裕はありませんでした。

 しかしながら、この「短期間の旅」だったからでしょう、「内モンゴル」という地が、いかに人間にとって過酷な場所であるかを、如実に感じさせられました。

 北京と日本を行き来していた留学時代、「北京の乾燥」というのは、謂わば、呪われた存在で、仲間とは、北京の空気は「バリバリ」しているなどと言っていたものでした。が、今回、一日で、フフホトから北京に来てみると、北京の空気に、優しさすら感じてしまったのです。「ああ、水気」という風に。もっとも、北京から成田に戻ってきてしまうと、日本の大気は、「水浸し」のように思えてしまいましたが。

 生き物には、水が必要です。海から陸に上がったわけですから。四六時中、水の中にいるようにベトッとした湿度に包まれていたいとまでは言いませんが、大気に水分を感じていたいのは、おそらく、人皆、そうでしょう。それを、彼の地では味わえないのですから。雨が降っていても、水と人間との間に、厚い膜があり、水分の存在を感じさせてくれないのです。こういう土地で暮らすのは、辛いですね。今回は一日ずつという行程でしたから、その厳しさの一端を窺ったような気がします。

 さて、フフホトです。
 M先生の学校では、いい学生達に会えました。一人は、勉強する習慣も根性もありそうに見えませんでしたので、日本語試験に合格してから話しましょうと言うことにしましたが、その他の学生達は、もし彼らが、この学校に来たいというならば、喜んで引き受けようという気になるような若者たちでした。

 彼らは、「面接」とか、「合格した」とか、言っているようでしたが、これは「面接」というほどのものでもないし、「合格した」とか言うようなものでもないのです。

 私たちは、お互いの「相性」を見ているのです。多くの学生は、その「相性」を探れないまま、日本へ来てしまいます。来てから、ホッと胸をなで下ろす学生もいますし、困ったと戸惑う学生も出てしまいます。それが、あらかじめ、来日の前に、こういう場を提供していただけると、「相性」を見合うことができますから、お互いのためになるのです。その上、彼らが、日本へ来たら、私が教えることになるのですから。

 彼らを自分との「相性」を考えます。来日後、彼らを背負うことが出来るかどうかを考えるのです。私たち二人は、私たちが中国へ来ている間、学校を守ってくれている若い先生たちの代わりに来ているわけですから、いい加減に見ることはできません。何かあった時、若い人たちの代わりにこちらが出張っていかねばならないのですから、なおさらです。若い先生が、一生懸命に教えてくれる、その意に背くような学生も困るのです。

 来日後の、彼らの厳しい生活は考慮しながらも、それに同情して、勉強しなくてもいいよなどとは言いません。彼らが頑張れば、私も多くの事を教えることができますし、彼らも多くの事を学ぶことができます。勉強する気がなければ、例え、私が「100」の知識を持っていたとしても、一つくらいしか教えることができなくなるのです。

 だって、そうでしょう。「0.01」くらいの知識で、「アップアップ」と溺れかけている人に、「1」であろうが、「10」であろうが、詰め込めるわけはありません。無用な苦しみを与えるだけです。その人たちには、それなりに、楽に、望み通りの外国生活を過ごせる日本語学校へ行った方がいいのです。

 その反対に、「100」入れても、まだまだ余裕のある人には、こちらも、更なる努力をしなければなりません。その分野における、さらに深く広い知識を獲得したり、或いは新たなる教材を開発したりしなければならないのです。この土俵の上では、私たちは、常に学生達よりも高く、また深く、幅広いところにいなければならないのです。そうでなければ、立場が逆になってしまいます。「学びたい」と学費を払って来ているのは、彼らの方なのですから。

 実を言うと、忙しくて大変になるのは、この頑張り屋さんの学生相手の方なのです。が、教員から見れば、こちらの方が「やりがい」があり、「面白い」のです。

 もっとも経営者の立場から見れば、そうではないでしょうけれど。教員の立場からでなく、経営者の立場(「経営者」という言い方がいいのか悪いのか判りません。が、「会社を持っていると思っている人の立場」から見たら、くらいの意味で、この言葉を使っています。つまり、ここで言うところの経営者は、「教育界」の人間ではありません)からは、必要な費用を出せる人なら、そして、大人しくて学校側に迷惑をかけなければ、誰でもいいのです。それどころか、二年で「初級」をウロウロしてくれる方がいいでしょう。経費も安くて済みますし。何となれば、レベルの高い教員を雇わずに済みますから、人件費も安くあがるのです。

 「『上級』後」が、長ければ長いほど、こちらの準備も大変になりますし、お金もかかります。ここで言う「上級」は、「一級」レベルを指します。勿論、中国人の中には、「一級」に合格してしまえば、それで終わりと思っている人も少なくありません。出来れば、そういう人も振り落としたいのです。勉強する気がなければ、「私たちの」学生ではありません。日本へ行くだけだったら、既に「一級」に合格しているのですから、どこの日本語学校だっていいでしょう。

 こういう人には解らないでしょうが、実は、日本語の勉強は、「一級後」が長いのです。「大学で」ではなく、「日本語学校においても」、そうなのです。「一級」に合格していたとて、「大学の授業」には、ついていけませんし、「会社の会議」に参加しても、多分、チンプンカンプンでしょう。

 「一級後の勉強」は、日本語を勉強するのではなく、「既に獲得している低レベルの日本語」で、更に上級レベルの文章を読み書きし、また、聞いたり、話したりしながら、知識を増やしていくことなのです。「日本語『を』学ぶ」から、「日本語『で』学ぶ」に変わるのです。

 これが判っていないければ、「私はすでに一級に合格しているから」と、思い上がり、せっかく日本語学校に籍を置いているのに、勉強をせず、大学や大学院に入れても、先生の言うことが判らずに落ちこぼれていくということにもなりかねません。

 勿論、「感性」を必要とする類は、なかなか「学ぶ」事はできませんが、大方の知識は、「学ぶ」ことができます。「感性」の不足は、それで補えることもできるでしょう、ある程度は。

 この学校は小さな学校で、学生が、一日でも休めば、その情報はその日のうちに、すべての教員に知れ渡ってしまいます。これは、まじめな学生が多ければ、教師にとっても学生にとっても、「プラス」に働くのですが、もし、学生の方が「出稼ぎ」感覚で来日しているようだったら、教師にとっては地獄となります。皆見えてしまいますから。どんなに自分が頑張っても、どうにもならない価値観を持ち、どうにも動かせない人たちが、学校にワンヤワンヤと存在しているということになり、まじめな仕事人肌の教師にとっては、阿鼻叫喚地獄であえぐという結果にもなってしまうのです。

 今、在籍している学生の大半は、まじめです。つまり、教師にとっては、「生活面」で手がかかるのではなく、「教育面」で手をかけさせてくれるので、ありがたい限りの学生達なのです。学生達のレベルが高いとか低いとかは二の次です。勿論、教えたら直ぐに理解し覚えてくれた方がいいに決まっています。けれども、そうでなくともいいのです。いわれた通りに宿題もし、忙しい時間を調節し、「やれ」と言われれば予習・復習までやってくる。そういう気持ちが大切なのです。そういう学生を教師は見捨てることができません。頭のいい学生も大切、日本語の学習にそれほど適さない学生も大切。これは持って生まれたもので、親を恨んでも仕方がないのと同じです。

 来日目的が、「日本語の学習」ではない学生であろうと、自分の「在日資格」が「日本語を学びたい」ということで、得られているということを、自覚してさえいれば、そこには自ずから行動に制限がつきます。毎日学校に来るということです。それが実行できていれば、自然と日本語も上達しますし、そうなれば、また別な欲、つまり、進学したいという気持ちも芽生えてくるでしょう。そうして、勉強にも励んでくれるようになれば、いい結果に繋がっていくでしょう。

 私たちは、「人情的」になることを畏れます。それよりも、「人間的」でありたいと思っています。こういう仕事をしていますと、「かわいそう」と思うことが多々あるのですが、情に負けて何かを彼らのためにしてやっても、それが彼らのためにもならず、そして、他の人たちのためにもならず、却って、罪作りをしてしまったと言うこともあるのです。

 「人情的」であることは、簡単ですが、「人間的」であろうとするのは、難しいことです。それは、あるときは「情なし」にも見え、人の非難を呼ぶこともありますから。けれど、「教育」に携わる以上、結果の見えない大海に浮かんでいるようなものですから、そこには自分自身に対する、一分の理屈が必要になります。それが『人間的』であろうとする」ということなのでしょう。

日々是好日
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「就学生の『住まい』」。「『寮』に入るということ」。

2009-09-03 08:38:24 | 日本語の授業
 昨日、ふと、公園の木を見やった時のことです。伸びている枝の、その奥の方で、チラチラとオレンジや黄の色が見え隠れしているような気がしました。それで、今日も、まあ、自転車に乗ってではありましたが、目を凝らしてみると、やはり変化は始まっていたのです、どの木でも。

 これら、黄(紅)葉が始まった「木の葉」の、木、全体に占める割合は知れたものでしょうが、まずは、「紅(黄)葉の偵察隊」といったところなのでしょう。ここ数日、涼しい日が続いていましたから。それに、一日だけでしたけれど、10月上旬の気温と言われた日もありましたし。このまま滑るように秋になっていく…はずはないか。きっと「そうは問屋が卸さない」といったところでしょうね。

 さて、学校です。
 10月生の交付が出てから、連絡に走り回っていた人に、中国から、「住まい」についての問い合わせがありました。この学校は、「寮」にすべき建物を持っていません。その代わり、学生の申し込みに応じて、学校がアパートを(学校の近くに)借りて住まわせることにしています。勿論、一人暮らしはできません。何人かで一緒に暮らすということになります。場所は、とにかく、学校に近いところを探します。学校に近いと言うことは、駅にも近く、アルバイトへ行くにも便利だということです。一番近いところは学校の裏になります。そんなに近いのに、自転車で来る人もいるのですから、可笑しいと言えば可笑しいのですが、勉強が終わったら直ぐにアルバイトへ行くのでしょう。

 「住居」、特に、アパートの賃貸契約等についてなのですが、日本の事情がよく判らない人に、この説明をするのはとても難しいのです。まず、いくら説明しても、イメージがわかないようなのです。つまり、わからないのです。言葉の問題ではないのです。

 なぜ、こういうことまで説明しなければならないかと言いますと、中には、「寮」を出たいとか、反対に「寮」へ入りたいなどと、途中で言い出す人もいるからなのです。自分の国で、気ままな生活をしていたり、人と一緒に暮らすことが苦手な人にとって、異国で、いろいろな人と一緒に生活するということは、大変な経験です。私にも経験がありますので、それはよくわかります。

 ただ、来日前に、「寮」を頼んでおきながら、一二ヶ月して、「一人で暮らす」などと言い出したり、或いはその反対に、「寮に住みたい」とか言い出されても、学校側としては、急にはどうにもならないのです。「寮」を申し込んだ人数に見合った、アパートを、学校の近くに捜し、借りたりするわけですが、実際に学校がしているのは、それだけではないのです。冷蔵庫や洗濯機などの諸備品まで揃えなければならないことも多いのです。急に言われて、右から左に「はい、そうですか」とやれるはずがありません。なんといっても、寮費でさえ、彼らが来日してから、卒業するまで、ちゃんと払って、(アパートを借りるための)敷金や礼金、また諸備品の費用が、トントンというくらいなのですから。

 一番いいのは、誰か日本人が傍にいて、その人の世話をしてくれることですが、普通の就学生にそれを望むことはできません。それで、学校が、そういう人の代わりに、就学生の面倒を見ることになります。確かにそれは面倒な事です。ただ、「寮」に住んでもらうと、学校側にとっても、安心だということもあるのです。

 病気になった時に、すぐ駆けつけることも出来ますし、近くの病院へ連れて行くこともできます。保険や外国人登録なども、近くの支所に連れて行って、直ぐ処理してもらうこともできます。鍵や財布を落としたなどと、夜中に電話がかかってきたこともあったようです。もし、彼らが遠くに住んでいたとしたら、私たちもそこへは簡単にいけませんから、面倒な事になったかもしれません。

 今、この学校にいる学生達の大半は、学校の「寮」に住んでいます。そうでない学生は、先に来ていた従姉妹と一緒に住んでいる学生だけですが、その従姉妹というのも、この学校の学生なのですから、気が楽です。

 就学生にとって、「住居」の問題は、非常に大きいのです。初めはこの学校でも、自分の親類や知人を呼びたいという人が、「住まい」は自分たちで何とかするからと言っていたので、任せていました。けれども、いろいろな問題が生じていたことを後で知って、慌てさせられたことがあったのです。

 人間関係というのは、難しい。特に、その、知人とか親戚とかいっても、その関係がどの程度のものなのか、第三者には判りづらい。もしかしたら、ある種の「商売」であったかもしれませんし。それに、呼んだ人が、最後まで、その人の面倒をみてくれるというと、そうでないことも少なくないのです。

 私たちは「教育畑」出身ですから、そういうことに疎い部分もありました。けれども、この学校が出来てから、既に六七年経っています。教室での遣り取りだけでなく、教室を離れた部分でも、いろいろな事を学んできたような気がします。

 まあ、そういうことがあったからというわけでもありませんが、それがきっかけとなって、「衣・食・住」のうち、「衣」も「食」も自分で出来るけれども、日本では「住」は、その人を呼んだ側の人間(学校)が手配するしかないと覚悟を決めました。何と言っても、限られた予算の中でのことです。「不自由さ」を感じる学生もいるでしょうが、お金もそれほど準備できないし、頼れる知人も日本にはいないという「学生」が住むには、この方法しかないと思います。

 それに、だいたい、学校にちゃんと通って、アルバイトも適当にしている就学生にとって、「寮」というのは、寝るだけの場所にすぎないのですから。夏休みであっても、冬休みや春休みであっても、特別な数日を除いて、学校の「自習室」は、いつも「来客大歓迎」です。勉強は、そこでするのが一番いいのです。学校には先生もいます。判らないことをいつでも聞けます。必要な教材も揃っています。それを使って、勉強すればいいのです。「寮」にいても、ダラダラしてしまうだけでしょうから。

 というわけで、「寮」の申し込みが終わり、人数がはっきりしますと、「寮」捜しの人は、不動産屋さんと一緒に、大わらわで、寮を探し始めるということになります。10月生には、手続きが済み次第、直ぐに来日して、学校へ通うように伝えられていますから。

日々是好日
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「『オープンキャンパス』の誘い」。「『好奇心』と『感動する心』と『体力』」。

2009-09-02 08:29:03 | 日本語の授業
 夕闇が迫り来るような、そんな朝の様子です。色のない「白っぽさ」で、真夏のキャピキャピした、輝くような「白さ」ではありませんし、春先の靄がかかった「淡いクリーム色の白さ」でもありません。夕闇の、色の褪せたよう、わずかに雨を含んだ白っぽい雲が、一旦地上に降りて、そしてそのまま散っていった…そんな感じの白さなのです。白さを感じるけれども、色はないのです。

 今年は、こんな具合に、ギラギラした残暑がないまま、秋が始まってしまいそうです。本当にこのままでいいのでしょうかしらん。

 今朝も、長袖にしようか、それとも半袖でいいのかななどと、迷ってしまいました。涼しいのです。けれども、例年ですと、いくら朝は涼しくとも、昼は真夏と同じですから、(涼しさに)惑わされて、七分袖でも着ていきますと、昼に汗だくになってしまいます。

 それなのに、今年は、どうも違うようなのです。昼になっても、それほど暑くて困るということはないのです。本当に、惑わされる涼しさですね。今朝も、道行く人たちは、皆、思い思いの格好をしていました。

 さて、学校です。

 昨日、来年の就職が内定したという卒業生が、報告かたがたオープンキャンパスの誘いにやって来ました。研究室の合宿があったからと、長崎のお土産、カステラを携えて。彼は毎年のように来てくれるのですが、その度に、在学生達(今年、来年大学受験を控えている学生)に、彼の大学の様子を話してもらっています。ただ、一年生の時は、悩める男でしたから、「大学に行った方がいいよ」とは言えないようでしたが。

 こうして、毎年来てくれますと、私たちにも彼の成長がわかります。学年が進むごとに、知識も増え、出会う人にも恵まれ、考え方もしっかりしてきていたのです。このように成長できる人は、やはり、手を抜くことなく、人生に、誠実に向き合っているのです。そういう彼の生き方通りの話を、在学生にしてくれました。

 何度も繰り返していたのは、「何事も、一生懸命にしていれば、必ず誰かが見ていてくれる。必ず誰かが認めてくれる」ということでした。自分の体験からの話でしょう。彼自身、来日後は大変でしたから。この学校にまだいた時のことです。ため息をつきながら、「先生、時間が欲しいねえ。勉強できる時間が欲しいよ」。

 それでも、頑張れたのには、彼自身のある種の賢明さがあったのです。その一つに、遠くを見ないということがありました。ぎりぎりの就学費用で来日した、彼と同じ国からき他学生たちの多くは、辛い生活に耐えきれなかったのでしょう(国では恵まれた生活をしていたようでしたから)、一人また一人と落ちていきました。適当なところで、「まあ、いいか」という生活になったようなのです。来日の目的も、もしかしたら、彼のように「学びたい」ということではなかったのかもしれません。彼のように、アルバイトも懸命、勉強も懸命には、できなかったのです。

 今年も、こんなことを在学生たちに繰り返していました。「せっかく日本に来たのだから、勉強して欲しい。日本では、学ぶ気になったら、本当にいろいろなことが学べる」

 彼が日本へ来たのも、IT関係の勉強をしたかったからでした。けれども、何にでも興味を抱き、感心するという「心」を持っていなかったら、こうまでうまく、道を切り開いていくことは出来なかったでしょう。アルバイト先のレストランで、テーブルセッティングを見ては、「すごくきれいなものを見たよ」と、目をキラキラさせて言っていましたし、生け花や折り紙の動物、花置き等を見ては、「すごいね、すごいね」と、幾度となく言うのです。何事によらず、驚き、感動できたのでしょう。そういう「素直さ」というのは、現代人にとっては、得難いものです。日本では、子供でも、現実に引きずられ、驚きや感動の心が失われていると言われているのですから。そして、そういう気持ちは相手にも通じます。

 この学校でも、課外活動として、いろいろなところへ彼らを連れて行きました。その度に、「あの人はこんなことを言ってくれたよ」とか、「あの人はこうだったよ」と、うれしがったり、驚いたり。幼子のような好奇心と感動を常に持ち合わせていました。そして、それに見合うだけの努力とそれを可能にする体力もありました。日本での厳しい生活でも、そういう心を失わないだけの、ゆとりがあったのです。彼に会うたびに、私は不思議な気がしてきます。

 こういう懸命に生きている人の手伝いをしたいと、そういう気になってくるのです。多分、彼と出会った日本人の多くはそうでしょう。幸せを呼び寄せるだけの、「ひたむきさ」が彼にはあるようでした。

 「ひたむきさ」と言いましたが、人は「心」だけでもだめです。「聡明さ」だけでもだめです。努力をする、頑張ると、口では言えても、身体が言うことをきかないということもあります。「体力」も必要なのです。また体力だけあって、「もの」に感動する心がなければ、他人も、その人に、心を動かされることはありません。

 終わりに、「(在学生たちに、いろいろな事を話してくれて)ありがとう」と言いますと、「みんなのためになりたいんだよ。でもね、まだ力がないから。何年か経ったら、いろいろな事がしてあげられると思うけど、まだだめだね」と言っていました。いえいえ、来てくれて、みんなに大学の様子を話してくれただけで充分です。そして、最後に「オープンキャンパスに来てくださいね。私もいますから」と大学の宣伝も忘れていませんでした。

 彼の話に、心を動かされたのでしょう、授業の時に、何人かの学生が、彼の大学の名前を聞き、オープンキャンパスに行きたいと言っていました。

 とは言え、(彼の仕事は)これで終わりというわけではありません。ITが専門なのですから。これもやって、あれも見てと、他の先生に捉まって、今度は職員室のコンピュータをいじらされていました。けれども、転んでもただでは起きない奴です。コンピュータのセッティング(この学校で、高校の通信教育を受けている学生のためなのですが)をしている向こうから、「先生、時間がありますか。相談があります」と声をかけられました。

 「卒論」に関しての相談でした。見せてもらうと、よく調べたなということは判りましたが、ちょっと「う~ん」という感じでした。

 普通、2000字くらいだったら、あまり考えなくてもどうにかなりますが、2000字を超えてしまいますと、あらかじめ、構成を考えておかないと、何が何だか判らないものになってしまいます。

 彼の場合も、それに近く、全体の流れが自分でまだ判っていないという感じを受けました。一本の骨がないのです。それから、動機です。こういうものを書く場合、「他の人に褒めてもらえるものを書きたい」とかいう欲を持たずに、つまり、自分の中で「(大学四年間の)けじめ」をつけるという気持ちで書いた方がいいのです。

 それを、評価するのは、勿論、他の人です。自分さえよければいいという「独りよがり」はいけませんが、他者を意識しすぎるのも考えものです。評価されるかどうかは、二の次なのです。「毀誉褒貶」は人様がすることであって、自分ですることではありませんし、また、他者のそれを忖度すべきでもありません。

 「書こう」と決めた、自分の、その動機が、一番大切なのです。当時、一番これが気になっていた。だから、自分で調べ、それなりの結論を得た。これが、ひいては自信にも繋がるでしょうし、新たな道を切り開いてくれる「よすが」になるかもしれません。

 とにかく、大学四年間の記念なのですから。

 というわけで、多少の感想を言った後、「頑張れ」という一言を残し、私は午後の授業に行ったのですが、多分、彼は、大丈夫でしょう。

日々是好日
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「金曜日から、フフホトと北京へ行きます」。「『自信過剰』と『過度なる卑下』」。

2009-09-01 08:55:06 | 日本語の授業
 今朝、自宅の前で、落ち葉を掃いている人たちを、何人も見かけました(外国から日本に帰ってきた人が、口を揃えて言うことの一つに、日本の道の清潔さがあります。きっと皆が早朝から、自分の家の周りをきれいにしておくことが習慣になっているからなのでしょう)。その中の一人と、立ち話をしますと、「(この台風の被害が)思ったほどひどくなくてよかったと安堵した」と言います。予報を聞いた限りでは、(台風の)直撃かと、皆思ったことでしょう。選挙結果も、台風にでも直撃されたかのようでしたし。

 ただ、随分前に、自民党が下野させられた時と比べて、どちらの党の人も、熱に浮かされてしゃべりまくっているというような感じはありませんでした。もしかしたら、多少は政治家も成熟してきており、明日はわが身と互いを見やるゆとりが出てきたのかもしれません。そうであったらいいのですが。

 国民は、皆が安心して暮らすことが出来れば、それでいいのであって、結局のところ、誰が政権を握ろうと構わないのです。「皆を幸せにするのが、政治家の『義務』」であるということさえ、判っている人たちであれば、それで、何の文句もないのです…。なんとなれば、それで、給料をもらっているのですから。「してやっている」などと思えば、それは「増上慢」であって、下手をすると「地獄」に堕とされてしまうかもしれませんぞ。

 ところで、今朝の風は、涼しいのです。しまい忘れの風鈴が寂しげに聞こえるほどに。ただ、涼しいのは涼しいのですが、変に「芯」の処が暑いのです。この涼しさは、台風の置き土産なのでしょうし、この「芯」の暑さは、これまでの夏の暑さの名残なのでしょう。台風が来ようが、津波が来ようが、何事も、「慣性の法則」から逃れられないようにできているのかもしれません。

 唐突ですが、今週の金曜日から日曜日にかけて、内モンゴル自治区のフフホトと北京に行ってきます。二泊三日という強行軍ですので、次の週は大変だろうなと自分でも危ぶまれるのですが、しょうがありません。10月生としてくることに決まった内モンゴルの二人の様子を見、もし必要ならば、来日までにやっておかなければならないことを、日本の現状を話しながら、説明してやらねばなりません。なんとなれば、来日が決まると同時に、勉強をやめてしまうという学生が少なくないのです。決まってから、それから、新しい道が始まるというのに、その準備を怠って、遊んでしまうということもあるのです。それから、4月生として申し込みたいという人に会って、正直なところ、私の厳しさに堪えていけるかどうかを、見とどけておかなければなりません。

 同じ中国人であっても、民族的な特徴はかなり違うようで、内モンゴルの人たちは、どこかしらおっとりして、激しさを好まないようなのです。お互いの間にかなりの距離をとり、そして、自分を守るといった風なのです。ある意味では、見てもらいたい自分以外は見せたくないと言った方がいいのかもしれません。モンゴル族という狭い枠内で自分を見、そして、望みを抱くといった人も見られるのです。

 こうなってしまいますと、自分で自分の可能性を断ち切ってしまうということにもなりかねません。自分で自分の出来るであろう範囲を、勝手に決めてしまいますと、せっかく新しい環境で、新しく生まれ変わることができるというチャンスに巡り会うことがあっても、それが見えなくなってしまうのです。未熟な自分が、限界を自分に与えるべきではないのです。なすべき事をしていればいいのです、特に勉学中の身であれば。
 
 そうしなければ、その人が本来持っているはずの可能性も、いじけて萎んでいくばかりです。これでは、私がイライラして、「自分の殻を破れ」と怒鳴っても、あまり効果がないのです。

 同じ中国人でも、ある民族には「身の程を知れ」と喚かねばならぬし、この民族には「自分を正面から見てみろ。可能性の塊だろうが」と説かなければならないという面倒さがあります。勿論、個人差はあります。ここで言っているのは一般的な傾向としてという意味でです。

 と、ここまで、書いてきて、ふと、辺りの様子に気つきました。ちょっと違うのです。耳を澄ましてみますと、もう「セミ(蝉)」の弱々しい鳴き声すら聞こえないではありませんか。聞こえてくるのは、遠くからの「リ~ン、リ~ン」という澄んだ音ばかり。もう全くの秋の虫たちの世界になってしまったのでしょうか。「セミ」たちは皆、あの強い風に吹き飛ばされて、いなくなってしまったのでしょうか。
 こうなってしまいますと、すべてが儚い夢のように感じられてきます。

「つひに行く道とは かねて聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを」(『伊勢物語』)
「セミ」たちも、もしかしたら、こんな思いを抱きながら、落ちていったのかもしれません、それまで、守り人であった木々から。

 そういえば、風邪でお休みしているインド人のA君は、どのような事があろうと、自分に都合のいい方に感じ、また、考えることができるという「特異な」才能を持っています。その才能が、今は「自分に日本語のレベルは日本人と同じである」という方面に開花(?)して、実際のところ、皆を困らせているのですが。勿論、こう彼に思い込ませた日本人が、一番悪いのですが。人は弱いものですから、おいしい話の方に流れていきやすいのです。

 つい先日も、助詞の使い方が、間違っていました。日本語では、助詞一つ間違えると、文の意味が全く違ってきます。彼の様子から、そうではないことが知れましたので、改めて、「どういう意味なのか」と尋ねてみました。すると、驚くのです(思わず、「驚くな」と喚いてしまいました。お腹の中ででしたけれど)。そして、「先生、本当にわかりませんか。先生は日本人ですか」と、真顔で聞くのです。私も腹では「大篦棒め」と思いましたが、そこはそれ、それを出すのはもっと後のこと。一応、指導をします。

 彼は、アルバイト先では、店長と喧嘩が出来るくらいだと言いますし、日常生活においては、だれも、適当に意味さえ判ればいいので(面倒なものですから)、「おまえの日本語は間違っている」などと言ってはくれないでしょうし。というわけで、100人会った日本人のうち、99人が上手だと言えば、それを信じたくなるのも人情かもしれません。が、それにしても、彼はまだ勉強中の身。「よくぞ、そう自信過剰になれるもの」と文句の一つも言いたくなるのですが。とは言いましても、それを言うのは、この学校の教師のみ…ですので、彼の腹の中では、この学校の教師は「皆、日本人じゃない」ということになっているのかもしれません。

 彼の頭の中には、「『自分の日本語のレベルは日本人と同じである』つまり、『日本人は、自分の日本語がわかる』。つまり、『自分の日本語がわからない人間は、日本人ではない』」という公式が堅固な城壁のようにそびえ立っているようなのです。どんなに注意しても、指導しても、本人ときたら、全く意に介した風はなく、にこやかに佇んで、待っているのです、私が彼の望んでいる反応を示してくれるのを。

 しかしながら、信じ込んでいる人は強い。「鰯の頭も信心から」と言うではありませんか。「自分の日本語はすごい」と信じ込んで、しかも、自信に満ちて、それなりの行動をとっていると、次第次第に、「彼の日本語はめちゃめちゃです。何を言っているのかわかりません」と言っていた中国人までが、「上手ね」と言い出す始末なのです。

 そういえば、昔、中国にいた頃、外モンゴルから中国語を勉強に来ていた留学生(ただ、年齢は既に40才近かったでしょう)がいました。私たちは、この人は、発音も悪いし、文法も正確じゃないので、外国人だとすぐに解ったのですが(なにせ、私たちも、中国語を習っていましたので、自分が注意された文法の間違いを、この人も間違えていると、違うということがわかったのです)、なんと、中国人は、この人たちを中国人だと思っていたのです。中国の内モンゴル自治区から来た人と思っていたようなのです。発音の悪さも、中国語にはとれない文法の不確かさも、「モンゴル民族だから、中国語は上手じゃない」の一言で片付けていたのです。下手だという自覚がある人間の中国語は、どのように上手でも、直ぐに外国人と言っていたのに。

 「自信」というのは、怖い。けれど、「自信」と共に、拓けてくる道もあります。過剰なる自信は、単なる「井の中の蛙」であったり、簡単にへし折られてしまう「天狗の鼻」であったりしますから、あまり褒められたものではないのですが、その反対に、過度なる卑下も見られたものではありません。そうして、尻込みしていくうちに、せっかくのチャンスを逃してしまうということもあるのですから。

日々是好日
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