日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『限定は否定である」か…。でも、…」。

2014-05-28 08:40:13 | 日本語の授業
 曇り。

 朝早くには陽も射していましたが。

 渋谷の方では、朝から、20度を超えているそうです。が、ここはまだ風が涼しさを運んできてくれています。海の近くは風があるので、助かります。もっとも凪の時は、へばってしまうのですが。

 今日の最高気温は、25度を超すかしらん。昨日は昼の一時期だけ、暑かったけれども、あとは、肌寒いと感じられるような1日でした。今日は、さて、どうなりますことやら。

 今朝、自転車を走らせていますと、稀少鳥類の「スズメ(雀)」が、灌木の間からこちらを覗いていました。すぐそばには、フンワリとしたお布団が出来そうなほど、人の膝までの高さに「ササ(笹)」が生えていましたのに(そこへは行きません)。さすがに「ササ」は、密生しているので、(中に入ってしまうと)抜け出せなくなるかもしれず、また、羽を痛めてしまう畏れもあるというのでしょう。よくわかっていますね。それなりに隙間のある樹の方が良いのでしょう。

 「スズメ」や「メジロ(目白)」など、小さな鳥は、すぐに「ヒヨドリ(鵯)」などの二回りほども大きな鳥に苛められるので、隠れられる処がある方が、安心できると見えます。

 時々、学生達の顔を見ながら思うのですが、確かに、「限定は否定である」と。一度、決めつけてしまうと、人というのは、なかなかそれから抜け出せないのです。まるで、「ササ」の中に閉じこめられた「スズメ」のように。

 けれども、かといって「定義付け」めいたことをせぬと、計画が立てられないのです。この「定義付け」を毎日、あるいは数時間毎にでも変えていければ良いのですが。

 もちろん、最初は「困ったな」と思われていた人でも、本人の気持ちが変わって、どうにかなった…ということもありました。けれども、国民性というか、民族性というか、その国の人が団体で来てしまって、彼等だけの価値観が変わらぬまま、日本で生活することになってしまうと、ことは面倒になってしまうのです。

 彼等、あるいは(先に来ていた)彼等の親戚や友人からの話だけで、日本で生きていこうとすると、それはうまくいかない…でしょうね、多分(もっとも、ものは考えようで、それでよければ、まあそれでもいいのですが)。というわけで、そっちに流れてしまう人の方が多いのです。こうなると、(外国へ出たからと言って)変わることはない…でしょうね。

 人は都合の良いことのみ、耳に優しいことのみを、選んで聞いてしまうように出来ているようですから。

 「あの人はうまくいった」は、即「自分もうまくいく」とは限らないのです。その人には、他の人にない要素なり、条件なりがあり、(自分にはない)その要素で引いてもらった…かもしれないのです。それなのに、その人と自分との共通点だけ(ここでは、日本語のレベル)を比較して、自分の方が(ほんの僅か。実際は大して違いがないのですが)上だ。だから、自分だってうまくいく…と考えてしまうのです。あるいは、自分の長所(?)を、どこからか拾ってきて、自分の方がうまくいく…はずだと思ってしまうのです。

 当然のことながら、「思い込み」ですから、うまくいきません。すると、「変だ。どうしてだ」と不満を抱いてしまう。

 日本の大学では(おそらく、日本以外でも、ある程度、公教育が進んでいる国であったなら、大学進学が、ごく普通のこととしてあるでしょうから)、多少、日本語の力が劣っているとしても(意思の疎通が出来なければ、無理ですが)、「やりたいこと」がはっきりしている、あるいは「そのために来日したのだ」と明言することができることを重視しています。だって、考えてみれば、大学の先生というのは、その専門に何十年もかけているわけです。それに興味のない奴なんて入れたくはないはずです。

 ただ、ビザのために、「大学の方が得だ」と考えて、「運良く」入れても、1年も経たないうちに、音を上げてしまうでしょう。だって、大学ですもの。痩せても枯れても大学ですもの。外国人で、勉強する気のない人が入ってどうするんだ?になってしまいます。

「やりたいものがあるかどうか。そして他の人にそれを伝えることができるかどうか」。そして、そのために来日したのであれば、その専門を学ぶためには日本語の習得が必須でありますから、「(日本語を学ぶために)学校を休まずに勉強することができたかどうか」。つまり、そういう習慣が養われているかどうかなのですが。

 日本語学校に来る学生達は、その殆どが、お金が潤沢にあるというわけではないのです。その中で頑張っていければ、それは自信にもつながるでしょう。将来、何事かがあった時でも、「あの、一番辛かった時でも、あれだけ頑張れたのだから、これくらい大したことはない」と思えることでしょう。それもこういう学校で学んだ一つの財産なのです。

日々是好日
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