日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「平和呆け」。「『苦』あれば『楽』あり、『苦』は『楽』の母」。

2009-11-30 08:11:06 | 日本語の授業
 まだ雨が降っています。シトシト雨です。昨日の日曜日は、市川市の「市長投票日」でした。午後、散歩かたがた投票所である幼稚園へ行ったところ、閑散として係の人が随分暇そうに見えました。平和な光景です。思えば、この、「為政者を投票で選ぶという権利」を獲得したり、或いは、それを行使するために、争い、血を流している国もあるというのに。そのために、わざわざ他国へ行き、彼らの権利の実現のために命を落とした日本人もいるというのに。

 私たち、今の日本人は、他国の人から見れば、確かに「平和呆け」と言われても仕方がないのでしょう。平和であることに馴れてしまいました。60年余り前には、食べ物さえ不足し、人々は「自由」や「平和」などとは無縁に生きていたというのに。

 時々、この状態というのは、本当に望ましいことなのか判らなくなります。ある国では、「自由」や「権利」並びにそれによって生じる「義務」を手にするために、戦ってきました。けれども、日本の場合は、「与えられた」ものであるという気持ちが拭えないのです。それも、「イクサに負けたから、授けられた」という感じなのです。

 「平和である」ことは、無論、すばらしい。けれども、なぜ「『平和』でいられるのか」、「『平和』であり続けることができるのか」が、はっきりしないのです。ただ「『平和』を享受することに馴れている国民」であり続けるしかないのでしょうか、今の日本とは。もしそうだとしたら、「家畜」や「ペット」以上の存在ではありません。それを、与えてくれている者の「気持ち次第」で、どうにでもされてしまうようなものです。これが、少し前まで、「世界第二位」とも言われてきた日本人の実力だとしたら、とても怖いことです。

 さて、学校です。
 昨日、一昨日と、大学の「入学試験」や「面接」が続きました。一人の学生は、面接会場にいたのは、韓国人ばかりだったと言い、質問は微に入り細に入りで、嫌がらせのようにも感じられたと言っていました。

 そこで、つい、何年か前の「スリランカ」の学生の事を思い出してしまいました。彼も大学の「面接(入試)」に行ってからが大変だったのです。もう「行きたくない」と言い張って、説得するのが大変だったのです。

 彼は「10月生」で、しかも、日本に来てから日本語の勉強を始めたと言ってもいいくらいでした。ただ非常にまじめでしたし、コンピュータを勉強したい(ソフトの方です)と目的もはっきりしていましたので、大学を勧めました。

 彼の周りの同国人は、とにかく来日が目的、来日してしまえば、あとはできるだけ日本にいられる方法を考えるといったふうでしたので、(私たちに)大学を勧められても、最初は、どこかしらピンと来なかったようでしたし、それが可能であるとも思えなかったようでした。

 けれども、とにかく説き伏せて、受験に行かせました(受験料が三万円ほどもかかります。冷やかしで行かせるわけにもいかないのです)。それが、帰ってきてから、「もう嫌だ。大学は嫌だ。専門学校に行く」と、私たちがいくら言っても聞く耳持たぬといった風になってしまっていたのです。

 彼がどれほど頑張ってきたのかをよく知っていた私たちは、(大学)四年間あれば、かなりのことができるはずだと思い、それで「大学」を勧めたのです。頑張れない人には勧めません。続かないのです。けれども、彼の場合は違います。しかも、一度は同意したのに、どうして、これほど頑なになってしまったのか、その理由を知りたく思い、聞き出そうとしましたが、なかなか口を開こうとはしません。ただ「先生、もういいよ。だめだと思う。大丈夫。専門学校で頑張るから」の一点張りなのです。

 しかし、最後に、やっともう一つ受験することに同意してくれました。「もう、それでだめだったら、先生達も何も言わない。やりたいようにやっていいから」と言い聞かし、オープンキャンパスに行かせたのです。

 あとで判ったことですが、実は、最初の大学で、面接の時に、「非漢字圏」の学生であることで相当な嫌みを言われたらしいのです。それで、同じことを言われるだろうと思って耐えられなくなっていたのでしょう。本人が努力していないのなら別ですが、「非漢字圏」の学生は、努力して、「漢字が読めたり、書けたり」出来るようになっていても、それを「文単位」でなく、文章で読み、しかも、意味を掴めるようになるには、ある程度の時間が必要です。一年程度で、漢字も書けるし読める、その上、文章もスラスラ読める、意味も判るなどというのは、まず、殆どの「非漢字圏」の学生に要求すべきではないのです。

「漢字」を読めないのに、不届きにも大学を受験しようとしているということで、本人が辛くなるほど責められたらしいのです。ただ書かせてみれば判りますが、来日後一年ほどしかたっていないのに、「二級」程度の漢字は書けていましたし、読めていました。それを「活用」できるかどうかというのは、これほど努力している学生だったら、時間が問題になるに過ぎません。

 それを見抜くことができるかどうかというのは、彼の問題ではなく、「大学関係者」のレベルが問われているような気がするのですが。これほど努力する「非漢字圏」の学生を私たちは知りませんでしたので、どうしても大学へ行かせたかったのです。

 ただ、こういう学生は、受験するその時点では、他の「漢字圏」の学生に確かに劣るでしょう。けれども、「聞く・話す」は「一級レベル」でしたし、暇さえあれば近所の大規模電気店へ行き、コンピュータを見、触り、店員さんを質問攻めにしていたくらいでしたから、コンピュータに関する知識も、また問題意識もありました。それは、面接の時に、「人材を育てる意識」をもっていた大学関係者であれば、判ったはずです。なぜなら、二つめの大学では、それをはっきりと「買って」もらえたのですから。

 その彼も、今は大学四年生です。この学校を卒業して二年目には「二級(日本語能力試験)」に合格し、今年の7月には、「一級(日本語能力試験)」にも合格しました。卒業後も、既に日本の一流企業に内定しているようです。勿論、これは彼の努力だけでなく、その後の「人との縁」にも恵まれたからでしょうが、つくづく、彼の「努力」と「ひたむきさ」が、「人の縁」を生み、また「よき人との縁」を引き寄せたのだと思わずにはいられません。

 最初の大学での「面接」で、辛い思いをしたでしょうが、それに打ち勝っていたればこそ、現在の彼があるのです。

 また、学生の「将来性」を見抜くことができずに、つまり、大学教育の「育成」を、頭からすっぽり抜け落ちているかのように見える大学関係者の方にも、「残念でしたね」と皮肉の一つでも言いたくなってしまいます。「たくさんの人に助けてもらったことを忘れない」と言っている彼の言葉の中には、最初の大学は全く入っていませんから。

 長々と書いてきましたが、こういうこともあったのです。一度や二度、嫌な思いをしたぐらいで諦めてはだめです。さあ、昨日の面接でショックを受けたらしいお嬢さん達。次の試験に向けて頑張りましょう。一緒に頑張るからね。

日々是好日
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「『一期一会』、『大地に根ざすもの』との出会い」。

2009-11-27 07:30:40 | 日本語の授業
今朝出る時には、まだ朝焼けの鮮やかな「朱」が残っていました。それがどんどん白み始め、一時空は白くなるのです。そして青味を帯び始めた頃、学校へ着いたのですが、ところが学校に着いて、職員室に灯を入れた途端、また外は闇の世界に戻ってしまうのです。不思議ですね。今朝、家を出たのは、いつもよりほんの数分早かっただけでしたのに。

 昨日の事でした。仕事をしながら、随分明るくなっているのに気がついて灯を消したのですが、それから直ぐのこと、一人の学生が、学校へやって来ました。
「おはようございます」と言うなり、
「暗いですね。暗い中で勉強すると目が悪くなります。電気をつけますよ」
とパチリ。

 「勉強…?とは不可解なことを言うヤツ」
とは思ったのですが、中から見れば明るいと思っても、明るくなっている外から来れば、まだまだ暗かったのでしょう。それに抵抗すると、睨まれてしまいますから。

 この学生は、英語が必要な大学の入試を控えています。それで、毎朝一時間早く来て、英語の勉強をする約束をしているのです。授業は日本語ですし、英語の授業は週に一回しかありません。言語の学習はどういう形でもいいから、毎日続けることが大切ですから。

 先週でしたか、どうも学生達の勉強の様子が心配になった、ある教師が最後のチェックをしてみました。学生達は、口では「勉強しています」というのですが、どうもそうとは見えかったのです。呼び出して聞いてみたところ、午後、学校に残って勉強をしている(比較的まじめな)学生でさえ、家に帰ってからは殆ど勉強していなかったのです。理由を聞くと、アルバイトなのです。勿論、アルバイトが終わってからは、直ぐにバタンキューです。朝は、9時に間に合うように学校に来るのが精一杯だったのでしょう。

 20才ころは、いくら眠っても眠いというわけで、そういえば、これは今年の4月に来た、「Dクラス(午後のクラスです)」の学生ですが、一昨日、電話連絡もなしに学校を休みました。それで翌日叱ったところ、
「ごめんなさい。朝のアルバイトが終わって、30分だけ寝るつもりだったのに、ずっと寝てしまいました」
と言うのです。
「起きてからでもいいから、どうして連絡しなかったのか」
と、また注意すると、
「でも、先生。目が覚めたのが、夜の10時半だったんです」
「…。」

 何とも言えませんでしたが、けれども、言われてみれば、昨日の彼は、スッキリとした幸せそうな顔に見えました…。

 さて、街の「イチョウ」は、完全に黄金色になりました。秋になると、半分感動しながら思うのですが、「イチョウ」は、秋の美を半分以上、独占してしまいます。「イチョウ」の樹があると、他の樹の姿が霞んでしまうのです。「晶子」が歌ったように、この樹が夕日の射す丘の上にあったとしたら、それこそため息をついて見つめるだけで終わってしまったことでしょう。「晶子」は詩人だったから、言葉でもって「ある美の瞬間」を切り取ることができたのです。これは、普通の人間には、なかなかに難しいことです。

 私たちは、美しい樹を見た時、その中に佇み、その「美」と一体になったかのような、ある種の浮遊感を味わえれば、それでよしとせねばならなぬでしょう。

 「美しい」といえば、今朝の樹々は本当に美しかった。「イチョウ」だけでなく、公園の他の樹も、小学校の樹も、一本一本見れば、それなりにみんな美しかったのです。それは、青葉で覆われている夏の盛りであったり、花で覆われていたりしたる時には、見られなかった美しさと言えるでしょう。

 いくら暖かいとはいえ、すでに11月も下旬の、しかも後半に入りました。大地に帰る木の葉も少なくはありません。そういうわけで、樹々もかなり葉を落とし、透かれたような姿で、立っているのですが、それを、通り過ぎながら見つめていると、葉に覆われていた頃には見いだせなかった形が見えてくるのです。樹というのは正面から見てもだめです。側面から見てもだめです。秋になり葉を落とし始めた頃、その姿は、周りを巡るように鑑賞すべきものであることがよくわかります。

 冬であれば、黒い幹や枝しか見えません。あまりにもさびしく、厳しい姿です。しかしながら、そこにまだ赤や黄の色が残っていれば、甘さを備えた軽やかな「美」にも見えてくるのです。

 今朝は、自転車で木々の周りをグルグルと回りながら、何本もの樹々の「美」を楽しんで来ました。もしかしたら、今日、少しばかり、風が吹いてしまったら、明日は見られないという「美」かもしれません。「一期一会」は、人と人との「出会い」というより、大地に根ざすものとの「出会い」というべきなのかもしれません。その「出会い」には、人通りが絶え、静まりかえる早朝が、やはり一番いいのです。

日々是好日
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「秋の野山と渓流と」。「樹に化す人々」。

2009-11-26 07:42:32 | 日本語の授業
 今日も晴れそうです。

 朝は水色の空に、わずかばかり灰色が混ざった白雲が、網のように、微かにかかっていましたが、それも陽が高くなると、直ぐに消えてしまうことでしょうし。

 朝の気温は13度くらい、そして最高気温は17度くらいと、まずは暖かく過ごしやすいお天気になるという予報です。しかもこの辺りは海沿いですから、都心に比べ、もっと穏やかなのです。中国の内陸部に比べると、驚くほど日較差はありません。これでは、住人が呆けてしまうのも無理はないのかもしれません。

 とはいえ、秋は深まっています。すっかり葉を落とした樹々も出始めました。「紅葉」する樹の大半は、「茜色」と化し、「黄葉」する樹々は「黄金色」となって町を彩り、山を染めています。

 こうなりますと、野山が恋しくなります。古人が「紅葉狩(もみじが)り」と称し、野山へあくがれ出でたのもわかります。

 秋が深まれば「牧水」、春がものうげになればなったで、また「牧水」と、若かった頃には思いもよらなかった心の循環が、秘かに始まっているような気がします。「きっぱりと」という言葉が辛くなったのかもしれません。

「吾亦香(われもこう) すすきかるかや 秋くさの さびしききはみ 君におくらむ」(牧水)

秋になれば、この歌が口をつき、思いにも「さびしききはみ」が現れてきますし、また、

「あをばといふ 山の鳥鳴く はじめ無く終わりを知らぬ さびしき音かな」(牧水)

 私ももう、山へ行ったり、渓流を見つめるといった生活から離れて、どれほど経ったことでしょう。しかしながら、秋も終わりが近づくと、すっかり葉を落とした山の木々の傍らへ行きたくもなりますし、錦に染まった木の葉を川底に閉じ込めて、凄烈な冷たさで流れる山清水を見つめていたくもなります。

 子供の頃に読んだ西洋の物語の中に、年老いた人が「樹になる土地」がありました。年老いると、人はへ行くのです(きっとそれは、「タイガ」の森だったのでしょう。蒼暗い空と、その下の青い雪、そして黒い樹々の影が映像のように記憶されていますから)。山へ行って、樹に変化(へんげ)するのです。老いがまさると共に、樹である時間が長くなり、そして最後は、全くの樹にもどって、沈黙してしまうのです。。その時、もしかしたら、私は憧れていたのかもしれません。人が樹になるということに。

「木に倚れど その木のこころと 我がこころと 合ふこともなし さびしき森かな」(牧水)

というのは、「温帯」に住む人間の、自然に対する甘えなのかもしれません。この地では、どこへ行っても、古来より、「絶対的な沈黙」など無かったのですから。

日々是好日
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「『(誰であろうと)自由に学ぶ権利はある』は、常識?」。

2009-11-25 08:44:38 | 日本語の授業
 今日は、雨で明けました。起きて直ぐ、窓を開け、外を偵察。自転車で行けるかどうかを見るのです。強行突破できないこともない…。そう判断すると…途端に動作はのろくなります。で、ほぼ定刻に出発です。部屋の中から見た時には、それとも判らぬほどの雨粒だったのですが、自転車で走ってみると、また違います。路上の水たまりには時々、ポツリ、ポツリといった微かな水の輪が拡がっているのです。思ったよりも数多く。

 こうなりますと、信号の「青」が気になります。遠くの信号が「青」であることに気づくと、必死に漕ぐか、力を抜くかの決断を下さねばなりません。いくら「ポツリ、ポツリ」であろうと、いくら暖かかろうと、11月下旬の雨です。(濡れて気持ちの)よかろうはずがない。信号の前で待たされるのは、嫌です。

 さて、「今日のブログ」を書こうとして、前のブログを見てみると、きれいな「ジャコバサボテン」の写真がつけ加えられているではありませんか。北京の翻訳者が、コンピュータ操作の苦手な私の代わりに、気を利かせてくれたのでしょう。

 当然のことながら、無味乾燥の文字が並ぶだけのものよりは、潤いも増します。ありがたい限りです。ただ(日本の新聞にもそれとなく関連した記事が載っていましたが)、せっかく翻訳してもらっているのに、中国では見ることが出来ないようなのです。

 この学校のことや、(日本での就学生の)日々の生活、或いは(この学校の)教職員の(就学生に対する)要求なりを、この中国語訳を通して、知ってもらえたらと、無理を承知で忙しい中をお願いしてきたのですが…。しばらくは、(一年の総括としての)中国語訳を冊子にするまで、待っていただかなくてはならなくなりそうです。
 これは、訪中の折りに、関係者に配っています。

 この学校で勉強しようという人たちは、当然のことながら、日本語のものを渡しても読めない。また来日の経験もないので、日本のことも、就学生としての生活のこともわからない。で、そういう人たちでも、様子がわかるようにと翻訳してもらっているのに、それが開けない…困ったことです。
 翻訳者には、真に申し訳ないのですが…これも、(彼の国の)政治体制がそうであるから仕方がない…。このような(こんな学校の)情報を知っておろうが知っておるまいが、巨大な一国の政治の動勢には、全く関係がないと思うのですが。全く…日本で生まれ、日本で育ってきた私には、その理由が全く解りません。

 そのことを教室で話すと、直ぐにミャンマーの学生から「ミャンマーも、そう。同じ、同じ。ミャンマーにいたら何にもわからない」という反応が返ってきました。
 日本のように、自由に何でも見ることができる(勿論、犯罪に拘わるものは例外ですが)という国は、まだまだ、世界では少数なのかもしれません。しかしながら、これがその国の「文明度を測る」一つの目安になるような気がします。また故に、特に、このような措置は、残念でなりません。

 能力の高い人が、「決して、少ないはずはあるまい」と思われれる国、中国です。何と言っても日本の何倍もの人口を持っているわけですから、その人口の割合からいっても、頭のいい人はもっと表れて然るべきです。自由に新しい「思想・知識・技術」を獲得できれば、どのようにすばらしい人が輩出されるであろうと思われるだけに…残念でたまりません。
 先日も、日本の大学院を出、中国の大学へ就職した人(知り合いの知り合い)が、「中国では、インターネットの情報も自由に見られない。これでは世界のレベルに遅れてしまう。他の国の人は、新しい知識・技能を次々に獲得しているというのに…」と叫びを上げているという話を聞きました。

 どこに住んでいようと、どのような時であろうと、世界中で知識・技能を共有出来るということが、インターネットの良さであるということを思えば、それを切り刻むというやり方は、もしかしたら時代に逆行するどころか、己が国民の将来をも破壊しているということにもなりかねません。

 選ぶのは個人なのです。たくさんの情報の中から、自分の求めるものを選択するのはその人なのです。情報が誤っているかどうかを見極めるのもその人自身なのです。その人が愚かであれば、そういう情報しか選ばないでしょうし、もし、聡明であるとすれば、その人に「必要とする情報」を見せないというのは、「蛇の生殺し」と同じ、酷なことです。

 こういうことを続けていけば、その人の将来だけでなく、その人が構築するかもしれない新しい技能・思想などをも破壊することになるのです。また、その人がそれらを構築した後に、新たにそれを基に築き上げられるかもしれない若者達や国の将来をもめちゃめちゃにしているかもしれないのです。

 この学校でも、内モンゴルから来た学生の一人が、面接の時に(彼はパオに住んでいました)、「自分のいるところには、日本語の学校なんてない。だから、インターネットで、日本語の勉強をした」と言っていました。

 中国は広い。政府や政府関係者の知らないところで、どんなすばらしい才能を持った人が生まれているかもしれません。けれども、国の上層部に、どのような(身分・地域・職業の)人であろうと、同じ教育を受ける権利があるという思想や、また「そうすべきだし、そうせねばならぬ」という確固たる意志が欠けていると、せっかく能力を持って生まれてきていても、そのまま「千里の馬の嘆き」を喞つしかないことにもなりかねないのです。

 自分や自分の関係する人たちの子供の教育には余念がないけれども、それ以外の者にはほとんど関心を払わないという傾向のある人たちが、「公」の精神を幾分なりとも持ってくれるといいのですけれども。勿論、こういうことも一朝一夕にはならぬことは重々判っていますし、日本にそれが完璧な形であるとも思っていません。
 しかし、中国に行くたびに、「公の心」の大切さを感じずにはいられないのです。「自分の子供が可愛いように、人も自分の子供が可愛い」のです。だから、自分の子供に高い教育を受けさせようと思うように、政府関係者は(為政者なのですから)責任を持って、国の将来を担う子供達の教育にもっと注意を払うべきなのです。

 翻って、これは、日本のことです。
 私が現場にいる時のことですから、もう三十年くらい前になるでしょうか。旅行に行けば、一番最初に目につくのは、立派な小学校や中学校の建物です。僻地ほど教育設備が整っているのです。校庭が広いのは当然としても、立派な体育館や校舎が建っているのです。しかも、田舎で生活する教員には僻地手当がつきます。十分とは言えませんが、教員はどの地であっても、応分の生活をすることができるのです。やる気があれば、収入のことで悩んだりせずに(もとより豊かな生活というわけではありませんが)教育に集中出来るのです。(やる気がない人は、何の仕事をしようと、どこの国の人であろうと同じ。たいしたことはできません)。

 こう書いているうちに雨が止んできました。今日一人、大学へ願書を持っていくことになっています。彼女は先日も渋谷で道に迷い、「あわや」というところであったと聞きました。「午前の授業が終わってから行く」という彼女に、教員達から「朝一番で行きなさい。道に迷ったらどうするの」とか、「朝一番で行けば、忘れた書類があっても、取りに戻れる。朝一番で行きなさい」とかいう「思いやりに満ちた?」声がかけられていました。

 もっとも、彼女は「みんな信用していない…」と、憮然とした表情をしていましたけれども…。いうまでもなく、私もそうした方がいいと思います…。

日々是好日
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「知らぬ間に『秋』から『冬』へ」。「『民族の教育力』とは」。

2009-11-24 09:07:36 | 日本語の授業

サザンカ


 今朝、ふと「ハナミズキ」の葉がすっかり落ちているのに気がつきました。迂闊でした。思えば、「サザンカ」の花がすでに満開になっていたのですから、「ハナミズキ」の葉が散っていても、おかしくはなかったのです。

 秋も随分深まってきました。暖かい日が続いていたので、冬が間近いということを忘れていたのです。そういえば、今日の新聞には「神宮外苑」のイチョウ並木が一面を飾っていましたっけ。樹齢101年の樹が100本以上並ぶと、確かに壮観です。写真ではきれいな黄金色で三角頭の木々に見とれてしまいましたが、そこには「今月いっぱい」という文字があるではありませんか。しかも「天気がよければ」という条件付きで…。

どうしましょう。予定では、「外苑散策」は、「日本語能力試験」が終わってから…ということになっていましたのに。「例年より一週間ほども早く、黄葉が始まった」という言葉が恨めしい。

 イチョウの並木をバックに、早朝の金色の光を浴びて撮った写真は、学生達のいい思い出になるのです。学生達の顔を輝いて見え、辛かったことも忘れてしまいそうになります。昨年は、「黄葉」と「紅葉」と、欲張りにも二つ共楽しみ、またそれが可能であるということにも気づき、それで、今年も二匹目の泥鰌を狙っていたというのに…。この分では「紅葉」だけで終わりになるかもしれません。全く「散るな、散るな」と八百万の神々に祈らねばならないではありませんか。

 ところで、今、少数民族の「学校教育」について考えさせられています。考えさせられるようになったきっかけは、中国なのですが、これも、中国だけのことではありません。ただ、この学校に来ている学生のうち、半数ほどが中国籍なので、そうなっただけのことなのです。

 中国の少数民族といいましても、「朝鮮族」や「モンゴル族」は、何百万人もいますから、小国の民から見れば、「何が少数民族なんだ」というところでしょう。中国には、それぞれの民族の言葉で学べる学校もあります。一見、それはいいことのように思えますが…こうして、日本で彼らを教えてみますと、問題点も少なくないのです。

 私たち、外国人から見れば、(中国の)どの民族であろうと、籍は「中国」です(しかも、外見も同じですし、「中国語」を話しています)。ですから、ややもすると、「漢語」で育っている「漢族」と同じレベルの教育を受けてきているような錯覚に陥ってしまいます。けれども、そういう人たちが、日本に来て大学を目指そうという時に、一つの「難関」があるのです。「読解力」という関門が。

 最初は、私も「どちらにせよ、中国人なんだし、中国語を話しているんだし、『漢字』はあまり問題にならないだろう。しかも、大卒であれば、読解力が不十分というのは、ちょっと考えられない」くらいに思っていました。勿論、「漢族」の中にも、ちょっと困ったなという人はいましたが、それは「性格」や「傾向」で片付けられる類のことでした。実は、「文学」が大の苦手の「漢族の男性」がいたのです。なぜか「一級試験」には、合格しましたが。

 ところが、違うのです。結局は、読書量の多寡の差によるのでしょうが、彼らの民族の言葉で「教育を受けてきた」というのは、彼らの民族の「教育レベル」の枠から出ていないということなのです。彼らの民族の言葉で書かれた書籍がそれほどないのです。つまり、「知識」も「感性を養う」ということも、学校教育において、それほど書物には頼られていないのです。

 ただ、同じ少数民族であっても、「朝鮮族」は違っているようです。同じ言語を使う韓国が控えていますから、書物には不自由していないのです。

 彼らは「モンゴル族」と同じように、民族の言葉で教育を受け、「漢語」を第一外国語として学んでいても、「韓国語」で書かれた小説や随筆、翻訳物などを通して、多くの知識を獲得することができます。しかし、モンゴル族は、そうではないのです。

 中国のモンゴル族が、半数近くを占める「Dクラス」は(まだ中級ですから)、非漢字圏の学生達と一緒の授業です。毎日だいたい20分ほどを漢字の導入、練習に使っているのですが、その間、「Dクラス」のモンゴル族の学生達は、非漢字圏の学生と同じように漢字の練習をしています。「漢族」の学生には、その時間を無駄に過ごさないように、宿題のプリントをやるように言うのですが、モンゴル族にはその必要はないのです。また、それくらい練習をしておかないと、漢字の「小テスト」で、ある程度の点数が取れないのです。

 大学へ行こうという人にとって、大切なのは、「読解力」であり、「思考力」なのです。勿論、人によって能力差がありますから、皆が皆、ある程度の量の本を読んでいなければならないというわけではありませんが、平均的な能力しか持っていない人間の場合、「読解力」や「思考力」を培うには、読書が一番いいのです。話すのはペラペラでも、それが即ち、文章を読み、その意味を掴むことに繋がるかといえば、そんなものでもないのです。

 こう考えていくと、彼らのような「二重言語の世界」に生きている人は、あまり幸せであるとは言えますまい。一つの言葉しか話せなくとも、それで知識を充分に吸収することができ、自分なりの思考力をもって世界を拡げることができれば、必要な時に、次の段階へ進むこともできましょうから。

日々是好日
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「天気予報が『外れた』」。「日本へ来て、『驚いたこと』」。

2009-11-20 07:45:27 | 日本語の授業
 今日は、明るい朝です。お日様が朝から顔を覗かせています。いいお天気になりそうです。

 昨日は朝から雨が降り出し、一日中、シトシト雨は止みませんでした。帰る時も雨でしたから、自転車は、学校にお泊まりしてもらいました。でも、天気予報のお姉さんは、昨日は「一日中曇り」と言ったのです。午前の学生達も、それを信じ、傘を持ってきていませんでした。何人かの学生が、学校の傘を借りて帰りました。
 その上、昨日の雨は、彼らからすると、「氷雨」と言えるような冷たさでしたから、不平タラタラで、「先生、天気予報、嘘ばっかり」。


 まあ、「お天気様」のことですから、人間がとやかく言える相手でもなし、その御心のままに従って生きていくしかないでしょう。だいたい人間が勝手にいじくり回していい相手ではないのです。必ず、どこかで「しっぺ返し」がきます。どだい、人というものは、自然の意のままに、右往左往する存在でしかないのです。

 とは言いましても、人には口がありますから、明治の昔から、フグを食べては「天気予報、天気予報」と言い放ってきました(「ココロ」は、「当たらない」)。せめてもの意趣返しです。こんなことぐらいしか、人には出来ないのですから、まあ、情けないと言えば、情けない。

 ところで、今朝、セッセコ、セッセコと歩いていると、急に自転車が目の前で、止まりました。(私は)歩いている時は、だいたい、二㍍くらい先しか見ていませんから、驚きました。見上げると、卒業生です。とは言っても、早朝でしたし、南から来た学生でしたので、肌が黒く、始めは誰かはっきりと判らなかったのです。

 彼の話では「今日、これから埼玉の方のIT専門学校へ行ってみる」とのこと。彼は専門学校を卒業後、直ぐに日本のホテルへ就職が決まったのですが、現場でいじめに遭い、やめざるを得なかったのです。それからも、ずっと就職活動をしていたようでしたが、なかなか見つからず、それなら、この間、ITでも勉強しておくかという気持ちにもなったのでしょう。どのような形であれ、彼のようなまじめな学生が、日本に対する嫌な感情を持たずに過ごしていければいいのですが。

シャコサボテン

 さて、学校です。
 昨日は卒業した学生が送ってくれた花の名を間違えて書いてしまいました。なぜか昨夜、寝た途端、「ジャコバサボテン」という名が浮かんできたのです。全く「しまった」です。せっかくもらったのに、これでは、学生に叱られてしまいます。

 当時、職員室では、誰もこの花の名を知りませんでした。けれども、よく気をつけてみていると、花屋でも、一番目立つところに置かれてありましたし、テレビの園芸教室でもよく名前が出て来る花であったのです。ああ、それなのに、一年経つと全くの無に帰していました。全く「ごめんなさい」です。

 で、学校です。
 階段を上りながら、ふと見上げると、玄関の奥の方に、背高くなった真っ白い「キク(菊)」の花が、またいくつかの花をつけていました。この花も在校生が、以前持って来てくれたもので、確か、初めて見た時には、全体が丸っこい感じでしたっけ。茎も短く、その割に花の数が多かったので、真っ白なブーケのようにも見えたのです。もっとも「キク」といいましても、寂しげなものではなく、「ゴージャス」という表現そのままに、華やかな花でありました。それが、一年経つと変わるものです。いつの間にかヒョロヒョロと背高く
なっています。

 これは、昨日学生と「面接」の練習をしていた時のことです。
 定番通り「来日後一番驚いたのは何か」と聞きましたら、
「先生、こんなことでもいいですか」
と学生が話し始めたのは、前にベトナムから来た学生が語ったこととよく似ていました。

「びっくりしたのは、お店の外に、食品や製品が並べられていたことです。お店の人は心配しないのですか。放っておいても、大丈夫だと思っているのですか。誰も盗らないのですか。普通は店の中に置くでしょう。外に置いたら持って行かれてしまうでしょう。どうして、日本では誰も盗らないのですか。外に置いているのに、(お店の人は)見張っていないのですか」

ベトナム人の学生は、玄関や店先に置かれていた「鉢植えの花」のことを言っていました。
「どうして、家の外に花を飾っていられるのですか。きれいな花です。どうして誰も持っていかないのですか。あんなにきれいな花なのに」

二人とも、結局は、同じ意味で言っていたのです。

 勿論、こうグローバル化が進み、いろいろな考え方や習慣を持った人が日本にも入って来るようになりますと、かつての日本人のやり方が通用しないということにもなりかねません。けれども、それと同時に、彼ら(学生)のように、日本のやり方に驚き、それを是とし、自らもそれに倣おうという人も出て来るでしょうから、(まあ、こういうことに関しては)まだまだ日本人はそれほど心配していないのです。

 これらも、考えて見ますれば、歌舞伎の「ならい」や、昔の旅籠の「しきたり」と同じなのです。「ふすま」や「障子」でいくら仕切られていても、中の出来事はすべて判ります。謂わば「紙のドア」であり、「紙の壁」であるに過ぎないのですから。けれども、だからといって、中に入っている人に声も掛けずに障子やふすまを開け放つような人はいませんでした。それは、してはいけないことであって、それをするような人は、まずいなかったのです。「掟」は守られなければならないものです。皆がそう思い、守ってきたものなのです。

 ですから、それを破るようなことをすれば、「ニュース」になります。つまり「ニュース」として存在するようなことだったのです。といって、泥棒さんが日本にいないわけではありません。どこの国にもいるように、たくさんいます。

 こういう具合に、何百年か、平和な時代が続いたわけですから、それを、外国の人に「どうして」と聞かれても(適当に理屈を捏ね、つじつまを合わせることはできても、)本当は、言葉に詰まるようなことなのです。

日々是好日
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「高校受験を控えた『中学生』さん」。「時ならぬ花『ハイビスカス』、花開く」。

2009-11-19 07:50:46 | 日本語の授業
 今朝もまだ暗いのです。出勤の時間は大して変わっていないのに、寂しい限りです。思えば、学生達の下校時もそうです。最後の学生が帰る頃は、もう暗くなっています。

 最近は、中学校の授業を終えてやってくる中学生さんが、トリを務めています。中学校が終わると直ぐにやってきて、まずは「中級クラス」に入って日本語の勉強をします。それが終わると、高校受験のための学科の勉強を、一時間か一時間半ほどして帰るわけですから、疲れるでしょうに、本当に頑張り屋さんです。

 けれども、そこは子供のことですから、時々疲れて機嫌が悪くなることもあります。タイから来た子ですから、寒さにも弱いのでしょう、先日は、「具合が悪い」とグシュンとしていました。そうかと思うと、真っ赤な顔をして(日本語)学校に来て、
「日本の中学校は大変、大変。十周、十周。先生。日本は大変。マラソンだよ。疲れた。疲れた」と叔父さんのような恰好をして座り込んでしまいます。

 日本では、「体育」はとても大切な科目です。先生も、きちんと教えてくれますから、中学生の方も、まじめにしなければなりません。それほど「体育」を重視していない国から来た人は、大変でしょうね。ぺーバーテストもあれば、実技のテストもあります。手を抜いたりしたら、直ぐに(先生の)罵声が飛んできます。女の子でも、マラソンは言うに及ばず、サッカーやバレーボール、バスケット、ダンスなどの練習をしますから、ルールや基本的な動作などは皆知っています。

 基礎体力をつけるためには、(また冬であることも関係しているでしょうが)まずは「走り」というわけなのでしょう。

目を丸くして、
「明日もあるよ。はあ、大変、大変。また走るんだよ」

 「体育」は大切です。体力がなければ、やりたいことが見つかっても、し遂げることはできないでしょう。しっかり運動して、勉強や仕事ができるような身体を作らなければならないのです。
 彼女はタイでも「頭のいい子」で、通ってきたそうですから、きっと勉強さえしておけばいいとでもいった環境で育ってきたのでしょう。ところがどっこい、日本では、そうはいきません。しっかりスポーツをさせられますからね、頑張って下さい。

 とは言うものの、本当に彼女は頑張り屋さんなのです。また、こう言っては何ですが、彼女のお父さんもお母さんも、この子のために頑張っています。

 なんでも、(高校受験のための)願書を書く時、「特技」を書く欄に、お父さんが「特技、力持ち」と書いたそうで、親子の仲がいいのがよく判ります(これを聞いて、私たちはみんな笑ってしまいましたけれども、この一言で、高校の先生達の心証をよくしたことでしょう。しかし、本当に力持ちなのです。10キロほどもありそうな学生鞄を抱えて、中学校と日本語学校と家を行き来しているのですから)。お母さんも、この子を高校へやるために、パートに出ているそうです。この子もそれを知っているので、頑張らなければならないと思い定めているのでしょう。

 さて、高校ならぬ、大学や大学院の受験を控えている面々です。

 本当にやりたいことを見つけるという作業は、大体終わり、あとは「(日本語の)レベル合わせ」だけです。

 これも、日本人にとっての「難関校」と、外国人にとっての「難関校」は違いますから、そこの所が案外難しいのです。さすがに、滑り止めに「東京大学を」などという馬鹿げたことを言う学生はいなくなりましたが。そうは言いましても、やはり、勉強したいことと、それが学べる大学でありながら、しかも彼らの今の日本語のレベルで合格できそうなところを選ぶというのは案外に難しい作業なのです。

 とは言いながら、学びたい所で、学びたいことを学ぶのが一番。たとえ、一度失敗したとしても、

「絶えたりと 見えし水すら 草ごもり また湧き出づる 況んや人は」 (岡野直七郎)

 ですから、再度挑戦してみるのも、また一つの方法でしょう。

 そういえば、葉の色が変わり、もうだめかなと思っていた「ジャコバサボテン」が蕾を一杯つけました。根性ですね。この鉢をくれた学生もそうでした。「東京大学」の大学院は難しいということがわかっていても、「私が勉強したいことが勉強できるのは、ここしかない」の根性で、この最難関校の「研究生」になり、直ぐに「修士」試験に合格しましたから。ただ、彼女の場合、ただの根性だけではありませんでしたけれども。

 花といえば、昨日の暖かさに驚いたのか、「ハイビスカス」の花が、咲いています。いいのでしょうか、もう冬ですよ。おまけにここは本州なのに。大丈夫かなと却って心配になってしまいます。
 
日々是好日

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「それぞれの『常識』」。

2009-11-18 11:05:31 | 日本語の授業
 今朝は昨日の「薄暗さ」どころか、まだまだ「闇の世界」です。通勤途上で、上空を低く飛ぶ鳥の群れを見かけました。しかも、「雁行」という見事な隊列で飛んでいるのを見たのです。久しぶりに見た大群です。今年に入ってからは、見ることはあっても、せいぜい二十羽程度のものでしたから、思わず「オー」と言ってしまいました。

 さて、鳥といえば、ある在日の中国人の方が、こんな失敗談を話してくれました。日本語では(スーパーや肉屋さんで)「とりにく」と言えば、「鶏の肉」を指すのですが、それにまつわる話です。

 彼女が、まだ日本へ来てから日も浅い頃のことです。「ウズラ(鶉)の卵」が買いたいと思ったのだそうですが、如何せん、日本語が話せない。それで、スーパーの人に、片手で鶉の卵くらいの大きさの輪っかを作り、「これ、これ」と言いながら、目で訴えたのだそうです。そんなことをされても、係の人が判るはずもありません。首をかしげて、困り切った表情。で、焦った彼女が、「卵」という言葉を頭の中で捜しながら、思わず、「お母さん」と言ってしまったのだそうです。すると、途端に、係の人はにこやかに微笑みながら、意気揚々と「とりにく」を持ってきた…という話。

 今ではそんなことで困りはしないでしょうが、似たような話を他にも聞いたことがあります。ドイツ旅行に行った人の話です。レストランに入って、さて食べようとしたところ、メニューのドイツ語が読めない。で、一人は、「コケコッコー」と鳴いて、「鳥料理」をゲットし、もう一人は、「モー、モー」と鳴いて「牛肉料理」を「ゲット」した…。

 外国では、言葉が通じないと緊張しがちです。途方に暮れてしまうこともあります。けれども、そこはそれ。絵を描いたり、鳴いたり、身体中の機能を駆使すれば、大半のことは判ってもらえます。また、そうすることも、面白いもの。子供に戻って、体中を解放するのですから、その開放感たるや、癖になった人もいるくらいなのです。

 ただ旅行は「面白かった」とか「きれいだった」で、終わることも出来ましょうが、そこで生活するともなりますと、予期せぬ障害が、竹の子のように、あっちでもこっちでも生えてきます。それをどう理解し、解決していくか。理解するにしても、道は一筋ではありません。解決方法もあってなきがごときもの。だから、悩むのでしょう。ただ、人によっては、その経験が、自分を伸ばしていくよすがにもなったりしますから、この苦労は全くの無駄ではないと思うのです。

 特に受験を控えた学生達はそうです。道を求めるために、一度自分を見つめ直すという作業が必要になります。そうしないと、彼らの求める「答え」は出てこないことが多いのです。しかも、その作業を一度しておかないと(彼らの志望する大学が、ある程度のレベルを要求する大学であった場合ですが)、面接の時に立ち往生してしまうことにもなりかねません。大学側の「問い」に対する「答え」は、「型に嵌った言葉」ではなりませんし、まず何よりも「(自分の)表面的な部分」からは出てきませんから。

 それと、もう一つ。彼らの国で習い覚えた「価値観」が壁になることもあるのです。問い詰めていくうちに、彼らが勝手に心の中で「これはつまらないにちがいない」とか、「こんなことを言ったら馬鹿にされるに決まっている」と思い込んでいることが壁になっていることも、少なくないのです。それを「当然」と思っているのですから(その社会での「常識」です)、疑問を呈せば、不審な顔で見られてしまいます。

 もっと早くこのことを話してくれていたら、疾うの昔に、スルスルと彼らのある種の思いが引き出せ、万事が順調にいっていたのにと、思えることも多いのです。が、人はなかなか「これまでの当然の価値」を振り捨てることはできませんから、彼らなりの考え方で、いわゆる杓子定規に、「正しい(心にもないことです)」、「恰好のよさげな(いかにも偉そうな)」ことを言ってみたりするのです。

 それを一つ一つ、潰していかねばなりません。そうすれば、少しずつ、彼らの「姿」が見えてくるものなのです。が、ただ、これには時間がかかります。「習いが性」になって、しかも、本人が気づいていない場合、この壁を越えることは難しいのです。しかも、彼らにしても、知らず知らずのうちに防衛本能を働かせてしまいますから、面倒さも倍増してしまいます。迂回させられたり、障害を設けられたりすることだってあるのです。その上、入試には決められた「日」がありますから、時間切れということにもなりかねないのです。

 勿論、そう言いましても、皆が皆そうだというわけではありません。個人差は確かにあります。この個人差というのも、彼ら自身の性格というよりも、どれほど深くその価値観の下で、学校教育なり、家庭教育なりを受けてきたかによるような気がします。

 特に中国人の場合、高卒の学生よりも大卒の学生の方が、この「病の根」は深いのです。当然のことですが、彼らは、「病」とは思っていません。皆がそう信じ、あるいは、信じている振りをして、その価値観のもとで生きてきたわけですから。そうせざるを得ないような環境にあったわけですから。日本人のように、「脳天気」にはいかないのです。「『得罪別人』をせぬ」ように、道徳的な意味以外の意味で、つねに気にしていなければならないのです。

 日本人は、追い詰められたら、引っ越ししたり、ここでだめならと、外国へ行ってしまうことだって、簡単にできてしまいます。「『得罪別人』をせぬ」ようにとは思いますが、それはあくまで道徳的な見地に照らしてのもの。彼らの国の人ほどには、怖いことだと思っていません。嫌いなら話さなければいいし、適当にやり合ってもいい。会社勤めをしている人の場合なら、そのルールは、「私情を職場に持ち込まない」だけですから。

 職場での「評価」というのは、その人が仕事が出来るかどうか、また、その「能力」があるかどうかであって、その人がどのような「信仰」を持とうと、どのような「主義主張」を持っていようと関係ないのです。仕事上の技能があれば、それで誰も困らないのですから。まあ、誰も理解できないような「変わり者」は、困りますけれど、そういう人は稀です。大体は、「どうしてその人がそういう行動をとるのか」を理解できる程度の変わり者に過ぎませんから。

 というわけで、最近は「壁の『打ち壊し屋』」を職業にしています。なかなか力も要り、神経も使い、しかも、作業は皆が帰ってからということにもなりがちです(土曜・日曜を学生に求められても、それだけは断ります。それが必要な学生は、土台、そういう大学に入ることは無理なのです。また、自分で、そういう時間を作れず、人に要求するという甘えを一旦許してしまえば、くせになってしまいます。癖になってしまうと、将来どれほど損をすることになるかわかりません。彼らのためにもならないのです。だいたい、今は、かつてのように、アルバイトをせねば、生きていけないという学生はいないのです。恵まれすぎてきた故の、驕りであるようにも見えます。人は自分のために尽くしてくれるはずといった)。

 私が、「得したな」と思えるのは、「帰ったら、バタンキューで眠れる」ということぐらいでしょうか。

日々是好日  
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「『理念』の国、『技術』の国」。「『一神教』の民、『アヤカシの満つる』国の民」。

2009-11-17 08:36:45 | 日本語の授業
 今朝は、まだ夜が明けていないかのように暗いのです。今にも雨が降り出しそうです。

 学校に着いてみると、黒い「招き猫」がひっくり返っていました。片手を上げ、「あ・うん」の「あ」の呼吸で、出迎えてくれるはずだったのですが、可愛い足の裏が見えています。直ぐに起こして、いつも通り学生達を迎えてもらいます。

 近くの商店街でも美容院でも、クリスマスの飾り付けが始まっています。道路脇では、イルミネーションの中で、白いツリーが浮かび上がっていました。
 思えば、キリスト者が少ない日本で、どうしてこのようにツリーの飾り付けが盛んに行われるようになったのでしょうか。「お祭り騒ぎが好きだから」とか、「これも商売、商売。商機を逃すべからず」とか言われてはいますが、本当の所はどうなのでしょう。
 不思議といえば不思議。不思議ではないと言われてしまえば、またそれも確かに不思議ではないのですが。

 日本が明治維新で近代化に成功したのに、中国はバスに乗り遅れた。円明園ではヨーロッパ列強、それから後は日本に蹂躙され、近代化は今を待つまで成功しなかった大きな理由は、日本が「ヨーロッパの先進技術」だけに目を向けたのに対し、中国は「彼らの理念と己の理念とを比べ、たいしたことはない」と高を括ったからだとというのを聞いたことがあります。いわゆる、「技術」対「理念」です。「理念」なんぞ比べてもしょうがないというのが、私の気持ちなのですが、そこは何よりも「メンツ」が大切な国、中国ですから、常に他者と自分とをひき比べ、己が勝っていないと安心できなかったのでしょう。

 日本は当時、ヨーロッパ列強の優れた技術を手にすればよかったのであって、彼らがどういう哲学や理念を持っていたかなんて理解する必要はなかったのでしょう(外交問題では、それが原因で苦しむのですが)。「劣っている」と見られたら、「そうかもしれん」と思い、顧みて、もしそうであるようだったら、その時に「考えればいい」くらいのものだったのかもしれません。

 日本は有史以来、秀吉を除いて、第一等の国であることを目指しては来なかったではずです。それと、戦前の何十年間かを除いては。近くには、大国中国がドーンと控えていましたし。地理的条件から言っても、考えることなど出来なかったはずです。大陸の「漢族」は、あるときは「モンゴル族」に滅ぼされ、あるときは「女真族」に支配され、彼らの国の名を冠した国名で呼ばれても、日本から見れば、中国として存在していましたから。だから、その上の一等国になるとか、一等国であるべきだとかいう考えは生まれようがなかったと思います。侵略されなければ、御の字くらいのものだったのでしょう。またそれが、こういう大陸に隣接する島国の民の習いでもあったのでしょう。

 「夜郎自大」になることを食い止め得たのは、そういう地理的情況が恒常的に存在したからです。彼我の大きさが全く比べものにならないくらい違いますから。
 それがどうして「一等国たらん」とする夢を抱いたのでしょうか。
 そもそも彼らのいうところの「一等国とはいかなるもの」であったのでしょうか。

 「理念」の国の民であれば…、それは判ります。そのことのためにであれば、一生涯「空論」を吐き続けていようとも、蚕のように後悔などしはしないでしょう。そう定められているわけですから。けれども、もともと、日本人の頭の中には「理念」などとう「空を掴むような主義主張」は存在し得ないはずなのです。

 今朝、空を見ながら、ふと思いました。「星の神話」というのは、多く借り物であると。古代ギリシアでは、星や星座を、彼らの神話と絡めながら物語ってきました。私が知っているのも、そのほとんどは、ギリシア・ローマ神話からのものです。ヘラクレスやペルセウスの冒険、黄金のリンゴなど、日本人ならだれもが、子供の時に心ときめかせ、星座を見て、誰かがその名を告げれば、物語が直ぐに脳裏に湧いてくるほど近しいもののはずです。ところが、それはそうなのですが、それほど、心に「近い」ものではないのです。あくまで、外来の異国の神々なのです。土着のものではないのです。

 「ホトトギス(杜鵑)」の「テッペンカケタカ。特許許可局」とか、「フクロウ(梟)」の「ゴロ助奉公」、「ホオジロ(頬白)」の「一筆啓上仕り候」、「コジュケイ(小綬鶏)」の「ちょっと来い、ちょっと来い」、「カッコウ(郭公)」の「あこ(吾子)ある、はやこ(早来)」だの、日本人なら何かの折りに、聞いたことがあるでしょう。

 小鳥だけでなく、虫の音でさえも、古代日本人はそれを「日本語」として聞いてきました。「コオロギ(蟋蟀)」の「肩貸せ、裾刺せ、綴れ刺せ」もそうです。つまり、彼らの声から、言葉を聞き取り、それに基づく物語を紡いできたのです。星ではなく、生きている身近な存在、手に取れる存在から、日本の物語は始まったような気がします。

 随分前に、「砂漠地帯には生命が乏しい。だから、人はただ一人の神を見、星を見る。哲学が生まれ、人は生きる意味を考える」という話を聞いたことがあります。

 日本ではそうではなかったのです。砂漠地帯に比べれば、この風土は人におおらかで、様々な命が溢れています。古代は、闇の中を歩けば、様々な気配を感じたはずです。風が吹けば、樹の葉の揺れる音を聞き、神々や物の怪の存在を連想したかもしれません。大風が吹けば、大木でさえ揺れ、傾ぎ、軋んだでしょうから、そこから彼らの怒りを感じたかもしれません。

 人や生き物が住むに適した環境というのは、物の怪が棲むにも適した環境であるということです。人が人として暮らしながらも、異界を妄想するに事欠かない環境であったのです。大地は、自然は半分ほどは人に優しく、残りの半分ほどは、彼らを畏れ、敬わなければ、人に大小の罰を与えるといった風でした。

 当然のことながら、この地に存在するもののすべては、神と見なされる可能性を秘めていました。大体が、人と他の生物との存在価値が同じだったのです。同じ命だったのです。海山川はともかく、樹木花草、鳥獣から虫の類に至るまで、あるときは神として崇められ、あるときは物の怪として畏れられてきました。「哲学」や「理念」など、入り込む隙間などありません。もうこれだけで、「空論」は一杯一杯なのです。日本人にとっては。

 石や木々、川や山などの神々は、古代の一時期や、戦前の一時期を除き、伝来の仏教とも仲良く暮らしていました。それでよかったのです。截然と「命あるもの」を区切る必要はないのですから。

 「日本人は宗教がないから、信用できない」と、イスラム教徒の人に言われたことがありました。「あれ?宗教がないのかな」と一瞬思いましたが、彼らが言うところの「宗教」は、確かに私にはありませんでした。けれども、日本には様々な「物の怪」は棲んでいます。「妖怪」も棲んでいます。「あやかし」と共存していて何が悪いとも思います。みんなが楽しく暮らせたらいいのです。異国の神も皆が楽しく暮らしているところなら喜んで遊びに来ることでしょうし。

 とは言いながら、私は「物の怪」や「妖怪」などを見たことがないのです。いたらいいなとは思うのですが…。「存在」はどのようなものであれ、拒否されてはならないと思います。ある種の存在は認めないというような頑なな世界であってはまずいとも思います。、社会が、多様性を認めていなければ、その前提が崩れてしまえば、豊かになりようなどないのですから。

日々是好日
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「第二回『模擬試験』」。「中国で『民族の言葉』で、教育を受ける」。

2009-11-16 08:33:17 | 日本語の授業
 昨日は暖かかったのに、今朝はもう寒くなっています。今日は最高気温も上がらないそうで、この分でいきますと、一日中、寒さに震えるということになるのかもしれません。寒すぎるというのも、嫌ですが、11月も中旬という頃なのに、コートがいらないというのも奇妙な感じがします。全く、人間というのは、得手勝手なものです。

 今日、「ABクラス」では、二回目の「模擬試験」をします。前回(11月9日)は、7月に「日本語能力試験(1級)」に合格していた学生まで、すっかり文法を忘れていて、点数が伸びていませんでした。喝を入れると、「先生、『留学生試験』に必死だったもの」という答えが返ってきて、当方でも「なるほど」と、納得してしまい、迫力に欠ける気味はあったのですが、今回はそうはいきませんぞ。

 しかしながら、それは、言われるまでもなくそうなのです。試験の傾向が全くといっていいほど違うのです。特に「総合」や、「数学Ⅰ」や「数学Ⅱ」、「物理」や「化学」などを受けた学生達は、アルバイトの合間を縫っての勉強ですから、相当大変だったようです。しかも、その間、「英語」が(大学)入試に必要だという学生は、「英語」の授業にまで参加していたのですから。

 それはともかく、「留学生試験」は、終わりました。学生達は一様に「難しかった…」と言っていましたが、なんとなく、「これで(全部)終わった」という気持ちにもなったのでしょう。確かにそれも無理からぬこと。こちらも大変でしたから、学生の気持ちもわかります。それに、どのような形であれ、終えてみれば、一応、知識も増えたでしょうし、自信も、それなりについたでしょう。

 その上、次にある「日本語能力試験(1級)」は、日本語のレベルが問われるだけです。どのような知識が要求されるのか、確としない部分も「なきにしもあらず」であった「総合」(範囲はあることはあるのですが、時々、高校の教科書にも載っていないような学者の説が出されることもあるので、少々困りものなのです)を経験していれば、「日本語能力試験(1級)」は範囲も指定されています。文は決められた数だけ覚えればいいことですし、「文字語彙」も一万語程度ですから、とかく「組みやすし」と、高を括りがちなのです。

 そういうわけで、「喝」を入れる必要が出て来るのです。それに、大学によっては、「日本語能力試験(1級)」と、かなり似た傾向の問題を出すところもあることですし。

 とはいえ、今回の「留学生試験」の対策を通して(それに、今年4月に少なからぬモンゴル族学生を入れるようになったのですが、その彼らの指導を通して)、見えてきたことがありました。

 この学校は半数ほどが中国から来た学生なのですが、中国は広く、これまでも(たとえ学生のすべてが漢族であろうと)、学生達のすべてを同じように扱うことはできかねるという部分もありました。それに、以前は少数民族と言いましても朝鮮族がいるくらいでしたから、それほどの問題はなかったのです。ところが、今はそれにモンゴル族が加わっています。中国語で生い育ってきた学生と、それぞれの民族の言葉で教育を受け、中国語は毎週数回という、第一外国語くらいの扱いであってみれば、漢字の習得にも差は出てきます。つまり、自ずと(日本語の)漢字の習得にも限界があるのです。

 文章を読む速さにしても、そうです。「中国人であれば、出来て当然」とはいかないのです。モンゴル族は、(モンゴル語と日本語が近い関係にあるらしく)日本語を覚えるのが速いと言われていますが、これは、話し言葉に限られているような気がします。書き言葉、つまり「文章を読む、そして理解する」となると、漢族のようにはいかないのです。勿論、能力がある人もいますから、一概には言えないのですが。

 それに、来日するまでに読んだ本の量も、日本人がどのように本が苦手な子供であっても、小学校から始まった図書館教育を通じて読んできた量とは、比べものにならないくらい少ないのです。

 これは、親のせいでも、本人のせいでもなく、書籍がそれほど傍にないという環境によるのです。気の毒にもなるのですが、「読解力」や「本を読む速度」は、それまでの「読書量」に関係してきます。個々の学生に聞いてみると、本当に読んでいないのです。読んできたと言う人がいても、それは、(同じ民族の)他の人よりは比較的多かったというだけのことで、悲しいほどの量なのです。

 その点、朝鮮族は恵まれています。韓国語で書かれた小説なども手に入れやすいようですし、なにがしか本を読んできています。本を読む速さも、漢族にそれほど劣らないのです。

 こういうことも、実際に何人かまとまった学生を指導するまでは気がつきませんでした。個々の問題だと思っていたのです。確かに、以前、モンゴル人の学生から、「漢族と同じ『考』に参加するのは不利だ。点が取れないから大学に入れない。だから、小学校からモンゴル語の教育を受け、民族大学に入った」という話を聞いたことがありました。

 とはいえ、日本語は、漢字を抜きにしては考えられません。漢字の知識を問わざるを得ないのです。こういう来日前の彼らの能力を測る手段の一つに、中国の場合、「考」があります。高校卒業時に、これでどれほどの点数をとっていたかが、一つの目安になるのです(勿論、これは、その人の全能力を測ることはできません。ただ漢字で書かれた文章を読み解く力や、その他、高校までのどれほどの知識を習得出来ているかがわかるのです。指導する上での心の準備にはなります)。ただ、大卒者の場合は、その提出を、入国管理局が求めていないので、これまでは私たちも出してくれとは言ってきませんでした。

 しかしながら、民族大学を出た人である場合、これも私たちが知っておく必要があるのではないかとも思えるのです。四年制の大学を出ているのが、多少疑わしいという人も中にはいるのです。

 勿論、中国の場合、親が高級官僚であれば、政治力にものを言わせて裏口入学もできるでしょうし、いわゆる重点高校であっても、金にものを言わせることもできます(多額の寄付金を納めればいいのです)。中国の場合、国立や公立であっても、日本の私立と変わらないとも言えるのです。

 けれども、それほどの大金持ちの子供や、政府高官の子弟がこんな小さな学校に来るはずもなく、つまり、そんな親を持っている人は、この学校の場合いないのです。それにも拘わらず、疑わしい人がいるということなのです。それほど、学生のレベルが落ちているということなのでしょう。

 80年代には考えられなかったことなのですが、それほど中国の大学も様変わりしてしまったということなのでしょう。
 ただ、人の能力は、一度の「考」だけで知ることはできません。中国の教育方法が合わなかったという人もいるでしょう。ただ、私たちの心の準備という点からしますと、この「考」というのは、それなりの価値はあるのです。

日々是好日
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「もう一度、ゴーギャン」。「『感じよう』と努める国、ニッポン」。

2009-11-13 08:07:30 | 日本語の授業
 今朝も静かに明けました。とは言いましても、お昼過ぎから、雨になるということでした。
 天気予報の叔父さんは、「通勤や通学時に雨が降っていなくとも、傘を忘れないで下さい」とも、「帰宅時には、風も強くなるでしょうから、しっかりした傘を準備した方がいいでしょう」とも言っていました。で、私もお勧めに従い、置きっぱなしの折りたたみ傘に頼らずに、傘持参ということになりました。

 さて、昨日の「ゴーギャンの私記」です。
 あれからも文は続くのですが、しばらくしてこういう言葉が書き綴られていました。

「…我々は、あらゆる時期にそうであったし、そうであるように、四方の嵐に揺れる傀儡である。目の利く船乗りは仲間のしくじる場所で危険を切り抜ける…ある人は意志し、他の人は戦わずして諦める」

 船員にもなったことがある人だから、船乗りという言葉が出たのでしょうが、この「意志する」とか、「戦う」とかいう言葉の意味は、つまり「求める(意志)」ということなのでしょう。「その道を求める」という「求道者」のような匂いもします。宮沢賢治の、いわゆる「修羅」ということなのでしょうか。

ゴーギャンの名前をはじめて知ったのは、やはりゴッホとの関わりの中ででした。この二人の画家とも、全身全霊が画家であるかのように見えながらも、「思索」していたのです(それを不思議と思う日本人の方が不思議なのかもしれませんが)。

「絵は思索する」とでもいうべきなのか、当時パリを中心に活躍していた芸術家達は、書簡を通してみても、そこには「なぜ描くか」「どうしてそうするでなく、そうせざるを得ないのか」などを主張するという色合いが濃いような気がします。絵を描きながら、「思索」しているのです。

 日本には、この「芸術家でありながら、『なぜ』と問いかける」は、いわば、「舶来品」なのでしょう。日本では、文学にしても、こういう強烈な「哲学的な問い」のもとで書き継がれてきたという気はしませんもの。それと反対に、日本ではこういう事を考えない…文化のような気さえするのです。だから、日本では、試作しない日記風の「小説」が大流行ということにもなるのでしょうか。

 彼我との違いに驚くばかりです。

 「思索しよう」という人たちと、「感じよう」とする日本人(もっとも、最近は変わって来たのかもしれません。何と言っても「グローバル化」、「グローバル化」のご時世です。が、伝統とか習慣とか言われているものは、おいそれとは変えられないし、変われない…のではありますまいか。「性根の部分で」のことなのですが)

 西洋文明の中に、身を置いてさえ、「雨から、その『アメ』の本質を感じよう」とする日本人。それによって、何事かを「思索する」というのではなく、ただ「感じる」に徹する日本人。おそらく、日本人にとっては、「思索」すら、「感じる」ことによってなされるものなのでしょう。いわゆる「『思索』とは、『感じる』ことである」「『感じる』とは、『思索する』ことである」なのです。

 西洋文明にあっては、極端な「思索」の挙げ句、狂気になる人はいても、「感じる」ことに夢中になって、おかしくなるという人はいないでしょうが、日本にあっては、それほど「感じる力」を持ち合わせて生まれてきていないのに、「感じよう」と努めた挙げ句、狂気の世界を彷徨うという人は、枚挙に遑がないほど…いましたし、今でもいます。それどころか、決してい少なくないでしょう。

 何故、古来から日本人にとって、「感じる」ということが、それほど大切だったのでしょうか。

 最近は、翻訳物ではなく、日本人の書いたものでも、欧米流の乾いた文章、理知的な文章を、多く目にするようになりました。けれども、こういう文章は、「修練を経た」作家が、意志的にそう努めない限り、日本人にはなかなか書けないものだと思います…。そう思うのですが、実際はどうなのでしょうか。無意識のうちに、こういう作家は、「日記」では、どういうふうに書いているのだろうなと気になることもあるのですが…。

 時々、不思議な気がします。
 学生達は、よくぞ、こういう「不思議の国、ニッポン」へ来たものです。彼らに「読解」の指導をするたびに、そう思います。

日々是好日
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「信頼関係を築くための『一年半』」。

2009-11-12 08:42:14 | 日本語の授業
 昨日は、一日中雨でした。けれども、とうとう「雷様」はお出ましになりませんでした。というわけで、学生達の「日常」は続いています。

 就学生というのは、二年間が普通です。もっとも、この学校では一年に四度募集していますので、そこは、二年、一年九ヶ月、一年半、一年三ヶ月という、期間で見れば四段階の学生達がいることになります。日本語の能力がある程度ある、日本へ行っても不自由しないと思えば、一年くらいで先へ進もうという学生も出てきます。それもまた人情でしょう。

 ただ、在籍していても、一年目は、「日本に馴れ、そして、学校のやり方にも、教師個々のやり方にも馴れ」する期間ですので、この期間を共に過ごしていない学生には、次に進む時にその指導に困ります。

 受験までの一年半(10月くらいから入試は始まります。その準備なども入れれば、まず一年半と見るべきでしょう)を共に暮らしていれば、その間楽しいことばかりというわけにはまいりません。叱りつけなければならないこともありますし、そこまで行かなくとも嫌な気持ちにさせなければならないことくらいはあります。それも、一度や二度では収まりません。様々な事件が発生します。とは言いましても、やめて帰国するとしない限り、就学生の場合、逃げられないので、ここにいて、毎日顔を合わせるということになります。

 嫌だ嫌だと思いながらでも、一年くらいを共に過ごしていれば、狭い教室の中のことです。嫌でも相手の心持ちは判ってきます。どうして、教師がああいう態度をとったのか、あるいは、自分が責められなければならなかったのかが、判ってくるのです。

 日本の社会は、それまで彼らが過ごしてきた社会とは、また違った難しさがあります。日本語学校であれば、(外国暮らしが長い教職員もいるでしょうから、自分の経験から)外国人だから仕方がないと許すこともあるでしょうが、一旦外へ出てしまうと、そういうわけには参りません。上の教育機関に進む場合、「出来ないからしかたがない。彼らの国では、日本の大学院が求めているような教育は受けられないのだからでは」済まされないのです。だれも、「だからあなたはできなくていい」と、大学乃至大学院に入れてくれないのです。

 それ故、進学を控えた時期になりますと、学校の中でも軋轢が生じてきます。自分の国では「何ほどかの者である」と信じ込んできた人は、専門分野における自分の現状(レベル)が認められないのです(勿論、これも人によります。レベルの高い大学を出、しかもその専門を学んできた人は、それを認めて来日していますから、こちらとしても指導しやすいのです)。これも、一旦、大学院に入ってしまえば、よほど愚かでない限り、すぐに判ることなのですが(他の人との差に愕然とするだけです)、入る前には、百万言一千万言尽くそうとも、判らないのです。

 教職員が質問しても、彼らは答えを持ちませんから、何も言えません、プライドが傷つくだけです。自分を傷つけずに、ノウハウだけを教えてくれる人の所へ行きます。楽ですから。自分を傷つけられてまで、相手を大切に思うなどということは、普通の人間には出来ないことでしょう。ところが、二年近くを共に過ごしてきた学生は、耐えられるのです。私が「どうして」「なぜ」を連発しても、我慢できるのです。そして、考えつづけてくれます。

 不思議なことですが、この期間(一年半ほど)は、本当に日本語を習得しただけではなかったのです。この期間があるからこそ、互いに、ある種の「同志」的な気分にもなり、互いに信頼関係も築けたのでしょう。この期間を共に過ごしてきたからこそ、私が「なぜそうするのか」、或いは「それをかんがえなければならないか」が納得できるようなのです。納得できないにしても、「この人がそう言うからには、きっと理由があるのだ。だから考えなければならない」と思えるようなのです。

 この一年半ほどの間に、私の為人、あるいは、私のやり方が判っているからこそ、最後まで(「入学願書」や「面接指導」をするときに)耐えられるのだと思います。

 「入学願書」を書かせる場合も、私は、学生に「なぜ」「どうして」を連発します(勿論、これは、レベルの高い大学や大学院を受験しようという学生だけです。まだそれほどのレベルがない学生は、耐えられませんから)。耐えられない学生は、ノウハウを教えてくれる教師か、「テニオハ」を直してくれる教師の方を求めます。別にそれが悪いと言っているわけではないのです。それでいい場合も少なくないのです。その方が考えなくてもいいし、それを考えることなしに進学できると思い込んでいる己に気づかずにすみますから。適当に表面を胡塗すればいいだけですから。

 何事をなすにしても、一度、自分の「心の芯」まで入っていって(人によってその深さに差はあります。けれども、その時に「降りていける深さ」までという意味で言っているのです。無理強いはしません)、自分の気持ちやそのレベルを確かめる必要があるのです。人は決して強くありません。しかも、誰にでも誇りがあります。人に認めてもらいたい、褒めてもらいたいという欲求もあります。そういう人はそういう育て方をしてくれる人を求めた方がいい。互いにその方がいいのです。その範囲でしか、人は伸びていけないものなのですから。

 人にとって、(特に専門分野において)相手が要求するほどのものが、自分の中には、まだ形成されていないのだということを認めるのは辛い。知っているふうを装いたいし、人にも自分が知らないということ知られたくない。また、言ってほしくはないのです。

「人生とは、人がそれを意志的に実践するのでなければ、少なくとも、その人の意志の程度にしか意味を持たないものだと私は考えている」

 ポール・ゴーギャンの言葉です。彼は偉大な画家でした。けれども、生前、人々に認められるところの少ない人でもありました。彼の文章を見るまでは、この人は「才」というデーモンに操られ、一生を支配された、弱い人であると思っていました。

 ところが、ある機会に彼の文章を読んでみると、弱いどころか、彼が、類い希な才に突き動かされながらも、同時に、それを冷静に分析し、確認することのできた人であることがわかりました。全く、これは得難い才能です。凡人たる我々はそうはいきません。「才」があれば、それに溺れ、「才」がなければ、天を恨んだり、他者を嫉んだりするかもしれません。

 普通、人は自分のことは見えません。己の才能もわかりません。「これをしたい」とか、「この方面に他の人よりも才能がありそうだ」とかを感じるくらいがせいぜいでしょう。

 デーモンを持って生まれてきている人は稀なのです。デーモンはきらびやかで美しい。けれども、毒を、その華やかさの裡に潜めているものです。こういうものに取り憑かれてしまったら、たいていの人は食い尽くされてしまうだけでしょう。こういう才能を持った人の悲劇は、「才」の大小こそ違え、古今東西見られ、今更例を挙げるまでもないことです。

 「己の裡から突き上げてくる力を強く感じ、それに翻弄されつつも、表さずにはいられなかった。それと同時に、翻弄されつつも、見つめ、問いかけることを忘れなかった」が故に、自分をも、また親しい人たちをもボロボロにしてしまうという「天才」達の苦しみ哀しみは、私たちのような凡人には判らないところです。

 けれども、このゴーギャンのように、言葉が残っていれば、彼らの心の裡を、心の流れようを多少は忖度もできます。彼らのすごさは、魔神に取り憑かれていない時には、驚くほどの明晰さで自己を見つめられる目を持っていることです。デーモンに支配されている時の「闇」が深ければ深いほど、目覚めている時には「光」を強く感じられてでもしているかのように、浮かび上がってくる「(彼の人の)己」が見えているのです。「末期の眼」を常に己のものとしてでもいるのでしょうか。

 人は自分の「意志」でしか歩けないものです。「本人の意志」がなければ、いくら手を添えても徒労に終わるだけです。その場を取り繕うための「便宜」にされてしまうだけです。本人のためにもならないことです。現状を認識できなければ、すべては始まらないのですから。

 ですから、私は、まず「入学願書」を書き始めようという学生には、(どんなに回り道に見えようとも)「なぜ」「どうして」を連発します(せざるをえないのです)。そして、自分の心の奥底に潜り、一度自分の心、あるいは気持ちを見つめてもらわなければならないのです。本当に欲しているのか、本当に欲しているのならば、どうして欲しているのか、それを考えさせるのです。これができると、あとは、その人の心の奥(深浅は人それぞれですが)から放射状に伸びてくる思いを綴らせればいいのです。極言すれば、それだけでいいのです。あとは、「それで」と、彼らの言葉が途切れないように問いかけつづけるだけでいいのです。自らの心を見、一度物語る術を身につけた学生は、まあ、あと一ヶ月くらいは、その高揚感が続くでしょうから、面接でも常に己の気持ちを見つめながら、面接官の問いに、自分の言葉で答えていけるようになるのです。

 ただ、その人の「芯」を捜し出すのは難しい。とても難しい作業なのです。相手に嫌がられることをやるわけですから。本人にそのつもりがなくとも、難度も固い岩盤に突き当たります(無意識のうちに抵抗するです。きっと「防御」なのでしょう)。その時はルートを変え、搦め手から攻めていったり、そのまま、岩を溶かしながら進んでいったりします。また、時には、爆発を仕掛けることもあります。相手によって、攻め方は異なります。ただ、これは勘なので、問いかけながら、やり方を変える場合も少なくありません。

 それが耐えられない学生には、指導はしません。学生も嫌だし、疲れることでしょうが、指導する方はその倍も何倍も神経をすり減らしているのです。「その人の意志が求めていないのであれば」する必要がないことなのです。こういう指導は。

日々是好日
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「雷様」。「日常と違う何か」。「『自己評価』と『他者による評価』」。

2009-11-11 08:16:54 | 日本語の授業
 今朝の天気予報を見て驚きました。九州以南に、長く「雷様マーク」の「バッテン」がつけられているではありませんか。こんな時期に「雷様」が、こんなにたくさんお出ましになろうとは。乏しい記憶の糸をたぐりながら、思い出してみようとしますが、だめですね。例年はどうだったのか、すっぽりと記憶の網からすり抜けています。

 とはいえ、「雷様」の来校は困ります。授業中に「稲妻」がピカッと、一瞬でも走ったら、もう授業にはなりません。
「キャー。先生、すご~い」、「キャー、キャー、キャー」と喜ぶ輩だの、
「先生。これは何と言いますか」と冷静な学生だの(明日には忘れているのですが)、
黙って耳を欹てて次の一光を待ち望む輩だの
まあ、授業にはなりませんね。しようがないので、「雷様談義」となってしまいます。

 本当に不思議なのですが、「雷様」が鳴ると、皆、どこかしらウキウキしてしまうようなのです。目を見開いて、キラキラしながら(勉強の時と違う)、次の「ピカッ」と「ドーン」を待っているようなのです。ピカッが来ないと、いかにも残念そうな、がっかりした顔になるのですぐに判ります。

 天変地異というのは困りものですが、(教室というかなり安全な場所にいるので)「雷様」が来ても、ここなら怖くはないし、倦んだような毎日に刺激を与えるようなことを体験しているとでもいった気分になっているのでしょう。ワクワクしている、期待に弾んでいるとでもいった、そんな表情なのです。

 思えば、今年の4月には、「ピッカピッカの一年生」だった「Dクラス」の学生達も、既に来日後8ヶ月が過ぎ、十年前から日本にいるような顔になっています。来日後「半年」というのは、どうも微妙な期間で、この期間をうまく乗り切れた学生はいいのですが、それがうまくいかなかった場合、やることなすことすべてが、マイナスの方向へ向かってしまうような、そんな気分にもなりかねません。

 大半の学生は、多少意に染まぬことはあるでしょうが、それはまあ、どこで暮らそうと同じことですから、それと見極めて、どうにか(この期間を)乗り切ってしまえるのですが、そうなりますと、却って今度は、日本での生活も「こんなものか」と、甘く見てしまうようなのです。そして、学校とアルバイト先と二つの点を行き来して、それで、日本での生活が終わってしまうような、そんな空しい気分にもなってしまうようなのです。

 目的がはっきりしている学生の場合は大丈夫なのですが、そうではない場合、このまま何も見つけられずに、終わってしまうという結果にもなってしまいます。つまり、「惰性で」アルバイトへ行き、「惰性で」学校に来るという状態なのです。叱られれば、提出モノは出す、けれども、自分の意志をもって何事かをなしたというものではない。

 即ち自分の国にいる時と同じなのです。「自分の国ではどうしょうもないから(日本へ)来た」という学生も少なくないのに。確かに、ここには、(彼らの国に比べれば)チャンスはあります。それにも拘わらず、何事も「適当に」してしまうものだから、誰からも評価されない。「自己評価」と「他者による評価」との間に、大きなギャップがあるのです。だから、誰に対しても不満になるし、報われない自分に対する哀れみの情から、ますます「自己評価」は高くなる。

 悪循環ですが、こういう人は少なくありません。「私はまじめだ」とか「私は頭がいい」と思い込んでいる人に多く見られるのですが。そこから現状に対する不満が出て来るのでしょう。「能力の高い私が、どうしてこんな所で働かなければならないんだ」、「どうして、みんな、私を認めないのだ」という不満です。こうなると、だれもが、浮かばれなくなってしまいます。

「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず、我に関せず」(勝海舟)

 外国では、まず、こう思って生きていくしかありません。己の道を見定めて生きていけば、誰かは見てくれています。それが、ひいては「他者による評価」や「好ましい結果」にも繋がるのです。

日々是好日

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「暖かな秋」。「書物とインターネット」。

2009-11-10 07:39:16 | 日本語の授業
 暖かい。今朝もフワッとした空気に包まれています。本当なのでしょうか、もう11月も中旬に入ろうとしているのですけれど。しかしながら、いくら暖冬だとはいえ、このままで済むはずがない…と辺りを見回してみます。すると、不思議なことに、こんなに暖かいのに、木々はすっかり紅葉に染められて落ち着き払っているではありませんか。桜も靄いだ町の空気の中に、ただ一つくっきりとした黒い幹を黒々と浮かび上がらせていますし。
秋の桜は、その葉のオレンジが濃くなればなるほど、幹は黒くなっていくのでしょう。もっとも、ただ感覚的にそう思えるだけなのかもしれませんが。
 さて、今年は紅葉狩りに行くことになるのでしょうか。

 学生達を見て思います。人というのは、生まれ育った環境で、習い覚えた言語をどれほどの深さで、また広さで習得しているのかが、第二・第三の言語を習得する際に、いかに深く関係してくるかということを。

 考えてみれば、本当にわかりきったこと。
 けれども、実際に学生達と接していると、それだけでは解決できないのです。そのことが、どうしても、本人に判らない。また他の人にもわからない場合が少なくないのです。「努力だけで、どうにかなる」ことのように、本人も思い、周りも思ってしまうようなのです。極端な場合、「努力していないからだ」と、一言で片付けられてしまうこともままあるのです。

 国によっては、家庭に本が、二・三冊でもあればいい方という所もあります。書籍の姿が全くないという所も少なくありません。勿論、これは「生まれ育った環境」がそうであったというだけのことで、生まれつき、理解力の勝っている人であれば、大人になってからでもどうにでもなります。この学校の就学生達というのは、ほとんどが二十歳前後なのですから。いくらでも、取り戻しはききます。
 ただ、こういう方面(言語習得)にそれほどの能力がない人であれば、子供の時からの環境の影響は、計り知れないほど大きいのです。

 とにかく、周りにたくさんの書籍があった。また、手を伸ばせば直ぐに届く範囲にあった。その他にも、家にはなかったけれども、誰かが常に書物を手にしていたという図をイメージできる。これらの影響は、本当に大きいのです。

 昨今では、「知識」は、インターネットや他のメディアからでも獲得することはできませす。しかし、開いたページをそのままに、字句の影響を受けた心が一人散策をはじめるといったようなことは、こういう抽象的な架空世界では難しいことなのではないでしょうか。簡単に消し去ることのできる存在とだけ、つきあっていても、人は人として成長できないのではないでしょうか。

 書籍を手にすると、書かれていることは抽象的な「知識」であるにも拘わらず、しっかりと足が地についているような、具象的な存在にさえ感じられることがあります。それは、書物という「モノ」が存在して、手の中にあるからなのかもしれません。それを「頼り」として読み進めていけるからなのかもしれません。

 それが、空中を飛び回るような、内容も「空」のもの、しかも、その存在も抽象的であれば、そうして、そういう存在を「頼り」とせねばならなくなれば、つまり、そういう存在とだけの語らいになってしまえば、それは、人を狂気に陥れる一つのきっかけとなるかもしれません。
 思索を深めつづけていかねばならない人は、必ずといっていいほど、手に取れる存在、確かに「在る」存在を欲します。その傍らに行き、自分の意志とは違う時間的な流れ、またそれらの意志を感じる必要があるのです。「生者」としてのバランスを、それでとろうとするのでしょう。そうでもしないことには、人は簡単に崩れてしまいます。

 「人というのは、ガラス細工のように脆く、毀れやすい存在である」とは、よく言われることですが、この「(人の)定義」は、つくづくと本当であると感じます。勿論、それと両極端にあるようですが、また人というのは、しなやかで柳の枝のようでもあるとも思えます。

 若くとも、また年老いていようとも、人には「柳」の部分があります。ただし、そのその「しなやかさ」というのは、人が無意識のうちに「自己防衛」のサインを感じ、それ故に心の深みからそれを探り当て、(自分の心の手当をすべく)得られるようなものなのかもしれません。「崩れ」そうになる自分を「支える」のも、また自分なのです。

 こう考えていくと、「他者」というのは、人にとって、それほどの重みはないようです。立ち直るのも、自分の内なる「何か」であり、おそらくまた崩れそうになるのも、自分の内なる「何か」のなせるワザなのでしょう。

 もしかしたら、「七転び八起き」ができる人というのは、それを探し当てることに長けた人であるのかもしれません。二度・三度と、人は立ち直りを繰り返すたびに、「上手に」なっていくのでしょう、それが。
 山あり、谷ありの人生はあまり歓迎されはしないでしょうが。

日々是好日
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「『留学生試験』は終わり。次は『一級試験』だ、『大学入試』だ」。「教師を鍛えるのは、『学生』」。

2009-11-09 07:44:26 | 日本語の授業
 今朝も爽やかです。暖かです。自転車で来ると学校に着いた頃には汗ばんでしまいます。本当に11月なのでしょうか。今年は秋の初め頃に一度グッと寒くなり、思えば秋を感じたのはあの時だけであったような気がします。それからはずっと秋であることを忘れそうなお天気が続いていますもの。

 聞くところによると、あの時は新潟でも雪が降ったのだそうで、こういう年は暖冬になるのだと古老が言っていたとのことです。古老の言葉は、深いですね。先進的な科学を駆使した「天気予報」よりも信頼性があるような…不届きな気がしてくるのは、私一人ではないでしょう。

 さて、昨日は「留学生試験」でした。
 みんなは、今日、どんな顔をして学校へ来るのでしょうか。
 きっと「6月の試験」の時と同じ。雀の子達のように、
「こうだった」「ああだった」
「これは出た」「あれは出なかった」
「変な人がいた」「こんなことがあった」と、
 皆、ピーチクパーチク囂しくさえずることでしょう。けれども、そうは問屋が卸しません。おしゃべりなどできませんぞ。

 教室に入るなり、「模擬試験」の時間配分が書かれたホワイトボードを目にすることになります。
 「留学生試験」のことは、終わりです。そして、今日は、「日本語能力試験」対策の第一日目ということになります。

 先週の金曜日のことでした。
「日曜日は早めに行きなさい。頑張るんだよ。」と励ます教師連を横目で見て、にっこり。
「先生、日曜日で終わりだね」

 これはヤバイ。「留学生試験」で、「上がり」と思っていると、こちらはがっくり。思わず、
「はい。留学生試験は、日曜日で終わり。次は日本語能力試験です」
 彼女は、直ぐに「大学入試」も待っているのです。もしかしたら、それも、忘れているのではないかしらん。

 彼らは、母国でも、これほどの勉強はしたことがなかったのでしょう。だから、「もうすぐ終わるぞ」という、あと二日で味わえるであろう開放感しか想像することができないのです。それもこれもすべては「大学合格のためである」というのに、それをすっかり忘れているのです。みんな、もう本当に脳天気なんだから。

 で、「喝!」を入れるためにも、この「模擬試験」は役立ちそうです。

 しかしながら、私たちも、夏休み以降は、完全に「留学生試験」に振り回されてしまいました。こういう小規模校では、「留学生試験(日本語)」で、350点を超え、しかも、かなり上の方の点が取れるであろうと思われるような学生が、いつもいるとは限らないのです。彼女の他にも、300点は超えるだろうと思われる学生が三人ほどいましたから、「対策」にしても、かなりしっかりとしたものが必要になったのです。

 こういう学生が、いつもいてくれるようだと、こちらとしても、準備のし甲斐があるというものです。が、ことは、そうそううまくいくはずもなく、数年おきというのが現状です。そうなりますと、その間に社会科学系のものは、データが随分違ってきますし、テストの傾向も変わってきます。それに、何よりも、こういうテストに対する教員の「勘」とでもいいましょうか、それが鈍ってくるのです。こういう類のものは、毎年であれば、どんどん研ぎ澄まされていくのですが、数年おきともなりますと、きらりと光り出すのは、「試験直前」という情けなさ。つまり、光り出すまではまでは、「なまくら刀」で、勝負しなければならないのです。

 まあ、彼女たちのおかげで、一応「総合試験」にはどう対処すればいいのか、という「こつ」めいたものは掴めましたから、本当に「教師を鍛えるのは学生」であります。

 それはそうとして、「日本語能力試験」におきましては、来年から「準二級」が加わり、五段階となるとのこと。そうですよね。「留学生試験」対策をしたあとでは、「一級試験」対策には、どこかしら、リキが入らないのです。内容にしても、問いにしても、随分軽く感じてしまうのです。
 これも、「留学生試験」と連動していると考えますと、今の「『一級』レベルの問題」といわれるものが、将来的には「『二級』レベルのもの」と言われることになるのかもしれません。

日々是好日
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