日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「補講」は、…そろそろ疲れてきたかな。

2019-03-29 11:54:54 | 日本語学校

曇り。

寒い。風が冷たく、咲いたばかりの「サクラ(桜)」の花も震えていることでしょう。それなのに、なぜか今頃、「モモ(桃)」の花が、俄然目立っているのです。…「モモ」は「桃の節句」の頃じゃなかったっけ???

白やら紅やら、また、同じ木に白と紅の花が咲いていたり…。中でも、白で、八重か九重の花びらがボンボンのようにかたまって咲いているのが、本当にかわいらしい。スックと真っ直ぐに伸びた枝に、大きめの花がついているのですから、これは目立つ。青空の時は言うに及ばず、今日のように重く雲が立ちこめていても、そこだけ照り輝いているように見えるのですから、すごい存在感です。
 

それから思えば、「ソメイヨシノ」の花、一輪1輪は、地味ですね。そして、「ウメ(梅)」は、もっと地味。それなのに、人の、これらの花に対する思いは、ずっと深いものがある。不思議ですね。人は、花に、己の人生を重ねてしまう傾向にあるからなのか、それとも、人生どころか、この民族の歴史(先人達の心)みたいなものまで見てしまうからなのか。

「詩」とは不思議なものです。「俳句」にせよ、「和歌」にせよ、たった17文字か31文字で、こういう思いというか、広がりを、時間や距離感まで失わせてしまうほどに与えてしまうのですから。その中で用いられている言葉の一つにでも、先人達の歌中の言葉が重なってくと、それだけ思いは重層的に広がっていく。もう三次元、四次元どころではありません。

以前、宇宙の広さを人の心にたとえたCMがありましたが、その通りなのでしょう。

さて、学校です。 

昨日は「自習室」に来たのは一人だけ。寂しいかなと思っていたのですが、この部屋は私のものと言わんばかりに、荷物をあっちにも広げ、こっちにも広げしている。ちょいと顔を覗かせてみると、楽しそうに言いたい放題。まあ、大目に見ておきましょう。

そして、「補講」です。 

単語や文法の量が増えたこともありますが、自分で出来ることを授業中にやろうとする。今までは夜のバイトで疲れているからだろうくらいに見ていたのですが、もうバイトなし生活が一週間ほども続いているというのに、同じように家では学習していない。授業中に初めて見たかのように単語を見ているし、昨日の復習もしていない。もちろん、来ないより来た方がいいのは確かなのですが。

「補講」というのは、既に学習し終わったところをやる。いわゆる復習です。中には、他のクラスメート達には、追いついていないとはいえ、自分でできるところはやって来ている者もいるわけですから、そんなこと(単語)に、あまり時間を時間を取りたくはない。やらなければならないことがたんとあるのですから。

で、昨日はいつもより強めに、「やって来い」と注意しました。彼は困っていました。そんな経験はないのでしょうね。

本当に、ネパールの人を見て思うのですが、いい人達なのです(選んでますもの)。けれども、日本で言うと、小中学校で、きちんと学習の躾け(学習態度)を受けていないし、皆に追いつくためにはどうしたらいいかもあまり判っていない。座っていれば、だれかが運んでくると思っている。10日しか補講の時間がないのですから、「次にやる課の単語くらい見ておけ」です。

それが言っておいてもできない。いったい部屋で何をしているのか。

それに、彼等は出来ることが凸凹していますから、人によってわかっていることがまちまちなのです。それで、出来るとなると、面倒だからでしょう、できない人を待てない。活用の練習の時も、わざと「言ってェ~」、「言ったァ~」…と気怠げに言ってみたりする。そこで叱ると、一人でバアッと早口で言ったりして、ほかの人の邪魔になる。で、他は出来るかというと、そう出来るわけでもない。

もちろん、ほとんどの人は、そんなことはしません。ほかの人がついていけないと「あれっ」という顔をして待ってやります。しかし、それができない人もいるのです。スリランカ人にもそういうのがよくいましたが、それは明らかに注意してどうなるという類の者ではなく、たいていのことに不愉快さを感じさせるタイプの者たちでした。

ところが、ネパールの場合は、インドと同じ、思わず歴史的ないわゆるカーストが残存しているのかなと思わされるような感じなのです。ほかの人がそういう人に対しては何も言わないのです。言うのは、こちらくらいでしょう。最初は黙っていても(文化も宗教も習慣も違いますから、いつも最初は様子を見ています)、目に余るので、注意するのです。

昨日は随分きつく言いました。アルバイトも、ネパール人ばかりのところとなれば、国にいる時と同じように、勝手をしても、だれも文句は言わないのでしょう。「いったいどういうつもりだ。一緒に授業をしているのだ。一人で授業を受けているわけではない」。

自分だけにしてもらっているような気分になるのでしょう。こちらは誰に対しても同じなのに。真面目にやってさえいれば、誰に対しても教師は懸命に教えたくなるもの。相手を選びはしません。真面目にやるかどうかそれだけを見ているのです。

日々是好日
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「補講クラス」の三人、疲れ気味です。頑張っているのはよく判るけれども…。

2019-03-28 08:47:20 | 日本語学校

曇り。

「雪降れば 木ごとに花ぞ 咲きにける いづれを梅とわきて折らまし」(紀友則)
「花の色は 雪にまじりて見えずとも 香りをだに匂へ 人の知るべく」(小野篁)

春は、「和歌」に親しみを感じます。夏と冬は「俳句」、秋は、春と同じように、やはり「和歌」。秀句・秀歌は数あれど、こちらの心の持ちようで惹かれていくものが異なってきます…。

昔は、詠われる「ウメ」も、紅ではなく、白であったと、よく聞かされるところのもの、なのですが、どうも最近は「紅」の方が人気があるような。白梅は分が悪くなってしまったよう。「白梅」は、雪とセットになると、詠われたとおり、香りと相まって歌になる。ところが、雪と白梅と、白で一つになるというイメージより、雪の中に紅の花が咲いているというイメージの方が好まれるようになった。どちらも確かに「勁さ」を表すものなのですが、どちらかというと、白は地味に見える。これは、…俗っぽいかしらん。

「ツバキ(椿)」の花にしても、まあ、これは逸話などから推測するに、茶席には「白」のほうが、しかも「開ききっていず、かといって固いつぼみではない」ものの方が好まれる傾向にあるらしい。けれども、山野では、「赤」の「ヤブツバキ(藪椿)」の方がいかにも「ツバキ」らしいし、テカテカに光っている濃い緑の葉や赤い花に白い雪が被さるとこれまた綺麗に見える。

東京はもう、満開の時を迎えているというのに、「サクラ(桜)」でなく、「ウメ(梅)」を話題にするとは、時勢に合わぬと言われれば、確かにそうですが、どうも最近「ウメ」の、花びらを落とした姿が気になっているのです…。

ところで、、「サクラ」。この花が満開を迎える頃、
「木々 おのおの 名乗り出でたる木の芽哉」(一茶)
となり、以前、木々博士の面々から、「あれはなになに、これはなになに」と木々を見上げては教えてもらっていたのですが、ところが当方、木の芽から木の名を知ることなど到底出来ない無粋者ときている。その時はかしこまって聞いてはいたものの、内心では「花が咲かなきゃわからねえ」。もっとも、これは方向音痴の言い訳にも使え、何かというと「この前来た時には、黄色の花が咲いていた家があった。でも、今は(季節が違って)花がないから、判らない」などと言う。

「移ろうものを見ずに、ビルとか、もっと目当てにできるものが、近所にあるだろうが」とは、だいたい道が判る人のお言葉であり、それは(前者には)通じません。前者、後者、話が、平行線になり、交わらない。見るものが違うというより、惹かれるものが違う。きちんと目的意識があるかどうかも違う。

歩いていても、ふと心に惹かれるものがあると、そこで止まってしまう。そして気がついたら、「あれ、どちらから来たのだろう。ここはどこ」ということになってしまう。これが前者。

ほんと、大変ですね。

さて、学校です。

「自習教室」では、午前の人が去った後、午後の学生が来て、まあ、9時から5時まで(「そろそろ帰りましょう」と、こちらが言いに行くまで)だれかしらいて、休み中とはいえ、学校らしくていいですねえ。

そして、「補講クラス」です。一生懸命に来ているのはわかるし、それなりに真面目に頑張っているのはわかるのですが、『みんなの日本語Ⅱ』も、五分の二くらいになりますと、単語の量やら、覚えたものの量やらが彼等の消化能力を超え始め、疲れ気味。

「単語で躓くな。『Ⅰ』の単語も持ってこい」とは言ってあるのですが、漢字にしても色が同じ緑ということででしょうか、「N3」の方の漢字の本を持って来たり、少々緊張感が途切れてきたようです。かといって、休まない。もちろん、中弛みだとは言いません、でも、少し疲れたのかな。

ただ、すぐに反応はできなくとも、声が聞こえなかった学生に、一人で言わせてみると、「え~と、1グループだから、え~と」と時間を与えれば正しく答えられる。まあ、これで良しとせねばならぬのでしょう。

最初は大雑把に動詞の「可能」「受け身」「使役」「使役受け身」などだけ、しつこくやるつもりでしたけれども、やってみると、例えば、「テ形」にしても、「ラ行」だけできないとかがわかり、ブルドーザーで潰していかなければならないと思うようになりました。ピックアップでどうにかなるというものでもないのです。「わからない」のではなく、「知らない」のですから。出来るようにさせるには、休み中の10日では絶対に足りません。他の学生達はこの活用練習を3ヶ月から、5ヶ月かけ、毎日繰り返すことで習得していったのですから。

もちろん、こうなりますと、毎日の学習量は多くなります。手に余る…でしょうね。特に「七月生」に関して言えば。ああ、ここも適当に流していたのだなと気の毒に思えてくることもあり、まずは文法だけでも「知っておく」に重点を置かねばならないと決めました。ただ皆ネパール人ですから、そこは助け合えます。残りの二人、それぞれ出来ているところが違うのです。出来ているところ、あるいははっきりさせたいところ(単語や文法)を母語で言ってもらって、意味が判れば、すぐに練習です。ともかく、前進あるのみ。

「7月には『N3』を受けるのでしょう。これが判らないと、いくら文法を丸暗記できても、どうにもならない」(多分、聞き飽きた。もういいと思っていることでしょうね)と、繰り返しながら。

日々是好日
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日本人の誰もが、「サクラ」の花を好きというわけではありません。どこか屈折した感情を持つ者もいます。

2019-03-27 08:43:35 | 日本語学校

晴れ。

青空に「サクラ(桜)」の花がよく似合います。この「サクラ」も、日本人なら皆が皆、大好きというわけではなく、どこかしら屈折した思いを持っている人もきっと多いことでしょう。かく言う私も、若い頃はそれほどこの花に心惹かれるというようなことはありませんでした。それどころか、世の「花見」をどこかしら苦々しく見ていたような気さえします。

けれども、年月を重ねていくうちに、なぜか心が、花に沿うような感じになってきた…まあ、そんな気分です。「サクラ」に限らず、毎年同じ頃に、どの花であれ、咲き、美しい姿を見せているというのに。

考えてみれば、実際に「見ているサクラ」とは「別のサクラ」が心にあり、それとは違う現実の「サクラ」に何となく違和感を覚え、反発し、距離を置いていたのかもしれません。あるいは、やっとそこまで成熟してきたということになるのかもしれません。

「夢の中なる夢なれや、夢の中なる夢なれや」
「くすむ人は見られぬ。夢の夢の、夢の世を ううつ顔して 何せうぞ くすんで。一期は夢よ、ただ狂え」
「憂きも一時、嬉しきも 思ひ覚ませば 夢候よ 酔い候え、踊り候え」

「ホタル(蛍)」や「サクラ」を好んだ『閑吟集』の時代の人々の血が、日本人の中に埋火のように残っているのかもしれません。

この地で生まれ、この風土を心に培い、そして生きてきた人間に、それぞれ、人生の「原風景」に重なり合うような「サクラ」の姿が存在し、それと現実とが触れ合った時、初めて心が「現実のサクラ」に心開くようになるのかもしれません。

まあ、諄くなりましたが、今では、春の「サクラ」をごくごく自然に楽しんでいます。

さて、学校です。

「補講」のことです。

昨日で3日目でした。3回目の人もいれば、2回目の人も、初めての人もいます。グループ分けも適当であったり、「Ⅰグループ」の「テ形」のうち、「ラ行」や「カ行」があやふやであったり…。単語がはっきり判っていなかったり…。特に困ったのは、「意向形」と「命令形」。それに「可能形」が皆、「Ⅱグループ」になるということが、判っていなかったり…。(発見すると、「ああ、そうか」と言ってくれるので、よく判ります…本当に素直…)

その都度、こちらも「ああ、こっちがよく判っていなかったのね。じゃ、こっちを先にして、それは後ね」とか、言いながら、方向を変えてやっていきますから、記録しておかないと、どういう考えでやっていたのか方向性まで見失ってしまいそう。こんなことは予定しておくことなんてできません。だいたいが大雑把にしていたのですが、それとても、変えなくてはならなくなってしまいます。

とはいえ、春休みまでの授業の時、ほとんど声が出ていなかった男子の声がだんだん大きくなって来たのには、少々驚きました。アルバイトも工場のものから、レストランのものに変わり(今、研修期間です)、実際、日本人の言うことが聞き取れなかったら困る…と芯から感じてくれたようなのが、頑張れる理由の一つになっているのでしょう。

昨日は途中で、今年の四月生が一人、おじさんに連れられてやって来たので、10分ほど休憩したのですが、それ以外は4時半過ぎまで、そのまま授業を続けました。授業中だから、個人的な話はしてはいけないということが、あまり徹底出来ていない人達なのですが、今は「補講」ということで、雑談めいたことも挟んでいます。だって、疲れるでしょうから。

10日間で、とにかく『みんなの日本語Ⅱ』の復習をやってしまう。漢字も「N4」をサッと復習してしまう。という予定を立てていましたから。最初は「可能、受け身、使役」だけを、しつこくやるつもりでした。ところが蓋を開けてみると、「ここも判っていなかった、あれ、あっちもできていない」という部分がボロボロと出てきて、そのたびに軌道修正。で、初期の計画はジグザグ行進せざるを得なくなってしまいました。でも、声が出るようになってくれたのですから、私にとっても励みになっています。

中でも昨年の「七月生」、遅れているにしても、その中でも3ヶ月分は出来ていないので、早めに来て(15分ほど)「他動詞、自動詞の絵カード」で、自習をしておくようにと言うと、その通り、一人早めに来て、練習してくれています。もちろん、聞いていると、おかしなことも言っています。が、声を出して、練習していけば、いずれ出来るようになるからと、とにかく励ましています。「声を出せ、出せ」です。

この「補講」も、残すところ、あと7回。頑張れ、頑張れです。

日々是好日
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「補講」の教室よりも、「自習室」の方が賑やかなようです。

2019-03-26 08:37:00 | 日本語学校

曇り。

朝、わずかながら地面が濡れていました。もともと、冬のことだという「三寒四温」も、今時の、お天気を表しているようなそんな気がします。寒かったり、暖かさを通り越して暑かったり。そのたびに冬のコートを引っ張り出したり、ソフトクリームの方に走ったり。

そういえば、燦々とお日様が照っていた頃も、「う~ん。まだ冬のコートをしまうのは早いですね」とか、お天気おじさんが言っていましたっけ。こんなのも、三月いっぱいでしょうか、それどころか、四月になって「サクラ(桜)」お花が散り始めても、まだ冬のコートがしまえない…ということになるのかもしれません。でも、また、突如、酷暑がやって来るのでしょうね。

さて、学校です。

春休みになってからの「補講」は、確かに役に立っていると思います。特に、(昨年は「四月生」は、(ビザが)出たけれども、「七月生」は一人しか出なかったので、「四月生」クラスに編入という形になっていた)「七月生」にとっては。

考えてい見ると、この「七月生」というのは、すぐに夏休みになってしまうという悲劇に見舞われています。いつもは、「四月生」「七月生」が大半なので、独りぼっちということはなかった。それで、つい、なおざりになっていた…のかもしれません。

ところが、一人だけだと、彼一人が目立ってしまう。だいたい、「七月生」は、「四月生」に比べて3ヶ月ほど遅れては入ってくるということで、その分、国で多めに学習するように言ってあります。だって、卒業も同じですし、大学や専門学校の試験も同じ頃にあるのですから。

ところが一人だけですと、その「個」性で見なければならなくなる。集団だと、できる人もいれば、できていない人もいる。同じように(ここで)教えているのに出来ていないのは、国で勉強の習慣が培われていなかったか、あるいは国で勉強してきた量が少なかったかと思うことも出来たのですが、一人だけですと、そうはいきません。

コマッタナ…。

しかも、今年の「四月生」は、ベトナムが主と来ている。現在ビザが下りない(ネパールで、あれほど真剣に面接をし、不十分な人、変な人はドンドン御免被ってもらって、やっとこちらの意図を汲み取って選んでくれる学校を見つけたというのに、です)ネパール人はだれもいません。ということは、彼にとって「もう一度やり直す」は無理なのです。

一人で頑張れるというタイプは、どうもこの国の人の中にはあまりいない…ように見えます。何事も、助け合って…なのでしょうね。

で、今、お尻を叩いて、「頑張るんだ」とやっています。本人も、このクラスにいたいと言っていることですし。

「補講」は、多くて四人、三人ネパール人で、一人スリランカ人です。スリランカ人は、多分、電話したり、迎えに行ったりすれば来るでしょうけれども、そうしなければ、来ないでしょうね。勉強の習慣もないようだし、こういう「補講」をしてもらえるという意味も判っていないでしょうし。下手をすると「来てやっている」くらいの気分かもしれません。これまでの感じから言うと。

その点、ネパール人は素直です(あれだけこちらが選んで連れて来ているのですから、当然と言えば当然)。そのうちの一人からは、「(今、悪いことに、引っ越しの時期で)引っ越しの手伝いで来られない。でも、火曜日からは必ず行きます」とメールが入っていました(こちらからすると、「手伝いは他の人でもできる、来なさい」なのですが、それが通じない世界のようです)。もう、一人は、日にちを間違えて来てしまい、ビビってしまって、次の日は来なかった。で、その次の次の日の朝、メールで「今日はあります」と送ると、15分以上早めに、困った顔をして来ました。どうも恥ずかしかったようです。

で、昨日は、ネパール人二人でした。

人が少ないと、彼等も質問しやすいようですし、こちらも目が届く。漢字の指導も「そこそこ、点を忘れている」とか、「一本、横棒が少ない」とか言えますし、書き順なども良く見ることができます。

「N3」のクラスに残るには、やはり「N4」の文法や漢字が欠けていてはだめなのです。

昨日、2回目だったのですが、こちらも、彼等の足りない部分にハッと気づかされたりして、そこにもどってやりなおしたり、出来ている部分は飛ばしたりして、予定を少々変えざるをえないところがパラパラとでてきています。まあ、どちらにせよ、やらないよりはやった方がいいし、また、受けないより受けた方がいいということなのでしょう。

それから、「N2」クラスの学生達のうち、「N3漢字テスト」が終わっていない人、運悪く学校に来た時に私に捕まってしまった人、それぞれに、休み中、週一か二に、学校で勉強するように言い、その曜日を聞いていたのですが、素直ですね。言った日にきちんと来ました。中には、「あれっ?月曜日だったっけ。火曜日と言わなかったっけ」と思わず言ってしまった人もいましたが。

週一でも、休み中、学校に来てくれると、彼等の様子が判っていいのです。それに自習室にいると、こちらも手が空いた時に様子を見に行き、質問を受けることができます。

ということで、昨日は自習室で、多い時は五人勉強していたことになります。この3月に卒業生が旅立ってから、現在、留学生21人、在日生12人なので、このうち、五人が、休み中も学校に来て勉強してくれるというのは、なかなか得がたいこと。まあ、休み中、アルバイトが休みの時は、学校で少しでも勉強してもらいたいものです。

日々是好日
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「サクラ」…満開まで、ちょっと足踏みしていますね。

2019-03-25 12:26:39 | 日本語学校
晴れ。

さっきまで、厚い雲に覆われていたのに、学生が来て、自習室に行くまでの、ほんの少しの時間で、もうすっかり雲が消えて、青空が広がっていました。

「サクラ」の季節ですね。花と共に、葉も出ているので、「山桜系」と思われるのですが、白い大振りの花びらの、この「サクラ」。毎年、近場では一番早く咲きます。ちょっと行った先の公園では、「ソメイヨシノ」がもう満開を迎えていました、一本だけですけれども。きっと日当たりがよかったからなのでしょう。

皆が咲いている時に、散り始める…のも、ちと寂しいような気もするのですが。

今年は、「開花宣言」が出されてから、「寒の戻り」があり、花も足踏み状態のようです。とはいえ、その間に「シャガ(射干)」や 「ホトケノザ(仏の座)」、「スミレ(菫)」、「オオイヌノフグリ」、「ノゲシ」、「カラスノエンドウ」、「ハコベ(繁縷)」などが「発見」できましたから、ちょっとよかったかもしれません。春の足音を足元から聞くことができました。

さて、学校です。

八時を過ぎた頃に、一人…。まあ、これは卒業生で、大学へ送るものの確認のためにやって来たのですが。九時を過ぎた今、他に三人、やってきて、自習室で勉強しています。一人は、高校に合格したものの、日本で中学校に通った経験がありませんから、日本語での「中学数学」の勉強です。それから、他の二人は、一人は「N2」の勉強、もう一人は「N3」の勉強です。

部屋にいると、どうしても気分の切り替えができないので、春休み中も、時間がある時には、学校に来て勉強するように言ってあります。

そうした方が、生活にメリハリもできますし、学校にいれば、誰か(教師が)手が空いた時に、勉強の様子を見に行くこともできます。まず何よりも、家庭で勉強をそれほどしたという経験のない人達が多いものですから、(教室での一斉授業の時だけでなく)勉強している人がいるということをわからせる必要もあるのです。

ある学生など、高校の成績が非常によかったにもかかわらず、勉強の習慣がない(日本に来てからの様子を見ていますと)。で、聞きますと、「学校(に出ている)だけで大丈夫だった…」そう。

それくらいのところで、やって来ていれば、漢字を例に取ればですが、覚えるために、何度も書かねばならないとか言われても、うざったいだけでしょうねえ。

だいたい、こういう人達は、「(何回か)書いた(から)、覚えた(はず)」と思う。で、次に来るのが、「忘れた」なのです。けれども、どうしてかが(彼等には)わからない。つまり、彼等のこれまでの経験から言えば、「(何回か書いたから大丈夫のはずなのに)覚えても覚えても(習った時に10回くらい、書いたに過ぎぬのですが)次から次に大波小波が来てしまうので、何が何だかわからなくなってしまう」。…ので、つまり、これは「漢字という文字が悪い」ということになるのでしょう。

日本人だって、中国人だって、漢字を覚えるためには、小学生の時に100回と言わず
何百回も書いているということを口を酸っぱくして言っているのですが,ピンと来ないのです。そうしなければ覚えられないということがわからず、これ(母国での勉強)同様で、どうにかなるという気分から離れられないのです。

「書いて覚える文化圏」の日本人から見ると、「聞いて覚える文化圏」の人達とは、勉強の仕方が違う。ある程度までは、面倒で時間がかかるけれども、その線を越えると、漢字というのは、何倍もの情報量を作れるし、与えられるものなのですけれどもねえ。

今は、おそらく、こちらの「書け、書け、覚えるためには書け」に辟易させられているだけなのでしょう。

でも、ある程度になるまでは、やはり書かねば覚えられないものなのです、漢字というものは。

日々是好日

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「春休み」、最初の「補講」です。

2019-03-22 08:50:11 | 日本語学校

晴れ。暖。

二十日は、咲いたのは4輪だけだったそうで、結局「開花宣言」はありませんでした。そして昨日、東京で「開花宣言」が出され、いよいよ「花見」のシーズン到来です。

「サクラ(桜)」と言いましても、このあたりは(おそらく日本全土ででしょうけれども)圧倒的に「ソメイヨシノ(染井吉野)」が多いのですが、クローンによるためか、寿命も60年ほどらしく、虫食いにやられたり、風雨で倒されたりすることがよくあるそうです。

やはり、「ヤマザクラ(山桜)」系のほうが強いのかしらん。

近くのお宅に「シダレザクラ(枝垂れ桜)」の綺麗なのがあるのですが、この種の寿命はどうなのかしらん。春になるたびに、また美しい姿を見るたびに、少し気になっているのですが。

「サクラ」の花は、とても正直で、暖かければ、ふわっと見ている間に開くのです。数年前、午前11時ごろから、2時か3時頃くらいまで、公園で花見をしたことがあるのですが、その時のこと。始めた頃は膨らんではいたものの、まだまだ蕾で、綻ぶ気配すらなかったのに、片付け始めた頃には、それが開いて三分咲きほどになっていた…のに、びっくりしたことがありました。見える形で花が咲いていくというのには、ある種の感動さえ覚えました。

今日も20度を超えるようですし、5輪しか咲いていなかったという標準木も、昨日、今日とで、かなり開くのではないかしらん。とはいえ、土日と寒い日が続くようですから、満開となるのは、もう少し後でしょうね。

これから1、2週間忙しない日が続きそうです。

さて、学校です。

火曜日に、「葛西水族館」へ行き、翌日から春休みが始まりました。もちろん始まったは始まった…のですが、四月生はビザの申請をしなければなりません。というわけで、翌水曜日に四月生が学校へ来、ビザ申請の用紙に書き込むという作業がありました。大半は9時に来られたのですが、午後の学生の中にはアルバイトの調整がつかずに、遅れた者もいました。けれどもだいたい終わり、後は写真や収入印紙などを忘れた者が持ってくるのを待つばかりです。

というわけで、春休みの「補講」は、今日から始まります。

昨年の四月生のうち、日本に慣れずに体調を崩してしまったり、近場のアルバイトが見つからずに苦労したりで、12月の「N4」試験に合格出来なかった者が三人います(四月生は「N4」を受けた者と、「N3」を受けた者がいます)。

そのうち、一人は、もう一度「新入生」と一緒にやり直したいと言っていますので、新学期を待てばいいだけのですが、残りの二人は、それでも学校を休まずに来ていましたし、今のクラスで頑張りたいと望んでいることもあり、そこはこちらで手当てしなければなりません。

で、10日間の「補講」ということで、彼等が抜けている「みんなの日本語Ⅱ」と「N4漢字」をやり直す(というか、確認程度の復習です)ことにいたしました。ただ二人だけではなく、合格はしているけれども、きちんと入っていないであろう一人と、最後のテストでそれほどいい成績を収められなかった一人もやることになり、一応、四人が来ることになっています。これも最初に、「先生。」と言い始めたのは学生の方でしたから、やはりみんな出来れば今年の7月に「N3」に合格したいのでしょう。

ただ、この四人に、補講の日にちを言っている時、なぜかその確認をメモしていた他の学生がいましたから、アルバイトがない時にやってくる者が何人か出てくるかもしれません。まあ、それはそれでいいことです。もっとも、最初の四人に合わせた計画で、他の人に合わせるつもりはありませんけれども。

日々是好日
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「ソメイヨシノ(染井吉野)」の「開花宣言」が、今日にも出そうです。

2019-03-20 08:33:07 | 日本語学校

晴れ。

昨日の疲れがまだ足に残っています。けれども、街はもうすっかり春一色。あとは「ソメイヨシノ(染井吉野)」が、標準木に五輪ほど咲けば、「開花宣言」が出る。それからは「花に浮かれる」季節が始まる…。

しかしながら、今更のように感じるのは、早咲き「サクラ(桜)」の品種の多さ。「河津桜)」は言うに及ばず、今年は、あっちでもこっちでも、八重のものから一重のもの、また小振りのものから、少々大柄(?)のもの、またまた白から、ピンクの濃いのから薄いのまで、はあ、こんなに多かったとは知らなんだ。

今日、20度を超えるそうですから、今日中には出るでしょうね、「開花宣言」。

そして、「サクラ」のみならず、ふと気づけば、「ハクモクレン(白木蓮)」の花も満開、「レンギョウ(連翹)」の花も満開、「ハナニラ(花韮)」も「ナズナ(薺)」の花も、いつもの所にきれいに咲いていました。季節は人を裏切らないなあ。本当にうれしいこと。

おまけに、昨日は、いかにもハル~という感じの朧月夜でしたし。

さて、学校です。

学校では、昨年の四月生のビザの申請のため、今日、四月生が朝、九時に来ることになっています。午前の学生はいいのですが、午後の学生たち、大丈夫かと訊くと、「大丈夫。ビザの申請だもの」という元気な返事。けれども、このうち、一人は、昨日、夜のバイトが入っているはず。「寝ないでそのまま来る」。「じゃあ、早く書き上げて、早く帰って寝ようね」。

もう少し日本語が話せると、近場のバイトもあるのですが。夜のバイトは時給が高いのです。

最近はこのあたりでも、しょっちゅう店が出来たり潰れたりしています。出来るたびに、募集に来てくれるのですが、だいたい新規開店の店は客がまだついていないこともあって、慌てて募集に来て、慌てて採用して(その時は一日でもいいとか、二日でもいいなんて言っているのですが)、いざ店を開けてみて、客が全く来ないと、すぐに外国人は切られてしまいます。

「行ったけれども、一時間だけで、明日からは(呼ばれるかどうか)わからないと言われた」となれば、そことは、ご縁がなかったとあきらめて、他を探すしかありません。

先日もすぐに採用されたので、前の、夜の工場バイトを辞めた学生がいました。やはり夜勤の仕事は辛かったのです。ところがお決まりのあれ。どうして仕事に慣れるまで、週一でもいいから、続けなかったのかと聞くと、「……。」嫌だったのでしょうね。

それもまあ、考えてみれば無理からぬこと。折良く、卒業する学生が勤めていたレストランが募集していたので、「行ってごらん」。先輩が勤めていたところなら、まあ、安心です。わからないことがあれば、先輩に(同じ寮に住んでいた同国人ですから)、聞けば済むこと。うまくいったかしらん。

「自分で頑張るんだ。自分の道は自分で開け」なんて言って送り出したものの、気弱な男子ですからね…。少々心配です。けれども、仕事が安定しないことには、生活も落ち着きません。生活が落ち着かなければ、勉強にも身が入りません。ちょっとでも強気でやってくれるといいのですが。

日々是好日
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「葛西臨海水族館」へ、皆で行ってきました。暖かい一日でありました。

2019-03-19 15:10:12 | 日本語学校

晴れ。

今日は、皆で、「葛西臨海公園」内の「葛西臨海水族館」へ行ってきました。2名欠席でしたが、それ以外の学生は皆、定刻に集まり、ぞろぞろと、公園に向かって歩いて行きます。風はなく、春の暖かい日差しが私たちを包んでくれました。

道路沿いの木々を見ながら、「これはみんな桜でしょ。残念ですね。あと一週間も遅ければ」などと言い合っている間に、公園の入口に着きました。入るとすぐに噴水ならぬ水のカーテンがお出迎えです。そこで皆でまず記念撮影をし、そのまま進んで行きたい…のは、やまやまだったのですが、思うように動いてくれません。

あっちでもこっちでも写真を撮り始め、笑い声が上がっています。そのうちに、「もう、いいかな」で、少しずつ、動き始め、水族館のチケットをもらえる水族館入り口までやってきました。そこで待つのですが、待つのも飽きさせない工夫がされています。入口横に、2メートルのマグロのパネル、そしてその横に、水族館のはっぴが三着、「カニ(蟹)さん帽」、「マグロ(鮪)さん帽」、「ハコフグ(箱河豚)帽」がかかっています。

さて、これらを身につけ、写真撮影開始です。皆大喜びで、蟹さんになったり、箱河豚さん、鮪さんになったりして写真に収まります。

そしてチケットの配布です。

入るとすぐに階段があり、そこを上ると、ガラスドームと、海に向かって開いている噴水池が見えてきます。わあっと歓声を上げて駈けていきます。また写真撮影の開始です。あっちでもこっちでも、パチリパチリ。「こりゃあ、このまま帰ってしまっても誰も文句は言うまい」と思われるほど、喜んでいました。

それから中に入り、エスカレーターで魚たちを見に回ります。やはり大きな魚の前には学生達が集まっています。けれども、それ以外の魚たちはと見ていると、色鮮やかな魚でも、ちらと見て終わり。説明なしには、どこをどう見ていいのかわからないのでしょう。そこで一人を捉まえて、水槽の横のパネルを指差して、この魚はアフリカの近くの…とやってみせます。

こういう水槽の横にはパネルがあるものであり、そこには生息地やら魚の名前やら、その特徴やらが書いてあるものであるということがわからなかったのでしょう。一人に言うと、彼が他の学生に言い、それから見ていると、何人かが注意して見、他の学生に教えていたようでした。

自分や仲間内で見ても、素通りしてしまうが、教師と一緒に見るといろいろな説明が聞けて面白ということに気づけば、水族館が知識の場となります。それからは、きちんと教師の横に学生達が集まるようになっていきました。

とはいうものの、そうなればそうなったでこちらは大変です。どこかで座ってやり過ごそうと他の教師に任せて、椅子を探そうとしますが、そういう時に限って、席は幼稚園さんか保育園さんに取られています。

すると、横にいたスリランカの男子学生、子供たちを見て、「子供たちは本当にかわいい。写真を撮りたいけれども、いいですか」と言います。そういえば、スリランカ人は子供が大好きで、特に男子が、卒業生が子供でも連れて来ようものなら、もうかかりっきりになってしまいます。女子など入れません。そうか、この国は、子供天国なんだと今更ながら気がつきます。けれども、この学生、どうも切り出す勇気がなかったようで、見ているだけでした。

さあ、子供より魚だよ。

ネパール人にせよ、ベトナム人にせよ、教育現場でこういうものを見てきてはいないのでしょう。スリランカ人も同じようなものですが、彼等ほど「わからない」を連発しませんから、ちょっとそこの所はわからないのですが。

ネパール人に「タコ(蛸)」と「イカ(烏賊)」の説明に困らされたことを思い出し、「タコ」と「イカ」をしっかり見ておくんだよと言いはしたものの、いたのは「タコ」らしからぬ「タコ」だけ。そうですね、いくら水族館でも、いえ、水族館だからこそ、「イカ」らしい「イカ」とか、「タコ」らしい「タコ」なんていませんよね。(スーパーにいるタコやイカは切り身だし、そのままであっても狭いパックにながながと寝かされているだけだし…)

…と、ここまで書いてきて、「イカ」らしい「イカ」とは、いったい何なんだ。「タコ」らしい「タコ」なんて、どんななんだと思い出しました。私だって、「モグラ(土竜)」はずっとサングラスをかけているものと思っていましたもの。そのころの私に言わせれば、「モグラ」らしい「モグラ」で、サングラスをかけていないなんてあり得ないというところでしょう。

「イカ」らしい「イカ」、「タコ」らしい「タコ」って、どんななんだろう。あまりに「イカ」や「タコ」を見てきた私でも、いざ改まってそう言われてしまうと、なにが「タコ」やら「イカ」やら、わからなくなってきます。どうであったら、これは「タコ」で、これは「イカ」であるということになるのでしょうね。彼等だけでなく、私にもわからなくなってきました。

見慣れていなければ、一杯で「これがイカ」だとなってしまい、他の、多少、色や形が違うものは、もう「イカ」ではなくなってしまいますもの。特徴は、調べればわかります。けれども、頭の中に浮かんでくるのは、特徴に関する言葉ではなく、絵なのです。

やはり、絵しかないですね。でも、これだと動きがないなあ。

却って悩みが深くなってしまった私なのでありました。

日々是好日
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『卒業文集』を、いかにも楽しそうに読んでいた一年生達。

2019-03-14 08:34:18 | 日本語学校
晴れ。

街を歩めば、「モモ(桃)」の花がちょうど満開。華やかですねえ。それに早咲きの「サクラ(桜)」の花も咲いていましたし、「ボケ(木瓜)」の花もチラホラ花をつけていました。「ユキヤナギ(雪柳)」の花も美しく、「モクレン(木蓮)」も随分、蕾を膨らませていました。

今が一番、季節としては、花が美しく華やかな頃なのでしょう。なんと言いましても、遠くからでも見えますもの。いくら可憐で愛らしくとも、道端に咲く小花たちとは存在感が違います。

さて、学校です。

卒業式も終わり、彼等がいなくなると、一年生のアルバイトのことなど相談出来ていた人達がいなくなったということで、ちょっと困ることも出てきます。二年生はそれなりに下級生の面倒を見てくれていたのです。

その卒業生達の書いた文集。一年生の「D(N2)クラス」はそれほどのことはなかったようですが、「E(N3)クラス」の学生達、卒業生だけの部分を渡すと、すぐに開いて読み始めました。声に出して読み始めたものですから、ちょっとびっくり。いつもは、「読め」と言っても、ちょっと恥ずかしそうに小声でボソボソ読んでいるだけだったのに、このときばかりは、はっきりとこちらに聞こえるほどの声で読んでいます。

そして、読みながら、隣の人に、ある箇所を指指して、笑ったり、感想を言い合ったり…。そうかと思ってみていると、「この漢字は(どう読むの)」と、指差しながら聞きにきたり…。わかりたかったのですね、この人が何を言っているのかを。まあ、その、いかにも楽しそうなこと。

もちろん、読んでいるのは、大半は同国人のようでしたが。あまりに楽しそうに読んでいるので、「はい、勉強。それは家に帰ってから」が15分ほど言えずにいました。

こういうのは読むのですねえ。「同感出来る、わかる」というのが一番大切なのですねえ。身近なことなのですねえ、内容が。知識を身につけると言うより、「手紙感覚」で読んでいたのでしょう。とはいえ、日本語で書かれた「文章」を読むというのは大切なこと。次の私の授業が色褪せてしまいました。詰め込み…「N3文法」や問題の説明ですもの。

卒業生達は知らないでしょうね。後輩達が、こんなに一生懸命に彼等の文章を読んでいたということを。今度来たら、言ってやりたいな。

日々是好日
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楽しい『卒業式』でした。片付けも手際よく出来ましたし。卒業生、在校生、お疲れ様でした。

2019-03-13 08:45:43 | 日本語学校
晴れ。

「卒業式」も無事終了し、今朝はまだ昨日の余韻が残っているせいか、どこかしら、終わったという感が抜けきれません。そういえば、昨日、後片付けが終わって、さようならと言う時、在校生が、「明日も、授業?」と言っていましたっけ。まあ、冗談でしょうけれども。

今年の「卒業式」は女子が多かったせいか、色とりどりの民族衣装が花開いたように散らばって見え、本当に華やかでした。来年は、男子が多いので、おそらくそうはいかないでしょうね。しかも体格のよい人が多いので、一人でも場所を取りそう…。

しかしながら、1年、また1年と、総じて、学生達の質が高くなっていくのがわかります。中国人学生を積極的に採らなくなってから(別に意識的にしているわけではなく、募集に中国に行かなくなったのです。実際に「会って」から、入れるということをしなくなれば、自然と中国人学生は、近所の人達の子供とか親戚だけということになってしまいます)、ここまでの道は、長かった…。まず、どういう人を入れたらいいのか、募集時に戸惑ったというのがあります。

スリランカの学生の時も、みんなこの国の若い人はこんなもんかと最初は思っていましたし、ベトナムの人の時もそう。それが、こちらが慣れ、目がある程度慣れてくると、「違うだろ。勉強をする学生を出してくれ」と言えるようになりましたし、ネパールの場合は、最初から、しっかりと断っていました。

そして、やっと「非漢字圏」の学生でも、在学中に「N2」が取れるようになった段階から、複数で取れるようになった段階へ。そして来期は、「N1」を目指せるようなカリキュラムで臨めそう…かな。

スリランカの学生は、ヒアリングもいいし、文法も困らないので、日本語での日常会話には困らない。この「困らない」が仇となり、そこに安住してしまう傾向が強いのです。日本語の音が聞き取れぬばかりか、文法にも戸惑っているベトナム人学生が、漢字なりともと、努力をしているのと、いい対照をなしています。

ヒアリングも文法もそれほど困っていないのなら、漢字くらいやれよと思うのですが、そうはなりませんね。多分、数回写して(書いて)、それでやった気になれるのでしょう。こちらはどうしてそれで覚えられた気になれるのか不思議でならないのですけれども。しかも、それを一年以上も繰り返せる人が少なくなかったのです。もちろん、彼等を入れている限りは毎年そういう人が入ってきました。

しかも変にプライドが高い人が少なくないので、「漢字テストで点が取れない」だから「気分が悪いので、練習しない」で、また「テストで点が取れない」、だから「気分が悪いので練習しない」の、堂々巡りを、如何にも「そっちが悪い」といわんばかりに主張する人がいたのには驚いてしまいましたけれども。まあ、どこの国にもいますね、そういう人は。

昨日の「答辞」を読んだ学生が、「日本語が難しいと言う人がいるけれども、それはうそです。やらないから出来ないのです」とはっきり言ってのけたのには驚きました。彼の場合は、本当に努力したから言えたのでしょう。「ヒアリング」「文法」「漢字」の「三大苦」を超えようと頑張ったから言えたのでしょう。

それが引き金になったのか、パーティで、同じことが言えたネパールの学生がいました。日本にも、「若い頃の苦労は買ってでもやれ」というのがありますが、おそらくどこの国にも似たようなことわざはあるでしょう。こういう人を見ると、「随分積み立てたね」と言いたくなってしまいます。

まずは、卒業、おめでとう。これからも頑張ってください。

日々是好日  
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晴れ。今日は卒業式です。

2019-03-12 08:29:04 | 日本語学校

晴れ。

今日は卒業式。みんなの門出を祝福するように、空は晴れ渡っています。昨日の雨のおかげで、空気も清々しい。

昨日、授業の時に、ネパールの学生、「○○さんは、きれいな服を着てきます」。言外の意は、自分も着たい。慌てて「あなたたちは、来年ね。今年はだ~め」。また、あるインドの学生(卒業生です)、「私はこの服を着ます」と、前に来た時の写真を見せてくれました。「あ~あ、明日の楽しみがないじゃないの」と、まあ、言いたかったけれども、怺えて、「楽しみね」。またまた、ある学生「先生、ダンスは?」。大声で「ありません!」

彼等の国では、結婚式でも、パーティ(謝恩会や茶話会くらいのものでしょうか)でも、どうもダンスというやつが付きもののようで、一年生など、それを期待して待っているかのような気配がします。とんでもないと、早速、打ち消しにかかります。

睨みを利かされているからか、普段はいい子ぶりっ子している学生達も、こと、卒業式などとなって来ますと、すぐに地が出てきます。楽しみたいのでしょう。けれども、日本の卒業式の主役は卒業生であり、残る学生は、彼等に奉仕するのが務めなのです、卒業式だけはね。そして、来年は、彼等がそうして面倒を見てもらえる。つまり、順繰りにやってくるのです。

学生達が、あまりよくわからないことの一つに、「先輩の○○さんによくしてもらったから、自分が先輩になったら、後輩に、同じようによくしてやらねばならない」という考え方。○○さんにお返しではなく、それと全く関係のない人に、どうして自分がよくしてやらなければならないのかと言う人もいて、なかなかすんなりとは理解出来ないことのようです。

これは、現代では、ある意味、日本の会社や学校などの組織において、伝統を作っていくためのやり方なのかもしれません。そうやって様々な組織で伝統は作られ、引き継がれていくのでしょう。

学生達にはこういうことも、少しずつわかってもらいたい。伝統がなければ、行き当たりばったりの、その場しのぎの組織となってしまいます。卒業してからも懐かしむこともなければ、行ってみようという気にもならないでしょう。

そういう意味からも、学生達には、卒業してから学校に来た時に、彼等が(ここに)在学だった時のこと、そして今(何をしているか、どういう状況にあるか)を語ってもらう。

これは在学生にとっても、自分の輪から抜け出せるために必要なことですし(同国人などの枠から離れられない人も少なくないのです)、自分の将来について考えを巡らす助けともなる。

せっかく異国に来たんですからね。いつまでも自分の国の尾っぽをつけているんじゃない。まずは自分の目で日本を見るべし。そして自分で考えてみるべし。そのためにはその地の人と語り合うべし。語り合えるような人を見つけるべし。みんな若いんだから。

私たちはそのために、何かをしていると思うのですけれども。もちろん、日本語を教えることを通してですけれども。

日々是好日
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同じ留学生でも、生活力のある人と、おっとり型の人とがい、こちらの説明も自ずから違ってきてしまいます。

2019-03-08 07:55:40 | 日本語学校

晴れ。

どこまでも、青空…。けれども、この青空、「春の青空」のように、優しくはありません。青の中に、どこかしら黒が混じっているような、そんな厳しさがあるのdす。「西高東低」で、寒気が下りているからかもしれません。昼には気温も上がるそうですが、今は、寒い。

数日前、学校の玄関先で、近所の老婦人に、話しかけられました。数年前、(この方が)散った「サクラ(桜)」の花びらを掃いていたのがご縁で、時々話をするようになったのですが。なんでも、マンションの庭先で、「フキノトウ(蕗の薹)」が芽吹いたとか。「けれどもねえ」、その方の弁です。「蕗味噌を作りたいのだけれども、たったあれっぽちじゃ、できないわ」。「蕗味噌か…」。聞いているだけで春の香りがプンプンしてきます。とはいえ、私は苦手。はいはいと聞きながら、話を合わせていくのが精一杯…でした。

さて、学校です。

新しいアルバイトが見つかると、途端に、今までのアルバイトを辞めてしまう学生がいます。これはちょいと危うい。もちろん、夜の工場のバイトでつらかった、早く辞めたかった。そんなとき、レストランのバイトが見つかった。これ幸いと「辞めてしまおう」と考えてしまうのもよくわかるのですが、小さな店の場合、店長のやり方や、その人の性格、また同僚達の雰囲気など、性急に判断してしまうと、後でつらくなってしまうことがあるのです。

前のバイトの時間を少なめにして、新しいバイトを少しずつ始めて見る…というのが、賢いやり方だと思うのですが、新しいバイトが見つかると、それっとばかりに辞めてしまい、後悔するという人が後を絶ちません。

これも、日本語のレベルが低いと、夜中の工場のバイトしか見つからないので、(昼間眠くて授業に身が入らず、従って)なかなか日本語が上達しないということから来るのです。

日本語さえ、ある程度出来ていれば、(今は、バイトの口はたくさんあるのです)バイト探しに困らないと思うのですが。

昨日も、午後のクラスで、そういう話をしていると、「ちょうど今、それで困っている」という学生が出てきました。で、聞くのです。「ラーメン店でアルバイトしてもいのか」

…困ったなあ。工場は安心して仕事が出来るけれども、飲食店ではどう選んでいいのかわからないらしく、「おでん屋にもお酒が置いてあった」、「ラーメン店でもお酒を飲んでいる人がいた」、「ファミリーレストランにもお酒があった…」ということで、身動き取れなくなったのでしょう。

なにせ、「N3」を受けなければならないというのに、まだ他の人達に比べてかなりヒアリング力に劣っている…。

どうも、…困ってしまいます。禁止されていることでも、金になると思えば、シャカシャカとやってしまう人が多かった以前の学生に比べ、どこかおっとりとしていて、「こんなことじゃ、日本での留学生生活はやっていけないぞ」と、どつきたくなってしまいます。

で、今は、週に昨日の一時間だけ…。新しいレストランで、「週に二回と言われたから、すぐ前の夜のバイトを辞めた。すると、昨日行ってみたら、一時間だけと言われた。どうしよう…。」

まあ、「日本語が下手だから」(話せなくても構いませんという話だったのですが)とか、(必死に募集をかけて、その結果)人手が余ったからとか、いろいろな理由があるとは思いますが、あまりそういうことをしてしまうと、もし、人が足りなくなった時に、「あそこを信じて、失敗したから」などという噂が広がってしまい、困ることになりはしないでしょうかしらん。お店も生き物ですからねえ。

というわけで、「ラーメン店もOKです」というと、ちょっと安心して、友達に聞いてみる…。まず、あれこれ考える前に、聞いてよ…です。周りがピーチィクパーチク騒く女子ばかりであるが故に、彼のおとなしさは目立ちます。

日々是好日
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「お酒が置いてある店で、アルバイトしても、いいの?」「普通のレストランです。大丈夫」

2019-03-07 08:43:49 | 日本語学校

小雨。

傘を持たぬ人を見かけたが、失敗の始まり。これで行けると踏んで、階段を降りて、外へ出た途端、少々後悔しました。かといって、引き返し、三階まで戻り、傘を取って、また降りてくる…のを思えば、それはこのまま行くしかありませんね。

ということで、今朝も自転車で来ました。濡れると、コートがだんだん重くなってきます。自転車に乗っていてもそれは感じられます。あの、傘を持たずに歩いていた人は何だったのでしょうね。期待が生んだ幻だったのでしょうか。

今日も、一日中、気温は上がらないとか。13度から8度の間。雨は、一旦止む。けれども、帰宅時間ごろにまた降り始めるであろう雨は、寒気を伴い、ぐっと気温が下がるとか。しかも、雷様をお連れするかもしれないというのが、ちょっと怖いですね。季節の変わり目は、天気予報から目が離せません。

さて、学校です。

「Dクラス」の学生。一人を叱ると、途端にいい子になって、「私は真面目です」をアールし始める学生がいます。「そっちは、今は見ていない…」と言うのも何ですから、知らん顔をしていると、「おっ、嵐は止んだか」とまた首をもたげてきます。空気を読みすぎるというのも困りものですけれども、次を予測出来るというのは、生き残る一つの術ですね。

次が見えない学生は、だいたい何を注意しても、わかりませんし、こちらの意図も汲み取れません。だから、落ちていくのでしょう。

前の学生(前年とか前々年というわけではありませんが)達は、おかしなプライドから来るのか、変なくさみがあったのですが、最近の学生はそれがあまり感じられません。ベトナム人は元々そういう人達ではなかったし、この2年ほどで、急に増えていたネパール人もそうです。

これは、ある意味楽です。そのまま、今のままを納得させればいいのですから。ただ、ベトナム人の場合は、ヒアリングが悪いからか、相手を理解しようとする努力があまり見られません。時々、「そんなこと、こちらは全く言っていないじゃないの」と思いたくなるような反応を示す人がいます。

何を言っても、「勉強はしています」と言うのですが、こちらが問うているのは、勉強をしているかいないかではなく、授業中、私の言っていることがわかるかどうかなのです。それなりに、国で勉強してきているので、基本はわかっているのでしょう。けれども、来日後の勉強は?私が訊いているのはそれなのです。

聞き取りにしても、(こちらに)わからないように見て書いている。こちらが教科書通りでなく、一部分を変えて言っても、気がつかない。時には言っていない行まで写してある。私は、(私の言葉を)聞きながら、漢字の部分はそれを書こうとしている学生中心に進めていますから、待ちが長くなることもあります(あらかじめ、「聞き取りの)場所は言ってあります)。いくら長くなろうが、漢字を思い出し、それを書こうという姿勢は得がたいのです。下手に早く言ってしまうと、もう全部「ひらがな」になってしまいますから。漢字を書く時間と言うよりも、思い出す時間といった方がいいのかもしれません。慌てるとスムーズに出てきませんし。特に、非漢字圏の学生にとっては。

それにひきかえ、何度言っても、見て書く人は、思い出そうとか、意味を考えようとかいう努力をしません。無駄だから写すなと言っても、もう習慣なのでしょうね、平気です。一度取り上げたことがあるのですが、これも無駄でした。で、苛つくのです、こちらは。そういう学生が少なくなってきたから、よけいにそう思うのかもしれません。前の残りがまだいたと言うふうに。

できる人が多い「Dクラス」で苛ついた後、午後のクラスに行けば、ホッとします。言葉の勉強が少々苦手な人が多いのですが、それでも態度に真剣さが見られるので、楽なのです。まずは、話が出来るようになること、日本語を使うことに怖じないこと。それを繰り返して行けば、聞き取りの能力も上がり、こちらの説明も判るようになります。

で、このクラス、昨日、お酒の話になりました。ネパールの学生が言い始めました(最初は私かな?)。
「男の人は呑んでもいい、でも、女の人はだめ」と言っていたのが、「家でお酒を造っている。呑んだことある」に変わり、だんだん話が面白くなってきました。

「どこの家でも造っている」「神様にあげる」「お祭りのため」「でも、ヒンズーはだめ」「お酒はヒンズーはだめ」「豚肉と牛肉はだめ」「ブタは大丈夫」「いえ、だめ」「肉はだめ。全部だめ」

クラスには、ヒンズー教徒もいれば、イスラム教徒もいる。ネパール仏教と彼らが言う仏教徒もいる。キリスト教徒もいるかな。だんだん、どの宗教がなんで、こんなだというのが、わからなくなってきます。でも、彼等、分たちの宗教のことを話すのがとても楽しいらしい。

と、一人のネパール人が、「先生、お酒があるお店でアルバイトしてもいいの?」

どうも、学校の近く(駅の近くです)の海鮮レストランのことを言っているらしい。お酒が置いてある店でアルバイトをしてはいけないと、ネパール人の友達に言われ、一度、面接に行ったけれども、(そこで)していいかどうか悩んでいたらしい。

「暗いお店とかは、だめだけれども。そこ、普通のレストランでしょ。子供も食べに来るでしょ。大丈夫です。スーパーとかが近くにある、窓の大きなレストランですし」。

ホッとしていました。どうも、ネパールの人も、「お酒を置いてある」というのに、ドキッとしてしまうようです。彼の場合は、ヒアリングもよくないし、話せないので(周りの女子が、先にパッと言ってしまうので)、何か一言言わなきゃと、頑張って言い出そうとしても、結局言えずじまいになってしまうのです。でも、それで文句を言うでなし、困ったような顔をして終わりになっていました、人がいいのでしょう。だから、とにかく、話さねばならぬ、自分でという環境が必要になってくるのです。

おずおずと質問してきましたから、きっと自分でも、一人でどうにかしなきゃ(話さなきゃ、頑張らなきゃ)と思っていたのでしょうね。だから、レストランで働きたかったのでしょう。でも、お酒が…で、困っていたのでしょう。

気にせず、すぐに訊いてくれていたら、悩まなくてすんだのに…。

日々是好日
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どのクラスで勉強した方がいいか、こちらから示しても、その意味がわからないと、大変かなあ。

2019-03-06 12:00:08 | 日本語学校

曇り。

午後、一度パラリと降るかもしれないとの予報が出ていました。本格的な雨は夜かららしいのですが、多分帰る頃までは大丈夫…かな。

各地で行われる、恒例の「桃(モモ)祭り」は、もう、関東北部までやって来ているようです。関東は「モモ」よりも、「ウメ(梅)」のような気がしていたのですが、この頃の「花祭り」というのは、なんであっても喜ばしいもの。花が人を集めるというのも、宜なるかな。

「南国の人は色を意識しないけれども、北国の人は、赤などの色を意識する」というのを聞いたことがあります。つまり、「心」で。花々が咲き、山に緑が戻る「春」を待つ心からであるらしく、雪に覆われ、静かさに包まれる冬が長いことからきているのでしょう。

南では冬でも緑の木々が雪に覆われて見えなくなることはありませんし、花もチラホラ咲いていますから、それほど「色」を恋しがる心は生じようもなく、反対に、「雪」の「白」を夢見たりするくらいです。雪国の人が、「雪は本当に嫌だ」と言っているのを聞いて、驚いたことがありますもの。

なぜか、最近、
「閻王に 舌を抜かれて 是からは 心のままに うそも云はるる」
                            (無舌居士…三遊亭円朝)が、心に浮かんできて困ります。別にうそを言いたいわけではありませんが、舌を抜かれたら、話せないだろうにとか、バカな空想ばかりしているのです。これがしょっちゅう、浮かんでくるので困ります。もっとましなことが浮かんでくればいいのですけれども。

さて、学校です。

昨年、来日した学生達。卒業までに、「N3」は、皆に取らせたい。できれば、卒業まででなく、7月の試験時に。そう思いながら見ていくと、現「Dクラス」の学生達の中にも、数人、このクラスでは無理なんじゃないかと思われる人がいるのです。彼等は午後のクラスに行くなどとは全く考えていない(それが不思議なのです。平気でカンニングするのも、おそらくは、それと同根なのでしょうけれども)ので、こちらとしても、下手にクラス替えして、勉強に意欲がなくなっても困る…ので、どうも切り出しにくいのですが。

一番いいのは、自分から言ってくれること。しかしながら、「(N3に)合格したいから、もう一度やり直したい」というのは、ある程度、勉強の習慣がある人にして、初めて言えることのようで、ここにいても無駄ではないかという疑いすら抱いてはいないのでしょう。

一人は、午後のクラスへ、できれば積極的に行かせたいのです。午後のクラスで、毎日(N3文法を)繰り返しやっていれば、「N3」くらいなら、どうにかなるかもしれません。真面目なのですが、ヒアリングに難があるからか、それ故の発音に難があるからか、日本文が覚えられないのです。多分、単語を覚えるのも苦労していることでしょう。ただ、毎日頑張っているので、わずかずつですが、レベルは上がってきているようなのです。これは、他の教員の話からもわかります。

それなら、毎日「N2」の文法の暗記をするよりも、「N3」の文法暗記をさせた方がいい。

「レベルが下」と言いましても、このクラスは8人くらいで、目がいき届き、授業時間内に、一人一人といろいろな話が出来ますから、このクラスに移ってきた初めは、話せなかった人も、今は、少しずつですが、話せるようになっています。質問もよくするようになり、彼等の言うことが時々わからないこともあるのですが、その時は、他の学生達が、手伝おうと、一生懸命日本語で説明してくれますから、自然と皆の日本語のレベルが上がってきています。教科書外の勉強です。それになにより、女子学生達が積極的で、「N3に合格したい。頑張ります」と元気いっぱいなのです。

「誰にも、得手不得手はある。日本語は今は下手でも大丈夫。だって、こんなに頑張っているのだから」と言うと、途端に元気づき「私は料理は上手だけれども、日本語はだめ」とあっけらかんとして言います。で、そこで、こちらがちょいと何か言いますと、「ハハハハハハ」と笑いが起こる。

わからないと、何度でも訊きますから、それがいい。周りを意識しないところがいい。これは、(周りを)意識しないと言うよりも、お互い様という感じなのです。それに、その質問に対して、私が答えることもあれば、他の学生が言い始めることもある。その時は、(言い始めた)その人に言わせておきます。間違えたら、その時正せばいいことで、「話し始めた」ということの方が大切なのです。

聞き取りがある程度出来なければ、「N3」くらいのものであろうと、授業は成立しません。教師が勝手にしゃべって、それで終わり。これではアルバイト先に日本語の勉強を任せてしまうようなもの。

このクラスでは、まずは言葉の「やりとり」に、不安を抱かせないことから始めています。「私は日本語がへたァ」
「うん、下手です」
「センセ~ェ」
「だから、勉強しています。大丈夫、すぐに上手になります。去年の○○は、本当に下手でした。でも、どうですか。今は?」
「まだ、ヘタです」
「そうですね。頑張りましょう」

これで、誤魔化されてしゃべってくれるので、とてもうれしい。臆せず話すという習慣が出来てきたような気がします。

だいたい、外国人なんだから、「日本語が下手で当然」それくらいの度胸で行け、行け、行け、ドンドンなのです。

それが、午前のクラスは違ってきます。できれば、「N1」を取りたいという人が、4,5人はいますから、知識面においてかなりのものを入れていかなければなりません。文法のみならず、非漢字圏の学生は漢字の面でも、漢字圏の学生に後れを取っていますし、それを用いての文章読解となると、時間がかかってしまいます。問題集なんどもやっていかなければならないでしょう。

専門学校に行くために、どうしても「N3」に合格したいというのとは違ってくるのです。

でも、どちらにしても、楽しいのがいい。「聞き取れて、話せるから、楽しい」もいいですし、「知識が増えて、出来ること、わかることが増えて、楽しい」もいい。本当に、楽しさは違っても、楽しければいいのです。こちらもその方がうれしい。

日々是好日
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「読解」ねえ、「読解」の授業じゃなくてもいいのじゃないかしらん。

2019-03-05 08:43:44 | 日本語学校
晴れ。

今朝は、昨日とうって変わって、きれいな青空が広がっています。道を変えて自転車を走らせていると、あるお宅の庭に、満開の「ジンチョウゲ(沈丁花)」の花を見つけました。きれいに丸く刈られた枝に、それこそ目一杯花をつけていたのです。学校の花はまだ隙間ばかりだというのに。いまだに遠慮がちに、ほんの少し小花が開いているだけですのに。

昨日は、一日中、寒かった。けれども、今日は、朝はやはり余寒が感じられたものの、お日様が出ると、ぐんぐんと気温が上がり、15度ほどにはなるそうな。私などこれを聞くと、「サクラ(桜)」を思うより先に、目の前に花粉がちらつき、ゾッとしてしまうのですが。恐ろしいことに、お天気の悪かった2日分が加味されて、今日は3日分の花粉が飛び散るのだそうな。飛び散ると言うよりも襲来でしょうね。クワバラクワバラ…。

さて、学校です。

「読解」の指導は難しい。20歳近くまでそれほど本を読んでいない(読むのは教科書くらい)人達に読み取りを指導するのは難しい。問いを発すると、「そんなこと、訊かれたことがない」などと、却って戸惑われてしまう。もちろん、一クラス(20人ほど)に一人か二人はこちらの質問に答えられはするものの、答えられる人だけを相手に授業は進められませんし。だいたい、読解の鍵は答えられない人にあるのです。(漢字圏の学生は除く)。

しかしながら、非漢字圏の、それほど、こういう質問に慣れていない学生にとっては、簡単な質問であろうと、案外、難しいもののようです。簡単だから、答えられるであろうなどと高を括って、微笑みながらやってしまうと、ガーンと一発食らわされてしまう。

いったい、どこが、どうわからないのか、どうやって説明していけばいいのか、…ということころで、こちらとしても、腹を括らねばなりません。

例えば、「Aに対してB」という一文が、長くはない文章中にあったとする(このAが「それ」である場合)。この「~に対して~」というのが、「対比」を意味することは既習であるし、「対比」という言葉の意味も確認済み。では、「何と何が対比されているのか」と訊くと、とんでもないところを読み始めてしまう。一人が読み始めると、あっちでもこっちでもいろいろなところを読み始める。答えの片鱗でも窺えれば、そこをついていくのだけれども、「そりゃあ、関係ないよ」という部分ばかりなので、もう一度仕切り直す。

下手をすると、答えが出ても、誘導尋問されて出たような感じになってしまうのです。これが辛い。

「Aに対してB」。だから「B」から見ていく。主語と述語の面から見ていくと、少なくとも、「B」はすぐに正しい答えが出てくる。では、「B」の文の主語を聞き、「その対比となると?」そう聞いてみる。すると面白いことに、この「主語」のいわゆる単語に引きずられて、「連想ゲーム」の答えみたいのがズルズルと出てくる。

そこで、「読め」、「頭で考えるな」、「勝手に考えるな」をまた叫ばねばならない。

彼等は、一度本を読むと、それで終わりなのです。理解するために、数度読まねばならぬことがあるということが習慣として訓練されていないのです。一度読むと、すぐに本から目を離し、わかったような気になってしまう。すると、時々、別の世界の文章を読んでいた…ような人も出てくるのです。「そんなこと、書いてあったっけ」と私が不思議に思うような。ある意味、発展させていけば、それも面白いのですが、一応、「それはもっと後のこと」…とは、言いたくても、言うべきではないので言わないのですが。

つまり、まずは「正確に読んで、意味を掴む」というのが苦手な人が多いのです。

もちろん、彼等の能力が劣っていると言うことではありません。彼等と問答をしていると、こういうテストの答えとしては正しくはなくとも、別の意味で、文章の世界が広がっていくような気がすることもあるのです。

今、読んでいるものに固執することなく、ドンドン別の意味になっていく。もしかしたら、人のデマとか、噂とか、そういうものが簡単に発生していくのは、こういうことではないかとか、ちょっと読解の授業からは外れるのですが、外れたなりに面白がっていたりする自分がいるのです。

本当に、これはこれで面白いこともあるのです。もし、日本語能力試験なぞに参加せずに済むのなら、これで話を発展させていってもいいのじゃないかなんて、思っている自分に気づいたりするのです。

もしかしたら、邪道ですかしらん。

日々是好日
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