曇り。
今日は「中秋の名月」…の日。朝は曇っても、昼になれば晴れて、夜はお月見ができる…といいな。
晴れが続いていた頃、月の光が「皎皎」と言う言葉そのままに冴え返っていた…。やはりお月様は違いますねえ、そんじょそこいらの「光」とはわけが違う。人の心を虜にすると言われるだけのことはある。
子供の頃は「月影」ならぬ、「月の影」ばかり見ていたような気がする。昼間の影とは趣を異にし、全くの別物。それに惹きつけられて、外を歩くということも合ったような気がする。それなのに、家の中に一旦入ってしまうと、今度はこの「影」が怖くてたまらなくなる。不思議ですねえ。同じ「月の光による影」なのに。
さて、学校です。
「A・Bクラス」では、やっと『中級から学ぶ』が終わり、今日から『上級で学ぶ』に入ります。「日本語試験」のために、『中級から学ぶ』の前にも「読解問題」を入れ、その途中にも入れ、そして、今は「面接準備」なども入れていましたから、最後の方は大急ぎでさらっと流すくらいになってしまいました。中級はあくまで中級ですから、それほど難しいわけではない。
しかしながら、本当に、指示語が指すものやら、内容の理解やらが苦手な面々です。「問題集」での答えは、大体合っている(四択か三択です)のに、こういう(内容の)問いかけには、「シーン」。中には文章を小さな声で読んでいる人までいる。答えの箇所に至ったら、先生が「そう」と言ってくれるとでも思っているのかしらん。人生、そんなに甘いはずがない。(私)「まだ考えているの。もう授業、終わってしまうよ」が癖になってしまいました。
だいたい、いつも、一人か二人くらいから、誘導尋問めいたことをしているうちに答えが出てくるものなのですが、このクラスでは「答え」に肉薄する…ほど近づけて、ヒントを出していかないと、出てこないのです、それらしい答えが。単語や文法は覚えられても、慣れないのかな、こういう質問が。
コロナ禍前ですが、「面接」の準備をしていたとき、「どうして」を連発して考えさせようとしている私に、業を煮やして、「そんなこと、考えたことがない!」とぶち切れた学生がいました。
なんてことはない、簡単な問いだと思ったのですが。昨日もそう。
「どうして日本に来ようと思ったのですか」
「科学が発達しています」
「他にも発達した国がありますね。どうして日本なのですか」
「…」
別に狙い定めてというものではなく、一人に聞くと、お決まりの答えしか返ってこない。じゃあと、数人に当ててみると、これまた「シーン」。
埒があきませんから、次々にヒントを出していく。車が好きな学生には、「日本車が好きだと言ったでしょ」と水を向け、「日本車が好きだったから云々」を引き出していく。
自分の事でしょ。自分と日本との関わりから考えていけばいいのに。従姉や兄弟が日本にいれば、その関係から。料理が好きなら、日本料理のことを話せばいい。
こういうことを考えたこともないし、そういう問いかけを受けたこともない。だから、具体的な言葉が出てこないときに繰り返される「なぜ」「どうして」にぶち切れる人がいるのでしょう。
ただ現「A・Bクラスは」は高校を卒業してすぐの人が多いから、ぶち切れることはなく、困ってしまうだけなのですけれども。
自分の言葉で自分のことを話せばいいのです。偉そうな言葉でもないし、紋切り型の言い方でもない、自分だけの感想。面接で求められているのは、それでしょう。
日々是好日