日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今日は中秋の名月の…日です。お月見ですね。

2023-09-29 07:41:15 | 日本語学校

曇り。

今日は「中秋の名月」…の日。朝は曇っても、昼になれば晴れて、夜はお月見ができる…といいな。

晴れが続いていた頃、月の光が「皎皎」と言う言葉そのままに冴え返っていた…。やはりお月様は違いますねえ、そんじょそこいらの「光」とはわけが違う。人の心を虜にすると言われるだけのことはある。

子供の頃は「月影」ならぬ、「月の影」ばかり見ていたような気がする。昼間の影とは趣を異にし、全くの別物。それに惹きつけられて、外を歩くということも合ったような気がする。それなのに、家の中に一旦入ってしまうと、今度はこの「影」が怖くてたまらなくなる。不思議ですねえ。同じ「月の光による影」なのに。

さて、学校です。

「A・Bクラス」では、やっと『中級から学ぶ』が終わり、今日から『上級で学ぶ』に入ります。「日本語試験」のために、『中級から学ぶ』の前にも「読解問題」を入れ、その途中にも入れ、そして、今は「面接準備」なども入れていましたから、最後の方は大急ぎでさらっと流すくらいになってしまいました。中級はあくまで中級ですから、それほど難しいわけではない。

しかしながら、本当に、指示語が指すものやら、内容の理解やらが苦手な面々です。「問題集」での答えは、大体合っている(四択か三択です)のに、こういう(内容の)問いかけには、「シーン」。中には文章を小さな声で読んでいる人までいる。答えの箇所に至ったら、先生が「そう」と言ってくれるとでも思っているのかしらん。人生、そんなに甘いはずがない。(私)「まだ考えているの。もう授業、終わってしまうよ」が癖になってしまいました。

だいたい、いつも、一人か二人くらいから、誘導尋問めいたことをしているうちに答えが出てくるものなのですが、このクラスでは「答え」に肉薄する…ほど近づけて、ヒントを出していかないと、出てこないのです、それらしい答えが。単語や文法は覚えられても、慣れないのかな、こういう質問が。

コロナ禍前ですが、「面接」の準備をしていたとき、「どうして」を連発して考えさせようとしている私に、業を煮やして、「そんなこと、考えたことがない!」とぶち切れた学生がいました。

なんてことはない、簡単な問いだと思ったのですが。昨日もそう。
「どうして日本に来ようと思ったのですか」
「科学が発達しています」
「他にも発達した国がありますね。どうして日本なのですか」
「…」
別に狙い定めてというものではなく、一人に聞くと、お決まりの答えしか返ってこない。じゃあと、数人に当ててみると、これまた「シーン」。

埒があきませんから、次々にヒントを出していく。車が好きな学生には、「日本車が好きだと言ったでしょ」と水を向け、「日本車が好きだったから云々」を引き出していく。

自分の事でしょ。自分と日本との関わりから考えていけばいいのに。従姉や兄弟が日本にいれば、その関係から。料理が好きなら、日本料理のことを話せばいい。

こういうことを考えたこともないし、そういう問いかけを受けたこともない。だから、具体的な言葉が出てこないときに繰り返される「なぜ」「どうして」にぶち切れる人がいるのでしょう。

ただ現「A・Bクラスは」は高校を卒業してすぐの人が多いから、ぶち切れることはなく、困ってしまうだけなのですけれども。

自分の言葉で自分のことを話せばいいのです。偉そうな言葉でもないし、紋切り型の言い方でもない、自分だけの感想。面接で求められているのは、それでしょう。

日々是好日
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「できないからもう一度やった方がいい」。できないという自覚がないから、ショックを受けるのかな。けれども、漢字も書けないし、文法も「理解」できているとはほど遠い。やり直した方がいいのにな。

2023-09-28 08:13:04 | 日本語学校
曇り。

今朝は、辺りが、うっすらと霞がかかったような感じ。周りがぼんやりとしています。数日涼しげな日が続いた日の朝。学校の玄関を開けた途端、中からムワッとした風が押し出されてきましたっけ。外は涼しくて、なかはムワッ。ところが昨日今日と、朝は、全くそんな感じがしません。外も中も、「酷暑」の候は過ぎ、同じように生ぬるい「暑さ」だからでしょうね。

さて、学校です。

一昨日、初めて教室に入ったタイ人男子学生。昨日は、お隣のタイ人女子学生と一緒に、「七月生」クラスの教室の後ろに座り、同じように「ひらがな」「カタカナ」の練習をしていました。「甘く見ていたな」と、一昨日はきつめに対したのですが、それでも、まだ日本語が全然わからないので、(きつさにも)限度がありました。来週からは、「十月生」クラスが始まりますから、そうすると、もっと大変であることが判るでしょうね。「ひらがな」「カタカナ」では終わりませんから。見て書けても、「それが何じゃい」ですもの。

まずは、「あいうえお」を覚える。「ソラ」で言えるようになってからが「なんぼのもん」になるのです。見て書いて、「はい、書けます。すごいでしょ」とはならないのです。わかるかな。他の留学生は皆、最低でも「ひらがな」「カタカナ」は諳んじて来るのですから。

以前、同じく大卒者で、フィリピンからの男子学生がいました。彼のふるさとの島には日本語学校がなかったので、日本語に関しては「ありがとう」「さようなら」くらいしか認知していなかった…。来日後は大変でしたね。『みんなの日本語1』クラスの簡単な読解問題が解けない。じっと見つめているので、(彼が白紙で来たことは知っていましたから)、気を遣おうとすると、「大丈夫。先に進めてくれ」みたいな態度をとる。もちろん、一年いるうちには、他の人たちには追いつけたのですが。

『みんなの日本語1』で、飛ばせないで、いつ飛ばすと、こちらは考えていますから、「今週中に、少なくとも「ひらがな」「カタカナ」は、書け、覚えておかなければ、皆について行けません。おそらく、母国では成績もよく、それほど困ったと言うことはなかったのでしょうが、日本では、最初「お尻に火がついた」ような状態で頑張るしかありません。

見ている私は、「自業自得じゃ」みたいな気分でいるのですけれども。だいたい来ることが判っているのに、何もしなかったなんて、信じられません。困ることは判っていたであろうに。タイは親日国の一つであるし、タイを訪れる日本人だって多い。ということは、勉強できる環境にあったわけですから。

まあ、せいぜい気張ってください。

で、今度は「四月生」のクラスの方です。クラスを移るということで、ショックを受けている二人のこと。自覚がないのです。

一人は、いろいろな口実でここから出ようとしない女子。もう一人は、必死にこのクラスにしがみつこうとする男子。スリランカではこういうことは慣れていないのだろうか、何か問題があるのだろうかと、なぜでようとしないのかがわからず、考えてしまう私。とはいえ、もう「N3」の勉強に入っていますから、判らないのに、無理して居座っていても、意味はありません。

女子の方は、『みんなの日本語』時代に休みが多かった。ポコン、ポコンと穴が開いているのに、それで、どうにかなると思っている。甘く見ていますね。休みが多いと、こちらが毎日繰り返している復習(三課分)に引っかからない。当然のことながら、ついて行けない。特に漢字はいまだに、漢字には見えない文字を書く。形の説明をしていた時に、休んでいたのでしょう。この二人以外は一人を除いて、きちんと形がとれているので、それが判ります。

ただスリランカ人はヒアリングがいいので、判った気分になっているようにも見える。でも、二人とも漢字が書けないし、読めないから、「N3」は無理でしょうに。

男子の方は、これまでにも、(判っていないことがこちらにもすぐに判ったので)、幾度となく、「七月生」のクラスができた段階で、移るように勧めたのですが、すぐにくら~い顔になってしまう。最初の頃は、「まあ、いいか。これほど嫌がるのなら、まだ、簡単だし(本当は一緒に学んだ方が早く慣れるのでいいのですが)」と見逃していた…。しかしながら、動詞の活用を学ぶ頃になると、そうは言っていられない。「そろそろいいでしょう」とまた勧めてみた。すると、その時間中、授業にならない。半べそ状態になってしまう。

どうしてこんなにショックを受けるのだろう。その方が自分のためになるのに。「七月生」のクラスには、同じ学校出身の学生が三人もいるのだから、互いに助け合えるだろうにと、ショックを受ける理由がわからないから、却って困った。

そして、昨日。とうとう授業に入っていないスタッフが乗り出してきた。なにせ「N3」の勉強に入っていますからね。「『かわいそうだ。あの顔を見ると、なかなか言い出せない』なんて言っていたら、『N3』に合格できないじゃない。『N3』に合格しないと、専門学校に入れないんだから。『N3』くらいは合格させなきゃ」と、きっぱりと「移れ」と、休み時間を利用して、言いに行った。

で、困ったのが、次の授業の教師。「一番前で泣いていた。もう授業がやりにくくてしょうがなかった。本当に困った」。

判らないで座っていてもそれで済んだのは、おそらく、彼らの国でだけ。ただ私も悪かった。勧める度に、暗い表情で半べそになるものだから、ついつい仏心を起こして、「そんなに嫌なら、まあ、しょうがないか」となってしまっていた。やはり、(顔を)見ないで、事務的にスパッと言える方がいい。近いと却って何もできなくなってしまう。

こちらの思いが汲めるようならいいのですが、それがわかるような学生ではなさそうです。おそらくは、一方的に被害者になったくらいの気持ちで、ずっといるのかもしれません。

まあ、いいのです、恨まれても。一応、「N3」に合格しておけば、専門学校探しも、少しは楽になるでしょうから。

日々是好日
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「十月生」、二人目の授業参観です。もっとも先に来ていた人はせっせと「ひらがな」「カタカナ」の練習をしていましたけれども。

2023-09-27 08:16:20 | 日本語学校
晴れ。

歩いているときには、パラパラと来ていたのですけれども、今は日が照っています。

近くの空き地に生い茂っていた「雑草(名があるのにちょっと気の毒ですが)」がきれいにというよりも、乱雑に刈られていました。坂の上にあったので、これまでは目線よりもかなり上の方まであったのに、今朝は、どこかスースーしている感じ。あれっ?で、見ると、きれいに薙ぎ倒されていた…というか、短く刈られていたり、横たわっていたり、積まれていたり…。

もう、そういう時期ですかねえと思いながら歩いていると、公園の手前のところや、公園の脇…、そこも刈られていた…。一時にやったのかしらん。虫の声がちょっと小さくなったような気がしたのですけれども…。まあ、公園の中では「スズメ」たちが飛び跳ねていましたし、虫たちも大丈夫だとは思うのですけれども。

とはいえ、虫取りをしたいわけではありません。あちらの方が勝つに決まっていますもの。

で、あれやこれや見ながらの出勤です。

学校は健在でした…。当たり前ですけれども。風にしなやかに抵抗する「草」の方が勁いのか、それともどっしりと腰を据えた大木の方が強いのか。

刈られても刈られても、大風が吹こうが、大雨になろうが、津波で塩水だらけになろうが、地震で大地が割れようが、毎年しっかりと生えてきますもの。そりゃあ、「草」ですね。とはいえ、木は大したもの。それで作られたモノもバカにはできない。100年保てば褒めそやされ、1000年保てば、宝物になるような存在になる。保てるというか、保たせられるのも、力。生かすも殺すも技術とそれに対する人々の思い。。いまだに「法隆寺」の建材は薄くそげば、木の香がすると言いますもの、実際に嗅いだことはないのですけれども、言われれば、なんとなくそうだろうと思ってしまいます。…そういうのも、長く生きた力なのでしょうね。

で、学校です。

昨日は、来日したタイの男子学生も、「Dクラス」の授業に参加。二人目の「Eクラス」予定者の参加です。先に参加していた女子学生は、第一回目の時には、懸命に聞き取ろう、(「Dクラス」学生と)同じことをしようとしていたようでしたが、昨日はもう「自分の事」をするといった感じで、せっせと「ひらがな」「カタカナ」に立ち向かっていました。

二人ともタイ人ですし、大卒なので、勘はいいだろうと思われたので、彼に、「ひらがな」は書けるかと問いかけると、女子学生の方が、さっとノートを開けて、書いた大量の「文字」(「ひらがな」だけでなく「カタカナ」もありました)を見せてくれました。男子学生、それをのぞき見て、急に不安になったらしい。「ひらがな」「カタカナ」共に「ノー」と言います。

で、授業です。女子学生の方は、「自分のこと」を、セッセ、セッセとやっていますので、聞くわけにもいきません。「Dクラス」の学生達が、こちらの言うとおりのページを開いたり、復習したりするのをわけがわからないと言った体で見ているしかありません。(私)どうしょうかなと思ったのですが、前列の学生に、「教えてやって」と言う具合に指で示しますと、慣れたもので、それからはこちらがの指示する前に、さっと後ろを見て、教えてやっています。

線を引いたりすることは、「Eクラス」が始まってからやるのでいいと言っても、もう習慣になったようで、教えてやっています。「七月生」(「Dクラス」)のタイ人女子学生がなかなか日本語が聞き取れないようなので、同じような人が来たくらいに思ったのかもしれません。彼女にもいつも親切にしていましたから。ただ『みんなの日本語』でも、二冊目に入ると、彼らにしてもそれほど余裕があるわけではなく、我が事に必死にならざるを得なくなるので、親切はいいけれども、こちらとしては、ちょっと困ったな。教えている間、教師の言葉が抜けてしまうわけですから。

ただ、「Eクラス」に来た二人は、多分、かなりできる。残りの「Eクラス」予定の学生達に合わせて、授業を進めていっても、多分追いつけるでしょう。高卒者は、「N5」に合格してから来ることになっていますので、『みんなの日本語』一冊目は、もちろん、様子を見ながらですが、それほど丁寧にやるつもりはないのです。飛ばせるところは飛ばしていくつもりです。「十月生」は「四月生」に比べれば、かなり不利ですから。。

彼も、最初の日は、あっち見こっち見していても、多分、二日目からは、「ひらがな」と「カタカナ」に精を出すことでしょう。授業が終わってから、彼のところへ行き、「ひらがな」「カタカナ」と言いますと、頑張るという仕草をしましたから。

昨日の「Dクラス」の授業では、割と早く進めたので(自分の持ち分)、初心に戻り、数やら、曜日、日にちやらの復習もやってみました。やってみると、案外時間がかかるものですね。毎日少しずつやっていたので、こんなに長かったとは思ってもいなかった…というのが本音。ほんに「ちりも積もれば山となる」ですね。サラッと飛ばしただけだったのですが、タイ人学生、その量の多さにガーンと来ていたようでした。

そりゃあ、そうでしょう。彼ら(「Dクラス」に限らず、毎年の学生達は、一週間かけ、二週間、三週間かけ、そして忘れた頃にも、こうやって復習して、覚えてきたのですから。

あとは、「Eクラス」の学生達が、順に入国してくるのを待つばかりです。最初の日に様子を見て、大まかなやり方を決め、それから一週間ほどで速度なども考えていくつもりです。「鉄は熱いうちに打て」ですものね

日々是好日
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「ハギ」の花を見かけました。「ハギ」の花を見かけると、つい「お月見」を思い出してしまいます。

2023-09-26 08:34:09 | 日本語学校
晴れ。

今朝も少々肌寒い。秋はなかなか来ないと、酷暑の九月に思っていたのに、今朝、「ハギ」の花を発見。毎年、咲かせているお宅の庭でです。あの暑さの中でも、少しずつ、枝は伸びていき、その伸びた枝に、こぢんまりとした葉がついて行き、そして、花です。一つ一つの花は地味なのですが、長い枝が枝垂れているし、密なので、全体的な印象は「ワンサカ」といった感じでしょうか。

「今年も咲いたか!よかった、よかった」です。あの暑さにやられて、「ハギ」も花をつけずに葉を落としてしまうのかと、心配していたのですが、強いですね。暑さにやられてぐったりしてしまっていた人間とは大違い。

さて、学校です。

久しぶりの「十月生」。留学生が八人(バングラデシュ三人、タイ二人、中国、スリランカ、ネパールが各一人)、それに在日の方(ネパール二人)が入って、合計10人で始まる予定です。

ネパールからの学生を除けば、タイ、中国はもう入国していますし、スリランカ、バングラデシュは、今週中に入ってくるとのこと。タイからの学生のうち、一人は、もう学校に来て、上のクラス(『みんなの日本語1』23課)の授業を聞いています。参加するとまではいきませんが、学校のやり方が少し判ること、日本語の音に慣れるという意味で、来月二日からの「Eクラス」授業に備えられます。

とはいえ、こちらは、久しぶりの「十月生」なので、ちょっと考えてしまいます。どういうやり方をしていったらいいのかなと。今年の12月に、「四月生」は「N3」、「七月生」は「N4」を受けますが、彼らは来年の七月にしかチャンスはありません。試験を受けておくというのは、慣れの意味でも役に立つのです。初めての試験は、緊張することもあるでしょうし、やはりこちらとしても不安。二度目だと、こちらもちと安心。「わかっているでしょ」なんても言えますし。

特に「四月生」の時には、ゆっくり授業を進めることもできました。「七月生」も、「ひらがな」「カタカナ」に十分な時間を割けた。しかし、「十月生」は、時間が限られているので、悠長なことを言ってられませんい。

以前から、「非漢字圏」の学生に多く見られた一つの傾向があるのです。国で適当にやって、ある程度の成績を得ていた人たちは、その尾っぽをつけて来日するのです。「日本語なんてチョロいもんだ」という感覚。「漢字圏」の人は、「文字」を大切にする。しかし彼らはそうではないのです。「非漢字圏」の学生は、「話す・聞く」ができたら、それで「上がり」と思ってしまうような傾向が、まま見られるのです。

母国での成績がよかった学生の中には、未だに(一年経っても、いざ卒業という時になっても)「漢字?難しい。わからない。面倒」で締めくくってしまう人もいます。結局は、自覚がないからそうなるのでしょうけれどもね。留学したのに、漢字がほとんど「書けない、読めない」であったら、就職するときに困るでしょうに。いくら言っても、多分「理解できない」のです。だから、やらない。

覚えようとしなければ、「文字」は身につきません。覚えるためには、面倒な「書く作業」をしなければなりません。これで落ちてしまうのです。こういう傾向のある学生が来る可能性がかなりあるということを前提に、まず第一日目から攻めていかなければなりません。

「皆さん、よく来ましたね。仲良く、一緒に勉強していきましょう」と、にこやかにいくわけにはいかないのです。それが現「Cクラス」とは違うところ。

このクラス(Cクラス)は在日の方がほとんどで、留学生は二人だけ。しかも年齢的に少々上の人もいた。熱意は感じられたけれども、どこまで続けられるかなあという部分もありました。何せこの方達は忙しい。ということで、授業は、ゆっくり、ゆっくり。漢字も厳しいチェックは避けていた。緩くやると、留学生にとってはあまりいいことではないのですが、「四月生」だからできたと。きりは『みんなの日本語Ⅰ』が終わる頃かなあと思っていると、『みんなの日本語Ⅰ』が終わって、『二冊目』に入っても、皆まだ頑張っている(一人だけ仕事の都合でお休みすると言いに来ましたが)。さすがに「N4」漢字に入ると、軽くチェックなんてことは言ってられなくなる。途端に厳しくし始めた。

このクラスは本当に気性のいい人達が集まっていて、それでも誰も文句は言わない。「そんなもんか」てな具合で、そのまま受け入れてくれた。女性が多いと言うこともあったのでしょうし、男性陣も強面タイプなどはいなかった。皆、優しい。

復習を多くし、「その日、判らなくても構わない。二日、三日、長ければ一週間経ってそれとなく判ればいい。まず、毎日来て、続けれることが大切だ」というのも、「N3」に近づくにつれ、先細りになってきた。が、気がつかない。本当にいい人達。

一人、図抜けてできる人(留学生)がいるのですが、欲がない。言われたことはやるけれども、それほど真面目に勉強するタイプではなく、隙あらば(逃げよう)と構えているのです。好奇心は強いし、授業中だけはよく考えるのですが、そこで終わり。それが、クラスとしてはよかった…のかなあ。本当は、勉強に「欲」を持ってほしいのですけれども、クラス経営という面から見れば、助かった。協調的なのです。「皆で上手になりましょう」という感じと言ったらいいのかしらん。

さあ、今度の「十月生」はどんな感じかしらん。一週間くらいで、だいたいは掴めると思うのですが、最初は締めてやるしかありませんね。

日々是好日
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あっという間に、「秋」になってしまいました。このまま「秋」は進んでいくのかしらん。

2023-09-25 08:16:11 | 日本語学校
晴れ。

ズンと涼しくなりました。早朝など、肌寒さを覚えるほどです。夜は虫の音が三階まで聞こえるようになりました。聞こえるというより、響いてくると言った方がいいのかもしれませんが。

今年、もし、このまま「秋」が進んでいくとしたら、ちょっと、覚えのない「秋の始まり」ということになるのかもしれません。密やかにやってくるというのが「春」や「秋」の定番だったのに、劇的に「アッキー!き、た、よ!」という感じの訪いだったのですから。

とはいえ、季節の草花は、少しずつ変わり始めていました。あれほどの暑さだったのに、人には感じられないような、かすかな変化を見逃さなかったのでしょうね。

さて、学校です。

「十月生」に関する情報が教員室でもよく聞かれるようになりました。コロナ禍の頃と比べると雲泥の差。もっとも、今でもコロナは流行っていますけれども。とはいえ、未知のものに対する畏れが、幾分、らいできているのは確かなようです。現在、教員は教室ではマスクをつけていますが、学生には強制はしていません。つけた方がいいと言うくらいで、止めています。もちろん、消毒もしていますし、通気もしていますが。

学生の様子も面白い。もう一年にて、日本に慣れている「二年生」は、教室ではきちんとマスクをつけているというのに対して、一年生は、つけている人もいれば、つけていない人もいる。ただ、店や狭いところ、密閉したところなどへ行くときには、マスクをつけるようという指導はしていますが。油断大敵。なにせ、今でも、コロナ患者は、インフルエンザ患者同様、少しずつ増えているそうですから。

さて、「十月生」です。蓋を開けるまでは判らない…と言われていた「バングラデシュ」の学生が、案外すんなりと通った(彼らの国で)ようで、まずはホッとしています。前回(四月生として)なぜ落ちたのか判らない…とのことでしたので。

どの国でも、日本と同じような傾向があるのなら、問題はないのでしょうが、それぞれお国のやり方も異なっていたり、人々の習慣も違うとなれば、彼ら(の国の人)にしても戸惑って、じゃあ、こうすれば、日本は認めるかな…くらいの感じで出してくるのかもしれません(書類など)。それが、危ないこともあるのですけれども。

彼ら(この学校に留学しようとする人たち)の国の大半では、お金があったら、寝かせておくのは馬鹿だと言います。日本人のように「貯金する」ことはなく、普通は、「貸す」ようです。それと、車や金などの財産になる「モノ」を買っておくそうです(日本人は「円」を信用しているのでしょうね。カネで持っておくのですから)。つまり、銀行には彼らの金はないのです。日本人はすぐに貯蓄に回す傾向があるので、「貯金はいくら」めいたことを出さなければならない(留学する場合の書類)のですが、これは彼らにとっては困ったこと。もっとも、こう金利が安いと、日本人も変わるかもしれません。そうなると、入管の傾向も変わるかもしれません。貯金は?などと聞かれなくなるかもしれません。

そうそう、思い出しました。この「十月生」の中には二人、卒業生二名の弟がいるのですが、その卒業生曰く「弟は厳しくしないと、勉強しないかもしれない。先生、厳しくして」。「はい、わかりました。私のこと知っているでしょ」と、一応、答えておきましたが、知った上で、言うのですから、こりゃあ、ちょっとばかり気合いを入れて、タラタラできないようにさせねばなるまいと、つい、思ってしまいました。まあ、やり過ぎないように、注意はしますが。

日々是好日

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クラスを「移る」というか、それを勧めるのも、ちょっと大変ですね。あとで困るのが判っているから勧めているのですけれども。

2023-09-22 08:31:30 | 日本語学校
曇り、時々小雨。

感じられるか感じられないかくらいのポチッ、ポチッくらいでも、降っていないわけではない…。まあ、雨でしょうね。

今朝は、誰もいなさそうだったので、公園を横切ってきました。公園の中は、思いのほか、草ボウボウ…。で、思い出した…、子供の頃の公園も、夏になると、こんな感じになっていたっけ…。そんな、草ボウボウの中に入っていくと、驚いた「バッタ」が、跳ねるように飛び出してきたっけ。稀に、「トノサマバッタ」もいて、「トノサマバッタ」を見つけると、みんな目の色が変わりましたね。途端に、「ボール遊び」変じて、「トノサマバッタ」狩りとなる…。なんと言いましても、そんじょそこらの「コメツキバッタ」とは違います。大物ですからね。…と、思い出しながら歩いていると、草むらから、「スズメ」が、二羽、飛び出してきた。この公園は「バッタ」ならぬ「スズメ」の遊び場だったようです。

さて、学校です。

「クラス替え」と言いますか、「四月生」なら、「七月生」が来た時にそのクラスに、また「七月生」なら、「十月生」が来たときに、次のクラスに入って、もう一度やり直す…という時期になりました。今回もさりげなく二人に声かけしています。あくまで、「その人が納得した上で」なのですが。一人はアルバイトの都合がつかず、無理だということで移れない。もう一人はどうにもこうにも、日本語が通じないので、どう考えているのかわからない。十月生の中には同国人もいるので、少しは楽かなと思う面もあるのですが、同じようだと今度はその人達が集中できなくなるかも…という気もしてちょっと迷っています。どちらにせよ、大変は大変。本人は今でも別に苦痛ではないようなので、留学生でさえなければ、勧めないところなのですが。

こういうのは、留学生だけです。もちろん、在日の人から、「下のクラスでもう一度やりたい」と言われる場合もあります。その時は「どうぞ」です。年齢がかなり上の人もいて、二度やれば判るようになると、そう思ってい言いにくるのでしょう。また、気分転換や、友達作りのために来る人もいます。ただ、在日の人たちとは違い、留学生の場合は、移るのなら、できるだけ早く移った方がいい。「初級」のうちに移っておくと、あとが楽になります。翌年か翌々年に「進学」が控えているからです。

留学生は、日本留学のためには、一応、「N5」のテストに合格しなければならない(大卒者は別)ことになっているのですが、そうは言いましても、「本当に合格してきたの」と思われる人も…いる。これは、国によって日本語教育の力に差があるので、しょうがないことなのですが(コロナ禍の一時期は、テストが開かれなかったという国もありました)、ただ、そういう人たちが(きちんとやってきた人たちと)同じクラスに入ってしまうと、ちょっと大変…。もちろん、頑張れる人はいるのですが、みんなではありませんから。

そういう人たちにもう一度チャンスを与えるべく、クラス替えなるものがあるのですが。そういうのに慣れていない国の人もいるので、ちょっと面倒。これまで、母国では、「できてもできなくても、同じクラス。テストでも隣の人のを見て書けば、誰も何も言わない…。誰ができて、誰ができないかなんて、大学に入るまでわからない」で、過ごしてきた人たちは、どうも「都落ち」させられたみたいな気持ちになるようなのです。

こちらとしては、「よかれ」と思って勧めているのですがね。…決まるまで、落ち着きません。

日々是好日
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曇っているから静かなのか、ただそう感じられるだけなのかは判りませんが、静かであると、自然に昔のことが思い出されてきます。

2023-09-21 08:24:04 | 日本語学校
曇り。

静かです。あまりにし~んとしているので、今日は学校(近くの小学校)がないの価値らかしらんと思ってしまう。たまに、遠くから車がすり抜けるような音が聞こえてくるのですが、また、し~ん。話し声も聞こえてこない。この学校の前にも、斜め前にも、隣にもマンションはあるのに。

さて、学校です。

学生達が来て、賑やかになっていくまで、あと一時間半ほどもあります。早く来る学生にしても、それぞれ自分たちの用事(宿題やら)があるので、そう騒ぐこともありません。私たちが行ったとき、小声で何やら話していることはあるのですが、入学してすぐの頃のような、無遠慮な大声は影を潜めています。もっとも家族といる人たちは別ですね。これは変わらない。コロナ禍が始まってからは、留学生が入れなかったので、在日の人たちが多く来ていたのですが、今は、少なくなっています。

留学生のように、寮かアパート(共に近く)に住み、学校かアルバイトにいくくらいの人たちは、なんとなく自然と私たちと同じような感じになってくるようで、これが一色か二色に染められている他の日本語学校と違うところかもしれません。

以前、この学校でも、クラスのほとんどが中国人であったり、スリランカ人であったり、ベトナム人であったりした時期がありました。クラスに入っても、ほとんどが同国人ですから、ここが彼らの国か日本か判らなくなってしまうのでしょう。彼らのやり方が世界のやり方、日本は違うということ、最初の頃は、判らないのです。大半の学生は、初めて来た異国が日本なので、それは、仕方がないと言えば仕方がないことなのですが、その、「違う」ということを教えていくのも、私たちの仕事の一つ。

中国人は全体的に声が大きいですからね、遠慮がない。中国人もベトナム人も「愛国教育」が徹底しているからなのでしょう、誇りを持って○○国人であるという意識が抜けきらない。特に中国人は、無意識のうちに自分の(国の)やり方が常識だという気持ちがあるので、時々摩擦が起きる。ただ中国人であっても、他の民族であれば、他者があるということが判っているらしく、こういう問題はあまり起こらない。反対に、こちらが力づけてやらねばならぬときもあるくらい。

外国に来てまで、自分を押しつけるのは、かったるい行為で、ヤボであると言うことがだんだんに判ってくれば、まずは御の字。

反対に、当時、スリランカ人には、自分は「被害者だ」的な空気を醸し出したり、表情や態度でそう見せたりする嫌らしい部分もあって、対処に苦労したこともありました。叱ると、「自分は弱者で被害者だ」と見せるのです。実際には、こすっからいことをしている人もいたのですが。特に、仲間内で揉め事を起こしていても、こちらに言わず、また表面的には何が何だかわからないようなところもあって、どうしていいか判らず、往生したこともありました。が、慣れると、大まかに分けることができるようになりました。揉め事などを起こしそうな人を先に見ておいて、それなりに考えておけば、向こうの手には乗らずに済むというわけです。もっとも、今はそういうタイプは来ていませんね。

その点、中国人は楽でした。すぐに判るのです、自己主張をしますから。だから最初に手を打っておける。

ベトナム人は中国人を少し穏やかにした感じだったでしょうか。

あの頃を思い出すと、どの時期も、大変は大変でした。つまらないことに振り回され、勉強の面でも、どうやったら勉強するだろうかとか、勉強する習慣が端っからない人たちにどういう風に教えていったらいいのだろうかと、毎日、漢字の資料作りやら、教材作りやらに追われていました。結局、いくら作っても、覚えようとしないのですから、意味はなかったのですが。なにせ、卒業する頃になっても、非漢字圏であるとはいえ、「漢字も『一、二、三』で終わり、『四』から先がない。記憶にありません」だったのですから。まあ、その人達には徒労であっても、それ以降の人たちに使えましたから、無駄ではありませんでしたが。

今は、本当に楽になりました。教室の中に、強者(数の上での)がいないのです。だから、「ここは日本である。あなた方の国ではない」を全面に出せるのです。だって、ほとんどが違う国から来ているのですから。一色になることはないのです。宗教にしても、大きく括れば同じであっても、国毎に民族毎に違うようで、彼らからしてみれば、「あっちと同じ」ではないようなのです。

「彼らが自分たちの所」を出す前に、「日本ではこう」と全面に出せるのです。自分たちは違うと言い始めれば(最初はまだ日本語がそれほど自由に話せませんし、聞き取れませんから、言えません)、それをきっかけに、教室内の他の国の人たちにも話させていきます。すると、皆、違う。そうやって、自分たちの常識が常識ではないということが少しずつ判ってくる。但し、今、いるのは日本。まずは日本のことを知らねば、難渋するであろうということがだんだんに判ってきます。

「こっちのやり方に従え」ではないのです。判った上で、譲れない部分は、周りの人に断ってそれを通させてもらうという穏やかな態度が示せるようになる。そうすれば、自ずと、周りの人たちとの軋轢も減り、理解も得られるようになっていくでしょう。

日々是好日
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「きつく」対するだけではなく、「緩く」対した方がいい場合もあります。まあ、クラスによって…ですけれども。い場合とする必要がある場合もあります。

2023-09-20 08:26:47 | 日本語学校
晴れ。

だんだん雲が増えてきました。夕方には「雨、あるいは雷雨」という予報が出ていました。多分、そうなるのでしょうね。今はカンカンに照っていますけれども。

昨日の予報では、「『秋雨前線』が北にあるけれども、すぐに東に去りそうだ」とか、「次の『秋雨前線』は九州の方からやってきて、それから関東地方にまで伸びてきそうだ」とか言ったあとに、「季節は前進している」と来た。

もう「前進」なのです。「移ろう」とか、「虫の音に秋を感じる」や「風の音に季節を感じる」ではないのです。漢語で表された方がぴったり来るようになった…気がする。これまでは、こんなきっぱりとした言葉は日本の季節感に馴染まないような気がしていましたけれども、ここ数年の状況から見ると、こっちの方がしっくり来るみたい。もう「ほのか」とか「感じる」とかいった肌合いの言葉は似つかわしくなくなったのでしょう、日本のお天気とは。

さて、学校です。

「七月生クラス」のこと。9月18日、月曜日は「敬老の日」でお休みでしたから、土日月と学校で勉強していません。それで、単語(前の課)も忘れているだろう、「21課」は復習の時間が短かったから(昨日の前半は「22課」の二回目でした)、これも遠い存在になっているだろうと思い、「21課」の復習もしてみたのです。が、驚いたことに、スラスラと出てきました。というか、一応、ついて来られたのです。すぐに反応できたというわけではなかったのですが。

この点、現「四月生クラス」とは違っていますね。このクラス(七月生)は留学生が主なのです。「四月生クラス(在日生が主)」では、担任が入った時に毎日復習をしていても、誰かしら休みの人がいましたから、それがうまくかみ合わないこともあった。それで、週三(夏休みの前)で入っていた私も、自分の時間に「二課分」くらいの復習(必要な時は三課分)を繰り返していました。

それでも、月曜日(の前半)は毎週のように、前課、前々課(それから前に言えなかった分)の単語も、単語練習の最初は、スラリとは出てこなかった。「ウッ」と詰まってしまうのです。もっとも、真面目な人が大半なので、火曜日、水曜日と日を逐う毎に復活はするのですが、復活までに、ちと時間がかかる。

理由はわかっているので、緩く「また忘れてしまいましたねえ。大丈夫、大丈夫。繰り返しているうちに覚えられますから」と言うくらい。来られる限り、毎日、学校に来ている人たちでしたし、宿題も、数日遅れでも持ってきていましたから。

在日の人(特に働きながら来ている人)たちが多いクラスは、勢い、こちらの言い方も緩くなってしまいます。「留学生クラス」では、かなり強く言えることでも、彼らには言えません。「100%学校に来て勉強しなければならない」なんてのは、彼らに「学校に来るな」というのと同じこと。どだい、無理なことなのです。一ヶ月毎にお金を払っている彼らほど、毎日学校へ来て勉強をしたいと思っている人はいないでしょうから。

毎日の、担任の復習とは別に、前「二課分」くらいの復習を常にしておけば(私が前半の授業ですから)、少しは役に立つだろう。仕事の都合とかで、数日休んでも、どこかに引っかかるだろう。「一課分」は大体二日でやっていますから、四日分くらいの復習になります。どこかに引っかかるとしても、一回だけの「ひっかかり」だと、まだ口も動かないし、理解も十分とはいえません。担任もし、私も週三でそれに参加していると、少なくとも、二回か三回は練習することになる。二回か三回やると、「なんとなく」でも、ついてこられるようになる。少なくとも、「聞いたことがある」くらいには感じられる。

この「何となく」に頼るしかない時もある…もっとも、一ヶ月くらいもすると、落ち着いてきますから、問題はさほどない。ただ休みが増えてしまうと、どうしょうもなくなることも出てくる。それが留学生と違うところ。留学生は残して勉強させることができますが、無理をして、ギリギリで来ている彼らには、そういう時間はありません。

留学生は楽ですね。いくらでも強く言えます。宿題を提出しない人には、「どうして宿題をしない!勉強するために日本に来たんだろう!」と、強く言えますし、相手もそれは判っていますから反論はできません。

午前に「在日生クラス」で、「緩く」教えたあと、午後に「留学生クラス」で「きつく」対する…というのは時々、無理かなと思うことがあります。もう若い時のようにスイッチをパチン、パチンと素早く切り替えるのが難しくなっているのです。緩くやらねばと思っているクラスに、ついきつくでたり、厳しく対さねばと思っているクラスに、「ダラリ」となってしまったり。もうこうなると、自分との戦いですね。

本当はその都度、鏡を見て、「きつくいくぞ」とか、「緩くやるぞ」とか言って、切り替えた方がいいのでしょうけれども、鏡のある場所までいくのが億劫になっている。これまた困ったことです。

日々是好日
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「想像できなかった」が故の失敗というのは、よくあります。相手に「文章」を理解させていく上で。「こういうときはこう思うでしょう」「いいえ」つまり平行線。。

2023-09-19 09:13:32 | 日本語学校
晴れ。

朝晩、少しばかり秋を感じはするものの、まだまだ暑い。

巷では、最近、また「想定外」という言葉を耳にする機会が増えています。聞くと胡散臭さが漂ってくるものですから、「いい加減に使い回すのをやめてくれないかな」みたいな気分になってくる。

この言葉を後生大事に使い回していたのが、「福島での事件」の折りのいわゆる「責任者」たち。それ故にか、この言葉、正体不明の怪しさがつきまとって感じられるのです。言葉としてはかなり不幸。

一人が「粛々と」と言い出すと、「コイツァ、便利だ。偉そうに聞こえるし」とばかりに言語能力の劣ったとしか思われない面々が使い出す。ちょっと恥ずかしくないでしょうかしらん。おちょくるためならまだわかるけれども…。それと同じ感じ。

もっとも、この「想定外」というのは、「だから私には責任ありませんよ」というような、「(それなのに)私を非難するなんて(おまえはとんでもない奴だ)」というような、責任を潔く認めるどころか、反対に、相手に難癖をつけるような、そんな響きさえ感じられて、どうもいけません。

支配階層の「劣化」が著しいと言われ始めてから、もう数十年が経っている。この人達をどうにもできなかった一般大衆もその意味では「劣化」しているのかもしれません。が、日本はそれだけじゃない。職人さんら好きなことを徹底的にやっている人たちは「劣化」どころか日々「進歩」している。それが救い。

人は「劣化」していると言われるような道を進みたくはないもの。だから、「劣化」方面はドンドン「劣化」は進んでいくだろうけれども、「進歩」の道は、「進む」のみならず、多方面にわたり広がっていくのでしょう。人とは、元来「明るさ」を求めるものですから。

さて、学校です。

「想像もしていなかった」ようなことは、こういう異文化の中で生活しているような私たちには、多分、日本人相手の職よりも多く起こりがち。

もちろん、授業している時にも、そういうことはあります。「誤解していた」こともあれば、「お思い違いで責めていた」こともある。

ただ、授業というのは、せねばならぬことがあるので、「そういうこと」をどうのこうのすることはできないし、またそれを深掘りする間もない。「ああ、そうだったのね」で終わらせてしまうことの方が、圧倒的に多い。で、そのまま流されていくのかというと、それがそうでもない。

学校ですから、次への道、進学対策をしなければならない時が来る。その時に、それなりに「理解」できることがある。私にとってはこのときのほうがずっと役に立つ。

特に「文章」を書いておかねばならなかったり、「面接」の用意をしている時など。彼らには言いたいことがあるし、またどうしてそう思っているかも相手に理解させたい。私がそれなりの日本語にしますから。また私も彼らのそういう気持ちを理解したい。、勘違いの文章なんて書きたくはありませんから。

両者の思いがあれば、私の勘違いも正せますし、彼らにとってみても、日本人はそう思わないということもわかります。これは相互理解に役立つ。

いつもはさりげなく、ああそうなんだで終わっていることでも、日本人はそう思わないことが納得できれば、(可能な限り理由は話します)これからの日本での生活に、少しは役に立つでしょう。

また私にとっても、こういう「国」の人は、こういう「宗教」の人は、この「民族」はとか、大まかな姿が多少は見えてくる。

この学校では、現在「33人」在籍しています。「留学生」がうち「21人」。「在学生」が「12人」。「国籍」で言いますと「11カ国」。在籍している人の数に比べて、国の数の割合はかなり多い。在日生が多いと言うことも関係しているでしょう、ここ行徳は外国人が非常に多い地域ですから。現在は11カ国からなっているけれども、そのほかにも、たくさんの国の人がここで学んでいった。合わせたら、ここでどれだけの国の人が学んだかしれない。小さな学校ですのにね。

それだけ、ここにいると、いろいろな国の人たちと、日本語でコミュニケーションをとらなければならなくなる。そして彼らに対する知識が少しずつ増えてくる。もちろん、新しい国の人が来れば、まず、その国のことを調べておきます。ただそれはあくまで一般的なことでしかありません。その国の人と向かい合って初めて、判ることの方がずっと腹の底に落ちてくる。その上で、個別対応となる。同国人であっても同じ宗教を持っていても、同じ民族であっても、それぞれ考え方ややり方に違いがありますから。

もちろん、失敗もしました。それも、一つ二つではありません。ただ、ある程度の信頼関係ができた上での失敗であれば、向こうも考えるし、こちらも考える。この人はそういうことをするはずがないと。謝ればそれで終わりのことが多かった。

切迫した場面というのも、あったかもしれませんが、今は覚えていません。その失敗の一つ一つが、それからの私たちの血肉になっているような気がします。

日々是好日
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「いつ雪が降りますか」から、「どこで雪が見られますか」に変わってきました。

2023-09-15 08:32:48 | 日本語学校
晴れ。

影が伸びてきました。少し前まで、交差点の信号が変わると、カンカン照りの中で、待っていなければならなかった。細い棒の影はあっても、そこにはすでに先客がいた…。互いに目で探りを入れているのが判って、なんとなく居心地が悪かった。ところが影の面積が広がってくると、互いの距離をおいて待つことができるのです。余裕ですね。暑さは続いているにしても、お天道様の傾きは確実に変わってきたようで、秋ですなあなんて感じてしまいます。

朝、鳴く虫たちの声も、以前はか細く、はかなげだったに、今では全く遠慮していないようです。空き地などを通る時には、うるさく感じられるほど。少し前までは、「セミ」でしたから、声は降ってきました。今は、空き地の草むら、あるいは公園の草むら、建物の影などから、虫達の声が響いてきます。

そういえば、子供の頃、公園の芝というか、名も知らぬ草の上を歩くと、驚いた「トノサマバッタ」やら「コメツキバッタ」やらが飛び出して、夢中になって捕まえていましたっけ。気づけば、空には「赤トンボウ」の群れ…。

こういうものは、毎年、変わらぬものだと思っていた子供の頃。翌年も虫取りができるものだと思っていた子供の頃、夏は夕立が降るとその後は虹と決まっていたような気がします。そういうものではなかったのでしょうが。見た回数は多かった…ような気がします。

今は「ゲリラ豪雨」か「線状降水帯」。そうでなければ「強い日差し」と「暑さ」。30度超えなんて目じゃない、35度超え、40度に近づく日もある…。巷では、秋と春がなくなるかも…なんて密やかに語られている。少し前までは、「秋が短くなるかもね」なんて、余裕を持って語られていたのに…。

こうなると、自分でも少しずつできることをやっていかなければなりません。一秒でもその時を遅らせることができますように。

さて、学校です。

最近の傾向として、「(ここでは)いつ雪が降りますか」が聞かれなくなった…。彼らの国の気候からすると、肌寒さを感じるであろう秋の初め頃、期待に満ちた目で尋ねられるのが常であったのに。

やはり、この暑さが影響しているのかしらん。数年前、ちょっとばかり雪が降ったことがありました。朝もその雪が残っていて、学生達は大喜び。次の年には、降らなくて、霙か塩のように細かい雪とも見えぬものが、ちょっと降っただけでしたから、先の年に来ていた学生達は、いかにも「私たちはすごいものを見たんだぞ」と言わんばかりに、「去年、雪を見た」なんて、新しい人たちに言っていましたっけ。それも夢物語になるかもしれません、あと数年経つと。もっとも、お空のことは判りませんからね。もしかしたら、酷暑と酷寒に二分される地域になるかもしれません、日本は。

「東京は雪が降ると聞いていた」…だから、「日本留学で雪を見るつもり(ここにいても)」から、「(ここでは雪が期待できないことが判っているから)どこで雪が見られますか」という質問に変わってきた…。これも、以前の留学生達が国に帰ってから、ここで、「雪を見た」と言う人がいなくなったからかもしれません。

閑話休題。

今週火曜日から、「N3」の勉強が始まった「Cクラス」。このクラスには、「初めて日本語を勉強する(日本に来たばかり)という人」や、「長く日本にいるけれども、(日本語の)勉強をしたことがないという人」が、二人の留学生の中に混じって勉強しています(反対かな)。

特に、「初めて」の人。「ひらがな」「カタカナ」という二種の文字を習った段階で、ヘナヘナになってしまう人も時々見受けられ、そういう人達がいるクラスは要注意だったのです。一斉授業ですし、留学生もいるので、その人達に完全に合わせるということもできかね、ちょっと無理を強いたところもあったかもしれません。とはいえ、苦手意識(日本語)を持たせてしまうと、これからの日本での生活が厳しいものになってしまう。せっかく学ぼうという気になってくれたのですから、少しでも頑張ってもらわないと…と、スタッフ達は、気を遣いながら教えてきました。額の上に筋が出てきた、眉を寄せ始めた、何も言わなくなってきた…さまざまな兆候が見えたら、気分転換をさせる。まあ、いろいろありましたけれど。

そんなこんなで、みんな、どうにか頑張ってくれているのですが、「N3」レベルともなりますと、「初級」の頃のように、いつも「楽しく」とはなりがたい。ちょっと方針を変え、少しばかり厳しくしていこうかなと思っても、前の癖で、一人が失敗すると、みんな途端に楽しくなる。わっははと大笑い。そして自分も間違えてしまう。「ああ、間違えた」が、楽しくてしかたがない。まあ、今はまだウォーミングアップ中ですから、いいけれども。だんだん難しくなるんだぞと脅そうかと思っていると、そういう一人が、教室に残って、一時間以上も勉強していた。こちらが心配するよりも先に、勉強のことを考えていたのですね。結局、彼らに教えられたような気がしました。今まで通り、楽しくやりましょう。

日々是好日

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異国の言葉で、ある程度自由に話せるようになったら、楽しいでしょうね。まだ日本語学校に在籍しているような時期には。

2023-09-14 08:21:24 | 日本語学校
晴れ。

…昨日の帰りの雲もすごかった。前日の雲は、後で話を聞いたところでは、雲の下では青空が広がっていた…そうなので、まさに海に浮かんだ鯨、そのままだったのでしょうが。

昨日の雲は、下の方が、まるで砂塵が舞っているような茶色。あるはずのない荒れ山に大きな雲がかかっているようにも見えました、雲の先端は真っ白でしたけれども。お空が不安定であるというのはよくわかります。

そして、今朝。中天はきれいな青なのに、その周り、地に近いところでは、グルリと雲が湧いて見える。帰る時にはどうなっているやら。

さて、学校です。

最初はなかなか頑なに見えた「七月生クラス」。最近はよく笑うようになりました。もっとも、慣れないアルバイトで、疲れ気味(?多分。この暑さですもの)の人やら、遠距離通学(新宿に近いところから、毎日通ってきていますから)で、疲労がたまった人やら。集中力が途切れ気味。後者の場合は、今月末には歩いて通えるところに引っ越すとのことでしたから、まあ、三人中、二人は大丈夫でしょうし、残りの一人も体力がありそうだから、大丈夫かな(こちらは不安なのですが)。

そして「四月生クラス」。「七月生」クラスが開講する前、「先輩になるんだね」と言うと、「先輩」の意味が判らなかった人はキョトンとしていましたが、判った人は、「へへへへへへ」。で、日本語で、キョトンとしていた人に、一所懸命説明していた…。すごいですねえ。あの程度の日本語レベルでも、互いにコミュニケーションがとれて、どうも相手も判ったらしい…のです。日本語を習っている間に、身につけた「勘」というか、「推察力 というか、そんなものが身についたらしい。そんなものが身につけば、鬼に金棒。あとは言語だけの問題ですから。異国でもそれなりにやっていけるでしょう。

よく、外国語を勉強してる人同士、これは同じクラスとは限りませんが、その勉強している言葉で通じ合えるもののようなのです。ここでは日本語になるのですが、日本人である私には彼らの言っている意味がわからなくとも、彼ら同士は、何となくわかり合っている…それがよく判る瞬間があるのです。。

そういう場合、よほどのことがない限り、見ているだけで、口出しはしません。『みんなの日本語1』の途中であろうと、「お話ししたい。日本語で話したい」という欲求はありますから、そういう気持ちの強い人は、とにかく話そうとする。ただ、それを躊躇っている人もいますから、そういう時にはちょっと背中を押してやればいい。教師ができるのはそれくらい。

「日本語で話し、相手に伝わった」。そして返事が返ってくれば、うれしいはず。それが、話すための大きな動機にもなります。また自信にも繋がる。。言葉なんて、いくら学んでも、使わなければ伸びていきません。ヒアリング力のある人が、先に伸びていくのはそれが理由。頭の善し悪しとはあまり関係がない…普通の人は。

音が聞き取れ、しかも毎日それを聞いていれば、教えられずとも、何を意味しているのかは判ってきます。それが一日、二日と重なっていくと、今度はそれを、自分でも使いたいと思うようになり、いつの間にか使えるようになる。

今、彼らは日本語を習っているのですが、ヒアリングが悪いと、せっかく日本にいても、日本にいるという利点を生かすことがなかなかに難しい。覚えるはしから忘れていって、定着しないのです。

そうなると、他(クラス)の人を見て、ますます臆していく。しゃべろうとしなくなる。自分だけができないと思い詰めていく。もちろん、自国で、高等教育を受けてきた人は、(やっていれば身につくと)待つことができるのですが、高校程度で来ている人は、この我慢がなかなかに難しい。それでも、頑張っている人というのは敬服に値する…存在。そして、その人にエールを送ることで、同じ状況にある人がやる気になってくれることを期待する。

だいたい、机について本を読むとか、覚えるとか、書くとかが習慣になっていない人が少なくないのです。聞いて判る、ちょっと斜に構えたような言い方ができる、人をおちょくることができるという人が、放っておけば、クラスの寵児になることもある。

ですから、クラス経営なんてのは、詰まるところ、そういうのを見つけたら潰す。臆しているけれども頑張っている人の背を押す。それくらいでしょうか。もちろん、習っているうちに上手にならなければ誰も言うことはききません。意味はないのですが、「聞いて話して」ってのだけが、伸びても、それは学校で勉強したからということにはなりません。南アジア系の人や中近東の人たちは、学校なんぞへ来なくても、基本的なものは聞き取れ、話せるものですから。

学校にいる間に、根を張らせ、幹を太くさせ、枝をある程度広げさせておかなければ、濃い葉はつきません。枝や葉は彼らが卒業して専門に分かれた後の専門用語、あるいは特殊な文型とでも言ったらいいでしょうか。

大半の留学生は、ここで日本語を学び、専門学校なり大学なりへ進み、そして自分の望む仕事を得る。それが目的で来日しているのです。日本語学校なんてのは、その地均しをするだけ。そして言葉だけでなく、彼らが日本で暮らす上での知識や常識も少しずつ身につけさせ、彼ら自身が、自分が原因で嫌な思いをさせられずに済むようにというのも、仕事と言えば仕事。もちろん、周りの日本人や他の外国人あってのことで、そういう人たちが原因で悶着が起きるということもあるでしょうが、それはまた別の話題。

そのためにも、まずは言葉。言語学校ですから、当然、言葉。「読む・書く・聞く・話す」がちょうどいいバランスで進んで行けたらいいですけれども、そうは言っても、人によりデキボコが生ずるのもまた致し方のないこと。ただ二年くらいもいれば、そのデコボコの開きがならされていくのも確かなこと。

「ええ!聞き取れないと嘆いていたのに、いつの間に聞き取れるようになったの?」とか、「読めない、読めないと言われていたのに、読めるようになったね」と自分でも思え、また他からも言われるようになったら、しめたもの。本当にそうなってほしいものです。

日々是好日
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学生同士でも、教える方が必死で、教えられている方は「お付き合い」程度。…見ていると気の毒になってくる。…おもしろうて やがて悲しき鵜飼哉(芭蕉)

2023-09-13 08:28:16 | 日本語学校

晴れ。

昨日は帰る時、車の中から、「鯨」のような雲を見かけました。思わず、「あっ。鯨さんだ」。巨大で長く伸びている雲を見ると、やはり連想は鯨にいってしまいます。それほど日本人と「鯨」とは親しいのです、今でも。もっとも、実際には見たことがないのですけれども。とはいえ、江戸期の絵などで、「鯨漁」を知る機会は思ったよりも多いのです。

小さな船で船団を組み、網を持つ者、銛を持つ者、船を漕ぐ者、そして巨大な鯨の様子などが生き生きと描かれていた。巨大な鯨相手に漁をするのですから、きっと強いリーダーシップを持つ者がいたのでしょうね。「板子一枚下は地獄」の世界ですから。

そういうリーダーというと、なぜか経営者や政治家は浮かんできません。各地の小さな祭りや大きな祭り、そういう地域のお世話係、みんなのために、あるいはその村や町、地域のために、汗をかき、走り回ってくれる人のことを思い浮かべるのです。

そういう人は、船の上だけでなく、政治の世界でも、特に「内治」では絶対に必要です。「力」や「金」ではなく、「人望」で人を導いていく。もちろん、諸外国との交渉や、村や町、県を跨いでの道造り、治水事業、国防などとは、それは、意味が違うような気がします。地域の政治家は、祭りの世話役さんを経なければなれないとかすれば、県レベルより小さな地域では、政治がもっと身近なものになるかもしれないし、国政に打って出る人は諸外国のことも知っておかなければならないから、青年協力隊や外国でのボランティア活動をやったことがある人でなければならないとかすれば、知識も経験もあった上でのことができる。選挙に通ってから、「勉強します」と言って、外国に行くのではなく、なる前に身銭を切っていけというのが常識にならないかしらん。

そうすれば、日本の立ち位置が、唯我独尊でなく判っているでしょうし、今だけのことを考えるのではなく、自分のことを勘定に入れずにできるでしょう。貧しい人、弱者を知らない人が何億、何兆もの金を自在に扱うということはあってはならないような気がするのです。

「祭りなどちいせえ、ちいせえ」と言うこと勿れ。小さかろうと、集団になればいろいろな問題が出てきます。それを処理できずして、何ができるというのか。その世話役さんに人望がなければ、誰もついて行きません。その祭りが巨大なものになれば、そんじょそこらの政治家なんぞ束になったってかなわないくらいの人望が必要になってきます。乳母日傘で育った人には無理でしょうね。

さて、学校です。

「七月生」のクラスも、だんだんまとまってきました。皆、あの人はこういう人だ、この人はこういう人だというのが、少しずつ判ってきて、助け合っています。もっとも、写すのはいけません。昨日は20分ほど早く教室に入ったのですが、二名、懸命に写している人がいました。しばらく放って(片目を瞑って、もう片方で見るくらい)おいたのですが、そろそろ時間だと言うことで、「宿題はもう持って行きなさい。まだの人は、自分で、後から持って行くように」と言うと、持って行く係の人が、後ろに集められていた宿題をまとめて持って行こうとする。

焦ったのは一列目の彼女にプリントを貸していた二列目の人。慌てて、その人から取り上げて、渡していました。で、写していたその人に、「判りませんか」「う~ん、判りません」…そうか。まあ、「今日も復習をするからね。毎日、繰り返して言い続けていれば、理屈は自然に判ってくる。毎日学校に来て、練習することが大切。大丈夫だからね」で、二列目のもう一人のほうを見ると、隣の学生が、写していた人に、繰り返し教えている。「じゃない」「じゃなかった」。教えられている方は、繰り返しているけれども、それほど学ぼうという気がなさそう。教えている人の方はひたむきさが伝わってくるのだけれども。私が見ているのに気づいた彼女。気弱げに微笑んで見せた。優しいなあ。

定刻より、少し早めに始めます(一分か二分ですが)「普通体」の四つの形。まずは「イ形容詞」「ナ形容詞」「名刺」。例にあげた単語の、一つか二つ目はやはり出てきませんね。けれども、四つ、五つと単語を言って活用させていくと、それなりにリズムに乗りますから、言えるようになる。最後に動詞に入ります。「1グループ」では、どうも「ナ行」がうまくいかない。繰り返しやった後に、「ラ行」が終わってからもう一度言ってみる。その時も「ナイ形」が「しない」と「Ⅲグループ」になってしまう。で、また、2,3度繰り返した後、「Ⅲグループ」に入る。「Ⅲグループ」をやってからもう一度「ナ行」をやってみる。ちょっとはましになったかなあ。次に「Ⅱグループ」の特別な動詞をやった後、もう一度「ナ行」に戻ります。

できたとほっとしているようでしたが、後半(の授業)はどうかな、また忘れて「しない」となっちゃうのだろうな…でも、大丈夫。「継続は力なり」ですから。

「四月生(今年)」もそうやって頑張って来たのですから。「言えない…どうしよう」とか、「判らない…どうしよう」とかいう空気が漂い始めると、「はい、『8課』を開いて。最初の頃、『さむかった』『さむくなかった』が言えませんでしたですね。「さむいかった」「さむいくなかった」になっていましたね。でも、もう大丈夫…でしょう。だから、今度も大丈夫」。…何回かこれで騙せた。

ところが、一冊目が終わって、二冊目に入ったばかりの頃は、振り返るべき「課」が、手元にない。けれども、よくしたもので、学生のほうが察しがいい。私が、「大変だね。でもね」と言うと、「先生、大丈夫」と言う。もうこちらが振り返らせずとも、繰り返しているうちにだんだん上手になってきているのが判ったのでしょう。まあ、これで私の仕事のうち、一つは終わったことになります。

小さな成功体験を繰り返していくうちに、「これでいいのだ。今、判らなくてもこうやってやっていけばいいのだ」と言うことが体で判るようになる。そうすると、後はこちらが別に手を差し伸べる必要はなく、そのまま、自分で進んでいけるのです。

もちろん、これは毎日学校に来て、一人、悩みながらも勉強している人の場合だけです。適当にできる人は、多分、この悲哀と喜びは判らないでしょうね。

日々是好日

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三人のうちの二人。揉めていた住居の件が解決しそうです。

2023-09-12 08:52:24 | 日本語学校
晴れ。

今朝は、また「夏に戻った」感じ。台風後は、気温は高くとも、曇りの日もありましたし、風に涼しさを感じる日もありました。ところが、今朝は、「雲なし、しかも無風」で、元に戻ってしまったかのよう。本当にこの暑さはいつまで続くのやら。

さて、住居の件で揉めていた「七月生」三人。動かない動かないと思っていた岩も動く時には突発的。三人のうちの女子二人は、昨日、今月末に、行徳から一駅ほど離れたところにあるシェアハウスに引っ越すと言いに来ました。家賃も初期費用も、まあそんなもんだろうというとところ。ないない(間に立っている人)と言っていたのに、先週末まで自分だけは引っ越さないと言っていた(一人)のに、引っ越すと言う。一体何があったのやら。

まあ、こちらとしては一安心です。あそこなら、自転車に乗らずとも、歩いてこられる。
毎日二時間近くをかけ、(交通費という)いらざる金もかけ、しかも体力的にも精神的にも疲れ、そのせいか、一人はよく休んだし、もう一人は、休みこそせぬものの、授業中ぼうっとしていた、時々寝ていた…。少なくともこの状況からは抜け出せます。

バイトにしても、言葉が不自由な間は、近くの工場で働き、言葉にそれほど不自由しなくなってから、レストランやコンビニなどで働き口を見つけるというのが、この近辺に住んでいた留学生達の生活でしたが、他のところですでに三ヶ月を過ごしてきた彼らにはそれができるでしょうか。まあ、不満さえ言わなければ、言葉が不自由でも、仕事口は、近くにあるのです。しかも、これまでは同国人やクラスメートが仕事を紹介してくれていました。

後は二人の男子です。国からお金を届けるのが難しいようで(国の問題)、それにアルベイトの問題が重なりますと、かなり辛いはず。どうせ引っ越すのなら、行徳に来ればいいのにと思います。交通費が不要になるだけでなく、生活面においても楽になるはず。私たちも何事かがあった時に、すぐ助けに行ける…。ド親切なスタッフもいるのです。

ということで、ひとまず安心。住居探しは、大変です。

ところで、彼らよりも三ヶ月早く来ている「四月生クラス」。やっと昨日で『みんなの日本語ⅠⅡ』が終わりました。私は一応、「N4文法」のまとめをしてから、「N3読解問題」に入るつもりですが、他の授業では、すぐに「N3」に入っていきます。もっとも、例の如く、土日が入ると最後の課の単語はきれいさっぱりと消える…人たちですから、昨日の授業でも、最後の「50課」の単語が消えていたので、大笑い。忘れていた人たちが大笑いするのですから、「もう」。起こるに怒れない。

このクラスには、留学生が二人しかおらず、後は皆、在日の方達です。開講初日から来ていても、(留学生は一応「ひらがな」「カタカナ」などの文字を認識していますし、文字の中には「漢字」があることも知っています)日本語に関する知識が全くない在日の方々は、最初は、ついて行けず、かなり辛かったはず。

「(大変だから)もうやめる」というのではないか。できるだけ、そう思わせぬように、「飴」と「鞭」ならぬ、「飴」ばかり舐めさせるように力づけながらクラスを進めてきました。せっかく勉強しようとしてやってきたのです。せめて『Ⅰ』くらいは終えてほしい。今、やめてしまうと、結局、(日本語がわからないので)日本での暮らしが不自由なままと言うことになってしまう。そうさせぬように、皆(教師)で頑張って来たのですが(留学生や高校受験を希望している人たちには、「飴」より「鞭」のほうを多く用いていたので)その「差」に辟易したかもしれません。

途中、「(仕事が忙しくなったから)三ヶ月休む」といった人を除いて、どうにか皆、無事に『みんなの日本語ⅠⅡ』編を終えることができました。

「漢字圏」の人や、特別な人を除けば、ここまで来ることができれば、まず私たちもほっとして送り出すことができます。

この特別な人というのは、日本の会社で働いていたけれども、やめて時間があるから、「N1」までとりたいという人や、「N3」に合格して、専門学校に入りたいとか言った人たちのことです。だいたい、「N4」レベルくらいまで終わっていれば、日常生活にそれほどの支障はないでしょう。

こんな話をしますと、「では」とすぐに「Aクラス」の面々は言い始めます。このクラスの人たちは、欲がなくて、「N3」合格で、もう幸せなのです。「N2」に合格している人も、さらに…という気が全くなくて、もう十分となってしまう。それを叱咤激励していると、「四月生(今年)クラス」の在日の人たちに対する私の態度を見て、…あの人達はいいなあ」となってしまう。人と争わないのです。そういう面がここにも出ているのかもしれません。

日々是好日、
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金曜日は「台風13号」で、休校でした。それを聞いた「Aクラス」の面々、大喜びで手を打っていました。日曜日はテストだったのに、いいのかな。

2023-09-11 08:05:48 | 日本語学校

晴れ。

金曜日は、「台風13号」が来るというので、休校に。新宿のあたりから来ている学生がいるので、大変です。この留学生らは、遠くに住むことの不利を知らないのです。もとより彼らの問題ではありません。彼らを紹介し、自分たちで部屋を見つけると言った「間に立っている人」の問題です。彼らはいわば被害者。とはいえ、すでに金を払っていれば、それはそれで、すぐに引っ越しが出来るわけでなし。。

「コロナ禍」前は、最初は一人、問題がなかったらまた…というふうに少しずつこちらの考え、やり方を知ってもらった上で、送ってもらっていました。その前に学校の教師が現地に行って面接なりをした上でですが。

ところが、「コロナ禍」で現地に行くことができなくなり、また来日も難しくなり、いつの間にか機器を介しての面接となってしまいました。その上、なぜか以前から付き合いのあった人たちが推す学生は、通らず、新しい人たちが紹介する学生が通ったりして、実際の所、こちらも、戸惑っていたのです。…通っちゃった。その人達は、この学校のことが判った上で、学生を送ってきているのではないでしょうから。

別に学生に問題があるというわけではありません。とはいえ「どこの日本語学校だって同じだろう、頭数があればいいのだろう」というような風がチラリホラリと見えてきます。

日本は「天災の多い国」。「大地震」は言うに及ばず、今回のように台風もよくやってきます。遠いところに住んでいますと、何かあった時に、こちらも何もできないのです。では、彼らの国の、学校が委託している同国人が何かをやってくれるか(助けてくれる)というと、それもよくわからない。なにせ、初めての付き合いですから。まずなによりも、日本に長く住んでいて、日本語もかなり達者なのに(その人)、行きだけで一時間半ほどもかかるような所に居を決めてやるということからして、全幅の信頼を置けるかというと、…ちょっと怪しい。

病気になったり、地震で電車が不通になったり、停電になったり…そういうことを考えて、学生には自転車で通学できるところ、歩いても10分か15分くらいのところに住んでもらってきたのに…。もちろん、例外はあります。親兄弟や親戚、非常に親しい友人(その場合は来てもらって、話を聞きます)がいて、そのうちから通うと言う場合です。と言っても、せいぜい30分くらい。何かあってもその人たちが面倒を見てくれるでしょうし、交通費が多少かかっても、家賃の負担は、あまりないでしょうから。

学生が学校に来て、聞いて初めて、そんな遠くに住んでいることが判った。もうすでに三ヶ月分の家賃やらは払っている。学校で慌てて、近くの不動産を当たって、紹介された物件を見に行ったり(家賃だけでなく、二人で住めるかどうかということも問題になります
)、一ヶ月ほども大変な思いをして探したスタッフがいた。何せ彼らが自分達で払うということでしたから。やっと探しても、もう三ヶ月分払っているから、引っ越せないと言う。結局、探してくれた人に申し訳ないことをしてしまった…ということで、こちらも不快な思いをさせられた。

いろいろあったあげく、やっと10月からは、三人のうち二人は、近いところに住む(と言っても、聞いたところでは3,40分はかかるらしい)ということに。また土壇場で変わるかもしれませんけれども。

多分、こういう人たちは勉強は無理だろうなと思います。勉強に集中できるようにと考えていろいろやってやっても、それは向こうには通じない。

異国で「衣食住」のうち、「衣」や「食」はどうにかなっても、「住」はそうはいかない。これが安定していないと、勉強にも身が入りません。過去にもこういう学生がいました。だから、一時期、皆、寮(学校が近くに借りたアパートです)に入ってもらうことにしていました。自分たち(紹介して人が借りて、彼らが自分たちでお金を払うという形)で借りたけれども、「けんかして飛び出して、住むところがなくなった」とか、来日前にお金を払っていたのに、部屋から追い出されたとか、そんなこともありましたから。

けれども、今回は「自分たちで借りてきちんとする」と言う話だったから、「コロナ禍」前の人たちと同じように、近くで借りてくれるものだとばかり思っていたのです。考えが甘かったですね。そういうことができない人なのでしょう、間に立っている人というのは。

こちらも、(そういう人だと)気づいたのが遅かった。そこから、また一人(十月生として)入ってきます。もちろん、前の三人とは違い、近くに住むように言ってあります。学校としても、そういう環境にいなくて、勉強しない、できないという人が一番困りますから。「十月生」は、そこからの人を除けば、多分大丈夫でしょう。バングラデシュからの三人は、以前、この学校で学んだ人が紹介しています。この人の紹介でもう何人もの学生が来ていて、部屋も、この人が近くに借りてくれます。他の人は、親戚がいたり、知人がいたりして、その人達が考えてくれるそうなので、学校側は何もしなくても大丈夫。勉強に専念できます。

なんと言いましても、「十月生」は、「四月生」に比べて、半年も遅く勉強を始めるのです。この「基礎を学ぶ時期」の半年というのは、かなり大きい。「四月生」が、もうある程度イッチョマエに「話す・聞く」ができる頃(『みんなの日本語Ⅱ』も、すでに終わっています)に来て、「あいうえお」から始めると言うことになりますから。

卒業は一緒ですものね。追いつけるように頑張ってもらわないと、大変です。勉強しなければ、置いて行かれるだけです。頑張る人は希望するところに行けるでしょうし、そうでない人は、まあそれなりの所へ行くことになるでしょう。義務教育ではありませんから。頑張っていない人のために、頑張っている人が足踏みしなければならないということにはしたくありません。それはどの社会でも同じでしょう。

日々是好日
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「漢字のテスト」、最初から落とさないようにしなければ…。

2023-09-07 08:52:22 | 日本語学校
晴れ。

九月は、「台風シーズン」だから、雨風が強い日が多いだろうなと思っていたのに。今朝も穏やかです。その上、涼しい…これも近づきつつある「台風13号」のおかげかな。

通勤途中で見かけていた「ヤブガラシ」が、ふと気がつくと姿を消していました。「ヤマゴボウ」もそう。空き地では、「マツヨイグサ」が…と思って探してみると、豈図らんや、繁茂した「エノコログサ」に完全に埋もれて…存在していました、うなだれてはいましたが。今年は「ネジバナ」を見ていません。この分で行くと、「ミズヒキ」なしの秋になるかもしれません。

さて、学校です。

今年、来日予定の「十月生」のうち、二名が卒業生の弟です。この二人は、一度、「四月生」として申請し、その時は失敗したのですが、再度挑戦しての合格です。バングラデシュで、それが認められるかどうかは判りませんが(日本で許可が出たのに、向こうで落とされるということも、まま、ありますから)、来たら、どうしてやろうかと(こちらでは)手ぐすね引いて待っています。彼ら(弟たち)二人は判らないでしょうけれども、兄貴二人のうちの一人は、それが判った上での申請でしょうから、判っているでしょうね。頭はよかったし、語学的な能力も高かったけれども、「文字」の大切さが判らなかった…故に、失敗した、典型的な例といってもいいような存在でしたから。

この傾向は「南インド圏」出身の学生によく見られることで、だから、「漢字のテスト」が始まったころが、要注意なのです。鉄は熱いうちに打て。その時にテキトーにしてしまうと、最後まで祟ってしまいます。現「Cクラス」でも、スリランカからの二人は(一人は留学生)、他の人たちが、「N4漢字」が終わろうとしているのに、まだ「N5漢字」でオタオタしていますし、「A・Bクラス」でも、他の人たちは「N3漢字」が終わり、「N2漢字」に入っているというのに、インド人一人はまだ「N3」の入り口ですし、バングラデシュ人一人は「N4漢字」が終わっていません。

彼らは、別に不真面目というわけではないのです。ただ、「覚えなければ、日本で仕事を探す」のが大変だということが最後まで判らない。

授業中は言われたとおりに(漢字を)書くし、もちろん、毎日学校に来て授業を受けている。学校に来はし、それなりに(漢字を)書く練習はするけれども、「なぜ書くのか、なぜ漢字を覚えなければならないのか」が、多分、判っていない。言われたから書いているだけ。それで、なにか(文句があるの)?というところなのでしょうね。

実際、専門学校や大学に失敗するまで判らない。自分を優秀だと思っている人ほど、その傾向が強いような気がする。結局、痛い目を見るまでは、わからない。もしかしたら、判りたくないのかもしれませんが。

「どうして漢字を覚えなければならないのか」「みんなの国で、字が書けない人はどう?いい仕事を探せる?」耳タコでも、スルーするだけ。どうにかなると思っているようなフシがある。なにせ、彼らの国では、英語教育が、ある程度徹底していますから。高校でかなりいい成績を取っていれば(英語だって、ある程度のレベルでしょうから)、それでどうにかなると思っている。そういう人が、なぜ日本語を勉強しに来たのか。日本は先進国だから、皆、英語で話していると思って来た…結局は知識・認識不足なのですけれども。

こういう学生には、フランス人はフランス語で話すし、ドイツ人もドイツ語で話す。自分の国の言語を疎かにしてはいない。もちろん欧米人は言語面でも文化面でも歴史的にも共通項で括れる部分がある。しかしながら、極東の国、日本は、これらの国とは異なった文化を持つ。彼らの国とは一括りにできない言語を持っている。

日本は先進国であると思っていた彼らは、来日してすぐの時など、日本人が英語を話せないのに、ショックを受けたそうです。「なぜ????」なのでしょうね。以前、パキスタンの女性に聞いた話では、学校で、「豊かになりたかったら、英語の勉強を一生懸命にしろ」と言われていたそうですから。日本は豊かな国だから、当然、皆、英語ができると思っていた…。本当は、豊かな国ほど、自分の国の文化や言語、歴史、風俗習慣を大切にするし(まず、余裕がありますから)、それに、一色に染められることを拒否するものでしょうから。

そういうショックを受けてからの彼らは、二筋の道に分かれていく。まあ、大雑把ですが、

「(日本で自分のやりたいように生きていくには)こりゃあ、日本語を勉強せねばならぬ。漢字を覚えねばならぬ」と頑張りはじめる人もいれば、その反対に、「日本人は愚かだ。英語ができないんだから。自分は英語ができる、それだけで日本人に勝っている」とそこで止まってしまう人もいる。

「南インド圏」の人たちの勉強法は、「聞く」「話す」が主ですから、「(日本の)文字」など覚えなくとも、会話はすぐに達者になります。だから、(日本でも)どうにかなると思ってしまうのでしょう。その上、日本人は英語でまくし立てられると、ドン引きしてしまう傾向にありますから。それも、彼らが強気に出られる理由の一つでしょう。彼らの国では、支配者層、富裕層は、英語で話しているので、ついつい、貧民とか下の者に対しているような気分になるのでしょう。

もっとも、ここは日本語学校ですから、それは通用しません。「日本語で話せ」「漢字交じりの文をきちんと読め。何のために日本に来た。何のために日本語を勉強している」をとことん貫いていきます。もっとも、その要求する者の力が弱いと、大変ですね。日本人は、まず相手を思いやってしまう。これができないのは、何か理由があるのではないかとか考えてしまう。それは「本来やること)」が前提としてあるのです。言った者勝ちの世界ではそれは負け犬になってしまう。この負け犬というのは、「彼我」共にです。

彼らだって、せっかく日本語学校で勉強しているのに、漢字が読めないということは、書類が読めない。データが読めない、大人の単語がわからないということになって、会社には入れても、自分が求めるような仕事できない。教師のほうでも、育てることができないということで、負け。

大変です。

日々是好日
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