日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

来日が遅れ気味だった「四月生」たち。どうにか休み前に『みんなの日本語(Ⅰ)』が終われそうで、ホッとしています。来週終了の予定です。

2022-07-01 08:37:05 | 日本語学校

晴れ。

「梅雨」はあったにしても、どこか肩透かしを食らったような…、あれがいわゆる「梅雨」だったのかしらん。まあ、ともかく、「梅雨」は終わりました。そして、まだ「終わった」と言われる前に始まっていたのが、酷暑。

30度を超えたくらいでグタグタ言うなと、笑われようが、貶されようが、暑いことは暑い。

学校に着くのが、7時前でも暑い。これが六時台前半だと、マスクをつけるのを忘れないのですが、今日は、自転車に乗ろうとして、ハタと気付いた…マスクを忘れた…。

まあ、自転車だし、だれと話すわけでなしと、そのままマスク無しでやってきたのですが。そうして自転車に乗っていると、自然と「つけていない人」に目が行きます。…案外いるな。イヌを散歩させている人もそう。こちらでは、顎のところまで落としているし、あちらでは片耳に引っかけている。足早に歩いている人もつけていない…きっと電車に乗る前につけるのでしょうけれども。

と言うわけで、本当に二年ぶりというか、マスク無しで自転車に乗ってきました。勿論、カバンに「まさかの時用マスク」をしのばせているので、仕事には差し支えありません。

さて、学校です。

先日、パキスタンの男子学生。授業が終わってから、なにやら話したそうなので、付き合ってやると、「アルバイト先のビルの管理人さんと話した」と言う。あいさつはしていたものの、「ちゃんと」話したのは、初めてだそうで、その時、年を聞かれ、「もうすぐ19才になる」と答えると、「管理人さんは驚いた」。そして、「30才くらいと思っていた」と言われたと言う。で、「そうですか、30才に見えますか」と私に聞く。

イスラム教徒の若者は髭を生やしている人が多いので、多分そのせいだと思うと言ったのですが、それでも合点がならぬらしい。そりゃあそうですよね。まだ十代なのだから。

それを聞いて、ふと自分のことを思い出した。私だって、新採用で初めて行った学校でのこと。そこの、同じ国語の先生に、「父兄が、37才の先生が来たと言っていたよ」と言われ、そうか、37才かと。納得いかぬ納得をしたことがあったのです。それからは、(その37才から)一歳でも若く言われたら儲けもんくらいに考えることにしたのですが…もっとも、遙か以前にその年は過ぎていますが。

まだ彼にはこういう考え方はできないでしょうね。そう見えたのは、マスクをつけているせいかもしれませんし。話している時など、時折、まだあどけない表情を見せるので、異国の人の年がはかりかねる人でも、(話しているうちに)案外若いのかなと思われるでしょうから。

さて、七月に入り、今度の日曜日に「日本語能力試験」があります。今年の「四月生」も、来週、『みんなの日本語(Ⅰ)』と、『N5漢字』が終了する予定。で、再来週に、『N5試験』を実施することになっています。

一口に「四月生」と言いましても、コロナのせいで、ひとくくりにすることはなかなかに難しい。4月中旬に来日できたのが一人、下旬に二人。で、5月上旬に二人、中旬に一人、下旬に四人という具合で、最後の学生が入ってくるまで、タラタラと授業をしていたのですが、それからは、いつも通りの進度でやっていき、どうにか夏休み前に「N5レベル」を終えることができそうです。

今年の4月生の国籍は、インド、スリランカ、フィリピン、ベトナムの4カ国。七月生が一人申請が通っていますので、そのクラスに、このクラス(4月生)の進度について行けない(在日の学生は、仕事があったりして毎日は来られないと言う人が多いのです)コロンビア、イラン、シエラレオネ、ネパールの学生が移ります。ウズベキスタンの人は、判るところだけ囓っていればそれでいい風なので、このクラスに残るようです。それからもう一人、「Bクラス」からウズベキスタンの人が移ってきます。

夏が始まると、「暑い」と言われて、冷房を入れても、すぐに遠慮がちに「少し寒い」などと言われ、下げたり上げたりが大変になってきます。個人的な部分もありますが、国でひとくくりにできる場合もあります。このクラスは、○○国から来た人が多いから冷房は高めの方がいいなというのも、他の国から来た人の中で暑がりがいれば、席替えやらせねばなりません。

とはいえ、コロナ政策のせいで、2年間、留学生が来られなかったわけですから、こういうことがあっても、うれしいものです。暑くても頑張ってねと言うと、私の国はもっと暑いから大丈夫とか、反対に、とても大変と言われたり。これからあと二年近くを共に過ごす仲間たち、いろいろあって、いろいろあるから、面白い。

日々是好日

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今、来た「フィリピン」の学生が、さすがに「暑い」と言っていましたが。

2022-06-27 08:39:28 | 日本語学校
暑い。

「夏なのだから暑いのは当然。『暑い、暑い』言うな」というのは、よく聞く台詞。この台詞を聞くと、みんな暑いので、カッカカッカ来ているなと、これもまた、ステレオパイプに思ってしまう。

こんな暑さの時は、入道雲が空に現れるべきであり、人々は海や山にいるべきであり、街の真ん中で、ジリジリとやかれるべきではない…ような気がするのですが。

自転車で来る途中、夏を象徴する花、「サルスベリ」が、毎年咲いているところに来た…まだですね。自転車だから見にくかったけれども、蕾はあったような気がします。で、「アジサイ」の花が何種類も咲いている小山のような館に来ると、そこの空色の「アジサイ」が萎れていました。他の、濃い紫やらピンクやら、「ガクアジサイ」を派手にしたようなものやらは、まだまだ元気でしたけれども。「ブーゲンビリア」というのは、今年、いつもより早く咲き始めたような気がするのですが、すでにずっと前から満開…。

全く、梅雨がもう終わってしまったかのような天気が続いています。そして今日も、晴れで、ここでも30度は超えるのでしょうね。

そう言うと、インドの学生が、30度くらいのことでオタオタしているのが判らんと言った顔をしている。なんだ、なんだ、まだ30度じゃないかと言っている、目が。

だいたいは、南から来た人たち。ただ、南からと言っても、インドやパキスタンなどは山あり、谷あり、平野ありですから、寒いところは寒いし、暑いところはとてつもなく暑い。また、スリランカは常春だし、ベトナムは、こんな暑さの中でも、日焼けを避けるためか、あるいは暑さに対する感覚が私達とは違うからか、長袖のトレーナーなどを着込んでいる…。

同じ教室の中にいても、着ているものを見ただけでは、夏なのか、春秋なのかわからない。しかも、長袖を着ている者が、寒いなどと言う…エアコンから遠いのに。そして、すっかり「なつ~!」と言えるようなTシャツの学生が、暑い、暑いと「寒い」といった学生を信じられないと言った目つきで見たりしている。

もっとも、これからもずっとというか、何年か日本にいるであろう人たち。今に日本人的な暑さ寒さの感覚を身につけていくでしょうね。これが一年かそこいらであったら、そのままでしょうけれども。

日々是好日
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「ネコさん」「イヌさん」といった「さん付け」は、どうも奇妙に感じられるらしい。

2022-06-23 09:09:37 | 日本語学校
曇り。

街全体に淡く霞というか、靄がかかっているような朝です。音が消えています。

先日のこと。「Aクラス」で、お決まりの馬鹿なことを、いつものM君が言ったのです。みんなも慣れているので、隣に座っていた女子学生が、間髪を入れずに「また馬鹿なことを言っている」。すると、ほぼ同時に、幾羽かの「カラス」が「カカカカカ」と大声で笑ったのです。それを聞いて、また別の一人が「あ~あ、『カラス』にまで馬鹿にされている」で、また大笑い。

「『カラス』さんは、すごいです。馬鹿なことだと見分けが付く」と私が言うと、「カラス…さん?」

前にもこういうことがありました。本には「ネコ」とか「イヌ」とかいうふうに書いてあるのに、日本人は「ニャンニャン」とか、「ワンワン」とか言って呼びかけたりする。「ネコさん」、「イヌさん」と、「さん付け」で言う時だってある。「おイヌ様」と「様付け」の時もある。…ほんとに変。

確かにそうでしょうね。けれども、「山川草木」にだって、人と同じものの存在を感じることは、別にだれに対しても憚られることではないのです。その意味では、とても人を楽にさせます。

それを原始的だとか、未開の地であるとか、劣ったものと見るのは、私達からすれば、そちらの方が間違っている。そこに住んでいる人たちが、他者の目を意識せずにそういうことが言える、またそういう態度をとれるということが、一番幸せであるような気がするのです。

動物のみならず、山川草木すべてに魂が宿り、彼らがこう感じているような気がするとか、(今ならば)こう叱られているような気がするとかいうのは、「縄文の精神」と言った方がいいのかもしれません。グローバル化が進み、他国や他民族の様々な考え方、思想が入ってきていても、縄文人の魂が、理性とは別に存在していて、それに些かも違和感がないのです。

私だって、よく「ネコさん」とか、「おイヌさん」とか呼びかけています。書物の上では「イヌ」であり、「ネコ」なのですけれどもね。

その事を「変だ。おかしい」と、奇妙なものを見るような目つきで私を見ていたスリランカの学生が、数年後、学校を訪れた時、「向こうに、ネコさんがいた」と言っていたのを聞いて、ニヤッとしたものです。大きな体つきの彼が「ネコさん」とか言えば、一瞬で、日本人の警戒心も和らぐことでしょう。

こういう言い方は対象に対する私達の心を洗わしているのでしょう。もう「文化」と言ってもいいのかもしれません。「ウシさん」だし、「おウマさん」だし、「ヤギさん」ですもの。名前を知らなかった場合ですが、それは(名前を知っていれば、それを使います)。

これも、別に日本だけのことではないでしょう。一神教の国でなければ日本と同じような感じ方、考え方をしている国や民族は少なくないでしょう。「さん付け」は別でしょうが。

それでいて、日本人は肉を食べるから、どうしょうもない。

中学の時、クラブで、生物の先生が、「カエル」の脳下垂体を出すため、ブチュッとその辺りを切ったのです。それを見て、私達が「可哀想」と言った時、先生が怒りの口調で、「君たちは、米を食うだろ。野菜を食うだろ。同じことです。」

その時、一瞬みんな黙ってしまったのです。先生の言っていることは判る。だけど、私達が可哀想と思い、口に出したのも当然のことのような気がする。強く叱られるのは、どこか納得がいかない…ような気がした。もしかしたら生物の研究者である先生は、実験やデータを集めるための作業をしている時、そういうことを言われたことが何度もあったのかもしれません。それを中学生にまでまた言われた。それにぶち切れたのかもしれません

とはいえ、その事をこの年になるまで覚えているのは、強烈な印象を受けたせいなのでしょう。

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「漢字の導入」に入り、それが終わって2日目。新しい人が学びたいとやってきました。ぎりぎり間に合ったみたいですね。

2022-06-21 08:27:13 | 日本語学校
曇り、時折晴れ。

さて、「Cクラス」で、「漢字の導入」をはじめてから、一週間ほどが経ちました。ベトナム勢の「止め」のない横線が少々収まってきたような気がします。と、昨日から、ミャンマー女性がこのクラスに入ることになり、「同じだああ」です。

彼女がどれくらい日本語を学んだことがあるか、或いはどれくらい間隔が空いているのかわかりませんので、聞いてみると、「四年ほど前に福岡で一年間日本語を学んだ。『N4』レベル(『みんなの日本語Ⅰ、Ⅱ』でしょうか)」と言う。「漢字は?」と訊くと、「やっていない」と言う。

実際のところ、「非漢字圏」の人が、途中からこの学校に入ってくる場合、漢字を学んだことがあると、本人の辛さがかなり軽減される場合が多く、耐えられるかどうかの、一つの目安となります。その点、中国人の場合、あまり考えなくていいので、楽なのですが(後は本人の国語力の問題です)。

学校によっては、やり方(教え方、カリキュラムの立て方など)が、この学校と違っている場合があり、ここに来て、面食らうような人も出てきます。

彼女は、知的な感じのする女性ですし、初めてのクラスでも臆することなく、かといって出しゃばることもなく、うまい具合に入っていけそうでした。ちょうど「テ形」「ナ形」の復習から始めた時だったのですが、最初は聞いたり、見たりしながら、思い出していたのでしょう、声が出ていませんでした。それに「50音図」を遣っての授業も初めてだったのでしょう、戸惑いが感じられました。少々間を置いて、他学生と共に口を動かし始めたのですが、随分違っていました。けれども、多分、直によくなるでしょう。

だいたいが、四年もの間隔があると、「聞く」「話す」は日本で生活しているのですから慣れてきてはいても、「文法」や「文字」などに苦労したりするものです。救いは、ぎりぎりで(漢字の勉強に)間に合ったということ。

漢字を始めてから、まだ一週間ほどしか経っていませんから(「導入編」がやっと終わったところです)、頑張ればやっていけるでしょう。

今日、初めて提出される宿題を見てみなければ何とも言えないところですが、昨日見た限りでは、「ひらがな」にかなり難がありそうです。まず、読める「文字」でないと、だれも読もうという気にはなりませんから。

実際、もう一ヶ月ほども経っているベトナムの女子の何人かは、書き直させ、それを宿題の提出ごとに繰り返しても、結局は改められない。まずは一ヶ月ですね、こちらの忍耐が続くのも。それ以上ですと、もう本人の問題です。これが小学生や中学生ですと、首に縄をかけても…と思うのでしょうが、もう二十歳を過ぎている人たちですからね、判っているのにやらないのは、(一ヶ月以上も)もう、本人の損得に直接関係しない限り、変わらないでしょう。と、一応、見極め、今日から、宿題のノートを見る時に、文字を書き直させたり、練習させたりするのをやめます。

だいたい、ノートがそれで、真っ赤っ赤になってしまうのです。文法の間違いか、文字の間違いかがわからなくなる。本人も見づらいし、嫌だろうと思うのですけれどもね、こんなノートを返されるのは。

時々耐えきれなくなったら、マーカーで線を引き、「練習せよ」はやるつもりなのですが。

日々是好日
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「梅雨入り」は早かったものの、曇りの日が続きますね。

2022-06-20 07:25:52 | 日本語学校
曇り。

今年は「梅雨入り」が早いと思っていたのに、入ってから、雨の日が多いようは気がします。数日前に雨の予報が出ていたのに…曇り(あれ?いつの間に)、そしてまた曇り…。それどころか、時々日が射してきたりなんぞする。多分、予報と予定がセットになっているような生活では、どうも大変。で…「今年は異常か…」という声が出てくるからなのでしょうか。

「梅雨入りが早くても、遅くても大体終わる頃は同じになる」とか、「早くても遅くても、この時期の雨量はあまり変わらない」とか、どこかはぐらかされているような、それでいて、「梅雨」の説明にはなっている…みたいな、ここ30年か50年の平均とか傾向とかが、よく語られています。

そういえば、明治の頃のこと、「フグ(河豚)を食ったら、天気予報、天気予報と(念仏のように)唱える」とかいうのが出てましたっけ。つまり「当たらない、当たらない」というわけ。

その頃に比べれば、精度はグンと増し、私なども、テレビやインターネットの天気予報を信じ込み、それを見るのも、日に一度や二度の話ではありません。なぜか、ニュースは見ずとも天気予報だけは見てしまう。もっとも、偶にですけれども、予報しづらい…と言っているのを耳にすることはある。勿論、そうだろうなとは思うものの、やはり信じていますから、外れると、「あれ!!!」。当たっても、当然という感じ。褒めたり、すごいなと感じ入ったりしないのです。

「異常」という言葉や「想定外」と言う言葉に慣れてはいるものの、天気予報だけは違うような気がしているのでしょう。この「異常」とか「想定外」という言葉も、いつの間にか、「おはよう」という言葉と同じくらいの地位に貶められてしまい、「『想定外』を専門家が使うか!」と憤る人も稀になってしまいました。ヘラヘラして、専門外の人が使っているのを見ると、なんか意味がドンドンドンドン便利な方へと流れていき、重みがなくなっていくみたいですね。「粛々と」なんてのもそうですね。まあ、適当にこれを遣っていれば、非難されないだろうてなものでしょう。

そういえば、昨日も「地震」がありました。「能登」で「震度6」。これは大きい。「最近、立て続けに地震があるような…。大丈夫か。」。日本人はみんな、そう思うのです。「南海トラフ」やら、「首都直下地震」やら、あっちでもこっちでも、予想されている地震は数知れず。で、次に、「富士山はどうだろう」となる。確率から言えば、いつ爆発してもおかしくないらしい。

もう10年ほども前のことになるかしらん。インドの留学生が、真顔で話があるとやってきました。「火山関係の単語」はまだ知らなかったので、ホワイトボードに「富士山」の絵を描きながら、「富士山が噴火したら、東京は?」と訊くのです。どうも、国の御母堂が「富士山が噴火する」という話を聞きつけ、「すぐ帰れ」コールが来たらしい。マグマが東京を覆い尽くすように捉えられたらしく、赤く東京を塗りつぶし、「こうなりますか」。「そうなったら大変だから、帰ります」と言う。

富士山と東京とは、かなり離れているというのが、実感できないのでしょう。「フンフン」と聞きながら、「灰は降るでしょうね。どれくらい積もるかわからないけれども、おそらくはインフラもかなりの影響を受け、食糧事情なども、悪化するでしょう」と、受け売りの知識で説明します。

彼は、「(火山)灰なら大丈夫」と言って、ホッとしたように帰って行きましたが、「富士山噴火」というのを、毎年のように聞いている日本人は、「またオオカミおじさんが出てきた」くらいにしか感じられず(これも怖いことですが)、聞き流すというのが習慣になっているのですが、外国からやってきた人はそうはいかないのでしょう。しかも「火山」に馴染みもなければ、日本が細く長い国としか認識できてない人からすれば、「富士山噴火」は、則ち「日本沈没」くらいの響きがあるのでしょう。

もっとも、同じような国、フィリピンから来ている学生は、「同じ。同じ」と笑っていましたが。

日々是好日
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昨日は、「浅草」へ行ったようです。楽しかったかな。

2022-06-16 08:31:48 | 日本語学校
曇り。

雲に覆われているばかりでなく、どこやら、「モヤッ」としています。そういえば、この「モヤッと」ですが、今日のような天気の時、確か、私のふるさとでは、「なにやら、もやいでいるな」とか言っていたような気がするのです。自分の中では、「靄」だから「モヤッと」、あるいは、心情として「モヤモヤしている」から、天気も「モヤッと」などと、何の疑いも持たずにそう思っていたのです。

ところが、数年前、今日のような天気の時、何気なく、「今日、もやいでるね」と言ったところ、それを「どんな意味だ」と調べた人がいたのです。それが、日本人でしたから、「あれ?」と思い、自分でも辞書を調べてみたところ、「靄」との関連で、そういう意味で遣われることもあるにはあるにせよ、主に遣われていたのは「船と船を繋ぐ『舫う』」らしく、どうも方言だったようです。

さて、昨日は小雨を押して、皆、「浅草見学」に行ったようです。雨が強かったら、(学校で)授業になるはずでしたから、「宿題ノート」の返却やら、授業のためのプリントやら、渡すべく、予定の物を籠に入れて準備していたのですが、そのまま残されていました。

まずは、(行けて)よかった、よかった。先日も雨で、(浅草見学が)延期というか中止。学生たちの「ブウ、ブウ」が音(声)だけでなく、態度にも表れていて、上のクラスの学生など、こちらが何も言っていないのに「いつ行きますか」…んんん、これは延期と言うことを前提に訊いているな感、満々。

この「Aクラス」の面々。留学生は一人もいないのですが、前の学年と少しばかり接点があって、月に一回、試験の時(留学試験、或いは日本語能力試験がある月)は、二月に一回くらい、課外活動というものがあり、その都度楽しめたということを知っているだけに、ブウブウの声が大きいのです。

おそらく、知らなければ、「日本の『日本語学校』というのはそんなもの」で終わるのでしょうけれども。

「梅雨」に入ったと言うことで、何かにつけて、雨の日が存在感を増しています。日本では、「梅雨」に限らず、雨の日は別に少なくはないのですが。

ただ、南アジアやアフリカ、中央アジアなどから来ている人にとっては、日本は雨が多い国だと思えるのでしょうね。このジトジト感になじめないという人もいましたし。

とはいえ、日本にいるのなら、日本人同様、「雨」を楽しんでもらいたいもの。「洗濯物が乾かない」とか、「ジメッとしていて嫌だ」とか言うのはあるのでしょうが、この時期ならではの「花」や「景色」は、なかなかに捨てがたいもの。

できれば、少しずつ、そういう気持ちになれるような余裕ができるといいですね。

日々是好日  
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ぐずついたお天気が続きます。そういえば、「梅雨」が明けなかった年もありましたっけ。

2022-06-09 08:08:14 | 日本語学校

曇り。

もう「梅雨」ですからね。こんなぐずついたお天気も、「もう、梅雨だからね」で、なんとなく納得させられてしまう(当然のことながら、お天道様への恨み言も自然に収まってしまいます)。

そういえば、「梅雨」が明けなかった年もありましたっけ。「冷夏」ともいうのでしょうけれども、「梅雨が明けなかった」というのは、ある種の強烈なイメージを持って迫ってきます。

日本では、「春」が終わる頃、「梅雨」の季節が始まって、それから「夏」となり、残暑で苦しんでいたのが嘘のように朝晩が涼しくなると、「長雨」が続く季節が来る。それからゆっくりと「秋」となり、「冬」となる。「これで一年」という感じですね。この繰り返しがあってこその、「日本の四季」なので、もし「春」が取っ払われ、「『桜の季節』なんてのが、この年はありませんでした」とか、「秋」が取っ払われ、「今年は『紅葉』が見られませんでした」なんてのがあったりすると、もしかしたら、日本人の脳の構造が壊れてしまうかもしれません。考えるだけで、ぞっとしてしまいます。

けれども、この年は「夏」が取っ払われたようなものでしたから、人間のみならず、植物も、そして他の動物たちも、不安だった…「喰い物のあるなし」は、直接、生存に関係してきますから。

若葉も力なく、木々の実も実らず、餌となる「もの」がなければ、それとなくあった「ヒト」と他者(他の生き物)との境界が曖昧になってくる。「ヒト」も自分を守るのに必死になれば、彼らも生きんがためですから、食べ物を求めて、街へと繰り出してくる。せめぎ合いが始まります。「金持ち、喧嘩せず」とはよく言ったもの。「ヒト」も他者も同じです。

もともと、「ヒト」が長い年月をかけて、じわりじわりと彼らの土地を占拠してきたのですから、彼らとて、地が続く限り、また時には海を渡って、食べ物のありそうな所へ移動するのも、不思議なことではない。アフリカで生まれた「ホモサピエンス」は、今では、地球上、どこにでもいるのですから。彼らよりも、ずっと歓迎されざる生き物だったのでしょうけれども。今だったら外来種の害獣と見なされていたかもしれません。

ただ、「ヒト」は牙もなければ、鋭い爪もない、それに、体だって大きい方じゃない。しかも、寒さ暑さに弱く、言葉がなければ、「知識」だって、伝えていけなかったでしょう。「見て覚えるだけ」というのには、限りがあります。

とは言いながら、多分、「Cクラス」も漢字の学習が始まれば、「はい、見て」の繰り返しとなるでしょうし、「筆ペン」を使う時には、指の動きを指で感じてもらわなければならなくなるでしょう。「知識」や「技術」なども、今では「AI」の助けを借りることが増えてきている。

ただ、ヒトは学んでいくうちに楽しさを知ることができる。「できた。できた」で、楽しくなる。そうすれば、学習意欲が湧き、「もっと、もっと」という気持ちにもなれる。

そこが機械とは違うところなのでしょうね。

日々是好日
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今日は、二年ぶりの「入学式」。一昨年の学生も、来たばかりの学生も、みんな「新入生」で、参加します。

2022-06-07 08:11:04 | 日本語学校

曇り。

時折、日が射しては来るのですが、まあ、曇り。自転車でいくつかの角を曲がる度に、青空が遠く見えたり、消えたり…。

最近、テレビのニュースは、「アジサイ(紫陽花)」の花一色になったかのよう。少し前には、「シバザクラ(シバザクラ(芝桜)」の景色が画面いっぱいに広がっていたのですが。最近は、「アジサイ」の他には、時折「アヤメ(菖蒲)」の立ち姿が出てくるくらいかしらん。

昨日、関東地方の「梅雨入り」が発表されました。だから「アジサイ」一色になるのも、不思議ではない。とはいえ、「アジサイ」の品種の多さに驚かされます。色も様々、形も様々。毎年増え続けているのでしょうね。

それはさておき、美しいものには、美しさを通り越して、別の意味がしみ出てくることがあります。「サクラ(桜)」をはじめとして、「アジサイ」にも、どこやら死の影が漂う、それもその一つなのでしょう。死は普遍的なもので、美しさが、心の底にずんと響いた時、人は死を思うのかもしれません。

とはいえ、人は死ぬと、その人は思い出す人だけのものになる。生前は多くの人と付き合い、様々な顔を見せていた人も、死を迎え、記憶の中の人になってしまうと、かつて付き合っていた一人一人の、その人だけのものになってしまう。人と人との交流なんて結局は、極めて個人的なもので、その人しか知らない顔、出来事というのもがあるからなのでしょう。そして死は、それぞれの人に馴染んでいく。

母の時は突き上げるような喪失感。父の時は穏やかに迎えられ、姉の時は…一人になったなという実感。

学生たちの中にも、来日し、勉学に励んでいる時に、身内の死を迎えた人もいました。育ててもらった祖母だから…。それで帰国できた人もいれば、そのまま帰国せずにここにとどまらざるをえなかった人もいました。

死というものは本当に不思議なものです。

人は死を知った時には死んでいる。だから人は死を知らないのだ。悩む必要がどこにあろう。つまり、死とは残されたものの思いに過ぎぬのでしょう。そしてゆっくりと消化されていく、新たな死と向かい合うまでは大きな比重を占めていたとしても。

さて、学校です。

今日は二年ぶりというか、久しぶりに「入学式」をやります。一昨年入ってきた「Aクラス」の学生たちにとっても、いわゆる「入学式」。「Aクラス」でそれを話した時、「えっ」でした。先輩なのに、新入生。それを面白がってはいましたが、実のところ、このクラスの先輩たちは、この間、ほとんどどこへも行けず、可哀想な人たちでした。

先だっての「浅草見学」も、雨でお流れとなり、結局は学校で、お勉強。「何もなかったね」と彼らは言うけれども、まあ、校内での「七夕」はやりましたし、「ひな祭り」もしました。きっと、記憶にはそれほど留まっていないのでしょう、「どこかへ行った」というのが一番いい。

いつものことなのですが、「『行って見た』から、楽しい」のではなく、「『道中』が楽しい。そこでの『お喋り』が楽しい」らしいのです。こちらの意図するところとは別の箇所で楽しみを見つけているらしく、名所旧跡の話ではなく、「(道中で)何々を話した」とか、(道中で)だれそれさんはこんなことをした」とか。またある時は、「(道中で)こんな人を見かけた」とか、「(道中で)面白いものを見つけた」とか。

きっと教師たちと一緒なので、安心して、自由に見たり、聞いたり、お喋りをしたりできるからなのでしょう。ただ、こちらは、(列が)ばらけないように、そして迷子さんが出ないようにと(もちろん、交通事故に遭わないように)気の休まる暇はないのですが。特に、神経を使うのは、新入生が入ってきた時です。

これは、慣れている先輩たちに頼んでも無駄です。彼らとて、いつもはしかめっ面をしている教師連が「勉強」なんて喚かずに、手助けしてくれるのですから、自分が楽しむのに夢中です。

エスカレーターの乗り方とか、日本の狭い道の歩き方とか、こういう折りにでもないとなかなか指導できません。気がつくと五人一組で広がっていて、後ろから舌打ちされていたり、反対方向へ行く人の道を塞いでいたり。

多分、これとても、少し遠くを見ていれば気付くことではなのでしょうが、楽しいことがあると、ついついそれに気をとられて、周りを見ることを忘れてしまう…のでしょうね。まあ、誰しもそうなるのでしょうから…文句を言うのは間違っている。

いろいろな所へ行き、様々なものを見、そういうことが「普通」になっていけば、日本の暮らしに慣れたと言えるのでしょう。

日々是好日
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「その流派に、辟する人においては」…いろいろなことを考えてしまいました。

2022-06-06 08:20:08 | 日本語学校
雨。

梅雨時のような雨が降っています。今朝はかなり冷えます、最高気温も20度には行かないのだとか。今日は長袖に長袖の上着で来た方がよかったのかもしれません。今日みたいな日は、きっと、半袖という真夏の格好の人が二人は、出てくるでしょうね。…そうなると、やっと収まりかけていた「ゴホン、ゴホンさん」が、元に戻ってしまうかもしれません。

「その流派に、辟する人においては」云々。この部分だけが強烈だったので、覚えているのですが、続きの件は、無知蒙昧の輩よりもずっと国のためにならないとかいう意味だったような。「辟する人」というのにドキッとしてしまったのです。漢文調というのは、やはりいいですね。ズバッと切り取れます。和文調とはまた別の良さがあります。こういうのを日本人は使い分けてきたのですね。強く言うか、軟らかく言うか。日本人にとってはそうなのですけれども、漢文調しかないので(変な言い方ですが)、日本人にとって中国語は強くぶっきらぼうな言い方に聞こえるのかもしれません。

閑話休題。

いわゆる「辟する人」というのは、ある事に拘ってしまう人のことなんでしょうね、きっと過剰なほどに。譲らない、譲れないから、そこから、個人的な争いや揉め事、紛争や戦争などが起こってしまう。

宗教だって、人が幸せになるために作り上げたものなのでしょうに、それが「拠り所」となってしまって、争いを生み出し、他者を殺さずにはいられないような状態にまで、人を追いやってしまう。

民族だってそう。人は、(今のところ)皆、同じホモサピエンスで、肉食動物が生きんがために他の動物を食らうというような関係じゃない。それに、ネコや犬、鳥や魚、ライオンやゴリラを可愛がれる人が、人を慈しめぬわけがない。どうして同じグループだけを大切にする。

「同じグループだと思っていたのに、『他の方がいい』と言う。これは裏切りだ」。こういうのは何でしょうね。悪女の深情けでしょうか

派を作り、仲間を作ろうとする。或いは、同じ考えの者で周りを固めようとする。違う考えの人に近づくのが怖いのかな。怯えているのかな。そう思っていたけれども、怖そうじゃない。怯えてもいない。反対に意気揚々として見える。自分を正しいと言ってもらいたいだけ?

「○○する者、この指、止~ま~れ」で、一緒に「鬼ごっこ」やら、「ままごと」やらをする分にはいいけれども、ごり押しをするために人を集めるというのは、どうも、嫌ですね。

多数決というのと、民主主義というのとは、ちょっと違うような気がする。少数者を重んじると言いながら、それが守れるような賢人がそんじょそこらに転がっているとは、どうしても思えないし。

まあ、世界は世界です。個人は個人です。今のところ、学校は平和です。9カ国から来ている22名ほどが、平和に勉強しています。国ごとに癖があって、失敗すると本人はもとより、周りも大笑い。あっちでもこっちでも間違えますから、皆、お互い様という顔をして、失敗しても、あちゃあ、ハハハハハ」で終わり。

こういうのがいいですね。

日々是好日
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南の国から来た学生にとって、やっと過ごしやすい季節に入ったようです。暑いのは大丈夫…らしいですから。…蒸し暑いのも、本当に大丈夫?

2022-06-02 09:16:21 | 日本語学校

晴れ。

朝のうちはまだ涼しく、「まだまだ5月だ。5月のような…はずだ」という気分が抜けきれません。もっとも、今年の5月は、「(5月は、普通)爽やかさとセットになっていたんじゃないの。どうしてこんなにムシムシする」とか、「雨の日が続く。まるで梅雨だ」とか、口さがない雀たちの不平不満があっちからもこっちからも。

そして、6月に入って2日目。やっと初夏の気分になった…ような。

さて、学校です。

この学校では南の国から来ている人が多く、大半はアジア系なのですが、インドやパキスタンの学生がいると、時々「雪は降りますか」なんてことを、訊いたりしています。ただ、「降る」と答えていても、よく訊いてみると、自分のふるさとじゃないようで、雪を見たことがないと言う人も少なからずいます。

昨日、「どんなスポーツが好きですか」という質問に、「バスケットボール」やら「サッカー」やらが出てきたのですが、一人、「スキー」と答えた学生がいて、皆「えっ?」。驚いて振り返っていました。

どうも、テレビかなんぞで見て、それで「いいなあ」と思ったらしい。で、以前、スリランカの学生が話してくれたことを思い出し、「日本にいる間に、(スキーに)行って、やってみてごらん。いいチャンスだから」と言うと、他の学生も頷いていました。

もう十年以上前になるでしょうか。卒業式が終わってから、専門学校が始まるまでの間に、友だち四人とスキーに行って楽しい思い出を作ったという話。「往復バスで、スキー道具などは、皆向こうで借りた。『初心者』を教えてくれるところで、一時間かそれくらい、教えてもらっただけで、すぐに滑れるようになった。とても面白かった」という話。

それを後で聞いた面々、羨ましそうな顔をしていましたっけ。もっとも、それも日本語学校から専門学校に入るという時期だけのことらしく、あるベトナム人学生は、(専門学校を卒業後、この学校に来て)、「私の今の職場は、冬は毎日スキーをしているようなものです」と言っていましたっけ。どうも新潟の雪深いところらしい。

行って遊ぶだけなら楽しいのでしょうが、南の国の人間が、冬、雪と格闘するとなると、辛いでしょうね。でも、みんないい人たちばかりだから、大丈夫とも言っていましたが。

日々是好日
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「日本の会社のことは、…ほんと、よくわかりません。説明はしたものの、そうかなあなんて自分でも思えることが少なくないのです。

2022-06-01 13:12:14 | 日本語学校
晴れ。

きれいな青空の下、梅雨時の花、「アジサイ(紫陽花)」が咲いています。これは、もう、習慣ですね。「『アジサイ』が咲いているのに、晴れなんて」という気分になってしまう。「アジサイ」は雨の下でなきゃ…。

とはいえ、「アジサイ」の品種の多いこと多いこと。通い道にある、あるお宅にはこの時
期、4種類の「アジサイ」が艶を競っているのがうかがえます。いいですね、お庭が開放されているのは。「アジサイ」は、花というか萼というか、その集合体ですから、自然と普通の花よりもずんと大きく見える。とはいえ、一輪で辺りを睥睨しているような「バラ」や「ボタン(牡丹)」とは違い、小さな萼片が集まっているだけですから、目に入ってきても、圧倒されるようなことはない。しめやかな雨の中でひっそりと咲いている(大きくても)…ような姿が、よく似合います。梅雨時の風物詩ですね。

もっとも、雨が降ると、その中を自転車で駆けなければならないので、どうも…困る…のですが、「アジサイ」を見てしまうと、降ってもいいかという気分にもなってきます。けれど…願わくは、休みの日に…降ってくれ。

さて、学校です。

「Aクラス」では、パキスタンの学生が一人、高校卒業資格を取るための試験を受けに、6月に入ってすぐに一時帰国します。昨日は、その最後の日(試験が終わり次第、戻ってくると言っているのですが、残念なことに今回は「N2」の試験に参加できません。ちょうど重なってしまいそうなのです)。「読解問題」で、「新入社員が云々」という文章が出てきました。すると、この学生、「あれ??先生、『石の上にも三年』だったでしょ。どうしてすぐにやめるの」と来た。

このクラスは、今年の4月くらいから、「読解」の時だけでなく、どの授業の時にも、「どうして」「なぜ」が増えてきた。文章を読んだり、聞いたりすることで、日本に関する知識が増えてきたのでしょう。おまけに、その都度、教師が説明するわけですから、「増える」の二乗、三乗にもなってくる。いいことですが、授業がなかなか進まなくなって、一、二週間おきくらいに、「勉強、勉強。説明終わり」と喚かねばならなくなっている。特に、この学生の質問が多い。

彼らにとって興味があるのは、日本の会社や文化。将来は、或いはすぐにでも、日本で働きたいという人が少なくないので、自然とそうなってくるのでしょう。いろいろと聞きたいのです。しかも、これまで聞いた限りでは、どうも自分の国とは違っているらしい…と思っている。ですから、一つでもアンテナに引っかかると、「どうして」とか「これは何」とかが始まるのです。

例えば、創業者と社長が違うこともあるという話になると、「どうして」。同じでないということもあるのだということにびっくり。100年、300年、中には500年以上も続いている会社もあると聞くと、また「どうして」。もちろん、はっきりとしたことはこちらにも判りません。ただ、大きくなると、もう半分以上は「公のもの」という気持ちに皆がなり、あまり勝手なことができなくなるからかもしれません。そんなことをしたら、世間の糾弾を浴びてしまう…。ご先祖様に申し訳ないぞというのも、その中にはあった…かな。そういうことが、昔からある程度共通認識としてあった…のかもしれません。そういう長く続くような会社は、「家訓」があり、それが代々社長業に就く人を縛ってきた…心の裡に「家法」がしっかりとあれば、勝手な真似はできませんよね。

だから、日本では、今、上場企業の社長が、自分の子供に社を継がせるなんて聞くと、「えっ?大丈夫?この会社は」という気分になったりする。

「じゃあ、会社を作った人は?その子供や、そのまた子供たちは?」「多分、株をたくさんもらっているのでしょう。その社で育てられた、能力のある人によって、ますます発展すれば、それに伴ってお金がたくさん入ってくるから。経営が得意じゃないとかあまり好きじゃないとか、得意じゃない人には、その方がいいんじゃないの」とかなんとか、わかったような判らないようなことを言っていますが、日本の古くから続いているような会社、おそらくこれからもずっと続いていくような会社はどうなっているのでしょうね。

ご近所の、○○屋さんだったら勘弁してもらえたようなことも、大企業になったら許されない…というようなことも少なくありませんからね。

こういうことも、もしかしたら、彼らは「日本文化」の一つとして捉えているのかもしれません。

日々是好日
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今のところ、宿題を見るにしても、「文字の訂正」と「書き直(させる部分)」で終わってしまっています。

2022-05-31 08:44:16 | 日本語学校

小雨。

「止むかな、それとも、まだかな。もうちょっとかな…」。小雨の時のお空の様子を見る目は、いつもどこかしら気ぜわしい。

今朝もそんな具合で、うちを出た時には小雨。何度見ても、小雨。それも糸を引くような雨で、「こりゃあ、待ってもしょうがない…」と思わせるような具合。で、今朝も早めに出てきました。職場で七時が鳴ると、どきっとしてしまいます。

「初級クラス」は、4月の末から、少しずつ進めてきました。ベトナムの学生は、多分「ひらがな」「カタカナ」は書けているであろうと一応考えて進めていったのですが、豈図らんや、習ってきたことは習ってきていたが、ひどい「字」…。なんてこった、やり直しじゃあです。今はそっちの手当に大半の時間を割かざるを得ないという状態です。

とはいえ、先に「インド」「スリランカ」の、計四人が来ていたので(フィリピンの学生はほとんど問題がありませんでした。少々問題があったとしても、読めた)、分けて手当をすることができましたから、一時に来るよりも、ずっと楽でした。

しかしながら、宿題を見るだけで(「ひらがな」「カタカナ」それから下の線をはみ出して書く癖、「数字」などを訂正し、書き直させることまでいれれば)、一時間以上かかります。わずか10人のノートなのに、情けない(四人は、在日で、書くまでは考えていないようです)。

もちろん、「漢字」に入る前まで…ということです。いつものことですが、幾度間違えた字を書き直させ、それを一ヶ月繰り返したところで、改める気のない人は、改めません。確かに面倒ですからね、彼らにしてみれば。だから、期限を切ってやっています。少しでも変われそうな人は、引き続き見ていきますが。

一応、来週から「漢字」を入れる予定ですので、それからは文法上の間違いと、あまりにひどい「文字」だけを見ればすむということになるでしょう。

スリランカの学生の一人は、「ナ形容詞」と「イ形容詞」とが、ゴッチャになっているようで、「ナ形容詞」に「ナ」をつけぬまま、「名詞」の前に置いてあったりする。

「ナ形容詞」と「イ形容詞」の見分け方なんて簡単なものなのですが、ただ悩んでしまうと失敗する。「い」の付く例外の「ナ形容詞」を覚えていけばいいのです(「初級」には大してありませんから)。ただこの学生(彼に限らず、スリランカ人学生の大半)は、理屈よりも、聞いて覚えるという方面に長けているので、嫌になるくらい、復習で繰り返してやれば、覚えていきます。人にはそれぞれ、得意なやり方があるようで、それを使って伸ばしていけば、双方とも、疲れないし、イライラして傷つくこともない。

この「繰り返し」というやり方。すぐに定着する傾向のある国・民族と、なかなか定着せぬ国・民族があるので、両方が同数くらいで同時にやってきた時には、ちと技術がいる。もとより、この技術というものも、あまりに差がひどすぎると失敗する。なんと言っても小手先の技ですから。その時は、必死にやる方を選ぶ。ということで、スリランカ勢はよく、当方の視線から外されます。

これまでは、「聞き取れて、話せれば、それで語学の勉強なんて終わりだ」ふうの(スリランカの)学生が多かったので、他の学生(ヒアリングが苦手)の練習を見ている間に、「漢字の練習をせよ」と言っても聞きゃあしません。遊ぶか不平を言うかになっていました。「自分は(彼らと違って)できるんだ」というわけです。

「でも、読めないだろ」というのは、こういう手合いには効かないのです。生活力もありますし、その上、おそらくは勘でしょうねえ、「N3」にはだいたい合格します。

とはいえ、「読解」の授業なんて成立しません。読めないのですから。

こちらも年季が入り、こういう手合いにも慣れ、最初の頃のように向かっ腹を立てることもなく、もっとも、スリランカ勢もだんだん変わってようで、今は、多少その気はあるにしても、言われたとおりに宿題をし、書いて提出してくれています。

学校とはいえども、「日本語学校に来る留学生(大人)」の中には、目的が彼我(「非漢字圏」の学生であろうと、在学中に「N2」まではとらせたい、またとりたい)で、違う場合もあったりするので、そこら辺の兼ね合いは、以前は相当難しかった。とはいえ、今は、真面目で頑張っている人が大半なので、そういう意味の苦労はありません。

日々是好日
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昨日から、ベトナムの学生も授業に参加できるようになりました。「Cクラス」は全員が揃って、14名になりました。

2022-05-26 09:40:26 | 日本語学校

晴れ。

昨日から「Cクラス」は全員が揃い、14名になりました。母語は八種です。「全員が揃うまでは」と、ゆっくり進めていたのですが、さて、全員が揃ったので、少し早めることができるかと思いきや、どうも、先に来ていた(5月の中旬)ベトナムの学生のうち、一名は「カタカナ」どころか、「ひらがな」さえ、ちと危うい…ような。提出された宿題を見た限りでは。

まあ、それはともかくとして、皆、このゆっくりとやりながら、待っていたグループのレベルに合わせられるよう頑張ってもらうしかありません。一応、「N5」に合格して来ているのですから。というわけで、彼らが慣れてきた頃に、もとの速度に戻していくつもりです。

「日本に行く(ことが決まった)から、その前に、すこしでも頑張っておこう」か、「日本に行く(ことが決まった)から、もうやらなくていい、向こうでやればいいや」と考えるか、来日後の道の分かれ目です。何事によらず、ことは、起こる前に始まっている…。

もちろん、ベトナムの女子学生たちは、のんびりしているというか、おっとりしているというか、不真面目というより、そう言った方がいいような人たちで、思わず、「大丈夫かなあ。外国での暮らしは大変だよ」と、背中かどこかを叩きたくなる。

ところが、どうも向こうは何とも考えていないらしい。まだ、現実味を帯びていないのかしらん。試験(「N3」か「N4」)を受けてはじめて、「えっ」となる…かもしれませんが。

とはいえ、これまで、「えっ」となっても、それから頑張り出したというベトナムの学生はいなかったような…気がする(頑張る人は、そんなことがなくても頑張っていますし)。大半の学生は、「風邪を引いた。でも、直ったら、引いたことさえ忘れている」ってような気がする。本当に見事にすぐ忘れてしまうのです。というか、もしかしたら、彼らにとって、「合格する」とか、「日本語が上手になる」とかいうことは、それほど重要なことではないのかもしれません。

教える方は、勝手に、「留学してきたのだから、最初の目的は日本語だろう」と思っているのですが。ただの外国暮らしが目的なのかもしれません。不思議なのですが、だからどうにか辛い日本ででもやっていけるのかもしれません。

日々是好日
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「Cクラス」は留学生7人を入れて、10人になりました。今週、日曜日に来日した三人が入ってくれそうです。

2022-05-24 08:23:12 | 日本語学校

晴れ。

やっと日本に来た…というか、来られたというか、それが、この二年間、待たされた学生たちの本音でしょう。この間、(現地の日本語学校で「N5」に合格した後)ずっと、勉強を続けて来た人は、おそらく、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」も、「文法」も、(来日後)「初級クラス」に入れられれば、自分は(この人たちとは)違うという気にもなってくるのは、当然といえば、当然のこと…ではあるのですが…、ただおかしな我流になっていると、微調整が効かないこともないわけではない。

ここまで頑張ってきた人に、…困ったな、どうしよう…。実は学校の宿題のこと。

このクラスは、4月の第2週に三人から始まり、第4週三人、5月になり、第一週に二人、三週に二人で、現在のところ、10人。そして、多分、明日か明後日、残りの三人が入ってくる。

インド、スリランカからの人は、大して勉強してきていないので、ある意味、来日後にどんどん(日本語を)入れられる…やる気さえあれば…「文字」にしても、「文法」にしても。「文字」を介さずにやるなら、こういう国の人は得手に帆揚げて…で、楽勝なのです。街で物を売っていれば、自然に言葉を覚えられるような人たちですから。但し、限界はすぐにやって来ます。「読み・書き」ができなければ、所詮、知れたもの。これはどこの国においても同じでしょう。普通の人は(天才とか特別の能力を持っている人は別です。まあ、そういう人は、そう多くない)。

ところが、ベトナムから来ている学生の中には、国で、一人で頑張って来た人がいる。おまけに、彼の国の北部は、曽て中国文化の影響を色濃く受けてきたこともあり、寺院などには「科挙合格者」の石碑まであったりする。つまり、歴史の中に「漢字」があるのです。だから、「漢字」に対して拒否反応を抱くどころか、必死に書いて覚えようとさえする人がいる。そこには、どこかしら「書けることがうれしい」ような雰囲気まで感じ取れるのです。

だから、インターネットなどを通して、勉強するのでしょうね。けれど、これが、来日した時に困ることになる…場合がある。

彼女も、(学校に)来た2日目からしっかり宿題をしてきました。「漢字」をできるだけたくさん使って。『教科書』の中にある「漢字」を、(多分、知らないものまで)見よう見まねで書いてくる。変なところが跳ねてあったり、「ノ」とせねばならぬところが「一」になっていたり。…で、「困ったな」。とはいえ、頑張っているのを抑えるのも気が引ける。で、「ひらがな」「カタカナ」を直していくとともに、漢字も一字一字直していった。これは、1回目の提出のとき。それが、昨日(2回目の提出)は、「漢字」の数が何倍にも増えていた。「ちょっと、こりゃあ…、だめだ」で、「しばらくは、『ひらがな』『カタカナ』に専念するように」と言うことにした。

今日、注意するつもりですが、それでやる気が殺がれなければいいのですが…。他の学生たちは、まだ「カタカナ」に入ったばかり。来日時に「ひらがな」は、皆、読めるし書けると言ったけれども、提出された宿題の「字」はひどかった。後半の授業で、「ひらがな」の勉強を進めていくうちに、宿題の「ひらがな」のミスも少なくなってきて、「文字」に関してはそれほど注意することもなくなってきただけに、彼女の「字」は目立つのです。

このクラスでは、今は、「カタカナ」に入っていて、最初からやっている学生は、日本人が見ても、「うん、きれい」と思える…それほどでもないか…くらい真面になってきた。しかも、きちんと大きく書かれてあるので、判りやすいのです。だから余計目立つ。

おそらくは一番来日を待ったであろう学生。一番頑張ってきたであろう学生なのですが、やはり基本は「字」ですからね、できるだけ心を傷つけぬように言ってみるつもりです。後々、役に立つことですから。でも、それが判ってくれるかな。他の学生たちよりも自分の方ができる…という気持ちが強そうな人のように見えるので、もしかしたら、中国人に対する時のように、強く言ったほうがいいのかも知れません。ちょっと迷っています。

もうこうなったら出たとこ勝負ですね。

日々是好日
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今日一人、また一人と、ばらばらと人が入ってきます。賑やかになっていいですね。

2022-05-20 07:51:20 | 日本語学校

晴れ。

最近、留学生が入国できるようになったからでしょうか、卒業生が時々、顔を覗かせてくれるようになりました。それと同時に、以前この学校で勉強していた人が、日本の国籍を取得できたという新たなニュースも耳に入るようになりました。

留学生が、数年日本で働き、税もきちんと納め、そして国籍を取得するというのは、前からよく聞いていた話なのですが、在日の人というのは、それっきりの人も多いのです。また、一人一人がバラバラでやってきますし、期間も短いが故に、他学生(留学生)とそれほどつながりもない…で、留学生たちが来ても話に上らない。

街で、急に、「先生、お世話になりました」と言われて、戸惑ってしまうのはこんな時。しかも、今はマスクをつけていますし、その上、イスラムの人は髪もヒジャブで隠していますから、全く目だけしか見えない…数年、もしかしたら十数年前に学校にいた人だったかもしれない…だれだっけ??でも、どなたですかとは聞きにくい。というわけで、何となくお茶を濁して、元気でねとしか言えない…。とはいえ、同国人同士では緩やかなつながりがあると見え、数年経ってから、急に前の人のニュースが入ったりすることもあります。

それだけではありません。国によっては、法律上の名前で呼ばず、愛称で通すという事もありますから、在学中は私達はその名に親しんでいたのに、卒業後、その国の人が、その人の名をパスポートに書いてある名で読んで、こちらに聞かれても、これまた「うーん。だれだっけ?」。

また名前が長い(日本では姓と名、普通は二つです。けれども、日本でも古くは長々と下についた名もありましたっけ)人の場合は、どの名前で呼ぶかで、記憶が甦る場合と、う~んと諦めてしまう場合とがあるのです。

特に、以前多くいたスリランカの学生などは大変です。卒業生曰く「先生、○○さんを覚えていますか」「ん?だれ?」。私達は三番目の名前を呼び慣れていたのに、彼らの間では五番目の名前を呼んでいた…これじゃ、わかりません。しかも、同じような名前が多いのです。

ベトナムの学生も大変。全く同じ読みの学生もいたり(時々、彼らに、二人は違う発音と言われるのですが、私の耳には同じ音にしか聞こえない。しかも、練習しても、ダメだしが、永遠に続く…時々、こいつら、日頃の仇を今とっているなと思えるくらい)、実際に全く同じ名前の人もいたり。

中国人であったら、同じ音であっても、漢字が違う場合もあるので、そこは日本語読みにすれば何とでもなる。しかし、ベトナム語はいわゆる「カタカナ」(「アルファベット」でと言うべきか、「ピンイン」というべきかは判りませんが」)、「カタカナ」で書けば、全く同じということになる。

今期の入学生にも、全く同じ(彼らの音では違うかもしれませんが)「カタカナ」で書かざるをえない人がいるようです。前の時には、一人は全部読み、もう一人は後半部分だけというふうにしてもらいましたが、大きい学校だったら大変でしょうね。

そんなこんなで、昨日、自宅待機をし、陰性だった人が、一人授業に参加しました。彼女は『みんなの日本語・40課」まで勉強したそうですが、やはり「聞く」や「応用」というのは違います。たとえ、2,3週間であろうと、私達と問答をしてきた学生と比べれば、まだ、応用力に難があるようです。「初級クラス」で一緒にやっても大丈夫でしょう。別の部分で他の学生より早くやればいいのですから。

ということで、最初は、やはり「複式授業」のような形をとらざるをえないということになります。メインは四月の後半に来日した四人とその前に来日した一人、この五人です。年齢も高く、なかなか覚えられないという二人と、5月末、多分6月の初めに参加できそうな三人は、最初はあまり無理をさせず(ただ、三人とも一応『みんなの日本語(Ⅰ)』は国でやってきていますから、ヒアリングが付いてきたら、それほど気にかけずともいいでしょう)、そしてウズベキスタンの人は、モンゴル人と同じですから、すぐに追いつけるでしょうし(「ひらがな」「カタカナ」も頑張ると言っていましたから)。それから「40課」まで勉強してきた一人。この人には、授業中は、飽きさせぬのように応用で問題を出していけば大丈夫でしょう。

「初級」クラスが賑やかになってくると、如何にも学校のようで、いいですね。

日々是好日
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