日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

アルバイト時間が、28時間と決まっているのなら、夜勤しかないし、遠くの工場しかない…。

2018-12-14 08:44:30 | 日本語学校

晴れ。

今朝は星がよく見えました。乾燥しているのでしょうね、洗濯日和。

昨日、いつもより少し早く出てきますと、陽が当たって、ビルが黄味を帯びたピンク色に染まっていました。「早起きは三文の得」、目の果報でした。

とはいえ、午後のクラスの学生達は、夜勤(業種によってはかなり時給が違うのです。しかも行こうと思えば自転車でも行けますし、帰ってから、寝ようと思えば、6時間か5時間は寝られます)が多く、「早起きは…」とは言えません。午前のクラスの学生も、人によっては夜勤のバイトをしていることもあり(22時から5時まで、業種によっては25%アップのところもあるのです)、同じように「早起きは…」は通りません。

勿論、できうることならば、夜は寝た方がいい。もっとも、…これは無い物ねだりでしょうね。生活費は稼がなければなりません。…アルバイト時間に上限があるならば、時給は高い方がいい。…というわけで、学生達は、2時間かけても、遠くの工場へ行ってしまうのです。

当然のことながら、午前のクラスの学生で、夜勤が入ってしまいますと、勉強に集中できません。集中できないというよりも、眠くて眠くて仕方がない…の、はずです。ところが、そういう学生でも、出席率が95%を超えるくらい学校に来ていますと、日本語力は伸びていくから不思議。まさか、睡眠学習の成果ではあるまいし、とも思うのですが、おそらくは、「挫けない『ド根性』」の然らしめるところなのでしょう。

「毎日、学校へ来て勉強する」という習慣がついていることが大切なのです。この習慣がついていない人は、学校としても…ですね。彼等の国に行っての面接で、異国人である私たちでも、それとなく感じるところがありますのに、同国人である彼等の紹介者が(教えている人か、またその学校の経営者であることが多いのですが)「いえ、真面目な人です」というのは、おかしい…。でも、こう言うのですよね。

まあ、高卒の学生は別として、大卒であったり、結婚していたりしますと(来日が決まってから、結婚する人がいるので、これが困るのです)、目的は違ってくるかもしれません。

けれども、これはもう私たちにはどうしょうもありません。彼等の国や民族の問題でしょうし、また、彼等個人の問題であるかもしれないのですが。私たちは、きちんと真面目に学校に来て、勉強する人であればそれでいいです。だって、学校ですもの。勉強する気のない人が来れば、ほかの人に影響してしまいます。

実際、そういう影響も出ているのです。高校を出たばかりで、それほど意志の強い人でなかったりすれば、人は易きにつくもの。アルバイトで疲れて帰ってきて、また宿題をしなければならないとか、眠いのに学校へ行かなければならないとか、国にいた時から習慣になっていなければ、それはしんどいでしょう。

一度働きに出たことのある人や、大学で楽な生活を送ってきた人は、急に真面目にやれと言われても無理でしょうね(頑張れる人もいたことはいた。でも本当に少なかった)。

頑張れた人は、たいてい、日本で大学に行くと決めてきた人や、学びたいことがある人です。

日本も、これからは働きたいという外国人をかなり入れるようです。そういう人が、来日して、仕事を始めてみれば、きっと日本語の不足を感じることになるのでしょうが、反対に、語学留学生として日本に来て、『初級』なりとも勉強し、それで、それなりにアルバイトができている人は、彼等ほどには日本語の必要性を感じていないのかもしれません。

日本語を学びたいと学校にやって来たインド人の話をすると、びっくりしていましたもの。

その人は大学で「N2」までとって、来日したのですが、ネットでの日本人とのやり取りに困って、訪ねてきたのです。彼の言う「業務用の日本語」というのは、単なる「国語力」とは違い、仕事によってかなり違ってくるもの。それぞれ特有の言い回しや単語もあります。それは私たちには手に負えません。やはり各会社で覚えていくしかないのです。あるいはマニュアルがあるかもしれませんが。

そこへ行く前の、基礎部分を日本語学校は担っているのです。日本人とのやり取りも、基礎がわかっていれば(この基礎には、日本人の習慣なども入っています)、あとは、会社の人々の様子を見たり、あるいはそこの日本人に聞いたりして、身につけていくしかないのです。日本人の若者だってそうしていますもの。

これらは語学学校で学ぶようなものではないのです。

将来、日本で仕事をしたいと言っている学生達、ここのところがよくわかっていないような気がしてなりません。

日々是好日

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単語一つにしても、文化的な背景が異なってくると、なかなか伝えにくい。

2018-12-12 12:01:18 | 日本語学校

小雨。

「氷雨」といった方がいいような冷たい雨です。散らずに頑張っていた「秋バラ」が頭を重たく垂らしています。こちらでも「サクラ(桜)」の紅葉は終わりを告げ、数えられるほどしか樹に残っていません。これから、幹は、春に向けて力を蓄えることになるのでしょう。「サクラ」なるものが、この地にやって来てから、延々と続いている営みです。人たるものが人がましきものになってから、そして「サクラなるもの」を観賞する力を得てから、どれほどの年月が経ったことでしょう。

こんな感傷も「サクラ」にとっては、我がことに非ずでしょうかしらん.

さて、学校です。

最初は、ノホホンと構えていたのに、だんだんと日本で暮らしていくうちに、頑張れるようになった…人もいる。この、「頑張れる力」というのは、先天的なものに非ずして、後天的なるもの。祖国にいる限りは、親の庇護を受け、地域社会のそれなりの階層に守られ、それなりの立場でいられたのに、ここでは全く違うのですから。

中国にいた頃にも、同じような人がいたのを覚えています。その人は、日本にいる留学生達とは全く反対のことを言っていたのですが。

「私は、○○だ」と、如何にも偉そうに言うのです。日本の若者は「だから、何?」とキョトンとしている。文化の違いというのは恐ろしい。多分、彼等の国、あるいは彼等の文化圏では、その、「○○」が異常なる効力を発揮していたであろうに、日本人は「無知」ですから、「だから何なんだ。お前は大したものじゃないだろ」で、終わり。下手をすると、「変なことで威張っている、おかしなヤツ」くらいになるかもしれません。

この、「文化」というか、「伝統」というか、いわゆる「階層」で相手を威圧しようというのは、日本人には全く馴染めません。「そんなもん、知らん」で「上がり」です。

中国人は「政治」に敏感ですから、「大統領の親族」というのは効くでしょうけれども、日本の若者には、ちょっとね。まあ、面白がるような若者はいるかな。でも、それで「得をしよう」なんていう思考回路は、おそらく持っていないでしょうから、言うだけ損です。

インド圏は、東アジア文化圏に比べて、そこが面倒なのかもしれません。何かの拍子にそういうことが、ひょいっと出ることがあるのです。

日本人は欧米の人達から見ると、「個人が確立していない」ようですが、(日本人の)「生きとし生けるもの、皆、同じ」という思想は、私には得がたいものと映ります。

日本も、長く封建社会でありましたのに、どうしてでしょうね。確かに、会社に属する人には、ありがちなことではありますけれども、普通の社会においては、主従関係というのに、馴染めないのです。

ペットに対してもそうです。バシッとやれない人が多いのです。すぐに、「良いお友達」になったり、「兄弟」「子」「孫」の関係になったりしてしまう。

先日、学生から、「ほかの人の家で、家事をしたりする人を何というか」と聞かれて、「う~ん」と困りました。彼等が聞いているのは、彼等の社会でのそういう人達のこと。ごく普通の家庭にも、たいていいて、非常に安い賃金で働かされている人達。選択の余地なんてあまりありません。その人が辞めても代わりはいくらでもいるのですから。

日本ではそうい仕事をしている人達は少ないし、お金持ちでも、他人を家に入れて、家事をしてもらうというようなことはあまりやらない。普通は、そういう会社があって、そこから、何時間とか何日とかで人を派遣してもらう。もしずっとやってもらっているとしたら、そういう仕事がプロとしてできるわけですから、賃金は、留学生のアルバイト代よりもずっと高い。そう言うと何が何だかわからないという顔をしている。

彼等のところではそれは主従関係に近くなって、言われたことは何でもやらされるのでしょう。お友達とはならない。

似た状態(主従関係に近い)と言えば、家元のところの徒弟とか内弟子とか言われる人達くらいかしら。けれども、そういう人達の家は貧しくはないだろうし、伝統的な技術や心構えなどを伝授してもらうために、そういう先生の元にいて雑用もしたりしているのだろうから、もしかしたらもっと厄介な関係なのかもしれない。

こういう「家事」で、「人を使う」と言うことが、現代の日本人は苦手なのかもしれません(戦前にはありましたね。階層がかなりはっきりしていましたから)。どうも「皆、同じ」と見てしまう。だいたい、教育レベルだって大差はないし、何の能力もない人が、そういう仕事ができるとも思えないし。

彼等の国では学校教育を受けられる人の数も限られているだろうし、女性の地位も低いと言われる日本人から見ても、まだずっと低いだろうし。

適当に単語を伝えるだけなら、簡単なのですが、それの意味するところが違ってくると、安易に伝えるわけにはいかなくなります。結局、相手の文化、慣習などをある程度知っていなければ、単語すら伝えられなくなってしまう。彼等が自分たちの国と同じだと考えてしまうと大ごとですから。

日々是好日
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「卒業してから…」に向けての授業が始まりました。

2018-12-11 08:28:51 | 日本語学校
晴れ。

今は、きれいに晴れ渡っていても、西からお天気は崩れてくるそうで、午後になるとまた鬱陶しい灰色の雲に覆われてくるのでしょうね。

さて、学校です。

最近、急に活発に授業に参加し始めた二年生が、「Aクラス」にも一人、「B・Cクラス」にも一人。この「参加しはじめた」というのも、理由はそれぞれ違うようです。

まず、「B・Cクラス」の女子学生。

これまでは、学校には毎日ちゃんと来ているのだけれども、「(参加していた」というより、聞いているうちに)ウトウトしていたと言った方がぴったりくる…というような学生だった…のに、最近はうって変わって、(漢字の時だけは)目がキラキラとお星様状態。

もっとも、この「目、きらきら」は、「N3漢字」の復習が終わり、「N3文法」の復習になった途端、また元の「どんより」になってしまうのですけれども。

この「N3漢字」。人によっては3回目にもなるのでしょうか。彼女にとっては、2回目ですけれども。1回目は、毎日学校に来ているわけですから、その都度、漢字の練習はしたことはしていた。ですから、「しんにょう」とか、「さんずい」、「うかんむり」「きへん(このクラスでは、きと言う人の方が多いかな)」などを、覚えているか、覚えていないかはさておき、一応、毎日のように聞いていたので、「耳胼胝」状態であったころは確かでしょう。

というわけで、これが復習には俄然、強い味方となる。

まずは、一ページ毎に復習です。

最初は、上の絵を見て、そこに書いてある漢字を読ませてみる。これが、彼女、うまいのです。他の、毎日コツコツと覚えてきたような学生は、自分の記憶を辿ろうとするので、言うのが遅れがち。ところが、それが真っ新に近い…彼女は、さっと下の漢字・熟語部分を見て、素早く見つけ出し、口にする。勿論、これも能力。「よし!」です。これで、彼女にとっては、活躍の場を一つ「見っけ」です。

それから、そのページの漢字、熟語などを一緒に読む、次に意味の確認。これは既習ですから、思い出すための一助というだけのこと。そして、次はいよいよ「書く練習」です。「増」なんてのは、言いやすいから、楽勝なのですが、

「最初は?」
「つち」、「つちへん」(この、へんまで出てきたら、御の字。よく忘れてしまうのです、このクラスでは)
「次は?」
「そ、カタカナの『ソ』」
「次は?」
「た(田)」
「次は?」
「ひ」「にち」
で、書けます。いつもは「わからない~、いや~」と言っているような学生でも、こうやると楽々に書けるので、ありがたいですね。時々、上のレベルの学生には別の注意をしていきますが、度が過ぎると、やる気のない学生の方が、飽きてくるので、慎重に…。

毎日、学校にさえ来ていれば、練習して(いるかにみせて)書くだけであっても、学校に来ず、つまり、(漢字を)見てもいないし,書いてもいなかった学生よりは、遥かに「強力」です。

時々、言いにくい漢字も出てきます。例えば、機会の「機」
「最初は?」
「き」、「きへん」
「次は?」
「いと」「いとへん」
「いと?全部?」
「違う」「『ちいさい』がない」(誰かが「すくない」などと言います。すると、また誰かが「違う」と言います。その時は必ず二つとも書いて見せます)
で、「いと」の上だけということに、
「いとのうえが二つ」
「はい、こう?」「次は?」
「長いいち」
「次は?」
「ひと(人)」
「次は?」
「う~ん」(わかるけれども…というところなのです、で、一緒に「う~ん」と言いながら、ぐにゃりとした線を書いていきます。すると「そうそう」で、「う~ん」と言いながら、線を引く、そして最後に「ノ」「てん」で上がり。

こういうふうにして、一ページ目が終わったら、「大丈夫?」「はい、大丈夫」で、「では、教科書を閉じて、ノートの書いたところを隠して。書いてみよう」。順に、練習した漢字か、熟語を言っていきます。

言われてすぐに書ける人もいるのですが、言われても、練習した字のうちの、どれであったかがわからなくなっている人もいます。「う~ん、う~ん」うなり始めたら、助け船を出します。「最初は何だった?」あちこちから「きへん」と言う言葉が出ると、「あ!わかります」。それから、また詰まってしまえば、「きへんの次は?」また誰かが答える。すると、書ける。その字が書けると、それなりに達成感を味わえるようで、顔が明るくなってくる。

だいてい、毎日来て練習していた人は、目も手もそれとなく覚えている。だから、書けるのです。書けると、うれしそうに「もう、大丈夫。覚えた」と言います。

「N3」の「日本語能力試験」も終わり、彼等にとっては、「これからのための授業」になります。漢字が苦手で、「Aクラス」の学生のように、「N2」を目指すことができなかった人でも、卒業までに「漢字嫌い」のままでいてはなりません。

勿論、これは「(日本語が)上手になりたい」と思っており、「楽しければ、やるだろう」と思えるような学生の話なのですが。「ゲーム感覚」でやっていけば、毎日、三ページくらいはやっていけるでしょう。けれども、無理は禁物、多すぎて飽きられてしまっては元も子もなくなります。腹八分目と言うでしょう。目的は、「漢字は出来る。楽しい」と思わせることなのですから。

もっとも、「漢字の練習」が終わり、次の「文法」のところでは、ぐったりして、もうだめなのですがね、彼女。

日々是好日
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この学校でも、始めの頃は、「一」「二」「三」までは良いけれども、「四」はちょっとと言う人がいました。

2018-12-10 12:07:38 | 日本語学校

曇り。

寒々とした冬景色が広がっています。通勤の人が多いのに、驚くほど静か。皆、下を向いて、あるいは前を向いて、駅に向かって急ぎ足で歩いて行きます。横を向いたり、誰かと話したりしている人がいないからでしょうね、この静けさは。

これがもう少し経って、小中高生が通学の時間となりますと、賑やかになって来るのですが。そして4月になりますと、まっさらなスーツを着て、一目で新入社員とわかるような人達が、おそらくは独身寮からでしょう、如何にもうれしそうに声高に話しながら、連れ立って駅へ向かっていきます。

子供とか、興奮気味の人達が、道行く時、一時賑やかな風が吹いているような気がするのです。だから、いい年をした大人が、大きな声で話したりしていると目立つのでしょうね。もっとも、職業柄、地声が大きくなったりする場合もあるので、一概には言えませんが。

さて、学校です。

進学先が、まだ決まっていない人が、数人。焦っているかなと思って見ていると、どうやらそうではなさそうな人が、その中にいくたりか…いるらしい。他をあたっているからか、あるいは自分は大丈夫と思っているからなのか。本当は、他の道はないと、了見を決めてくれた方がいいのですが。

進学先が決まった学生の中にも、決まってから休みがちになる人もいて…、大丈夫かな?経済的な問題とは別に、多分、学ぶという習慣に欠けているからかもしれません。映画を見せると、すぐにしゃべり始めたり、スマホを見たりする人たちとだいたい同じ顔ぶれですから。

その反対に、進学先が決まってから、肩の荷を下ろしたように、急に真面目に勉強を始め
る学生もいます。

この学校でも、過渡期なのかもしれません。

この学校ができた当時は、進学先が決まると、いくらこちらが、さまざまな教材を用意しようと、来なくなる学生が少なくありませんでした。無駄になった教材がたくさんありました。1年以上も経つと、「皆一緒に」が、やりにくくなるクラスもあるのです。その時は個別に釣っていくしかありません。

最初はスリランカ人。漢字も「一」「二」「三」まではいいけれども、「四」で躓くという人がワンサカいて、これはどうしょうもないなと、まあ、(日本に)来られてしまったからには、簡単に匙を投げるわけにもいかぬことながら、(気持ちの上では負けていなかったけれども)、溜息はよくつかされていました。こんな連中にでも、どうにか日本語を身につけさせなくてはならぬと、今から思えば、独り相撲のようなところもありました。それを学校の教員が皆で、やっていたわけですから、よくぞやってきたものです。

その次は中国人です。最初はひどかったけれども、数年後には、夏休みや春休みまで学校に来て勉強するような学生が来るようになり、こちらも、いい意味で教材作りに追われることになりました。1年ほどで「N1」に合格してしまえば、次は「文学作品」や「新聞記事」などを作らざるをえなくなりますもの。

そして、その大波が過ぎて、今度はベトナム人。この人達は、映画がだめなのです。集中力に欠けるというか、すぐに話し始めるのです。聞き取れないからなのでしょうが、他の国の人達の邪魔になり、少々険悪なムードになったこともありました。彼等の国では皆が騒ぐから、問題にもならないのでしょう。

次がネパール人です。おっとりとした人達が少なくなく(面接で半分以上をお断りしたからなのか)、勉強はそれほどできなくとも、こちらが不愉快になるようなことは本当に減りました。

出身国が違うと,教え方どころか教材まで換えなければならないことも多く、その都度、こちらの引き出しも増えていきました。

クラスの中での国ごとの割合、つまり、ネパールが何人、ベトナムが何人、スリランカ、インド、中国が何人と。これは大まかな分け方ですが、その他に、また彼等の一人一人の性格によっても多少変わってきますから、その都度、様子見をしながら、やり方を変えていきます。

ベトナムの学生の時には、教科書まで考えさせられました。聞き取れないし、初めの頃は、国でほとんど勉強して来ていなかったのです(でも、「N5」には合格してきていましたから、…カンニングだったのでしょうね)

それ以後、非漢字圏の学生には…この教科書とこの問題集とこの参考書というふうにだいたい決まってきました。もちろん、また国の割合が変わってきましたら、考えざるをえないのでしょうが、この一手間があるからこそ、学生の方でも落ち着けるのでしょう。先が見えるというのは、本当に大切なことです。

二年生になったら、これくらい読める、話せる、聞き取れる、書ける…それが見えるからこそ、「学ぶ」の割合が増えてくるのでしょう。途上国から来ている留学生は、「学ぶ」に集中できる人はそういません。最初の学費は(親が)準備できても、生活費、また進学する際の学費など100%援助してもらえる学生はごく稀なのです。いきおい、アルバイトをしながら、生活費を稼ぎ、残りを貯めて、進学に備えていくという形になります。

先が見えてくると、将来生とか学びたいこととかで、進学を決めることができてきます。先が見えなければ、どこでもいいから日本にいられるところを探すだけということになってしまいます。良いように回り始めると、先の中国人学生達のように、レベルが上がっていけるのですけれども、なかなかそれは難しい。もちろん、難しいにせよ、最近はいい方に回り始めているような気がします。

日々是好日

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「社会問題」???隣の人のことしか、わからない…。それでも一歩。

2018-12-07 08:29:09 | 日本語学校
曇り。

昨日は寒かったのに、今日はそれほどでもありません。明日からまた冬に戻るそうですが、今日一日、暖かければ、それで良し…てな、気分になっています。一喜一憂するのが、少々馬鹿らしい。

人が蒔いた種で、「カラス(烏)」が害を被るなら、「カラス」に申し訳ないと思うけれども、人が蒔いた種で人が悩むのだから、それは身から出た錆、だれもかわいそうとは思ってくれないでしょう。「今日は暖かかった、よかったね」で済ませてしまおう…。もしかしたら、これって『梁塵秘抄』の頃と同じ…。

「浮き世は夢よ、ただ狂え」

「ゆっさ(いくさ)」が続いて、今日、生きていられるのが不思議。五体満足に過ごせるのが不思議。飯の種にありつけるのが不思議。…なんだか、いくさこそなけれ、そういう世界に片足突っ込んでいるような、そんな気分になっています。

さて、学校です。

ふるさとの親兄弟、親類などが亡くなったり、病気になったりで、家から送金できなくなった…。そんなさまざまな理由が本当にあったり、それが言い訳であるのかもしれませんが、二年生は進学を控え、アルバイトの時間を増やしているようです。

友人間での金の貸し借りはあるようですが、これも、むやみやたらな人からは借りていないらしく、親戚縁者か、同じ地域の人からかに限られているようです。

これで、「まともになった」と感じてしまうのは、自分の方が彼等の世界に片足突っ込んでいるからかもしれません。

以前、スリランカの学生が、空港で親切にされたことがあるという、ただそれだけの理由で、よく知らない人に金を貸したはいいけれど(彼等の世界では大金の部類に入るでしょう)、返してもらえず、専門学校の学費が払えなくなって、帰国せざるをえなくなった…ということがありました(帰るというので、挨拶に来たのです。その時の話)。

なりは大きくても、それまでは父母に守られて、そういう不届き者の存在を知らなかった…だから、簡単に信じては行けない人をつい信じ、用心しなければならないことを用心しなかった…。不用心といえば、確かにそうであるし、愚かと言えば、また確かにそうである。

けれども、彼等の世界は狭いのです。日本では個人の世界でも、情報が溢れかえっている。小中学校でも、率先して、いろいろな所へ子供たちを連れて行っている。広い世界を知らしめるというのが、教育の一環であるから、個人的には知りたくないと思っていても、自分の国の各分野における問題は、重箱の隅をほじくるようにして提供(?)されている…。

小学校でも、低学年の、住んでいる所から始まり、町から市へ、市から県へ、県から国、国からアジア、そしてより広い世界へと知識は広げられて提供されている。遠足や見学、修学旅行という形で、自分と異質のものに触れ合うことも少なくない。

もとより、それを心に留め置くか、あるいはそのまま過ぎ去らせてしまうかは、本人の資質や興味関心、生い立ちなどからの影響もあるでしょうが、学業と関連して行われているので、何かしらの思い出、経験とはなっているはず。

家庭でも国内旅行や海外旅行を普通にできる時代になっているということもありますし。

…それに比べ、留学生達の世界は本当に狭いのです。 は

数年前に、大学入試のために、社会問題の一つを書いて提出せざるを得ない時がありました。我々から見れば、ネパールには、問題が山積していると思われるのに、「なにも問題はない」と言うのです。「ネパールにいる時はそう思っていても、日本に来てから、自分の国のことで何か感じることはないか」と聞いても、何も言えないのです。

まずは、雑談から始めて、引っかかる点を探しているうちに、「近所の友達で私だけが高校へ行けた。他の女の子は学校に行けなかった」と言い始めたので(つまりは、自分の家は特別だと言いたかったらしい。私が何も知らないのかと問い詰めていったので、ちと腹が立ったのでしょう。「違う。自分は何者かである」と言いたかったのかもしれません)、女性問題について考えさせることにしたのですが、国ではどうだという事例が全く出てこないのです。では、県(相当)では、市ではと狭く狭くしていったのですが。これが答えられない。では、隣の女の人は…で、やっと「近所にこんな女の人がいる」という実例が出てきたのです。

「はあ、近所まで狭めねばだめだったのか…」。一応書き上げはしましたが、問題があることすら自覚はなかったのです。

自国にいる時には問題意識は育たないでしょう。周りが皆そうですから。教える側が、これは問題であると言わない限り。しかしながら、日本に来てもそうであるということは、ちょっと弱いですね。一般に、外国で学ぶことの意義は、自国を外から見る機会を得られたということであり、ひいては、国内にいては気づかぬことに気づくということだからです。

勿論、この「世界が狭い」というのが、悪いと言っているわけではありません。その方が遥かに幸福であるかもしれないからです。しかし、既に国を出ているのです。それならそれをメリットにしなければならないはず…と、考えてしまうのは、よくないことなのかな、彼等の顔を見ていると、そういう気になってくることもあるのです。

彼等の親のつもりは、多分、そうなることを望んでいないでしょうね、社会を批判的に見るというのは。「今」を批判的に見ることができるから、「今」にとどまることなく、社会を発展させていけるのだ…とは、考えていないでしょう。

国から出したら、もうその国とは違う色を纏うことになります。父母たちとは違う知識を身につけ、違う経験をし、違う考え方をするようになるものです。国を出たにもかかわらず。全く変わらないというのはあり得ないこと。

こちらでは、変わることを推奨し、向こうではいつまでも手の内にあることを願っている。

日本語学校在学中は、軋まなくとも、進学の時にそれが問題になることもある。大学か、専門学校か。同じ専門学校であっても、外国人ばかりが行くような所か、はたまた日本人が主のものか。自分を通そうとする学生は、ほとんどいません。それが限界かなという気がしてがっくりしてしまうこともあるのです。

日々是好日
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昨日、「明治神宮外苑」と「六義園」へ行き、「イチョウ(公孫樹)」と「紅葉」を見てきました。

2018-12-04 08:38:36 | 日本語学校
曇り。

「少しも寒くないのが、今年の12月…」とでも、ぼやきたくなってしまうのが今朝の気温。例年ですと、少しでも暖かかったら、「ほーっ、よかった」なんて言っていたでしょうね。

曇りなのに、寒くないのです。お日様が照っていたら、暖かいというよりも、どれほど暑くなっていたのかわかりません。夏日になるかも…なんて、昨日お天気予報の人が言っていましたっけ。今年(12月中)、もしかして、ダウンは必要ないのかもしれません。タンスの肥やしと化してしまうかもしれません。…なんか、変だなあ…。

さて、学校です。

日曜日は「日本語能力試験」で、翌日の昨日、月曜日。皆で「明治神宮外苑」のイチョウ(公孫樹)並木と、「六義園」の紅葉を見に行ってきました。

行徳駅の改札口を通って、プラットホームに整列できたのが、9時10分を少し過ぎたころ。本当に楽になりましたね。まず、9時前に揃う。言っておいたとおりに入園料が集まる。もう、それだけで感動です。

10年前どころか、5,6年くらい前までは、来させるのも大変、来てからも大変、途中の待ち合わせ(来ると言っていたのに、来ていなかったり、待っていると言ったところにいなくて、教員が探し回って、もうそれだけで…着く前に疲れ果ててしまったり)も大変。大変尽くしで、何のために課外活動をしているんだという怒りを覚えるほどだったのですが、様変わりしましたね。

昨日、イチョウ並木を見ている時、「Aクラス」のネパール人学生が、「この学校はいいです。一ヶ月に一回は旅行できます。みんなで行きます」と言って、学校を褒めてくれました。

勿論、「留学試験」と「日本語能力試験」までとの間隔が短い6月は行くのが難しいし(でも、アジサイは見せたいと言うことで行きますけれども)、だいたい、彼等は、「旅行」と言うけれども、私たちのつもりでは、勉強の一助であって、「見聞を広める」のが目的であるのですけれども。

昨日は、イチョウも、まだ黄色い葉が随分残っていて、しかも地面にも散り敷いていて、とてもきれいでした。これも運ですかね、行ける時が決まっていますもの。土曜日に見に行った学生によると、「(土曜日は)晴れていたので、もっときれいだった…」(まあ、それは言ってはだめです)。

角を曲がって、並木エリアに入ると、そこで、皆、動かなくなったのです。奥まで行ってみようと言っても、動かない。入ったところで、一人で、あるいは友達と撮りあったり、あるいは、あっち行ったり、こっち行ったりして、もうここだけで十分と言う感じ。最後は「奥まで行きますよ」と、教員が追い立てるようにして連れて行ったようですけれども、入口近くのベンチで待っていた私のところもまで、すぐに戻ってきました。

それから、「六義園」です。一昨年、入口の少し前で、皆を2列に並ばせて、チケットを待っていると、列がいつの間にか長くなっている…。慌てて最後尾に駆けつけてみると、見知らぬ日本人が、皆の後ろに並んでいた…しかも、幾組か。平謝りに謝って、「どうぞ、どうぞ。チケットはあちらで買えます」ってなこともありましたっけ。

人が並んでいると、自分も並ばねばと、ごく自然に日本人は思うらしい。最初から割り込みをしようなんて不遜な考え方をする人が滅多にいないということがよくわかりました。それで、昨日は、皆を2列に並ばせながらも、最後尾を常にチェック。学生にも、「もし後ろにだれか並んだら、先にどうぞと言ってね」。でも、すぐに入れたので、今年はそういう問題は生じませんでした。

学生達は、他の教員たちと池の周りをぐるりと回るようにして見学して行きました。その間、私は出口近くの椅子に腰掛け、待っていました。

じっとしていると、いろいろな人達が通り過ぎていきます。日本人の団体さんもいました。欧米の人も、アジア系の人もいました。都内にも、「紅葉狩り」の場所として、いろいろないい庭園がありますが、少しずつ時期が違う。昨日は、六義園だったのでしょう。

座っていると、隣のベンチに、いろいろな人が腰掛けにやってきます。日本人もいましたし、欧米人もいました。欧米と日本人のカップルという人達もいました。カップルは年がかなり上ですね。腰掛けに来るわけですから。

しかしながら、欧米の人達の話す日本語の流暢なこと。「この角度がいいんだ」。「気がつかなかったね。ここはいい」。落ち着いた話を交わし、また、ひょいっと去って行きました。中国人も確かに少なくなかったのですが、以前と違うのは、静かなこと。大きな声で我が物顔に振る舞うような人はいませんでした。おそらく、グループではなく、二人か、せいぜい三人くらいで回っていたからでしょう。反対に、東アジアの若者グループは喧しかった…。皆が静かだと顰蹙ものですね。特に、「紅葉狩り」の時には。でも、これも一つだけ。

まあ、日本の「紅葉狩り」の雰囲気を学生達も味わえたことでしょう。

日々是好日
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「面接」を受けるのは簡単でも、する方は難しい。

2018-11-29 08:50:22 | 日本語学校
曇り。

如何にも冬…といったお空の感じですが、でも、それほど寒くはない…。このまま、紅葉が進み、樹は葉を落とし、裸木になっていくのでしょうか。

さて、学校です。

(受験に)失敗する事はあり得ないだろうと思われていた学生が、失敗してしまいました。どこが悪かったのでしょうね。「必ず受かってみせるぞ」という意気込みというか、「崖っぷちだ」という切迫感かが見せられなかったのかもしれません。「ここなら、大丈夫だろう」と高を括っていて、それが態度に出てしまったのかもしれません。

それにしても、親切で優しい性格ですから、まず偉そうな態度に出ることは、あり得ないのですけれどもねえ。どうして落とされたのかわからない…ことがまた起こってしまいました。

まあ、彼には、「こういうのは、向こう(専門学校)も見るが、こちら(彼のことです)も見るものだ。縁がなかったんだね。それほどの学校でもないのだから、縁がなかったら、それはそれで、スルリと躱し、他を見よう。縁のある学校が見つかるかもしれないし、そこで頑張って『N2』をとれば済むことだから」と言ってあります。

別にこれは慰めではないのです。彼の方も、さらりと躱し、失敗の内にも入らないようなこんなことは忘れて、他(校)を当たることでしょう。

実際、私たちが現地へ行き、応募してきた留学志願者と会うのと、こういう受験の時の面接とは似て然るべきところが多々あると思います。

「提出された資料を見る。面接の時の前後の様子・態度を見ておく。面接で(日本語を)どれだけ学んできているか見る。入ってからを想像しておく。

私たちが現地へ行って面接する時には、他にも、何点か注意しておくことがあります。

日本語の学習量が足りなかった時には、その紹介者、もしくは連れてきた教師を見る。同時に、同じ学校の学生達の(しでかした)間違いも見ておく。

学生の問題ではなく、教える側の実力不足から来ていることもあるのです。その時は、それを指摘しておきます。「ひらがな」や「カタカナ」といった入門の段階で、同じ学校から来た学生が、皆、同じ間違いをしていれば、それは学生の問題ではなく、教師の側の問題ということになります。その学校と提携しても、そこから来る学生は、いつも同じことができないのですから、それは大変です。何事も最初が肝心。最初に間違えて覚えてしまうと、忙しい日本に来てから改めるのは至難の業です。

日本語はさほど学んでいなくとも、見所がありそうだと思えば、既習のうちの、問題をいくつかさせてみます。できるできないにかかわらず、その様子を見ます。わからないと匙をすぐに投げてしまえば、もうこの学校では無理だなという判断をします。それなりに考えて解こうとしているのが見て取れれば、一応、合格サインを出します。勿論、二度目の面接の時に、努力が見られなければ、「申し訳ないけれども、約束を守っていないから」という理由で遠慮してもらいます。

この学校では面接に教師が行きます。教える時の事を考えてみるのです。来てからのことが大切なのです。勉強する気のない人が教室にいれば、それは他の学生達にも影響してきます。個別の授業ではなく、一斉授業なのですから。

以前、スリランカの学生がクラスの雰囲気を壊して、ギクシャクしてしまったということがありました。聞き取りが悪い学生を小馬鹿にしたのです。当然のことながら、私は馬鹿にされた方の学生につきます。何となれば、彼の場合は努力をしていましたから。(普通は、皆、こういう真面目な学生には、一目置くものなのです。あの人は「漢字を頑張っているからすごい」とか、あの人は「発音がいいからすごい」とか。スリランカの学生の場合は特別だったのでしょう。カンニングはするは、「わかるから、勉強する必要はない」と欠席するは。私たちにはなぜ彼が「自分は頭がいい」と思っているんだろうね、ヘンだねくらいのものだったのですが)。彼の言い分は「自分はわかる。あの人達はわからない」…から、馬鹿にしていたのでしょうね。「聞く」「話す」だけの世界なのに。

とはいえ、最初問題があっても、なんてことはないのです。国や民族によっては、日本語の文法がさほど難しいものではなく、スラスラと話せるようになるということもありますし、音を聞き取ることもそれほど難しくないということもあるのです。またそれと反対に、努力しても音の区別がなかなかつかず、また音が出せないという人達もいます。

もし、「文法」「聞き取り」「漢字」の三重苦にあっても、「文法」を必死で覚え、「漢字」をとにかく練習していれば、それは「いい学生」です。ヒアリングなんて、日本に10年もいれば、どのように音が聞き取れないという民族であろうと、だれだって聞き取れるようになります。

その反対に、努力を怠り、アルバイトだけに通用するような単語だけしか知らず、「初級」の文法を使い回しているだけで、しかも、漢字も書けなければ、何十年日本にいようと、「単語「文法」「漢字」はお寒い限りということになってしまいます。

数年前の、例のスリランカの学生は、この学校にいる時には、「自分は頭がいい」という唯我独尊の気分から抜け出せませんでした。普通なら潰されるであろうくらい、こちらも言ったのですが。不思議ですねえ、こういう御山の大将気分の人は、自分に不都合なことは耳に入らないのです。

「漢字は、やらないから、できないだけだ」と言うのです。つまり、「やるだけの能力がないからできない」とは思わないのです。彼に馬鹿にされていたベトナムの学生は、努力の結果、自分の力で大学に入れたのですけれどもね。

うれしいことに、今ではそんな学生はいません。できなければそれなりに、できる人もそれなりに上を目指して頑張っています。

日々是好日
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「寒くなる、寒くなる」と、脅していた私は、「狼おババ」?

2018-11-27 08:43:47 | 日本語学校

小雨。

「雨になっている」と言いましても、これは霜月の雨ではない…かな。濡れても、「それほど、冷たい」という感じはしません。霜月も、もう下旬の終わりごろ…もうすぐ、師走が来ようというのに、これですからね。最高気温が、まだ18度もあると言います。昨日も昼は、上着が要らぬほどでした。今日は雨が降っていると言いましても、暖気を運んでくるような感じで、「一雨ごとに寒くなる」とは無縁ですね。

この辺りでは「サザンカ(山茶花)」が咲き始めました。生い茂った濃く厚い葉を、よくよく見てみますと、ぎっしりと蕾がついています。今年は、秋が来たのやら、夏に戻ったのやら、何が何だかわからぬ間に、冬が来るのであろうと思っていましたのに、霜月になりましても、冬は始まっていないような感じです。時々「寒い日」はやって来るのですけれども、すぐに戻ってしまうのです。それこそ、「三歩進んで二歩戻り、二歩進んで三歩戻る」です。

さて、学校です。

学生達は、靴下を穿いていない者が、まだ半数はいますね。「寒くなるよ」と脅していた私が、「オオカミ(狼)おババ」と言われそう。というわけで、ちょっとばかり、休憩しています。

昨日、4回目の模擬試験を行いました。「N4」~「N1」までです。どうして、こうも結果にばらつきが見られるのでしょうね。テストの時、全体的に成績が振るわぬ…で、あれば、試験問題自体に問題があったからかもしれませんし。実際のところ、今一つ、昨今の試験問題の傾向がわからないのです。できうるならば、「日本語能力試験」の問題を公開して欲しいもの。

ベトナムでも中国でも、おおっぴらに、「前回の試験はこれだ(どうしてわかるのでしょうね)」とか出ていますのに、日本で公開されていないというのも、少々おかしな話です。やはり、正規の試験問題で練習した方がいい(信頼できるのです)。こちらにしても、学生のどこに問題があるのかわかりやすいので、助かるのです。

これが公開されていた頃(もう公開されなくなってから随分経っていますが)には、校内で試験を繰り返すごとに、点数が上がっていくのが学生達にもわかりますから、それなりに励みになり、試験の受け甲斐というものもあったように記憶しています。

もっとも、今のように、全てスマホで問題が(多分、海賊版でしょうが)わかってしまうと、そういう励みもなくなってしまうでしょうね。校内のレベルチェック試験の時も、中には前年の学生からもらった答えだけ暗記してくる者もいたくらいですもの。そういうわけで、現在は、こういうテスト問題は回収せざるをえなくなっています。

まあ、泣いても笑っても、12月3日で終わり。…泣いても笑ってもというのは、少々ヘンですかしらん。「非漢字圏」の学生は、「N3」「N4」はそれなりに必死になるのですが、「N2」になると、どうも、それほど必死になっているようには見えないのです。日本語学校にいる間に「N3」まで取れればいいと思っているのか(「N3」が取れれば、もうホッとして、気が緩んでしまい、やる気をなくしてしまっているのか)はわかりませんが。

一方、「漢字圏」の学生は、「『N2』『N1』命」ですね。急に真面目になる人が増えてきます。もちろん、真面目な顔をするようになっても、真面目にやるかどうかは別問題ですけれどもね。

日々是好日 
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お日様が照っていますが、寒い…朝です。

2018-11-21 11:31:18 | 日本語学校
晴れ。

この「晴れ」のお天気も、夜にはどうなりますことやら。最近は天気の予報が出しづらいらしく、どうもはっきり言えないようです。一つには、実際、予想しにくいという面もあるでしょうし、出しても「昨日、違ったじゃん」と言われそうな雰囲気もあるからでしょう…。ひと頃に比べ、天気図の解説が多くなったような気がします。「どうだ、大変だろう。この時期、予報を出すってのは生半可なことじゃできないんだぞ」と、見せつけているような、そんな感じが、しないでもない。

昨日の帰り、雲間から星が見えていました。月も下界を皎々と照らしていました。もうすぐ満月かな…。明日は晴れでしょうなんて言いながら、学校から帰ったのですが、その通り、今朝は晴れです。寒い…。手袋が恋しくなりました。こう感じるのは今季初ですね。

学校の「キク(菊)」も、盛りは疾うに過ぎたかのよう。数年前には、背が低く、花が咲けば丸々として見えていたのに、今では、背高さんになっています。ここまで背高さんになってしまうと、フラフラと不安定に見え、菊らしくないですね。あの長い茎を50センチほど詰めれば、菊らしく見えるかな…。でも、これはこれなりに、今の姿のままで結構…と、皆思っているかな。

さて、学校です。

一人、また一人と合格者が出てはいますが、どうして落ちてしまうのかわからないような人もいます。その中には、真面目で、それだけに試験問題をテキトーに書けないし、面接でも、テキトーに答えて笑ってみせるということができない人もいる。

日本語能力という点だけから見れば、確かにそれほど高いとは言えない。1年半ほどで、「非漢字圏」であっても、「N2」に合格する人もいるのですから。「N2」に合格できていなければ、やはり日本語能力を見られてしまうと、他者に劣っているということにもなってしまうのでしょう。

でも、でも…なんですよね。口はそれほど動かないけれども、相手の言っていることはだいたいわかるし、言われたとおりに動ける。頑張り屋で、日本の会社に入ったら、労を惜しまず働くであろうと思われる。…リーダーにはなれないかもしれないけれども、信頼はできる。

「不届き者かそうではないか」くらいは見て欲しいのですが、欲張りかしらん。

年齢も、高校を出てすぐに来ている者もいれば、数年経っていて他の何かを学んできている者もいる。その面では、経験があるのです。ただ、学んできたと言っても、言葉ではない他のものなのですが。

言葉だけ達者でも、どうにもならない人もいる…んですけれどもねえ。

不合格になって、肩を落としている人を見るたびに、「縁がなかったんだよ」ではなく、「君の良さがわからないんだから、ほっときな。さあ、君の良さをわかってくれるところを探そう」となってきます。

こういう真面目な学生には、だれでもいいから入れてやるというような学校ではなく、きちんと学べるような専門学校を探したいのですが、ペーパー(たとえば、「N3」の合格証)がないと、どうもはっきり言われないけれども、足切りかななんて思わされるような感じになってしまう。…辛いですね。

…彼は、また、もう一つ受けたようです。合格してホッとした顔を見たいのですけれどもねえ…。

日々是好日
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先週の土曜日で、入試のヤマ場は過ぎたような気がします。

2018-11-19 08:32:36 | 日本語学校

曇り。

空き地が枯れ葉色に染まっています。ついこの間まで、まだ緑が多かったのですけれども。時々、道に跳び出していた虫たちも、いつの間にか姿を見せなくなりました。

時々、お庭から大きな夏みかん(?)がぶら下がっているのが見えます。赤い「カキ(柿)」同様、「だれも喰わねえ」というような存在なのかしらん。どうも毎年、あの辺りで見かけているようなな気がするのですけれども。

さて、学校です。

先週の土曜日に、いくつかの専門学校・大学で試験があり、一応、受験のヤマ場は過ぎたような気がします。中国人学生が多かった頃には、翌年までも、それが続いていましたし、勉強しない人が多かった頃には、それはまた、それで、なかなか油断できない日が続いていました。

「非漢字圏」の学生に、中国人学生のように、三つ(レベルを違えて)受けてみるというのは、ちときついようですね。どちらにせよ、今年中に、行き先を見つけられれば、私たちもホッとできるのですが。

先日、今はもう専門学校を卒業して、日本の会社で働いているという卒業生が、妹を来日させたいと、その申し込みにやって来ました。授業中だったのですが「先生、元気ですか」と、ひょいと顔を覗かせてくれたので、この機を逃すものかと、すぐに「専門学校の話」をしてもらいました(今年、彼が卒業した専門学校に三人ほど合格しています)。

ところが、話を聞いていると、どうも彼の頃と今とでは状況が違っているような気がしてきました。彼等は本当にいい時期に卒業したのかもしれません。これは、専門学校の様子だけではなく、外国人を取り巻いている状況がということなのですが。これには、日本政府の対応が変わってきたということもあるでしょうし、それを見て、今こそ稼ぎ時と、ベトナムでも日本でもいろいろな人が蠢き始めている…ということもあるでしょう。

これが、彼等にとってプラスに働けばいいのですが、逆になってしまうと、いくつかの先進国でそうであったように、先に来た外国人があとから来ようとする外国人を排斥するというようなことも起こってきます。それはいやですね。

専門学校にしてみても、外国人が増えたということで、強気になっており、前のように、希望者を募りに、こういう学校にやって来るということが少なくなってきました。前はどんなレベルの人でも、来さえすれば、こちらで何とかするから(主に問題になるのは出席率でした)というような学校もありました。私たちの方でも、「出席率は、まあいい方だけれども、どうも日本語のレベルが」というようは人にはそういう所へ行ってもらい、就職までどうにか繋いでもらうというようなこともありました。彼等の希望は日本で就職するでしたから。

以前の、こんな学生は、専門学校に進んでも、レポートが書けないとやって来たりしていました。けれども、そういうのも、最初のころだけで、最近はそんなこともなくなりました。専門学校の方でも、外国人を相手にすることに、慣れてきたのでしょう。

それに、非漢字圏の学生も、最近は、卒業までに(12月の)「N3」に、だいたい合格できるようになっています。半分ほどでしょうか、7月の「N3」に合格出来たのは。これが、七月の「N3」試験に、全員合格ということになれば、専門学校進学がもっと楽になるのでしょうけれども。

日々是好日
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思い込み。…知識の無さからくるものなのでしょうけれども、入れようがないですね。

2018-11-14 08:47:39 | 日本語学校
晴れ。

本当に、大変。進学のことです。毎年のことなのですが、数人、こちらがどう説明しても、考えを変えない人がいます。中国人ばかりの時には、しかたがないで終わっていたのですが(なにせ、中国にいる時に、嫌になるくらい経験していましたから)、スリランカ人にしても、ネパール人にしても、また然り。同じなのです。

どこで、どう聞いたのか、「あの専門学校に行けば、あの、レベルの高い、ある大学に入れる…。」そう言ったのは、…おそらく同国人の、しかも身近な人であろうことはすぐに推測できるのですが。成功した人はいたかもしれないが、皆が皆、そうできるとは限らないということが、わからないのです。これも彼我のレベルが掴めていないから…来ることなのでしょうけれども。

その、ある大学というのも、「レベルが高いです。とてもいい大学です」と言うばかり。で、日本の大学のことを知っているかというと、東京大学も、京都大学も、よく知らない。で、何を以ていい大学と言っているかということも、多分、わかっていないでしょうね。だれか、身近な、ある人がそう言った。それで、それを唯一無二のものとして「信仰」しているだけのこと。

彼の場合、経済的に少々問題があるとはいえ、真面目でしたし、やりたいことが比較的はっきりしていましたから、そういう人に適した専門学校(よく面倒を見てくれるのです)を勧めたのですが、どこからひいてきたか、彼が学びたいと言うことと全く無関係な専門学校の願書を持って来た。

「????なぜ???」「ここは予備です。本当にいきたいのはこっち。でも、ここは難しい。入れないと思います」。…でも、彼が持って来たのは、レベルが高くもないし、それほどいいとは思えないような、ごくごく一般的に外国人が行くような学校。専門とも何の関係も無い。けれども、いくら聞いても、同じ答えが返ってくるだけ。「いい学校です。普通の人はなかなか入れない」。まるで洗脳されたみたい…。こういう人は毎年出てくるのですけれども、もう少し日本語レベルの低い人が多かったのです。

もう、こうなったら、いくら説明しても、「同じだよ」と言ってもだめなのです。勝手にさせるよりしかたがないのです。お金を払うのは向こうですから、最後は行きたいと言うところを受けさせるしかないのです。で、受けて、合格した。それから、如何にそこがいいかを言い募りながら、学費の心配が始まります。

こちらでは経済状態なども加味しながら、やって行けそうな所を勧めたのですが、聞かなかったのは向こうの方。今更という気がしないでもない。だいたい助けようもないのです。最後は「いきたいと言ったのは自分でしょ。自分で考えなさい」としか言いようがない。

「思い込み」が強い人は外国で生活していくのは難しい。もちろん、自国でも大変は大変でしょうが、生まれ育ったところでの「思い込み」は、どこかしら救われるところもある。けれども、外国では、もともと現地の人達とは考え方が違っていますし、その上、習慣が違っていたりしますから、わずかな「思い込み」と「頑固さ」が併わさったりしてしまうと、時には取り返しのつかないことにもなりかねない。

そのたびにオタオタしてしまうのでしょうね。柔軟な人は、同じようなことをスルスルと「ウナギ(鰻)」のようにすり抜けていくのでしょうに。

日々是好日
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「柿食ひに来るは 烏の 道理かな」…

2018-11-13 08:37:07 | 日本語学校

晴れ…かと思いきや、灰色の雲が威張してきました。

明け方かに雨が降ったのでしょう。地面が濡れています。最近、ざっと降った雨のおかげで、早朝など、空気がしっとりとして、なかなか趣があります。

風邪のせいで、ひところボウッとしていました。それゆえか、治まってくると「カキ(柿)」の色が目に鮮やかに飛び込んできました。残っていたのですね。でも、ついつい、渋かな…などと思ってしまいます。だいたい甘いのは人様が口に入れる前に、鳥たちに盗られているもの。

「柿食ひに来るは 烏の 道理かな」   …多分、釈 宗演。

禅宗の偉い坊様とは知りませんでしたが、若い頃、この句を見た時、「道理かな」に、えらく感じ入ったことがありました。「勝手」といかないところに、「深さ」が感じられたのです。私などでしたら、簡単に「勝手」と言って、ケラケラと笑ってすませたでありましょうに。

柿といえば、「桃栗三年 柿八年 梨の大馬鹿十八年」等と言いますが、本当に「モモ」と「クリ」は三年で、「カキ」は八年で実り、「ナシ」は十八年もかかるのでしょうか。子供のときは、語呂がいいので、そのままそらんじていた言葉も、ふと立ち止まって考えてみますと、あやふやなものとなってしまいます。それほど「体験」というのが無いのでしょうね。何事によらず「現場」が遠ざかってしまいますと、人は言葉だけを弄び始めてしまいます。

もちろん、「現場」がすぐわかるものもあります。こういうものはいいですね。ホッとしてきます。

「寝転んで 篠をつくづくながむれば 内へ半分 雨の降る家」  朱楽菅江だったかな?

庵がいいですね。縁がちょっと広めな。木々の匂い、草の匂い、そして虫の音。

この「虫」に学生達は反応するのですけれども…。「いや~」って。

さて、学校です。

先日、「Eクラス(初級Ⅱ)」で、少々揉めさせてしまいました。このクラスは、七月開講のクラスで、一応12月の「日本語能力試験(N4)」合格を目指して、セッセコがんばっているのですが、時々、正規の授業内容とは別の箇所で学生達を戸惑わせてしまうことがあるのです。今回はミニ会話から、「クジラ(鯨)」。

海が身近な「インドネシア」、「スリランカ」の学生、「中国」、…今回は「ネパール」は大丈夫だった。ところが思いもよらぬことに、「インド」の学生が躓いた。英語で言えば、「わかる」と言う。言いはしたが、どこか私の説明に納得できぬよう。話しているうちに、「でも、魚でしょ」。なるほど、知ってはいたが、魚と理解していたか…。「えっ。魚じゃない…????」

聞くと、インドは海があることはあるけれども、海とは無縁の山岳部出身。…だから、(間違っても)当然…本人はそう思っているらしいけれども、…当然かなあ…。

そう言えば、昨年、「ネパール」の学生が、「アザラシ(海豹)」で転けた。海にいるのは「皆、魚」と理解していたようで、泳いでいる姿を見せれば、よけい、こんがらがってしまう。最後は、ニタッと笑っている「アザラシ」の写真を見せて、お仕舞いにしたけれども。

それに、「ペンギン」。知ってはいる。知ってはいるけれども、泳いでいる姿というのはどうも、描けないらしい。…でも、鳥でしょ(「鳥がどうして泳ぐんだ」と言いたいらしい。「泳ぐのは、ペンギンの勝手でしょ」と、こちらは言いたい)

それからは、文章題に動物が出る時は、写真でなく、映像でと心がけていたけれども、まさか「クジラ」で躓くとは思っていなかった…。

もとより、私とて、「『ラクダ(駱駝)』を食べる」というのに、驚いたことがあったから、人のことは言えない…。ひと頃ブームで、見ればだれもが、かわいいと言って大騒ぎしていた『アルパカ』だって、ペッと唾を吐きかけるから、用心しなければならない動物であることも、ペルーの学生に教わるまで、知らなかったし…。

「躓き合う」というのは、考えてみれば、なかなかいいことなのかもしれません。

日々是好日
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「正社員にする」という餌にひっかかりそうな学生がいます。口約束だけで、何もしてくれないというのに。

2018-11-09 08:46:03 | 日本語学校
小雨。

霧雨でしょうね。ほんのわずか、肩に掛かってきました。今朝、自転車で来る時、「ムラサキシキブ(紫式部)」の実を見つけました。毎年、あの辺りで見ていたなと、見るともなしに目で追っていると、ありました、ありました。見られて、ちょっとホッ。

最近は白の「ヒガンバナ(彼岸花)」やら、紫の濃い「スミレ(菫)」やらを見る機会がないまま、季節が過ぎてしまうことが多かったのです。時は流れているのはわかっていながらも、「季節」を「見る」ことが、人間にとっては大切であるような気がします。

さて、学校です。

願書を出さねばならない日が迫っているというのに、風邪をひいて1週間ほども休んでいる学生がいます。途中までは書けているのですが、まだ「切手を貼っていない、写真がない、清書をしていない」というわけで、こちらの方が焦ってしまいます。

仲良しさんに聞いてみると、ずっと寝ていたのだけれども、アルバイト先から「人がいないからどうしても」と乞われて、一日行ったことがあったそうな。行ったはいいけれどもそこでフラフラになり、途中で帰ってしまったのだそうな。それから、またぐあいが悪くなり、まだ寝ているとのこと。土日でどうにか治して、来週の月曜日には書けるようにしておくように伝えてとは言っておいたのですが、どうでしょう。ギリギリになるかもしれません。

可能性のある学生なので、大学に入れてやりたいけれども、今の段階(日本語のレベル)では、どうしても非漢字圏の学生は行ける大学が決まってしまいます。学んだ漢字に限界があり、文章がまだそれほど読めないのです。

そういうわけで(そういうわけででもないのですが)、アルバイトのことです。アルバイト先が近ければ、戻るにしてもそれほど体力は使わずにすみますし、具合が悪くなれば友達に迎えに来てもらうこともできるでしょう。それが電車でとなると、なかなかそう簡単にはいきません。

この辺りでも、「N3」レベルくらいであれば、アルバイトに不自由はしないのですが、やはり少しでも時給が高いところとなりますと、東京へ出た方がいいということになってしまいます。日本橋まで電車で25分くらいですから、体調さえよければ、留学生にとってそれほど苦にはならないでしょう。けれども、一旦事あれば、やはり近場の方がいいということなってきます。

学生達には口が酸っぱくなるほど言っているのですが、時給が「50円」高くなるにしても、(交通費、行き来にかかる時間、万一災害が起こった時へのことなどを加味すれば)近いところで探すべし。

もちろん、彼らにとってみれば、「今、無事であるし、1週間28時間働くとして、50円高ければ、1週間で1400円の違いがでる」ことは案外大きいのです。1150円か、1100円の違いというのは。

そんなこんなで、アルバイトのことを話していると、二年生の女子学生が、「先生」とやって来ました。彼女は大卒です。「正社員になれる。面接に行って内定をもらった。だから朝のクラスにしてほしい」と言うのです。聞いてみると、どうも話がおかしい。まず、その会社からは何の書類も出ていない。怪しいと思って、学校から確認を取るために何度も電話をしたのですが、だれも出てこない。彼女には、日本人でも悪い人がたくさんいて、そうやってアルバイトをする人を探している場合があるのだと説明しても、なかなか納得しません。彼女は日本の会社に入りたいのです。

だいたい、「正社員にする」という餌で、何もわからない外国人を釣り、「安価なバイト料で働かせる」。そういう話を聞いたことがあります。彼女が行くと言っているのは、ここから遠い工場です。多分、「正社員」という餌でもなければ、だれも行かないでしょうね。もっと時給の高いところがこの近辺に、たくさんありますもの。

人が足りなくなると、真面目で人慣れしていない人がすぐ狙われてしまいます。せっかく頑張ってきたのに、こんな変な会社に捕まり、ビザがなくなるというのは耐えられません。彼女がそれを納得してくれて、合格した専門学校に行ってくれるといいのですが。

日々是好日
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「願書書き」は大変です。

2018-11-08 08:56:19 | 日本語学校

晴れ。

日が照っています。「サクラ(桜)」は、まだ紅葉というか、黄葉していません。

だいたい、「モミジ(紅葉)」の樹の葉だって、きれいな赤になる時は稀で、そのころの日較差や気温の高低によるのだそうですし。名所に行って、がっかりということだってよくあること。年によっては、それほどの紅葉が見られぬまま散ってしまうということだってありますもの。

なんだか、人生そのままを物語っているよう。もちろん、それはそう。だって、同じ生き物なのですもの。

北欧の物語に、英雄の中には、年老いて巨木に変ずる者と、灰色の巨大なオオカミに変ずる者とがあるというのがありました。年を取ると、だんだん変ずる時間が長くなり、疲れたと言っては森に行き、樹に変じて体を休めているのだそうです。そして最期、死を迎えることなく、完全に樹に変ずる(あるいはオオカミに変ずる)。樹はもの言わなくても(眠っている)、生きている。時々目覚めて、自分たちを感ずる者とは話すことがあるらしいとか。

神話ですね。でも、どこかしら、真実を衝いているような、そんな気もします。

さて、学校です。

来日後、一年と半年ほども過ぎて来ると、きちんと勉強してきた者とそうではなかった者との差が歴然としてきます。なにせ、進学というのものがありますから、テキトーにはできないのです。合格、不合格で二つに分けられてしまいますから。

まずは、願書書きで苦労する。面接の練習で苦労する。…このようなことに苦労してしまうような者には、それほどの情報が与えられません。最低限の情報でも四苦八苦していますから。「これさえできれば。ここまで書ければ」という感じで指導していくだけです。

きちんと勉強してきていれば、(作文書きの練習やらで)もう少し変えてもどうにかなるということで、指導中、別の言葉を入れたり、日本の習慣や文化についての知識を、多少入れていくこともできます。

同じ学費を払っているのに、本当に損なこと。ここの学校は本当に小さいので,こういう指導は一人一人を見てやることができるというのに。その人にあった内容、またやり方、言い方などを入れていくことができると言うのに、その前の段階ができていないので、そこが白紙になってしまうのです。

面接の練習にしても、「自分」が言えなければ、こちらとしても、来日時に紙に書かれた情報やら、これまでの様子などから、言ってやることができるだけで、結局のところ、その人の「自分」というのはわかりません。

とはいえ、とにかく合格出来ればそれでいいと言う人もいて、あまり後のことは考えていないようです。教員の方はいろいろ考え、苦労しながら説明しているというのに、なかなかその意味が通じていきません。教員の方が苛立ったり、焦ったりしていると、叱られているとしか感じられない人もいて、大変です。なぜ、自分のことでもないのに苛立っているのか、焦っているのかがわからないのです。

「期日までに願書が出せないと試験が受けられない」、この、当たり前のことですら、なかなか徹底できない人もいて困ります。

けれども、思えば、中国にいた時、大学生で別の大学の大学院を受けるという人が、夏休みに、その先生の特別授業(個人でしていたでしょうね)を受講していれば合格するとか(もちろん受講料はいるのでしょう)。また、ミャンマーの大学生だった人も,大学の授業は関係ない、その先生の塾に行って勉強していれば、点数をもらえるから卒業できるとか言っていました。もちろん、別にたくさんのお金がかかるのでしょうね。

日本は専門学校でもそんなことはないと思います(断言できないのが辛い。なにせ、医大で不正がありましたから)。だから、きちんと期日までに出さなければならないし、決められたお金は払わなければならない。分納ができるところとできないところもありますし。学生の懐具合などを聞きながら、彼等のレベルに合う、希望に合うところを探してやっても、知り合いが言ったからとか、友達がいるからとかで、簡単に約束を覆されてしまうと、間に入った教員は立つ瀬がありません。

それでも、日本にいたいと言うから…で、面倒を見ているのに、自分のレベルに会わない学校の願書ばかり持ってくる人がいる。もちろん、受けるのは自由ですが、受験料もいるのです。自分のレベルがわからないと言うのが一番怖いですね。結局は日本語がわからないから、同国の知り合いに頼ってしまう。

本当に、順々巡りになって、とどのつまりは日本語がわからないから…ということになってしまうのでしょうね。

日々是好日

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気づかぬうちに、「菊」の花が咲いていました。

2018-11-07 08:17:26 | 日本語学校
曇り。

今日は昼頃、お日様がお顔を覗かせることもあるとか。昨日は夕方から雨の予定(?)が、午前から、既に本格的な雨。学生達は、洗濯物が…と、雨の様子ばかり伺って勉強に集中できません。「もう、諦めるべし」と言っても、特に大切なスポーツシューズを外に干してきたという学生は、「はあ…」とため息…。まあ、気持ちはわかりますけれども。

実は先々週の週末、「寒いな」と感じたのが、おそらくは風邪の引き始め。土日があるからどうにかなると踏んでいたのが運の尽き。結局、先週、二度も病院に厄介になってしまいました。これも、まだ本格的は冬ではないから、それほど大ごとになるまいと勝手な了見でいたのが間違いの元…でした、今から思えば。

先週は初めから、あと何日で土曜日と数えて、どうにかやっていたような毎日でした。私もマスク姿なら、クラスの学生も、5、6人は同じような姿。国から持って来た薬があるから…というのはもう通じませんね。やはり病院のお世話にならざるを得ないようです。

保険という概念があまりない国の人達に、健康保険に入ることを義務づけていても、大病になるまではわからないようで、それがなかなか厄介。もっとも、以前(今は、そういう人はあまり見受けられないのですが)など、「私は病気にならない。なんで私が金を払わねばならぬのだ。払わない」と言い張る中国人学生がいて処置なし。もうどうにもなりませんでした。

社会主義の国から来ているのに、どうしてこういう「助け合い」という「常識」が通用しないのかと納得がいかなかったのですが、これも、お国ぶりというか、国民性というか、結局は、教育なんでしょうね。学校などの社会教育のみならず、家庭教育でもそうだったのでしょう。「民度」云々ではないと思います。そう、言われて育ってきたからだったのでしょう。今では、「中国人学生も、日本ではこうだ」ということで、素直に払っているようですが。

他の国の学生では、払っていなかった(風邪をひいたり、何かの時に聞いているのですが)という人も、どうもアルバイトがなかったり、手元不如意であるという理由から、月々の支払いが滞っているだけのようです。保険を払っていないと、後で留学生という理由で安くなるという特典が無くなったり、専門学校に入る時や会社に就職する時に不利になったりするということが、ある程度わかってきているのでしょう。

さて、気づかぬうちに、学校でも「キク(菊)」の花が咲いていました。「ハギ(萩)」の花はまだのようですが、これも「立冬」だというのに、この暖かさですからね、しょうがないことなのかもしれません。とはいえ、きっともうすぐ「満目の秋」になることでしょう。今年はもしかしたら、「日本語能力試験」の後に、「紅葉狩り」ということになるかもしれません。

日々是好日
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