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日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

『梅雨空」が戻ってきました。昨日は遠くで雷様も騒いでいたような。

2025-07-11 07:50:34 | 日本語学校
07/11

曇り、時々小糠雨。

梅雨空が戻った…けれども、なんとなく違和感というのが拭えない。

この時期、雨が降っていれば、しかも、そんな雨模様の日が続いていれば、確かに「梅雨」と言って当然だろうとは思うのだけれども、なんか変、すっきりと割り切れない。この、なんか変という気分のもとで、ここ数年暮らしてきたような気がする。

お天気と言えば、それが風土を形作っているものだし、言語というのはその風土から逃れられないもの。とはいえ、世界に目を向けるまでもなく、日本国内においても雪国やら、晴天の多い太平洋岸の地域やら、また空っ風の吹く地域や台風の襲来を毎年のように受けてきた地域やら、それは千差万別。その風土の中で培われてきた、いわゆる「言葉」、なかでも「方言」。これをひとくくりに「日本語」と称するのには無理がある。発音だって違いがあるところが少なくないもの。

このお天気もそんな感じ。ひとくくりにされれば、いいのかな?という気持ちになる。もう既存の言葉ではどうにもならなくなっているのではないか。はっきりと、これであると言っていいのかな。勿論、それしかないと言われればそうなのだろうけれども、どこなくモヤモヤ感が付きまとっている。で、すっきりしない。言語の場合は、国家統一とか、近代化とか言った名目がついてくるのだろうけれども、お天気の場合は、そうはいかない。

日本のかつての様子を知らない、新しい人たちは、こんな天気が日本なのだというふうに、毎日、暑い、暑いと言いながら過ごしています。以前は、もう少し、人に優しかったような気がするのだけれどもな…。

日々是好日
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「七月生」が昨日、初めて学校で授業を受けました。どうだったかな。

2025-07-10 08:28:30 | 日本語学校
07/10

晴れ。カンカン照り。本当に今晩雨がざぁーと来るのでしょうか。

実際、真夏のような暑い日が続いています。35度近くになると、舌を出したくなってきます、ハア、ハア、ハアと犬並みに。とは言いながら、関東地方では、まだ「梅雨明け」にはならぬとか。「梅雨の中休み」にしては長すぎるし、暑過ぎる。疾っくの昔に、真夏に入ったのじゃないかというのが私たちの「体感」なのですけれどもねえ。気象科学的には、「梅雨前線がナンジャラモンジャラ」だそうで、まだ「梅雨明けじゃない」らしい。とはいえ、(私の中では)もう夏で、酷暑で、へばっているというのが正直なところ。

皆、(「梅雨」が明ける前から)この暑さに耐えかねて、あえいでいるのですが、なんと、今晩の雨で、「梅雨が戻ってくる」そうな。「明けて」いないのに「戻る」とは、これいかなことというところなのですが、どちらにせよ、雨になって少しは気温が下がってくれれば御の字。しかしながら、子供の頃には「梅雨寒」なんて言葉もありましたけれどもねえ。…もう「死語」なのかしらん。

さて、学校です。

昨日は「七月生」たちの(勉強の)初日。みな言われたとおりに早めに来たので、おっとっと(危なかった。間に合わないところ)…でした。なにせ、12時半に午前のクラスが終わり、学生たちが帰った後、机や椅子の消毒と清掃をし…が終わるか終わらないかのことでしたから。第一陣が、バタバタと階段を降りてきたはいいものの、私を見て、はたと止まった。予想外だったのでしょうね。一人が「おはようございます」。先頭が止まってしまったので、ちょっと溜まりができた。そこへ第二陣が(前の人たち、何をしているのという感じで)脇をすり抜けるようにして教室に入ってきた。

私を見て、そこで止まった学生たちとは真反対ですね。こちらを見ようともしない。ズカズカと入ってきて、傍若無人といった体で後ろの席に陣取った。全くこちらを無視している。先に挨拶をした学生が、それを見て、困ったような表情で私の顔を盗み見ている。多分…一陣と二陣とは国が違うね…だから何も言えないのでしょう。「どうぞ。好きなところに座って」と、(彼女に)言うと、ほっとした顔をして前の席に移動していった。

「スリランカ」や「ネパール」からの学生たち、つまり「インド圏」の学生(アフリカやアラブからの学生は、個人で、数をこなしていないので、なんとも言えません)といってもいいのでしょうが、「俺様風」の女子が入ってくることが少なくないのです。自国で「どうだった。だから」がそのまま外にあらわれてしまうタイプ。結局は社会を知らないからそういう態度になってしまうのでしょうけれども、外国じゃ大変だろうなと思わされるような人たち。

概して、こういう人たちにはいくら言っても無駄…ということが少なくない。勿論、(この学校に)入ってきたからには注意は続けますけれども、それが長引けば互いに七面倒くさいと言う気分にもなりがち…のも当然のこと。だいたい、相手はそんなふうに思われているなんて、はなっから感じていませんから。注意された時には「はい、先生」としおらしくはするのですが、右の耳から左の耳、左の耳から右の耳で、中に留まることはない。聞きながら、「何言ってるんだい。私は、(あるいは)私の家は」なんでしょうね。

とはいえ、そうであれば、成績は落ちていきます。椅子に座って「書いた」だけでは漢字は覚えられませんし、母国にいるときから本をそれほど読んでいなければ「読解」で点が取れるはずもない。

やはり、何事によらず、(学校に来ているのであれば)「身の程」を知ることが大切であり、「素直さ」が大切であり、そして何よりも「学びたいこと」「やりたいこと」があることが大切。「やりたいこと」があれば、「身の程」も見えてくるでしょうし、「素直」にもなれるはず。

とはいえ、変われない人は…アルバイトやその他、異国(この場合は日本)でよっぽどひどい目に遭わない限りは、「国では…」という意識は抜けないのでしょうね。もとより、女子だけではなく男子にもこういう人はいますし、日本にも、おそらくどこの国にもいるはず。勿論、個人差も当然のことながらあります。どんな狭い社会にいても、視野が広い人もいるし、形にとらわれない人もいる。ただ、普通は…ですね。普通の人はそうじゃないのです。だから、かわいそうと言えばかわいそうなのですけれども。まずは、自分は普通の人間だと思うことから始めなければならない…のかもしれません。下ばかり見るのではなく、上も見ようと時々言ったりするのです。

日々是好日
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成田から学校に向かう途中、新入生を一人取り残してしまいました。

2025-07-04 08:42:35 | 日本語学校
07/03

晴れ。…お空の様子は不安定とのことですけれども…。

「折りたたみ(の傘)ではなく…」と最近はよく聞くのです。それでずっとしっかりした傘を持ってきていたのですが、…ここではそれが(運のいいことに)当たったことがない。「(一万回)あ~あと言うことがあっても、それは僥倖にすぎない…。万一に備えよ」ということは重々わかっているのですが、片手に杖、そしてむなしく傘をぶらぶらさせながら帰って行く己の姿は、想像しても、…どうもやるせない。

今日もどうやらそんな感じになりそう…ということで、持参したのは折りたたみの傘。でもこういうときに限って、ザアッときたりするんですよね。そのときは、じき、止むだろうから、学校で待機だな…ということにするしかない。勿論、テレビなどでは、各地の、土砂降りの雨の様子が映し出されていましたし、雷様だってお出ましになっていた。この「所によっては」という「但し書き」は、本当に悩ましいですね…。

さて、学校です。

おとといは帰り際に大変なことになった知らせが届き、大騒ぎに。その前、(成田で)皆すぐに出てこられたと言う連絡で、皆ほっとしていたのですが。迎えに行った五人が、成田から学校までの帰りの電車の中で、皆、うとうととしてしまったらしい。勿論、新入生はもっと安心したでしょうから、まどろみは深かったでしょうね。で、乗り換えの時、慌てて降りてしまったので、一人がそのまま取り残されてしまった…。さあ、次の駅へと言うところで、一人、いない…。まだ電話も持っていないし、日本語も全然わからない…どうしよう。

結果的には、近くの駅で、一時停車があったそうで、そこで降りたらしい。そして、荷物を持ってぼんやりと途方に暮れているところを同じネパール人に救われたという。その人が警察に連絡してくれ、同じく警察に連絡していた学校のスタッフの方に警察から連絡があり、迎えに出ていた教員と通訳をかねて行ってもらっていた二年生ともうまく会え、事なきを得たという。

私は、ともかく彼女以外の学生を迎えに、二年生の一人と駅へ…。皆が駅に着いてから、(行き場所が違うので)二手に分かれ、一つのグループは不明の学生が追いついてから一緒に部屋に行くことにして、まずは学校へ。空港へ迎えに行った学生も、駅へ迎えに来てくれた学生も、皆よく働いてくれました。取り残されていた学生の荷物も一つありましたから。

私は、残りの三人と、同じマンションから迎えに来てくれていた四月生二人とともに、彼らの部屋へ。三ヶ月違いですが、四月生の動きは、新入生の動きとは全然違います。こちらが何も言わずともすべきことをさっさとやってのけ、まさに「キビキビとした動き」。一人が先導し、一人は殿にというふうに周りを見てやっている。殿の学生のほうがリードしていたようですが、それでもそれで動けるだけ違う。やはり成長したのですね。元々の素質というのもあるのでしょうが。

警察に通報してくれたネパールの方も助かりました。駅に迎えに行く途中、学生が、「今、日本にはネパール人がたくさんいるから、誰かが助けてくれると思う」と言っていたのですが、その通りになりました。また、駅に迎えに来てくれていた学生たちの、よく働くこと。着いたばかりの学生たちが、迎えに来てくれた人たちが全部やってくれるのを当然という感じで見ているのを見るにつけ、同じようだった四月生の成長の早さに驚かされました。

二年生はアルバイトの都合がつかず、空港へ迎えに出たのは、一名以外皆今年の四月に来た学生たち。気がつかぬことも少なくなかったでしょうが、地道に日本に適応してきているのがよくわかりました。

ただ全部自分たちがやろうとしていたので、「自分のことは自分でさせろ」とそれは言っておきました。なにせ、「(自分の荷物なのに)他人様にやってもらおう、自分は見ているだけ(それでやってきたのでしょうね)」根性が見え見えだったのです。おまけにトイレや風呂、電気などの説明を四月生(まだ来日して三ヶ月)の一人が説明してくれているのに、スマホで他の人と話していたりする。つまり、聞いていない。国へ連絡でもしていたのでしょうが、聞いていなければ、わかるはずがなく、また聞くことになる。それだけ四月生の手間が増えるということにもなる。「人が説明してくれているときはしっかり聞け。今、スマホで話している場合ではない」。ハイと言ったけれども、こういうことは繰り返すしかないのでしょうね。実際に自分がそういう目になって初めてわかることですから。

買い物やらその他諸々は、同じマンションに住んでいる二年生(といっても、去年の七月に来た学生ですが)と来日後三ヶ月の学生たちに任せることにして、学校に戻ってくると、何やら外に(入り口の道路側)荷物が置いてあって、学生たちがわらわらと立ち上がった。

どうして中に入りませんかと聞くと、(荷物があるので)新入生たちは階段を上りたくないと言うと答える。在学生の一人が(荷物は置いておいても、誰も盗らないから)大丈夫と言ったけれども、だめみたいとしょうがないという顔で言う。で、私も外に立ち、彼らと雑談をしていると、置いておかれた学生を迎えに行った教員から行徳駅に着いたとの連絡。

荷物もあるし…で、タクシーで彼らがやってくると、重そうなトランク一つとあとはリュックの類いをいくつか入れ、新入生と教員一人が乗り込み、ほかの荷物は、二年生と四月生が運んでいきました。みんな自分の荷物じゃないのに、頑張ってくれました。荷物を運び込んだあと、教員一人と二年生一人がまだ降りてこなかったので、運び込んだ学生たちは先に帰した…と思っていたのですが、昨日、先生たちはタクシーで帰りましたかと聞かれ、「えっ?」。新入生は三階に住むことになったのですが、一階に住んでいる四月生は二人ともアルバイトで留守。置いておかれても、買い物もわからない…ということで、ジュースやら当座必要なものを買いに、通訳として残っていた一人と私たち教員二人、それから新入生とで買い物に出ていたのです。

先に帰ったと思っていた五人は近くのATMの所で私たちを待っていたらしい…(「さようなら」と言ったから、帰ったとばかり思っていたのですが)。学生曰く、あまりに私たちがやって来ないので、通訳に残っていた学生に連絡すると、もう帰ったと言われた。でも、私たちと出会わなかったからタクシーにでも乗って帰ったのだろうと思ったと言う。(私が)コンビニを探して、ちょっと歩いていたから、別の道から帰ったというと、驚いていました。

旧道から海側へ入ると、道は碁盤の目のようになっていますから、いろいろな通り方があるのですが、どうもそれと気づかず、来た道を来るものと思い、待っていた…。こちらはこちらで、まさか外で待っているとは思っていなかったので、つかれていただろうに、悪いことをしてしまいました。で、いつもは、こういうことはしないのですが、ジュース代と言うことで、少しお礼をすることに。

学生が、(昨日)帰り際に教室に戻ってきて、お礼をもらってもいいのかと尋ねたのです。それで、話しているうちに、彼らが待っていたことがわかったのです。そうでなければ、私も気がつかなかった。彼らの電話に答えた学生も、そうとは言いませんでしたし。

かれらの「さようなら」は、今回は「(ここは出ますけれども)外で待っています」の意だったのですね。時々、「はい、わかりました」というのが、内容がわかっただけで、こちらが言ったとおりにするとは限らないというのと、同じようなものだったというわけ。結果として、悪いことをしてしまいました。

昨日は午前のクラスは後半の授業で、午後のクラスは前半の授業で、「七夕飾り」を作りました。午後のネパール人学生たち、器用な人たちが少なくなく、「ネパール人ははさみを使えない」という先入観を覆してくれました。午前も午後もきれいな飾りができました。

日々是好日
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それと気づかぬうちに「文月」となっていました。

2025-07-02 07:53:46 | 日本語学校
曇り。

毎日が駆け足で過ぎていく…ような気分で過ごしているうちに、もう「文月」になっていました。関東地方はまだ「梅雨明け」宣言が出ていないようですが、今週の雨が終われば、多分、「梅雨明け」発表となるのでしょうね。

今年は「アジサイ」を愉しんで見る機会があまりなかった…。まだ「梅雨」も明けていないし、「アジサイ」も生気を感じられないにせよ、例年通りの姿を見せてはいるのです、どうもだめですね。「アジサイ」は「梅雨時の花」で、雨の中でないと、どうもしっくりこない。「アジサイ」からしてみれば、「わてらとは関係ない」と不機嫌になってしまうのでしょうけれども。

おそらく、これからは毎年、こんな気分で過ごさなければならないことが、一つ一つ増えていくのでしょう。「春」と「秋」が掠るように過ぎていくのであれば。その上、「夏」は情緒的な「夕立」ではなく、「スコール」なんぞが来るようになり、「台風」という呼び名などまどろっこしいと言わんばかりの「超台風」が来るようになってしまえば。そして「冬」は「冬」で、「ドカ雪」また「ドカ雪」となり、「雪」の降り方を表す言葉が感覚的になじまなくなってしまうかもしれません。今はまだ、なんとなく、感じ取れるような気がしている「明治」「大正」「昭和前期」の詩歌や小説さえも何が何だかわからなくなってしまうかもしれません。

やはり日本人には「春夏秋冬」という四季が必要なのでしょうね。それもじわじわと気づかぬうちに流れていくような季節が。これが失せて、一色か二色になってしまったら、自分すらわからなくなってしまう…ような気がする。もう文章も、切り捨て作業や消去法が必要となってくるかもしれません。今までは感情を重ね、また重ねしていくような足し算で理解していたような気がするのですが。まあ、どんな時代になるにせよ、新しいものは常に生まれてくる。それはそれで、新しい道が拓けてくるかもしれません。

日々是好日
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漢字になれるために。

2025-06-25 08:35:27 | 日本語学校
06/25

雨。

降ったりやんだりが続いています。この一時間余りの間に、三度ほど、ザアッときて、数分で上がり、上がってしばらくすると、またザアッとくる…今日は一日中、こんな感じなのでしょうね。

今朝は、「アジサイ」の花の傍らに咲いている「オシロイバナ」に気がつきました。こうなると、まともに(?)夏を感じてしまいます。春からじんわりと梅雨になり、突然明けて夏になる…ってなことはもう昔語り。夏と梅雨が渾然一体となり、梅雨の中休みと言われていた時期が、夏本番という様相を呈してくれば、もう「夏」とか「梅雨」とか言っていられなくなってしまいます。

さて、学校です。

昨日は「Bクラス」で、一週間ぶりだったかしらん、教科書に出ている、その課の漢字の読みの練習をしました。「漢字」なんてのは見慣れれば、なんてことはないのです。書けなくともたいしたことはない。「苦手」とか「ああ、また漢字だ」とかいう気持ちさえ消滅させていれば、読めなくとも、「ああ、そうだった」くらいの気持ちにはなれると思います、多分ね。

というわけで、一課ごとに、その課に出てきた漢字をすべて紙に書き、それをホワイトボードに貼り、読む練習をさせることに。勿論、その前に新出漢字は、「書く、読む」をきちんとやるのですが、これは、まあ五割方くらいでしょうかしら、それくらいが読めるようになれっば、全部の漢字の読みの練習に入っています。ここでの練習は主に、「N5」「N4」の漢字の読みを忘れさせないためですから。

なにせ、「一」だって、「大きい」だって、「少ない」だって、この中には出てきますから。全然読めないという人は、幸運なことに誰もいない…。ということは「知っている!」があるわけで、思い出せれば、それだけで十分。週に二度か三度繰り返せば、自信も少しはつくでしょう。

今は「七課」が終わったところ。ということは、もうこういう「外」だとか、「大切」が何度も出てきているので、皆、どこかしらの文字で大声が出せるようになっています。もっとも、あまりお目にかかれない「新出漢字」は見事にピタッと声が止まってしまうので、やっぱり「あ~あ」なのですが。

今はこの「漢字」を読むことに嫌がるふうはなくなり、…ホワイトボードに貼った漢字を合わせて三度ほど読むのですが(一回皆で読んで、次に一人で練習させ、もう一度一緒に読んで、また確認で一人作業、最後にもう一度、一緒に読む)、これが終わると、本課の文章を読むのに、それほど読めない、苦手という空気というか、感じはしなくなっているのです。

というわけで、今は「止める」の方に重点を移しています。

なにせ、どのクラスでも、お経を読むようにダラダラと読む人がいるのです。これはアフリカからの人にも見られましたし、インド圏からの人にも、東南アジアからきた人にも見られることで、一般的だと言ってもいいのかもしれません。私たちが、黙読でさっと本を読むように、声を出して切らずに読むのです。で、息継ぎはいつするかというと、甚だしいときには一単語の途中で切ったりしているのですが、それを変だとも何だとも思っていない。つまり、読みながら意味を考えることなんかよりも、「俺が一番スラスラ読んでいるんだぜ、速いんだ」というところなんでしょう。

で、「句読点」で切るを徹底させるために、「読点」で机を一叩き、「句点」で二叩きし、垂れ流しで読んでいる人に警鐘を鳴らすと言うことに。これで変なところで切らない、ゆっくり読むが、形なりとも…せねばならなくなる。一人か二人が先を争って、わけもわからず読んでいくよりはずっとましですし、漢字を思い出し(考え)ながら読んでいく人にとっても気分はずっと楽です。落ち着いて読めますし。まずは気楽に読むということを第一にして。

漢字なんて見慣れていけば、怖いことでも、いやなことでも何でもない。まずは「知っている」「読める」から始めねば。読めるようになれば、意味を問うようにもなるでしょう。読めれば、訓読は意味を表していますから、最初の頃のスリランカの学生のように、「来ます」は、「あの学校に来ますのあの漢字?」なんて驚くこともなくなるでしょう。本当のこと言いますと、あれにはがっかりどころがガタッときたものなのですが。「今まで、どれだけやってやったんだ…卒業する頃になって、それはないだろう」と。

とはいえ、一度でもそう感じてくれれば、「意味」と「漢字の形」が繋がったわけですから、彼のその後にいい影響はあるはず。

それを前倒しで感じることができるように、まずはこの「単純作業」を卒業まで続けていくことにしています。

日々是好日
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昨日は忙しかった…「模試」二回目の日。

2025-06-24 08:05:55 | 日本語学校
06/24

曇り。

「梅雨の中休み」が長く、このまま「梅雨空け」となるのではないかと思っていたのですが、今週は雨模様のお天気が続きそうだとか…そして「梅雨前線」が復活しそうな、その第一日目。

とはいえ、梅雨時の花「アジサイ」はしょぼくれているのに対し、南国の花「ブーゲンビリア」の花の元気なこと。まるで我が世の春ですね。花だけを見ていると、ここが沖縄にでもなったみたい…。

さて、学校です。

まあ、忙しいですわね。昨日は一コマ目にまだ「日本語能力試験」とは縁のない、「初級」クラスの授業をし、それが終わると、「Aクラス」の、採点をしながらの試験監督。最後、「N2」を受ける学生の「質問が…」というのにも、「明日ね」で、やり過ごし(ごめん)、「初級クラス」のノートの添削…。これが、まるで点検作業のようなのですが。

「やり直し」と書いたり、文法事項は言うに及ばず、「ひらがな」「カタカナ」の文字のミスを正したり…。おまけに昨日はこのクラスで、第一回目の「漢字テスト」をしてしまったので、その採点をしながら、ブーブーと文句を言ったり…。第一回目ですよ。しかも「一」から始まり「口」までなのですが、残念などころではない人が三人、すべて女子ですから、これも珍しい。

いくら指導しても、どうしても国で身につけた「ひらがな」「カタカナ」の文字の形を変えることができない人はいます…というか、文字の大切さが理解できないのでしょう。おそらく彼らの国においても、文字を大切にしてはいないとみられ…そういう習慣があるのでしょうね。らしきものを書いときゃいいくらいのもので。

(日本語においても)「や」か「か」かわからない字やら、「し」と「ま」か「ほ」かわからない字やらが連続で出てくると、こちらはわかっているから判読できるけれども、知らない日本人が見たら、????で終わってしまうでしょうね。

最近は、もう、「形」云々という要求はしていません。「読める字、判読可能な文字」を書いてくれ…くらいのものなのですが…。書けない人に限って、バアッと書いて、ぱっと顔を上げる。「できた、できた」くらいのノリで。ゆっくり丁寧に書けと言っても、まずいと下を向くくらいで、書き直す気配はない…「ディクテーション」の時のことなのですけれども…。

既に、来日後、三ヶ月が過ぎているので、本人の自覚と根性がない限り、変えるのは、もう無理なのでしょうが、根性もなさげですからどうしょうもない。勿論、例年そういう人は少なくない…とはいえ、未だに諦めきれず、しつこい作業を続けている自分です。性格からいって、無理だろうと思われる人は、赤ペンの分量を減らし気味になってはいるのですが、どうも、それが「やった!(ほっ)」としか思われていないらしく、「七めんどくさいのが減ったぜ」くらいのものなのでしょうね。

この「ノートの添削」というのに、毎日かなりの時間をとられています。でも、しょうがない。自分のためでもあるのです。何が書いているのかわからない文字が書き綴られていれば、誰だって読みたくないでしょう。しかも内容もない、文法も間違っていたりすれば。読める字でさえ書かれていれば、さっと添削もできるし、話を進めることもできる。解読に時間がかかるというのだけは避けたい。来年のことを考えれば、今は多少(じゃないのですが)時間がかかっても、鉄は熱いうちに打てですから。これは決して徒労ではない。なんとなれば、どうにもこうにもならない人は二人に減りましたから。あと、擦れ擦れの人が三人ほどいても、これは許容範囲と言えないこともない。。

面白いことに「漢字テスト」も、「ひらがな」「カタカナ」の文字に難が少ない人は、漢字の形も覚えられている…。「非漢字圏」の人にとって漢字を覚えるのは大変なのでしょうが(なにせ、覚えても覚えても、後から後から湧いて出てくるわけですから)、留学生として来日したからには、まあ、頑張ってもらうよりほかない。

まあ、そんなこんなで、息つく暇もなく、午後もノート添削の続き、そして午後のクラスでも採点と監督をやり、終われば、最後のテストの採点と総点を出し、記録が終われば、一日が終わっている。…「日本語能力試験」の前というのは、だいたいが慌ただしいものだけれども、昨日は特に慌ただしかったな。

特に、ノートの添削の時には本当に眠くなってしまうものなのですが(これはなんぞやと見ているうちに)、これは「初級」の期間続きます。あと三ヶ月じゃあと自分に言い聞かせつつ、何の字を書いているのかわからない人には毎日、注意をし、目の前で書かせたり、席で書かせたものを持って来させたり…。もっとも、そろそろお互いに限度かなと思い始めているところ…です。

日々是好日
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「七月生」は全員来られるようです。

2025-06-16 08:27:20 | 日本語学校

曇り。…いつの間にか、晴れ。

湿度がかなり高いのでしょう。雨の匂いがしています。「梅雨」ですね。今年は「梅雨の走り」なんてのを感じぬまま、「あれ?もう梅雨?。いやいや、昨日は晴れだったよ」みたいな感じで、お天気もうろうろしていました…。ところが、一応「梅雨」に入ったそうなのですが、今週は、どうも雨にならぬらしい。もっとも、湿度はぐんと上がっている感はあります。ムシムシだけが「梅雨」の証かな???

さて、学校です。

「四月生」は一ヶ月ほど来日が遅れた学生がいたのですが、「七月生」は七月の開講日前に全員揃いそうな雰囲気です。…まあ、これも来るまでははっきりしたことは言えませんが。

この、遅れてくる学生への対処というのが、大変で、補講でどうにかなるというものでもないのです。単語を覚えさせるとか教科書の内容を教えるというくらいなら、たいしたことはないのですが、クラスの雰囲気作りという点から考えますと、ことはそれほど簡単でないのです。それどころか、人によってはずっと後を引くことすらあるのです。つまり、最初の一ヶ月ほどが、来日以降のクラス経営の肝だからなのです。

「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったもので、相手に様子を覗わせる前に、こちらのやり方をどーんとぶちかましておく。「こうしろ、こうせねばならぬ」と、徹底させておく…のが大切。

以前は、彼らの国の状況などをいろいろ調べ、考え、対処の仕方などもその都度変えたりしていました。それが却って悪かったのでしょうね。組みやすしと見られた時期もありました。向こうもこちらを観察していたので、結局、どっちつかずのおかしなやり方になっていたのです。

そのやり方は最初の学生(初めての国)の時には、今でも時々やるのですが、ほかは、もう最初から「日本ではこうだ」で、進めていくようにしています。もう甲羅に苔が生えるほどになっていますので、今更はない。それが少し緩み始めるのが一ヶ月ほど経った頃。だいたいこういうやり方でやろうというのが定まってきますから、手を抜くときには抜き、締めるべき時には締めるが、ある程度自然にできるようになってきているのです。向こうもこちらのことがわかってきていますので、次はこう来るながわかっている。つまり、互いにやりやすくなっている。

その頃に、新顔が入ってきたりしますと、破調を来す、ブラックボックスが、いくつかできることになる。しかも、こちらが少々甘くなっていますので、こんなもんかと軽く見てしまう(自分の今までのやり方でやってしまう)。勿論、これではならじと、そういう様子が見て取れたときには、ドカーンとやりますから、当然戸惑うでしょうね。よくわからん…。

最初から来ている学生たちが、「この学校ではこうなんだ」を身につけ、母国から背負ってきたものを一つ一つ下ろしていき、だいたい大丈夫だなと見て取れ、相手の事情なども加味し始めるのが、だいたい一ヶ月後。

この一ヶ月間というのが、なければ、そりゃあ、母国でのやり方、そのままになってしまいます。

今、この学校では、「インド圏」の学生が大半を占めているのですが、この人たちの特徴の一つが、「聞く・話す」には長けているが、コツコツと勉強するというのが苦手な人が多いということ。ネパール勢はちょっと違うようですが。やっと「ひらがな」を覚えたら、「カタカナ」、「カタカナ」の次は、いつ終わるともしれない「漢字」があるのですから。中には「漢字」を入れるごとに「ひらがな」「カタカナ」が消滅していく人だっている。

目的が「勉強」ではなく、「日本で働くこと」だったら、そうなるでしょうね。アルバイトで、それほど困ることもないでしょうから。長期休暇が終わると、グンとペラペラの度合いが上がる人が出たりする。望むところが違うのですから、学校での勉強が無駄だと思うようになるのもわかります。

アルバイトなどで不自由しない程度であれば、『初級』文法くらいで事足りますもの。

で、今、遅れてきた「バングラデシュ」の学生に、「書け」「書け」、そして今は「トロトロ書くな」を喚くということになっています。

書くという習慣がない…「覚えればいい、言えればいい」で終わらせる気かくらいの勢いで。困ったやっちゃなあと参っているでしょうね。目が合うごとに睨まれているような気分になっているのかもしれません。…ま、いいか。

日々是好日
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誰も「アジサイ」の花のことを聞いてこない…無視しているのかな。

2025-06-10 08:02:10 | 日本語学校
06/10

小雨。

雨が降り出しました。今日一日中、降りみ降らずみという状態なのでしょうね。気温はそれほどでもない…らしいのですが(昨日もそんな予報だったのに、暑かった…)、湿度が高いので、昨日同様、蒸し暑いのでしょう。とはいえ、まだまだ、エアコン戦争となっていません。

席を変え、一番端っこなら、エアコンの風も来ないし、入り口は少々開けているので、大丈夫だろうと思っていても、端から「寒い」なる声が上がり、エアコンの真下にいる学生が、「ちょうどよい」だの「暑い」だの言う。勿論、最後は高圧的(?)に「寒いと言う人は上に何かを羽織るべし)で決着がつくのですが。

街のあちこちで色とりどりの「アジサイ」の花が咲いているというのに、だれも何も聞いてこない。花のことをよく聞いていたのは、以前、在籍した「内モンゴル」の学生たち。あ、それからベトナムから来ていた女子も、「どうして、きれいな花が咲いているのに、植木鉢を外に出しているのか。誰も盗っていかないのか」などと不思議がっていましたっけ。

もっとも、最近は「盆栽」を盗むという犯罪が増えているとか。外国に流れているようですが、「盆栽を育てる」ことに楽しみを見いだすという文化を持たない人たちは困りますね。一鉢が数百万もするものも少なくないようですから、欲呆けであっても、育てる喜び、思い通りに育て上げた誇り、それらを皆踏みにじるような行為は許されないことです。それこそ雨の日も雪の日も、手間暇かけた努力や苦労を知らない人なんていないでしょうに。

さて、学校です。

初級クラスは、例年通り、三つのグループに分かれてきました。一回目(国でやったことがあると言っても、「文字」らしき「文字」が書けない程度ですから)で、単語も覚えるのも苦労、文法も覚えては忘れを繰り返しながらも、とにかく頑張っている人たちと、テキトーが身についている人たち、それから、その中間層。

これからは、その中間層をいかにして落ちこぼれさせないようにしていくかが課題。テキトーな人たちは、この二ヶ月余り、こちらがいかに注意し、やり直させても、それができない…おそらく母国でもそうしてきたのでしょうね。今更改める気もなさげに見えるし、態度からも、それ以上は無理だと言うことが見て取れる…とあっては、ほか(頑張っている人たち)に力を注いだ方がいいということになる。もう二十歳をいくつも超え、来日して二ヶ月余り経っているとあれば、それなりに日本の様子もわかってきているだろうに。母国と同じようにうまくやれると踏んでいるのでしょうか、それとも、それすら考えていない?

おそらく、こういう人たちは、日本人がいかに注意し促しても、同国人からの噂の中で、うろうろしていくだけなのでしょうね。日本語ができないのだから。

こういう人を見るたび、どうして来たの?と言いたくなる。勿論、最後に許可を出したのはこちら側なのですが。とはいえ、日本人だって、勉強する気がないのはすぐわかるくらいなのだから、同国人であったら、もっとよくわかるはず。こんな人を推薦なんてしないでほしい。…これも愚痴ですね。来てしまっているのだから。こういう人とは共通言語もないし、表情も全く見て取れない。本当にどうしたらいいのでしょうね…。

以前なら力任せに押していけるところもあったのですが、年をとると、それもけったるくなってしまいます。人はなるようにしかならないものですし…。

日々是好日

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「非漢字圏」の学生にとって、日本の大学はだんだん遠い存在になっていきそうです。

2025-06-09 10:34:38 | 日本語学校
曇り。

湿度がかなり高く、気温はそれほどでもないのに、学校に来るまでに汗びっしょりになってしまいました。道ばたに咲く「宵待草」は今朝も涼しげな淡い黄色で見送ってくれたのですが。

さて、学校です。

留学生の増加を実感できるのが、専門学校への進学活動を始めたとき。コロナ以前に比べても全然違います。勿論、コロナ禍の時には、普段は敷居が高かった専門学校からも、「来てくれコール」があったりしたものでしたが。

今年は「見学」から「狭き門」になっています。大規模校ならまだしも、それほどの規模ではない専門学校であった場合、「見学」に行くにもままなりません。もうすでに五月時点で、「一ヶ月待ち」、「半月待ち」なんてのがざらに生じています。

大学もまた然りなのでしょう。以前は「漢字圏(中国)」の学生と「非漢字圏」の学生とで、割と明確な棲み分けができていたような気がするのです。ですから、「非漢字圏」で「N2」に合格していれば、これくらいのレベルの大学なら入れるだろうということが、こちらにも予測でき、その線で、進路指導していたのですが。それが、昨年は違っていました。

つまり、「非漢字圏」の学生の縄張りに侵入せざるを得ないような「漢字圏」の学生が増えてきたのでしょう。というわけで、大学に進学したいという「非漢字圏」の学生たちがどんどん追い詰められています。

これは、能力の差というよりは、ひとえに「漢字」を知っていたかどうかなのでしょう。「非漢字圏」の学生は、来日してから「漢字」を覚え(母国で少しやったと言っても、大半の学生はゼロに等しいのです。「漢字」どころか「ひらがな」「カタカナ」でさえそうなのですから、推して知るべし)、「N3」レベルであっても文章を読み、ある程度文章の意味をつかめるようになるまで、かなりの努力を要します。相当コツコツができる人でなければ、「N5漢字」くらいで「万歳になってしまう」のです。

「非漢字圏」の学生は、「話したり、聞いたり」という分野では「漢字圏」の学生に勝っていても、「文章を読む」という点では、太刀打ちできません。とはいえ、コツコツができる学生ですから、大学に入れさえすれば、好きなことができるという点での「伸びしろ」はかなりあります。それを見てくれるかどうか、つまりそれを見抜くことができるかどうかが大学に本来なら求められていることなのでしょう。

大学側でも、多文化、異文化を唱え、日本人の学生のためというのなら、自分たちが楽だからと言って、一つの国から多くを入れるのではなく、国の数、広い視野から入れてもらいたいもの。

四年間でどれだけ伸びることができたか。(高卒でも大卒でも)国によっては母国でたいしたことを学んでいなかった人も少なくなく、「初級」の最初の段階で、世界地図でそれぞれの国を探させたり、いろいろなところから切り抜いた各国の写真を見せることから始めざるを得なかったりしますし。また、一年ほど過ぎてからは、ニュースや高校の参考書(タペストリー)などを用いての話をしたりして、少しずつ見聞を広めていかねばならなかったりします。多分、彼らにとってみれば、最初はなんのこっちゃなのでしょうが、それでも来日時よりはかなりわかることが増えています。

特に大学に行きたいという学生は、ある程度好奇心がありますから、それを大学での勉強でさらに伸ばしていければ…と思うのですが、だんだんそれもままならぬ世になりそうですね。

日々是好日


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慌ただしい日が続いています。

2025-06-06 08:03:09 | 日本語学校
晴れ。

昨日帰宅時にあれほど強かった風も、今は止んで、無風状態。とはいえ、…暑い。昨日も、もう少しで夏日になるところだったとか。

今年は、なかなか「梅雨の走り」という言葉が聞かれません。ずいぶん前に沖縄より先に南九州で「梅雨」が始まったというのを聞いたきり。雨も続きそうで続かない、すぐにお日様が戻ってきます。そんな中で、とうとう関東地方でも「梅雨」に突入しそうな様相を呈してきました。沖縄は晴れが続き、「梅雨明け」になりそうなのですけれども。

さて、四月に新学期が始まってから、新入生に振り回されっぱなし。とはいっても、今年の「四月生」は勉強のことを抜きにすれば、それほど問題があるというわけではないのです…と思っていたら、「トイレ」が悲惨な状況になっていました。日本のトイレになじめないからなのでしょうが。早速、今日、二年生を通訳兼説明者として残して、新入生女子に説明してもらうつもりです。

ずいぶん前、中国人観光客による「爆買い」が話題になっていた頃、「トイレットペーパーを流さない困った」さんが、寺社などの観光地で問題になりました。中国ではトイレにある籠に使用済みのトイレットペーパーを入れる習慣だったので、日本では、トイレットペーパーをそのまま流していいと言うことが周知していなかったのです。

ここ、数年、受け入れていた学生にそういう問題が生じなかったが故に、こちらもピンとこなかったのですが、やはり、忘れた頃にポッと出てきましたね。これは悪いと言うよりも知らなかったせいで、説明すれば済むこと。ただし、掃除担当からすれば、なあなあでは済まされません。

さて、学校です。

早く来ている新入生たちのことです。最初は始業前三十分だったのが、昨日は一時間ほども前に来ていました。それから二十分くらい遅れて二人、前後してまた二人。それからしばらくはし~んとして、始業開始20分前くらいから、ドドドッと大波小波でやってきます。ギリギリに来る学生が二人いるのですが、もう単語の復習を始めている時でしたので、個票は丸にペケです。

もっとも、別に早く来るからいいというわけではないのですが、まだ始まって二ヶ月余りのことですから、個別の注意というのが比較的ある時期になります。この頃に個人的にゆっくり説明できないと、後々まで尾を引く可能性が高くなります。

「ひらがな」「カタカナ」の文字の形を注意しても、わからないという学生が多い時期ですから。「この線の中央くらいから斜めにまっすぐ線を伸ばす。あなたのは線の向きが反対になっている(左が高くなり右が下がっている)」など、手取足取りで説明せねば、どこをどう変えたらいいのかわからないという人が少なくないのです。こちらが書いて見せた文字を見るだけで改められる人は思いのほか少ない…。

で、そうやってやって見せても、若干名は、どうにもこうにも変わらない。二ヶ月近くそれをやり続けても平気の平左。こうなると、本人に改める気がない(文字などたいしたことじゃない…日本人が読めなければ、たいしたことじゃないはずはないのですが)と見なすよりほかはない。コツコツやっている人の方にエネルギーを注ぐとこちらでも思い切ります。

とはいえ、放っておくわけにもいきませんから、(三ページほどの宿題の中)最初の字か最後の字の横に書いてやるだけにしています。時折、いくら何でもこれはひどいと思われるほど崩れていることがあるのですが、そのときは別です。倍ほどの文字で書いてやります…が、変化はないですね。

もとより、「ひらがな」「カタカナ」だけに終始しているわけではありません。四月の上旬に始めて、今は「ナイ形」が終わったところですし、筆ペンによる「漢字導入」も今日で終わり、来週からは「N5漢字」を始めることになるでしょう。

「文字」を大切にして育っていない人たちが多いので、例年、大変なのですが、それでもその中の何人かは大切にするようになって来ます。わかってもわからなくとも、「初級」段階から、くどくどしく言う必要があるのはそのためです。勿論、こうしてやってきても、「字なんかどうでもいい。私は話せるから」という人は絶えないのですけれども。

「(君たちの国で、学校で教育を受けてきたのに)文字が書けないという人に、大切な仕事を任せられるか?」と問えば、わかるはずなのですが、「ひらがな」「カタカナ」、そして「漢字」の多さに途中で滅入ってしまうのでしょう。だいたい、口頭での「テ形」や「ナイ形」などの練習に比べ、「文字」というのは、学校での練習だけで、済むはずもなくそれができなければ、「文字」学習の面で落ちこぼれていくのは目に見えています。その理屈も、そういう習慣がないからできないで終わってしまうのでしょう。いくら興味を持たせるように考えてやっていっても、できるようになる人はそれほど多くはありません。とはいえ、二年に満たない学習期間で「N2漢字」まで覚えられる人もいることはいるのですから、それで自分を慰めていくよりほかありません。

勿論、なんだかんだ言っても、「ひらがな」ですね。最低「ひらがな」ですね。「ひらがな」だけは、まとも(きちんとわかる形)に書けるようになってほしいものです。

日々是好日

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やっと落ち着きました。新入生担当になると、「文字」の問題に悩まされます。

2025-06-03 08:17:09 | 日本語学校
小雨。

今日は一日中雨だそうな。いつの間にか「サツキ」の時期は終わり、今は「月見草」の黄が朝の湿った空気に華を添えています。

いやあ、この一ヶ月余り、というか、おそらく二ヶ月近かったと思いますが、忙しかったこと、忙しかったこと。

例の、「ネパールひらがな」、「スリランカひらがな」に悩まされ…というか苦しめられ、ノートの「間違い字?」探しと書き直しが続きました。彼らはそれが日本人には読めない字だとは思っていないので、中にはいくら書き直させても、どこ吹く風の者だっている。一応は「N5」に合格している(高卒者の場合、合格していなければ、留学できません)との触れ込みですから、「ひらがな」「カタカナ」くらいは、書けてしかるべき…と思うでしょうが、ところが、そうは問屋が卸さない。…コロナ禍前は、自分たちが行って見ていたので、そういう学校からの学生は入れていなかったのです。

ところが、今は、あの「試験形式」をいいことに、…「て」か「と」かわからん…、「が」のはずが「点々」が二個しかない、「や」か「か」かわからん…、「い」のはずが「し」と「てん」としか思えん…こんなふうに様々な「ひらがな」を書く人がまとまってやってくるわけですから、受け入れる方はしっちゃかめっちゃか状態。このままではならじと、汗をかきかき、やり直させていくのですが、手に負えません…もう入ってしまっているのですから。だいたい、彼ら自身、母語の文字の癖でひらがな」を書いてきているので、それでそれなりに「おさまって」いるのです。もちろん、気がついて改める学生はいるのですが、それが大勢を占めるというのにはなかなか至らない。

もとより、彼らの責任ではありません…彼らの教師がそう教えてきたわけで、その教師からして、「文字」が大切だとは思っていないのでしょう。というわけで、ひどい目に遭うのはこちとらとなる。

「ひらがな」 をやり直させながら、すでに宿題は出しており(一応皆書けることは書けるので。たとえ、解読困難な文字であっても)

わずか二〇名ほどの学生のノートを見るのに、三時間以上も費やし(もちろんノートを見て、文字を書き直してやるだけではありません)、それが週四回あるわけですから、どうしても二年生の授業が手薄になってしまいます。ただ二年生は、もう互いに気心は知れていますから、彼らのできる範囲で、こちらの加勢をしてくれる。…通訳の役やら、生活指導のあれこれやらで。

それがやっと一段落つき、ノートを見るのに、もう「文字」中心でなくてもよくなった…とは言いがたきことながら、こちらでも、勉強する習慣がある、あるいはついた人と、いくら行ってもどこ吹く風の人と、見分けがついたので、つまり教えていく上で、こちとらの了見も定まったので、普段の「宿題提出後、間違いを見て改めさせる」式のやり方でやれるようになりました。これは「漢字」の導入が始まるまで…と思っていたのですが、だいたいそのとおりになりました。

今は「筆ペン」で手を添えての「漢字」練習が終わり、慣れのための練習をしているところです。本来なら、「ひらがな」から「筆ペン」を用いた方がいいのでしょうけれども、彼らの「ひらがな」の形を見て、それどころじゃないことから、「ひらがな」から入れるのは、…やっぱり「諦め」となっていたのです。

というわけで、いよいよ、二年生中心の授業となります。やっと落ち着きました。

日々是好日
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新学期は忙しい…。

2025-04-22 08:37:01 | 日本語学校
曇り。

あっという間に、「サクラ」の季節から「ハナミズキ」の季節になり、「ポピー」の花が実を結んでいる…かと思ったら、「デージー」やら「ハルジョオン」、「ハナニラ」などの花が咲き誇り、地面の上でもかなり賑わっています。

四月は何というのでしょうね、「三月は去る」で、三月が終わり、落ち着いた…と思っていたのですが、新入生クラスが始まると、担任は途端に忙しくなってきます。

まずは「ひらがな」ですね。「ありゃあ、ひらがなじゃねえ」とぶつくさ言ってしまうのは、新入生担任になった者の弁。しつこく数ヶ月掛けて、「ひらがな」テスト、「カタカナ」テストを繰り返してしまうこともあれば、今回の私のように、二年生になっても変わらないというか、変わる気がない者は変わらないと、最初の頃(まだ一週間ほどしか経っていませんから)はかなり厳しく注意しても、それをきちんと続けてやるつもりはありません。

四月に入っても、新学期に間に合わない者も4,5人いましたので、四日ほどは、最初に彼等の書く「ネパールひらがな」、「スリランカひらがな」の程度を見、それから三回ほど(3,4日)訂正を重ね、それが通じる相手かどうかを見てみました。

授業の一環として「ひらがな」を教えたのは、まだ、一回だけなのですが、その前段階として、早めに登校してきた学生を主に三十分ほど指導して、はっきりと変わってくれたのは四人だけ。ミャンマー人一人、ネパール人三人です。スリランカ人はどうも…文字に手こずりそうですね。

文字の変形に同じ形が見られることから、母国での彼等の教師の問題で、彼等の問題ではないのですが、一度(脳に)入ってしまった文字の形は、おいそれとは変わりません。本人の「自覚」と、本来なら不必要であったであろう「努力」も必要となってきます。

その点、スリランカ人は頭の善し悪しに関係なく、「ヒアリング」には長けていますので(他の国の学生に比べ)、それだけで自分は「すごい」となって満足してしまうようなのです。聡明な人は「上」と自分とを比べ、努力する傾向にあるのですが、そうではない普通の人は、自分と「下」と比べ(彼等の場合、「ヒアリング力」だけを見、「文字」や「文法」など、他の学生が自分より上の部分は見ないようなのが不思議なのですが)、「こんな簡単なことがわからないのか」で、そこで、進歩や発達が止まってしまうのでしょう。

「読み・書き」ができないと、自然と、「日常会話」で終わってしまい、会社で遣うような言い回し(少なくとも「N1」程度の文法は必要です)や専門性のある言葉(最近は英語の単語が増えたとは言え、漢字の熟語も少なくない)は、身につかない。

学校での授業は受け身となり、「聞いた、わかった『つもり』」で、おしまい…となる傾向にある。もちろん、同じスリランカ人であっても、きちんと努力できる人、つまり学校側が言うとおりにできる人もいますので、そういう人が、スリランカ新入生の中に一人でもいますと、思わず、こちらは「ラッキー」と叫んでしまいます。

今年はどうでしょうね。『みんなの日本語1・Ⅱ』レベルまでなら大きな顔ができる…で終わってしまうと、情けない結果になりそうなのですが。

日々是好日
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「月曜日」に新学期が始まりました。新入生はいいとして、二年生は、相変わらずバシッとしない人はしていませんね。

2025-04-16 08:39:44 | 日本語学校
晴れ。

街路に植えられた「ハナミズキ」が花が満開です。みな、背は低いのですが、街に彩りを添え、車道から見ると、一気に華やいだような感じがします。「サクラ」が終わりましたからね、ちょっと寂しくなるか…と見ていたのですが、それとなく残んの「サクラ」を探すと、隅に桜色を抑えた「ヤエザクラ」が葉と共に控えめに咲いていました。気付かずにごめん…。

月曜日に、新学期が始まり、「A・Bクラス」は皆そろい踏み。これからですかね。火曜日は「Aクラス」で早速欠席者が一人出ました。「Bクラス」でも一人お休みだったのですが、これまでほとんど休んだことがない人で、腹痛と同室者が言いに来ていました。

それに比べ、休みが多い人はどうもいけませんね。日本で働きたいと言うのですが、「N3」に合格しても、試験の成績と現実の彼の様子とは違いますからね。日本人であってみれば、話せば、他の能力はさておき、日本語の能力がそれほど備わっていないのがよくわかるはず。働く場所も、結局のところ、それなりのところを探すしかないのでしょうが、そういう人に限ってというか、プライドがかなり高く、折り合いを付けるのが難しいのです。さて、彼の場合はどうなることやら。

一方、一年生は、来日した人達に、第一日目から、早速、「ひらがな」を書かせてみました。「い」が「し」と、それにギリギリくっつくような「、」の人もいれば、「に」の字にしても、幅広の「し」にその右下に「()」と、ちょっと方向が違うのじゃないかと思われるような字を書く人までいて、これで「N5」に合格したと、胸を張って言われると困りますね。「な」や「ふ」は言わずもがなですが。

もっとも、嘗て、「ひらがな」「カタカナ」が書けなくても「N3」に合格したという触れ込みで、来日したバングラデシュ人がいましたから、「N5」くらいでは驚いたりしません。語学を学ぶと言うのではなく、試験用に覚えただけ(どうやって覚えられたのだろう)というのは、すぐに忘れてしまいますから、来日してから大変でしょうね。

一応、留学生は「N5」レベルであるということを前提に授業を進めています。もちろん、復習というか、本当にどこまでできているか確認のために、「イロハ」からやっていくのですが、今回はどのあたりでスピードを落とさねばならなくなるのでしょうかしらん。毎期、いくら「ひらがな」「カタカナ」の文字に力を注いでも、最初に注入(?)された文字(現地の教師によって)は変わらぬと見えて、改められる人はごく僅か。まあ、やりはしますけれども、今回は、それほどねちっこくやらぬつもりです。

こういう人達は「文字の世界」の人ではない場合が多く、「『文字』の形」に力を注ぐよりも、「聞く・話す」ほうに力を入れた方がいいのでしょう。覚えて、「遣えるようになれば、いい」と見た方がいいのかもしれません。どういう人であっても、同じように教えればいいというのではなく。今回は中国人がいませんから、こういうやり方でやってみようと思っています。

もちろん、漢字は入れていきます。例年、上のクラスでは「N2漢字」が終わるくらいまでは入れていますい、中国人は個別対応で、「N1漢字」までは終了させることにしています。

日々是好日
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昨日もネパールからの学生が二人来ました。駅には助っ人の男子学生が一人。汗を掻きながら重い荷物を持ってくれました。

2025-04-11 09:07:27 | 日本語学校
曇り。

昨日、風は一日中かなり強く吹いていたのですが、夜には雨も降りだし、もしかして明日、水たまりに落ちた「サクラ」の「花筏」が見られるかも…なんて淡い期待を抱いていたのですが…今朝は曇り。とっくに雨は止んでいたらしく、道の端っこに雨の名残があるくらいで、水たまりなんてどこにも…ない。

とはいえ、「サクラ」は、かなり花びらを散らせていました。九分九厘がた、もう初夏の「サクラ」然として立っていました。こういう姿もいいですね、葉っぱをワンサカ繁らせて…。

さて、学校です。

昨日も二人、ネパールからの新入生がやってきました。スリランカから学生が来る時には向こうの学校から頼まれている人が迎えに行きますし、そのほかの国は、たいてい親戚がいますので、その人達が迎えに行くことになっています。ですから、学校のスタッフが迎えに行くのは、今のところ、ネパールから来る人達だけです。

今回は羽田空港でしたから、予定よりも早く行徳駅に着けました。迎えに行った人に「留学生が多かった?」と聞くと、観光客ばかりだったとの返事。それでも早く出られたので、、すぐに地下鉄に乗れたようです。成田空港では、まず出るまでに時間がかかりますし、その上、出てからも電車を乗り換えなければなりませんから、大変。それに引き換え、羽田は早い。

空港へ迎えに行ったのはスタッフと二年生一人。行徳駅には、助っ人が一人待っていてくれたので、荷物は皆でどうにか運べたようです。ついでに言っておきますと、今回、米持参の学生はいなかったようです。米など持ってこられると、迎えの人が大変です。

そういえば、20年ほど前には、中国人学生が布団を持ってきていましたし、ベトナム人学生はたいてい、米を抱えてきていました。嘘のような本当の話です。

今日は、通訳として二年生が一人手伝いに来てくれるそうで、スタッフと共に市役所などへ行って手続きを済ませ、それから学校に戻って、教科書を受け取ったり、「ひらがな」「カタカナ」のテストのことや授業に必要な持ち物についての話を聞いたりする予定です。

書いているうちに、早速来ました。時間通りですね。手続きを済ませてからも、二年生が通訳として残ってくれるそうで、助かります。この学校のやり方をわかってくれる人が通訳してくれますと、私が「一」言っても、「十」くらいにして話してくれますから、本当にありがたい。しかも、それがよく勉強する学生であってみれば、ありがたさも倍増します。

日々是好日
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今年の寮生達も、昨年同様、いろいろ手伝ってくれています。みんな出席率もいいですしね。

2025-04-10 09:33:05 | 日本語学校
曇り。

昨日は「五月晴れ」と言った方が良さそうないいお天気でした。昼近く、新入生のための買い物に駅近くに行ったのですが、「サクラ」が風に誘われて、あちらでもこちらでも花びらを散らしていました。「春去りゆきぬ」…しみじみとした情感が窺えるような言葉ですが、昨日は全くそれと反対。夏だと言いたくなるくらいで、春を一気に飛び越えて夏になってしまったような感じでした。

春の天気は三日と続かないと言われているように、今日は、時々雨がぱらつくかもしれないとか。そして、明日は雨になるとか。

コロナ禍の山が過ぎてから、日本で暮らしてい者にとって、物価高が切実な問題となっています。観光客は日本の物価の安さに驚いているようですが、だいたい給料が違うのです。日本の会社員の給料の安さは欧米に比べて、会社がため込んでいる(社員に分け前を与えていない)からとも言われているのですが、だから、才覚のある人はすぐに起業したいと思うようになるのでしょうね。

とはいえ、バブル以前の日本の会社の理念に戻れば、社員は「力」、社員は「財産」ですから、ふさわしい給料を与えるだけでなく、働いてくれる者を育てていくのも会社の務めのはず。それに戻れば、日本は人口が減ろうが、発展は続けていけるでしょうね。会社だけでなく国も地方自治体も、「教える」ではなく、「育てる」ことに的を絞ってやっていけば。

最近よく耳にするのは、「それは無理です」という言葉。他分野、他専門の人だったら、無理であっても、それ(政治なら政治、経営なら経営など)をやりたいといって手を上げてやっているわけですから、「想定外」とか「無理」なんてのは、軽々と言ってもらいたくないですね。できないなら、できる人に代わってもらったらいい。特に国政に携わる人や大企業の経営者には、そう思ってしまいますね。問題は個人(その人)では終わらないのですから。「腹切って終わるか」ですね。

「無理というのは人の心がつくるもの」らしい。言い方は違えど、古今東西で言い古されたことわざ。無理を無理でなくするのが、その道のプロのはず。その分、給料は国民なり、働いている人達やそのモノを買っている人達からもらっているのですから。

「一引き、二才、三学問」。特に政治家なんて二世三世どころではなく、四世五世まで出ているのではないでしょうか。「芸能」関係でもなければ、あり得ないこと。この「引き」も、そんなことされたら、金を払って雇っている他の地方の人達から見ればたまったものじゃない。親や祖父らのやり方を踏襲して、「頑張っています」と胸を張られても、この先の見えない世界でやっていけるでしょうか。会社だったら、倒産してしまいますから、ある意味、公平なのですけれども。

さて、学校です。

昨年は「四月生」と「七月生」だけでしたからか、特にその感が強くなったのかもしれませんが、寮生はいいですね、きちんと「発達」してくれています。皆、ネパール人です。毎日学校へ来て勉強をして…、そしていろいろな手伝いをしてくれています。

勉強の方は、あまりうまくいっていない人でも、その人なりに頑張っていることはよくわかるのです。言語の習得にはどうしても個人差が出てきますから。それでも毎日学校に来ていれば、私たちのやりようもわかるし、それにどう対応すればいいのかもわかっていく。だから、彼等の反応が気持ちがいいのでしょう。テストの点は高くとも、わけのわからないことをいつまでもしつこく言いつづけたり、自分のいいたいことだけ諄く言い続け、こちらの言うことに耳を傾けようとしなかったり…という人はいませんね。これは日本語の上手下手とは違って、相手を理解しようと思わなければ、身についていかないことでしょうね。

日々是好日


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