晴れ。
今朝は北風がビュービューで、寒かった(なにせ、自転車です)。とはいえ、学校の近くに「冬バラ」の蕾がかなり綻んでいたし、今年初めての「ロウバイ(蝋梅)」の花も溶けるように美しかった。頑張っているな、花たち。
さて、なにをしても遅いというスーダンの女の子。「○○先生が怒っているよ」と言っても、「ふぁ~い」という返事。
「だいたい。何を言っても、右の耳から左の耳、左の耳から右の耳なんだから。頭の中に入っていく時間がないんだろ」と言うと、周りから「(彼女曰く)先生が可愛そうって言っていた」。
怒っている先生に同情しているとは…本当にトホホホホ。叱られることに、慣れているというところか。
周りもわかっているので、大変なときには一緒に探してやるのですが、そうではないときは、一人で焦らせています。けれども、彼女、懲りない。ここまで行くと見上げたものです。
さて、学校です。
今は、留学生というのは、一昨年の三月に滑り込みで入れたベトナム人学生が一人だけ。で、他は、ご近所さんです。ご近所さんですから、国も様々で、留学生の時のように「最近はスリランカ人が多いとか、ベトナム人が多い、ネパール人が多いというのはなく、適当に国が散らばっているので、楽と言えば楽、大変と言えば大変。
宗教もイスラム教、仏教、ヒンズー教、キリスト教もいた。ベトナム人は「宗教は…ない」と、中国人と同じことを言うけれども、家に行けば必ずと言っていいほど、いわゆる仏壇(祖先というか両親、祖父母、その前の人たちを祀っていた)があった。見かけは神棚ですね。ただ床に置いている所とキンキラキンであるところが、違うと言えば違う。
宗教なんて、弱い人間にとっては、最後の拠り所みたいなもの。どんな強烈な主義主張を持っている人でも、どこかしらに何か宗教めいたものを信じているところがあると思うのですが、結局、教育で「自分たちには、宗教なんてない」と教え込まれているのでしょう。それも怖いといえば怖い。
イスラム教を信じているご近所さんたちは、日本語が多少なりとも話せるようになると、「どうして日本人は『イスラム教徒は怖い』と思っているのか」と訊いてきます。そして自分たちは、そうじゃないと訴えてきます。思えば、留学生にはそういうことはありませんでした。そういう所も面白い。
在日の人たちは、特に奥さん連は、保育園や幼稚園に子供を連れて行くときに、日本人との接点があったり、ご主人の仕事の関係でなにかそういうことを見たり聞いたりすることが多いのでしょう。もちろん、これは国や地域によっても違うのですが、日本人にはそれはわかりません。それに比較的恵まれて育ってきたかどうかというのも関係しているのでしょう。
まあ、いずれにしても、国内ではそれぞれ宗教上の対立があっても、ここにいると、それらから縁遠くなるようで、最初は表面的に、そして次第にごく普通に仲良くなれるようです。
留学生たちと別の面が見られて、こういうのもいいなと、今は思っています。
日々是好日
今朝は北風がビュービューで、寒かった(なにせ、自転車です)。とはいえ、学校の近くに「冬バラ」の蕾がかなり綻んでいたし、今年初めての「ロウバイ(蝋梅)」の花も溶けるように美しかった。頑張っているな、花たち。
さて、なにをしても遅いというスーダンの女の子。「○○先生が怒っているよ」と言っても、「ふぁ~い」という返事。
「だいたい。何を言っても、右の耳から左の耳、左の耳から右の耳なんだから。頭の中に入っていく時間がないんだろ」と言うと、周りから「(彼女曰く)先生が可愛そうって言っていた」。
怒っている先生に同情しているとは…本当にトホホホホ。叱られることに、慣れているというところか。
周りもわかっているので、大変なときには一緒に探してやるのですが、そうではないときは、一人で焦らせています。けれども、彼女、懲りない。ここまで行くと見上げたものです。
さて、学校です。
今は、留学生というのは、一昨年の三月に滑り込みで入れたベトナム人学生が一人だけ。で、他は、ご近所さんです。ご近所さんですから、国も様々で、留学生の時のように「最近はスリランカ人が多いとか、ベトナム人が多い、ネパール人が多いというのはなく、適当に国が散らばっているので、楽と言えば楽、大変と言えば大変。
宗教もイスラム教、仏教、ヒンズー教、キリスト教もいた。ベトナム人は「宗教は…ない」と、中国人と同じことを言うけれども、家に行けば必ずと言っていいほど、いわゆる仏壇(祖先というか両親、祖父母、その前の人たちを祀っていた)があった。見かけは神棚ですね。ただ床に置いている所とキンキラキンであるところが、違うと言えば違う。
宗教なんて、弱い人間にとっては、最後の拠り所みたいなもの。どんな強烈な主義主張を持っている人でも、どこかしらに何か宗教めいたものを信じているところがあると思うのですが、結局、教育で「自分たちには、宗教なんてない」と教え込まれているのでしょう。それも怖いといえば怖い。
イスラム教を信じているご近所さんたちは、日本語が多少なりとも話せるようになると、「どうして日本人は『イスラム教徒は怖い』と思っているのか」と訊いてきます。そして自分たちは、そうじゃないと訴えてきます。思えば、留学生にはそういうことはありませんでした。そういう所も面白い。
在日の人たちは、特に奥さん連は、保育園や幼稚園に子供を連れて行くときに、日本人との接点があったり、ご主人の仕事の関係でなにかそういうことを見たり聞いたりすることが多いのでしょう。もちろん、これは国や地域によっても違うのですが、日本人にはそれはわかりません。それに比較的恵まれて育ってきたかどうかというのも関係しているのでしょう。
まあ、いずれにしても、国内ではそれぞれ宗教上の対立があっても、ここにいると、それらから縁遠くなるようで、最初は表面的に、そして次第にごく普通に仲良くなれるようです。
留学生たちと別の面が見られて、こういうのもいいなと、今は思っています。
日々是好日