日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

国内ではいろいろと対立もあるのでしょうが、日本に来れば関係ありませんものね。

2022-01-31 08:35:55 | 日本語学校
晴れ。

今朝は北風がビュービューで、寒かった(なにせ、自転車です)。とはいえ、学校の近くに「冬バラ」の蕾がかなり綻んでいたし、今年初めての「ロウバイ(蝋梅)」の花も溶けるように美しかった。頑張っているな、花たち。

さて、なにをしても遅いというスーダンの女の子。「○○先生が怒っているよ」と言っても、「ふぁ~い」という返事。

「だいたい。何を言っても、右の耳から左の耳、左の耳から右の耳なんだから。頭の中に入っていく時間がないんだろ」と言うと、周りから「(彼女曰く)先生が可愛そうって言っていた」。

怒っている先生に同情しているとは…本当にトホホホホ。叱られることに、慣れているというところか。

周りもわかっているので、大変なときには一緒に探してやるのですが、そうではないときは、一人で焦らせています。けれども、彼女、懲りない。ここまで行くと見上げたものです。

さて、学校です。

今は、留学生というのは、一昨年の三月に滑り込みで入れたベトナム人学生が一人だけ。で、他は、ご近所さんです。ご近所さんですから、国も様々で、留学生の時のように「最近はスリランカ人が多いとか、ベトナム人が多い、ネパール人が多いというのはなく、適当に国が散らばっているので、楽と言えば楽、大変と言えば大変。

宗教もイスラム教、仏教、ヒンズー教、キリスト教もいた。ベトナム人は「宗教は…ない」と、中国人と同じことを言うけれども、家に行けば必ずと言っていいほど、いわゆる仏壇(祖先というか両親、祖父母、その前の人たちを祀っていた)があった。見かけは神棚ですね。ただ床に置いている所とキンキラキンであるところが、違うと言えば違う。

宗教なんて、弱い人間にとっては、最後の拠り所みたいなもの。どんな強烈な主義主張を持っている人でも、どこかしらに何か宗教めいたものを信じているところがあると思うのですが、結局、教育で「自分たちには、宗教なんてない」と教え込まれているのでしょう。それも怖いといえば怖い。

イスラム教を信じているご近所さんたちは、日本語が多少なりとも話せるようになると、「どうして日本人は『イスラム教徒は怖い』と思っているのか」と訊いてきます。そして自分たちは、そうじゃないと訴えてきます。思えば、留学生にはそういうことはありませんでした。そういう所も面白い。

在日の人たちは、特に奥さん連は、保育園や幼稚園に子供を連れて行くときに、日本人との接点があったり、ご主人の仕事の関係でなにかそういうことを見たり聞いたりすることが多いのでしょう。もちろん、これは国や地域によっても違うのですが、日本人にはそれはわかりません。それに比較的恵まれて育ってきたかどうかというのも関係しているのでしょう。

まあ、いずれにしても、国内ではそれぞれ宗教上の対立があっても、ここにいると、それらから縁遠くなるようで、最初は表面的に、そして次第にごく普通に仲良くなれるようです。

留学生たちと別の面が見られて、こういうのもいいなと、今は思っています。

日々是好日

「N2」の「読解問題集」。まだまだ「内容の説明」に時間をとられています。???こうなのです。

2022-01-28 08:28:24 | 日本語学校
曇り。

昨日の青空が恋しい。冬、曇っていると何となく寂しい。

とはいえ、学校の鉢植えの「サザンカ(山茶花)」(未だに、本当に「サザンカ」なのか、
「ツバキ」なのかわからない)の「赤」は健在です。

冬に、或いは暗がりで「赤」の花を見つけると、なぜかハッとしてしまいます。「赤」に気付いて、あたりを見渡せば「満目の冬」でしたけれども。

さて、学校です。

「N2」の「読解」問題集。昨日も、大変でした。「そういう考え方」に慣れていない人たちに「そういう考え方」を外国語である日本語で説明すると言うことは、少々「無謀」な行為かもしれません、私くらいのレベルでは。

図や絵を書いたり(説明するのに)して、終えられた時代が懐かしい。とはいえ、「N2」の「読解」ともなれば、そうはやれないのです。思えば、以前の、あのレベルでの「読解」は、「牧歌的」であった…。

これは私であっても同じ。例えば、「経済」の本を読んだりする(読みたくないけれども、経済学部を目指す学生がいたら、嫌でもその方面を調べなければならない…チンプンカンプンなんですけれども)。読んでも、経済的な思考ができないので、(読んだけれども)わからない状態なのです、詰まるところ。

わからない単語があっても、調べればわかる(経済なんてわからない人がたくさんいるのでしょうね。本当に事細かく説明してあります。ただ、その意味からして字面での意味でしか理解できていないのでしょうけれども、当方は)。それに、文法は、日本人だから当然困らない。けれども、煎じ詰めれば、わかっていないのです、偉そうに学生には付け焼き刃的な知識をひけらかして、説明なんぞやっているのですけれどもね。「牽強付会」というか、自分のわかる範囲でのこじつけでやってしまうから、自分が嫌になる。

…教員の教員たる「嫌らしさ」は、わからないことがあっても、時にはそれを隠しておかなければならない時があり、人は弱いものですから、それが習慣になり、わかったふりが常套化するということです。わかっていないのに、わかったつもりになってしまう…怖いことです。もっとも、そうなってしまったら終わりです。これは「武士の方便である」と肝に銘じておかねばならないことです。人は易きにつくものですから。

きっと、彼らも、今、その状態なのでしょうね。私が「経済学」の本を読んでいるような状態です。気の毒だと思う反面、この垣根は乗り越えねばならないとも思います。つまりは「慣れ」なのです。別に専門書というわけでもない、これは普通の人が読む、普通の文章、普通に言われていることなのですから。

「皆がいろいろな考え方をしている。こういうときにはこういう注意を。またこういう目に遭っても心持ち次第で乗り越えられるという了見を。こういう時にはこういう気分になっている人もいる。またこういう考え方をする人もいる」云々。

世界は広い。広くて狭いから、要注意なのです。

「Bクラス」に「N2」読解を教えた後は、ドッと疲れます。ただ長くはない、30分くらいのものです。ちょいとした気分転換ですぐに消えます。ガーンと疲れて、パッと忘れる。この作業も、当方がいい性格だからできること。真面目な人だったら、きついことかもしれません。ただ少しずつ気付く学生が出てくることも事実。気づき始めると、彼らの方が私より疲れてくるようです。それを見ると、「やったぜ」と思い、少々「へへへへ」と、にやついたりするのは、やはり、当方がかなりいい性格だからかもしれません。

日々是好日

「N3」に合格していても、日本の「中一の数学」の(簡単な)文章題はどうも…なかなか手に余るらしい。応用はいかに大変か…。

2022-01-27 08:36:27 | 日本語学校
晴れ。

今日は寒さが少し緩んでいるような…とはいえ、油断大敵。風が強くなると、南風ということはありませんから、とたんに冬将軍の眷属のお出ましということになる。

さて、学校です。

日本語が上手な女の子は別として(他の教員が教えています)、今、日本語勉強中のパキスタン人兄弟に、週一で中学数学を教えています。まだ「N3」がやっとという段階ですから、教科書は使えず、問題集を利用してしかできません。単なる計算問題であったら、「中三」くらいまではどうにかできたのですが、それが簡単なものであれ、文章題となりますと、途端にいけなくなります。もちろん、彼らは国で中学は卒業しています。

「N4」レベルの文法であっても、こと数学の文章題(簡単なものです)となりますと、「応用」ということになりますから、難しいのでしょう。まずは「数学の文章」に慣れる必要があります。

最初、計算が「中三」までできたので、そのままの流れで、(中三の)簡単な文章題をやらせてみたのです。ところが、何がなにやらわからない。またわからないことがわからない。それまで、「簡単、簡単」とにこにこしていたのに、暗い顔になっていきます。

当方にしてみれば、皆、既習の文法です。それがどうして使えないのか…、意味を取れないのか…。ちとたじろいでしまいました。文法でいえば「N5」レベルです。彼らは「N3」に合格していますし、話すのもかなり達者、聞き取りも問題はないはず。ところが、考え込んでしまっている。

つまりは「数学の文章」に慣れていないことから来るのでしょう…ということで、簡単だからいいだろうと、放っていた、「中一」の文章題に戻る事にしました。文章題と言いましても、たかだか一行、長くても二行程度のもの。字数にすれば、20字から40字程度。復習のつもりであったのが、彼らにしてみれば、復習どころではない。う~んという状態なのです。

こんな問題なんて、繰り返しですから、「中三」でわからなかったら、「中二」の問題に戻ればいいし、「中二」でわからなかったら、「中一」に戻ればいいようなもの。まずはその基本となる「中一」から、本来始めるべきであったのでしょう。できるだろうと勝手に思い込んでいた私が悪かったで、軌道修正です。前にも教えたことがあったのですが、その時は文章題にまで至れなかった。計算で終わりです。それほど、国によるレベルの差は大きい。

文章題ですが、これは50年前と大して違っていませんね。例の年齢の問題やら、リンゴとミカン、食塩水やら、当方としましては、何とも言えず懐かしい。もちろん、向こうはそれどころではないでしょうが。

日々是好日

「日本語能力試験」の結果が出ました。一名を除き、受けた人は皆合格。クラスはうれしさで沸騰状態でした。

2022-01-25 08:48:00 | 日本語学校
晴れ。

昨日の「日本語能力試験」の合否の結果を知った時の、皆の様子は面白かった。例年だと(留学生ばかりだと)、こうはいきません。

妙に自信のある者が数名いて、なぜ落ちたのかわからないといった表情になる。つまり彼らの国ではそこそこいっていた。日本語なんて簡単、適当に話せるようになるし、文章だってなんてことはないくらいに考える人がいたんですよね。これは外国人用の読解ばかりやっていたせいかもしれませんが。

ところが、在日生がほとんどの今年はそれがない。もっとも、受けた学生が、一名を除き、皆合格したからのことなのでしょう。皆で喜び合っていました。そしてそれが終わると、内容のチェックです。

現在、この学校にいるのは、併せて11人。一名を除けば、皆ご近所さんです。

「Aクラス」スーダン人二名。「Bクラス」ベトナム人三名、パキスタン人二名、ネパール人とスリランカ人がそれぞれ一名ずつ。「Cクラス」インド人一名、ウズベキスタン人一名。

「Aクラス」の二人は「N2」に合格。「Bクラス」の五名は「N3」合格(一年も経っていないのに、大したもんです)。数ヶ月遅れて入ってきた一名は「N4」合格。一名は残念ながら不合格でしたが、これしょうがありませんね。言語に関しても、他の科目と同じように得手不得手がありますから。次を期待しましょう。「Cクラス」は始めたばかりですので、まだまだ『みんなの日本語』を頑張っているレベル。当然試験とは無関係です。

で、興奮が冷めたあと、現実に引き戻してやります。まずは「Aクラス」。

大学にしても高校にしても、進学するからには、やはり「N2」くらいは合格しておいた方がいい。で、二人はどうにか合格できたので、心安らかに受験準備ができる。ということで、大喜びしている二人に、「さあ、まだやることは山ほどある」

きっと、心では「鬼!」と思っていたことでしょうね。けれども、まずは願書を出して、次に面接の練習をしてと、やらねばならぬことは次から次にできてきます。

「Bクラス」でも、それは同じこと。「読解」がどうも伸びない。伸びないどころか、未だに内容を問うていくと、読んだ時、耳に入ったものの切れっ端から応えるという習慣が抜けきらない。

指示語の指すものを聞いた時もそう。また、内容にしても、例えば「対比」あるいは「比較」の接続詞さえ、見つければ、答えていくのはそう難しいこととは思われないのに、文章を見て探すと言うことをせずに、まっすぐに私を見つめながら(耳に残った欠けらで)答えようとする。

きっと、母国で、「ずっと先生を見ていなさい」とか言われて育ってきたのでしょうね。「下を見ろ。本を見ろ。文章を読め。答えはそこに書いてある」というのは、もしかしたら彼らにしてみれば理不尽なこととしか思えないのかもしれません。「えっ。本を見るの?先生を見ていなくていいの?」くらいのものなのかも…。

「百読、意、自ずから通ず」なんてのは、聞いたこともない…。

日本人や中国人が、「読んで」「書いて」を繰り返して、内容を吟味していくというのに対して、彼らは「聞いて」「話して」で、人生をつかんでいく傾向にあったのかもしれません。

「どこに書いてある」と言ったときだけは下(本)を見て、「○○段落の□行目から、△行目まで」と言えるようになったけれども、読みながら考えるという習慣が、なかなか身につかない。

まあ、これは「非漢字圏」の学生に多く見られることですし、彼らだけ責められるものでもない。習慣ですから。

とはいえ、次は「N2」です、それでいいとはならない。

もちろん、外国人用の「問い」ですから、それなりに答えやすいようにはできている。とはいえ、「何度も読む、内容を把握する」という習慣だけはつけておきたいもの。

外国人用の読解の教科書であったら、多少の思い込みが筆者にあるにしても、まあまあたいしたことはない。けれども、問題集には、日本人が普通に読む文章が、切り取られて、そのままの形で出ている。文法や単語の問題ではない問題が発生する。で、さあ、大変。

「問い」に対する「答え」は…答えは合っている、けれども文章の意味するところを問うていくと、「何の事やら」…わからない。わかっていないことがよくわかる。で、説明を加えねばならぬ。なぜか、どうしてこう書かれているのか等々。

90分授業のうち、いつもの暗記作業をして、それから「文法(N2)」をやったあとに、「読解(N2)」です。最初はことの重大さにそれほど気がつかなかったけれども、だんだん「へ!、へ!、へ…」となってきて、今は一つ(問題が)終わればいい方…と思えるようになってきた。下手をすると、明日また続きをやる…なんてこともある。

「読解(N3)」の頃は、言われたものを予習してくる人も何人かいたけれども、「N2」になると、少々手に余ると見えて、予習してくるのは一人か二人になってきた。で、今は、「解け」とは言っていない。「5分でいいから見て(読んで)くるように。もしあと5分なりとも時間があれば、わからない単語なり文法なりをチェックする(だけでいい)」としか言っていない…のですけれども。それにしても200字からせいぜい300字程度のものなのですけれどもね。

「『非漢字圏』の人は『N3』合格が普通から、『N2』合格が普通」に、早くなってほしいものですね。

日々是好日

昨日は風が強かった…。

2022-01-21 08:34:00 | 日本語学校
晴れ。

今朝は、西の空に白い月の欠けらがおぼろに残っていました。雲もなし。いい天気です。

昨日は、風が強くて、自転車を漕ごうにも、なかなかそれがうまくいかない。まず一漕ぎ目が最大の山場。「やった、できた」と思っても、ほっとする間もなく。体勢が崩れそうになる。ユラユラユラは危ない…。なにせ、冬将軍配下の北風が、すごいのです。ゆらりとしながら、二漕ぎ、三漕ぎととにかく走る。エッチラオッチラ、なんとも危なっかしい。

最初は「えいよっ」というかけ声。しかし、それも続かない。次第に、「よいしょ、よいしょ」と言いながら、力づけながら…風に逆らっていく…。風がないと何とかなるのですがねえ。

寒くても、風がなければねえ…というのは、雪国の人の、雪さえ降らなければねえというのと、響き合うようなもの…かな。…そういうのは、ちと言い過ぎかな。雪国の人に申し訳なし。

さて、学校です。

面接の準備というとナンですが、高校入試と大学入試を控えたスーダン人女子学生の話です。

二人とのおしゃべりが続いています。けれども、そのおしゃべりの合間合間に彼らの悩みとか、不安とかが垣間見え、(不安自体は)同じでありながら、(その反応は)ちょっと日本の子たちと違うなあと感じさせられています。

もちろん、これは時間がかかることですから、留学生が多い頃には、こういう時間は取れなかった。

「どうしてか、わからないけれども、お母さんが言うことと反対のことをやりたくなる」とか、「言われると、やりたくなくなる。何も言われなければ手伝うけれども、『あれ、やって』とか言われると、もう、嫌。やりたくない」

こんな他愛ないことも、(いい子であった彼らには)理由がわからず、不安になっているようなのです。「みんなそういう時期を経るものだから大丈夫。少しずつ大人になる階段を登っているのだから。もう少し経ったら、そんなことはどうでもよくなるから」。慰めとも何ともつかない説明なのですが、何か、それなりの「落とし所」みたいなものが必要のようで、聞くとそうなのかと楽になるようなのです。

それはそれ。そういう時期には、せいぜい、反抗していればいい。これからの人生にはまだまだいろいろなことが起こりうるのだから。

で、皆、そういう時期は違うし、そういう気持ちになるのはその時だけというわけではない…みたいなことを話していると、一人が「そう、中学生になったばかりの弟が、そう」「私は今なのに、弟は速い」とか言い出して、なんとなく落ち着いたみたい。

彼らの国のこと、或いは日本に来てからのことが話の中心なのですが、彼らは今、「母国にいた時の自分」でもない、かといって、日本にいながら、日本人と同じというわけでもないという、宙ぶらりん状態。いろいろな国の情報が入りすぎるくらい入ってくる日本の若者たちとは違い、それ故の戸惑いも多いのです。しかも家族と一緒に来ていますから、うちに帰れば全くの母国。

時間が経てば、これは強いですね。家族皆で経験を共にしているのですから、国に帰っても孤立するということはないのです。わかっている家族がいるのですから。

一人で外国に来ていると、母国に戻ったときに、(だれもその状態を知らないので)孤独感に苛まれると言うことはあるものなのですが、そういうことはない、これは強い。ただ、今は、それがプラスにはなっていないらしい。

同じことを経験しても世代の差というのはありますから。また外国にいても同国人とのつきあい、或いは絆が強すぎると、母国にいた時と習慣のみならず、考え方も変わりません。もとより、感受性の差というのもあるでしょうが。

まあ、一歩一歩、迷いながら、戸惑いながら進んでいくしかないですね。母国にずっといて、同じ考えの人たちに囲まれて、いつもチェックされ続けていたら、異国での、こういう経験はできなかったでしょうし。これが「プラス」になるか、「マイナス」になるかは、多分、これからの自分の受け方、考え方次第なのでしょう。

日々是好日

「大寒」。様々な国から来た人々のこと。

2022-01-20 08:46:14 | 日本語学校
晴れ。

「大寒」。今朝は零度を下回ったそうな。聞くだけで寒さが応える。とはいえ、「大寒」の次は「立春」。「春遠からじ」ですね。

学校で勉強を始めて、だいたい一年ほどが過ぎると、学生たちは教師の習慣を呑み込むだけでなく、だから「こうしよう」というふうになってきます。(教師)対策がうまくなってくる。留学生の場合は、頼る先が学校ですから、その呑み込みも速いだけでなく、応じ方もなるほどと思わせられるほどになるのですが、最近のように在日生ばかりになっても、それは同じことのようです。

いや、数歳上だからでしょうか、高卒の人たちのように、何かあったら直に訴えるのではなく、遠慮がちか自分の方が退いて譲ってしまう…ような傾向にある…。

ネパール、スリランカの学生はこの傾向が強く、パキスタン、インドはちょっと違う。ベトナムは、しょうがないかと諦めるという感じ。お国柄でしょうが、ただ、これに甘えていると、学生たちの方に皺寄せが行ってしまうので、教師の側がちと気をつけておかなければなりません。

外国の人に日本語を教え始めた頃、最初の学生は、皆、中国人。勉強の習慣がない人たちが多かったので、大変は大変でしたが、できようができまいが気にならない…らしい、向こうが。だから、楽と言えば楽。なにせ、たいして教える気もなく、技術もない人たちは「学生が悪い」で責任を回避できますから。

それから、勉強したいという中国人が増えて、随分、ある意味、面白くなりました。何せ漢字もわかれば、読解力も日本人と同じ(読書の習慣がある人が少なくないので、あまり気を遣う必要がないのです)。日本人に教えるつもりで教えていれば、それでいいのですから。

それから次に、スリランカ人が増え、漢字がわからないので、「『読解』なんて知ったこっちゃねえ」という人たちのオンパレードで、「どうすりゃいいのさ」と途方に暮れる始末。

当時、学校にきていたスリランカ人は、最初っから、「読む」「書く」気がないので、10回書かせようが、100回書かせようが、絵を写しているだけ…と思っていたのでしょうね。工夫して「篆書」から導入してみたりしたのですが、結局は、卒業時に「一」から「三」までは書けても、「四」から先は心許ないという状態。無駄にカリカリ来ていた…だけでした。もっとも、不思議なことに、それを何とも思わないようなのです。写すだけでは「責め苦」と思うのですが。

ただ、スリランカ人は、中国人と違い、ヒアリングがいいので(これは南アジア、西南アジアも同じです)、下手をすると、学校が長期休みになると、日本語が上手になって戻ってくる…(なんということか)。だから、働くだけであったら、多分雇い主には、重宝されていたのでしょう。反抗するとか、文句を言うという人たちはあまりいませんでしたから。

そうこうしているいるうちに、「日本で暮らすなら勉強せねばならない」という自覚のある人がパラパラと入ってくるようになり、本格的に「漢字を身につけさせるには」と考え、覚えるための小冊子(電車の中でも開いて覚えられるように…これは読み方を覚えるためです)を作ったり、教科書毎に新出漢字については筆順から調べてそういう冊子を作ったり…まあ、苦労はしました。どういうものが「当たる」か、わかりませんでしたもの。

当時、今のようにの「N5」「N4」漢字で外国人用のものがなかったので、小学校の漢字の辞書をいくつか利用して作っていたのですが、今は、外国人用のものがあるので、それを利用しています。「N5」「N4」の漢字の筆順さえ、しっかり覚えていれば、「N3」からは楽勝です。本当に楽になりました。

そのうちに、ベトナム人が来るようになり、三重苦の人たちとの対決です。中国人のように「漢字」がわかるわけでなく、スリランカ人のように「ヒアリング」がいいわけでなく、しかも、「文法…語順」でしょうね、それがつかめない。

こういう人たちをどう教えていったらいいか、最初はやることなすこと失敗。これもだめ、あれもだめ。じゃあ、こうしてみるか、ああしてみるかと試行錯誤が続き、けれども、やってみるものですね、なんとなく道が拓けてき、そのうちにきちんと勉強する人たちも増え、これはこれなりに、ベトナム人が来ても身構えなくてよくなりました。

そして次はネパール人です。覚えているのは「て形」の次に「ない形」を入れようとしたときのこと。どうしても「Ⅰグループ」「Ⅱグループ」「Ⅲグループ」とグループ毎に姿を変えるということが理解できなくて、半べそで、「わかりません」と訴えた高卒の少年のこと。「て形」まではとにかく必死に覚えたのでしょうね。ところが次に「ない形」なんぞが来てしまった…それで、パニックになってしまったのでしょう。この少年も、卒業時には無事に「N2」に受かっていましたから、半べそも無駄ではなかったようです。それくらい理解したかったということでしょうから。

高卒者は「N5」に合格していないと留学できないようになってからは、こういう人はいなくなりました。が、アフリカからの人はどうなるのでしょうね。以前聞いたときには、日本語を教えるような所はないと言っていましたから、そういう所から日本に来たいといった場合はどうなるのでしょうかしらん。

日々是好日

留学生が来られないので、今でも「ご近所さん」に「対面授業」を続けています。教室はスカスカですし。

2022-01-14 08:45:20 | 日本語学校

晴れ。

寒い。今日は一段と冷える…。風まで冷たいのが吹いてくる…。日本海側や雪国の人たちからは「へ?これくらいで」と言われそうですが、「サムイ」は寒い。

さて、学校です。

行徳駅前のベンチに、しばらく腰掛けていると、南アジアや東南アジア、中近東、ラテンアメリカ、アフリカの人たちが構内に吸い込まれていくのがよくわかります。時には、卒業生が混じっていることもあって、以前、課外活動のため、駅前のベンチに座っていると、卒業生の何人かに声をかけられるということもよくありました。ここは彼らにとって住みやすい街なのでしょう。慣れているし、友達も親戚もいるでしょうし。

卒業生が母国で結婚して、妻に日本語を教えてほしいからと連れてきたこともありました。そうやって家族ができると、またこの地に異国の人たちが増えることになるのでしょう。もちろん、皆が皆、この地に根を生やすというわけではなく、中には他の県に行って、そこの仕事先で家を買って落ち着いたという人もいるようですし。

で、この土地のことです。

留学生は、今、日本に来られません。来られないから、オンラインで授業したらと言われるのですが、それができるような国・地域と、それができない国・地域とがあるのです。だいたい、日本語がわからない人たちと、どうやってオンラインで繋がれるのだと、そちらの方が不思議になるのですが。共有できる言語がないのに…。皆が皆、英語ができるわけでもない。アラビア語ができるわけでも、ウルドゥー語ができるわけでも、ベトナム語ができるわけでも、ネパール語ができるわけでも、シンハラ語ができるわけでもない(そういう国から来る学生が多いのです)。

ここに来る留学生たちは、皆、母語が違うのです。鉛筆や消しゴム、ノートなどは見せれば済むことですが、そうではない抽象的な言語は…難しい。教師の身振り手振りで判断したり、例えの文を聞きながら、「おそらくは」と、理解していくしかない場合もあります。だいたい、ノートの置き方・書き方(日本人のノートの置き方と90度違う国だって少なくない)一つにしても、ひらがなの線(撥ねるとか止めるとか)一つにしても、なかなか見てわかる、直してやれるとまではいかない。

母語が同じ人間同士なら何とかなることでも、そうでなければ、難しい場合が少なくないのです。

私達も、彼らが教室に来た時の、その時々の態度・行動から、「これはしない方がいい」とか、「これは日本では失礼に当たるから」と注意できるのであって、なにも「あいうえお」だけが全てではないのです。日本語学校とは、この地で生きていくための「いろは」を身につける場所でもあるのです。

今のところ、この学校では、ご近所さんが来てくれて、対面授業が続いています。留学生が来なくても、(留学生たちと)同じような国・地域からの人たちが多いので、どこまでも日本語だけでする授業です。

以前、ニュージーランドからきた人が、「ここはいい。日本語だけで授業をしてくれる」と言っていたのを思い出します。日本人は、自分がニュージーランドから来たと知ると、すぐに「英語で話しかけてくる。まるで、私がお金を払って英語を教えてやっているような気持ちだった」。そりゃそうでしょう。

私も中国で仕事をしていたとき、職場では日本語で通しました。それを中国人のスタッフは「以前いた(日本人の)だれそれさんは、ここに来てから中国語が上手になった」と私に嫌みを言っていたのです。私からすると、給料が安いにせよ、自分がここに存在しているのは、スタッフに日本語を教えるためだと思っていましたから、思わず笑ってしまいました。「私が金をもらって中国語が上手になってどうする。そっちの損だぜ」。考え方の違いですね。

日々是好日


昨日、一人が都内の大学に書類を見せに行ってきました。その感想「アニメ!アニメ!アニメだった」????

2022-01-12 08:48:07 | 日本語学校

晴れ。

今朝は、早朝の空の変化を感じることができました。徐々に明るさが感じられるというのはいいものですね。昨朝は外がなかなか明るくならず、お日様は寝坊しているのかなと焦ってしまったほど。天気が悪いというのはこういうことなのだと変な気持ちになってしまいました。賢者は歴史から、愚者は習慣や経験から物事を判断すると言いますが、本当にその通り。自分が味わえないと、すぐにそれで変わってしまうのですから、困ったものです。

とはいえ、やはり空が明るいというのはいいものですね。古人がお日様に向かって毎朝手を合わせていたというのも宜なるかな。今朝もきれいな真っ青な空です。…けれども、寒い。空気はかなり乾燥しているとのことでしたが、道にはまだ昨日の名残の水たまりが薄く広がっていました。

さて、昨日のこと。

大学に書類を持って行ったスーダンの学生が、2時過ぎでしたか戻ってきました。
「大丈夫だった?」「うん。大丈夫」
これでは何の事なのかわかりません。私と彼女の相棒が、次々と質問の矢を浴びせかけます。

乙「何時に出たの?何時に着いた?」
乙「ちゃんと出た」
甲「へええ、遅れなかったんだ。珍しい」
乙「ちゃんと出た。○時○分に家を出て、それからバスで駅へ行って…□時■分頃(大学に)着いた。あの大学、近い。すぐ着いた。近い、近い(と、喜んでいます)」
私「(書類は)どうだった」
「大丈夫」
私「戻ってくるのがどうしてこんなに遅かったの?」
「大学の中を見ていた」
私「誰かがついてきてくれた?」
「ううん。一人で見た。道に迷って同じところに二回行った。先生の許可をもらって見に行ったから大丈夫」
甲「迷ったら、どうして誰かに聞かなかったの?」
私「学生がいなかったんじゃないの。オンライン授業じゃないの」
乙「ううん。いた。たくさんいた。いたけど、みんなとても忙しそうで聞けなかった」
甲「恥ずかしかったんだ、きっと」
乙「違う」
そして、一段と声を張り上げて
「先生、アニメみたいだった。アニメ、アニメ」

どうもアニメの登場人物のような格好をした人たちが、あっちこっちにいた、そして歩いていた…。それに、驚いた。しかもごく普通に動いている…これは現実か…。

もちろん、彼ら(そういう学生たち)にとっては、それは普通のことでしょうから、特別衒ったり、人の目を意識したりすることはない。また、周りもそれに慣れているから、何とも思っていない…。それがまた、驚きに輪をかけたらしい。…普通に歩いていた…、たくさんいた…。

具体的に話し始めました。
乙「髪の毛はこう」…つんつんと髪を針のように立てている様が想像できます。
乙「それから、紫とか緑とか、いろいろな色。たくさん、たくさん」
乙「それから、あれはハーフだと思うけど…髪の毛がこうなって(頭の左右に大きな団子を作って見せます)フワフワで大きくて…」
すると、相棒が
「ああ、19XX年代のファッションだ。今また流行っているから」

こういう話題にはついて行けません。せいぜい、「ファッションでも何でも繰り返されるもんだからね」くらいの合いの手しか入れられません。

キャンパス内を見て回ったことは見て回ったらしいけれども、一番見たかったスポーツをしている様子とか、図書館などにはたどり着けなかったようで、ちょっとかわいそうでした。が、大学の雰囲気はわかったようでした。

日本に来て二年近く、日本と彼女の国の人々の考え方や生活の有り様の違いなどに少しずつ気付いたというのが一段階。そして、大学に行き、四年を日本で暮らしていれば、もっと多くの違いが、日本だけでなく様々な国との間にもあることに気づけるでしょう。ここで出会える人の数や知識の量は全く違いますから。

ここ、日本語学校というのは、外国人が日本語を学ぶところ。日本人はこう考える傾向にあるということは伝えることができますが、それとても、数人の日本人教師が言うだけのこと、量もしれています。しかも、限られた人の中でコロコロと動いているわけですから、人を選べないのです。

大学に行けば、接することのできる人の数は格段に増える。しかも、選べる。きっと親しめる、親近感を覚えるというのに、国境も民族や宗教の違いも関係ないことが少しずつわかっていくことでしょう。それから心が自分の国や民族に戻るかどうかは本人(彼らの場合はおそらく家族…一族と言った方がいいのかもしれませんが)の問題。

気付くだけでも違うのです。

日々是好日

木曜日の雪は本当にすごかった。で、金曜日。大喜びのみんなの報告を聞きました。

2022-01-11 08:19:05 | 日本語学校
小雨。

先週の木曜日は、「今日、雪になるとか…」どころではありませんでした。あっという間に積もり始め、補講の学生が「写真を(教室の中から撮ったけれども)何も写っていない」とぼやいていたのが嘘のような状態に。ものの一時間と経たぬうちに、あっちもこっちも「雪色」で、一面の雪景色。自転車の上にも、積もるは、積もるは。叩きながら出さなければなりませんでした。慌てて補講の学生たちに帰るように促したのですが、自転車置き場で写真を撮り、一歩進む毎にまた写真を撮りで、なかなか帰ろうとはしません。

先に帰るよ。早く帰らないと歩けなくなるからね」と先に出たのですが、実際、あと十分も遅く出ていたら、家に自転車で帰れなかったかもしれません。最後の所など、歩いてしまいましたもの。

とはいえ、喜んだのは学生たち。公園や緑の葉の上の雪は本当にきれいでしたろう。だれも歩いていなかったでしょうから。それに、なんと言いましても、ほとんどが南国の人たちですから。

で、翌日の金曜日のことです。自転車で15分(他の人なら10分とかからないのかもしれませんが)のところを、ペンギンさん歩きで、優に三十分かけて、学校へ。一度外に出て、こりゃあ無理だと、あきらめて電話をかけたのですが、電話が繋がらない。で、しょうことなしに、「歩き」です。危なかった、危なかった。私だけでなく、転びそうな人が何人もいました。もちろん、サッサカ、サッサカと歩いている若い人も幾人もいましたが。

私にしても、元から「ペンギンさん」をやっていたから、どうにか学校まで着けたのでしょうが、そうでなかったら、やめていたかもしれません。なんとなれば、道半ばにして、悩み始めましたもの。とはいえ、「行くも地獄、帰るも地獄で」。立ち往生しなかっただけましだったのでしょう。本当にますます体力の限界を感じてしまいました。2日は家の中でも足を引きずっていました。立てない、歩けないと。

ところが、翌日のこと。「Bクラス」の学生たちは皆やってきました。あの雪の中を大してものです。見上げたもの、「あっぱれじゃあ」と言いたいくらい。いくら新学期の初日だとはいえ、あの雪道を歩いてきたのですから、偉いものです。「Aクラス」の(補講もした)二人もやってきました。

そして、雪が降って、大はしゃぎで、「こんなことをした」と「そしてどうだった」と、興奮しながら身振り手振りで話します。その都度、「それは『雪合戦』」と言うとか、「あれは『雪だるま』」というとかホワイトボードに書いていきます。

雪の「白」と「頼りなさ」、そして「冷たさ」は、ある種の興奮を老若男女に与えてくれるもののようです。とはいえ、これは一年に一度降ればいい方という地方ならではの考え方。雪国の人たちが、「雪は嫌だねえ」という時の「雪」とは、多分、違う「雪」なのでしょう。

で、初日の授業のことです。来たのはいいけれども、日本語のリズムを忘れ、単語を忘れ、読みを忘れ…していました。9名中の一人を除き、皆、在日ですから(ほとんどは、同国人同士の家族です)、それも仕方がないことなのかもしれません。

文法の暗記文(と言っていいのか)も、昨年まではこちらが先に読まなくてもそれなりに読めていたのですが、それも、ためらってでもいるように一呼吸遅れるのです。しかもバラバラで。こりゃあ、いかんとまた一から出直しのつもりで、先に読み、あとにつけさせていきます。たっぷり時間がかかりました。やっと10分か15分くらいで終われていたのにとため息が出てしまいますが、もとより、これも毎年のこと。で、やはり「しょうがない」となります。

それが金曜日ですから、3日間の連休のあとはどうなのでしょう、金曜日の繰り返しかしらんとも思うのですが、これも毎年のこと。…と、飽きもせず、毎年ため息をついています。

日々是好日

最初の補講は、おしゃべりで「盛り上がり」ました。

2022-01-06 08:56:30 | 日本語学校

曇り。

今日、雪になるとか。で、防寒対策はバッチリで家を出た…せいか、あまり寒くない。ちょっと拍子抜け。でも、ちょっとでも動くと、モコモコしてロボットみたいになってしまう…ここまでせずとも良かったかもなんて思ったりしています。もっとも、降り出すとわからない…とはいえ、雪は降る前が一番寒いと聞いたことがある…ような。では、今が一番寒いのか…。

さて、昨日、時間通りに来たのはベトナムの学生一人。こういうことにはそつがありません。一方、スーダンの二人は、「いつからですか」のメールが2日続けて来ていたそうで、やはり最後は「来なさい」ということになってしまう。メモする習慣がないからこうなってしまうのだと言って、メモ帳を作らせても、それをなくしてしまうからどうにもならない。これからどうするのだろう。

うち、大学進学を目指しているAと、日本とスーダンの違いなどについて、気付いたことなどを話させます。おしゃべりと言ってもいいでしょう。これは、自分なりに考えを整理させていくためです。それに合いの手を入れてくるのが、高校進学を目指しているB。

同じスーダン人と言っても家庭環境も、これまでの人生も違うとあって、意見が異なることも多々あり、素知らぬふりができないのでしょう。ノートに課題を綴りながら、ときどき口を挟もうとします。

「スーダン人は、自分が間違っているということを認めたがらない」と、ここでは二人の意見は一致します。「それは誰でもそうでしょう。『思っている』から、主張するのでしょうし」と言うと、「日本人のように話し合って、解決するようなことはない。正しいか正しくないかで、一方が正しければ、他方は間違えているということになり、そうすると、間違えていた人は怒り出す」…そいつは困った…。そういうタイプは日本人は苦手だななんて思ってしまいます。

すると、「そうだよね。Aも、会った頃はそうだった」。言われてAは素直に「うん」と頷きます。ということは、随分日本人化してきたのかな。「でも、自分じゃわからなかった。みんなそうだったから」…そうか、そうか。だから最初は扱いにくいなと思われていたのだな。

日本人は黒白をつけるのを嫌がります。少々の諍いなら、最後には正しい方が、「私も行き過ぎの面があった」という言い方をして相手を立てたりする。相手を追い詰めないのです。そう言われると、(自分の方が間違っていたというのはわかっていますから)相手が自分を立ててくれたのをありがたいと思って、双方丸く収まるということになる。

もっとも、これは性根の問題で、同じような了見の持ち主同士ならそうなるけれども、これが訳のわからない奴が相手となると、「勝った。自分の方が正しかった」なんて思ったりしてとんでもないことになってしまう。こういう駆け引きは難しいのです。同国人同士で、わかっていても、やはり難しい。相手の性根を見てからやらねば、たまらないことになってしまうのです。これも腹芸の一種でしょうかしらん、今となっては。ときどき「はっきり言われなかったからわからなかった」なんて言う人もいますもの。

面白いですね。日本で子供の頃から暮らしてきた(といっても、子供頃から一年の半分ずつくらいでしょうか、日本とスーダンと)Bは、かなり日本的で、はっきり言われてしまうと、どん引きしてしまうところがある。

一方、Aの方はこれまでスーダンでしか暮らしたことがありませんでしたから、スーダン人社会にドップリ浸かってきたというより「漬け込まれてきた」と言った方がいいのかもしれませんが。

「女の人はそういう服装をしてはいけない」とか「女の人はそういう行動をしてはいけない、他の人にどう思われるかわからないから」といった他者の目を意識した生活からなかなか抜け出せない…ところがある。

日本に来る前はともかく(他国のことどころか、自国のことも大して知らない)、日本に来てから、「…日本社会には男女の区別がない」と思ったようです。…女の人も男の人と同じようにスポーツをしている。服も着たい服を「勝手に」きている。それだけではなく、いろいろ思ったようで、彼女から見れば、目から鱗だったのでしょう。私が思わず、茶々を入れたくなるほど、そう見えているらしい。

日本人から見れば、日本人はまだまだ自立していないし、人の目を気にしすぎているし…。でも、彼女から見れば、そうではないのです。

日本人は欧米ばかりを気にして、いろいろ言っているけれども、彼女から見れば違うのです。何を基準にして思うかという、それだけの問題なのでしょうが。

日々是好日


2022年の勉強が始まります。

2022-01-05 09:01:37 | 日本語学校

晴れ。

今日は「小寒」。今日から「寒の入り」が始まり、途中「大寒」があって、「節分」まで、「寒の内」ということになるそうなのですが、本当に今朝は寒い。

皆が出勤する前に一仕事終え、皆が来た頃に、ほっと一息つく…のがいつも。今朝のように寒いと、暖まるまでに時間がかかる…。かといって、学生が来ていた頃のように、(コロナ対策として)一日中どこかしら開けていたわけではないので、やはり開けておかざるを得ない…。もっとも、皆が来るまで、寒いので、一応、二方向だけですが。

一月になると、「ウメ(梅)」の花、中でも「ロウバイ(蝋梅)」の花。それこそ、蝋のような黄の花が恋しくなってきます。よくしたもので、これも習慣と言えば習慣。以前、毎年のように見ていたからでしょうか。

とはいえ、ここ数年、正月はずっと部屋に閉じこもるという生活を続けてきたので、記憶の中だけの「ロウバイ」の花なのですが。

で、「初詣」です、もちろん、日本のです。以前、コロナ禍の中でのインドの宗教行事を見て、「大変だなあ、これではコロナが広がってしまうのも無理はない」などと呟いたりしていたのですが、これ、決して他人事ではなかったのですね。テレビで「初詣」の様子を見ていてよくわかりました。

同じですね。有名神社仏閣に押し寄せる善男善女をみていると、まるでガンジス川での沐浴です。神頼みに彼我の区別がないことがよくわかりました。小康状態と思っているからできることなのでしょうが。

というわけで、今年も「不安8分」くらいの割合で、授業が始まります。今日は進学を控えた三人が補講にやってきます…の予定ですが。

…覚えているかしらん…覚えていないでしょうね。そして、今日遅れて、また叱られるのでしょうね。

日々是好日