秋も随分深まってきました。こうなると「秋深し 隣は何をする人ぞ」よりも、「咳をしても 一人」の方に軍配を上げたくなってしまいます。
早朝の路上には、「喰われ残りの柿」が、あちらにもこちらにも落ちています。鳥というのは、贅沢な食べ方をする動物ですね。柿も、鳥が突いたり、ほじくったりするのに、耐えきれないほど熟していたのでしょう。落ちると同時に、ひしゃげてしまっています。しかしながら、柿の実は、「黄葉」の葉の色と同じで、私などが遠くから見ますと、「葉を黄にした」としか見えませんのに、鳥とは大したものです。見事に見分けているのですから。
ところで、学校では、(こうも「秋寒」が続くようになりますと)「寒いから、風邪を引いた」ではなく、「風邪が抜けない」状態の人が増えてきます。
「病院へ行きなさい」。「行きました。何度も行きました。グスン。でも、よくなりません。グスン」。
日本へ来たばかりの頃は、「日本の薬は効きます。すぐによくなります」と言っていた学生達も、風邪の菌と格闘を続けると言うことになってしまいます。彼ら曰く「私はビールスの家です」でも、結局、養生が、いくら言っても判らないのです。
これまでは、暖かさの中に、飛び飛びに「寒さ」がやって来ていましたので、彼らのやり方でもよかったのでしょうが、これからは「日々寒くなる」状態が続きます。「よくなったから」、夏とほとんど同じような格好をしてもいいのではなく、「よくなっても」、冬の格好をし続けていなければなりません。
学生達は、前に言われた通りに、シャツの下に一枚着るようになっていますし、上にも常に上着を着ています。暖かい時には、汗をかかないように、それを脱いで、夕方寒くなってから着るという、教科書通りにしているように見えるのですが、やはりどこかおかしいのです。
いつ一枚羽織ればいいのか、増やさなければならないのか、この感覚が分からないのでしょう。
それに比べれば、たとえ中学生さんであっても、中国人は寒さの中から来たような所があって、頼もしい。
「日本は寒い。中国とは違う。中国は気温は低いけれど、こんなに寒くない。湿度が違うから、こんなに寒いんだ。下からぐっと寒さが伝わってくる」めいたことを言えるのですから。
南から来た学生には、「(手取足取り)寒さ対策」を教えなければなりません。下に一枚着ているのですが、上のシャツのボタンは外していますから、これでは着ているのか着ていないのかわかりません。せっかく下に一枚着ても、それで安心して、上のシャツをなおざりにしていれば、もう寒さ対策のためのものではなくなってしまいます。
「そんな格好しているから、風邪を引く」と言っても、「どうして(先生の言う通りに、シャツも着たし、上着も持ってるし、靴下だってはいているのに)」と(図体は大きいのに)あどけない顔をして見つめます。
その度に、「これはこうして、ああして。日本の冬の寒さは、下から来るから、寒さになれるまで、入り口(襟口、袖口など)を塞がなければならない」など、言うのですが、なかなか一つ出来たら、他のを忘れるという状態で、「身体で掴んだ」寒さ対策ではないからか、どうも支離滅裂になってしまいます。
早くこの冬を無事に越して、今度はこの学生が、祖国から来た留学生に、「秋冬の対策」を伝授してもらいたいものです。
日々是好日
早朝の路上には、「喰われ残りの柿」が、あちらにもこちらにも落ちています。鳥というのは、贅沢な食べ方をする動物ですね。柿も、鳥が突いたり、ほじくったりするのに、耐えきれないほど熟していたのでしょう。落ちると同時に、ひしゃげてしまっています。しかしながら、柿の実は、「黄葉」の葉の色と同じで、私などが遠くから見ますと、「葉を黄にした」としか見えませんのに、鳥とは大したものです。見事に見分けているのですから。
ところで、学校では、(こうも「秋寒」が続くようになりますと)「寒いから、風邪を引いた」ではなく、「風邪が抜けない」状態の人が増えてきます。
「病院へ行きなさい」。「行きました。何度も行きました。グスン。でも、よくなりません。グスン」。
日本へ来たばかりの頃は、「日本の薬は効きます。すぐによくなります」と言っていた学生達も、風邪の菌と格闘を続けると言うことになってしまいます。彼ら曰く「私はビールスの家です」でも、結局、養生が、いくら言っても判らないのです。
これまでは、暖かさの中に、飛び飛びに「寒さ」がやって来ていましたので、彼らのやり方でもよかったのでしょうが、これからは「日々寒くなる」状態が続きます。「よくなったから」、夏とほとんど同じような格好をしてもいいのではなく、「よくなっても」、冬の格好をし続けていなければなりません。
学生達は、前に言われた通りに、シャツの下に一枚着るようになっていますし、上にも常に上着を着ています。暖かい時には、汗をかかないように、それを脱いで、夕方寒くなってから着るという、教科書通りにしているように見えるのですが、やはりどこかおかしいのです。
いつ一枚羽織ればいいのか、増やさなければならないのか、この感覚が分からないのでしょう。
それに比べれば、たとえ中学生さんであっても、中国人は寒さの中から来たような所があって、頼もしい。
「日本は寒い。中国とは違う。中国は気温は低いけれど、こんなに寒くない。湿度が違うから、こんなに寒いんだ。下からぐっと寒さが伝わってくる」めいたことを言えるのですから。
南から来た学生には、「(手取足取り)寒さ対策」を教えなければなりません。下に一枚着ているのですが、上のシャツのボタンは外していますから、これでは着ているのか着ていないのかわかりません。せっかく下に一枚着ても、それで安心して、上のシャツをなおざりにしていれば、もう寒さ対策のためのものではなくなってしまいます。
「そんな格好しているから、風邪を引く」と言っても、「どうして(先生の言う通りに、シャツも着たし、上着も持ってるし、靴下だってはいているのに)」と(図体は大きいのに)あどけない顔をして見つめます。
その度に、「これはこうして、ああして。日本の冬の寒さは、下から来るから、寒さになれるまで、入り口(襟口、袖口など)を塞がなければならない」など、言うのですが、なかなか一つ出来たら、他のを忘れるという状態で、「身体で掴んだ」寒さ対策ではないからか、どうも支離滅裂になってしまいます。
早くこの冬を無事に越して、今度はこの学生が、祖国から来た留学生に、「秋冬の対策」を伝授してもらいたいものです。
日々是好日