日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「秋寒」と「風邪引き」さん。

2008-10-31 07:10:01 | 日本語の授業
 秋も随分深まってきました。こうなると「秋深し 隣は何をする人ぞ」よりも、「咳をしても 一人」の方に軍配を上げたくなってしまいます。

 早朝の路上には、「喰われ残りの柿」が、あちらにもこちらにも落ちています。鳥というのは、贅沢な食べ方をする動物ですね。柿も、鳥が突いたり、ほじくったりするのに、耐えきれないほど熟していたのでしょう。落ちると同時に、ひしゃげてしまっています。しかしながら、柿の実は、「黄葉」の葉の色と同じで、私などが遠くから見ますと、「葉を黄にした」としか見えませんのに、鳥とは大したものです。見事に見分けているのですから。

 ところで、学校では、(こうも「秋寒」が続くようになりますと)「寒いから、風邪を引いた」ではなく、「風邪が抜けない」状態の人が増えてきます。

 「病院へ行きなさい」。「行きました。何度も行きました。グスン。でも、よくなりません。グスン」。

 日本へ来たばかりの頃は、「日本の薬は効きます。すぐによくなります」と言っていた学生達も、風邪の菌と格闘を続けると言うことになってしまいます。彼ら曰く「私はビールスの家です」でも、結局、養生が、いくら言っても判らないのです。

 これまでは、暖かさの中に、飛び飛びに「寒さ」がやって来ていましたので、彼らのやり方でもよかったのでしょうが、これからは「日々寒くなる」状態が続きます。「よくなったから」、夏とほとんど同じような格好をしてもいいのではなく、「よくなっても」、冬の格好をし続けていなければなりません。

 学生達は、前に言われた通りに、シャツの下に一枚着るようになっていますし、上にも常に上着を着ています。暖かい時には、汗をかかないように、それを脱いで、夕方寒くなってから着るという、教科書通りにしているように見えるのですが、やはりどこかおかしいのです。

 いつ一枚羽織ればいいのか、増やさなければならないのか、この感覚が分からないのでしょう。

 それに比べれば、たとえ中学生さんであっても、中国人は寒さの中から来たような所があって、頼もしい。

 「日本は寒い。中国とは違う。中国は気温は低いけれど、こんなに寒くない。湿度が違うから、こんなに寒いんだ。下からぐっと寒さが伝わってくる」めいたことを言えるのですから。

 南から来た学生には、「(手取足取り)寒さ対策」を教えなければなりません。下に一枚着ているのですが、上のシャツのボタンは外していますから、これでは着ているのか着ていないのかわかりません。せっかく下に一枚着ても、それで安心して、上のシャツをなおざりにしていれば、もう寒さ対策のためのものではなくなってしまいます。

 「そんな格好しているから、風邪を引く」と言っても、「どうして(先生の言う通りに、シャツも着たし、上着も持ってるし、靴下だってはいているのに)」と(図体は大きいのに)あどけない顔をして見つめます。

 その度に、「これはこうして、ああして。日本の冬の寒さは、下から来るから、寒さになれるまで、入り口(襟口、袖口など)を塞がなければならない」など、言うのですが、なかなか一つ出来たら、他のを忘れるという状態で、「身体で掴んだ」寒さ対策ではないからか、どうも支離滅裂になってしまいます。

 早くこの冬を無事に越して、今度はこの学生が、祖国から来た留学生に、「秋冬の対策」を伝授してもらいたいものです。

日々是好日
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「不幸」の姿。

2008-10-30 08:05:52 | 日本語の授業
 「『ホトトギス』は、野山の花だ」と思っていましたのに、このような海寄りの町でも見ることができようとは。誰が植えたのでしょうか、街路樹の下にひっそりと咲いていました。この辺りは、植物好きの人が多いと見えて、街路樹の下や、道ばたの空き地など、系統性もなく、植えられた花々を目にすることも多いのです。

 そのお陰で、いろいろな花が見られるわけですから、文句を言ってはいけませんね。先日は溢れんばかりの「アロエ」が街路樹の下に植えられているのを見てしまいました。「これは、これは」でしたね。増えてしまったので、困ったのでしょう。植木鉢で見る「アロエ」とは、全く様相を異にした姿に驚いてしまいました。

 「『幸せ』というのは一つしかないけれど、『不幸』は人の数だけある」と、よく聞くところですが、そうなのかもしれません。外からはうかがい知ることのできない「心の葛藤」が呼び寄せてしまう「不幸」というものもあるようです。

 「長年の夢が叶って、子らを日本に呼ぶことが出来た。自分のすぐそばに呼び寄せることができた」。これだけなら、「よかった。よかった」で終わる童話のような話です。けれど、それで終わらないのが、人間の人間たるところなのかもしれません。子らと日本人の夫との仲がよすぎる。夫が子らを「いい子達だ」と、言えば言うほど、胸の騒ぎを覚えて、どんどん不幸になっていく、のです。

 多分、日本人なら、「それは、人間の業だ。仕方がない」で終わってしまうことでしょう。喜ぶべきなのに、反対に嫉妬や疎外感を覚えてしまうという、いわゆる「煩悩」です。「よかった」と思う心の隙間から、不満がふつふつとわき上がって来てしまうのです。

 子らも、彼女の夫も、この現状に戸惑うばかり。どうしていいのか判りません。身体は大きくとも、まだ十代の子らは、どうしたら母に振り向いてもらえるのかも判りません。それどころか、日本に来る前までは、彼らの記憶には「母はいなかった」のですから、親しむ時間すらなかったのです。

 母から見れば、「子供は自分のもの」であり、「思っていた通りにあらねばならぬ」ものなのでしょう。こんなに大切に思って、八方手を尽くして呼んだのだから、自分の心を汲み取ってくれてもいいはずだ。彼らは自分を一番に考えてくれていいはずだ。自分のために尽くしてくれていいはずだと、結局はそう思ってしまうのでしょう。

 離れていただけに、「頭の中に描いていた我が子の姿」と、背丈はゆうに親を越え、一人前に不満を言う「現実の子供の姿」とが一致しなかったのかもしれません。

 身体は大きくとも、子は、まだ屈折した母の気持ちは判りません。母も母で、「子供も大人になり、大人になれば自分の考えも持つだろうし、もう親の思いのままにはならぬものだ」という理屈が、頭では判っていても、心が、感情がそれを裏切ってしまうのです。

 親も苦労人です。苦しい生活の中から今の小さな幸せを築き上げてきました。子のためを思い、懸命に日本で生きてきた。日本で働きながら、中国に残してきた子を必死で探していた。親としての愛情が薄いとは思えません。ただ、そういう年月の中で、ある種の「思い込み」が異常に膨らんだということはあるでしょう。

 子は、二人ともいい子です。男の子は、素直で、頼めば何でも喜んで手伝ってくれます。女の子は弟よりも状況が判っているだけに、学校へ通い、アルバイトをしながらも、食事・掃除・洗濯とすべてをこなしています。

 親もいい、子供もいい、日本人の夫も優しい(おそらくは彼が一番悩み、苦しんでいるのでしょうが)。表面的には、どこから見ても、どうしてこうもねじれてしまったのかわからないような、いい家庭です。

 女の子が、昨日「疲れた。とても疲れた。思いっきり寝たいので、学校をやめてもいいか」と訊きに来ました。「授業もついて行けない。判らなくなった」とも言うのです。最初は二人で話し、次にこの家族の事情がよく判っている教師と話しました。彼女が帰ったあと、お父さんに当たる人が来て、話をしました。二人とも思っていることは同じです。どうすれば、妻が子を、母が子を、始めのように思いやってくれるかと言うことなのです。そのための努力がすべて裏目に出て、ますますぎごちなくなってしまった「今」をどうすれば変えられるのか。どうすれば、彼女が、また自分たちを振り向いてくれるのかということなのです。

 「不幸の数は、人の数ほどある」。「他者の不幸は、誰にも判らない」。結局はそうなのでしょうが、男の子は、しっかりしているように見えても、「心は子供」です。学校では明るく振る舞っていますが、一ヶ月ほど前に、やはり「やめたい」と言いに来たことがありました。

 「やめてどうするのか」と尋ねたら、「アルバイトして、お金を貯めたら、国へ戻るのだ」と言います。「このまま戻ってどうするのか」と訊くと、ためらいながら、「日本は、面白くない。つまらない」と言うのです。「勉強も難しくなったし、友だちもいないし…」。
確かに、この年頃は、まだまだ友だちが必要です。

 親が、これまでかまってくれなかったのですから、彼を「勉強云々」と言って責めることは出来ません。その日は帰りに二人で話し合いました。お金もいることですし、学費は彼ががんばって払っているわけですから、大丈夫かなと少し不安だったのですが、翌日も、ちゃんと来てくれました。それで、ホッとしていたのですが、こんなに深刻になっていようとは思ってもいませんでした。とは言いましても、これで学校までやめてしまっては、それこそ日本での生活が、無味乾燥のものとなってしまいます。

 日本語を習得して、通信講座で高卒の資格を取り、何かの技術を身につけなければ、将来も見えてきません。双方が心にこれ以上の傷を負わないうちに、理性が感情を殺して、うまくいくようになってくれればいいのですが。

日々是好日
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「実生」の木。

2008-10-29 08:04:55 | 日本語の授業
 もう、朝の7時を疾うに過ぎているというのに、辺りは静まりかえっています。不思議ですね。今日は小鳥の声も心なしか聞こえては来ないようです。

 人は「年を取ったら土に帰る」というのが、母の口癖でしたが、それは、急に庭に草花を植え始めた時の言い訳のようなものでした。趣味に書道をしたり、料理教室に通ったり、いろいろした挙げ句が、この「植物」でした。それも、「見栄えの良いもの」を植えるというのでなく、おそらくは母の子供の頃に身近にあった草花だったのでしょう、野草に近い種のように思われましたから。

 「年を取ったら、土に帰る」。この母の言葉は、「大地に戻る」という意味と、もう一つ「土に親しみを感じ始める」という意味があったのでしょう。

 人というものは、鳥が空を恋うように、魚が水を慕うように、大地に近づこうとするもの。これは本能なのでしょう。また、大地から離されてしまったら、ヒトでなくなるという危機感の現れなのかもしれません。

 そういう時期になって、そういうことを始める。それが一番いい。「強いて何事かをやらせよう」と思っても、或いは、「したくないことを無理にやろうと努力」しても、結局はすぐに消えてしまいます。泡のごときものでしかないのです。心に何も残さずに消えてしまうわけですから。もしかしたら、傷痕だけは残すかもしれません、もう二度と嫌だというふうな…。

 母も(祖母が草木が好きだったそうで)、若い頃は「なぜ年取った人はこんなことにうつつを抜かしているのだろう」と思ったと言いますから、いわゆる「草木に親しみたくなる時期」というものは、「自然の巡り」の一分なのかもしれません。

 何事も、自然がいいのです。おそらくは。

 けれども、そういう私たちの前の世代も、若い頃は必死で生きていたのです。自分の希望とか、夢とかを語れた世代ではありませんでしたから。そし、て気づいたら、そろそろ「土を意識し始める年になっていた」のでしょう。

 よく「必死で生きる」とは、どういうことなのかと考えます。「好きなことをする」場合は、「必死に」は似合いません。全く違います。「夢を追う」ということとも違います。笑って口の端に上らせていい「言葉」なのではないのでしょう。今は、「(何かから)逃げる」時以外、「必死で何かをする」ということはなさそうです。

 今、目の前にいる就学生達もそうです。がんばっています。けれども「盲目的に」がんばるというのには、限界があります。もちろん「必死」とは全く違います。

 彼らも老いれば、「まどろみ」の中に帰るでしょうし、或いは「愚かだった」と今を振り返ることもあるのでしょうか。ただ、今は、「迷いの時期」に当たっているのでしょう。

 「なぜ、日本にいるのか」。ある者は「大学(抽象的な概念の上での)に行く」ことであり、ある者は「稼いで資金を貯める」ことなのでしょう。また、しっかりと目標を定めている者は、今、そのために邁進しているのでしょう。

 「実生の木がいいよ。花が咲くものより。小鳥が来るから」。

 時折、大地に帰るのが、少し早かったなと思う母が残した言葉が蘇ってきます。

 何事にも時期がある。なるようになる。無理はいけない。無理をすれば、必ずどこかが破綻する。流されていくのが一番いい。

 そういう生き方では、学生達の望みは叶えられません。ですから、今も、無理な人に、無理なことをさせたり、つまり、「無理に無理を重ねさせる」というやり方ばかりをしているのですが、時々、これでいいのかなという迷いが生まれるてきます。

 もちろん、「何が学生達の幸せに繋がるのか」は、おそらく私などには判ることではありますまいが。

日々是好日
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なぜ「映像」を、「日本語の授業」に用いるのか

2008-10-28 08:17:53 | 日本語の授業
 昨日はひどい目に遭いました。「午後のクラス」の学生達も帰り、「さあ、後片付けを」という頃に、雷さまのお出まし。稲光も派手に、ドンドンと腹に響く音で近づいてきます。

 「そういえば」と、今朝の天気図のことを思い出しました。「こちら(行徳)では、こんなに生ぬるいお天気なのに、寒気団が東北地方の西の方にかかっていたっけ。せめぎ合いでも始まったのかしらん」と、恐れをなし、降り出さぬうちに学校を出ることにしました。

 それで、そのまま帰ってしまえばよかったのですが、欲を出したのがいけなかった。「早めに出たので、少し買い物を」とスーパーに寄ったのがいけなかった。このわずか10分ぐらいの間に状況がすっかり変わっていたのです。買い物を終え、外に出てみるとすっかり本降りになっていました。どうしようかと空を仰いでも、降り募るばかりで、一向に止む気配がありません。の

 自転車を置いて帰るわけにもいきませんし、結局しぶき雨を浴びながら、自転車で帰るということになってしまいました。こういう時に怖いのは、無灯火の自転車です。暗さと街路樹の影とに祟られて、姿がほとんど見えないのです。前から来るのか、或いは横から来るのか、全く判らないのです。自転車というのは、ゆっくり走らせているように見えても、思いの外スピードが出ているものなのです。

 おっかなびっくりで、それでも無事に戻ってきました。びしょ濡れであろうと、戻れば戻ったなりに安心して、お茶でも一杯という気になります。ところで、学生達は、大丈夫だったでしょうか。天気予報では、雨が降るというようなことは言っていなかったので、夕方外に出る可能性のある学生にも、傘を持っていけだの、雨合羽の用意を忘れるなだのは言っていませんでした。それでなくても、何人かは、この不安定なお天気に、「へばり気味」でしたので、気にかかります。もっとも、彼らなら、無理はしないと思うのですが…。

 そして、一転して、今朝です。

 今日は、きっと一日中「秋日和」になるでしょう。早朝から、一片雲さえないいいお天気。昨日の雷様が、みんな吹き飛ばしてくれたのでしょうか。このように、嫌なことがみんな、一嵐の後に消えてしまうといいのですが。

 さて、「上級のクラス」です。

 なかなか思うようにはまいりません。ただ、こんなことも考えるのです。学ぶ上で、確かに学生の資質とこれまでの習慣というものは、大切です。けれども、何よりも大切なのは、「なぜ、今、日本語を学ぶのか」という「動機」であるのではないかと。どうしても伸びない学生の中には「これまで、この『動機』を獲得することが出来るような環境に無かったという理由の者もいるのではないか」と。

 もっとも、これを今更日本語学校に要求されても辛いものがあります。日本語学校に就学生として来た場合、日本国から許された学習期間は、最長でも24ヶ月足らずであり、短ければ15ヶ月足らずであるに過ぎません。漢字圏の学生であっても、普通のやり方でやって、基礎(一級レベル)が終わるのは一年くらいはかかります。非漢字圏はもっとかかります。この普通のやり方というのは、日本語教育に専念してという意味です。いくらいろいろなものを勉強させたいと思っても、日本語の基礎が出来ていなければ、意味も分かりませんし、理解もおぼつかないからです。

 そこまで出来てから、いろいろな分野の教育がやっと出来るということになるのですが、最近は、「それでなんなのだ」と思うようなことも多いのです。大学入試の申し込みは10月くらいから始まりますから、それまでに、一応、希望校を「見つけて」おかねばなりません(つまり、日本語を学び始めて、早くて10ヶ月くらいから、遅くとも18ヶ月くらいからです)。けれども、学生達に、好奇心というか、向学心というか、そういうものが乏しいのです。いろいろなことを知らないだけでなく。

 特に、今年の学生はそうです。大学を卒業していたり、社会で働いたことのある人はいいのですが、いわゆる「この学校の就学生として日本へ来た、大学を出ていない」学生は、何も知らないし、知らないばかりか、何かを知りたいとか、学びたいとか考えているようには見えないのです。ただ、「大学へ行きたい」だけにしか思えないのです、20歳を越えていても。

 それで、「非漢字圏」の学生達にやるような授業に転換してみました。(「漢字圏」の学生であっても、読む(理解する)のに時間がかかるのです。「非漢字圏」の学生に、同じような文章を読ませる場合には、読ませる前に、かなりのヒントを与えておいたり、DVDでヒントになるような映像を見せておいたりします)。すると、多少食い込みが違ってきたのです。

 もしかしたら、彼らはこういうことを学んだことがないから、いくら「文字」がわかっても理解できなかったのかもしれないし、こういう「映像」を見たことが無かったから、なぜこういう文章を読まねばならぬかとわけがわからなかったのかもしれない。今の地球の問題とか、かつての人類のこととか、或いは自国のことも無知に近い状態なのかもしれない。そう考えるようになったのです。

 で、今のクラスには「付け焼き刃」的な処置しかできないのですが、これからは「漢字圏」の学生においても、早めにそうしていくことが必要なのではないかと思っているのです。

 もし、これが「日本語能力試験(一級)」レベルであるならば、今まで通りのやり方で(「漢字圏」の学生であれば、一年くらいを考えて)、とにかく教科書をすすめていけばいいのですが、実際のところ、「留学生試験」には、それだけではどうにもならないのです。

 これからは「見せて記憶させ、しかる後に文章に当たらせる」という授業を、もう少し早くから、考えていかねばならぬのかもしれません。その方が、学生に好奇心が芽生え、なぜ日本語を学ばねばならぬのかが、納得いくのかもしれないと思うのです。

日々是好日
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「教育」による「刷り込み」

2008-10-27 08:18:36 | 日本語の授業
 もうすぐ、旧暦の「神無月」になろうというのに、この暖かさは、何としたことなのでしょう。こんな暖かさの中では、秋の草花を見ても、あまり落ち着けるものではありません。(秋のお天気の中で)、秋の草花を見なければ、秋の情景に浸れないというのも、一種の「刷り込み」なのかもしれません。

最近は、よくこんなことを考えます。いわゆる「刷り込み」です。

「政治的理念の刷り込み」、「特別な民族という刷り込み」、「唯一の神であるという刷り込み」です。

 時代が「己の望む人」を呼ぶと言いますが、もし、時代が「望む人」を呼びたいと思っても、その人を「地球が育てる力」を失っていたら、大変ですね。もっとも、これまでは、常に、ある時代に、その時代を代表するような民族の中から、その時代にふさわしい人物が呼ばれ、その国を興隆に導いたものですが。

 けれども、これは、その時代の制約、地域の制約を受けての上でのこと。いつも、その地域に、そういう人がふさわしいとは限りません。

 とはいうものの、人間とは愚かしいもので、一度「『成功』という甘い果実」を囓ってしまうと、どうしてもそれが忘れられないのです。二匹目の泥鰌を狙ってしまうものなのです。時によっては、それが身を滅ぼす因になることもあるでしょうに。

 けれども、現代人の目で、古代を読み解こうとするのも、愚かなことでしょうし、ある理念の下に育てられた人が、他地域の人間を非難するのも、無駄といえば無駄なことなのでしょう。

 二十年以上も前のことです。その頃はまだ「ベルリンの壁」も健在でしたし、「ヒトラーの問題」を自分たちとは関係のないことだとして、教育を受けていた「旧東ドイツ」の人もいました。

 当時、私は、なぜかドイツ(「旧西ドイツ」の人達です)の人達とウマが合い、よく一緒にいました。感じ方も考え方もよく似ている(いえ、全くと言っていいほど違うのですが、肝心要の部分が同じで、違和感がなかったのです。違っている部分も、なるほどそういう感じ方・考え方もあるのかと、感心するほどのものでした)ので、「ドイツ人と一緒にいるのは、とても楽だ」と思っていました。

 けれども、それは「旧西ドイツ」の人との間でのことで、本当は「旧東ドイツ」の人達とは、全く相容れなかったのです。

 日本人共通の理解として、日本は敗戦国でしたし、ドイツ人もそう思っているはずだと思っていました。また、あらゆる戦争に対する「嫌悪感」や、ある種の「罪悪感」を、彼らとは、(肝心の所で)共有できると考えていました。

 けれども、これは大きな誤解でした。それができたのは、旧西ドイツの人達とだけで、東ドイツの人達は、全く違っていたのです。

 「同じ民族であり、同じ言語を用いており、感性も近いはずなのに」です。

 「旧東ドイツ」の人達は、「自分たちは、ヒトラーに勝利した」と考えていたようでした。その時、私は思わず「ヒトラーもドイツ人だったのに」と言ってしまったのですが、それを聞いた彼らは青筋を立てて怒り始めました。

 その時は、びっくりするやら、途方に暮れるやらで、何が何だか判らなかったのですが、
どういう理屈から、彼らが「自分たちの勝利だ」と考えていたのかは(完全に矛盾しているのですが)こう考えれば、わかることでした。

 「第二次世界大戦というのは、『資本主義社会』に対する『共産主義社会』の勝利だ」なのです。

 「ヒトラー」は「共産主義者」ではない。自分たちは「共産主義者」だ。「共産主義国」であるソ連が「ヒトラー」に勝った。そして、自分たちを「解放」してくれた。自分たちは「ヒトラー」に抑圧されていたのであり、「罪」はない。その上、「解放者」と共に、戦ったのだから、自分たちも「勝利者」だ。なぜなら、自分たちは「共産主義者」だから。

 そういう教育を受け、ある種の政治理念の下で、そう教え込まれていれば、信じるだけでしょうし、疑いを抱くはずもありません。おそらく、それに異議を唱える人は殺されるか、島流しか、監獄へ入れられたのでしょうし、目に見えるところに存在は許されなかったのでしょうし。

 少し前まで、私も、「もはや政治理念で踊らされる時代は終わった」と考えていました。けれど、怖ろしいことに、「政治理念の『恐怖』」というのは、一朝一夕に消せるものではないのです。独裁的な存在は、必ず始めに青少年に目を向けます。そうでなければ、すぐに足元を掬われてしまいますから。

 「教育」を重視(?)して、まず「刷り込み」を行います。「一年経ち、二年経ち、十年経ち」でもすれば、その地においては、それが常識になります。その地で育った人が、異なった地域に行くまでは、それを疑いなどしないでしょう。また、異なった地に行っても、違う考え方・見方に馴染めなければ、この人達が間違っていると考えるでしょう。もうこれは変えられません。

 いろいろな国から来た人達を相手にして教えていますが、彼らの心の深いところで「岩石」を感じることが少なくありません。それは、もしかしたら、私の心の方に「岩石」があるからなのかなと思って、自分の心を探ってみることもあるのですが、ほとんどの場合は彼らの心の中にあるのです。

 自分たちを「特殊な民族」だと思っていたり、自分たちの宗教を「唯一の神に導かれたもの」だと思っていたり、或いは「政治理念」だったりするのですが、これは本当に堅い。堅い、堅い、本当に堅いものです。「溶かす」のは難しい。多分「溶かす」ことなど、私には出来はしないでしょう。けれども、「日本語」を伝えるには、こちらの方へ少し「譲って」もらわなければ、困るのです。「ずらす」くらいは、出来るかなと思って試みることもよくあるのですが、それでも、難しい。

 最近は、この「巌」が、気になってしかたがないのです。 

日々是好日
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「『ロジックのない(?)』秋のお天気」と「課外活動」

2008-10-25 14:36:45 | 行事活動
 昨日は、一日中雨でした。風も生暖かく、まるで梅雨時の雨のよう。歩いているうちに、「紫陽花の姿を求めている」自分に気づいて、びっくりしてしまいます。

 駅で学生達と待ち合わせたのが、午前9時。「午後のクラス」の学生達も、ちゃんと来ていましたが、なぜか「(学校の)寮組」が遅い(駅から二分くらいの所にいるのに)。男子学生の一人など、ご飯を食べてしまうまで、電話を取らないというちゃっかりぶりでした。食べている時に叱られれば、「のども詰まるし、おいしくもない」と考えるのは判りますけれど、決してそれだけでは終わりませんからね。取らなかったら、それからが(駅に来てからが)怖い。目先のこと(食べている今)しか考えないという根性では、生きていけません、この世の中でも、学校でも。

 駅で、早めに来た学生(「10月生」「7月生」)が、トンチンカンとも思えるようなことを聞きます。お天気のことについてです。「先生、今は冬ですか」、「いつが、寒いですか」。私だって困ります。日本人だって、「最近のお天気」は判らない。まして、今回が「初めての秋」になる彼らにしてみれば、そうでしょう。まず、服に困ってしまう。

 それでなくとも、わずかずつ箍が外れていくような、何かがずれていくような、そんな日本の「季節の移ろい」は、捉えにくいものです。冬だとて、「きっぱりと」来はしないのです。しかも、冬でも「美しい花」が咲くのですから。

 そう言うと、南から来た学生は、驚きの声を上げます。「紋切り型に『夏はこう。冬はこんな』ものだ」。で、『春』と『秋』は想像する術もないわけですから、『夏でも冬でもない時』」なのです。ただの「季節の狭間」という捉え方では捉えきれない「春」と「秋」の違いなど、わからないのも無理からぬことです。「一歩進んで、二歩さがる」ような日本の季節の遅々とした歩みは、どこかしら「まがい物」のように見えてしまうのでしょう。

 その上、「春」を代表するはずの「サクラの花」の上に、「冬」にしか降らないはずの「雪(春の忘れ雪)」が積もることだってあるのですから。それこそ、彼らお得意の、「ロジックのない『日本』」になってしまうのです。

 そんなことを考えている間に、電車は茅場町へ着き、そこで、半蔵門線で事故があったというアナウンスを聞きました。急遽、日本橋で銀座線に乗り換えます。40人以上の学生達がいるというのに、若い先生たちが、スイスイと動いて連絡していきます。みんな無事に乗り換えも出来、渋谷に着いて、さて、これからどうするか。雨の中を歩いていくか、それとも、味気ないけれども、バスにするか。学生達が「渋谷のハチ公の銅像」前で写真を撮ったりしている間に、考えます。結局、それほどの雨ではないということで「歩き」になり、みんなで渋谷の街をゆっくりと歩いていきます。

 これまで気づかなかったのですが、学生達は、「自分たちでも知っている大きな会社が(ここには)たくさんある」と言います。日本人の目では、渋谷は「若者の街、飲食店やデパートなどが乱立する街」としか見えていなかったのに、彼らの目には、大企業が集中している街に見えていたようなのです。面白いものですね。これも、先入観によるものなのでしょうか。

 もうすぐ、NHKのテーマパークです。信号で止まっている間に、姿が見えなくなった学生がいます。慌てて探すと、雨が降っているというのに、ある会社のドアの前のプールで遊んでいます。パシャ、パシャと水を跳ねながら、そこでもパチリ、パチリ。着いてから、外の入り口で団体写真を撮ってもらいました(午後に学校に戻った時には、もうこの時の写真が届いていましたから、すごいものですね)。入り口には、150インチもの大画面があり、皆の顔が映し出されています。カメラが向けられる度に、皆の顔が拡大されて、映し出されるものですから、皆も大忙しです。あっちでもこっちでも、歓声を上げながらポーズを取ろうとしています。

 それからエスカレータに乗って下の階に降りていきます。地下に着いてからスムーズに進んでいるかと思うと、すぐに止まってしまいました。不審に思い、前を覗いてみると、大きくて真っ白い「ななみ」人形と一緒に、「私もパチリ、あなたもパチリ」を続けているではありませんか。「さあ、ドンドン前へ進んで行って。もっといろいろなことが出来るから」と急かしていき、やっと「アフレコスタジオ」と「時代劇スタジオ」、「デザインランド」などがある辺りへ着きました。

 残念なことに、小学生の団体さんと鉢合わせになってしまいました。雨が降ったので、彼らもこちらへ移動してきたのでしょう。「アフレコスタジオ」は彼らに占拠されてしまった状態で、今年の学生達はちょっとかわいそうでした。中国人の学生が、これを楽しみにしていたのです。「アフレコ」をあきらめた一団が、次の「時代劇スタジオ」へ進みます。また、ここでも写真をパチリ、パチリ。今回は着物を着せてもらえなかったので(以前は、「僧兵」の格好やら「着物」やらを着させてもらいました。手間も時間もかかったけれども、みんないい記念になったと言います)、かわいそうだなと見ていると、みんなはなぜか「打ち掛け」と一緒に写真を撮らずに、その脇役のサクラの下でポーズをとっているではありませんか。なるほど確かにその方が美しい。

 また別の一組は「デザインランド」へ先に廻り、バーチャルな映像と共に、登場人物になりきって飛び跳ねています。これは随分楽しめたようです。それに、「アフレコ」で遊べなかった憂さを晴らすかのように、画面に合わせて、蹄の音を立てたり、雨の音を出したりしている組もいました。そうしている家に「体験スタジオ」に呼ばれ、代表の学生が一人、アナウンサー体験をさせてもらいました。「3Dハイビジョンシアター」も何人かの学生は入ったようでした。

 (今日一日は雨だと聞いていたので)帰りも、「バスにするか、歩きか」と考えながら外へ出てみると、さっきまで重い雨が降っていたのに、小降りになっているではありませんか。これなら歩けるとばかりに、皆で原宿までブラブラと歩き始めました。

 国立競技場を突き抜けて、明治神宮の鳥居まで出ます。鳥居の前にはたくさんの提灯に企業や個人の名前が書き込まれて、何段にもわたり、飾り付けられています。外国人にとって樽酒とか、(紙の)提灯というのは面白いもののようです。また、パチリ、パチリと行列が止まってしまいます。

 途中、中国のモンゴル族の女子学生が、子供を連れたモンゴル国の女性と話しているのに気がつきました。彼女といつも一緒にいる女子学生が、こっそりと寄ってきて、「モンゴル語を忘れてしまっているから、今勉強しています」と笑いながら教えてくれました。そういうこともありますね。そういっている女子学生にしてからが、中国の朝鮮族で、韓国の大学を出た男子学生とは、韓国語で会話を楽しんでいます。

 さて、原宿に着きました。お疲れ様というわけで、そこで解散。お腹もすいたことだし、食事かたがた、「原宿ぶらり」をしたい学生は、これから別行動をとります。帰りたい学生は私たちと共に、電車に乗り、一路行徳へ。

 少々疲れましたが、みんな好奇心と興味を持って参加してくれました。それが何よりです。また、一緒に行きましょう。今度は、都内へ「『紅(黄)葉』狩り」に行く予定です。

日々是好日
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「課外活動」。「募集要項」を下さい。

2008-10-24 08:01:49 | 日本語の授業
 面白いもので、渋谷の「NHKテーマパーク」のことを、出発の前日においても、「Bクラス」「Cクラス」「Dクラス」の学生達は、よく判っていなかったようのです。

 「いよいよ明日!」という昨日、「Cクラス」の中学生さんが、「私は行きました。高いです。上から見ました。びっくりしました」と、習い覚えた単語をつないで、他の人に「よかったから、君も行くべきだ」と力んで説明してくれたのはよかったのですが、聞いている当方は「あれれ、タワーなんて、あったっけ」。

 よく聞いてみると、彼はどうも「東京タワー」と「NHKテーマパーク」とを間違えていたらしいのです。「鶍の嘴と食い違い」というやつです。もっとも、「行ったことがある」という言葉に過剰に反応してしまった私が行けなかったのですが。

 「一度行ったことがある所に連れていき、しかも、新たな興味を持たせる」というのは、一度目の所に比べ、教師としての力量が必要となります。その上、相手は子供ですから、大人のように理屈でねじ伏せるというわけにもいきません。で、つい、そちらの方のことを考えていたので、失敗してしまったのです。

 まあ、初めてでよかった。だれも行ったことがなくて、ホッとしました。

 「Dクラス」ではもっとひどかったようです。まだ来て二・三週間しか経っていませんから、共通言語は確立していません。相手の表情や身振り手振り口ぶりを見て判断するだけです。単語も往々にして「勘違い語」が飛び出してくるので、それでまたみんな右往左往してしまうといった具合。中国・ポーランド・カンボジア・シンガポール・フィリピン・タイ・モンゴルから来た人達の目と口が、少ない手がかりから、ある程度の情報を掴み、それで判断しようと、懸命に動きます。

 しかしながら、「家の中」という言葉に、なぜかみんな納得してしまったそうですから、なんともはや、わからないもの。もしかしたら、建物の外を歩くと思っていたのかもしれません。

 けれども、「Cクラス」から見ると、既に三ヶ月ほどが経った「Cクラス」の学生達は、よく判ってくれるようになっています。改めて感動を覚えてしまいました。質問もするし、時々「いえ、違います」という言葉を発して説明もしてくれます。それに、ここにはカメラの上手な学生が二人いて、課外活動の時も、「みんなを平等に撮らねば」と教師がうろうろする必要がないのです。みんなを一番いい表情で撮ってくれます。しかも、みんな実物よりきれい(?)に写っているのですから、驚きです。

 昨日の授業の終わりに、インド人の学生が、一人、みんなが帰ったあとも残っていました。聞くと、「学生の『募集要項』が欲しい」と言うのです。それを帰りがけに聞きとめた、もう一人のインド人の学生が、「私も欲しい」と言い始め、三人でしばらく話をしました。

 彼女は、大学(コンピュータ)を出た弟を呼びたいということでしたが、最初に私に話しかけた学生は、「友だちに頼まれた」というのです。私が最初に「あなたのインドの大学の友だちですか」と聞くと、そうではないと答え、日本で知り合ったインド人の友だちの友だち」だというのです。しかも、「その人に会ったことがありますか」と聞くと「ありません」と答えたので、ついつい私の聞き方も詰問調になってしまいます。

 彼のつもりでは、「ここの学校はいい学校です。学生が多くなると、先生もうれしいでしょう。だから、紹介した」だったらしいのですが、「その人は勉強する人ですか」とか、「まじめ人ですか」とか、果ては「知らない人を私に紹介するのですか」とまで言われて、困ってしまっていました。これは、別に、私たちの学校が人を選り好みしているわけではなく、勉強し、進学したいという人が欲しいだけなのですが。

 中国人の学生なら、ある程度の予測はつきますし、在校生も卒業生も多く、何かあった場合助けてもらえるので、大丈夫なのですが、インド圏の学生は、まだこの学校が受け入れ始めてから歴史が浅いので、今ひとつ、だれでもいいというわけには行かないのです。

 それで、彼らには「責任」という日本語を教え、「日本では、『紹介』や『推薦』ということには、必ず『責任』が伴う」ことを伝えました。そして、「その人が勉強しません。その時には、先生はあなたに聞きます。あなたに注意してもらいます」と言うと、慌てふためいて、「私は知りません。関係ありません」。

 一応『募集要項』を彼にも渡しましたが、彼曰く「これを見て、学費のことは教えてあげますが、この『要項』は、彼にはあげません。欲しかったら、自分でこの学校へ来て、先生達と会って、もらいなさいと言います」と緊張した面持ちで帰って行きました。

 以前、中国人の学生も「中国の親に頼まれた」と言って、「募集要項」を欲しがる人がいたのですが、その時も、この「学校の考え方」を伝え、「あなたが、その人に責任を持てるというのなら、呼んでもかまわない。けれども、全然知らない人を無責任に、この学校に呼ぶのはやめてもらいたい」と念押ししました。

 能力はそれほどないけれど、「一生懸命勉強する」という人なら、私たちは拒みません。けれども、「ただ日本にいたいだけ」とか、「日本で働きたいだけ」とかいう目的で、この学校を利用されるのはたまりません。そういう人は学校へ来ませんし、来ても寝ているか、勉強したい人の邪魔になるかだけだからです。

 その上、授業のための準備を怠りなくやっている人間を、「これほど馬鹿にした話はない」と思うからです。

さあ、雨の中を、渋谷の「NHKのテーマパーク」へ出発です。「原宿」を散策の頃には止んでくれるでしょうか。「てるてる坊主」でも作っておきましょう。

日々是好日
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「他者」にとっての「自分」、「自分」にとっての「自分」

2008-10-23 07:55:03 | 日本語の授業
 近くの空き地にある、一叢の「ススキ」が、辺りを涼やかなものにしています。まだ穂も削げておらず、瑞々しさが立ち上ってくるかよう。いいですね。秋はこうでなくては。けれども、どこか「孤独感」が漂ってきます。それもそのはず、今朝の気温は18度前後とか。風も生暖かく、秋にはほど遠い。暦の上では、疾うに秋になっているはずですのに、なかなか「清冽な秋」とはいきません。最近は、どこか、変です。

 こんなわけで、朝のクラスの学生達の中には、勘違いした服装で学校にやってくる者も出てきてしまいます。

 昨日もそれほど寒くなかったからでしょうか、全くの「夏服」で、やって来た学生がいました。タイやフィリピンからきた学生が「変です。寒いです」と驚いていたのですが、「大丈夫」とすまし顔。私たちもびっくりして、「夕方は寒くなるから、すぐに羽織れるように、いつも一枚は持っておきなさい。油断すると風邪を引いてしまいます」と言ったのですが、「大丈夫。大丈夫。暑い。暑い」と耳を貸そうとはしません。けれども、案の定、午後の自習が終わって、夕方の帰り(5時)の頃になると、冷えてきたのでしょう、友人を待つ間、「早く、早く、寒いから、急いで」と急かしていました。

 中国人の学生は、こんなお天気を、すぐに、「鬼天気」というのですが、この日本の「鬼天気」に早く馴染めるといいですね。馴染めた頃には、きっと日本語も上達しているでしょうし、日本人の行動にも、ある程度の予想がつくようになっているでしょう。「風土」と「文化」と「言語」は、分かちがたく結びついたものですから。

 この学校の学生数は、今のところ、四十人余り。然るに、学生の出身国を尋ねると、ミャンマー・スリランカ・中国・台湾・エクアドル・タイ・フィリピン・インド・タンザニア・モンゴル・ポーランド・カンボジア・シンガポールと12ヶ国にも上っています。

 「国際交流」などと、大上段に構える必要もなく、一緒に「日本語」を学んでいくうちに、「各国」あるいは、「各民族」の個性や特徴が、自ずから分かっていくようで、ある意味では、ありがたい環境と言えるかもしれません。もちろん、「中級」や「上級」を学ぶ頃ともなりますと、「漢字圏」と「非漢字圏」の学生との間には、学力の上で、かなりの開きが出て来てしまうのですが、「初級」のうちは、似たり寄ったりといったところでしょうか。

 「漢字圏」の学生は、「書く・読む」には、それほど苦労していないようですが、「聞く・話す」には、アップアップしていますし、「非漢字圏」の学生は、それと全く反対で、「書く・読む」時の劣等感を、「聞く・話す」で晴らしています。

 彼らが大学を卒業して、日本の会社に勤めるようになったとしても、きっとこの経験は役立つでしょう。彼らが働くとしたら、きっといくつかの国から来た外国人がいるところでしょうから。「そういえば、この人は、同じクラスだった◯◯さんと同じ国から来ているんだ。じゃあ、多分こんな時はこうするのだろう」というふうに、予測もつくでしょうし、親近感も湧くことでしょう。

 そのためにも、彼らにとって、「日本に来たばかりの時」が、一番「大切」なのです。往々にして、「大変さ」だけが強調されているようですが、「大変さ」だけに目を奪われてしまうと、本当に「大変な」ことになってしまいます。

 この時に、「間違った日本観、日本人観」を植え付けられてしまうと、その人にとっても、それからの日本での生活は暗いものになってしまいます。「どこの国、民族にも、いい人もいれば悪い人もいる。その国のいい人を呼び寄せる力を、養えるかどうか」は、この時の、その「第一印象」で決まってしまうと言ってもいいほどなのです。

 正しい認識を以て、自国を見る人を、その国の人が冷たく扱うはずがありません。その認識を形作るためにも、日本で日本語を学んだあとで、大学なり、大学院なりに進んだ方がいいと思います。大学は、あまりに大きく、「小さな個人」を、それほどかまうことは出来ません。自分にとって「自分」というのは、大きな存在ですが、他者から見ると、ただの「人間、一人」なのです。このことを、よくよく噛みしめた上で、専門に進んだ方がいいと、私は考えます。

日々是好日
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「留学生の日」。「同い年」の友だち。「成功の記憶」。

2008-10-22 08:17:36 | 日本語の授業
 月曜日、先週の土曜日(「国立博物館」の「留学生の日」)のことを聞きました。9時半に、みんなで待ち合わせをして、博物館に着いたのは11時半くらいだったのだそうです。途中で、一緒にご飯を食べたのかもしれません。楽しく過ごしたのでしょう。総勢6名で、博物館を出たのは、もう午後の5時。疲れた、疲れたと言っていましたから、一生懸命に見てくれたのでしょう。

 「広い」「疲れた」「面白かった」という感想は、あまりに単純でしたが、実感がこもっています。そして、よく聞いてみると、男の子は「ミイラ」や「武士の鎧・兜」などの話をし始めましたし、女性は「着物」や「仏像」の話をしてくれましたから、ざっとは「日本についての感覚」ができたのでしょう。

 何年か前、「課外授業」の時に、学生達を連れて博物館に行ったことがあります。学校で連れていってもいいのですが、時間の制限もありますし、もっとゆっくり見たかったであろう学生にも、飽きてしまって動物園の方へ行きたいという学生にも、それぞれ不満は残っていたようです。それに比べれば、博物館を見たいという学生達だけで行って、ゆっくりと見てきたというのは、それだけであまり不満は残りません。おまけに、帰りにアメ横へ行けたのですから、万々歳です。

 アメ横では、山積みにされたお菓子やら食料品やらを見たり、威勢のいいかけ声を聞いたりして、また違った日本にも触れられたことでしょう。

 アメ横では、一時間ほどを過ごしただけで、6時頃にはもう帰りの電車に乗ったのだそうです。南行徳の中学生さんが家に帰ったのは、7時だと言っていましたから、帰りはスムーズだったのかもしれません。けれども、中学生が家に帰るにしては、ちょっと遅すぎます。もう少し早く帰れなかったのと注意したら、フィリピンから来た中学生さん(彼らは同い年です)と、電気屋に行き、オモチャやゲームを見ていたのだそうです。もしかしたら、彼ら二人は、博物館よりもこちらの方が楽しかったのかもしれません。電車の中でも、ずっとゲームの話をしていたのだそうです。

 この二人は、いつも大人に囲まれていますので、同い年の子と遊ぶということが、ここ数ヶ月なかったのです。同じ年頃の友だちが出来ると私たちも一安心です。一緒に、大好きなゲームの話をしていたり、遊んだりしているのを見ると、ホッとしてしまいます。本来ならば、まだ義務教育の人達ですので、特に同じ年頃の友だちは必要なのです。

 二人のうちの一人、フィリピンの子は、今年の4月から、ここに通っています。中国から来た子は、今年の7月からですので、これまでは一緒に行動することはあっても(いわゆる共通言語がなかったので)、意思の疎通を図る事が出来なかったのです。しかし、中国から来た子も、日本語の勉強を始めて、すでに三ヶ月が経ちましたし、教科書も『初級2』に入り、だいぶ話せるようになりました。もう「クラス」が違うということも、違う国から来たと言う事もそれほど大きな障壁にはなりません。しかも、趣味は同じ「ゲーム」なのですから。

 二人が昼休みの時に話しているのを、傍らから聴いていますと、いかに「これまで、友だちが欲しかったか」ということが、よく分かります。特に中国から来た子はそうです。フィリピンから来た子は、少し大人びているところがあって、大人の中で勉強していてもそれほど遜色はありませんでした。が、中国から来た子は、まだまだ本当に子供っぽいのです。だれかと「ゲーム」や、いろいろな事を話したくてしたくてしょうがなかったのでしょう。習い覚えた数少ない語彙と文法を必死に駆使して、一生懸命に自分の思いを伝えようとしていました。

 今週の金曜日には、NHKのテーマパークに行くことですし、途中の電車の中でも、またゲームやオモチャの事で、楽しくおしゃべりできるかもしれません。

 さて、この中国人の中学生さんのほうなのですが、日本語が上手になってくると同時に、少しずつお手伝いが出来るようになってきました。今、この10月にやって来た中国人の青年に、「~ます/~ません/~ました/~ませんでした」の文型を教えるというお手伝いをしてくれているのです。

 この中学生さんは、7月にご両親に連れられて日本へ来ました。最初に会った時に、まだ勉強するという習慣も、ついていない、とてもおとなしい子という印象を受けました。ご両親も、勉強はそれほど出来なくてもいい、一通り話せるようになればいいというだけでした。

 けれども、それでは困ります。一通りでなく、ちゃんと話せるようになってもらわなければ、教える意味がありません。それで、私たちは、二つ、してもらいたい事を伝えました。

 まず、(彼には勉強する習慣をつけてもらうために)学校がある日には、毎朝、午前の学生と同じ頃に学校へ来て、自習室で復習や予習をしたり、テープを聴いたりして、勉強してほしいということ。そして、昼ご飯を学校で食べて、午後のクラスの授業を受けるという事です。彼は言われた通りに、学校へ来ましたが、最初は、時間もかなりルーズでしたし、勉強のやり方もあまり分からなかったようでした。けれども、日本語の勉強が進んでくると共に、この勉強の仕方というのも少しずつ分かってきて、随分一人で勉強できるようになりました。彼の、素直な性格が幸いしているようです。そして、今週からは、自習室の仲間が一人出来たというわけです。新しい学生は、ひらがなもカタカナもあまり覚えていません。まして、文型なんぞとんでもないというタイプのようですから、中学生さんは教えるのが大変だと思うのですが、根気強く、同じことを繰り返しながら教えてあげています。。

 教師も、仕事の合間に彼らの部屋を覗きながら、指導はしているのですが、なにさま仕事が多く、付きっきりというわけにはいきません。その手伝いを、これまで何にも分からなかったこの子が、進んでしてくれるのですから、私たちとしても、「ああ、成長したなあ。」となんとなくうれしくなってしまいます。彼にしても、「自分はできるようになっている」ということが自覚できたでしょう。(いつもは同じクラスの「怖いお姉さん」に叱られてばかりいるのです)

 午前の自習が終わり、午後の「彼らのクラス」が始まると、他の学生達に「小さな先生」と冷やかされていました。その時の表情…うん、まあ、まんざらでもないといったところ。こうやって、中国では味わうことのなかった達成感を、いかばかりかでも味わえば、きっとこれからの人生に役立つことでしょう。

 こういう「達成感」と「成功の記憶」を「持っていない人」は、何事に拠らず、すぐにあきらめてしまいます。「今までと同じ、多分、否、きっと出来ないだろう」と思いこんでいるのです。あと一分でも、あと一週間でも、がんばれば、できるのに、です。それと反対に、「成功の記憶」を持っている人は、我慢がきくのです。耐える事が出来るのです。これは、何物にも代え難い財産です。

 日本語の学習を通して、この子にも「成功の記憶」を持ってもらいたい。そうすれば、これからの人生、何をする上でも、きっと耐える事、待つことが出来るようになるでしょうし、それが、また、きっと新たな成功を生むことでしょう。

日々是好日

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「皆、同じ」で、「皆、違う」

2008-10-21 07:56:00 | 日本語の授業
 昨日「アカマンマの歌」のことを書いたら、急に「詩」づいてしまいました。中学校から高校にかけて、よく読んだものです。始めは、多分、「朔太郎」に夢中だった友人の影響だったのでしょう。それまでは、「講談本」や「歴史物」しか、眼中になかったのですから。

 けれども、彼女が好きだった「朔太郎」のその部分は、どうしても私には好きになれませんでした。ただ、いろいろな詩を読み漁っているうちに、詩人の名前と「詩」の数々が自然と親しいものはなりましたけれど。中学の頃は、明治から昭和にかけてのものが大半でしたが、そうやって日本の詩を読んでいるうちに、欧米の詩にも興味を持つようになりました。

 私もご多分に漏れず、子供の時は神話類が大好きで、特に「ギリシア・ローマ神話」や「旧・新聖書(キリスト教徒の方、ごめんなさい。『聖書』は私にとって、神話であり、物語であり、歴史であったのです)」などは病みつき状態になっていました。日本の神話と同じで、とても人間くさい神様達がよかったのです。

 欧米の詩には、彼らがよく登場しました。「ホメロス」の詩の一部分から、「本歌取り」のような形でも、よく使われていました。詩の中に、見知っている(?)と思われる人物(神?)が現れると、親近感を覚えてしまうものです。そして、知らず知らずのうちに、日本人とは違う、「異国人の感性」も学んでいたのかもしれません。その中でも、特に心惹かれたのが、「ロシア民族」と「ゲルマン民族」の詩でした。

 「心」ではなく、「精神」の「深さ」と「幅」が、日本のものとは違うような気がしました。どのように荒れ果てたものであっても、日本の詩は「庭園」の美であり、彼らのそれは、人を拒否する「大自然」への畏れと魅力を扱ったものである、そう思えたのです。

 いくら子供であっても、そこはそれなりに悩みや苛立ちはあります。そういう時、何度も彼らの詩を朗唱しました。親たちに「いつまで経っても、『小学生さん』みたいに、大きな声で本を読んでいる」と言われても、それはやめませんでした。彼らの詩は、おそらくは、どの民族の詩もそうなのでしょうが、『見る』べきものではなく、『聴く』べきものであるように思えたのです。

 彼らの詩には、「浄化作用」がありました。詠んでいるうちに、心が昇華されていくような昂ぶりを覚えたものです。

 「皆、同じ。けれども、皆、違う」。この理屈は、当初は書物を通じて得たものです。それから、中国へ行って、おそらくは当時、中国と国交があった国すべての国からの留学生達と対することにより、この「感覚」は、深まりこそすれ、薄れることはありませんでした。

 この仕事に入っても同じです。その「皆、違う」という中から、彼らにあったやり方を、それなりに見つけ出していかねばなりません。けれど、これは、決して易しいことではありませんでした。

 初めて受け入れた国の人を教える時、当初、失敗をよくしました。始めの頃の、その失敗の、大きな理由のは、「それほど勉強したいというわけではない」人達が、不幸にも、この学校に来ていたということにありました。その人達に、まず、「損得」から攻めていったり、「褒め殺し」に近い形で攻撃していったりと、手を変え品を変えで、「日本語の勉強」の方に、心を振り向けさせようとしたのですが、どうしても「(彼らの求める)お金」の魅力には負けてしまいました。

 国情の違いからくるものなのでしょう。日本では、50歳になっても、80歳になっても、勉強したい、がんばりたいという人が、結構います。もし、経済的に許されるならば、きちんともう一度大学に入って勉強し直したいという人も少なくありません。

 ところが、24歳か25歳くらいで、完全にタイムリミットだという、そういう人達が大勢いたのです。「学ぶ」のではなく、身体が完全に「稼ぐ」の方に向いているのです。どんなに経済的に豊かであっても、「学ぶ」の方には向かないのです。かといって、怠け者でもないのです。「勉強」のことを言うと、「困ったような、辛そうな」様子を見せるだけなのです。本当に困っているのです。

 もちろん、どの国にも向学心に溢れた人はいます。けれども、私の言っているのは「一般大衆」の、一種の傾向です。国が貧しいから…だけでもない。大きな家を持ち、お金がたくさんあっても、同じなのです。「勉強」には向かない。彼らなりの「贅沢(たとえば、みんなで集まって、大騒ぎをするとか)」をする方に向きます。

 かといって、その人達が悪いことをするというわけでもないのです。ただ「身体」も「心」も「勉強」には向いていないし、その上悪いことに「国にいる親や親戚」が日本では簡単に金が稼げると思っているということなのです。「10万円」でもあれば、「大金」が入って何でも出来るような気になって、すぐ「国に送ってやる」人もいます。「日本では、10万円あっても、生活は苦しい」と言っても、数の概念が日本人とは違うので、理解できないのです。「私はたくさんお金を持っている」と言います。

 これでは、大学へ行くための勉強をする前に、小学校で「数の概念」の勉強をしてもらっう必要があるなどと思ってしまいます。大学や専門学校へ行くための学費云々だけでなく、日々の生活費をどうするのでしょう。一言付け加えるならば、これでも、彼らの国ではちゃんと高校を出ています。

 最近は日本国内の(教育の)格差が叫ばれていますが、国ごとの格差は、それとは比較にならぬくらい、依然として大きいのです。日本にいた頃には気がつきませんでしたが(当たり前と思っていましたから)、日本のテレビ番組はすばらしいものです。大学に行かずとも、高校程度の学力があれば、かなりの部分を勉強できます。日本のように、「世界の課題」あるいは、「20世紀を振り返った映像」などが見られない国が山ほどあるのです。

 今は、本当に「勉強したい」人に来てもらいたい。そして、その人が必要とするものを準備して、その人が進んでいく道のために供したい、それだけを考えています。

日々是好日

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「教室の中」で、大切なこと

2008-10-20 08:02:30 | 日本語の授業
 「土曜日」の帰り、空き地で、花を七分がた落とした「ネジバナ」を見つけました。ふと見やると、その傍らには、「イヌタデ」と「ツユクサ」も咲いていました。なんと迂闊なことだったのでしょう、よく通る道なのに、今まで気づかなかったなんて。

 「ネジバナ」、よく使われる名は「モジズリ」。「シノブモジズリ」と言えば、「百人一首」で遊んだ頃のことを思い出します。なぜかいつも、枕詞の「みちのくの」を忘れ、どうしてもこの札がとれませんでした。「しのぶもじずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに」だけしか、覚えられなかったのです。

 また、「イヌタデ」は「アカマンマの歌」で有名です。この詩を知って初めて、「イヌタデ」を「アカマンマ」と呼ぶ地方のあることを知りました。子供が「おままごと」をするときに使ったとも聞きましたが、なぜか「飢饉」を思い浮かべ、不安になったことを覚えています。

 私たちの頃はすでに、「黒米」は高価な物でしたし、「お赤飯」もお祝い事を代表する物でしたから、「赤いお米」に不安を感じるはずはないのですが、しかし、100年前とは言わず、戦前・戦中はどうだったのでしょうか。日本でも随分長い間「白い飯を喰えるのは、町中か金持ち」という時代が続きました。長い間、多くの日本人にとって「主食」は、「雑穀」であり、また「色がついている物」だったのです。

 昨今の叫ばれている「食糧危機」。これも堅い言い方をすればそうなのでしょうけれど、いわゆる「『饉』が来るかもしれない」ということなのでしょう。もしそうなら、何のための科学技術であり、民主政治なのか分からなくなってしまいます。

 「民主政治」といえば、日本の新聞のことを、「みんなが好きなことを発表できる場がない新聞」という人もいるやに聞きますが、おかしなことです。「そういう場がない」からこそ、日本は「今の日本」でいられるのです。そう言っている人も「今の日本」を享受しているのではありませんか。

 人間は基本的に愚かなものです。面白いことにすぐに飛びついてしまいます。「報道の自由がない」といえば、いけないことのように思う人がいるかもしれませんが、もともと半ば公共の道具である新聞を使って勝手な意志を通そうというのは間違っています。新聞で発表されるものには、必ず、一度は、有識者(政治家や役人ではなく)による「常識」と「洞察」というフィルターを通すべきだと思うのです。ろ過されていなければ、発表すべきではないことも少なからずあるのではありますまいか。

 例えば、中国のオリンピックは、大きな問題も表面化することもなく、大成功のうちに終わりました。が、「聖火」が、長野を走った時のことを、まだ大多数の日本人は覚えています。「赤一色、中国の国旗一色になってしまった長野の沿道」と、「大声で相手の言葉を封殺しようという、乱暴でがさつな人達が溢れているかに見えた中国人の応援団の姿」。

 私は、中国にいたことがありますから、そうしたかった中国人の気持ちもわかることはわかるのですが、「個人」でするのと「集団」でするのとは、全く話が違ってきます。どうして、この動員された群衆の中に、一人でもいい、常識のある人がいなかったのか。そして、「日本の国旗」が嫌なら、「オリンピックの旗(五輪マーク)」でもいい、それを目立つように打ち振ることを提言しなかったのかと、残念でなりませんでした。

 長野は、日本であり、中国ではないのです。愛国心に燃えるのはかまいませんが、どうして一分の自制心がなかったのかと。また、それを勧める「大人」がいなかったのかと。大部分は留学生や、在日の人だったと聞きます。日本に世話になっていて、それはないぜと大多数の日本人は苦い思いを抱いたのではないでしょうか。

 一見静かに見える日本人にも、じつは愛国心がありますし、本当は中国人と同じように燃えやすいのです。ただ、第二次世界大戦のこともあり、その心は常日頃は目だだぬように殺しているだけなのです。そういう日本、そして、日本人を目の前にして、傍若無人のあの「振る舞い」は、あまりにも「失礼」であり、「無礼」でありました。

 こういう態度をどうして、歴史的にも古く、ある意味では節度を備えているべき「大国」の人が、持てなかったのか。大陸で、この「長野の騒ぎ」について、どういう報道がなされたのかは分かりませんが、日本人の心に嫌な思いを残した中国人の「聖火」でありました。

 しばらくして、もう一度考えてみると気づくことでも、その当座は、熱狂の中で、我を忘れるということは、よくあることです。「熱狂」というものは、「感染」しやすいものです。「同じ時」に「同じこと」に出会えば、「同じような気分」になるのは当然です。ただ「堰」を越えるか、たとえ、一歩であろうと、踏みとどまれるかという違いがあるだけです。「導火線」に火がつけられてしまうと、「冷静」な人間は、「非難囂々」のただ中に投げ込まれてしまいますから、みんなそれは嫌なのです。ですから、その前に何らかの対策をとる必要があると言えるのでしょう。

 もっとも、これらもすべて「国民の資質」の問題です。日本もアメリカに負けるまでは、「神風がやってくる」と、そういう熱狂の渦の中にいて、「冷めた人」は「国賊」とされていたわけですから。

 私たちのように、日本にいて、外国から来た人を扱っている、しかも、ほとんどの人にとっては初めての外国です。宗教も民族も国家も何もかも違う。教室の中で、何が一番大切かというと、「他者を尊重する態度」を持たせつづけることができるかどうかということなのです。

 学生の中には、内戦状態の国から来た人もいます。紛争は起こっていなくとも、国が多くの問題を抱え、日本の新聞等で報道され、皆が知っている場合もあります。

 国は国。政府は政府。個人は関係ない。「ここにいる『あなた』は『あなた』だ。私たちはあなたを知っている」という態度と見識を、皆が持つと言うことが、一番大切なのではないでしょうか。

 戦争になれば、きっとそういう当たり前のこともおかしくなってしまうでしょう。これは、アメリカにおいても然り、日本においても然り。どこの国においてもそうでした。歴史が証明していることです。だからこそ、その前に、これを常識にし、習慣にしておかねばならないのです。

日々是好日
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「中国語版ホームページ」、「助け合う学生達」

2008-10-18 12:27:43 | 日本語の授業
 今日、授業が終わってから、IT関係の学生さんに、中国の映画を見るために、セッティングをしてもらいました。どうしたらいいのか、戸惑いながらも(無知な人間に説明をしなければならない時、人は、得てしてああいう表情になるものだということはわかるのですが)、そういう表情を、一生懸命押し殺して説明してくれました。けれども、私がポケーッとしているので、きっと心許なかったでしょう。ダウンロードに時間がかかるというので、セッティングだけして、「後は、何かあったら、また来週聞いて下さいと」言って帰っていきました。お気の毒でしたけれども、中国の「時代劇」は見たいので、のど元まで出かかった「申し訳ない、もういいです」を呑み込んで、図々しく待っていました。

 このように、卒業した人や、今いる学生さん、或いは、これまでに関わりのあった方々にいつも助けてもらっています。

 最近は、忙しくしてもらっているので、あまりブログに登場しませんが、「天山来客」さんも、そんな一人です。彼には、この「ブログ」を中国語に翻訳してもらっていますし、学校のホームページも中国語に訳して、作ってもらいました。先日、中国でも、この学校の「中国語版ホームページ」が見られるようになったという知らせがありましたので、きっと個人的な申し込み(これまでは、卒業生やこの学校で教えた人の関係者がほとんどだったのですが)が増えてくるかもしれません。

 じつは、何日か前、「中国語版のホームページ」を見たという「アルゼンチンの華人」から連絡があったのです。

 もちろん、勉強したいという気持ちの強い人だったら、歓迎するのですが、中には様々な考えの人もいますので、私たちには判断がつかないことも少なくありません。これまでは、私たちの教え方なり、学生との接し方なりが、分かっている人が、間にたっていてくれましたので、何かありましても、その人を通して事なきを得ることができました。が、これからは、それが出来なくなるかもしれません。ちょっと大変かなという思いがしています。けれども、そうであっても、そこは、これまでに接してきた人達の力を借りながら、乗り越えていくしかありません。

 ところで、来週、課外活動の一環として、24日(金)に、NHKのスタジオパークへ行ってきます。帰りは原宿の方の方へと廻り、日本の新しい文化、若者文化にも触れてもらうつもりでいます。

 今年は、10月に来た就学生は、それほど多くなかったのですが、在日の人が何人か10月生の中に入っていますので、「Dクラス」も、いつの間にか10人ほどになりました。電車の乗り降り、道の歩き方などにも、いくつか気をつけながら、連れて行かねばなりません。

 大変なのは大変なのですが、そんなときに、役に立ってくれるのが、上級生(今年の4月、7月、去年の4月、7月、10月、1月に来た学生)達です。

 ほんの、ついこの間、来たばかりのように思われる7月生たちも、随分頼もしくなってきました。落ち着いていて、もう何年も前から日本にいるような様子です。アルバイトを始めている学生は、しょっちゅう地下鉄に乗っているということもあって、駅の乗り降り、乗り換えも、日本人と同じように、スーイ、スーイとやってのけています。

 却って、こちらの方が、「この路線では、どの辺りに乗った方がいいのかな」と迷っているくらいです。その度に「こっち、こっち、先生、こっちの方が近い」と呼んでくれるので、助かります。おまけに、帰りも、早めに帰る新入生と一緒に帰ってくれたり、或いは、後に残って自由行動をとる時も、一緒に連れていってくれたりと頼もしい限りです。

 ところで、今日は、上野の国立博物館の「留学生の日」です。入館が無料になります。これまでは、こういう事に興味を持つような学生がそれほどいなかったので、あまり気にかけていなかったのですが、今年の7月生は、ちょっと様相を異にしているようです。一人が、壁の掲示を見て、「行きたい」と言い出すと、すぐ「それはいったい何なのだ」とざわめきが拡がり、結局、我も我もということになって、団体さんで参加することにしたようです。

 私も、うっかりしていて、常設館の説明を忘れていたのですが、授業が終わってから、それに気づき、「法隆寺」と「琳派」の説明だけは、しておくのだったと、大慌てで、午後、自習をしている学生達のところへ飛んで行きました。もうDVDは間に合わないので、資料集や歴史の教科書を見せながら、5人ほどに、説明しましたが、さて、付け焼き刃で、今日どうにかなったでしょうか。もっとも、始めに見ておいて、その記憶が新しい裡に、DVDを使い、説明を加えるというやり方でもかまいませんから、来週の月曜日の彼らの様子を見てから、どうするか考えることにしましょう。

 この「留学生の日」が、平日に一日でもあると、授業の一環として連れて行けるのですが、休日になるとそうもいきません。年に二回、「平日と休日に一回ずつあったら」と思うのは、ちょっと欲張りでしょうか。そのための授業も別に組んで、知識を得た上での参観となると、彼らにとっても、もう少し楽に日本の文化を楽しむことが出来るような気がするのですが。

 今年の学生の中には、美術に関心を持っている者が居ますので、特にそれを感じてしまうのです。

日々是好日
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「甘え」の程度

2008-10-17 07:52:18 | 日本語の授業
 今朝も秋晴れ。風のそよぎ一つない中を自転車を走らせてきました。空には残月が薄くかかっています。

 それにしましても、暮れるのが、随分早くなってきました。「日が長くなった」と喜んでいたのは、ついこの間のことのように思われますのに、さいきんでは、「もう暗くなった」が、合い言葉のようになってしまいました。このようにして、一日は、日ごとに堆積していき、人生はその中に、埋没していくのでしょう。

 今朝、天気予報を見ていますと、ちょうど「Cクラス」で教えたばかりの構文、そのままを、予報官の方が口に出しておられました。「残念。録画しておけば良かった」です。『初級』も二冊目に入りますと、多少聞き取れるようになりますので、「判る言葉」と「判らない言葉」の判別がつくようになっているのです。というわけで、「判らないこと」に不満を抱くようになります。

 「どうして(上手になっているような気がするのに)、日本人の話す言葉が判らないの」というわけです。答えは決まっているのですが(「三文判」か「芋版」みたいなものです。いつも同じことの繰り返し)、つまり「まだ、下手だからです」。それしかありません。「まだ、下手ですか」。「まだ、こ~んなくらい、こ~んなくらい、下の下の下の方のレベルです」。

 漢字圏の学生達には、「一級能力テスト」や「留学生試験」の問題を見せさえすれば、自分たち(の日本語の能力)が、まだ小さな峠にも至っていないということがわかるのですが、非漢字圏の学生には、その方法は効きません。何が簡単で何が難しいのか、それさえも判らないのですから。もっとも、そんなわけで、いわゆる難解な言葉も耳で仕込んでおけば、流暢に使えるようにもなるのですが。

 日本人は、(日本語を)レベルを逐って、学んでいますので、「そんな難解な言葉を知っているということは、当然その前の段階の言葉も知っているはず。この外国人はすごいぞ」というふうに、脳が勝手に決めてかかります。

 もちろん、『初級』から『中級』へ、『中級』から『上級』へ、こうやって一応「基礎編」を、順番に教えていくわけなのですが、その過程においても、特別な「専門用語」や「ニュースに頻出する語」「社会現象」などは、多少の説明を加えた上で、そのまま「入れて」います。「『初級』だから、簡単に、簡単に」というやり方は、相手が「正常な能力を持った」大人の場合、却って事を複雑にしてしまうという嫌いがあるからです。

 相手に、一定の能力と基礎知識が備わってさえいれば、そのまま(日本人が普通に使っている、時として難解とも思える語でも)日本語で導入してもかまわないのです。子供達に「教育課程に則った教育」をしていくのと、この点が異なってきます。発達心理からみましても、たとえ、その国の言語が分かっていなくとも、具象語で終始させるという必要性は、それほどないように思われるのです。却って抽象的な言葉の方がわかりやすいということも少なくないのです。

 さて一昨日の「四級テスト」はなかなかいい成績で終わったようです。学生もがんばったけれど、指導した若い先生も偉かった。しかし、「勝って兜の緒を締めよ」です。とにかく「7月生(非漢字圏)」の学生には、今年の「日本語能力試験」で「三級合格」をめざしてもらわなければなりません。どうしても、「大人になってから、学ぶということを意識して学ばなければならない『外国語』」と、「子供の時から遊びで手に入れた『外国語』」の区別がつかない人には(時間もないことですし)、「飴なしの鞭」だけで、ビシビシやっていかなければなりません。

 と思って、昨日、ビシビシとやったのですが、「せっかくがんばって、いい点を取ったのに、褒めてもらえなかった」と、グシュンとさせてしまいました。でっかい身体をしていても、いえ、しているが故に、当方としても「困った。言い過ぎた。泣くぞ。どうしよう。困った。慰めねば」と、慌てふためいている心の裡を、表には出せないのです。でも、本当にオロオロしていたのです。

 とは言うものの、それは、若い先生がちゃんと「褒めてあげていた」ので、大丈夫でした。私がちょっとくらいいじめたって、大丈夫でしょう。しっかり、若い先生に甘えて、何でもいいたいことを言っているようですから。『初級』のうちに、「生意気な面」や、「わがままな面」「勝手な面」を、心ゆくまで出させておいて、この社会で許される「程度」を知らしめておいた方がいいのです。(私では、どうしても「寄らば、切るぞ」というのが、表面に出てしまっているようで、言いたいことも言えないようなのです。言いたくとも、すぐに口を噤んでしまうようなのです)

 まあ、若い先生は、それで、ちょっと傷ついたりしていたようですけれど、「意地を張れる相手(しかも、日本人)がいる」ということは、日本語を学んでいる学生にとって救いです。日本語の教師は、彼らがどんなことを言っても、それを、学校だけに収めておきますから。注意することはあっても、それで「どうこうする」ということはありませんから。

 もっとも、こういう事が出来るのは、『初級』から『中級の始め』くらいまでですぞ。それより上になったら、もう許されませんからね。慰めてくれる人もいなくなります。まだそんなことを言っていたら、「鞭」だけが、「ビシビシ」ということにもなりかねませぬぞ。ご注意、ご注意。

日々是好日
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「初めての四級テスト」「留学生試験」について

2008-10-16 08:16:23 | 日本語の授業
 今朝は、雲一つ無い秋晴れの中を、サイクリング気分で、自転車を走らせてきました。ススキの穂も随分実って、もう少ししたら風の中を旅立っていきそうです。

 ふとススキの根元を見やりますと、もっと美しい光景が広がっていました。「猫じゃらし」、「エノコログサ」です。朝日を浴びて、穂先を白く光らせながら、わずかな風に揺れていました。

 もうじき家が建ってしまえば、この風景とも「おさらば」しなければならないのでしょうが、つかの間の、かわいらしい秋、ちょっと得をした気分です。

 この、一軒分の空き地に、「ススキ」、「セイタカアワダチソウ」、「エノコログサ」やらが、ひしめき合っているのですから、大変ですね。一頃は、悪者扱いされていた「セイタカアワダチソウ」も、すっかり「日本の秋の風景」の一部となってしまいました。

 あの「黄」は、「オミナエシ」の「黄」と同じですよね。外来植物で、しかも、「ススキ」を追い払ってしまうと思われていたから、嫌われていたのだけれど、今では、この「黄」は日本の空にすっかり馴染んで見えます。

 さて、「Cクラス(7月生)」です。昨日は、初めての『4級テスト』でした。ヒアリングの解答用紙に四苦八苦。説明を受けても、なかなか理解できない人が、二人。「わかった」と言っていても、テストの時にボウッとしてしまった人が若干名。

 やはり、実際にやってみないと、本当に解ったかどうかは、わかりません。

 勝手に、「自分はできる。大丈夫だ」と思いこんでいた人(これは、不思議なもので、自分の国で成績が良かった人に多い「現象」なのです。小中高と学校で、決まった時間座っているだけで消化できるくらいの内容しか勉強したことがないという国の人に多いのです。何でも「自分なら簡単に出来てしまう」と考えてしまうのです。ある意味では幸せなのですが、先進国に来てしまうと、そういうわけにはいきません)は、悲劇のようでした。

 もっとも、こういう事を繰り返しておいてもらわないと、(日本の大学に行きたい人は)困ります。6月と11月にある「留学生試験」で、ある程度の成績を取るためには、「どれほど多くの事を学んでおかなければならないのか」ということが、全く理解できないのです。まだ(日本語の)内容自体理解できないのですから、それも無理からぬ事ですが、学校に座っているだけで、できるようになるというようなことではありません。まず、こういう態度を変えてもらわなければ何事も始められないのです。留学生試験よりももっと点の取りやすい「日本語能力試験」にしてから、「4級」に参加するだけでショックを受ける位なのですから。

 こういう仕事をしておりますと、また、ここの学校のように、小さいながらも十数カ国からの学生を既に受け入れてきた経験から見ましても、国による学力の差というものが、巨大な巌のように目の前に立ちはだかってきます。

 「留学生試験」には、「日本語」「総合問題」「数学Ⅰ」「数学Ⅱ」「生物」「化学」「物理」があり、志望する大学(「国立」「公立」「私立」また「理系」「文系」)によって、受験生は、どの試験を選択するか決めるのですが、必ず参加しなければならないのが「日本語」のテストなのです。つまり、「日本語」、ブラス「その他の教科テスト」ということになるのです。

 この「日本語」は、「作文」「読解」「聴解」「聴読解」と四つの分野からなっています。今も、試験まで、あと一ヶ月足らずということで、今年度、大学、ないし短大等に行きたいという学生に、指導しているのですが、母国の高校で常識的な部分くらいまでは学んできていないと、とても歯が立つような問題ではないのです。

 まず、「読解」です。漢字も多いし、漢字圏の学生は楽勝のように思えるでしょうが、普通高校を出ていても、このテスト問題の内容自体の意味がわからないという人もいるのです。「光の屈折」「介護」「動物実験」「環境問題」「言語問題」「法律の一部」など、多分そういうことについて、国で指導を受けていないからなのでしょう。もちろん、来日後は学校でも指導はしてきたのですが、受け付けられないという人も少なくないのです(大卒は別です。四年間は無駄に過ごしていません)。

 漢字圏の学生ですらそうです。非漢字圏の学生にこういう事を教えていくのは、本当に至難の業です。日本語や日本文化くらいならどうにかなっても、「母国できちんとした教育を受けていない人」に「日本の大学が要求する最低レベル」を学んでもらうのは、大変です。しかも、わずか一年か一年半の間に、漢字圏は「一級レベル」、非漢字圏は「二級レベル」にした上に、です。

 もちろん、第三世界の国に比べれば、日本は大学も多い。ただし、低い学力で入れる大学は、学費が高いのです。それでも、日本語が出来なければ、大学側も困りますから、限度があります。

 以前なら、「日本語能力試験」の「一級」さえ合格していれば、何とかなる大学が多かったのですが、今は「留学生試験」というものがあります。しかも、国の方針でも、「能力のある人に留学してもらいたい」というのが明示されています。以前のように「見聞を広めるために日本へ行きたい」のなら、「楽しく日本語学校で日本語を学び、そして帰るか、専門学校で実技を身につける」に、方向転換した方がいいのではないかという気がするのです。

 本当に、自分の国で、しかも、母国語で、どうにもならなかった人が、他国で、他国の言語で、どうにかなるものでしょうか。この現実を踏まえた上で、本人なり、ご両親なりは「日本の大学進学」のための日本語学校というのを考えていただきたいのです。

 もちろん、人にはいろいろな事情もありますから、それでも、「がんばる」、「がんばれる」という人なら話は別です。「がんばれる人」なら、いくらでも教えます。その代わり、これは学生にとっても、教師にとっても大変なことなのです。それを忘れない出来てもらいたいのです。自分の「資質」と「がんばり度」と「資金」です。ある程度のお金が無ければ、がんばれません。人は弱いものです。一ヶ月はがんばれても、一年は長いのです。ちゃんとした計画を、学生が無理なら、親御さんは考えておいていただきたいのです。子供の能力を一番良く知っているのは、やはり親だと思いますから。

日々是好日
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雨の日の「傘」

2008-10-15 07:47:54 | 日本語の授業
 昨日は、重い雨が降りました。もう昼近く、11時を少し過ぎたころでしたか、「先生、雨」という声にふと外を見やると、傘を差した人が歩いているではありませんか。雨はてっきり、夜、早くとも夕方から、ぐらいに考えていましたので、驚いてしまいました。

 大半の学生が、傘を持参しておらず、心配顔で、外を覗いています。「学校の傘を借りて、帰りなさい。明日、持って来てね」と言うと、その通りに借りて帰っていきました。今時のお天気は、いつ降り出すやら、ちょっと予測しかねるところがあります。傘を借りて、翌日に返してもらっておかないと、急に降り出した時に困る人が出てくるのです。

 ここに通ってくる学生は、この近くに住んでいる人がほとんどですし、就学生は歩いても5分くらいのところにある寮に住んでいることですし、いつも通り、自転車に乗ったり、歩いたりと、ざわざわと傘の一団は遠ざかっていきました。それを見送っていると、上の階から、「傘を持ってきていない」という学生が…。

 一年ほども日本にいると、日本の季節にだいぶ慣れてきているので、「こんなものだ」と「あきらめ」ているようなのですが、まだ「7月生」は、その「あきらめ」がついておらず、日本のお天気に対する把握(?)が、頭の中にごちゃごちゃとして存在しているようなのです。時々、「(日本のお天気は)解りません。明日はどうなのですか」と、すねたような顔をしながら、こちらに聞くのです。その上、「10月生」たちは来日したばかりですから、おろおろしているばかりです。それはまごつくでしょうね。南の国では、「雨季と乾季と、二つの季節しかないか」、「いつも同じか」ですもの。

 「7月生」は、午後のクラスなのですが、早めに来て、教室で自習をするということになっています。そういうわけで、雨が降り出す前に、家を出てしまったので、「傘がない…どうしよう」と途方に暮れていたのでしょう。午前中の学生が、学校の傘をすっかり借りていったわけでもないでしょうし、「大丈夫、大丈夫」と慰めているうちに、強力な助っ人が現れ、傘を寄付してくださいました。

 この方は、ある7月生がホームステイしているお宅の、私たちは彼女の「父兄」と、お呼びしている方なのですが、彼女に傘を届けに来ていらした時に、「もしよろしかったら、使ってください」と、別に四本の傘を持ってきてくださったのです。パステルカラーの透明傘。かわいらしい傘で、これは学生が喜ぶだろうとすぐに思えるものでした。ありがとうございました。早速午後のクラスの学生が借りて帰りました。

 この学校に通っている人の中には、「家族ビザ」の女性も多く、女性用のかわいいものは、彼女たちに人気があるのです。その上、最近は10代の少年も何人かいるので、「これは、男性が持っても良いのですか」などと文句を言う「オジサン」もあまりいないのです。(こう私がいうと、「私はオジサンじゃない」と抗議の声が上がるのですが、「たとえ若くとも、考え方がオジサンじみていたら、オジサンです」で、通しています。)

 日本人は、本当にお天気を気にします。ニュースを見ないと言う人でも、お天気番組だけは、日に何回も見るようですし、挨拶も、お天気のことから、まず始まります。その上、何も話題がない時には、お天気の話でお茶を濁すということもあるでしょうし。

 『中級』のヒアリングの最初の方の「課」でも、お天気の話題が出てきます。気象の言葉は、一度覚えておけば、すぐに聞き取れるようになりますし、しかも同じということがないので、「聞き取り」の力を高めるためには、もってこいの「教材」なのです。しかも、それだけではないのです。「明日の天気」や「週間予報」をする合間に、天気予報官のお姉さんやお兄さん、叔父さんや叔母さんは、「お天気や季節に関する蘊蓄」を傾けてくださいますので、『上級』の学生でも、案外楽しめるのです。もちろん、これは、日本文化に関心のある学生は、ですが。

 こう書いているうちに、陽が差してきました。今日は良いお天気になりそうですね。

日々是好日
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