日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「一年の終わり」。

2010-12-31 23:00:55 | 日本語の授業
「はっとして われに返れば 満目の冬 草山をわが歩み居り」 (牧水)

 払暁時、暗く青味を帯びた黒雲が空を覆っていました。今年最後のお日様を拝めないまま一日は始まりました。けれども、今は、もうきれいな青空になっています。洗濯日和です。

「木に倚れど その木のこころと我がこころと 合ふこともなし さびしき森かな」(牧水)

「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む このさびしさに 君は耐ふるや」(牧水)

 2009年生には、大学院を目指している学生が何人かいます。今年は皆中国人で、モンゴル族の学生です。これまでの漢族の学生達は、そのほとんどが、中国の大学で専攻していたのとは違う専門を、大学院で勉強したいと言い、これに本当に手こずらされていました。違う専門と言っても、とにかく前の専門は嫌だと言うばかりで、何がしたいのかもないのです。

 こういう学生が多いと、私たちとしても、中国では、大学四年間の専門知識は、大学院を受験するときに役に立たないレベルではないのかしらんと思わざるをえないのです。たとえば、政治を専攻していた学生が、教育を専攻したいと言います。それでは、大学に入り直して専攻すればと言いますと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をします。

 私のことを、常識がないと言わんばかりに見るのです。

 「私は大学を卒業した(当然、次は大学院だ。また大学だって?何を抜かす)」くらいの気持ちなのでしょうね。日本では、大卒であろうが、院卒であろうが、専門に何を選んでいたか問題なのです。日本では、大学教授を定年退職した方が、今度は考古学を専攻したいからと大学を受験し直し、大学生になったという例もかつてはありました。

 この年度の学生達は、面接の時に、私たちが(その点を)力説し、確認をとっていたということもあったでしょうし、専門が違えば、大学へ行きなさいと譲らなかったと言うこともあったでしょう。皆、大学で専攻したのと同じ専門を選んでくれました。

 中には、中国にいた時には、少しも勉強したくなかった。けれども、日本に来て、今は本当にこれを勉強したいと思うようになった。この先生に認められたいと言ってくれる学生もいます。

 こうなると、日本に来てもらってよかったと、私たちの方でも、嬉しくなってしまうのです。もちろん、研究生になれるかどうかは、まだわかりませんが。

 彼らも、自分達の知識が足りないということをよく知っているのです。専門だけではありません。日本語においてもです。大学院の先生方の中には「日本語の『N1』が通ったくらいで来ないで欲しい。何も出来ないのだから」とはっきりと言う方もいます。けれども、大方の先生方は、本人が如何にその専門に魅せられているかと、その情熱を見て決めて下さるようです。

 私たちにとっても、それが救いでしょうか。人は国も民族も選んで生まれてくることは出来ません。生まれた場所で受けた教育が頼りないものであったからといって、それで、その人の能力を測られてしまうと辛いところがあります。本人が来日してからできるようになったこと、それを見てもらいたいのです。それが日本留学であれば、一年少しで、「N1」に合格できたということ、それを、まずは、見て欲しいのです。専門知識は、本人にやる気さえあれば、どうにかなるでしょう。なんといっても、それがやりたいと頑張っているわけですから、。少なくとも、一年少しで「N1」に合格できたということは、それだけの能力があるということですし。

 今年は、家でインターネットができるようになったということもあり、今日は7時くらいまで、学生達の指導に追われました。正月もそうなるでしょう。彼らの夢が叶えられることを祈りながら、今年、最後の「佳き日」の報告を終わりたいと思います。

この一年ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
来年も、幸多からんことを。

日々是好日
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「年の暮れ」。「休み中の学生達、留学生として」

2010-12-30 12:54:20 | 日本語の授業
 暮れも、どんどん押し詰まってきました。余すところ、ん十時間(二桁です)。今年も去年と同じように、あっという間に終わった(まだですが)ような気がします。けれど、「押し詰まる」ってどこかおかしいですね。ギュウギュウ詰めにされているような…。多分若い頃は、そういう気持ちになりもするのしょうが、私には、どこかちぐはぐ感が否めません。気持ちの上でも、ギュウギュウ詰めにされていない…いえ、多分、されなくなったのでしょう。

「去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きもの」 (虛子)

 時間には「切れ目」なんてありません。ただこの「貫く棒」をどう読み解くかで、この句も意味が多少異なってくるのでしょうが。この「棒」を、「野太い意志」と、とる人も(「貫く」に力点を置けば)いますし、もう少し軽く、時間の流れゆく様とだけ、とることも許されるでしょう。

 カレンダーなんて人が勝手に作ったもの、それに支配されて、オタオタしている自分が情けないし、馬鹿らしく見えないことも…ない。とはいえ、人は生まれた瞬間から、死へと旅立ちを始めているわけで、時間は、老いと若きを見分けることも、どちらかに手加減を加えるなんてこともしませんし。

「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」(一休?)
こうなりますと、新しい年になることを喜んでばかりもいられません。

 さて、学生達です。留学生の大半は、学校の近くに住んでいるので、普段でも、スーパーへ行った時に鉢合わせしたり、歩いている時に声をかけられたりしているのですが、特にこういう長期休暇ともなりますと、先輩連(大学や専門学校、大学院などを目指している来年3月に卒業予定の学生)以外は、ディズニーランドへ行った日が最後でしたから、それこそ、道で会うと、懐かしいと近寄ってきてくれます(先輩連は、別です。27日まで、学校へ来て、面接や論文の練習をしたり、計画書などを書いたりしていました)。

 日本語がかなりできるようになると、だいたい半年くらいでしょうか、早い学生では。あまり日本語を必要としない工場などから、近くのコンビニや飲食店でのアルバイトに職替え(?)をし始めます(もちろん、工場の人たちが親切だとか言った理由で、二年間ずっと工場で働く人もいます)。

 ということは、年末の(店の)大掃除の時に、会うということもあるわけで、その時には、向こうから、「先生」と大きな声で呼んでくれます(私は自転車で走っていますから、気がつきません)。ついでに(失礼!)、店主の方に「宜しくお願いします」と頼んだり、働いている様子を見たりできるので、声をかけてもらったときが、ある意味では、別の彼らを知るチャンスでもあるのですが。

 それに、今年から、学生達の資格が、「就学生」から「留学生」に変わりました。それで、休みの間は、目一杯アルバイトができるようになったのです(当然ながら、24時間働くなんてことは許されていません)。

 授業中はそれほどでもないけれど、働くとなったら、俄然、張り切る人がいます。先日、スーパーで会った学生もそうです。彼女とはその前にも、おでん屋さんの大掃除の時に会っており、この休み期間で、二度も会ったことになります。

「先生、今、頑張っています。1月の寮費は、遅れて、15日に払いますってお願いしたけれども、学費は3月中に払うつもりです」

 ちらっと籠を看ると、しっかりビールが入っていました。彼らなりに「お年越し」のお祝いをするつもりなのでしょう。もしかしたら、苦学生と言うことで、おでん屋さんから臨時の、「おでん」というお年玉が入ってくるかもしれません。

 そう言えば、去年「先生、私、食費がほとんどかからないんです」と、レストランに勤めていた学生が言っていましたっけ。

 アルバイトが終わったときに、お腹がすいただろうと(食事を)持たせてくれたり(アルバイト中の賄いも付いていました)、しかも、寮で何人か一緒に生活しているのを知っていたようで、余分に持たせてくれたりしたのだそうです。

 この学生の場合は、本当にラッキーとしか言いようがなかったのですが、これもまじめな仕事ぶりが認められたからなのでしょう。

 日本のルールを日本人と同じように守って、生活していくことは、この国では、とても大切なことです。中には、「自分の国では違う」と言って、ルール無視の傾向が、なきにしもあらずという学生もいないことはないのですけれども。単純なことですが、翌月分を今月中に払ったり(払えなくとも、それはまずいということを知っている)、陰ひなた無く仕事をしたりするのは、彼らがこれから日本人と付き合っていく上で、マイナスになることはありません。

 ルールを守りながら、学校のみならず、職場でも日本人と多く触れあっていき、様々な日本(いいところだけではなく)を身体で感じていく。アルバイトもせずに、親から送られてきた潤沢な生活費で酒を飲んだり、同国人と騒いだりしている留学生達に比べれば、ずっと立派で、有意義な留学生活を送っているのです、今は辛いでしょうが。それに将来、仕事をしていくときにも、これはきっと役立つと思います。

日々是好日、
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「学校の『煤払い』。多分、教師の方は全員、『晴れ男』と『晴れ女』」。

2010-12-28 08:31:32 | 日本語の授業
 今日も快晴です。

 昨日に比べ、随分と暖かく感じられます。会津地方の、雪害に遭っている皆さん、ごめんなさい。でも、本当にいいお天気なのです。

 ところで、今日は、学校の大掃除。例に出しては、何ですが、奈良の大仏さんの煤払いと同じ、年中行事のようなものなのです。

 昨日まで、学校に来て、勉強していた学生達には、「学校での勉強は、今日(12月27日)で、終わり。一月は4日からです」と伝え、「明日、来たかったら来てもよし。但し、来ても勉強の手伝いは(先生は誰も)しない。君たちの方が掃除の手伝いをするのだ」と申し渡します。すると、一人、まじめな学生が、「いいですよ。私は暇です」と言います。

「あれは冗談だった…のに」とも言えず、「来なくていいです。君たちは寮の掃除の方をしてください」ときっぱり。

 昨日は、「もし、明日(12月28日)が寒かったら嫌だな」とか、「風がビュンビュン吹いていたら窓ふきは嫌だな」とか思っていたのですが、今日は、冬場にしては絶好の大掃除日和、まずは、心がけのいい人達が集まっていると思ってもいいでしょう。ディズニーランドの時は、泣いていたけれども…。

日々是好日
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「生まれ育った環境に支配される人…支配されたがっているのかも…」

2010-12-27 08:47:02 | 日本語の授業
 今日も快晴です。日本海側は大雪が降っているというのに。会津地方では、昨日の段階で既に1㍍をゆうに越え、この後もまだまだ降り続くそうですから、「『雪』が降るなんて、羨ましい」なんぞ言ってはいられません。「雪害」という言葉が、浮かんでくるほどです。

 しかしながら、細長い島国で、こうもお天気が違ってしまいますと、どうしてこうなのかと、本当に不思議な気がしてきます。ここ(行徳)は、雪どころか、一片の雲だって浮かんでいませんもの。これが、山脈が続かず、だだっ広い平原でありましたなら、日本海側であろうが、太平洋側であろうが、大して変わらないお天気の図となっていたでしょうが。

 列島の背骨に、2000㍍級の山々が連なっているからこそ、この自然の不思議は起こるのでしょう。孤峰「富士山」が、ぽつんと一人聳えているからこそ、霊山と呼ばれるほどの厳しい自然現象が起こるように。

 自然は、人にも影響します。「山の人だから、ああいうタイプなんだ」とか。「海の人だから、こうなんだ」とか、よく聞く台詞です。自然は人にも、そこに築かれる社会にも影響を与えます。社会は村落に影響し、村落は家族や個人に影響を与えていきます。特に稲作文化となってからは、個人が社会に影響を与えることが、ますます少なくなっていったような気がします。

 同じ日本人同士であっても、それぞれ背景が違ってくれば、異なった世界観に包まれて相対するということになってきます。子供同士であれば、何かのきっかけで、親しみ、融合し合うこともできるでしょうが、人格がほぼ形成されてしまってからの出会いですと、それもうまくはいかないでしょう。すれ違ったり、軋轢を起こしたり…関係も、軋むどころか傷を負わせ合ったりする場合だってあるでしょう。

 本来の自分(おそらく本人も、そして、その人を取り巻いてきた人々も気づかなかったであろう自分)と、周りが見てきた自分(皆がこういう見てきたから、新しい出会いでも、他の人は、自分をこう見るだろうなと推測のできる自分)、そして、周りにこう見て欲しいと、自分が、そう見られたがっている自分像。

 こういう複層的な「自分観」を抱いて、人は人と出会い、そして出会っても、己の意に添わないと、そのまま横滑りして、行きずりの人になってしまう可能性だってあるのです。人が人と、感情的に親しむのに、時間はいりません。時間がいるのは、理性的に相手を自分の目で見ることの出来る人の場合だけです。

 それにまた、これまで人にどう扱われてきたかで、その人が他者に対する「期待観」や「態度」も変わってきます。

 ある種の人は二つの他者しか持ちません。いえ、持っていないようにしか見えないのです。命令してくれる人と、親切にしてくれる人。自分を尊敬してくれる人と、無視する人。単純な世界観ですが、意外にこういう人が多いのです。

 命令されることに慣れていれば、それはそれで、何ら不都合でもなんでもないのです。そうでない方がおかしいのです。命令されたがっているというより、それは慣れで、そうなのでしょう。下手に対等に見られてしまうと、慣れないだけに居心地が悪く、却って相手を軽蔑してしまうということにもなりかねません。なんていったって、オウム真理教の例を出すまでもなく、人というものは、支配されたがっている動物なのですから。

 この反対に、何でも命令したがる人がいます。指示ではなく命令です。こういう人は、人には命令する人と命令される人の二種しかないと思っているのでしょう。辛いことですが、共に現実が見えないのです。見えるほどには聡明ではないのです。

 人を、色眼鏡なしで見ることは、本当に難しいと思います。

 人は、常に簡単な眼鏡を持とうとします。それが他者による評価であることが一番多いのです。なんと言っても、自分の目を信じられない人が多く、「客観的な評価」なるものを信じようとしてしまいます。「権威」ある人が言っているからとか、「資格」があるからということになるのでしょう。

「出来るか出来ないかは関係ない。『資格』があるかどうかが問題だ」と、こうなってしまうのです。

 しかしながら、実際に仕事をしてみると、その「資格」などが仕事の全てを網羅しているわけでもなく、その「資格」を取るための勉強に全精力を費やしてしまって、教条的になってしまい、現実をその「常識」に無理矢理にはめ込もうとすることさえあるのです。

 「現実を見よ」。まず、これです、必要なのは。

 人というものは、横に縦に幾重にも重なって作られています。感情の幅もその重なりと同程度に大きいのです。

 ただ、人というのは煎じ詰めて言えば、怠け者ですから、全ての人に対して同じほどの注意を払えるかというとそんなものでもなく、それほど大切と思われなければ、放っておかれます。また放っておかれても、構わないはずです。だって、きっと、他の人が注意を払ってくれますから。そんなこんなで、世界はうまい具合に廻りますから、大して気にする必要はないのです。

 もちろん、こういう場合でも、全ての人に「こう見られたいし、見て欲しい」などと、贅沢な気持ちの強い人は大変です。

 私なども、自分に関わりのある学生には、その一挙手一投足が気になりますから、注意してみていますが、そうでなければ、それほどの注意は払えません、払っていたら、疲れ果てて、パンクしてしまうでしょう。人間、全ての人に同じ重量の感情を注ぐなんてことは出来ないものです。誰にでも親切という人は、広く浅くしているだけの話で、大して相手に注意を払っているわけでもないのです。

 しかしながら、難しいですね。時々誰からも注意を払ってもらえないだろうなと思われる学生が出てきます。教員の誰かが、気をつけてみているのですが(他の学生よりも数倍声もかけ、注意もするのですが)、それでも、時々ふっといなくなったりするのです。学生の方でも、人に関心を持たれることに慣れていないのかもしれません。

 日々是好日
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「白い月」。「椿」。『冬の詩』(高村光太郎)。

2010-12-24 09:34:07 | 日本語の授業
 今朝は、西空にくっきりと、白い月が残っていました。日本の空は、快晴とはいえ、どうも白っぽくて困ります。空き地には、雑草が緑のまま残っていますし…。

 ついと視線を下にずらしていきますと、木々の緑の色にも、透明感がありません。日本人は、冬は乾燥していると言いますが、それでも、空気中に水分は、光を通さない程度には保たれているのでしょう。

 透明感が、「緑」にない代わりに、木々は色を変えます。しかも、日本の山は雑木が多いので、秋になると、それこそ数限りない色に変化します。現代は、人工林の森も多く、山が一色という所もありますが、それでも、山に分け入った途端に、万葉人の気持ちがわかるほどには、山の姿が残っているのです。

 空を仰いだり、45度の角度で街を見たりしているうちに、不思議な物を見つけました。「スイセン(水仙)」ならぬ、風車で作った「スイセン」なのです。

 あるお宅の車庫です。今は車の代わりにたくさんの鉢植えが置かれています。冬になっても華やかだなと見ていると、どこかで目がそのまま流れていけずに、Uターンしてしまったのです。ちょっと見には、黄色と白の水仙、よくよく見ると風車。他の鉢植えの花と一緒に差されていたので、気がつかなかったのです。

 このお宅の垣根は、「ツバキ(椿)」でしょうか、それとも「サザンカ(山茶花)」でしょうか、赤い花で彩られていました。ちょうど今が盛りです。

 椿と言えば、
「巨勢山(こせやま)のつらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」坂門人足(さかとのひとたり)
が、すぐに浮かんできます。難しいことはわからずとも、このテンポのいい歌は、覚えやすいのです。

 今年は、秋山を見る機会がありませんでしたが、いつも「今年こそ」と思います。やはり、「そこし恨めし 秋山吾は」(額田王)なのです。

 日本の秋山が美しいのは、一種類の木々に占められていないからだと言われています。これは夏も同じで、夏山に行けば、どうしてこれほどの緑があるのかと感動さえ覚えます。そして、その隙間を縫うようにして、様々な花や小鳥の姿が見られるのです。それが、山はいつ行ってもいいと言われるゆえんでありましょう。

 もちろん、冬もいいのです。もしかしたら、冬山が一番という人もいるのかもしれません。

「冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見わたすかぎり冬だ
再び僕に会ひに来た硬骨な冬
冬よ、冬よ
躍れ、叫べ、僕の手を握れ」
で、始まる高村光太郎の、長い詩、『冬の詩』は、

「胸を張らし、大地をふみつけて歩け
大地の力を体感しろ
汝の全身を波だたせろ
つきぬけ、やり通せ
何を措《お》いても生《いのち》を得よ、たった一つの生を得よ
他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だ
それを攻めろ、そして信じ切れ
孤独に深入りせよ」
と続き、

「冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見渡すかぎり冬だ
その中を僕はゆく
たった一人で――」
となって終わります。

 子供の時は、この歌の含む意味を、それほど考えずに済みました。そのまま声に出して読んで、多分、愉しんでいたのだと思います。語調がいいですから。

 それから、こういう詩を書かざるを得なかった、また、書かずにはいられなかった詩人の気持ちに、心が思い至るほどの年になった頃、それでも、読めば力づけられ、しばらくの間、彼の詩から、離れられませんでした。芸術家としての表現手段として見た場合、彼にとって、「詩」の方が上位を占めるのか、それとも彫刻の方なのかはわかりませんが。

 とはいえ、なまっちろい詩人には書けない詩を、数多く残してくれたのは事実です。

日々是好日
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「穏やかないい天気。東北地方では冬の嵐で豪雨」。

2010-12-23 09:02:59 | 日本語の授業
 快晴。穏やかないい天気です。これが元旦だったら、今年はいい年になりそうだと言うこともできるのでしょうが。

 今、東京近辺は、静かで、気温も17度と12月にしては高く、過ごしやすい一日になりそうなのですが、天気図を少しずらして、東北地方はと見てみると、冬の嵐が荒れ狂い、何と豪雪ならぬ、豪雨に見舞われているそうですから、たまりません。

 冬には、雪が降るものと思われている地域に、大雨が降れば、それは災害になります。冬に、雨が降るものと思われている地域に、ホンの少しでも雪が降れば、それはそれで、電車は停まり、路上で、滑って転んで骨折したという人が続々と病院に運ばれていくことでしょう。

 「雪は白くはない、青いのだ」だの、「雪というのものは、天上から降るのではない、下から吹雪くのだ」だの、言ってはいられないのです。無風流なことをと言われるかもしれませんが、それにより、苦しむ人間がいる時には、それを愉しんではならぬのです。

 かつては、「見ぬこと浄し」でしたから、知らないという強みがありました。
 けれども、悲しいことに、情報化が進んだ現代社会では、時間を問わず、世界中のあらゆる場所で、どういうことが発生しているかということを、様々な報道機関が、しのぎを削って、人々に知らせるべく努力しています。

 その上、悲しいことに、日本は自由な国でありますから、政府が、愚民のために「知らせていいことと知らせるべきではないことを」選択してくれないのです。それ故、私のような「愚民」は、雨あられと降ってくる情報に曝されていなければならないのです。

 その上で平静さを保てるかというと、耳を塞げば、それはできます。見ないことにしようと思えば、それはできるでしょう。が、誰かが話しています。日本のような風土の国では天気予報を見ないわけにはいきませんから(昔のように、夕焼けを見て、明日の天気を当てるとか、雲の形、風のにおいで雨を当てられるといった名人は傍にはいないのです)、どうしても見てしまいます。天気予報というのは、ニュースとセットになっていますから、知らん顔は出来ないのです。

 もちろん、世界は遠い。わがことにはなかなか考えられません。けれども、穏やかな朝と、清々しい気持ちになったところで、大雨で車が水に浸かり、商店街ではシャッターが開けられないという様を見てしまえば、ため息をつくよりほかどうしようもないでしょう。明日はわが身なのですから。その時には「オロオロ歩」かざるを得ないのです。

 かつては、戦乱期であろうと、食うや食わずの状態であろうと、風流を愉しめる「達人」がいました。けれど、よくよく考えてみれば、隣で餓死する者がいるときに、風流など愉しめるものでしょうか。それはもう「風流人」などと言い、またもて囃すべき存在ではありません。それは、単なる「怪物」です。

 穏やかないい天気の時に、また何を言っているのかと、自分でも少々途惑っています。けれども、穏やかであればあるほど、これが「嵐を前にしての」穏やかさに見えてくるのです。

 植木の木々がやさしく揺れています。小鳥の飛びかう姿が見えます。空は小川の緑のように柔らかく青く、空気は澄んでいます。
 明日はどうなるかわからない、という静かさでないことを祈ります。

日々是好日
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「雪が降るどころか、まるで『春の夢』」。

2010-12-22 08:19:53 | 日本語の授業
 今朝、玄関のドアを開けた瞬間、フンワリとした空気に包まれました。春先の、あのムゥワッとした、空気です。天気予報で確かめると、千葉のあたりは朝13度くらいであったとか。そうですよね。決して10度くらいのものじゃありません、あのフンワリは。そして、今日、18度くらいまで上がるそうです。

 ここ数日、早朝の寒さに、「根性入れて、起きるぞ」っと、緊張気味だった身体も、少し解けて来たような気がします。解凍されたマグロ状態とでも言うべきか。このまま春に突入すればいいのですが、そういうことはあり得ないでしょうね。まだまだ12月、一月二月が控えています。

 暦の上では、冬になったとはいえ、まだ、氷雨も降っていないし、みぞれも降っていない。雪も、今では、「高嶺の花」と言ってもいいでしょう。

 去年までは、今頃、チラホラと、南国の留学生達の口から、「先生、雪はいつ降りますか」な~んていうのが洩れていましたが、今年は、もう「雪」なんて、「ありえないこと」の部類に入れられてしまっているのかもしれません。誰も聞きませんもの。

 それどころか、反対に、「モスクワは、今、雪です」とか、「先生、今日、フフホトは零下20度ですって」とかいった報告を耳にするくらいなのですから。学生達も、東京には雪は降らないんだと思って来日しているのでしょう(降ったら、うれしがるだろうな)。

「そう、ここは降らない。都心に比べても一二度高いくらいだもの。その代わり、今年はディズニーランドのパレードで『人工雪』を見たでしょう。あれが雪というものです」。
そうやってごまかしていると、
「先生、雪は積もるでしょう。あれが見たい。触れるでしょう。触ってみたい」。
確かにディズニーランドのパレードでは、雪は降るそばから消えていました…。折悪しく、霧雨さえ降っていましたもの、思わず、「しょうがないとあきらめてください」と言っていました。

 そういえば、今年、鎌倉へ行く時、内モンゴルから来た学生達が、「海」に興奮していましたっけ。どうしてもアルバイトが休めないという学生が、いかにも口惜しそうにしていましたので、学校からのお願いに添えて、担任である私から「学生の気持ちを代弁しての一言(一言で終わらずに長くなってしまいましたが)」も持たせてやりました。

 そして、彼に言ったのは、「大丈夫。安心していていい。ちゃんとしたアルバイト先は、みんな、君たちが留学生であることを知っている。つまり、勉強のために来日しているのだと言うことを知っているのだ。アルバイトもそのためにしているにすぎないという理解はある。その上で、鎌倉へ行くことが遊びではなく、勉強の一環であることを納得してもらえれば、まず、よほどのことがない限り、休みは取れるはず。話しによると、親切な店長さんと言うではないか」。

 それから、もう一つ、彼に言いました。「日本人は頑張る人が好きなのだ。外国から、日本の知識や技術・技能を身に付けようとやってきた。(そのために)頑張って勉強している人が好き。(そのために)頑張って仕事をしている人が好き。もし君がアルバイトも無断欠勤などせず、また、いい加減な仕事などをしていなければ、大丈夫」。

 そして、親切な店長さんが、彼の代わりに出勤してくれることになり、無事落着。彼は幸せそうに海に触れ、海の中でジャンプし、海の水で友達とかけっこをし合い、磯のカニを捕まえ、小魚を追っかけたり出来たのです。

 日本人から見ると、どこまでも拡がる砂漠とか、突き抜けるような青空と満天の星などが、「見たい」し、その中を「歩きたい」なのですが、彼らからすれば、それが「雪」と「海」なのでしょう。

 だれも、こういう時、「桜」だとか、「紅葉」だとか言いません。もちろん、学んでいますから、見たいでしょうけれど、やはり「海」とか「雪」の魅力には敵いません。

 こういうものは、ある程度同じような気候帯や自然環境にある者同士が欲するものなのでしょう。欧米の人達が、何よりも見たいというのが、こういう木や木の姿が映った川や湖でしたもの。

 さて、一歩も二歩も、冬から遠ざかっていくかに見える今朝の天気ですが、そういうことはあり得ないのです。この暖かい空気を運んできたのは、昨夜からかなり強く降っていた雨だったのかもしれません。かなり激しい雨でした。雨の音で目覚めたくらいでしたから。その雨が、フンワリした一足早めの春の夢を、寒さに凍えている私たちに、ちょっと見せてくれているのかもしれません。

日々是好日
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「猫とカラス」。「学生の能力と気持ち、そして、親の見栄」。

2010-12-21 08:53:58 | 日本語の授業
 わずかに濁った青空を、群鳥が隊列を組んで、旋回しています。このあたりでは、同族の鳥を襲う凶暴な奴と言えば、「カラス」ぐらいしかおらず、そう警戒はせずとも良さそうなものですが、それでも、それが習性となっているのでしょう、見事に群れて、ブーメランのように旋回しています。

 空が少しずつ明るくなると、俄然、鳥たちの声が喧しく響き渡ってきます。渡りの鳥か、地付きの鳥か。そういえば、一昨年でしたか、小学校の校庭の、冬枯れした木の上で、猫と「カラス」が睨み合っていましたっけ。こういう細い枝の上では、猫は圧倒的に不利です。追い詰められて、落ちてしまうのが関の山。それでも、きっと最初は果敢に向かっていったのでしょう。

 とはいえ、カラスはふてぶてしく、不敵な面構えで、時々大きなクチバシで猫をつつくような感じで、なぶっていましたから、猫もとんでもない奴に手を出したと後悔していたことでしょうね。この猫、若くて、適当にもてあそべる鳩とカラスを見誤って、つい、ちょっかいを出してしまったのかもしれません。

 逃げるにしても、今さらというところでしょうし。どちらにしても、へっぴり腰で、時々、下や後ろを見ていましたから、危ない、危ない。カラスは利口ですからね、相手が尻込みしているなと見て取れば、いじめになおいっそうの輪をかけて…、文字通り、羽交い締めにする…というわけにも行きますまいが。

 それに、下へ降りようとすれば、腹がすっかり空いてしまいますからね、無防備な腹を、例の子猫くらいは食いつきかねないクチバシでつつかれるかもしれず、にっちもさっちもいかないと、困り切っている様が、その表情から窺い知ることが出来ました。もうお尻を下ろしている、枝のそこが限界点でしたもの。

 からかうにしても、ああいう凶暴な奴はやめておいた方がいい。きっと猫も身を以て悟ったことでしょう。結末は…、残念なことに、出勤途中で、最後まで見ることは出来ませんでしたが。誰かが、見るに見かねて、「カラス」を追い払ってくれたのかもしれませんし、そのまま、落ちて、カラスの餌食になり、最後はカラスが勝利の雄叫びを上げていたのかもしれません。

 さて、学校です。

 最後に進学先を決めるという段になりますと、もうこれは学校と彼ら個人の問題ではなくなります。ご両親が、子供の自由にさせるというのがほとんどなのですが、時々、こちらがため息をつくような問題が出てきます。これまで、私たちが知り得なかった、各家庭の様、家族の様子が透いて見えてくることもあるのです。親の見栄とか世間体が問題なのです。子供の能力とか、本人の気持ちとかは、関係ないのです。

 本当に、どこの国でも同じです。日本にもこのような親は確かにいます。だから言うのですが、この親にしても、彼らの国では、そこそこの身分があり、また肩書きもあるのでしょう。それに、留学に出してやるだけの、多少の金も持ち合わせているのでしょう。

 とはいえ、だから、できの悪い子供は、国においておけないというのは、どうでしょうかね。そういうレベルの子(子と言っても、高校は出ています)をいったん外に出したのだ、いわば自分の手に負えないと認めたのだ。子供が一人で生きていけるように、道を切り開かせる手伝いをしたらどうだ。自分の子供が、(学校というところで)どれほどの能力を発揮できたかは、親が一番知っていそうなものなのに。

 つまり、できの悪い子供は、親にとって困るのです。世間体が悪いのです。だから、外国にやる。外国にやると言っても、一人で何とか出来るほどの才覚も、バイタリティもないのです。だから、知り合いか、自分の息の根のかかった人がいるところへということに、自然になる。

 そこで、どうにかなってくれればいいとは、はじめは思ってはいないでしょう。子供を言語留学させているといえば、一応世間体は立つ。聞こえはいいのです。そして、いよいよ、専門学校を選ばねばならぬ(いくらなんでも、大學は無理です。大金を払って行ける大学もないわけではないのですが、それでも程度があります)という段になると、また子供の才能も、気持ちも無視です。母国で、小学校や中学校、高校の成績を見れば、自分の子供の大体のレベルは親が一番よく知っていると思うのですが、世間に「エバレル」ところを進学先に言います。例の「コンピュータを勉強する」です。

 私たちが一年半ほどをかけて、「彼女が日本にいたことを後悔しないように、また、多少なりとも技術が身に付けられるようなことは何か」を探り、それから、いよいよとなった時に、進学担当の教師が、「『彼女が好きなことは何か、学びたいことは何か』を総まとめした上で、『初級の二冊目どころか、一冊目の中程までしか、どうあってもいけなかった(言語に関してですが)彼女が、別の面で活躍できるとしたら、どの分野か』。また、『今程度のレベルの日本語でも、入れてくれる専門学校はあるかどうか、また、あるとしたらどこか』。また『その中でも学費が、出来るだけ安いところはどこか』」と、専門学校に電話し、実情を話し、それでも、「本人が好きで一生懸命やると言っているから」と頼み込み、やっと試験を受けてもいい(もちろん、向こうが、会って、試験を受けさせて、それでも、これは無理と言えば、やはり本人がいくら好きでこの道に進みたいと言っても、、出来ないことなのです)というところまで行けたのに。そんなつまらないこと(多分、世間体が悪いのでしょうね)のためには一銭も出さんというのが、親の答え。

 いったいそんなところ(また机に就いてです、そして今度は機械と向き合うのです。そして覚えなければならないのです)へ行って、これからどうするのでしょう。そういうところでは、彼女の得意な指先の作業(キーを打つのとは違います)はありませんから、皆に、おそらくは、尊敬はされないでしょうね。二年間をそうやって過ごす、彼女の家族の問題であるとはいいながら、彼女の身になれば、私たちは想像が出来るだけにぞっとします。いったい日本にいても、なにがしかの喜びを味わうことができるのでしょうか。だいたい、習得できる技術に、これは偉い技術、これはだめな技術なんてあるのでしょうか。それがわかるというのも、親としての能力なのでしょうが。

 と言いながら、今、コンピュータの専門学校への推薦状を書いています。もちろん、別の学生のです。彼はコンピュータを勉強するのが、目的で来日していたのです。そして専門学校で世界で通用するライセンスをとるというのが彼の夢なのです。

日々是好日

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「『N1』合格は、勉強のとば口」。

2010-12-20 09:07:42 | 日本語の授業
 今朝も寒い…と感じて、あたりまえのような気温なのですが、それでも、それほど、寒いとは感じていないようなのです、我が事ながら変ですけれども。もう、すっかり、冬の寒さに慣れてしまったのでしょうか(今朝の気温は、6度です)。一日の最低気温が、10度を、初めて切った時には、「ブルルルル…さむ、さむ、寒い!」でしたのに。

 それほど寒いというのに、学校の洗い場には、小さな赤い「バラ」が、つぼみを大きく膨らませて、小首をかしげています。去年の今頃でしたかしらん。同じように、陽の光が入る方に、次々と「バラ」の花がつぼみをつけたのです。それで、見ている側としても、うれしくなって、咲いたと見て取ると、すぐに、クルリと回転させ、こちらに顔を向けさせていました。

 すると、おかしなことに、どうもご機嫌が悪くなる風で、下を向いてしまうのです。それで、また向こう側に向ける。そして、機嫌がよくなった頃合いに、またこちらへ向けるを繰り返していました。ただ、今年は、それも、かわいそうな気がしています。「けなげやな」という気持ちの方が強いのです。

 室内のみならず、道端でも、「ホトトギス」がまだ頑張っています。「ツバキ」や「サザンカ」と競合できるのですから、大したものです。色や華やかさから言いますと、ずんと向こうの方が上ですのに。

 さて、学校です。

 研究計画書や、小論文(環境や格差、あるいは教育問題についての)などの練習をさせていますと、「日本語能力試験(N1)」が、いかに日本語を習得する上での、とば口に過ぎないかがわかります。

 「N1」レベルの単語、文法などが理解できていても、あまり役には立たないのです。もちろん、全くというわけではないのですが、国で、本を読む機会にあまり恵まれなかったのでしょう。知識がないがゆえに、文章が読み解けないという場合も少なくないのです。これは、母国語を日本語に置き換えればいいだけの人達に比べて、かなり不利です。ここにいられる時間は決まっていますから。

 発展途上国では、「外国語の習得、即ち、知識や技能・技術の習得が可能になる」という構図がしっかりとできあがっているようです。ですから、外国語を自由自在に操れる一部の超エリートだけが、知識も技能も技術も、己が物とすることができ、富を築けるのでしょう。そして、そうではない人々、おそらく95%以上の国民が、蚊帳の外に置かれ、貧しいままに置き去りにされているのです。

 彼らは「自分の政府を信じない」と、口では言いながら、実際は、政府が出すわずかばかりの情報に踊らされて右往左往しています。私たち、外野の連中は、「哀れやな」と、その様子を見ているというのに。

 学生が来るたびに、彼らが、母国で、両親の許で勉強しているときに、もう少しいろいろなことを知っていたら、日本語を勉強していく上で、随分楽になっただろうにと思います。

 中国で言うと、大都市、つまり、北京や上海、広州などから来た学生はそれほどでもないのですが、それ以外の地域から来ている学生の多くは、大卒であろうと、知識の面で、かなり欠けているように見えます。能力は普通であるから、なおさら残念に思われるのですが。知識がなかったり、概念自体が理解できなかったりすると、意味を問うて行くうちに、袋小路に入っていきます。最初は適当に答えられていても、問い続けていくうちにつじつまが合わなくなって来るのです。

 これほどインターネットが発達し、自分の国の言葉で、何でも、どうにでも、出来そうなのに(中国では、日本のテレビドラマの海賊版が、すぐに中国語訳で出てきます。それくらい、こういう方面においては速いのです)、肝心要の部分が、すっぽりと抜け落ちているのです。

 今から、21年半ほども前、北京の大学生達は、いつもBBCの放送を聞いていました。インターネットなど普及していませんから、短波のラジオ放送を聞くのです。そして、英語が得意な学生達が、仕入れた情報を皆に伝えていました。

 今は、それももう夢のまた夢。

 今では、外国旅行に行くというのも、それほど珍しいことではありません。外国へ行けば、母国で聞いていたことと、現実がいかに違うかにも気づくでしょう。気づかなければ、それなりですが。もちろん、旅行することで得られる知識はわずかであり、単にその場の空気を吸ったくらいの感じかもしれませんが、それでも、閉鎖的な場所であれこれと考え、鬱屈していたのと比べれば、雲泥の差です。

 これは中国だけでなく、中国と仲のよい、ミャンマーにしてもまた然りです。ミャンマーからは、高校を卒業しただけの人が留学するのは、なかなかに難しいことのようで、ほとんどは大卒者です。それも、1年か2年、あるいは3年と経ってから、やっと許可が下りたという場合が多く、そういう年齢では、今さら大學へ行き直して、新たな知識を仕入れるという気になれないというのも頷けます。ただ、彼らは出国したかったのです。

 この日本語学校に来ている学生達の、それぞれの国の様子を見ていると、まだ中国からの留学生達の方が、ずっと幸せであるかのような気がしてきます。彼らは彼らで不満を持っているようですが。

日々是好日
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「優しい青空」。「思いで(クチャにて)」。

2010-12-17 09:07:26 | 日本語の授業
 冬なのに、きれいな秋空です。日本の空は、二十年ほど前に見た、「天山南路」の砂漠の空とは違い、うすい、淡いブルーで、優しいのです。

 「天山南路」を、「トルファン」から「クチャ」、それから「カシュガル」へと、長距離バスを使って移動した時、途中、「クチャ」で降りて、有名な「キジル千仏洞」を見ることにしました。ところが、そこには、車の影が見あたらないのです。バスがないどころか、タクシーも、およそ交通手段と私たちが想像できるようなものが、まったくないのです。のどかに驢馬が草を食んでいるだけなのです。

 当時、北京でも、町中でタクシーを拾うことが出来ませんでした。タクシーに乗りたかったら、予約しておくか、あるいは一流ホテルかレストランの前から乗るか、そのどちらかしか方法はなかったのです。隔世の感を禁じ得ないところですが。

 それで、バスターミナル(?)に立っていた人に聞くと、驢馬の馬車を指さして、それに乗って行けと言うのです。自分で驢馬を持っていない人は、それに乗って移動しているらしいのです。それで、外国人が止まれるところへ行きたいと言いますと、招待所に連れて行ってくれました。

 それはいいのですが、乗る時、どうもぼられていたらしいのです。値段から想像していたところよりも、ずっと近くにありましたから。着いた時、「へっ?」と思ったのです。あっという間に着いた、驢馬の旅を楽しめなかった…感なきにしもあらずでしたから。

 私たちは、先に「トルファン」で何日か過ごし、驢馬の馬車(いわゆる「バス」です)には、何度か乗っていました。それで、馬車での移動には多少詳しくなっています。お金も何分乗れば、いくらぐらいという勘もついています。それで、降りる時に、チラと非難がましい目で相手を見てやりましたが、相手は平気な顔をしています。平然として、騙される方が馬鹿なのだと言わんばかりです。それは、まあ、そうですね。

 最初、「トルファン」では、「おかしい。他の人達の何倍にもなるではないか」と怒ったこともあったのですが、それも、クチャに着いた頃には、それは、騙される方が悪いのだと、自然に思えるようになっていたのです。それでも、やはり、自分が「馬鹿」であり、「呆け」であることを認めるのは嫌ですから、(そういうことがわかった時には)睨んだりはしてやりますけれど…。ただ、彼らの方では、実害さえなければ、睨まれようが、どうしようが関係ないのですから、別れる時は、しごく友好的にさよならすることができます。

 そして、この招待所で、「台湾」から来た二人組に会ったのです。外国人は私たちだけでした。もっとも、この招待所には、政府関係か、国営の企業か研究機関関係者くらいしか、泊まれなかったようです。そういう人くらいしか来ないからといった理由だったのかもしれません。

 この二人が台湾から来たというと、誤解されるかもしれません。一人は「アメリカ」から、もう一人は「イタリア」か「スペイン」からだったと思います。直接「台湾」から大陸に来られないから、二人は約束して、それぞれの留学先から来たのだと言っていました。一人は、専攻が、中国の古代美術だったと思います。

 こうして、二人と知り合い、話し合い、結局、四人で、「千仏洞」へ行くことにしたのですが、何で行ったらいいのかで、ハタと困り果ててしまいました。

 すると、ちょうど、その日、その招待所に、どこかの政府の人が、ジープで、何かの調査に来て泊まっていたのです。併せて二人です、運転手を入れて。目端の利く台湾人一人が、早速、彼と交渉です。当時、中国では運転手の力は絶大で、運転手が反対したら、何も出来ません。

 彼女が強く言っていたのは、皆にとって悪い話ではないということ。さすがです、美術関係者でも、お金の計算、損得を言って、相手を説得することが出来るのですから。で、結局、幾ばくかのお金を払って、彼らの車に四人で乗って行くことになりました。

 こういうことも、今となってはいい思い出です。

 今では、台湾と大陸が、かつての香港と大陸との関係のようになっています。当時は、大陸で出会う「自由主義の匂いのする中国人」というのは、香港人しかいませんでしたから。

 それを考えると不思議です。この学校で台湾人も大陸の中国人も、香港から来た学生も、おなじように机を並べてべんきょうしています。いっしょに課外活動で、外へ行って楽しく話し合うこともあります、

 そういう時、国境とか、国の制度による違いとかいうのが、本当に人為的なものであると、つくづく思います。

日々是好日
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「冬将軍、頑張る」。「冬の挨拶」。

2010-12-16 10:44:49 | 日本語の授業
 雲は、低く、重く、垂れ込めています。けれども、雨にはならないそうです。「陽が出なければ、寒くなるだろうな」と思いながら天気予報の画面に見入っていますと、果たして、「今日は真冬並みの寒さになる」らしい。最高気温が10度にいかないそうですから、これは寒いですね。それから、「(…であるから)厚着をしたほうがいいですね」というようなことも、親切な天気予報のお姉さんは言っていました。

 こういうことを聞いて、「さあ、もう一枚着ておかなくちゃ」とか、「今日は厚手の毛糸にしておこう」と、タンスを開けて着替えたりする人も出てくるのでしょう。天気の予報だけでなく、洗濯予報や、もう少し経ったら、花粉状況までお知らせしなければならないのですから、予報官のお仕事も大変です。

 話は換わって、街を歩けば、「サザンカ(山茶花)」が、人家の垣根越しに赤い顔を覗かせていたり、「ツバキ(椿)」の木が、きれいな赤や白の花を咲かせていたりと、私が子供のころの風景と同じ景色を愉しむことができるのですが、どこでもいいですから、一歩、店と名のつくところに入ってしまうと、どこもかしこも、クリスマスの花やシクラメンで占められてしまっており、もう完全にクリスマスなのです。

 クリスマス・イブまで、あと一週間と一日。学校が休みになってしまうと、クリスチャンの学生達が来ないので、却って、クリスマスが遠ざかってしまったような気さえするのですが、クリスマスの足音は、確かに近づいています。。

 昨日、受験の準備のために来た学生のうち、朝に一人、午後に一人が、大きな声で元気よく「明日も来ます」と言って帰って行きました。が、実際のところ、どうなのでしょう。午後の学生は来るでしょうが、朝の学生は…ちょっと…怪しい。あれは、いつもがいつもだから(遅刻が多い)、休み中とはいえ、何も言わずに帰るのは…とでもいうところだったのでしょうか。

 高校を卒業してすぐに来日した学生は、まだまだ子供っぽく、会えば、この寒さがまるで私の責任でもあるように、「せんせい(先生)」の後ろの「せ」を強く言い、少し間をおいて、私を睨みながら(睨んではいないでしょうが)、「寒い」と声を落とします。私は私で「私のせいじゃない」。これは日々の通過儀礼のようなもので、朝、これをやらないと落ち着かないのでしょう。毎日、言う方も疲れるのですけれども。

 最初のうちは、(日本語の)練習だと思って相手をしていたのですが、一年後(の冬)に、またこれをやられると、「もう、うるさい。冬は寒いものだ。寒くなかったら、冬じゃない」とでも、言ってやりたくなってしまいます。とは言いましても、鼻の先に水でも垂らしていそうな彼の顔を見ると、そういうわけにもいかず、あやしてやるような態度になってしまいます。

 そうは言いましても、もし、これが反対に、何も言わずに、スーッと入って来て、スーッと出て行くような学生だったらどうでしょう。この方がたまりません。学校というのは、学生達の笑い声や練習の声が溢れていなければならず、そうでない時というのは、作文を書くとか、テストをしている時だけであるはずなのです。

 そう考えてみれば、誰かが、何か言って、明るく笑っているのが一番なのです。

 あやしてやるのも、仕事。からかってやるのも、仕事。皆を明るくさせてやるのも、仕事。教師としての仕事なのです。もとより、必要であれば、仏頂面も、夜叉面もしてやりますが。ただ、何事もなければ、彼らが黙り込んでしまわないように、明るく一日が過ごせるように、学校でそういう場面をつくってやるのも教師の仕事の一つだと思うのです。

 それゆえ、毎日決まった言葉を交わし合うのも、意思の疎通がなされているかどうかの確認だと思えば、それはそれで、うれしいことなのです。

日々是好日
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「寒かった『ディズニーランド』の翌日、風邪ひきさん一人」。

2010-12-15 09:29:10 | 日本語の授業
 「デンマーク・カクタス」が、今年もきれいな花を咲かせています。この花は望み通りの大学院には入れた学生が、挨拶に来た時にお礼の意味で持ってきてくれました。去年の夏も、半分枯れかけているように見えましたのに、11月の中旬を過ぎる頃から、花芽が少しずつ膨らみはじめ、そして、きれいな白い花が次から次に開いていったのです。今年も同じように、きれいな姿を見せてくれました。ちなみに、教員の間では、この花を持ってきてくれた学生の名前で、「○○○○○○の花」と称んでいます。

 今朝、夜中か、払暁の頃に雨が降ったようで、地面はしっとりと濡れていましたが、今では明るく陽が照り、空もきれいな青になっています。昨日の午後、学校に来て、研究計画を書くやら、面接の練習やらをしていた学生達が、頻りに悔しがっていました。
「先生、陽が出てきました。あ~あ、昨日だったらよかったのに」

 聞いてみると、「ディズニーランド」に最後まで残っていた学生はいなかったようです。一番遅い学生で、夜の9時頃でしょうか、中にはアルバイト先から、「忙しいから、やはり来てくれ」と電話が入った学生もいたとか。もう一年ほども同じ所でアルバイト続けている学生は、少しは自由がきくでしょうが、まだ二三ヶ月くらいにしかなっていない学生は、そうそう勝手も言えません。「同じ所で長く働く。長く、働いた方が融通が利く」ということは、こういうところにも、現れているようです。

 ところで、昨日、学生達が口々に言っていたのは、「昨日(12月13日)は寒かった」ということ。これが、フィリピンやインドの学生が言うのならわかるのですが、内モンゴルの、真冬には零下20度にもなるような土地から来ている学生達まで、異口同音に、
「寒かったから、帰りました」

 しかしながら、考えてみますれば、彼らの言うところの「寒さ」というのは、「風の冷たさ」を指しているのではなく、「雨の冷たさ」ということなのでしょう。私も北京にいた時には、零下5度の世界が「それほど寒くない」としか感じられませんでしたもの。ああいう「水」による「冷たさ」というのには、慣れていない人達から見れば、たまらないのかもしれません。

 その寒さの中で過ごした、翌日の昨日でした。学校に来はしたものの、一人、真っ赤な顔をした学生がいます。聞いてみると「具合が悪い。頭が痛い」。で、体温を測ってみます。微熱程度でそれほど高いと言うわけではありませんが、用心をするに越したことはありませんから、すぐに病院へ行かせようと行きつけの病院へ電話をしてみます。

 ところが、間の悪いことに、「お休み」なのです。ただこのあたり(学校の近く)には、いくつも病院があります。少し遠いのですが(歩いて5分ほど)、他の病院へ行くように言って帰しました。この学生は一番上のクラスですし、しかも弟と一緒に住んでいます。一人でも大丈夫でしょう。

 さあ、こういうことを書いているうちに、学生達が来はじめました。最初に来たのは、定刻通りに来ると、歓声があがるという「ネパール人」学生です。休みになると来るのですね。にこにこしているので、ついでに本棚の整理を手伝ってもらいます。しまったと思っているでしょう。まあ、しようがないとあきらめるよりほかないでしょうね。

日々是好日
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「雨の日の『ディズニーランド』」。

2010-12-14 08:57:17 | 日本語の授業
 昨日の集合は、不思議なことに、皆、出遅れ、いつも行徳駅集合であったならば、あり得ないと、二手に分かれた教員の方が焦ってしまいました。それというのも、(あれほど言っておいたのに)学生達が日本の地下鉄を過信しすぎていたからなのです。

 「(電車は)すぐに来る。(正確だから)待たなくてもいい」。それは、他の国と比べれば、確かにそうでしょう。しかし、定刻通りということは、前の電車が遅れたからうまく乗れたということがないのです。「定刻通り」には、快速も含まれていますし、違う路線が入り組んでいる現状もあります。つまり、たった(市川塩浜駅から、ディズニーランドのある舞浜駅まで)二駅ということは、どちらかに快速が止まらないおそれがある、それを忘れてはいけないとういことなのです。

 学校から「ディズニーランド」へ行くには、簡単に言えば、三通りの行き方があります(「自転車で行く」、「歩いて行く」はここでは挙げません)。

 東西線の行徳駅から、浦安まで行って、それから「ディズニーランド」行きのバスに乗る。これが一つ。浦安に住んでいる友達と一緒に行きたい時にはこれがいいでしょう。それから、同じく東西線の行徳駅から西船橋に行って、それから舞浜まで乗る。これは、混んだバスを厭い、なおかつ自転車が乗れないという向きにはいいでしょう。

 一番速いのは、JRの市川塩浜駅まで自転車で行き、それから舞浜駅まで電車に乗るという行き方です。これは市川塩浜駅に着いてしまえば、後は普通で二駅ですから、多少込んでいたとしても、耐えられないことはない、あっという間です。但し、但しです、これにも難点があり、「普通」というのが問題なのです。「何分おき」というのが東京の地下鉄なのですが、市川塩浜に止まる電車は、20分に一本なのです。ですから、一本遅れると、20分待たなければならないのです、そこを勘違いしていた学生が少なからずいたのです。

 アルバイトで日本橋や、銀座に行き慣れている学生は、ついつい、一本遅れても…と考えてしまいます。ルートを説明した教員が口を酸っぱくして言っているにもかかわらず、その上、電車の時間まで書いて渡していたにもかかわらず、「電車はすぐに来るはず」という観念から抜けきらないのです。来日したばかりの頃は、「すごいですね、日本の電車は。すぐに来るし、正確だし」と驚いていたというのに。

さて、それでも、「ベトナム」以外の学生は、何とかなりました。ちゃんと連絡もありましたし、遅れても許容範囲内でしたから、まあいいとして。ベトナム人学生のうち、男子学生二人は、(来ると言っていたので、チケットを用意していたのに)急に「行かない」…。なかなか、慣れないようですね。これは、団体生活をする上では、してはいけないことなのに。

 ともかく、学生達とは13時頃に別れました。最後が「スプラッシュマウンテン」で、きゃー、きゃーと興奮のうちに、さあ、後は自分達で廻るんだよでお別れ。彼らは何人かの組になり、最後まで残るという人達もいましたが、雨と寒さに耐えられたでしょうか。

日々是好日
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「いざ、ディズニーランドへ!…雨が追っかけてくるそうですけれども…」

2010-12-13 06:16:49 | 日本語の授業
 朝起きると、暗いのです。この暗さも嫌な予感を伴うようなそんな感じなのです。夜中も、目を閉じていても、天気予報のあの予報図がちらついていたのですが。せっかく、「この一年よく頑張ったで賞」で、ディズニーランドへ行くというのに…。

 「『ディズニーシー』へ行くときに、雨が降っても、『ディズニーランド』へ行くときには、雨は、降らない」という(この学校の)ジンクスが、脆くも崩れ去ってしまいました。

 けれども、お天気ばかりはしようがありません。お天道様がお顔を出したくないと言っていらっしゃるのですから。お空は高く、出てくださいとお願いしたくとも、おへそを曲げられていては聞き入れてくれないでしょうから。何で、おへそをお曲げになったのかはわかりませんけれどもね。

 まあ、それでも、集合時間は刻々と迫ってきます。学生達も「あ~あ」とお空を眺めてため息をついていることでしょう。

 予定では、「イッツ・ア・スモールワールド」から、「蒸気船マーク・トゥエイン号」、「スプラッシュ・マウンテン」、「キャプテンEO」、そして解散、自由行動となります。その他、「ワンマンズ・ドリームⅡ」、「ジュビレーション!」は様子見だそうですが。

 さあ、それでは、せめて、今日一日誰もけがをすることなく、またお財布やチケットを落とすことなく、無事に愉しい一時を過ごせますように。行ってきます。

日々是好日
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「快晴」。「今年最後、ぎりぎりになってやっとコンビニのアルバイトが見つかる」。

2010-12-10 12:09:24 | 日本語の授業
 よいお天気です。「快晴」です。青空に絹雲が一刷け浮かんでいるだけ。

 全くもう、今日が、来週の月曜日であったなら、いかによからましかば…と思ってしまいます。

 まあ、グズグズと悩んでいても仕方がない、恨めしと指を咥えていても仕方がない。ということで、やっと成り行きに任せるという気持ちになりました。人間というのは救いようのないもので、毎年この時期になると、同じことを繰り返しています。

 とはいえ、学校の教員たちも、悩む時期が微妙に異なっていますから、誰かはいつも悩みから、外れた所にいます。アッケラカンとしているのです。けれどもまた、それが、救いなのです。皆が皆、同じようにウジウジとしていたら、こういう商売、やっていられません。

 特に12月の中旬にも入りますと、大学受験やら、専門学校への連絡やら、大学院への手続きやらが目白押しなのですから。

 (学生が)失敗しても、「よし。だめだったか。じゃあ、忘れろ。明日に向かって出発だ。次!」と明るく前向きにやってやらねばならぬのは、まず、教員の方なのですから。

 この学校も、内モンゴルの学生達を入れ始めてから、もう二年が過ぎようとしています。これはほんの小さなきっかけ(卒業生による身内の紹介)から始まったのですが、それから、内モンゴル訪問が始まり、学生の数も少しずつ増えてきました。

 大学卒の学生達、四人(去年の4月生)のうち、二名は今年の七月の「日本語能力試験」で「N1」に合格し、まず,は、日本語学校として、少しは責任が果たせたかと思います。ちなみに、合格した二人とも、内モンゴルの農業大学卒で、学生の時には日本語とは全く関係がなかったという人達です。

 こういう人達が、大学院を目指すということになりますと(日本語は一応少しはわかる、つまり「N1」合格くらいですから、よくわかるとまでは参りません)、少しずつ、この学校の図書室に、彼らの専門関係の本が増えていきます。モンゴル関係の本を主として、森林、造園、文化人類学、福祉などです。これらの大半は、大学院の先生方が紹介してくださった本なのですが、彼らだけで読めるというものでもなく、教師の方でも読んでおかないと、指導は出来ないのです。もっとも、日本語レベルでの指導くらいなものなのですが。

 さて、学校では、四月に来日してから、ずっといいアルバイトに恵まれていなかった学生に、やっとコンビニの仕事がめぐってきました。11月に面接に行ってから、ずいぶん長いこと返事が来なかったので、半ばあきらめていたようなのです。また、それ故に一段と、うれしかったのでしょう。来週の月曜日、13日が「ディズニーランド」の日だというのに、「13日に来てください」と言われて、「はい。大丈夫です。行きます」と答えてしまったというのです。

「月曜日の何時から?」
「1時から。だから、みんなと一緒に行くけれども、早く帰らなければなりません」
「先生が、コンビニの人に手紙を書いてあげようか」
彼女がためらっていると、クラスメート達が
「そうした方がいい。みんなで最後までいようよ」と言います。

「何時に終わるの」と聞きますと、「五時」と言います。しかも、アルバイトの場所は、寮のすぐそばのコンビニと言うのです。それでしたら、(アルバイトが)終わってすぐに(ディズニーランドに)戻ってくれば、夜のパレードに間に合います。とはいえ、一応手紙だけは書こうねと言って、教室を出ますと、すぐに後を追うように彼女も出てきました。

「先生、大丈夫よ。最初から、『休みます』はだめでしょ。だから大丈夫。来年ずっと一緒にいられるようにするから(来年はディズニーシーです)、今年は、やっぱり行きます。大丈夫だから。」

 高校を卒業してすぐにやってきた学生達にとって、日本語が不自由な中で、アルバイトを探さなければなりません。最初は、当然のことながら、理想的な仕事など見つかりっこありません。彼女もそうでした。そして、見つけたアルバイトをしながら、学校も休まずに、頑張ってきていたのです。ですから、どうしても、このチャンスを逃したくなかったのでしょう。

 途中で抜けなければならなくなったとしても、うまくいきますようにと願ってやみません。これは私だけでなく、クラスメート皆の気持ちでもあります。

日々是好日
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