日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「今、一番行きたいところは?」「東京ディズニーランド!」…そうですか。

2015-06-24 08:15:00 | 日本語学校
 昨夜の雨が嘘のように静まりかえっています。晴れ。きれいな青空です。

 昨夜は久しぶりに「雷様」が団体でやってきました。ピカピカ、ドンドン、ゴーロゴロ、そのままに、賑やかに騒いで、そして去って行きました。

今日はすべて洗い流されたような朝で、もしかしたらここからも富士山が見えているかもしれません。

 一昨日でしたか、「初級Ⅰ(4月生)」のクラスで、ここからも富士山が見えると言いますと、驚かれてしまいました。そうか、見えると思っていないから気にもとめていなかったんだ…。

 実は、「どこそこに行きたいのですが」という文作りだったのですが、最初は近場の、「ディズニーランド」とか、「東京スカイツリー」などが出てきました。それから「京都」「富士山」が続いたのですが、で、例の台詞になったのです。

 ここから、電車に乗って東京方面に行く途中で、「ランド」のもろもろを垣間見ることもできますから、たぶん、すぐに出てきたのでしょう。もっとも、今年の冬は「ディズニーランド」へ行きます(昨年は「ディズニーシー」でした)から、よかったですね。中には、何回行っても楽しいそうだと言う学生もいました。いろいろと情報は入っているようです。

 ただ「東京スカイツリー」は、学校では連れて行かないかもしれません。数年前に皆で行ったときには、並ぶのに疲れるやらで、気分が悪くなる人もいたようですし、それに天気が悪かったときには何も見えなくなるそうで、ここは「遠きにありて思うもの」のほうがいいのかもしれません。どこからでも見えますし。

 それに、「京都」。学生達は、「京都、京都」と言うわりには、京都のことは、どこかで見た「写真」の一枚くらいの感覚でしかないのです。しかも、彼らのお寺に対する「常識」からすると、京都のお寺を見たらも、ちょっとがっかりするかもしれません。金ぴかじゃありませんもの。

 もちろん、宗教の存在しつづけている場所は、どこの国であっても同じで、人々の思いがこもっていますもの。歴史的遺物としてのみで存在を続けている古建築とは、違います。ですから、宗教心のある、そういう感覚を持ち続けている人は、きっと感じてくれるでしょうね、何かを。たとえ、それが、「きらきらしく」なくとも。

 「神」と「妖怪・化け物」とは表と裏の関係で、どちらにも人にはない「力」があると思われています。「どちらのほうが怖いか」と人に聞かれたら、日本人なら、さて、どう答えるでしょうか。日本には、「妖怪」も「神」と同じように、まるで「同格」のように祀られているところがありますし、「神」に対するのと同じように祈りを捧げる人もいます。

 だいたい比べること自体、おかしいと言われるかもしれませんが、日本人にとっては、超自然的な力を持つものとして、同じなのです。それだけ原始的であると言われてればそうかもしれません。けれども、こういう「人の気持ち」というものは、原始的であればあるほど、私には尊いと思われます。哲学や神学などに犯されていない、原初の感情、気持ちが流れているような気がするのです。

 神社のような「ところ」へ行った。ところが、そこには、「あやかし」としか思われないような、様々な(奇妙な)ものが描かれていた。いったい、ここはなんなのか。神社とは違う、別の「あるところ」なのかと聞かれたとき、ちょっと困ってしまいました。

 なんであれ、古人が「祈りの対象」としたものは、多分「神」と同じような扱いをせねばならぬと、日本人は考えます。そうしなければ、「祟る」と感じるのです、理屈を考えるよりも先に。

 この「祟る」というのも、うまく説明ができません。「運が逃げる」とか、「悪いことがおこる」とか、あるいはぐっと具体的に「病気になる」とか、言うことはできるでしょうが、それよりも、その人自体の、どこか、もっと深いところで、変化が起こるような気がするのです。

 もっとも、人が手を合わせて祈りたくなる瞬間がある限り、存在し続けるのでしょうね、「神」というものは。そして「神」のような存在が祈られ続ける限り、「妖怪・化け物・鬼」なども祈られ続けるのでしょうね、日本では。

日々是好日
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日曜日、「日本留学試験」があったんですけれども…寝坊した人がいたみたいです。

2015-06-23 08:48:37 | 日本語学校
 こんな様子でも、晴れといえるのかどうか、やはり、梅雨ですね、すっきりしない空模様が続いています。さっきまで、陽が射していたのですけれども、どこかに「雨雲」の種が隠れているのだろうなと思わせるような感じで、どこかシメッとしているのです。

 今年は、「ネジバナ(捩花)」を見かけないなと思っていましたら…ありました。しかも傲然と、一人で立っていました。

 だいたいが、この花を見かけたときというのは、原っぱの、たくさんの野草の中に、チラホラとピンクの「ネジバナ」があった(かなりの数で)時…か、田舎道の道の辺にあった(単独ではありません)…だった(つまり「景色」だったのです)ので、そういう場所に行く機会がなくなった自分には、縁のない花になりはてていると思っていたのです。

 ただ、久しぶりに見かけた「ネジバナ」は、街中であっても、背が高く、堂々とした様子でした。

 こういう、野っ原や山里でよく見かけた、「エノコログサ」だの、「オオバコ」だのといった草たちを街中で見かけると、ホッとするのです。こんなところでもよく頑張っているなという気分になりますから、面白い。もっとも、彼らにとってはそれほどいい環境ではないでしょうけれども。

 こういうところでは、昔ながらの草花は脇に追いやられてしまいます。そして花屋で買ってきた、見栄えのする洋花とかが、幅を利かせているのです。

 しかしながら、更地にされて売れるのを待っている空き地だの、舗装を免れたちょっとした小道だのをよく見てみると、いるのですよね。「昔よく遊んだ…」という思いのこもった草花が。「スミレ(菫)」も「タンポポ(蒲公英)も、そして「ドクダミ(蕺)」も、おそらくはそうやって、頑張って生えている草花なのでしょうね。「ドクダミ」なんて、深く根を張り、ちっとやそっとでは抜けませんもの。

 さて、それくらい頑張ってほしい学生達です。

 この日曜日に、「日本留学試験」がありました。

 昨日、授業の時に、「まさか、昨日、行かなかったなんて人はいないでしょうね」と、いないだろうと思いながら聞くと、「はい」という返事。ちょっと間があったなと思いながらも、そのまま、授業を進め、学生達を返したのですが、1,2限目に行っていた教師が、帰りの作業をしているときに、何気なく、「Kさんは寝坊していけなかったって言っていた」と言ったではありませんか。

 返事をしたとき、少々間があった学生です。そういえば、二人で顔を見合わせていたっけ。それでも、大きな声で「はい」と言っていた…。ほんとうに、バレないと思っているんだ。困ったものです。

 このクラスは、今、7月の「N3」を目指して勉強しているのですが、もとより、「N3」レベルの学生にとって、「留学試験」の内容は本当に難しい。ただ、大学によっては、「6月」に、「日本留学試験」を受けておくことが条件というところもあるので、受けておいたほうがいいことはいいのです。

 とはいえ、済んだことはもう考えずに、次を目指そう…です。今度は「7月5日」の「日本語能力試験(N3)」です。ちょっと大変かもしれませんが、「留学試験」の時のような無力感に襲われることはないでしょう。

日々是好日
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「川村学園女子大学」にお邪魔します。二年目の女子学生だけですが。

2015-06-18 08:40:28 | 日本語学校
 曇り。

 昨日、午前の授業が終わり、学生達がみな帰ったなという頃に、急にバラバラと屋根や道に何かが打ち付けるような音がしました。

 白い直線で落ちてきましたもの、驚きました。「雹」です。

 学生達はびっくりしたでしょうね。ほとんどの学生達は帰途だったでしょうから。

 けれども、「雹」ですからね。もしかしたら、南国にも降ったことがあるかもしれません。でも、…(雹なんて)、初めてという学生がいたら…。

 (今年の4月生の中には、珍しいことに、雪のことを聞いた人がいなかったのですが)、もし、今日、来てから「あれは雪か」と問われたら、説明せねばならぬでしょうね。

 何せ、先週でしたっけ、先々週でしたっけ、北海道で季節外れの雪が降ったのは。そのことを話した後ですから、覚えている学生がいるかもしれませんもの。

 まあ、びっくりしたでしょうね。

 今日は、早朝は、昨日と同じように曇っていましたが、日が出てから、だんだん青空が広がってきました。

けれども、油断大敵。やはり雨になるそうです。帰りは「傘のうち」かもしれません。学生達も。

 この、「今時は、いつ雨になるかもしれないから、傘は常時持っておくように」という注意も、彼らの耳には届きません。晴れたら、晴れっぱなし。雨だったら、ずっと雨とでも思っているのかしら。彼らは、「降っても大丈夫。濡れていくから」と明るく言うのです。でも、濡れるのは、誰でも嫌だと思うのだけれども。

 多分、面倒なのでしょうね。冬がある国の人間は、寒さの冬に雨に打たれれば、すぐに風邪をひくという経験が骨の髄までしみ通っていますから、いくら暑さの夏でも、ちょっと濡れるのには、ためらいがある…。もちろん、がんばれますが。

 さて、今日は、二年目の女子留学生たちが、「川村学園女子大学」にお邪魔します。

 その間、二年目の男子学生達は、学校に残されて、もちろん、授業です。女子学生達が受けなくても、それほど、それほど差し障りがないようにですが。

 毎度のことながら、男子学生たちは「差別だ。私も行きた~い」と叫んでいました。かといって、行けたとしても、固くなって、何にも言えないという輩も出てくるのですから、困ったものです。

 もっとも、行くのは、ちょっと…じゃなくて、絶対に無理。入り口で怖い顔をされて追い返されてしまいます。女子大ですからね。

日々是好日

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「今はそれほど話せなくても大丈夫。勉強しているうちにできるようになるでしょうから」と言われたい。

2015-06-16 08:44:05 | 日本語学校
 曇り。

 今にも空から雨粒が落ちてきそうな…そんな空模様をしています…大丈夫かな。

 ジメジメしているからでしょうか、いつもマンションの駐車場でぐっすり寝込んでいる猫が、今日は見当たりませんでした。下がジメッとしていると、たとえ雨が降っていないにしても、気持ちが悪いのでしょうね。きっとどこか別の塒を探して寝ているのでしょう。猫というのはそういうところは天才的だと思われますもの。

 空き地では、勢いよく延びた「エノコログサ(狗尾草)」の間から、「マツヨイグサ(待宵草)」の優しい黄色い姿が見えていました。「あれっ」と思って、よくよく見てみると、あちらにもこちらにも、広がっていました。もう、そうか、そんな時期になっていたのですね。

 もちろん、早朝は、みんな口を窄めているのですが、黄昏時になると、俄然、「おらが時」を満喫するのでしょうね。それから、優しいピンクの「ユウガオ(夕顔)」の姿も見えました。

 「梅雨時」は、多弁な「アジサイ(紫陽花)」一色に染まりがちなのですが、もの言わぬかに思われる、これらの草花も、案外におしゃべりのようです。

 さて、学校です。

「四月生」が、ぼちぼち、アルバイトの面接が「どうした、こうした」という話をし始めています。『初級Ⅱ』のクラスに編入できた「ミャンマー」や「ベトナム」の学生は、もうすぐに、見つかったのですが、今回は「スリランカ」と「ネパール」の学生が、なかなか見つからないのです。

 二、三年ほど前は、逆だったのを思えば、隔世の感もしないわけではないのですが、これも、すべては、先に来た人が、後から来た人を、世話できるかどうかにかかっているよう気がするのです。

 だいたい、日本に来て日本語ができなければ、アルバイトなんて、やりようがないのです。それなのに、その口があるというのは、母語でも仕事がやれるという環境が整っているということなのです。

 以前、スリランカの学生達はほとんどが寮に住んでいて、アルバイトにしても、同室の先輩がレストランなどの面接の面倒を見てくれていました。

 そのころ、「明日面接に連れて行く」というのを聞いた後、結果を尋ねると、「もっと上手になってから連れてきなさい」と言われたなんて言っていました。が、それでも、一ヶ月ほども経つと、うまく採用してもらえたという話を聞いていました。

 これも、自分が探せなかったら、そのまた先輩に頼んだり、あるいはその人達の知人に聞いたりして、伝手をたぐって探してくれていたのでしょう。

 ただ、誰でも探してやるというふうではなく、そこには、別にカーストとは関係がないのでしょうけれども、地縁とか、肌合いが合うか否かと言ったものが色濃く影を落としていたようでしたけれども。

 それに引き替え、ベトナム人学生は、あっさりしたもので、だれでも、すっと連れて行ってくれるのです。もちろん、レストランなどではなく、仕分けなどの工場作業なのですが。「後輩を頼むね」と一言言っておくと、新しい学生を、一人が二、三人ほども連れて、面接に行ってくれます。

 「彼らだけでは行かせられないの?そこにはベトナム人がたくさんいるのでしょう」というと、同じ敷地内に、工場がいくつも入っており、それぞれ違うのだとか。すぐに分からなくなるから、誰かに連れて行ってもらったほうがいいのだと返事が返ってきました。

 最近は、ホテルやコンビニなどからも、アルバイトをしたい人はいないかという問い合わせがよく来るのですが、この学校の学生が行ったことのないところへは、「日本語がまだそれほど話せないのだけれども」とか、「漢字はまだ教えていないのだけれども」といったことを説明したり、「学校の授業時間は、午前は12時半まであるし、午後は1時15分から4時45分までですけれど、その時間に支障がないようにしてもらえるか」と頼んだりしています。なかなか難しいようですが。

 一番困るのは、こういう問い合わせをしながら(外国人を募集しているということですから)、「日本語が、ある程度できないと困るんですけれどもね。せいぜい『N2』とか」なんて言われる場合。これは聞いただけで、外国人と言ったって、中国人しか知らないなということが分かってしまいます。「非漢字圏」の学生にとって、「N2」はかなり難しいのです。一年かそこら学んだだけで、すぐに取れるようなものではありません。それを軽く言われると、「その仕事は、うちの学校の学生には無理ですね。他を当たってもらった方がいい」としか言えなくなってしまいます。向こうは「えっ。」となるようですが。

 だいたいからして、「非漢字圏」の学生でも、(「N2」が取れていなくても、生活には何ら支障はないので)一年ほども学んでいて、日本語がある程度できる学生は、自分でサッサとインターネットでアルバイトを探して、学校側に頼ったりはしません。それに友だちの輪ができているでしょうから。

 学校が気を配ってやらねばならないのは、語学が苦手な学生とか、来日後間もない学生、あるいは、この学校に同国人がいなかったり、友だちが日本にいないといった人たちなのです。

 だから、「それほど話せなくても大丈夫。勉強しているうちに上手になるでしょうから」と言われると、ちょっとホッとして、学生に話してみようかと言う気になるのですが。

日々是好日
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留学したからには、勉強してほしい。留学の目的を忘れないでほしい。

2015-06-15 11:45:54 | 日本語学校

 暑い。夏です。

 「梅雨」も休みが必要と見えます。西は雨が降っていても、東は休み。土、日と早朝、雨が降りましたが、それも、馬の背を分けるような降りだったようです。電車の中で乗客達の話を聞いていると、こちらでは本降り、あちらでは小糠雨、そして向こうでは「降らなかった…」。それほど離れたところに住んでるようには、(話の様子からは)思えなかったのですが。

 まるで、夕立のようです。朝ザァーと降って、パッと止む。

 雨はいいけれども、これが雷様となるとそうはいかない…。

 関東地方でも、雷多発地帯と、年に数度しか鳴らないような地帯とありますから、雨もそうなのでしょう。そういえば、ここは年に400日雨が降るとか、月に40日降るとか言われているところもありましたっけ。何事も過ぎたるは及ばざるが如しです。

 さて、学校です。

 学校では、「妹を呼びたい」とか、「弟を呼びたい」とか言われると、学生が頑張っている場合に限りですが、たいていは「いいよ」と言ってしまいます。もちろん、彼らも「自分の弟は全然勉強しません」とも、「頭が悪い」とも言わないのですが。

 頭の良さ悪さはともかく、「高を括った」態度の持ち主だけはいけません。これだけはどうにもならないのです。異国で学ぼうと言う場合、才があるか、財があるか、根性があるかのどれかが必要で、才なし、金なし、根性なしは、本当にどうにもならないのです。

 他の、「とにかく勉強したい。そして、学費は親に迷惑をかけないように、できるだけ自分で稼ぎたい」という学生達の足を引っ張るだけなのです。

 真面目な学生でも、こういう「テキトー」な学生を無視できる人ならいいのですが、国によっては、年齢や仕事をしたことがあるという経歴がものを言う場合もあるようで、そういう「テキトー」な学生から誘われると拒否できない、あるいは反対に庇護を求めようとしたりする人は大変ですね…。

 そこには、お国柄で「嫌われたくない」とか、時には「拒否」をすると倍返しが怖いということもあるのでしょうね。

 だいたい、人というのは、朱に交われば赤くなるもので、真っ白な人のそばにいると、自分も色合い(癖とか自儘なところ)を失っていき、その反対に、周りが黒だと、知らず知らずのうちに同じように真っ黒になってしまう。

 白くなるのは難しくとも、黒くなるのは簡単で、しかも、こういう人は手先として人を使うのに慣れていますから、使われているうちに、簡単に悪事に染まってしまう。

 国でも、頑張る人なんてほとんど見たことがないという人たちが、日本に来て、「アルバイトもせねばならない、おまけに学校にも行かなければならない(行くだけにしても)」なんてのは…、これはかなりしんどいこと。しかも、『初級』の時には、宿題がありますからね。あろうことか、なんと、家に帰ってまで、教科書を開き、鉛筆を握り、ノートに異国の文字を書いていかねばならない…これはしんどい。

 その時に、「そんなことしなくてもいいよ。テキトーにやったって、なんてことはない」とか、「ビザだけとれればいいんだから」とかいう輩がいると、それはすぐに楽な方へと流れていきます…。ほんとに、「テキトー」はもうできなくなっていますし、勉強しなくて、アルバイトだけして、ビザをとることも、ドンドン難しくなっているのです。

 ところが、昔、日本に留学していて、成功した人の話というのは、3割から5割ほどが「法螺」であると言うことが分かっていないので、あの人がそれでよかったんだから、自分だってと、すぐに、そう思ってしまう。

 子供時から染みついている習慣は、なかなかに変えられないのです(冬の厳しい日本にだって、そういう人はいますから。皆が皆、蟻というわけではありません)。

 もっとも、日本ですと、昔なら、はっきり二つに分かれていましたし、今ですと、留学が一年くらいであれば、日本でアルバイトをしてお金を貯めてから行けば済むことですから、「勉強もアルバイトも」という苦労はありません

 昔は、海外に出稼ぎに行くというのは、普通の人にはできないことでしたから、かなりの根性の持ち主か、追い込まれて切羽詰まった気持ちで行くかでしたし(もう、背水の陣です)、留学するというのは、大富豪の御曹司かご令嬢と、はっきり決まっていました。庶民などいけなかったのです。

 ところが、昨今の、日本留学を目指し、日本語学校に来るような人たちは、彼らの国では真ん中かそれよりも少し上の階層出身で、(彼らの国で)ダラダラ生きていても生きられないことはないのです。しかも、国で、学校に行っていれば、親も皆、勉強していると思っているのでしょうし、それに、学校での勉強も、追い詰められることなんてない(ここにいる学生から推して測ってですが)だろうから、自分が努力せねば(学業で)、それほど点が取れるわけではないということがわからない。

 だから、大してできるわけでもないのに、できると思い込み、それを口に出しても憚らない…この憚らないということが大変なのです。

 困ったことに、一人でもそういう「オーラ」を出すと、途端に我も我もとなってしまうのです。中の一人くらいは、「できるな」と思えても、皆が皆、そうだということはあり得ないのに。

 おそらく、彼らの国では、日本以上に、「あの人ができたなら、私もできるはず」と、皆、思えるらしい。個人差を認めないから、皆が頭がよさそうに振る舞えるし(最初は、装っているだけなのかな、見栄からと思っていたのですが…でも、怖いことに本当にそう思っているらしい)、そして自己満足して、幸せでいられるのでしょうけれども、日本では無理です。成績がはっきりと出ますから。それなのに、出た成績に「あり得ない」と文句をつけるものさえ出てくる。

 もちろん、皆、子供ではないので、それぞれ腹に一物なのかもしれませんから。けれども、ここは学校ですからね、勉強する人のためのところですから、そうではない人は、ちょっと、困るのです。

日々是好日
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「不毛な」やりとり。

2015-06-12 08:37:20 | 日本語学校
 雨が降っています。

 一時止んでいたのですが、また降り出しました。本格的な雨です。梅雨時はこうなくっちゃ…とも言えないのが、甚大な被害をもたらすことがあるからなのですが。

 梅雨末期の集中豪雨で、鉄砲水が起こり、多くの民家が浸水した。土砂崩れで家が埋まった。どこの国でもどこかで起こったことがある…のでしょうけれども、そういう災害が起こる場所には、必ずと言っていいほど、先人達が、神社や寺を建て、災害に遭った人を祀るとともに、この災害を記憶に留めさせ、二度とこのような苦しみを味わわなくて済むようにという遠き慮りがあった。

 津波被害のあと、研究者らが古文書の発掘に没頭したというのも、その一環。ちょっとしたブームは未だに続いていますが、故きを温ねることを怠っていたが故に、二重三重の苦しみを現代人は受けている…からなのでしょう。

 津波の被害にしても、数百年前の掟では、家を建ててもいい場所が決まっていたのに、それを無視して、海近くに家を建ててしまった。そしてそのうちにそのような掟があったことも、それが人々を守るために為政者が作ったものであったということも忘れてしまった…。

 近代化とはいったい何なのでしょうね。

 その地に、父祖伝来のその地に、自分も生き、父祖の記憶を自分もその流れとして留めておけるなら、(記憶の)風化はありえないのでしょう。なぜならそれは父母の記憶ともつながっているでしょうから。

 けれども、現代のように行きたいところへ誰でも行け、住むことができるならば、そういう鎖は切れていると見るべきで、その土地の記憶は個人に帰さるべきものではなく、文書化さるべきであろうし、共有財産とさるべきなのでしょう。もう古老に聞くなんてことはできないのですから。

 学生達を前に、どこであれ、その土地にはその土地独自の生き方、考え方があると言うことがあります。卑近な例であれば、日本に来たら「近海物」を食せということであったりするのですが。

 (私が)中国に行ったときには、それほど寒くないのに、既に皆、厚着をしているのに、驚かされました。特に子供が着ぶくれているのです。「えっ。まだそれほど寒くないのに、子供にこんなに服を着せるの?走れないじゃん」というのが第一印象だったのですが、おそらく彼らには彼らなりの考えがあったのでしょう。

 日本では、幼稚園などでも、一年中、園児を半袖半パンで過ごさせるようなところも少なくありませんし、また、そういう幼稚園の方が評価が高かったりするのです。厚着をさせ、ごろごろさせているような幼稚園は、子供のことを考えていないと見るのです。厚着をさせ、部屋の中に閉じ込めておけば、職員も少なくて済むでしょうし、子供のことをそれほど心配しなくても済む。ほっとけばいいのですから。つまり、預かっているだけです。

 ところが、薄着をさせ、冬でも外で遊ばせるとなると、そういう施設も遊具もいりますし、それに危険なことをせぬかと注意せねばならぬでしょうし、風邪をひかぬように様々な工夫もせねばなりません。少しでも体調が悪そうだと気づけば、早めに手当てをしなければなりませんから、職員にしても気の休まるときはないでしょう。

 話はまた前に戻りますが、「近代化」についてです。

 学生達のほとんどが、それほど近代化された町村から来ているわけではありません。話を聞いていると、のんびりしていて、いいなあという気持ちにもなるのですが、彼らが望んでいるのは日本的な豊かさであり、また職なのです。そこに明治期の日本人の姿を見ることもあるのですが、全く違っているところも多いのです。

 職がほしい、豊かさ(私たちからみると、ゆっくり過ごせ庭にあるものを食べていればいいような生活の方が豊かだと思えるのですが)がほしい…ならば、努力せよというのが、冬もある私たちの考え方なのですが、呆けっと口を開けて待っていれば、熟れた果実が落ちてくるのが当然であると思っている人たちには、それが通じないのです。

 適当に、今を誤魔化しながら、ウダウダしていれば、自分の望むものが、ポトリと落ちてくると、思っているような人も、少なくはありますが、まだこの学校に来ているのです。今(たとえば、漢字テストとか、動詞の活用や可能、受け身など)さえ、やり過ごせば(膝の上や、机の下にプリントなどを隠して盗み見たり、隣の人のプリントを写したり)、彼らの国にいたときのように、万事うまくいくと思っているフシがあるのです。誰も分からないと思っているのか、あるいは彼らの国では、そういう要領の良さだけで、世をわたっていける人を、「頭がいい」というのかはわかりませんが。

 それで、皆が自分のことを「頭がいいと思う(どうも、国でそう見られていた…で、本人も、日本に来ているのに、彼らの国のように皆がそう思ってくれている、あるいはくれるはずだと高を括っている)」かというと、「そうはならないよ」と言うのですが、こういう「暴く」ような行為は、彼らからいうと、すべきではなく、見て見ぬふりをするのが「いい人」なのです。

 もう、この学校に来てしまっているのだから(帰ってくれと言っても帰りません)、注意すべきことは注意もし(最初は穏やかに、けれども、穏やかに言っても分かるような手合いではないので、後は冷ややかに、時には強く)、そして最後には、「できなかったらできないでいいじゃないか。これは大した試験じゃないのだから。もう一度やり直せばいい」と幾度も言ったのですが、それができないのですし、だいたい、自分がもう一度やり直すために他のクラスに移らねばならないということが理解できない。

 なぜなら、「自分は頭がいいから」となる。もうここでぐるぐる回っているのです。その中の一つ、「君は普通の頭、特別よくもないし、悪くもない。頑張ればできるけれども、頑張らなければできない程度の人」という前提が理解できないのです。

 授業中も、基礎訓練を皆と一緒にしないから、当然のことながら、簡単なことなのにできない(テ形、ない形、ます形、辞書形、意向形、命令形、禁止形、条件形など、毎日練習しているので、ほとんどの学生は言えるのですが、こういう人はできません。もう分かると、そっぽを向いているのです)。それでいて、問いに対する答えなどは、他の人は考えているが故に、正しいかどうなのか、ためらいながら言う場面でも、その人の答えを奪うように先に言う。

 問題を考えるのではなくて、二択、三択、四択で、「一番」の「い」か、「三番」の「さ」くらいはわかりますから、「い」か「さ」でも、音が耳に入れば、ひっ被せるように、大きな声で言う、あたかも自分が考えて出した答えであるかのように。

 皆が問題を読んでいるときに、顔を上げて、後ろから皆の様子をうかがっていますから、問題を考えていなかったのはすぐに分かります。注意すると、さも意外だというような顔をするのですよね。

 こういう人は、数年前までは、彼らの国から来ている人の、大半を占めていました。だから、この国から来ているのは、みんなこんなであろうと、こういう連中が「主」であり、違うのは「珍しいのだ」と思っていたのです。が、最近は(そういう連中が)減ってきたが故に、目立つのです。

 日本語が上手になれば、自分がどう見られているのかも分かるでしょうが、この国の人は勉強なんてしなくても、みんな、すぐにペラペラ話せるようになります。こういうタイプは、「初級Ⅰ」程度の文法で使い回しができる人が多いので、生活には困らないのです。いつも(自分より)下ばかり見ているので、自分が上だと思ってしまうのでしょう。気の毒ではあるのですが、もう20才をいくつも出ていれば、本人が気づかない限り、変わることは期待できません。

 というわけで、こういう人とは毎日、不毛なつきあいをせねばならぬのです。

日々是好日
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梅雨入り。雨の日の楽しみ

2015-06-09 08:31:48 | 日本語学校
 雨。

 昨日、関東甲信越も「梅雨入り」しました。宣言が成されると。早速のこの雨です。まるで、待ち構えていたようですね。

 実は、昨日、「初級Ⅱクラス」で、梅雨のことを話していたのです。「毎日雨です。ずっと雨が続きます」というふうに。ちょっと大げさだったかなとも思うのですが、まあ、心構えは必要です…。

 中国の北の方や、西の方の人たちはこの「梅雨」が大っ嫌いでした。けれども、スリランカやベトナムの人たちは、それほどの嫌悪感を示しませんね。タイ人もインド人もフィリピン人も、そう。もっとも、日本の若い人たちのように、「雨の日のファッション」を楽しもうとか、あるいは、この時期だけの草花や木々を愛でるとか、そういった「雨を楽しむ」までは行かないようです。

 何でも、プラスとマイナスの関係。ジメジメとしてカビがわきそう…と鬱陶しがるか、あるいは、雨の音に耳を傾けたり、雨の滴を見つめたりして、心に潤いを感じるか。まあ、人それぞれなのでしょうけれども。

 もっとも、学生達は、それどころではなく、アルバイトに行くときに大変だなとか、学校に遅れそうになるとかいった、そんなことぐらいしか感じていないようですけれども。

 日本人の中には、「梅雨時」が好きな人も少なくないと言うと、だいたい他の国の人は驚きますね。砂漠の民は「そうだ。水は大切だから」と言って、唖然とさせたりもしていましたが。

 もちろん、梅雨の期間に降る水は大切で、この期にダムを一杯にさせておき、夏を乗り切るという地方も少なからず。ただ、梅雨の期間は水を貯めるために必要というよりも、すでに一つの文化になっているような気がするのです。

 南の国の、夕方からの蒸し暑さ、この気怠さも、私たちから見れば、それは「文化」なのです。この気怠さ故に生まれるものもある。

 学生達が、「梅雨」がある故に生まれた日本の「文化」に気がつき、それを楽しむことができればうれしいのですが。

日々是好日
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「国から持ってきた薬を飲むから、大丈夫」…大丈夫かなあ…。

2015-06-05 07:42:57 | 日本語学校
 晴れ。

 梅雨入りが関東地方にも迫っているのでしょうが、今のところ、この地方は、晴れです。

 5月は本当に暑く、エアコンをつけた日もありました(今からつけてしまうと、本当にムシムシと暑い頃には耐えられなくなると、できるだけ我慢させはするのですが)。学生も、夜、エアコンをつけて寝てしまった人もいたようで、風邪引きさんが続出していました。

 とはいえ、それも一段落。風邪や冷えで休む人はいなくなりました。代わりに目立ち始めたのが、「先生…トイレ…」。おなかが痛いと言う人たち。

 不規則な食事や、食べずにそのまま学校に来たり(朝、アルバイトで、戻ってきてから食事を作ったりなんぞしていると午後の授業に間に合わない…)することから起こるのでしょう。

 「何でもいいから、おなかがすいたときには、胃の腑に入れる。空っぽにしない…」と(特によく胃が痛いと言ってくる学生には)言っても、やはりそのまま来てしまうのです。その上、空っぽのまま、薬を飲んだりしているのです(気がつけば、ビスケットなぞをやって、食べさせてから飲ませるようにしているのですが)。

 その上、痛いから病院へ聞くかと思っていると、行かない。国から持ってきた薬を飲むから大丈夫と言うだけ。保険証もあるので、そんなに高くはないし、すぐに行けば、早く治るでしょうに。痛くてたまらなくなって行ったときには、もう一度や二度では済まなくなくなっている…。

 もちろん、何が何でも、すぐに病院に行けと言っているわけでないのですが、どうも、病院とのつきあい方が下手。

 「国から持ってきた薬」、あるいは「国から送られてきた薬」というのが、実際のところ今の病状に合っているのか…も、わからないのに。医師が、その都度、診断して薬を出したわけではないので、その薬を飲んでおけば大丈夫というものでもあるまいに…。

 ただ、皆、自分の国の薬には絶対的な信頼があるようです。

 私たちから言わせると、ゆったりと流れる時間の中で、生活していたときには効いていても、このような忙しない生活の中で起きた症状には効力が発揮できるかというと…ちょっと疑問…のような…気がするのですが。

日々是好日

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山に行きたくなった。…で、成田山へ行ってきた…。

2015-06-03 11:30:53 | 日本語学校
 雨。

 目覚めたときには降っていなかった雨が、今、シトシトと降り続いています(書き終わる頃には、ザァーザァーとなっています)。

 6月になってからの雨は、梅雨や水田を連想させます。そして、雨が降ると一際美しくなる紫陽花や木々の緑をも思わせます。やはり旬のものはいい、特に草木は。山川草木悉皆…さて、次は何がふさわしかしらん。

 さて、学校です。

 今年の「4月生」達も「課外活動」を、既に二度経験したことになりました。最初は「皇居」、そして前回は「横浜」でしたから、行き帰りの電車などで、少しは日本の駅(「横浜」へ行くとき、「東京駅」を利用しました)の様子も判ったでしょう。何せ、ここ、「行徳駅」には一番線と二番線しかありませんから…。それが日本と思っている学生もいるようで、そう思われると、…ちょっと困る。駅そばのスーパーも彼らにとってはデパート(デパートと言うくらい)ですもの。

 それに、「羽田空港」を利用した学生はまだしも、「成田空港」に降り立った学生は、(「行徳」に至るまで、長閑な田園地帯を電車でやって来ていますから、「ああ、国と同じ…」というふうにホッとはするでしょうが)、これからの心構えがそれほどできているわけではありません。

 来日後、半年ほどを過ぎても、初めて「渋谷」や「東京駅」に行ったときには、「ここが『東京』ですか。『行徳』は『東京』ではないのですか」(日本橋まで25分くらいですけど、電車で)なんて驚く学生がいるのですもの。

 「行徳」は、交通が便利で、しかも物価が安い。それゆえに、「東京」の会社に通う外国人にとっても住みやすいところなのです。が、来たばかりの学生達はまだ日本語ができませんから、最初は、近場の工場か、都心とは逆方向の工場で、あまり日本語を使わなくてもいい仕事しかできません。
 
 それ故に、都心に出ると驚くのでしょう。大きな駅は上がったり、下がったり、上にも下にも延びています、横にも広がっています。地下何階と言う言葉を身をもって体験することになれば、「行徳」が日本であり、これが「東京」であると思い込んでいた学生にしても、さすがに「違う!」となるでしょうね。 

 まあ、いい経験をしました。

 ところで、「横浜」へ行く途中、「大手町」から「東京駅」へと通路を歩いているとき、「4月生」の一人が、「成田山へ行ってきた」と言ったのです。そして、「火渡り修行」の様子を写したものを見せてくれました。来たばかりなのにと、最初は少し驚いたのですが、一緒の部屋の三人のうち、一人が「山が見たくなった」。それで、自分たちで探して「山へ行った」と言うのです。

 まあ、自分たちで調べて行ったということで、「山」、「千葉県」で調べたのでしょう(だから、近いと思ったのでしょうね)。で、「成田山」になったわけです。日本人が聞くとちょっと驚くのですけれども。なにせ、普通の日本人にとって、「成田山」とは、「真言宗のお不動様」であり、また歌舞伎の市川團十郎などがすぐ浮かぶような所でしたから。

 「山でしたけれども、お寺がありました。大きなお寺です」とは言っていました。

 「そうか、山だと思っていたのか…。習った「山」という漢字が入っているからなあ」。それに、日本人に聞いて行かなかったので、「東京駅」へ出て、そこでしばらくさまよって、それからやっと「成田」行きの電車に乗ったらしい。

 「行徳」からでしたら、一時間ちょっとで「京成成田駅」に着けたものを。運がよければ乗り換えも一度で済んだはず。まあ、何事も経験ですから、いい経験をしたと思えば、それはそれでいいのですけれども。

 しかしながら、彼が言った、「山へ行きたい」という言葉に、少し心が安まったような気がしました。

 (日本語学校へ国から直接やってきた)留学生のうち、大学へ進みたい者は、その大半が、日本の「科学」やら「経営」やら、そういった「進んだもの」を学びたいと言います。旅行が好きという者もいますが、来たばかりの頃は日本語が話せませんから、身動きがとれません。それにお金の問題もあります。

 来て早々、「山を見たかった」で、行動に移せる人なんて、そういるものではないのです。もちろん、親戚や知人友人が先に日本へ来ており、働いていて、彼らを連れて行くということはあるでしょうが、今回のように、自分たちだけで行くなんてのは、ほんとうに珍しい。

お寺に行きたいのならいざ知らず、もし、「山へ行きたい。行って木々の中で過ごしたい」というだけであったなら、東京近辺にはいいところがたくさんあります。そこまで行かずとも、都心の旧大名家や旧将軍の庭園には、馬場も含め、山野の趣を生かしたところがいくつもあります。

 急に行きたくなったのでしょうけれども、先に聞いてくれたら、よかったのにね。

日々是好日
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金曜日の「横浜散策」。楽しい一日でした。

2015-06-01 08:42:48 | 日本語学校
 晴れ。

 先週の金曜日に、皆で「横浜」へ行ってきました。

 最初に洋館を見に行ったのですが、半分ほどは中へ入らず、木陰で休んでいました。途中の急坂に参った様子。私も参りましたけれどもね。けれどもそれだけではなかったようで、聞くと、「ホーチミンにもあります。ハノイにも、ダナンにもあります」という返事。

 スリランカにも、フィリピンにも、そりゃあ、まあ、あるでしょう。彼らにとっては、クリスマスとかで、特別な飾り付けをしている時ではなければ、そう見たいものではないのかもしれません。横浜や神戸へ行って、洋館を見て、異国情緒に浸るというのは、日本人だけなのでしょう。彼らにしてみれば、ごく普通の日常風景の一部にすぎず、それよりも、見応えがあったり、面白かったりするのは、「氷川丸」や「山下公園」の方なのかもしれません。

 「氷川丸」には、解散の後、半数ほどの学生が行って見てきたようでしたし、「山下公園」の階段や噴水では、なぜこんなに遊べるのかしらんと驚かれるほど、男子学生が大喜びで遊んでいました。しかも、何回も同じことをしたり、順番待ちまでして。そばにいた子供の方があっけにとられて、見ているばかりでした…。

 こういうので、子供の頃、力一杯遊んでいないのかもしれませんね、彼ら。外国へ来て、自由になって、初めて箍が外れたようになれた…のかもしれません。子供のように遊んでいましたもの、見ているうちに、なぜかそんな気分にさせられました。…つまり、長いんです、そこが。ほっておけばいつまでも遊んでいたでしょうね。

 「次へ行こうよ」が、成立しないのです。まあ、楽しいのなら、ずっと遊んでいてもいいけれども…。

 私たちは子供の頃から、いろいろなところへ連れて行ってもらいましたし(半分以上は、多分、遊ばせるためです)、また、「遊び」というのが、特に子供にとって、大層重要でものであると、そういう認識を、大人が持っています。「遊び」は、すなわち「教育」であると。けれども、彼らはそうではなかった、そうは育てられていなかった…そんなような気がします。

 金曜日のお天気は、降るかな降るかなと、気を持たせるようなお天気で、ずっと保ってくれました。だから、カンカン照りの時に比べて、皆、それほど疲れずに済んだのでしょう。しかも、中華街に入ってから(解散してから)、雨が強く降り出し(軒があるところで)、待ち合わせの一時間後には小降りになっていましたもの。帰りの電車では、ずっと座っていられましたし、着くと、行徳は雨が止んでいました。

 楽しい一日でした。

日々是好日
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