日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

休み中、学校に来て、補講を受けなければ、上のクラスへ行くことはできません。

2017-08-31 10:37:42 | 日本語学校
時々、小雨。

台風の影響なのでしょうね。急にポツポツと降り始めたと思ったら、あっという間にベランダが水浸しになっていました。でも、それも一時的なこと。すぐに止み、自転車で出てきたのですが、途中、またパラパラと降り出し…。少し焦ったのですが、まあ、濡れても、却って、気持ちがいいくらい。なんということはありませんでした。きょうは一日中、いつ雨が降り出してもおかしくないような天気ということ。気温がグッと下がっています。

とはいえ、途次に見かける草花は、どことなくよそよそしく感じられます。強烈な「陽射し」がないから、色褪せて見えてしまうのでしょう。同じ草花でも、夏のものらしく見えないのです。このまま、秋に入っていくのでしょうか。

さて、学校です。

「4月生」と同じクラスに入れようと思っていた「7月生」が、昨日フラリとやって来ました。友達が来るから一緒についてきたという感じで。

上のクラスに上げる条件というのが、休み中、来られるだけ学校に来て勉強することでした(休み前の約束です)。もちろん、彼女が来れば、足りない部分をこちらがサポートしなければならないので、こちらも忙しくなる。それを覚悟の上で、頑張って来るように言ってあったのですが。

やはりだめでしたね。休み中、一回だけ、木曜日に来て、勉強し、また明日、来ると言ったのに、それからは音無し。何の連絡もなしに、結局は休みが終わろうとしている昨日、友達に付いてきた…これじゃ、無理ですね。訊くと、彼女曰く「アルバイトがあったから」けれども、前に、他の学生に訊いたときに、彼女のアルバイトは2時からだと言っていたので、結局はできなかった…だけなのでしょう。

「漢字は自分で勉強した。もうできる」と言ったけれども、前(一度来たとき)に見たとき、書き順もおかしかったし、どこを見て、何を注意したらいいのかも判っていなかった…、まあ、これは当たり前のことですけれども。

おそらくは軽く考えていただけなのでしょう。国ではそれで十分やれていた、だからそうしただけ。学生達のほとんどは、先進諸国から来ているわけではありませんから、実際のところ、こういう学生は少なくないのです。我流でもやっていけるくらいのことしか、教えてもらっていないのです。教科書以外にも必要なことは教師が付け加えていく、だから授業に出なければ、成績にしても知識にしても、差が広がっていく。その上、出来る学生には、どんどんハードルを高くしていくというような授業も知りませんから、我流で泊まってしまい、伸びていかないのです。せっかくのチャンスだったのに、もう休みは終わります。チャンスが生かせなかったのだから、それなりの進度でやっていくよりほかありません。

特別に見てやってもやらなくても、高を括っていれば、いつかは落ちていくでしょう(国で30課くらいまではやって来たようです)から、こちらが手間暇かけてやってやる必要はないのです。ちょっと残念でしたが、しかたがないことです。本人が来ないのですから。

まあ、彼女の勉強を見てやらなくて済んだ分、休み中、学校に来て勉強している二年生に力を注ぐことができました。

留学生達は、よほどのことが無い限り、ベトナム人の場合では、『みんなの日本語Ⅱ』の、35課か、36課くらいまでは大丈夫なくらい勉強して来ているのです。申請時の約束では、必ず「50課」まで、つまり、『みんなの日本語Ⅱ』までは終了させておくことだったのですが、学生達は申請が通った段階で、そこから先の課はいい加減になってしまうようで、たいてい来日したとき訊くとこう言うのです。

「50課までやりました。でも、大丈夫なのは、35課か36課くらいまでです」なかなか正直でよろしい。ただ、勉強して来てはいるものの、来日後、同程度の試験をしてみると、差は出てきます。400点満点で300を超える学生は半分ほどに過ぎません。300を超えていれば、前の期(7月生なら4月生)の学生達(だいたい、そのときには一冊目が終わっているくらい)のクラスに入れます。至らない学生は、もう一度ということで、第一課からやり直させます。母語でやっていても、できるようにはなっていないわけですから、日本人の教師の説明がそのまま理解できるとは思えません。それで、日本人教師の説明する日本語がわかるように、ヒアリング力をつけるために、そうしているのです。

「母語で教えてもらったとき、判った」という学生でも、始めの頃は、日本人の言葉が聞き取れず、苦労します。例えば4月生はもう4ヶ月ほどを私たちの説明を聞いているわけですから、文法用語もその他の説明も全て日本語で聞くのに慣れているのです(真面目に勉強している人はですが)。しかも、来て1か月、(来日後)初級の12課くらいまでしかやっていない人が、30課からの文法が判ったとしても、口頭練習が出来るとは限りません。たいてい出来ません。

実際、彼女も一度来たとき、口頭練習ができませんでした。ついていけず、反応できなかったのです。説明しても、変化させる部分が2、3あったり、それプラスの新しい文法であったりすると、わからなくなるのです。これも、初めてであれば無理からぬこと。それゆえ、休み中、少しでもついていけるように、できるだけ、学校に来るように言っておいたのです。

夏休みは1か月近くあります。もちろんアルバイトはしなければ干上がってしまいますから、せねばならない。けれども、暮らしているのは、寮。寮は、学校まで自転車で5分くらいの所にあります。午後からのアルバイトであったら、少なくとも、週に二回ほどは来る気であれば来られるはず。一人で勉強したから大丈夫というのは、外国語の勉強の場合、ありえません。だいたい、そういうことができるような訓練も受けていないのです。本を見た、単語を覚えたで終わりのはず。外国語を習得するには(日本に来ているのですから)まずはヒアリングですし、30課に至るまでに、教師が配ったプリントも5枚、10枚ではききません。

(休み中に来たら)説明しながら必要なプリントは渡し、一人でできるところはさせ、出来ないであろう所はこちらが教えるという形でしていくつもりでした。それが出来なかったわけですから、上のクラスに行っても、ポロポロと穴が空いて、結局は「判らない、もう一度」ということになってしまうでしょう。

何事によらず、基本が大切。また約束したことを守るとか、言われたとおりにできるということも、能力の一つです。日本に来ているのに、自分の国でやっていたのと同じようにやればいいと思っているようでは、先が思いやられます。まずはそういう考え方を改めていけるかどうかでしょうね。

本人はもとのクラスに戻るように言われて、ショックだったようですが、これに懲りて、我流というか自分の国でやっていたようにやればいいという考え方を改めてほしいものです。それは通用しませんから。そうすれば、今は無理でも来年の4月、あるいは9月か10月に上のクラスに行けるかもしれません。

努力する学生、やる気のある学生、学習の上で、他の学生の(上のクラスの)迷惑にならない程度に出来る学生、そういう学生にはいつでもチャンスがあるのです。

日々是好日
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台風が近づいています、今は陽射しも強く、青空が広がっているのですけれども。

2017-08-30 09:52:23 | 日本語学校
晴れ。直に曇り、そして雨になる…とか。

「秋雨前線」が東西に北日本にかかっており、「台風15号」も近づいている…。この台風はこれから大型化しそうだと言うし…。今年の八月は、雨が降らなかった日が何日あったっけ(まだ終わりになっていませんが)。冷夏とまではいかなくても、酷暑ではなかった…。温暖化が進むと、想像もできないようなことが起こります。

…北極・南極の氷が溶ける。北極の氷が溶ければ、冷たい風が日本までやってきて、さまざまな影響を与えるようになる…。言われてみれば、なるほどそうかと頷けもするのですけれども。普通は、ごく一般的な理解の仕方で、温暖化が進むとは、気温が上がことであり、海水温が上がれば、そこから力を得ている台風が巨大化するだろうなくらいはわかるのですが。

台風の巨大化のみならず、これまでは局地的な豪雨というのは西日本を襲うものであるとばかり考えていた私たちに大きな衝撃を与えたのは、北陸や東北、北海道などの豪雪地帯まで、局地的な豪雨に見舞われるようになったということ。本当にチョウ(蝶)の羽ばたきくらいのことで、人々の生活が破綻に瀕するということもあり得る…。

いわゆる「常識」なるものから考えていくことが「不可能」になり、「知性」なるものが成立できなくなるかもしれません。

明日は明日の風が吹く…スカーレットになった気分で歩んでいくほかないのでしょう。

さて、学校です。

日本語学校で学んでいる留学生には、卒業後、大学進学、専門学校進学と二つの道(就職という手もありますが、大卒者でなければ、また、大卒者であっても、日本語の力が足りなければ、道はちと厳しくなります)があるのですが、学生の中には、端っから、大学進学という回路がない人がいます。

スリランカ人の場合、年齢が、他の国の人たちよりも少し上(来日時、24、5歳)であれば、まあ、そうなのです。来日は、仕事か生活のためである。専門学校に行くにしても、知識や技能を習得するためというより、その間、日本にいられるから行くのです。学ぶために来たという人は、希少であり、そういう人がいるとこちらは嬉しくなってしまうほどなのです。

それでも、来日して半年や一年ほどで、学校に来なくなるという人も、以前はいましたから、それよりもましですけれども。話す聞くは努力せずにできます。アルバイトなど生活にかかっていますから。けれども、漢字も書けないし、読めもしない。理由を聞くと、日本語は難しいから…で、終わり。

そりゃあ、日本語に限らず、外国語というのは難しいものです。スリランカ人の場合、別に文法で困るわけではない(だから出来る)、漢字だけは努力を要するからできないのです。

文法が自国の言語と大いに違い、苦しんでいる学生もいるというのに、大変だからとばっさり切って捨て、何もやろうとしない。いえ、もちろん、書くようにいえば書きますし、読むように言えば、読む練習もします。でも、多分、面倒だなと思いながらやっているのでしょう、それでは覚えられるはずがありません。そばの人と話しながら、漢字の本に、縦棒が書いてあれば、見ながら縦棒を書き、点が打ってあれば、点を打つだけ。絵でも写しているつもりなのでしょう。話すなといっても無理。覚えようと思って書いているわけではありませんから。

本当に、これまで大変でした。

ところが、最近、少し風向きが変わってきているようなのです。(漢字を)書くのは相変わらずだめなのですが、読むのがかなりできるようになっているのです。読めるだけでもいいのです。専門学校に入ってからも役に立つ。それどころか、運良く卒業後日本の会社で仕事が出来るようになれば、漢字がある程度読めれば、待遇も違ってきます。まず同じ職場の人の、彼らに対する態度が変わると思いますね。それに、あとは、必要に応じて増やしていけますから、働く上で必要になった漢字を覚えるのも、比較的楽に出来るようになります。

もとより、スリランカの学生が全部そうだというわけではありませんが、前は微々たるもので、ある年度にはそういう学生がゼロであったこともありました。それに比べれば、今は教える方も、教え甲斐があり、習う方も覚えられれば、楽しいはず。それに、それなりに達成感もあるでしょう。

達成感さえ、覚えられれば、人は努力をするようになると思うのですが。

日々是好日
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「計画」を立てるということ。物事の「軽重」を考えるということ。

2017-08-29 09:34:16 | 日本語学校
晴れ。

陽射しは強いものの、風は完全に「秋」。「白」と言う形容が当てはまるような風です。「セミ(蝉)」の声も聞こえません。こんな風の日は「ヒグラシ(茅蜩)」のカナカナカナカナ…という啼き声が似合うのですけれども、海沿いのこんな所にはお出ましにはならないみたいですね。

さて、学校です。

昨日は教員会議ということで、久しぶりに皆が揃いました。午前中、勉強するために来ていたのは、バングラデシュの一人だけ。

予定時間の2時が近づくと、だんだん職員室が賑やかになってきます。

で、12時頃、その学生に、
「今日は何時までいますか」
「アルバイトが休みです。2時半ごろまで勉強します。でも、帰ってからも、いろいろしなければならないことがたくさんあるので、忙しい」
帰ってからも忙しい?本当かなと、忙しい理由を聞いていきます。

いろいろと並べていましたね。

実は、彼は、夜一時頃アルバイトから戻って、そのあと、何やかにやと2時間あまりを費やし、寝るのが遅くなってしまう。で、授業中どうしても船を漕いでしまう…。

そういうことがある(ほぼ、毎日のように)ので、実は先週、昼に学校が引けてからアルバイトが始まるまでの数時間何をしているのかと訊いてみたのです。すると、しているのは、せずともよいようなことばかり。それで、睡眠時間が足りないといって、学校で船を漕ぐくらいなら、どうしてその時間を利用して寝ないと、言わば、叱責したのです。

彼らの国では、狭い国土に日本よりも多い人口を抱えている。皆が必死に生きていかねばどうにもならないはずと思うだのですが、彼と来たら、のんびり屋さんで、スケジュールなど無関係に行き当たりばったりで生きている。他の南国諸国の学生達と何ら変わるところがない。

休み中、学校に勉強に来ているものの、どこまでやってしまうという計画を立てていないから、成果はあまり上がっているようには見えない(今日は何を勉強するのかと訊いても、「はっ?」。それで、大まかな計画を作らせたのです)。

おそらく、一事が万事というところなのでしょう。まあ、それでも生きていけるから素晴らしいと言えば言えるのでしょうが、それでも、計画を立てて、その小目標通りにやるのは、厄介で面倒でも、やっているうちに、達成感が味わえるようになるものなのです。たとえ、それが出来ずに何割かたかが残ったとしても、何をやったっけ?と、やったかやらなかったのかわからないという状態よりも、ずっと無駄が少なくなる。

ということで、先週、アルバイトまでの「暇な」時間、眠れなくても横にでもなっていろと言っておいたのです。そうすれば、9月からの生活が少しメリハリの付いたものになる。少なくとも、授業中、睡眠不足で眠ってしまうというのは少なくなるでしょう。

それを覚えていた彼は、「毎日、帰ってからアルバイトまでの時間、寝るように言われたけれども、今日は出来ないのだ。今日はアルバイトは休みだけれども忙しいのだ。寝ない正当な理由があるのだ…」と言いたかったのでしょう。

その、彼が並べ立てた理由の中に、ベトナムの学生をアルバイト先の居酒屋に連れて行くというのがあったので、「えっ、ベトナムの学生を、しかも、他のクラスの学生を、バングラデシュの学生が連れて行くの?」と驚いたのです。

で、彼が言うのには、2週間前に頼まれていたけれども、先に同じクラスのベトナム人を連れて行った。でも、まだ、大将が「人が足りない」と言ったので、もう一人連れて行く。

しかしながら、先に連れて行ったベトナム人学生(面接すると、一発でOKがでたそうです)に比べ、、今度連れて行く学生は、日本語があまりできないし、仕事をパッパッとやる感じでもない。大丈夫かな。

判っているけれども、頼まれたから連れて行く…。そう…、人が足りないと言うのなら、彼よりももう少し日本語ができるベトナム人女子学生がいる。今、工場で働いている。もし、まだ人が足りないと言うのなら、彼女も頼む。

すると、「女の子はホールかな。ホールは難しいから、今年来たばかりの学生はちょっと難しいと思う」と言います。

まあ、いろいろ考えてから、紹介をそれなりにしているようなので、一応頼むことは頼んでおきました。

二年生ともなると、きちんとアルバイトをし、生活費のみならず、貯金も出来るようになっています。その上で信用がある学生は、クラスメートや下級生をアルバイト先に、いっぱしに紹介も出来るようなっている…はず…。

でも、これができない人がいつも、必ず、若干名いるのです。個人経営的な居酒屋や焼き肉屋、おでん屋さんといったところで、大将が優しければ使い続けてもらえるでしょうけれども、普通の所だったら、2、3回でも断りなしに休んでしまうと首になってしまいます。辞めさせられることによって、まずったとでも思い、次からは改められればよいのですが、それも出来ずに、そういうことを繰り返すという人もいるのです。

そのとき頼りにするのは、友人知人、友達の友達、あるいは友達の友達のそのまた友達とかになるのです。だって、自分で道を切り開いて行くにはあまりに日本語が下手なのですから。一年いても、アルバイトをクルクルと変わっている学生は要注意です。もちろん、中には体が弱くて休んでしまう人もいるのですが(アルバイトと勉強を両立させねばならないような日本での留学生活は、本当のところ、無理でしょう)。

学生達の大半は日本に来て初めて働いたと言う人たち。工場で働くのも初めてなら、レストランなどの賄いやホールで働くのも初めて。仕事を覚えられなくて、叱られてプライドが傷ついたから辞めた、あるいは、行きたくなかったから連絡せずに休んで辞めさせられたと言う人もいたでしょう。それが、普通なら、だいたい半年ほどのことで、(その間に、自分の国のやり方、あるいは思い込みではやれないということに気づいて)それからは、工場で働いていた学生が、レストランに移ったり、コンビニで働けるようになるものなのです。

ここ5,6年のことなのですが、留学生のアルバイト環境は本当に恵まれたものになりました。それを生かせるかどうかというのは、もう個人の力量にかかっているといってもいいでしょう。日本人と同じなのです。日本人だって仕事が出来なければ、アルバイトは首になってしまいますもの。

そうやっているうちに、異なった文化、異なった生活のなかから来た人たちも日本に馴染んでいくのです。それができないと、ちょっと日本での勉強も辛いものになってしまいます。

日々是好日
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今週だけは、休み前に勉強したところを、もう一度、見ておいて欲しいのだけれども…。

2017-08-28 09:03:59 | 日本語学校
曇り。

まるで、秋にでもなったかのよう。土手や河原では、虫たちの合奏が始まり、その賑やかなことといったらありません。ただ、この辺りにはありませんからね、そういう草茫々というような場所は。

それでも、更地にされて一年ほども経つと、小さな空き地でも、いろいろな草が生えてきて、そしてどこからやって来たのか、虫たちが鳴き始めます。

ここでは、樹木の上から降る「セミ(蝉)」の声が、草むらの中から湧いてくる「秋の虫」の声になった…くらいしか季節の変わり目を感じることが出来ませんが、それでも、虫たちの声の何と多様であることか。ほんの小さな空き地であれ、何種の虫が鳴いているのか判らないほど。中には、それほど大きな声で鳴いていない、遠慮深い虫もいるでしょうしね。

さて、学校です。

7月は本当に暑かった。本来ならばもっと暑いはずの8月が、雨続きで、例年ほどは暑くなかったので、今、お盆過ぎの現在をなんと言っていいのか戸惑っています。まさか、暑さがなかったのに、「残んの暑」とも言えませんし。

とはいえ、時間の経つのは速い。今週末の9月1日から授業が始まります。始まるのはいいけれども、一年生(4月生、7月生)、全くと言っていいほど切迫感のない人が多くて困ります。少しは聞き取れもし、話せるのならばいいのですが、そうではないのですからね。1か月近く休みがあると、しかも、その間、一度も学校に来て勉強しないとなると、新学期が始まってからどうするのかしらんと、こちらの方が心配になってしまいます。

だいたい、東アジアの国々を別にすれば、この学校に来ている東南アジア、南アジアの国々の人は、「書く」という習慣がないのです。『初級Ⅰ・Ⅱ』の口頭練習くらいならば、スルスルと通り抜けることが出来ても、さて、書かせてみると、「さあ、大変」。しかも、書かなければすぐに忘れてしまうということがわかるほどの知恵(こういうのは習慣です)がありませんから、話すのと同じくらいであろうと考えているのです。

休み明けに試してみると、ひどい人は、「カタカナ」のみならず、「平仮名」も心許なくなっていますからね、況んや漢字をやというところです(N5レベルのものなのですが)。

きっと、小学校の時からの「(もうすぐ)夏休みが終わる。宿題をどうしよう」と慌てふためくような経験(日本人)がないからなのでしょう。良きにつけ悪しきにつけ、おっとりしています。

もちろん、「おっとりしている」ということはいいことなのですが、勉強の面ではちと困る。出来ていて、おっとりするのならばいいけれども、全然出来ていないのに、おっとり構えて切迫感がないというのは、こちらとしても手の打ちようがない…。

「出来ていないからね、下のクラスで、勉強し直しましょう」と下のクラスでもう一度やらせようと思っても、中には、「どうして自分だけ…???」とわけがわからないという顔をする人もいます。テストの点を見せても、「他の(4月に来た)人がそのまま残っているのに、どうして自分だけ」となってしまうのです。一緒に来たからといって、ずっと同じクラスで勉強できるわけではないというのが、なかなか納得できないのです。

本人が嫌がっているのに、毎日きちんと学校に来ているのに、下のクラスに下げてしまうと勉強するという意欲、毎日学校に来るという習慣が消えてしまうこともあるので、そこの所が難しいのですが。

もちろん、こういう経験がないからしょうがないのですが、「何点以下はこのクラス」という分け方にどうしても馴染めないのです。しかしながら、大学に行きたいと懸命に勉強している人は、夏休み中も、それほど忘れているわけではありませんから、そのまま勉強を進めていくことが出来るのに対して、夏休み中、同国の友達と遊んでいた人は、そのままの進度でやっていくことなどできるはずがありません。ですから、自然と『みんなの日本語Ⅱ』が終わった段階で、もう一度ということになってしまう。

それでも、気持ちを萎えさせないできちんとやっていけるといいのですけれども。休み明けは何とも悩ましいことが続きそうです。

日々是好日
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「宗教」を日本人に語る、あるいは「他宗教」の友達に語る。これは難しい。

2017-08-25 09:43:25 | 日本語学校
晴れ。暑い…。

今日は、「晴れ、のち曇り、のち雨」だそうで、日傘雨傘兼用のものは手放せないようです。とはいえ、「雷様マーク」はなかった…かな、ようで、まあ、一安心。遠くからでもゴロゴロと聞こえてくると、「蚊帳」の中にでも入りたくなります。けれども、一体どうして「蚊帳」の中なんでしょうね。

夏は「蚊帳」の出番が多く、「雷様」が鳴り始めると、「蚊帳」の中が一番安心。で、すぐに蚊帳を張りたくなる。それに、「ホタル(蛍)」を捕らえても、家に帰ると蚊帳の中に放つことを考える。

子供のときの思い出の一コマには、必ずと言っていいほど「蚊帳」が出てきます。「蚊帳」の中に蚊が一匹でも迷い込んでいたら、もう最悪。ですから、「蚊帳」からの出入りにも、用心しいしいやらねばならない。もっとも、子供はこれが苦手。…大変でした。

今時、「蚊帳」を使っている、否、「蚊帳」が使えるような家庭はどれほどいるでしょう。面倒でも羨ましいことです。もっとも、「蚊取り線香」だって、もう遺物かと思っていたら、電気を使うものより、やはり「蚊取り線香」の方がいいという人が増えているらしい。冷房の中で蚊帳に入るというのが「おしゃれ」になるかもしれません。

さて、学校です。

「宗教」というのは本当に難しい。いえ、「宗教」と言うより、「信者」と言った方がいいのかもしれませんが。子供のときから植え付けられたものは、一朝一夕には変えられないし、変われない。他にも別の「宗教」があり、その「信者」は自分と同じくらい(その宗教を)深く信じているというのが、頭では判っていても、どうも心の中では(しかも奥底というより、あふれ出さんばかりになっている心の入り口)、「自分の『宗教』が一番だ」が「真理」と思えてしまう。

学校に於いても、そういうのが時々出てきます。

学生同士であるならば、言い争いになりかねないことでも、教師と学生であれば、彼らの方が一歩か二歩は退いて、話を聞くし、語りもする。で、普通は問題にはならないのですけれども、中には、すぐにカッカとくるタイプの学生がいないわけではないので、時々面倒なことがないとは言えない…それが多国籍の学校の面白さというか、面倒くささ。

大半の現代日本人からすれば、どうして、そんなことに熱中するのかわからない…というのが事実でしょうが、仏教徒であれ、イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、自分たちの神や仏だけが真実であると言って譲らない(心の奥底では絶対に譲りませんね。それでいいのでしょうけれども)。「私は毎日お祈りをします」と言えば、皆が恐れ入り、そういう自分を偉いと思い、大切にしてくれるはず(100%)と思っている…ような風がある。…日本人は別にそうは思いませんからね。

日本人からすれば、その人がそうしたいからやっているだけのことで、それだけで偉いとも愚かだとも思わない。つまり何とも思わない。「はあ、あなたはそうしますか。大変ですね」くらいのものでしょうか。

私も以前、中国で、同じクラスのパキスタンの女子学生が、私たち日本人に父親の写真を見せて、「私のお父さんは額にこぶ(?)がある」と言ったことがあるのです。私たちは、ちょっと気の毒にと思ったけれども、「大変ですね」とも「気の毒ですね」とも言えず、どう反応したらいいのか判らなくて、互いに顔を見合わせていました。すると、業を煮やしたかに見える彼女が、「きちんと毎日5回もお祈りをするからこうなった」と「どうだ、すごいだろう」みたいな表情をしたのです。それで、私たち、日本人の態度が一変するとでも思ったのでしょうか。そう思って、言ったとしか感じられなかったのですけれども。

でも、日本にはイスラム教徒があまりいない。私だって、中国に行くまで、イスラム教徒を見たことがなかった。本で知っているだけです。…多分、それが普通の日本人でしょう。だから、そんな話を聞いても「へえ、そう」くらいの反応しかとりようがないのです。私も他の日本人も。

それを見て、腹が立ったみたいです、彼女。それからしばらく私たちと口を利きませんでしたもの。おそらく「不信心者め」と思い、あんな異教徒と話していたら、こちらが汚れてしまうくらいに感じていたのかもしれませんね。私たちは構わないけれども、なんとも思っていないから。

彼女がどう思っていようと、日本人にとっては、「海」のような存在、「雲」のような存在、あるいは「水」や「石」、「山」や「木」のような存在、名を与えることすらできないような存在に、はっきりとした「名」を与え、それを信じ、それを他者に誇るというのはちょっと野暮、あまり威張れるようなことではないと思うのです。もちろん、信じるのはその人の勝手ですが。

日本人は、おそらく「自然」は信じているでしょう、人知の及ばない、遥かに超えた「何かの存在」は信じているでしょう。それがなんであるにせよ、いいのです。でなければ、「津波」にせよ、「火山の噴火」にせよ、「地震」にせよ、大切な人や物を喪ったときには耐えられません。そのときは「祈る」だけ。「だれに」というのは「ない」のです。その時々で、「そのときに命を落とした人」であるかもしれないし、「火」であるかも、「太陽」であるかもしれない。でも、それでいいのです。「祈る」という行為自体が大切なのですから。

だから、学生同士が啀み合いになったときには、私はいつも最初、ヘラヘラしています。学生が「自分はいつもお参りをする、お祈りをする」と言ったときも、「偉いね」と言います。どの宗教でもいいのです。普通は適当になりがちなもの、それを毎日、あるいは決まったときにいつもすると言うのは、天罰を恐れているからでしょう。そういう人は泥棒もしないし、その人たちの神様が怒るようなことはしませんから、他者の迷惑にはなりません。

もっとも、そう言われた学生が誤解して「信仰心」のあることを褒めていると思ったとしても、それはそれでいいのです。誤解はそのままに、放っておきます。互いに勝手に自分に都合のいいように解釈していればいいのです。もともと、こういうことは、和やかにわかり合うなんてことは出来ませんもの。

昨日は、ちょっとそんなことを思い出させられました。去年も、ちょっとそういうことがありました。学生達は、留学生たちは、特に、そうなのです。国を出て、一人で頑張っているから、よりどころとして、国にいるときよりもよほど余計に、神様を念ずることが増えているのかもしれません。

そのときは、父が病気だった頃の医者の気持ちになります。
「お父さんは信仰があるのかな」
「ありません」
「そうか、それは困ったな。何もいいから、信じるようにはならないかな」
「ならないでしょう」
「こういうことは、田舎のじいさん、ばあさん、あるいは勉強しない人の方が強いんだがな。『神様が頑張れと言った』という一言で、生き返ったこともあるからな」

普通、こういうことがあるのを日本人はよく知っています。ですから、宗教を決して否定はしません。生きる「よすが」になることもあるからです。それは人によって違う。他者の迷惑になりさえすれば、何を信じていようと構わないのです。

だから、日本人が丁寧に話を聞いてくれたからと言って、その人が「自分が神様を信じている」のを肯定しているとは思わないでね、学生達。「ああ、そうか。その神様を信じているのか」くらいのものですから、そのときの、日本人の「そう」というのは。しつこく、自分の神が絶対であることを言い始めると、人は逃げていきますよ。「この人はその神を信じている。ああ、そうか」で終わりで、付き合った方がいい。その方がよほど、友達が増え、知識が増していくでしょうね。

日々是好日
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ミーンミーン、ワッシワッシの、二つの声も、もうあまり聞こえません。

2017-08-24 09:37:19 | 日本語学校
曇り。早朝は晴れていたのに…。

「セミ(蝉)」の声が随分弱々しくなりました。つい先だって、ミーンミーンの声の中に、ワッシワッシという声も聞こえ始めたと思ったばかりでしたのに。ミーンミーンも束の間の栄華、ワッシワッシは泡のごとく…なのでしょうね。

子供の頃、カナカナカナカナという美しい声で、夏の終わりを感じていたものでしたのに、ここでは、ミーンミーンとワッシワッシしかありません。単調なものです。蝉の声で時の移ろいを感じるというのも、もはや「風流」の枠の中に囲われてしまうようなことなのかも知れません。

特に今年は、8月というのに、お日様の顔を20日ほども見ませんでしたし、毎日のように雨が降っていた…いくら木の幹にしがみついていたとは言え、打たれることもあったでしょう。例年より傷つくことが多かったのかもしれませんね。今年、地中から出てきたセミは、本当に気の毒でした。もちろん、これからどうなるかはわかりませんけれども。

さて、学校です。

学校の近所にも小学生がいるというのに、静かなものです。今時は、朝の体操なんて学校でしていないのかしらん。あれは老人がやるものになっているのかしらん。…そんなことはないのでしょうけれども。

子供というのは、夏休み中、早朝、ラジオ体操をして、帰ってから食事をして、それから宿題をして、遊びに出かけるというのが日課のようなものでした。子供がいれば(だいたいは二人兄弟で)、うるさいのは当然のことでしたし。

それが、最近は物わかりのいい子供が増えているような気がします。大人びているというか…。だから子供らしく騒がないのかもしれません。

それに、驚いて、騒ぎたくなるようなものがあちこちにあるので、おいそれとは騒ぐ気にならないのかもしれません。若年寄ですねえ。

小さなことに驚ける子供が少なくなったのは、もしかしたら、自然とも関係があるのかもしれません。

人工的なものは、驚いてもそれだけです。自然のものは、一度驚くと、そこに後から後から驚けるようなものが出てきます。子供というのはそういうものを見つけるのが天才的に上手なもの…と思うのですが。

最近は自然の中で遊ぶと言っても、その「自然」の中に、かなり人の手が入っていて、これで自然???と思われるようなものも少なくありません。人が耕さなくなれば、田が原になり、灌木が生え、林になり、森になる…のでしょうけれども、人はそれを許しません。

一度行って、その光景に心打たれ、また行こうという気になり行ってみたところが、いつの間にかきれいに整地された公園になっている…。そんなこともままあります。

これは本当に難しいところ。

ただ、人は幼いときにどれだけ自然を身近に感じることが出来たかによって、年を取ったときに帰り処があるかないかが決まるような気がします。人は人と対している時、心傷つくことはあるでしょうが、自然と対していて心傷つくことはありませんもの。

たとえそれが地震であろうと、津波であろうと、山火事であろうと、落雷、竜巻であろうと、対するには余りに人はちっぽけであり、対等に恨み言など言えないのです。木々がそこに立ち尽くしているように、人も立ち尽くすだけ。美しいものを見たときも、恐ろしいものを見たときも、人は呆然としますもの。

人工的な言葉を失い、「ああ」とか、「おお」とかしか、言えなくなってしまいます。想像以上のものを見たときには、感じたときには。

人は人とだけ付き合っていると、感覚が、小さな輪っかの中で蠢いているような感じになってしまいます。いくら言葉巧みであっても、いくら表情豊かであろうとも、そこにはある種の作為が入ってしまう。そして、それは人には判るものなのです。

ただ、山を見る、木を見る、野山の花を見る、あるいは海を見る、海で飛び跳ねる魚を見る、海にダイビングする鳥を見るのとは違いますねえ。

ああ、本当に人工の中で暮らしている自分が嫌になるときがあります。とはいえ、ヘビが嫌いですからねえ、今はどこへも行けません。

日々是好日
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今日は猛暑です。夏になりました。残暑ではなく。

2017-08-23 13:14:34 | 日本語学校
晴れ。快晴。

「処暑」だというのに、まるで梅雨明けのよう。猛暑が戻ってきました。

暑い。

冷房がなければ、ちょっと動くだけでも汗が噴き出してきそう。

と、日差しが翳ったのに気づいて外を見ると、いつの間にか雲が空をびっしり覆っていました。あれれ、今日は、青空ではなかったっけ…。でも、また雲が切れて、青空が覗くのでしょうねえ。

さて、学校です。

昨日、「Aクラス」の学生が二人、勉強にやって来ました。二人とも、先週の土曜日に、江戸川大学のオープンキャンパスに行っています。

最初に来たのは,バングラデシュの学生。
「どうでしたか」
「はい。学食がおいしかったです」
「…それだけ…」
それから、何々を見たとか、先輩が優しかったとか、いろいろなことを言い始めました。彼はしゃべりなので、なかなか終わらない。で、「あとでまた訊きにいくから、先に勉強をしなさい」と教室へ追いやります。

ほどなく、ベトナムの学生がやって来て、「○○さんは来ているか」と訊きます。待ち合わせでしょうか。「上の教室にいる」と言いますと、そのまま上がっていこうとします。すぐにひき止めて、「オープンキャンパスはどうだったか」と訊いてみます。なにやらかにやら言った後、「他にも見に行きたい」と言います。きっとしゃべりのバングラデシュの学生に話を全て奪われて、何も言えなかったので欲求不満にでも陥っているのでしょう。

ベトナムの学生は話したいと思っていても、話をし始める前に少し時間がかかる(誰も待ってくれませんから、その間に話題はもう別のになっている)。それ故にか、初めて会った人にはどこか臆するところが見られる。でも、話したい、話したい(顔いっぱいに「言いたい、言いたい」が書いてあります)。自分の話を聞いてもらいたいのです。彼の場合も、この「話したい」という欲求がかなり高いので、どこかに捌け口を求めているのでしょう。しゃべりではない友達と一緒にどこかへ行って、ひとしきりしゃべってきたらいい。

ベトナムの学生たちの大半は、あまり流暢に話せません。けれども、普通のおしゃべりが(日本人と)したいと思っている人はたくさんいます。

この学生も、せっかく教科書を持って来たというのに、私が行くと、「先生、話しましょう」と言います。「訊きたいことがたくさんありますから、本を見たくないです」と言います。

そう言った後、スマホを必死に見ているので、「スマホを見ているのなら、下に行く」と言いますと、「スマホにあります」と言うのです。どうもスマホに記録していたようですね。疎いものでそれが判らず、叱ってしまいました。

スマホから探し出すと、「何々はどういう意味だ」とか、「何々と、かにかにはどう違うのだ」とか聞き始めます。それを見ていたバングラデシュの学生が、「△△さんは単語だけ」とからかいます。

お互いに毒がないことが判っているので、言われたほうも気にしません。ニヤニヤしながら聞き流しています。

話に毒があるかないか、これは同国人であるかどうかにかかわらず、お互いにすぐわかることのようです。

以前、同じクラスでスリランカ人とベトナム人が睨み合ったことがありました。スリランカ人はヒアリングがいいので、すぐに話せるようになる。それに比べ、ベトナム人はヒアリングが悪いと言うよりも音がとれないので、努力する割りに、なかなか言えるようにならない。それを、スリランカ人がからかった。こういう国の人間になれている私でも、ムカッとくるくらい嫌な言い方で、いかにも自分が頭が良くて相手がバカだと言わんばかりに、ネチネチとからかったのです。

もちろん注意しました。「自分だって出来ないことがあるじゃないか。漢字が書けないのじゃないか。彼らは漢字はきちんと覚えている。努力をしている。だいたい、誰にだって得手不得手というものがある」。すると「私は漢字ができないのではなくて、やらないだけなのだ」。やれば、頭のいい自分はすぐにできるようになると言わんばかりでした。「」日本に来るために、かなり金を使った。使っただけの金を稼いだら、すぐにスリランカに帰るから、学校なんかへ行く必要がない」。人を馬鹿にするという態度は改まりませんでしたね。

スリランカ人は面白いことに、一人が弱いものを叩こうとすると、すぐに尻馬に乗って一緒にやろうとするのです。このとき、私が黙っていたら、きっとエスカレートしていったことでしょう。こちらの厳しい態度に、尻馬に乗ろうとした連中はすぐに黙ってしまいましたが、モグラ叩きですね。こういう人間にはこうすべきなのだと、そのとき思いました。嫌なことですけれども。
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もしかしたら、今、日本は雨季だと思っているのかも…。

2017-08-22 09:35:32 | 日本語学校
曇り。

薄日が射しています。でも、降りそうで降らなさそうな感じのお天気と言ったほうがいいのかしらん。夜には降るらしいのですが…、いえ、やはり、降るでしょうね。

こんな鬱陶しいお天気が続いているというのに、アタフタしているのは日本人だけ。学生達は、もちろん、今年来た学生達は、日本とはこのようなものであるのかくらいにしか、感じていないでしょう。けれども、2年目の学生達も、昨年の暑さをすっかり忘れ、お天気のことなど何にも言いません。

そういえば、学生達の大半は、乾季と雨季という二季しかない国から来ており、そこから、今は(日本では)雨季であるというくらいに思っているのかもしれません。不思議は…ないですね。

日本の夏は、ムシムシして暑い。こういう蒸し暑いときは、水を被り(今はシャワーの温水ですけれども)して、夏を乗り切るしかない。

私も子供のときなど、外から帰ると、すぐに水を浴びるか、湯を浴びるかさせられたものでしたが、これは、おそらく、水が豊かな日本ならではのことなのでしょう。

砂漠地帯ではなくとも、まだまだ水道水が貴重な国も少なくありません。そういう国から来た学生は、暑くてたまらなかったり、汗が纏わり付いて気持ちが悪かったりしたときでも、ひとっ風呂浴びたり、シャワーを使って涼むといった習慣がないのです。で、そのまま。

わざわざ湯を沸かして熱いお風呂に入らなくても、今だったら水を浴びてもかなり気持ちが良くなるはず…なのですが、そういう感覚があまりないのでしょうねえ。

中国にいたとき、ある日本人の友人が、モンゴル国から来た人に、「日本人はすぐシャワーを浴びたがる。水を浴びるのは体に悪い」と言われ、驚いたことがあったそうです。

北京の夏は別に蒸し暑いというわけではありませんが、スポーツをするとそれなりに汗が出て、気持ちが悪い。そんなとき、日本人はすぐにシャワーを浴びて着替えるというのが普通ですから。それで、スッキリさせようとシャワーを浴びたところ、そう言われたらしいのです。

スポーツをせずとも、夏は外から帰れば、シャワーなり水なりを浴びるのは日本人としては当然のことで、何も非難(親切で言っていたのでしょうけれども)される謂われはない。彼女はムカッときたらしいのですが、向こうは向こうで、もしかしたら大切な水を日本人は無駄遣いすると思っていたのかも知れません。

そういえば、いまだに、学校の台所に、「水をください」と来る学生がいるのです。日本では、水道から出る水はどこでも同じだということが、なかなか理解できないのです。こういうのは体で覚えなければなりませんから、時間がかかるかもしれません。

さて、学校では、夏休みに学校へ来て勉強すると言っていたネパールの学生達の姿が全く見あたりません。ネパールの学生も、インド圏ですからね、スリランカの学生達と同じように、アルバイトがない日も、ダラダラと過ごすという習慣が抜けきらないのでしょう。

7月生からは少し勉強してくるようになっていますが、4月生は、全くと言っていいほど成績がお寒い限りだったので、ネパールの4月生は、多分、新学期が始まってから程なく、7月生たちと合併になるでしょう。そして追い越されるかな。

4月生を、一人二人ではなく、まとめて数人入れてみると、他の国に比べ、ネパールの学生達の日本語レベルの低さが突出していました。それで、そのあとネパールへ行ったときに、「漢字をやってくれとまでは言わないが、平仮名くらいはきちんと教えて欲しい」と、かなりきつく言いました。何せ、彼らの書く平仮名は読めないのです。それからアルファベットも読めない。数字も読めないのです。

平仮名は日本の文字ですから、いたしかたないとしても(それはネパールの日本語学校の問題でありましょうから)、彼らの書いた数字(漢数字ではありません)やアルファベットのぞんざいであること、ぞんざいであること。字をきちんと書くという習慣がないのです。きっと、小中学校でもそういう指導を受けたことがないのでしょう。それでいて、「これでは読めない。こう書くように」と言うと、「日本式の数字とアルファベットを書かなければならないのか」と言うのです。

「数字やアルファベットは、おそらく万国共通であって、(私でも)他の国の人が書いたのは読める。読めないのはネパール人が書いたのだけだ(もちろん、他の国というのは、この学校に来ている他の国のことです)。これは日本式のアルファベットでも数字でもない」と、いくら言っても、ストンとはわかってくれないのです。

日本人は、いつも日本人は「井の中の蛙である」と言います。「世界のことを知らない」と言います(だから努力して知らねばならないとなるのですし、また知らしめねばならぬとなり、啓蒙書でも、普通の本でも、世界各国で必要とされる本はすぐに翻訳され、出版されます)。

けれども、彼らにはそういう意識はありません。これはスリランカでも同じです。教育の問題ですね。「上から目線」を変えられない人が少なくないのです。もちろん、人にはプライドが必要です。自分が何でも出来るなら学びに行く必要もないのです。ところが、彼らの場合、わけのわからないプライドなのです。

自分は大した者ではないということがわからねば、学ぼうという気持ちも生まれてこないはず。自分の国が世界に冠たるものではないということがわからねば、いつまでも「人が自分を正当に扱わない」という気持ちが抜けきらないでしょう。

今は日本も、長く続く「踊り場」状態ですが、私たちの父母あるいはそのあとの数年までは、「世界に追いつき追い越せ、世界に学べ」でした。これを言うと、学生達は(世界とは)自分の国のことだと思うのです。いえ、口では言いませんが、心の中では、そちらにいるのです。「だから、進歩しないんだな。学べないのだな」などと私などは思ってしまうのですが。

「あなたは『大した者』じゃない。まだまだ何も出来ないひよっこでしかない」と人から諭され、それが心の底からわかるようになるのはいつのことでしょうねえ。もっともそれが判るくらいの人であれば、端っから、私たちなんぞが言う必要もないのでしょうが。

日々是好日

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夏休み、学校に、勉強しに来てくれるのはいいけれども…。

2017-08-18 10:29:58 | 日本語学校
今日も曇り。

早朝、やはり雨が降っていたようです。これで、8月は、連続、雨が降った日が17日?18日?…。しかも、涼しいし、本当に夏休み中ですかしらん。休み前の7月は、猛暑で学生達はへばっていたというのに。

昨日、「ヘクソカズラ」の蔓がかなり伸びているのに気がつきました、花も咲いています。もっとも、怖くて触れないのですが。人気のない家の玄関先には、「ツユクサ(露草)」が蔓延っていました。きれいな青と黄色で「はびこる」と言うのが憚られるほどなのですが。まるで梅雨時のようです。夏、日差しがないと、どうもいけませんね。

…などと書いていると、昨日と同じくらいの案配で、陽の光が射してきました。昨日よりも、陽の光に、少し力があるようですが。とはいえ、おそらくは1日のうち、日が射したのは何分とかいうようなものなのでしょうけれども。

さて、学校です。

二年生(10月生)が一人、そして一年生(7月生)が一人 、勉強にやって来ました。二年生は、きっと一年生が、『みんなの日本語Ⅱ』なんぞをやっているのを見るのが面白いのでしょうね。時々ニコニコしながらこっちを見ていましたから

ネパールの一年生に説明をしているとき、ちょうど専門学校の願書について聞きたいことがあるからとやってきたネパールの二年生がいました。彼にネパール語で説明をしてもらいます。ネパール語の説明がありませんから(あるのは単語だけです)。

同じ国の人が何人かいて、しかも時期をずらしていると、先輩後輩ができていい。この、「いい」というのも、勉強や生活について私たちの話すことをきちんと通訳してくれるからなのです。私たちの話が聞けないと、最後の進学の時に、知り合いの同国人が言ったからという理由で勝手な行動をしてしまいます。で、たいていは失敗。

まあ、もちろん、彼らの日本語力のレベルで決まってしまうというのが本当のところなのですが。毎日学校に来て勉強しているから、私たちの日本語がわかる。わかるだけでなく、ある程度信頼関係もできているから、自分の言いたいことも言えるし、私たちの話でわからない所も聞ける。日本語がわからないから、私たちに訊こうとはせずに、同じような(日本語の)レベルの同国人に訊く。そしてその通りにする。

どうにもこうにもできない人は、私たちにしても勝手にさせます。一年半かそれくらいの期間、こちらの言うことが聞けなくてやって来た人たちで、その人たちに、今更言っても始まりません。ですから、そういう人たちが出来るだけこの学校に来ないように、他のそういう人たちでもいいという学校に行ってもらえるように、(ベトナムやスリランカ、ネパールへ面接に行ったときに)頑張っているのですが、いかんせん、外国人ですから、その人となりまでは詳しくはわからない。

しかも、半年前とかですから、彼らも日本語の勉強を始めたばかりとかで、(私たちが面接しても)何の話も出来ません。彼らの雰囲気を掴むのも難しい。向こうの国(学校)では、とにかく日本にやれというわけで、本当の所をどこまで話してくれているのかも私たちには掴めません。まあ、一回、二回は、信頼関係を築くのが先で、それが出来なければ、断っていくしかありません。

向こうは、出せば終わりでしょうけれども、こちらはそういう学生を2年近く引き受けて、育てなければならないのです。だいたい勉強する気が無ければ教える方は堪ったものではありません。

国や地域によっては、勉強する習慣が全くと言っていいほどないところもあります(学校に来て座っているだけ、というのを自分たちの国で12年以上もしてきているのです)。けれども、勉強する気なら、そういう人でもどうにかさせていくことはできると思います。勉強したい人は、頑張れますから。ところが、大してできもしないのに、端っから勉強する気がないような人はお手上げです。ただ、こういう人はよく働きます。だから、就労ビザで来ることを考えて欲しいなあと思ってしまうのですが。

日本に、留学生として来ていても、アルバイトが「主」で、勉強のほうが疎かになっていますと、私たちが説明する言葉がまず理解できません(適当に話せるから、上手だと思ってしまいがちなのですが、きっとアルバイト先の言葉、理屈、体験からこうであろうと想像して受け答えしているだけなのでしょう。だから、答えを迫られたりすると、まったく方向違いの答えしか出せない場合も少なくないのです)。

彼らが出来るつもりでいる日本語というのは、アルバイト先で使われているような日本語、考え方(日本人はおそらくこうであろうという)でしかないのです。本当に狭い範囲で使われているような日本語でしかなく、単語もそうなら、文法もそう。思考の流れもそう。だから、いざとなった場合本当に困ってしまうのです、向こうもでしょうが、私たちも。

「N3」レベルの「読解問題」など、試験に出してみると、不思議そうな顔をします。自分が手も足も出ないのが不思議なのでしょう。でも、点が取れる人もいます。試験の文章は難しくても、問いはそれほど難しくありません。アルバイト先では重宝がられている「勘」で四択問題くらいならこなせるようです。

ですから、せっかく夏休み中に勉強に来るなら、読解問題も復習がてらやって欲しいのです。本来なら、文章を読んでそこに出ている漢字を覚え、文法を理解し…が一番いいのです。ただ、これには時間がかかります。一年半か短ければ一年ほどで結果を出さねばならぬ留学生にとって、それはかなりきついこと。それで、平時は、漢字も文法も、それぞれ別々に勉強し、文章読解の時に出たものを復習をかねて勉強していく、そういう形にしています。

そうすると、勉強した文法はもう一度見ると、少しは使い方がわかるものですし、漢字などはもう勉強したことがあるから、書かなくてもいい、自分で書けると言います。

とはいえ、休み中の勉強は「漢字だけ」「文法だけ」でないと不安なのでしょうねえ。9月からは「N2」の勉強に完全にシフトするというのに、「N3」の漢字の本を持って来て、これくらいなら、一週間で覚えられると言います。でも、文章の中に出てきたときにどうするのと訊きますと、ちょっと困ったような顔をして、でも、漢字を覚えたいと言います。

もちろん、何もしないよりはした方がいい。ただちょっとと付け加えました。「どうせ復習するのなら、明日は「N3」の「読解」を持って来て、少しでもいいからみてみてね。今なら、多分もう少し、わかると思うから」。

さて、今日、持って来ますかしらん。

日々是好日
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お盆。静かな学校です。

2017-08-15 11:07:49 | 日本語学校

今日も曇り。のち、雨。

朝、ベランダは濡れていた…早朝か夜中にでも、雨が降ったのでしょう。

毎日、いつかしら雨が降っています。天気予報では、この前線を「秋雨前線」と呼んでいました。もとより、暦の上では秋なのでしょうけれども…。

梅雨が梅雨らしくなく、梅雨が明けたあとの夏も夏らしくなく、お盆の時もお盆らしくなく…ずっと、この「らしくなく」が続いていくのかしらん。ただ来週からは暑くなるそうですから、「残暑」はそのまま、「残暑」でいるのでしょうけれども。

今朝、学校に来るとき、草むらでは、虫の声が繁く、上からは…「セミ(蝉)」の声が聞こえていませんでした。…まさか、この数日で死に絶えたなんて…。そういえばベランダにもセミの死骸があったし、階段にも転がっていたっけ…。

ところが、角を曲がると、ワヤワヤワヤと、ミーン、ミーンではない鳴き声が響いています。ホッとして、そのまま、公園のそば、小学校の脇に至りますと、今度はミーン、ミーンとワヤワヤワヤと、二つの鳴き声が混在して響いています。まるで、「まだ夏は終わっていないぞ~い。私は健在じゃぞ~い」とでも言っているかのように。

学校に着くと、きれいな濃いピンクの「アサガオ(朝顔)」が出迎えてくれ、心が和みました。

不思議なことに、子供の頃は「絵日記」なんぞをつけなければなりませんでしたし(困ると「朝顔の観察日記」になっていました)、「アサガオ」の汁を絞って「色汁」を作ったりもしていましたから、「アサガオ」すなわち、「夏」「夏休み」でしたけれども、年を取ってくると、「アサガオ」が盆過ぎの、どこか秋の気配がした頃の花のような感覚が育っているのです。打ち水をしたあとの「キキョウ(桔梗)」とか、おぼろに花開く「ユウガオ(夕顔)」や「ツキミソウ(月見草)」のように、暑い、暑いと汗を拭きながら見るような花ではなくなっているのです。

人の感覚というのは面白いですね。

さて、学校は、とても静かです。…夕方にはお盆の帰省帰りの人たちで賑やかになるのでしょうけれども。

学生達には「11日から16日までは、学校は閉まっているので、何かあったら電話するように。先生たちは学校にはいないからね」というのをしっかり言ってあります。先に電話するという習慣がない人たちが多いので、卒業して数年経っていても、電話せずに来たりする人たちが、少なくないので、大丈夫かなとは思うのですけれども。

もっとも、この、お盆の頃というのは、アルバイト先でも、いつもと違う日本人を見るでしょうから、おそらくは大丈夫でしょう。街は静まりかえっていますし。夏休みなのに、子供の声さえしません。とはいえ、公的な日常は続いており、ゴミ収集車は走っていますし、郵便局や宅配便の配達係の人たちのバイクの音はしているのです。ただ人声がない…。

こういうとき、学生が羽目を外して騒いだりしますと、「嫌ねえ、外国人は。うるさい」と、彼らの声が二倍、三倍にも増して聞こえるので、そう言われてしまうのでしょう。これが本当に困る。

日本人の生活のサイクルと、彼らの生活のサイクルは、違います。当たり前のことですが。日本の生活に慣れるまでは、あっちでぶつかり、こっちでぶつかりするのでしょう。そしてそれを嫌だと思い、認められない人は、国に帰っていくのでしょう。この、慣れるというのも、曰く言いがたく、何を以て慣れるというかというと、うまく言えないのですが。

ああ、日本ではそんなもんかと思ってくれるのが一番いいし、一番いい理解の仕方だと思うのですが、これは適応力とか年齢とかが関係してきて、一概にこう思えとも言えません。

スルリと素直に入っていけるのは、やはり高校を卒業してすぐに来ている、学習意欲のある留学生でしょう。留学生なのに、学習意欲の有無をいうのはおかしなことと不審に思われるかも知れませんが、私たちのいう「学習」というのは、日本語のみならず、知識・技能などを学ぶことを目的とするという意味のことで、単に「日常会話が適当に出来ればいい」というものではないのです。

日本人が留学するというのと、こういう日本語学校にやって来る人たちの留学とは、やはり異なっている面が少なくありません。

多くの非漢字圏の学生達は、漢字を学び始める段階で落ちていきます。書くという習慣が端っから無いので、授業中、10字か20字でも漢字ノートに書けば、それでエンストしてしまうのです。

「漢字一文字毎の意味を伝え、書き順を言い、共に書き、ノートを点検し、指導する」までしても、本人に覚えようという気が無ければどうにもなりません。「その日習って書いて書けるようになった。それで終わりではないのだ。翌日には忘れてしまうものだから、繰り返し書いて見て、忘れないようにしなければならない」というのが、できない人が多いのです。

興味を持てればいいのでしょうが、大半はそうではなく、「日本で仕事をしたい」で来ていますから(そのためには日本語を学ばなければならないのですが、そのうち、どうも「学ぶ」が抜けているような気がしてなりません)、アルバイト先で、聞き取れるようになれば、そのレベルで天狗になる人もいるのです。おそらく、彼らの国の母語のレベルでもそんなものなのでしょう。

日本人にとって、欧米の言葉は、「読める」けれども、「聞き取れない」「話せない」人が多いもんですから、彼らが「日本語のN5(最低レベル)」の文法や単語を使い回して、話していても、「すごい」と感心してしまうのです。なんと、このままのレベルで、1年以上過ごして平気な人もいるのです。注意すると「日本人と話せるし、日本人は上手だと言う」で、平行線なので、どうにもなりません。

だいたい、アルバイト先で使われているような日本語は、決まっています。すぐに覚えてそれで終わりになれるようなものです。それ以上のレベルの言葉は要求されないでしょうから(バイト先でも、相手を見て、要求するものです。何事でも)。

御山の大将になっている学生に、普通の日本の番組などを見せますと、わからないとびっくりします。それが、日本人相手の専門学校や大学での授業になりますと、それはもうチンプンカンプンのはず。

その上、授業中寝ていたりしますと、せっかくのチャンス(「自分の日本語なんて大したものじゃない」がわかる機会)まで逸しているわけで、その状態のまま卒業なんてことにもなる(自分の学力が大したものではないことがわかれば、多少なりとも勉強し始める人もいるものですから)。

漢字がわからないと、漢字で表されている単語の意味もわからないし、文章も漢字交じりで書かれていますから、それもわからない。日本で生活していくのは大変だと思うのですが。

ところが、中には、必死になって漢字を覚える非漢字圏の学生もいる。これは強いですね。元々ヒアリングがいいので、問題は単語レベルだけという人が、漢字を覚えると、単語力がグッと増す。すると、「N2」くらいの文章ならスラスラと読めるようになる。

ここまでくると、あとは速いですね。文章が読めると知識もドンドン身についていく。加速度的に普通の言葉が使えるようになります(この「普通の言葉」は、アルバイトで使うような日常会話の言葉ではありません。大学の先生方や会社の先輩が普通に使っているような言葉です)

私たちの気持ちでは、非漢字圏の学生でも、「一年半(4月生で)程度で、「N2」に合格し、志望学部で勉強することを目指す」ようにさせたい。もっとも、これも、資質が関係してきますから、そうは問屋が卸さない…のでしょうけれども。

日々是好日

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えっ!オープンキャンパスに行って、嫌な思いをさせられた…?そんなことあるはずがないでしょう。

2017-08-10 09:54:36 | 日本語学校
曇り。

一昨日も、昨日も暑かった…。「セミ(蝉)」の声はやかましいし、「カンナ」の花は真っ盛りだし、何を見ても聞いても、それだけで汗だくになってしまいそう…。

雨で、暑いとくれば、ムシムシです。とはいえ、今年度、進学を控えている学生達はオープンキャンパスやら、面接やらへ行かなければなりません。

すると、中には、行ったはいいけれど、散々嫌みを言われ、ムカッとして途中で帰ってきたり、状況が掴めず、ずっと最後まで嫌みを聞かされ続けたという学生やらが出てきます。

この、むかっ腹を立てて席を立ってしまった学生の方がおそらくは根性もあるでしょうし、教え甲斐もあるでしょうに。大学にしてみれば、逃した魚は大きいのではないかとも思われりのですが。

オープンキャンパスの目的というのも、大学の紹介は半分で、来た学生達の様子を見るのが半分でしょうに。自腹で交通費を払ってまでして来てくれた学生達に、彼らとは直接関係のない愚痴や文句を言うような場ではないと思うのですが。

参加した学生達の可能性とか、将来性とかを、さりげなく見、好感を持てば、逃さないようにすべきでしょうし、そうでなければ、試験で落とせばいいのです。学生は、時間も金も使って、わざわざ行ったのですから、少なくとも、嫌な思いだけはせてもらいたくはありませんね。

だいたい、レベルの高い大学は誰に対しても親切でありますから、そこからも、その大学のレベルというのが知れてきます。

学生達の話を聞いて、そういう大学にはよほどのことがない限り、見に行くようには勧められないと思ってしまいます。入れたとしても碌なことはないでしょう。他の誰かと比較されたり、漢字を知っている中国人と比較されたり、その人を見ると言うことが出来ないわけですから。

オープンキャンパスはまず、人を集めること。集められるかどうかが大切なのです。

以前、冬、蜜柑やら、パンやらを庭に撒き、きれいな小鳥を呼ぼうとしたことがありました。けれども、来るのは「スズメ(雀)」ばかり。緑色のきれいな「メジロ(目白)」とかは飛んで来ません。がっかりしていると、母に「スズメ」が来たら、半ば成功。すぐに「メジロ」も来るようになると言われ、半信半疑でしばらく続けていますと、本当にメジロがやって来ました。

これと同じこと。その大学を受験するかどうか分からない人にまで、ネチネチ、タラタラと嫌みを言ってしまいますと、その話はいつの間にかずっと広がって行きます。レベルの高い大学で、黙っていても日本人がやって来るから、外国人は要らないというのならともかく、ごくごく普通の私立であれば、あの大学は親切だというのが何よりの強みになるはず。少なくとも、オープンキャンパスに人が集まるようになります。

一人一人を見ようとせずに、非漢字圏というだけで、漢字が書けないだろうとか、「N1」とか「N2」とかのレベルを要求するのは、おそらく外国人学生の実態を知らないことをさらしているようなもの。10月に来て、一年経っていない学生だっているのですから。それなら最初から中国人、韓国人に限るとすればいいのです。

大学としても、もったいないことをしていると思われます、他人事ながら。

こういう大学の話を聞くにつけ、随分前に卒業した学生のことを思い出します。もっとも彼が嫌みを言われたのは、かなりレベルの高い大学でしたから、仕方がなかったのかもしれませんが。

彼は、最初の大学のオープンキャンパス見学に行ったときには、(10月に来日したので)まだ一年経っていませんでした。N2の漢字はほぼマスターしていたらしいのですが、それを使って書かれている文章が読めるまでには至っていませんでした。けれどもそれと無関係に、非漢字圏だということで、漢字のことをかなり厳しく、手厳しく言われたらしいのです。

私たち教員は皆、目的があって来日し、しかも必死に勉強している彼は、どうしても大学へ行かせたいと思っていましたので、嫌がる彼にもう一つ見に行くように勧めました。でも、本当に嫌がって、なかなか行くとは言わなかったのです。けれども、やっと行ってくれ、そこの先生ときちんと話し、入学したことが彼の今の成功につながったと思います。

人の才能は、言葉だけではないのです。そこのところを見ていただけるといいのですけれども。

日々是好日
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箱根1日バス旅行

2017-08-03 10:02:08 | 日本語学校
曇り。

今日から、夏休みです。学校のご近所さんたちはホッとしているかもしれません。もっとも小中高が夏休みに入ってから、子供たちの声がよく聞こえるようになっていましたから、それほ思い過ごしかもしれません。

昨日、皆で「箱根」へ行ってきました。小雨でしたが、彼らにとって一番楽しい?「バス旅行」ということで、楽しめたようです。

昨年の「富士山バス旅行」では、もう雨、雨でした。五合目も雲(霧雨?)の中で、1㍍先の人の顔さえ見えず、さぞかしがっかりしたであろう…もちろん、がっかりしたでしょうが、長距離バスでの旅行は初めてという学生も多く、いい思い出になったようです。

今年の箱根も…行徳の出発は曇り(驚いたことに1名を除き、決めてあった時間、「6時15分」よりも前に来ていたのです…。天気が悪くなりそうなのが本当に可哀想になりました。こんなに楽しみにして、早く来てくれたのかと…)。残念なことに、出発してからも曇り、小雨を繰り返し、大涌谷でも小雨。ロープウェイに無事乗れたのはよかったけれど、下が見えない。それでも、下の景色を注意して見て欲しいという我々の気持ちに関係なく、学生達は自分を、あるいは互いを撮ることに夢中です。

一段落した頃、「先生、何も見えません」。それでも注意していると、黄色い大地がうっすらと見えてきました。煙も見えてきて、初めて「あれは何ですか」となる。事前授業の時に言ったでしょうと言うのはなし。あれとこれとが一つになってはいないので、よく状況が呑み込めていないのです。

到着後は皆、「黒たまご」買いに走り、寿命を7年か14年延ばして来たようです。聞くと、6個食べた学生もいたとか。…化石になってしまいそう…。「(卵を)茹でて食べる」という習慣がない国から来た学生もいたので心配はしていたのですが、食べなかった学生はいなかったようです。

それから桃源台へ行き、海賊船に乗りました。

今年の学生達も、きちんと時間を守ってくれて、本当に旅がスムーズに運びました。遅れてきたり、わけのわからない手間をとらせていたのは、休みの多い学生だけです。

毎日学校に来ていれば、日本人の習慣もわかります、説明しますから。1年目はアルバイト先でのことに関する質問が多いのですが、2年目の今は「卒業後」の指導を適宜入れていますし(日本の会社では、あるいは日本の大学ではめいたことです)、ニュースなどを通して、見聞も少しずつではありましょうが増えているようです。

何せ、まだ今年の12月に「N2」を目指すというような日本語のレベルです。教える教員は大変そうですが、それでも、私たちが授業に行ったときに、他国の大統領の話やら日本の異聞などを学生がチラとすることがあり、成果は着実に上がっているようです。これがあると、進学後も日本人と普通に話すことができます。

ところが、休みが多い学生は、結局、日本語のレベルが来日時と大して変わらないまま(来たときは母国で、ある程度やっているので、いい気になっているのが普通)、終わったしまうので、たまに学校に来たときに、「なぜみんながわかって自分だけがわからないのか」が理解できない。来ていなければわからないのは当たり前のこと。それすらわからないのかと思うのですが。

いくらこちらが指導しても、母国での習慣というのはなかなか変わるものではありません。毎日学校へ来て、教師の指導をその都度受け、そうして、やっとの変化なのですから。

昨日も、「いつも休み」のスリランカ女性が、最後にやって来て、駅で待っていた教員に「弁当を買ってこなかったので、スーパーで買いたい」。一緒についていくと(一人で行かせると、どれだけ時間がかかるかわかりません)、今度はお金がないからカードで下ろしたい。

皆が待っているところの近くにコンビニがあり、そこでお金を下ろし、弁当を買えば済むものを、わざわざ駅のところでやるという。しかも、選ぶのもダラダラ。途中、国の人間とスマホで話し続けている、彼女よりもずっと年上の教員を待たせて。

私なら怒鳴りつけてやりますけれども。もっとも、いつも学校に来ている学生は同じスリランカ人でもそんなことはしません。1年以上経っていれば、自分の立場もわかり、注意されれば、「ああ、そうか」とすぐに合点がいくくらいは出来るようになっています。

こういうスリランカにいたときのままの考え方でいる人は、自分の都合で人を待たせることが如何に迷惑かがわからないのです。しかもこの日は70人近くが彼女のために待っていたことになります。そして着くと、決まっていたバスではなく、もう一つ別のバスの方に乗りたいなどと言い出す始末です。

箱根から戻って、教員たちの反省会でこの話が出たとき、日本人は皆あきれていましたけれども。私はこのとき初めてこの話を聞いたのですが、旅行中、ずっと、いつも通りに平然としていた彼女が不思議でなりませんでした。ごめんなさいくらいは言ったのかしら。

彼女以外は、今年の学生達は、本当によく言うことを聞いてくれました。二年生が私たちの話を聞いたあと、一年生にもわかるように説明してくれていたのも、助かったことでした。

驚かされたのが、バスの中での歌のことです。例年、自分の国の歌を歌いたがり、マイクを離さないというスリランカ人が多いのですが、今年はそういうこともなく、バスでの歌は、1号車では、皆、学校で教えてもらった日本語の歌を皆で一緒に歌ったり、マイクを回して一人ずつ歌ったり、ハモらせたりしていました。2号車では、それのみならず、ユーチューブなどを利用して、自分の好きな曲を流し、それを日本語で歌った人もいたようです。

まさに時代は変わった感があります。来日前は、トヨタ、ホンダくらいしか知らなくとも、来日後は日本の文化に興味を持つようになった人が出てきているのを感じます。それが高卒者ではなく、大卒や短大卒であったりすれば、他の学生への影響も少なからずあり(ネパールもスリランカも、年長者のいうことを聞かねばならぬようですから)、彼らのおかげで、若い人たちも日本の文化に目覚めはじめているのかもしれません。

知っているのが「格好いい」と映れば、彼らはまねをします。

いろいろと考えることの多かった「箱根バス旅行」でした。

最後になりましたが、「キングツアー サクラ観光」のガイドさん、運転手さん、いろいろとありがとうございました。雨の中、バスに戻る学生ごとに傘をさしかけに走ってくださったり、バスの中では日本語がままならぬ学生達に優しく接してくださったり、教員一同感謝しております。

運転手さん、ガイドさん、4名の皆さんとも皆、顔見知りになり、2年目の学生は、ちょこっとあの人知っている、この人も知っていると私にささやきかけたりしていました。彼らにとっては得がたい経験、それを楽しい思い出にしてくださったからこそ、覚えているのでしょう。

この方々なしには出来ない楽しい旅行でした。
ありがとうございました。

日々是好日
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