雨。
学校は静かです…。今、コンピュータを新しくするということで、専門家の方が来て、いろいろとしてくださっています。何をしてくださっているのかがわからないのが何とも…どうしょうもないところなのですが。
先週の金曜日。午前は大掃除、午後は次期の打ち合わせをしました。だれか、ぼんやりしたのが、学校に来るかなと思っていたのですが、見事に誰も来ませんでした。こう言うところはすごいですね。高いところの窓ふきは…頼もうかと思っていたのに。
全部終わってその後で。
いつも思うのですが、「教える」というのは、対象(となる国、民族、母語)が変われば、まずは、これまでのやり方を捨てねばならぬということ、壊さねばならぬということ、ではないかと。
「『うまくいった』『うまくいっていた』」を…だから、これでいいはずだと疑いをもたぬということは、、教条主義者のそれと等しいのではないかと。
相手を見ずに、10年一日に、(だれが相手であろうと、クラスの規模がどうであろうと)同じやり方しかしない人は、とても怖いことをやっているのではないかと
それに、だいたい、Aという教師がそのやり方でうまくいったからといって、自分も同じやり方でうまく行くとは限らぬはずです。経験もまた、教師自体の性格も、学生への対し方も違うのですから。
つまり、一番大切なのは、現場の対象者、つまり今の学生を見るということなのです。現場に戻るということ、即ち、「わからなくなったら現場に戻れ、そうすれば道が見えてくる」という刑事さんと同じやり方なのです。
この学校でも、中国人が主であったり、スリランカ人が主であったり、ベトナム人が主であったりしました。また、やる気の全くない人達が多く入ってきたり、半々であったり、その反対に、授業が終わってもまだ質問があると残っていたり、卒業式が終わっても、まだ日本の歴史を勉強したいからと頑張った人が少なからずいた時期もありました。
日本語に対して、ヒヤリングのいい人達が集まったクラスと、全くその反対のクラスとでは、こちらの押し方も違ってきます。復習をそれほどやらなくても大丈夫な人が多いクラスと、とにかく復習を繰り返さねば(クラスとして)成立しないクラスとでは、これもまたやり方が違ってきます。
現場に戻るたびに、たとえ 、同じことを20年繰り返そうと、同じことは一つとしてないのだと感じさせられてしまいます。
おそらく、常に現場から発想力を得ようとする人達は、皆、同じような感慨を持つのではありますまいか。またそれ故に、どのように社会の機械化が進もうと、人でしか出来ぬことがあるとなるのでしょう。
ところで、話は変わります。あと数日で、新しい年が始まります。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
日々是好日
学校は静かです…。今、コンピュータを新しくするということで、専門家の方が来て、いろいろとしてくださっています。何をしてくださっているのかがわからないのが何とも…どうしょうもないところなのですが。
先週の金曜日。午前は大掃除、午後は次期の打ち合わせをしました。だれか、ぼんやりしたのが、学校に来るかなと思っていたのですが、見事に誰も来ませんでした。こう言うところはすごいですね。高いところの窓ふきは…頼もうかと思っていたのに。
全部終わってその後で。
いつも思うのですが、「教える」というのは、対象(となる国、民族、母語)が変われば、まずは、これまでのやり方を捨てねばならぬということ、壊さねばならぬということ、ではないかと。
「『うまくいった』『うまくいっていた』」を…だから、これでいいはずだと疑いをもたぬということは、、教条主義者のそれと等しいのではないかと。
相手を見ずに、10年一日に、(だれが相手であろうと、クラスの規模がどうであろうと)同じやり方しかしない人は、とても怖いことをやっているのではないかと
それに、だいたい、Aという教師がそのやり方でうまくいったからといって、自分も同じやり方でうまく行くとは限らぬはずです。経験もまた、教師自体の性格も、学生への対し方も違うのですから。
つまり、一番大切なのは、現場の対象者、つまり今の学生を見るということなのです。現場に戻るということ、即ち、「わからなくなったら現場に戻れ、そうすれば道が見えてくる」という刑事さんと同じやり方なのです。
この学校でも、中国人が主であったり、スリランカ人が主であったり、ベトナム人が主であったりしました。また、やる気の全くない人達が多く入ってきたり、半々であったり、その反対に、授業が終わってもまだ質問があると残っていたり、卒業式が終わっても、まだ日本の歴史を勉強したいからと頑張った人が少なからずいた時期もありました。
日本語に対して、ヒヤリングのいい人達が集まったクラスと、全くその反対のクラスとでは、こちらの押し方も違ってきます。復習をそれほどやらなくても大丈夫な人が多いクラスと、とにかく復習を繰り返さねば(クラスとして)成立しないクラスとでは、これもまたやり方が違ってきます。
現場に戻るたびに、たとえ 、同じことを20年繰り返そうと、同じことは一つとしてないのだと感じさせられてしまいます。
おそらく、常に現場から発想力を得ようとする人達は、皆、同じような感慨を持つのではありますまいか。またそれ故に、どのように社会の機械化が進もうと、人でしか出来ぬことがあるとなるのでしょう。
ところで、話は変わります。あと数日で、新しい年が始まります。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
日々是好日