日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「今年の終わり」。

2014-12-29 13:42:14 | 日本語学校
 雨。 
 
 学校は静かです…。今、コンピュータを新しくするということで、専門家の方が来て、いろいろとしてくださっています。何をしてくださっているのかがわからないのが何とも…どうしょうもないところなのですが。

 先週の金曜日。午前は大掃除、午後は次期の打ち合わせをしました。だれか、ぼんやりしたのが、学校に来るかなと思っていたのですが、見事に誰も来ませんでした。こう言うところはすごいですね。高いところの窓ふきは…頼もうかと思っていたのに。

 全部終わってその後で。

 いつも思うのですが、「教える」というのは、対象(となる国、民族、母語)が変われば、まずは、これまでのやり方を捨てねばならぬということ、壊さねばならぬということ、ではないかと。

 「『うまくいった』『うまくいっていた』」を…だから、これでいいはずだと疑いをもたぬということは、、教条主義者のそれと等しいのではないかと。

 相手を見ずに、10年一日に、(だれが相手であろうと、クラスの規模がどうであろうと)同じやり方しかしない人は、とても怖いことをやっているのではないかと

 それに、だいたい、Aという教師がそのやり方でうまくいったからといって、自分も同じやり方でうまく行くとは限らぬはずです。経験もまた、教師自体の性格も、学生への対し方も違うのですから。

 つまり、一番大切なのは、現場の対象者、つまり今の学生を見るということなのです。現場に戻るということ、即ち、「わからなくなったら現場に戻れ、そうすれば道が見えてくる」という刑事さんと同じやり方なのです。

 この学校でも、中国人が主であったり、スリランカ人が主であったり、ベトナム人が主であったりしました。また、やる気の全くない人達が多く入ってきたり、半々であったり、その反対に、授業が終わってもまだ質問があると残っていたり、卒業式が終わっても、まだ日本の歴史を勉強したいからと頑張った人が少なからずいた時期もありました。

 日本語に対して、ヒヤリングのいい人達が集まったクラスと、全くその反対のクラスとでは、こちらの押し方も違ってきます。復習をそれほどやらなくても大丈夫な人が多いクラスと、とにかく復習を繰り返さねば(クラスとして)成立しないクラスとでは、これもまたやり方が違ってきます。

 現場に戻るたびに、たとえ 、同じことを20年繰り返そうと、同じことは一つとしてないのだと感じさせられてしまいます。

 おそらく、常に現場から発想力を得ようとする人達は、皆、同じような感慨を持つのではありますまいか。またそれ故に、どのように社会の機械化が進もうと、人でしか出来ぬことがあるとなるのでしょう。

 ところで、話は変わります。あと数日で、新しい年が始まります。

 今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

日々是好日
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「年末の大掃除の日」

2014-12-26 08:43:05 | 日本語学校
 晴れ。今朝も静かに明けていきました。

 うれしいことに、行き先の定まらない学生達の世話やら、面談などをしてアタフタとしていた昨日、「大学に合格した」との電話あり。

 本来ならば、私たちの方で、先に調べてやらねばならなかった…のでしょうが、聞いてハッとして、「そうだった…。今日だった…」。

 実は一昨日、帰り際に「明日、ネットで、検索しなくては。○○さんの試験結果が発表されるからね」と皆に言っていたのに、それをすっかり忘れていた…。

 彼は弾む声で、「驚いた。合格です」それから型どおりの礼を述べてくれて、これから国の父母に連絡するとのこと。まず、学校に連絡してくれたのは、きっと、最後の最後まで私が脅していたからかもしれません。

 まじめに勉強しないと…。耳タコ…状態だったでしょうね。

 だから、「えっへん!合格だァい」のつもりで連絡してくれたのでしょう。まずは、「おめでとう」です。が、入ってからがまた厳しい。レベルの高い大学というのは、そういうものです。

 ただ彼の場合は、何を学びたいかが比較的はっきりしているので、多分(多分ですが)頑張ってくれることでしょう。

 もちろん、それで、終わりというわけではありません。

 今年は、比較的レベルの低い専門学校から先に埋まっていくようで、各専門学校とも、かなり強気です。これが根拠のある自信であるならば、こちらとしても、「ごもっとも」というところなのでしょうが、別に根拠のあるでなし、今まで通りであるのに、留学生の今年の変化がそうであったからというだけの「流行」で強気になっているならば、来年からが大変だと…傍からは思われるのですけれども…。

 それに、学生の流れは多少変わったとしても、今年のことが教訓となり、来年、再来年は、各日本語学校も、そして学生の方でも、気を引き締めてかかるでしょうから、夢はもう一度となっても、当てが外れるかもしれません。

 余り強気に出て、来年度末に、日本語学校参りをせねばならなくなると、それはそれで大変だと思うのですけれども…大丈夫でしょうかしらん。他人事ながらも気になってきます。

 とはいえ、長年の付き合いで、幾人か引き受けてくださる学校もあり、その学校に対しては、私たちとしても、仁義は踏まねばという気持ちになってきます。もちろん、学生達にも、きちんとそれは伝えてあります。

 それはそれとして、今日は学生達は参りません。なんとなれば、「大掃除」の日だからです。来た人はこき使うからねと前もって言っています。そう言うと、皆一様に首を竦め、黙ってしまいましたから、他のことは忘れても、今日のことだけは忘れないでしょう。

日々是好日
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「休みに入りましたが…忙しい」。

2014-12-25 09:11:36 | 日本語学校
 晴れ。

 18日の課外活動「ディズニーランド」が、終わってから、学生達は、冬休みに入っています。とはいえ、忙しい毎日が続いています。月曜と、水曜日と一年生(今年の学生)達の面談が続き、その合間合間に、二年生達の進学相談が入ります。

 月曜日は、二年生達の入りが少なく、まだ午前、午後と一年生達の面談に集中できたのですが、昨日は特に忙しかった。

 この「忙しい」というのも、のんびりしている彼等にハッパをかける、つまり電話での呼び出しから始まるのですが。

 「九時に来る」と言っておきながら来ない(たまりかねて、9時半頃から電話をかけ始めます)。あるいは言ったことを忘れて、「先生、今日、来てほしいですか」なぞと言って来る。

 それでも、彼等が来るのは2時間後くらい。(彼等の「すぐ」というのは、三時間くらいかかると見ておいた方がいいので)、一時間か二時間くらいであれば、よくぞこんなに早く来られた…と思ってしまいます。

 この、彼等が来てからの二時間ぐらいが大忙しなのです。一度に五人か六人がやってきて、さてわたしのをしてくれろと来るのですから。銀行へ行かなければならない学生は、先にその手続きを済ませ、送り出し、その間、他の学生達はコピーしたものに、書かせていきます。なにせ、(願書というのは)漢字が多いのです。英語も不得手の学生が多く、英語と漢字がだめであると、勢い、付きっきりでやってやらねばならなくなってしまいます。

 同じ所を受験したいという学生が一緒に来てくれればまだしも、そうではない学生が一度に来てしまいますから、ワヤワヤワヤとなってしまいます。しかも、一時間か2時間して、アルバイトがあるから行かなきゃという学生も出てきます。あっちを見こっちを見を二人でやっている間に、面談の学生がやってきます。

 昨日は面談を予約していた学生が少なかったから、まだよかったのですが、これが月曜日であったら、大変でしたね。

 とはいえ、一応は、すぎていきました。

 一人は昨日の段階で願書を出しに行けましたし、後の学生三人ほどは、残りは1月ということで、彼等も納得していました。一人は、進路先に見学に行き、一人は先に一つを受けて、それがだめであったらまた考えるということで、一応、終わり。一応、一応としか言えないところが難なのですが。

 もちろん、進路先が不明という人達も、まだまだ少なからず、います。多くは出席率の問題で、なかなか受けられるところがないのです。その上、そういう人達に限って、自分のレベルが判りませんから、「私は大学へ行く」と言ったり、「そういうところは好きじゃない」と言ったりして、「そこを出たら就職できるのか」と聞いて来たりして、どうにもこうにも始まらない。

 しかし、うまく先方を言いくるめてしまえる猛者の女子学生もいて、こちらの方が、ちょっと変な意味で「すごいな」と思ってしまいます。普通は「(そういうやり方は)通じないのじゃないか」と思うのですが、先方のレベルがそれほどでもないと、それでも通じるのですね。いや、こういうところへは、正攻法で攻めるのはちょっと大変かなと、却って思ってしまいました。

 何事によらずそうなのですが、直に大学の先生方と話せるというのが、一番いいのです。そして、こちらの気持ちをはっきりと聞いてもらい、大学のやり方を、教えていらっしゃるその方から直に聞ける。それが一番いいのです。

 そうすると、相手の気心もある程度知れますし、2年では漢字の問題などが解決できていない非漢字圏の学生(まじめでコツコツと頑張っている学生など)を託せるかどうかというのも、わかります。

 才長けたというほどのことはない、けれども、まじめで誠実である、信用できるという学生が、本人が日本での仕事を望んでいるのであれば、それができるような道を考えるというのも、日本語学校の教師の大切な勤めの一つなのです。

 それには、まず技術という考え方もあるでしょう。けれども、大学で勉強するといのは、技術だけを習得するのではない広い方面での収穫があるものなのです。一言でいうことは難しいのですが、それは専門学校を出ただけで、「日本で就職したいのだけれども…(ない)」と迷える子羊になっている人達と、大学を出、自分の力、あるいは先生方の力をお借りして、日本での就職を果たしている人達を比べてみれば、すぐに判ることなのです。

 やはり、四年間で得た見聞の量が違う。身を以て体得したものも違う。それによって感じ取れたものも違う。違う違う尽くしで、そう言われても、学生はピンと来ないでしょうが(二つの専門学校へ行ったから、同じく4年日本にいたことになると言われても)、それは違うとしか言いようがありません。

 皆がうまく行き場を見つけられるまで、まだまだ長い道のりが続きそうです。

日々是好日
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「昨日、ディズニーランドへ行ってきました」。

2014-12-19 15:44:25 | 日本語学校
 晴れ。今朝も寒い。

 昨日は、皆で「ディズニーランド」へ行ってきました。朝はかなり寒かったのですが、風は思ったほどは強くなく、「行徳」の橋の上からも、「市川塩浜」駅からも、また「舞浜」駅からも、「富士山」がきれいに見えました。

 「富士山」が見えると、何かいいことがありそうで、ちょっとウキウキしてきます。

 学生達は、出は悪かったのですが、それでも、だいたい揃った頃に入っていきます。まずは荷物の検査。それからダラダラと入口に向かいます。入ると、例の如く「クリスマスツリー」のところで、引っかかります(つまり、前に進まなくなってしまうのです)。
 
 「ツリー」もいいけれど、店の飾り付けもなかなかのものなので、そっちの方でも撮ってほしかったなと、新しい学生を立たせて、はい、パチリ。

 それから、皆で、順に、「シンデレラ城」の下をくぐり抜け、「ミッキーのフィールハーマジック」を見、「イッツ・ア・スモールワールド」で楽しみ、「蒸気船マークトゥエイン号」に乗り、「スプラッシュマウンテン」でお開き。後は自由行動です。

 前日、爆弾低気圧が、北海道やら東北地方やら、日本海側、山間地などを襲ったということもあったのでしょうか、駅で皆を待っている間、(降りてくる人達を見て)これは、また人が多いなと思っていたのに、中に入ってからはスムーズなものでした(予定よりもずっと早く終わったような)。

 いつもは、かなり並んでからでなければ、入れなかった「イッツアスモールワールド」も、ほとんど並ばずに済みました。それに、「蒸気船マークトゥエイン号」に至っては、私たちを待っていてくれたのかと言いたいくらいでした。着くとそのまま船に乗り込み、すぐに出発。何と楽だったことか。

 ただ「スプラッシュマウンテン」だけは、80分待ちでしたが。とはいえ、私たち(つまり、ああいうのが苦手な者)、若干名は外で待っていました。

 もちろん、「皆で」回ったと言いましても、最初から我が道を行く者あり、迷子になった結果、我が道を行かざるを得ない者ありという具合で、最後の「スプラッシュマウンテン」では半分ほどになっていました。

 その、「我が道を行く」組に、二年生が一人か二人かいる場合は、それほど心配しないのですが、今年の4月生組が、五人ほど見当たらなくなったときには、心配しました。

 電話しても、「飛行機です」とかいった簡単な返事が返ってくるだけでしたもの。

 ところが、「スプラッシュマウンテン」で待っているとき、「先生」と明るい声でやってきて、「あれも乗った。これも乗った」と如何にも楽しそうに報告してくれたので、ホッとしました。

 案ずるより産むが易し。本当にそうでした。

日々是好日
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「明日は朝早くから、みんなでディズニーランドへ行きます」

2014-12-17 14:06:18 | 日本語学校
 晴れ。

 早朝、月が皎々と照り、星が見えました。昨日の雨と風のおかげでしょう、いつもよりもくっきりと見えました。

 とはいえ、今朝の鳥たち、いつもなら整然と隊伍を組んで飛んでいるのに、今朝はどうしたことか、二羽、三羽と飛んでいます。しかも、慌てふためいているかのようにバタバタと。

 と、空を見ながらぼんやり歩いていますと、また、「カラス(烏)」が鼻ッ先を掠めて飛んでいきました。(羽先が触れんばかりの近さだったので)また、喧嘩に負けて逃げたの(カラス)が今ので、それを追っかけるの(カラス)がいて、追いつかなかった悔しさに、そばにいた人間の頭を羽でぶったたくの図を想像してしまい、ビビッタのなんのって。思わず、周りを見回してしまいました。

 あんなの(経験あり)は一度こっきりで十分ですし、もっとひどい目に遭いたくはない…ものですから。

 いないことを確かめて、また歩いて行きます。すると、道に「ナメクジ」が落ちていました。昨日の雨にたたき落とされた葉裏にでも潜んでいたのでしょう。踏まないように歩いて行きます。拾ってやった方が親切なのでしょうが、虫は嫌いではないというものの、こういう軟体動物は苦手ですので(無事でいろよと言いながら)。

 そうすると、ギャングの「ヒヨドリ(鵯)」が、二羽で、近くの垣根に留まりにやってきました。手を伸ばせば届くほどの近さです。「危ないよ。もっと高いところへお行き」と心の中で呟くと、聞こえでもしたかのように、二羽とも飛んでいきました。

 冬の入り、花が少ないので、民家の「サザンカ(山茶花)」や「ツバキ(椿)」の蜜は、彼等にとって、ご馳走なのです。樹の花(サクラやコブシなど)が咲き始めれば、高いところでお食事となるのでしょうが、今頃はそうはいきません。学校の鉢植えの花のところにも、時々蜜を吸いに来ています。

 さて、学校です。

 明日は皆で「ディズニーランド」へ行き、そして翌日、19日から1月7日まで、学生達は「冬休み」となります。

 それで、初めてディズニーランドへいくことになる一年生達です。二年生は去年、「ディズニー・シー」へ行っていますから、落ち着いたものなのですが、彼等はまず、行き方から始めなければなりません。…と、言いましても、学校から「ディズニーランド」まで、自転車で、40分くらいの距離なのですが。

 昨日、「C・Dクラス」合同で、4通りほどの行き方の説明を受けます。その後、「Cクラス」の授業の終わりごろに、だれとだれが一緒に行くか、あるいはどういう方法で行くかを聞いてみたのですが、自転車でJRの駅まで行き、そこから二駅目の舞浜で降りるという人や、アルバイト先からそのまま行くという人。その他に、浦安に住んでいるので、バスで直接行くという人がいました。

 そんなことを聞いていると、「あなたも自転車なら一緒に行こうと話は進んでいきます。。まあ、これならいいかと話を切り上げたのですが、大変だったのはそれからのこと。

 授業後、中国人の女子学生が、ベトナム人男子学生に何やら言っています。聞いていると、「駅が判らないので、一緒に行こう」と言っています。その約束の場所がが学校の前らしく、そこまではよかったのですが、そのあと、何時に会うかで揉めているのです。

 女子学生はもう少し早く集まった方がいいのではないかと言い、場所を知っている男子学生は、それで十分間に合うと言っているらしい。二人のそばには三人ほどがいたのですが、もういいじゃないかとちょっと「困ったな笑い」を浮かべています。

 土俵際まで押されながらも、男子学生は粘っています。押し気味ながらも、女子学生も道を知らないという弱みがあるので、どこか突っ張れないのです。しかしながら、女子学生はよく選びましたね。捕まえる(約束をする)相手を、よくぞ「彼」と決めました。

 他の男子学生だったら、適当に付き合って、それでもだめなら、後は知らないとか言って、帰ったことでしょう。まじめな彼だから、最後まで付き合って、困っているのです。
 
 とはいえ、結局、男子学生の粘り勝ちだったらしい。女子学生は話が終わってから、ちょっとふくれっ面をしていましたから。このクラスは男子学生が多い割には、女子学生が幅をきかせているような気がして、ちょっと心配だったのですが、時には男子学生でも(粘り腰で)譲らないということなのでしょう。

 日々是好日
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「お天気の話」。

2014-12-16 09:50:09 | 日本語学校
 曇り。

 今のところは曇りですが、学生が来る頃から雨になるそうで、もしかしたら、この冬の冷たい雨に「濡れそぼつ」、やってくる学生がいるかもしれません。

 既に降り出していれば、まだマシなのですが、下手をすると、学校に来る途中とか、来てしまってから降り出したりする…、このような雨が一番困るのです。

 なにせ、日本人は毎日、暇さえあればお空を見ているような民族で、これも、日本の気象と関係があるのですが、それが、異国から来た学生達にはあまりよくわからない。

 日本人なんて、ちょっと寒いといっては、それを話の種にし、雨がザーッと降ったといっては、またこれも話題にする。初めて会った人とか、何と言っていいか判らなかった時などには、何でもいいからお天気のことを話せと言われながら育った民族なのです。

 朝は朝で、起きるなり、今日のお天気はどうなのかしらんとお空を見上げ(今は、天気予報を見る)、その日の夕暮れ時には、お空をうかがいながら、明日のお天気のことを考える。これは、もう、習慣というよりももっと深いところから来るもののようで、見ないと落ち着かないのです。

 それ故に、予報で、雨と言われていながら、かさを持ってこないで文句をいう学生を、ちとばかり問題児扱いしてしまう嫌いもあり。

「日本はお天気だよ。何がなくてもお天気だよ。雨が降りそうだったら、かさを持ってきてね」というのが、なかなか理解されないのです。

 これは身を守るためにも、そして日本社会で生きていくためにも必要、なのです。人と人との隙間を満たす潤滑油的な働きもしてくれますから。

 さて、学校です。

 やっと、裸足の人がいなくなりました、二年生組は、もともと大丈夫だったのですけれども、靴下は気持ちが悪いから嫌だと言っていた一年生組も、さすがに昨日の寒さには音を上げたと見えます。

 本当になれるには時間がかかります。もっとも、それも当然で、彼等の殆どにとっては、初めての「冬」なのですもの。

ところで、二年生です。

 今年は専門学校が買い手市場になっているそうで、例年なら、よくいらっしゃっていた向きが、今年ばかりは黙りを決め込んでいます。こんなことをしていて、ブームが去った後は、大丈夫かな。

 日本語学校でも、各校、今年は学生がグンと増えたようで、日本に来たいという人を山ほども抱え込んでいる学校もあるとか聞いています。

 この学校でも、在日の人で勉強したいという人がかなり増えました。それだけ、この町の中で国際化が進んできたと言うことなのでしょう。

 日本で働いて、生活も落ち着いてきた。さすれば、妻を呼ぼう、子を呼ぼうとなるのでしょうし、自分の仕事に手が足りなくなった、親戚を呼ぼう、その子を呼ぼうとなるのでしょう。そういう相談を受けることもよくあるそうです。

 もっとも、この学校で勉強したいとやってくるのは、この近辺に住んでいる人達が大半です。もちろん、卒業生に聞いたと言って、一時間近くもかけて通うつもりだと言う人もいるにはいるのですが、そういう人達には、近くの日本語学校へ通うことを勧めています。はっきりとした目標があり、そのために頑張りの利く人ならば、やりたいようにすればいいので、こちらの出る幕はないのですが、南国の人であったり、時間がゆっくりと流れていく国での生活に慣れた人であったりすれば、早朝のラッシュに揉まれること一か月ほどで(早い人は一週間も持たなかったりします)、勉強が難しいと言い出します。

 それでは、「お金がもったいない」から、本当に必要になったときにすればいい…と言っても、それまで待てないらしいのです。国でやっていたように、ノホホンと、遊び半分にしていれば、一応学校に通っているのだから、日本語が身につくだろうとでも考えているようで、少しでも頭を使ったり、漢字を覚えなければならなくなった途端に、バンザイです。

 勉強なんて、「しなければならない時にする」のが、一番、我慢がきいていいのです。我慢して勉強しているうちに上達し、上達すれば、それまではできなかったことができるようになるし、認めてもらえなかったことが認めてもらえるようになる。この正のサイクルで回り始めると、後は楽勝なんですけれども。「何もすることがないから、適当に」では、「適当に」が成立しなくなった段階で、嫌になってしまいます。

 中途半端に、異国に子どもを呼んでしまうと、子どもにとって不幸になってしまいます。お子さんはせめて母国で高校程度は出ていないと、日本に来てからが辛いことになってしまいます。いろいろな知識を入れなければならない時期に、そのための道具を習得することに四苦八苦して終わりとなってしまいますから。

日々是好日
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「寒いのが一番嫌」。「大学へ行く前の作業」。

2014-12-15 09:49:47 | 日本語学校
 晴れ。

 相変わらず、寒い。とはいえ、日本海側のように、ここ太平洋岸では、雪は降っていません。青空が拡がり、白い月が見えるだけです。

 寒くなると、日の出が遅くなるせいか、海鳥たちが、隊伍を組んで出かけるのを、よく見かけます。白い月を眺めながら、隊伍の黒い影を見、自転車を走らせるというのも、なかなか乙なもの。とはいえ、やはり寒い。

 卒業を控え、学生達に文集用の作文を書かせ始めているのですが、スリランカの学生達が「日本で一番嫌なこと」を挙げろと言われて、一番先に書き始めるのが、この「冬の寒さ」なのです。

 そうか、嫌か…。多分、「大変」と「嫌」とが混じり合ったようなものなのでしょうけれども。

 この、南国から来た学生達、4月、7月、10月に来た時には、「雪」に期待し、目を輝かせながら、「雪が見たいです」と、のたもうていたのに、実際に冬が来てしまうと、もうその寒さに萎えてしまうようなのです。

 そういえば、中国の東北から来た学生達も、「日本は寒い」と言っていましたっけ。

 「中国は外は寒いけれども、部屋の中は半袖でいいくらいに、暖かい。日本は、外も内もみんな寒い…」。…そうだ、モンゴル国から来た学生もそんなことを言っていましたっけ。

 そういえば、江戸時代、日本は「夏をもって旨とする」造りの家が、蝦夷地(北海道)までも拡がっていました。和人の家はそうであったと聞いたことがあります。これは、考えてみれば、根性ものですね。

 さて、学校です。

 大学へ行きたいという学生達に、作文指導をし始めたのですが、これまでとは違った指導、戸惑いを隠せないよう…な。

 「とにかく、原稿用紙を埋められれば、内容についてはあまり問わなかった」から、「何を言いたいのか」を問い詰め始めたものですから、途端に困ってしまったようです。

 「『文章化する前の作業』が必要である」というのが、まず、判らない。「(先生は)何を言っているのかな」という顔をしながら…「書きました」と言う。

 これは…ただ、マスを埋めたに過ぎないのに。次の段階があるのに。

 相手に判ってもらうように書くためには、「まず、何でもいいから、思いついたままに、箇条書きにしてみる」。それから、似たものはまとめながら、取捨選択していく。そうして、順番を決め、文章化していく…のですが、これがどうもやっかいな様子。「そのまま書いてはいけませんか」と言う。「私は話せるから、そのまま書いても大丈夫」と思っているのでしょう。「話す」と、「書く」は違うが呑み込めないのです。

 だから、その前の段階、「箇条書きにする」の、必要性が感じられないのです。

 これは、「言ってごらん。どんなことがありましたか」と問いながら、「じゃあ、これが一つね。はい、じゃあ、これを書いて。はい、まとめる。では、次は…」と、一緒にやっていくしか、判らせる方法はないのです。

 「大学へ行きたい」と、最後まで頑張れた学生は、これを1、2度(時によっては、もう少したくさん)繰り返せば、要領が判ってきます。判れば、後は自分でやれるのですが、大切なことは、最初からそれをしてやっては、いけないということなのです。

 不思議なことですが、大学に行きたいと言っている学生であっても、最初は、やはり「高を括った顔つき」をしています。ヘラヘラしているのです。「できない」ということを判らせてやらねば、「そのままの顔」で出ていきます。できないから、学びたいものがあるから、大学に行くのだということ。それが判然としないまま、大学へ行っても何もなりません。

 面接の練習をしながら、あるいは作文の練習をしながら、来日直後、あるいは来日前の自分に立ち返らせていく。少なくとも、初心を見つめ直してみる。おそらくは、次に進む前には、その作業が一番大切なのでしょう。それをせぬまま、勝手に大学へ行った学生は、入ってから苦労すると思います。

日々是好日
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「ディズニーランドの事前指導、『白雪姫』」。

2014-12-10 09:39:35 | 日本語学校
 晴れ。

 明日は、お天気が崩れていくとのことですが、今日は一日、晴れで、「洗濯日和」であるとのことです。

 最近、帰る頃、いつも大きなきれいな月が見えていたのです(晴れが続いていたせいでしょう)。そして、朝、学校に来る頃にも同じような白い月が西の空にあるのです。その月の位置も、だんだん高くなってきて…今日などかなり上の方に見えました。数日前はもっと西の空低くにあったのに。

 さて、学校です。

 昨日、「ディズニーランド」へ行くための事前授業をしました。「ディズニーランド」の紹介と、映画「白雪姫」を見てもらいました。やはりきれいですね、ディズニーの、かつての映画は。

 私は子どものころ、故郷に来たディズニーの映画は、だいたい見せてもらっていたらしいのですが(断片的にしか覚えていないのが悲しい)、映像の美しさだけはよく覚えています。それは年を重ねても変わりません。柔らかな線、そして愛らしい登場人物や動物たち。最近のディズニーの登場者達とはかなり違って見えるのですが、これ(新しいものに違和感を感じてしまうの)も、年のせいかもしれません。

 で、学生達です。

 映画だと聞いて、すぐに一番前に陣取った学生たち、反対に後ろで適当に寝てやろうと目論んでいた学生達、最初からかたまって、おしゃべりをしていた学生達。いろいろです。

 すぐに睡魔に襲われた学生でも、(ディズニーの紹介をやっていた時には、コックリコックリやっていたくせに)映画が始まるやいなや、なぜかすぐに目覚め、大きな目で見ていたりするのです。

 騒ぐでなし、アルバイトで疲れていれば(それでも遅刻せずに来ているのです)、こういう時にウトウトするのくらいは大目に見てやります。けれども、可哀想に、一人など、みんなが大喜びして、沸いていたときにはぐっすりと眠り込んでいて、シーンとなったときに目覚めて、キョロキョロしたりしていたのです。 

 どうせなら、白雪姫を見つけるまでの、小人達のドタバタぶりを見た方が、楽しかったでしょうに。

 まあ、これから数年、日本にいるのなら、他にも楽しいことにいろいろと出会えるでしょう。ただ、それを逃してもらいたくはありませんね。「ああ、あのとき~していれば」というのが、何より辛いこと。自分の人生を考えてみても、言えることですが。

日々是好日
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「紅葉狩り」。

2014-12-08 08:13:19 | 日本語学校
 晴れ。風なし。寒い。

 今日は「紅葉狩り」の日。

 寒いことは寒いけれども、「イチョウ(公孫樹)」には、ぎりぎりで間に合った…だったら…、うれしいのですけれども。

 昨日の情報では、「かなり散っていたので、寂しい」、けれども、「地面に落ちていたので、それで遊んだ」とありました。

 「頭上の黄」が、時期を過ぎて楽しめねば、次の、「地上の黄」を楽しめばいいとなってくれればいいのですが、なかなかそうはいかないところが、難しい。もちろん、一番いいのは、「両方楽しめる」でしょうけれども。

 私たちが子どものころは、「イチョウ」の葉というのは、とても便利な遊び道具でした。まず、形がいいのです。「ままごと」にもいいし、「首飾り」や「人形作り」にも役に立つ。「松ぼっくり」や、「イチョウ」というのは、欠かすことのできないものでしたね。

 多分、今でもそうでしょう。自然にあるものを使って遊ぶという方針は変わっていないと思います。義務教育段階では。

 さて、というわけで、おそらくは「明治神宮外苑」の「イチョウ並木」を見、それから、「回遊式築山泉水」庭園、「六義園」へ行って、紅葉を楽しむということになるでしょう。

 例年、「『イチョウ』がきれいなときは、『紅葉』にはちと早い」みたいな感じでしたから、今年はきれいな紅葉が見られるかも知れません。

 学生達が楽しんでくれるとうれしいのですが。

日々是好日
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「母語の影響というのは…本当に大きい…。大変だなあ」

2014-12-05 13:29:31 | 日本語学校
 晴れ。

 早朝、雨がパラパラと降っていました。

 パラパラなのですが、そのパラパラが止まらないのです。パラパラ、パラパラが小一時間ほども続いたでしょうか、なかなかザーザーとはならなくて、しかも、雲も、おかしな色でした。ちょっと不安…、だったのですが。8時頃にはきれいな青空に。オレンジ色がかったおかしな雲もどこかへ行ってしまい、今は真っ白な雲が所々に浮かんでいます。

 何でも、近くでは「雹」が降ったとか。あの雲とあのパラパラが、そのまま雹になったはずと思えば、何となく合点が行きます。

 さて、学校です。

 「N3」クラスの、ベトナム人学生は漢字も単語も一生懸命に覚えてくれるのですが、なかなか口が動きません。文を繰り返し言いながら、舌を噛みそうになるのです。で、リズムをとりながら、口頭練習を繰り返しているのですが、三、四人、どうしても遅れてしまうのです。その、遅れるにしても、全体的におしなべて遅れるというのではなく、どこか、喉の奥で引っかかるようにして遅れてしまう。

 で、一人一人潰していきます。潰される方も、来るな来るな(ズンズン)という感じで、眠気もすっ飛んでしまうのでしょう。これが始まると、眠そうな顔つきが一瞬にして消えてしまいます。今度はだれに行くのかなと…。

 毎日がそれの繰り返し。繰り返しているうちに少しでも上手になってくれるといいのですけれども…。

日々是好日
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「チャチャを入れたり、突っ込みを入れたりするのには…年季が足らん」。

2014-12-04 14:10:02 | 日本語学校
 曇り。

 まだ曇りですが、怪しい雲行き…直に雨が降るのでしょう。今日の雨は冷たいそうで、午後の自転車の学生達は大変でしょうね。そして夕方からのアルバイトも。大半の学生達が自転車で近くの工場に行くので、雨が降ると、翌日の出が悪くなるのです。

 昨日、午後のクラスで、三人ほど外と全く同じ恰好をしている学生がいました。二人は、ダウンの下は一枚、と言うわけで論外なのですが(伊達の薄着です)、スリランカの学生が一人、分厚いダウンにくるまるように座っていました。寒いのかと聞くと、(早朝の仕事で)朝、とても寒かった…。

 そう言えば、3年ほども前になるでしょうか、同じくスリランカの学生が、1月に来てすぐに、水産加工の工場でアルバイトを始めたのですが、そのとき、「寒くて、心細くて、すぐに帰りたくなった」とか言っていましたっけ。

 言葉が不自由だと、アルバイトを探しても、なかなか見つかるものではありません。友人がいても、よくて、工場でのアルバイトくらいしか見つからないものなのです。特に、南国から来ている人にとっては、この、日本の冬が堪らないらしい。

 暑い国から来てすぐに(成田からもう冬ですから)、早朝の水産加工の工場でのアルバイトですから、「外も寒い、(工場の)中も寒い、友だちもいないという三重苦だった」と、泣き言を言いたくなるのもわかります。それも、ある程度話せるようになってから、「あのとき、大変だった。寂しかったし…」と、ポツリ。最初は、お互いに、気心も知れていませんでしたから、一人でたえるしかなかったでしょうし(友達がいても、学校には一人だけ。寮も他の国の人と同居でしたし)。

 不思議なことに、いえ、きっと不思議でも何でもないのでしょうが、語学の方面に才能が有る無しにかかわらず、毎日来ている人とは、何か通じ合うものが出てくるものなのです。もちろん、こちらも相手のことが気になりますし、向こうもきっとそうでしょう。

 これは国や民族、宗教などに関わりなく、そうなるのです。

 来たり来なかったり、来ても最初からずっと寝てばかりいるようですと、こちらとしても、印象に薄いし、相手が何を望んでいるのかも判りません。これはお互いにでしょうが。

 何事であれ、懸命にやりはじめてやっと、相手のことを知りたくなるのかもしれません。

 来日後すぐの頃は、高卒の学生達はまだジッと大人しくしています。環境に慣れるまでは「地」を出せないのです。それにひきかえ、学校を卒業してから数年経っていたり、その間、仕事をして、ある程度の金を儲けたりしていた学生達は、自分をひけらかし、それなりの地位をクラスで作ろうとします。「おれはこんなことが出来るんだぞ」というふうに。一番手っ取り早いのが、言葉の学校では、言葉です。

 「お前らはこんなこと判らないだろう。俺は判るんだ。しかも日本人と対等に話せているんだぞ」と、やりたいのでしょうね。けれども、漢字を書いたり、文法練習などは嫌い。そんなことをやりに来たんじゃないとでも言うかのように、そういう作業は無視してかかります。

 ただ、こちらとしても、放っておくわけにはいきませんから、こういう人が気になる方面、アルバイトで遣う言葉とか、そういうものも適当に入れて勉強に加わらせようとするのですが、地道な作業に移った途端、やめてしまいます。やってもすぐ飽きるから、続かないのです。しようがありません。

 だいたい、地道な作業をするとか、また真面目でコツコツとやるタイプを軽んじるふうもあるようで、そういう人をからかったり、チャチャを入れたり、笑えない冗談(実際、私たちから見るとおもしろくも何ともないのです。それどころか他者を皮肉ったり、嫌がらせを言っているようにも聞こえ、不愉快になることすらあるのです)を言ったりして、自分に皆の注意をひこうとします。

 この、突っ込みを入れたり、チャチャを入れたりすると言うことなのですが、国や民族によって本当に、微妙に異なっているのです。インド、スリランカ、バングラデシュ、パキスタンなどから来ている学生は同じようなことを言う傾向にありますし、それに対する反応もだいたいが似通っているような気がします。
 
 しかし、笑えるような冗談は少ないのです。本人は冗談を言っているつもりでも、こちらからすれば、せいぜい、言い間違えたりしている人に対する嫌味程度のことでしかなく、聞いているこちらが腹が立ったり、やめろと言いたくなったりすることさえあるほどなのです(しかし、彼等は笑うのです、そういうのを聞いて。私は笑えませんし、それどころか、無視したりします。それが彼等にとっては不満のようですが)。
 
 本人は冗談を言って、受けを狙っているのでしょうが、冗談や突っ込みというのは高度なワザが必要で、他国の者が、その国の文化や人気(じんき)を知らずに、簡単に作文できるような代物ではありません。とはいえ、もちろん、相手の気持ちを考え、適当に相手をしてやる教員もいます。そうすると、図に乗るというか、つけあがってくる人も出てくるのです。

 私なんぞは憎まれ役ですから、「面白くも何ともない。そういう暇があったら、今日やった文法を復習しろ」とか、「漢字の練習をしろ」とか言ってしまうのですが、だいたいにおいて、地道な作業中に、そんなことを言って、(皆を引きずりこんで)ごまかそうとする手合いがいるのです。そして、同じような学生が何人かいると、ワイワイガヤガヤが始まってしまうのです。

 彼らの国では、きっとそうやって、勉強でもワイワイガヤガヤとやっているのでしょうね。でもね、日本ではそんなことばかりやっていると、嫌われますよ。やはり地道が一番。なにせ、日本人はコツコツ、セッセというタイプの人が大好きなんですから、天才よりも。

日々是好日
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「冬が来ました」。

2014-12-03 18:15:01 | 日本語学校
 晴れ。

 風が冷たく、強い。

 昨日、道に散り敷いていた落ち葉はどこへ行ってしまったのでしょうね。今朝、もっと落ち葉が積もっているであろうと思っていたのに、意に反して、随分少なくなっていました。

 風に吹き飛ばされたにしても、落ち葉の吹きだまりが近所にあるはずなのに、そういうものも見当たらない。ということは、ご近所さんが、早朝、早起きして掃いたということかしらん。それにしても、葉を落とした木々がすっきりとして見えること。急に、風通しがよくなったようで、見ているうちにブルブルッとしてきました。

 まだ体が「冬」に慣れていないのです。関東地方でも山の方ではとっくに雪が降っているというのに、この辺り、海の近くでは、ずっとそれほど寒くはなかったのです。

 ですから、一昨日、雨が降って、寒くなって…となると、遅れたり、休んだり…の人が続出。新しい学生の中には、「起きられませんでした」という人もいて。それはそれで、しょうがないとしても、二年生の中にもいたので、本当に「こらっ」でした。

 だって、7日には「日本語能力試験」があるのですよ。それなのに…もう、まったく。今年の学生は、「できるだけ点を取る」と意気込むのとは真逆に、「一点上がった。うれしいな」で終わり。それだけで、喜んでくれる人が多くて…、欲がないというか、のんびりしているというか…いやはや、教師としてはちょっと、張り合いがなくて、空気の抜けて風船みたいになってしまうほどなのです、こちらの方が。

 今日も、「Aクラス」で、「N2」の文法の説明をしていたのですが、そこに、今回も「N3」を受ける学生が、単語の質問をし始めると、自分の問題はそっちのけにして、「それはこうだ」「いやいや、ああだ」とお節介が始まってしまい、(頭に来た私が)雷を落とすと、「先生、(このクラスは)楽しいね」と機嫌取りが始まります。「どこが楽しい。私は全く楽しくない。この顔を見て判るだろう。勉強しろ」と怖い顔をして見せても、「先生は怖い顔をしたことがない」と、心にもないことを言って、茶化します。

そう言って、話を逸らしている学生達も、一人一人を見れば、これまで二年近くの間、私がひどく叱りつけたことも一度や二度ではありませんでした。

 ただ、最後までついてこれた(頑張れた)ということは、つまりは、目的が私たちと同じだったということなのです。そうでなければ、どうして、叱られたのかも判らずじまい、2年いたとしても、「ああ、ここでは嫌な思いをした」としか(思い出に)残らないことでしょう。

 結果次第で、この2年間の色合いが変わってしまうのです。本来ならば、2年間頑張れたから、「いい思い出になった」なのでしょうけれども。

 そうは言いましても、本当に、勉強で縛り付ける必要さえなければ、みんな気のいい学生達です。

 スリランカ人というのは、一人でも、飽きっぽい学生がクラスにいると、本来なら集中力のある学生まで、そちらの方に引きずられていくので、ちょっと始末に困る。これは、それが彼等の習性なのか、それとも、そうせねばならぬ(村八分にされたりする)から、そうしているだけなのかは判らないのですけれども。

 その点、今いるベトナム人学生は、一人でコツコツとやるので、楽と言えば楽。判らないことだけを聞いてくれるので、放っていても大丈夫なのです。

 できれば、もうみんな中学生や高校生ではないのだから、一人でも勉強できてほしいですね。もっとも、国でもそれほどやっていなかったという人達が大半を占めているのでしょうから、それは、ちょっと、無理かもしれませんが。

日々是好日
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「『セッセセッセと蟻さんのよう』は、貶めて言っているのではない」

2014-12-01 10:10:59 | 日本語学校
 小雨。

 気温は暖かく、12度から20度とありましたが…、もう「師走」なんですよね…。

 クリスマスの植木、「シクラメン」や「ポインセチア」などは、11月の中旬頃から街に溢れていましたし、クリスマスのイルミネーションとかディスプレイ用の小物なども早くから売られていました。

 「日本はキリスト者の国ではないのに」と言った嘆きも、聞かれなくなって久しい。もう風物詩になってしまって、変でも何でもないのです。下手をすると、(これでは)キリスト者の国のようにクリスマスも正月も一緒くたになってしまうかもしれません。

 (日本には)八百万の神々がいるから一人くらい増えてもどうってことはないと(日本人が)言っても、あちらは一神教を信じる人達。こちらがよくても向こうがいいと言うかどうかは、ちょっと判りません。

 だいたい、結婚式は教会で、お葬式は神式か仏式で。お参りも神社でも寺院でも、分け隔てなくし、願い事も同じようにし、御神籤もどちら(神社でも寺院)でも構わずひき、喜んだり、嘆いたりする。

 多分、日本人にとっては「お天道様」しかないのです。そして、その眷属たる山や海や川、年経りた木々や奇岩などの幾柱もの神々が、ワイワイガヤガヤ言いながら、地震や雷や津波、雨や日照りなどの天災を決めていく…ような国なのでしょう。

 とはいえ、神さまも何系かに分かれているそうで、大きくは素戔嗚尊系の出雲神社、天照大神系の伊勢神宮と、あちらではこの月は神さまがいない月と言い、こちらではそんなことはないと言い、といった具合に、神さまの世界もはっきりしていません…。土台、この世にははっきりしたものなんてないのです。それが日本人の、思想というと烏滸がましいので、「感じ」。この世に対する「目」なのです。

 だから、救いがあるのでしょうね。人間、型に嵌められてしまうと、にっちもさっちもいかなくなり、壊れてしまいやすくなってしまいます。
 
 神さまの世界だってそうなのだから、人間の世界だって、そんなものと気楽に考えた方がいい…というのも、それが日本人だから言えることなのでしょう。

 四季があると言うことは、テレ~としているわけにはいかないのです。常に、数ヶ月後を見越して動かなければならないということで、半年から九か月のうちに、食べ物を準備しておかねば、冬の食べ物がない時期に、雪に鎖された家で飢え死にしてしまうことになってしまいます。

 もちろん、一生懸命に働けば、飢え死にすることもなく、食いつないでいける。だから、傍目から見れば、いつも何かに追われているように見える日本人も、そうするには、それなりの理由があるのです。

 私たちの先祖は、こういう、豊かだけれども天災の多い土地に来たわけで、そして年月を経ていくうちに、習いが性となり、とにかく働かねばとなっていったのでしょう。

 働くにしても、蟻さんのように、セッセセッセと倦まず弛まずに働くことが推奨され、機敏にうまく立ち振る舞う人は、どちらかといえば、嫌がられてきました。これも、「手作り・物作り」を重んじる人気を作ってきた一つの理由でしょう。

 時々、そういう日本人の性癖と合わないと思われる南国人がいます。目ざとく、機転が利き、油断ならぬ人達。商売人のお国柄であれば、日本人が徳とすることも、彼等から見れば愚かしいで片付けられてしまうでしょうし、反対に、彼等が是とすることも、日本人から見れば、なかなか認められないというようなことも多いのです。

 「風土が培ってきた」と言えば、なんとなくわかったような気になって、考えることをやめてしまうのですが。それでは、「国民性が違う、だから不可抗力だ」となってしまい、何も解決しないのです。共に生きていくために、相手を理解しようとまでは至れないのです。

 確かに、長い年月、それによって培われて来たものは、一朝一夕には改めることができません。価値観もそうです。しかしながら、それでは、違う文化を認めることができないでしょう。

 けれども、少なくとも、数年をその地で生きていこうと思うなら、(日本に来たからには)日本のことを見なければなりません。また見るべきなのです。それができなければ、「日本人は愚かしい」で終わり、何のために日本に来ているのかが判らなくなってしまいます。少なくとも、勉強したいとやってきているのですから。

 日本人が愚かしいと思うのなら、この地にいても何ら得ることはできないでしょうし、いる必要はないということになってしまいます。

 何と言っても、田畑を耕しはじめた頃から、日本人は奇を衒う人よりも、孜々汲汲と働く人を重んじるという性癖を持っているのですから。

日々是好日
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