日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「名前… ええ! 姓がない!? ええっ!本当はこれじゃない?! ええっ……」

2013-11-22 14:18:14 | 日本語の授業
 快晴。こうも秋らしい爽やかな日が続くと、ちょっと不安になってきます。大丈夫でしょうね、どこかに落とし穴が潜んでいるのではないでしょうかしらん…。

 別に心配症というわけでもなく、あまりに平穏無事な日が続くと、こんなふうな気分になってしまう…というのが、普通の、平均的な日本人なのでしょう。

 中国にいる時、いつも、騙されるのではないかと緊張しているのが、とても嫌だったのですが(自分ではピンピンに神経を研ぎ澄ませているような気分)、中国人の友人に、そう言うと、「ええっ」と驚かれ、「いつもボケッとしているナと思っていた」と言われ、愕然としたことがありました。

 私のつもりでは、外に出る時、周りを、おさおさ怠らず、警戒して、ビシッとしているつもりだったのに。そうは見えていなかったのか…。

 平和呆けしているし、だれかが助けてくれるものと信じ込むのが習いとなっている日本人は、(中国人の目からは)どこから見ても、やはり間抜けであったようです。

 きっと、心配し、警戒している部分というか、面が、彼らとは違うのでしょう。だから、不用心にも見えてしまうのでしょう。

 ちょっとの地震にオタオタする中国人の友人を笑ったりしていたのですが、それも、環境の違いですかね。数年前に、夜中に地震が起きた時のことです。パジャマのまま外に飛び出したという話を聞いて、日本人は皆大笑い。

 だって、あれくらいの地震なら、揺れで一度目覚めたとしても、日本人なら、直ぐにまた寝直してしまいます。それが、パジャマを着たまま外に飛び出したなんて言うのですから。外にいた人の方がびっくりしたことでしょう。その上、家の中で揺れても(特に寝ている時には揺れは大きく感じられるものです)、それが外では全く感じられなかったなんてこともよくあることです。

 地震などに関しては、日本人は、(地震の経験がない国や地域の人達から見れば)神経質なほど構えています。ところが、よく騙されたり、なくした品が戻ってくるはずがないと思い込んでいる人達から見れば、「多分、戻ってくると思うよ」なんて言っている日本人は、脳天気のアホにしか見えないでしょう。

 もちろん、理想は、地震などに慣れたりすることなく、しかも人を簡単に信じることのできる社会なのでしょうけれども。

 さて、学校です。

 大学進学のための願書書きが始まっています。一組は既に終わり、それを見ていた次の組が自分達も早く書きたいとやって来ました。彼らが下書きしたり、それをまた書き直したりしているのを見て、やっと少し焦り始めたのでしょう。けれども、「日本語能力試験」がすぐそこに控えています。それが終わってからやっても間に合うということで、待ってもらっているのですが…。

 ところで、こういう願書書きの時には、面倒なことがいろいろ出てきます。もちろん、一つ二つどころではないのです。その中でも、もし、私たちがこういう日本語学校なぞに勤めていなくて、外国人とただの友達づきあいだけで終わっていたとしたら、おそらくは全く知らなかったであろうと思われるようなことの一つに、「名前」があります。これはとても大変。だって、人の基本となる「名前」に関することなのですから。

 中国の内モンゴルの学生達の時のこと。初めて、彼らの名前を聞いた時、「姓」がないなんて思ってもいませんでした。無意識のうちに、おそらくは最初の一字か二字が姓であろうと思い、別に問いただしたりすることはなかったのですが、ある時、彼らには姓がなく、名前だけであることがわかり、びっくり。

 日本では、試験の申し込みにせよ何にせよ、「姓」と「名」を分けて書くようになっていますから、いちいち申込先にどうしたらいいのかを聞かねばなりません。私たちからすれば、自分の名を「『割いて』書かせる」というのも、ちょっと…と思われたりはするのですが、彼らは、それは事務的なことでしょうしようがないと思っているようです。が、こちらとすれば、何か気の毒なことをさせているような気がして…落ち着かないのです。

 そして、スリランカの学生達。まず、長い、名前が長いのです。たとえば「リリアン・リチャード・ジョナサン・…」なんて、八つも九つも続く名を持つ者がいる。当然、枠に入り切りません。だいたい、名前を書く枠は(姓と名を含めて)二十字分くらいしかないのです。で、途中「L・R」にしたりして、枠内に収めることになってしまう。

 次に「姓」です。「本当は、こっちの方が『姓』なのだけれども、途中にあるので、パスポートにする時、ここを姓にするように言われた」。「…???」
 
 よくわからないのですが、結局は、(願書やら申込書やらは)パスポート通りに書かなければなりませんから、「本当は何々だけれども」ということを言いながら、別のことを書くということになるのです。それに、彼らは英語だと言うけれども、発音とスペルとが合わないのです。

 そのせいか、彼ら自身、名前を書く時に書き間違えるということもあるのです。最初は「嘘でしょう、自分の名前を書き間違えるなんて」と思っていましたが、スペルを見ながら、彼らの発音を聞いていると、長いし、こりゃァ、しょうがないかななんて気にもなってきます。

 そして、バングラデシュの学生の名前です。申し込みの名前を書く欄に、きれいにボールペンで書いてあるのですが、その確かめのために、パスポートを見ると、違うのです、名前が。「バングラデシュよ、お前もか」という感じで、在留カードを見てみると、彼が書いてあった通りの名前が書いてあるのです。よくわからない…と首を捻っていると、本当の名前は在留カードに書いてある通りだといいます。ただ、彼の場合は「姓」がないので、パスポートを取得する時に、「姓」がつけられたらしい。ただ、彼の気持ちとしては、「これは私の名前じゃありません。あっちが私の本当の名前です」。

 ただ、大学の願書にはパスポートと同じ名前にしなければなりませんから、書き直さなければなりません。でも、彼の顔を見ると…「本当じゃないのにナ。こう書かなければならないのかナ」というのがありありとしています。

 本当に大変です。彼らも、そして私たちも。

日々是好日
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