日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「卒業生の沖縄旅行」

2011-09-30 08:57:50 | 日本語の授業
 晴れ。今日も昨日にひき続き、夏日になるそうです。

 昨日は、久しぶりに「外が暑い」状態で、特に午後のクラスでは、授業の前に教室に入ってみますと、しっかり「冷房」がつけられていました。聞くと、いかにも当然といった面持ちで「暑いです」。まあ、それはそうですけれども。

 ふと考えてしまいます。去年は「猛暑」でしたから、論外として、「例年」といわれる「例年」は、どうだったのでしょう。毎年、「今年は異常気象だ」と言われて、そうなのかと、単に言われるままに思っているだけでしたが、あまりいつもいつも、そういわれているうちに、どうも「異常」というのは、「正常」の誤りなのではあるまいかなどと思うようになってしまいました。いわゆる「異常」というのが「常態」であって、「正常」などといわれるような状態こそが「異常」なのであると。

 ただ、以前、だれかから「現在の東京の気温は、幕末期の薩摩と同じである」というのを聞いたことがあります。平均気温が2度上がったとか、3度上がったとか言われても、何がなにやら、少しもピンと来ないのですが、こう聞くと、「おおっ」と、思わず、驚いてしまいます。

 言われるまでもなく、鹿児島の陽差しは東京辺りのものとは、全く違います。九州の中であっても、福岡と鹿児島は、全く違うのです。それでも、福岡や大分に一週間でもいると、きれいに日焼けしてしまいます。それが関東に戻ってくると、色が退いていくのです。それでも、東北の人たち曰く、「関東は陽射しが強い」ですからね。

 小さな島国である日本であっても、考えてみれば、海岸線が非常に長いのです。得てして、この長さも東西のことばかり考えがちですが、東西に長いと言うことは、つまるところ、南北にも長いのです。

 そういえば、先日、卒業生が沖縄のお菓子を持ってきてくれましたっけ。
 夏休みを利用して沖縄旅行をしてきたのだそうです。首里城、沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館へ行き、水納(みんな)ビーチで泳いできたのだそうです。沖縄はとてもよかった。海はきれいだったし、水族館は面白かったし、楽しかった、楽しかったと繰り返していました。それを証拠立てるように、真っ黒になっていました。

 一緒に行ったのは大学の同級生とのことで、やっと同じ大学で友だちができたのだと、少し、ホッとしました。この学生は、入学後一年目は、いつ来ても、「楽しくない」だの「面白くない」だのとこぼしていたのです。

 日本語学校の時の友だち(寮でも一緒だったのです)とは、連絡しているかと聞きますと、「一人は同じ東京でも遠くに行ったからなかなか会えない。一人は理工学部に行ったので、いつも夜8時まで授業で忙しくて会えない」とのこと。

 時々は連絡し合っているようでしたから、安心しました。こうやって、新しい友だちと旅行したり、授業で助け合ったりして、いい経験を積んでいくのでしょう。

日々是好日
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「同国人の先輩」。

2011-09-29 09:32:25 | 日本語の授業
 今朝は、白々と、それと判らぬ間に明けていきました。ところが、今はきれいな青空が拡がっています。全く判らぬものですね、お天気というものは。夕空や朝空を見て、明日の天気、今日の天気を言い当てたという、いにしえの名人ならぬ身。私なぞ、空が真っ赤に燃えれば、それだけで、明日はいい天気だとか、今日は晴れるぞとか思ってしまいますもの。

 秋晴れも、天気予報によると、今日で終わりとか。明日からは、またお天気が下り坂になるそうで、土曜日の雨を境に、ぐっと気温が下がると言います。もちろん、これはあくまで予報、予報です。

 前回など、「明日は雨が降るそうだから、傘を忘れないように」と言ったのに、お空が我慢してしまって、その日は、結局、一滴も零しませんでした。毎日、少しでも荷を軽くしたいと、そればかりを考えている学生たちから、「せんせ~え、降らなかった~(つまり、折りたたみ傘の分、重かった、責任取ってくれということなのです)」の大合唱で、それゆえ、こういう場合は必ず尾っぽをつけて、逃げ道の準備をしながら言うことにしているのですが。

 さて、学校です。
来日後、半年ほどになるでしょうか、遠距離通学をしていた学生夫婦が、(やはり大変だから)と、行徳に引っ越してきました。アパートを探しはじめたのは、随分前でしたが、やっと引っ越しの段階まで至ることができて、ホッとしているたことでしょう。荷物は大したことがないので、二日ほど往復すれば間に合うと言います。

 その、往復した、第一日目。荷物を運んだあと、その夜は、引っ越し先に泊まったようで、朝、爽やかな顔で現れました。

 今のアルバイト先は、「Aクラス」の先輩が紹介してくれた所です。彼らのアパートからも、学校からも、歩いても行ける所です。彼ら曰く、それはそれとして、できれば、この近所で、もう一つ、探したいとのこと。日本語さえ、ある程度できれば、あとは人柄と努力あるのみです。チャンスは、歩き回り、探し回ることからも生まれますから、まずはこの近所に住むということが大前提でしょう。

 ここに住んでいれば、勉強も、アルバイトも「この辺り」ですみます。そうすれば、寝る時間も、勉強する時間も、充分足りることでしょう。それに、困ったことがあった場合も、すぐに(だれかが)駆けつけることができますし、知恵を貸すこともできるでしょう。

 彼らに関しては、まず、これで一安心です。あとは「Aクラス」の先輩連が面倒をみてくれることでしょう。日本に来てからすぐに学校の寮に入った学生には、既に同国人の先輩が、携帯電話の世話やら、外国人登録証の面倒やらをしてくれて、私たちはそれほど気を遣わなくてもすみました。

 ただ、同国人の先輩がいない場合は、やはり学校側から人が出るということになります。とはいえ、近くですから、自転車で行けます。

 この同国人の先輩の存在というのは、初めて来日した学生たちにとって、わたしたち以上に、大きな存在のようです。勉強どころか生活面でもサポートしてくれるのですから。もちろん、先輩がいるだけではだめです。彼ら(先輩)が立派に日本語を話し、自立できていなければ、(後輩にとって)あまり意味はありません。

 こういうつながりができていない国の人も少なくないのです。休みがちだったり、学校で寝ていたしますと、すぐに(授業に)おいて行かれます。どんどん判らなくなっていきますから、当然、勉強が面白くない。行っても判らないから、行きたくない。それの繰り返しで、次の学生たちが日本へ来る頃には、もう一度下の(その)クラスでやり直すということになってしまいます。また、やり直したとしても、同じような生活をしていると、またまた判らなくなってしまうのです。

 「初級Ⅰ」は、まじめに毎日学校に通ってさえいれば、そして宿題をしてさえいれば、普通、どの国の人でもやり直さずにすむでしょう。もっとも「初級Ⅱ」はそう簡単ではないので、何度か大切な部分で休んでしまうと、ついて行けなくなり、もう一度やった方がよくなるかもしれません。

 ただ、毎日学校に通っていても、非漢字圏の学生の場合、「中級」の後半部分はもう一度やった方がいいというのも少なくないのです。それだけ、「中級」とはいえ、後半部分は、彼らにとっては難しいのです。

 こういう勉強を、異国で、しかも母国にいたように父母の保護があるわけでもない中でなされていくのです。以前の中国人達のようにタフならいざしらず、南国でのんびりと育ってきたような人たちには、想像を絶することなのかもしれません。

日々是好日

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「秋の色」。「試験を前に、『四月生』と『十学生』」。

2011-09-28 12:56:18 | 日本語の授業
 東の空が、うっすらとバラ色になったかとおもうと、静かに色を薄めていきます。ゆっくりと淡い菫色になり、それが次第に、周りの雲の色に呑み込まれていきます。今朝も静かに夜は明けました。

 正に、秋らしい一日の始まりです。この一週間で、人々の服装も変わりました。もう半袖では、どこかしら不釣り合いなのです。色も、秋の色になってきました。これも人に強いられてというよりも、そういう色の方が、(着ていても)落ち着くのでしょう。街の景色にしっくりとしています。とはいえ、ここ行徳は、東南アジア、西南アジアの人たちが多く住む街でもありますので、色にも、どこかしら異国情緒が漂います。

 秋の、服で日本的な色合いと言いますと、それはどうしても錦。紅葉の色がどこかに含まれている色となります。錦ですから、いわば何でもありなのですが、そこは不思議なもので、夏とも春とも違うシックさがある…という具合。

 ただ、秋の色と、言葉ではそう言いましても、なかなかそれを追求することは難しい。普段の生活では無理でしょう、平安貴族の世界にでも行かねば。

 さて、学校です。
つい、一二週間前までは、「暑い、暑い」と汗みずくで、学校に来ていた学生たちも、最近は、窓を開けると、「先生!寒い、寒い」と大騒ぎ。「換気のためだ」と、それでも、力尽くで開けてしまうのですが、そうしたらそうしたで、あっちでもこっちでも、「ん~ん、もう先生ったら」と、慌てて上着を羽織っています。

 お日様が出ていれば、まだまだ過ごしやすいのですが、夏が暑かっただけに、そして節電の夏であったが故に、この、急激な気温の変化」がこたえているようです。彼らを見ていると、なかなか素直に「涼しくなったね。よかった、よかった」とは言えなくなります。

 「Aクラス」では、やっと今週中に「上級」の教科書が終わり、「留学生試験」と「日本語能力試験(N1)(N2)」に向けた授業が始められそうです。例年に比べて、少々遅れ気味ではあるのですが、それでも、中国人だけではなく、フィリピン人の学生三人を入れてのクラスですから、(進度も)まあ、こんなものでしょう。

 「Bクラス」でも、「中級」から「上級」に進み、平行して、「日本語能力試験(N2)」に向けての「ヒアリング」や「文法」も始めます。

 四月に来ようが、一月に来ようが、皆二年間の日本語学習時間が保障されていればいいのですが、そういうわけではなく、四月に来日して勉強を始めた者は、一年半ほどで大学受験シーズンが始まり、十月に来た者は一年と少しで、大学を目指さなければなりません。十月に来た学生を教えていると、どうしても、あと三ヶ月、いや、一ヶ月でもいいから(時間が)あったらと思います。もっとも、これはきちんと学校に通い、言われたとおりのことを地道にやっている学生に対してだけですが。

 言語の場合、母国で、ある程度勉強していても、イメージトレーニングをするまでには、至っていない場合が多いのです。当然のことながら、同一の事柄であっても、日本人がするそれとは、全く違うとらえ方をしてしまうということも少なくありません。

 本人は、「みんな(単語の意味も文法も)判ったのに…(どうして違うのだろう)」と戸惑ってしまうようですが、頭の中に、「これは他国の文化の上に成り立っている、他国の言語である」という意識が本当には育っていないのです。

 日本で生活しながら、勉強しているうちに、少しずつ(それは)判っていくようですが、「初級」の最初から始めた学生であれば、その都度、必要なことが漏れないように入れられていきますから、やはり、かなりの時間が経たねば、この面では(彼らに)おいついていけないようです。

 何事に寄らず基礎は大切です。「拍」がしっかり掴めていないと、勉強していく上で限界が早く来てしまうのです。日本人が聞いて、「変だな」と思うばかりでなく、「試験」の時に正確に聞き取れていないわけですし、書けないわけですから、×になってしまいます。

 また今年も、こういう悩ましい時期に来ています。何事もうまくいくといいのですが。

日々是好日
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「アルバイト」。「異国での生活」。

2011-09-27 13:08:15 | 日本語の授業
 昨日は見事な朝焼けが見られたというのに、それに、朝方は、お天気もまあまあだったというのに、昼過ぎてから曇り始め、直に雨となってしまいました。もっとも、小雨がぱらつく程度だったのですが、それにしても、朝焼けが見事であった分、どこかしら「裏切られた」ような気分がしてなりません。

 ほんに「秋の空」と「山の天気」とはよく言ったもの。お天気は、彼らの心のままに、移ろい、揺れていきます。人というのは鯰の背に乗っかった哀れなものとは古来から言われていたところですが、地震のような天変地異とまでは行かなくとも、馴れているはずの台風にさえ、次々に「初めて」という形容がつけられますと、その度に右往左往してしまいます。

 哀しいかな、哀しいかな。それが無常観につながることが、よけい、悲しいのです。諦念を超え、あるがままに、なされるがままにという域にまで、なかなかに至れないことが、悲しいのです。

 さて、そうは言いましても、時は過ぎ、生きんが為の活動は、それはそれなりに、せざるを得ません。人という生き物は、大小にかかわらず、社会を持っており、その中でルールを定め、そのルールに則った活動をして、生きていかなければならないのですから。

 「働かざる者、食うべからず」、これもルールです。懸命に頑張っている人たちには、さまざまな方面からエールが送られ、次第に生活のリズムをつかめてきます。ただ、異国においては、言葉がわからなければ、頑張りようがないというのも事実です。

 運良く、仕事がもらえたとしても、先方の指示が理解できないのでは、動きようがありません。当然のことながら、そういう人たちを、同情心から雇ってくれるような、景気のいい会社は、今の日本には、ありません。生活日本語くらいはできないようでは、いくら(その仕事における)能力があっても、体力や気力があっても、本領を発揮することは不可能に近いのです。しかも、それだけに集中してやるのではなく、学校に通いながらそれをするのですから。

「ひだるさと 寒さと恋と比ぶれば 恥ずかしながら ひだるさぞます」

 まずは生活の安定です。

 昨日、「七月生」が数人、アルバイトの面接に行きました。

 今日、結果を聞くと、一週間後に電話で連絡してくれるとのこと。どうなるかはわかりませんが、まず、動かないことには何も始まりません。

 (先方に)連絡を入れることが、第一歩。面接にまでこぎ着けることが第二歩。あとは…それからのことです。

日々是好日

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「涼しくなりました。肌寒いほどに。」「十五夜と十三夜」。

2011-09-26 13:03:31 | 日本語の授業
 台風が過ぎてからというもの、朝晩めっきり涼しくなりました。こうなると本物の秋です、言い方はおかしいのですが。とはいえ、節電に明け暮れた今年は、この涼しさが待ち遠しく、まだかまだか、という思いが、ひとしお強かったような気がします。ただ大災害をもたらした台風が運んできた…というのは、悲しいことでしたが。

 ここ、日本の関東地方にいて、3.11を経験し、それ以後の計画停電、そしてこの夏の自主的な節電を経験した人なら、だれもが、この夏と、そしてこれから来る冬にどこか不安な思いを抱いていると思います。夏の暑さはどうにかクリアしたけれども、冬の寒さは。

 もとより、東京近辺の冬はまだよい、問題は東北地方の寒さです。雪が降れば、カラカラに乾いた寒さではなく、湿り気を帯びた寒さがやってきます。経験のない者は想像するしかないのですが、それでもだいじょうぶかなと不安になってきます。身体を痛めるほどの我慢はなさらないようにと、それを思わずにはいられません。

 とはいえ、まだ秋です。この辺りでは、ススキの穂はまだ涼やかなものです。すっきりとした若者の姿です。ところが、土曜日に富士山が冠雪したとの報告がなされ、うっすらと雪化粧した富士の頂が、きれいな映像で流れてきました。やはり富士はいいですね。秋の山は、どれもすばらしいけれども、富士山は特別です。また雪を被るといっそう神々しく見えてきます。富士はこうやってだんだんと人を寄せ付けぬ冬の季節へと入っていくのでしょう。

 地上でも、曼珠沙華が満開で、あちこちで、赤い花をつけています。ただ、コスモスはまだ盛りを迎えていないようですが。

 ところで、先日、友人と「月見」の事を話していた時のことですが、どうもススキのところで話が噛み合わないのです。「お月見」をする夜は、子供の仕事はススキ取りだったと私が言うと、彼女は「まだ早いでしょう」と言う。思わず、違ったかなと思ってしまったのですが、いやいや、惚けるにはまだ間がある。確かに取りに行った…で、話は平行線。

 後でハッとして「いつ?」と聞くと、東京では、「新暦」で祝い、九州の、私の方では「旧暦」で祝っていたということが判りました。埒もないことでしたが、二人とも真剣にしばらく悩んでいたのです。東京の方が先に寒くなるはずですから。

 思い込みというのは恐ろしいものです。いわゆる「後の月」で「お月見」をしていた私にとって、「どうもこちら(東京)の『月見』は、今ひとつ(雰囲気が足りない)」。それも当然でしたね。ただ「十五夜」と「十三夜」の、その間に数年あり、その時私は中国にいたわけで、日本的な「お月見」と離れていたわけです。だから、何が何だか判らなくなっても当然…でしょう。

 とはいえ、「郷に入りては郷に従へ」ですからね、どちらにしても「月見」は「月見」ですからね。

 ちなみに、今年の「後の月」は、10月9日だそうです。今年は、「片見月」に終わらせないようカレンダーに書いておきましょう。

 ところで、今朝の日の出は特別でした。見事に空が燃えました。黒一色の空に少し紫が入りはじめたかと思うと、突然に朱色です。しかも、雲の浪がそれを炎のように形作っています。

 その朱色も燃え上がったと見ると、また、みるみる色が薄れていきます。炎がだんだんと桜色になり、そして周りの空と同じ色になる、まったく朝焼けに同じ姿はありません。

 「おまえはこんなに美しい」と叫んで逝った人もいれば、何を思う間もなく命果てた人もいます。こういう世に生きることを不条理と言うならば、この世にあること自体がそれで、存在している以上、宿主にとやかく言うことはできません。生き物というものは、静かに生まれ存在しそして朽ちていく、それが一番いいのでしょう。

 さて、風がそよりと吹いてきました。
 そろそろ授業が始まります。
日々是好日
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「台風一過」。

2011-09-22 10:03:05 | 日本語の授業
 今朝は快晴。

 「台風一過」とは、よく言ったものです。しかし、テカテカのベランダには、五、六種類の樹から飛ばされてきた小枝が、あちこちに散在していました。長くても、10㌢ほどのものですが。しかしながら、どうやって折られてくるのでしょう、散っているのは、枝の先端の部分だけなのです。

 その片付けから、一日は始まりました。しかし、土の地面ではありませんから、葉は、ベランダに吸い付くようにへばりついていて、なかなか剥がれないのです。で、結局、表面的な掃き掃除だけで終わりにしてしまったのですが。

 こうなりますと、やはり、土の地面が恋しくなります。土の上であれば、茶色や緑の葉であれ、華麗な花であれ、調和がとれていて、少しも違和感がないのです。どのような色であれ、バランスを壊す色に見えないのです。

 ところが、それが人工物の上に乗っかっていますと、どのようにしつらえてあろうと、どこか異物的な存在になってしまいます。色自体が調和を乱す、奇妙奇天烈な存在になってしまうのです。

 家を出てみますと、外でも、あちらこちらに同じような長さの小枝が散らばっています。アスファルトの上も、いけませんね、ゴミとしか感じられないのです。

 落ち葉も折れた枝も、山で見ると、それなりに風情を感じさせる存在なのですが、ここではいけません。ここにあるのは、それなりの事情があるから、あるのだという主張が感じられないのです。道路やベランダなどの上では、それは借り物であり、異物であり、存在理由を失った存在でしかないのです。

 それから目についたのは、透明のビニール傘。破損したり骨を折られたりしたものが大半でした。ビニール傘は、便利ではありますけれども、昨日のような強風では役に立ちません。普通の傘でさえ、折れたり、骨が天上を向いたりしてしまったのですから。便利傘は、あくまでほんの少しの便利でしかないのです。

 私も、傘に、帰り着くまでの間に、二度ほど、明後日の方向を向かれてしまいました。風が、一方向から吹いるわけではないので、大騒ぎをしている間に、ひっくりかえってしまうのです。今、北から吹いてきたからと、そちらを背にしていると、すぐに風が廻って、東からのものになり、それがまたあっという間に南からのものになってしまう。

 頭に来て、傘を閉じて濡れて帰ろうとしましたが、いろいろなものが道を転がっていたり、飛ばされてきたりしますので、ささずに歩くのも危ない。というわけで、傘を半分ほど閉じたままの姿で帰ることにしました。見るとそうやって歩いている人が何人もいます。

 まあ、私の場合、家が近いから救われたのですけれども。
家に着いてテレビを見てみますと、ずっと台風ニュースが流れていたようです。渋谷駅や池袋駅は人で埋まっています。電車がだめなら、タクシーかバスでという人も多く、駅前の乗り場には、これまた大勢の人が並んでいます。すぐに(駅か会社から)人が出されて、整理を始めたのでしょうか、いくつか折れ曲がりながら、きれいな列になっています。

「もう、一時間ほど並んでいます。三十分ほど過ぎた頃から、タクシーが来なくなりましたね」という人もいます。諦めて、歩き始めた人もいます。けれども、歩くにしても、どの道をどう歩いて帰ったらいいのかいいのか判らないという人も少なくなかったようです。

 それはそうですね。皆、東京の地図が頭にあるわけではありませんから。それに、あんなに風が強くては、道を歩くのは危険です。なぎ倒された街路樹もあったようですし。

 学校では3時半前に学生を帰しました。大半の学生はこの行徳に住んでいますから、それほど心配はしていないのですが、何人か一時間ほどかかるところから来ている学生がいるのです。

 ただ、折悪しく、昨日はアルバイトの面接日でした。しかも時間が六時から七時までとちょうど台風が一番酷い時。前日に、そのアルバイトをした経験のある学生から、(面接に来る人が列をなすから)早めにいった方がいいと言われ、5時半前には会場に着くように(寮を)出たのに、東西線が不通になっています。学生たちはどうしていいか判らず途方に暮れていたことでしょう。台風の進路や交通状況を逐一チェックしていた教員がすぐに連絡を入れて、今日は行くのを止めるようにさせます。(アルバイトは)人数が一杯になったら、それで締め切ると書かれていたので、学生たちは少し焦っていたのです。

 今日は、本当にいいお天気です。昨日の台風がうそのように、はすかいのマンションでは布団が、「鈴なりに」干されています。先程まで羊雲がひろがっていたのですが、今また青空に変わっています。

一時期、欠席がちだった学生たちも、最近は休まず来るようになりました。今日も一日、佳い日になりますように。

日々是好日
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「さてもせわしき 酒の燗」。

2011-09-21 11:35:53 | 日本語の授業
 断続的に雨は降っています。今は小降りですが。テレビはずっと台風の様子を報道し続けています。先だっての台風の被害が皆の脳裏に残っているからでしょう。しかも関東地方を直撃するそうですし。

 一昨日の夕から、気温もぐっと下がっています。昨日は、学校でも、閉めると湿気が籠もるし、開けると真向かいの工事がうるさいし…やらで、結局、は開けたり閉めたりを繰り返していました。午前中はさすがの学生たちも、冷房をつけろとは言いませんでした。それどころか、長袖のシャツを着たり脱いだり…、

「世の中は さてもせわしき 酒の燗 ちろりの袴 着たりぬいだり」(太田南畝)

 南畝は、当時の役人の様を揶揄して作ったもののようですが、窓を開けたり閉めたり、あるいは、物をあっちへやったりこっちへやったりとしている時に、ふとこの句が浮かんでくることがあります。思わず、ニヤッとしてしまうのですが。

 忙しいと、いや実際には忙しくなくてもですが、自分がある一つのことに、心を囚われているから、そのこと以外は目に入らなくなり、気ぜわしく落ち着かなくなってしまうのでしょう。他のことが見えなくなっているのです。

 そういうとき、川柳や狂歌というものはいいですね。人がこういう「落首」から離れられないというのも頷けます。思わず笑ってしまいますもの、どんな状態であっても。心がバッと解けるのです。何をしていたのかと、あるいは、つまらないことに必死になっていたのだなと気がつくのです。まあ、つまらないことというわけでもないのでしょうが、目先のことにばかり追われて、わけがわからなくなっている時は、やはり「急がば回れ」が一番いいようです。

 そのきっかけとして、音楽を聴く人もいれば、絵を見に行く人もいる。神社や寺に行く人もいれば、散策を楽しむ人もいる。人によって己を取り戻す方法は様々で、寺にしても、この寺のこの座敷でなくてはと言う人もいれば、どこでもいいという人もいる。

 もっとも、そういう場所や事柄を、早くから見いだせた人は幸せでしょう。「そんなことわかっている。ただ、どうやって気分転換を図っていいのかわからない」というのが、多くの人の実感でしょうから。

 そういう気分転換ができずに、物事に捉えられてしまうと、果ては病になり、死ぬことにもなりかねません。

 何事も「ほどほど」がよろしいようで。

日々是好日
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「(秋の)虫の声」。「無い物ねだりの人間」。

2011-09-20 12:22:53 | 日本語の授業
 チチチチ、チチチチと虫が鳴いています。「マツムシ」のようです。インターネットが発達したおかげで、多くの人がそれを安価に享受できるようになりました。そのおかげで、私も、好きな時に、自然の中での虫の声を聞き、その名を知ることができるようになりました。

ほんの少し前までは、聞こえてくる(虫の)声を、それぞれ「人の言葉」に訳し直し、それで虫の物語を織り上げ、語り継いでいくという風でしたが、いつの間にか、そういうこともなくなってしまいました。

 日本人なら、おそらく、子供の時に、「虫の声」という歌を歌ったことがあるでしょう。

「1.あれ まつ虫が ないている    ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
  あれ すず虫が なきだした    りんりん りんりん りーんりん

  秋の夜ながを なきとおす    ああ おもしろい 虫のこえ

 2.きりきり きりきり きりぎりす   がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
  あとから馬おい おいついて    ちょんちょんちょんちょん すいっちょん

  秋の夜ながを なきとおす     ああ おもしろい 虫のこえ 」

 それがいつの間にか、テープで本物の虫の声を聞くことができるようになり、そして、今ではインターネットで、好きな時に、好きなだけ、好きな「秋の虫の声」を楽しむことができるようになりました。

 ところが、人とは不思議なものです。デジタル時計がはやり出すと、アナログの時計を欲しがるようになったり、カラー写真が当たり前になってくると、モノクロ写真のほうに魅力を感じるようになったりしする。それと同じで、こうまで便利になってくると、「虫の声」の歌詞がなにやら恋しくなってきます。

 学生たちの国でも、こうやって虫たちと、親しく暮らすという文化はあるのでしょうか。それとも、虫というのは害虫にすぎないのでしょうか。

 さて、昨日の夕方から、ぐっと気温が下がってきました。今日は長袖を着た学生もいます。これも台風が近づいてきたせいでしょう。秋は、夜の寝苦しさが和らぎ、眠りが深くなる季節でもあります。遅刻者が増えなければいいのですが…。

日々是好日
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「馬肥ゆる秋」。「ミャンマー人卒業生」。

2011-09-16 16:41:45 | 日本語の授業
 暑い、暑い。今日も、昨日同様、暑くなっています。

 今年も、本当に「暑さ寒さも彼岸まで」なのでしょうか。

 とはいえ、「シソ(紫蘇)」に穂がつき、花が咲きました。こうなると、天ぷらにしたシソを思い、刺身のつまとなった、姿が目に浮かびます。やはり「馬肥ゆる」秋なのですね。

 それなのに、今年は大雨(台風による)が産地を襲い、葉物野菜が高騰しています。「食欲の秋」とばかりも言っていられません。日本は野菜が肉よりも高いとは学生たちの弁ですが、最近は、日本人も同じような気持ちになっています。

 さて、学校です。
 昨日、今年、この学校を卒業したミャンマー人学生が訪ねてきました。彼女の場合(日本語の力はある程度あったので)、大学に行った方がいいのではないかと、そちらの方を薦めていたのですが、なかなか「うん」と言いません。

 結局、「母国で大学を出ているから、日本では技術を身につけたい」と言って、専門学校の方を選んだのですが、勉強に満足しているかどうか、少々気になっていたのです。が、本人はケロリとしたもので、楽しそうに専門学校でも生活を話しながら、ポツリと一言、

「日本語学校にいる時に、『N1』に合格しておいてよかった。専門学校では、日本語の勉強なんてできない。アルバイトと専門の勉強だけで、もう精いっぱい」

 彼女が行ったのは、専門学校とはいっても、かなりレベルの高い専門学校で、彼女自身、そこでの勉強に充分満足しているようです。この学校から、その専門学校を受験させたのは、皆、まじめなだけではなく、専門に対する意欲がかなり強い学生たちでした。学生たちの質が高ければ、先生もやる気になってくれるでしょうから、学生達にとっても、そこで吸収できることが多くなります。向学心のある人たちは、やはりそういうところで勉強した方がいいのです。

 それから、前期試験の結果(随分よかったようです)とか、授業の様子(こんな先生がいるといううわさ話めいたものですが)とか、専門(ホテル専門)の実習のこととかを、ひとしきり話していましたが、そのついでに、ふと、(私が)「今、アルバイトが見つからなくて困っている学生がいる」とこぼすと、在学していた頃から、面倒見のよかった彼女、私との話の途中でも、「あ、先生、○◇□に電話してみて」とか、思い出したように教えてくれます。

 そういえば、在学中は何人もの学生が、彼女のお世話になって、彼女が勤めていた工場に紹介してもらっていました。

 ただ、彼女の言うバイト先は、やはりある程度は日本語ができなければ勤められないような場所なのです。学生たちにしても、「N3」とか「N2」くらいの力が備わっていれば、自分たちで、ドンドン勝手に探しに行けます。今、問題になっているのは、そういう力のない、来日して二ヶ月とか三ヶ月とかいう学生たちのことなのです。

 これまでは、近くの工場で雇ってもらえていたのですが、最近は厳しいようで、思うように仕事がもらえません。

 やはり、日本でアルバイトを見つけるには、日本語の力が、ある程度は必要なのです。

日々是好日
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「残暑」。「母国での教育」。

2011-09-15 10:09:35 | 日本語の授業
 毎日、汗びっしょりで学校に着き、着くとすぐ、学校中の窓を開け回して、空気の入れ換えをしています。それから、席について、ブログを書き始めているのですが、書いているうちに汗が自然と退いていくというのは、やはり、季節が既に夏を通り越しているということの証なのでしょう。

 とはいえ、朝の天気予報では、ちょっと一言と、最近は熱中症対策が再び取り上げられるようになってきました。屋外運動を控えるとか、水分を補給しておくようにとか、聞いているうちに、季節が逆戻りしてしまったかのような錯覚に陥ってしまいます。

 昨日は、早朝、秋の虫の声ではなく、蝉の声まで聞こえてきました。学校で皆に話すと、「もしかして、夏が来たと誤解した蝉がいたのかしら」と本気で心配していた人がいたくらいです。

 今朝も、心なしか、秋の虫の声に元気が感じられません。そりゃあそうでしょう、「朝っぱらから、こんなに暑いなんて、とても鳴いてなんぞはいられない」と、ブツクサ言っているかもしれません。虫のみになって考えてみれば、まずは生存のため、少しでも涼しいところを探し出し、そこで体力の温存を図るしかないのです。

 さて、学校です。
一昨日、手術のために一時学校をお休みしていた先生が、元気な顔を見せてくれました。学校に来られる時間が判りませんでしたので、朝のクラスの学生たちにそのことを話しますと、一斉に歓声があがり、「今、来ていますか」と、反対に聞かれてしまいました。そこで、ハッとし、いつ来るのか聞いていなかった…ことに気づき、「う~ん、でも元気になっているという話ですから、安心してください。皆に会えるのは、もう少し先になるかもしれないけれども」と言うと、それはそれなりに学生たちも納得したようでした。

 学生たちも、これからは、進学のために大変な毎日を過ごすことになります。ただ悲しいことに、それがなかなかわからないのです。相変わらず、のんびりと、ここで、ずっと今のままの生活が続くような、そんな気分でいる学生さえいるのです。

 中には、「先生、もう一年、ここにいたいのですが。だめですか」と真顔で聞いてくる学生もいます。まあ、この学校を好きでいてくれるのは嬉しいのですが(それだけではないというのは、よくわかっています)、私たちとしては、早く進学先を見つけて、新しい知識なり技術なりを身に付けてもらいたい。で、そういう方向に進めて行くべく、「来年(この学校を)出るのだぞ。他へ行かなければならないのだぞ」と、毎日彼らの前で、呪文のように唱えています。

 ただ、そういう風にしても、例年、それが実感できるのは、実際にお尻に火がついてからです。で、それを少しでも防ぐために、いつも早め早めに、オープンキャンパスに行かせるようにしているのです。が、今年は三月の原発のせいで、大学の前期試験が夏休みにまでずれ込んでしまったらしく、夏休みの間に一度は行っておくという初期の目論見が外れてしまいました。

 それでも、ギリギリ八月の末に行くことができた学生は、「よかった。あの大学に決めた」と勝手なことを言っています。まあ、どの大学であれ、最初に行ってみた大学が、それなりに、親切に応対してくれたと聞き、ホッとしているのですが。

 時には、「落とさんかな」ばかりの対応を、外国人学生にするという、この国際化の時代にそぐわない大学もあるのです。もっとも、そういうところへは、二度と、たとえ、オープンキャンバスであろうとも、学生たちを行かせたくはありません。

 学生たちは、母国で18年余を過ごしてきています。どこの国でも、日本と同じような教育を受けることができたかというと、そういうものでもないのです(この教育レベルというのには、単に国語・数学・理科・社会・英語などだけではなく、体育や音楽・美術・技術家庭などの科目も含みます)。

 特に社会科系は、差が大きいようです。まじめな学生で、おそらく母国で、学校の授業以外は何も勉強していなかったであろうと思われる学生ほど、そのあおりを受けています

 それから、最近気づいたことなのですが、体育もそのようなのです。日本では、小学校の頃から、実技はもとより、ペーパーテストなどで、ルールの確認などもしているのです。ところが、国によっては、体育というのは名ばかりで、ただ行進の練習に明け暮れしているだけとか、果ては、遊ばせておけばいいというのから、実は科目名こそ、時間割表に書かれているものの、その実態はというと、他の教科の勉強をさせているというようなところまで、あるようなのです。

 もちろん、日本の教育とて、問題は多いので、他国の教育に文句をつけるどころではないのですが。それもこれも、教育というものが、ある意味では玄人とか素人とかの区別がつけにくいところからきているのでしょう。

 とはいえ、「留学生試験」には「総合問題」があります。漢字圏の学生だけであったら、充分にそれらを教えるだけの時間が取れる(一年で「N1」合格という計画)でしょうが、非漢字圏の学生が多いと、かなりそれはきつくなるのです。まあ、それでも、やっていかねばしようがないのでしょうが。

日々是好日
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「『残暑』と『釣瓶落しの夕日』」。「逞しくなった二年生」。

2011-09-14 09:47:55 | 日本語の授業
 昨日も「暑い、暑い」を連発しなければならないような一日でした。昼に外へ出るのが辛くて、穴に引っ込んでしまってたクマのように学校の中に閉じこもっています。実際、毛皮を着ている彼らは大変でしょうね。

 盛夏、一時期、涼しさが続いたからでしょうか、この残暑はこたえます。朝夕の風が秋を運んできているだけに、日が昇ってからのこの暑さは尚更です。昨晩も熱帯夜、そしておそらく今夜も熱帯夜でしょう。こんな暑さは、後五日ほども、続く…らしいのです。暗くなるのが早くなったというのに、暑さだけは居座りつづけているのですから、もう、全く。

 そういえば、昨日、六時少し前でしたが、やっと勉強が終わったタイ人中学生が、帰ろうと玄関を開けるなり、「暗い、暗い。嫌だ。もう真っ暗だ」と大声で言っていましたっけ。

 彼女の場合は、中学校が終わってから、ここへ来るので、どうしても帰りが遅くなってしまうのです。もっとも、どんなに遅くとも六時には帰すようにしているのですが。

 彼女の、あの一声で、気がついたわけでもないのですが、そう言えば、いつの間にか、(夕方)六時の空が暗いと感じるような候になっていました。夜明けもそうです。随分白むのが遅くなりました。そんなこんなしているうちに、また、午後の学生達(終了は4時45分です)が帰る頃、自転車の電気をつけなければならないというようになるのでしょうね。

 さて、学校です。
昨日の朝、9時前5分。この五分前というのがミソです。ちょうど学生達が慌てふためいて駆け込んでくるころで、いつも、玄関前は、学生たちの団子ができてしまいます。

「急いで、急いで」と言っているのは、だいたい二年生の学生たち。「遅れたら、まずい(それはもう、一年以上、この学校にいるわけですから、遅れたらどういう事になるかを、一番よく知っています)という思いで、一年生を急かすのでしょう。それならば、(自分の方が)一分か二分で、早めに寮を出てくればいいのに…、まあ、それができないというのも、わかりますが。

 彼ら(二年生)は近くに住んでいるので(だいたい、徒歩か自転車です)、電車の時間に追い立てられるわけでも、バスに乗り遅れると駆け出さなければならないわけでもないのです。学校の裏の寮に住んでいれば、ゆっくり歩いても二三分。少し遠目の寮に住んでいても、自転車で十分とはかかりませんから、却って、高をくくってしまうのでしょう。とはいえ、二年生ですから、それは一年生よりも威張っています。

 こういう(日本語学校の学生たちの)力関係というのは、やはり、日本語が話せる者が強いですね。話せないと、どうしても、「アワワワワ…」と言っている間に、ちっこいのに先をこされてしまうのです。それに、いくら試験の成績がよくても、日本語が話せなければ、それはそれで、やはり、日陰者扱いされてしまいます。

 彼らの、学校での朝は、玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてから、「おはようございます」と言って、職員室においてある個表を取ることから始まります。

 昨日も、いつも通り、玄関で団子状態になったのですが、その少し前に、二人、一年生がスリッパに履き替え、職員室の前に立っていました。先に入ってきたのは、ベトナム人の学生。ほぼ同時に来たというのに、インド人の学生は宿題のノートを片手に持って、外で待っています。ベトナム人の学生は、個表を取るだけではなく、そこで教員と立ち話を始めました。

 インド人の学生は、「ちょっと」とか、「取らせて」とか言って、先に入ったベトナム人学生を急かすでもなく、何も言わずに、まだ廊下に立っています。

 そのうちに他の学生たちが着いたらしく、急に階段の下が賑やかになったかと思うと、話し声がだんだん玄関に近づいてきます。そして、お決まりの玄関団子です。二年生は、一年生のインド人学生のように遠慮はしませんから、上がって来るなり、「ちょっと退いて」と一年生を脇にやろうとします。その勢いに呑まれたのでしょう、先に来ていたインド人学生は(それでもドアのすぐそばにいたのですが)、ジリジリ後ろに追いやられていきます。

 その様子を、私は、職員室の自分の席から見ていたのですが、インド人学生はノートを持ったまま、棒のように立っています。そして、そのままの姿勢で、スルリとドアから中に滑り込んできた中国人女学生を、見つめています。「あれれれれ…どうしよう」とでも言いたげな表情で。それは、まるで、「ああ、入っちゃった…」と驚いているような感じなのです。

 中国人学生は、さっさと、個表を手にし、しかも、自分の用事を教師に伝えんとして、グイッと職員室の中に入っていきました。インド人学生は、ますます、ジリジリと後ずさりして、とうとうドアの影に完全に隠れてしまいました。(これじゃ、いつまで経っても個表も取れないし、宿題も出せないよ…)思わず、吹き出してしまった私…。それで、とうとう、「おわけえの、ちょいとお待ちなせえ」と、歌舞伎張りの声をかけてしまいました。

 中国人の女学生曰く、「彼(インド人学生)に気がつきませんでした」。
インド人学生曰く、「(小さな声で)大丈夫」。
力の差は歴然としたものです。「今だ」とばかりに、突撃をかけられる者。周りを見、周りに気を遣い、お尻が退けてしまう者。

 しかしながら、この女子学生だとて、来日して半年くらいの間は、今のインド人学生と同じようなものだったのです。いつもだれかの後ろに隠れていて、自分の思うことも相手に伝えられずに、それでいて、「どうしたの」と聞くと、「大丈夫」と言っていたものでした。

 それが、いつの間に、こんなに強くなったのでしょう。

 日本に来た当座は、「自分の日本語が相手に通じない」、「日本人の話す日本語がわからない」と悩んでいましたっけ。それでも、アルバイトを探さなければなりませんから、大変です。

 最初の頃は、授業が終わると、自転車で寮や学校の近くを探索がてら、「募集中」の紙が貼られている店を探し、試みてみては、その度に断られ、というのを繰り返していました。「初級Ⅰ」程度の力で、普通の店で働きたいというのは、なかなか難しいことなのです。

 彼女の場合は、確か、初めは、他の国の学生に紹介してもらって、工場へ行ったと思います。そのうちに、学校の勉強もどんどん先へ進み、「中級」を学び出す頃になりますと、かなり日本語がわかりますから、先輩に紹介してもらった店で働いても、誰にも迷惑をかけなくてすむようになります。ただ、そこに至るまでの道は、決して平坦なものではありませんでした。

 これは、日本で、働きながら大学に行きたいとか、専門の技術を身に付けたいとかいう学生に共通のことなのでしょうが。ただそういうことを繰り返しているうちに、生きる上で一番大切な、力がついてきたのだと思います。

 内弁慶だった少女が、自分よりもずっと大きな外国人に向かって、「ちょっと、どいて」と言えるようになっているのです。それに、物怖じせずに、どこへでも、一人で行けるようになっているのですから。

 というわけで、彼女を一日中からかっていた私。必死になって「いやだ。もう言わないで」と怒っていた彼女。

 だからでしょうか、今朝の彼女は、ちょっと違いました…と、見たのは誤り。一年生に個表取りを譲ったはいいけれど、すぐに、「私が先に来ていたのよ、わかってた?」と怖い顔をして言っていましたから。

日々是好日
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「お月見」。「牧羊の話」。

2011-09-13 12:20:43 | 日本語の授業
 熱帯夜が続いています。とはいえ、昨日は、すでに、「仲秋の名月」を楽しむ候、「お十五夜様」でした。「十五夜」と言いますと、「ススキ(薄)」を飾り、「団子」を供え、という図が頭に浮かびますが、どうなのでしょう。昨今の家庭ではどうやって、楽しんでいるのでしょうか。

 私が子供の頃には、「ススキ」など、お金を出して買ってくるようなものではありませんでした。大人が団子やご馳走を作っている間に、子供が近くの土手や河原へ行って、そこに生えている「ススキ」を取ってきたりしたものでした。ついでに、野の花なんぞを、手折って持って帰ったとしても、それを怒ったりする人はいませんでした。

 今にして思えば、大らかな時代でした。
 「ススキ」には、紫や紺の、可憐な野の花が似合います。月を見ながら、花を愛で、お供え物のお裾分けをしてもらい、食べるというのが、「お月見」の楽しみの一つでした。こういう伝統行事では、(子供がいる家庭では)子供が中心でしたから、団子嫌いの子供のためには、ケーキや洋菓子などが準備されていましたけれども。

 さて、学校です。
 今日も、陽射しはジリジリと灼けそうなほどで、厳しい暑さは続いているのですが、時折吹いてくる風は、明らかに秋の風です。それはそうなのですが、駆け込んでくる学生たちには、風が涼しいだの、秋だのというものは通用しません。教室に入ってくるなり、エアコンのスイッチに手を伸ばしています。

 ただ彼らが設定している(エアコンの)温度は変わってきましたね。それに、(教室に入ってくるなり、暑い、暑いと騒いでいた、その)時間も随分短くなっています。だいたい、「どうして日本はこんなに暑いのですか」という台詞が聞かれなくなって久しいのです。相変わらず、暑いのに…。

 ところで、今日、授業の時に、内モンゴルから来た学生が、羊の話をしてくれました。彼の家には羊がいるそうで、秋の羊は本当にきれいでかわいいと言います。彼も馬に乗って羊の群れを追って、山に行ったことがあると言います。

 この教室にいて、日本で、同じような生活をしている学生にも、それぞれ、私たち日本人には、なかなか経験のできないような生活をし、そしてその生活に基づいた知恵をもっている人がいるのですね。

 その知恵が、彼らの、これからの暮らしに生かされるかどうかというのは難しいところでしょうが、やはり文化は単一でない方がいい。自分たちとは異なった文化を持ち、その文化に基づいた生活をし、その中で蓄えられた知恵を持ち続けているのを知ると、急に、学生という概念には収まりきれない大きな「人格」を感じてしまいます。

 やはり、つくづくと、そういうものの「力」の強さというのは、すごいと思います。

日々是好日
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「蟬の脱殻」。「価値基準」。

2011-09-12 08:05:01 | 日本語の授業
 今朝はいつもより早く起きだしてみると…、早く起き出た者には、それなりにいいことがあるようです。まだ東南の空には、星座がいくつか残っていました。昨晩はきれいな月を見、今朝は星です。

 星物語が好きな割には、目にした星座の名を言い当てることができなくて、子供の頃、友人達によく笑われたものでしたが…、未だにその病は続いているようです。

 残念なことに、今、目にしている星座の名が言えないのです。あの形は記憶がありますから、名がつけられていることはわかっているのですが…こういう名だったと、胸を張って言い切ることができないのです。

 夏の終わり、秋の初めにかけて、明け方の東南の空に残っている、あの星座は何と名づけられていたのでしょうね。

 今はもう、早朝は、秋の虫たちの天下になりました。つい先頃まで蝉たちが「我が世の春」を謳歌していましたのに。

 「エノコログサ」の穂も色を失い、ほおけ立ち、ぱさついた姿になっています。「オオマツヨイグサ」は、まだ花の姿は見られるものの、柔らかな薄緑の色が退いて、白っぽくなってしまい、葉も、ところどころが茶色になっています。

 …昨日、日曜日、皆で地区の公園の掃除をしたのですが、地面を覆った緑の草の間に、いつの間に落ちていたのか、数知れぬ落ち葉が、しっかりと挟まっていました。枯れ葉を集めて見ると、栄枯一炊の夢ですね、蟬の脱殻がいくつも入っていました。子供達に拾われ損なったのでしょう。私も子供の時に毎年蟬の脱殻を集めては、机の引き出しに大切のとっておいたいましたっけ。引き出しの中には、きれいなビー玉などの他に、遠足で行った山の中で拾った三葉虫などの化石の欠けらなども入っていましたっけ。

 自分だけの宝だと思っていても、友人に聞くと、皆、大切に持っていたようでしたから、皆、これは自分だけの宝だと思い、密かに隠していたのでしょう。子供の、一種の「習い」めいたものなのかもしれません。

 子供の頃の「価値基準」というのは、大人になってからのものとは違うのです。

 あの頃は、皆、自分達なりの、モノの価値を判断する上での「基準」というものを持っていました。もちろん、時代の流行というものはありましたけれども。ただ、それは、金銭では計れない「カブトムシ(甲虫)」だの、恐竜だのといったもので、流行はあるといっても、そこには、そこそこに、自分だけの美というか、かっこよさを対象に感じ、他の人とは違うという部分が、確かにあったのです。

 年が長けて行くにつれ、それが画一的になっていき、その「基準」というものも、豊かで便利な「生活」に結びついた価値基準で、「夢」に基づいたものではなくなったような気がします。

 蟬の脱殻を見る度に、そんなことが頭をよぎります。まだ、あのころの「価値基準」は自分の中に残っているのでしょうか。

 夜が少しずつ白み始めています。私の起きた頃に既に車を出した人が、このマンションにもいました。車の中からいつもこの白みゆく空を見つめているのでしょうか。或いは、すべては「仕事」にまとめられてしまう生活の一部である、で終わってしまっているのかもしれませんが。

 五時を過ぎたので、(もういいだろうと)プラスチックごみを出しにいくと、階段がまだ濡れていました。夜中に、また雨が降ったようです。空が洗われて、それで、星がいくつも見えていたのでしょう。

 さあ、一週間の始まりです。

日々是好日
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「重陽の節句」。「新しい学生」。

2011-09-09 10:58:03 | 日本語の授業
 9月9日、今日は「重陽のお節句」、「菊祭り」が行われる頃です。が、こうも残暑が厳しいと、そうも言っていられません。昨日、絶えたかと思われた蝉の声をまた聞いてしまいました。もちろん、蟬時雨などではなく、一本の木から、一つの声が聞こえてきただけでしたが。

 それでも、ああ、まだ頑張っているのかと、なにやら切なくなってしまいました。

 朝夕は、いくら気温が下がっていても、湿度はまだ70%ほどもあるそうで、秋の爽やかさにはほど遠いというのが現状でしょう。一昨日は、月もすっきりと見えたのに、今朝のこの様子ですと、群雲がかりの月ということになるのかもしれません、今宵は。

 ところで、それにしても「キキョウ(桔梗)」は強いですね。一見、弱そうに見えますのに、一週間ほど留守にしていた時も、そして今度も、戻ってきた時こそ、力なく項垂れていたものの、水を充分に与えた翌朝、また、きれいな紫の花を咲かせることができるのですから。

 さて、学校です。
一昨昨日、インド人学生が、一人のネパール人男性を連れてやってきました。隣の部屋の人だと言います。娘さんが日本語を学びたい、どこで勉強したらいいのか判らないと相談されたので、学校に連れてきたのだと言います。

 聞くと、「家族で日本にいる。二ヶ月ほど前に来日した娘を勉強させたい。彼女は二年生の大学を卒業している。娘は勉強が好きだ。きちんと勉強させたい。ずっと日本にいさせるつもりだ」。

 まず、「娘さんを連れてきて下さい」と言うと、「今は用事があって出かけているけれども、3時頃には帰ってくるので、戻ってきたらすぐに、友人と一緒に来させる」と答えてくれました。

 初めは、彼と日本語で応対していたのですが、話しているうちに、どうもきちんと伝わっているかどうかが不安になってきましたので、下の教室で勉強していた、ネパール人学生に、通訳、兼学校の紹介をしてもらうことにしました。

 すると、驚いたことに、いや別に驚くほどのこともないのですが、ネパール語で話し始めた途端、彼の表情がパッと変わったのです。やはり不自由な言葉だと、いくら日本でちゃんと働き、立派に生活しているとはいえ、どこか不安なのでしょう。そしてそういうものは顔に出てしまうのです。それが相手にも伝わってしまい、その人の実像が見えなくなってしまうのでしょう。

 ネパール語で話し始めた途端、おそらくは彼の本来の表情になり、自分らしさが出せたのだと思います。おそらくは、人の下で働く人ではなかったろうというのが感じられました。

 彼も、同国人の話に、安心したのでしょう、仕事に戻っていきました。

 それから、予定の時間より三十分ほども早く、彼の友人だという日本人男性と、娘さんと彼女の兄に当たる人と三人でやってきました。また下のクラスで勉強していた学生を呼んで、話をしてもらったのですが、それを聞いてお兄さんも娘さんも落ち着いたようでしたし、日本人男性も安心してくれたようでした(この男性は二人とネパール語で話していました)。

 それで、時間があるようなら、少しクラスに行って勉強を見てみたらいいと、「Dクラス(現在、『みんなの日本語』12課)」に連れて行きました。彼女は来日前、国で二ヶ月ほど日本語を学び、「ひらがな」は書けるけれども、「カタカナ」は書けないと言います。文字の問題もあるけれども、ヒアリングも大切なので、できれば、10月生が来る前に少し勉強しておいた方がいいと言うと、お父さんもそう言ったと言います。

 それで、一昨日から勉強し始めたのですが、感じとしては、一人でも勉強をしていけるタイプ。こうすればいいと、方向性さえしっかり与えることができれば、自分で考えてやっていけるように見えました。お父さんを見る限り、家庭でも教育がきちんとできているのでしょう。    

 午前中は暇がないと言いますので、私の授業の空き具合と彼女の都合を見ながら、十月生のクラスが開講する前に「カタカナ」と、できれば漢字を少し教えておくつもりです。「Dクラス」は、すでに「四級」の漢字を学び終えていますから。

 この「Dクラス」は、珍しいことに中国人の学生がいないのです。ベトナム人とインド人、そしてタイ人だけ。それにネパール人が入りますから、漢字に多少時間を割いてもそれほど問題にはならないのです。それに、結構、皆、漢字を覚えていますし。

 今は「四級」の復習をしているのですが、その復習の一環で、私の授業の時に「あみだくじ」で遊んでみました。当たった人に前に出てホワイトボードに、私がいった漢字を書いてもらったのです。席についている人は、ノートに書きます。

 危なっかしかった人が若干名、はっきり言うと一人なのですがいて、そのほかの学生はだいたい大丈夫。これからも、この調子で頑張ってもらえるといいのですが。「三級」まで覚えておくと、それ以後の漢字は、「見て書く」ことがある程度できるようになりますから。

 「三級」までの漢字を、どれだけ「読め、書ける」かは、「中級」に入ってからの読解に関係してきます、特に「非漢字圏」の学生にとっては。

日々是好日
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「冴え冴えとした秋の月」。「学生の姿が見えなかった『夏休み』」。

2011-09-08 09:40:11 | 日本語の授業
 今朝も、きれいな「朝焼け」を見ました。「朝焼け」と一口に言いましても、雲の棚引き具合から、また色の変化の有様からして、全く違うのです。今朝の「朝焼け」は、朱色がかかっているように見えました。

 そういえば、最近、月が、冴え冴えとしてきたような気がします。春の歌の中に、「ものみな 美しき」という言葉がありますが、秋もまたそうで、春の「華麗」・「妖艶」に比して、それは、ある種の神秘性を帯びて感じられます。例えば、「清澄」とか「幽玄」とかいった、そうした響きに近いもの。山々を彩る錦があるにもかかわらず、なのですから、思えば不思議なものです。これも秋の月の、人の心に及ぼす影響によるのかもしれません。

「こひしさの ながむる空に みちぬれば 月も心のうちにこそすめ」 藤原俊成

 月は人恋しさを募らせ、心は月の世界に住もうとします。その中で月を自分の心の中に取り込んでしまおうというのですから、大したものです。

 こういう「正当派」の恋の歌を聞けば、すぐに小歌が口をついて出てきます。

「思うたを思うたが 思うたかの 思はぬを 思うたが 思うたよの」(宗安小歌集)
(自分を思ってくれる人を思うのが「思う」ということなのか、いや、思ってくれない人を思うのが本当に「思う」ということなのだ)

「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」(山歌鳥虫歌)

 話が脇道にそれてしまいました。

 さて、学校です。
書いている間にも、ドヤドヤと学生たちが入ってきます。いつも早めに来る学生たちは、おっとりと入って来、ギリギリが生き甲斐のような学生たちは、挨拶もそこそこに階段を駆け上がっていきます。

 こういう音が聞こえなかった夏休みというのは、教員にとっても寂しい季節なのです。日本の学校は、「春・梅雨・夏・秋・冬」という「区分」ではなく、「春休み・学校・夏休み・学校・正月休み・学校」というふうに六つに区切られているような気がします。

 もちろん、休みの時期とても、決して暇なわけではなく、何やかにやと、授業に追われて、常にはできないことをしているのです。つまり、忙しいのは同じなのですが、ただ補講をしても、教材やテスト問題の制作をしても、常日頃のように、慌ただしく階段を駆け上がり駆け下りる学生たちの足音も、笑い声もあまり聞こえないのです。その違いが、私たちにとってみれば、とても大きいのです。

 それゆえ、休み中に学校にやってくる学生たちは、「休み中なのに、よくぞ来た」とばかりに大歓迎されるのでしょう。この「大歓迎」というのも、学生達にしてみれば、あまり素直には喜べないことなのかもしれませんが。

「せっかく学校に来たんだから、この本を読んでご覧なさい」
「この問題をしてみてごらん」
「宿題、まだ終わっていないでしょう。今日、アルバイトは?まだ時間があるようだったら、学校でしてから帰りなさい」

 たいてい、ズリズリと後ずさりするように、学生たちは逃げ帰っていくのですが。

 学生とは「学びたい人」のことであり、教師とは「(自分の持っているなにがしかのものを)与えたい人のこと。これは場所を問いません。日本の会社で責任感のあるところでは、社員教育に最も多くコストを掛け、時間を割きます。社員を見れば、会社のレベルが判るというのは、そういうことなのです。

 学びたい者が、教えてくれる者を求めるように、教えたい者も、学びたい者を求めます。もちろん、学生の能力は高い方がいいのですが、そうでなくとも構わないのです。真摯な態度で学ぼうというのであれば、それが何よりなのです。学校では、能力の多寡にかかわらず、「学びたい」という心の、強き者を求めます。これはもう、教師という者の第二の本能なのかもしれませんが。

日々是好日
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