日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「零下の寒さ」。「朝日新聞社見学」。

2011-01-31 08:53:33 | 日本語の授業
 今日も快晴です。お日様は強く明るい日差しでものみなを暖めています…とはいいますものの、寒い。全く寒い。いわゆる「シバレル」という言葉が一番適当ではないかと思われるような寒さです。こんなことを言うと、北国の人から、「そんなもんかよ」とお叱りを受けそうなのですが。それでも、寒いのです。で、今日の最低気温を確かめますと、なんと、「零度以下」!(0.5度かそんなモンですが、それでも)零下なのです。この冬、三度目(零下なのは)とか、聞きましたが。なるほど、なるほど、それで、こんなに寒いのですね。昨日も寒かったし、今日も寒い。

 こんな日ではありますが、今日、「今年卒業予定」の学生たちにとっては、お出かけの日にあたります。皆で「朝日新聞社」へ見学に参ります。それ以外の学生達は、学校でいつも通りの授業です。

 集合時間は、十一時半。集合場所は行徳駅前です。午前のクラスの学生達は、そのまま一緒に行くことになりますからいいのですが、午後のクラスの学生達は、ちょっと大変です。二名ほど、新聞社へ直接行くと言ってきました。これもアルバイトが朝、十二頃まであるからでしょう。それならば、直接、築地へ行った方が近いと考えたのです。

 見学は、例年の通り。順を逐って言いますと、こうなります。
まず、ビデオで、「会社の概要説明」をしてもらいます。そして、二十人一組になって、ガイドさんと共に、会社の中を廻っていきます。「編集局」、「印刷工場(夕刊)」、「発送室(自動梱包、搬送装置など)」などで、学生達が一様に驚き、面白がるのは、自動でてきぱきと印刷されている様子や、人がいないのに次々と括られ、袋詰めされ、各地方に送られていく発送室の様子です。

 これが、朝早くだと(早く行ってしまうと)、見学に行っても、し~んと静まりかえっているだけですから、まったく面白くないのです。物が動いていない工場なんて、行ったかいがありません。

 実は、最初、これに気がつかずに、私たちにしてからが、行ってから「ああ、残念。今日は出くわさなかった」と僥倖に期待するかのような態度だったのです。が、それから、幾度か行くうちに、だんだん、当方としても知恵がついてまいります。「これはいったいいかなることであるか」ということで聞いてみますと、どうも、印刷や発送の様子が見られるのは、午後から行った時だけらしい。それも遅れてしまうと、最後の尾っぽだけしか見られないという。それならばということで、こういう中途半端な時間になってしまったのです。

 行徳駅から築地まで、(途中、茅場町で日比谷線に乗り換えて行くのですが)所要時間は約35分、運賃は230円。卒業を控えている学生は、すでに定期(アルバイトに必要な学生は)の他に、「パスモ」なり「スイカ」なりを持っていますから、幾度、乗り換えようと、その度にうろうろせずに済みます。

 これが、来日後、数日とか数週間とかいった学生達を連れていますと、乗り換えのたびに、やれ精算だ、やれ止められてしまったと、あっちでもこっちでも騒ぎが起こってしまいます。学生達には、お金は同じだから「パスモ」か「スイカ」を準備しておくように行っているのですが、この便利さが判っていないと、なかなか買う気にもなれないようなのです。

 さて、朝日新聞社の見学は90分の予定ですから、何か起こったとしても、三時くらいには終わるでしょう。それから、地下鉄で15分くらいのところにある「湯島天神」へお参りにいけないこともない。神頼みというわけではありませんが、まだ進路が決まっていない学生が若干名います。大学院を希望している学生は、事前審査が終わっても、次の審査や面接が残っています。で、やはりこれは神頼みかな。学生達には、いつも通り、日本の神様は日本語でのお願いしか聞いてくれませんと言っておきますが。

 天神さまは、もともと菅原道真公とおっしゃった方で、
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅花(うめのはな) 主(あるじ)なしとて春を忘るな」
と、太宰府に流される時に詠んだ歌が有名になり、天神さまのいるところには、必ずと言っていいほど梅の花が祀られています(蛇足ながら、私はこの歌の最後を「春な忘れそ」と覚えていました。この方が新しかったのです。平安時代「な」と「そ」、係結びを覚えさせるために、学校はこっちのほうを選んでいたのでしょうか。どこか作為があるような)。

 折しも、
「梅一輪 一輪ごとの暖かさ」
というふうに、梅が咲き始めたという梅便りも届きはじめています。昨日今日と続く寒さで、ほころびはじめた梅の花もびっくりして縮こまっていませんように。「桜咲く」の知らせが彼らの許へも届きますように。できれば、紅の花が学生達を出迎えてくれますようにと祈りながら、天神さまへのお参りを促すように致しましょう。

日々是好日 
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「(火山の)噴火、地震、津波」。「自然への畏敬、畏れの心」。

2011-01-28 09:52:23 | 日本語の授業
 先日、こちら(行徳)の乾燥を嘆いたところ、北京の友人から「贅沢だ。北京は東京なんかよりもっとひどい。去年の十月末から雨が全然降っていないのだから」というメールが届きました。私たちが、「東京はカラカラ砂漠だ」と言っているのとはまた違った感覚で、「北京はカラカラ砂漠だ」のようなのです。

 もちろん、日本は雨が多く、北京など中国内陸部に比べれば(日本人がいくら嘆いても)、嘘のように穏やかな気候に恵まれています。とはいえ、これは、絶対的な評価というものではなく、体感的な、相対的なものですから、日本人にとっては、二週間ほども水気がなければ、もう「乾燥だ。カラカラだ」と喚かねばならないということになってしまうのです。

 で、北京ですけれども、大変ですね。自分が北京に住んでいた頃には、確かに乾燥していましたし、それにも驚きはしましたが、もっと驚かされたのは、零下でも寒くないということでした。

 日本は湿度が高い分、下から寒さが攻めてきま。ですから、気温とは無関係に、たまらなく寒いのです。北京などで、零下五度くらいであれば、(もちろん、条件はつきます。晴れており、しかも風が吹いていないという条件ですが)凍った頤和園の湖を見ながら、今日は暖かいねなどとほざくことも出来たのです、底冷えのする日本と比べれば。

 しかしながら、追憶の彼方にある北京と、今そこに存在している北京とは違います。人間というのは幸いなことに、辛いことは忘れ、楽しかったことは覚えるというふうにできています。(そうしなければ、明日に向かって生きていけないのですから。これも、人に「時を自由に行き来する能力」を与えた神様の恩寵でしょうか、それともせめてもの情けなのでしょうか)。

 北京のような乾燥地帯で、しかも例年よりも雨が降らぬとあれば、水も不足しがちになるでしょうし、何やかやと不自由なことも増えていくでしょう。とはいえ、そこにもう、住まいを買ってしまっていれば逃げることも出来ない…というのは、日本人の考え方です。

 中国では、土地は国のもので、人民は国から土地を借りているだけですから、貸借期間が過ぎれば、返さなければならないのです。しかもバブルのように値はうなぎ登りで上がっていますから、貸すことで、買った分を取り戻すこともできるでしょう。

 で、その間、どこへ逃げるか。私が中国にいるころからすれば、かなり便利になっているでしょうが、やはり逃げ場はないような気がします。日本では逃げ場にまだ選択肢があるのですが、中国の場合、かなりの金を持っていても、難しい。人縁がなければ、金はどこかで巻き上げられ、まだ北京に住んでいた方がましだったということにもなりかねません。それに北の方はどこでも乾燥して、パリパリ、バリバリ、ギスギスしてるでしょうし。

 と、そんないい加減なことを考えていたら、日本の大地が、「こっちだって、馬鹿にするでない」と噴煙を上げはじめました。霧島山系新燃岳です。今朝のニュースによりますと、火砕流まで発生していたようですから、今更ながら火山列島ニッポンを意識させられてしまいます。

 火山の噴火、地震、津波。昔からのこの「三セット」により、できあがった島、ニッポンは、人間などより、ずっとずっと古くからこの循環を繰り返してきました。だから、人という存在は、ここをかりそめの宿として、ただご厄介になっているだけなのです。ですから、宿主に遠慮しながら生きていかねばならぬわけで、ご機嫌を損じさせぬように憚りながら生きているのです、日本人というのは。

 それを、金があるからといって、我が物顔で、畏るべき大地を買いまくり、日本の大地に取り返しのつかぬ傷をつけるような振る舞いをされては困るのです。そんなことをすれば、すぐにでも、そこの下からマグマが湧き上がり、その人の建物やら施設やらを木っ端微塵に吹き飛ばしてしまうでしょう。

 まあ、これも神風に期待しているようで、言っておきながら、どこかしら後味が悪い思いは抜けきらないのですが。

 内モンゴルの大地を見てもわかるでしょう。何千年、何万年と、昔からそこに住んでいた人達は、その大地に相応しい生き方をしてきました。「相応しい」というとおかしなこととお思いになるかもしれませんが、大地が許してくれた生き方ということです。土を穿り返してはならぬという掟を守りながら。

 これは、昔から自然と共生していくための、優れた知恵でした。そこには「畏れ」という心があります。それを神と称んでもいいし、「天」と称んでもいいし、また「自然」と称んでもいいでしょう。

 近代人が、一度は忘れ、そして今、それを呼び覚まさねばとされている存在のことです。まあ、日本も「高度経済成長」のころは、一度愚かにも、それを忘れてしまいました。そのために多くの犠牲を払いました。ただ、忘れて愚かな行為をしたのも、それを反省したのも同じ日本人で、いにしえからの則は、体の芯にへばりついていますから、思い出すと後は共通理解で走ることができます。それが出来ない人達が壊すと、多分、その人達は後悔とか反省とかはしないでしょうし、元に戻すなどということもしないでしょう。

 「あっ。もうだめか。この土地もつまらんな。じゃあ、別の土地に行こうか」で終わりです。そういう人達とは一緒にやってはいけません。少なくとも、この大地に責任を持ってくれる隣人と暮らしたいものです。

 日々是好日
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「また聞き『雪国』」。

2011-01-27 08:40:50 | 日本語の授業
 今日も快晴です。とはいえ、油断は禁物。昨日の朝は、まさに「あっさぁー」とでも言いたくなるような上天気でしたのに、帰りの頃、道は濡れていましたから。もっとも雪ではなく、雨だったのでしょうが。学校の中にいた私は全く気がつきませんでしたけれど。

 今日の「お天気予報図」は、本州の中央部がきれいに太陽を意味するオレンジ色と、寒々しい水色とに分かれ、そしてその緩衝地帯として、灰色の雲色が散らされているような具合でした。

 雪国は、またまた雪で、平地でも三㍍ほども、もう積もっているところがあるそうで、雪国の人に、一番の悩みは何かと聞いたところ、雪の捨て場がないとのこと。雪を捨てる…南国の人間には、全く想像もつかないことです。

「太陽が出てくれば、南側の屋根の雪はずるずると落ちてもいこうが、そうすると家が北側の雪の重みで傾く。それは外からもはっきり分かるほどだ。夜、傾いだ家の中で、柱が軋む音を聞くことほど恐ろしいことはない。本当に雪は嫌だ」

 こういう雪国の人の思いというのは、
「花をのみ待つらむ人に 山里の 雪間の草の春を見せばや」(藤原家隆)
などとは、全く違うものです。

 雪が積もっているからといって雪国と称せられぬのは、それが悩みや苦しみにまでなっていないからでしょう。最近は「雪の利用」が、かなり進んでいると聞いていましたが、それが追いつかないほど大雪は降っているのでしょう。

「屋根の雪を下ろすといっても、その前に下ろせる場所を作っておかなければならない。だからすぐに下ろせるというものでもないのだ。しかも、前日に下ろした雪が片付いていなければ、下ろしていくうちに雪の高さは屋根の高さをゆうに越えてしまう。二階から出入りするなんて、普通のことだ。ただ、雪国では、普通の家はみんな平屋だからね。囲炉裏にしても何にしても、みんな平屋の屋根の煙突から煙が出ていくように出来ている」

「家の周りを家よりも高い雪に囲まれて、家の中はお日様が出ても、真っ暗。それは嫌なものだ。降り出したらすぐに、外へ出て、道を造っておかなければならない。そうでなければ、すぐに外へ出られなくなってしまう」

 それを聞くと、白川郷の合掌造りの民家などという大きな家は、雪国では稀な例なのかもしれません。どうも、この、合掌造りの印象が強かったので、雪国の家というのは、みんなあの合掌造りのような巨大なものという気がしていたのですが。それに、柱を太く、背を高くしておけば、鋭角の屋根を作ることが出来ます。そうすれば屋根の雪も自然とまではいかなくても、落ちやすいのではないかなどと思っていたのです。知らぬものの戯言でした。

 しかしながら、こういう雪国に住み、しかも、風流をしゃれ込むことの出来た昔の傑物たちは、もしかしたら、「風流とは捨てばちのことなり」の類の人達であったのかもしれません。

 しかし、この地で雪国のことをいくら思っても、皆、想像上の出来事でしかないのでしょう。暮らして見ねば、何事も判らぬはずです。そして、そこにテレビなどの映像メディアの弱みがあるのかもしれません、判った気にさせるが、実際は皆何も判っていないという。

日々是好日
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「富士山」。「『どすこい』、卒業文集」。

2011-01-26 08:30:54 | 日本語の授業
 快晴です。
 この冬、よく富士山を見ました。電車に乗っている時、はっと気がつくと、真っ白い雪を抱いた富士が車窓に映っているのです。また、また駅でぼんやりと電車を待っている時にも、あれは富士ではないかと感動したこともありました。
 この冬は、晴れが続き、乾燥していたからでしょうか。それとも、風が強い日が多かったからでしょうか。

 乾燥はしていますが、風が強い日が多かったという記憶はありません。どうしてこんなに富士山を拝めるのでしょう。年ごとに、富士山が見える日が増えているような気がするのは事実なのですが。

 さて、学校です。

 そろそろ「卒業文集」を出さねばならない時期になりました。毎年のことなのですが、当の卒業予定者達は、どこかのんびとしていて、「えっ。あ、そうだった。先生~、書けましぇぇ~ん」。
 それに比べ、まだあと一年以上ある人達は、「ん。頑張らねば」と、書くことに前向きに取り組んでいます。それもまた、その取り組み方というのが、丹田に力を入れて、「どすこい」くらいの感じなのです。

 その中でも、来年度からは「Aクラス」になる予定の、現「Dクラス」の学生達、早速一人が持ってきました。もちろん、まだ「中級」の中盤あたりですから、それほどの文法力、語彙力があるというわけではありませんが。ところが、これが、面白いのです。文法も正しいわけではないし、語彙もよく覚えたなとか、どこで仕入れたのだろうとか思わせはするものの、使い方がどこかずれている。けれども、お人柄というか、ほのぼのと感じさせ、どこかクスリと笑わせてしまう力があるというか、そのような雰囲気があるのです。

 で、私も手を入れられないのです。私が手を入れて変えてしまうと、彼女の持っている「ほのぼの」とか、彼女の持つ感受性の「かわいらしさ」とかいったものが、瞬時に失われてしまうのが目に見えているからなのです。

 論文とか、説明文とかいった類のものであったら、外国人の書いたものですから、すぐに「ここは、こういう表現はしない」と(相手の意志をかなりの程度尊重しつつ)切り捨てることもできます。

 しかし、高校を卒業してすぐに、日本に来た人が、「こう感じたんだ。そして、それはこんな言葉で表したいんだ」という感覚に基づいて書いたものは、ある意味では、もう日本人の持つ日本語の感覚を超えています。

 だから、やはり、手直しは出来ないのです。困りました。どうしょうという気持ちばかりが私を責めています。

 でも、文法が違っているとか、単語のことを言ったら、彼女はきっと「直して」と言うでしょう。

 難しい。難しい。本当にこんな時は難しい。だって、理性が書いたのではなく、感覚が書いたものなのですから。

 こういうジレンマに陥ったことが以前、一度だけありました。私がまだ中学校に勤めていた時のことです。当時、夏休みの宿題で「読書感想文」を書かせるというのがありました。隣のクラスの少年がルナールの『にんじん』を読んで、書いてきたのですが、これがいいのです。お決まりの優等生の文章ではなく、彼自身の感動と悲しみをそのまま表出したといったもので、一年生の国語を担当していた私は、彼の文章を「一等」にしたのです。

 すると、何人かの先生が、「どうして」と見に来ました。当時、私は新米も新米、ほやほやの、つまり一年目の教員でしたから、ベテランの先生方が心配になったのでしょう。なんと言いましても、PTAが力を持っています。あの少年は、成績もスポーツも、いつも下から数えた方が早かった方でしたし、気も弱く、人の影に隠れてしか何事も出来ないと見なされていましたから(おそらくそうだったのでしょうが)。

 それに、この学年には、他に、小学校の時から常に読書感想文の審査で、最優秀賞を受賞し続けていた少年もいましたし。

 けれども、彼の書いた文章を見せると、「ほうっ」と驚いて、感動してくれました。そして、「これはいい。本当に素直な優しさが溢れている。こんなことを感じていたんだね」と、彼を見直してくれたようでした。こういう文章を読んでしまうと、優等生の優等生然とした文章は色褪せてしまいます。手垢がついて、人に何の感動も呼び起こせないのです。

 ありきたりの、誰でも書くようなものは、もう今の時代ではコピーでいいのです。「誰のものでもない、その人だけのもの」こそが、得難く、またそれ故に、大切にせねばならぬのです。英語が世界語となっていく過程で、英国のものからどんどん離れていったのと同じように、日本語でも新感覚で書かれたものは、いいと感じられさえしたら、それはそれで尊重していっていいと思うのです。

 とはいえ、彼女は、まだ「中級」ですからね。これがちゃんと「存立」しているわけではなく、下手に横道に逸れさせてしまってはなりません。せっかくいい感性を持っているのですから。

 ということで、
「もう一度書いてください。でも、この文章は、すばらしかったから、先生にください」
と、言っておきましょう。

日々是好日
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「冬の雷」。「乾燥度」。

2011-01-25 08:56:19 | 日本語の授業
 昨晩、雷様が奇襲をかけてきました。突然、「ドカドカド~ン」です。「たまげた」というより、「ちょいと、雷様、まだ冬ですよ」と思わず声をかけたくなるようなそんな気分でしたけれども。外では、三ほども続いた雷様の雄叫びに、子供達の歓声がついてまわります。

 子供だって、大人だって、仲間がいれば、怖くない。おへそを取られるなんてのも、夏で布団をお腹に掛けていないから言われているだけのこと。冬は、なんていっても、厚着していますからね、この服を一枚一枚めくっておへそを取ろうとしたって、そうは問屋が卸しません。その前に、逆襲だってなことにもやられかねませんもの。

 全く、こんな冬に攻撃を仕掛けてくるなんて、なんて耄けた雷様でしょう。

 さて、雷様がやってくれば、おつきの雨も姿を現すのが順当というところ。とはいえ、朝の六時には、もう湿度が50%を切っていましたから、私たちの感覚から言えば、「警戒警報」です。顔もバリバリと音を立てて、ひび割れていきそう…なんて、日本に帰ってしまえば、こんな不満も出てくるのですから、不思議ですね。以前、砂漠(日本人から見れば)の北京で、何の不満もなく、普通に生活していたのですから。あちらの乾燥度は日本人が「ひび割れだ」なんて喚くのとは桁外れにひどかったでしょうに。

 というところで、思い出しました。内モンゴルから来た学生達のことを。

 彼らは、今、どう思っているのでしょうね。しっとりとした(彼らから見れば)日本の冬は過ごしやすいのでしょうか、それとも…。

 以前、ある女子学生が、「先生、内モンゴルにいる時は、日本は暖かいと思っていた。だって気温が冬でも零下にいかないでしょう」。まあ、東京は一度か二度いくくらいでしょうけど。「だけど、日本に来たら、寒いです」。寒かったら、厚い服を着なさい。内モンゴルにいる時は、もっと厚い服を着ていたのでしょう?「だって、暖かいと思ったから、厚い服なんて持ってきていないもの」。じゃあ、買いなさい。日本の服は、中国のよりもずっと安いし、品質もいいし、かっこいいんだから。「ふふふ。でも、大丈夫。内モンゴルはもっともっと寒いから」

んんんん。じゃあ、もう、何も言うな。

日々是好日
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「『初めまして』。『…』。『先生、何も言ってくれません』」

2011-01-24 09:30:30 | 日本語の授業
 今朝、今年に入ってから二回目のお湿りがあったようです。朝、来る時に地面が濡れていました。とはいえ、雪ではありませんからね。どこか寂しくなってしまいます。

 さて、学校です。
 先週の金曜日の朝、突然、下から(それも外です)、「初めまして、私は○○です」という、明るい声が聞こえてきました。「んんん、あれは」と驚いて、窓から外を見てみますと、ベランダの窓越しに外から「Fクラス(一月生)クラス」の教室に向かって、「Dクラス」の○○君がはにかみながら、挨拶をしているではありませんか。どうも、学校へ来て自転車を止めようとした時に、教室に入っていた先生に見つかって、初級の挨拶の練習台にさせられたようなのです。

 聞いていると、何度も何度も繰り返しています。繰り返してはいますが、時々「あれれ」とか、「あの…わかりませんか」とかいう弱々しげな声(彼の声です)も聞こえてきます。言っているうちに相手が何も反応してくれないので、少し不安になったのでしょう。

 彼が教室に入ってきた時に、それをからかうと、
「先生が言ってと言ったから言っただけです」
と憮然とした顔。
「新入生は、どうでしたか。答えてくれましたか」と聞くと、
ちょっと困ったような顔をして、
「何も言ってくれませんでした。でも、笑っていました…」
それを聞いたクラスメートは大爆笑。きっと相手にさせられた新入生は、どうしていいかわからずに困ってしまって、愛想笑いを浮かべるしかなかったのでしょう。 

 去年の4月に来た「Dクラス」の学生達は、ほとんどが、高校を卒業してすぐか半年くらい経ってから来ています。ノリは、ほとんど中学生。一人が失敗しても、大喜び。一人が出来ても、大歓声。何が起こっても嬉しいのだなとしか思われません。フィリピンの学生がディクテーションで、漢字が書けないと、右隣からも左隣からも、(私の顔を見ながら)こそこそと助け船を出しにかかります。

 先日、フィリピンの学生が、「秩序」の「秩」の字がどうも書けなかった時のことです。それに気づいた左隣から「『秋』の左」という声が。それでも、まだ「うん、うん」唸っています。すると、この度は右隣から「『平和』の『和』の左」という声がかかりました。彼は「あっ」といかにも嬉しそうに頷いて、書いたのが「平和」の「平」。それを見て、右も左も「あ~あ」。

 こういうことはよくあります。彼らが日本語で既習の漢字をヒントに出している教えあっている間は、私も何も言いません。すぐに書いて教えてやることは簡単ですが、彼らもそのことの愚を悟っていますから、今ではそんなことはしません。

 けれども考えてみれば、それもそのはずです。「非漢字圏」の学生とはいえ、「課」毎の漢字テストで、間違えるのは一つか二つ(漢字の数は、大体30から50の間です)。しかも、試験結果を一番気にするのは、フィリピンやネパールから来た学生達の方なのですから。

 この学校では、30分の休憩時間をフル活用して、少なくともそのうちの20分は漢字の指導の時間に充てています。今、「Dクラス」は、『中級から学ぶ日本語』の16課に入ったところです(実は、以前は「ワークブック」を授業計画に入れていなかったので、もう少し速く進めたのです)が、そのときも、「路」の「足」を書けば「あし」という声が上がります。そして「右側にも漢字から来るから、足の最後は伸ばさない」と言って、次に各を書いて「さあ」と言えば、「『冬』の上」とか、「『落ちる』の下の右」とかいう声が上がります。そのたびに、「すごいです」と賞賛の声が中国人学生の口から上がります。

 実は、時間が経つほどに、中国人学生も、かなり日本的になってきていて、待っていてくれるのです、「非漢字圏」の学生達が先にいうのを。もちろん、これが出来ない学生もいます。普通、4月に来日していれば、一緒に頑張ってきたので、お互いのことがわかっていますし、どうしてやるのが相手のためになるのかも、(教師のやっていることを見れば)わかるのでしょう。

 ただ、これが、途中から入ってきた(中国人)学生だと、そうはいきません。相手のことや、既習か未習かなどもお構いなしに、知っていることを我先に言ってしまいます。それでも、先に来ていた中国人学生が、「黙って」と言って、「非漢字圏」の学生達に花を持たせてやろうとします。こういう気持ちは、お互いに通じ合うものですから、「非漢字圏」の学生の方でも、どこか相手のためになることをしてやろうとします。こういう風にいい「順繰り」が出来てしまえば、教師なんていうのは楽な商売です。黙って、チョイチョイと必要な時に手を貸すだけでいいのですから。

 そう言っているうちに、足をけがしてずっと休んでいた学生が登校してきました。早速歓声が上がっています。みんなに大喜びで迎え入れられて、本人もほっとしていることでしょう。

日々是好日
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「『大雪』と『カラッカラのお天気』」。

2011-01-21 08:36:15 | 日本語の授業
 昨夕、大きな大きなまん丸いお月さまが、東の低い空に貼り付いているのを見ました。ついこの間まで、月が「天心」にかかっていましたのに。

「遅き日の つもりて遠き むかしかな」(蕪村)

 蕪村と言えば(多分、思い込みなのでしょうが)、「春」と思ってしまいます。しかもこの人の春の句、ちょっと気分を変えて見直せば、秋でも冬でも、通らないこともない…のです。

 この句も、春の句ではあるものの、大寒を過ぎたばかりの今日であってもおかしくはないのです。もっとも、炬燵に入って、褞袍を着込んで、ウトウトとしながらの呟きといった設定はいるのでしょうが。

 今朝も大雪のニュースです。
 もちろん、例年、この頃には、日本海側や東北地方、北海道で大雪が降ったというニュースは流れます。けれども、今年のように、それがひっきりなしに続くというのは珍しい。去年の暮れからは、国際的な重大ニュースよりも何よりも、生活に直結しているお天気ニュースが、ぐっと前面に押し出されているといった感じです。

 水分を多く含んだ、重たげな雪が屋根に降り積もっている映像が映し出されています。時には雪下ろしをする人が隠れるほどの高さまで。一晩で1㍍前後も積もってしまえば、きっと家の中では、ギシギシと柱の軋む音が、一晩中していることでしょう。もう眠れたものではないでしょう。押し潰されるのではないかと想像するのは、地震の時と同じように怖いことです。

 自衛隊の若者が、老人だけの家庭を廻って、雪下ろしの手伝いをしているという話も聞きはするのですが、たとえそうであっても、全ての家に毎日通うというわけにもいきますまい。こうまで雪が深くなってしまいますと、もう生存権の問題になってしまいます。

 雪や雪景色の美しさ、雪に鎖された生活の雅さを求めて行く分には、責任も義務も何も感じていないのですから、気楽なものなのですが、そこに根を下ろし、そこで生きていかねばならないとなりますと、行政側の対応も必要になってきます。もう個人ではどうにもならないというところまで行っている場合も少なくないでしょうから。

 南国育ちの私などからすれば、雪というのは柔らかくて、雲のようにフワフワしているとばかり思ってしまうのですが、ところが、二階の屋根の上で、雪下ろしをしている最中に落ちて、そのまま雪に埋もれた死んでしまったなどというニュースを見てしまいますと、雪国の人は、死と背中合わせに生きていのだと、そういう気持ちにもなってきます。

 日本列島は津波、台風、地震、大雪など、古くから災害列島と言われてきました。ですから、慣れによるものなのでしょうが、どこかしら、そういう危機に鈍くなってしまいます。普通の人はそれでもいいのでしょうが、その、まさかの時に手をさしのべてくれるのが、共に一般大衆であるというのは、どうも頂けません。一般大衆というのは、各自、自分の生活で手一杯のはずです。まさかの時には、まさかの時に手助けをすべき役目の人達が(一般大衆も、もちろん、自分の面倒は各自がそれなりに見るべく頑張るということが前提ですが)必要なはずです。

 とはいえ、そういう人達も想像が出来なかったような、今年の大雪です。だんだん、テレビのお天気予報を聞くのが辛くなってきました。雪遊びやら、雪景色やらを愉しむどころでないのですもの。

 そして、反対に関東地方の大平洋側では、カラッカラのお天気が続き、乾燥肌対策やら、風邪対策(風邪は万病の元と言いますから)やらの薬(?)が、薬屋さんの店先に並んでいます。

 こんなに、細長い国でありながら、これほどお天気が違うとは、不思議と言えば不思議なことです。科学が今ほど発達していなかった時代に生きていた先人達は、様々な方法を用いて、それを理解しようとしてきたのでしょう。

 それも東北地方にあったものは、九州地方には適さず、太平洋岸に適したものは、日本海側に適さないのですから。

日々是好日
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「休みボケの学生達」

2011-01-20 08:10:03 | 日本語の授業
今日も快晴です。雪国の人に申し訳ないような快晴です。そして、今日も「洗濯日和」と出ていました。

 さて、学校です。

 素知らぬ顔をして、新学期の授業を受けている「Dクラス」の学生達。どうも、単語も文法も、目も耳も(口だけは達者になっていますが)どこかへやってきたような…具合です。
 
 去年、夏休み明けに、頭が真っ白になっていたのは、フィリピンから来た学生が一人だけでしたのに。すぐに、「あ~あ、や~すみ中、なあ~んにも、勉強しなかったんだ」と、ゴッツン、ゴッツンしてやったのですが、今回は、なにせ、一名を除いて皆ですからね(この一名というのは、在日のネパールの人で、お父さん業と仕事と、学生業と、三面六臂のがんばりをしているのです)。

 ところで、教科書を写すというのが冬休みの宿題だったのですが、持ってきた学生のノートを見ると、時々、一行か二行、抜けているのです。それで、その学生に、「まず、読んでから書くように」と言って返してやったのですが、よく見ていると、授業の時も、読んでいる所を指で押さえていません。

 なるほど、まだ習慣になっていないのだなと思ったので、今度は「透明の定規を持ってきて、読んでいる行を押さえながら読んでいってごらん」と言ってみました。言っているうちに、ふと視線を感じたので、顔を上げてみると、その三面六臂の学生が、「ふむふむ」と聞き入っているではありませんか。彼は、皆一緒に読んでいる時も、各人で朗読させている時も、いつでも読む時には鉛筆で押さえながら読んでいます。すでに「中級」に入った時の「注意」が習慣になっているのです。

 それで、「今、どういう風に学んでいったらいいかというのは、人それぞれ。各人の性格や日本語のレベル、語学における素質などによって違うから、あなたは今のそのやり方のままでいい」と言ってやりました。そうでもせねば、他の人に言っていることまで、自分のこととして聞いて、せっかく身についたやり方を変えてしまうことがあるのです。

 以前、「この前まで、ちゃんと出来ていたのに、どうしてそんなやり方をしているの」と注意したことがありました。すると、さも心得ぬとばかりに、「先生が昨日、○○さんに言っていました」というのです。全く「あちゃああ」です。それから、このダンボさんには、別の意味で気をつけるようにしています。そうでもしなければ、せっかくのいい習慣を「袖にして」、他の人に勧めている、そのやり方を採用しかねないのです。

 それで、「Dクラス」の、他の学生達の話しです。簡単な日常会話では滑らかに話せているのに、教科書の文章を読もうとすると、途端に舌を噛み切りそうになるのです。これはもう本当に大変です。

 で、今日は、この学生達を「かわいがってやる」ことにしました。何でかわいがってやるかというと、

「淑人(よきひと)のよしとよく見て 好(よ)しと言ひし 吉野よく見よ  淑人よ 君」 (天智天皇)

「不聴(いな)と言へど 強(し)ふる志斐(しひ)のが強語(しひがたり) このごろ 聞かずて 我恋ひにけり」  (持統天皇)

「否(いな)といへど 語れ 語れと 詔(の)らせこそ 志斐いは申せ 強語と告る」  (語り部の嫗・志斐)

の三つ。普通の早口言葉は、中国の短大(日本語科)卒の学生は、既に学んでいるかもしれません。ですから、みんなが白紙の状態で言い合えるものの方がいいのです。

 さて、今日はこの中のどれをつかってやりましょう。彼らは、どれくらいできますかしらん。

日々是好日
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「『洗濯日和』が続く行徳の町」

2011-01-19 09:43:42 | 日本語の授業
 昨日に引き続き、快晴です。日本海側では、東北地方から九州まで大雪に見舞われていると言いますのに

 雪や雨らしきものには、今年になってから、まだ一度もお会いしていません。一昨日の未明に、10分か15分頃、雪とも霰ともつかぬものがパラパラと降っていたらしいのですが、「見なかったものは、なかったこと。なかったことは、見なかったこと」式に言えば、結局、残念ですが、わからないのです。とはいえ、関東地方でも、ちょっと内陸部に入れば、早朝には霜柱が立ち、雪が降り、滝も凍っているそうですから、この差は何なのでしょうね。大平洋側と日本海側とでは、こうも違うのです、同じ海のそばというのに。

 昨年末からの大雪を思えば、既に一㍍や二㍍ではきかないでしょう、積もっているのは。なんと言いましても、越後地方は世界有数の豪雪地帯。私が子供の頃、「そこでは冬になると三階から出入りしなければならないから、三階に一階と同じような入り口がある」…これを聞いた時、私たちは、もう、びっくりして、「すごい所があるものだ。そこへ行けば、好きなだけ、雪だるまも作れるし、雪合戦も出来る」と、なぜかワクワクしたものでした。

 それから、何十年か経ちました。雪国の辛く厳しい生活を見聞する機会もありました。子供時のようにただ遊ぶことだけにかまけてはいられません。ただ、昨日のニュース(屋根の雪下ろしをしている人達の映像)で、ふと気がついたことがあります。どうも家の軒先が雪の下にあるような…。

 大雪のために家全体がズンと低く見えたのです。まるで屋根の裾が雪に埋まっているような、そんな感じだったのです。

 雪国の人からは、「何を寝ぼけたことを言っている。雪国の生活の大変さがわからないのか」と叱られてしまいそうですが、カラカラ天気で、「今日も洗濯日和です」なんていう天気予報ばかりを聞かされている当方からしますと、なにやら少しはお裾分けしてもらいたいような、そんな不遜な気にもなって参ります。

 まあ、本当のことを申し上げますと、大平洋側の都市では、雪が少しでも積もってしまいますと、途端に社会がパニックになってしまいます。地下鉄が不通になるわ、転んで救急車に担ぎ込まれる人が続出するわ、もうテンヤワンヤです。この世界は、時間に忠実であるというのが前提で成り立っていますから、遅刻は学校であれ、会社であれ、官公庁であれ、許してくれません。特に今頃は、センター試験があり、また、大学、高校、中学、果ては小学校、幼稚園の入試時期ですから、交通機関関係の会社はビクビクものでしょう。

 雪国の人達からすれば、「ホンのチョイ雪」と見えても、それだけで、地下鉄や鉄道の駅から待ち人が溢れ出すということにもなってしまいます。本当に近代的な都市というのは、「想定外」の出来事に弱いのです。

 都市の機能だけではなく、私たちにしても、全てはこのような状態のまま、ずっと続くような錯覚に陥っています。理性では、「生とは、死へ向かって歩いていくこと」というのは、よくわかっているつもりなのですが、現実に死にゆく人を目にする機会も少ないので、それを身を以て知ることが出来ないのです。しかも、平均寿命もますます長くなり、街で見かける老人達は、みな若者達よりも活き活きと活発に動き回っているのですから。

 「想定外に弱くなった」とか、「危機管理能力に劣っている」とかいうのは、人がホモサピエンスたりえなくなったことの証なのでしょうか、それとも、人がホモサピエンスに進化したように、今、新たな超人類が生まれつつあることの兆しなのでしょうか。今の人類は、地球という大家さんから見ると、問題児である。大家さんは、とうとう、いっそ始末してやろうかという気になってしまったのでしょうか。

 美しい雪を思っても、こんなことを、ついつい考えてしまいます。全ての人類の形跡を覆い隠し、この地球上にヒトという種などいなかったと思わせるほど美しい雪。既にヒトは地球から見て、完全に厄介者になっているのでしょう。

日々是好日
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「一月生入学」。「日本語の将来」。

2011-01-17 09:35:24 | 日本語の授業
 さてさて、慌ただしく一週間が過ぎ去りました。

 1月12日(火)から、「1月生」のクラスが始まりました。学生数は9名。「留学生」三人に、「在日生」六人です。中国人が五名、タイ人が二名、ベトナム人とフィリピン人が各一名です。また、おいおい増えていくことでしょう。金曜日にも問い合わせの連絡がありましたから。

 「初級クラス」は、開講時、大体10名前後という場合が多いのです。「漢字圏」の学生が多い時にはそれほど「文字(の練習)」に時間を割かずともよいのですが、「非漢字圏」の学生が多い時にはそういうわけにはいきません。中には、「日本では、全部英語で通用すると思っていた」なんて言う学生もいるくらいですから。

 そういう学生は、「日本には日本語という言語があり、日本人は日本語を使っているということ。しかも、大学の授業も、職場でも日本語を使っている」ということにショックを受けたりするのです。

 最初のころは、こう言われても「何じゃいな」くらいの気持ちだったのですが、あるパキスタンから来た人が、こんなことを言っていたので、日本語の将来について暗澹たる思いを抱いてしまいました。

 「自分は母国で、『お金持ちになりたかったり、知識や技術が得たかったら、たとえどんなに辛くとも、英語を勉強しなさい。英語さえ上手になれたら、何でも欲しいものが手に入る。自分達の民族の言葉がしか話せなかったら、ずっと貧しいままですよ』と言われて育ってきた。だから、日本人が英語が話せないということにショックを受けた」

 彼女は、日本人という「黄色人種」が先進国になれたのは、きっとみんな英語が話せて、欧米人と同じになれたからだと思っていたのです。だから、欧米の技術を勉強することができたからだろうと思ったのでしょう

 「日本人は日本語しか話せないのに、先進国になれた。まず、なんといっても、豊かだ。それはどうしてなのだ」と思ったのです。

 最近は日本も、変わってきました。生物多様性が叫ばれれば叫ばれるほど、その反対に、言語の統一化が進められていくような気さえします。ローカルを大切にしようという運動は、確かに細々と続いていますが、いったん豊かになってしまった社会で生きている人は、もう不便な生活には戻れないのです。

 その上、第三世界では、「まず食うことだ、生きることだ」から始まり、次に「豊かになることだ。車を持つことだ」へと続く大合唱が、何人も止めることが出来ないような勢いで拡がっています。

 今、この学校には、大学院を目指している内モンゴルの学生が何人かいるので、モンゴル族のことについては、私自身もアンテナを張っているのですが、ある論文を読んでいる時に、滅び行く言語の中に、「モンゴル語」が入っているのを見つけました。

 世界では英語一本化が進み、中国では中国語一本化が進められているのですね。ソ連時代、ソ連でもそうでした。多くの少数民族の言葉が失われ、最後の二人とか最後の一人とかいう時になってはじめて、皆(それを推進していた…だれだったのでしょうね…その人達以外)ショックを受けていたのです。言葉が失われれば、その言葉と同時に存在していた文化も失われる。文化が失われれば、その民族も存在しないことになるのは明らかなことですのに。

 私の友人の弟で、インドネシアのバリの舞踊、サンヒャンに夢中になって、とうとうバリに留学した人がいるのですが、友人の結婚式にこの弟も戻って来て、このダンスを、仲間と一緒に披露してくれたのです。そのときに、やはりこれはこの地方の言葉と一緒になってこそのものであると実感しました。言葉と生活、そして生活の中に生きているダンスだからこそ、これほど人の心を惹きつけるし、また力強いものなのだということが、よくわかったのです。

 日本の舞踊も音楽も、またそのほか芸能も皆そうでしょう。英語落語なども最近はやられているようですが、これは日本の落語を知ってもらうためにやるからこそ、意味があるのであって、逆になってしまったら、庇を貸して母屋を取られるという様はない状態になてしまうかもしれません。

 ドルの価値はどんどん下がり、ただ一つの超大国と言われていたアメリカも凋落が叫ばれはじめてから、久しくなりました。その後ろには、人口で遙かに勝る中国が追い上げていますし、その中国の後ろには、おそらく数十年後には人口で中国を追い越すであろうと言われているインドが控えています。

 ドルや国力こそ、かつての威光は衰えているとも見えますのに、英(米)語だけは、一人歩きをしはじめて、そのほかの言語を食いつぶしています。グローバル化がこれほど進んでしまえば、その上、拡がることはあっても、鎖されることはないでしょうから、共通言語というのものが必要になるというのもわかります。これは必要性から生まれた必要悪(?)なのでしょうが、各民族の言語はどんどん姿を消していこうとしています。

 どの言語ででも、もっとミクロに見ていけば、同じ日本語の中の「方言」ででも、この言葉でなければ伝えられないという「感情」が内在しています。外国語を学ぶということは、それに気づくということでもあるのです。ああ、この気持ちは、自国語でなく、学んだこの言語のこの単語でしか表せないというそんな気持ちなのです。

 日本語を教えていながら、日本語の将来に不安を感じている。矛盾しているといえばそうなのでしょうが。かつて、日本は中国から、また文明開化の時には、欧米から、新しい知識や技術といっしょに、言葉も輸入してきました。そのときには、影響は受けても、それなりに消化できたのです。そして、長い時間をかけて、日本語は熟成していき、今、その文学は世界でも認められるようになってきていますのに。それと同時に没落が始まっているとは…。

 もちろん、言葉は生き物ですから、変わっていくのは仕方がないことです。ただ自然に任せるのではなく、日本人が人為的にそれを行っていくというのには、やはり、私には、抵抗があるのです。

日々是好日

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「小寒」。「地震のテロップ」。

2011-01-06 09:03:26 | 日本語の授業
 今日は「小寒」。「大寒」に比べ、凄みに少々欠ける嫌いはあるのですが、今日から一年で一番寒いと言われる日々が始まります。「節分」までが寒いのです。「節分」で「鬼」を祓って、「恵方巻き」を食べて、寒さを追っ払うまでは、ずっと今日のような寒さが続くのでしょうか。予報によると、明日の朝は一度まで下がるとか。とんでもない…ような気がします。あっ。今、ドンと来ました、ちょっとですが。地震でしょうか。

 地震といえば、以前、授業中に地震があった時、すぐにテレビをつけて学生達に見せてやりました。学生達の方ではキョトンとしています。「授業中なのに。どうして急にテレビを見せてやろうなんていう気になったのかしらん」くらいに思ったのでしょう。

 画面が映し出され、すぐにその画面に地震のテロップが重なります。地震の知らせと発生した場所の名が出てきます。それからまたすぐに、今度は詳しい震源地と各地の震度が続きます。そして次は「津波の心配はありません」という知らせが出ます。日本人の間では、もうすっかりお馴染みになったものですが、学生達はまず、一様に驚きます。

 「…知らなかった」。それからが、授業です。「日本では地震があった時に、すぐテレビをつけると、こういう知らせが流れてきます。日本人はこれを子供の頃から見慣れているので、どこで地震が起こったのか、震度はどれくらいだったのか、津波のおそれはあるのかなどがすぐにわかります」。

 こういうことを、形ややり方を変えながら、幾たびか繰り返してやりますと、彼らの方でも、日本がいかに地震の多い国であり、そして、そのきわどい大地の上に築き上げられた人々の生活であることが、少しずつわかってくるでしょうし、人々が、出会った時に最初に口にする言葉がなぜ気象状況であるかなども、気がついてくるでしょう。

 ほんの些細なことなのですが、そこに住み慣れている日本人にとっては当たり前のことでも、異なった風土に育った人には、わかりにくいことが多いのです。その些細なことが積もり積もっていけば、日本にいて日本語を学ぼうが、外国にいて日本語を学ぼうが変わりがないということになってしまいます。

 それでは、せっかく日本にいるのに、もったいないことだと思いませんか。地の利を生かし、風土や慣習などのわずかなわずかな違いを捉えさせ、そこから日本人の思惟の流れの傾向などにも思いが至るように仕向けていく。そうしなければ、せっかく日本で日本語を勉強しているのに、その甲斐がありません。

 何が(その人にとって)日本を理解していく上での壁になっているのかわかりませんし、また、何がその壁を取り払うことになるのか、だれにもわからないのですから。

日々是好日
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「水を打つ?」。「論文の客観性と引用と」。

2011-01-05 09:54:08 | 日本語の授業
 昨日から、学校は開いています。こう言うと、学生は「??」。そう言えば、「今日、学校はありますか」「はい、壊していません」「??」

 私が中国にいる時、(当時は、寮に住んでいる中国人は、皆、外にあるボイラー室にお湯汲みに行っていたのです)魔法瓶を持った人が、一所を目指して歩いているのに、気がついて、不審に思い「何をしているのですか?」と聞いたことがあります。だって、よくよく見てみると、中国人学生ばかりでなく、独身寮に住んでいる先生方もそうしていたのですから。一人の若い男の先生が答えてくれました「打水去」。「打つ?打つ?打つ???」

 まあ、日本にも「打ち水」というのがありますけれども。

 日本語でも、動詞を自在に操れる人は、もう「名文家」と言ってもいいでしょう。「文章の命とは『動詞』である。決して、華麗な「形容詞」や「形容動詞」などではない」というのを聞いたことがあります。確かに、動詞がツボを得ていれば、人をして唸らしめる…。

 日本語においても、「話し言葉」における動詞は、生き物のような働き方をします。ただ中国語と比べれば、「話し言葉」と「書き言葉」にそれほどの差があるとは思えません。中国語を学んでいる時、「来るなら、来い。二字で来い」といつも念じていました。(漢字)二字での動詞なら、攻めてきても怖くはありません。日本人なら何とか撃退することができます。ところが、一字で存在し、しかも、のほほんとそれだけで「さあ、来い」とやられますと、当方としても途方に暮れるしかないのです。しかも時々流行の山東方言などでやられますと、固まってしまうしかないのです。こういう時つくづくと、中国語というのは、(話し言葉です。書き言葉ではありません)蛇のようなものであると思いました。ヌメヌメとして、スルスルと逃げていき、捕まえることができないのです。

 日本語においては、和語と漢語、そのそれぞれに和文調、漢文調とあって、それから明治期の翻訳調。今では、これにフランス語系とアメリカ語系などがあるので(もっとも、これは影響と言うべきで、はっきりとした文体というわけではありませんが)、その人の個性に合わせて取り繕っていけばいいのです。「取り繕う」というと語弊があるかもしれませんが、かつてのような文士とか、文壇とか、大御所というのは、今では存在のしようがないのです。

「水を打つ」から、話は逸れてしまいましたが…。

 さて、昨日のことです。午前中に一人、午後一人やってきました。午前中に来た学生は、眠っていない…ままに来たそうで、「とにかく市役所に必要なものを取りに行って来なさい」と、先に市役所へやり、その間に、彼女が書いたものを今一度チェックしました。

 年末から正月にかけて、何度かメールで文章の確認をしていたのですが、どうしても、中国で書いてきたものには、データが足りないのです。つまり客観性に欠けるのです。もし、教授に、「根拠は」とデータを聞かれ、そしてその出所を聞かれて、それが信頼に足るものでなかったら、相手にされないのが普通でしょう。もちろん、中国の大学で書いたものですから、それを考慮してくださることを祈るばかりですが。

 例えば、日本では引用したら、必ず、「誰の何という本から引用した」と注を入れなければなりませんし、データを利用したら、その「出自」をはっきりと書かなければなりません。

 何年か前に、いかにも自分の意見と言わんばかりの文章を書いてきた学生がいたので、これは「誰の意見か」と問うと、「私が考えた」と言うのです。そんなはずはないでしょう。自分の意見なら、その根拠は?そう思った理由があるでしょう」と聞くと、答えられないのです(こんなことを書くと、嫌な奴だとお思いになるでしょうが、これは友達との会話ではありません。大学院の教授に対さねばならぬ時の準備なのです)。

 最後に渋々、「読んだ本に書いてあった。けれども、私の意見も同じだ」と言い張るのです。それで「その人がこういう意見を書いたには、それなりの根拠がある。あなたの根拠は何か。それがないでしょう」と言うと、「そんなことはどうでもいいでしょう。なぜそんなことを聞くのか。私がそう思ったから書いただけなのに」といかにもうるさそうに答えたのです。

 これは、日本なら、大学の一年生でも守らなければならないルールです。「他の人の意見は、他の人の意見。それをあなたがいかにも自分が考えついた意見のように書くのは間違っている。自分もそう思ったなら、その人のものを引用したとはっきり書かなければなりません」。中国人にとっては、「そんな面倒なことを」で終わりなのです。これでは盗作やら、海賊版やらをして、世界中の非難を浴びても、罪の意識を感じないはずです。もう習慣なのですから。

 こういう人達が先進国へ行けば大変です。「中国では大学院へ行くのが難しいから」と彼らは言いますが、どういう意味の難しさなのでしょうね。ちょっと答えに窮しましたが。

 中国人の先生でも、留学経験があり、しかも彼の地(留学先)で、(外国人の)先生方があきらめずに、こういう基礎を、しっかり仕込んでくれていれば、ちゃんとした論文の書き方を(中国にいる中国人学生に)指導できるのでしょうが、時々、先生方からして、こういうものを書いていると聞きましたから、学生達に指導するどころではないでしょう。

 日本に来ている人の中にも、(教授や研究室の先輩達が)何度注意しても、全然態度を変えないという始末に負えない大学院生もいると聞いたことがあります。そうなると教授の方でも「どうにかして、よそへやってしまいたい、本当なら追い出したい」という気持ちにもなるでしょう。面倒見切れないでしょうから。けれども、私立大学には、有名私立はいざ知らず、普通の私立大学では、日本人学生はあまり行きませんから、誰でもいいから人が欲しいでしょうし。これでは、私立大学が、大金を払って有名教授招聘し、看板にしても、こういう学生が多くなってしまいますと、先生の方でもたまりません。そういう学生になれていない老教授は匙を投げてしまうことでしょうし。

 話は前後しますが、彼女の場合は、ネットや先生に頂いた文献を読んで、ため息をついていました。「日本ではどうしてこんなにデータが出ているのですか」。「中国のことなのに、どうして、日本では『修士論文』や『博士論文』で、こんなにすごいことが書けるのですか」

 ここで、「注」です。書ける人もいますし、書けない人もいます。書けたという人は、日本で日本人の教授達の指導を受けて変われた人でしょう。変われずに、中国と同じ価値観でいて、顰蹙を買っているという人も少なくないと聞いています。前にいた学生でも、(最初はこんなにひどいとは思っていなかったので、そういう注意をしていなかったのです)院に行ってから苦労した人がいるかもしれません。今は、いろいろと情報も入ってきているので、研究生になる前に、出来るだけ注意はしています。

 なんと言っても、院では先生と「向き合い」の指導を受けるわけですから、嫌われたら終わりです。優れた学生であれば、先生の方でも手放したくないと思って我慢して下されるでしょうが、大体は普通の能力の学生達です。この学校にいるうちに、せめて、とんでもないことをしでかして嫌われないようにと、最低限の指導はしておくつもりですが。とは言いましても、これも、センスの問題で、変われない人は変われないのです。どんなにこちらが努力しましても。こういう人は痛い目に遭うまでは、いえ、遭っても、悪くすると、相手を非難するだけで終わってしまうかもしれません。私たちからみれば、かわいそうなのですが、別の見方をすれば、「活该」というところなのでしょう。聞き入れるだけのことができないのは、自分なのですから。

 それから、一言付け加えれば、2009年4月生で研究生を目指している学生達は、皆、まじめないい子達です。

日々是好日
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「明けましておめでとうございます」。「今年もいい年になりますように」。

2011-01-01 07:39:28 | 日本語の授業
「新しき 年の始の 初春の 今日ふる雪の いや重(し)け吉事(よごと)」 (大伴家持)

 雪こそ降りませんでしたが、行徳地区は、「初春」という言葉がよく似合う穏やかなお天気で明けました。

 早朝、「初日の出」までとはいかずとも、お天道様を拝もうと、ベランダに出てみますと、糸のように細い月が明け初めた赤い空の上にかかっていました。処々にまだ星の姿も見えます。

 昨日、九州から、大晦日の朝は、一面の雪で明けたという電話がありました。九州でも福岡であったら、それは驚きはしないのですが。それで、テレビを見てみますと、鹿児島でも雪が降ったと言います。

 何も降らなかったのは、もしかしたら、ここだけであったのかもしれないという気にもなってくるではありませんか。不思議ですね、どうして雪が降らないのでしょう。

とはいえ、アルバイトに精を出している学生達には、休みがありませんから、雪でも降って交通が乱れたら大ごとになります。ここは素直に喜んでおいた方がいいのでしょう。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

日々是好日

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