日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「浅草」で、みんな写真ばかり撮っていた…。

2016-04-27 12:53:10 | 日本語学校
薄曇り。夜には雨が降り出すそうです。

今日は昨日とうって変わって、かなり肌寒い。昨日は「吾妻橋」経由で、「浅草寺」の「雷門」に着いた頃には、もう汗だくになっていました。

行徳から日本橋(もちろん、東西線です)へ行き、そこから銀座線に乗り換えて、浅草へ。所要時間約40分で、片道280円。

新入生たちは、この「課外活動」などを通して、少しずつ日本に慣れていきます。

以前、中国人学生が多かったときなど、自分たちで、人(直接の知り合いでなくても、知り合いの知り合いの、そのまた知り合いということもあったでしょう)を頼りなどして、いろいろなところへアルバイトに行っていましたから、私たちなどよりもずっと地下鉄に詳しいという学生もいました。来たばかりで日本語があまりわからなければ、いい仕事などありません。ですから、雇ってもらえそうな工場などへ当たりをつけたり、紹介してもらったりして行くのです。高校を出たばかりの学生もそれをしていましたから、やはり逞しかったのでしょう。

最近は、日本でも労働力不足ということもあり、自転車で行ける近所の工場やホテルなどでも採用してもらえるので、(来たばかりでも)それほど困らないようですし、それに、同国人や同じ学校から来た人もいるので、その人たちが銀行へ連れて行ったり、市役所に連れて行ったりしてくれるので、こちらの雑務もぐんと減りました。

ただ、スリランカ人学生は自分たちでやりくりして部屋を借りているようですが、ベトナムの学生はそれがまだできないのです。実は、寮で大騒ぎして問題を起こすとか、そのほか警察沙汰を起こすとか、そんな目に余ることが多いので、彼ら(ベトナム人学生)だけには、寮に住むことを申請の条件にしてあるのです。それに、スリランカ人学生は、学校の近くで部屋を探すことができるのですが、ベトナムの学生は、電車でしばらく行ったところにある、ベトナム村(?といわれるベトナム人が多く住む地域があるのですが、そこ)へ行きたがるのです。

行ったら最後ですね。疲れて勉強どころではなくなる。もっとも去年くらいからでしょうか、2年目の学生の中から、チラホラ、学校の近くに部屋を借りることができる者が出てきました。自分たちで部屋を借りることができれば、それが一番良いですね。もちろん、問題を起こしたり、遠くへ行くというのはだめですけれども。

さて、昨日の「浅草」です。

学生達はほとんどが時間を守り(2.3の例外を除いて)、すんなりと出発することができました。留学生の欠席は2名だけです。

乗り換えの時も落とすことがなく、そのまま浅草に着き、ホッ。

けれども、本当に学生達は写真を撮るのが好きです。「吾妻橋」の上からも、「スカイツリー」をバックに、一人で、あるいは友達と、またクラスで、また他の仲間たちと一緒にという具合に、いろいろなポーズで写真を撮っています。

でも、中にはこんな学生もいました。スカイツリーを見て、うれしそうに「あれが、東京タワーですか」。「…いいえ、違います」。がっかりしていましたね。やはりまだ東京タワーの方が有名なのかしら。

写真好きがあつまっているからでしょうね、なかなか進みません。「雷門」の「大提灯」の前から、もう動かないのです。それで、業を煮やして、先に行きます。先に行っていた学生もいたと見えて、途中でミャンマーの学生に会ったり、タイの学生に会ったり、ネパールや中国の学生に会ったりしました。ということは、ベトナムとスリランカの集団以外の学生達は、適当に自分たちで楽しんでいたと見えます。

タイの学生が、「タイ人がたくさんいました」と報告してくれました。そうか、他国の人間にはわからないけれども、同国人にはわかるわな。

今日、やって来た学生達に聞いて見ると、楽しかったという返事が返ってきました。けれども、食べ物が高かったから、買えませんでしたという返事もありました。そうですね、来たばかりの学生達には、まだ無理かもしれません。

日々是好日
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課外活動、「浅草」へ行って参ります。

2016-04-26 08:16:34 | 日本語学校

晴れ。

「行楽日和」です。だからというわけでもありませんが、今日は「課外活動」で、皆と一緒に「浅草」へ参ります。

東京近辺に住む留学生なら、一度は行っておいた方がいい所でしょう、将来のためにも(大学に入ったとき、日本の各地から来た日本人を連れて行くこともできる。また、日本の会社に入ったときに、同国のお客さんを接待で連れて行くこともできる)。まあ、近いですから。それが一番の理由ですけれども。

この「浅草」の中心、「浅草寺」ですけれども、以前、台湾の留学生で、毎月、浅草寺にお参りに行っているという人がいました。「へえ」と、そのときは思ったのですが、信心というのは宗派も国も問わないもののようですね。

浅草は、「サクラ(桜)」の頃もきれいですけれども、新緑の頃も川べりなど、涼しくて良いらしいので、今日のように初夏並みの暑さが予測される日は、ちょうど良いのかもしれません。

この学校でも、幾度となく行っているのですが、「猿回し」が見られたことも、着物姿の女性が多かった(一緒に写真を撮らせてもらえるので、学生達は大喜びです)時も、そして何年前でしたか、「朝顔市」で、花好きの学生が喜んだ時もありました。

学校を出て、どこかへ行くと、それなりの経験となりますから、できれば、月に一度は、連れて行きたいのですけれども、そのためには、学習進度の調整もせねばなりませんし、また、年に二度ずつある「日本留学試験」や「日本語能力試験」との兼ね合いもあるので、二ヶ月に一回になることもあります。

数年前に他の学校から転校してきた学生がいました(普通は元の学校が手放さないので、来たいといってもまず無理なのですが)。彼女の場合、「転校」と言って良いのかどうかはわかりません。彼女を呼んだ同国の友人が、その学校が一年制であることを知らなかったらしく、来日後、「えっ。一年で終わり???…どうしよう。私は大学に行きたいのに…ということで、この学校に来たのです。

彼女の元の学校は課外活動がなく、花見も近所の公園で、しただけ。それ以外は何もなかった(??ような気がします)。それで、この学校に来てからは、本当にこの「課外活動」を楽しみにしてくれました。「次はどこへ行くの?」と、彼女ほど本気になって聞いてきた学生はそれまでにいませんでした(もちろん、楽しみにしてくれた学生はいましたけれども、それは、ついでに、他の友達と、近くの「どこそこ」へ遊びに行くのが目的だったりだったのです)。

他の学生達は、この学校しか知りませんから、月に一度、ないしは二月に一度行くのが当然だと思っています。それで、アルバイトに疲れたから行かないとか、「テストに関係ないでしょ」とかになってしまうのです。が、他の学校から来た人は、そういうことがありません。本当に喜んでくれ、私たちにしても、彼女のように喜んでくれる人がいるなら、多少面倒なことであっても、「やはり連れて行くか」となるのです。

では、行って参ります。

日々是好日
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「お国ぶり」は、あっていいものだけれども…。

2016-04-25 08:54:17 | 日本語学校

薄曇り。

とはいえ、日差しは強いようです。

菜の花の咲く頃には、梅雨のように雨が続くことから、「菜種梅雨」とも言われているようですが、本当によく雨が降りました。昨今の雨は「卯の花腐し」でしょうか。そういえば、「朧月夜」の日もありました。

ただ、今日は、晴れるとのことで、洗濯物が軒先に翻っていました。けれども、黄砂が飛んでくる時期ですから、洗濯しても、これもまた大変。チョボチョボ雨の時には車が汚れていたそうですから、黄砂のせいかもしれませんね。

私たちは「中国から飛んでくる」と言いますけれども、中国では「モンゴルから飛んでくる」というらしく、私が「中国から」と言った時、中国の友人に異を唱えられてしまいましたっけ。そんなことも懐かしい思い出です。

さて、学校です。

「お国ぶり」というのは、なかったらなかったで面白くないものですが、あればあったでこれまた困ったことなのです。

「こういうことはいけない」と言っても、なぜいけないのか全くわからない。腑に落ちぬという顔をして、見つめられてしまうのです。

もちろん、私たちもそれはわかります。まあ、「判る」と言っても、「彼らなら、こうするだろうな。注意すれば、こういう顔をされるだろうな」くらいのことで、だから、どうすればわかってもらえるとならないところが辛いのですが。

これが、一年ほども日本に先に来ている(同国の)人がいれば、少しはどうにかできるのです。が、そういう中には、「他者に干渉するのが習慣にない」という国の人もいて、その場合は、どうにもこうにもできません。

先に来ていて、日本では彼らの国のようにすると、いろいろと軋轢が生じるということがわかっていながら、(後輩に)説明してくれないのです。「言っても、(彼には)わからない」で、終わり。

彼の言わんとするところは、「痛い目を見てはじめてわかる。それまでは何を言っても無駄。どこにいようと、自分の国のやり方でやるのが自分たち」なのでしょう。

ただ、「これだけはだめ。これだけは絶対に守らせなければ」ということもあるのです、私たちには。彼らには納得できなくとも。そういう時、多分、互いに、「異星人」を見るような目で見合っているのでしょうね、私たち。

いろいろと文句は言っていますが、もとより、気分はいい人達なのです。「そんなこと、どうだっていいじゃないか」と腹では思っていても、私たちが怒ると、困ったなあという顔をし、見える所ではそうしないようにするのです。でも、いなくなると、こっそりしてしまう。本当に困ります。…四六時中、見張っていることなんてできませんもの。

けれども、そんな(こっそりとやって、私たちが後で気づいた)ときでも、怒れないのです、私。だって、晴れ晴れとした、本当にうれしそうな顔をするのですもの。困ったことに、どうしてこんなに明るい顔ができてしまうのだろうと、(私たちの方で)感動してしまうのです。

まあ、同国の先輩が言うように、痛い目に遭わない限りわからないのでしょう。それも可哀想なのですけれども。

日々是好日

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街が「緑一色」になりました。

2016-04-22 08:17:32 | 日本語学校
晴れ。

昨日の雨が嘘のように晴れています。小鳥たちの鳴き声がいかにも初夏らしく、耳に心地よい。

街は、新緑の「若葉の候」を通り越し、今はもう「緑一色」と言った方が良さそうな姿になっています。「ツツジ(躑躅)」でしょうか、「サツキ(皐月)」でしょうか、街路樹の下に、鮮やかな色の花を覗かせています。

ここは、海の近くなので、生えている樹は、山や丘陵地のもののように脊高く、大きく根を張っているわけでもなく、華奢なのですが、それでも緑を目にできるのはうれしい。

あっと言う間に「緑」が湧き出してきたかのような気さえします、最近は。いいですね。

「サクラ(桜)」にしても、花の頃も楽しめるし、新緑の頃もきれい。もちろん紅葉の頃もいい。

もとより、「サクラ」にしてみれば、「私は私で、生きているだけ」というところなのでしょうが。

さて、学校です。

アルバイトを始めた新入生がボツボツ出ています。慣れないからでしょうね。授業中、フワッと眠ってしまうので、すぐわかります。勉強とアルバイトと二足のわらじを履くとなると、途端に段取りの難しさに戸惑い、一時的に生活が崩れていくことがあります。もっとも、これは、勉強に来ている人のことですが。

前に、ベトナムの学生に(それを)注意した時、「私が稼いだ金で何をしようと私の勝手だ」と、結局はそういう趣旨のことを言われ、そうか、そうだろうなと変な納得をしてしまったことがありました。

日本語を学ぶという触れ込みで来日していても、本当は「稼ぎたい」とか、「生活のため」とかいうだけの人もいないことはないのです。

当然のことながら、ここは学校ですし、「日本語を勉強します」と言うから、私たちも受け入れたわけですから、そういうのは困ります。ただ、中には「本当に勉強したいけれども、お金がなくて他者から借金せざるを得なかった。そして、その金は自分で返さなければならない」という人もいます。

そういう人は勉強に欲がありますので、アルバイトをしていても、何とかやっていけるのです。一時的に混乱しても、戻れるようです。自分はいったい何をしに日本へ来たのかと。

最初は日本語を使わなくてもすむようなバイト先であっても、だんだん日本語が上達しますと、少しずつ日本語が使えるようなアルバイトを探していけるようになります。そうして、学校で文法や単語を勉強し、バイト先では日本人と普通のおしゃべりを楽しむ。そういうことができるようになりますと、アルバイトができる範囲がどんどん広がっていきます。そして、大学へ行くというのが一番いいのです。

アルバイト先でいつも話しているような言葉は、代わり映えのしないものです。単語の数も、文型も知れたものなのです。日本語がペラペラ話せて、日本人のようと他の日本人に言われていても、結局は、日本人が通勤時に読むような、肩肘張らないような普通の本も読めないのです。それでは、日本の会社で良いポジションを得たいと思っても所詮かなわぬことです。これはどこの国に行っても同じでしょう。

留学生は最初が大切ですね。今迄(国にいたとき)のように、ただ言われるままに流れていくだけというのでは、どちらも駄目になってしまいます。重点をどちらに置くべきかを忘れないようにしないと言われるままに、アルバイトをし続け、気がついたら、お金も残っていない(目的がないので、「今」を楽しむ方にお金を使ってしまうようです)、勉強も進学できるほどにはできていないという結果になってしまいます。

それが一番辛いですね。学生にとっても、私たちにとっても。

日々是好日
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いかに見つけられずに、教室に入るか…。

2016-04-21 08:19:40 | 日本語学校
曇り。

今日は夕方から雨が降り出すそうです。

うちの近所の空き地に、何かが建てられそうです。重機が先週頃から入っていました。

この、「空き地」という言い方も曲者で、放っておかれたからか、小石の多い、それほど生物の成育には適しているようには見えない土地なのですが、「シロツメクサ(白詰草)」やら、「ユウガオ(夕顔)」やらがあちこちに生えている土地でもあったのです。

「シロツメクサ」は、今、もう花を咲かせています。それに伴い、「バッタ」や「チョウ(蝶)」も訪ない、なかなかの盛況ぶりなのですが、それももうすぐ見られなくなるかもしれません。

ここは都心にも近いせいか、会社の寮も多いそうで、そういえば、ピッカピッカの新入社員でしょうか、5,6人ほどが連れだって、大声で話しながら駅へ向かっている姿を最近もよく見かけました。きっと研修期間なのでしょうね。集団で移動すると言うことは。

これがもう数ヶ月すると一人で動くようになりますから、背広を着ているにもかかわらず、まるで大学の合宿時のような賑やかさで駅に向かうという光景は、もう見られなくなるでしょう。

春の風物詩ですね、これも。

さて、学校です。

職員室の席替えがあってから、「サクラ(桜)」の樹が見えるようになりました(近くの「兄弟八百屋」さんの店の前に、道を挟んで「サクラ」の樹が植えられているのです)。ということは、その辺りから学校へ向かう学生達の姿も、よく見えるようになったのです。

タラタラ歩いている人や、サッと自転車をとばしてくる人…。スリランカの男子学生は、歩いているときは、走ることを知らない人達かと思われるほどタラタラと歩いているのですが、自転車に乗った途端に、颯爽とした姿になります。このギャップもなかなかに面白い。

よく、学校への行きや帰りに、この「サクラ」の樹が植えられている角っこで、学生達は立ち話をしています。それもよく見えるのです。こんなことを言うと、はしっこい学生が、目敏く(この文章を)見つけて、場所を移すかもしれませんが。

ときどき、見かけては、「まだいる。まだいる」とやっているのですが、これから暖かくなりますと、こういう機会がもっと増えるかもしれません。見えるからいけないのです。

そういえば、こういうことも、見えるからいけない。
以前は、下の階の受業をしているときに、遅れてやってくる学生を見つけては、よく「こらあ」とやっていました。が、下の階の教室に行くことが少なくなりますと、もうそれもあまりできなくなりました。

実は、これも、なかなか面白く、学生達も年の功を経てきますと、「カメ(亀)」の甲羅と同じで、いろいろと考えて、対策を立てるようになってきます。自転車を止める場所を考えるとか、私がホワイトボードに向かっているときを見計らって階段を上るとか、うまく背をかがめて見つからないようにすり抜けるとか、後で(遅れたことを)聞いて「えっ、遅れていたの」とびっくりするようなことさえありました。すると、こちらも気をつけますからね、どっちが勝つかになってきます…。

もっとも、そういう知恵があるだけ、またそうしようと思うだけ「立派」なのかもしれません。以前は、何とも感じていない人も少なくなかったのですから。

私も見つけようとするし(文句の一つも言ってやりたい)、彼らとしては見つけられないように頭をひねる。まるでゲームです。「やったァ」「やられたァ」の世界なのです。

「化かし合い」というと語弊があるかもしれませんが、「モグラたたき」のようなもので、きりがないと言えないこともない…。

それもまた、学校における「単調な生活を崩す術の一つ」なのかもしれません。双方ともに楽しんでいるわけですから。

日々是好日
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「フジ」の花房が長くなってきました。

2016-04-20 11:22:16 | 日本語学校
 晴れ。霞がかかっています。

「フジ(藤)」の花が咲いています。幹はごつごつと岩のようなのに、花の香の甘やかなこと。虫たちが集まってくるのも宜なるかな。

「フジ」は、「くず(葛)」と同じように山の花というイメージがあるのですが、街でもよく見かけられる花でもあります。痩せた土地でも大丈夫なのでしょう。

「サクラ」の後、だいたい五月の連休前に咲きますから、「フジ」を見に神社や仏閣を参拝する人も多く、特に京都や奈良などの山を背にした神社や寺などでは、地の利を生かして立体的な「フジ」の花が楽しめるそうですから、うらやましい限り。

ただ、ふるさとの「フジ」は、大きな木ではあったものの、それほど房が長いとか、花がきれいだとかいったものではなく、野生の花という感じでした。やはり、手をかけて育てられていなければ、それなりのものにはならないのでしょう。

さて、学校です。

新入生ですが、新学期の始まる、1,2週間前に来られた学生は、生活や勉強にも余裕があるようです。まだ授業は始まっていなかったわけですから、街の探索にいくだけでなく、先輩にアルバイトに連れて行ってもらったり、銀行に行ったりと、そんなことをする時間があったようです。先輩の時間に合わせて、ただついていけば、それでいいのですから。

それに対して、学期が始まってから来た学生達は、生活にも勉強にも余裕がなく、毎日を慌ただしく過ごしています。落ち着くまで、もうすこし時間がかかりそうです。そんな中、授業を休む者まで出てきました。「携帯電話を買いたい。でも先輩は皆、朝のクラスで、自分たちは午後のクラス。朝だと一緒に行ってもらえない」。だから、午後の授業を休んで連れて行ってもらう…。

何事も最初が肝心で、漢字の導入の時にいなければ大変なのはわかっている…はずだと思うのですが、それもこちらの勝手な思い込みなのでしょう。まずは、生活というところなのでしょう。

ベトナムからの学生の中には、地元の優秀な大学に入っていたという触れ込みで来ているのに、来日後、手に入れたスマホに夢中で、授業中もやめられない人がいます。

これまでの経験から言えば、ベトナムの学生は相当頑張らなければ、他の国から来た学生ほどには話せるようにならないし、聞き取れもしないのですが、それがわからず、高を括っているのかもしれませんね。

これは本人が気がつかなければ、どうしようもないことで、こちらがいくら言っても結局は徒労なのです。多分、どこの国であれ、同じでしょう。

この学校でも数人、ベトナムの大卒やらを入れたことがあるのですが、あまり芳しい成績は上げられませんでした。それよりも高校を出たばかりの真面目な学生を入れた方がずっといい…。もちろん、半年ほどは一人暮らしに慣れていなかったり、急にアルバイトでお金が入ったりして、自分を抑えられなかったりするようですが、それでも、踏みとどまれる人はいるのです。変なエリート意識がないだけでもいいのかもしれません。

日々是好日
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「ハナミズキ」の花も満開です。

2016-04-18 08:41:39 | 日本語学校
北千住の駅のプラットホームをハトが歩いています。首を振り振り。けれども、2.3歩歩くごとにズリッと滑るのです。やはりハトは飛ぶようにできているのですね。ホームの床は滑りやすそうですから、ハトの足には向いていないのでしょう。

「ハナミズキ(花水木)」が満開です。「サクラ」に気を取られているうちに、いつの間にか、花がついていました。ピンクや白、赤いのもあります。ただ、この辺りの「ハナミズキ」は背が低く、幹も細く、満開でも、やはりサクラには負けてしまいます。よく見かける樹なのですが、もしかしたら、この土地にあまり合わないのかもしれませんね。

樹が太々と育つだけの道幅さえあれば、どれほどいいのかと思うのですけれども、無い物ねだりでしょうかしらん。

晴れ。昨日のお天気が嘘のように風もなく、穏やかな一日になりそうです。もう、五月晴れと言ってもいいのでしょう、四月も半ばを過ぎたことですし。

日本は地震や津波、火山の爆発など、本当に自然災害の多いところです。過去の為政者は、自然と闘うのではなく、自然の中に、遠慮しながらも、少しずつ自分たちの生存のための土地を確保してきました。

いつから「自然の上にいるような錯覚」を人は持つようになったのでしょうか。

これは人と人との交わり方にも共通するようなところがあるような…。何千年、何万年経とうとも、人というのは、心や気持ちの上では、進歩がないようですね。

人の世界に文字が登場してからの歴史だって、わずかなものに過ぎないのですが、過去の人々の心を映したものや考えなどをみるたびに、人はこの間いったい何をしていたのだろうと思ってしまいます。

日々是好日
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「ツバメ」を見つけました。行徳にも、もう、やってきたのですね。

2016-04-15 08:23:44 | 日本語学校
晴れ。

ポピーの花が風に揺れています。今朝は、道の花だまりの中をやって来ました…というと、なかなかきれいな…様子であるかのようですが。

実を言いますと、風が強いのです。それでサクラの花だまりの花びらが風に巻かれて渦を巻いているのです。自転車は道の端しか通れませんから、結果として、この渦の中を突破するということになる…。

そうやって来ている間に、「ツバメ(燕)」を見つけました。昨年のお宿を探しているのでしょうか、あるいは若いツバメはどこの軒先を借りようかと迷っているのでしょうか。

この辺りは「ヘビ(蛇)」を見かけませんから、「カラス(鴉)」からさえ守ってくれる所なら大丈夫というところでしょうか。

さて、学校です。

午後の初級クラスは、「Cクラス」19名、「Dクラス」20名とまずまずの出足。しかも例年なら一ヶ月か二ヶ月入国が遅れるという学生がいるというのに、今期は今日で出揃うことになっていますから、本当にまずまずです。

もちろん、在日の方は諸事情から1,2ヶ月と保たない場合もありますし、「ひらがな」からやりたいと途中から入ってくる人もいますから、下手に人数を数えてもあまり役には立たないのですが。

しかしながら、早くもクラスの特徴が出ています。「Cクラス」は『初級』の20課から始め、「Dクラス」は同じく『初級』の1課から始めているのですが、「Dクラス」の学生のおとなしいこと。

昨日、ちょっと用事があって、初めてこのクラスを覗いたのですが、同国人が何人もいるというのに、シ~ンとしていたのです。「あれれ、間違えました。ごめんなさい」と思わず口から、そんな言葉が出そうになりました。

まあ、一ヶ月ほどもして、少しずつ日本語が話せるようになれば、雰囲気も変わってくるかもしれません。同国人とはあまりしゃべりたがらなくとも、外国人とは話したいという人もいますから。とはいえ、ベトナム人もワヤワヤと騒がないし、スリランカ人も黙って下を向いている。これは珍しいですね。聞いて見ると、授業中も声が小さいとのこと。

「初級」から声が小さいと、「こりゃあ、不利だわ」と呟きたくなってしまいます。本当は少しうるさいくらいがいいのです。

そして、教師に「うるさい!静かにする!」くらい言われた方がいいのです。そうでなければ、発音が正しいのかどうか、甚だしきは何を言っているのかさえ、わかりませんから、こちらに。

特に「初級」の皆さん、大きい声を出してくださいね。

日々是好日
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今日から学校が始まります。

2016-04-13 14:33:47 | 日本語学校
小雨。シトシトと降っています。いかにも春らしい一日になりそうです。

先週、鷲宮で、「ツバメ(燕)」を見かけました。巣作りに適当な場所を探しているらしく、見晴らしのいい玄関口を物色していました。もしかしたら、今週行ったときには取り払われているかもしれませんが。巣があると、蛇が寄ってくると言います。以前、あの近所で見かけて、凍り付いたことがあります。嫌いな人は本当に嫌ですものね。

さて、学校です。

私の席から、今(席替えがあったのです)、隣のマンションと学校の窓枠に挟まれて、ちょうど、サクラの樹が見えるのです。盛りの頃は花で美しかった樹も、今は渋い葉桜になり、その下を通る「ピッカピッカの小学生」たちの姿が見られます。

今日など、雨が降っていましたから、黄色い帽子に黄色い傘の小さなグループをいくつも見かけました。親は「ダラダラと歩くな」とか、「車に気をつけて」とか言っていたのでしょうが、そんなことはすぐに忘れて、友達と楽しそうに話しているダラダラとした集団があるだけでした。

信号のそばとか、十字路の前には、親が交代で手旗でもって、見張っていますからね、きっと叱られた子もいたでしょうね。でも、そうやってみんな大人になったわけですから、どんどん叱られるといいですね。叱ってくれる大人がいない方がずっと怖いもの。

学校でも、ネパールの学生二名とベトナムからの二名を除いて、新入生が揃いました。ベトナムの残りの学生は明朝着くとの連絡が入っていますから、入学式(15日)には間に合いそうです。

ネパールの学生は可哀想ですね。入学式の朝、成田に着くそうですから、間に合わないでしょう。

日々是好日
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桜や海棠が散り、今は満天星が真っ盛り。

2016-04-12 09:56:02 | 日本語学校
晴れ。

今日まで寒いそうです。

「サクラ(桜)」が咲く頃に、「カイドウ(海棠)」も咲き、そして期を同じくして散り、今は「ドウダンツツジ(満天星)」が盛りを迎えています。

心なしか、足早に歩く人達の流れが、冬の期よりも、早くなったような気がします。前はもう少し遅く、人の波が始まっていたような、そんな気がするのですが。

犬を散歩に連れ出す人にもよく会うようになりました。前はもう少し陽が高くなってから(暖かくなってから)…と思っていたのでしょう、あまり出会いませんでしたね。

それに猫たち。最近はこの辺りをパトロールする猫の数が増えてきました。野良ちゃんでしょうか、飼い猫は家から出してもらえませんから、きっと野良ちゃんでしょうね。もっとも「野良ちゃん」と、「ちゃん」づけするのが、気後れされるほど額に傷の入った猫もいますから、「親分」といったほうがいいのかもしれません、彼には。

さて、学校です。

昨日、スリランカ人七名、中国人一名、フィリピン人一名が学校に来ました。スリランカ人は、皆、同じ所まで勉強しているとのことでしたが、明らかに勉強に対する姿勢が男女で異なっていました。男子はポワ~ンとした感じ、女子は「大学に入って、日本語の先生になりたい」と強くこちらを見て言います、迫力が違う…。

もちろん、スリランカ人の場合も、彼らが勉強したいというのは、自動車とコンピューターと料理と日本語の四つのうちのどれか…です、たいてい。今回もそうでした(例外は一人)。

で、来年のオープンキャンバスの時に、「いろいろな大学に行ってみて、それから考えようね」で終わらせます。車もおそらくは修理程度でありましょうし、中には、数学を小学校のよりもちょっとやった程度しか学んでいないのに(高校では全く勉強していない場合もあります)、大学に入って、マシーンを造りたいと言う人もいますから…、大変です。

もとより、「好きこそ上手なれ」で、高等数学を学んでいなくても、物理をほとんど白紙状態であっても大丈夫なのかもしれません(私にはわかりませんが)。けれども、最近は、(大学)入学前に宿題やら、事前テストなどがあるようですから、全くわからない問題ばかりだと、それだけでやる気をなくしてしまうかもしれません。

でも、来年のことですからね、それまでに、日本人と話せるほどの日本語を身につけ、自分で探せるようにしておきましょうね。

日々是好日
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サクラ散る…春の終わり。

2016-04-11 08:55:07 | 日本語学校
路面には「サクラ(桜)」の花びらの花だまりができています。ときどき風に追いやられて、道の真ん中まで出てきて踊っていますが。

不思議なもので、土曜日も見頃の「サクラ」があるにはあったのですが、既に「花見の興奮」は冷めやり、街は不思議な静かさに満ちていました。

咲くまでのドキドキ感、咲いてからの「今、散るか、今、散るか」のハラハラ感、そして散るときの「洗われていくような清々しさ」。

こういう感覚を他者に覚えさせるということだけでも、「サクラ」は日本人にとって特別な花なのかもしれません。確かに美しいことは美しい。けれども、美しい花なら、「サクラ」以外にもたくさんある…。

というわけで、「サクラ」は葉桜となり、今、人々の思いは散っていった桜の花びらの行方にあります。で、樹の下を見ると、「タンポポ(蒲公英)」やら、「ナノハナ(菜の花)」やらが咲き、その愛らしいこと。「シバザクラ(芝桜)も満開になりましたし、七重八重の「ヤマブキ(山吹)」も咲き始めています。

けれども、「サクラ」が終わってしまうと、春が去ってしまったような気持ちになってしまいます。さびしいですね。物憂げな寂しさです。

さて、先日、中国人の友人と会いました。そのとき、何のついでだったのかは忘れましたけれども、ちょっと聞いて見たのです。どうして中国の役人や政治家は巨万の富を築けるのかと。

おかしな話ですが、中国は古来から、法治ではなく人知の国といってもいいほどですし、それゆえ、人は上位の者や権力者の「ひき」を求めて金品を送ってきた…。つまり歴史的にも「賄賂」が横行していた国であった…。

善し悪しはともかくとして、昔からそうしなければ、一般大衆は権力者から何もしてもらえなかったし、甚だしきは生きていけぬことさえあった…。だから、嫌なことですが、一般大衆がわずかばかりの金を地方の役人に貢いで、生きんがための便利をはかってもらおうとするのはやむを得ぬことであると思っていました。

この権力者というのは、中央政府の偉いさんだけでなく、いわゆる地方の「芝麻官(吹けば飛ぶよな木っ端役人)をも含みます。官位が下であればあるほど、やり方もえげつなくなるものですし。

で、(中国の官は)賄賂だけであれだけの金を稼げるのかと不思議に思い、聞いてみたのです。

ところが、答えは「情報を先に入手するから」でした。一瞬、自分の愚かさに腹が立ちました。

そうですね、情報は金だったのです。特にああいう情報に関して締め付けが厳しい国であればあるほど、そうなるのは当然であった…。

それを封建制の頃からの、「賄賂」だけで片付けていたのですから、私は…迂闊…本当に迂闊者。

日本語を学びたいと、日本語学校に来る学生達の国はいろいろです。中国は確かに地理的には近いけれども、遠い国…(やり方も考え方も全く違う)であると、中国にいたときには(私は)思っていました。

けれども、ほかの国、東南アジアや南アジア、中近東や中南米などから、学生が来てみると、東アジアは東アジアなのです、やはり、中国も日本も。中国も日本もやはり共通点がたくさんあるのです。

もとより、「いや、違う」と言う人もいるでしょう。けれども、ここは学校ですから、勉強に関する面からだけいえば、勉学に対する考え方とか姿勢とか、共通点が少なくないのです。

他の国はもっと違う。カンニングが当たり前の国。学費を払うのに、「私はお金がない、お金がないから払わなくていい(はず)」と、そういう態度で恥ずるところのない人(アルバイトしていますから、他の学生と同じように金はあるはずです。けれども酒を飲んだり、遊びに行ったり、そういうことに使って平気で、ないと言うのです。最後は金が足りないから進学できないと、泣きついてきたりするのですが…)、学校に来て座っていれば、勉強をしていると豪語できる人…。

もう、いろいろです。中国の学生が来たときにも、もちろん、いろいろな問題がありました。けれども、どこか共通の土台に立って話せるところがあったのです。

不思議ですね。いろいろな面でお互いに対立したり理解できなかったりもするのですけれども、東アジアは東アジアで、それなりに一つの文化圏なのですね。

日々是好日
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漢字の読み方は覚えているけれども…書けない、書き方もわからないとは…。

2016-04-08 15:48:10 | 日本語学校
晴れ。…だんだん花曇りに…。

昨日、強い風が吹いて、かなり散ったようです。けれども、樹によっては、まだまだしっかりと(花を)握りしめて、散らさぬようにしているものもありますから、もう少し「サクラ」の花が楽しめそうです。

さて、学校です。

いつも通りに、中国人の学生がやって来ました。けれども、今日は、その前に、新入生が一人、お金を国から送ってもらいたいから手伝ってもらいたいとやって来ました。銀行の口座を開きたいということなのですが、例年、新入生のこういうことは、先輩の学生達にやってもらっています。それで、そのことを話し、先輩の学生に頼むように言って、ついでに寮のことを聞いてみますと、うるさくて勉強ができないと言います。

それなら、ということで、せっかく来たのだから、学校で少し勉強していくように言いました。

九時少し前に行ってみますと、中国人の学生とは別の教室に入っています。すぐにこちらの教室に来るように言い、後ろの席に座らせて、漢字の練習をさせます。漢字は読めるけれども書けないと言うので、書かせてみますと、めちゃくちゃな書き方をします。天地も反対なら、左右も反対。自由自在に線を引いています。で、上から下、左から右を何度もくり返して書かせていきます。

「はね」とか「スッ」とかいうレベルではないのです。そうかあ、「N5」の試験では、書くなんて問題はないものなあ、読めればいいものなあ。…で、書き順も、格好も適当になってしまうのでしょう。

ただ、こういう覚え方では、いくら読みを覚えていても、漢字を増やしていくことはできません。あとがないのです。漢字に関しては、一からやりなおさなくてはならないということになります。

「初級」の第一課からやる人はいいけれども、途中からやることになった人は、ちょっと大変ですね。さて、ついて行けるかな。『初級Ⅰ』が終わるまでに、140ほどの漢字をきちんと覚えていないと、多分、それでも頑張るということには、なかなかなれないでしょうね。

日々是好日
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濡れた路面が、水面に見え…花筏。

2016-04-07 07:56:26 | 日本語学校
小雨。

花を散らす無情の雨となりそうです。

昨日、一昨日は頑張れても、今日はちょっと難しいかもしれません。「サクラ(桜)」の樹の根元には、花びらが…花茣蓙状態…。

しかも、路面が濡れて、水面に浮かぶ花びらのようにも見えるものですから、危ない、危ない。見惚れてしまうと、滑って…転んで…しまいそうです。
 
この頃は、一雨ごとに景色が変わって見えます。今日も、こんなに緑が若葉が出ていたのかと、ハッとしました。緩やかなカーブの道では、そういう新鮮な驚きと出会うことがあるのです。

若葉色とか黄緑色と言うより、もっと白に近い色の葉もありました。自然の色には際限がありません、よく見るとあれとこれとも違う、これとそれとも違う…緑は緑なのだけれども…という感じなのです。結局はその花やその樹の色としか言い表せないのでしょう。それほど違って感じられるというのも、またこの頃の「色」の特徴なのかもしれません。

さて、学校です。

四日に成田に着いた学生達も、昨日で、だいたい落ち着いたようです。「時間があったら、学校に来て勉強してね」と言っておいたのですが、やはりその気配はありませんね。けれども、教員が外に出るたびに、どこかここかで彼らに会うそうですから、きっと、寮の周り、駅の周り、学校の周りを探索しているのでしょう。先輩連が、安い店やはんこを作ってくれる店などを教えると言っていましたから、その辺りの探索もしているのかもしれません。

迷子にならないといいのですけれども…。この辺は、どちらかと言えば、碁盤の目のように造られているようで、わかりやすいと言えばわかりやすいのでしょう。けれども、だから、道に迷いやすいとも言えるようで、私など慣れた道でもひとつ小道に入ってしまうと、「ここはどこ?私はどこへ行けばいいの?」状態になってしまいます。

そういう時、助けとなるのが、バスですね。バスを見かけると、「よかった。バス路線だったのだ」とホッとします。それから電車の高架ですね。遠くからでもその姿が見えると、方向がわかりますから、ホッ。あっちに行けば、とにかく(道が)わかる…。

彼らもしばらくはそうなのかもしれません。

そういえば、地下鉄がない国から来ている人もいますから、まずは地下鉄の乗り方から覚えなければならないかもしれませんね。いろいろと彼らの国とは違うところも多いでしょうから、休みの間は、「学校に来て日本語の勉強」どころではないのでしょう。

学校が始まる13日までに、生活も落ち着いてくれるといいのですが。

日々是好日
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花の盛り…散り始めました…。

2016-04-06 08:27:57 | 日本語学校
晴れ。

「花の盛り」というのは、こういうことを言うのでしょうね。「サクラ(桜)」の花が一つ一つの存在を忘れて、雲となっています。これも確かに美しい。けれども、七分咲きの頃のような、花が花びらまで感じられた…そのころの方が、桜としては幸せであったかもしれません。

道には昨日の風で飛ばされた花びらが少し重なっていました。春の終わりが近づいています…。

「サクラ」の花期が終わると、途端に忙しくなります。それを考えますと、「サクラ」が存在している限り、日本では、「年度」で区切るという考え方は消滅しないのではないかとさえ思われてきます。

グローバル化と言い、それですべての問題は解決できるかのように振る舞ったり、何でも欧米と同じにしないと「遅れてしまうぞ」と駆り立てようとしても、無理はどこかに出てくるものです。その無理が、人の心を蝕んだり、根無し草にしたりしてしまうと、何のための「先進」であるのかわからなくなってしまいます。

「改革」もソロリソロリとですね。急がば回れというように、日本の風土に根ざしながらの変革でないと、自分たちの文化を失った哀れな「富国の民」となってしまうかもしれませんもの。

便利さとか合理的なやり方とかいうものに、胡散臭さを感じ始めているのは、なにも私一人ではないでしょう。

さて、4日に来た学生達、昨日は元気でしたね。

4日には、荷物を置かせてからすぐに学校に来させて、諸注意やら、学習の程度とかの確認などをしたのですが、そのときと全く違いましたね。

4日には、頭が、眠くてボウッとしていたのでしょう、何を言ってもわからない…いえ、聞き取れていたように見えたのは、男子学生が一人(元気がよかったですね、体力があるのでしょう)と女子学生が一人。女の子は、だいたい「しゃべり」ですから、男子六人の中にあっても、存在感はあります。

ほかの男子は、(先生が)何を言っているのか、全くわからない…。目も虚ろという感じでした。

ところが、昨日は、学校に集めてから、先にサインをさせ、それからすぐに、(市役所の)支所へ(教員と先輩一人と一緒に)行ったのですが、そのとき(学校に来ていた時)の様子は、前日と全く違っていました。

日本語で答えることはできなくとも、何となくこちらの言っていることがわかっている、そしてそれに反応したいという風が見えたのです。ちょっと…ホッとしましたね。

あいにく、支所では2,30人ほどの団体に先を越され、何時間も待たされたようでしたが(何のための予約かわかりません)、学生達、戻ってきたときも、元気なのです。もっとも、「おなかがすきました」とは「喚いて」いましたけれども。

きっと待っている間、引率の教員とおしゃべりをして、少しは「日本人の日本語」の勘が掴めたのかもしれません。

戻ってきてからも、サインをするところがあったので、その説明を、連れて行った教員がしていたのですが、先輩のベトナム人学生が何も通訳をしないのです。注意すると「みんなわかります」。で、『みんなの日本語Ⅰ』が終わらずに来日している学生二人のうちの一人に、「わかりますか」。…全然わかっていない…。

「ほら、ちゃんと通訳する」。『Ⅱ』を終えていると、やはり違いますね。(口頭の練習は不十分であっても)単語を覚えたことがある、文法の説明をベトナム語で受けたことがあるというのは、強いのです。素地があれば、ドンドン上に構築していくこともできます。皆まだ若いですから、適応できるのです。

やはりベトナム人は、『Ⅱ』を終えてから来た方がいい。他の国の学生はそこまで要求せずとも、日本で勉強すればどうにかなるものなのですが、ベトナム人はなかなか、どうにもならないのです。

ベトナムでベトナム人の先生にベトナム語で、『初級』だけは教えてもらって、そして、日本に来てから、もう一度それをやり直すという形をとった方がいい。本当にそう思います、4日に来た学生達を見ていても。

まあ、それはともかく、昨日の話です。

そんなわけで、話を続けたのですが、それからは、教員が「わかりましたか」と問うたびに、「先生、○○さんはわかりません」などという輩がいる。リラックスしたのかもしれません。

言われた方は、別に意に介する風もなくヘラヘラと笑っている。同じ学校から来ていますからね、いいのでしょう。

昨日は、先輩の学生が、新入生のうちの一人をアルバイトの面接に連れて行くと言っていました。自分のアルバイト先へ連れて行くらしいのです。そういう流れができれば、私たちも安心です。もっとも、日本語ができなければ、「不合格」になってしまうかもしれませんけれども。

日々是好日
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昨日来た学生達は、今日は、元気でした(昨日は疲れ果てていたのかな)。

2016-04-05 13:33:52 | 日本語学校
降っているか降っていないか、わからないような糠雨です。

「ナノハ(菜の花)」が咲く頃、雨降りの天気が続く…それで、「菜種梅雨」という。子供の頃聞いたこんな言葉を覚えているのは、「変だな」と思った、そのときの「変だな」感がとても強かったからかもしれません。

好きな花は「ツバキ(椿)」と「ナノハナ」。子供の頃は、そうでした。それも、美しいからとかそういう理由ではなかったと思います。「ハッとさせられ」感が強かったものが記憶に強烈に残って、それが他を圧倒してしまったのでしょう。

山村暮鳥の「いちめんのなのはな いちめんのなのはな…かすかなむぎぶえ いちめんのなのはな…」(『風景』)ではありませんが、土手に広がる一面の「ナノハナ」が突然に目の中に飛び込んできた、それは、強烈なものでした。子供の脳裏に、はっきりと刻まれてしまったのでしょう。
 
それと同じように、暗い田舎道をさまよっていたとき、黒い瓦屋根の下、白い土壁に挟まれるように大きな椿の木が真っ赤な花を咲かせていたのを発見したときの驚きも同じこと。

ありふれた風景が、そのときの特別な心持ちと一体になったとき、幾層にも重なり合っていた心の襞が捲れ上がり、そこに刻印でも捺されたかのように、その映像が残ってしまう…。だから、「花」と言えば、「ツバキ」と「ナノハナ」になってしまうのかもしれません。

もちろん、美しい花は数限りなくありますし、きれいだなと感じる心もまだ持っている…みたいですし。

さて、昨日、ベトナムから七人の若者が日本へやって来ました。日付が昨日に変わってからすぐに出発し、朝の七時(日本時間)ごろに成田に着いた。迎えの学生は四人。行徳駅には、二人教員が待機し(もう一人、提携機関のベトナム人が迎えに来ていました)、荷物ともども寮まで運んだ。

もちろん、初めての飛行機で、しかも外国へ来たということもあり、疲れていたことでしょうね。しかし、ベトナム人男子学生は寮の問題(すぐに群れて大騒ぎをする)があるので、手心を加えるわけにはいきません。そのまま、すぐに学校へ連れてきてもらいます。緩めると、そのまま眠ってしまいます。

まずは、何課まで勉強してきたのかということ、漢字がどれほど書けるのかということなどを確かめていきます。『みんなの日本語Ⅰ』を終えていない学生が一人、残りは『Ⅰ』は終えています。『Ⅱ』が終わっている者が、三人。この、ベトナムの学校は、頑張っていますね(一人は違う学校です)。

ベトナムの学生は、ヒアリングもそれほどよくなく、しかも、文法がなかなか入っていきませんから、国でやったかやらなかったかで大きな差が出てしまうのです。同じような資質であっても、ベトナム語で文法の説明を聞いて来ていると、『初級』の間はそれでなんとかやっていけるものなのです。

日本では、口頭練習をくり返し、それで口慣らしをしながら、音を確かめていく。それが一番いいのです。国でそれほどやっていないと、順送りにわからないところが増えていき、最後は潰れてしまうのです。ベトナム語で文法が説明されていても、読めない(理解できない)のですから、本当にお手上げです。だって、勘に頼るしかないとしても、その基本がないわけですから。やっとわかったで、一年が過ぎる。それなのに、すぐに一時帰国などをしてしまうのですから、手に負えません。

お金もない、その上、日本語も下手なのに、なぜ帰るのか。よく判りません。ベトナムの正月に帰って、楽しかったと言って戻ってくるのです。もちろん、オケラになって。

お金がなければ帰らない、日本語がきちんとできるようになるまでは帰らない。これが、それほど裕福ではない留学生にとって一番大切なことだと思うのですが。この道理が判り、それを実行できて初めて、異国でやっていけることになるのでしょう。今年も、その話から始まりそうです。

日々是好日
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