日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「台風が来るかどうか…」。「『研究授業』の前日」。

2011-08-31 17:43:23 | 日本語の授業
 昨夕、雨が降り、やっと予定通り台風がやって来たかと思っていたのに、なんと今朝、既に、地面は乾き、青空まで顔を覗かせているではありませんか。そればかりか、インターネットに載せられている天気予報を見てみると、2日に「暴風雨マーク」がついているではありませんか。

 見る度にマークが「曇り」から「雨」へと移っていきます。しかも時間帯で見ると、その度に、「雨マーク」の数が増えていたので、少々イライラしていたのですが。

 今日が三十一日で、明日が一日。わずか二日では逆転劇は…ちょっと無理でしょうね。というのも、実は二日から五日まで中国に出張するからなのです。

 飛行機は離着陸時には、豪雨にも暴風にも弱い…はず。先方とは、すでにの約束もありますし、こちらはこちらで、授業が既に始まっていますから、おいそれと日にちをずらすわけにも参りません。まだ二日の朝にもなっていないのに、こうやって取り越し苦労をしている自分が情けない(これが取り越し苦労になればいいのですが)。

 ここまで書いてきたところで、空の様子です。
先ほどまで真っ暗だったのですが、朝も5時半ほどにもなると、空全体が明るくなっています。白い薄い雲も浮かんではいますが、東の低いところには黒っぽい雲が重く立ちこめています。やはり、台風ですかね。気持ちとしては「二日に来る」というのは余り歓迎したくないのですが。

 さて、学校です。
今日は、教生さんの研究授業の日です。二人は、昨日、遅くまで、準備に追われていました。ああでもない、こうでもないと学生達を活動をさせるための案を練り、練り上げた後は、それに基づいた作業をさせるために、いろいろなものを作って行かなければなりません。インターネットの写真をダウンロードしたり、授業の能率を上げるため、カードを作っておいたりと、大忙しのようでした。こんなことは一旦始めてしまうと、なかなか「キリ」を見つけることができなくなってしまいます。あれが終わると、ああ、これもした方がいいなどと、欲が出てきますから。

 まだこの時期(新採であってもそうですが)には、「適当なところでやめておこう」とか、「あっさりと行こう」などという考え方はありませんし、「ここで入れることができなくても、あそこ(別の課)で、また入れられるから」という知恵もまだついていません。わずか二週間か、そこいらの実習期間しかないわけですから、全体を見通した計画を立てろなどと要求する方がおかしいのです。

 教員などは、現場の人間ですから、現場でしか育てられないものなのです。知識は知識でもっておかなければなりませんが、知っているだけでは何にもなりません。どう使うかが大切なのです。使う術をどれだけ持っているか、そして、いつ、どういう対象に、どんな風に使うかとは、現場でしか習得できないものなのです。


 ところで、その学生ですが、昨日、一人(新学期の授業に遅れて)ベトナムから戻ってきました。少し、明るくなって。

 聞くと、「お父さんに勉強しなさいと言われた。」(よかった、よかった)今のアルバイトはやめる。辛いし、勉強できないから」。(それで)「今のクラスの授業は難しいので、下のクラスに行きたい…。」(さあて、まじめじゃないと、来てもいいって言われないよ)

 一応、そのクラスの先生のところへ行かせました。すると案の定、「ちゃんと勉強しないと入れてあげないよ」とか、「携帯電話は、使用禁止だからね」とか言われています。彼はいつも通り、「はい、わかりました」と言っていますが、これは習慣で言っているだけのことで、心とは裏腹ということがよくあります。

 言っていることと実際の行動とが伴わないとから、問題になるわけで、そこのところがどうも、わかっていないようなのです。まあ、ともあれ、無事に帰ってこられてよかった、よかった。

 ここまで書いて、授業に行ってきました。最近はなかなか書き上げる時間がとれず、早朝書いても、途中で授業に行き、あれやこれやしている間に、もう気が萎えてしまうというのを繰り返していました。

 今日、昼頃一度、ザーッと雨が降りました。台風がいよいよ来たぞと身構えていると、それも一時間ほどで終わり、雨が止むと、青空が覗き、なにやら拍子抜けしたような感じでした。いったいどうなることやら。

日々是好日
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「交流会、『ジャンケン』と『あっち向け、ホイ』」。

2011-08-30 12:47:28 | 日本語の授業
 朝夕、めっきり涼しくなりました。今朝など、戸を開けた途端、あまりに涼しい風が入ってきたので、驚いたほどでした。昼はまだ蝉の声が残っているのですが、日が翳ってくると、あちこちから秋の虫の声が響いてきます。少しずつではありますが、季節は、確実に進んでいるようです。

 昨日、教生さんが「Bクラス」で、「交流会」をしました(「Cクラス」は、もう終わりました。「Aクラス」は最後です)。「交流会」といっても、一緒にお茶を飲んで親睦を図るといったものではなく、「ジャンケン」と「あっち向いて、ホイ」で遊んだのです。

 私の担当時間でしたので、先に教室に入り、二人を待っていたのですが、なかなか来ません。おかしいなと思い、ガラス戸を透かし見ると、二人は扉の前で立っているようです。どうやら二人は二人で、授業の邪魔になるのではないかと思い、入るに入れなかったようなのです。

 すぐに「どうぞ、どうぞ」というわけで入ってもらいました。学生たちは何が始まるのだろうと、ぼんやり二人を見つめています。なお、学生には何の予備知識も与えていませんでした。

 教生さんは、そういう学生たちを尻目に、目的に向かってばく進していきます。つまり、何の疑いもなく、自分の計画通りに事を進めていこうとしているのです。けれども、却って、それがよかったようです。もし、そこで、彼らの様子に気づき、立ち止まってしまえば、授業の流れは完全に切れてしまいます。一旦、そうなってしまったら、それを自分のペースに戻していくことは、初心者では、かなり難しかったことでしょう。

 学生たちは、最初こそ戸惑っていたようでしたが、教生さんが自信を持ってドンドン進めていくので、位負けしてしまったのかもしれません、そういうものかといった納得の仕方でそれについていこうとしています。

 名前を黒板に書いて、教生さんの自己紹介が終わりました。それで、やっと学生たちにも、新学期が始まってから、職員室にいつも座っていた若い女性たちが、先生のタマゴであることがわかりました。そして、今日は自分たちと何事かをしようとしに来たのだということに思いが至ると、安心したように、表情が和らぎます。

 そして、「ジャンケン」です。話は「ジャンケン」の説明から始まりました。「グー」「パー」「チョキ」の形をした手の絵が黒板に貼られ、その関係を説明していきます。「グー」が「石」で、「パー」が「紙」であることが判ると、学生の口から、「パー」の方が「グー」より強いという言葉が出てきます。さて、どうするのかなとみていると、「日本では、こちらの方が強いのです」という一言で終わり。すぐに練習に入ります。

 結果として、それでよかったようです。そこで学生と一緒になって「おかしいね」と言い、そして悩み、理屈を考えていくというのが一番悪いパターンでしょう。教生さんが持てる時間は無限ではありません。この場合は「20分」。「20分」で、なにがしかの成果を上げられるように考えなければなりません。「一緒に悩んだ、考えた。でも計画通りには全く行かなかった」であったら、得られたのは自己満足だけだったでしょう。

 もちろん、授業前に「そういう質問が出るであろう」ことに気づき、前もって調べておくのが一番いいのですが、それができなかったわけですから、できなかったらどうすればいいかを考えなければなりません。

 簡単に言えば、「調べて後で教えます」と言うか、「日本ではこうなっています」と言い切るかの二つでしょう。

 普通の日本語学校の場合、「それをみんなで考えましょう」と言って、自分たちなりの「ジャンケン」を作り上げていくような時間はありません(また、そういうやり方は既に小中学校で完了していると見なします)。知識や言語技能の習得に時間を割いていくのが普通です。

 ただ、切り抜け方にしても、どちらのやり方でやった方がいいかは、クラスの雰囲気や状況、学生の能力、気質などにもよります。それが、教生さんのように、経験もない人たちが、わずか一二週間しか学生たちと触れ合っていないという中で授業を進めていかなければならないわけですから、こうなれば、もう相手の状況云々(もちろん、事前指導の段階で、既に学生たちの予備知識は与えてあります。それ以外の、何か突発的なことが起こった場合のことです)を考えていれば、授業自体が成立しなくなってしまいます(何を以て授業の成立というかは、また難しいところでしょうが)。つまり、実習の時の研究授業は、一旦教壇に立ってしまったら、決然として我が道を行くしかないのです。教案通りに進めていくことができるかどうかが何より大切になります。

 もっとも、こういう場合であっても、学生たちから出てきた考え方でありますから、「なるほど、おもしろいですね。そういう考え方もありますね」と、一応、彼らの考え方を、肯定しておく必要はあるでしょう。

 さて、話を戻します。「ジャンケン」のやり方が判ったら、次は「あっち向いて、ホイ」の練習です。これはどうしても、時間差が生じてしまいます。相手の指の向く方向を見極めてから首を回してしまうのです。それでも、相手の指さす方に、頭が向いてしまうのですから、なかなか難しい。そのたびにみんなは大笑いです。これをみると、違う方法を向くことができるようになるには、相当な年季がいるのでしょう。練習している間、圧倒的に教生さんの方に軍配が上がっていました。

 そして最後に、「ジャンケン」と「あっち向け、ホイ」を組み合わせて、「トーナメント」形式で勝負していきます。

 まずは、くじ引きで相手を決めてから、「始め」です。

 いつもムッツリしてなかなか笑わない「クチナシ」君が思いの外、力を発揮しています。ジャンケンに強いのです。ドンドン勝ち抜き、飴を獲得していきます(あらかじめ、一人に一つずつ飴を渡しておき、負けたら、自分の分の飴を相手に渡さなければならないというルールです)。で、結局、最後に、彼が教生さんと一騎打ちです。

 人は見かけによらぬもの。最後の勝者は彼になってしまいました。とはいえ、教生さんの「彼は優しいでしょうから、みんなに飴を配ってくれるでしょう」という言葉に負けてしまい、皆に飴を返していきます。そうして、皆で、仲良く飴を一つずつ食べて、おしまい、おしまい。

 楽しい時間を過ごすことができました。覚えておくと日本の社会に出た時に便利ですよという私の一言は、もしかしたら、蛇足であったかもしれません。

日々是好日
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「大学は…先生が毎日ホームルームなどをするのかしらん…判らない。」

2011-08-26 17:12:32 | 日本語の授業
 今朝は快晴です。フィリピンの東の方には、強い台風「11号」が、小笠原の近海には、台風「12号」が発達しながら、日本列島を目指しているということですから、その影響もあるのでしょう、今、こんなにいいお天気なのに、夕方近くになると、ここでも雨になると言います。

 先日は、あまりの上天気に騙されて、失敗してしまいました。それで、今度こそはと、(洗濯物を)部屋の中に入れてきたのですが、この、カンカン照り。お日様をみる度に「う~ん」と、思わず唸り声が出てしまいます。降ったら降ったで恨めしいし、降らなかったら降らなかったで、それはそれなりに、腹立たしい。いやはや、人の心というものは…。

 さて、学校です。
進路を少しずつ聞いていきます。学生の中には、親戚や親兄弟などが日本にいるという者もいますし、そうではなくても、いちいち国に連絡を取らねば進路を決められない者もいます。

 何をやりたいか、何が好きかだけでは、専攻も大学も決められないのです。もっとも、最後はそれが一番必要になるのですが。

 大学も私たちの頃とは違い、「国際云々学部」が増えてきました。同じことを学ぶにしても、大学によって呼び名が異なっています。実際にどこでどんなことが学べるかというのは、オープンキャンバスに行って聞いてみなくては判らないのです。

 もう昔と違い、日本能力試験で「一級」を取ったというのは、大学に入るための必須条件にはなりません。それ以外の「知識・常識」をみる大学も少なくはないのです。

 もちろん、今年は「原発」の事故がありましたから、今いる留学生は有利だとみる向きはあるでしょう。ところが、この学校をはじめとして、一旦帰った留学生達も、「やはり、日本の方がいい」とその大半は帰ってきました。今年度、そして来年度は、以前と同じような入試状況になるでしょう、安心はできません。その先は、留学生にとって有利になるかもしれませんが。

 高校を卒業してすぐ来日したり、高校の途中で日本へきたという学生にとって、大学というのは未知の世界です。日本人であってもそうですから、彼らにとってはなおさらそうなのでしょう。

 小学生にとって、中学校というのは、小学校の延長上にありますし、高校にしてもそうでしょう。ところが、大学とは…大学とはいったい全体、どんなことをするところなのだろうと、不安になっている学生もいるのです。
 
 日本に来た時には、大学に行きたいと言っていたのに、いざ、その時が迫ってくると、ドキドキしてしまうようなのです。毎日、同じ先生が来てホームルームなどをするのかしらんといったところから始まって、考えれば考えるほど判らないことが増えてくるのでしょう。一度オープンキャンバスに行けば判ると言っても、その、一度行くまでが大変なのです。

 というわけで、今は、彼女が近づいてくると、「行けば判る」というのが、習いになってしまっています。

 どうも、嫌な先生と言われそうですね。

日々是好日
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「早朝の雷」。「『知識欲』は生得のもの」。

2011-08-25 09:32:39 | 日本語の授業
 朝、六時前から、空の彼方で、ゴロゴロという音がしています。雷様です。けれども、音はまだまだ遠い。ちょうど六時になった時、南の空で稲妻が光りました。思わず数を数え始めます。一、二、三、四のところまで数えた時、ドドドド~ンと重い音が響いてきました。

 雨なしの雷様は、その後も30分ほど、ゴロゴロやっていましたが、いつの間にか、間遠になり、そして辺りが明るくなり…どこかへ去っていったのでしょう。空を見上げると、黒雲が切れ、少しだけ青空が覗いていました。

 そんなわけで、もう大丈夫と思って外に出たのですが、途中からまた雨。その雨も、学校に着く頃には止み、どうも、今日一日、降りみ降らずみというお天気が続きそうです。

 さて、学校です。
 昨日は、夏休み明け、初めて、「Dクラス」の授業をしました。雰囲気が随分よくなっています。一皮剥けた感じです。できないとすぐに「ふて腐れ気味だった」女子学生も、判らないところでは、「先生、もう一度」と、まっすぐ私の顔を見ながら質問してきます。「(言われたとおりにしていれば)判るようになる」ということが、「実感」で、わかったからでしょう。人というものは、小さな出来事であっても、一度成功すると、もう少しと「欲」が出てくるものです。もっと判りたい、できるようになりたいという欲です。

 人という生き物は、本当にすばらしいと思います。人にとって「知識欲」というのは「生得」のものなのです。そうとしか考えられません。それがいろいろな障碍にあい、出口を塞がれているのが、「やる気がない」状態に見えてしまうのでしょう。

 そこに、小さくともよい、穴を開けることができれば、人は生来の「欲」に押されて、「知りたい」「できるようになりたい」と思うようになるのです。これは何も新たに作り出された「力」ではないのです。生まれつき備わっているものなのですから。

 人は「無」から「有」を作り出すことはできません。「知識欲」というものは、生まれつき備わっているわけで、その「表出」を妨げているものさえ、ずらすか、外すか、穴を開けるかできれば、素直にその気持ちに戻れます。

 後は、その気持ちをいつまで保つことができるのか。また再び失ったとしても、「やったという成功体験」さえ、記憶にとどめておければ(人は楽しかったことは決して忘れませんから)、何かきっかけがあれば、もう一度そういう気持ちになれるでしょう。

 まじめに学校にさえ来ることができる人たちには、そういう「できた」「わかるようになった」という小さな経験を、たくさん積み重ねていってもらいたいと思います。

 これは、日本語を学ぶだけでなく、生来何事をなすにせよ、きっと「自信」や「やる気」につながるでしょうから。

日々是好日
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「欠席者が多かった…時」。

2011-08-24 12:42:26 | 日本語の授業
 今朝はいいお天気です。けれども、ここしばらく、9月末から10月上旬並だという涼しさが続いたからでしょうか、同じ「暑い」にしても、少し秋に近づいたような気がします。つい一二週間まえであったら、明け方が30度前後であっても、当然という漢字だったのですが。

 今年は早く秋が来るかもしれないなどと、思わせるようなお天気ではありますが、ところがどっこい、そうはいかぬそうです。とはいえ、随分楽になりました。

 昨日のことです。朝、学校のドアを開けると、部屋の中が涼しいのです。まだ学校の中にはひんやりとした空気が充ち満ちていたような感じだったのです。外よりも涼しかったのです。これまでは、ドアを開けるのが躊躇われたほど、開けるや否やどっと熱気が押し寄せてきていましたから。

 口に出すのはまだ早いとは思いますが、やはり言いたい。秋ですねえ。

 しかしながら、今日のようにお日様が照ってきますと、直にまた暑くなるでしょう。ただ35度を超すようなことはもうありますまい。もちろん、これは半分以上期待を込めてですが。

 さて、学校です。
 昨日は「Aクラス」も「Bクラス」も人数が少なく、人数が少なくて、よく進めるというのにも限度があると言いたくなるほど人数が少なくて、それで、授業は両方のクラスで進路の話をしました。いったいに、今現在の日本語のレベル、そして本人の希望などを加味していけば、何が何でも大学や大学院に進まなければならないというわけでもないのです。また専門学校にしか行けないと、自分で勝手に決め込む必要もないのです。

 ただ、学生たちには、それぞれ一人では決められない事情というのがありますから、簡単にこちらが決めたり、勧めたりすることもできないのです。一人一人の話を、じっくり話を聞いておく必要があるのです。

 最初は、頑なに「大学は嫌だ。絶対に専門学校へ行く」と言っていた学生も、話していくうちに少しずつ心が解けて、「いいところがあったら、どちらでもいい…。」その反対だった学生も、「もし、自分が学びたいことが学べるようだったら、大学を受験してもいい…」

 まあ、これは本人が受けたいと言っても、向こうに来るなと言われれば、行くことなどできないわけで、片思いで終わる可能性だってあるのですが。

 今、来年卒業の学生たちが、少しずつ本心を語りはじめています。一年くらい日本にいて見えてくる部分もあったのでしょう。私たちにしても、これまで(彼らに対して)感じていたものもありますから、それらを併せて(彼らの進路について)考えていくことができます。11月には、また「留学生試験」があります。。

 今年は、大学のオープンキャンバスがなかなか発表になりませんでした。本来ならば、夏休み中に二つくらいは行かせたいところでしたが、それも叶わず、先週、一人が行っただけでした。やはり、行くと違います。大学の先生方が親身になって相談に乗って下さったそうで、好感をもって戻ってきました。

 あとは、これから彼らがどれだけ頑張れるかです。日本語の能力(留学生試験の結果)、そしてその他の知識などを併せて、受験する大学を選ばせていきます。

 これからは、がんばれ、がんばれですね。

日々是好日

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「学校で学ぶ『日本語』」。

2011-08-23 14:21:32 | 日本語の授業
 今朝の空は淡く靄がかかっているようです。霧と言うには少々早く、しかもそう言う雰囲気でもない、つまりモヤ~とした靄なのです。冬から春に行き交う時に、時々モワッとした風が走ります。今日も、そんな大気の具合なのです。

 昨日、休み中に財布を落としたというベトナム人の七月生が学校へ来ました。思わず、そのことを聞いたのですが、ついつい「どこで落としたの」と聞いてしまい、口にした途端「どこで落としたとは 無理な尋ねよう」という川柳の句を思い出し、一人で苦笑い。

 そのことに気づかぬ学生は、「寂しい」と言います。同室の女子学生が帰国しているからなのでしょうが、言葉が不自由だと、どうしても交際範囲が狭まってきます。それに、一つがうまくいかぬと、他のすべてもうまくいっていないような気にもなっているのでしょう。

 とはいえ、これとても、だれもが来た道です。皆、自分の時にはわからず、悲嘆に暮れていても、他者の時には、「そんなことはない」と言えるというのも同じ。自分のこととなると途端に目が曇ってしまうのが、曰く、人というものなのでしょう。なかなかに人というものは、進化できない種族のようです。6万年前も同じことを思い、悲しんだのかなと「先祖の顔」を見つめてしまいます。

 それはそうと、昨日、実習生がやってきました、先生のタマゴです。実習1日目。個表を取りに職員室に入ってきた学生が、一様に「あれ」という表情をします。見慣れない若い女性がいるからでしょう。ただタマゴとはいえ、先生のタマゴですからね、甘く見るととんでもないことになるかもしれませんぞ。

 夏休みが終わって初めての登校日であった昨日、たくさんのお土産が職員室に並んでいました。中には卒業生がもってきてくれたスイカなんてのもありましたから、切って出すまではいいにせよ、「こぼすな」という指示がうまくいくかどうかは、はてなマークがつきそうです。

 あまりにそう言っていますと、果ては「先生、うるさい」などと睨まれかねません。そのほかにもクッキーやらチョコレートやらが並んでいましたから、当分の間、(休み時間は)静かに過ごせることでしょう。これをみんな一度に出すと、却って翌日が寂しくなりますからね、少しずつ出し惜しみをしながら出していくことになりそうです。というわけで、準備するのも早い者勝ち、昨日は、私のお土産にしました。

 ところで、休み明けはいつもこうなるのですが、日常会話のレベルは上がっても、日常、あまり使われていない言葉に対する勘は鈍っているものなのです。それが思わぬ落とし穴になってしまい、以後の勉強に差し障りが出ることもあるのです。

 本人は休み中、バイトでしか日本語を使う機会がありませんから、「もう判らない言葉はない」くらいの感覚で学校に来ます。ところが、学校で使う言葉がスッと入ってはいかない。「おかしいな」なのです。バイトで使う言葉というのは、いつも同じような言葉のたらい回しで、それを1週間も繰り返せば、聞き取れなくて困るというようなことはありません。ただ、これはそれで終わり。各地の言語の深みとか面白さというのは、ありません。決まり切った言葉が話せるようになっただけでしかないのです。

 まあ、使い回しに長けるというのも一つの才能ではありますが、入試の時に、「読んでごらん」と、新聞の記事でも与えられたら、すぐに化けの皮が剥がされてしまいます。どちらも大切ではありますが、学校で学ぶものは、日本にいれば簡単に上手になるというような日本語ではないのです。もしそうなら、わざわざ学校に来て、教科書を買ったり、教師に習ったりせずともいいはずです。多くの人は、言語という分野において、天才ではないのですから。やはりだれかについて系統的に学んでいった方がいいのです。

 こういう休み明けというのは、普段使っている言葉と、学校で学んでいる言葉の違いというのが明らかになるいい機会でもあります。そこの処をしっかりと納得してから、勉強してもらうと、もっといいのですが。

日々是好日
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「休み中の出来事」。

2011-08-22 08:56:19 | 日本語の授業
 今日は雨、昨日も一日中雨でした。昨日に引き続き、まるで秋のようです。今朝はカーディガン姿の人が目立ちました。こういう天気の変化も先週の金曜日からです。

 その先週の金曜日。あの日の天気は、予報通りでした。学校に着いて、ブログを書き始めた時には、まだまだきれいな青空で、これで雨になるのかしらと不思議に思ったものでしたが、それがいつの間にか、突然、あたりが暗くなり、見ると、空が一面の黒雲で覆われているではありませんか。

 全く、あれよあれよという間の出来事でした。それなのに、卒業生から、「今日、行ってもいいですか」という電話。
「雨ですよ」
「大丈夫です。でも一人じゃありません。誰と行くか、名前は言いませんよ。先生、判りますか」
「んんんんん」
でも、私にはすぐにぴーんと来ました。

 本人が言わずにいるということは、たぶん、彼女と同じクラスだった□△○…さんでしょう。
「わかった。あの『うるさい人』でしょう(「ええ~。うるさくない」という声が電話の遠くから聞こえてきます)」
「う~ん。先生も知っている人ですけど」
「はい、わかりました。あの『うるさい人』ですね。待っています。何時頃来ますか」

 来るのは、昼過ぎとのこと。そして、何やかやしていますと、不動産屋さんから電話が入ってきました。

 うちの学校では、寮としているいくつかの部屋をこの不動産屋さんを通して借りているのです。
「実は、□○△☆荘の△○☆号室のことで…。ちょっと…」
つまり夜うるさかったらしいのです。両隣その他の方からクレームがついたとのこと。


 と言うわけで、その部屋の学生に電話です。
ただ、この部屋の学生たちは七月に来たばかりで、まだ携帯電話が買えていないのです。それで搦め手から方法を講じていきます(近いので、どうしても連絡できなければ、歩いて行ってもいいやという気持ちもあります)。

 けれども、そこはそれ、まずは電話で試してみます。

 一人目は、出てくれたのですが、電車で移動中でした。それで、謝ってすぐに切ります。
二人目には、繋がりましたが、眠そうな声です。「寝ていたのか」と尋ねると、「いいえ。」
とはいえ、明らかに起こされたような声です。彼にも「ごめんなさい」と言って切ります。

 それから少し経って、この学生から電話がかかってきました。「先生、何ですか。」「さっきはごめんなさいね。大丈夫ですか」と聞きますと、さっきとは明らかに違う声で、「大丈夫」と言います。

 それで、一人の学生の名を言って彼に学校へ来るように言って欲しいと言います。すると、今、その学生の部屋にいるとのこと。こいつは運がいいと、ついでに一緒に来てくれるように頼みます(この電話に出てくれた彼は一月生で、呼びたい学生は七月生です。半年の差は大きいのです)。

 すぐにやって来ました。叱られるとは全く思っていない様子で、久しぶりに学校へ来て、お話が出来るので、ニコニコしています。こうなると、どうも文句を言いづらい。

 まあ、それでも注意しておかなければ、日本での生活に支障が出てきます。大きな声で話さない。これは日本のような集合住宅で暮らしていかなければならない場合、最初に守らなければならないことです。これを習慣づけておかないと、後々困ることになります。彼らは専門学校や大学を目指して来日しているのですから、この日本語学校で終わりというわけではなく、以後数年という年月も計算に入れて、指導して行かなくてはならないのです。

 で、聞くと、いつも12時前には寝ているとのこと。暑いので夜は食事が済んだら公園に行って、同じクラスの学生と日本語で話しているし、その前、夕方には公園で皆でサッカーをしているから、部屋にはいないと言います。…だから、うるさくはしていないと言いたいのでしょう。

 ところが、問いただしていくうちに、「あれれ…」という場面もこぼれ出てきました。
「上の階の人を、階下の人が、下から大きな声で呼んでいないか」
あれれ、二人は顔を見合わせて、「あっ、あれか」という表情。(ん、そうだったのね)。
「部屋の外で、大きな声で、携帯電話で話していない?」
んんん。また顔を見合わせて、困ったように笑っています。正直なもので、すぐに顔に出てきます。

 そうしているうちに先ほど、電車でバイト先へ移動中の学生から電話がかかってきました。「先生、何でしたか」それで、また謝って、もう大丈夫と言い、二人目の学生に訳を話してもらいます、この学生の方が日本語が上手ですので(この人達はみな同国人です)。それから、また先ほどの話の続きです。

 「日本では、夜、大きな声で電話をしてはいけません。みんな仕事で疲れています。家へ帰ったらすぐに寝たいです。騒ぐと寝られません。それに日本のアパートは狭いですし、壁は薄いです。隣の部屋の物音がよく聞こえます。だから気をつけます」
彼らは「判った」と言いますが、さてどこまでわかったものやら。

 これは日本語のレベルの問題だけで解決が出来るようなものではないのです。自分が同じ思いをして初めて納得がいくという種類のものなのでしょう。これが体感として理解できるには、もう少し時間が必要です。それに、こういうことは、一度二度と繰り返していき、本人に納得がいけるようになるまで、何度でも繰り返して話していかなければならないのです。

 ただ、こうしていけば、必ず、何人かいる同国人の中でわかるようになる者が現れてきます。そうすると今度はその学生が説明してくれるようになりますから、もう私たちはそれほど手間も時間もかけずにすむようになるのです。

 何事に寄らず、「初めて」は大変です。それが、(同国人がいず)一人だけであったら、個人の問題ですむでしょうし、学生の方でも、他の国から来た学生達の動きを見てから、行動していきますから、特別、突飛な行動をとったりはしません。

 ところが、ある同一の国から来た学生が集団になりますと、お国ぶりというか民族の習慣がだんだん出て来るようになります。それを一つ一つ潰していかなければならないという場合もあるのです。人の迷惑にならなければ、それはそれで面白いものなのですが。

 そうこうしているうちに、先ほど連絡のあった卒業生が二人やって来ました。彼らの様子が気になりましたが、ちょうど顰めっ面をして、お説教をしている最中です。突然、「あら、よく来たね」と例の如く、ニコニコ顔にするわけには行きません。ともかく、今、叱っている真っ最中なのですから。

 困りましたね。というわけで、話すだけ話して、こういう話は切り上げます。彼らは、まじめな、いい学生達ですから、もうすぐ、私たちの気持ちも解って、きっとこれからは、彼らが同国人たちをまとめていってくれるでしょう。

 それで、、卒業生を呼んできて、二人と話させます。やはり、こうして比べてみますと、日本語云々の問題ではなく、既に大学で一年以上を過ごしている者は話し方にしても、日本人的な話の切り出し方にしても、どこか余裕があります。

 卒業生とはいえ、一人ひとりと会っていると、どうしても彼らが来日したばかりの頃の顔に見えてしまって、彼らの成長が余りよくわからないのです。また彼らにしても、私たちと話すときには、この学校にいた時そのままの、甘えん坊さんの顔つきになってしまうので、(私たちにしては)相変わらずだなというような気になってしまうのです。しかしながら、こうして並んでいますと、違いがよくわかります。

 大学の試験のことを聞きますと、やはり試験中はアルバイトを一週間ほど休んだと言います。それなりに頑張っていることがわかって私たちもホッとします。

 そうこうしているうちに、卒業生はそろそろアルバイトの時間だからと帰っていきます。それにひきかえ、叱られるためにやって来たはずの学生は、ニコニコと写真などを見て、寛いでいる様子。思わず、「おい、おい、リラックスしすぎだぞ。」と言いたくなってしまいます。

 もういいかなという頃合いに、「はい、では二人とも帰って勉強をしてください」。そう言いますと、二人は驚いた顔をして私を見つめます。もしかしてこの二人はずっと遊んでもらえるつもりでいたのではないか知らん、ふとそんな気にもなってきます。まあ夏休みですから、そう考えてもいいのかもしれませんが。

 帰りには、玄関のところでもう一度念押しです。
「何のために呼ばれたか分かっていますね。寮では静かにします。他の人にも言ってください」
はい、はいと言いながら、帰っていったのですが、さて、どうでしょう。今度不動産屋さんから連絡があったときには、もう少し強面でやらねばなと考えています。私にしても、休み中に学生に会うと、ついつい顔の筋肉が緩んでしまうので、困るのです。

日々是好日
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「すべてを、ひっくるめての『日本』」。

2011-08-19 10:44:09 | 日本語の授業
 本当に、大雨になるのでしょうか。今朝は上天気でした。昨夕やった植木の水もすっかり干上がっていましたし。

 疑い深い目で空を見ていますと、ポトンと何かが落ちてきました。蝉です。するとベランダの向こうからチョンチョンと雀が飛んできて、その蝉をつつき始めました。雀というのは、雑食だったのですね…。そう言えば、青虫も食べていましたっけ。とはいえ、自分の半分ほどもある蝉の手足を突き回しています。そのうちに、手が抜け足が外れしてきました。

 最近は、階段や踊り場、あるいはベランダなどに蝉が転がっているのをよく見かけます蝉だけではなく、黄金虫もです。時には、五つか六つ、転がっていることもあります。近くに、小さな公園があるからかもしれませんが、それにしても、蝉の盛りの時は短いですね。鳴きだしたと思ったら、あっという間に終わりがやってきました。

 昨日、学校からの帰り、学生に会いました。買い物に出たらしく、自転車の前籠には、小さな荷物が載っています。

 「わあい、先生だ」。なんでも、昨日(18日)で、(バイトの)休みは終わりで、明日(19日)からまたアルバイトが始まるとか。休み中はバイト先の日本人の友だちと一緒に、東京の温泉へ行ったそうで、楽しかったを連発していました。

「楽しかった?」
「と~ても楽しかった」
「じゃあ、今度は他の温泉に行かなきゃね」。
「行きた~い」
「山の温泉がいいかな。海の温泉がいいかな。川の温泉がいいかな」。
「み~んな、行きたい」

 死火山、休火山、活火山というふうに、火山とそれほど親しい関係にない国の人が聞けば、恐れおののくような大地の上で、私たち日本人は暮らしています。ただ「暗」あれば、「明」ありで、普段はこの自然の恩恵に浴していること大なのです。

 露天風呂で、のんびりしながら目の下を流れる渓流の音を聴く。海から昇る陽を見る。山の木立の影を見る。中には、高山の高いところに湧き出ている温泉とか、川の中ほどに湧き出している温泉もあります。山登りする人の楽しみの一つは、帰りに温泉に入ることというのを聞いたことがありますし。

 いいとこ取り、いいところだけはほしいけれども、ほかはいらないというのは、何事であれ、通用しないのです。

 東北地方の太平洋沿いは、津波や地震に見舞われ、彼の地はそれだけでも壊滅的な打撃でしたのに、その上、原発です。これは人災だと、誰もが(おそらくは東電の人たちも)言わずとも思っています。

 日本は美しいし、人々はルールを守って生活しているから治安も良い。それは「ほしい」けれども、原発は嫌だ。そうは言っても、今現在、そのすべてが日本であり、日本人なのです(日本人がルールを守って生活しているから治安が良いのです。治安がいいところで暮らしたいと思ったら、自分たちも自分たちの国で頑張ればいいのです。自分の国で、何でも、やりっ放し、ルールも守らないでおいて、人様が頑張って生活している、治安の良い日本のことを、ここはいい、これがいいなんて、そういうのを虫がいい奴と言うのです)。

 日本人は、日本が大好きですから、このような状況にあろうとも、すべてをひっくるめた日本を離れがたく思い、ここで生活しているのです。第一、日本を離れてどこへ行こうというのでしょう。もちろん、日本人の中には、仕事の関係や、結婚したことにより他国へ行く人もいます。最近は、日本の政治に業を煮やして、他国へ行こうと考える人も出てきています。

 ただ大半の日本人は、できることならば(この、できることならばというのは、積極的な意味においてです)、日本で暮らしたいと思っているのではないでしょうか、原発の問題があろうとも。これまで祖先が代々築き上げてきたこの日本は、捨て去るにはあまりに惜しいのです。

 だれでも、自分の生まれ育った処が、一番、「すばらしく、懐かしい」。日本人は、(日本においても)生まれた場所によって多少の不利益は生じると思っているようですが、それも比較の問題で、まず私から見れば、(他の多くの国と較べてみれば)それは不利と言えるほどの差ではないのです。

 今、殆どの日本人は、あの「原発の事故さえなかったら」と思っています。あれさえなければ、瓦礫も既に片付いてしまっていたかもしれません(半年が経ちました)。「除染」などで、民家や学校関係者が右往左往しなくてもすんでいたでしょうし。

 けれども、「原発」は確かに存在しました。起こったことを、なかったことにはできません。今現在も、原子力発電所は存在していますし、稼働もしています。もしまた、この大震災に匹敵するような地震が起きたとしたら、どうなるかを、為政者は、必ず、考えておかなければなりません。

 一つの地域だけのもの(原子力発電所)の事故でさえ、これほどの騒ぎになり、どれほど復興のためのお金がかかるのか、今もってわからないほどです。人々の心に与えた傷も影響も、お金では換算できません。失われた命もです。

 日本人は確かに、今、これからどうなるか判らないと、密かに考えています。しかし、そう思いながらも同時に、温泉に行ったり、外国旅行をしたり、これまでとそれほど大差のない暮らしをしています。またそうでなければ、暮らしや経済というのは成り立っていかないのです。

 今、近所のスーパーでは、以前と同じように潤沢にものが揃っています。水が足りなかったりしたのは、ほんの一時のことでした。あのときも、二三週間もしたら、殆ど以前通りの生活をしている自分に気がつきました。計画停電も一時でした。

 今、気をつけているのは、電気の使用くらいでしょうか。それも、日本では停電という記憶が殆どの人になかったものでしたから、最初、ドギマギ、オロオロしてしまったのでしょう。世界では「停電」が日常茶飯事の国も少なくないのです。

 学生たちも、以前通りの生活をしています。一度日本へ来てしまうと、おいそれとは帰れなくなるのでしょう。日本は、やはり、暮らしやすい国だと思います。けれども、彼らには必ず、どうして日本が暮らしやすいのかを、考えてもらうようにしています。これは大学に行く前に、考えておくべきだと思います。もちろん、学生によっては、日本語の教科書の「上級」が終わっておらず、そういう段階ではないまま、この学校を出て行かなければならないという人もいますが。

日々是好日
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「夏休みの『補講』」。「暑い夏」。

2011-08-18 09:42:43 | 日本語の授業
 あっという間に八月十八日になっていました。なぜ、夏休みになった途端にあんなに忙しくなったのか、いまだによくわからないのですが。しかも、12日から17日まで休みを取り、老親の様子を見に行ってきたりしましたから、尚更です。昨日の昼、三時に行徳に戻ってきたのですが、暑くて暑くて…、うちに戻る途中でへばってしまいました。

 思わず、「確か、この行徳という町は、ほんの近くの都内に較べても、随分過ごしやすいところであったはずなのに」という気持ち(はたまた思い込み)が蜃気楼のように覚束ないものとなってしまいました。 まったく暑い。

 それもこれも、緑が足りないせいでしょう。故郷では、早朝、三日ほどでしたが、近くの海岸沿いの遊歩道を、一時間ほど歩いたりしていました。その時も、帰りこそ、汗びっしょりになりはしても、行きは汗もかかず、涼しい顔で、エッサカホッサカと歩いていられましたもの。

 それが、ここでは…無理です。暑い。帰ってからは、今度こそ、筋肉を鍛えるために十分でもいいから、毎日歩こうと…内心で、それとなく、なんとなく決めていたのですが、今朝、つまり第1日目、水遣りの時から、ダウンです。暑い、暑い、暑い。いくら暑いと叫んでもどうにもなることではない…と判っているものの、叫ばずにはいられない。で…もう一度。暑い。

 それも、今日がピーク…らしい。で、明日からは涼しくなるらしい。それを信じて、今日一日だけ、叫んでいることにしましょう。けれども、もしかしたら、今って、もう残暑ですよね。

 さて、遅ればせながら、夏休み中の「補講」は、うまくいきました。「Aクラス」の方も、「Dクラス」の方も。

 「Aクラス」の場合は、既に、1年以上を共に過ごして来ていますから、彼らに不足しているものを、そえればいいだけでした。準備は大変でしたが、一つ一つ驚いてくれましたから、やりがいはありました。それに、地図帳で確認したり、白地図に書き込んだりの作業を通じて、それなりの収穫はあったと思います(それゆえに、参加者を休み前に確認していたのです。だれが参加するかによって見せるものが異なってきますから)。

 それに引き替え、「Dクラス」の方では、「Aクラス」のように、最初から、和やかにやるというわけにはいきませんでした。

 彼らの大半は、七月に来たばかりの学生でしたし、その上、来日時には、日本語が白紙に近い状態でしたから、どこか掴みきれない(私の方でそうでしたから、学生にしても、そうだったでしょう)状態が続いていました(毎日授業に入ってはいませんでしたし)。それゆえにでしょうか、彼らの反応に、当方が過剰に応じていた嫌いもなきにしもあらずでした。それで、軌道修正ができるものなら、休み中にやっておきたかったのです。新学期が始まってしまえば、他のクラスのことも考えなければなりませんから、彼らだけを見るというわけにもいかないでしょうし。

 まあ、三日ほどでしたが、それdも「なんとなく、一応の心づもりができるほどには、なったかな」という感じです。もちろん、復習をしながらですが。相手の様子に、それなりに納得ができるようになりましたら、もうそれで充分です。それさえ、掴めたら、今度は、大本の勉強の方が大切になります。漢字は、彼らの方から入れてほしいと言ったわけですから、もし、勉強していなければ、「勉強したいといったのは、誰だ」と強面で迫ることもできます。

まあ、どうも、そういう必要がない人たちのように見えましたけれども…。

日々是好日
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「曇り、晴れ、時々驟雨」。「補講、第1日目」。

2011-08-05 10:42:16 | 日本語の授業
未明にも雨がふったようで、水遣りは隠れているところだけで終わり。まったく「天水の力は偉大なり」です。

昨日も、馬の背を分けるような驟雨が断続的に降り、来校した専門学校や大学の方は、こんな天気はたまらないとぼやかれていました。それはそうでしょう、ものの二分と経たないうちにぴたっと止んでしまうのですから。

さて、補講第1日目、「Aクラス」の学生が一名やってきました。普段よりも五分ほど早い、これは「異な事」。

このクラスは、どの学生が来るかで、見せる内容が違ってきますので、ぎりぎりまで待ってみます。そして、揃ったところで、どれにするか決めるつもりです。このクラスにはフィリピンと中国内モンゴルの学生がいますので、モンゴルの学生だけであったら、モンゴルの歴史とモンゴル国の人々の生活を見せるつもりですし、フィリピン人の学生が来ましたら、エルサレムを見せ、ついでにパレスチナ問題もそれに絡めて説明するつもりでいます。

日々是好日
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「『箱根一日旅行』が終わって」。

2011-08-04 12:05:56 | 日本語の授業
 今朝もムシムシ、ムンムンしています。一雨来そうな天気だと思っていましたら、案の定、ザアッと来ました。これで少しはしのぎやすくなるのでしょうか。

 昨日、行徳は、(雨が)降ったり止んだりのお天気だったそうですが、私たちの「箱根旅行」は、残念だったのは、富士山が見られなかったことくらいで、ほぼ完璧でした。

 まず、何よりも何よりも、私たちを驚嘆させたのは、早朝、「6時15分集合」が守られたことでした。なにせ、バスが来る前に「全員が揃い、来た者順に配っておいた番号札通りに並んでおく」という、ほぼ理想通りの形で一日を始めることができたのですから。

 一番怪しい(「大丈夫。約束は守る」と言っても、これまで実行できたことのない)「ベトナム」人学生の寮の部屋に、あらかじめ伝えておいた時間(五時五十分)に、迎えに行くと、皆起きていましたし、いつでも出発できる状態でいました。当方が却って不安になるほどの「スムーズさ」です。

 バスに最後に乗り込んだのは、「4時起きで、始発電車でやってきた」遠距離通学の学生です。6時半ごろには出発できていました。

 そして、行きは、東京タワーを、帰りは道を変えて、スカイツリーを見ることができましたから、ツリーが大好きな学生は大喜びです。

 行きはガイドさんがいろいろと蘊蓄を傾けて説明して下さいました。それを「Aクラス」の学生が(何人か、荷物の世話や学生の集合チェックのために一番前にすわってもらっていたのですが)返事をしたり、質問したりしてくれていたので、ガイドさんも困ることはなかったと思います。学生にとってもためになりましたし。

 海老名サービスエリアでも、「トイレ休憩15分」という時間内に全員がバスに戻ってきましたし、ロープウェイに乗り込む「早雲山駅」でも、「二列に整列して待つ」をさせるのに、こちらが苛つくこともありませんでした。「点呼」も、三つの「クラス」と「グループ行動」を取りがちな二つの国、そして中学生グループ(高校入学のために通ってきている中学生がいるのです。そして彼女らの友だちも二名入れて)の六つに分け、それぞれ一名ずつ責任者を決め、すべて彼らに任せましたので、その報告を聞き、チェックを入れるだけですみました。

 それで、これまでのように教員が一つ一つせずともすみますから、その分の力を説明やらに割くことができます。

 ロープウェイは、初めてだった学生も多く、しかも下を見れば、昔の火山活動の名残の煙(温泉と化しているのですが)が見えるわけで、それなりのスリルはあったようです。もっとも、皆、大喜びで歓声を上げていましたが。

 「大湧谷」に到着してからは、そこの散策です。階段はかなりきつかったのですが、「ヒグラシ(日暮)」の「カナカナカナ」という澄んだ声と、「ウグイス(鶯)」の「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョケキョ、ホーホケキョ」という声に誘われるように登っていきます。一休みすれば、自然にひいていくほどの涼しさです。

 この、温泉特有の匂いも、殆どの学生達に採っては初体験だったのでしょう。それに、名物の「黒タマゴ」を食べ、その上、「タマゴ」を湯へ入れるところと出すところまで見て、学生たちは大感激です。

「すごい、お湯から出したら、黒いタマゴになっていた…」。実際に白い「タマゴ」を温泉の中に入れるところを見て「先生、本当だったんだ…」。はい、はい、何も操作してなんかいません。

 それから、待機してくれていたバスに乗り込んで、15分ほどで、芦ノ湖の桃源台へまいります。船は12時でしたので、20分ほど湖の畔で待ちます。私はここで、まるまると肥えたトラのネコを見つけました。人に馴れているらしく話しかけるとちゃんと返事をしてくれます。けれども、「こいつは何も食べ物をくれる気はないな」と見て取ったらしく静かに茂みの中へ姿を消してしまいました。

 乗り込んだ船は、「海賊船」です。しかし海賊の人形がいなかったのは残念至極。前に連れて行った時は、海賊の人形と一緒に写真を撮れたので、皆、大はしゃぎでしたが。今回はそういうこともなく、手すりにつかまりながら、風を感じ、ぬめるような波を見つめながら、学生たちと話しているうちに、いつの間にか箱根町へ。

 箱根町では恩賜公園で、お昼にします。関所を抜け、杉並木を通って、ドンドン登っていくと、屋根があって、食事のできる、ちょうどお寺の合宿所(?)のようなところに着きました。途中、歩きながら、急に口数が少なくなった学生がいます。見ると、向こうもそれを察して、「おなかがすいた。力が出ない…」。

 着くとすぐに、公園の水で手や顔を洗い、食事にします。いくつかの輪になり、皆で適当に散らばって食事をしています。終わるとすぐに箱根の関所資料館へ下りていき、関所見学です。見終わって、またバスに乗ろうとした時、お祭りだったのでしょうか、音楽と「ヨイショ」のかけ声と共に、子供御輿がやってきました。すばやい学生は、一休みしている子供達のところへ行き、写真を撮らせてもらっていました。きっと、あの「はっぴ姿」が珍しかったのでしょう。

 そして、最後に、「大観山」の展望台へ行きます。そして少し休んで、海老名サービスエリア経由で行徳に戻ります。

 (行徳に)着いた時間が、教員は「まさか、嘘だろう」と驚きを隠せませんでしたが、六時前、5時45分ごろでした。学生たちが車から降りた後、(車内の)最後のチェックをしても、(私たちに)言われたとおり、ゴミは、皆、持ち帰り、車の中には何も落ちていませんでした。一つだけ座席にお菓子の潰れた粉が残っていましたが、これも学生が「先生、どうしよう」と言いに来たので、問題はありません。ガイドさんに聞くと、そのままにしておいてもいいと言っていただきましたので。

 ガイドさんも運転手さんも気持ちのいい方で、ガイドさんのことは学生たちが覚えていました。二年生が「先生、先生。あのガイドさん、覚えている?富士山の時にも来ていたよ。」と言ったくらいでしたから。

 それに運転手さんについては、箱根のクネクネ坂を登っている時のことです、学生たちに「わあ、すごい」と運転技術に感心することしきり。プロなんだから当たり前と言ってしまえばそれまでなのですが、車に弱いと言っていた学生たちが一人も、車酔いしなかったところを見ても、やはりすごいのでしょう。

 というわけで、翌日の今日は、学生たちはお休みです。明日から「Dクラス」と「中学生二人」には補講が入ります。それから「Aクラス」には希望者四名に、補講をします。今日一日、休んで、明日はまた元気な顔を見せてくれると思います。

日々是好日
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「夏が戻ってきた」。「箱根旅行、歌の練習」。

2011-08-02 08:44:19 | 日本語の授業
 七月上旬の、あの暑さから考えますと、第二の「梅雨」とでも言いたいようなお天気が続いていました。そして、今、これから夏がぶり返して来るような予感がしています。「残暑」ではなく「盛夏の暑さ」が、なのです。もう夏は去ってしまった…ようでしたのに、「本格的な夏は、これから」という感じなのです。今も「ミイミイゼミ」が大きな声を張り上げて鳴いています。「キョウチクトウ(夾竹桃)」も、本来の力を取り戻して輝いています。

 路上には、もう、「セミ(蝉)」や「カナブン(黄金虫)」などが落ちていて、しかも、ひしゃげているとか。もう地下から出て七日を過ぎたという「セミ」も少なくないのでしょう…、しかしながら、これまで、いったいどこで鳴いていたのやら。

 花期は疾うに過ぎたはずの「マダガスカル・ジャスミン」(既に一度咲いて、散っています。あれは終わりではなかったのでしょうか)も、一度きれいさっぱりと花の姿が消えてしまった「キキョウ(桔梗)」も、また復活しています。

 夏の花というものは、暑さが続く限り、花をつけつづけるのでしょうか。それもまたなにやら悲しいような気がしますが。

 さて、「箱根一日旅行」は、明日に迫りました。今年は歌に関して言えば、練習する時間は充分に取れたようで、特に「Aクラス」では、「歌は覚えた。今度は振り付けだ」とばかりに、CDではなく、DVDで、聞きたがっています。学校が準備した歌は全部で五曲。

「マル・マル・モリ・モリ!(薫と友樹、たまにムック)」。「会いたかった(AKB48)」。「きせき(GReeeN)」。「少年時代(井上陽水)」。「世界に一つだけの花(SMAP)」。

「初級クラス」の学生たちは、曲は何となく覚えられても、歌詞まではどうも…という状態なのですが、二年目の学生たちは、かなり余裕があるように見受けられます。既に入学時から歌い続けている歌もありますし。音楽が好きな学生は踊りながら歌っていますし、そうではない学生でも、歌詞を見れば歌えるようになっているようです。

 私など、歌とは殆ど縁がない人間で(こういうことでもない限り、歌は聞きませんね)、それでも、上のクラスの学生たちにはこんなことを言っています(中には私と同じで歌いたがらない学生もいるのです)。「歌は、時代を象徴するものでもある」と。

 まあ、そんなに大上段に振りかざしたようなことを言わずとも、この五曲を覚えておけば、大学や専門学校、大学院に入って、皆の前で、何か一芸でも披露しなければならなくなった場合、困った時の「なにやら」くらいにはなるでしょう。そう言うと、俄然張り切って踊り出した学生もいましたから、本当に素直な人たちです。ただ、これは本当です。その国の歌を覚え、その国の言葉で歌い、共に踊れば、国と国、あるいは言葉による垣根などすぐに消えてしまいます。

 二年生は、卒業してからの彼らが、大学や専門学校などで、日本人や他国の友人を自然に作っていけるように、そろそろ先を見据えた指導も心がけておかなければなりません。

 そのためにも、休み中来られる学生には、学校で「世界遺産」「世界自然」「東京近郊の自然」など、いくつかDVDで見せ、指導していくつもりでいます。これらは授業とは直接関係がないので、なかなか正規の授業時には見せられなかったのです。見せても「さわり」だけで、全部を見せ、十分な説明を加えるだけの時間をひねり出せなかったのです。指導に、せめてあと半年あったらと思うこともしばしば。

 もちろん、そうは言いましても、日本語の勉強だけにかまけているわけにはいきません。できるだけ早く大学や専門学校へいき、自分に必要な知識なり、技術なりを身に付けてもらわなければなりません。ただ、日本に関する知識や、彼らが母国で学べなかった世界に関する常識などは、この学校を卒業してしまったら、なかなか学ぶ機会がないでしょう。日本人にとっては、当然の知識ですから、大学でも、今さら、そんなこはを教えてくれないでしょうから。

日々是好日
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「漠とした不安」。「『運』とか『奇跡』だけに頼ろうとする人」。

2011-08-01 13:54:43 | 日本語の授業
 「オオマツヨイグサ(大待宵草)」が、さんざめくように揺れています。晴れの日が少なく、曇りがちの日が続いたからでしょうか。そう言えば、「ユウガオ(夕顔)」も、まるで「ヒルガオ(昼顔)」のような顔をして蔓を這わせていましたっけ。どこかおかしげな季節の有様です。ついこの間、「セミ(蝉)」の声が夏を告げたと思ったばかりでしたのに、今朝はもう秋の虫の声に耳を傾けるようになりました。そしてはたと気づくのです。確か、これは、お盆を過ぎた頃からではなかったかと。

 今朝は、少し肌寒いくらいの風が吹いています。もう一枚羽織った方がいいかなと思われるくらいの涼しさです。本来なら、朝でも、ムワッとした風が吹き、暑さを予感させるはずですのに。この涼しさを、喜んでいいのか、それとも、恐るべきなのか、虫歯が奥でジリジリと鈍く痛んでいるような、そんな不安を感じてしまいます。

 福島、新潟を、台風が襲いました。西日本をよく襲う、梅雨末期の集中豪雨のような降りでした。町や村が、あっという間に泥流に呑まれ、水が引いた後は、田畑も家の床も、一面、ねっとりとした泥に覆われ、何もかもが泥いろです。それなのに、なぜか人々の声は静かです。「どうしていいかわからない…困ったものだ」。「片付けるのにも、一年くらいかかるかもしれない…」。

 他国でよく目にする「泣き叫ぶ」人の姿はありません。黙々と片付ける人の姿ばかりです。自分のできる範囲のことを少しでもやっていくしかないと諦めているようにも見えるのですが…。「よく助かった…」「皆が助けてくれたから。私は足が悪くて、歩けなかったから…」

 こういう言葉は…、聞くと、却って辛くなります。偽善になれた国の人は、それを「二重人格」とか、「嘘つきだ」とか言うのでしょうけれども。

 日本人なら、こういう時の、人の言葉をそのまま信じます。そして涙します。おそらくこういう不幸に見舞われたら、私もそう言うでしょうし、私一人ではなく、日本人なら誰もが、同じように、そう言うでしょう。

 また、こういう言葉以外に出てこないのです。神を恨み、仏を罵っても、それで何が生まれるというのでしょう。この地に生まれてきたから、そしてこの地に生きているからと、様々な不幸に出遭っても、その理由はそれしかないのです。

 だれもがこの島の中で、より少なく自然の猛威を受けなくてすむような場所を探し、あるいは木々でその場を囲み、その場に土塁を築いたりして生きてきたのです、昔から。

 ただ、近代になって、その調和は崩れてきましたが、それでも、なにかあると、すぐにそうしていた昔を思い出します。

 こういう自然災害(天災)は、いくら近代になってからの温暖化に拠るものにせよ、まだ古代の人々と同じような気持ちで、見つめることができます。「原発」の事故とは違うのです。

 日本でさえ、「安全神話」によって人々の目が曇らされていたり、専門家の間でも「もし事故が起きたら」と、不安を口に出せないような状況が続きました。それが、もっと怖い国であったらと思うと、堪らない気持ちになってきます。事故が起こっても、口をぬぐって、「それはなかったのだ」と、一言で「なかったこと」にされてしまうかもしれません。世界中が見つめていても、それでも、そうするでしょう。

 そういう国では、「明日は我が身」とは考えられず、あれは「あいつの運が悪かったのだ」と、他人事扱いしてしまうかもしれません。想像力が足りないからそうするのではなく、もうそれが習いとなっているのでしょう。そういう国で生きている人は、「運がよかったから、自分は安全だったのだ」と思うしかないのです。

 「運」だけに頼る人生というのは、辛いものがあります。人は場所を選んだり、親を撰んだりして、生まれてくることはできませんから。どんなに頑張ってもどうにもならない、生きようともがいても、どうにもならない人生というのもあるのです。もし日本がそうなったらと思うと、ぞっとしてしまいます。少なくとも、今はまだ大丈夫のようですけれども…。

 そういう国では、だれもが潜在的な不安を抱いて暮らしているのでしょう。もしかしたら、その不安を感じると言うことすら、特権なのかもしれません。普通の人たちは生きていくことに必死で、そんなことを感じる余裕さえないかもしれません。

 ただ、それが、日常的になってしまっていたら、それが本当は「異常である」とは思えなくなるでしょう。そういう状態はやはり怖い。そういう国から一歩も出たことがない人たちは、その「異常」が、「異常」に見えないに違いありません。

 けれども、日本人だとて、日本が、異常になったら、本当にその「異常」に気づくでしょうか。だれか「カナリア」の役をしてくれる人がいて、「これはおかしいよ」と言ってくれないかぎり、少しずつおかしくなっていく「異常性」に気づかないに違いありません。

 これは景気が悪くなるとか、政治家が悪いことをしたとかいうことではないのです。目には見えず、データにも表れません。それでいて、ジワジワと息苦しくなるような、そんなものなのです。それだけ不気味で、言い表しようのないものなのです。

 とはいえ、いつの世にも、「カナリア」はいます。過たぬバランス感覚に長けた、きちんとした常識という「尺度」を持った人たちが。私たちはそういう人たちの鳴らす警鐘を、正しく聞き取り、感じ取り、そして判断し、自分たちの進んでいく道を決めていかなければならないのでしょう。

 そして、このような作業は、「集団」でというよりも、まずは「個人」でやっていかなければならないものなのかもしれません。こういうことは、優れて「個人的なこと」のはずですから。

日々是好日
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