雨。
今日は一日中、雨が続きそうです。今は、柔らかな春雨ですが、日本海側は突風が吹いたり、雷様がゴロゴロと来なすったりするそうで、それがこちらにも移ってくるかもしれず、まずは、くわばらくわばら…。
雨が、朝から降っていれば、学生達も傘を持ってきているので、傘がない(持って来ていなかった。濡れてしまう)と騒ぐこともありません。この中でも、中国から来た学生ほど、急に雨が降り出した時に「傘がない」と騒ぐ学生はいません。これも最近のことですが。
他の国から来た人達が(もちろん、私が行ったことのある国の、大気の具合しか判らないのですが)「大丈夫」と言い、少々の雨なら突破するほどの勢いで帰れるのも、もしかしたら、まだ、きれいな空気の下で暮らし、汚染された黒い雨に衣服を汚されたという経験がないからかもしれません。大気汚染など、都市なら世界中で見られる現象でしょうけれども。
私が中国にいたのは、85年頃でしたから、随分前のこと。しかも、その頃はまだ大気汚染云々とか、あまり言われていませんでした。もっとも、星も見えず、40分ほども自転車を走らせれば(車は殆ど走っていませんでした。まさに自転車大国の頃のことです)、上着の袖ぐりをはじめ、どこもかしこも、黒い縞模様ができたりしていたのですが。
休暇中、2、3週間ほども旅行して、日本に戻れば、家中のものから「臭い」と鼻つまみ者にされ、着て帰った服などは捨てられてしまい、お風呂に入っても、臭さがとれていないと非難されたものでした。
その時は、もう、その臭さに(自分の)身体が慣れてしまっているものですから、何が臭いのかも判らず、またどうして自分の服が捨てられてしまうのかも判らず、ただ「新しく服を買ってやるからね」という言葉に素直に頷き、言われるままにしていたのですが。
「街の匂い」というものも、「文化」の一つなのでしょう。中国の北京などは、ニンニク料理が多いおまけに、油も、当時はいいものがそれほどありませんでしたから(庶民が食べられるものとして)、普通の日本人から見ると、「臭い」となってしまったのでしょう。
ところが、北京にいる時には、他の国の人から、「味噌の臭さ」を責められ、「アタリメ」などを作れば、「ここから、死体の匂いがする」なぞと鼻をクンクンされたものでした。
日本人は、自分達(の身体)はそれほど匂わないと思っているのですが、それは一種の思い込みに過ぎず、他の国の人たちからすれば、やはり「匂う」のです。しかも、それは決していい匂いではない…。
アフリカ出身の男性達は、みな「香水(と言っていいのかどうなのかは判りませんが、匂いのきついものです)」を、大量に使い、それから、登校していましたから、この匂いに負けて、日本人など、自分を無臭であると思い込んでいたのでしょう(一人でもひどいのに、彼等は一人では、あまり動かないのです。常に2、3人以上が一緒ですから、匂いも倍々ゲームのようでした)。
ところが、日本人の匂いについて、言われてしまったのですよね。「味噌」と「烏賊」がだめみたい…。どうも、この二つが彼等には我慢のできない匂いであったようで、「味噌汁」を飲むと、「臭い」と言われ、「アタリメ」を作る(スルメを焼く)と、避けられ、最初は(こちらも)途惑ったものでした。
私がいたのは、大学の留学生楼でしたから、多くの国の人たちが集まっていました。だから、「匂い」一つにしても、様々な物語が生まれていたのです。
そして、今、日本にいる留学生達。
インド系の人たちや、アフリカ系の人たちは、時々「香水(か、何かわかりませんが)」らしきものを使うことがあるようです。が、東アジア、東南アジアの人たちは使わないようです。これもきっと母国での習慣、親の躾なのでしょう。
日本人は、自分の身体が匂わないことを願っている。けれども、もし、匂いがするとすれば、それは秘やかなもので、しかも、自然の木々の匂い、花々や草々の匂いであることを願っている。
あくまでも、それは「微かな」ものであることが前提であると、思っていました、私は。
けれども、昨今は変わってきたようで、街で、時々、ぷ~んと、通りすぎただけできつい匂いをさせる人もいるようです。
昔は体臭を消すために、お香の匂いを移したり、薫り袋何ぞを胸もとに秘めたりしていたものですが、今時の香水は、一旦つけ始めると、だんだん限度がなくなるようです。つけていくうちに、自分で匂いに慣れてしまい、いくらつけても匂いがしていないような気になるのでしょう。
やはり、度を超さない、「ほのか」というのがいいようで、特に、いろいろな土地から集まっている人たちが、一つ教室で学ぶとなりますと、何事であれ、少しでも「度を超す」と、途端に「摩擦」が起きてしまいます。
もしかしたら、その「限度を知る」ことも、この(日本語学校にいる)2年間の「学び」の一つなのかもしれません。
日々是好日
今日は一日中、雨が続きそうです。今は、柔らかな春雨ですが、日本海側は突風が吹いたり、雷様がゴロゴロと来なすったりするそうで、それがこちらにも移ってくるかもしれず、まずは、くわばらくわばら…。
雨が、朝から降っていれば、学生達も傘を持ってきているので、傘がない(持って来ていなかった。濡れてしまう)と騒ぐこともありません。この中でも、中国から来た学生ほど、急に雨が降り出した時に「傘がない」と騒ぐ学生はいません。これも最近のことですが。
他の国から来た人達が(もちろん、私が行ったことのある国の、大気の具合しか判らないのですが)「大丈夫」と言い、少々の雨なら突破するほどの勢いで帰れるのも、もしかしたら、まだ、きれいな空気の下で暮らし、汚染された黒い雨に衣服を汚されたという経験がないからかもしれません。大気汚染など、都市なら世界中で見られる現象でしょうけれども。
私が中国にいたのは、85年頃でしたから、随分前のこと。しかも、その頃はまだ大気汚染云々とか、あまり言われていませんでした。もっとも、星も見えず、40分ほども自転車を走らせれば(車は殆ど走っていませんでした。まさに自転車大国の頃のことです)、上着の袖ぐりをはじめ、どこもかしこも、黒い縞模様ができたりしていたのですが。
休暇中、2、3週間ほども旅行して、日本に戻れば、家中のものから「臭い」と鼻つまみ者にされ、着て帰った服などは捨てられてしまい、お風呂に入っても、臭さがとれていないと非難されたものでした。
その時は、もう、その臭さに(自分の)身体が慣れてしまっているものですから、何が臭いのかも判らず、またどうして自分の服が捨てられてしまうのかも判らず、ただ「新しく服を買ってやるからね」という言葉に素直に頷き、言われるままにしていたのですが。
「街の匂い」というものも、「文化」の一つなのでしょう。中国の北京などは、ニンニク料理が多いおまけに、油も、当時はいいものがそれほどありませんでしたから(庶民が食べられるものとして)、普通の日本人から見ると、「臭い」となってしまったのでしょう。
ところが、北京にいる時には、他の国の人から、「味噌の臭さ」を責められ、「アタリメ」などを作れば、「ここから、死体の匂いがする」なぞと鼻をクンクンされたものでした。
日本人は、自分達(の身体)はそれほど匂わないと思っているのですが、それは一種の思い込みに過ぎず、他の国の人たちからすれば、やはり「匂う」のです。しかも、それは決していい匂いではない…。
アフリカ出身の男性達は、みな「香水(と言っていいのかどうなのかは判りませんが、匂いのきついものです)」を、大量に使い、それから、登校していましたから、この匂いに負けて、日本人など、自分を無臭であると思い込んでいたのでしょう(一人でもひどいのに、彼等は一人では、あまり動かないのです。常に2、3人以上が一緒ですから、匂いも倍々ゲームのようでした)。
ところが、日本人の匂いについて、言われてしまったのですよね。「味噌」と「烏賊」がだめみたい…。どうも、この二つが彼等には我慢のできない匂いであったようで、「味噌汁」を飲むと、「臭い」と言われ、「アタリメ」を作る(スルメを焼く)と、避けられ、最初は(こちらも)途惑ったものでした。
私がいたのは、大学の留学生楼でしたから、多くの国の人たちが集まっていました。だから、「匂い」一つにしても、様々な物語が生まれていたのです。
そして、今、日本にいる留学生達。
インド系の人たちや、アフリカ系の人たちは、時々「香水(か、何かわかりませんが)」らしきものを使うことがあるようです。が、東アジア、東南アジアの人たちは使わないようです。これもきっと母国での習慣、親の躾なのでしょう。
日本人は、自分の身体が匂わないことを願っている。けれども、もし、匂いがするとすれば、それは秘やかなもので、しかも、自然の木々の匂い、花々や草々の匂いであることを願っている。
あくまでも、それは「微かな」ものであることが前提であると、思っていました、私は。
けれども、昨今は変わってきたようで、街で、時々、ぷ~んと、通りすぎただけできつい匂いをさせる人もいるようです。
昔は体臭を消すために、お香の匂いを移したり、薫り袋何ぞを胸もとに秘めたりしていたものですが、今時の香水は、一旦つけ始めると、だんだん限度がなくなるようです。つけていくうちに、自分で匂いに慣れてしまい、いくらつけても匂いがしていないような気になるのでしょう。
やはり、度を超さない、「ほのか」というのがいいようで、特に、いろいろな土地から集まっている人たちが、一つ教室で学ぶとなりますと、何事であれ、少しでも「度を超す」と、途端に「摩擦」が起きてしまいます。
もしかしたら、その「限度を知る」ことも、この(日本語学校にいる)2年間の「学び」の一つなのかもしれません。
日々是好日