昨日、今日と、いいお天気です。まさに「桜日和」です。昨日、友人からメールが届きました。
「ハハハハハ、いい時に中国ね。今年は、桜は『ナシ』か」
恨めしい人ですね。この「いい時」というのは、「桜時」のこと。けれども、もしかしたら、戻ってきても、まだ間に合うかもしれません。
とは言いながら、
「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても 胸の騒ぐなりけり」(西行)
この時期の、多くの日本人の心情でしょう、これは。なかなか、
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 浮き世に なにか 久しかるべき」(業平)
のようには、悟れません。
咲くか咲かぬか、散るか散らぬか、など、あれやこれやと、埒もないことを、思い悩んだりせずに、思い切って、
「花咲かば 告げよと言ひし 山守の 来る音すなり 馬に鞍置け」(源 頼政)
と、一度でもいい、豪快に言ってみたいもの。咲く時は咲く。まだの時はまだ。散った時は散った時のこと…なのだから…。
とは、言いながら、戻ってくるのが、四日の夜。まだまだ大丈夫だとは思うのですが、
「明日ありと思う心の 仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)
ということもありますから。
さて、私たちが留守にした間の、(学生達の)「自習室での過ごし方」についてです。
「Bクラス」の学生は、「戦後」のDVDを、まず、「見ておく」こと。解らない時には、「(高校)世界史(の教科書)」と「資料集」を参考にできるように渡してあります。このDVDの中には、「大航海時代」や「アメリカの独立戦争」「フランス革命」についてのものも含まれています。少なくとも、一般常識的なものは、(休みの間に)見せておきたいのですが、あまり欲張っても、学生達が疲れてしまうでしょうから、最小限にしておきました。「覚える」のは、まだまだ後のこと。まず、「見たことがある」という感覚です、大切なのは。
「C・D合併クラス」の中国人学生は、漢字(読み)に弱いとのことでしたので、既習の「中級」の教科書の漢字は、「読み」「書き」の両方を徹底してやっておくことと告げてあります。
「補講クラス」の二人は、毎日来ると言っていましたから、学校で、カードを借りて、「単語」を覚え、テープで「聴解の問題」をし、「既習の漢字」を、ノートに書いておくという約束をしました。
私たちが戻ってきてから、桜がまだ残っていたら、一緒にお花見に行きます。けれども、もし、万が一、既に散っていたら、
「梢吹く 風の心は いかがせむ 従ふ花の 恨めしきかな」(西行)
と、名ばかりの桜の樹を恨まねばならないことになるかもしれません。多分、多分、大丈夫だとは思うのですが…。
日々是好日
「ハハハハハ、いい時に中国ね。今年は、桜は『ナシ』か」
恨めしい人ですね。この「いい時」というのは、「桜時」のこと。けれども、もしかしたら、戻ってきても、まだ間に合うかもしれません。
とは言いながら、
「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても 胸の騒ぐなりけり」(西行)
この時期の、多くの日本人の心情でしょう、これは。なかなか、
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 浮き世に なにか 久しかるべき」(業平)
のようには、悟れません。
咲くか咲かぬか、散るか散らぬか、など、あれやこれやと、埒もないことを、思い悩んだりせずに、思い切って、
「花咲かば 告げよと言ひし 山守の 来る音すなり 馬に鞍置け」(源 頼政)
と、一度でもいい、豪快に言ってみたいもの。咲く時は咲く。まだの時はまだ。散った時は散った時のこと…なのだから…。
とは、言いながら、戻ってくるのが、四日の夜。まだまだ大丈夫だとは思うのですが、
「明日ありと思う心の 仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)
ということもありますから。
さて、私たちが留守にした間の、(学生達の)「自習室での過ごし方」についてです。
「Bクラス」の学生は、「戦後」のDVDを、まず、「見ておく」こと。解らない時には、「(高校)世界史(の教科書)」と「資料集」を参考にできるように渡してあります。このDVDの中には、「大航海時代」や「アメリカの独立戦争」「フランス革命」についてのものも含まれています。少なくとも、一般常識的なものは、(休みの間に)見せておきたいのですが、あまり欲張っても、学生達が疲れてしまうでしょうから、最小限にしておきました。「覚える」のは、まだまだ後のこと。まず、「見たことがある」という感覚です、大切なのは。
「C・D合併クラス」の中国人学生は、漢字(読み)に弱いとのことでしたので、既習の「中級」の教科書の漢字は、「読み」「書き」の両方を徹底してやっておくことと告げてあります。
「補講クラス」の二人は、毎日来ると言っていましたから、学校で、カードを借りて、「単語」を覚え、テープで「聴解の問題」をし、「既習の漢字」を、ノートに書いておくという約束をしました。
私たちが戻ってきてから、桜がまだ残っていたら、一緒にお花見に行きます。けれども、もし、万が一、既に散っていたら、
「梢吹く 風の心は いかがせむ 従ふ花の 恨めしきかな」(西行)
と、名ばかりの桜の樹を恨まねばならないことになるかもしれません。多分、多分、大丈夫だとは思うのですが…。
日々是好日