曇り。
昨日は、もう暑くて、暑くて…だったのに、今日は一転、ひんやりとした風が吹いています。街路に植えられた「サツキ並木」が美しい。十字路の、こちら側は濃いピンク、向かいは桜色、そして向こう側は真っ白と、色が違っているのが、ちょいと不思議。好みかな、それとも同じ色が足りなかったのかしらん。向こう側も、白一色と言いたいところだけれども、真ん中のちょいと端に、濃いピンクが覗いている。花粉が飛んでいったのかな。まあ、それも一興。白だから目立つだけかも。
さて、スリランカの学生、三日目ともなると落ち着いたものです。表情の硬さが取れています。一昨日は、小さい教室に、正規の二人と新入生の四人、そして見学者の二人まで来て、限界でした。コロナ対策をしているので、これ以上接近しては座れない…。ということで、昨日は、新入生三人は、隣の少しばかり大きめの教室で自習です。
何をやったらいいか学校に来た時に、指示。で、授業の前に、隣の教室を覗いてみると、さっと見せてくれた。…ノートを斜めにしていたのだけは、注意したけれども、あとは大丈夫。一生懸命に書いていた。ではと、隣の教室に行って、授業を始めます。
一昨日来た見学者二人も、「Bクラス」のウズベキスタン女性の友人。一人は以前ここで勉強していたということで、「Bクラス」に。もう一人は「ひらがな」から始めるということで、「新入生クラス」に。
で、昨日、「Bクラス」はこれまでの二人授業から、一人増えて、学生が三人になったので、ちょっと華やいだかな。
日本に数年いたとしても、きちんと日本語を勉強していなければ、雑な物言いになったり、母国での(言語上の)癖が出たりして、日本で日本人と交流していく上では不利。もとより、正規の会社勤めをする上でも不利かな。何となれば、言語というのはその国の文化の集大成であり、それによって、その国の人を知る上でも助けになるからです。
ここで学び続けて半年ほども経った人は、それなりに落ち着いていますが(つまり日本人から見て、それほどの違和感はない)、自分たちの(国人の)輪の中に一定期間でもいて、ドップリと浸かってしまうと、その気安さの中に安住してしまい、時折、これではまずいかなと思われることも少なからず出てくるのです。物言いなどにそれほどの違いがなければ、それでも何とかなっていくのでしょうが、そうではなかった場合、ちと厄介なことになる。
別にそれがいけないというわけではないのです。自分なりのやり方で通したければ通せばいい。ただ、(日本人の習慣を)知らなかったから、そうしていたというのは避けさせるべきで、そこのところが、日本語学校の仕事の一つとも言えるのでしょう。
まずは、相づちの「ふん、ふん」ですね。帰りに注意すると、ハッとした顔。すかさず、現「Bクラス」の一人が何か言っていた。彼らもこの半年ほどの間に、それこそ、いろいろな注意を受けてきた…。つまり、注意されることに慣れ、その事を現実の生活の中でプラスとして納得できてきた…多分。
彼女らは、留学生たちと違い、保育園のお出迎えや他の(日本人の)お母さんたちとのやりとりなど、ぬるま湯どころか、厳しい現実の生活の中へ、日本語を知らぬうちから、放り込まれてきたわけですから、それこそ大変だったでしょう。
普通は、(こちらに)慣れた頃から注意を始めるのですが、それができない理由がある。つまり先住者がいるのです。こちらが(自分を、まだまだと)抑えると、彼らの方(先住者の二人)も、下手をすると、それでもいいのかと思ってしまう。そちらの方が彼らのやり方なのですから。この方が始末に負えない。もうある程度判っている人たちがいる場合には、すぐに注意したほうがいいようような気がします。勿論、いつもそうだとは限りませんが。
日々是好日
昨日は、もう暑くて、暑くて…だったのに、今日は一転、ひんやりとした風が吹いています。街路に植えられた「サツキ並木」が美しい。十字路の、こちら側は濃いピンク、向かいは桜色、そして向こう側は真っ白と、色が違っているのが、ちょいと不思議。好みかな、それとも同じ色が足りなかったのかしらん。向こう側も、白一色と言いたいところだけれども、真ん中のちょいと端に、濃いピンクが覗いている。花粉が飛んでいったのかな。まあ、それも一興。白だから目立つだけかも。
さて、スリランカの学生、三日目ともなると落ち着いたものです。表情の硬さが取れています。一昨日は、小さい教室に、正規の二人と新入生の四人、そして見学者の二人まで来て、限界でした。コロナ対策をしているので、これ以上接近しては座れない…。ということで、昨日は、新入生三人は、隣の少しばかり大きめの教室で自習です。
何をやったらいいか学校に来た時に、指示。で、授業の前に、隣の教室を覗いてみると、さっと見せてくれた。…ノートを斜めにしていたのだけは、注意したけれども、あとは大丈夫。一生懸命に書いていた。ではと、隣の教室に行って、授業を始めます。
一昨日来た見学者二人も、「Bクラス」のウズベキスタン女性の友人。一人は以前ここで勉強していたということで、「Bクラス」に。もう一人は「ひらがな」から始めるということで、「新入生クラス」に。
で、昨日、「Bクラス」はこれまでの二人授業から、一人増えて、学生が三人になったので、ちょっと華やいだかな。
日本に数年いたとしても、きちんと日本語を勉強していなければ、雑な物言いになったり、母国での(言語上の)癖が出たりして、日本で日本人と交流していく上では不利。もとより、正規の会社勤めをする上でも不利かな。何となれば、言語というのはその国の文化の集大成であり、それによって、その国の人を知る上でも助けになるからです。
ここで学び続けて半年ほども経った人は、それなりに落ち着いていますが(つまり日本人から見て、それほどの違和感はない)、自分たちの(国人の)輪の中に一定期間でもいて、ドップリと浸かってしまうと、その気安さの中に安住してしまい、時折、これではまずいかなと思われることも少なからず出てくるのです。物言いなどにそれほどの違いがなければ、それでも何とかなっていくのでしょうが、そうではなかった場合、ちと厄介なことになる。
別にそれがいけないというわけではないのです。自分なりのやり方で通したければ通せばいい。ただ、(日本人の習慣を)知らなかったから、そうしていたというのは避けさせるべきで、そこのところが、日本語学校の仕事の一つとも言えるのでしょう。
まずは、相づちの「ふん、ふん」ですね。帰りに注意すると、ハッとした顔。すかさず、現「Bクラス」の一人が何か言っていた。彼らもこの半年ほどの間に、それこそ、いろいろな注意を受けてきた…。つまり、注意されることに慣れ、その事を現実の生活の中でプラスとして納得できてきた…多分。
彼女らは、留学生たちと違い、保育園のお出迎えや他の(日本人の)お母さんたちとのやりとりなど、ぬるま湯どころか、厳しい現実の生活の中へ、日本語を知らぬうちから、放り込まれてきたわけですから、それこそ大変だったでしょう。
普通は、(こちらに)慣れた頃から注意を始めるのですが、それができない理由がある。つまり先住者がいるのです。こちらが(自分を、まだまだと)抑えると、彼らの方(先住者の二人)も、下手をすると、それでもいいのかと思ってしまう。そちらの方が彼らのやり方なのですから。この方が始末に負えない。もうある程度判っている人たちがいる場合には、すぐに注意したほうがいいようような気がします。勿論、いつもそうだとは限りませんが。
日々是好日