晴れ。但し、冬になってしまいました。昨日は「タンポポ(蒲公英)」が咲いていてもおかしくないようなお天気だったのに、一転して今日は真冬です。晴れていても、いや、晴れているからこそ冷たい風が肌を刺して感じられるのでしょう。体温がみんな持って行かれるような感じです。
そうたとえますと、北国から来た学生達は、「まだ最低気温が2度とか3度とかでしょ(それなのに風が肌を刺すようだなんて、よく言う)。」と言います。けれども、「体感温度では」と聞きますと、「自分たちの所は乾燥しているから、陽さえ出ていればそれほど寒くない」と言います。つまり日本の方が(同じ温度でも)寒く感じられるというのには同意してくれているのです。
さて、昨日は冬休み第一日目。静かに過ぎていくかと思いきや…、午前中からなかなか賑やかでした。ベトナムからの学生が一人…二人…三人…。スリランカからの学生が一人…。約束していた学費や寮費、教科書代などを持って来たのです。大半の学生達の、アルバイトの給料日が15日か、月末なので、給料が入った時に、寮費や教科書代などを払うという約束をしています。その約束を守れる学生(これはお金の有る無しではなくて、ルールを守ることができる学生という意味です)が来たのです。
「学校のお金を払う」約束をしているのにもかかわらず、すぐに、友達に金を貸してしまいます。その友達というのも、日本語学校や専門学校の学生で、その学校では取り立てが厳しいからという理由のようです。
一生懸命アルバイトしているからと、この学校のように学生達を気の毒に思い、あまりせっついたりしていないと、直ぐにあちらの方へお金は流れていきます。払わなければならないものを払った上で、余裕があるならどうしようと、その人の勝手であることは勿論なのですが、親切な学校の方が割を食ってしまうのはどうしても腹が立ちます。きっとそういう学生たちは、こっちの方が甘いからと踏んでやっているのでしょう。しかも二度そして三度と約束を反故にし、友達に貸したとか甥の誕生祝いに五万円送ったとか言います。
私たちも、彼等の懐具合はわからないわけでもないし、また彼らの国の状況もわからないでもない。けれども日本に来て一年を過ぎれば、母国にいた時のようなことをしていれば、にっちもさっちもいかなくなるのは目に見えていること…。そればかりではなく、日本人の信用を失うということがわかってもいいはず…なのに。
この「温情主義(語弊はあるかもしれませんが)」というのも、実は、本当は、彼等のためになってはいないのです。一つは場当たり的になってしまうと言うこと。もう一つは、本当はお金のことを言いたくないのです、日本人は。だから払わなければならなければ、借りている者の方が、貸してくれている人の気持ちを汲み、きちんと約束通りの日にちに返しますし、もしそれができなければ、その約束の日にちの前に、詫びを入れにいきます、借りている人の方が。貸してくれている人や待ってくれた人に、それ以上の迷惑を掛けない、掛けてはならないというのが、日本人の習慣なのです。それがわからなくなり、日本でも彼らの国と同じようになあなあにしてしまえばいいと思い込んでしまう。
日本人同士であれば、それによってどうこうなるということは、普通は考えずに済みます。借りている方が、迷惑を掛けているとか、これ以上の迷惑を掛けないようにしようと思っているはずですから。
それにお金を借りるにしても、大きな額であれば銀行などの金融機関から借ります。個人に借りて、その人に「債」を作りたくないからです。
けれども、そういう習慣がない(多くは第三世界、途上国に多いのですが)の人達は、きちんと払わなければ利子が付くとか、決められた日を過ぎたら退学とか、脅さない限り、平気なのです。もしかしたらこれも、学校に払わなければならないというより、先生に払う…ものだというふうに誤解しているのかもしれません。聞くと、彼らの国でもお金を払わなければ学校に行けないし、やめなければならないと言いますから。
払わなかったら、(もしかしたら、払えないのではないかと)、つい、いろいろと彼等の身になって考えてしまう、この学校側の「温情」も、それが日本でもすべてに通用すると誤解を与えてしまうと言う意味においては、彼等にとって害になっているのかもしれません(だから今は、嫌なのですけれども、しつこく言うようにしています。そのまま知らん顔して過ごしてやれという気分の人が少なくないのですから)。
どこへ進学しても、「待ってくれて当然だ」張りに、大威張りで知らん顔をして払わなかったりすれば、催促や督促が数回来て(それでも平気で知らん顔していれば)、退学させられて終わりです。
とはいえ、日本人の習慣としては、金の催促をするというのは、本当にする方もされる方も不愉快ですから、したくないというのが本当の気持ち。そして、どうして金がないわけではないのに約束通りに払わず、こんなに嫌な思いをさせるのかと、時として学生を恨みたくなったりもします。
毎日、ペットボトルのジュースやコーヒーなどを飲んだりせずに、お茶で済ましておけばいいのに、そうすれば一ヶ月で教科書代くらい払えるのにと思いもし、口にもするのですが、払わない学生にかぎって、やめようとしません。留学している学生のうち、本当に貧しくてお金が払えないという家はほとんどないというのが実情なのに。
そうやってブチブチ文句を言っているうちに、スリランカからの新入生が二人、お姉さんに付き添われてやって来ました。このお姉さんというのも、この学校の卒業生で、いろいろな注意事項を述べる上でも、学校のことがわかっていますから、やりやすい。
そして、「二人とも自分が借りている部屋に住まわせる。慣れるまではその方がいいと思うし、出来るだけはやく、行徳か浦安の辺りに引っ越したい。東西線は東京に出るのに便利だから」と言います。
というわけで、スリランカからの二人の女子学生は、このお姉さんに任せ、学校側はちょっと楽をさせてもらうことになりました。
ところで、今日の夕方の便でベトナムへ行き、明日、明後日とハノイに滞在し、明後日の夜中に成田行きの便に乗り、土曜日の早朝日本に戻ってきます。
去年、初めてハノイに行った時には、オートバイの多さは別にして、少し街から出ると、80年代中頃の南方中国の農村を彷彿とさせられる光景にふと懐かしささえ覚え、既視感が邪魔になってハノイをあまり感じることが出来ませんでした。が、今回は「一月生」、「四月入学予定者」と、それに彼等の父兄とも会いますし、卒業予定者のうちでも、何人か私たちが会って話をしておいた方がいいと思われる学生の父兄にも会います。話しながら、学校側の考えをわかってもらえるように努力しなければならないと思っています。
来日したばかりの頃は、少しでもアルバイトがあると、入ってきたお金を、直ぐに使ってしまっていたベトナム人学生(アルバイトの収入があるといっても、日本であったら、生活するのがやっとくらいのものです)。何と言っても若くて経験も知識もありませんし、自由になった、何をやってもいいのだ、金もあるし…となってしまうのでしょう。ただそれをベトナムに送れば、親の収入よりもずっと多かったということにもなりかねず、そうなると、急に風呂敷を拡げてしまう親御さんも出てこないわけではないようなのです。
日本にいてアルバイトに、学校での勉強にと頑張っている学生なら、一年ほども経てば、自分がやりたいことを勉強するためにはどうしなければならないかが見えてくるはずです。学校に毎日来ている学生には、折に触れ、授業や課外活動の時などに、そういう方面の知識などを増やすための工夫もしてありますから。
本当に、そうなのです。日本語がわからない人には、たとえ二年日本に滞在していようと、専門学校の二年をそれにプラスして四年日本に滞在していようと、日本のことが全くわかっていないのです。「私は日本に四年いた」なんて噴いているようですけれども。一番怖いのはそういう人の日本観、日本でのやり方(日本人から見れば、狡いし、卑しいとしか感じられないものなのですが)を真に受ける、素質的には、同質なのでしょう、おそらく。そういう彼等と同質の学生達がまだいるということです。目先の利益でコロコロ転がっていく方が、頭がいい、すごいと感じてしまうようなのです。
これも、日本に来る理由、勉強というのが、彼等の頭の中で、あまり大きなウェートを占めていないからかもしれません。
日々是好日