日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

良いお年をお迎えください

2012-12-26 12:59:56 | 日本語の授業
今年も1年が終わろうとしています。
本当に駆け足で時間が過ぎていき、
怖いくらいです。

このブログも来年7日までお休みさせていただきます。
この1年間、どうもありがとうございました。

皆さん、良いお年をお迎えください。

                     






「今日の夕方の便で、ベトナムに行ってきます。戻ってくるのは三日後、土曜日の早朝です」。

2012-12-19 10:33:00 | 日本語の授業
 晴れ。但し、冬になってしまいました。昨日は「タンポポ(蒲公英)」が咲いていてもおかしくないようなお天気だったのに、一転して今日は真冬です。晴れていても、いや、晴れているからこそ冷たい風が肌を刺して感じられるのでしょう。体温がみんな持って行かれるような感じです。

 そうたとえますと、北国から来た学生達は、「まだ最低気温が2度とか3度とかでしょ(それなのに風が肌を刺すようだなんて、よく言う)。」と言います。けれども、「体感温度では」と聞きますと、「自分たちの所は乾燥しているから、陽さえ出ていればそれほど寒くない」と言います。つまり日本の方が(同じ温度でも)寒く感じられるというのには同意してくれているのです。

 さて、昨日は冬休み第一日目。静かに過ぎていくかと思いきや…、午前中からなかなか賑やかでした。ベトナムからの学生が一人…二人…三人…。スリランカからの学生が一人…。約束していた学費や寮費、教科書代などを持って来たのです。大半の学生達の、アルバイトの給料日が15日か、月末なので、給料が入った時に、寮費や教科書代などを払うという約束をしています。その約束を守れる学生(これはお金の有る無しではなくて、ルールを守ることができる学生という意味です)が来たのです。

 「学校のお金を払う」約束をしているのにもかかわらず、すぐに、友達に金を貸してしまいます。その友達というのも、日本語学校や専門学校の学生で、その学校では取り立てが厳しいからという理由のようです。

 一生懸命アルバイトしているからと、この学校のように学生達を気の毒に思い、あまりせっついたりしていないと、直ぐにあちらの方へお金は流れていきます。払わなければならないものを払った上で、余裕があるならどうしようと、その人の勝手であることは勿論なのですが、親切な学校の方が割を食ってしまうのはどうしても腹が立ちます。きっとそういう学生たちは、こっちの方が甘いからと踏んでやっているのでしょう。しかも二度そして三度と約束を反故にし、友達に貸したとか甥の誕生祝いに五万円送ったとか言います。

 私たちも、彼等の懐具合はわからないわけでもないし、また彼らの国の状況もわからないでもない。けれども日本に来て一年を過ぎれば、母国にいた時のようなことをしていれば、にっちもさっちもいかなくなるのは目に見えていること…。そればかりではなく、日本人の信用を失うということがわかってもいいはず…なのに。

 この「温情主義(語弊はあるかもしれませんが)」というのも、実は、本当は、彼等のためになってはいないのです。一つは場当たり的になってしまうと言うこと。もう一つは、本当はお金のことを言いたくないのです、日本人は。だから払わなければならなければ、借りている者の方が、貸してくれている人の気持ちを汲み、きちんと約束通りの日にちに返しますし、もしそれができなければ、その約束の日にちの前に、詫びを入れにいきます、借りている人の方が。貸してくれている人や待ってくれた人に、それ以上の迷惑を掛けない、掛けてはならないというのが、日本人の習慣なのです。それがわからなくなり、日本でも彼らの国と同じようになあなあにしてしまえばいいと思い込んでしまう。

 日本人同士であれば、それによってどうこうなるということは、普通は考えずに済みます。借りている方が、迷惑を掛けているとか、これ以上の迷惑を掛けないようにしようと思っているはずですから。
 それにお金を借りるにしても、大きな額であれば銀行などの金融機関から借ります。個人に借りて、その人に「債」を作りたくないからです。

 けれども、そういう習慣がない(多くは第三世界、途上国に多いのですが)の人達は、きちんと払わなければ利子が付くとか、決められた日を過ぎたら退学とか、脅さない限り、平気なのです。もしかしたらこれも、学校に払わなければならないというより、先生に払う…ものだというふうに誤解しているのかもしれません。聞くと、彼らの国でもお金を払わなければ学校に行けないし、やめなければならないと言いますから。

 払わなかったら、(もしかしたら、払えないのではないかと)、つい、いろいろと彼等の身になって考えてしまう、この学校側の「温情」も、それが日本でもすべてに通用すると誤解を与えてしまうと言う意味においては、彼等にとって害になっているのかもしれません(だから今は、嫌なのですけれども、しつこく言うようにしています。そのまま知らん顔して過ごしてやれという気分の人が少なくないのですから)。

 どこへ進学しても、「待ってくれて当然だ」張りに、大威張りで知らん顔をして払わなかったりすれば、催促や督促が数回来て(それでも平気で知らん顔していれば)、退学させられて終わりです。

 とはいえ、日本人の習慣としては、金の催促をするというのは、本当にする方もされる方も不愉快ですから、したくないというのが本当の気持ち。そして、どうして金がないわけではないのに約束通りに払わず、こんなに嫌な思いをさせるのかと、時として学生を恨みたくなったりもします。

 毎日、ペットボトルのジュースやコーヒーなどを飲んだりせずに、お茶で済ましておけばいいのに、そうすれば一ヶ月で教科書代くらい払えるのにと思いもし、口にもするのですが、払わない学生にかぎって、やめようとしません。留学している学生のうち、本当に貧しくてお金が払えないという家はほとんどないというのが実情なのに。

 そうやってブチブチ文句を言っているうちに、スリランカからの新入生が二人、お姉さんに付き添われてやって来ました。このお姉さんというのも、この学校の卒業生で、いろいろな注意事項を述べる上でも、学校のことがわかっていますから、やりやすい。

 そして、「二人とも自分が借りている部屋に住まわせる。慣れるまではその方がいいと思うし、出来るだけはやく、行徳か浦安の辺りに引っ越したい。東西線は東京に出るのに便利だから」と言います。

 というわけで、スリランカからの二人の女子学生は、このお姉さんに任せ、学校側はちょっと楽をさせてもらうことになりました。

 ところで、今日の夕方の便でベトナムへ行き、明日、明後日とハノイに滞在し、明後日の夜中に成田行きの便に乗り、土曜日の早朝日本に戻ってきます。

 去年、初めてハノイに行った時には、オートバイの多さは別にして、少し街から出ると、80年代中頃の南方中国の農村を彷彿とさせられる光景にふと懐かしささえ覚え、既視感が邪魔になってハノイをあまり感じることが出来ませんでした。が、今回は「一月生」、「四月入学予定者」と、それに彼等の父兄とも会いますし、卒業予定者のうちでも、何人か私たちが会って話をしておいた方がいいと思われる学生の父兄にも会います。話しながら、学校側の考えをわかってもらえるように努力しなければならないと思っています。

 来日したばかりの頃は、少しでもアルバイトがあると、入ってきたお金を、直ぐに使ってしまっていたベトナム人学生(アルバイトの収入があるといっても、日本であったら、生活するのがやっとくらいのものです)。何と言っても若くて経験も知識もありませんし、自由になった、何をやってもいいのだ、金もあるし…となってしまうのでしょう。ただそれをベトナムに送れば、親の収入よりもずっと多かったということにもなりかねず、そうなると、急に風呂敷を拡げてしまう親御さんも出てこないわけではないようなのです。

 日本にいてアルバイトに、学校での勉強にと頑張っている学生なら、一年ほども経てば、自分がやりたいことを勉強するためにはどうしなければならないかが見えてくるはずです。学校に毎日来ている学生には、折に触れ、授業や課外活動の時などに、そういう方面の知識などを増やすための工夫もしてありますから。

 本当に、そうなのです。日本語がわからない人には、たとえ二年日本に滞在していようと、専門学校の二年をそれにプラスして四年日本に滞在していようと、日本のことが全くわかっていないのです。「私は日本に四年いた」なんて噴いているようですけれども。一番怖いのはそういう人の日本観、日本でのやり方(日本人から見れば、狡いし、卑しいとしか感じられないものなのですが)を真に受ける、素質的には、同質なのでしょう、おそらく。そういう彼等と同質の学生達がまだいるということです。目先の利益でコロコロ転がっていく方が、頭がいい、すごいと感じてしまうようなのです。

 これも、日本に来る理由、勉強というのが、彼等の頭の中で、あまり大きなウェートを占めていないからかもしれません。

日々是好日

「昨日は、皆で『ディズニーランド』へ行ってきました」。

2012-12-18 09:23:55 | 日本語の授業
 晴れ。
昨日の課外活動、「ディズニーランド」も無事に終わりました。

 集合時に小雨がぱらつき、一瞬、嫌な予感がしたのですが、アーケードの中のクリスマスツリーで騒いでいるうちに、雨も止み、後は二時近くの解散時まで、時折薄日が差し込むほどで、まずまずの「ディズニー日和」でした。

 しかも、天気予報の、「三時頃から、『雨』」というのが響いたのでしょう。クリスマス時には、いつも、押せ押せのムードで、どこへ行くのも長蛇の列でしたのに、ほとんどが待ち時間もそれほどなく、スムーズに乗れました。

 まず、入り口で、学生達のチケットを集めて、教員二人がファストパスを取りに「スプラッシュマウンテン」へ走ります。もどってきた教員は意外そうな面持ちで、「10時半くらいのが取れた…驚き」。

 「ミッキーのフィルハーマジック」も、「イッツ・ア・スモールワールド」も、スイスイと進み、そのまま、「スプラッシュマウンテン」へと流れていきます。ここも待っていると直ぐに学生達の船が出てきて、滝を落ちていきます。

 「怖いのが苦手な人は私たち(教員三名)と一緒に待っていましょう」と言っていたのに、こういうのは初めてという学生が多かったと見えて、「怖い」というのがどうなのかシカとは掴めなかったようです。ニコニコと笑いながら、皆と一緒にのんびりと並んでいたのですが、外に出てきた時に、怖かったアというのが数人いましたから、こちらとしては「やはりな」と言うところ。

 そして、皆と一緒にパレードを横目に見ながら、ゆっくりと歩き、「蒸気船マークトウェイン号」に急ぎます。これも待つほどもなく乗り込め、甲板に立って両眼を眺めながら、解散後にどれに乗ろうかと考えさせて行きます。

 降りても、まだ11時ちょっと過ぎくらい。普通ですと、ここで二時半頃になってしまい、「お腹空いた」の大合唱のうちに、解散となるのですが、まだまだ学生達にも余力があります。

 というわけで、あと二つ、「ジャングルクルーズ」で船に乗り込み、「スペースマウンテン」で目を回し、頭をくらくらさせながら、出てきたところで、ちょうど昼のパレードが始まりかけていましたので、パレードの「ジュビレーション」を見て、解散ということになりました。

 学生達のほとんどは最後までいると言っていましたから、きっと7時半からの「エレクトリカルパレード・ドリーム・ライツ」、そして「スターブライト・クリスマス」も見られたことでしょう。

 学生達とは、別れる時に、「冬休み中も、学校には先生達がいるからね。何かあったら先に電話してから来るように。特に勉強したい人はね」と言っておきましたが、さて、だれかくるでしょうかしらん。

日々是好日

「今日までは、いいお天気だけれども…」。

2012-12-14 08:48:03 | 日本語の授業
 晴れ。「洗濯日和」が続いています。布団干しも盛んなようで、きっと取り込んだ後は猫の天下でしょう。

 子供の頃、我が家でもそうでした。特に、冬や春には、干し終えた布団を少し冷ますために拡げておくと、どこからか猫が戻って来て、その上で寝ているのです。猫馬鹿ですから「ニャン子さんは偉いねえ。よくお布団が取り込まれたのがわかったねえ」などと言って眼を細めてしまうのですが、よくよく考えてみれば、(猫さんは)ちょいと図々しいのではないかとも思えてきます。

 フカフカして、アッタカ~イ布団に、一番に寝る権利があるのはこっちの方だと、言うべきなのでしょう。が、ホンワカとして暖かい布団の上で、幸せそうな顔で寝ている猫を見てしまいますと(私たちの方まで幸せになってしまい)、もう、何も言えなくなってしまうのです。

 本当に、猫は、春冬は暖かい所を、夏は涼しい所を、よく知っています。最近はお天気がよくて、昼間は外を出歩いていてもそれほど寒さを感じないからでしょうか。猫たちが縄張りを歩いている姿を見かけることが多いのです。それも、多分、明日、明後日、明明後日はできなくなるでしょう。明日からお天気が下り坂になるとのことですから。

 さて、学校です。

 昨日は、月曜日に行く「ディズニーランド」の予定について説明がありました。一応、どこへ行くことにしているのかを説明し、食事が摂れる場所、怖い乗り物がある場所などをチェックさせました。

 ベトナムの学生は、カレー類が大の苦手らしく、カレー類が食べられる場所を説明をしていると苦い顔をしています。スリランカの学生にも、日本的なカレーはなかなか受け入れがたいようで、やはり聞きながら、まずそうな顔をしていました。

 東南アジアの料理が食べられそうな場所(中にはラーメンも入っています)やケンタッキーやマクドナルド的な料理が食べられそうな所を聞いた時には、ホッとしているようでしたけれども。

 この「食事」ですねえ。本当にこういう時、「食事」をどうするかというのに、いつも私たちは悩まされています。

 去年、ディズニーシーへ行った時など、「解散」になった途端、帰ってしまう学生が多くて、いったいどういうことなのかと頭を抱え込んでしまったのですけれども、蓋を開けてみると、なんということはない、ベトナム人学生達は、外で、(普段、自分たちが食べたことのない)食事が摂れなかったのです。それで、お腹が空いてみんな帰ってしまった…。すると、そのクラスの学生達は、大半が一つの国から一人という感じだったので、中国人学生以外は、やはり、面白くないからと、これまた帰ってしまった…ということだったのです。

 それで、今回は、一つの国から一人、あるいは二人という場合には、特に、「解散後」、誰達と一緒に行動をとるのか、そして何時頃までいるつもりなのかを、しつこくしつこく聞きました。

 インド圏は、スリランカの学生達三人が頼りになるので、彼等に任せました。「先生、大丈夫。みんな一緒に最後までいるから」と言ってくれたので安心しました。インド圏同士でしたら、食事の問題もそれほどないでしょうし(だいたい味付けも好みも同じでしょうし)。

 ミャンマーから来た学生はベトナム人学生と一緒に行動すると言っていました。

 「Aクラス」の学生達は、自分たち(このクラス)で一緒に行動すると言っていましたから、これも安心です。

 そして、各グループに、「もし、一人ぼっちの学生を見かけたら、声を掛けてね」と言っておきました。何人か、リーダーシップがとれるというか、親切な学生がいますので、(そういう場合でも)きっと、だれかが声を掛けてくれることでしょう。せっかくの今年最後の活動です、一人ぼっちだから帰りたいなどと寂しいことを言わずにすむように手は打っておかねばなりません。

 ただ、予報では、月曜日は、曇り時々小雨とのことなのです。今はお天気だけが気がかりです。

日々是好日

「ネズミとカエル」。

2012-12-13 13:53:41 | 日本語の授業
 今朝は寒さが少し緩んでいるようです。

 「二鼠、藤を噛む」
 「氷苦く 偃鼠が喉を うるほせり」(芭蕉)
 「蟇(ひき)歩く 到り着く辺(へ)も あるごとく」(中村 汀女)

 と、なにやら深刻になっていると、狂歌が浮かんできました。誰の歌でしたか、

 「雨蛙 蓮華に ひょっとのったれば 生き仏とや これも言はまし」
「雨蛙(あまがえる)」の「雨(あま」と、「尼(あま)」を掛け、「あまがえる」を「尼返る(尼の還俗)」に引っかけたもの。

 「ネズミ(鼠)」はともかく、また「カエル(蛙)」は別にしても、「蟇」の顔などというものは、仔細に見れば、決して徒や疎かに描いていいようなものではなく、人間などよりも、余程、厳しく、いかめしく、思わず、畏れ入って、前に這いつくばってしまいそうになるほどです。

 こういう顔を前にして、古人はよくぞ、「蛙の面になんとやら」なんぞと言えたものです。その諧謔精神には、ホトホト感服してしまいます。

 さて、学校です。

 朝、もう少しで9時になるというころ、学校の玄関は急に忙しなくなってきます。この学校には電車で来なければならないという学生は少なく、ほとんどは自転車通学か徒歩通学なのですが、それでも皆時間ぎりぎりにしか来ようとはしません。というわけで、玄関に団子状になってしまいます。

 そういうときにチャイムが鳴りますと、ダダダッダと教室に走り込みながら、「先生、先生、もう学校に入ってた」と叫ぶ輩も出てきます。その時は、「問答無用」と切って返しているのですが、それをあまりに安易に多用してしまいますと、時々しっぺ返しされてしまいます。とはいえ、情けは仇ですからね、この精神で頑張るしかありません。

 昨日、「Aクラス」でのことです。最近、ずっと遅刻が続いていた学生が、珍しく9時前にやって来ました。会う毎に、教師に「おお、早いね」と言われ、その度に恥ずかしそうに「はい、はい」と下を向いて応えていたのが、面白く、蔭で一人で笑っていると、最後にチラッと睨まれてしまいました。

 しかしながら、不思議なもので、今の「Aクラス」レベルであっても(一応、上級の教科書の後半には入っています)、皆、日本語で話がかなりできるようになっていますから、単に言語能力が長けているだけで、これまでお山の大将であった学生はドンドン置いて行かれてしまいます。教室内での勢力図が変わってきているのです。そういう学生はただ、チャチャを入れたり、話を混ぜっ返すくらいしか仲間に入りようがなくなっています。やはり知識をもっていたり、それに基づいた意見を持っている学生の方がズンと強いのです。

 これまでは、ヒアリングが悪かったり、なかなか口が重くてリピートすら出来なかった学生でも、一年半ほども経てば、(日本語で)ある程度の話はできるようになっていますから、今度は、その人の、本来の資質や経験知識などで勝負が出来るようになってきます。こうなると「しめた」もので、「こいつは自分の意見を持っている」と人に気づいてもらえますから、多少、日本語が下手であっても、人はいい加減には扱わなくなります。本当に、ここまでなってくれたら、私たちも一安心なのです。後はその人の力で世の中を渡っていけばいいことですし。

日々是好日

「『やせ我慢』と『意気』」。

2012-12-12 08:57:22 | 日本語の授業
 晴れ。冬なのだから当たり前と言えば当たり前のことなのでしょうけれども…、寒い。

 とはいえ、大平洋側は晴天が続き、日本海側は大雪が続いています。一昨日、どこの局でしたか、チラとテレビを見ていた時に、一昨日は99㎝、昨日は89㎝か86㎝の雪が降ったと、棒グラフで説明がされていました。

 大平洋側なら、節電と言われれば、暖房を切ることも出来ますし、乾燥していますから、できれば、その方がいいくらいなのですが、日本海側でそれをやると直ぐに生命さえ脅かされてしまいます。それなのに、過疎になればなるほど、電気代もガス代も石油代も高くなるという…。

 もちろん、ここにいても、動いていれば、どうにかごまかせるとしても、ジッとしていると、途端に、寒さが這い上がってくるほどなのですが。

 お金がなくて、腹が空いて…その状態で、「寒くないよ」と言うのは「やせ我慢」。で、寒くても、モコモコと厚着したりせずに、素足に下駄でつっぱるのが、「意気」というのでしょうか。ただ年を取ると、突っ張り続けるのにも飽いてきて、所詮無理なことですものと自然体で淡々と生きていけるようになると、「通人」とか言われたりするのでしょうか。

 時々、「黙って、流れる雲を見ていた時の方がいろいろなことをしていたのかな」、それとも、「テレビを見たり、インターネットをいじったりしている今の方がかな」と思うことがあります。

 今は追われるようにテレビを見たり、インターネットから目を離せないような生活をしているのですが、そこで得たような知識も、結局は直ぐに消えていくのです。どちらの方が豊かであったのか、本当に現代人は切ないものです。

日々是好日

「『郷に入っては郷に従え』を守った方がいい…と思うのだけれども…」。

2012-12-11 08:47:29 | 日本語の授業
 晴れ。

 寒い。それなのに、昨日も、一人、素足で学校へ来ている学生を見つけました。

 「(靴下をはくのは)気持ちが悪い」というのが彼女の言い分。

 それがいくら理に適っていなくとも、ふんづかまえて、無理矢理、靴下をはかせるわけにもいきません。で、せいぜい根比べのように、毎日、「冬は寒い。靴下をはかなければもっと寒い。風邪を引くぞ。病院だぞ」と脅していくしかありません。

 とはいえ、これも、結局は、素足で「つっかけ」では、冬は寒い、過ごしづらいということがわからなければ、どうにもならないことなのでしょう。

 そういえば、夏と同じ薄い掛け布団一枚で、日本の冬は寒いと言っている学生もいましたっけ。

 まだ若いのですし、寝る時にエアコンを切るのは、とてもいい習慣だと思うのですが(電気代も高くなります)、それならそれで、対策を考えておかなければ病気になってしまいます。

 今ちょうど、年末のセールで、物が安くなっている頃ですから、ホームセンターでの安売りのチラシを持っていって、「これ一枚でかなり違う、しかも安い」などと教えているのですが、これもまた、(掛け布団を掛けるという習慣すらないところもあるくらいですから)いくら薄くて軽くとも、もう一枚というのが嫌なのです。

 「郷に入っては郷に従え」ということわざ通り、その土地の者が暮らしているようにしていけば、まず無難ではなかろうかと思われるのですが、人間、子供の頃から培われてきた習慣というものは、なかなか変えられないもののようです。

 行動もそうなら、考え方もそうです。

 子供の頃から神童と謳われていても、「二十歳過ぎればただの人」なんてことは、ざらですもの。

 中国にいる時、新聞などで、嫌になるくらいたくさんの「神童発見。これこれの神童はわずか五歳でこんなすごいことができる」なんていう記事を見ていました。一日に何人の神童を発見すれば、この国の人は満足できるのだろうと不思議でならなかったのですが、考えてみれば、記事にするネタがなかったのでしょう。あれも載せてはだめ、これもだめであれば、こういうことしか作れなくなるのもわかります。

 それに「白髪三千丈」の国です。「一」を「百」か「千」、あるいは「万」くらいに言ったとしても、皆それなりに(適当に)話を聞いているでしょうから、気にならないのでしょう(「報道機関がそんなことをしてどうなる」、それを「責任問題だ」なんて言うのは、報道機関にそれなりの自由があり、それ故に責任が生じてくるような国だけです)。

 だいたい、日本のように世界でも治安がよくて有名な国であっても(しかも、小さな国です…)毎日嫌になるくらい、おぞましくて暗いニュースが報道されているのです。本当は、人々の知らないところでどんなことが起こっているのか…それを報道できないのなら、みんなが見て、「さすが、我が国はすばらしい」とうれしくなるようなものを載せた方がい」と、なるのでしょう。

 しかしながら、あの山のような数の神童達は今どうしているのでしょうね。騒がれた分、辛く苦しい毎日を送っているのではないでしょうか。もて囃されたのは一時であっても、それを背負いながら、それ以後の長い人生を歩んで行かなくてはならないのです。本当に大人というものは勝手なものです。

 「褒め殺し」という言葉があります。嫌な相手を、褒めて、褒めて、褒めちぎって、だめにするというやり方です。能力があまりない人間を適当におだてて、やる気にさせて、能力の120%を引き出すのとは違います。

 ないものをどうやって引き出せるのかと思われるかもしれませんが、人間、頑張っているうちに脳細胞は増殖していくようなのです(情報量が増しても処理できるようになると言った方がいいのかもしれませんが)。半年ほども頑張っているうちに、その前には出来なかったこと(たとえば、一日に五つくらいがやっとだった単語の数が、五十ほども楽に覚えられるようになったりするのです)。それに勉強をするのがうれしいという気持ちになれば、(嫌なことなら、10%位しか身につかないでしょうが、楽しんでやるわけですから)100%は身につくようになるでしょう。しかも寝る時にも、成功体験を反芻しながらニコニコして寝入るということにもなるでしょうし。

 本当にそういうやり方が出来ればいいのでしょうけれども、しかしながら見ていると、褒めれば直ぐいい気になってやめてしまう学生が多いのもまた事実のようです。

日々是好日

「『和風庭園』は……みんな同じ。???」

2012-12-10 13:18:43 | 日本語の授業
 寒い朝です。
 明日は、この寒さも少し緩むそうですが。最高気温が10度を切ってしまうと、かなり辛くなってしまいます。

 最近、「『冬至』は、まだだったかしら。もう過ぎたんじゃなかったかしら」ということをよく耳にしているのも、この寒さが原因なのかもしれません。「冬至」を越せば、春が近づくとある者は思い、また、ある者は、この寒さもまだ底を打ってはいないだろうから「冬至」が一刻も早く来んことを願う。

 夏は、これとちょうど真逆で、皆、「暑さ」に草臥れていましたのに、今は「寒いね、ああ、寒いね」が、草野心平の『秋の夜の会話(蛙のうた)』のように呟かれています。

 と、ぼやいているうちに、日が照ってきました。お日様が翳るといけませんが、冬はお天道様が何よりもありがたい。寒いと心まで冷え冷えとしてきますもの。

 さて、先週の金曜日に行ってきた「明治神宮外苑」と「六義園」のことです。二年目の学生、六義園に着くなり、
「あれ、ここ、去年来た…」
「(むっ)あれは小石川後楽園でしょ」
「えっ、違いますか…」。

 日本の庭園は、何があるから別の庭園と区別できるというようなものではなく、結局は、「見立て」の妙であり、「趣」の有無や「味わい」を感じるといったようなもので、それに慣れていない外国人の、しかも学生であってみれば、どこへ行っても同じように感じてしまうというのも無理ないのかもしれません。

 私たちは、「ここは椿の老木が多く、冬の終わりから春にかけては実に美しい」とか、「この庭園の松は、特に雪吊の姿が美しい」とか、それなりに楽しみ方を知っているのですけれども、これをテーマパークのような捉え方をして見たならば、それはがっかりしてしまうでしょう。

 そういえば、一昨年行った中国では、名所旧跡が、金太郎飴のようにテーマパーク化されてしまい、趣がなくなっていました。風化も一つの美であるのに、それを薄っぺらの近代化で包んでしまっていたのです。あの美を作り上げ、それに厳しい審美眼を注ぐことができるような人は、きっと今でもいるでしょうに。そういう人達が、これらの遺跡を守っているわけではないようです。

 名所、旧跡というのは、風土や歴史、由来などから離されてしまえば、ただの「芸術品」になってしまいます。それでも、一応、名所旧跡として生き抜いて行くにはテーマパーク化するよりほかないのでしょう。本来なら、そうさせぬために、現地の人間、そしてそれを保護したい人間達は智慧を絞ってしかるべきでしょうに。それを妨げる何かがあるのかもしれません。

 そういえば、日本でも、同じようなところがありました。ただ、東京の名園はそういう流れからは免れているのが救いでしょうか。

 どこの国、どの民族のものであれ、かつての人々が見出し、造り上げてきた美です。

 かつて、「こういう美があった」ということ、「こういうものに当時の人々は美を感じていたのだ」ということを、しっかりと後世に伝えていかなければならないのです。

 人は、ゼロから何物も造り出すことはできません。新しく出来上がったものといっても、過去の人々の財産の上に立っているだけなのです。

 学生達を見ていても、それぞれの民族が背に負っている「美」に気がつくことがあります。そんな時、はっとするのです。異質な美というのは、それほど人にとって心ときめかせるものなのです。

日々是好日

「『黄葉狩り』と、『紅葉狩り』」。「『強い』という意味」。

2012-12-07 08:28:48 | 日本語の授業
 晴れ。風もなく、絶好の「紅葉狩」日和です。

 今日、「明治神宮外苑」の「イチョウ(公孫樹)並木」を見、それから「六義園」へ行って、紅葉を見る予定です。

 「明治神宮外苑」の「イチョウ並木」が、それなりの姿を留めてくれているといいのですけれども…。午前中、しかも今日のようにお日様の光が強い日には、「イチョウ」の黄葉がそれこそ、黄金色に輝いて見えるのです。それが見られるといいのですが…。

 毎年、ここには学生達を連れて行くのですが、そのシーンに出会えたのは、1度だけ。その時は「おおっ」と、思わず「Vサイン」でしたが、そういう私たちを尻目に、(まさかの時の準備に、地面に散り敷いた黄葉を大いに吹聴していたのが仇をなして)学生の方では、「先生、下が黄色じゃない」とか、「落ち葉の上を歩くと、サクサクッと音がするって言ってたでしょ。先生、音がしない(この時には前夜に雨が降っていたのです)」と不満タラタラ。

 モォウ、何が幸いして、何が不幸を招き出すのやら、全くわからなくなってしまいました。小さな声で「うるさい、うるさい、不満を言うな」と呟いてはいましたけれども。今年は、黄金色の「イチョウ」も、散り敷いた木の葉の「サクサク」も、何も吹聴していませんからね。

 さて、学校です。

 「強さ」の意味についてです。何を以て「強い人」と言うのか、どういう人であれば、日本人は頭を下げ、「あなたは偉い」というのかが、なかなかわからない人がいるのです。

 途上国の人で、政府の援助も得られない、また親が学費や生活費を潤沢に送ってくれるほどの金持ちでも権力者でもない場合、そういう学生が、日本でどう生きていくか。その時、懸命にアルバイトを探しても、アルバイトが見つからず、それで苦しんでいるとします。そういう人を、貧しいからといって、馬鹿にするようなことはありません。

 ただ、「日本語が話せない、聞き取れない状態で日本に来て、望み通りの仕事が見つかると思っていたのか、思っていたとしたら、それはあなたが愚かである。もう、そういうことを繰り返さないために、三ヶ月間は必死になって日本語を勉強せよ。日本語さえある程度出来れば、この近くには工場もあることだし、仕事はないわけではない」くらいのことは言います。これは「当たり前」です。

 ところが、そういう学生でも、母国では中の上くらいの生活は出来ていますから、プライドだけは高くて、「辛い仕事(この辛いという意味は、日本語が出来ないということと、仕事に慣れていないことから来る意味での辛さです)はプライドが傷つけられるから嫌だ」と仕事の選り好みをしている学生には、おそらく大方の日本人は耐えられないと思います。

 そういう学生に、「君は弱いね。どうして我慢できないのか」と言っても、「我慢」の程度が日本人が思っているのとは全く違いますから、「弱い」と言われたことだけに反応してきます。「私は弱くない」と、背高く、力のある様子を示して見せます。

 そういう体格をしているくせに、ちょっと叱られたり、プライドが傷つけられたりすると、プイッと何も言わずに仕事をやめてしまう、そういう人間が弱いのだと、何度も手を変え品を変えして説明しても、理解できないのです。

 頭も悪くないはずなのに、来日後、一年も経っていながら理解できないのかと不思議でたまらないのですが、多分、彼の思想の中には、私たち日本人が言っている意味での「我慢」とか「忍耐」とかいう概念がないのでしょう。「だれかが助けてくれる。自分ほどの者を放っておくはずがない」という選民意識から抜けきれないのです。

 日本人の共通認識として、戦後、アメリカ軍(普通私たちはマッカーサーと言いますが)に占領されていた時期、日本は貧しかった。日本人の皆が貧しかった(こういう時期に金持ちであったというのは決して誇らしいことではありません。その時期の金持ちというのは、一山当てた山師的な「成金」でありましょうし、その「成金」になれるのも、悪いことをした故にでしょうから)。

 その時、才能ある多くの若者が、アメリカの奨学金を得てアメリカに渡りアメリカの大学で学びました。また奨学金が得られなかった人達でも、アメリカに渡り、辛い仕事をしながら金を貯め、多くの技術や知識を習得していました。その人達は、夢の実現のためには、たとえ、その時は惨めなことになろうとも、耐えていたのです。

 これは一過性のことに過ぎない。自分の欲しいもの(技術ないし、知識など)を獲得するためには我慢するのだと、「忍耐」や「我慢」を知っていました。馬鹿にされても罵られても、ジッと耐え、そして学んでいったのです。

 今、この学校に来ている多くの学生達もそうです。あの頃の日本人のようには根性がないにしても、母国ではそこそこの暮らしが出来ていた人達が、言葉のわからぬ国に来て、工場などで働きながら生活費を稼ぎ、そして専門学校や大学へ、大学院へと道をつなげているのです。その基本は「頑張る」ということでしょう。

 嫌なこともあるでしょう、いえ、あるのがは当然です。日本人が日本で働いて、その金で途上国へ行って、遊びながら何かをするのとは違います。それでも、学校に来ている。アルバイトをしても部屋代が払えないこともありますし、光熱費が払えない時もあります。学校では、その人が頑張っていることがわかっている限り、彼等を応援し、待つことにやぶさかではありません。勿論、きちんとお金を払うべき時に払ってくれるのが一番いいには変わりありませんが。

 けれども、それほど働かない。自分が働かないのは他の者が悪いと言わんばかりの態度を取る。どうして我慢できないのか。我慢できないのを日本では弱虫というと言って見せても、私のどこが弱いのかと体格を誇る。本当にここまで行くと異文化と言っていいのかあるいは単なる個人的な性格の問題なのかわからなくなります。ただ言えることは、おそらく彼等の文化的な基盤がそうさせているらしいということだけなのですが。

 とはいえ、今日は絶好の紅葉狩日和。嫌なことは考えないで、行ってきます。

日々是好日

「えっ、ベトナムでもダウンを着ていたの?」

2012-12-06 14:05:09 | 日本語の授業
 曇り。
 
 15度か、それより少し高くなりそうな…という予報。今朝の風も、昨日に比べれば、嘘のような暖かさ。

 とはいえ、日が暮れる頃から、グンと気温が下がるそうです。午後のクラスなど、ちょうど気温の下がる頃に、自転車を飛ばしてアルバイトに出なければならない学生が5,6人いますから、大変です。

 さて、昨日、「BCクラス」の休み時間、突然「ええっ!」という声が聞こえたので、そちらを見てみると、モンゴル国から来ている女子学生が「先生、ベトナムもこんな厚い服を着ると言っています」と訴えてきました。

 彼女の気持ちとしては、嘘を言っている、だったのでしょう。けれども、そう言った男子学生は、
「私のところは北だから、0度になることもあるよ。ホントだよ」。
と、いかにもおかしなことを言うという顔をして言います。

「0度になるの? 本当に? でも、この、今着ている服(ダウンです)を着ていたの? ベトナムでも着ていたの?」
「(私の方を見て)着ます」
「だけど、ベトナムは、あんなに南にあるでしょう…」

 冬の寒いときには、マイナス30度近くになることもあるモンゴル国の学生にとって、あんなに南に位置しているのに、どうして、ダウンを着るのだろうと、今ひとつ理解できないようなのです。

 すると、インドのムンバイから着ている学生が、
「ムンバイでも着ます。暖かいところでも、着る人はいます。ある人は10度でも寒いと感じて、ダウンを着るかもしれません」

 それをじっと聞いていたスリランカの学生、
「私のところは暖かいから…こんな服は着ません。あっ、でも山の方の人は着るかもしれません」

 モンゴル国などは、北の方で、冬は氷に閉ざされ、寒いのが当然…そういう国に住んでいると、赤道直下にある、あるいは、南北回帰線の中にある国の住人が、「寒い」という感覚を持っていたということすら、「意外!あり得ない!」ように感じられたのかもしれません。

日々是好日

「クリスマスのイルミネーション」。

2012-12-05 08:24:30 | 日本語の授業
晴れ。久しぶりに朝焼けを見ました。ずっと一日中暗い日が続いていたような気がしていましたから、うれしい限り。昨日、学校で、クリスマスの飾り付けをしたことが功を奏したのでしょうか(まっ、あり得ないことですけれども)。

 飾り付けはお昼から。「午後のクラス(Eクラス)」の学生達が、すでに五、六人、来ていました。ああでもない、こうでもないと、イルミネーションを飾っていると、遅れてきた学生が、急ぐでもなくそれを見ながら、

「何か手伝うことがありませんか。私も飾りたいです」
「えっ。あなたはイスラムでしょう」
「関係ないです。したいです」
「それどころではありません。もう、授業が始まっています」

 遅れてきて何を言うかとばかりに叱ったのですが、全く動ぜず、それどころか、じっと見ながら、
「エエエッ。だめですかァ。残念です」と言って、未練たっぷりに階段を上がっていきました。

 こういうクリスマスの飾りは、彼らの国ではあまり個人宅でなされるという習慣がないのでしょう。したくてたまらなかったようです。中の学生達も、目が窓から離れない(ちょうどその外でやっていましたから)ので、とうとう、中で授業をしていた先生にシャッターを下ろされてしまいました。

 外にいる私たちにも、そのとき、「嗚呼ァ~」という声やら、「わあっ」という叫び声が聞こえて来ましたから、きっと授業そっちのけで、イルミネーションの飾り付けをしている私たちを見ていたのでしょう。

 授業終了後、早速、外で、いろいろな声が上がっています。中でも、1度、大きな歓声が上がった時には、思わず、外を覗いてしまいました。

「先生、○○さんが、持って帰るって」…もう、困ったものです。
「ちょっと、来なさい。外したの」
「いえいえ、先生。冗談、冗談。でも、きれい、きれい」

 もう街ではかなりの民家でクリスマスのイルミネーションが飾られています。見慣れているはずなのですが…ただ、それが自分たちの学校でも飾られているとなると話は別のようです。我がこととして感じられて、うれしいのでしょう。

 というわけで、飾りを前に、パチリ、あっちでもパチリ。だいたいこういう時、写真家役はスリランカのジャーナリズム志望の学生と決まっています。人好きがすると言うことも関係しているのでしょう。腕がいいだけでなく、頼みやすいようです。

 「3.11」の震災の年は、こういう雰囲気ではありませんでした。日本中が死者を悼み、日本の今後を憂えて、なんともはや、出口のない地下の小部屋にでも閉じこめられているような気分になっていました。その上、少しでも気分転換を図りたいと思っても、それが許されるような雰囲気ではありませんでした。

 今は、それでも、少しずつ前向きになろうとしています。標語がそれほどの重みを持たなくなったということは、問題が個人個人に移っていったということなのかもしれません。

 皆で出来ることと、個人がしなければならないこと。個人個人が心の整理をして、覚悟しておかねばならないことはそれぞれ違う。そんなことが、漠然とではあっても、わかってきたような気がします。

 あの年の暑さもひどいものでしたが、震災で苦しんでいる人がいるからといって、エアコンを停め、救急車で運ばれたお年寄りが何人もいました。日本中が、死者を想い、生き残った人々を気遣い、今の自分の生活と比較し、「快適さは敵だ」みたいになっていました。「とにかく、我慢、何をおいても、我慢」という声が連呼していました。

 それがあまりに度を過ごし、テレビで専門家達が、「病気の方やお年寄りは、暑い時はエアコンを入れて下さい。我慢しなくてもいいのです。我慢できる人が我慢すればいいのです。出来る範囲でいいのですから、無理はしないでください」と、幾度も幾度も言わざるをえないような事態に陥っていました。

 どこの家庭でも、4つあった電球を1つにして電力を節約したり(ここでも計画停電はありましたから)、基本、エアコンは使わないとか、暑くてたまらない時は、公共施設に行って過ごすとか、知恵を絞ったものです。

 今は、「無理はしない。適度なものであったら、楽しんでもいい。いや、こういうことは、いつ、誰の身に起こるかもしれないことだから、楽しめるうちに楽しんでいた方がいい、人に迷惑がかからないものであるならば」というふうに変わってきているような気がします。

 勿論、これは「適度(無理はしない)」と「人様の迷惑にならない」と「皆が楽しめる」とかいう枕がつくことなのですけれども。

 学校のイルミネーションも、日が落ちる頃から、最後の教員が帰るまでの二三時間くらいのものです。それで、異国から来た学生達があんなに喜んでくれるのでしたら、日本人としても、うれしいのです。

 きっと、昨日、彼等が撮った写真は、昨日のあの時点で、彼等のフェイスブックに載せられていることでしょう。

日々是好日

「えっ!『ピーターパン』は、そんなに古い映画なんですか」。「んんんんん…?」。

2012-12-04 14:46:45 | 日本語の授業
 雨。うちを出る時には、止んでいたのに、歩いているうちにだんだん雨脚が強くなり、そして今はまた止んでいます。今朝は昨日ほど寒くはありません。けれども、昨日の今日ですから、どうしても冬の服になってしまいます。

 さて、昨日の『ピーターパン』。勘所を得た笑いというと、少々褒めすぎのような気もしないではないのですが、なぜか「午前クラス(主に卒業生クラス)」と「午後クラス(主に今年の7月生クラス)」が同じようなノリで笑っていました。これを喜ぶべきか…多分喜んでいいのでしょう。わからなくとも笑えると、午前クラスの学生が言っていましたから。

 ところで昨日、日曜日に試験があったからなのでしょうか、出席者が少なかったですね。授業の時も、もう「N1」や「N2」文法の説明に、あまり熱意が感じられないのです。まるで、「終わった…から、もういいや」みたいで。

 午前の「BCクラス」には、今年来た学生が三人ほどいるのですが、彼等くらいでしょうか、まだ勉強が続いているような気がしたのは。勿論、午前の「Dクラス」は、大半が残りますから、勉強への気持ちは続いているようですが。

 とはいえ、映画を見てから、ディズニーについて、ちょっと説明。午後のクラスで、大学を出たばかりの教師が、「私は、この映画を子供の時に何回も見ました。私の母も何度も見ました」と言うと、バングラデシュから来ている学生が驚いて、「そんなに古いのですか」。

 「ウォルト・ディズニーは、もう100年以上も前の人です」と言ったのですが、うまく伝わったかしらん(100年前の人が作った映画ということがピンと来なかったのかもしれません。また、映画がそんなに古くからあったということにも、そして、特に、アニメーションがそんなに古くから完成された域に達していたということにも)。

 ウォルト・ディズニーという人は、1901年生まれですから、覚えやすいのです。亡くなった時のことも覚えています。大人達が話していました。ああ、あの『バンビ』や『シンデレラ』を作った人だと、なぜか(そういう偉い人が)亡くなったことが不思議でなりませんでしたけれど。

 「ディズニーシー」にせよ、「ディズニーランド」にせよ、それらが、(ただ単に遊園地の一つであるというよりも)ウォルト・ディズニーの理想とか夢とかいったものの、具象化されたものであるのだと、(彼等に)言ってもわかってもらえるでしょうか。

日々是好日

「『ピーターパン』映画鑑賞」。

2012-12-03 08:26:31 | 日本語の授業
 曇り。
 土曜日の大風が木の葉を吹き飛ばしてしまったらしく、木々は、全くの、「冬の姿」になっています。

 今年は暑さが、いつまでも続き、秋がなかなか来ないような気がしていたのですが、秋が始まってしまうと、まるで階段を駆け下りて行くような感じで深まっていきました。

 とはいえ、いくつも踊り場があって、静かにひそやかに季節が移ろうというよりも、ガクンと温度が下がって、それが続き、またガクンと下がって冬になる…というような具合だったのですが。

 ということで、今年の秋は、あまり「耳」が活躍する暇がありませんでした。耳を澄まして、秋の虫の音に聞き惚れるどころか、始まった、(声が)大きくなった、いなくなった…でしたもの。季節を愉しむゆとりなんてありませんでしたね。いつの間に、秋が終わってしまったんだろう。もしかしてまだ…秋…?みたいな気がしています、今でも。

 心のゆとりというのを、季節から受け取ることができなかったのです。

 そして、冬。毎年のように、「今年は暖冬である」という言葉を聞き、これに慣れてしまっているのですが、今年はそうはいかないのかもしれません。涼しさを満喫せぬまま寒さに突入した如きでありますから、寒さが余計に応えてしまうのです。

 さて、寒さの中での学校です。

 この暗い朝、「午前クラス」の学生達は、ちゃんと起きて、来る事ができるのでしょうか。おしゃべりが好きな学生は昨日のテストのことを話したくてたまらないでしょうから、きっと時間通りにやってくるでしょう。けれども、昨日もアルバイトがあって帰りが遅くなった学生は、この暗さ、寒さに、目覚ましが鳴っても、また、ついウトウトとなってしまっているのかもしれません。

「起きたら、11時だった…」というのを聞くのも、だいたいこんなお天気の日。

 それを見越して(というわけでもありませんが)、今日、11時から『ピーターパン』の映画を見ます。これも、17日にディズニーランドへ行くための予行練習なのです。

 こういう学校に来ている学生達の中には、ディズニーに親しんでいない人も少なくないのです。また最近の映画こそ見てはいるものの、所謂ディズニーの「古典」ともいうべき『シンデレラ』や『バンビ』、『ピーターパン』『眠りの森の美女』『ダンボ』などに関する知識がゼロに近いという人もかなりいるのです。

 説明は20分ほど、後は映画鑑賞です。午前は三クラスあり、レベルがかなり違うので、説明がちょっと大変なのですが、必要なこと以外は、「聞き取れればよし、聞き取れずともまたよし」というくらいの気持ちで、やるしかないですね。

 大切なのは映像に親しむこと。彼等にとっては、こういうものは単調に過ぎるのかもしれませんが、社会現象にもよく使われる「ピーターパン」とか「シンデレラ」とかいう名前を映画を通して知っておくことも必要でしょう、特に卒業生は。

日々是好日