小雨。
朝は、突破出来ぬほどの降りではなく、そのまま自転車でやって来ました。今日は本格的な雨になるらしく、そうなれば本当に久方ぶりの雨になります。
この冬は雨が少なかった…降る、降るというので、ちゃんと降ってくれるのかと思っていると、パラパラ…あとは音無し。そういう日が続きました。降っているのかどうなのか、ほとんど雨とは感じられないほどの降りでしたし。もちろん、家を出る時は降っていない方が助かります。とはいえ、それで、水不足になってしまいますと、それはそれで大変です。
そう言えば、梅雨時に雨が降らずに水不足になったり、そうかと思えば、夏にシトシトと雨が降り続き、日照不足で野菜が高騰したり、生き物はお日様と雨に振り回されてしまいます、これも宿命ですね、この星に生まれた以上。
いくらそれが不満であるからと言って、あっちこっちの雲を掻き集めてきたり、雨雲を蹴散らしたりすれば、きっとどこかで仕返しされてしまいます。
お天道様に任せて、祈るしかないというのは、ある意味、先人達の偉大なる知恵であったのかもしれません。目先のことで科学を利用しようとしてしまいがちな、我々中途半端な現代人なんて、つまらないものです。
さて、学校です。
同じクラスでもかなり学力に差が出てきました。1年も経ちますと、いくら素質がありましても、そうそう簡単に挽回出来ないくらいになってしまいます。
「漢字圏」の学生は、「読めるからいい」になりがちですし、「非漢字圏」の学生は、「話せるからいい」となる傾向にあります。
「漢字圏」の学生の「読めるからいい」は、だいたい漢字を拾い読するだけのことですし、「非漢字圏」の学生の「話せる」は、アルバイト先での会話(飲食店などの客との応対)のこと。
「N3」の教材も終わりかけてきますと、彼等の日常会話ではほとんど出てこないような文型や単語が出てきますから、勉強しなければ、覚えられません。困るのは、そういう日本語があるというより、そういう日本語は役に立たないと思っていること。
日本語学校の留学生たちの日本語の環境たるや、悲惨なものです。日本人との付き合いなんて、アルバイト先でのことに限られがちです。そこで使われていれば(聞いたことがあれば)役に立つ言葉、そうでなければ、無意味と思ってしまうのです。
以前、学校で習う単語は日本人が使わない言葉ばかり。だから勉強しないと言わんばかりのことを言われたことがありました。
これは、彼等の国でも、同じだと言うことが、なかなか判らない人もいるのです。「どういうことを知っておかねばならないか、どういう話が聞き取れなければならないか、話せなければならないか」は、外国人にとっては、現在いる国で、将来、どういう仕事をしたいかと関係してきます。
そのために何を学ばねばならないかに繋がってくるのです。もし、飲食店のホールや賄いなどの基本的な作業でいいのでしたら、それなりの単語や言い方がわかればいいだけのこと。非漢字圏の大半の国出身の人でしたら、半年あれば十分でしょう。ひらがながわかればメモくらいは取れます。
けれども、日本の普通の会社に入って、日本人と同じように会議に参加し、意見を述べ、それなりの仕事を任されるようになるためには、漢字も書けなければなりませんし、初級文法で終わっては、相手が何を言っているか全くわからないでしょう。
そういう学生達には、10年後の自分を思い描くように言っています。今の仕事を続けたいのなら、その仕事でより深い信頼を受けられるように学んでいくべきだし、それ以外の仕事なら、その仕事で必要とされるものが理解出来るレベルにまでいくべきです。
日本語能力試験の「N1」レベルというのはある意味、基本なのです。それから発展して自分の欲しい知識が得られるようになるための基本の日本語なのです。
日々是好日