日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「学校は、来週の月曜日から、休みに入ります。次は1月の6日です」

2013-12-27 08:17:52 | 日本語の授業
 小雨。もうすぐ止むでしょう。

 昨日は学校の大掃除の日でした。事前に学生達に通告しておいた故にか、誰も来ませんでした…やはりね。

 けれども、全職員のおかげで、教室もきれいになり、何もかもきれいになり、学生達も新学期から、また新たな気分で頑張れることでしょう。来年は「午年(馬)」でもありますし。

 学校も、今日で、今年の活動を終わります。

 今日は、(高校入試を控えた)中学生さんを見て、それから大学入試を目前にした学生の面接の練習をして、それから…それで、終わり。

今年も、いろいろお世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。

日々是好日
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「卒業生が遊びに来てくれました」。「面接の手伝いをしてもらうつもりだったのに…いつの間にか…」。

2013-12-26 08:43:48 | 日本語の授業
 曇り。10度から5度との予報ですが、陽が出ないからでしょう、とても寒い。体感温度としては、零下の世界…。

 さて、今日は、学校の「大掃除」の日です。

 実は12月に入って数日経っていたでしょうか、卒業生から「学校へ会いに行きたい」との電話がありました。最初にそれを受けた私、「ふむふむ。26日は、大掃除である」と言いますと、「困ったなあ。そんなことを言われると、その日に行かなければならないみたいじゃないですか」と一応は言って見せた卒業生。(日本語学校の)授業がある間は忙しいので、休みに入ってからまた電話すると言っていたので、待っていると、数日後の電話ではしっかりと、「(前日の)25日の午後に行く」と言っていたそうです。

 そして、昨日のこと。
クリスマスだからでしょう、「イチゴ(苺)」のケーキを持って来てくれました。それから、「ミカン狩り」に二人で行ったとのことで、一昨日ちぎったばかりという「ミカン(蜜柑)」も携えていました(「早く食べて。一昨日取ったばかりだから」と急かすのです)。

 彼女達が来た時には、ちょうど、来日したばかりという「1月生」が一人、学校に手続きに来ていた時で、ついでに二人に紹介させてもらいました。「今、大学生です。卒業生です」と言ってから、少し話してくれましたが、まだ日本語に馴染めていない「1月生」、ただただ彼女らを必死に見つめるばかり。

 彼らが帰った後、早速お昼ご飯です。そして食後のデザートは持って来てくれた「ミカン」。一つずついただいて、今日大掃除に来てもらう先生方にも取っておきます。

 そうしているうちに、大学入試の面接の練習に留学生が一人、高校入試の勉強に中学生が一人、やって来ました。まず、大学入試を控えた二年生に上の教室へ行って待ってもらいます。中学生は下で、先に漢字の練習をします。

 彼女達は遠慮してちょっと途惑っている様子。そこで、「はい、卒業生。手伝ってください」と、上の教室へ誘います。

 彼女達のうち、一人は「経済」を、もう一人は「会計」を専攻しています。受験する学生も「経営」なので、ちょうどいいのです。ちなみに、一人は四年生で、既に日本企業の内定をもらっています。もう一人は三年生でこれからです。

 面接の練習をしていると、さすが、二人とも会計に詳しい。この受験生はインドの大学を出て来日しているのですが、その既習の専門について、「それは言わない方がいい」とか、「そこは強調した方がいい」とかいう案が出されます。「なかなかいいな」と思ってみていると、そのうちに一人が、「私はまだ就活中」と言い始めました。

 そうか、仲が良かったから、同期生だとばかり思っていたけれども、一年ずれていたのだっけ。「ふむふむ」と放っておこうとすると、「私も練習する」と言い出し、彼女まで面接の練習を始めてしまいました。

 「何を言ったらいいのかわからない」と言います。「自己アピールは」。「何もありません」。「ありませんなんてことがあるか」と、つい、以前の口調に戻り、「さあ、資格を取っているか」。「○○を取っている」。すると、そばからもう一人が「それはとても難しい」と説明を加えます。「それなら、自信を持って言えるでしょう」。「…そうか…」。それに一言二言付け加えていきますと、以前の勘を取り戻したのでしょう、早速、紙に書いていこうとします。

 それで、もう一人の卒業生に、「彼女の短所、欠点をずらりと並べて書いていって。そして、それに一つ一つ反論させていけば、彼女も自分が客観的に見えて、書きやすくなる」と頼みます。

 そうしているうちに、もう一人の受験生がやって来ました。卒業生にちょっと挨拶して、それから、練習に参加しようとするのですが、遅すぎましたね。わからないことがあっても、口を挟めないのです。インド人というのは、人に譲らないという「美点」があり、自分の方が上だと思ったら、梃子でも動こうとしません。自分の用事が済むまでは、人に口を挟ませないのです。ということで、このバングラデシュ人は、指を咥えて待つ時間が長くなるということになってしまいました。

 その上、「漢字の練習」が終わった中学生が上に上がってきました。数学の宿題もまだ半分終わっていないとのこと(わからなかったと言います)。それで、ちょっとヒントを与えて、自分でやっていくようにさせます。

 卒業生(大四)が、「はい、これは彼女(大三)の欠点と長所のリスト」と言って、見せに来ます。文法や単語をちょっと付け加え、返します。今度は受験生が「これはどう言ったらいいのか」と聞きます。答えているうちに、中学生が「20にならない」と言い始めます。さすがのインド人も中学生には譲るようで、黙ります。中学生に書いた式を見せてと言っても、皆消したと言います。それで、「間違っても全部消さない。やったところをもう一度見ていく」とか言いながら、もう1度させます。すると遠慮していたバングラデシュの受験生が、さっきの続きを言い始めます。

 さっき間違えたところと同じ所を間違えているから、言った後、必ずノートに書いておく。すぐに書きなさい」と言っているうちに、卒業生が、これでいいかと見せに来ます。あっちを見たりこっちを見たりしているうちに、もう一人、教員が戻ってきました。安心して、中学生は任せます。

 と、さっきのケーキが来ました。すべてを中断させて、みんな、にこにこ顔でケーキに向かいます。でも、ナイフを入れる前に、写真です。卒業生も受験生も皆フェイスブックに載せるのだと言います。二人で撮ったり、三人で撮ったり、こればかりは楽しそうで、いいですね。仲間なのだなあと思います。卒業しても、助け合って生きていってね。これがまず一番の私たちの願いです。

日々是好日
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「自分の能力の程度がわからない…。出来ている気になっている…本当は頑張らなければならないのに…」

2013-12-25 11:58:13 | 日本語の授業
 晴。風もなし。いいお天気です。

 新学期からは、成績に応じてクラスも換わらねばならぬということで、スリランカの学生達には、ちょっとした戸惑いが見られます。学校で、能力による「差」とかを、目に見える形で、されたという経験がないからなのでしょう。

 頭がいいなと思われる学生でも、それで終わり。磨かれていないような気がするのです。おそらくは、これまでそれほど真剣に勉強したことがないのではないか、そういう気がするのです。これは中国人の学生にしても同じ。

 (中国の)大卒の学生が、日本の大学院(国立)に入ったはいいのですが、日本人の院生の読書量に度肝を抜かれたという話を聞いたことが何度もあります。

 留学する前までは、私も、中国人は日本人と同じくらい本を読むのだろうと思っていました。ところが、行ってみると、せいぜい学校で習うくらいのものしか読んでいない…それに、びっくりしたことがあります。それでも「自分は本が好き。よく読む」と言います。

 これは、子どもの頃から、親に買ってもらった本を読んだり、学校の図書館の本を読んだりするのは当たり前のこと。それどころか、県立や都立の図書館などにも普通に行き、育って来た日本人にはあまりわからぬことだと思いますが。

 最近は中国でも本が増えてきているような気がしますが、どこやら、ちょっと「傾向」があるような気がします(私たちから見ると、ちょっと怖い傾向です)。大人が読ませたい本と子どもが読みたい本は違います。またそれを(子どもが、自分が読みたい本が読める。それが出来るだけの、そういう本が潤沢に、周りにある)を、許せる環境にあるかも関係してくるでしょうが。まず、本が身近なところに、ふんだんになければ、手に取ることも出来ませんし、興味が湧くこともないでしょう。

 一方、スリランカの学生達は、「それほど勉強したことがなくてもどうにかなってきたが故に、つまり、どうにもならなくて弱ったという状況を知らぬまま、大人になってしまった人が多いのではないか。だから、勉強をしないのだろう。これでは、負けてしまう…自分にも、そして日本の社会にも」という気がするのです。もちろん、それを許してきたゆったりとした社会、生まれた時から、その人の人生の、半ば以上が決まってしまっている社会(親の仕事とか、身分みたいなもので)、スリランカに、そのままいれば、それはそれで、幸せなのでしょう。

 以前、スリランカの美大を出た人と話していた時、彼女の知識が、好きで、時々美術の本などを読んでいた私に劣る部分が多々あったことに驚いたことがありました。美術の何かを聞いても、「知っている」で、終わるのです。「知っている」以上の、学んだ頃のある人の一家言を求めていたのに、結局はその部分は「なし」でした。

 スリランカの学生で(これは個別面談の時のことですが)、「大学でスポーツを学べるのか」というので、「大学でスポーツを学ぶというのは、『する』だけじゃない」というとキョトンとしています。「『する』だけだったら、クラブとか、教室とかがある。日本人はそこへ行く。ただし、これではビザが下りない」。

 彼は、小中高と、大学の違いなんて、わからないのでしょう(小中高とどうやって勉強してきたのかなという気もしないではないのですが、変に、自分に自信を持っているのです。出来ないのに、自信を持ち続けることが出来るという点では、ちょっと羨ましかったりもするのですが)

 もっとも、最近は彼のような日本人もいないではありません。が、少なくとも、自分のレベルというのは(学校教育の中でのものですが、良きにつけ悪しきにつけ)ある程度、嫌でもわかってしまいます。ところが、スリランカの学生で、これが少しでも自覚できている人は本当に少ないように思うのです。

 能力のある人は、皆のことを馬鹿だと思っているし、本当に「困ったさんだなあ」と思われる人でも、自分が出来ないとは思っていないのです。一人でテストをさせると(クラスですると、すぐに、見るし、見せるし、これでは正当な評価など出来ません。出来ないので、上達させるための「クラス分け」など、夢のまた夢です。みんな「おんなじ」で、天下太平なのですから)、途端に馬脚を現すのですが、「(テストが)おかしい」とばかりの表情をして終わりです。「えっ、本当に自分は出来ないのか。じゃあ、頑張ろう」とはならないのです。…まるで「阿Q」…。

 もっとも、日本人のように、子どもの時からわからされているというのも、考えものですが、自分を少しも客観的に見ることができずに、夢のようなことばかり言われるのも困りもの、傍が、本当に困ります。

 頑張っても、(この面では)自分はこれくらいのものでしかないという意識は、ある意味ではとても大切だと思うのです。頑張ったことがあるから(本人も)わかるのでしょうし、それに、頑張れば、客観的に認めてくれる社会があるということを証明しているのでしょうし。

 頑張ったことがない人、あるいは頑張って、いい成績や結果が得られても、世間でそれが通用しなければ、(幼い思考しかできない時には)無力感に襲われて、もう頑張ろうという気持ちなど萎えはててしまいます。

 中国人の場合は、この意味で、無気力になっている人をよく見ました。それなのに、そんな人が日本へ留学すると、俄然、頑張れるようになるのです。

 直接、大学や大学院に入った場合が、どうなのかはわかりませんが、日本語学校へ入った場合は、なのです。つまり、大学や大学院へ行く前の「準備期間」とでも、言ったほうがいいのでしょうか。

 ここで、日本語を学びながら、「日本」に慣れていくのですが、この時、勉強でも、アルバイトでも、日本語がうまく操れない期間込みで、日本を見ることができるのです。「N2」「N1」へとレベルが上がっていくにつれ、変わっていく人の態度。真面目にやっていれば、待遇も変わっていくし、もっと給料のいいアルバイトに変わることも出来る。そこには、異国で、いわば、「裸一貫」でやり遂げていけるような達成感も、自信も生まれていくことでしょう。

 出自を問わず、日本人の評価というのは、頑張る人には高く、いい加減な人には低く、それが給与という形で現れてくる。ここには、彼らの国で幹部の子であるとか、親戚に後ろ盾とかバックがあるとかいうことは、関係ないのです。すべては、彼の能力による、あるいは働き方によるというのが、新鮮なのでしょう。

 もちろん、親の会社に入るとか、コネで入る人も(日本人の中にも)います。が、その反対に、親とは別の所で働き、自分の力を見せつけたいと言う人もいるのです。コネで入っている人には、普通、どこの会社でも、あまりいい居場所はありません。能力があれば、自分の力では入れるのに、それが出来ない人間だという評価しかもらえないのです。、いい仕事はあまり回してもらえないからでしょう。

 そこに、外国人として生きる術があると思うのですが。

日々是好日
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「『非漢字圏』で、真面目に勉強しない…人は大変…」。

2013-12-24 12:20:20 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日は一日中、寒かった…。一昨日は「冬至」でしたし。今日も寒くなりそうです。なんてったって、11度から3度ですからね。零下の世界はもうすぐ…。もっとも、もし、寒くなかったら、それこそ「異常」なんでしょうけれども。

 さて、学生達です。

 学校では、「漢字圏」の人たちが減って、ほんの数えるほどとなり、大半は「非漢字圏」の人たちとなっています。

 中国人であれば、(母国の)高校まで、勉強嫌いできていても、来日後は(日本の日本語学校では)、他の「非漢字圏」の人たちと一緒ですから、(彼らに比べれば)「出来がよく」見えることもあり、それなりに、自尊心がくすぐられ、楽しく生活できるようでもあるのですが、「非漢字圏」出身で、しかも勉強嫌いとなると、どうにもなりません。中国人の場合の、「漢字」がないのです。つまり、母国では大したことがなくても、ここでは、(インド人やタイ人に比べれば)漢字が判る分、優越感に浸れるのですが。これは、日本人が中国語を勉強しているときでも同じ。大した漢字でなくても書けると、他の「非漢字圏」の人たちから、「すご~い」なんて言ってもらえるのです。

 けれども、「非漢字圏」出身ですからね、その(漢字を学んで育って来た)点がなく、しかも、勉強嫌いで、机にジッと座っているのにも慣れていないとなると、処置なし。私たちとしても対処に困るのです。

 それなのに、これが、彼らの国の人たちには通じない。いえ、この「彼らの国の人たち」というのは、「日本に来たことがないとか、他国で留学したことがないとかいった」人たちではなく、かつては自分達も留学生であったような優秀な人たちに、なのです。

 今、ここで言っているのは、例えば、ベトナムからの人たちのことなのですが。

 大使館勤務のような真面目なベトナム人には、現在、日本に留学している人たちのうち、大半の学生たちの状況が見えていないのです。自分達と同じように向学心に燃えているとしか、思っていないようなのです。

 日本の明治期のような留学生であれば、こういう人たちが自国民のために手を尽くすというのもわかります。けれども、今の留学生達の実態はどうでしょうか。

 もっとも、最近はこの学校でも、現地に行って、しつこく「真面目な学生がほしい。今、来ている学生達は、こんなこんなで、全く勉強しないどころか、授業中に自由に外へ行ってしまう。注意しても、板書している時にスルリと出てしまったりする。どこへ行ったかと思うと、図書室で寝ていたり、家に帰って、ご飯を食べていたりする。これでは、授業が成立しない」などと言い、また「こういう人はこの学校では求めない」と言ったりして、少しずつ、勉強する気がある人たちが入ってきてはいるのですが。

 ただ、本当に「面接」というのは難しい。しかも、日本語がわからない「外国人」を面接するというのは難しい。結局は、間に立って、「ベトナム語と日本語がわかる」人次第と言うことなのでしょう。

 たとえば、その人から、名門大学を出ているという書類が送られ、多分大丈夫だろうということで入れた…ところが、全く勉強しない。「課外活動」の時に、ビールを買ってきて、皆で飲もうとする。叱って、止めても隠れて飲んでいる(中国留学の時、北朝鮮の留学生達がそうでした。昼ご飯の時には、学食の彼らのテーブルの上には、いつも、ビールが「人数+何本か分」並んでいたものでした。

 書類は本物だったのでしょうけれども…どうなのか、本当のところは、わかりません。

 今では、年が長けている人は面接しない限り、大卒でも、書類を送ってきても、申請の手続きをしないと言ってあります。周りの学生達に与えるものが悪いのです。普通、日本では、「昼間っから酒なんて」と言われるものなのですが(花見とか、紅葉狩りとか、誕生日とか、「ハレの日」は特別で、だれも何も言いません)、彼らはこれが守れないのです(母国にいた時と同じことをしようとするのです)。

 それに、来日後は、彼らとても経済的に余裕があるわけではないので、節約して生活しなければならないはず。それなのに、毎日ビールを飲んでおきながら、「学費?お金がない」などと言うのです。「部屋代?お金がない」ですもの。

 もちろん、他の国の学生達も来た当初は、アルバイトもないし、生活が苦しいのは同じです。けれども、だいたい、半年ほどで、部屋代の借りも払えるようになるものなのです。今、寮に住んでいる男子学生は、他にはミャンマー人とスリランカ人ですが、彼らは遅い人でも、半年ほどで借りはなくなっています。

 それに比べ、ベトナムから来た男子学生は、どうも経済的に「だらしい人」が多いようで、自分のこともできない。で、卒業するときに、アタフタとしなければならなくなる。勉強ができれば、安い所へ行けるでしょうが、勉強もできないし、その上、お金もないとなれば、ベトナム人ばかりが集まっている所しか行けないとなってしまいます。

 だいたい、少しばかり国から(お金を)持って来ていても、すぐに「スマホ」を買って、アルバイトもせずに、夜遅くまで、映画ばかり見ていれば、眠くて学校にも行けないし、日本語がわからないのでアルバイトもだめという悪循環に陥ってしまいます。

 しかしながら、彼らの国で「面接」をした時には、ごく普通の若者なのです。ごく普通の若者だから、こうなるのでしょうか。最近は、(私たちの方でも)ベトナムの普通の若者ではだめなのだということが、少しずつ、わかってきましたので、「面接」の時には、強面でいくようにしています。だって、後が大変なのです。教えていくのは、「こちら」なのですから。事務系の人が行って、呼んでくればそれで終わりというわけではありません。

 下手をすると、そういう人が自分のクラスに来て、クラスをかき乱してしまうかもしれないのです。ですから、「こちら」としても必死です。ただ、この学校では、現実に教えている者が会いに行くので、授業の妨げにならない時しか行けない。

 だいたい、そうでしょう。頭数を増やせばいいというわけではない(その分、学費が入るといっても)。現に、教える人間が行くわけですから、勉強する気のない人なんて、ほしいはずがない。「勉強の習慣がないは、わからないと騒ぐは」の人に、(教員は)来てもらっても困るのです。

 そんな人たちが多く来ているということを、ベトナムの大使館の人たちにも知ってほしいのですが。

 日々是好日

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「お金を貯めることができない…学生。」

2013-12-20 17:38:38 | 日本語の授業
 雨。昨日の残りなのでしょう。時折、雨雲が切れて、青空が覗かれるのですが、雨は降り続いています。どうも、あの青空の所が、真上に来ないらしい。来ると止むと思うのですけれども、何事も思うようにはいきません。

 さて、学校です。
昨日は朝から願書書きでした。専門学校の学生が三名、そして大学を目指している学生が四名。書き間違えては、先生に叱られ、またそれを繰り返す。そういう姿を見ていると、本当に素直な学生達だなあとほっとしてしまいます。

 彼らは、大学、専門学校と道こそ違え、もともとは、それなりに真面目な学生達なのです。ただ、ベトナムの学生達は、特に男子学生は、お金を貯めることができないのです。これは、どうしてでしょうね。一人に聞くと、さも心外だと言わんばかりに、

 「先生(この呼びかけ…は、怒っている私をなだめるような感じでした)。ベトナムの男は、今日、五万円手に入ったら、明日はもうないのです(それが、普通です)」

 私が「とんでもない」という目をして睨むと、困ったように、「でも、本当です。ね」と残る二人を見て、同意を求めるのです。女子学生は、「そうです、ほんとうです。だから、男の人はだめです」と言いますし、残るもう一人の男子学生は、これもまた、同じように困った目をして、私を見ます。

 そんなので、ビジネスをやりたいと言っても、できるのかいなと言うところなのですが、本人はケロリとしたもので、「だから、ビジネスを勉強するのです。勉強したら、大丈夫です」というのです。あ~あ。

日々是好日
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「落ち着いて大学で勉強できなかったから、日本へ来た」。

2013-12-19 08:55:16 | 日本語の授業
 小雨。

 昨日、夕方近くから、雨が降り始めました。冷え込んでいたので、雪になるのではないかと戦々恐々…としていたのですが。けれども、結局、雪にはならなかったようで、この雨も直に止むでしょう。今、パラパラといったくらいの小雨ですから。

 大平洋側は、やはり、なかなか雪にはならないのですね。一昨日でしたか、ベトナムから来ている学生に 、「日本は寒いでしょう」と言うと、「いえ、いえ。ベトナムは雪です」という、うれしそうな返事が返ってきて、びっくりしました。

 そういえば、朝のテレビで、中国の昆明市の雪模様が映し出されていましたっけ。寒波は大陸の方ではグッと南下しているのでしょう。日本では、東西に走る列島の骨、山脈に阻まれて、こちら側には至らなかったけれども、日本海側も確かに雪になっていたようですし。

 さて、学校です。

 大学受験を控えた学生達が、休みに入ってから、パラパラとやってきて、「どうして日本へ来たのか」「どうして、日本の大学で学ぼうと思ったのか」などについて、教員と問答しながら、文章化し始めています。

 昨日、来たのは、ミャンマーとバングラデシュの学生。ミャンマーの大学の様子などは、これまでの経験から、ある程度わかっていたのですが(ミャンマーから来ている学生は大卒ばかりだったので、この、受験前の、事前指導を通して、私にも自然にわかってきたのです)、バングラデシュから来た学生で、大学中退者というのは、彼が初めてでしたので、話を聞いていくうちに、少し驚かされるところがありました。

「どうして、大学を中退してきたのか」
「自分は2007年に大学に入った。同期の友達は本来なら、今年卒業のはず。ところが、まだ大学二年生の試験をしている。大学卒業までに、あとどれだけの時間がかかるかわからない。自分は、これではだめだと思い、たくさん勉強したくて、日本へ来た」

 ミャンマーから来た人は、ミャンマーの大学では、きちんとした大学教育を受けられなかったから、「日本で大学に入りたい、そしてきちんと学びたい」(もちろん、初めからこういう人たちばかりではありませんでした。数年前までは、ミャンマーの大卒でも、皆と言っていいほど専門学校に流れてしまっていました)と言います。バングラデシュでもそうなのかもしれません。

 結局は政情不安、社会が不穏だから、若い人が焦るのでしょう。ある人は仕事で、またある人は大学に入れたのに、何も学べないと言って。

 平和でないと、商売もできない、学校にも通えない、だいたい「普通」の生活ができなくなるのです。これが「戦時下」などという最悪の状態でなくとも(他国との戦争は、ある意味では国内が一つになったりしますから、奇妙なことに、不穏の気配が消し飛ばされたりすることがあるのです。日本の戦時下の、自分達と少しでも違うことをしようとする人を「非国民」と言い、排斥しようとした、あの通りのことが起こるのです。皆、同じことを考え、同じことをしなければならないような気分になるし、皆、苦しい生活をしているから、ある意味で、同胞意識が募ったりするのでしょう)、国内で紛争が起きたり、そこまで至らなくとも、政党と政党が政治テロみたいなものを起こしたり、あるいは政党内部で内ゲバがひどくなったりすると、途端に下々の生活がかき乱されてくるのです。

 日本なら、国会議員などが、議場でとっくみあいの喧嘩になるくらいで終わっていても(これも、子ども達に見せられたものではありません。政治の最高権威とか吹聴している人達がやるのですから。全く見られた様ではありません。もっとも、片方だけでできないのが喧嘩。両方に問題があるのでしょうが)、彼らの世界では、即、命にかかわtってしまうのでしょう。これでは落ち着いて学問に励むどころではありません、確かに。

 この意味では、日本は暮らしやすいのです。勉強もしやすいのです。日本人は、その価値がわからないので(あまりにも当たり前なので、その大切さに気がつかないのです。私だってそうです。口では、彼らに大変だねなんて言っていますが、本当のところはどこまでわかっているのか…自分でもわかりません。「当たり前」の世界が、土台から違っているのですから。

 そう言えば、以前、バングラデシュの学生が、「警察はだめだ。悪いことばかりするし、だれも言うことなんか聞かない。何でも軍隊が出なければだめだ。渋滞で、車が動かなくなっている時も、警察が行ったって何にもできない。そんな時は軍隊が行かなければだめだ」って言っていましたっけ。「ええ!縦隊で、軍隊!」と、かなり驚きましたが。

 (日本の)自衛隊は、地震などの災害時に出張ってきて、国民を助けてくれるもの。警察は財布をすられたり、道がわからなかったりした時に助けてくれる所。というふうに、なんとなく思っている大半の日本人にとっては、警察と軍隊は、そりゃあ、驚きです。

 ホントに、日本はこのままで続くのでしょうか。世界各地のいろいろな情報が入ってくるたびに(学生達は、後発国出身がほとんどですから)、少し怖くなる時があるのです。

日々是好日
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「今日は、雪が降るかも…」。「迷ったままの犬で居る(放哉)」。

2013-12-18 11:08:02 | 日本語の授業
 曇りのち雨(か、雪]。寒い。今日の気温は、7度から5度とか。寒いはずです。

 朝から、「都心でも、今晩、雪になるかも。注意してください」が、テレビから流れています。都心は雪に弱いもの…。

 そう言えば、昨日の月は薄雲に隠れがちでありました。

「たったひとりになりきって 夕空」 (放哉)
「なんと丸い月が出たよ 窓」 (放哉)

 尾崎放哉の句というのは、不思議なもので、彼の句集だけを見ていた時には、なんてことはないのです。それが、ふと、何かの折りに心に浮かんでくると、それから後は、もう離れなくなってしまうのです。

「せきをしても 一人」 (放哉)
も、そうでした。それと同じような、
「庭石一つ すゑられて 夕暮れが来る」(放哉)
も、そうでした。

 ただ、放哉や山頭火などの句は、他の国の言葉にしても(翻訳)…わからないでしょうね。そう思います。そのまま…ではだめなのです。日本語は、多分、先人達の努力の賜なのでしょうか、こんな私でも、「翻訳に適した言語」のような気がするくらい、他国の作品を享受できるのですが。

 たとえば、これ、
「迷ったままの 犬で居る」(放哉)

 以前、私が「放哉の句集」を見ている時、中国人の友人に聞かれたことがありました。どんな意味なのかと。その人は「迷」と「犬」と「居」という漢字を見て、興味を持っただけなのでしょうが、困ってしまいました。

 中国の人は「犬」には、「あいつは奴らの犬だ」の時の「犬」のイメージが強く、どうも…難しいのです。おそらく、彼らの現代文化(共産党の政権の下での)に精通していれば、それなりに、他のものに換えて説明できたのでしょうが。

 「犬が道に迷ってそのまま座り込んでいる」だけではだめでしょうね…当たり前のことですけれども。そこに、それを見ている自分、自分の中に彼(犬)を投影させる何者かがいて…、でも、描くとなると、そのままの描写になる…。なんのこっちゃでしたね。

 これらは、「美辞麗句を連ねる」といった「表現」に凝っているわけじゃない(彼らから見れば、「詩」らしくないのです)、「ありのまま」、質朴極まりない、平凡極まりない、言葉の羅列なのです。まるで、「中華料理」と「日本料理」の違いのようで、結局「わかる人にはわかる。感じられる人には感じられる」で、終わるしかないのです。最後には、バンザイ状態になって、「もう、いいよ。これだけの意味なんだから」って、言ってしまいましたけれども。

 だって、こっちが汗だくだくで説明しているのに、それを見て、最後に、「(こんな本を読んで)面白いのか。役に立つのか」なんて言うんですもの。「詩」を読むのは、別に役立てようと思って読むわけじゃない。別に面白くて(意味がある)読んでいるわけじゃない。「詩」などの類は、別に「意味がある」とか「面白い」とか、「役に立つ」とかの理由で読むものじゃないと、むかっ腹を立てて、それでお仕舞い。結局、その詩人と「縁」があるかないかの問題だけなのです。

 ちなみに、放哉の句で好きなものに、
「雀のあたたかさを握る はなしてやる」
が、あります。これだけは、その人にも意味がわかりました。蛇足ですが。

 さて、学校です。

 昨日は、「個人面談」2日目。わけのわからない人が一人。連絡しても来ません。来ると言っていたのに、来ないのです。しかも連絡無しです。それで、教員が電話をし(受けません)、メールを送りますと、「アルバイト中で、来られない」と返事が来ました。おそらく、だれか、他の人(アルバイト先の日本人?)が打ったのでしょうけれども。

 それで、「明日の11時に来るように」とのメールを送ったようなのですが、返事は来なかったとのこと。彼を助けてくれた人が、もう面倒くさがって、どっかへ行ったのかもしれません。

 同じ国の人が増えてくると、選んでいるはずでも、その掌から砂のように、パラパラと洩れて、ちょっと困った人が来てしまいます。その国の人が、(いつも何人もいるので)なにかあったら、彼らに頼めばと油断してしまっているのかもしれません。けれども、本当に「困ったさん」には、困ります。私たちが注意しても、「どうでもいい」と思っているのでしょう。そうか、彼らにとっては、いくら注意しても、そんなことはどうでもいいことなのか…。本当は、日本にいるためには、皆、必要なことなのですけれども…ね。

 自分達の国では、「どうでもよくても」、日本では、「どうでもよくはない」ということが、わからないのです。彼らの、同国人の先輩に言わせても、なぜか聞かない。もしかしたら、スリランカというのは、いろいろな「しきたり」(カーストめいたものとか、あるいは、金が有る無しで態度がでかくなったりするとか)があって…、もちろん、そんなことは私たちにはわかりませんけど。

 ただ、わがままに映るだけです。困った奴らだと思うだけです。(日本人に)思われて、それで仕舞いならいいのですけれども。…でも、仕舞いにはならないでしょうね、きっと。

日々是好日
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「街では既に年越しの品々が…」。

2013-12-17 10:17:02 | 日本語の授業
 このところ、凍てついた空に、くっきりとしたお月様の姿を、毎日のように見ることができて、寒いながらも、まあ、満足しています。冬は、寒さが厳しければ厳しいほど、月の姿が凛として見え、それにつられて、こちらの意識もはっきりとしてくようで、面白いのです。こんなことを言うと、北国の方に叱られてしまいそうですが(南国育ちなものですから、関東の冬でも、応えるのです、いまだに)。

 秋が終わりそうになった頃、
「花皆枯れて あはれをこぼす 草の種」  芭蕉

 そして、冬。雪こそ降らね、寒さが本格的になった頃、かつて山に繁く通っていた時のことを思い出して、
「はっとして 我に返れば 満目の冬 草山を わが歩み居り」 牧水

 山を歩けば、いろいろなものの跡を見ることがありました。
「かたはらに 秋ぐさの花かたるらく ほろびしものは なつかしきかな」 牧水

 人の「思い」というのは、古人の歌の巻を繙けば、それで探し当てられてしまうような気がする時が多いのです。「ああ、そうだった」と。

 これは、おそらく、どの国の民、どの民族の人々の心にも、深く潜んでいるおもいなのでしょう。

 以前、「『砂漠の民には、一人の神』、『草木が生い茂っているような地には、多くの神』がいる」というのを聞いたことがありました。初めて、砂漠らしきところに行った時、どうにも落ち着かず、何もない(本当は、砂や鮮やかな青空があるのです。砂漠の生き物たちが蠢いているのです。それらを見ているのに)ことが、こんなにも人を不安にさせるものかと思ったことがありました。

 そして、その反対に、日本の山(もちろん、気軽に行けるような所です)では、夜を過ごした時、常に何かに見られているような、何かがすぐそばにいるような、そんな気になるのです。

 この違いは、大きいのかもしれません。

 遊牧の民など、あまり人に会うこともないでしょうから、人嫌いになるのかというと、そうでもない。却って、人の波に埋もれている人達の方が、人を嫌って、遠ざけようとする。

 学生達を見て、この人達は一神教を信じているけれども、それで心が満たされているのかなと思うことがあります。だいたいは外来の、それも数百年くらい前に来たばかりの神なのですから。

 もちろん、人によっては、その方がしっくり来るということもあるでしょうが。それが、彼らの地に行ってみると、そうか、神は一人でも別に困らないなと思ったりするのです。自然が日本のように、曖昧であったり、「身近」であったりするのでなく、やはり境がはっきりとしているのです。

 日本など、万葉の昔から、「亡き人に会いたかったら、近くの山に行き、木の下で一夜、過ごせばいい。その人に、きっと会えるから」などと言われるくらい、木々や動物たちは「怖い存在」ではありませんでした。「クマ(熊)」や「イノシシ(猪)」、「オオカミ(狼)」なんぞもいることはいたのです(今は、「ニホンオオカミ」は絶滅したと言われています)が、圧倒的な強き存在というわけではなく、それなりに、自分の居場所を考え、まさかの時の逃げ道さえ確保しておけば、どうにかなったからでしょう。

 クリスマスが近づいてくると、教会を探す人が出てきます(どこの教会でも良いと言うわけでもなく、宗派があるようです)。ムスリムの人達が多かった頃は、モスクのことをよく聞かれたものでしたが、今は、数も少なく、また居ても、親戚が居たりして、困らないのでしょう。

 街では、既にクリスマスを通り越して、年越しの品々が売られているようですが。

日々是好日
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「今日から、『冬休み』です」。

2013-12-16 11:53:54 | 日本語の授業
 晴れ。寒い…。12度から4度の予想です、今日は。昨日は風がなかったのに、今日は北風がビュウビュウという感じ。寒いはずです。「向かい風と闘いながら自転車を漕いできた。(我ながら)すごい」と(自分では)思っていたのに、スーイスーイと私を追い越していく輩が、後から後からやってきます。これは、もしかしたら、風のせいではないのかも…などと、思わず弱気なことを考えてしまいます。

 さて、先週の金曜日は「ディズニー・シー」の日でした。お天気は「快晴」で、よかったのですが、ただ、風がとても強かった…それで、「水のショー」も中止、「蒸気船」も中止、「花火」も中止。

 学生達はちょっと可哀想でしたけれども、クリスマス期間で特別な催しもあったことですし、過ぎてしまえば、またこれはこれで、特別な思い出となることでしょう。

 かつて、大雨と強風に見舞われたことがありました。それでも、「楽しんだ」学生達は、何年ぶりかで会った時に、いつも、「あのときはひどかった」と、まるで、「羨ましいだろう」と言わんばかりに、他の年度卒の学生達に言うのですもの。あの「ひどかった思い出」が、あの学年の結束の「よすが」にでも、なっているかのように。

 ということで、一応、今週の月曜日(今日)から、学生達は「冬休み」に入ります。休みは、来年(2014年)の1月7日(火曜日)までです。

 この期間に何事もないように、休みの注意は各クラスでやっているのですが、さて、ディズニーに紛れて、どこまで覚えていることやら。もっとも、「新入生(10月生)」は今日、明日と「個人面談」をすることになっています。その、注意事項をどこまで理解させることができるやら。かなり、不安…。しかしながら「やる」ということに、意味があるのでしょう、やったあとには、パスポートをなくしたり、財布を落としたり、あるいは警察沙汰もなくなったり、少なくなったりしているようですから。

 そして、「卒業生」たち。1月に入ってから直ぐに「大学入試」があるという学生には、この「冬休み」を利用して、面接やら作文やらの指導をすることにしています。例年のことですが、今年も最後まで忙しくなりそうです。

日々是好日
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「『同じ』と『違う』を理解しながら、生きていく」。「明日は『ディズニーシー』です」。

2013-12-12 08:48:39 | 日本語の授業
 晴れ。雲一つない青空が広がっています。かなり寒い。最高気温12度、最低気温7度の予報が出ていました。

 寒いけれども、きれいですね、この青空は。だれにもやりたくないような、自分だけのものみたいな感じになってしまいます。思わず、「きれい、きれい」と頭を撫でてやりたくなるような気分。もちろん、あの、お空の上に出ることはできないでしょうけれども。

 子どもの時、『ウルトラマン』を見ていて、隊員たちが、宇宙に出動する場面がありました。宇宙は果てもなくどこまでも続き、そして、時々星々が現れるのです、上にも下にも右にも左にも。浮かんでいるのです。頼りになるものは何もないのです、足が地に着いていないのですから。見ているだけで不安で一杯になり、子供心にも、それが「恐怖」に繋がっていくのを感じました。

 それなのに、地上にいて、空を見上げていれば、そんな恐怖心とは無縁でいられるのです。楽しく、美しい空を見ていられるのです。地球に守られているからこそできるのでしょう。この地球に在ることの、幸せ、ありがたさを、もっと深く感じるべきなのでしょうね、私たち、地球上の生物は。

 さて、学校です。

 教員が一人、今月いっぱいでやめることになりました。それで、授業の時に10分ほど各クラスを廻って、挨拶をしてもらうことになりました。

 そして、その前に、学生達には色紙に「送る言葉」を書いてもらっておいたのですが(教員には内緒で)、最近の色紙はすごいですね。以前は色紙本体に凝ることはあっても、それに直に書くという点では皆一緒でした。けれども、昨今の色紙には、色紙とは別にシールがついているのです。そこにそれぞれが言葉を書き入れて、バランスよく貼っていくのです。

 そのシールというのも、「桜の花びら」やら、「動物」のものやら。クラスの人数が多いところはかなり不利で、「桜の花びら」だけ。もっとも、「薄い花びら」と「濃いピンクの花びら」とがありましたから、それだけでも、こっちがいい、あっちがいいと大騒ぎ。

 人数が少ないということで、「動物のもの」が当たったクラスは、如何にもうれしそうに書き込んでいました。「言いたいこと(お礼の言葉)はたくさんあります。もっとください」なんてのもいましたが、それは却下。それでも、「○○君は、サルだ」とか、「私はライオン」「私はゾウ」とか、それだけで、1時間は持ちそうな勢いでした(みんな、みんなで何かを作るとかいうことに、飢えているような気がすることがあるのです。たとえば、みんなでクリスマスの飾りを作るとか、そういう、他愛もないことなのですが)。

 この、色紙に「送る言葉」を書くために、(彼女の挨拶の前日です)、学生達に初めて彼女がやめるということを伝えたのですが、彼女が挨拶に回ってきた時、(彼女に渡そうと)プレゼントを用意していた学生がいました。アルバイトで忙しい中、走ったのでしょう。彼女は本当に喜んでいました。

 学生達にとっても初任の教師というのは別の意味があるようで、教師が初めての学生のことをよく思い出すのと似ているのかも知れません。

 本来ならば、彼らが卒業するまで(そこに)いさせてやるというのが筋なのでしょうが、なかなかそれが通じない相手のようです。相手が教師上がりが主体のところなら、普通はそれを考えてくれるはずだと思うのですが。

 ところで、不幸があって一時(一週間ほど)帰国していた学生が戻って来ました。職員室で、彼女に会った学生が一人、早速、お悔やみの言葉で迎えようとします。「○○さん、ご愁傷様でした」。が、相手には通じません。それでドギマギして、私を見て、「間違っていたのでしょうか…??」目で大丈夫と言います。学生は、彼女の後ろ姿を見ながら、「それから…あと…次に、何と言ったらいいのですか」

 普通、そういう(葬儀の)場所でなかったら、あまり、その不幸に触れた会話はしないものです。相手が触発されて、思い出してしまうのを避けるためなのですが、これは万国共通でしょう。ですから、「『何も』言わなくていい」のです。

 彼は安心して、「そうです。私の国でも、そうです」。

 そうですね。同じ所、そして違う所を一つずつ納得しながら、異国で生活していくのがとても大切。同じ国であったなら、時々その「違う」ところが摩擦の原因になったりするかもしれません。が、異国では、「違う」を前提にしておけば、「腹も立たない」時がかなりあるのです。

 「私はこうなのに、どうしてこんなことをするのだ」とか、「こんなはずなのに、どうしてあんな嫌な言い方をするのだ」とか。枚挙に遑がありません。

 もちろん、同じヒトという種ですから、同じところが多いのも確かです。けれども、乾燥地帯で育って来た人と、湿潤な地で育った人。そして、寒冷な地で育った人と、亜熱帯、熱帯で育って来た人。皆、服から食べ物から、何から何まで風土の影響を受けて培われてきたものがあるのです。その違いが、多分、摩擦を呼ぶのでしょうが。

 それは文化の違い。生まれ育った所が違えば、違うはず。違って当たり前。同じであるはずがない。だってそれが「知恵」だもの。日本という狭い地域で、しかも言語を同じくするもの同士だって、「山の子」と「海の子」とでは、違うもの。

 卒業を控えた学生達が、「同じ」と「違う」を、理性的に感じ取り、うまく生きて行ければいいのですけれども、この日本で。

 それから、明日は皆で、「ディズニーシー」へ行きます。集合時間は、「ディズニーシー」の入口に、朝の8時半です(自転車で行くという学生もいましたけれども、帰りを考えると、やはり電車の方がいい…と思いますけれども)。

日々是好日
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「卒業を控えた学生達に、『何』を教えた方がいいのか」。

2013-12-11 08:51:56 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日、予報通り、雨が降りました。それも、ちょうど午前のクラスの学生達が登校する頃に。

 九時からの授業の、10分くらい前に来た女子学生の顔が濡れていたのです。私は、彼女が遅れまいと、毎日必死に自転車を漕いで来ているのを知っていましたから、「今朝も頑張っているね」で終わっていたのですが、あれも、もしかしたら、(汗ではなく)雨に濡れて、ああなっていたのかもしれません。気がつかなくて悪いことをしました…。

 一階の教室に行った時には、もう、雨音が激しく、聞こえるほどになっていましたから、直ぐにわかったのですが。

 その上、「クラス分け」の試験中には、雷様までお出ましに。「今年最後のお出ましかもしれない」と思いながら聞いていたのですが、昨晩の天気予報によると、今日も日本海側で雷様が出張ってくるところがあるそうな。まだまだ出番は来そうです。

 さて、今年もあと4日(冬休み前です)。この頃が一番悩ましいのです。それは「卒業生クラス」に何を主に持ってくるかということなのです。

 「一番上のクラス」が、漢字に問題のない(中国人で他の民族であった場合、こうは言い切れないところがあります)中国人で、しかも、皆、大学か大学院を目指し、真面目に学校で勉強していた時には、夏目漱石の『こころ』や『坊ちゃん』、また、川端康成の『伊豆の踊子』、清少納言の『枕草子』などの一部分を、授業に取り入れたこともありました。特に中国人の場合は、漢文にも慣れておいてもらわねばということで、「レ点」や「上中下」(「天地」まではいけませんでしたが)、そして和歌や俳句なども、授業の中に入れたことがありました。

 もちろん、形だけといえばそうなのですが、受験シーズンが始まりますと、それぞれの専門を読ませていかなければなりません。面接の準備もしなければなりません。その合間にやるわけで、系統だった指導など、とても無理だったのですが、それでも、その時には、こういう悩みなど感じなかったのです。

 『いろは』から『上級』までを、一年ほどで終われましたし、あとは「常識(環境問題や女性問題、格差や経済問題などの新聞で眼にすることができるようなもの)」を読ませ、DVDで確認させ、あるいは、「20世紀の世界の歴史」(白紙状態で来日している人達が多かったので)を見せたりしていました。

 それから、ある時、中国人は地理的教養(英国はヨーロッパにある程度の知識です)が非常に劣っているということがわかり、それにもう一つ「白地図」に国名を書かせていくという作業を付け加えたりしたこともありました。そうでないと、新聞を読んでも、何もわからないのです。どこの出来事なのかわからないのですから。

 極端な人は「ロシアはどこだ」なんて言っていましたから…彼女は大卒です。「ロシア」という国名を知らないのではなく、知ってはいるものの、どこに存在しているかを知らなかったのです。驚くと、「私はコンピューターを専攻したから、別に知る必要はなかった。関係ない」と言っていましたっけ。インドの学生の、「新聞など読む必要はない。どれも同じだ。知らなければならないことがあったら、だれかが教えてくれる」と同じレベルだったのでしょう。そういえば、中国人も言っていましたっけ。「どの新聞も同じだ。政府の言っていることと同じことしか言わない。見るだけ時間の無駄だ」って)

 中国人の場合、そのほとんどは「読む」ために、知識を入れる(「灌入」ではありません。知らせる、見せるだけです。後は本人の考え次第です)、だったのです。

 ところが、最近は、中国人の数がドンドン少なくなり、この学校にいる学生の大半は、スリランカ人、ベトナム人といった状況になっています。卒業を間近に控え、彼らに「読めんがため」、文法だの単語だのを、それほど(そんなに大したことはできないのですが。なにせ、それほど、それを、必要と思っている学生もいないのです)入れる必要があるのか、これまでと同じように教えていったほうが、やはりいいのか、わたしは、またわからなくなっています。

 この「読めんがため」、「読まんがため」というのは、やはり「読む」ことがそれほど苦手ではない人には、相応しいのでしょうが、彼らの大半は国にいた時も、そんなに「読む」という習慣がなかったという人達なのです。つまり、「読む」ことによって、「知識を得る」という習慣はあまりないのです。嫌がる彼らに、最後の最後まで、首に縄をつけてやらせていくように、「読ませていく」というのは、あまりいいやり方ではないのかもしれません。

 もちろん、常識的に考えれば、「N3」の文法事項くらいは必須ですし、できれば、「N2」レベルの文法、単語、漢字なども、この「日本語学校」でやっておいた方がいいのです。中には、それほどいい教育を受けられないであろうとしか思われるような専門学校に行く人もいるのですから。日本語を勉強できるとしたら、「今、だけだ」みたいな気持ちも、確かに、私たちの中にはあるのです。

 けれども、何にも知らないまま、大学に行ってもいいのか。彼らのこれまでの環境は、日本人が考えているよりも、もっとずっと狭いのです、たとえ、大学を出ていようとも。世界は彼らにとってそれほど身近な存在ではないのです。もとより、どこの国でも、そうではない人はいます。。

 とはいえ、私たちは行こうと思えば、直ぐに飛行機に乗って国外に行くことも、そんなに大変なことではないのです、高校生でも中学生でも。テレビやインターネット、あるいは、身近にいる外国人などを通して知った国に、「よし、来年行こう」と思い、何回か余分にアルバイトをすれば、簡単に行けるのです。日本人にとって外国とは、他の多くの国と比較した場合、とても身近な(直ぐにでも行ける)存在なのです。

 そこ(直ぐに行けること)から来る知識、そこから必要とされる知識は、彼ら(他の国の学生)のものよりずっと多いのです。それを子どもの時から、嫌でも(いろいろな形のテレビ番組などで)見せられ、知らされ、時には覚えさせられたりしているのです。

 他の国の中には、自分達の国が如何に勝っているかを自国民に知らしめんがために、他の国から見れば、価値ゼロに等しいような知識を、子どもの時からたたき込んでいたりしているところもあります。それが、何故にか、日本ではある意味で真空状態になっていて、「これまで」は、何でも(もちろん、何でもではありません。けれども、アジアの他の国に比べれば、「何でも」に非常に近いのです)知ろうと思えば、知ることができたし、国民を啓発することに一生をかけているような人が、学校やらマスコミやら、どこにでもたくさんいて、その人達の力や忠告(「知っておかないと、将来、困るよ」。「日本は島国だからね、世界のいろいろなことを知っておかないと、日本人は生きていけないんだ」)に追い立てられるように、四六時中、そういうものが流れていたり、そう言う本が出版されていたりしていたのです。

 「上のクラス」でも、そう言うことに的を絞った方がいいんじゃないか、今は、ちょっとそちらの方に心が傾いています。

日々是好日

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「聞いてはいけないことを聞いた時、どうしたら…いいのか」。

2013-12-10 08:23:01 | 日本語の授業
 晴れ。今日は昼前から雨になるとの話でしたが、どうでしょう。きれいに晴れています。

 日の出が遅くなった故にか、出勤の頃に、鳥たちが隊列を組んで飛んでいるのを見ることがあります。第一陣、第二陣などは、既に飛び去った後でしょうから、時々隊列が崩れて見えるのも、そのせいなのかもしれません。もしかしたら、寝坊助鳥たちの集団だったりして…。

 さて、学校です。

 上のクラスで、「日本人に、こういう時、どういう言い方をしたらいいのか」という質問が出ることがあります。さすがに、『初級』クラスとは違い、生活に根ざした、具体的な質問が多いのですが、先日もこんな質問をした学生がいました。

 彼は、アルバイト先で、ある同僚に、父君のことを聞いたのだそうです。多分、「何歳なのか」とか、「今どこに住んでいるのか」といった類の、挨拶のようなつもりで聞いたのでしょう。

 その時に、(相手の方に)「父はもう死んだから」と言われたのだそうです。それで、ちょっと躊躇しながらも「(そんなことを聞いて)申し訳ありませんでした」と言うと、「別に構わないよ」と言われ、反対にどういう反応をしていいのかわからなくて困ったのだそうです。

 彼が私に聞いた質問というのは、「こういう時、何と言ったらいいのか」ということと、もし、「申し訳ありません」が相応しくないとするならば、それはどうしてなのかということでした。

 私は「それでいい」と答えたのですが、彼はどうも納得できないようです「日本人は『そんなことは言わなくていい』というふうに言った。だから自分は何か悪いことを言ったにちがいない」と思っているようなのです。

 日本人も、そういう(「死」に関するタブーを犯した)時、無意識にしたことであっても、普通は謝ります。どうしていいかわからずに「困った、困った、どうしよう。相手の人の心を傷つけてしまった」と狼狽え、逃げ出してしまうような、不器用な人も、たまにはいるでしょうが、こんな場合も、(言われた)人は(相手の)人の表情を見ているので、別に、それは、それで、いいのです、改めて何かをしなくても。それで相手にとやかく言うようなことはないのです。だって、心はわかっているのですから。反対に、「困っているな。気にしなくてもいいのに」と慰められるかもしれません。

 もし(彼が)親しい関係であったなら、「ごめんね、知らなかったから」と言うでしょうし、もし、地位や立場が、(自分よりも)上の人であったり、それほど親しい関係でなかったりした場合なら、彼のように「申し訳ありません」ということが多いでしょう。彼の答え方は、間違いではないのです。

 人は「親しい者」を失えば、それは悲しいし、辛い。それを思い起こさせるような場面や言葉に出会えば、その辛さ悲しさが蘇ってくるので、できればそういうことは避けたい。けれども生きている限り、100%避けられるはずもない。それで、その時々の慰めの言葉があり、それに対する返事などというのが決まってくるのでしょう。考えなくていいですから。つまり、(何かあれば張り裂けそうになる、自分の)心に届けなくてもいいのです、

 「形だけ」というのは、こう言う場合「救い」になるのです。「形」通りに慰められ、「形」通りに返事をする。そこには死者に対する身内の深い悲しみも、その身内や死者に対する思いやりも、すべて「取り決め通り」に行われ、身内が改めて(それを契機に)嘆かなくていいようになっているのです。

 その国の人達には、この「取り決め」られた「型」というのがわかっていますから、それに外れたいろいろな行為も、ここを原点にして考えれば、納得できるのです。「型どおり」にできない人を見れば、「ああ、今、心が乱れているのだから、そっとしておこう」であり、「型どおり」にしている人を見れば、「悲しみを殺して、応対してくれている。早く一人にして差し上げよう」というふうに。

 彼ら、留学生が、何となくこの道理に通じてくるのは、もう少し時間がかかるかもしれません。でも、彼は、多分、無理かな…同じ国の人間でもそれが苦手という人はいますから、それは、それで仕方のないこと、別に気にしなくてもいいのですよ。型を覚え、その通りにさえしていれば。

日々是好日
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「国によっては、『年齢の壁』が早く来るのかも…」。

2013-12-09 13:45:34 | 日本語の授業
 今年も余すところ、○○日となりました…学生達の頭には、「勉強は、あと4日だけ」としかないようですが。

 時々、「新学期はいつから始まるのか」というのと、「新入生の勉強はいつから始まるのか」というのが、ごちゃごちゃになってしまう人が出てきます。

 新たに勉強したいという、在日の方からの申し込みがあった場合、「新入生の授業は、○○日から」などと伝えているのですが、それを耳にした在学生、前の方は素通りして、「○○日」だけを腹の中に蓄えてしまい、何かあった時などに、「先生は、○○日から始まると言った」などと言うのです。どうも、人間というものは、自分に都合のいいようにしか聞こえてこないようです。

 これも、もし、新入生の大半が、決められた日までに来られなかった場合、来ている数人だけで始めてしまうわけにもいきませんから、「変更あり」なのですが。

 さて、学校です。

 経済的に問題のない学生達が、早めに専門学校の試験を受けたいと言いに来るようになりました。こういう学生はしっかりしているので、大学を受けてもいいのではないかとも思われるのですが、「勉強がそんなに好きじゃないから、四年は長い」と言うのです。まだ若い彼らの将来を考えてみれば、今の「二年」も「四年」も、大した違いじゃないように思われるのですが、それも、彼らの倍以上を生きてきた私たちだから言えることで、彼らにしてみれば、この「二年」という差はかなり大きいのでしょう。

 ただ、卒業後の「日本での就職」を考えた場合、やはり、この「二年」という差以上の差を、その時に感じることになるかもしれないのです。今はいくら言っても判らないというか、聞こえないようですが。もちろん、自分のお金ですることですから、「勉強は好きじゃない」という人に、「それでも、大学に行け」とは言えません。こちらの方が、納得させられて、黙らざるを得ないのも事実です。

 特に、スリランカの学生達は「自動車の修理」を勉強したいといった、「自動車」にかかわる勉強(「手で」道具を使って何かをするという)をしたいという人が多く、もし、こういった専門で勉強できたら、「四年」であろうとも、がんばれるのでしょうし、きっと「勉強が嫌い」なんてことも言わないのでしょう。

 前に、そういう学生で、専門学校と大学と二つを見に行った人がいました。専門学校は授業がキツキツで、とてもアルバイトなんてやっていられない。で、無理。じゃあ、どうするか。彼は「どうしても、自動車を勉強したい」でしたので、他の専門を選ばずに、大学へ行きました。けれども、大学では「講義」なんてのもある。彼は年齢も他の学生達よりも少し上でしたし、既に家庭を持っていましたから、こういう「知識」の必要性をあまり感じてはいなかったのでしょう。そこへ入ったのも、「自動車に触れるだろう」くらいに思ったからかもしれません。

 つまり、「修理をしたり」といったことは大切だが、その他のことは、講義にしても、「先生が、なんか、言っている」くらいの感覚だったのでしょう。

 それで、大学に入ったものの、結局、「入る前」と「入ってから」とでは…変化なし。

 不思議なことですが、いえ、多分、考えてみれば不思議でも何でもないのでしょうが、こういう国では、「23才を過ぎたら、もう変われない」ようなのです。つまり、こういう人達は、「学ぶ」にも、年齢の壁があるのではないかと思われるのです。

 これは国によっては、「老け込む」のが速いのかもしれませんし…。子どものような好奇心を、いつまでも持てないのかもしれませんし…。だいたい「知識」といった、新しいものを学ぶという気持ちが、ある年を過ぎると薄らぐというか、なくなるのかもしれません。あるいは、持ち続けるという余裕がなくなるのかもしれません(周りの人が、そういう人を尊ぶかというと、必ずしもそうとばかりは言えないようですし…)。。

 中国にいた時、日本語を学びたいという老婦人がいました。その人を見て、ある中国人が、「いい年をして勉強したいなんて言っている」と馬鹿にしているのを見たことがありました。そういう気持ちを持っている人を、「知識分子」といって一段も二段も見下していた時代だったからかもしれません。そういう環境にあったせいか、彼女はとても強引でした。それで、日本人からは煙たがられ、「敬して遠ざく」的に扱わられていたのです。見られていたのです。

 けれども、これは経済的な理由からでもなさそうなのです、学生達はだいたい一様にある程度の経済力のある人達の子弟なのですから。ただ、もうその年になると、「生活」に重きを置くようになるのです。もしかしたら、彼らの国では、時間がゆっくりと流れ(同じことが繰り返され)、新しいものを学ぶとか、古い文化を学ぶ(これも温故知新です)といったことの必要性が、20才くらいで途切れてしまうからかもしれません。

 若いくせに、「出来上がっている」という印象を受ける人が少なくないのです。「これじゃあ、日本に来ても変われないだろうな」と感じさせられる人が多いのです。

 「学ぶ」ということについてくるのは、「変わるということ」。「変わらなければ、身に付けられぬもの」は思いの他に多いのです。しかし、「完成」されている人は、変われないのですす。

 「若い人」や「感性の豊かな人」、「好奇心の旺盛な人」は、「えっ、知らなかった」とか「どうしてそうなりますか」とか、「これは何ですか」と、まず知らなかったこととか、想像もしていなかったことなどに対する気持ちを大らかに出してきます。

 その反対に、「出来上がっている人」は、自分の知りたいこと、学びたいことはこれだけと、自分のかつて知っていた世界から割り出したものしか見ようとしないのです。

 国によっては教育のレベルもかなり違い、また同じ国でも地方と首都とでは受けられる教育の程度もかなり違っていたりする国もあります。…そういう国で、ある程度の年まで過ごしてしまうと、そうなるのも無理からぬことなのかもしれませんが。

 それを考えると、日本人は若いですね。会社に入っても、勉強、勉強。これは、会社の方が、勉強を勧める場合もあれば、自分から不足を感じて学校に通い始める場合もある。子どもができても、忙しさが一段落すると、直ぐに習い事や勉強を始めようとする。

 (日本では)習いたくなるものが、常に目先にちらついている(テレビでも、インターネットでも、またちょっと町に出るだけでも、そんなものがすぐに眼に入ってくる)。こういう気ぜわしい一生を送るというのも考えものかもしれませんが、まだ二十代で「納まりかえっている人」をみると、腹立たしくなるのも事実なのです。それはそれでしょうがないのかもしれません…けれども。

日々是好日
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「頑張っている自分へのご褒美は、『月に一回のアイスクリーム』」。

2013-12-06 08:04:04 | 日本語の授業
 晴れ。6度から18度を行き来するようです。

 同じ「寒い」でも、寒さにはいろいろあるようで、スリランカの新入生。授業中、どうしても毛糸の帽子を取ろうとしない学生がいましたので、聞くと、「耳が寒い」。けれども、授業中、帽子をかぶっているなんてもってのほかと、帽子を取らせます。すると、今度は私が後ろを向いている隙に、コートのフードをかぶってしまいました。

 耳が寒い…か。確かに 末端が冷えますから、耳も冷たくなったでしょうね。しかも彼らにとってはそれは初めてのこと。「おかしい!耳が冷たくなっている」くらいの驚きが含まれていたのかもしれません。

 ただ、彼らが勉強している教室は、東南側で、しかも三階。午前中、一番暖かく、下手をすると、ついウトウトと睡魔に襲われてしまいそうになるくらいなのです。…というわけで、エアコンを入れないことも多くなってしまうのです。入れるか入れないかの攻防戦です。だって、(暖房を)入れると、半数以上が心地よさに船を漕ぎ出してしまうのですもの…。こらこら、勉強にきたんだぞ、です。まったく。

 とはいえ、(入れないということに)かなり激しく抵抗する時があります。
「先生、寒い」
「寒くない」
「寒いです」
「寒くないです。寒いと言うのは気の迷い」
「……?寒い…(なぜか声が小さくなります)」

 で、気の毒なので、一応は入れてやります。ところが、しばらく経つと、窓際(東南)の学生が、コッソリ窓を開けようとしているのが見えるのです。そうなのです。日当たりが好く、その上、小さい教室と来ていますから、直ぐにポカポカになってしまうのです。

 みんな猫だったらよかったのにね。そうしたら、みんなでコックリコックリして、穏やかで平和な気持ちになれたでしょうに。しかも、周りの人も(叩き起こそうとしたりせず)反対にニコニコと微笑みながら見守ってくれたでしょうに。

 さて、1月に新入生が入ってきます。「一月生」はベトナムからの8人の予定ですが、まだ彼らが今、どれくらいのレベルにあるのかはわかりません。前に面接した時の印象では、いつもと同じく、「初級Ⅰ」だろうなとは思いますが。

 おかしなもので、日本にいるベトナム人に聞くと、3か月で、「初級Ⅰ」レベルは直ぐにできるようになると言うのです(大卒だからかもしれませんが)。実際それは事実のようです。特に日本語が苦手な人でない限り。

 けれども、この学校に来る予定のベトナム人の大半は、面接の時に、ほとんどできない。(日本人が話す日本語だから)聞き取りができないというよりも、単語も文法もわからないのです。どうして「N5」に合格できているのかがわからないというくらいに。

 つまり、この学校に来るベトナム人はそういう人(3か月で「初級Ⅰ」が終われる人)は稀だということを、私たちも覚悟しておかねばならないのです。で、『初級Ⅰ』を2回か、三回。そしてそれが終わったら『初級Ⅱ』を数回かやることになるであろうと私たちも、考えて、カリキュラムを立てたり、授業計画を練っておかねばならないのです。

 もちろん、学校には彼らだけではありませんから、「初級Ⅰ」も「初級Ⅱ」も普通の速度でやります。それほど急いでやらない方がいい人達のほうが圧倒的に多いのです。学生の粒が揃っていた時には、力づくで押していっても、彼らはついてこれましたが、今はどうも、無理をさせられないのです。

 それどころか、消化不良の学生達が増えたり、できないと言うことで嫌気がさしてしまう学生も出てきたりするのです(これは、真面目にコツコツとやっているけれども、できない、他の人達よりもできることが少な人というわけで、私たちは、こういう真面目な人達こそ、大切にしなければならないと思うのです)

 ただ、あんなレベルでは日本に来ても、彼らが当てにしているアルバイトはできないだろうと思われます。それで、それを口を酸っぱくして(ベトナムにいる彼らに)言ってきました。ベトナムの学校の先生も言ってくれているのですが、多分、そこにまで考えが至らないようなレベルの学生達が多いのでしょう。日本に来たって、お金が潤沢にあるわけでもないのに(お金が潤沢にあれば、勉強することもできます。けれども、生活などのために、アルバイトをしなければならないのなら、それはできないでしょう)。それに、ベトナムにいる時に、ベトナム人の先生に、ベトナム語で、文法を習っていてもわからないというのであれば、日本に来て、日本人の教師に、日本語で習ったって、わかるわけがないと思うのですが…。

 まあ、これはどこの国だから云々ということもないのですが。

 先日、スリランカから来ていた学生が、「先生はどうしてシンハラ語を勉強しませんか。先生がシンハラ語ができたらよかったのに(便利なのにと言いたかったのでしょう)。勉強してください。こんなにスリランカ人がいるのに(どうも、他の国の学生達のことは見えていないようです。他の国の学生達は、そう言う彼を白い眼で見ていました…)」

 「シンハラ語で勉強したかったら、どうして国で勉強してこないのか。せめて『初級Ⅰ』を終えていたら、来日後は随分楽になっていただろうに。日本語の単語や文法をシンハラ語で理解したいと言うなら、スリランカで基礎をやって来ておくべきだった。日本に来てから、シンハラ語で勉強したいなんて、本末転倒もいいところ」。

 けれども、これは、おそらく、本心でしょう。つい、うっかりと、口が滑ってしまった…だけだったのでしょう。それを、こっぴどく叱られてしまったので、シュンとなってしまっていましたが。

 本当に考え違いをしているスリランカ人とベトナム人。これもこの2国からの留学生が多いので、目立つだけで、数が増えてくればどの国の人も、「母国語で」と言い出すのでしょう。それも、「来日」が目的で、「日本語を勉強する」が目的ではない人が多いからかもしれません。

 以前、ニュージーランドの人を教えた時、変な褒め方をされたことがあります。
「先生は英語ができないから、助かる。日本人は、私を見て、直ぐに英語を使いたがる。けれども、私は日本語を学びたいのであって、英語で話したいのではない。先生とは全部日本語でできるからうれしい」

 もし、母国語で学びたいのなら、彼らの国で彼らの国の先生について、勉強してくるべきでした。そうすれば、母国語で単語の意味も教えてもらえるし、文法も習える。いったい、何のために(彼らの)国に日本語学校があるのか。そこを適当にやっていながら、来日後、意味がわからないから彼らの国の言葉で教えてもらえたらいいのにとなる。後は来日に必要なだけの金が工面できたから来た…では、お寒い限り。何も次が見えてこないのです、日本に来ても。

 勉強が嫌いで、机について30分でもじっとしていることができない(これでは、会社でのデスクワークも無理でしょうね)。だれかが騒ぎ出したら直ぐに一緒に騒ごうとする。そういう人が「勉強するという形」を取って、国を出るのは、土台、無理な話なのです。

 まず、日本語が下手であったら、(ここは日本ですから)アルバイトはありませんし、あっても条件がかなり悪くなります。それは当然なこと(どこの国へ行っても同じでしょう)なのに、それがわからない。「アルバイトがない、ない」と、恨めしがるだけです。

 一応の言語力くらいはつけて来日しないと、大変だと思うのですが、どうしても、それがストンと腹に落ちていかないようです(もしかしたら、自分だけは別だという僥倖めいたものを期待しているのかもしれません。これは中国やベトナムによく見られる「現象」だと思っていたのですが)。

 彼らの国の日本語学校の先生も、(ちゃんと勉強していないと、日本へ行ってから大変だよと)言ってくれているようですが、「N5」とかに合格してしまうと、「やったァ」で、直ぐに勉強とは縁がなくなります。もともと勉強なんてやる気がなかったのでしょうし。しかしながら、本当はそこからが始まりでしょうに。

 「N5」に合格するのは、随分簡単なのでしょう。試験用のものをひたすら暗記するだけで、合格できるようです。この学校に来ている学生でも、高卒の人は合格できていなければ入管が来日を許可してくれませんから、みな合格はしているのですが、実際、試験用のものしか、やっていなかったというのが直ぐにわかります。

 来日のための試験勉強であって、それは日本語の勉強ではなかったのです。去年のスリランカの学生達は、来て直ぐでも皆よく話せていました。それが今年は全滅状態(もちろん、一部はきちんと「初級Ⅰ」の「11課」くらいまではできてましたけれども。「25課」までではないのです、なんとも寂しい限りです)。「十」までくらい覚えてからおいで、「曜日」くらい言えてからおいでと言いたくもなってしまいます。「日本語を学びたい」人に、ここにきてほしいのです。

 母国で、「(N5)の合格」だけを目指して、それだけの対策に終始してほしくないのです。それは本末転倒も甚だしいことです。「合格」だけを言うならば、以前、バングラデシュから来た学生は、「三級」に合格していたのに、「ひらがな」も十分に覚えていませんでした。で、聞くと、2か月、学校に通って試験対策をしただけというのです。絶句してしまいました。が、そういうこともできるのですね。で、私たちは、「N5」や「N4」に合格して来日しても、それをあまり信じていません(実力なのか、単なる来日のための方便なのかわかりませんから)。普通は、来日後は、やはり、「初級Ⅰ」のイロハから始めなければならないだろうなと思います。もちろん、面接して感じるところがあれば、別ですが。

 少なくとも、私たちが彼らをそういうふうに見ていると言うことを、彼ら自身にも知っておいてもらいたいのです。もちろん、皆、日本に行ったら頑張ろうと思って来日を期しているのでしょう。けれども、日本へ来た学生を見ている限り、彼らの国にいた時と同じようなことをしているのです。ベトナムの男子学生であれば、「金がない、金がない」と事務室でも教室でも言っておきながら、毎日ビールを何本も飲んでいるのです(日本のビールは彼らの国のものに比べたら、高いでしょうに)。それをやめたら、一年で10万円は貯まると日本人なら思うでしょう。

 日本人にとっては、「金がない」と言わなければならない状態になることこそが恥ずかしいことであって、そうしないためなら、毎日のビールをやめるくらい何でもないことなのですが。どうも、文化の違いでしょうかしらん。私たちにとっては、金がないなら、なぜそれをやめないのかと、やめられないことの方が不思議なのですがね。

 以前、あるスリランカの学生が、こんなことを言っていました。
「日本では生活が大変だ。けれども、どんなに大変でも、1か月に一回、マクドナルドでアイスクリームを食べることにしている。ね、先生、お金がないけれどもいいでしょう。アルバイトのお金をもらった時に、食べに行くことにしている。いつもは食べないけれども、あれがとても好きだから」

 彼にとっては、頑張っている自分に対する「ご褒美」が、「1か月に1度のアイスクリーム」だったのでしょう。これを聞いた時には、「うん、お金は待つよ。頑張ってね」と思わず、ウルウルとなってしまいました。口に出して、言いませんでしたけれども。

日々是好日
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「『もみぢ狩り』を通して」

2013-12-04 08:56:19 | 日本語の授業
 さて、昨日で、課外活動「もみぢ狩り」も終わり、あとは「ディズニーシー」のみとなりました。

 しかし、「課外活動」はいいですね。午前と午後のクラスの学生達が顔見せできる唯一の機会です。同じ国の者同士であっても、機会がなければ、なんとなく親しくなるなんてことも難しいものです。それ故、午前と午後に分かれていれば、ちょっと話もしづらい。ところが、1日共にいて、一緒に笑い、話したりしてみると、簡単に、すぐに、気心も知れてきます。何と言っても言葉が同じなんですから。

 課外活動の目的というのも、「日本を知るために、学校の外に出る」だけではありません。教室の中だけでは見えないところが見えてくるという点では、「日本」ばかりではなく、(クラスメートを通して)「他の国」のこともそうなのです。

 そして、私たちにとっても、だれがいつも一人でいるかがわかるし、だれが責任感を持って皆の面倒をみてくれるかということもわかる。それに、移動の時などに、「卒業を控えた学生」とは進路のこと、「来日後半年ほども経った学生」とは、勉強の仕方やアルバイトのことなどを話したりもできるのです。

 だいたい、異国に来て、こういう活動に興味を持っていたりする、「好奇心の旺盛な若者」というのは、周りと融和関係を直ぐに築けるものなのです。その点、ベトナムの学生はかなり劣っているようです。「アルバイトで疲れていても、いろいろな所へ行きたい(普通は学校とアルバイトで終わり。何の楽しみも感じられないと思っている、頑張っている学生が多いのです)」とは、思わないようで、なんてことはない、結局は、部屋でダラダラして、メリハリのつかない生活をすることになってしまう。

 どこの国の言葉であっても、言葉というのは、その国の文化、その国の人達が感じる「美」とは切り離せないものです。言語を学びに来ていながら、それをわかろうともしない、それどころか、機会(できるだけ、学校ではそういう機会を多く持たせるようにしています)があってもそれを知ろうとしない。そういうことによる、限界というのが、他の国の人達(とにかく興味をもって見ようとする)よりも、早く来るのは当然のことなのかもしれません。

 こちらが懸命に(それをわからせようと)しても、ある意味ではどうしょうもないなのかもしれません。

 ところで、昨日、集団で騒いでいたスリランカ勢です。

 (騒いでいた時)駅で、ギロッと目を剝いて睨むと、私の眼の危険な光に気がついた二年生が、すぐに「シッ」。こういう行為を通して、外でどういう行動をとったらいいのかもわかっていくのでしょう。何回かこういうことがありました。さすが、二年生。スリランカの学生達は、どういう時に睨まれるかというのが、だいたい解っているようで、新入生が睨まれるような行為をした時に、さっとあたりに眼を配ります。

 課外活動に、参加しない(「アルバイトで疲れているから」というのは、ベトナム人だけに通じる言い訳なのでしょう。勉強するという名目で来日しているわけですし、スリランカ人でもそして中国人でもアルバイトで疲れているのは同じです)ベトナム人は、こういう日本人の機微通じぬまま、多分、この学校を卒業後、専門学校に流れていくということになるのでしょう。

 このまま、大学に入ったら、大変だなと思います。が、まあ、それもそれでしょうがなのでしょう。どこの国にも、その国の人々の限界というものがありますから。もちろん、一応、他の国の学生達と同じようには扱っています。けれども、この国の人達にはそういう「文化の香り、そしてその必要性」というのがわからないのかもしれません。

 教員が(面倒でも)計画を立て、煩わしくとも、引率していく(二年生はいいのですが、来日して直ぐの学生達は、「道一杯に広がる」わ、「友達と大きい声で話す」わで、かなり大変なのです)。そして私はといえば、痛む足を引きずってでも、学校から外に出した方がいいと思っている。

 18才くらいであれば、ベトナムというのはそういう教育しかしていないからそのノリでやってしまうのだろうなと、彼らの国の教育を冷たい眼で見ていればすむのですが、そんな若者だけでもないのです。

 中国人の場合は(高卒の学生です)、来日後一番初めに「課外活動」に連れていく時には、よく「行かなくてもいいか」と聞きに来ます。「アルバイトで疲れていて、寝たいから」というのがその理由です。「だめだ」と言うと、しょうことなしについてくる。ところが、一度一緒に行くと、もう二度と「行かなくてもいいか」なんて言わなくなる。反対に、「今度はいつか。どこに行くのか」などと積極的に聞きに来るようになる…。「だめだ」といわれるのがわかっているのに聞きに来るなんて、高校の時先生にいつも言われていたのだろうなと、思わず微笑んでしまったものですが。

 それでも、言いに来るところがいい。もちろん、初めのころの、普通の大学には行けないようなレベルの学生達が多く来ていた頃は、そんなでもなかったのですが。

 ベトナムの学生は、皆、同じですね。レベルが多少あるからどうのこうのというのではない。ああいう活動の時こそ、「個」というのが色濃く出るものでしょうに、そういうところにあまり来ない、しかもアルバイトもだいたいが「工場」で終始している。となると、こういう学校にいても、ベトナム人は皆「平たく」見え、「同じよう」にしか見えなくなってくる。

 反対に、(私が)授業に行っていないクラスの学生であっても、課外活動に来れば、「個」が見えてきますから、かなり親しみを感じるようになる。「十把一絡げの人」ではなく、きちんと一人の人間として見えてくるのです。

 どうも、ベトナム人には、そこのところがわからないようです。ベトナム人に、こんなことを言いますと、「ベトナムはまだ途上国だから」と言うのですが、ベトナムよりもずっと「GNP」が低い国から来ている学生達もたくさんいましたけれども、彼らの方がずっと色濃く「個」を感じることができました。

 下手をすると、ベトナム人は、海外の人間から「工場で機械のように働くだけで、顔が見えない」人達と言われるかもしれません。もっとも、彼らの行為自体がそう言われるように、わざわざ仕向けているようにしか感じられないところもあるのですが。

日々是好日
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