日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

漢字は難しいけれども、だんだん慣れてきた…?

2016-02-26 16:21:45 | 日本語学校
晴れ。寒い。

さて、学校です。

「年」と「曜日」、「午前」「午後」などの漢字が自然に出てくるようにと、時々、「ディクテーション」とは別に、その前に、「さて、今日は何年、何月何日、何曜日」などと問い、それを書いてもらっているのですが、それが一応できるようになりますと、少しずつ、漢字を増やしていっています(もちろん、簡単な、「お天気はどう?晴れ?曇り?雨?また、寒い?暑い?」などで、「あ~あ」とか、「忘れたァ」などという声を無視して進めていきます。

それで「Cクラス」の面々、もう慣れていたのですが、それに慣れたせいもあるのでしょう。勝手に、我から、「風が強い」とか、「花が咲いた」とか、言う人が出てきたりするのです。で、「はい、それも書きます」。途端に他の学生からブーイング、そしてその学生は「へへへへへ、しまった」。

そうですよねえ。「N5」や「N4」の漢字が書けるようになっても、すぐに新しい「N3」の漢字が始まります。また、「N3」の漢字が終われば、「N2」の漢字も待っています。覚えても覚えても、ハッと気がついたときには前に習った漢字を忘れている。困った、困った、で、みんな「困った」さんになる。

本文を読むときも、その課の難しい漢字は読めるし書けもするのに、「父」を「はは」と読んだり、「春」を「ふゆ」と読んだりする。そのたびに、「はい、『はるなつあきふゆ』を書こう」などと言われる。本当は辟易していると思うのですが、最近、少し違った傾向が出てきたようです。

間違えても、焦ったり、やる気をなくしたりが、なくなって来たようなのです。「忘れた」で、また書いて覚えを自分から進んでやるようになったようなのです。それは、最初は忘れていても、二、三日後に(忘れたであろう頃に)書かせてみると、書けるようになっているのでわかります。こうなると教員はきっかけを与えてやればよく、随分楽になります。

実は、この学校でも、「非漢字圏」の学生が大半を占めるようになってから、どの授業の時でも、教員が漢字を懸命に入れるようにし始めました(初めは試行錯誤だったのですが)。

学生にとっては大変でしょうが、「『N3』漢字」の授業の時は、当然のことながら「N3漢字」を入れていき、「読解」教材の時でも、その課に出てきた漢字を入れるようにしています。だからでしょうね。課が進むごとに、真面目にやっている学生達の「手が慣れて」いくのを感じます。

「N3」課程に入ったばかりの頃は、本当にたくさん」とため息をついていた人たちも、「たくさん」に慣れ、「見たことがある」字が増えていくと、何だか自信がついたような感じになるのです。

もちろん、間違いはたくさんありますし、それも当然のことで、私たちもそれについて文句などは言わないようにしています。

大学に入りたいからと、アルバイトをしながら、そして毎日眠い目をこすりながら学校に来て勉強している。口では厳しいことを言いはしていても、私らにしても内心では「偉いなあ。頑張っているなあ」と思っているのです。

やりたくなくてやっていないのではなく、本当に時間がなくてできないときもあるのです。ただ、そういう学生は、バイトの行き帰り、またバイトの休憩時間などに、ポケットに入れた手帳を見ながら覚えているようです。

それを最近感じました。卒業文集に、今年の卒業生が「日本語で一番難しいのは文法だ。漢字は頑張って書けば覚えられるから大丈夫」と書いてあったのです。

本当にいつの間にこんなに成長したのでしょう。皆、最初は「漢字はいやだ」と言っていましたのに。

日々是好日
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ジンチョウゲ、猫

2016-02-25 08:48:55 | 日本語学校
寒い。晴れ。

また真冬に逆戻りしたような寒さです。学校の「ジンチョウゲ(沈丁花)」も小花が開き始めたなというところで、止まってしまい、いつになったら満開になることやら。

でも、この「ジンチョウゲ」、一階の教室の、窓のすぐ下にあるというのに、学生達は花がついているということにさえ、全く気がついていませんでした。

例文で、たとえば「この」といって、植木の「ジンチョウゲ」を指し、「香りが」と言ったところで、ザワザワザワ…。みんな首を引き延ばすようにして花を見ようとしています。表情を見ると、「あれれ、花がついている…」。まあ、「『ウメ(梅)』の香」と同じで、花が咲いていることに気がつくよりも先に、香りにハッとする(そして花を求める)ほうですから、それはそれでしょうがないのですが。

とはいえ、常に、花を愛でるためにそぞろ歩きをするというわけにはいきませんし、学生達の方でも、授業が終わるとすぐに部屋に戻り、昼食を済ませるとそのまま、アルバイトへと自転車を飛ばすというような生活が続いていますから、季節を味わえという方が無理というもの。

ただ、学生達も動物は好きだそうで、先日、授業で「ネコ(猫)」が出たときに、口々に、「日本の猫は大きい」と言うのです。私は一瞬、子供のときに飼っていた猫のことを思い出し、「いえ、小さい」と答えたのですが、ミャンマーやベトナムの猫はもっと小柄だと言います。

私の頭の中では、比較の対象が、欧米の猫やら、中国の猫やらでしたから、聞いたときには、「えっ、そうなのか」と思いましたが、でもね、ベトナムでは猫を食べるのでしょう、そんなに細くて小さい猫でも食べるの???という気持ちになってしまいました…言いませんでしたけれども…。

みんなで「猫」の話で盛り上がっていますと、一人、いつも何も言えなくて黙っている学生が、このときばかりは私の方をチラチラ見、いかにも何か言いたそうに、ニヤニヤしています。どうしましたかと尋ねると、一言、「猫に触りましたァ」。

聞くと、彼らの部屋の近くに小さな公園があるのですが、そこによく、野良猫が出没するのです。前にそれを話してくれたのは別の学生で、その時も、「かわいい、かわいい」と言っていましたっけ。彼も暇なときにはそこへ行き、ベンチに腰掛けているのだそうですが、行くと猫が寄ってくるらしく、で、「触った」という発言になったのでしょう。

すると、一人の学生が、「日本の猫は逃げない」。…いやいや、そんなことはない。逃げる猫もいる…。けれども、彼らの感覚から行くと、あれでも逃げない部類に入るのでしょう。

教室が下の階であったなら、毎日行き来している猫を見ることもできるのですが、上の階になりますと、それもかなわず、ましてや上の小教室ともなりますと、電線に止まる「スズメ(雀)」の顔さえ拝めません。

けれども、生き物の話をしているときの学生達の顔はいいですね。それが「花」でも「動物」であっても。

日々是好日
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今度卒業する学生が、やはり、最初に、テキパキと手伝ってくれました。

2016-02-24 14:23:14 | 日本語学校
今朝は…寒い。

「立春」を過ぎただの、「雨水」は終わっただの、次は「啓蟄」だ、もうすぐ「春分」が来るなんて、言っていられません。寒い。暖かさが戻っていただけに、この寒さは応えます。

学生達はどうなのでしょうか。また最近、風邪引きさんが目立ちはじめたようですが。

さて、学校です。

卒業を控えた学生達が、ポツリポツリとやって来ます。思えば二年近くを共に過ごした学校と、もう少しでお別れすることになるわけですから、あまり真面目に勉強してこなかった学生でも何かしら感慨はあるでしょうに、などとこちらでは推測したりしているのですが「えっ、私、卒業するの?」くらいの感じでいる人もいるようです。

先日も、朝からドタバタしていたのですが、ちょうどその時、学費の残りを払いに来ていた学生が(卒業を控えています)、いつもと違う動きだとぴーんと来たのでしょう。

「先生、何をしていますか」、やる気ムンムンで聞くのです。もちろん。願ったり叶ったりです。 

軍隊を経験しているというのは、こういうことなのでしょうね。体が軽い。フットワークもいい。階段を駆け上って、テキパキと棚を解体し、まとめ、搬出しやすいような場所におく。これが、あっと言う間に終わり、すぐに戻ってきて、いつもと変わらぬ顔でニコニコしています。

もちろん、彼だけではなく、こういう学生は時々見られるのですが、全くそれができない人の方が多いので、その時は、やはり、「おおっ」となるのです。しかも、いつも通りに手伝ってくれるのですから、こういう人は。

これまでには、こちらが、「はい、そこ持って」と言っても、知らん顔で腕組みして、「えっ。私ですか」という学生もいましたし、オロオロして、手伝いたいけれども、何をどうしていいか判らないから、全く見当違いのことをしてしまうという学生もいました。
 
親掛かりであった生活から、突然、異国に放り込まれた。何でも親にしてもらっていたのに、全部自分でせねばならぬ。国ではいい家にいたから人に指図されたことなんてなかったし、誰もそういうことをさせようとはしなかった。でも、日本ではそんなの、関係ありませんからね。小学校の頃から、金持ちの子だって、貧乏人の子だって、いい家の子だって、一般庶民の子だって、同じように学校で掃除をし、式の準備を手伝い、整備をしたりしていますもの。もっとも、それが判らない留学生も、いるというのも事実ですけれども。

日本で、将来、働こうというのなら、またその前、留学生の時にアルバイトをしようというのなら、お高く構えていてはだめです。やはり日本人と同じように働かなければ。

だから、そういう人は、最初、苦労するでしょうね。自分の中で思っている(母国での社会的な地位から来る)自分と、異国で「素」のままでいる自分との差に戸惑うでしょうね。

どうして、この国の人は自分を大切にしないんだと腹を立てた人だっていたと思います。私たちにとっては同じ。皆同じ学生ですから、そういうような対応しかできませんもの。真面目に勉強していけるかどうか。人に迷惑をかけないで生活することができるかどうか。

もちろん、戸惑うのも最初のうちだけでしょう。毎日学校に来、勉強を続けることができた学生は、変わっていくものです。偉そうな態度だって消えていきますし、やることが判らなかったという学生も、「先生、やることを教えて」と言いに来ますもの。これは「成長」と言っても良いのでしょうね。

皆が皆、自分の力で切り開いていけるようになるといいのですけれども。

日々是好日
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「雨水」から「モモの節句」、そして「啓蟄」へ

2016-02-23 08:36:53 | 日本語学校
昨日、帰宅時には小雨がぱらついていました。今朝も地面が濡れています。曇り。

「雨水」が過ぎた頃の雨の日というのは、しめやかな春雨めいた気分になってきますから不思議です。同じように冷たい雨ですのに。

そして三月に入れば、「桃の節句」、そして「啓蟄」、「春分」と、季節の移りゆく様が目に見えるような形で訪れてきます。
 
「ウメ(梅)」から「モモ(桃)」、そして「サクラ(桜)」へ。春が近づくと、どことなくウキウキした気分になる…、いや、そうなるはずなのですが、事件が起こるとそんな気分も吹っ飛んでしまいます…。しばらく何も起こらないと、それに安住してしまい、急に電話があったりしますと、飛び上がってしまいます。

学生達にはそれが判りませんから、寒さだけが問題です。暖かくなりさえすれば、いいと思っていることでしょう。「日本に来て一番いやなのは、『冬の寒さ』」と言っているくらいですから。もちろん、雪が降れば話は別なのでしょうけれども。

今年に入ってから、2、3分ほど粉雪がぱらついたことがあったけれども、スマホを向けても写ってはいなかった…(それほどの大きさではなかったのでしょうか…まあ、あれを雨と言えば言えないこともないのかもしれませんが…、とはいえ、教室の中から見たときには、確かに白く見えたのです)。もっとも、あれを北国の人に言わせれば、「へっ。あれが雪だって」ということになるのでしょう。

北国の雪は重いのだそうです。そして大きいのだそうです。ハラハラとなんて表現がまどろっこしくなるほどドッド-ッと降ってくるのだそうです、積もるときには。

…というふうに、下界では勝手な理屈をこねているのですが、まだ二月の下旬ですからね。これから雪が降らないとも限らない。…なんて気を持たせるようなことを言ったが最後、毎日、「雪はいつ降りますか」と責められる羽目になる…だから、何にも言いません。今年は暖冬だと言われていましたし、このまま降らない可能性の方が高いのですから。

さて、「テト(ベトナムの旧正月)」で、国に帰っていた連中(一人を除いて、約束の、親兄弟からの「帰して欲しい」というファクスはありませんでしたから、連中でいいのです)。

もともと、それほど勉強に熱心ではなかった学生たちは、故郷に戻って「錦を飾った」くらいの気分で楽しめたでしょうが(戻ってからが大変です。「お金がない、お金がない」と言い始めます)、大学に行きたいとか、勉強する気で来ていた学生達は、つられて帰ったのを後悔しているようです。くらい表情になっているのですぐに判ります。

だって、2週間ですもの。特に「初級」が終わって、「中級」に入ったときにいないのですから、一番大切な時にいないのですから。慣れるのにしばらくかかるでしょうね。もっとも、それに耐えきれない人が多いという感触がありますから、落ちていくかもしれません。

「初級」から「中級」へというのは、「中級」から「上級」へというのよりも、大変なのです。これが中国人ですと、「ホッとする」のでしょうが。非漢字圏の学生にとって、単語を覚え口頭練習するだけの「初級」(初級というのは、あくまで助走なのです。それに過ぎぬのですから)はどうにかなっていても、「中級」の最初にいなければ、何をどう見ていいのかも判りません。追い追い、復習なども入れていきますし、同じところが出てきたときに確認をとったりしますので、それで補充していくしかないでしょう。

前から「帰りたい」と言いにきていた学生は、「学校の許可がなければ帰れない」と思っていたので、そう言って許可を求めていたのでしょうし、帰ることの不利も伝えることができました。その上で帰ったわけで、帰っても「(思っていたほど楽しくはなかった)つまらなかった」と言っていました。しかし、「あっ、安いチケットがあった。テトだから帰ろう。仲間も帰ると言うし、一年間貯めた金もあるし」で、何も考えずに帰った人は大変。

毎年、一人くらいは帰っていましたが、これまで、五、六人も一度に帰るなんてことはありませんでした。しかも帰ったのはベトナム人だけ。もちろん、夏休みや冬休みに許可を得て帰った他国の学生はいましたけれども。

この中に大学へ行きたいと言っていた学生がいましたが、戻ってきてからは授業に参加できないというよりも、授業中、自分は何をどうしたらいいのか判らないような状態になっています。これまでは、母国(ベトナム)で勉強していた分の蓄えで大きな顔をしていられたのかもしれませんが、彼らの国で、中級以上を学んできている人はいませんから、やり方も判らないでしょうね。

余裕があるクラス(4月生、あるいは4月生でも「初級2」から始められた人たち)であったら、復習やらを繰り返すことができますので、時間がかかるにしてもどうにか追いつけるでしょうが、昨年の7月生や10月生ともなりますと、そうはまいりません。時間に余裕がありませんので、休まず一生懸命についてくる学生の方に重点を置き、そこにあわせて授業を進めていくということになります。

その中でも大学に行きたいと頑張っている学生が数人いますので、できれば彼らを、昨年の4月生と一緒にしたい。もちろん、すぐにではありません。今はまだ差がありすぎますから、できれば夏頃までにと考えているのですが(頑張れる者は、上のクラスに入れてやった方が大学が見えてきますので、その方がいいのです)。というわけで、「Eクラス」は時間に余裕がないのです。

毎日来ていても、必死。それが2週間分が空白ですから、どう頑張ればいいのか…。

学校があるときは、休むべきではないのです。彼らにとってお金は日本人以上に大切です。不必要に帰国すれば、交通費以上に「お土産代」やら、「いい顔をし代」などがかかります。オケラになって戻ってきて、そしてすぐに四月から「六ヶ月分の学費」の請求が渡されるわけですから、たまったものではないでしょうね。

勉強するために日本へ来た、その時に借金したというのなら判りますけれども、そんな人は帰ったりしないでしょう。また実際にそういう人は勉強に、アルバイトにと頑張って、帰国なんてしません。

日々是好日
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「留学試験」の申し込み

2016-02-22 13:48:15 | 日本語学校
曇り。

土日は暖かかったのですが、今週は一転して、また寒くなりそうです。とはいえ、やはり春の足音は聞こえていますね。肌に伝わる寒さが違います。

「寒さ」といえば、面白いもので、同じ北国の「モンゴル国」から来ていても、一人はすぐに「暑い」を連発するし、もう一人は(聞くと)「寒い」とボソリと言う。寒さに対する感じ方も、一括りにはできないようです。

さて、学校です。

「日本留学試験」の申し込みがだいたい終わりました。「どんな試験か」とか「N3の漢字が出るか」とか、まだ試験を経験していない学生達は、ちょっと不安げに聞いてきます。でも、答えようがないのです。それに「模試」をして、どのような試験であるかを知るにも早すぎますし。下手に過去問などを見せてしまいますと、それだけでやる気を失ってしまうかもしれません。それで、「大学に行きたい人やいい専門学校に行きたい人は受けた方がいい」としか言えないのです。

本当に「腕試し」なんて言えないのです。本当は(ちょっと)言ってみたい(ような気も、試しでもいいから)するのですけれども。中国人学生であれば、(「ヒアリング」の部分は別にして)「読解」だけであったら、中国語のレベルでかなりできますので、「試してごらん」くらいは言えるのですが。

「N3」の漢字が終わったばかりか、あるいは途中という人たち(「非漢字圏」の学生)にとって、この試験を受けるというのは、本当ならかなり覚悟がいることでしょう。誰だって、「訳の分からない試験」なんて受けたくはないでしょうから。

「漢字圏」の学生であったら、漢字を拾い読みしていってもかなりの点数はとれるので、「拾い読みでも判るんだ」が判るだけでも意味があると思うのですが、「非漢字圏」の学生達はそうはいきません。来日後、長くて一年、短い学生は9ヶ月ほどで試験を受けることになるのですから。

「N5」や「N4」までは、どうにかついてこられても、これは漢字のことですが、「N3」くらいになりますと、前に習った漢字とごっちゃになりはじめたりします。

その上、「N3」の文法は国によっては母語との兼ね合いで、どうにも理解しがたい…人もいるようなのです。語順が逆になっていたりすれば、それだけで、「だれが」「だれに」の関係があやふやなものになってしまいます。それに、それに気をとられすぎると、今度は、新しい文法がよけい判らないものになってしまう…。

ちょうど、そんなこんなでオタオタしている時期に、「留学試験」などがありますと、読みながら何が何だか判らなくなってしまい、一問を何度も何度も読んでしまったり、考え込んでしまったりして時間が足りなくなるということもよくあるようです。もともと、彼らの国の学校教育でもそれほど「読む」が重視されていないようですし。

日本へ来て、「話せ」ではなく、「読め」と言われ、内容などを繰り返し問われますと、それだけでいたたまれないような気持ちになる人もいるようです。

とはいえ、「非漢字圏」の学生で、一生懸命に漢字を覚えようとしている人なら、誰もが通らねばならぬ道ですから、頑張るしかないのです。この試験は、彼らが日本で暮らしていく上での「過渡期(日本語学校卒業後、大学ないし、専門学校へ進み、それから会社就職を目指すという)での一つの出来事」であるに過ぎないのですが、やはりテストはテストですからね、短期的にはショックを受ける人がいたり、模擬テストを受けた段階で「無理」とあきらめたりする人が出てきたりします。

もちろん、一ヶ月後に「日本語能力試験」がありますので、自分のレベルにあったクラスの試験を受け、合格でもすれば慰められるかもしれません。

だからでしょうね。「日本語能力試験」の方はだいたい皆受けたがりますし、喜んで行きたがりますもの。

日々是好日

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学校に来なくていいというのが、…寂しい…。

2016-02-19 08:31:50 | 日本語学校
晴れ。

もうすっかり空は青くなっています。先ほどまで、雲も少し出ていたのですが。

昨日、既に大学に合格している学生が、「答辞」を書いたと言って持って来てくれました。その中に、「学校が休みになって、学校へ行かない日が続いた。これがとても寂しく感じられると同室者と二人で話した」という箇所がありました。

始めの方に、「学校が休みになったので、家にずっといて何もしなかった」というのがあったので、「『ずっと家にいて何もしなかった』はないでしょう。『お互いに、アルバイトが大変で、いつも自分が出るときには彼は寝ているか、行き違いになっていない。だから、最近はあまり話していない』って聞きましたよ」とほのめかしますと、「まあ、それはそうですけれども…」と照れています。

彼の場合は、合格したのが理系の大学。つまり文系の大学に合格した学生よりも、入学時にお金がたくさん要るのです。それで、今、懸命にアルバイトに励まなければならないというわけで、「家にいて、何もすることがない」なんてあり得ないのです。おまけに彼の大学からは、就学前に、「これだけ勉強しておけ」とばかりに、山ほどの宿題が出されています(日本人と同じ問題ですから、非漢字圏の彼にとっては、もうショック、ショック、ショック。ショックの連打を浴びせかけられているようなものです)。それに、そのせいかを問うような、二、三度の小テストも用意されているようで、アルバイトはせねばならぬわ、テストの準備に宿題もしておかねばならぬわで、一日がせめて25時間あったらとため息がつかれるような生活が続いているはずです。

それなのに、学校が休みだから寂しい…とは(本当なら、この時間だけは眠れると安堵する…でしょうに)。

もちろん、本当は休みではありません。専門学校や大学の入試などで個人対応せねばならず、一斉授業が、成立できないだけなのです。いつも誰かしらの指導は続いています。しかも彼の場合は、既に大学に合格し、書類などの手続きも終わっていますから、必要がなければ来なくともいいし、学校から連絡も行かないはずです。

ただ、これまで勉強に、アルバイトにと、懸命に頑張ってきた学生にとっては、張り合いのないこと甚だしいというわけで、気の抜けたビールのような心持ちになっているのかもしれません。

毎日、気張ってきたのですもの。張り合いがなくなったのかもしれませんね。もっとも、今だけですよ、直に大学が始まれば、そんな贅沢なことなど言っていられなくなりますから。

日々是好日
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「ことわざ」が、好きな学生

2016-02-18 13:37:00 | 日本語学校
晴れ。

白い雲が薄く広がっているのが見えます。「ツバキ(椿)」の名所に人が集まり始めました。

「ツバキ」は、私も好き…というと変かもしれませんが、たいていの日本人は好きでしょう。美しいだけではなく、役にも立つのですから。

ただ、子供の頃、「ツバキ」の花がポトリと落ちることから、首がポトリと落ちることに通じるとして、「サムライ」が嫌っていた、だから「サムライ」の邸宅にはなかった…などということを聞いていたので、好いてはいけないものを好くみたいな感覚がありました。

別にへっぴり腰で好きになっているわけではなかったのですけれども。

さて、学校です。

昨日、「Cクラス」の授業の時、「ことわざ」のところで、大盛り上がり。昨年やったときには、とにかく「漢字を覚えなければならない」し、「単語も覚えなければならない」し、「文法も理解しなければならない」し…とてもそんな余裕はなかったのでしょう。こんな「盛り上がり」とは全く無縁でした。

ところが、今回は違っていました。もともとおしゃべりだった女子学生が何かを言い始めると、口が重くて、授業の時も、当てられるたびに「うん、うん」と唸ってばかりいた学生まで、何か言おうと、「え~と」と口を開き始めます。もちろん、今回も、「うん」も「すん」も言えない人はいることはいるのですが、からかうと「聞いています」と答えます。

ところが、そんな彼、高校生用の「国語便覧」を取り出して、「慣用句や熟語」の頁を開いて見せますと、俄然目がキラキラし始めて、…先生、見たいです。

で、渡すと、読み始めたのですよね、声を出して。まだ習っていない漢字がたくさんあるのですが、読もうという気持ちがあるのがうれしい。読めない言葉があると、こちらを見ます。一つか二つ、教えてやりますと、一つの項を読み終えて、うれしそうに「判りました」。ほうっ、意外だな。

慣用句やことわざが好きみたいですね。ひとしきり、(その本を)我が物として見ていたのですが、途中で、独り占めしていることに、気がついたらしい。ハッとした顔になって、左横の学生に、「○○さん、どうぞ」。ところが、差し出された方は関心がないようで、いかにも素っ気なく、「いらない」。すると、また自分の手元に戻して、ニコニコしながら見ています。

それをみんな面白そうに見ていたのですが、また、ハッとして、今度は右横の学生に、「どうぞ」。また「ううん、いい」と言われて(みんな彼より年上です)、(この本を)どうしていいか判らなくなって、オロオロ。最後に「先生、どうぞ」と来ました。

理系の学生で読むのはあまり好きではない(得意ではない)と思っていただけに、少し意外でした。

日々是好日
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ここの寒さは、モンゴル人にとっては「冬の寒さ」ではない?

2016-02-17 08:14:42 | 日本語学校
晴れ。

今日も青空。

土曜日には雨になるそうで、それまでは、お日様が楽しめそうです。風がないと本当に暖かなのですが、風が吹くとね、急に熱を奪われたような感じになってしまって、ブルブルッときます。

昨日の午後、授業(「Fクラス」)へ行くと、温めていたはずの教室が、どこかひんやりとしているのです。で、見ると、モンゴル国から来ている学生の後ろの窓が開けられている…。「暖房を入れていたのに。窓を閉めなさい」と、プンプンしながら言うと、「暑い、暑いです」と少しも悪びれずに答えるのです。けれども、隣の席のベトナム人学生も、スリランカ人学生も、開けられた窓をちらりと見て、「…寒い…」。

私も寒かったので、「寒い、寒い」と言いながら、強引に窓を閉めさせたのですが、それから授業中二度ほど、彼は席を立ったのです。すぐに戻ってきたので、その時は「トイレかな」ぐらいにしか思っていなかったのですが、授業が終わって、職員室にいると、ドアの向こうで人影がちらり。光が遮られて、人が通ったことが判ったのですが、ドアを開けて、見てみると、彼が玄関のドアを開けて、深呼吸をしていました。

まだ来たばかりなので言葉がそれほど操れないのですが、片言の日本語とジェスチャーなどから推し量るに、「教室は、窓を閉め切っていて苦しいから、空気を吸いに来た(他の人は寒いというので、開けられない)」と言っているらしい。

「モンゴルだって、冬には窓を閉め切って全館暖房でしょう」と、思わず言ってしまったのですが、私の「教室に戻りなさい」に素直に応じて帰っていく彼を見ながら、「そうか。これくらいの寒さであったら、冬とは言わないのだろう。それどころか、冬が終わったとばかりに、外を駆け回っているのかもしれない。いずれにせよ、窓を閉め切って暖房というほどの寒さではないのだろう、彼にとっては」と思ってしまいました。

まだ「暑い」と「暖かい」の違いが判らないので、うまくは使えていないのでしょうが、彼の顔を見ていると、なんとなく「これは確かに『暖かい』からではなく、『暑い』から窓を開けたのだな」という気がしてきます。

湿度も関係しているのかもしれません。以前、内モンゴルから来ていた学生が、いつも「湿度に負ける」みたいなことを言っていましたし。

日々是好日
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ここの寒さは、モンゴル人にとっては「冬の寒さ」ではない?

2016-02-17 08:14:42 | 日本語学校
晴れ。

今日も青空。

土曜日には雨になるそうで、それまでは、お日様が楽しめそうです。風がないと本当に暖かなのですが、風が吹くとね、急に熱を奪われたような感じになってしまって、ブルブルッときます。

昨日の午後、授業(「Fクラス」)へ行くと、温めていたはずの教室が、どこかひんやりとしているのです。で、見ると、モンゴル国から来ている学生の後ろの窓が開けられている…。「暖房を入れていたのに。窓を閉めなさい」と、プンプンしながら言うと、「暑い、暑いです」と少しも悪びれずに答えるのです。けれども、隣の席のベトナム人学生も、スリランカ人学生も、開けられた窓をちらりと見て、「…寒い…」。

私も寒かったので、「寒い、寒い」と言いながら、強引に窓を閉めさせたのですが、それから授業中二度ほど、彼は席を立ったのです。すぐに戻ってきたので、その時は「トイレかな」ぐらいにしか思っていなかったのですが、授業が終わって、職員室にいると、ドアの向こうで人影がちらり。光が遮られて、人が通ったことが判ったのですが、ドアを開けて、見てみると、彼が玄関のドアを開けて、深呼吸をしていました。

まだ来たばかりなので言葉がそれほど操れないのですが、片言の日本語とジェスチャーなどから推し量るに、「教室は、窓を閉め切っていて苦しいから、空気を吸いに来た(他の人は寒いというので、開けられない)」と言っているらしい。

「モンゴルだって、冬には窓を閉め切って全館暖房でしょう」と、思わず言ってしまったのですが、私の「教室に戻りなさい」に素直に応じて帰っていく彼を見ながら、「そうか。これくらいの寒さであったら、冬とは言わないのだろう。それどころか、冬が終わったとばかりに、外を駆け回っているのかもしれない。いずれにせよ、窓を閉め切って暖房というほどの寒さではないのだろう、彼にとっては」と思ってしまいました。

まだ「暑い」と「暖かい」の違いが判らないので、うまくは使えていないのでしょうが、彼の顔を見ていると、なんとなく「これは確かに『暖かい』からではなく、『暑い』から窓を開けたのだな」という気がしてきます。

湿度も関係しているのかもしれません。以前、内モンゴルから来ていた学生が、いつも「湿度に負ける」みたいなことを言っていましたし。

日々是好日
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チベットやベトナムのお弔い

2016-02-16 17:20:17 | 日本語学校
晴れ。

寒くはないと感じてしまうから不思議です。土日の真夏並みの「暑さ(暖かさではありません。暑かった…)」のせいでしょうか、感覚が衰えてしまったような気がします。だって、(職員室の)暖房を入れませんでしたもの。下の教室の暖房だけは来てすぐに入れておきましたが。

さて、学校です。

昨日、「Cクラス」で、お墓の話になりました(始まりは「囲む」の短文作りだったのです。「お墓の周りを花で飾る」の図というか、絵を見てから話が始まったのですが。

このクラスは、今、ちょっと「待ち」の状態にあるのです。「Dクラス」が追いつくまで。それで、「N3」の「読解問題」などをしていたのですが、ちょっと不安にかられて、前の教科書を復習してみると、出るわ出るわ、忘れている箇所やら、間違えている箇所やらが、どんどん出てきました。それで、きちんと復習することにし、今、やり直しているのです。

で、その過程で、「お墓」の話になったのですが、いつもこういう話をすると、興味津々で聞き始める学生がいるかと思うと、自分の知っているものが唯一無二の存在であり、それ以外は、眉をひそめる対象以外の何物でもないという学生も出てきます。

で、出てきましたね、やはり。

主に話したのは、あるいは話してもらったのは、チベットとベトナムのお墓、お弔いのやり方でした。

「ええっ」と驚き、いかにも嫌そうな(非文明的な習慣である。自分たちはそんなことをしないという)顔をしたのが一人。興味津々で、いろいろと聞き始めたのが別の一人。

己の見聞きしたことがあるものの中に安住して、排他的になるのではなく、他文明というか、他文化というか、そういうものに、まず興味を示す、あるいは知ろうとする、そういう態度が必要なのです、他国で生きようとする場合には。

もっとも、日本人にもいろいろな人がいます。とは言いましても、日本は島国で小国ですから、他者との関係抜きには成り立たないという縛りがあります。

もちろん、どこの国でも同じでしょうが、自分の国のやり方が一番とまでは、思っていなくとも、そのやり方が普遍であると固く信じている人もいます。また反対に、他国の文化習慣を尊重し、尊重しすぎて、疲れ果ててしまっている人もいます。

おかしなものですね。そういう人は他の国にもいました。でも、その国の人たちがどうであれ、日本で暮らす場合、絶対的多数は、やはり日本の習慣に従って動いている日本人ですし、それに基づいて社会は動いているわけですから、それに準じて動いた方がいいのです。日本人であっても、異国で育った人であっても。

砂漠の国、豪雨地帯、雪国、氷の国、高山地帯、島国…、歴史も習慣もその土地ならではのもの。ですから、本当は、それぞれの風土でのやり方があるのでしょうけれども、日本は、地震が多発し、台風もよく来る。常春の、穏やかな国というわけでもないし、世界有数の豪雪地帯と言われるような地域も含まれている。

こういう自然環境の中では、日本人はどう生きているのだろうか、どうやって生活しているのであろうかと、こそっとでも、気になり、まねしてもらう方がいいのです。

それにはそれなりのわけがあるのでしょうから。

もっとも、そういうのはどこの国のどんな土地でもありうることで、それぞれの風土特有のやり方をまねした方がいいのです。そこで暮らしたいと思うならば。

日々是好日
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「暖かい」と「涼しい」の違い

2016-02-15 14:32:06 | 日本語学校
曇り。

朝はエアコンが必要ないくらい暖かかったのですが、どんどん寒くなってきました。授業が始まる前、アルバイトが終わったばかりというモンゴル国の学生がやって来て、エアコンをつけようかというこちらの声に「いいえ、必要ありません。暑い、暑い」

もっとも、授業が始まってしばらくすると、「エアコンをつけてください」と言い始める人もいたようでした。

ただ、北方から来ている学生は、すぐに「暑い」と言います。そのたびに「暖かいでしょ」と言うのですが、これがなかなか難しい。体が覚えているのです、この程度は「暑い」であるというふうに。

また、南国から来ている学生は「暑い」と「その他(おそらく涼しい程度)」しかありませんから、それに「寒い」が加わった葉いいけれども、「暖かい」が、感覚的に判らないのです。

それで、(「涼しい」「暖かい」を入れた頃)学生達に、くどく言うのは「夏は暑い、秋は涼しい、冬は寒い、春は暖かい」。

『初級』の頃は、「暖かい」と「涼しい」の違いなどは、判らない…、それで、「秋は暖かい」になったり、「春は涼しい」になったりする…。

これが、『初級』の中盤を過ぎる頃になりますと、厳しい寒さが終わって、体が弛むような感じにった時が「暖かい」であって、厳しい暑さが終わって次の季節になる場合には、気温が同じであっても、「暖かい」とは言わないのだという説明が判り始めます。

そのたびに、「そうか、もうこの意味が分かるようになったのか」と感動したりするのですが。

でも、今日は疑いもなく、「寒い」です。

日々是好日
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「なぞなぞ」から「神話」の話へ

2016-02-10 14:02:38 | 日本語学校
晴れ。

乾燥しています。空はうっすらと白を混ぜたような青。乾燥していると言っても、やはり日本は水分の多い国なのでしょう。

山に登ると、よく山肌から水が滲んでいるのを見かけます。飲めるほど大きな粒で落ちているところには、誰がおいたか、小さなコップが一つ、疲れた人たちの喉を潤してくれます。でも、実際は、一口飲むというよりも、自分の水筒にその水を入れる人の方が多いのです。しかも、その場所を記憶していると、あそこに水があるからと、それを楽しみにしたり…。

また「里」でも、「湧き水の郷」というのをよく聞きます。なんだか、その音の響きだけで、その土地には、その土地ならではの「伝説」がありそうな気がしてきます。

ところで、昨日、「Cクラス」で、神話の話をしました。

実は、ある「なぞなぞ」の例を出したときに、「私たちの国でも同じ」と言った学生がいたので、「これはギリシア神話の中に出てくるもので云々」から始まったのですが。

各国にはもちろん、歴史、風土に根ざした「ことわざ」や「寓話」もありますが、それと同じくらい、他国の神話や寓話から来ているものもあるのです。ただ、学生達は、「自分たちのことわざ」と思っていますから、なぜ外国人(この場合は私です)が「自分たちのもの」を知っているのだろうと驚いたりするのです。それほど、皆、それは「自分たちのもの」という気持ちが強いのでしょう。

その国の歴史上のことであれば、まだわかりやすいのですが、そうでなければ、案外「ギリシア」などから来ているものも多いようです。またそのギリシアにしても、根っこには、「メソポタミア」や「エジプト」があるのかもしれません。

西洋には、以前、たくさんの植民地を持っている国がいくつかありました。それに、強い国、豊かな国、科学技術が進んだ国というのは、人々にとってはあこがれであったので、欧米の文化を学ぼうという人々が至るところで、生まれました。

中国やインドの人が思って(期待して)いるほどは、彼ら(中国やインド)のものを知る(外国)人は、多くはないのです。これは、つい隣の国、日本であってもそうで(もちろん、他の国に比べれば多いでしょうが)、子供達は喜んで、欧米のものを読んでいます。

子供の頃は、「神話」等に惹かれます。ですから、学校や県などの図書館には、いろいろな「神話」の本がおいてあります。「ギリシア神話」や「北欧神話」、「インド神話」や「エジプト神話」、そして最近は「ケルト神話」なども入れてあるでしょう。

で、神話の話ですが、学生達に、あなたたちの国にも、各民族の神話があるだろうし、日本にもあるといい、機会があったら読んで欲しいみたいなことも付け加えました。

「作文」の時間に、自分たちの国の神話の中で、好きな部分を紹介してもらったら、案外、同じような場面が登場するかもしれません。日本史の本の中で、「国産み」の部分は世界各地に同じようなものがあるとか書いてありましたもの。

日々是好日
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ベトナムの正月…(学生は)ちゃんと学校へ来た。…でも、眠そう…。

2016-02-09 08:55:28 | 日本語学校
晴れ。

「大寒」前後から、寒さは続いているのですが、やはり春が近づいているのでしょう、冬の間、この辺りでは、あまり見かけなかった小鳥が、姿を現すようになりました。

灌木や街路樹の上から、道路に降りてきて、真ん中でキョトンとしているものがいます。「危ない、危ない」。私のようにトロい自転車ならいざ知らず、道路はだいたいが自動車が走っていますからね。中には惚けた小鳥もいるようで、自動車が向かっているというのに、それを、ボケ~と見つめていたりする。

暖かくなると、野良猫たちが、今までになく活発に動き始めますからね。敵は車のみならず、です。ご用心、ご用心

「ネコ(猫)」と言えば、最近、帰宅する頃、一階の、とある部屋の前で、ニャア、ニャア、鳴いている猫がいるのです。「開けてくれ」と鳴いているのかなと思ってみているのですが、あまりに出会う、その頻度が高いので、もしかしたらそのお宅のネコではないのかもしれません。

マンションの一階では、中型犬を飼っている方が、お二人ほどいて、犬がいいのなら、猫もいいのだろうとなっているのかしらん(本当はペット禁止です)と思っていたのですが。違ったのかもしれません。

昨日など、私の足音を聞きつけて、こちらににやって来て、見つめながら、ニャア、ニャアと鳴くのです。「困ったな。よそ様の猫なら部屋に連れて行くわけにもいかないし、(エサをあげないでくださいと前に入り口に書いてあったので)エサをあげるわけにも行かないし…。困ったな」で、猫に向かって、そのいいわけをひとしきりしたのですが、判ってくれなかったらしく、またニャア、ニャア。ニャア、ニャア鳴きながら私を「どうにかしてくれ」と言わんばかりに見つめているので、思い切って、近づこうとすると、途端に逃げ腰になる。

しようがないので、「御免ね、猫さん」と言いながら、帰ったのですが、それでも、鳴き声が耳について離れません。

寒いしなぁ、「おなかが空いた。開けてよぉ」と言っているのかなあ。もしかしたら、野良でも、以前は飼われていたのが、捨てられたのかな。あるいは、迷子で家を忘れてしまったのかなといろいろなことを考えていたのですが、そのうちに、ニャンニャンという声が聞こえなくなりました。きっと部屋の持ち主が帰ってきて、部屋に入れてくれたのでしょう。

綺麗な猫で、野良には見えませんでしたもの。ホッとすると同時に、本心を言えば、…ちょっと残念。

さて、学校です。

昨日、ベトナムの正月だったようで、「Cクラス」の二人とも眠そうな顔をしています。一人は二時に寝たと言うのですが、「同室のもう一人は」と聞くと、「知りません」という答え(きっと告げ口するようで嫌なんだろうな)。彼が帰ってきたときには既に眠っていた。で、帰ってきたのも気づかなかった…と。

で、その、もう一人に何時に帰ったのかと聞くと、二時半と言います。けれども寝たのは何時だったのでしょうね。言葉を濁していましたから、あまり寝ずにきたのでしょう。それでも、学校に来ただけでも偉い…と言うべきなのでしょう。ほぼ全員、来なかったという年も、以前にはありましたから。

懸命に睡魔と戦っている様子がありあり。隣のミャンマーの学生が、時々つつくのですが、そのたびに「いや、眠っていない」というふうを装います。でもね、コックリ、コックリしていたよ…。

まあ、しようがないといえば、しようがない。結局、何とも言えずに(もちろん、ちょっとは言いましたけれども)、見ていて、(授業が)終わってから、後で「何をやったか聞いておきなさい」と言っただけでしたけれども。

パーティだったと言いましたから、「どこでしたか」と聞きますと、「駅のそばの友だちの部屋。そこには、この学校から大学に行った、HさんとTさんも来ていた…」。Hさんは同国人だからいいけれども、Tさんは違う国の人。どういう関係なのだろうと思っていたのですが、案外、みんな狭い輪の中で動いているのかもしれません、卒業しても。

日々是好日
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今日も、空がだんだん晴れてきました。

2016-02-08 08:50:15 | 日本語学校
曇り

うっすらと灰色の雲がかかっていると、あれは雪雲なのかしらんと思ってしまいます。こう思うようになったのも、北国の人に、「冬季に青空なんて見たことがない」と言われてからでしょうか。

関東地方でも、太平洋側は、冬は空気が乾燥し、富士山がよく見られるので、そんなことは、あまり感じたことがなかったからなのですが。

言われてみれば、毎日のように雪が降る地方では、青空のはずがない…。それなのに、真っ白な雪の大地の上には、必ず真っ青な青空が広がっている…ような気になっていたのはなぜでしょうね。

それを北国の人に聞くと、「それは、春(の情景)だ」と言われてしまいました。北国の感覚で言えば、雪が積もっていても、やはり「春」は「春」なのだそうです。「春」と言えるらしいのです。

その「春」になると、空は青くなるらしく、それまでどんよりとしていた空の灰色が一掃されて「青」になる…らしいのですよね。

もっとも、あの「『かまくら』の中には何を入れているのか(火鉢で餅を焼いているのに、雪が溶けないはずがない…雪というのは溶けるものだ。雪だけでなく何か入れているに違いない)」と聞いて失笑されたくらいの感覚しか(こちらには)ないので、本当のところ、よく「わからん」のですけれども。

これは、ベトナムやスリランカの学生が、(人によっては、ですけれども)今でも「ダウンの下は半袖のTシャツ」で、早朝、5度くらいなのに「靴下なしの裸足」で来るというのと同じようなものなのかもしれません。よく判らないのです、きっと。(私たちの話を)聞けば、聞いたときは何となく判るような気がする。でも生活感がないので、ストンと腹に落ちていかない…のです。

これには、その地で生活するしかないのでしょうね。もっとも、それでも、その地で暮らしている人たちの様子を実際に目で見ぬことには、やはり判らないのでしょう。

暖かい布団になじみがないので、暖房を強にして、夏布団で寝てしまう。いくら注意しても(なにせ、電気代が高くなるので)、これも、なかなか変わりません。「暖かい、こんなに薄くて軽い毛布があるよ」と言っても、「寝るときに気持ちが悪いから嫌だ」と言うのです。

フワフワで、猫と一緒に寝ているようで、全然気持ちなんか悪くないのに…と、こちらは思うのですが。

さて、学校です。

今日から日課表が変わります。担任も、教科を受け持つ教員も変わり、クラスも替わった人がいます。

何も言わずに、一時帰国してしまったベトナム留学生達。戻ってきて、ハッとするのではないでしょうかしらね。お金の面でも、勉強の面でも。

日々是好日
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今年は、これで終わり…みたいな気がしています。

2016-02-05 15:05:11 | 日本語学校
晴れ。

この4日に、最後の学生達が、大学受験を終え、今は結果待ちです。

中には、休みがちな学生もいて、そのたびに、「大学だよ、大学を受験するんだよ。何と思っているんだ」と腹を立て、もし合格したとしても、先が思いやられると、先方から見れば、余計なお節介…じみた心配をしていました。

とはいえ、こちらのやるべきこと、すべてを(一応)終え、試験も終わってしまえば、今はもう、あれほど怒っていたことさえ忘れています。

先に、大学や専門学校に合格していた学生達は、今は、何か、憑き物でも落ちたかのよう…(それだけ、必死だったのでしょう)。ニコニコとあどけなく「おはようございます」とやって来、「さようなら」と帰っていきます。

昨日、(大学の)面接の後、学生がその都度、一人ずつ、「終わったよ。こうだったよ」と電話してくれました。こちらもその都度、からかったり、犒ったりしました。

でも、どうしてでしょうね。緊張していた学生はいませんでした。みんな明るく、しかも、開放感と言うより、先生方は「皆やさしかった。緊張しないで話せた…」で、(入学できるという)期待に胸を弾ませて…いたみたい。

前日は、「私は緊張します。大変、大変」と言っていたのに。

それから一言言わせてもらえば、結果はまだ出ていないのですけれども。

日々是好日
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