日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「ムシ(虫)」が好きな日本の子供だって、「ゴキブリ」は好きじゃないと思いますよ。

2019-07-31 08:24:48 | 日本語学校

晴れ。

酷暑が続いています。…続いていますと言ってしまいますと、語弊が生じてしまうかもしれませんが、気分的には、そうなのです。梅雨が明けて、まだ、ほんの3日ほどですのに。

今年は「梅雨」が明けるまでに、雨がずっと続き、故に、気温もそれほど上がらなかったせいか、「梅雨明け」と同時に、「突然の夏!」が来たという感じで、皆、「へばって」います。まだ暑さに体が慣れていないというか、ちょ、ちょっと違うでしょうと言いたくなるような、そんな違和感が残滓のように漂っているのです。…はあ、暑い。

しかも、日の出と共に、鳴き始める「ミンミンゼミ」の声が、暑さを倍増させます。…と、少し前までは思っていました。が、これも、ふるさとの夏から遠ざかっていたから言えた台詞で、ふるさとの夏の、「クマゼミ」の声のシャワーを浴びた後では、まあ、「ミンミンゼミ」もかわいいかと思えるようになってきたから、不思議です。

さて、「セミ」で思い出したのですが、「虫」のことです。

虫を育てるとか、虫を(食べるためではなく)捕獲するとか、そういう経験というか、習慣というか、そういうものの全くない学生達のことです。

日本の子供たちが、「カブトムシ」や「クワガタムシ」を見て、恐竜を見て興奮するのと同じ程度に興奮するというのが、まず理解できない。況して、これは子供に限らず、大人にも当てはまることで、いい年をした大人たちまでが夢中になって虫を捕らえている…わからない。しかも、虫取り籠に虫取り網を担いで、国内どころか、外国くんだりまで行って、喜々として虫を捕らえてくる(生きたままとはいかないのが悲しいようですが)。それをまた人に自慢する。自慢すると言うことは、その、相手がいるということで、自慢話を聞きながら、羨む人々がいるということなります。また、これも、理解できない。

「ムシ!ええっ、いやあだ」と男女を問わず、言います。

「小学校のころに、クラスで『キリギリス』や『コオロギ』を育てた」とか、「夏休みには、皆で分担して家に持って帰り、責任を持って育てる」とかいうのが、どうも判らぬ。そういう話をした私が、いえ、多分私だけが、あたかも虫が好きな変な人間と見えているらしい。だいたい…そんなことはないのに。

「あれは日本の子供が誰でも経験すること」といくら力説しても、そこの部分は、なぜかすぐに消え去ってしまい、聞いていないのと同じになってしまう。…夏になり、「ゴキブリ」の子供や小さな「クモ(蜘蛛)」を見つける度に、獲物を見つけて褒めてもらおうと持ってくる猫のように「先生、ムシ」と言い、私を呼ぶ。「呼ぶな」と言っても、ニコニコして嬉しそうに見せる。勿論、自分は触らずに。

これも、「リンカーンはベトナム戦争の時の大統領」というのと、同じ理屈なのでしょう。

あれは、思い出しました。「解放」というのの説明の一つでした。とにかく、少しでも、こういう知識を入れたかったので、『図説』の「アメリカ南北戦争」のところを開かせ、「リンカーン」の写真を見せたのです、あの時。でも、ベトナムの学生達が少しも反応を示さなかったので、「リンカーン」の説明を始めたのです(他の国の学生は、リンカーンがわかったので、日本語の知識を入れればよかっただけです。知識というか、単語です)。

一応、最初の単語(人名)ですから、ベトナムの学生も、それだけは耳に残った。「リンカーンはアメリカの大統領のひとり」というのも、話の最初のところですから、しっかりと頭に入っている。

それから後の、説明の繰り返しや、ホワイトボードに書かれた文字というのは、その『図説』に掲載されている「リンカーン」の写真や説明に目がいっている彼等の耳には届いていなかった(らしい)。そこへ突然、「ベトナム戦争」というのが聞こえてきた。ハッとする(もとより、その中の「ベトナム」という音に)。ハッとして、「リンカーン」と「ベトナム戦争」とが一つになって、「リンカーン」は「ベトナム戦争」の時の大統領となったのでしょう。

まあ、考えてみれば、彼等を責めることなどできません。一つ一つゆっくりやっていけばよかったようなものなのですが、五つの国からなっている、13人のクラスでは、ベトナムだけにあわせるわけにも行かず、勢い、よけいな説明も加えてしまうことになってしまいます。

このときは気がついたから、誤解を解くこともできたのですが、多分、誤解のままのことも多々あるでしょうね。二年生ともなりますと、知識の導入も必要となってきますから、よけいにそうなるのでしょう。

もっとも彼等と話しているうちに、彼等の誤解に気づくこともよくあること。いかに「雑談」が必要か、一年生ではないのですから、判らなかった、知らなかったではすまないことですし。

これからは、言葉の置き換えだけでは、すまないことがどんどん増えてきます。その時に必要になってくるのが、漢字なのです。「N2」までは「N3」レベルの漢字が読めなくても、だいたいどうにかなっていた人たちでも、「N1」の内容に入ってしまいますと、もう誤魔化しが効かなくなります。…まあ、それが一番判るのは、当事者なのでしょうけれども。

日々是好日
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話しているうちに、リンカーンがベトナム戦争のころの大統領になってしまいました…。

2019-07-30 08:18:28 | 日本語学校

晴れ。

「梅雨」が明けた模様です。一挙に暑くなりました。しかも、ムシムシしています。朝、目が覚めてからの最初の天気予報では、昨日も今日も、湿度が90%超え。気温は熱帯夜と言われても、なるほどで終われますが、湿度だけはいただけません。もっとも、日が上ると、目に見えて湿度は下がっていくのですが、それでも、知れたもの。はあ、暑い。ムシムシする…。

日本の夏は逃げ場がありません。乾燥地帯でしたら、木陰という救い主がいます。日本では、木陰でも、陽の光を遮るくらいの効果しかありませんから、勢い、デパートや喫茶店などの冷房に頼ることになってしまいます。余りいいことではないのでしょうけれども、最近は冷房が見直され始めていることですし、まっ、いいかとなってしまっています。

冷房を我慢して死者が出たころから、「無理をするな」が、合い言葉のようになり、冷房が悪役から一転しています。頼り切るのも問題でしょうけれども、利用するのは問題ではない。これが難しい。考え考え使っているつもりですが、いつの間にか、冷房にくるまれて、外と遮断されています。困ったものです。打ち水をすれば、涼しくなった昔はどこへ行ったのでしょう。

さて、学校です。

二年生達は、「漢字のテスト」の日には、「来る」人が多いようで、訊くと「来ます」、「来ます」が並んでいます。ところが、ビデオの時間になりますと、「来なければなりませんか…」。

こちらとしては、教養というか、一般常識として見せておきたいので、夏休みをいい機会に、ビデオの時間というのを設けたつもりなのですが。

ネパールやベトナム、スリランカ、バングラデシュという国だけでなく、中国もそうなのです。「知っている」は、「聞いたことがある」レベルの場合が多く(国によっては国策か、あるいはそこまでの時間や費用をかけることができないという理由からかでしょうけれども)、「N2」や「N1」レベルの文章を読むときには、これらの知識がある程度、必要になってくるので、困っているのです。

彼等が黙ったときは「『知らない』と言うことなのだな」くらいに考えておかなければ、説明も成立しません。

誰かひとりでも、最初に、「何ですか、それは?」とか、「知りません」と言ってくれれば、面倒はなくなると思うのですが(知らないものとして、準備するので)、何でも「習ったことがある」、「知っているつもり」ですから、どんどんこんがらがっていきます。字面の一言で終わりでも、聞いたことがあるとは言いません。「知っている、習った」部類に入ってしまいますから、話が噛み合わない。

以前、「リンカーン」の話から、「オバマ大統領」の出現などについて話していたら、いつの間にか「リンカーン」が「ベトナム戦争」のころの大統領になってしまっていました(これはベトナム人学生達)。これも、話の途中に、こちょこちょ相談していたので、何を話しているのかと訊いてわかったことですが。

何から、こういう話になったのかは忘れてしまいましたが、最初、高校の参考書、『世界史図説』の中の「アメリカ南北戦争」のページを開かせ、「リンカーン」の「奴隷解放宣言」について話していたのです。何人かが、ぼうっとした表情でしたので、「リンカーン」を知っているかと尋ねたのです。ベトナムの学生は「しりませ~ん」。他の学生は、「図説」の絵やら、スマホで調べたりして、この名はわかった。「聞いたことがある」らしい。ところが、調べさせても、ベトナムの学生だけは、ポカ~ンとしている。一言付け加えれば、高校の成績はかなり上の学生達です。

それで、説明を加えたのですが、アメリカの歴史なぞ全く習ってこなかったのかと、勘ぐりたくなるほど、とんと判らない。で、ベトナム戦争のページを開かせ、当時の大統領の名を知らせ、今度は歴代大統領の紹介のページを開かせ、「ここ、ここ」と指差させ、そして最後に、リンカーンとの兼ね合いから、先のオバマ大統領について話したのですが。

こういう「図説」は、絵やら写真やら地図やら、それこそ、漢字がわからなくても、知識がなくても、それなりに楽しめるし、わかりやすいと思っていたのですが、…そうではなかった。

多分、出だしの「リンカーン」と、我が身に関係のある「ベトナム戦争」とが、ごくごく自然に繋がった…だけのことで、それで、「リンカーン」が、「ベトナム戦争」時の大統領になってしまった。

危ういかな、危ういかな。

アメリカ歴代大統領(トルーマンからです)の写真が載っていて、そのころの事件が書かれてあっても、知識として、白紙の状態であれば、何でも書き込まれてしまう。

で、ともかく、「図説」を参考にして、「20世紀」の主な歴史を見せていかねばなるまいと思っていたのですが、休みたいという気持ちの方が勝ちましたね。ひとり来たいと言っていた学生も、「自分ひとりのために先生の時間を取るのは申し訳ないから、大丈夫。来ません」と、終了後、言いに来ました。気にせずともいいのに。

今は、これを後期の授業でどうにか入れていかねばと相談しているところです。彼等は日本で、将来働くことを望んでいます。特別な知識は無理にしても、常識くらいは入れておかないと、後が続きません。

今は、「日本語の授業内容」で頭を悩ますと言うよりも、「常識」レベルのことをどうやって入れていくかに、ちょっと手を焼いています。

日々是好日
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「読解」問題を解くのが、少しずつ、どうにかなりそうな気がしてきました。…頑張ってきた学生は、ですが。

2019-07-29 08:55:06 | 日本語学校

晴れ。

朝、最初の天気予報では、気温26.0度、湿度96%。それが、家を出るころには、気温27.8度、湿度86%。 大気が安定していないことから、昼過ぎには発雷確率も高くなるとか。

いやあ、今年の梅雨は、本当に…「梅雨」でした。晴れ間、束の間の太陽というのが非常に少なかった。学生達には、「梅雨時には一週間に2,3日くらいしかお日様が出ない(洗濯などは心せよというつもり)」などと言っていたのに、それを「1か月に」と変えた方が良かったと思えるほど、ぐずついたお天気が続きました。

二年生も、1度しか経験していないからでしょう、大して不満も出ず、「日本の天気とはこんなものかあ」くらいの感じで過ごしていたようでした。…もっとも、まだここは「梅雨明け」が出ていないので、「過ごしているようです」くらいのほうがいいのでしょう。

さて、学校です。

7月の「日本語能力試験」を受けてから、まあ、合否はともかくとして、「Aクラス」の学生達は、目に見えて、レベルが上がってきたような感じがします。かなり「読解」の授業がしやすくなりました。「指示語」の問いにも、以前は、とんでもない答えが出たりしていたのでしが、それもこれも、訊かれて、頭に残ったもので答えるという習慣からのものでした。本を見て確認できないのです。

「訊かれたら本を見ろ。その箇所を探せ。記憶に頼るな」と、口を酸っぱくして言っていても、厳しく言われるまでは、それをやるという母国での習慣が抜けきれず、言われる度に、「はっ」とする。どうしてそうなのかなあ…。

(本を)見なければわからないはずなのに。日本人の場合は、真逆で、すぐに見て探そうとする。ときには、それを止めさせて、どれくらい記憶に残っているか試してみることもあったほどでした。ところが、彼等はまず、見ない。探さない。覚えていることだけで答えようとする。

『みんなの日本語』レベルであったら、どうにかなるとしても、「中級」に入ると、もうそれでは、手に負えなくなる。記憶に頼れなくなるから…では、見るかというと、そうでもない。ぼうっとしている…本当は頭の中の記憶を、まさぐっているのでしょうね、でもそれが、ぼうっとしているようにしか見えない。

しかも、日本語という異国の言葉ですから、「~から」がヒントになったり、接続詞の「つまり」がヒントになったりするので、内容だけを覚えていれば、どうにかなるかというと、そういうものでもない。

それを、半分ほどの学生は、わかりかけてきたかな。もちろん、「受験対策」に真面目に取り組んでいた学生は、ですが。

「日本語能力試験」が終わって、もうすぐ夏休みと、ほっとしているのに何ですが、二年生は、週に二回、漢字テストがあります。「Aクラス」では、「N2漢字」に合格していない人、「Bクラス」では、「N3漢字」に合格していない人対象です。とはいえ、「Aクラス」では、「N1漢字」に入っている四人が、誇らかに、「来ます」。

「七月生」は、夏休みの間に、残りの『みんなの日本語Ⅱ』をやりきって、「Cクラス」に合流しなければなりませんから、毎日来ることになっています。「盆休み」は2日だけです。ここには、「Cクラス」で、(『Ⅱ』の最後のテストで余りいい成績を残せなかった数人も含まれるそうですから、少し賑やかになりそうです。

日々是好日
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神様という存在は…。どの神様でも、皆の幸せを祈っているはず。その気持ちには変わりはないはず。皆も仲良くしてね。

2019-07-26 08:31:35 | 日本語学校

晴れ。

青空が広がっています。熱帯低気圧が台風に変わって列島に近づいているというのに。影響は今のところ、やや強い風のみ。夜には大雨になるかもしれぬということですが、高気圧がまだ頑張ってくれているからでしょうね。となると、高気圧の縁を回って、ちょっとこちらからは外れてくれるかもしれません。もとより、安心は禁物。どこでどういう大雨になるかもしれませんし、雷様もお出ましになるかもしれませんし…。

季節の変わり目というのは、いつも大忙し。

数年前、インドの学生が、「朝、日本人が傘を持っているのを見たら、きっと雨が降る。不思議だ。どうしてだ」と言っていたのを思い出すことがあります。そう問われたとき、「それは、雨が降るという予報が出たから、傘を持って出たのであって、逆ではありません」と言ったものでしたが、それでも、どこやら、釈然とせぬふうでありました。

今、彼はどうしているのでしょうね。もしかしたら、日本人と同じように、傘を持って、颯爽と出勤しているかもしれません。

今時のお天気は、変わりやすいおの。晴れていても、急に冷たい風が吹いたかと思うとドッと雨が降ったりします。もっとも、もうすぐ「梅雨」が明け、そうなると、例年通りの「夏」が始まるのでしょう。…本当にそうかな。

さて、学校です。

昨日、「Aクラス」で、「神に祈る」という言葉から、皆の国の神様の話になりました。まず「神」について。「ネパール、たくさんいます」。そうですか、日本と同じですね。「中国、勿論たくさんいます。」「スリランカ、さあ、わかりませんけれども、いると思う…」。やや頼りないながら、古来からインドの影響下にあった国。それはいるでしょう。「バングラデシュ、一人だけ(一柱と言ってもいいのかしら。唯一神であれば、数えることなどないでしょうから、この「柱」という言い方は通用しないかな)。「ベトナムは…面白いことに、「Bクラス」で聞いたときには仏教でのことを言い、神はいない…そうでした。ところが「Aクラス」では、どうも土地神さまのような存在を知っているようで、月の1日にお祈りをするのだとか。地方によっても違うかもしれません。

日本では、仏教では「仏(ほとけ)」と言い、神道では「神(かみ)」と言う。日本においては、ヒンズー教は「神」、キリスト教も「神」、イスラム教もアラーという「神」かな。

日本の「神」というのは、おそらく原始的な宗教における存在なのでしょう。「海」は勿論のこと、「山」にも「神」はいる…ことになっているし、「河川」にも「田畑」にも、「神」はいて、名まで付けられている。「巨樹」であれ、「巨石」であれ、人知を超えた、存在を人は畏れ、敬い、祈るべき対象とし、「神」の眷属と見做してきた。そういう古代人の感性を、現代の私たちも受け継いでいる。

いつも、学生達には、こう言うのですが、「日本にもたくさんの神様がいます。だから、みんなの神様が遊びに来ても大丈夫。神様同士、(神なのだから)仲良くするでしょうし、だいたい、神様は皆のために存在するものだから(存在するものなら)、人が不幸になるのを喜んだりはせぬはずです。神様が仲良くしているように、皆も他の国の人たちと仲良くしてね。」

時々、そう聞いて、困ってしまう人もいるようですが、そこは「無視」するに限ります。宗教というのは、心の問題ですから。それが表に出てこなければいいのです(感情的になるのが一番面倒)。自分の考え方を、人に、ごり押しすれば、必ず軋轢が生じます。心の裡にひっそりと置いておいて、一人で祈ればいい。人に見せびらかすべきものではないのです。

というように、神がいてもいなくても、みんな幸せに、仲良く出来るのが一番いい。お天道様は、分け隔てなく、万物を照らしてくれますよ。おっと、これも、まずかったかな。

日々是好日
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そろそろ「進学先」を決めませんと…。

2019-07-25 08:18:32 | 日本語学校

曇り。

今日も暑くなるのでしょうね。すでに26度を超えて、しかも、湿度も80%超えであるとか。ムシムシしています。

実は、一昨日、学校に来てから、ブログを書いているときに、遠くから「セミ(蝉)」の鳴き声が聞こえてきたのです。先週の金曜日には、まだ、その兆しさえ見受けられなかったのに。台湾で「セミ」の声を聞いたときには、二人で、「やはり台北は早いね。もうセミが鳴いている…」とおかしな感動を抱いたりしていたのですが…すでに日本でも…。

温暖化で台北も行徳も同じになってしまったのかもしれません。100年前の薩摩の気温が今の東京と聞いたときにはびっくりしたものでしたが、もう今では、台北の気温が東京と同じになっているのかもしれません。

最近は、毎朝ブログを書くというほどの体力はなく、飛び飛びになっています。とはいえ、週に2,3回は書いておきませんと、学生達への記憶が曖昧になってしまいます。

中国人学生が多かった時のこと、スリランカからの学生が多かった時のこと、ベトナム人学生を入れ始め、戸惑ったときのこと、それからネパールまで行き、面接を始めた時のこと…。

中国にいたときに、中国と国交があった国のほとんどの人たちを目にし、また実際に話しもし、人伝えでも、彼等の有り様や習慣などを聞いていたので、どの国の人たちが来ても、それなりに対応出来るだろうと、始めのうちは高を括っていました。

ところが、実際に彼等が来てみると、これがまた大変。中国にいたときには、親が国費で彼等を派遣できるほどの家庭、つまり、時の、彼の国の政府と、何らかの関係があるという、途上国の人たちが大部分だったので、同じ国とはいえ、日本に私費留学する人たちとは、多分、階層が、違っていたのでしょう。

中国で、話したことのある、アフリカのある国の男性、「たくさんいる兄弟たちは、皆、フランスかアメリカに留学している。それなのに、自分は中国にやられた」と不平たらたらでしたが、人の金で外国に遣ってもらって何を文句を言うと、私たち日本人が見ていたのには、全く気がつかず、休みに帰国したら、あれを買ってきてくれ、これを買ってきてくれと、クラスメートの日本人に頼み、顰蹙を買っていました。

それも、遠い昔のこと。当時の中国を知る人は今の北京を見れば驚くばかり。彼も、今、中国に来ていれば、大喜びで遊んでいたであろうにと思います。

勿論、現在、日本にいる私費留学生達は、2000年のころ、日本にいた苦学生達とも違っています。それほどアルバイトをせずとも、家からある程度の金は送ってもらえるようですし、それがだめなら、日本にいる親戚から借りることもできると言います。

以前、大学に行きたいと日本へやって来た人たちは、許された時間以上に働き、借金を少しでも早く返し、生活費や大学へ行くための学費を稼いでいました。それでも、そういう人たちはよく勉強していましたから、大学へ行けたのでしょう。

来日後、「許された時間以上に働いているから、働きにきた」と、一概に言えないところが、当時、なかなか難しいところでした。

せいぜい、中国人学生に、「お金を借りていても、待ってもらえるなら待ってもらった方がいい。卒業して就職できたら、返せるから」などと言うくらい。それが、後になってから、彼等の国での、利子の高さを知ったときの驚き。借りた金の二倍くらいにはすぐになってしまうのです(銀行から借りられないから、人から借りて来ていたのです。日本へ行ければ、返せると相手も踏んで貸していたのでしょう。皆がそうしていると言っていました)。軽々に言えないことを、日本人の感覚で、勝手に思い込んで、言ってしまっていました。彼等の苦境がよく見えていなかったのです。相手も日本人に言ってもしょうがないことと何も言わなかったのでしょう。そこのところは本当に難しい。

お金に関することは、いろいろな問題を生じてしまうことに気づいたのも、かなり後のこと。もっとも、現地での面接の時は言います。日本の現状を話し、お金のことに関してはしっかり調べてもらい、途中で(学生が)崩れないように心がけています。

ただ、昨今の留学生達は、そういう苦境の人たちはほとんどいないようです。親も無理をすれば、ある程度の額は送れるという家庭も多く、無理にアルバイトをし、帰国せざるをえなくなってしまうと、元も子もなくなるということが、わかってきたのでしょう。こちらが、いくら口を酸っぱくして言っても、テキトーにしか受け取っていなかったのに、政府の「帰国あるのみ」という厳しい態度が、功を奏しているのは、ちょっと寂しい。学生達が、送ってもらうと自分から言うようになりましたから。

ということで、「日本語能力試験」後、「台北」から戻ってからですが、〆にかかっています。早いところでは、8月中に願書の提出をせねばならず、どっちにしようかなというのはもう遅い。

ただ、(能力試験の)結果がまだ出ていないので、「N2」を受けた学生も、「N3」を受けた学生も、どこか決めかね、「合格していたら…」とか、「だめだったら…」とは言っています。

とはいえ、ひとつは決めておかねばなりません。併せて三つ。というのが理想なのですが、結果待ちのところが一つとしても、その前に受けておくことも大切です。

日本人なら、「また来年があるさ」とも言えるのですが、ビザが必要な彼等は、「来年があるさ」とは、なれないのです。「来年があるさ」と構えていられるのは、すでに「N1」に合格している中国人学生くらい。今は(この学校には)二年生に中国人学生はいませんから、だれものんびりとはできません。大学を受けるにしても、来年になれば、国立を落ちた中国人が、どこでもいいとばかりに、私立大学や専門学校へ雪崩を打って押し寄せてきますから、安心はできないのです。

日々是好日
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一昨日、台北から戻り、昨日はぐったりでした。

2019-07-24 08:28:37 | 日本語学校
曇り。

月曜日(22日)に、台北から戻ってきました。当初の目的のうち、ひとつは道に迷ってしまい…ビルの中で迷ってしまったのです…達せられなかったものの、もう一つは、…なかなか有意義でした。

台北はどこかしら、懐かしさが感じられるような町でした。ゴミもなく、ワサワサとした雰囲気もなく、店に入ると笑顔で迎えてくれ、店の人も、押しつけがましさが全く感じられず、日本にいるような感じでした。なるほど、だから台湾の人たちは日本に何度も来るのだなと納得させられました。雰囲気が似ているのです。

道行く人の言葉も中国語であり、看板の文字も漢字であり、違うと言えば違うのですが、それ以外は、日本の町をそぞろ歩きしているような感じで落ち着くのです。しかも町自体が小さいので、すぐに目的地に着いてしまう。そこでのんびりとしても、だれも追い立てることなく、見ているだけ。

実は、間違えて開館前に入ったところがあったのです…後で気づいたのですが、半開きになっていた門は、本来なら入ってはいけなかった…受付の人もいたのですが、話し声から日本人と察したのでしょう、入口の椅子に腰掛けていても、別に何も言われませんでした。

で、戻ってから、いつも通り、日常が待っていました。いくら、近かったとはいえども、やはり、疲れていたようです。年ですねえ。なかなか疲れは抜けません。

学生達はお土産のお菓子に…おいしい、おいしいと言ってくれたのですが、こちらは疲れ顔。それから、台湾は日本のようだったという話に、ちょっと驚いたような顔。こちらは学生達です。

彼等は日本と母国しか知りません。しかも、彼等の親戚や友だちが出稼ぎや留学で行くのは、欧州か西アジアの国。聞き知っているのも、そういう国だけで、アジアの小さな台湾という国が、日本と同じ…どこか煙に包まれたような顔をしてしまうのも、わかります。

…などと話してから、さて、授業を。

ボンヤリしていたのでしょう。先週の金曜日の漢字テストを返却し、金のシールや銀のシールを渡してから、今週の分(自己申告です。「N2」の何回目の試験を受けるのか。速い学生は、もう「N1」漢字に入っています)を聞き、さて、授業というところで、ハッとして、「ディクテーションはするって言っていたっけ?」。みな、異口同音に、明るく、きっぱりと、「いえ、いえ、いえ」。

そうだっけ?ノートを開けて調べようとしたとき、「先生は、月曜日、いないって言ったでしょ」と、いかにもという顔で、だめ押しをします。そうだったかなとそのまま、新しい単元の単語説明に入ったのですが…後で調べて、やられたことに気がついた…。ディクテーションの準備をしていたのです、私。

「やられたら、やり返す」が堂に入ってきましたね、敵も然る者。学生ではなく、だんだん敵に見えてきます。こちらがうっかりしていると、すぐにやられてしまうのです。先日も、漢字テストをするのを忘れていたのですが、だれも注意しない。ところが、練習して、覚えてきたのがいたのですね、催促されてしまいました。彼はよかったけれども、一斉にブーイングです。

言った学生はしどろもどろに「だって、忘れるでしょ」と言っていましたが。いやいや、遠慮する必要などないのです。だいたい、「N2」漢字に合格していなければ、夏休みに学校に来なければならないのですから。それをすっかり忘れている学生に、もう一度、張り紙を叩いてみせ、「忘れているね。学校は待っているよ」と言ってやりました。

毎年の事ながら、2年目に入り、7月の「日本語能力試験」が終わると、学生達の間に、急に自由の空気が漲ってきます。みんな、高校生のようになって(中には、小学生に戻ってしまう学生もいます)、こちらが少し締めないと、言いたいこと、聞きたいことが、堤が切れたように出てきます。そして話はどんどん横道に逸れていくのですよねえ、困ったことに。

今年、例年とちょっと違うと思われるのは、そこでも、どこかしら節度があることかしら。多分、彼等、国でも、中・高と勉強していたのでしょうね、例年の学生よりは。でなければ、「Aクラス」の全員が、「N2」漢字テストを始めているなんて考えられませんもの。6月に「Bクラス」から上がってきた二人は、少し遅く、「N2」テストを始めたばかりですが。

もっとも、さすがに「N2」に入ると、「漢字テスト(20問)」で、3枚というのは、辛いようですね。合格点には達しても、満点になり、金のシートをもらうまでには、なかなか至りません。これが「N1」になると、一回り大きな金シートになるのですが、そこまで行けるかしらん。9月から「N1」に入るのですが。

日々是好日
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専門学校へ行った学生の方が、日本語が上手になっている????

2019-07-19 07:49:05 | 日本語学校

曇り。

今朝、大雨になっているだろうと思っていたのに、お日様が出ていました。もっとも、それも長続きせず、今は、随分雲が厚くなっています。

昨日、一昨日と卒業生がやって来ました。3人とも、同じ専門学校に通っています。その時、少し話をしたのですが、随分、話せるようになっていたので、びっくり。彼等は「10月生」で、受験のときに、例の、語学の、グッと伸びる時期がまだ来ていなかったので、心配しながら、専門学校を受けさせたのです。

ところが、聞くと、「難しいけれども、日本語の勉強をちゃんとさせてもらっている」と言います。授業中はちゃんと聞いていると聞くと、「怖い先生のときはね」と笑います。専門学校も大した者じゃないかというのが、感想です。実は、当時、日本語が思ったほど伸びていなくて、最後の手段といった感じの、ある種の悲壮感が、こちら側にもあったのです。母国でほとんど学んできていない、ほぼゼロで始めたわけですから、彼等も大変だったと思います。教えながら、「時間だな、時間だな、時間が足りない…」という思いがありました。こればかりは無理が利きません。時間がいるのです、普通の人たちですから。

その、(彼等の日本語に)驚いたというのにも、理由があったのです。ちょうど、その2、3日前でしたか、ある大学へ行った学生から、暑中見舞いのハガキが届きました。その日本語の酷さが、職員室で話題になっていたのです。これまでは、大学に行った学生は、そこそこの文が書けていました。勿論、向こうの教員が目を通していたのでしょうが。

簡単な漢字を間違えて書いているわ、文法もおかしいわ。…大学へやったのに、これはないだろう。この学校にいたときの方がずっとレベルは上だった。だって、こんなみっともない間違いはしていなかったもの。

大学と言っても、外国人の多い大学では、面倒は余り見てもらえないのかもしれません。かえって、頑張っている専門学校の方がずっと、日本語のレベルを上げてくれるのかも知れません。

今は、大学、大学と考えなくてもいいのかもしれません。本人が特に希望しないのならば。

数年前までは、大学へ行った学生と、そうではなかった学生には、歴然とした差がありました。半年ほどで、目に見えるほど出ていました。そのたびに、やっぱりねえ、と言い、やはり大学へやらねばと思ったものでしたが。

進学を控えている二年生に、「あそこはきちんと面倒を見てくれそうだ」と言えるところができ、少々ホッとしています。

さて、土曜、日曜、月曜と、2人で台湾へ行ってきます。

日本の大学や専門学校が募集のフェアを開くそうで、その様子見です。以前、ベトナムのフェアに参加したときに、千葉工大の先生と話す機会があり、学生をひとりやることができました。なにせ、私たちは、皆、文系で、理系の大学のことなど、何もわからなかったのです。で、どうして調べていいのかも、よくわからず、あれは本当にいい機会でした。

戻ってから、早速学生に話し、すぐにオープンキャンパスに参加させ、学生が同意したので、受験させました。今度も、学生のための大学探しが主になります。東京近辺の大学をあたり、良さそうなところには、オープンキャンパスに参加させたいと思っています。

日々是好日

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「進学」を控えて。

2019-07-18 08:44:41 | 日本語学校
曇り。

「台風」が、列島に近づいています。が、どうなのでしょう、台風が近づいていることよりも、いつ梅雨が明けるかと言うことの方が話題になってしまいます。

さて、学校です。

「2年生クラス(A・B)」では、「Bクラス」の方から、進学の話を始めました。「A・Bクラス」共に、学生達の出席率はよく、100%、99%、98%というのが、ずらりと並んでいます。こうなりますと、91%とかいうのがグッと、目立ってしまいます。ひとり、午前のクラスのときに、91%まで落ちたのですが、午後のクラスに変わってからは、毎日遅れずに来ていますから、通学に1時間ほどもかかっていたというのが問題だったのでしょう。

この学校は小規模であることから、目が行き届き、だれが今日来ていないのか、すぐにわかります。普通は、皆、寮に住んでいるので、同じクラスであれば、すぐに(だれかに)訊けます。昨日も、(Aクラスで)ひとり、そういう学生がいました。来ていないので、他の学生に、どうしたのかと聞くと(前にもこういうことがありました。寝坊です)、ひとりが自転車がなかったと言います。すると、もうひとりが、アルバイトから戻っていないのかも知れない。そう言っている間に、もうひとりが、電話をかけています。

かけた学生が、笑いながら、「寝ていました」。またか…。やっと二十歳になった学生で、同じ二十歳の「前は毎日、10時間寝ていました。でも日本では8時間しか寝られません」と不平たらたらのベトナム人学生とどっこいどっこいなのでしょう。それを聞いたときは、彼、笑っていましたが(同じだ…と思っていたのでしょう)。大慌てでやって来たのですが…顔を洗っていないな…。すぐわかります。

「Bクラス」に、ひとりだけ、出席率が芳しくない学生がいたのですが、彼の場合、やはり国に帰った方がいいのであろうということで、最近帰国してもらいました。彼以外は、ひとり、90%を切りそうな学生がいるのですが、「今日は雨が降ったから遅刻するかも…」という予想のもと、スタッフがすぐに呼び出しの電話をしてくれるので、どうにか90%台は維持できそうです。アルバイト先からそのまま来るそうで、遅刻したときは、(…まあ、急ぐという習慣が乏しい国から来ていると言うこともあるのでしょうが)だいたい、「電車で、寝てしまった…。西船橋まで行ってしまった…。ごめんなさい」というところ。しかしながら、それが重なってしまいますと…ちょっとね。

出席率が悪いと、なかなか日本語も上達できません。それで、彼には、(今日から「N3」教材に入っていく)「(今年の)四月生」クラスに、9月からですが、入ってもらうように話しています。

ところで、進学のことです。いくつかの学校をこちらが紹介することもあるのですが、先輩が行っているとか、友だちがそこの学生とかいうところを、彼等の方から言ってくることもすくなくありません。早速、「Bクラス」で、説明会に行ってきた学生が、「ここを受験したい」とやって来ました。

原則としては、彼等が「受けたい」と持って来た場合、断らないことに、今はしています。

実は、以前はそうではなかったのです。やはり日本語のレベルが高い学生や知的好奇心が強い学生、意欲のある学生には、大学を勧めていました。数ヶ月にわたり説得したり、(日本にいるからでしょう)見聞きすることもあり、ベトナム人学生などは、私たちの言うとおりにしてくれるのですが、ネパール人学生は、まだ、そうはならないようです。

「2年で働ける(彼等の持ってくる専門学校はだいたい二年制です)」、「友だちが楽しいと言っている」、「ひとりは嫌だ(同国人がいない)…。」それぞれ、彼等なりの理由があるのはわかります。けれども、こちらの説得に、動かないですね。

大学には大学の良さがあり、専門学校には専門学校のよさがある。しかし、それをわかった上で選ぶというのではなく、もっと単純な理由から、選んでいるのです。

彼等に聞くと、「(日本の学校で学ぶようなことは)みんな、勉強した(だから、日本語の問題だけだ)」という言い方をする人もいます。しかしながら、彼等の勉強してきたことは、「日本ではテレビを見てまねをしたら、できるようになったくらい」のことでしかない場合もあるのです。でも、それを言っても、わからない。

「国で、ビジネスを勉強した」とも、よく言います。「ビジネスってなに?」。「売ること」。「そう。じゃ、例えば何を?」

彼等の頭のなかにあるのは、小さな自営業の店で物を売る、彼等の国でよく見かけるそういう風景です。

相手のことを知らなくては、ビジネスができない…。ビジネスレターにしても、基本の形は、確かにある。しかしながら、成功するには、「相手によって書き方を考えなければならない場合が多々ある」とは考えられないのです。

勿論、これは彼等、個々の問題ではなく、おそらくは彼等の国の問題。経済と国の政策とがセットになって語られることからわかるように、国という大きな枠の中でしか動けないのが国民なのですから。それに見聞も限られています。
うt
とはいえ、せっかく日本に来たのだから…とも、思います。が、それがなかなか伝わらない。下のクラスであればともかく、上のクラスになっても伝わらない。これは、彼等の頭の中には、強固な先入観があって、それが邪魔しているのです。日本語の問題だけではないのです…。話していても、「岩盤だな。これは岩盤だな。掘るにはもっと強力な掘削機がいる」と、心の中で呟いてしまうことがあります。

「国際ビジネスをやりたい。」「…英語ができれば、やれるの?」「ハア???」…わけがわからない顔をします。専門の知識もさることながら、一般教養に類すること、文化や地理、歴史…など、実際にその職に就いてからしか、何を学べばいいのかはっきりしないこともありますが、基本は知っておかねばならない。これが、よくわかってくれない。

外国人がよく行く専門学校で、それが学べるかというと、まず、無理でしょう。夢は大きいけれども、それを手に入れるためには、夢を見ると同時に多くを学ばなければならない…。この「学ぶ」が、彼等の常識で言うと、すでに「知っている部類」になるのです。

国で大学を出た者が、日本の専門学校や大学のオープンキャンパスに行って、「みんな知っていることだった。できることだった。日本の大学って、たいしたことない。」で、そこを軽んじる。入口ではなく、出口を見ないのです。2年後、あるいは3年後、四年後にどこまで知識や技能が膨らんでいるかを見てはいないのです。もっとも、それを彼等に期待するのは、無理でしょうが。

人は安易につくもの、また己を正当化するもの、自己満足で終わっていれば、結局は何も学べないのです。

この学校では、そういう芽が出そうなときには、叩き潰しています。ただ、それは日本語の分野における…という限界があるのも事実。自分はできるとか、自分が一番だとか思い出した相手には、「鳥無き里の蝙蝠」、「猿山の猿」とばかりに、どんどん上を示し、あるいは見せ、まだまだ足りないと思わせていかねばなりません。それができなければ、教壇には立てません。

勿論、頭ごなしにではなく、納得の上でです。だいたい、頭がいい学生というのは、知識欲があり、その餌を与えてやれば、いくらでもついてきます。一番難物なのは、勉強する気のない学生。この学校では、そういう学生に対しては、それほど対応できないのです。ゆえに、そういう学生は入ってもらっては困ります。誰にせよ、どこにせよ、「守備範囲」というものはあるのですから。

もちろん、同じようにできないにしても、真面目に一生懸命勉強している学生には、いくらでも手当てしています。日本語を嫌いにさせない、今より上手にさせるというのが、目的なのですから。

日々是好日

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「ビザの更新ができなかったので、帰ります」と言いに来た学生。…どこか、やりきれない思いがします。

2019-07-17 08:01:02 | 日本語学校
曇り。

まだ、時折、小さな雨粒が、はら…はら…と落ちているようですが、今日はお日様がお顔を覗かせる時間帯もあるそうな。それ故にでしょうか、だんだん、ムシムシしてきました。このところ、ずっと梅雨寒で、20度ちょっとという気温が続いていましたから、梅雨季であるとはいえ、どこやら慣れないような、感は否めません。

昨日、卒業生が、ビザの更新がだめだったとやって来ました。すぐに帰国するそうです。「帰国してから、どうするのか」と聞いてみると、「多分、今度は韓国に行く」と言うのです。

この類いの話は、ベトナムの卒業生からも聞きました。

だいたいにおいて、出席率も95%近くで、勉強もよくする。然る上に、規定のアルバイト時間を超過して働いていたという学生は、教師の我々から見て、「体力もある、頑張れる、いい学生」なのです。

大学に行きたい、専門学校で勉強したいという進学が目的。根っこの方では、これがあるから崩れないのでしょう、辛くても。勿論、その後は日本企業での就職です。彼の場合は、七月生ということで、もう一つ、日本語能力試験の「N3」に手が届かなかったのですが、それでも、超過して働いていたこと以外は何も悪いことはしていません。

「(来日時に)借りていたお金もまだ返せていない」と言うので、心配すると、「大丈夫。家から借りたから」。

彼の言う、「家」とは何のことだか、はっきりとはしないのです。両親に借りたということなのか、祖父母に借りたのか、多分、そんなところなのでしょう。家族の絆の強い人たちですから。

こういう人たちが、日本を追われて韓国に流れていくのかなあと、残念になってきます。週に28時間というのではなく、土日の分を入れられたら、日本語もしっかりと勉強している人たちです。それ以外の悪事に手を染めているわけでもない。しかも2年近くを共にして、真面目であることは、日本人にも伝わってくる。そのような人たちが、日本を離れ、隣国へ行ってしまう…。もったいない。そして日本では、人手不足と言いながら、日本語のわからない人たちを直接入れようとしている。

彼等は、金を払って、日本語を学んでいる、あるいは「いた」のです。そして、(自分の金で)専門学校や大学へ進み、その過程で、語学だけでなく、日本社会への理解も一定量培ってきたのです。教室だけで日本語を学ぶのではなく、アルバイトをすると言うことは、そこで既に日本社会との接点ができているということです。

最初のころは、電車の乗り継ぎもできなかったでしょう。それがバイトへ行くうちに、パスモやスイカなどを使って自由に乗り継ぎが出来るようになり、店での買い物も日本語でやれるようになってきた。

アルバイト先では嫌な思いをさせられることもあるでしょう。その一つ一つが日本社会への理解を深めていくことになっていたのは、学生からの質問で知ることができます。

「こんなことがあった。これはどうして?」「こんなことを言われた。その時どうすればいい?」2年目に入る頃から、学生達はバイト先での様々なことを質問し始めます。できる限り、彼等に納得のいくように説明しているのですが、時々、辛いなあと感じるときがあります。

外国での生活は、困らされたり、嫌な思いをさせられることも多々ある。しかし、それは外国で「生活」しているからこそ、味わわされること。旅行者には決して経験できないこと。しかも、それを経験しながら、単刀直入に問いただせる相手(私たちのことです。言いにくいこと、聞きにくいことも聞いてくれます。つまり、日本人から見れば、悪口です)もいる。そうやって、苦労した上で、日本企業に就職するのだから、直接やって来た人たちとは随分違う。良きにつけ悪しきにつけ、彼等には数年の「過程」がある。これは、異国(日本)で暮らしていく上での「財産」です。

実際に、いい会社なら、必ず、どこかで、そういう彼等の姿を見ていてくれる人はいるはずです。

懸命に物事に取り組んでいる人を、天は見捨てるはずがない。帰国しても必ず道は開けると思います。ただ、今は辛いのでしょう。「もう、日本には来ない」と言っていたのが、とても、寂しいのです。

日々是好日
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「日本語能力試験」が終わって数日経ちました。しょんぼりしていた学生も、元気を取り戻しつつあります。

2019-07-12 08:35:16 | 日本語学校

小雨

「梅雨」が、なかなか明けません。今日も降っています。…とはいえ、シトシトと霧のような雨です。大丈夫かなと自転車で来たのですが、着いた頃には、グッショリと濡れそぼっていました。

日曜日の「日本語能力試験」が終わってから、ずっとしょんぼりしていた学生も、どうにか心の整理がついたのでしょう、いつも通りの明るい顔に戻ってきました。

こればかりは、本当に、どうしようもないのです。平常点でどうにかなるというものでもありませんし…。

そう言えば、中学校の現場にいた頃、あまりお勉強ができない男子生徒が、一緒に掃除をしながらですが、「(高校の入学試験の時に)掃除の点とかが、あったらいいのにねえ」と言っていましたっけ。

真面目ですが、気が弱い。でも、優しくて、気がよくつく。友だちにも教員にも、重宝がられていましたっけ。何でも、すぐ気がついて手伝ってくれるのです。掃除なども手を抜かずにしていたのですが、高校受験が近づくと、やはり、いつもにも倍して気弱になったのでしょう。

学業だけで、人を評価するのはおかしいとだれもが思っている。とはいえ、だからといって、ほかに何があるか。せいぜい、その他の要素を遠慮がちに加えるくらいしかありません。まして、将来のことなど、だれにもわかりません。

「鳥の目」で人を見ることの難しさ。そこには、時空を越えてみるという意味も含まれているでしょうから。それこそ「神の御業」に類する作業なのでしょう。「ヒト族」のうち、できる者などいるのでしょうか。それが、子供でもわかっていたから、愚痴が出たのでしょう。

留学生の場合、日本語学校を卒業後、専門学校に進むにせよ、大学に進むにせよ、多くが希望しているのは、日本で働くこと。日本での就職なのです。試験に合格したいというのも、そのために必要だからなのです。まずは進学のため、次は就職のため。

言語など、地道に努力していれば、必ず上達していきます。「漢字」が苦手な学生ほど(ここで言えば、「インド圏」の学生ですが)ヒアリング力があるので、すぐにペラペラと話せるようになります。中国人は漢字に頼って(目に頼って)なかなか「聞く作業」ができません。頼るものがあると、ヒトという生き物は弱いものですから、そちらに流れていきます。すぐに(本を)見てしまう。聞いて書いてみようとはしません。これには勇気がいる。できないことが明白になってしまいますから。

「どうしたら『聞く力』がつくか」と訊かれたら、「まず文字を見ないこと。テレビでなくラジオの方。初めての文章よりも、学んだ文章を何度も聞いてみること」と答えています。そうしているうちに音がとれるようになり、音がとれると既習の単語が、言葉の群れの中から区別できるようになり、単語が聞き取れるようになると、基礎の文法さえ入っていれば、意味は判るようになります。使えるようになるかどうかはそれからのことです。

「耳」さえ、尋常に活動できるようになれば、ここは日本ですから、聞くもの全てが学習材料になります。しばらくするうちに、町で耳にした言葉を繰り返せるようになってくるでしょう。

ただ、留学生は、アルバイトをしていますから、レストランや店での活動は、「耳」の「筋力を高める運動」をしているようなもの。同じ言葉を聞くことも多いでしょうから。それがいいのです。

この点、工場で働いている人は、なかなか、この「トレーニング」ができません。

「インド圏」の学生は、友だちの引きがあったりして、割と早い段階で、「レストラン」などでアルバイトをすることが多いのですが、ベトナム人は「工場でのアルバイト」からなかなか抜け出せません。勇気があったり、好奇心がある学生が、「えいやっと」ばかりに、(募集に)応募するのですが、「3回目にやっと合格出来た」とか言って帰ってきます。

最近はこの学校でも真面目な人が増えてきたのですが(これは現地での募集の時に、相手が辟易するようなほど、睨みつけながら面接をしているからかもしれません…顔の筋肉が固まって人相が悪くなった…と思われるほど)、それと、この種の「勇気や好奇心」というのとは、別物のようです。

どちらかというと、おっとりしていて、自分から何かに向かっていくというタイプではないですね。こちらでは、懸命に「やってみろ、やってみろ」とお尻を叩いているのですが、それが過ぎると、「せんせい、もう、いいです」と嫌われてしまいます。

多分、工場などには、同国人も多く、それ故に、ベトナム人に(工場の日本人も)慣れていて、嫌な思いをせずに済む、それがなによりなのでしょう。でも、勉強の事を考えると、もうちょっと冒険してもらいたい…。だって、せっかく日本に来ているのだもの…。

日々是好日
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「日本語能力試験」から、数日経ちました…しょんぼりしていた学生も、元気を取り戻しつつあります。

2019-07-12 08:33:36 | 日本語学校

小雨

「梅雨」が、なかなか明けません。今日も降っています。…とはいえ、シトシトと霧のような雨です。大丈夫かなと自転車で来たのですが、着いた頃には、グッショリと濡れそぼっていました。

日曜日の「日本語能力試験」が終わってから、ずっとしょんぼりしていた学生も、どうにか心の整理がついたのでしょう、いつも通りの明るい顔に戻ってきました。

こればかりは、本当に、どうしようもないのです。平常点でどうにかなるというものでもありませんし…。

そう言えば、中学校の現場にいた頃、あまりお勉強ができない男子生徒が、一緒に掃除をしながらですが、「(高校の入学試験の時に)掃除の点とかが、あったらいいのにねえ」と言っていましたっけ。

真面目ですが、気が弱い。でも、優しくて、気がよくつく。友だちにも教員にも、重宝がられていましたっけ。何でも、すぐ気がついて手伝ってくれるのです。掃除なども手を抜かずにしていたのですが、高校受験が近づくと、やはり、いつもにも倍して気弱になったのでしょう。

学業だけで、人を評価するのはおかしいとだれもが思っている。とはいえ、だからといって、ほかに何があるか。せいぜい、その他の要素を遠慮がちに加えるくらいしかありません。まして、将来のことなど、だれにもわかりません。

「鳥の目」で人を見ることの難しさ。そこには、時空を越えてみるという意味も含まれているでしょうから。それこそ「神の御業」に類する作業なのでしょう。「ヒト族」のうち、できる者などいるのでしょうか。それが、子供でもわかっていたから、愚痴が出たのでしょう。

留学生の場合、日本語学校を卒業後、専門学校に進むにせよ、大学に進むにせよ、多くが希望しているのは、日本で働くこと。日本での就職なのです。試験に合格したいというのも、そのために必要だからなのです。まずは進学のため、次は就職のため。

言語など、地道に努力していれば、必ず上達していきます。「漢字」が苦手な学生ほど(ここで言えば、「インド圏」の学生ですが)ヒアリング力があるので、すぐにペラペラと話せるようになります。中国人は漢字に頼って(目に頼って)なかなか「聞く作業」ができません。頼るものがあると、ヒトという生き物は弱いものですから、そちらに流れていきます。すぐに(本を)見てしまう。聞いて書いてみようとはしません。これには勇気がいる。できないことが明白になってしまいますから。

「どうしたら『聞く力』がつくか」と訊かれたら、「まず文字を見ないこと。テレビでなくラジオの方。初めての文章よりも、学んだ文章を何度も聞いてみること」と答えています。そうしているうちに音がとれるようになり、音がとれると既習の単語が、言葉の群れの中から区別できるようになり、単語が聞き取れるようになると、基礎の文法さえ入っていれば、意味は判るようになります。使えるようになるかどうかはそれからのことです。

「耳」さえ、尋常に活動できるようになれば、ここは日本ですから、聞くもの全てが学習材料になります。しばらくするうちに、町で耳にした言葉を繰り返せるようになってくるでしょう。

ただ、留学生は、アルバイトをしていますから、レストランや店での活動は、「耳」の「筋力を高める運動」をしているようなもの。同じ言葉を聞くことも多いでしょうから。それがいいのです。

この点、工場で働いている人は、なかなか、この「トレーニング」ができません。

「インド圏」の学生は、友だちの引きがあったりして、割と早い段階で、「レストラン」などでアルバイトをすることが多いのですが、ベトナム人は「工場でのアルバイト」からなかなか抜け出せません。勇気があったり、好奇心がある学生が、「えいやっと」ばかりに、(募集に)応募するのですが、「3回目にやっと合格出来た」とか言って帰ってきます。

最近はこの学校でも真面目な人が増えてきたのですが(これは現地での募集の時に、相手が辟易するようなほど、睨みつけながら面接をしているからかもしれません…顔の筋肉が固まって人相が悪くなった…と思われるほど)、それと、この種の「勇気や好奇心」というのとは、別物のようです。

どちらかというと、おっとりしていて、自分から何かに向かっていくというタイプではないですね。こちらでは、懸命に「やってみろ、やってみろ」とお尻を叩いているのですが、それが過ぎると、「せんせい、もう、いいです」と嫌われてしまいます。

多分、工場などには、同国人も多く、それ故に、ベトナム人に(工場の日本人も)慣れていて、嫌な思いをせずに済む、それがなによりなのでしょう。でも、勉強の事を考えると、もうちょっと冒険してもらいたい…。だって、せっかく日本に来ているのだもの…。

日々是好日
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「日本語能力試験」が終わり、次は、学校選びです。オープンキャンパスの話が出始めています。

2019-07-10 08:22:38 | 日本語学校

曇り。

今日は久しぶりに、「晴れマーク」が出ていました。けれども、今日が過ぎれば、また「曇りマーク」か「雨マーク」、あるいは「曇りのち雨マーク」か「雨のち曇りマーク」が続くのでしょう。「梅雨」だから仕方がないか…と思いながらも、「例年、『梅雨』って、こんなに長かったっけ、寒かったっけ」と溜息が出てしまいます。

さて、学校です。

行徳周辺には、外国人が多いことから、様々な国から来た人たちが、この学校にやって来ます。大半は、『みんなの日本語(Ⅰ)』か、『(Ⅱ)』で、それなりに出ていくのですが、今年の四月生(在日で二月から勉強を続けていた人も含まれています)は、そのまま、「N3」の試験の日まで続けたいと言い、頑張っていくようです(在日の人です)。

留学生は、2年という時間がありますから、2年目の12月で、「N2」まではいけるはずというのが、私たちの考えですが、中には、どうしても「N3」止まりになってしまう人も出てきます。これは、「頭の善し悪し」が関係するというよりも、「向き不向き」とか、「速いか遅いか」くらいのことなのでしょう。

理路整然と話せる人であっても、200字くらいの文章を読んで、「なぜ日本人がそう考えるのかがわからない」という人もいました。「解答」を見てもそうなのです。

また、「頭が固い」としか考えようがない人もいて、「自分の国はこうだ。だから日本人もこうだ」から抜けきらないのです。一年も日本で暮らしていたら、ある程度、察知できるであろうにと思われるような所でもそうなのです。あまり観察していないのでしょう、異国にいるというのに。自国の人とばかり話し、その輪っかから抜け出せないのです。

発音が難という国(国か地域か民族か)の人もいました。音がなかなかとれなくて、ヒアリング力が伸びないのです。だから会話も難しい。覚えても、練習すればするほど発音が日本のものから遠ざかってしまうのです。毎日聞いているであろう言葉であっても、聞き取れないので、繰り返しが出来ないのです。この克服にはかなり意思の力が必要となります。勿論、時間が経てば、それほどの問題ではなくなるのですが。そこは頭でどうにか出来るものではなく、「聞き取れた!」という瞬間を待つしかないのです。

漢字がネックになる人もいます。

学校では、漢字の導入をするときに、象形文字から入れ、その形の説明などもしているのですが、これは形式的なものに過ぎないでしょう。漢字に対する知識がゼロの人にそれを説いたところで、すぐに理解出来るはずもなく、一応しておくだけのこと。時々それで判る人も出現しますから。

人というのは不思議なもので、言い続けていると、ある日、急にストンと「肚に落ちる」日が来るのです。「N5」の漢字が終わり、「N4」の漢字導入をする際にも、これはしておきます。「N5」で、「木」とか「ウ冠」「口」「日」「言」などの漢字が入っていますから、ここで、一応、正式に「部首」をいくつか言っておきます。それを「N4」の終わりでもやっておくと、「N3」からの漢字の導入が随分楽になります。

「N5」の段階では、カタカナで入れていくしかありませんし、それ以外は、「サッと」とか「スウッと」とか、「ちょん、ちょん、ちょん、ちょん」などの擬声語を利用するくらいのもの。

最初は、「ごんべん」、その後は「売る」という漢字さえ覚えていれば、「読む」などすぐに出てきますもの。覚えられるかどうかは、練習次第。これは個人作業です。やっている人は、週一の漢字テストでそれなりに合格出来ますし、そうでなければ、再度挑戦ということになります。テストで合格出来ていても、ササッと持ち前の器用さを利用してその日覚えただけであれば、その日のみの漢字になります。明日には消えてしまうでしょう。それは、文章を読んだときに、自分でもわかることです。

それぞれの、学ぶ上での問題はあるようですけれども、今の学生はよく勉強してくれます。来日前、「『日本の日本語学校なんて、眠っていればいい』と聞いていた」という学生も、「ここは眠れない。この学校に来てよかった」と言ってくれますし。

これからは、オープンキャンパスですね。友だちが行っているところに行ってみたいと言いに来た人が二人、専門から(学校が)行ってみるように勧めた専門学校へ行ってみると言った学生が一人。行動を始めるのは速いほうがいいのかもしれません。勿論、学費なども関係しているとは思いますが、まず、行って見てみることが一番大切です。そして、そこにいる学生の話を聞くこと。これも忘れないようにね。

日々是好日
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『試験はどうでしたか」。反応は分かれましたが、おそらく結果は逆でしょうね。

2019-07-09 08:38:25 | 日本語学校

曇り。

昨日も曇り…でした。けれども、おそらく、また、雨が降るであろうと思っていたのに、昼から、わずかとは言え、陽が射していました。陽が射すと、さすがに急に気温が上がり、朝とは別な感覚になっていきます。

今日も、早朝は、曇りながら今にも雨になりそうな空模様であったのに、今、お天道様が顔を覗かせています。こういう「梅雨季」、お日様の光を感じられるだけでも、どこかしら、ホッとします。やはり、地球上の生物は、太陽抜きにしては語れません。

さて、学校です。

「昨日はどうでしたか(日曜日の『日本語能力試験』)」

学生の方でも、聞かれるであろうと思っていたでしょうね。もちろん、心の準備が出来ていない人もいるにはいましたが。

3回の「N2」模擬テストで、それなりの点が取れていた人に限って言えば、「だめでした」。甚だしきは、話しているうちに「もう一年、この学校にいたいです。だめですか」。勿論、だめです。

それが、あまり点(3回の「N3」模擬試験で)の取れていなかった学生、なぜか朗らかに、「二つあった」「三つあった」と言い、「きっと、大丈夫です」と答える。

そうか、出来る学生は、出来なかったところがわかるだけに、それが気になって、「だめだった」と肩を落とし、そうではない学生は、答えが一つでもあったら、大喜びで、それしか頭にない故に「出来た」と言う。

これは古来から、変わりませんね。

おそらく、よく勉強していた学生は、対策期間が終了した日に、「九月から『N1』の漢字と文法が始まりますね。3ヶ月で大丈夫ですか」と聞きに来たことと関係があるのでしょう。

中国・韓国の学生ならいざ知らず、ベトナムの学生が、日本語学校在籍中に、『N1』試験を受けられるまでになることはかなり難しいこと。普通は、12月で「N2」受験です。勿論、母国で「N3」くらいになっていれば別ですが、普通、留学生は「N5」の試験に合格してから留学します。

来日してからは、「ひらがな・カタカナ」の文字のチェックと同時に、『みんなの日本語Ⅰ』から始めますから、最初の頃はまどろっこしかったかもしれません。が、学習内容が、「N3」から「N2」に至った頃から、様子(軽く見ていた日本語)が違うことに気がついたようです。

「知らない単語がたくさんある…」「意味が判らない文章がある…」

多分、『日本留学試験』の「『総合問題』対策」で、「経済」やら「歴史」やらを読んだり、説明を受けたりしているうちに、現時点における実力のほどが、ある程度わかったのでしょう。大したものではない…。

それまでは、他の学生に比べて「出来る」と思っていたのに、それはあくまで主観的な評価で、客観的には、「ここも出来ていなかった」「あそこも知らなかった」ということが自覚出来たのでしょう。

これはとても大切なことで、特にこの学校のように「非漢字圏」の学生が多いところにいる中国人学生は、この落とし穴に嵌まりやすいのです。

大卒者などはいいのですが、高校を出たばかりで日本に来た者は、「非漢字圏」の学生達が、漢字に必死になっているのを見て、「自分はできる」と思い込んでしまうのです。大人から見れば、笑い話にすぎないのですが、彼等にしてみれば、優越感を味わえる数少ないチャンスであって、公然と「いい気」になれること。もっとも、その分、自分が不足しているところを勉強するかというと、それはしないのです。慢心のなせる故か、それとも、もともとそういう習慣が母国で培われていなかったからか。

若いうちは、ヒアリング力でも、ある程度「非漢字圏」の人達に遜色ありませんから、よけいそうなるのでしょう。文章を読ませると、漢字が読めないにもかかわらず、決まって「でも、意味は判る」と言います。意味がわかるのは当然のことであり、わからなかったら問題ということが、よくわからない。では、自分ができないところ、漢字の読みを覚えるように努力すればいいものを、それはしない。そして、いつも同じ言葉を繰り返す。

「大学を受けるなら、相手は『非漢字圏』の学生ではなくて、中国人だから、彼我の長短は同じだよ」と、いくら口を酸っぱくして言ってやっても、…やりませんね。地道なことが苦手な人が昨今の中国人学生には多いようです。人はいいのですが…。

何事であれ、己の至らざるところに気づくのは難しい。気づいた後、実際にそれを改めることは輪をかけて難しい。地道にコツコツと勉強していくことも難しい。それが中国で培われていなければ、日本に来て急に様変わりするかというと、損なことはありません。そう思う方が間違っている。

この、今回、「N2」を受けたベトナムの学生は、既に己の至らざるところに気づいています。それだけでも、高卒の学生にしては得がたきこと。ただ、マイナス思考が強く、完璧でなければ、参ってしまうようですね。これからは、「テキトー」を覚えていかなければならないでしょう。そうでなければ、ストレスに弱いままで終わってしまいます。

何事をやるにせよ、ストレスに弱いと続きません。…と言いかけて、彼の、隣の学生を見てしまうと、これが困った。何があっても、あっけらかんとしている。プレッシャーやストレスに強すぎても問題だ…という気になって、何も言えなくなってしまうから面白い。

本当に「足して二で割ったほうがいい」ような人が隣同士でいる。仲がいいのも、互いにそれがよくわかっているからなのでしょう。根の部分では共通した聡明さがあるということも条件でしょうけれども。

まあ、9月の発表までは宙ぶらりんですね。しばらくは、胃が痛そうな顔を見続けていなければならなそうです。

日々是好日


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昨晩は、『七夕』さまだったのに、あいにくの天気でした。でも、二人に、皆の願いは通じていることでしょう。

2019-07-08 08:14:43 | 日本語学校

曇り。

昨日もずっと雨が降り続いていました。その雨も、今日は、一旦、止めてやろうかな…くらいのものでしょうか。

「梅雨寒」の天気が続いています。7月というのに、最高気温が22度とは…。それに、梅雨ってこんなに雨の日が続いていたっけ…。もう少し、お日様の顔が拝めたような気がするのですが…。それに…。

数えていけば、いくつもいくつも浮かんでくるような…そんな例年とは違う…ような気がする、今年の「梅雨季」です。

ところで、先週の木曜日にした「七夕」様。せっかくきれいに飾り付けていたのに、昨日の夜は雨で、残念なことでした。笹も飾りも願い事もすっかり濡れそぼっていました。

とはいえ、中には、きれいに折りあげた「織り姫」や「彦星」を、そのまま置いていくのは忍びない…という学生もいたようで、「持って帰って、部屋に飾る…」。

…「そんなら、八月七日に、願い事も書いて、飾ったら。旧暦ではその日がちょうど『七夕』様のようだから…」。

さて、学校です。

年中行事ですね、こうなると。昨日は、例によって、七月第一日曜日、「日本語能力試験」の日でした。

今年の試験場は、「N3」の学生は「明海大学」で、ここは自転車でも行けるところ。きっと何人かは自転車で行ったことでしょうね。勿論、道を知らない者が、試験当日に、初めて行くのは冒険と言ってもよく、避けた方がいいのですが、どうですかね。行ったかもしれませんね。

寮の学生は、一緒に行ったでしょうから、心配はしていないのですが、自分たちで(部屋を)借りている学生は、ちょっと心配ですね。今日来たら、聞いてみましょう。

それから「N2」の学生の試験場は「千葉大学」。中国人はまず心配はないとして、ネパールの二人は寮暮らしで、一緒に行くでしょうから、大丈夫。ベトナムの一人は、慎重な方ですから冒険はしないでしょう。もしかしたら、三人で行くかもしれません。…でも、ちょっとタイプが違うかな。

教室にいる時には、皆、仲良く出来るのですが、特にベトナムの学生には、どこか自国の者だけで群れる癖が強いような気がします。開放的な方ではない…。

日本人にもその気は確かにあるのですが、日本人の場合、「来る者は拒まず(…というより、他国の人に自分から近づくのは怖いのでしょう。来てくれるなら、大丈夫といったところあり)」の感じなのですが、ベトナムの学生は、一般に、排他的な傾向が強いようです。「他国の人と一緒」というのは、ちょっと怖い…という感じではなく、「入れない」という感じ。

自国の者同士は強固に助け合うようなのですが、他国者はあまり受け付けられず、「同じクラスの友だちだから」と近づいていった他国の学生が(心を)傷つけられるということが、たまにあるようです。

これが、互いに集団だと逃げ場があって傷も浅くて済むのですが、この学校では、学んでいる者の国籍が様々なので、時折、同国人がいないということもあって、その時が大変です。普段は、課外での活動においても、教室においても、教師が目を光らせているので、問題はないのですが、教師がいない場所での付き合いにおいて…となりますと、少々困ってしまいます。

訴えに来られた時には、慰めるしかありません。これも、お国柄というか、個性の一つなのかもしれませんし。

その点、昨年も、今年も、スリランカの学生は開放的で助かりました。独りぼっちだなと思えた時には、スリランカの何人かに頼んでおけば、ディズニー・シーやランドに行った時にも、富士山や日光に行った時にも、すぐに呼んでくれ、一緒に行動してくれていました。

ところが、今、スリランカ、ネパール、バングラデシュからは来られないのですよね。それで、スリランカの学生は、今、三人だけ、しかも昨年の四月に来た三人だけというわけで、いつもと反対に、彼等を他の学生に頼まねばならないのです。二人の男子は、ちょっとタイプが違いすぎる…もちろん、二人いますから、最後のところでは大丈夫でしょう。女子の方は、ネパールや中国の女子が声をかけてくれますし、明るいタイプの学生なので、問題はないのですが、男子は、どうかな。同じクラスの男子はベトナム人なので、ちょっと一緒の行動は難しい。

八月一日に皆で「日光」に行くのですが、その時のことを今から、ちょっと…心配しています。

日々是好日
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「今日は何曜日?明日は?次は?試験で~す」。嫌なヤツだなあ。自分で言っていてもそう感じます。

2019-07-05 08:30:52 | 日本語学校

曇り。

時折、陽が差し込んできます。夜まで雨が降りそうに…ない…かな。

さて、今日は金曜日で、明日は土曜日、そして、すぐに試験の日曜日になります…。

今週の水曜日。四時限目が終わり、下りてきた「Aクラス」の学生に、「今日は何曜日?」と問いかけてやると、?????。そりゃあ、戸惑ってしまったことでしょう。『初級』ならいざ知らず、二年生に(向かって)、それはないだろう…。

とはいえ、戸惑いながらも、「…火曜日」。「明日は何曜日?」。すると、もう、俄然、元気になって、「水曜日で~す」。「明後日は何曜日?」「木曜日で~す」。学生は、にこにこ顔です。「次は?」「金曜日で~す。へへへへへ」。「次は?」「土曜日で~す」。「次は?」こうなると、聡い学生は、敵の意図を察知して、逃げ腰になってきます。が、そこは逃さじとばかりに「テストで~す」とやってやりました。「は~い。知ってま~す」と大急ぎでくるりと背を向け、逃げていきます。

皆が一斉にばっと下りてくると、これはできません。けれども、パラパラと下りてきますから、前の学生の災難を知りません。一様に引っかかり、最後の学生、「もう、いいで~す」と帰っていきました。

翌日、もう、この手には引っかかりませんね。「今日は何曜日?」「は~い。知ってま~す。日曜日はテストで~す」。如何にもしてやったりとばかりに言い、余裕綽々で帰っていきます。

もうすぐ、「日本語能力試験」なんだけれどもなあ。どうして、こんなに明るいのかなあ?

尤も、一人だけ、試験が近づくにつれて、ドンドン暗い表情になって来た学生がいます。彼は「N2」を受ける予定で、多分合格圏内には、いると思うのですが、「疲れました。何だか調子が悪い…」が、ここ、数週間続いています。

彼と仲がいい同じベトナムの学生、毎日学校に来るのはいいけれども、文法は覚えていない。漢字テストでは、そこそこ点は取れ、合格はするけれども、それで文章が読めるかというと、お粗末な限り。で、読めない…。でも、明るい。試験のことなど、頭の端っこ、隅っこにも、ない。おそらく、引っかかっていないのだろうなあ。でも、明るい。

彼を引き留めては、どうしようかなあ…としみじみ見ていると、そっちの魂胆など知れているぜとばかりに、愛想笑いをしながら、ズリズリと後退りしていく…。逃げ支度です。

映画が大好きと言うし、暇があれば、ずっとスマホで映画を見ているくらいだと言うし、それなら、その関係の専門学校を目指してもいいのではないかとも思うのですが、本人は趣味と仕事は別と割り切っているらしく、仕事が探しやすい専門学校を考えているようです。

そのためには、この7月に「N3」には合格しておいた方がいい…ということ(計画は立てているのでしょうね)で、学校は休まない。けれども、少しでも手綱を緩めると、どこに行ってしまうかわからない。風に吹かれて飛んでいく奴凧みたいな学生です。

それが、この、眉間にしわを寄せて、「大変です。疲れました」と常に呟いているような学生と仲がいい。

多分、互いに、プラスとマイナス、マイナスとプラスの部分がうまく噛み合っていて、一緒にいると楽なのでしょうね。それに、フラフラしているとは言いながらも、これ以上はだめだと言う境界はわかっていて、そこは越えない。そういう聡明さはあるのです。

とはいえ、もう少し地道に頑張ってくれないかなあ。

そういえば、まだ「対策期間」だというのに、「次の旅行はいつですか」と聞きに来た学生がいました。「その前に、(試験が)あるでしょ」。「でも、教えて」。…8月1日、日光です。

楽しみにしてくれるだけでもいいかと、一応は思ったのですが、他の学生はそれどころではないのにね。

まあ、昨日は「七夕」で、「願い事」を書き、「七夕飾り」も作ったりしましたから、気が緩んだのかも知れません。器用な学生が多く、しかも「これも作りたい」「あれも作りたい」と積極的に参加してくれていたようでしたから、もう「試験後」に気分は飛んでいるのかも知れません。

日々是好日
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