日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「彼我の携帯電話料金」。「五感を味わえる『テレビ技術』と、マンモスを追っかける『時間』」。

2010-05-31 07:57:41 | 日本語の授業
 五月も、今日で終わりです。それなのに、この風の冷たさはどうでしょう。明日は、もう六月だというのに。「風薫る五月」は、どこへ行ってしまったのでしょう。

 もしかしたら、人間だけが、こんなに「寒い」とか、「暑い」とか文句を言っているのかもしれません。確かに、樹々からも、草花たちからも、虫たちからも、それに他国から渡ってくる鳥たちからも、文句の声は聞こえてきていません。樹々の緑も、例年通り深まりつつあるし、花々もすでに梅雨の準備をしている…かに見えます。とはいえ、物言わぬ彼らのこと、文句は「死を以て為される」ものなのかもしれません。

 今朝の新聞に、ミャンマーについての記事が載っていました。怖ろしいことです。「気温45度、死の猛暑」。ミャンマーでは、三月から五月までが一番暑いとか 、今年、この期間に、最高気温の記録が更新され、水不足が原因で電力供給も滞りがちになっているというのです。

 日本人の感覚では、38度を超える日が45日も続くということ自体、想像の域を超えています。ヤンゴンではこの5月25日まで、半年間、雨が降らなかったとか。

 この学校にも、ミャンマーから来ている学生が、今、三名います。さぞかし、心配なことでしょう。卒業生は、すでに日本語も達者になっているでしょうから、情報も入りやすいでしょうが、まだ(日本語を)勉強中の人は、そういうわけにはいきません。ただ、近代兵器である、携帯電話で母国から情報を得ているようですから、ある程度のことはわかっているでしょうが。

 この携帯電話も、日本人の感覚では、長時間使えない(何といっても高いですから)のですが、彼らは、「お構いなく」使います。これも、彼らの国では、携帯電話の料金が驚くほど安いらしいのです。

 以前、こんなことがありました。ネパールの学生が、長電話をしていたので、注意すると、「国から」という答え。それで、思わず、「大丈夫ですか。携帯電話は高いですよ。あまり長く話すと、後が大変ですよ」。

 こう、私が言ったのも無理からぬことと思われるでしょう。日本の物価で計算したからこう言ったのですが、彼は反対に、ニコニコして、「先生、国(の携帯電話)はとても安い。これは国からです。だから、大丈夫」。

 なるほど、日本からでなければ、彼らの負担にはならないでしょう。しかしながら、実際には、最初はこれで躓くのです。つまり、国での習慣が抜けきらず、つい日本でも携帯電話を使いすぎてしまうのです。そしてお金を払うダンになって、泡を食うというパターンです。日本では、日本語が上手になって、アルバイトが見つかるまで、日本から彼らの国への(携帯)電話は避けた方がいいのです(もっとも、この頃が、一番、国の両親の声を聞きたいという時期なのかもしれませんが)。極言すれば、日本の物価感覚が身につくまで、そうした方がいいのです。

 とか何とか、こういうふうに「愚痴」をこぼしたり、時には「警鐘」を鳴らしたり、また時には行事の「報告」をしたりと、このブログも、また一年が過ぎました。去年「ブログ集」を出してから、また一年分がたまったのです。それで、また、この一年間をまとめて(「まとめて」と言いましても、翻訳のついている分を印刷に出し)形に残しておこうということで、今、翻訳者が、北京で出版交渉にあたってくれています。

 昔は、言葉が違う(「日本語」と「中国語」)となかなか大変だったようですが、(誤植もありますし)、今は別に面倒はないとのことです。皆コンピューターに残されていますから、これを使うのだそうです。あれもこれもそれも、コンピューターの発達のおかげ。私などのわからないところで、アメーバー並みの増殖を続け、進化を遂げているようです。

 テレビだとて、そうです。昨今の3Dとかは、もう一般人が感じることのできるところまで技術が下りてきていますが、最先端の分野では、すでに触覚や臭覚までが、現実味を帯びているとか。

 全く、こんなことを聞きますと、自分がマンモスを追っかけているような気になってきます。種子島銃が初めて実戦で使われた時、(鎌倉期ならずとも、恩賞がかかっていますから)「やあやあ、我こそは」と声を嗄らしていた猛将は、戸惑ったでしょうね。もしかしたら「狡い…」と呟いて倒れたかもしれません。

 とはいえ、その場所に行かなくとも、においも触った感覚も味わうことができるのだとしたら、その時の「心」は、どうなっているのでしょう。人間の「思い」とは、「感覚」から「脳」に渡り、「心」に下りてくるという気がするのですが、どうなのでしょう。どのように社会が変わろうとも、機械文明、高度情報化社会が進もうとも、「その地へ行き、その地に全身を浸さなければ、味わえないような部分、気持ち」というのものは、人がヒトである限り、常に、ついて回ると思うのですが。

 もちろん、かつてその地にいたことがある、行ったことがあるという人なら、心の奥底に沈む「記憶」が助けてくれもするでしょうが、そうではなく(全くの白紙状態で)、部屋の中にいて、(テレビなどを通して)目にし、耳にし、嗅ぎ、触れたとしたら(錯覚でも)、それでも、いつしか人はそれを現実のことだと思うようになるのでしょうか。

 そうなったとしたら、ほんのごくごく少数の人だけが、「冒険」という形で野に出、山に登り、海に潜ろうとするかもしれませんが、ほとんどの者からは「現実」が失われてしまうかもしれません。そうすると、「心」というものも、もしかしたら、しまわれておく場所が変わってしまうかもしれません。

 現実から引き起こされる部分が、もしその現実が「まやかし」であることを知っていて引き起こされるのだとしたら…。何となく、話がおぞましくなってきました。私はまだマンモスを追っかけていた方がいいのです。「寒さの夏はオロオロ歩」いていた方が似合っているのです。

 教育も、原始的な部分、つまり、科学では割りきれない部分が、常に存在しています。おそらくは、どのような仕事であれ、そうでしょう。一人でできる部分と、電話で済ませられる部分と、そしてどうしてもその人に会わなければならない部分とがあるはずです。どれほど人嫌いの人間であろうと、必ずどこかで人との接点を持っていますし、待っています。

 これは、今、気づいていなくとも、「ああ、人間とはいいものだな」と感じる瞬間はあるはずです。もちろん、それを「あれは、魔が差しただけだ。錯覚だ」と思っても、です。少なくとも、あの瞬間は「人を恋うていた」のです。

 それがなくなったら、人は「人の心」を失い、無機質の世界へと、ドンドンドンドンと滑り落ちていくことになるのかもしれません。だいたいからして、「天」と「地」に分かれるべき「魂魄」も、人がヒトである限り、この体内に、一体となって留まっているではありませんか。

日々是好日
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「大学へ、或いは大学院へ。その『明と暗』」。

2010-05-28 08:37:01 | 日本語の授業
 今朝は、青空から始まりました。久しぶりの青空のような気がします。近くの小学校の「センダン(栴檀)」の樹は小さな薄紫の花をたくさんつけ、それが薄い緑の上に浮かんだ小さなアブクのようにも見えます。「樹々の夏」が進んでいるのです。初夏の到来を告げた若葉に満ちあふれた季節が終わり、花々による粧いの季節に移ったのです。今日のように風は冷たくとも、かっとした太陽の光を感じるようになりますと、梅雨の準備をしなくてはと言う気持ちになるから不思議です。

 さて、「去年の四月生」も来日してすでに一年余が過ぎ、思い違いをしていたということが少しずつわかってきたようです。「あれほど言ってきたのに」という気はしないでもないのですが、しようがないですね。判らない人にはいくら言っても判らないのです。泡を食っているということも、少しは現実が見えるようになってきたということでしょう。
 しかしながら、当てが外れて戸惑っている大卒者たちを見ると、少し気の毒にもなってきます。そんな彼らとは反対に、日本の大学へ行くことを目的にやってきた者たちは、中国の大学との違いに気づき、(期待に)胸を膨らませるようになっているようですから。

 このような事は、これまでにも口を酸っぱくして言ってきました。が、お尻に火がつくまでは、我が事として考えられなかったのでしょう。自分に不利なことは、人間、自然に耳にも入らねば、目にとめることもない…ものですから。高を括っていた罰が当たった…ような気もするのですが、本人としてはそうも言っていられません。とはいえ、まず、大学四年間の総括、卒論だけはまとめておかねばなりません。どのレベルの大学院を目指そうと、それだけはしておかねばならぬことなのですから。ところが、四苦八苦です。まず、それをまとめるのが難しい。それから、中国語に訳すのが難しい。日本語など論外です。

 大学は出たけれど…なのですね。かわいそうではあるのですが、ここまでは自分でしなければなりません。これが最初の第一歩で、これすらできないようであったら、大学院の研究生に運良くなれたとしても、ルームの迷惑になります。だいたいからして、(日本の)大学院に入ろうなどと考えるべきではないのです。「大学を出ているから、次は大学院だ」という安直な理屈は、日本では、まず、通りません。「大学で、すでに専門分野に関することを学んでおり、より深い知識や技能を習得し、同時に研究するために入るのが大学院」なのですから。

 自分の専門に対する知識もなく、雲をつかむような話しかできないようであっては、私としても指導の仕様がないのです。子供のように「あれをしたい。これをしたい」と言ってはなりません。子供ではないのですから、そこには手に掴むことのできる何かがなければなりません。「先生、どうする?どうする?」は、聞かれている私の方がそのままお返ししたいような気持ちになってしまいます。夢を持つことはいいことなのですが、基礎はどのような場合であろうと、できていなければなりません。基礎工事ができていなければ、大学院では何もできないのです。基礎を学ぶのは、大学です。その基礎もできていなくて、一体全体、何を大学院でやろうというのでしょう。

 大学院は、大学と並立して建っている「学びの府」ではありまません。その上に建っているのです。大学でこれを勉強したから、大学院では、別のこれを専攻したいなど考えられることすら、私には不思議でならないのですが。しかも分野もなにもかも、全く違うというのに。基礎を学んだことも、自分でそれなりに勉強したこともないというのに。人はだれも普通の(人間としての)レベルの能力しか持っていません。天才というのは、少ないから天才といわれるのであって、自分の能力は、まず普通の人並みと考えた方がいいのです。もちろん、私だってそうです。そうでない人は、本当に少ないのです。稀なのです。

 おそらく、これも、それすらわからないというレベル、これまでの環境のなせるワザなのでしょう。が、まずは、専門に対する確固たる理解がないことから生じているようなのです。それくらいでは、大学院では通用しないということがわからないのです。中国では、先生が「これをやれ。あれをやれ」と教えてくれるのかもしれません。自分で方向を定めて、それから、その分野の専門家を求めるという形がそれほど深い意味で定着していないのかもしれません。

 大変だなあと思います。漢族の学生の時も大変だったのですが。その専門分野に情熱がなく、「ただ大学院へ入りたい、専門は何でもいいから」で、研究生になる人が少なくはなかったのです。これは、漢族もモンゴル人も同じです。そんなことでは、当然のことながら、いい大学の研究生までは、押し込めても(言葉は悪いのですが、入ってしまえば、後は本人の努力次第です。当方としても、それができるくらいの能力はあると思って、したことです。しかしながら、この時も、専門を決められずに、「決めて。先生が決めて」と泣き付かれ、本当に困りました。日本であったら、「あり得ない。絶対にあり得ない」ことですから。とにかく、何回も何回も話し合い、学校に残したりして話し合い、少しでも興味があると本人が言う専門で受験させたのですが、あとから「あれは私がしたいことじゃなかった」などと、大学院の試験に失敗してから言われ、物凄く嫌な思いをさせられました。)、それ以後の、研究生の二年間、いわゆる「修士」を受験するまでは、本人がその専門へ向けて、必死に勉強しなければ、当然のことながら、合格できっこありません。いわば、この間を利用して、日本の大学三年と四年生分を本科生の授業を聴講しながら、勉強していくのです。

 専門に対する、強い気持ちがあった学生は、漢族であろうと他の「非漢字圏」の学生であろうと、「修士」の試験には合格しています。しかも、最難関の大学の大学院でです。

 専門に対する「思い入れ」が、あまりなく、「これがいいかな。あれがいいかな。こちらの方が大学院に入りやすいかな。あっちの方が楽かな」くらいでは、まず、かなりレベルを落とした大学院の研究生になれはしても、入ってからが大変でしょう。

 それが、どうも、去年の四月生のうち、内モンゴルから来た大卒者に、少しずつわかりはじめたようなのです。

 一方、その反対に、大学へ入るという目的できた高卒者や短大を中退してきた学生たちは、「(日本では)あれも勉強できる、これも学べる」で、目がチカチカ状態。実際は、「留学生試験」や「日本語能力試験」がありますから、その結果を見てから、受験校を絞っていかねばならないのですが、今のところ、まだ切迫感はありませんから、夢見る少女状態。これが、試験も終わり、現実と相対さねばならぬようになると、変わってくるのでしょうが、まだまだ、大学院をめざす者に比べれば、時間的余裕があります。

 もちろん、試験の結果次第で、受験すらできないこともあります。皆が皆、目指したところへ入れるというわけではありません。それに、大学との相性もありますから、オープンキャンパスへ行ってみなければ、わかりません。道はズンと先まで続いています。が、大卒者と高卒者の「暗と明」を感じさせられるのです、最近は。

 しかしながら、大卒者へこれだけは言っておきたい。「自分は大学を出ている」という変な優越感は捨てた方がいいのです。「専門をこれだけ勉強した」という自尊心は大切ですが。普通レベルの大学を出ていることなど、日本ではあまり役に立たないのです。どれだけ取り繕おうと、相手は専門家です。すぐに化けの皮は剥がされてしまいます。その時、惨めになるのは自分のはずです。

日々是好日

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「卒業生来訪」。「『初級クラス』の『一斉練習』」。

2010-05-27 11:27:01 | 日本語の授業
 昨日は、朝、あれほど(天気予報に)「ビビらせて」もらいましたのに、終わってみれば、何と言うこともない一日でした。(降る降ると言いながら)午後の学生たちが帰るまでは、お空が持ちこたえてくれたのです。が、私たちが帰る頃までは耐えきれなかったようで、降り始めの頃、ぱらつく中を「帰還」です。

 実は、午後のクラスが終わり、学生たちのノートのチェックをしていると、
「こんにちは。先生!」
と卒業生が二人、大きな声で挨拶しながら入ってきました。玄関口でも、もう大きな声が聞こえていましたから、もしかしたら、それは「先生、先生。来て、来て。私よ。私たち来たの」という彼女らの合図だったのかもしれません。

 彼女らの用事というのは、すぐに終わってしまったのですが、それからが長かった。しゃべるは、しゃべるは。もう立て板に水どころではありません。堰を切ったように、怒濤のように、山津波のように、しゃべり続けます。

「だって、ずっとしゃべっていなかったでしょう。言うことがたくさんあります」

 とはいえ、よく見ていると、二人でちゃんと分け合って話していましたから、この学校にいた時の「(先生を)独占する」という習慣は消えたようです。大人になったのでしょう、少しね。それに、一人が話している時には、ちゃんとお行儀よく聞いています。それに、先日来た仲良しさんやや旧友達の消息を尋ねることも忘れていませんでしたし。

 それどころか、帰り際のことです。
「先生、私たちがいなくて寂しいでしょ」
「いえ、閑かです」
「また~あ、我慢しなくてもいいです」
「がまんなんてしていません」
「また来ます」
(話が噛み合っていない…)

 どうも、私の話は耳に入っていなかったようで。彼らの耳は、都合の悪い時には閉じてしまうように出来ているのかもしれません。

 さて、学校です。

 「Dクラス」では、クラスの癖がかなりはっきり出て来るようになりました。それに、お互いに親しくなると、わがままも出てきます。このクラスは、今年の「四月生」が六人、去年の「十月生」が二人、また開講と同時に入ってきた在日の人が三人、最近入ってきた人が一人と、今のところ、十二人で構成されています。

 授業中、「単語」や「文型練習」の一斉練習の時には、ややもすると、女子学生の声の大きさやスピードに男子学生がついて行けずに、「あわわわ」となったり、途中で「あきらめ顔」になったりしがちです。実は、こういう時こそ、教師の出番なのです。日本とは違い、周りに合わせて、スピードを調整するという作業が苦手な人が多いのです。

 それに、このクラスの学生からは、(見たところはでのことですし、在日の人は別にしてなのですが)母国でも一生懸命に受験勉強をしてきたという感じを受けないのです。以前、よく見られた、できなくても食らいつくというタイプはいないと言ってもいいでしょう。それゆえに、少しでもついて行けなくなると、「もういいや」とばかりに、ポロリポロリと落ちてしまうのです。

 しかしながら、「初級Ⅰ」段階で、落ちてもらっては困ります。学生たちの顔(口と目)を見ながら、速さを加減させ、教師の言う速度に合わせて言わせていけばいいのです。またそれができない(皆より先に言いたい、少しでも速い速度で言ってしまいたいと思っている)学生には、手や目で指示を送り、スピードを調節させていけばいいのです。学生たちにしても、これは日本で生活する以上、必要な習慣ですから、無駄にはなりません。

 今日は、途中で一旦筆を休め、外へ出てきました。戻ってからまた続きを書いているのですが、午後の学生たちもそろそろやってくる頃です。「ギリシャがわからない」と言ってDVDを借りていった学生に、「どんな服を着ていた」とか「どんな顔をしていた」「風景は」「どんな建物に住んでいた?」とか訊くと、キツネに抓まれたようなような顔をしていました。それでいいのですけれどもね、最初は。

日々是好日
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「日本の治安」。「日本語学校へ『学生を紹介する人』に、判っておいて欲しいこと」。

2010-05-26 08:52:34 | 日本語の授業
 灰色の雲が空に貼り付いています。関東地方では、午後から雨、時には突風を伴い、雹が降るところもあるとか。今日のような日は、折りたたみの傘はだめですね。使い物にならないでしょう、がっちりとした傘でなければ。それに、東西線はどうなるでしょう。何と言っても風に弱いですからね。夕方から、日本橋や東陽町にアルバイトに出かける学生たちは、無事帰ってこられるでしょうか。とはいえ、これも経験です。このような時にはどうしたらいいかを学べる、いい機会なのです。

 もちろん、これは異常事態です。こんなことがしょっちゅうあってはたまりません。が、(こういう場合には)まず、駅員さんに、どうしたらいいかを訊くことです。どこへ帰りたいのかを言えば、多分、一番いい方法を教えてくれることでしょう。行き当たりばったりのようですが、道がわからない時にやることと同じです。私だって、終電に遅れて、どうしたらいいかを駅員さんに聞き、教えてもらった深夜バスでうちの近くまで行き、それから歩いて帰ったことがあります。

 こういう時、改めて日本の治安が、他国と比べて格段にいいことがわかります。日本人は常に、「昔はもっとよかった」と言うのですが。

 世界には、昼間だって、外を歩けないという国があるのですから。

 先日、日本の治安について学生たちと雑談しました。学生たちの出身国はスリランカ、インド、カンボジア、フィリピン、ガーナです。スリランカの学生が「先生、女の人でも、夜、外を歩いています」と目をまん丸くして言いますと、インド人の学生が「先生、私は父に電話しました。父は非常に驚いていました」と、電話するまねをしながら言うのです。

 女性が、夜歩けるということは、女性の自立にも係わってくることです。夜一人で帰れなければ、できる仕事も限られてきますし、車での送り迎えがなければならないということになりますから、普通の階層の女性は、男性と伍して働くことができません。

 (母国では)危険だったからというわけでもありますまいが、以前は、群れをなして歩くという習慣がなかなか消えなかった学生たちもいました。女性ならまだしも、体格のいい成人男性が五人、十人と群れ、タラリタラリと歩くのですから、皆(日本人)が避けて通るのも当然です。しかも、胡散臭い目つきで見られているのに、それに気がつかず、我が物顔で、大声で話しながら歩くのですから、たまりません。見つけたら、すぐに呼び出して、「全く、小学生じゃあるまいし。男なら一人で歩け」と叫んだものでしたが。

 一言申し上げておきますが、「なんという、なんと乱暴な人間なのか」などと思わないでください。時には、こういうほうが相手に通じるのです。こういう場合、大切なのは、間髪を入れずに迫力で押していくということなのです。日本人に日本語で諭すようなやり方では、相手にわからないのです。日本語のレベルの問題もありますし。(当方が)怒っているということがわからなければ、それこそいくら言っても蛙の面に何とやらになってしまいます。これでは、私もくたびれ損ですし、学生の方でも、日本人から嫌われるやら、アルバイトは首になるやらで不幸になるのです。

 ただ、これは、(彼らの)国での習慣なのです。国情を聞けば、群れていた方が、諸般において安全だという考え方があるのも当然だと思います。

 もっとも、(日本語)学校で指導しておけば、(日本ではどうすべきかという知識は得られたことになりますから)だんだんに変わっていくのですが、それでも、時折、近所で、群れている大柄の外国人男性達を見ると、これじゃあ、日本人から嫌われるだろうし、怖がられるだろうなと思います。かといって、見も知らぬ人に「日本では、成人男性が群れて、タラタラと公道を歩くという習慣はありません」などとも言えないではありませんか。

 これに類することは、他にもあります。あるスーパーでに、まだ小学校へ入る前の子供を連れた外国人夫婦が買い物にやって来たのですが、その子供が、店の中で、きれいにパックされている野菜を手にとっては、ぐちゃぐちゃと押してまわっていたのです。買ってしまえば、どう扱おうと文句を言えた義理ではありませんから、店の人も放っておくでしょうが、まだ商売物の段階です。

 買い物客達は、嫌そうに見ていますし、その子が触ってぐちゃぐちゃにしたものなんか誰も買わないでしょう。思いあぐねたように、一人の店員が、それでも遠慮がちに、父親の方に注意しました。もちろん、日本語でです。彼は何を言われているか判らなかったようですが、注意か何かをされた、つまり非難されたとは感じたのでしょう。もしかしたら、理不尽なことを言われたくらいに思ったのかもしれません。大きく両手を開いて、天を仰ぎ、どこの国の言葉かわかりませんが、大声で何か言っていました。そして、何か言うたびに、家族を見たり、辺りに目を走らせたりしていましたから、自分には非はないことを皆に告げたかったのかもしれません。

 しかし、周りの日本人は、その子供が商品を乱暴に触ったり、パックの野菜を玩んで潰したりしていたのを見ていましたし、夫婦もそれを知りながら、叱ったり、注意したりしていなかったのを見ていましたから、とんでもない外国人としか思っていなかったでしょう。自分の子供が、売り物を潰したり、壊したりしてしまったら、親はもうそれを買って責任をとるしかないのです。商売ものなのですから。それが日本の習慣ですし、おそらく日本だけにあるという習慣でもないでしょう。

 日本ではこういう場合、親の教育がなっていないとか、躾が悪いとかすぐ言うのですが、親がこうでは言いようがありません。それに、外国で暮らす上で必要な、想像力の問題でもあるような気もするのです。ただ、日本に来ているのに、日本語が全くわからない。日本で生活しているのに、日本の習慣を全く知らない。こういう人を以前はよく見かけました。

 「ITバブル」、華やかなりし頃のことです。日本へ行けば稼げるとばかりに、アメリカやヨーロッパでは通用しないレベルの人たちが大挙してやって来ました。仲介業者の中には、日本についての説明なしに、大勢日本に連れて来た人も少なくなかったようで、そういう人が家族まで連れて(日本に)入ってくれば、当然のことながら、地域住人との間に摩擦が起きます。ほとんどの人は外国暮らしの経験もなかったでしょうから。

 最近は「ITバブル」もはじけ、そういう人は少なくなってきたようです。この学校でも、日本語を学びたいと自分の意志でお金を払って勉強に来ている人ばかりです。以前のように、嫌な思いをさせられるも少なくなくなりました。けれども、今から考えてみると、あの頃は、やはりおかしかったのです。

 旅行で行くにせよ、一応の知識は仕入れて行くのが当然です。それが、そこで働こう、生活しようというのに、全く相手の国を理解しようとせず、自分の国のやり方でゴリ押ししようというのですから。

 この学校にも、自分の国から親戚や兄弟を呼びたいという人は来ます。その時、まず、その人達が日本に順応しているかどうかということです。一攫千金を目論んできていたり、日本企業で働いたことがなかったりすれば、日本での習慣がまずわかっていないと見ます。

 この学校には、常に十数ヶ国から来た学生がいますが、それでも初めてという国があります。「その学生を呼んだ人」の手を借りなければならないことが発生することもあるのです。そういう時、その人が頼りにならなければ、私たちとしてもどうしようもないのです(最初の半年ほどは日本語が話せませんから)。

 日本人は病気をしていても働こうとします。それがいいことかどうなのかはさておき、そういう習慣があるのです。自分が休めば、誰かに迷惑がかかります。皆が困るのです。だから休めない。それを皆が知っているからこそ、大変な時には、「お互い様だから」と言って労ってくれるのです。端っから、いい加減な人だったら、だれもその人の存在を許してくれません。働く上での価値観を共有出来るから、互いに助け合えるのです。

 それが、一人いようが二人いようが、構わない。仕事の量は(全体で)全く同じ。一人分の仕事を、十人くらいがタラタラとやって(いかにも忙しそうに振る舞って)ごまかしているという国もないわけではないのです。そんな国から来ている人は、(それが習慣ですから)日本でもそうしようとします。そして、アルバイトで非難され、解雇されても、まず、自分が悪いとは気づきません。反対に相手を非難しようとします。

 そういう時に、私たちがその人に日本の習慣を説明しようと思っても、まず共通言語がなければそれもできません。それに、こういうことは、話の持って行き方も考えなければなりません。それなのに、私たちには彼らの国と日本とを対比させながら説得させていくだけの知識がないのです。

 かといって、この学校の学生です。放っておくわけにはいきません。その時に、その人を紹介してくれた人の手を借りなければならないのです。それなのに、その人が日本社会のことに疎かったら、万事休すです。その学生が、自由に日本語で話せるようになるまでの一年間を、じっと待っているわけにはいかないのです。学生は生活しなければなりませんから。日本での暮らし方を説明し、この国ではどうしなければならないかを、きちんと説明してやらねばならないのです。私たちが話す言葉を、彼らの言葉に翻訳し、しかも、自分の経験を交え、説得してくれるだけの力が、紹介者には必要になるのです。

 もちろん、学生が来日前に、すでに「N1(一級)」か「N2(二級)」くらいのレベルがあれば、日本語でも説明ができますが、「非漢字圏」の学生たちには、まずそれは期待できないでしょう。この学校でもそういう学生は一人しかいませんでしたから。他は、上手と言っても、せいぜい「N4(日本語能力試験3級」レベルでしたし。

日々是好日
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「『街の樹、街の花』、『山の樹、山の花』」。

2010-05-25 07:57:51 | 日本語の授業
 今のところ…曇り、時々晴れ…とでもいうところでしょうか。

 今朝、観賞用の「アジサイ(紫陽花)」を見かけました。鮮やかな青紫をした、見事な大輪の花でした。確かに「見事」は「見事」なのですが、この見事さは、「観賞用」という言葉に尽きるものであって、それ以上ではないのです。

 「人工物」や「人為的」という言葉には、「それだけのものでしかない」という意味が含まれているような気がします。「美しさ」を追求していけば、それなりのものは作り出せるでしょう、今現在の科学力であっても。けれども、そのほかのものはどうでしょうか。そういうものが作り出した「美」を感じた瞬間には、すでに、そこにあり、感じたはずの「美」は、坂を転がり落ちるように、その中から失われているかもしれません。「迷い」や「疑い」を生むのです、こういうものは。 

 「美しい」ものと、「『美しい』では、括れないもの」とは違います。人工物ではないものの中には、多層な存在が見え隠れしているのです。ある層には「美」が含まれているでしょうし、ある層には「気味悪さ」が含まれているかもしれません。しかも、その一層一層がいくつもの膨らみを持っているのです。そして、私たちの心の揺らぎに応じて、その顔を覗かせるのです。

 そこに無意識に存在する「在るもの」の姿を見て、ある時は、心が安まるかもしれませんし、畏れを抱く時があるかもしれません。人工物とは違うのです。人の心を映し出すのです。何もないというと語弊があるかもしれませんが、荒れ果てた大地からでも、人々は宗教を生み出してきましたし、豊かな物語も紡いできました。

 もちろん、日本の山の木々が、全くの原始林であるというはずはありません。自然の森に見えても、ほとんど、必ず、どこかに人の手が入っています。「神の森」といわれていても、「鎮守の森」と大切にされていようとも、そうです。そのどこかに、古代人の痕跡があるはずです。が、人が手を入れることを「憚る」ようになって、何百年か何千年か経ちますと、もうそれは「人」という「矮小な存在」とは無関係のものになります。「神柰備(かんなび)の」という枕詞で飾られるようになるのです。育ててもらうために、人の手を期待し、人を待つ森や木ではなくなるのです。

 それどころか、逆に、人を怯えさせ、その中に引き込まれることを畏れさせたりする「恐怖の森」となることもあるでしょう。或いは、現世の人と黄泉の国の人とが「交信」できる、懐かしい「聖なる場所」となったりもするのです。あるときは、人を生まれ変わらせ、あるときは、人を癒す「母なる森」は、人が手を加えて簡単にできるようなものではないはずです。人間の目論見は「人間の幅」でしか作れません。人の「肚」はどんなに大きくとも、「自然」に太刀打ちできるほどにはなれません。この違いは大きいのです。

 「街の木」や「街の花」は、確かに立派ですし、華やかです。それに比べれば、山の樹や山の花は大きさに圧倒され、一つ一つに目をとめることが、一見不可能に思われます。何といっても、人に媚びていませんから、無愛想ですし、突っ慳貪に見えます。人に「阿って」いないので、距離を感じてしまうこともあるのです。森の木々も花も、独立独歩、己の生の責任は己がとるという態度からでしょう。

 激しい生存競争を生き抜いてきたのです、生まれた時からたった一人で。「種」が風に吹き飛ばされ、雨に打たれ、ある地で、一旦発芽してしまうと、もう根を生やすしかないのです。嫌だからといって逃げ出すわけにもいかないのです。どのような場所であれ、自分で自分なりの「境遇」を作っていくしかないのです。他の植物と争いながら「光」を手に入れ、「水」を汲み取り、「養分」を己のものにしていくしかないのです。

 そのどれもに「運」が関係してきます。誰かの引きによる「(幸)運」ではなく、たまたま水が豊かであったとか、たまたま大木が倒れ、「倒木更新」の時季に居合わせたとか、そういう「運」なのです。そこには「命の連鎖」という助け合いの精神も確かにありはしますが、それは、あくまで偶然による「助け合い」なのです。

 人が卑しく見えるのは、それを期待する心が見えるからでしょうし、また、親などの地位や経済力で守られ、それを他者にも要求する「図々しさ」が感じられるからでしょう。

 山に行き、だれもいないところで、大樹の根元に腰を下ろしたり、あるいは、渓谷の岩の上に腰を下ろし、川の流れや風の音に耳を澄まします。風が渡るのを知ることができるのは、木々の梢の葉がざわめくからであり、風が私に触れるからではありません。川のせせらぎを知るのも、水中の小石や突き出た岩にあたるからであり、互いの関係が私にその存在を感じさせてくれるのです。もの皆、すべてはつながり合い、しかも隔たっている、そのことを体感できるのは、沈黙の中にある存在の中だけでしょう。

 人が人に好感を持てる時というのは、極端な言い方をすれば、その人が自分しか見ていない時です。他者の目を全く意識せず、己のしたいことを「ごそごそと」している時なのです。その時はその人の空間は他者の空間と完全に切り離されていますし、その人には自分の時間しかありません。その中で、ある時は「時が永遠」になり、また、ある時は「時は刹那」にもなるのです。

 街の花の美しさに見とれているうちに、何がなしに悲しくなり、こんなことを書いてしまいました。

日々是好日
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「雨にけぶる山」。「『マレーシアなどでは、大学日文科卒で『二級合格』、『内モンゴル』でも?」。

2010-05-24 08:27:09 | 日本語の授業
 昨日は一日中雨でした。この雨は、今日もまだ降り続けるつもりのようです。街は、すっかり梅雨時の様相を呈しています。「アジサイ(紫陽花)」の葉も随分大きくなりましたし、派の真ん中にちょこなんと見えていた、小さな蕾も、日一日と数を増していくようです。

 梅雨時の山は、それこそ新緑に包まれます。「滴るような緑」というのは、斯くの如きものであるかと認識させられます。特に、深い樹々に覆われた滝の近くや川沿いの道を歩きますと、アジサイの仲間たちが、ざわざわと雨に打たれながら出迎えてくれます。まだまだ梅雨というには早いのですが、山が恋しくなるのは、このような新緑の頃なのです。

 日本の山では「蛇」を「山神様」と崇めるところが多く、どこへ行っても、「湧き水」と「蛇」の姿は、ついて回ります。私は「ハ虫類」が大の苦手で、以前、一人で(山へ)行く時は、いつも晩秋から冬にかけての頃を選んでいました。もちろん、「蛇など蹴散らせる」という、鼻息の荒い「山好きさん」も、友人の中にはいましたので、彼女らと一緒の時は、四季を問わず、行っていました。

 一口に「山へ行く」と言いましても、「登る」ことに価値を見出す人もいれば、「場所」や「光景」を求める人もいます。私は後者の方で、心が惹かれるところに出会うと、何時間でもボウッとそこに座っていました。景色さえあればいいわけですから、別に、「山に登る」必要などはなかったのです。ところが、日本でも、そういう「景色」は少なくなりました。ボウッとできる場所を探すためには、「山へ登る」という汗を搔かねばならなかったのです。

先日、学生たちと、山とか蛇とかの話をしました。男女を問わず、大半の学生が蛇が苦手で、ここでも同類を見つけたというわけなのですが、一人、内モンゴルから来た学生が「私は大丈夫です。蛇が穴に逃げ込んだところを捕まえて、振り回して捨てたりしました」と、ニコニコしながら、言ったのです。

思わず「君とは山に行きたくない」と叫んでしまいましたが。突然、頭上から蛇が降ってきたとお思いあれ、全く、心臓が止まってしまうのではありますまいか。

 ところが、私の友人たちも、一人二人と、ふるさとへ帰ったり、体調を壊したりしてしまい、(私自身も足を痛め)山歩きと縁が切れてから、もう十年ほども経ったでしょうか。それが、足の治療を始め、少しよくなり始めると、何となくまた山へ行けるかもなどという希望が生まれてきたから不思議です。

 街で見かける樹々も草花も、それは、それなりに美しいのですが、山の気に包まれ、育まれてきたものとは、やはり違うのです。まず「におい」が違います。山にいるものからは、「息」が匂ってくるのです。

 雨が続く季節になりますと、どうもいけませんね、山が恋してくてしかたがなくなります。

 さて、話は変わって、学校です。

 先日、「マレーシア」から来てる人(在日の人で、大卒です)が、「日本語能力試験」のことを尋ねました。どうも、今年から新たになった「N1」「N2」「N3」「N4」「N5」というのがよくわからなかったようなのです。そのついででしょうか、「マレーシアでは、大学の『日文科』を卒業した人は、『二級試験』に合格しています」と、ポツリと、言いました。

 「そうかあ、やっぱり」でした。「スリランカ」もそうでしたし、「タイ」でもそういう話を聞いたことがありました。「タイ」では「二級試験」に合格していると、日系の企業で働けるとも言っていました。

 中国では、大学四年で「一級合格」とよく言われていました。が、どうもこれは、大学側が、「一人でも落ちると、まずい。格好がつかない」故に、そうしているだけのことで、実際に、学生に問題集を与え、文法の説明と語彙の説明を多少でもしてやると、三年になったばかりの学生でも(重点大学ではありません。普通のレベルの大学です)、五割方の確率で「一級試験」に合格できるのです。この時は、試験直前に一ヶ月ほど試験対策をしただけでしたが。

 ところが、同じ「中国」人と言いましても、「内モンゴル」ではそうではないようなのです。「マレーシア」や「タイ」、「スリランカ」などと同じようなのです。もちろん、「タイ」や「マレーシア」の学生達は、「漢字」に全く慣れていません。それは当然のことながら「内モンゴル」の学生たちの方が(彼らよりも)強いはずです。「漢字」だけではなく、漢字交じりの文章を読みこなすのは、もっと大変でしょう。なにせ、「日本語」には、「漢字」「ひらがな」「カタカナ」があり、「漢字」の読み方も、一つや二つではききません。

 中国の「内モンゴル」から来ている学生は、「マレーシア」や「タイ」の学生と同じなのです。大学の日文科卒で「二級」合格なのです。初めてそれを知った時、「へえ」と怪訝な気がしたものですが、彼らと触れあううちによくわかりました。「漢字」が苦手なのです。苦手と言うよりは、もしかしたら「書く訓練」ができていないと言った方がいいのかもしれません。

 特に、内モンゴルの民族系「短大」から来ている学生がそうでした。指の使い方などは、全く初めて漢字を勉強したというタイやスリランカ、マレーシア、ガーナ、タンザニアなどの国から来た学生たちと同じでした。つまり、「漢字を書く」時、必要な「指の筋肉」が鍛えられていないのです。

 日本でも、小学生の一年生や二年生には、特別に太い円い鉛筆を使わせます。彼らを見ていますと、あれで、練習している時のような感じなのです。一画一画の引き方なのです。

 もちろん、話すことは「非漢字圏」と同じように、すぐ「ペラペラ」になります。けれども、それから上(「書く」、「読む」)に、なかなか行けないのです。最近は、コンピュータがありますから、漢字を知っていれば、何とか文章は繋ぐことはできるでしょう。けれども、それでいいのでしょうか。問題はないのかしらんという気がします。

 せっかく日本に来たのですから。この学校に入っているのですから。やはり、順を追って勉強させていこうと思います。「漢字」を書くということは、また「漢字交じり文」を読みこなせるということは、決して無駄にはならないでしょうし。

日々是好日
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「『青空』と『小鳥のさえずり』」。「『素直さと単純さ』、『頑迷さと我の強さ』」。

2010-05-21 08:27:54 | 日本語の授業
 今朝は見事な五月晴れになりました。小鳥達の囀りも明るく聞こえてきます。昨日は一日中雨でしたから、余計に大忙しでしょう。けれども、こんな「騒がしさ」なら、大歓迎です。こんな囀りは、青空によく似合います。

 しかしながら、日本の季節というものは、本当に深層水の重い流れのように、ゆっくりと流れていきます。すでに夏の盛りを感じさせていながら、しかも、まだ春の尾っぽを、しっかりとつけているのです。これが、夏の盛りにでもなれば、次の秋の寂しさが、人々の心にひっそりと忍び込むということになるのでしょうか。

 これは潮の干満にも似て、閑かでありながら、それでいて、白い波頭が鮮やかな存在を主張しているように、ジワジワと時を噛んでいくのです。このような風土で、生い育ったからでしょうか、詩人云々という人たちのみならず、詩心を特に持たぬ者でさえ、それを感じて生きてきたのです。おそらく、季節というか、時季というか、そういう一年の流れが、割合にスパッと切れているようなところでは、そうはまいりますまい。

 断崖から飛び降りたように次の季節、或いは時季というものが始まるのです。そして、終わりも唐突にやってくるのでしょう。それ故に、冬から春、或いは乾季から雨季への喜びは歓喜となって溢れ出すという具合になるのでしょう。日本の場合は、何事もジワリジワリと進んでいきます。

 「貫く棒の如きもの(虛子)」という、重厚で緩やかな四季の移ろいは、それに沿うような芸術を生み出して来ました。

 その芸術も、いつの間にか、軽さと重厚さとに、くっきりと分かれ、日本全体でバランスをとりながら、現在に至っています。ところが、人という「個」は、いつまで経っても、心をはっきりと二分できないようのです。一方に偏りすぎてしまうと、どうも不満を感じるようなしくみにできているようなのです。それゆえに、常にいくつかのものを恋ルのかもしれません。しかも、それでいて、明るくわかりやすい、単純さにも憧れるのですから、困ったものです。

 その点、今年の「四月生」は、おっとりして、非常にわかりやすい学生が多いのです。それがクラスのカラーになりそうなほど「素直」なのです。これは一番若いクラスだからかなと最初は思っていたのですが、どうもそういうわけではなさそうなのです。

 年齢が高く、しかも、学歴が高い学生が、一番素直なのです。これは彼らが彼らの国では珍しい大学出であることとも関係があるでしょう。頭のいい人というのは、「見分ける」ことができます。だからでしょう、授業中、教師の指示に従えるのです。つまらぬ文句をつけたり、いらぬ我を張ったりしません。それが言語なり技術なり知識なりを習得する上で一番手っ取り早いということがわかっているからなのでしょう。面倒な小細工をすればするほど、自分にとって不利になるということは言わずもがなのこと。ただそれがわかっていても、してしまうというのが、一般的な、つまり平均的な人がヒトである所以なのでしょうが。

 「やはりな」と思います。できる人は、できるべくして「できている」のであって、それ以外の理由など何もないのです。またあるわけがないのです。と、まあ、念仏のような言い方で、恐縮ですが。ある意味では、彼らが若い人たちを引っ張っているのかもしれません。若い人たちは若い人たちで、「先生、すごい。あの人は○○です」と、無邪気に他者を褒めあげます、その褒める理由というのも、またそれを褒めるという感性も、いわば私たちから見て、まともなのです。

 実は、時々、どうしてこんな人間を重んじるのだろうとか、どうしてこんな人を信じるのだろうと、不思議でならない時があるのです。教師としてこれはまずいなとは思いますが(もちろん、だからといって、贔屓や村八分はしません。当たり前です)。

 これは国や民族によって、どうも違うようなのです。日本人の感性からいえば、「(こういう人間は、できれば)遠ざけたい」と思われる人であろうと、彼らの国では、こういう人間のほうが世渡りがうまいからなのか、あるいは、「(そういう人間のそばにいれば)おこぼれ」に預かれる機会が増えるからなのか、避けるどころか、反対に近づこうとさえするようなのです。

 そういう「気味の悪さ」というのが、この「四月生」たちには、ほとんど感じられないのです。もちろん、若い人(18才とか19才)たちだからということもあるでしょうし、若くない人はそういう人で、知的であるということも関係しているでしょう。中には、勉強をする習慣がないまま日本に来てしまった学生もいるのですが、そういう学生であっても、「純」の部分を感じることが少なくないのです。現実が見えないという欠点はあるにしても。それは、これまでの教育的環境がなせるワザで、ここでは、教師が「こうしろ」といえば、後ずさりしながらでも「はい」と答えます。できるかできないか、するかしないかは次の課題です。まずは、素直に返事をするということが大切なのです。そのうちに、ここまではできて、これ以上はできないという線が、教師の側にも、学生の側にも見えてきます。万事はそれからです。

 というわけで、「四月生クラス(Dクラス)」は、一応、テンポよく授業が進められています。テンポはいいのですが、ただ「詰めが甘い」若い人が多いので、そこだけは要注意。ニコニコしながら、間違えるのです。一斉に声を出して練習している時も、大きな声で間違えます。睨まれて、舌を出したり、赤くなったり、それでも、声は小さくなりません。ところが、これも「女男低」で、人数は同じくらいでありながら、男子学生の方が声が小さいし、テンポも遅れがちです。

 「女の子が威張っている方が、世界が平和になる」というのは、この教室においても真実のようです。

日々是好日

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「形容詞の『拍』」。「新入生との『蜜月』、終了」。

2010-05-19 09:10:07 | 日本語の授業
 今日も「晴れ」は続いています。けれども、この「晴れ」もだんだんと下り坂に向かうそうで、それを証するかのように、風が強く吹いています。朝からの「風」というのも、思えば久しぶりのこと。このところ、ずっと、凪いでいましたから。気温も一日中あまり上がらないとか。昨日までの「暑い、暑い。先生、冷房」という声は、「初級のクラス」からも聞こえてきそうにありません。その点、すでに一夏を、日本で過ごしてきた先輩格の学生たちは落ち着いたものです。

 さて、4月12日から始まった「Dクラス(初級Ⅰ)」も、昨日、どうやら、形容詞の「過去形」まで入りました。しかしながら、どうしても、現在形の否定「くない」の「く」と、過去形「かった」の「っ」と、「くなかった」の「っ」が、うまく聞こえてこないのです。

 現在形の分は、「拍」を刻みながら、唱和していくことで、どうにかなるにしても、「拍」の問題とは、一概に言えないような、過去形の「っ」が、どうしても、消えて聞こえるのです。それで、リズムをとりながら、そこのところだけ、手を使って「上に上げ、一拍休む」ようにさせて、練習を繰り返しているうちに、皆の喉を嗄らせてしまいました。それでも、あと一回という声に、素直に応えてくれます。

 昨日のところでは、形は少しはわかったでしょう。この「形容詞の活用」というのは、「動詞の活用」が入る前にできるだけしつこくやって、定着に近い状態まで持ち込んで置かねばならないのです。だいたいからして、「入れた」というのは、あくまで「入れた」に過ぎぬことなのです。しばらく練習せねば、「定着」に近い状態にはなりません。時間がかかることなのです。それを、教員の中には、「定着した」と早呑み込みしてしまうような人もいるのです。まあ、ともあれ、学生に、「っ」のところでは、「グッ」と足の指先に力を入れ、リズムをつかませるように指導していきます。

 こう言いますと、少々堅くなってしまいますが、学生の方は、案外こういう単純作業が好きとみえ、皆、大喜びで、「斉唱」してくれます。いくつかの「難関語」は別にしても、言っているうちにリズムはドンドン速くなっていきます。それを押し止めるのも厄介と言えば厄介です。ノッテいるわけですから。

 中でも、先日、どうしても口が回らず、置いてけぼりを食いかけた、フィリピンのR君とベトナムのF君のことです(この時は、ただカードを見ながら単語を言うだけでしたが)。なぜか、R君のほうは、難しいはずの形容詞の過去形なのに、女子学生の速さについて行けたのです。皆は「おーっ」と感嘆していました。不思議ですね、「八課」くらいの所では、途中でついて行けなくなり、「あ~、あ~」と言いながら、女子学生の方を睨んでいましたのに(この頃は、観察期間です。情況に応じて対処の仕方を変えていきます。どういうやり方がいいのか、勘が半分です)。

 けれども、F君の方はまだまだですね。途中で諦めているのがわかります。とはいえ、放棄するのを、当方としても許すはずがないということで、まずは、女子学生に、あまり速くならないように指示します。それでも、一緒に言っている様子が見えなければ、目で合図。皆もわかっていますから、パッと口を噤んで、F君を見つめます。

 F君も自分の舞台だと言えるのです。まだまだの学生には、90分のうち、いかほどかを彼らのために割いてやります。まあ、当然のことですが、がんばる学生には多めに、がんばらない学生には、…、それなりに。

 こういう空気は他の学生にも伝染します。「この人は頑張っているな。自分も頑張らなきゃ」というふうになれれば、「しめた」ものです。悪い空気(やる気がない。そういう習慣が母国で培われていないどころか、他の人まで引っ張ろうとする)が、伝染するのは困ります。ですから、そういう人は次第に教室の中では、出番が少なくなっていきます。
 
 一斉授業というのは、もともとがそういうものです。後は個別の指導です。それでどうにかなるかならないかは、本人の問題です。もう皆子供ではありませんから。すでに20才をいくつも超えている人に向かって、「どうして勉強しませんか」も何もないでしょう。「これはやる気がないな」と思えば、「チャンス」は、やる気のある人のほうに向けてやるべきです。

 これは、「クラス作り」の上からも必要なことです。「どういうクラスにしたいか」というビジョンがなければならないのです(もちろん、「日本語学校」には、時々「これは論外」という人たちが来ることもあります。もうこれは不可抗力に近いのです。日本人同士ですら、選ぶと言うことは難しい)。まずはこういうクラスにするという共通理解を、クラス担任をはじめとする各教員が持っておくべきなのです。

 何と言っても、「クラス」が作れなければ、一斉授業などできません。途中から出入りすることを宿命づけられている「クラス」は別ですが、始めからほとんど顔ぶれが変わらないクラスは、きちんと「クラス」として成立していなければおかしいのです。まだまだ「初級」の「12課」。分解させるには速すぎます。それに「(今はできない人を)待てる」というのも、一つの能力なのです。そこはそれ、相手を「見る力」が必要になることですし。

 人にはそれぞれ能力があり、それは「皆、違っているし、違っていて当然だ」と言うことに気づいてもらう必要があります。すべてに長けている人などこの世には存在しません。人付き合いも、「能力」の一つですし、親切さも「すばらしい能力」の一つです。
 「先生、○○君はこれが上手」「先生、私はこれができない」などが、はにかみもメンツも必要なく言えるようになってこその「クラス」ですし、「共同体」なのです。

 クラスのうち、一人だけがうまくなるということはありません。言語に関する天与の才能の多寡の違いはあっても、クラスの中に、一人上手な子がいると、他の人も釣られてドンドン上手になるというのが、普通なのです。一人だけ突出して上手になり、他の人が落ちていくというのは、いわゆる「欠陥クラス」と見ざるを得ません。日本人はこれを「問題クラス」と見るのです。

 「あの人が、グイグイ引っ張っていってくれたから、難しいことまで勉強することができた」と、クラスメートに言わしめることができてはじめて、共同体としての「クラス」なのです。ただ、この時も教師の役割は欠かせません。「黒子」で徹するのは、当然のことながら、「出過ぎるクイは打ち続け、落ち込みそうなクイは引っ張り上げ、なおかつ、その他のクイはそれなりに平均点を上げさせ」という行為も続けていかねばなりません。

 とはいえ、まずは、勉強習慣をつけていかねばなりません。この家で勉強するという習慣なしに来日している人も、中にはいるのです。彼らの国では、学校に行って座っていれば、それなりの点数が取れたのでしょう。だから、日本へやって来ても同じように過ごそうとしてしまいます。こういう考え方を、叩き壊しておかなければならないのです。鉄は熱いうちに打てと言うではありませんか。メクラ滅法にやるのは問題ですが、「初級」の間は、この「宿題をして来ない人」に、手加減をしてはならないのです。特にこのクラスのようにまだ十代の者もまた二十歳になったばかりの者も多くいるクラスにおいては。

 学校へ来たら、まず、宿題をかごの中に提出し、教室に入る。教室では、席に着いたらすぐに、机の上に、教科書とノート、鉛筆など授業に必要なものを出しておく。この習慣から始めなければならない人も少なくないのです。

 小学生のような、と言うこと勿れ。現状とは、本当にそんなものなのです。「様子見」期間は、長くても、一ヶ月。それが過ぎたこの頃からは、もう新入生との「蜜月」は終わりです。これまでも、(必要に応じて、少しは手加減していましたが)注意は与えてきました。もう、「日本に来た。他国へ留学した。嬉しいな」の時期は、とっくに過ぎています。これからは、日本での「生活」が待っているのです。

 ということで、「Dクラス」でも、「『仏』半分、『鬼(閻魔)』半分」の普段の顔(私のことです。「仏」一方の教員もいます。念のため)に戻って、授業を始めることにしましょう。

日々是好日
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「『風』を味わう、『雨』を味わう」。「『読解』、『個』から『普遍』へ、『普遍』から『個』へ」。

2010-05-18 08:22:55 | 日本語の授業
 今朝も五月晴れ。風はありません。

 昨日、「Aクラス(大半が去年の四月生です)」で、「凪」について話をしました。上のクラスですので、どうしても中国人が多くなります。東北地区や内モンゴルから来ている学生たちには、「海」という感覚(海のイメージといった方がいいのでしょうか)がありません。一人、中国の南から来た学生だけが、「うん、うん、わかる」と頷いていましたが、そのほかの学生たちは、「朝凪」「夕凪」という言葉にも、ただ「ホウッ」という表情をみせるだけです。その上、なぜかミャンマーから来ている学生までが、キョトンとしているではありませんか。また、その時は笑ってしまいましたけれども、考えてみれば、彼らも内陸部出身者。川のことはわかっても、海までは、想像できないのでしょう。

 海の近くで暮らしていれば、風が止まるということが、経験からわかります。「風」のことを話しているうちに、一人の学生が「梅雨」のことを言い出しました。どうも、乾燥地帯から来ている学生たちは、去年味わった「梅雨」に畏れを抱いているらしく、二人いる「今年の四月生」に話し聞かせているうちに、だんだん興奮してきました。
 「本当に、本当に嫌です。雨がずっと降るのです」。
 私が「梅雨時」という言葉から連想される「湿度を帯びたなよやかさ」めいたもののことを話し始めますと、途端に「…わかりません。でも、「嫌です」という反応が返ってきました。

 日本人の心には「湿度」というものが、生きていく上で必要な「美の要素」として組み込まれています。「乾いた」という言葉から連想されるのは「カラカラ」であり、「バリバリ」という、マイナスの音なのです。

 もっとも、彼らは、別に、日本文学を専攻したいという人たちではありませんから、構わないのですが、おそらく、何年日本にいても、梅雨時、「窓の外のアジサイの葉を叩く雨の音に聞き入る」とか、「雨上がりの闇の中を緩く飛ぶ蛍の光に見入る」とか、或いは蝸牛や青蛙の姿に不思議な美を感じるなどということもないでしょう。「原体験」、または「ふるさとの光景」というものは、人の心の底の底に、それほど深く巣くっているもののようです。

 私が初めて「新疆自治区」を旅した時もそうでした。「トルファン」から「カシュガル」まで長距離バスを利用して行ったのですが、途中、確か三日ほど簡易招待所に止まったと思います。何と言っても、トルファンですからね、日本にいる時は、「月の砂漠」のイメージで捉えていたのですが、そのような無機的な、そして、それの極まれる「豊饒の海(月の世界)」という感じのものではなく、「荒れ地」しかも、「荒涼とした荒れ果てた地」としか言えないような光景が広がっていました。

 「荒涼とした荒れ地」というのは、どの程度荒れている(水田を見て育った日本人の感覚では)かというと、長距離バスは、ゴトゴトと走るのですが、所々で道が寸断されているので、まずは、道なき道を走ると言うことになります。「道なき道を走る」というのはどういうことかと言いますと、でこぼこ道を走るというわけですが、バスが走れば、当然、乾いた砂塵が舞い上がりますから、それがバスの中に入ってくるということになります。頭から顔から手の先から、どこもここも砂だらけになります。しかも、途中の簡易宿所には、お風呂やシャワーなどはありませんから、そのままで何日か過ごすということになります。

 その途中のバスも、大揺れに揺れますから、乗客は、皆、座ってなどいられません。座席に、支えとなる手すりなどありませんから、ゴトンと大きく一揺れするごとに、座席からとび出すということになってしまいます。ですから、大人も子供も通路に立っていた方が安全なのです。そして、バスが揺れるたびに、通路で撥ねるということになります。

 まあ、書けば大変なのですが、これが案外に面白かったのです。まず、乗っていた子供たちが、キャアキャアと、大喜びで騒ぎ始めました。彼らにしてみれば、ディズニーランドで乗り物に乗っているような気分なのです。そして撥ねながら、あっちへ行った、こっちへ行ったりします。この子たちは学校に通っていなかったようで、漢語は話せませんでした。数人いた漢族の人たちは渋い顔をして見ていましたが、私たちも同じように渋い顔をしていても面白くないので、子供たちやウイグルの大人たちと一緒に、通路に立ち、一緒に飛び跳ねるということになりました。

 もちろん、途中過ごした招待所では疲れ果ててグーグーです。実は、このバスを利用するにあたって、先輩連から、「恐怖の招待所」という話を聞いていました。いくつかバスが停まる招待所のうち、「南京虫の巣」といわれている招待所があるというのです。運悪く、そこで泊まることになると悲惨なことになるといいます。それで、私たちは、日本から「虫除けの薬」やら「かゆみ止め」やら買って持って行ったのですが、それだけでは、まだ不十分と言います。それで、トルファンで、安い絹を買って袋状のものを縫ってもらい、それを寝袋代わりにして、潜り込んで寝ていたのですが、運良く、そういう目に遭わずに済みました。もしかしたら、これは「話」だけであったのかもしれません。

 途中の庫車(クチャ)で、有名な「キジル千仏洞」を拝観しようとしましたが、当時ここにはタクシーもなく、ロバ車しかないと言われ、運良く同じ招待所(簡易宿所)に止まった、役人と交渉し、彼らの車で(彼らにとってはアルバイトです)、行ってきました。

 途中も荒涼とした地が続いていました。これが、砂漠であったらわかります。けれどもそうではないのです。彼の地に比べれば、乾燥地帯と思っていた北京も天国でした。何といっても中央政府があります。彼の地には適さない草花でも、「環境美化」という名の下に、無理に植えて、無理に育てられるだけの力があります。それを何十年か何百年か繰り返しているうちに、草花も適度に順応していくのでしょう。彼らにとっても死活問題ですから。

 こういう、私には、「バリバリ」の地であっても、その地に生まれ育ってきた人たちにとっては「蜜の流れる地」なのです。ハミ瓜やブドウもあるし、オアシスの水もカレーズを流れる水も冷たく、ひんやりとして、灼けた喉を潤してくれるのです。

 この地でも、車から降りて、遺跡を見ているうちに道に迷ってしまい、日本の山で道に迷った時とは全く違う「空白」感を味わいました。生き物の姿が見えないことから来るとしか言いようのない感覚でした。ところが、そのすぐそばを小学校に通う子供が二三人、歩いていたのです。彼らにとっては、この光景は見慣れたものであり、これ以外の風景は、どのように緑が溢れていようと他人のようなものでしかないでしょう。

 各自が心に抱いている「故郷」と言える「光景」とは、生い育った風土によって、それほど受ける感じが違うのです。もし、自分がこのような地で過ごすことになったら…と考えてみます。まず、あり得ない。もしそうでも、死ぬまで「帰りたい。帰りたい」と念じながら生き続けることになるでしょう。

 反対に、彼の地の人が日本へ来たら、そして何年かを生活せねばならぬことになったら…。どうなのでしょう。

 新疆ウイグル地区から来ている学生がいないので、厳密に言えば違うかもしれませんが、西部内モンゴル自治区から来ている学生はいます。彼らの心の中の風景では、青草が肩の辺りまで茂っているのです。私が、現内モンゴルで見たものとは違います。荒れ地でこそありませんでしたが、青い草はあっても(雨季)、せいぜい膝辺りか、それ以下でした。

 人は、これまで見たもののうち、で一番美しいと思われる「風景」を、心の底にしまっています。しまっておくうちに、ドンドンドンドン、それは昇華され、美しさを増していきます。人はそういうものに対して冷静に対処することはできないのです。「理」は「情」に必ず負けてしまいます。「現実はそうじゃないじゃないか。現実をよく見てみろ」というのは、ある意味では不条理です。人というものは、そうはできていないのです。或るものに対しては、人は理性を失います。それは、ブラックボックスのように、「理性」も「合理性」も何もかも呑み込んでしまいます。あるのは「あった」か「あったと思い込んでいる脳の中の、いわゆる記憶」だけなのです。

 文章を読む時、その理解は、「個」から「普遍」へ、そして「普遍」から「個」へと移っていきます。文章というものも、どのように「個人的」なことを書いてあろうと、「普遍的」なものがなければ、「歴史と言えるほどの時間」に耐えられないのです。けれども、「普遍性」で止まってしまっては、駄目なのです。そこから、また「個」に戻せるだけの力が文章になければ、それは「暇つぶし」だけのものでしかありません

 読む人も「個」から「普遍」へ、そして「個」へと読み進めていかねばならないのです。そうでなければ、文章を読み、感じることはできないのです。優れて個人的なものを知らねば、また感じ取らねば「わかる」という感情は味わえないのです。

 互いに異なった風土に育ち、そして異なった文化の下に感受性を養っているからには、彼も然り、私もまた然り。そういう中で、「読む」というのは、また「読む」ことを指導するのは、本当に難しいことです。

日々是好日
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「月見草」。「卒論の要約、『なぜこれを選んだのか』」。

2010-05-17 08:07:05 | 日本語の授業
 風はありません。日差しはというと、かなり強烈です。今日も、五月晴れの一日が始まろうとしています。しかしながら、この辺りの「風も無し」は、あまり信用できないのです。直に吹いてくるでしょうから。いつも、昼過ぎから、かなり強い風が吹き始めるのです。あれは、海風でしょうか。海沿いの近くでは、朝凪、夕凪というのがあって、その時だけは、ぱたりと風が止んだものでしたが。それが終わると、ビュンビュンですものね。ここでも。

 今朝、道ばたで可憐な「ツキミソウ(月見草)」を見かけました。もう半分ほど窄まっていましたが。「ユウガオ(夕顔)」はたそがれ時にこそ見るべきものであるし、「ツキミソウ」は月のある晩にこそ見るべきものなのでしょう。どうも出会ってはならない時に、出会ってしまったようで、相手に対して申し訳ないような気になりました。自然は夏が近づくと伸びやかになってきますね。本来ならば人もそうでありましょうに。

 実は先週から、どうも夜、眠れず、体全体が強ばっているような感じがしていたのです。で、土曜日にいつものように治療院へ行くと、「体がカチンカチン。膝まで、固まってしまっている」と言われてしまいました。精神状態がすぐに体に表れてしまうようで、単純構造の人間はこれだから困ります。

 治療のおかげで、土曜日は、一日中ウツラウツラできたのですが、昨晩はまた戻ってしまいました。今週の土曜日は、治療院が休みになります。辛い二週間になりそうです。

 人間はつまらないことで、オロオロしてしまいますのに、街の樹々も草花も、そして虫や鳥たちも、夏が近づいたからでしょう。溌溂として見えます。「ツツジ(躑躅)」が街路樹の下で、辺りを華やかにしたと思ったら、今度は民家の庭や、道ばたにまでせり出した鉢が、色とりどりの花々をつけて、街を彩り始めています。そして、樹々です。すっかり緑が濃くなっています。花の色も、この樹々の緑がなければ、こうまで美しくは感じられないでしょう。時々、「モンシロチョウ(紋白蝶)」を見かけるのですが、一体どこでサナギから孵ったのでしょう。

 今年、大学院(研究生)を受験したいという学生たちの「卒業論文」の要約をさせているのですが、この「要約」が、彼らにとってはなかなかに難しいようなのです。もしかしたら、国で「レポート」を書くという経験をあまりしてきていないのかもしれません。

 ここで、私が言う「レポート」とは、大学の講義に関してのものです。大学に入ったら、筆記試験以外にも、レポートを提出させられたりすることが少なからずあったはずです。そこで、どう書けばいいのか、或いはどういう本を読んだらいいのかなどの訓練を受けているはずだと思うのですが、それが、どうも、あまりできていないようなのです。

 中国人の学生は、「この通りにすればいい」には、強いのですが、「後は個人のことだから自分で考えて」には弱いのです。まねは本当にうまくやります。けれども、それはせいぜい大学二年生までのことでしょう。大学三年からの専門に入ってそれをやれば、日本人だったら、もう赤印の要注意です。もちろん、すべての大学がそうだというわけではないのですが、日本人よりも、基礎力(いろいろな意味での)に劣っているようです。これは、教育力の違いなのかもしれません。地域の格差というのもあるのでしょう。何せ、国が大きいですから。

それに、相手(大学院の先生)にわかってもらうためには、まず何よりも、目的がはっきりしていなければなりません。どうしてこのタイトルを選んだのかということを語れなければなりません。それなのに、「やりたくなかったけれど、先生がしろと言った」など、で終わりなのです。と言うわけで、苦労するのは、指導するこちら側となります。

 けれども、何とかなるでしょう。これまでも、それなりに何とかなってきたのですから。

日々是好日  
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「山の『土』、町の『土』」。「課外活動」。「目線を遠く、視野を広く」。

2010-05-14 08:04:18 | 日本語の授業
 今朝は、日差しがそれほど強くないようです。所々に青さが残っているものの、灰色の雲が薄く拡がっています。気温も低めです。

 「ハナミズキ」も、花の部分が完全に消えてしまいました。今は、茂った葉が、街路樹としての役目を果たそうとしています。が、「街路樹」と言いましても、この辺りの「木」は細いのです、やせっぽちなのです。「樹」と呼んでも恥ずかしくないほどのものは、あまりありません。「土」も痩せているのでしょう。私がふるさとの山で見慣れた「真っ黒くて、フカフカ」している土など、もしかしたら関東ローム層に覆われたこの地にはないのかもしれません。

 ふるさとでは、庭を造る時、植木屋さんがまず「土」を運んできてくれました。どこから来るのかわからない「土」でした。けれども、小学校の「遠足」で、いろいろな山に行くうちに、この「フカフカした土」は、「山の土」と同じだということに気がつきました。それから、時々友達と遊んでいるうちに迷い込んだ「獣道」の近くの「土」は、もっとフカフカしていて羽布団のようだということにも気づきました。
 
 こういう、子供の時の経験の大切さというのは、子供の時には気づきませんが、大人になってから気づかされます。「土」と同じで、こういう経験をしている人としていない人とでは、様々な物事に出くわした時に、違いが出て来るのです。

 日本の義務教育段階(小中学校)では、「課外活動」、いわば「遠足」や「見学」が大きなウェートを占めています。これは、どんなに授業時間が少なくなっても、どんなに教員が忙しくとも、削るわけには行かない時間です。目先の一年、二年であったらわからなくとも、人の一生という長さで考えた場合、必要不可欠なことなのです。

 また、忙しい両親が、学校に代わって、それを子供のためにやってやれるかというと、決してできることでもないのです。学校という組織にして初めてできることなのです(誰も、学校が必要としているからと言われて断りはしないでしょう)。そうやって、「心豊かな人」に育てていくのです。

 面白がると言うこと、驚くと言うこと。そして、それらを通して、発見があり、感動があるのです。それに、改めて何かを学んだ時に「ああ、それ、知っているぞ。見たことがあるぞ、触ったことがあるぞ。嗅いだことがあるぞ」という感覚が育つのです。

「知っている」ことを改めて系統立てて学ぶのと、「知らない」ことをわけもわからぬままに学ぶのとでは、感じる深さが違ってきます。それ故に、一見「遊び」に見えて、無駄なことのように思われても、決してそれは無駄なことではなく、広い意味で言えば、将来に備えた「学び」でもあるのです。

 こういう四角四面に言わなくとも、「子供の時にしか味わえない気持ち」というものがあります。大人になって経験しても、もう子供の時のような感動も、夢中になって遊んだという記憶も残せません。普通のヒトには、発達段階というものがあり、ヒトはそれぞれ手順を踏んで大人になっていくのです。子供の時に経験していない人は、もう、そういう「時期」を失ったヒトということになるのです。

 初めて日本にやって来た外国人にとっても、それは同じです。私も外国にいる時にはそうでした。一人ではなかなか遊びに行けないのです。それに、どこへ行けばいいのかもわかりません。

 日本語学校における「課外活動」、つまり、「外へ行く」ということは、おそらく、学校の中にいて授業している「教員」が思っているよりも、もっともっと日本という国に親しむ上で、必要な事であり、大切なことなのです。もっとも、時には、「ああ、また授業時間が抜けた」と、歯がみをすることもあるにはありますけれども。

日々是好日
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「五月晴れ」。「『青』と『緑』、自然の色」。「『樹の一生』、『人の一生』」。

2010-05-13 08:22:39 | 日本語の授業
 今朝は「五月晴れ」、肌寒いと感じられるくらいの風が吹いています。朝はこのように、穏やかな風なのですが、もしかしたら、陽が高くなると共に、強くなるかもしれません。昨日は、昼頃から、「春の嵐」が吹き荒れましたし。

 樹々もすっかり落ち着きました。それを、「あるべき姿に戻った」と言った方がいいのでしょうか。華やかな花々に覆われていた樹々もです。「各々緑」に染まっています。それが、今朝の青空によく映えて美しく見えます。

 「『青』と『緑』は互いに闘う」と言ったのは、フランスの貴婦人でしたが、自然界に存在する「緑」は、どの色とも争いません。空の「青」もそうです。本当に自然界の「色」は(どの「色」も)、誰とも争わないのです。争い、互いの良さを抹殺するどころか、どの「色」とも調和し、際だたせ、より鮮やかにしてくれます。

 すでに、深い緑に覆われている、これらの樹々も、ほんの一ヶ月前の姿を知っているからこそ、名を告げることができるのです。そうでなければ、何が何の樹やら、さっぱりわかりません。花をつける頃と、緑に覆われた頃と、緑をすっかり脱ぎ捨て、裸で突っ立っている頃と、そしてその狭間と、樹には、生涯に幾種類もの変化を繰り返します。

 そして、その時々の表情の、何と豊かで異なって感じられることでしょう。

 古来から人々は樹々の実りにも頼って生きてきました。樹々から、生活の糧を得ようとするのですから、その頼りである樹々の「人生」に沿う生き方をせずにはいられません。木々と同じように人も循環して生きているのです。

 「旬」という期間は、人にもあり、いつがその人にとって「旬」なのかは、もしかしたら棺に覆われるまで、わからないことなのかもしれません。「樹」にとっても、「花」が咲く頃が「旬」なのか、「実」がなる頃が「旬」なのか。或いは、その狭間の「雌伏」の時期をこそ、「旬」と言うべきなのか、思いの異なる人には決めることなぞできはしません。

 「植物」の心が「発見」されて久しく、最近では、「細菌の学習能力」までも、実験で確かめられるようになっています。「樹々の視線」を、人が気にせねばならぬ時代は、もうすぐなのかもしれません。

 人にも、「植物」系の人と「動物」系の人とがおり、見る人が、自然界の生き物とその人との共通点を見つけ出し、そう名づけています。とはいえ、一括りにすれば「生き物」であるでしかないのです。地球上に存在を許された、「生き物」です。

 人も、樹々が「季節の移ろい」と共に、姿を変えるように、姿を変えていきます。整形などせずとも、心持ちが変われば、顔つきも変わります。顔つきが変われば、人に与える印象も全く違ったものになります。鬱屈していた人が、時を得れば、その表情が一変し、別人のようになるというのも本当でしょうし、その逆もまた事実でしょう。


 環境が激変すれば、土臭い少年が、垢抜けた都会ッ子になることもありますし、ダンディだった男性が、急にみすぼらしく老け込むということもあるでしょう。

 しかしながら、大半の人は、そのようなこと(激変)を経験せぬまま、年をとり、大地に帰っていきます。針葉樹のような人生を過ごすか、或いは落葉樹となるか、また花を持つ樹になるか、甘い実をつける樹になるのか、或いは何も持たぬままの一生になるか。植物ならぬ、石とも見間違うような人生になるのか。荒れ地に生きる人生か、温暖な地で豊作を絶え間なく繰り返す、穏やかな人生になるか。こればかりは、予測のつかぬ事です。

 そうは言いながらも、人という者は、人生を選び取ること術を授かっていないのかもしれません。そういう「定め」なのかもしれません。「いや、違う。私は闘って勝ち取った」と若い頃は言っていても、いざ、死を前にすると、ほとんどが「自分の闘いは何だったのだろう。始めから決められていた人生ではなかったのか」という疑いを抱くようです。

 とはいえ(そういう言葉を呟くことになるにせよ、そういう生き方を選んだのは、なにがしかの「運命」とか「宿命」と呼ばれるものであったにせよ)、確かにその人生を選択したのは人なのです。選ばないという選択をした人をも含めて。

 選択したにせよ、しなかったにせよ、足掻いたにせよ、浮かんだままであったにせよ、
「生」は、やはり「終わり」まで続いていきます。生まれた地は選ぶことができなかったにせよ、平和であれば、最期の地だけは自分で選ぶことができるでしょう。いえ、(本来)できるはずです。人間が人間として、死を迎えることができるのであれば。

 結局は、なるようにしかならないのが人生です。
この学校にも、様々な国から、いくつもの希望を抱いてやってきた学生たちがいます。中には、怖ろしく自分勝手な、およそ日本では通用しないような希望をもっている学生もいます。

 とはいえ、「運」と「相性」という味方が、世の中にはあるのです。「相性」のいい相手を引き寄せることができるのも「運」といえば「運」です。ある時期までに「日本語の能力が一定のレベルに達している」というのも、ある意味では「運がいい」ということなのかもしれません。

 いくら能力があると本人が自負していても、日本では、日本語ができないかぎり、その「能力を発揮できる」場にも限りがあるのです。

 「変えられないこと」と、「変えられるかもしれないこと」の「見分け」が、そして、もしかしたら、その「選択」が、人にとって一番難しいことなのかもしれません。

 日々是好日
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「新暦ながら『五月雨』」。「筆ペンによる『止め』『撥ね』の練習」。

2010-05-12 07:42:03 | 日本語の授業
 今日も雨。 
 
 昨日は一日中、雨が降っていました。止んだかに見えたのも、ほんの一時的なこと。あとはずっと雨が降りそぼっていました。午前中など、教室での声が聞こえなくなるくらいの豪雨。もっとも、数分だけでしたが。学生たちの口から、思わず、「オー」。

 多分、これも、「私の国と同じだ」という「オー」やら、「何という雨だ。初めてだ」という意味の「オー」やらが含まれていたと思いますが。
 すると、早速、コソコソと話していた「四月生」の一人が、

「先生、この雨は、大きい?強い?…」と遠慮がちに…。

 授業と関係のないことに話が及ぶのを、私は嫌います(私は別です。学生は駄目です。昔、学生が蔭で、こう言う私のことを「ヒトラー」と呼んでいましたっけ)。しかも、(相手にわからせるために)それを態度で示します。そうやって、一ヶ月ほども経ちますと、よほど鈍い子でないかぎり、授業中は雑談の時間ではないのだということがわかってきて、言わなくなります。無視されますし、それでもやめなければ、一睨み「ギョロリ」とされるのですから。

 当然のことながら、お互い、あまりいい気分にはなりません。それどころか、不愉快です。けれども、「初級」というのは、そういう時期ではないのです。「雑談」が成立するのは、ある程度、聞いたり、話したりできるようになってからのことです。それまで、教師は、学生を我慢させておかなければなりません。力のない教師は、ついつい我慢できずに、相手になってやります。そうすると、本来ならば、三ヶ月で終わり、次のレベルに入れるはずのクラスであっても、その課程を終えるのに、ひどい時には半年もかかってしまいます。もとより、教師だけの責任というわけではありませんが、学生はまだそのことが判っていない人が大半なのです。その彼らに、待つことができるというのも、勉強する上で、一つの必要な能力であるということを知らしめるのも、教師の力量なのです。

 とはいえ、こういうのはいいのです。実際に体験したことは、覚えやすいし、その上、皆が同時にそれを味わっているのですから。

 「激しい雨」くらいは入れてもいいのです。「強い」も「大きい」もすでに勉強しています。けれども「激しい」はまだですから。

「五月雨を あつめてはやし 最上川」(芭蕉)

 芭蕉がこの句を詠んだのは、旧暦の6月の初めであったと聞いています。現代に生きる私たちなどは、梅雨明け間近の集中豪雨を思い出し、同時に災害の数々にも思いが至ってしまいますが。

 その少し前の句、
「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」(芭蕉)
は、「蝉の声」が「岩にしみいる」という部分が、
「海くれて 鴨の声 ほのかに白し」(芭蕉)
の、「声」が「ほのかに白し」と、同じ流れのように感じられます。

 優れた芸術家(これは、当然のことながら、数学者や科学者なども含みます)に時々見られることですが、「音」が「色」を伴ったり、「映像」を伴ったりして感じられるようなのです。「数字」や「理論」が立ち上がって歌い出したり、映像として流れ出したりするのと同じようなことなのでしょう。もちろん、こういうことがないからと言って、優れていないというわけではありません。

 さて、学校です。

 「四月生」は、昨日の出来事が嘘であったかのように、当事者同士が無言の裡に譲り合って席に着きました。こうやって、他者の心理を忖度し、どうすべきなのかという己の立場を手探りで見つけようと努力しているのでしょう。それができれば、まずは、一安心です。私はあまり介入しないようにして、見守ることにします。

 私たちの学校では、「午前のクラス」は、9時から12時半までが、そして「午後のクラス」は、13時15分から16時45分までが授業時間です。休憩時間というのも、「午前の部」では、10時半から11時まで、「午後の部」では、14時45分から15時15分までと、表面上はなっていますが、実質は、休み無しのぶっつけで授業しています。その時間は、いわば、トイレタイムというくらいの意味なのです。

 この時間は、主に「非漢字圏」の学生たち用の「漢字の導入」に当てています。ただし、同じ「中国人」であっても、「漢字」が苦手な「モンゴル族」の学生たちには、現在、他の「非漢字圏」の学生たちと一緒に「筆ペン」で、練習してもらっています。

 去年の「四月生」には、それを強要していませんでした。それ故に、現在「止め」「撥ね」が間に合わなくなっています。同じ轍を踏むまいと、今年の「四月生」には練習させているのですが、「書道」を少しでも経験している「漢族」の学生とは、やはり違います。中でも「モンゴル語による教育」を受けてきた学生は、要注意です。漢字に「目が慣れている」だけに、「わかる」と思いがちなのですが、「漢字」の「基本」ができていないのです。

 「漢字」の「一画一画」に対する認識が甘ければ、当然「ひらがな」や「カタカナ」に対する認識も育ちません。そういうことにも繋がるのです。

 とはいいながら、皆、案外、面白がって、筆ペンを握っています。そして「止め」「撥ね」や「辶」などの形を覚えていくのでしょう。

日々是好日
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「虎が雨」。「『異文化』同士の『軋轢』、『葛藤』、『矛盾』」。

2010-05-11 07:14:16 | 日本語の授業
 アワアワと雨が降っています。五月も中旬に入りました。不思議なもので、生まれた時から「新暦」で育ってきているはずなのに、時々「五月」ではなく、「皐月」の時間に、反応してしまいます。

 今朝もそうでした。旧暦でいけば、「卯月」の始めとも言えるでしょう。それなのに「皐月」で、思わず「お虎が雨」という言葉が浮かんできたのです。「曾我兄弟の討ち入り」で出て来る、あの「虎御前(とらごぜ)」です。降り方が、そんな具合だったのです。新緑も霞むどころか、柔らかい雨に濡れて、色合いも鮮やかに、生き生きと見えます。この言葉も旧暦の「皐月」の頃のもの。本来ならば、梅雨入り前後の雨を指す、言葉でありましょうに。

 さて、学校です。
 新しいクラスでも、少しずつ矛盾が出はじめました。「馴れ」からくる「勘違い」、「思い違い」です。始めのうちは、初めての外国人クラスに入ったということで、互いに様子をうかがっていたのでしょう。が、すでに一ヶ月を過ぎ、互いの名前も覚え、性格も何となくわかったつもりになったところから出て来る「失敗」です。

 自分の国であったら、こんなタイプの相手はこういう反応をするだろうと、ついつい安易に考えてしまい、時によっては「けが(これは、『しまった』ということをしでかしてしまうという意味で)」してしまうのです。

 国や民族が違えば、当然のことながら、時として相手の反応が違ってくることも多くなります。気軽に、(自分国であったら)こういうタイプは、こんな反応をするだろうというと安易に考え、軽く言ったつもりが、相手に重く受け取られ、誤解されてしまうということも少なくありません。

 しかしながら、これに懲りて何もできなくなるというのも困りもの。外国(この場合は日本)で、他国の人と「一つクラス」で勉強するということの、すばらしさも、もしかしたらこういうところにあるのかもしれません。つまり、「異文化」というものを、失敗を通して、肌で感じられるというところなのです。これで「成長」していけるか、あるいは、「首をすくめた亀さん状態になるか」は、「本人の資質」プラス「学校側の取り組み」プラス「仲間たちの助け」なのでしょうが。

 「国際化」と、一口で言うことはたやすきことながら、「いざ、簡単にできるか」というと、そういうものでもないのです。なかなかに難しい。とは言え、すでに自分の国を離れ、しかも、来たのが「一つの国で固まっていない」学校であり、教室なのです。こういうことは、実際に身をもって体験しなければ、わからぬことです。得難い経験ができたと、プラスに考え、自分を成長させていかなければなりません。

 この世の中には「絶対」ということなどなく、ほとんどのことは「相対的」に動いています。感じるのも「相対的」なのです。場所が変わっただけで、人の表情も感じ方も異なってきます。それらを一つ一つ乗り越えていかなければ、他国(この場合は、日本)で、多くの国から来た人たちと友達になったり、わたりあったりすることはできません。

 とはいえ、この「若いクラス(まだ十代が多い)」のメンバーにとっては、これが「始まり」なのです。こういう、心の「軋轢」や「葛藤」を経験しながら、これまで築き上げてきた、自分の裡なる「常識」を一つ一つひっくり返し、新たな自分の「基盤」を創り上げていくしかないのです。私たちができるのは、その「お手伝い」くらい。どう感じ、どう考えていくのかは、本人の問題です。

 まあ、そうは言いましても、これには時間がかかります。彼らは来日して、まだ一ヶ月。一緒に、ゆっくりやっていきましょう。

日々是好日
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「花咲か爺さん」。「花盗人」。「『大学院』へ行くことの意味」。

2010-05-10 12:17:12 | 日本語の授業
 今朝は昨日とうって変わり、心地良い風が涼しさを運んでいます。ふと花を散らした「ハナミズキ」の根元に、一輪のスズランが秘やかに揺れているのに気がつきました。いったい、どこの「花咲か爺さん(或いは、花咲かおばさん)」が植えたのでしょう。

 そういえば、子供の頃にも「花咲爺さん」なる集団があちこちに出没していましたっけ。自分の庭に花を植えるだけでは満足できず、散歩がてら、あちこちへ行っては、花の種を植えたり、播いたりしていましたっけ。最近はあまり聞きませんでしたが、やはり、各地に「隠れ花咲か」はいたのですね。

 いくら、花を植えるというのはいいことで、決して悪いことではないと言いましても、その地は他人様の持ち物であったり、公共の地であったりしますから、おおっぴらにできることでもなく、それ故にこそ、秘かな、得も言われぬ愉しみがあったのでしょう。

 秋になると、突然、辺り一帯がコスモスで覆われたり、春になると急に桜草が揺れたりすれば、皆驚いてしまいます。その驚く顔が見たいと、偶然知り合った花咲か爺様は言っていましたが。

 彼らは気づかれていないと思っていたようですが、それでも、隠れて「善事を為す」という、どこか高揚した気分が体全体に満ちあふれていましたから、私たち子供にもすぐに判りました。

 それと同じ頃、よく聞いていたのは「花盗人(はなぬすびと)は、罪には問われぬ」という言葉です。これは、花の好きな善人が、彼らなりの解釈で言ったものでしょう。 盗人(ぬすっと)にも、三分くらいの理(言い訳)はあるようで、特にそれが花盗人であれば、花を盗むのは、花があまりに美しかったからとなるようです。盗まれた方も、自分の植えた花があまりにすばらしかったから、という気持ちからか、三分ほどは盗人に譲るようです。まあ、皆が皆、そうなれるというわけでもありますまいが。

 しかしながら、それは、ある種の常識が通用し、世間一般にゆとりがあった時代のことです。昨今のように、「花咲か爺さん」の数はそれほど増えず、また、たとえ、そういう気があっても、(植えられて)すぐに目くじらを立てる人や公共団体が増えてしまえば、それこそ、花を播くということに、後ろめたい気分になってしまいます。昔話の「花咲か爺さん」のようにはいかなくないのです。おまけに、「花盗人」とは言われぬ「損得尽くのどろぼう」ばかりが目立つようになってしまえば、なおさらのことです。

 「山野草」のブームが起これば、野山に置かねばすぐに枯れてしまうような花まで根こそぎ盗んでいく人まで出現しているのですから。そうなれば、もう「花盗人は…」などと微笑んでなぞいられません。それこそ、「保護しかない」と、監視の目を光らせるしかなくなってしまいます。

「そのままに やはり野に置け 桜草」

 これは、あるときは「桜草」が「蓮華草」になったり、「山野草」になったりするのですが、もう、どれが「元句」であったのかわからなくなってしまいました。「本歌取り」のようにはいきませんが、どの花を置いても「野草」であれば、似合うのです。

 さて、学校では、来年の進学に備えて、去年来日した学生たちにいくつかの調査をしています。進路指導の参考にするためです。

 ふつう、中国人の学生は、「大卒」であれば、「大学院へ行きたい」と言います。そして、当たり前のように、「大学院」では「大学」で専攻したことと別の分野を学びたいと言います。もちろん、その分野について学んだことも、自分なりに勉強したこともありません。多分、中国においては通用するのでしょうが、日本ではそうはいきません。

 しかも、「大学院」と言うのですが、研究するという気持ちはあまりないのです。時々、この人たちは「大学院」というのは、何をするところなのか知らないのではないかと感じることすらあるのですが。もしかしたら、母国の「大学」在学中と同じようなことをしていればいいくらいに思っているのかもしれません。それで、日本にいられると思っているのかもしれません。当然のことですが、それは大きな考え違いで、中国の「大学」にいる時よりも、さらに勉強しなければならないし(しかも、自主的にです)、研究を進めていかなければなりません。

 特に専門分野が違うのに、他の分野の研究生になってしまった学生の場合、大変です。日本の大学院へ入る前の研究生段階で、音を上げてしまう学生が多いのも当然のことです。彼らの多くは、専門に関する知識も足りなければ、研究のやり方も知らないのですから。大学では、どういうレポートを書いてきたのだろうと、大学での「訓練」に疑問を感じることも少なくありません。

 多分、中国では「丸暗記」でどうにかできたのでしょうが、それで、日本の「大学院」でも、どうにかなるだろうと思って、「研究生」になったのでしょうが、なかなかそうは問屋が卸さないのです。一年か二年後の「修士」の試験に合格できないのです。私たちから見れば、「専門」に関する知識がないのに、よく合格できるはずだなんて思えるよなあというところなのですが。

 「大学に合格できる」のと、「大学院に合格できる」のとは、全く違います。「大学」では、ある程度平均的な能力があれば、そして、ある程度努力すれば入れるでしょうが、「大学院」へ入れるかどうかというのは、「大学」へ入ってからのその専門分野に関する勉強如何で決まります。専門分野での勝負なのです。平均的に、何でも「ある程度できていなければならない」ということもないのです。専門分野で、それに勝ち残ってきた人たちが、よりいっそう研究を深めるために行くところなのです。

 もちろん、日本にも様々な「大学」があり、それぞれレベルはかなり違います。「大学院」にしてもそうです。ただ、教授方は、その研究をより深めたり、学際的に幅を広めていこうという人たちがほとんどですから、「適当で」という考え方で来られたら、まず、嫌われます。また、「院生」の大半も、研究したくて来ているわけですから、(「院生」のグループの中でも)浮いてしまいます。

 「大学院」では、研究室の先生や「院生」仲間に嫌われたら、もう逃げ場はありませんから、それを心して大学院へ行きたいと言うべきなのです。

 それでも行きたいというのなら、まずは僥倖を期待しましょう。数打ちゃ当たるかもしれませんし。

 けれども、本当にその分野について勉強したかったら、「大学」に入り直すべきなのです。日本人はそうします。だいたいからして、全く専門的に学んだこともない普通の能力の者が、専門を四年間勉強して来た者と一緒に同レベルで、研究なんてできっこないでしょう。それは、少し考えればわかることだと思うのですが。

 そういうことが、一般的な中国人の大卒者に通じるようになるのは、いつのことでしょう。上海や北京から来た学生には判る人が増えているようですが。社会がもっと平均的に発展して、そういう常識が通用するようになるまでには、まだまだかなり時間がかかりそうです。いまだに、大半の大卒者は、その当たり前の事を説明しても、「でも、私は大学を出ています」で、思考停止になるのです。「いくら大学を出ていても、その専門を学んでいないのでしょうが!」が、通じないのです。

日々是好日
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