五月も、今日で終わりです。それなのに、この風の冷たさはどうでしょう。明日は、もう六月だというのに。「風薫る五月」は、どこへ行ってしまったのでしょう。
もしかしたら、人間だけが、こんなに「寒い」とか、「暑い」とか文句を言っているのかもしれません。確かに、樹々からも、草花たちからも、虫たちからも、それに他国から渡ってくる鳥たちからも、文句の声は聞こえてきていません。樹々の緑も、例年通り深まりつつあるし、花々もすでに梅雨の準備をしている…かに見えます。とはいえ、物言わぬ彼らのこと、文句は「死を以て為される」ものなのかもしれません。
今朝の新聞に、ミャンマーについての記事が載っていました。怖ろしいことです。「気温45度、死の猛暑」。ミャンマーでは、三月から五月までが一番暑いとか 、今年、この期間に、最高気温の記録が更新され、水不足が原因で電力供給も滞りがちになっているというのです。
日本人の感覚では、38度を超える日が45日も続くということ自体、想像の域を超えています。ヤンゴンではこの5月25日まで、半年間、雨が降らなかったとか。
この学校にも、ミャンマーから来ている学生が、今、三名います。さぞかし、心配なことでしょう。卒業生は、すでに日本語も達者になっているでしょうから、情報も入りやすいでしょうが、まだ(日本語を)勉強中の人は、そういうわけにはいきません。ただ、近代兵器である、携帯電話で母国から情報を得ているようですから、ある程度のことはわかっているでしょうが。
この携帯電話も、日本人の感覚では、長時間使えない(何といっても高いですから)のですが、彼らは、「お構いなく」使います。これも、彼らの国では、携帯電話の料金が驚くほど安いらしいのです。
以前、こんなことがありました。ネパールの学生が、長電話をしていたので、注意すると、「国から」という答え。それで、思わず、「大丈夫ですか。携帯電話は高いですよ。あまり長く話すと、後が大変ですよ」。
こう、私が言ったのも無理からぬことと思われるでしょう。日本の物価で計算したからこう言ったのですが、彼は反対に、ニコニコして、「先生、国(の携帯電話)はとても安い。これは国からです。だから、大丈夫」。
なるほど、日本からでなければ、彼らの負担にはならないでしょう。しかしながら、実際には、最初はこれで躓くのです。つまり、国での習慣が抜けきらず、つい日本でも携帯電話を使いすぎてしまうのです。そしてお金を払うダンになって、泡を食うというパターンです。日本では、日本語が上手になって、アルバイトが見つかるまで、日本から彼らの国への(携帯)電話は避けた方がいいのです(もっとも、この頃が、一番、国の両親の声を聞きたいという時期なのかもしれませんが)。極言すれば、日本の物価感覚が身につくまで、そうした方がいいのです。
とか何とか、こういうふうに「愚痴」をこぼしたり、時には「警鐘」を鳴らしたり、また時には行事の「報告」をしたりと、このブログも、また一年が過ぎました。去年「ブログ集」を出してから、また一年分がたまったのです。それで、また、この一年間をまとめて(「まとめて」と言いましても、翻訳のついている分を印刷に出し)形に残しておこうということで、今、翻訳者が、北京で出版交渉にあたってくれています。
昔は、言葉が違う(「日本語」と「中国語」)となかなか大変だったようですが、(誤植もありますし)、今は別に面倒はないとのことです。皆コンピューターに残されていますから、これを使うのだそうです。あれもこれもそれも、コンピューターの発達のおかげ。私などのわからないところで、アメーバー並みの増殖を続け、進化を遂げているようです。
テレビだとて、そうです。昨今の3Dとかは、もう一般人が感じることのできるところまで技術が下りてきていますが、最先端の分野では、すでに触覚や臭覚までが、現実味を帯びているとか。
全く、こんなことを聞きますと、自分がマンモスを追っかけているような気になってきます。種子島銃が初めて実戦で使われた時、(鎌倉期ならずとも、恩賞がかかっていますから)「やあやあ、我こそは」と声を嗄らしていた猛将は、戸惑ったでしょうね。もしかしたら「狡い…」と呟いて倒れたかもしれません。
とはいえ、その場所に行かなくとも、においも触った感覚も味わうことができるのだとしたら、その時の「心」は、どうなっているのでしょう。人間の「思い」とは、「感覚」から「脳」に渡り、「心」に下りてくるという気がするのですが、どうなのでしょう。どのように社会が変わろうとも、機械文明、高度情報化社会が進もうとも、「その地へ行き、その地に全身を浸さなければ、味わえないような部分、気持ち」というのものは、人がヒトである限り、常に、ついて回ると思うのですが。
もちろん、かつてその地にいたことがある、行ったことがあるという人なら、心の奥底に沈む「記憶」が助けてくれもするでしょうが、そうではなく(全くの白紙状態で)、部屋の中にいて、(テレビなどを通して)目にし、耳にし、嗅ぎ、触れたとしたら(錯覚でも)、それでも、いつしか人はそれを現実のことだと思うようになるのでしょうか。
そうなったとしたら、ほんのごくごく少数の人だけが、「冒険」という形で野に出、山に登り、海に潜ろうとするかもしれませんが、ほとんどの者からは「現実」が失われてしまうかもしれません。そうすると、「心」というものも、もしかしたら、しまわれておく場所が変わってしまうかもしれません。
現実から引き起こされる部分が、もしその現実が「まやかし」であることを知っていて引き起こされるのだとしたら…。何となく、話がおぞましくなってきました。私はまだマンモスを追っかけていた方がいいのです。「寒さの夏はオロオロ歩」いていた方が似合っているのです。
教育も、原始的な部分、つまり、科学では割りきれない部分が、常に存在しています。おそらくは、どのような仕事であれ、そうでしょう。一人でできる部分と、電話で済ませられる部分と、そしてどうしてもその人に会わなければならない部分とがあるはずです。どれほど人嫌いの人間であろうと、必ずどこかで人との接点を持っていますし、待っています。
これは、今、気づいていなくとも、「ああ、人間とはいいものだな」と感じる瞬間はあるはずです。もちろん、それを「あれは、魔が差しただけだ。錯覚だ」と思っても、です。少なくとも、あの瞬間は「人を恋うていた」のです。
それがなくなったら、人は「人の心」を失い、無機質の世界へと、ドンドンドンドンと滑り落ちていくことになるのかもしれません。だいたいからして、「天」と「地」に分かれるべき「魂魄」も、人がヒトである限り、この体内に、一体となって留まっているではありませんか。
日々是好日
もしかしたら、人間だけが、こんなに「寒い」とか、「暑い」とか文句を言っているのかもしれません。確かに、樹々からも、草花たちからも、虫たちからも、それに他国から渡ってくる鳥たちからも、文句の声は聞こえてきていません。樹々の緑も、例年通り深まりつつあるし、花々もすでに梅雨の準備をしている…かに見えます。とはいえ、物言わぬ彼らのこと、文句は「死を以て為される」ものなのかもしれません。
今朝の新聞に、ミャンマーについての記事が載っていました。怖ろしいことです。「気温45度、死の猛暑」。ミャンマーでは、三月から五月までが一番暑いとか 、今年、この期間に、最高気温の記録が更新され、水不足が原因で電力供給も滞りがちになっているというのです。
日本人の感覚では、38度を超える日が45日も続くということ自体、想像の域を超えています。ヤンゴンではこの5月25日まで、半年間、雨が降らなかったとか。
この学校にも、ミャンマーから来ている学生が、今、三名います。さぞかし、心配なことでしょう。卒業生は、すでに日本語も達者になっているでしょうから、情報も入りやすいでしょうが、まだ(日本語を)勉強中の人は、そういうわけにはいきません。ただ、近代兵器である、携帯電話で母国から情報を得ているようですから、ある程度のことはわかっているでしょうが。
この携帯電話も、日本人の感覚では、長時間使えない(何といっても高いですから)のですが、彼らは、「お構いなく」使います。これも、彼らの国では、携帯電話の料金が驚くほど安いらしいのです。
以前、こんなことがありました。ネパールの学生が、長電話をしていたので、注意すると、「国から」という答え。それで、思わず、「大丈夫ですか。携帯電話は高いですよ。あまり長く話すと、後が大変ですよ」。
こう、私が言ったのも無理からぬことと思われるでしょう。日本の物価で計算したからこう言ったのですが、彼は反対に、ニコニコして、「先生、国(の携帯電話)はとても安い。これは国からです。だから、大丈夫」。
なるほど、日本からでなければ、彼らの負担にはならないでしょう。しかしながら、実際には、最初はこれで躓くのです。つまり、国での習慣が抜けきらず、つい日本でも携帯電話を使いすぎてしまうのです。そしてお金を払うダンになって、泡を食うというパターンです。日本では、日本語が上手になって、アルバイトが見つかるまで、日本から彼らの国への(携帯)電話は避けた方がいいのです(もっとも、この頃が、一番、国の両親の声を聞きたいという時期なのかもしれませんが)。極言すれば、日本の物価感覚が身につくまで、そうした方がいいのです。
とか何とか、こういうふうに「愚痴」をこぼしたり、時には「警鐘」を鳴らしたり、また時には行事の「報告」をしたりと、このブログも、また一年が過ぎました。去年「ブログ集」を出してから、また一年分がたまったのです。それで、また、この一年間をまとめて(「まとめて」と言いましても、翻訳のついている分を印刷に出し)形に残しておこうということで、今、翻訳者が、北京で出版交渉にあたってくれています。
昔は、言葉が違う(「日本語」と「中国語」)となかなか大変だったようですが、(誤植もありますし)、今は別に面倒はないとのことです。皆コンピューターに残されていますから、これを使うのだそうです。あれもこれもそれも、コンピューターの発達のおかげ。私などのわからないところで、アメーバー並みの増殖を続け、進化を遂げているようです。
テレビだとて、そうです。昨今の3Dとかは、もう一般人が感じることのできるところまで技術が下りてきていますが、最先端の分野では、すでに触覚や臭覚までが、現実味を帯びているとか。
全く、こんなことを聞きますと、自分がマンモスを追っかけているような気になってきます。種子島銃が初めて実戦で使われた時、(鎌倉期ならずとも、恩賞がかかっていますから)「やあやあ、我こそは」と声を嗄らしていた猛将は、戸惑ったでしょうね。もしかしたら「狡い…」と呟いて倒れたかもしれません。
とはいえ、その場所に行かなくとも、においも触った感覚も味わうことができるのだとしたら、その時の「心」は、どうなっているのでしょう。人間の「思い」とは、「感覚」から「脳」に渡り、「心」に下りてくるという気がするのですが、どうなのでしょう。どのように社会が変わろうとも、機械文明、高度情報化社会が進もうとも、「その地へ行き、その地に全身を浸さなければ、味わえないような部分、気持ち」というのものは、人がヒトである限り、常に、ついて回ると思うのですが。
もちろん、かつてその地にいたことがある、行ったことがあるという人なら、心の奥底に沈む「記憶」が助けてくれもするでしょうが、そうではなく(全くの白紙状態で)、部屋の中にいて、(テレビなどを通して)目にし、耳にし、嗅ぎ、触れたとしたら(錯覚でも)、それでも、いつしか人はそれを現実のことだと思うようになるのでしょうか。
そうなったとしたら、ほんのごくごく少数の人だけが、「冒険」という形で野に出、山に登り、海に潜ろうとするかもしれませんが、ほとんどの者からは「現実」が失われてしまうかもしれません。そうすると、「心」というものも、もしかしたら、しまわれておく場所が変わってしまうかもしれません。
現実から引き起こされる部分が、もしその現実が「まやかし」であることを知っていて引き起こされるのだとしたら…。何となく、話がおぞましくなってきました。私はまだマンモスを追っかけていた方がいいのです。「寒さの夏はオロオロ歩」いていた方が似合っているのです。
教育も、原始的な部分、つまり、科学では割りきれない部分が、常に存在しています。おそらくは、どのような仕事であれ、そうでしょう。一人でできる部分と、電話で済ませられる部分と、そしてどうしてもその人に会わなければならない部分とがあるはずです。どれほど人嫌いの人間であろうと、必ずどこかで人との接点を持っていますし、待っています。
これは、今、気づいていなくとも、「ああ、人間とはいいものだな」と感じる瞬間はあるはずです。もちろん、それを「あれは、魔が差しただけだ。錯覚だ」と思っても、です。少なくとも、あの瞬間は「人を恋うていた」のです。
それがなくなったら、人は「人の心」を失い、無機質の世界へと、ドンドンドンドンと滑り落ちていくことになるのかもしれません。だいたいからして、「天」と「地」に分かれるべき「魂魄」も、人がヒトである限り、この体内に、一体となって留まっているではありませんか。
日々是好日