日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「明日から水無月」。「他のクラスに移る」。

2012-05-31 09:48:44 | 日本語の授業
 今日が、もう5月も末日。どうもこんなに涼しいと、明日から「水無月」なんて気がしません。23度から16度などという予報も出されていますが、体感温度としてはもっとずっと下のような気がします。

 と、こう書いていると、玄関でカサコソという音が…。「Aクラス」の学生です。驚いて聞くと、「今日は、朝、友達とご飯を食べて、直ぐに学校へ来た…」とのこと。なるほど、しっかりと朝ごはんを食べると、習慣で学校に来るというよりも、「よっしゃあ、行くか」くらいの気合いを入れて、学校に来たのでしょう。

 一昨日、「Bクラス」の学生、一人に、明日から「Aクラス」の授業も受けてみるように伝えました。ついでにと言っては何ですが、もう一人にも頑張れるなら一緒に行ってみてもいいと言ってみたのですが…。

 最初の一人は、「(彼らの国語と日本語とが非常に近しい関係にあるということなので)聞けばほとんど判る」と言っていましたし、問題となる漢字も努力しているようですから、多分大丈夫でしょう。そしてもう一人は…体力がないから無理のようですね。

 実は、この「Bクラス」というのは、「初級」段階までは、それほど問題もなく、つまり、皆、だいたい横並びでやってこられたのですが、「中級」に入ってきますと、「読解力」がだんだん問われてきますし、ある程度の根性がなければ、漢字なども覚えていけません。というわけで、(もともとの資質…言語に関するものです…も違いますが)根性の点でも、現時点における日本語のレベルでも、差がだんだん顕著になってきた…ようなのです。

 それで、その対策として、根性と資質、あるいは現時点での日本語力と資質などを加味して、勧めてみてもよかろうという学生には、「上のクラスを見てごらん」と言ってみたのですが。

 それはさておき、実は、最近、ちょっと緊張状態どいうか、慌ただしかったのです。特に授業が詰まっている月曜日と火曜日に、そういうことが重なりますと、そっちの方に手も気も取られて、他のことが出来なくなるような状態だったのです。

 日本でも、幾つかの大学で9月入学を考え始めているようですが、実際問題として、特に大学院などで9月入学を認めているところは案外少なく、それを期待していますと、とんでもないことになりかねません。

 だいたい、9月入学を望む学生は、これまでいませんでしたので、そういうことを真剣に調べたこともなかったのです。ところが、そういう学生を抱えてしまいますと、学校側でも手分けして探さねばなりませんし、時期外れの(勝手にそう思っているだけなのですが)指導もしなければなりません。願書の提出や、書類に関するものでも、想像していたよりずっと早く出さねばならぬことがわかりましたので、学校中がどこやらアタフタとしています。

 最初から判っていたら、こんなことはなかったのでしょうけれども。

 転校してきた学生が、「(来る前には)だいたいできている」ようなことを言っていたのに、蓋を開けてみると全く何も手がつけられていなかった…。当然、こちらは慌てます。それに、卒業して(さようならと言って)安心していたのに、「実は…」ということで相談に来られて、また、大慌てで探しまわる…。

 こういうことは探すだけでは終わりませんから、探したら、その手続きやら、準備やらまで指導して行かなければなりません。

 転校してきた学生なんて、前の学校でどういう指導を受けていたのでしょう。「移った先で全部やってもらうからいい」なんて言ってきたのでしょうか。物事はそんなに簡単ではないと思うのですけれども。ちょっと不思議な気がします。

日々是好日
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「『単語を覚える』、『文法を覚える』から、『文章を理解する』まで」。

2012-05-30 14:11:21 | 日本語の授業
 昨夜の豪雨が嘘のように晴れ渡っています。今日は、もう、昨日、一昨日のような不安定さはないらしく、「洗濯日和」というお知らせが出ていました。

 ここ数日の、バケツの底が抜けたような雨の「おかげ」なのでしょうか、十字の形をした白い「ドクダミ」の花が咲いているのに気がつきました。そういえば、タイサンボク(泰山木)」の花も咲いています。

 この花が咲くと、そろそろ梅雨が始まります。梅雨が始まると、内モンゴルやモンゴル国から来た学生たちが、萎れたキャベツのようになってしまうのです。この季節に慣れるのに時間がかかるでしょうね。

さて、学校です。

 この学校では、現在、「3.5」のクラスがあります。「初級」のクラスが一つと半分、「中級」のクラスが二つ。この「初級」の「1.5」のうち、「1」というのは、「一月生」のクラス足すことの「四月生」で、「0.5」というのは、「四月生」だけのクラスなのです。

 「N3」くらいに合格して来日していれば、今さら、最初からやらせる必要もない…ので、「中級」のクラスに入れたりしているのですが、「N4」レベル(以前の「3級」レベル)の状態で来日している場合は、最初からやってもらっています。なぜかと言いますと、後々、やっていなければ、(「ひらがな」「カタカナ」の書き方や幾つかの音便の読み方をはじめ、「拍」や「助詞」などで)問題が生じるのです。

 それで、「N4」に合格している学生も含めて、4月に来日した学生たちは、毎日、午前の勉強が終わった後、別に残って、午後1時15分から3時まで、「導入部分」と「初級Ⅰ」とを習っています。    

 最初から教えてきた学生は、日本語が身につく前に、日常生活に必要な「日本での習慣」などを、体で覚えます。「日本では、こうするものなのだ」で、いわば、理屈抜きなのです。

 もし、そうでなかったら、(どうしても母国での習慣で考え、それを押し通そうとしてしまいますから)いろいろな所で軋轢が生じてしまいます。アルバイトにおいても、将来的にも、進学や就職の時に、そうなってしまいますから。けれども日本で生活していくと言うことは、学校でだけではなく、日々の生活の中においても、何となく悟っていける部分が、あるということなのです。

 ところが、ある程度(日本語が)出来てから来日している学生の中には、それを(自分でどうしてかと)考えることをせず、一から十まで聞きただそうとしたりします。聞いてどうにかなるというものでもないのですが(この中には勘違いもありますし、自分の習慣などから変だと感じているだけ程度のものもあるのです。それに、なにより思い込みが甚だしいのです)。

 これまで、いつも全部答えを言ってもらって、それで「わかった。わかった」と満足してきたので、日本でもそれをしてもらえると思っているのかもしれませんが、いくらなんでも大人相手にそこまでするかと、私には思えるのです。答えがわかっても、ああわかったで思考が止まってしまえば、答えがAでもBでも同じことです。

 ただ待っているだけ、園児にでもするような事細かな説明を。読解力というのは一朝一夕には身につきません。常に答えを「与えられて」来た人にとっては、「考える」という作業はきついものなのかもしれませんが、それでも、しなければなりません。必要なのです。事細かに説明しても、次の課に進んだときに、また「真っ白」になっていれば、その繰り返しです。同じように、答えを与えて欲しいとなるのです。

 同じ文章を読んでも、人による理解の深浅は違います。それはそれで、しようのないことなのです。自分も同じように判るまで説明せよと言われても、「それはもう一度勉強すればいい」としか言えません(下のクラスが「中級」に入る頃に、もう一度戻ってやり直せば済むことです。「非漢字圏」の学生は、同じ教科書を二度三度やって、やっとわかるという人も少なくないのです。その時には既に15課くらいまでは、一度やっていることになりますから、1課からやるとなれば、それほど労せずして理解できるでしょう)。

 子供のように発達段階に応じた教材を与え、理解を深めさせていくという教育ではないのです。あるのは日本語のレベルに応じた教材にすぎないのです。それがそのまま小中学校の教材に準じたものかというと、そうでもないのです。

 クラスの中に、余りに資質の違う学生がいると、それはそれでやりにくいものです(これは日本語のレベルではなく)。で、今、どうにかしようと足掻いているところです。ただ相手のあることなので、こちらの思い通りにやってくれるかどうかは、まだ判らないのですが。

日々是好日
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「異常気象は、異常じゃない」。「人脈がないところでアルバイトを探すことの大変さ」。

2012-05-29 08:34:12 | 日本語の授業
 昨日に引き続き、不安定なお天気…だそうです。今は「五月晴れ」なのですけれども。昨日は、夕方から落雷、雹、突風、竜巻になるかもしれないので、要注意…だったのですが、すでに、午後の授業の途中(三時半ころでしたか)から、「にわかにかき曇り」状態になって、ゴロゴロと雷様のお出ましです。突風まで伴ってやって来られたので、慌てて窓を閉めに駆け回ります(狭い教室ですが)。窓を開けていますと雨が降り込んできますから。けれども閉めると暑い…。

 特にモンゴル国から来た学生は、この「湿っとして暑い」に馴染めないようで、直ぐに悲鳴を上げてしまいます。しようがないので、「じゃあ、ちょっとね。雨が降り込まない方の窓を開けましょう」と開けてみると、今度は冷たい風が、サーッと、雨と一緒に吹き込んできます。こうなりますと、南国から来た学生が一様に「寒い!」。

 なかなか皆が幸せに勉強できるという具合には参りません。

 ついでに、雹のことを話します。途端にモンゴル国の男子、勢いづいて、「それ、いつも。こ~んなに大きいのが降ってきます」と指で形づくって見せてくれます。ああいう大きいのとは余りお近づきになりたくないと思いながら「へぇ~」と驚いてみせます。

 天候異変の説明の時、(他のクラスで)洪水の話をしますと、バングラデシュから来た学生が、ニコニコして「いつもです」。いろいろな国から来ている学生たちは、クラスメートの話を聞いているうちに、異変が異変でなくなってしまい、当たり前のお天気になってしまいます。

 「こりゃ、いかん」とばかりに、「日本では、普通、春・梅雨・夏・秋・冬と五季があって…」と日本のお天気の話を始め、「こういう土地であるから、こんなお天気は異常である」というふうに〆たのですが、どうも聞いていた学生、キツネにつままれたような顔になっていましたから、私の話よりも、クラスメートの洪水の時の話やら、大きな雹の話やらの方が印象に残っているのでしょう。まあ、それでもいいのですけれど。世界は広いのですから。

 今の学生たちを見ていると、皆、安心して勉強できる状態であるというのが、一番大切なことのように思われます。つくづくそれを感じさせられてしまうのです。

 中国人学生が多かった頃は、アルバイトの問題が、私たちの仕事上(精神的な面でですが)それほど、大きなウェートを占めてはいませんでした。初級であろうと、漢字が判るということで(読めなくとも)、郵便局の臨時手伝いや、宅急便などで働かせてもらったりしていたからです。そういう仕事で口に糊している間に、日本語が上手になり、コンビニやスーパー、レストランなどで働けるようになるというのが、いわば、普通だったのです。

 けれども、非漢字圏の学生たちが増えてきますと、この流れで「生活を安定させ、勉学に励む」という具合にはいかなくなってきます。まずは働ける工場を探すのですが、人材派遣会社に登録している友達や伝手を頼って、自分も登録し、それからいわれた時間に働きに出かけます。

 これまでは、この近くには工場が多いので、楽に探せるもはずだったのですが、それが最近は様変わりしているそうで、聞いてみると、人材派遣会社の中にかなりの中国人が入っており、まあ中国人の事ですから、当然平等に仕事を回すということはしません。自分の言うことをなんでも聞く者とか、仲良し、果ては阿る者を優遇するというふうになってしまいます。中国人でなければ、そんなところへ登録しても、望みの時間帯での仕事を、なかなか回してもらえないのだそうです。

 これが、もう少し、他の国の人間がその会社の中に入っていれば、やりやすい面もあるのでしょうが、そうはいかないようなのです。というわけで、(この学校の学生も)ここから一時間ほどもかけて他の工場に働きに行かざるを得なくなってしまいます。聞くと、そこには同国人が大勢いるのだそうです。そうなれば言葉の壁も、あまり問題にならないでしょうし、工場では、その国の人達の働き方も判っているでしょうから、それほど大きな摩擦は起きないのでしょう。

 となると、そのどちらにも属さない学生たち(つまり、人数的に見れば少数派です)は、アルバイトの探しようがなくなってしまうのです。既にいろいろな所で、それなりの人脈ができており、その隙間から潜り込むにしても並大抵のことではないのです。

 この学校の先輩がいたり、同国人がある程度近くにいれば、友達の友達はなんとやらで(仕事を)探し出すことも出来ます。けれどもそうではなかった場合、これはきついですね。

 日本の会社も工場も、この国の人はどのような働き方をするのであるか、また注意しなければならないときに(何せ日本語がそれほど自由ではありませんから)どうしたらいいのかわからないということで二の足を踏んでしまうのです。勿論、日本語さえ、かなり出来ていれば、そういうことは、だいたいが問題ではなくなるのですが。

 とはいえ、この試練も彼らにとっては、さらなる飛躍を目指すための一里塚と、考えようによっては、そうなります。

 ただ、その渦中にあるときは、辛い。辛いでしょうけれども、腐らずに、勉強を放棄したりせずに、頑張って欲しいものです。だって、何と言いましても、(彼らが)持ってきたタウンワークや広告などを読んで、彼らに出来そうな仕事を探し、説明し、電話のかけ方を教え、電話がかけられるまでにしているのは、私たちなんですから。

日々是好日

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「大きな声で、一緒に読むということ」。「色マーカー」。

2012-05-25 09:49:30 | 日本語の授業
 肌寒いくらいの風が吹いています。島国日本がいつから大陸性の気候になったのかと訝しく思われるほどです。ジワジワと、静かに移りゆく季節というのが、極端から極端へと激しい変化を見せるようになっています。この分で行きますと、日本人も王朝の雅やら、武士の忍耐やらを忘れて、右か左へと激しい感情の起伏を見せるようになっていくのでしょうか。何と言ってもこういう気候には慣れていないので、不安になってしまうのです。

 こういう気候に慣れ、日本人が、そういう風土にあった、それなりの人格を形づくるに至るまでには、気の遠くなるような時間が必要になるのかもしれません。

 さて、学校です。

 昨日、授業が終わってから、一人のベトナム人学生が真剣な顔をして、
「先生、単語はわかります。文法も判ります。でも文章の意味がわからない。どうしたらいいですか」と聞きに来ました。

 彼は、これまで、(いくら私が叱っても)最初に皆と一緒にやる「読みの練習」に加わろうとしてきませんでした(なお、この授業は『中級』で、25課のうち、5課が終わったところです)。

 まず、(この課の)どこが判らないのかを聞きました。彼が判らないと言ったのは、文節のまとまりがうまく掴めていないが故に起きていました。これは一緒に読んでいく(朗読)過程で、(まだ「中級」の初めのころは、こちらが意識的に切って読みますから)自然に切れて、意味のかたまりが掴め、それほどの間違いが起こるはずのない部分でした。

 それで、どうして「皆で、一緒に読む」ということが大切なのか(もちろん、まだ中級レベルですから、発音の問題やら、助詞が落ちてしまうのを防ぐといった意味やら、正確に文末まで読んでいく訓練などのためでもあるのですが)、もう一度説明し、それぞれの言語で、勉強の仕方は異なる。日本語を勉強していくのだから、(日本に来たからには)こちらのいいと言うやり方でやるように、言いました。

これまでも、皆で一緒に読むときには、一緒に読めと口を酸っぱく言ってきたのですが、本人にすれば、「自国でも、自分なりの、このやり方でうまくいってきた。だから、ここでも、そのやり方で十分に対処できる」と踏んでいたのでしょう。

 それでは通じないことが、どうにもこうにも判ってしまって、にっちもさっちもいかなくなってから、初めて他を見る気になったとみえます。

 これは、中国にいた時のことですが、その時に、授業の時に全くノートをとらない学生を見たことがあります。

 彼女曰く、「国で、こうして勉強してきたから」

 けれども、中国語は、「アルファベットでどうにかなる」とか、また、たとえば、日本語であったら、「漢字は判らないけれども、一応、平仮名が書ければ、どうにかなる」とかいった類のものではありません。

 中国語は漢字という文字でしか書き表されず、漢字を覚えなければ、本を読むことも、書くこともできません。ノートをとらなくて聞いているだけで習得できるような言語ではないと思うのですが、彼女は、これで中国語を、本当に習得できると思っているのだろうかと不思議でたまりませんでした。

 結果は、やはり無理…だったようですね。似た漢字があるので区別が付かなくなっていくのです。やはり中国語を勉強するには、手を動かして書かなければなあと思いながらも、自分が受けてきた教育で、しかもそれによって成功したという記憶が強烈であったら、人というものはなかなかやり方を変えられないものなのだと、改めて思いました。

 日本では、学校教育でも、色マーカーをよく使います(遊びでもよく使うのですが)。私たちの頃は、色鉛筆とか赤や青、緑などのボールペンとかでしたが。そして大切なところ、試験に出やすいところ、忘れやすいところなど、種類や目的に応じて色分けをしていくのです。

 とはいえ、そういうやり方も、国によっては、なかなか難しいようです。日本人は、勉強というと、鉛筆なり、ボールペンなり、なんにせよ、筆記用具は欠かせず、それを忘れるとかいうことは、まずありえないと思うのですが、勉強しに学校へ来るというのに、ノートも筆記用具も持ってこないというお国柄の学生もいるのです。

 子供の時から、文房具店というのは、どこかしらキラキラした存在で、どれもこれも欲しくなるようなものが並べられていました。実用的で、素っ気なく感じられるものから、可愛いもの、贅沢なもの、骨太のもの、そしてちょっと偉そうなものまで、様々な文房具がありました。

 これも文化なのかもしれません。日本でも、思いの外に、文房具に込められている人々の思いというのは強いのです。

 子供の頃でも、そして今でも、新しい文房具や、珍しい文房具を手に入れると、皆使ってみたいと思い、早速、線を引いてみたり、書いてみたりしたものです。これまで、当然のことのように、それが人の常であると思っていましたが、それを「常識」というのには、少し無理があるのかもしれません。

日々是好日
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「過度なる親切はすべからず」。

2012-05-24 10:00:35 | 日本語の授業
 月曜日、「金環日食」に、国中が燃えていたと思ったら、火曜日は「スカイツリー狂想曲」です。あいにくのお天気で、皆雲の中、上った人は残念だったようでしたが、それでも展望台の床に敷かれたガラスの板を通して、自分の足の下に拡がる地上での営みに格別な思いを致した人もいたことでしょう。もっとも、子供はその上でジャンプをしたり、駆け回ったりしていたようでしたが。

 学生たちに(スカイツリーに)上りたいかと聞いてみましても、「下のクラス」では、「なにやらよくわからない」といったふうですし、「上のクラス」でも、どこか冷めた空気が漂っています。皆、毎日が忙しく、それどころではないのでしょう。

 それよりも、夏に行く「富士山」の方に気を取られているらしく、「夏休みはいつからでしょう」という問いに、「富士山へ行った翌日から」という答えが返ってきました。皆、何気に年間計画表をチェックしているようです。

 一年くらいで「一級(日本語能力試験)」に、大半の学生が合格していた頃の「Aクラス」では、「3月はどこどこですね。4月は花見とそれからあそこ。うん、それから5月はなくて、6月は、今年は鎌倉ですね」といった話が普通に出ていました。忙しい毎日に、皆でどこかへ行くというのが涼風のように心に吹いていたらしく、「そのためにも、今一生懸命にしてなくちゃ」なんていう、殊勝な心がけの学生もよく見られていました。

 「ちょっと聞き」には、「まるでバカンスのために働いている人のようだな」と思われるかもしれませんが、こんなことを言いに来るような学生は、だいたいが、どんなに辛くても学校を休んだりはしないものなのです。毎日、下手な日本語を使ってのアルバイトですから、(アルバイト先でも)決して楽しいはずはなく、学校での授業だけが、頑張った分だけ成果が出るといった、楽な、「息抜き」の時間なのです。

 毎日嫌なことがあったり、辛かったとしても、その先に、何か明るいことをぶら下げておいて、自分で自分を励ますように、仕向けていたのでしょう。「頑張ろう。明日はみんなであそこへ行くんだから」というふうに。こういう学生は得てして、大学入試の面接準備の時に、「来日後、一番辛かったことは何か」と聞いても、首を傾げ、「日本に来てから大変だったけれども、楽しかった」という答えが返ってきたりするのです。

 私たちは来日してから、あるいは母国で面接しているときにはそれ以前から、彼らを知っていますから、辛かったり、友達と喧嘩したりして、泣いていた彼らの姿を見もし、覚えてもいます。けれども、最後に「楽しかった」という言葉が返ってきたりすると、何だかホッとしてしまうのです。

 大学や大学院の受験に失敗しても、楽しいことがあったという記憶が、心の隅にでも、残っていると、人は明日を信じることができでしょうし、自分を信じることもできるでしょう。辛いだけの人生だったら、人は後ろ向きにしか歩めなくなってしまいます。人間なんて、弱い弱い存在でしかないのですから。

 何でも「ケセラセラでやれ」とは言いませんが、時々一生懸命にしている学生を見ると、「もう少し、肩の力を抜いて」と言いたくなってしまいます。もちろん、学生にはわからないように、お腹の中だけでです。表面では、面の皮そのままに、「強面」で通しているのですから。

 その、毎日、休まずに学校へ来るという学生のことなのですが、毎日学校へ来ていると、自然に教員と話す機会も増えてきます。実際、最初に教員と垣根なしに話せるようになるのは、こういう学生なのです。

 共に相手から見れば外国人、つまり外国人同士ですから、腹の探り合いならぬ、習慣の探り合いは必ず共に、やり合うものです。それを本当は一刻も早く「なし」にしなければならないのですが、あちらは「外国人は初めて」という場合が多く、なかなか打ち解けてくれない場合もあります。

 だからといって、教員の方で必要以上に構い、親切過剰になってしまうと、「やってくれて当然」という空気が蔓延り、何事によらず教員を頼って自立できなくなる学生が増えていきます。親切な教員を、態のいい「お手伝い」か「執事」くらいに見なす学生だっているのですから。

 まあ、これは笑い話のようですが、「親切」が「親切」として通じず、「言いなりになる奴」としか認識できない学生だって現れてくるのです。これも彼らの国の習慣がなせるワザとしか言いようがないのですが。

 つまり、こういう国では、人と人とが同じ人間であるにもかかわらず、「平等」という同じ土俵には立っていないのです。そういう世界では、共に「努力」をしない限り(この「努力」というのは、一方は相手を「蔑み続ける」、もう一方はあわよくば「のし上がる、取って代わる」といった、およそ非建設的なものなのですが)、「権利」は侵犯されますから、必要でもない「余分な親切」なんぞ、しはしません。そういう親切をするのは余程人のいい馬鹿者(常に虐げられる運命にあります)か、一見親切に見えはするものの、実はそこから甘い汁を吸い取ってやらろうという「阿り」でしかないのです。

 それに気づいたら、年長の教師が、注意してやらねばなりません。日本にはこういう(親切な)日本人はどこにでもいます。日本人同士でしたら、(相手に)「この人は根っから優しいのだな。余り負担にならないように接せねば」と考えてもらえますから、それなりに(安全に)過ごしていけるのですが、それが通じないような国ですと、もろに「一歩譲れば二歩進む」という態度で来ますから、こちらとしても、そうは甘くは出来ないのです。

 とはいえ、生きるために、「そうせざるを得ないような環境に育ってきた」と、私たちも思えるような人であったなら、考慮はします。が、まず、こういう日本語学校へ来ることのできるような学生というのは、途上国といわれる国では、中の中か、中の上くらいの家の子供達なのです。

 それほどの苦労をしたことがないのが普通です。しかも大都会で生まれ、育ったというよりも地方の小さな町や村の出身が多いのです。つまり自分より能力のある者や優れた人を余り見て育ってはいないと言った方がいいのかもしれません。しかも高校を卒業したばかりとか、せいぜい大学を出たばかりといった程度ですから、社会で揉まれた経験もありません。

 発展途上国へ行ったりしますと、日本で適当に新聞を読んだりテレビを見ていたり得ただけの知識しか持っていなくとも、かなりの知識の持ち主と見なされる場合が多く、つまり、それくらいの知識でもその地では物知りとして幅をきかせられるということなのです。

 そういうところから来ている学生の中には、それくらいの知識であっても(日本人は「素人」と「玄人」の違いをはっきりと認識していますが、そういうところでは、それほど「玄人」を尊敬したりする習慣がなかったりするのです。私は「素人」である。専門家の知識はこんなモンじゃない。私たちは、ただ専門家の用意してくれたテレビ番組とか新聞の記事しか読んでいないのであって、そういうことの基礎的な理論も思想も何にも判っていないのだといくら言っても、判ってくれない人もいるのです)、自分だけが知っていると勘違いしているというか、井の中の蛙めいた思い上がりで来るというか、そういうもので、日本でも渡っていけると考えてしまう人もいるのです。

 もっとも、一年ほどで、こういう思い上がりは、音を立てて壊れていきますけれども…(中には、どうしても崩せない、崩れない学生もいます。特にすごかった学生は、目の前に、同国人で、もっとレベルの高い学生が、いたにもかかわらず、己の不明に気がつかないのですから。それはそれで、感服致しましたけれども…すごいなあ、気がつかないんだというふうに)。

日々是好日
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「金環日食」。「アルバイトをやめたい…店長さんと話し合って、一応、解決」

2012-05-21 14:06:44 | 日本語の授業
 曇り…とはいえ、今日は日本列島を横断して、「金環日食」が見られる日。たとえ雲が多かろうと、厚かろうと、「あっちには青空が覗いている。もしかしたら(こっちでも、見えるかも…)」と僥倖を期待して(バルコニーや公園、あるいはビルの外階段などに、専用の眼鏡をかけた人が、一かたまり、二かたまりになって)お空を仰いでいます。

 見えるかどうかはさておき、上を向くというのはいいことです。

 「寒い。お腹がすいた。仕事はない。何をしていいか判らない」となると、人は下を向いて、トボトボと歩くしかなくなります。如何に「わが身こそ 鳴尾に立てる一つ松」と思っていようとも、その気持ちが揺らぐことだってあるのです。

 こんな、(日本だけではなく世界のあちこちで)「トボトボ組」が増えつつあるときに、空を見て、何でもいい、知らない人と何かを話すということは、すばらしいこと。今、この時、そういう人がたくさんいるのだと思ってみるだけで、何となく、気分まで明るくなってくるから不思議です。

 「見えますか」「いやあ、ねえ。見えませんねえ」「見えるといいですね」「そうですねえ」「あ。見えた、見えた」「ええ!どこどこ」

 一言二言の、会話とも言えないような他愛のないお話。

 7時を過ぎる頃から、空は少しずつ夕方のようになり、立ち止まって空を見上げる人が増えていき、そういう人が一人でもいると、そのそばでも空を見上げる人が出てくるのです。特に、赤信号の時なんぞ、皆一様に空を見てしまうから面白い。そうこうしているうちに、どんどん薄暗くなり、どこかで「見えた」という声が上がると、慌てて部屋から飛び出す人もいて…そして、あっという間に、天体ショーは終わってしまいました。

 今は(8時頃)、随分明るくなりました。もう室内の階段を下りるのに、「電気をつけて」とはなりません。それに辺りは、静かになりました。ベランダにも、人の気配はありません。街を包んでいた熱気と一時の感動がどこかへ行ってしまったようです。こういうものは、「起こるまで」が楽しいのであって、終わってしまえば、もう、「宴の後」特有の白々とした雰囲気が漂ってきます。何に焦がれて騒いでいたのかさえ、判らなくなってしまうのです。

 しかしながら、太陽の力というものはすごいものです。地球に生かされているとはよく言いいますが、太陽に生かされていると言った方がいいのかもしれません。その太陽も宇宙の何かが生み出したわけであって…云々。さて、私たち人間は何なのでしょう。自分が何なのか判らなくなってしまいます。そんな宇宙の中に存在している、ちっぽけな人間。その一つが自分。しかし一寸の虫にも五分の魂。この五分の魂で生きていくしかありません。そんなことを考えていくと、何だか楽しくなってきます。私は蟻ん子だというのが。

 さて、学校です。
 金曜日に、「先生、あのアルバイト…やめたい。実は水曜日に黙って休んでしまった…」と、一人の学生が言いに来ました。

 このアルバイトは、卒業生(実は卒業生と言いましても古株で、既に大学を卒業して日本の会社で働いています)の紹介だったのですが。

 この卒業生が紹介してくれたときには、彼を知っている店長さんがまだいたのです。それで、わからない日本語を教えてもらったりして、彼としては、「仕事だけれども、勉強にもなる。どんなことがあっても(このアルバイトは)やめたくない」と言っていたのですが。

 移動でこの店長さんが別の店に行き、その代わりに若い店長さんがきたそうで、それから、彼の顔が少しずつ暗くなっていきました。とはいっても、一ヶ月とは経っていないと思います。時々「どうしよう。お客さんに聞かれて、判らないことがあったので、店長さんに聞いたのだけれども、相手にされなかった。これはとても困ります」なんて言っていたこともありました。

 そんなこんなで、行けなくなってしまったのだろうと思います。まあ、どちらにしても黙って行かなかった彼が悪い。それで、それを聞いてすぐに(金曜日の授業が終わってからです)、「やめるかやめないかは別にして、とにかく、すぐ謝りに行きなさい」と言って出したのですが。

 で、少々心配だったのです。今日(月曜日)、彼はいつもより少し早くやってきて、金曜日のことを話してくれました。

 「あれから直ぐに店へ行って、謝ってから、店をやめたいと言った。店長さんはびっくりして、どうしてやめたいのかと聞いた。それで、思っていたことをみんな話した。店長さんは、次の人が見つかるまでやめないでと言った。そして自分も頑張るから君も頑張ってと言った。話したのは、全部で一時間くらい。言いたいことはみんな言った」

 掻いつまんで言うと、こんなふうだったようです。話を聞いた時には、私は内心、「他のアルバイトがまだ見つかっていないのに、やめるなんて」とびっくりしたのですが、ちゃんと店長さんと話したと聞いてほっとしました。一番悪いのは何も言わないでやめること。少なくともそれはなしになったのです。

 前の店長さんが特に親切にしてくれたから、どうしても比べてしまうのでしょう。けれども、話を聞いている限りでは、自分の非を素直に認めてくれる人のようです。それにまだ二十代とのこと。話し合ったことで学生も、気持ちが随分すっきりしたようです。これから、気持ちを新たにしてやっていけるといいのですが。

日々是好日
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「学校から離れた所に住んで、毎日通って来るということ」

2012-05-18 09:47:33 | 日本語の授業
 いったん雨が止んで、それからまた降り出し、そして家を出る頃にはまた止んで、今は陽が射しています(こう書いた途端に、パラパラと、また降り始めました)。来るときにも、雲の切れ間に青空が覗いて見えましたから、晴れそうな感じはしていたのですが、それでも寒い。涼しいを通り越して、肌寒い。出るときに、コートを着ようかと悩んだくらいでしたもの。

 天気予報によると、夕方にはまたこの辺りでも雨が降るとのこと。関東北部は(夕方には)雷様の襲撃を受けるといいますから、怖いですね。山登りの最中、一時避難したところで、雷に打たれてなくなった方が出たのも、つい最近のことのよう。

 さて、学校です。
 四月に、新しく来たばかりであっても、遠くに住んでいる学生たちは、そろそろ音を上げ始めているようです。この点、中国人は、やはりすごいですね。中国人といっても、これは、漢族のことですが。

 「東西線のラッシュなんて、ラッシュのうちには入らないのだ」といくら言っても、彼らには判りません。他の路線のことを知りませんから。一度「押し屋」が必要なほどの、他の路線に乗ってみたら、如何に日本のラッシュがすごいのかわかるでしょうに。しかも皆その中で普通に生活しているわけですから、それだけでも、いい経験になると思うのですが。

 それを日本人の友人に話したら、「やめてよ。乗る人間は一人でも少ない方がいいんだから」と言われてしまいました。全くその通り。

 とはいえ、やはり、来日後二年間は、寮に住むか、せいぜい「浦安」程度の距離の所に(自転車で通える距離です)、住んだほうがいいのです。毎日、学校に来て勉強を続けていれば、日本語も早く上手になれるし、日本語が上手になれば、アルバイトも見つけやすい。当然、日本の事情も少しずつわかってくるでしょうし、進学にもそれは生きてきます。この前提が崩れてしまえば、「日本語も出来ない、アルバイトも見つけられない、進学も難しい」と、三重苦になるのは目に見えています。

 親類が日本にいる場合でも、寮に住むか、一緒に近くに越してくるかしてくれると、学生たちも勉強に集中できるのですが。

日々是好日
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「色の名」。「凪」。「卒業生」。

2012-05-17 13:02:55 | 日本語の授業
 朝、金属的な朱色の太陽を見ました。「金属的な朱色」とは言いましたけれども、実際は、この色をどう表現していいのかわかりません。色というのは、ある意味では感覚的な存在で、見えているけれども、それを言葉にして捉えることができないのです。名付けられたら、それはもう自分のものになったという感覚は、多分体験に根ざしているのかもしれません。確かにそんな気持ちになりそうですもの。

 で、結局名付けられないので、同じ色と感じられる物などに代わりをさせて、つまり、その物の名をかぶせて名付けたり、あるいは、それと同じであろう色を作り出した芸術家の名で表したりしてしまうのです。

 とはいえ、もともと存在している色に、改めて事々しく、それらしい名を付けたりするのですから、二重三重の手間暇をかけ、愚かしいことをしているように見えないことも …ないのです。

 人は、なぜ物に名を付けたがるのでしょう。光が生み出す色、それを己の物にするために、名をつけようとしているのでしょうか。なぜ物に名をつけ、それを我が物にしようとしたいと思ってしまうのでしょう。捉えよう、あるいは光りそのものを捉えようとして、必死になってしまうのでしょうか。名前などつけられなくとも物は底に存在し、光は遍く大地を照らしているというのに。

 おかしなものです。人はこういうものに知らんぷりでいることはできないように作られている生物なのかもしれません。人が人に関心を持ってしまうのも、もしかしたら同じような理由なのかもしれません。

 今朝は、日の出の頃に一瞬顔を覗かせた太陽も、直ぐに灰色の雲の中に隠れ、今朝の天気は「薄曇り」。確かに今日も暑くなりそうですが、風は、どこやら、とても冷やっこく感じられます。大気が不安定なので、こんな風になってしまうのでしょう。

 昨日、午後の1、2時間目が終わって、三階の教室に行きますと、学生がへばっていました。いくら陽射しが強いとはいえ、外ではなく、室内なのに…です。しかも、まだ五月です。暑さよりも、どうも、あの頃、学生たちが、フウフウ言っていた理由は、あのころ、「凪」がやってきたから…らしいのです。

 風が全くなかったのです。私の感覚で言うと、二時から三時頃が凪なんて…なのですが、教室は、完全な無風状態になっていました。エアコンではなく、扇風機が欲しくなるほどだったのです。何と言っても、夏は一番上の階が暑いのです。

 それでも、陽射しを遮ろうと、カーテンを閉じて授業をしていますと、急にカーテンが膨らみ、強い風が吹き込んできました。

 それで慌てて、カーテンを開け、窓を閉め(全部ではありません)ながら、「凪」の説明です。

 雷が鳴ったときには雷のこと、稲妻が光ったときには稲妻の名を言い、それと同じように「凪」に出会ったときには「凪」の説明をしていきます。もう少し経ったら、このクラスでも「干潮」と「満潮」のことを話してみた方がいいのかもしれません。「海」から遠いところで育った人たちは、私たちの知らないことを多く知っている代わりに、「海」のことを全く知りませんから。

 私たちは「海」の様々な現象から、「地球」の活動を知り、「月」や「太陽」との関係にを知り、自分たちの立っているこの地を理解することを教わってきました。日本で創られてきたものには、どこかしら「潮の香り」がしているような気がします。時には荒磯の香りであり、時には海から立ち上る霧であったりするのですが、総じて、湿っぽいのです。

 この感覚を、カラリとした大地で生い育った人たちにどこまで判ってもらうことができるのか…。もちろん彼らはここを卒業した後、ある者は二年、ある者は四年、また大学や専門学校を卒業しても、それ以後も、日本で働いていくことを選ぶかもしれませんし…、時間は十分あるのです。

 とはいえ、見る気が無ければ、目の前に存在していようとも、気がつくこともないでしょうから、それが「ある」ということだけは、伝えておくことにしましょう。日本の五季(春夏秋冬、そして梅雨)を。

 さて、卒業生です。
 昨日、一人、今年卒業した学生がやってきました。いろいろ話しているうちに、「私たちの国の人は、お金をたくさん持っていません。日本語が下手なうちは、仕事がありません。困っているなら、自分のアルバイト先の人に話してもいい」。それから、「今の専門学校では、あまり日本語の勉強ができない。もっと勉強をしておけばよかった」。だから「新入生にはアルバイトを紹介してもいいけれども、もしこの学生たちが学校を休むようなことがあったら、ちゃんと言って聞かせる」とも言っていました。

 私たちは「ホントかな。でも確かに顔つきは締まってきたし…、でもホントかな」くらいの気持ちで聞いていたのですが、何にせよ、だれかがアルバイトを紹介してくれるというのは、言ってくれるだけでも嬉しいことです。漢字圏の学生はまだいいのですが、非漢字圏の学生たちは、最初の半年ほどは、本当に(アルバイト探しに)苦労するようですから。

 それからもう一人。国立の大学院に合格した学生が大学の寮に入れることになったと報告してくれました。奥さん(彼女もこの学校の卒業生です)と赤ちゃんの三人で2DKの部屋です。家賃もかなり安く、大学にも近いとのこと。

 昨日は、嬉しいことがあったので、ちょっと疲れ気味だった皆(教員)も、少し疲れが飛んだかな

日々是好日
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「小学校の運動会」。「世界地図」。

2012-05-16 11:48:13 | 日本語の授業
 五月になってから、いつも小学校の応援団に迎えられるように(小学校のそば)を通り、また、送られるように通りすぎて、この学校に来ています。そう、もうすぐ、小学校は運動会なのです。

 五月や六月開催というのにも、慣れてきました。私たちの頃は十月十日の「体育の日」が、「運動会の日」と決まっていました。兄弟で小中高と別れている場合、親は大変だったと言います。それでもみんな文句を言いながらも、小さい方に肩入れし、大きい方は放っておかれる場合が多かったと聞きました。

 それが、いつの頃からか、地区の運動会は、小中高で、別々の日に開催することになり、それからいつの間にか、今度は5月開催とか6月開催とかになりました。10月開催は、受験生にとって厳しいと言うのです(小中高、最後の運動会なのに、十分な練習ができないといった不満が出たのでしょう。何と言っても、運動会は「華」でしたから)。

 そういえば、修学旅行もそうでした。「修」学ですから、最後の学年の時にすると思いきや、最後の学年の時は受験勉強をしなければならないからということで、それが二年の三学期ということになったと聞いています。今はどうなっているのかしらん。

 とはいえ、日本の小学校や中学校には、「家庭科」や「体育」があり、しかも専門の教師がきっちり教えてくれるようにできています。これは、本当にすばらしいことだと思います。

 「家庭科」も、昔とは違い、「生きるために必要なこと。生活していくために必要な理論」も重視しているようで、ある意味では「社会科」と重なり合うような指導になるのでしょう。

 「体育」にしてもそうです。外国に行ったときに、(日本では)たとえ「体育」の点数が、そこそこの「3」くらいであったとしても、一丁前に、皆と一緒にバレーボールが出来たり、サッカーが出来たりするのは、いわゆる「昔取った杵柄」(随分、レベルは下であったとしても、習ったことがあるというのは強みなのです)で、それなりに出来るのですから。

 それに「美術」もそうでした。実際に、うまく描けるとか、創れるとかは別にしても、外国に行って芸術作品を見たときに、中学校の時の美術史の時に習った作品やら、建造物やらが鎮座ましましているわけですから、それなりに理解もできますし、感動を味わうことも出来ます。美術の歴史や作者の名前とかを知らずに見るのとは、全く違うのです。

 国によっては、国語・数学・社会・理科、それに外国語しか重視せず(もちろん日本にも、受験に必要な教科だけを重視するという傾向はありますが)、他の教科は名前だけであったり、あるいは全く時間割にも載っていなかったりするようなところさえあるのですから。

 以前、中国人の学生で(れっきとした大卒です。専門はコンピューターでしたが)、ロシアがどこにあるかも判らず(中国語でロシアは何というかは伝えてあります。もちろん、名前は知っていました)、それに驚くと、「私は理系だから(当然だ)」と言って済ましていた学生さえいましたっけ。

 これは、多分、中国人の中においても極端な例なのでしょうが。ところが、彼女のことを笑えないような人たちがたくさんいるのです。

 そういうわけで、「Aクラス」でも、少しずつ、ニュースに出てくる国名などを探させることを始めました。例年、これはやっているのですが、このクラスはまだ「上級」にも入っていないので、少し退いていたのです。もっとも、「白地図」を使ったりは出来そうにありません。が、少なくとも、今世界のニュースで取り上げられているような国だけは、どこにあるのか、あるいは国と国の成り立ち、関係はどういうものであるのか、私のような、平均的日本人が知っているような知識くらいは入れておきたいと思うったのです。

 これも、一つの国から来た人が一人二人であったなら、「個人の問題」と言ってすませられるのでしょうが、ある程度の数が来ていた場合、これは彼らの母国の、教育の問題であるとしか思われないのです。で、しかたなく、この日本語学校で対処せざるを得なくなるのですが。

 以前は、卒業後、直ぐに帰国してしまうといった人にはこういうことは教えませんでした。国によっては、知らない方がいい場合もあったのです。それに人によっては、知らない方が幸せであると思われる人もいました。人を非難しているだけの方が楽ですし、元気でいられるからです。自分の国の様子を外から見るというのは、ある程度の知力とそれから胆力がいります。それらを加味した見識も必要でしょう。

 中には、こういうことを聞くなり、「あなたは間違っている。本当はこうだ」と(母国の政府が言ってきたとおりのことを)言い放った学生もいました。しかしながら、こういう学生でも在日期間が一年から一年半ほどを過ぎてくると、次第次第に現実を受け入れていきます。

 ただ私たちは、誰が間違っているとか正しいとかを言いたいのではないのです。世界には、いろいろな考え方をする人たちがいる。(もし、一つの考え方だけに凝り固まっていたならば)自分のこれまでを疑ってみることは、誰によらず(特に若い人にとっては)大切なことなのだということを伝えたいのです。その前提として、日本で報道されているニュースを(日本にとって都合がいい悪いに関わりなく)伝えておきたいのです。まあ、最初はいろいろな国がどこにあるか、例えば、ギリシアはどこ、フランスはどこといったくらいのことなのですが。

日々是好日
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「学校を休んでもいい?」。

2012-05-15 18:02:51 | 日本語の授業
 今日は一日中、降ったり止んだりのお天気でした。こういうお天気の日は、緑が目が覚めるように美しく、もうそろそろ「ウノハナ(卯の花)」や「アジサイ(紫陽花)」などが咲いても、少しもおかしくないような気になってくるから不思議です。

 日本にも雨に纏わる伝説やら言葉がたくさんあるのですが、今年ばかりは「いったい今は何になるのだろう」と悩んでしまいます。

 これも、今年、花(桜)の時期がずれ込んだことにより起こってしまったかん感覚なのか、それとも、どこかしら、逆しまに流れているような時間の流れがそう感じせしめているのか、全く判らないことなのですが。人は、ただ、うろたえているだけであり、それでも、それはそれでいいのだと宮沢賢治の詩などを思い出しては、ため息をついたりしています。

 まあ、こんな気持ちになるのは、この風土に育った者だけでしょう。学生たちは相変わらず、元気です。時々「雨ですね。傘がありません」とか、「ああよかった。雨が降っていません」とか、このくらいのものです。中にはアルバイトがなかなか見つからず、心急いている者もいるでしょうに、「学校を休んではだめです」という教師の話に、大方の学生は従ってくれています。

 今日も、「学校を休んで面接に行ってもいいか」と聞かれ、一言「だめです」と答えてしまいました。結局「判りました。行きません」で、彼はいつも通りに学校に来て勉強したのですが、もし非常に切羽詰まった状況にある学生であり、その仕事がまずまずのものであったなら、今日のように強く言えたかというと、自分でも自信はないのです。

 毎日、真面目に学校に通っており、学校を休みたくないと思っている学生が、「休んでもいいか」という問いかけをするのはよほどのことなのです。それを金太郎飴みたいに「いけません」で通せるかというと、そういうものでもないのです。

 まずはケースバイケースで考えるしかないのです。追い詰められている学生には、理屈は通じないのです。

 昨日、電話をかけ、今日、午前中に面接に行ってきた学生が、ニコニコしながら学校にやって来ました。多分、大丈夫と言っていましたけれども。また断られて、ガックリしなければいいのですが。

日々是好日
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「不安定な大気」。「学生だけではなく、教師にも授業における『達成感』は必要」

2012-05-11 09:15:24 | 日本語の授業
 快晴。昨日も一昨日と同じように、突然、空に黒雲が広がったかと思うと、冷たい風が吹き始め、そして雨。夜の天気予報を見ていると、一時間くらいの間に十度ほども気温が下がったのだそうです。この季節、雨が降る前には気温が下がると、よく言われていたことなのですが、これほど寒くなったことは…少なくとも記憶にはありません。

 太陽が冬眠に入る準備を始めたそうですし、太陽の磁場が四極になるとかいうことも聞きます。この分で行きますと、地震の備え、津波の備え、竜巻の備え、そして寒冷化の備えまでしておかなければならなくなりそうです。

 とはいえ、日本人。相変わらず、この小さな島で暮らしています。やはり、どこよりもここがいいのです。ということは、皆で、暮らしやすい社会、そして国を作っていくしかないようですね。

 さて、学校です。

 普通、クラスの中には、一人か二人、察しのよい学生がいて、教師が何を言いたいかを察するのに長けているばかりではなく、文章の内容などもだいたい直ぐに判って、他の学生をそれに巻き込んでしまうものなのですが。

 ところが、そういう学生が一人もおらず、よく考えないで、とにかく何か言ってしまおうという学生の声が大きいと、クラスの方向があらぬ方へ進んでしまいます。不器用な学生がやっと正しい答えを考え出しても、「あれっ。私の方が違っているのかしらん」などと思ってしまい、口を閉じてしまうのです。こういう不器用な学生は、だいたいが、だれかに背を押してもらわなければ何も言えないのです。自信がないのです。皆と同じでなければ、正しい答えを考えついても、口に出せぬのです。

 そういう意味でも、クラスの中に、できる学生というのは必要なのです。仲間を力づけ、励ますだけでなく、クラス全体の平均点も上げますし、授業における日本語でのやり取りを通して勉学の面白さがクラスの共通認識になっていきます。

 これは他の学生だけではなく、その学生にとってもプラスなのです。クラスの中で一人だけできるということは、どう考えても、普通、あり得ないことです。勉強する気のない人たちが集まっているクラスにいれば、皆、やる気をなくしてしまいます。そうこうしているうちに、この学校で学べる二年間はあっという間に過ぎてしまいます。勉強したい、勉強は面白いと思って活き活きしているクラスに入れば、自分自身もそういう気になるでしょう。

 できる学生に引きずられるように(もちろん、教師がその方向に指導していくのですが、学生と教師の考え方が融合していくには、学生の側からの「手」も必要なのです)、いつの間にか他の学生たちも、判った気になり、それがいつかしか自身の日本での体験と溶け合い、文章も読めてくるものなのです。文章が読めてくると、聴解力もついてきます。「読む」と「聞く」というのは不即不離の関係にありますから。

 それに反して、その察しのよい学生が一人もいないクラスでは、一つ一つ、いわば冗長ともいえるような説明が必要となってきます(これは文章を理解していくときのことです)。日本語であれ、他の国や民族の言語であれ、文章を読んで理解するというのは、ある程度、母国で読解力を養われてから(他国へ)来ている学生にとっては、それほど難しいことではありません。

 教師は、ただ少しばかり手を添えてやればいいだけなのです。だから、(教師は)他の知識の習得に向けて(時間や体力を)割けるのです。ここで言っている、教師が手を添えるというのは、つまり、語句の意味や解釈、また文法事項の説明であったりするのですが、それで、だいたい、事足りるのです。

 ところが、それができていないと(これにはいろいろな事情もあるでしょう。手一杯、あれも聞きたい、これも聞きたいと言っていたときに、教師の側がそれにうまく対応できておらず、いつの間にか、学生が「事なかれ主義」になってしまった…ということもあるでしょうし、もともと日本に対する関心がなく、知ろうともしなかった…ということもあるでしょう)、日本に対するアンテナを拡げさせるために(関心を持たせるために)、一つの単語、あるいはある内容に対して、事細かな説明を要することもあるのです。それも、時には大げさな言い方をした方がいい場合だってあるのです。

 彼らの国で、ある程度の察知力、洞察力とまでは言いませんが、それが養われていないと、(自分の国ではこうであるが、日本人はどうもこういう表現や言い回しをするらしい。ということは、この文章ではこちらの方を重視しているのだな)といった理屈の上での理解が出来ていかないのです。

 この意味で、学生が「先生は、前に、こう言ったのに」と言い始めた時が、「進め」の合図でもあるのです。こっちは、そう言うのを、まだかまだかと、腕まくりして待っていたのですから。これも、うんと文句を言われた方がいいのです、それだけ覚えていたことになるのですから。そうすれば、「あのときはこう言った。けれども、今回は別なことを言っている。なぜか」と切り返せますから。一方的な講義ではなく、たとえ文章を理解していく「読解」授業であろうとも、双方向で進めていくというやり方は必要です。当然のことながら、これは、「あなたの国では」という問いかけから、「あなたは」という問いかけへと変わっていく手順を踏んでなされていくべきでしょうが、それが学生だけでなく、教師にとっても授業においての達成感に繋がるのです。

日々是好日
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「ウグイス」。「『お兄ちゃん』と呼びかけられた…」

2012-05-10 17:44:05 | 日本語の授業
 晴れ。気持ちのいい朝です。五月晴れと喜んでいたいほどなのですが、依然、大気の具合は安定していないようで、今朝も「もし竜巻が発生したら…」とニュースの時間に注意を呼びかけていました。

 しかしながら、昨夜来の雨で、草木はしっとりと湿り気を帯び、よけいなものを洗い流されて、その緑も、生まれたばかりの翡翠色に見えます。緑が初々しいと言ったらおかしいでしょうか。

 初夏と言ってもいいのでしょうけれども、まだなりきってはいないこの頃は、物皆すべて美しく、これで「ヒヨドリ(鵯)」の悪声ではなく、「ウグイス(鶯)」の声であったら、「オンの字」なんですけれども。

 連休中に戻っていた故郷では、うるさいほど「ウグイス」が鳴いていました。ただ全くと言っていいほどの初心者ぞろいで、うるさいと言ったらありません。それでも、山であったら、時折、年配の鳥が来て、これ見よがしに(縄張りを主張するために)美声を聞かせてくれるのですが、若鳥ばかりでは「下手が下手に下手と言う」という図式そのままで、本来なら「ウグイス」の声で王朝絵巻でも思い浮かべてもよさそうなものなのに、舌打ちをしたくなるほどなのです。

 そう言うと、横浜の姉は「こっちもうるさいくらいウグイスが鳴くけれども、そんなことはない。美声の持ち主が多く、ホーホケキョと一声啼いては去っていく」と言っていました。

 もしかしたら、山に近い丘陵地帯に住んでいるウグイスと、海沿いの町に来るようなウグイスは違うのかもしれません。若鳥は、自ら山を下りたと言うよりも、ひしめく山から追われてやってきていると言った方がいいのかもしれません。

 さて、学校です。
 学校の近くに住んでいる年配のご婦人が留学生達のことを気にかけてくださって、声をかけてくださるばかりか、お菓子をくださったりしているのですが、来日したばかりの学生はに、そのことがわかりません。

 先日も通りかかった学生を呼び止め、「これをみんなでお食べ」とおせんべいをくださったのですが、学生はどうしていいか判らず、そのまま学校へ戻ってきて「先生、これ、あの家の人がくれた…なんですか」

 まあ、このおせんべいは、この学生のクラスの皆で、いただいたのですが、その時にその学生が、「先生、『お兄ちゃん』と言われました。これはどういう意味ですか」

 どうも、呼び止めるときに「ねえ、お兄ちゃん」と言われたらしいのです。この学生は、もちろん、「お兄さん」とは、兄弟のうちの兄の方であるというくらいの認識しかありません。「おばあさん」は「おばあちゃん」だから、「お兄ちゃん」は「お兄さん」だろうなのですが、それからあとが、うまく理解できなかったらしいのです。

 彼は、どうも自分は「兄」という意味で呼ばれたのではなかろうが、しかし、どうして自分のことを「お兄ちゃん」と言ったのだろうと、自分なりに考えてもよくわからず、それで「先生」となったらしいのです。

 それで、「名前がわからない若い男の人を呼びかける時に、『お兄ちゃん』と言うこともある」ということを言いますと、「じゃあ、悪い意味じゃないですね」と安心したようでした(どうしてそう考えたのかはわからなかったのですが)。

 こういう簡単な単語(『初級Ⅰ』で学ぶような)であればあるほど、場所や場合に応じて、様々な意味が生じ、学生たちは混乱するようです(意味ははっきりわからなくとも、どうも習った意味ではないようだとは思うようです)。だから、どう反応していいのか判らなくなってしまうのでしょう。適当に何でも「はあい」と答えておけばよさそうなものですが、そうはいかないのです。

 「あの方はとても親切な方で、留学生達はアルバイトをしながら、がんばって勉強を続けている。偉いもんだ。自分も何か手助けしてやりたい」と思っていてくださるようだ。だからみんなも道であったときには、挨拶をちゃんとしてね」と言いますと、一人が「自分の国にもそんなふうな優しいおばあさんがいる。同じだ」と言っていました。

 そう、みんな頑張っている人が好きなのです。こういう気持ちは万国共通のようですね。

日々是好日
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「竜巻が来たら」。「少人数で学ぶことのデメリット」

2012-05-09 11:29:30 | 日本語の授業
 曇天。
 空は、分厚い雲に覆われています。今日も上空に寒気が押し寄せてくるとか。先日の竜巻のこともあり、天気予報でも、ニュースでも、戦々恐々として、人々に注意を促しています。

 屋外にいたならば、まず頑丈な建物の中に逃げ込む。決して木の下などには行かないこと。屋内にいたならば、(ガラスが飛び散ることもあるので)窓のカーテンを引いて、しっかりとしたテーブルなどの下に潜り込むこと。

 子どもの時から、「台風の時には」とか、「雷が鳴ったら」とか、「地震の時には、こうせよ」とかは、聞きながら育ってきましたから、判るのですが、昨年からは、それに津波が加わりました。今年は「竜巻が発生したら」が加わり、どんどん自然災害に対する智慧がついてきます。

 けれども、悲しいかな、どれもこれも、天災という、人智では計り知ることのできないものに対する、わずかながらの抵抗でしかありません。

 竜巻にせよ、津波にせよ、先人達はどう対処してきたのでしょう。そこに現代人の等閑にしてきた「叡智」が込められているということを、今度の震災で私たちは初めて知りました。

 民主主義国家というのは、何事によらず決定するまでに時間がかかります。何日も、何年も話し合っても、それでも決着がつかないということもあります。そこで必要になってくるのは、専門家の意見なのですが。

 ただ、専門家といっても、これまでは(聞くところによると)「幅広い分野の専門家」が集まって話し合うというのではなく、それこそ、直接関係のある、専門家だけが集まって、それも同じような意見の持ち主たちばかりが集まって話し合っていたようなのです。このことの危険性も、私たちは今度の震災そしてそれに続く原発を通して初めて知りました。

 津波の時に、古文書研究家の存在がクローズアップされました。最近の、先進的な地震学などとは、一見、関係のないように思われるこの学問の大切さを、この悲惨な災害を通して、私たちは初めて認識したのですが、「先人達は津波の被害を最小限に食い止めるためにどうしていたのか、それを聞いて、驚き呆れたのは私だけではなかったでしょう。

 かつて津波が来たことがある地区には、古老達が言い伝えてある地区には、決して人を住まわせない。実際、それをしていたのですから。

 今なら、「それは個人の自由だ」で、終わってしまっていたことでしょう。それに、代を重ねていくうちに、その記憶のある人が死んだり、よそへ行ったりしたこともあるでしょう。また代が代わったときに他者に売りもしたでしょうから、津波がそこにも来ていたことを覚えている者もいなくなったでしょう。

 そして何百年に一度の巨大地震による津波がやって来て初めて、そこが危険地区であったことを思い知るということになってしまったのです。

 あれから、「(どこそこの寺院に)何年何月に津波がここまで来た。大勢の人が、津波に呑み込まれた。後世の人々が、この悲劇を忘れぬようここに記念碑を建てる」といった類のものが、多く発見(?)され、報道されていきました。

 記録とは、一面、先人達の、後世の人への「思いやり」なのでしょう。人というものは、一万年前であろうと、百万年後であろうと、おそらくは変わりばえしない生き物でありましょうから。

 さて、学校です。

 一クラスの人数が、二十人程度もありますと、一人、二人、まあ三人くらいまで、チョコマカしていても、普通に授業ができていくものなのですが、これが十人以下のクラスとなりますと、なかなかそうは参りません。

 気になってしまうのです、このチョコマカが。数が少なくても問題ないのは一番上のクラスだけ。何となれば、一番上のクラスというのは、(一年以上をかけてふるい落としていきますから)数が少ないのは当然なのです。しかも、だいたいそれまで頑張れた人たちというのは、チョコマカしません、落ち着いているものなのです。

 ところが、今年は(去年、大震災そして原発があったことにより)変則的になってしまい、上とその直ぐ下のクラスの人数が少ないのです。今年来た学生たちは、現在のところ、以前通りの数に戻っているので、それほど問題ではないのですが。

 この学校は、だいたい、学生たちの国籍が様々であるので、人数が多ければ多いほど、多種多様な考え方や習慣が学校に持ち込まれるということになります。それで困惑させられることもないわけではないのですが、ある意味では、学生たちに早くから「他者」を、身を以て体験させることができるというメリットがあるのです。

 早くから「違う人たち」を知っておくことは、外国で暮らす場合、非常に大切なことです。以前、中国の漢民族が多かった頃は、外国へ来ても自分のやり方ですべて押し通そうとする傾向がありました。その頃は、中国でも漢民族というのは、人口が一番多いから、自分たちと違う考え方や習慣があることが判らないのだろうくらいに思っていたのですが、これは中国人に限らず、ベトナム人でもタイ人でも同じでした。クラスの中で、あるいは学校での多数派かどうかだけが問題なのでした。

 ここは日本ですから、もちろん、私たちは日本の習慣、日本人の考え方を彼らに伝えていきます。が、その時に、自分たちと日本人が違うのではなく、みんな(各国、各民族で)それぞれ違うということ、世界には多くの国や民族があり、それぞれの国や民族の数だけ、考え方や習慣があるのだということを、小さな教室の中で自然に学ぶことができたのです。

 それが、この学校のいいところだと思っていたのです。とはいえ、一クラスの人数が少ないと、なかなかうまくいきません。各国、各民族を噛み合わせながら、授業を進めていけるところが、私たちとしても、面白さだったのですが。もちろん、面白いだけではなく、かなりアタフタもさせられることも多いのですけれども。

日々是好日
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「野の花、野の木々」。

2012-05-08 13:41:20 | 日本語の授業
 昨日は、穏やかに明け、暮れていきました。十日ほども留守にしていたからでしょうか、鉢植えの花の脇には、見知らぬ花がしっかりと根を張り、花まで咲かせていました。

 春夏秋冬を問わず、鉢に植えられ、売り買いされるものから、鳥や虫たちが運んでくれるものまで、様々な草花が、それなりの存在感で街を彩ってくれています。多分、人の手を煩わさずとも、自然は、木々を大木にまで育て上げていくことでしょうし、野の草花を花開かせていくことでしょう。

 人というものが、地上最悪のウィルスの如きものとなり果てるのか、それとも、地球の一部として慎ましやかに生きながらえていけるものなのか、一刻一刻が、おそらく我々の将来を、そして次世代の未来を決めていくことになるのでしょう。

 けれども、地球という存在から見れば、人という種が滅んだとしても、何ほどのこともない…(宇宙から見れば)星が一つ消えるほどのこともない…のでしょう。日々齷齪生き急いでいながら、今さら何を言うのかとも言われそうですが、人というものは、そういうことを感じつつ営みを続けていかねばならない、哀れな(しかし、また同時に強い)存在なのです。

 人などいなくとも、いえ、人という種が生まれる以前から、地球には「景色」「風景」「光景」といわれるものがあったのです。これも、当然のことですが。人が生業をはじめるずっと以前から、地球は存在していたのです。人など大したものではない…、実際にそのはずなのですが。

 けれども、どうしてでしょう。人は人が気になり、他者が不幸であると辛くなる。そして、自分よりもっと幸福な人が現れると、祝福しながらも、ちょっと意地悪をしたくなる。人というものは、自分をも含めてですが、本当に興味深く面白い。

 多分、だから、人は人であり続けることが出来るのでしょう。そして常に人のそばには人が要るのです。

 さて、学校です。

 昨日、学校に来なかった学生が数名いました。連休疲れと…、多分、サボりもいたことでしょう。今日、みんな、来てくれるといいのですが。中には連休中、パーティを開き、近所から苦情が出ていた学生もいたようですから、もしかしたら、彼らはちょっと来づらいのかもしれません。まあ、どちらにせよ、彼らには始末書を書いてもらわなくてはなりません。学校も寮も、田んぼの真ん中に建っているわけではないのですから。

日々是好日

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「連休明け」。

2012-05-07 14:30:12 | 日本語の授業
 晴れ。昨日の天気が嘘のようです。けれども、またどうなるか判りません。夜になったらまた突風が吹くなんてことになるかもしれません。

 思えば、日本は、おしなべて、こういう突風とか、竜巻とかとは無縁に近い国だった…と昨今の日本人は思っていたようです。だから、オタオタしてしまうのでしょう。地震や津波の時とはどこかしら、心に受けるものが違うような気がします。ただ、これなども天変地異の一つというか、地球活動の一つであると言えば言えるのでしょうが。

 とはいえ、こういうことは「いにしえ」から、日記や随筆の形で残されてはいました。それなのに、どうして、こうまで、ありうべからざるもののように感じてしまうのでしょう。竜巻のニュースなどは、アメリカから、嫌になるほど伝えられておりましたのに。

 さて、連休は、交通事故というニュースで始まり、そして悲惨な自然現象で終わりました。「いったい日本はどうしてしまったんだい」というのが、大方の気持ちでしょうか。みんなが約束事を守っている(はずだ)から、大丈夫だったのに、守っていない人がいるなんて。守っている人間のほうが割を食ってしまうというような社会になってしまっていたのでしょうか。

 それとも、守ることができなくなるまで追い詰められていたのでしょうか。そして何より、約束を守れないという人々の叫びが届かなくなるほど、「法」は、人々から離れてしまっていたのでしょうか。

 人というものは、何もなければ、簡単にズルをしてしまう存在でもあります。ズルをしてはいけないと幼いうちから教えていかねばならないのは、それなりの理由があるのです。それに、そういう教育を受けて育っていても、社会に出て、皆がズルをしていれば、直ぐに学んだことを放り捨ててしまいます。だから、ズルをしたらひどい目に遭うということを共通の認識としておかなければならないのです。特に人命が関わるものは。

 自分でズルをして、自分がひどい目に遭うというのは、皆「当然」と考えます。けれども、ある人がズルをして、そのあおりを食って、罪のない人が死に至る、あるいはそれと同様の苦しみに苛まれてしまうというのを、受け入れられるほど、だれの人の心も広くないはずです。

 連休が明け、学生たちが学校に戻って来ました。学生の姿がチラホラするようになると、俄然、学校が学校としての明るさを取り戻してきたように見えます。やはり学校には学生たちがいませんとね。

日々是好日
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