曇り。
時折、ポツリと来ているようですが、まだ「曇り」状態。
昨日、もう、来週から、新学期が始まる…ということに気がついて、焦ってしまいました。
実際、何に焦ったのか、自分でもよく判らないのですが。
一応、新しい教科書の単語表も作った。「N5」「N4」レベルの漢字テストも作った。「Aクラス」で、今度は本格的(?)にやってみる「N2問題集」の計画と導入段階で入れる(つもり)問題も選んでみた。「読解」のネックになっている「接続詞」に関する対策も考えてみた(結局は繰り返しが大切ということだけなのですが)。夏休みに学校に勉強に来ていたベトナム人学生の勉強の様子を見ながら、新学期(前期の復習のことです)の入れ方や程度なども、考えてみた…。
悲しいことに、「本格的」と銘打っても、結局は、「一時的」、「暫定的」で終わってしまう場合が多いのですが。
大きく分ければ、「漢字圏」と「非漢字圏」ですが、(教える場合)かなり考えなければならない(一斉授業と言いながらも、その中で「あなたたちはこれ」「そちらはあれ」と違えてやらせる)場合が多いのです。
しかも、同じ「漢字圏」で、同じ中国出身の学生であっても、地方によっては、対しかたを違えなければならない場合もある。「非漢字圏」であれば、そういう場合が、更に増えてくるのが普通で、例えば、中国文化の名残が残っている、ベトナムと、「インド文化」の影響が色濃く残っているスリランカ(彼等は違うと言いますが、どうしても、私たち東アジアの人間から見れば…共通項でひっくるめたいところが少なくないのです)とは、違う。
だいたい、一斉授業をするときには、クラスを三つほどに分けて考えているのですが、いろいろな国の人が多いときと、1、2カ国が突出して多いときとでは、これまた、違ってくる。まじめにやる人が多いときと、ふらつきがちな人が多いときとでも違う。留学生が多いときと、在日が多いときとでも違う。
留学生は普通、「N5」に合格して来日しています。なぜ合格したのかと(ひらがなも適当にしか書けないし、勉強の経験があるのかと疑われるので)わからない人も、たまに含まれていることもありますが、大半は、「ひらがな」は書けますし、読めます。
在日の人には、かなりばらつきがあって、時には日本に10年以上も住んでいて、日本人の言うことも、だいたい判るし、普通に日本で生活できるほどの日本語も話せるのだけれども、「正しい日本語(気持ちはわかります)が、話せない。だから、『てにをは』に気をつけて話せるようになりたい」という人もいれば、「日本語」を聞くのも、「ひらがな」を見るのも初めてという人もいます。
前者は、まず、一か月、もって、三か月ぐらいで音を上げる人が多いのです。勿論、結局は、もう日本で生活できているので、それほど、差し迫った必要性がないということなのでしょう。だから、「やりたい」とか、「できたらいいな」くらいの気持ちはあっても、今さら、助詞を覚えたり、漢字を覚えたりということにそれほど辛抱できないのでしょう。これも当然のような気がします。
一方、後者は、「留学生」と一緒では、速すぎて、なかなかついて行けないのです。在日の方の中には、時には40才位の方も、それ以上の方もいますから、これも当然のような気がします。せめて「ひらがな」と「カタカナ」くらいは、練習したことがあるというレベルでなければ、確かに難しいところがあります。
とはいえ、真っ白で来ても、活き活きとして勉強している人もいますから、一概には言えないのですが。
ただ、これも、母国でどれくらいの教育を受けてきたか、あるいは、必要性がどれほどあるのかによって、違いが出てくるのでしょう。
母国で、一応、大学教育まで受けている人は、やはり、辛抱が続くのです。「毎日、頑張って勉強していけば、きっとできるようになるはずだ」と考えることができるのでしょう。そこまで教育を受けていない人では、すぐに、やっぱり難しいと投げ出してしまう傾向にあるようです。
「頑張る」ではなくて、「辛抱」で表現しなければならないところが、少し「まずいかな」とも思うのですけれども。
さて、来週の月曜日から新学期が始まります。
在日の人は何人くらい残れるでしょうか。のんびり屋さんも半分ほどいるので、やはり、家にいた方が楽でいいとなるか、ずっと家の中にいるのは、却って辛いとなるか、それが続ける気になるかどうかの分水嶺のような気もするのですが。
日々是好日
時折、ポツリと来ているようですが、まだ「曇り」状態。
昨日、もう、来週から、新学期が始まる…ということに気がついて、焦ってしまいました。
実際、何に焦ったのか、自分でもよく判らないのですが。
一応、新しい教科書の単語表も作った。「N5」「N4」レベルの漢字テストも作った。「Aクラス」で、今度は本格的(?)にやってみる「N2問題集」の計画と導入段階で入れる(つもり)問題も選んでみた。「読解」のネックになっている「接続詞」に関する対策も考えてみた(結局は繰り返しが大切ということだけなのですが)。夏休みに学校に勉強に来ていたベトナム人学生の勉強の様子を見ながら、新学期(前期の復習のことです)の入れ方や程度なども、考えてみた…。
悲しいことに、「本格的」と銘打っても、結局は、「一時的」、「暫定的」で終わってしまう場合が多いのですが。
大きく分ければ、「漢字圏」と「非漢字圏」ですが、(教える場合)かなり考えなければならない(一斉授業と言いながらも、その中で「あなたたちはこれ」「そちらはあれ」と違えてやらせる)場合が多いのです。
しかも、同じ「漢字圏」で、同じ中国出身の学生であっても、地方によっては、対しかたを違えなければならない場合もある。「非漢字圏」であれば、そういう場合が、更に増えてくるのが普通で、例えば、中国文化の名残が残っている、ベトナムと、「インド文化」の影響が色濃く残っているスリランカ(彼等は違うと言いますが、どうしても、私たち東アジアの人間から見れば…共通項でひっくるめたいところが少なくないのです)とは、違う。
だいたい、一斉授業をするときには、クラスを三つほどに分けて考えているのですが、いろいろな国の人が多いときと、1、2カ国が突出して多いときとでは、これまた、違ってくる。まじめにやる人が多いときと、ふらつきがちな人が多いときとでも違う。留学生が多いときと、在日が多いときとでも違う。
留学生は普通、「N5」に合格して来日しています。なぜ合格したのかと(ひらがなも適当にしか書けないし、勉強の経験があるのかと疑われるので)わからない人も、たまに含まれていることもありますが、大半は、「ひらがな」は書けますし、読めます。
在日の人には、かなりばらつきがあって、時には日本に10年以上も住んでいて、日本人の言うことも、だいたい判るし、普通に日本で生活できるほどの日本語も話せるのだけれども、「正しい日本語(気持ちはわかります)が、話せない。だから、『てにをは』に気をつけて話せるようになりたい」という人もいれば、「日本語」を聞くのも、「ひらがな」を見るのも初めてという人もいます。
前者は、まず、一か月、もって、三か月ぐらいで音を上げる人が多いのです。勿論、結局は、もう日本で生活できているので、それほど、差し迫った必要性がないということなのでしょう。だから、「やりたい」とか、「できたらいいな」くらいの気持ちはあっても、今さら、助詞を覚えたり、漢字を覚えたりということにそれほど辛抱できないのでしょう。これも当然のような気がします。
一方、後者は、「留学生」と一緒では、速すぎて、なかなかついて行けないのです。在日の方の中には、時には40才位の方も、それ以上の方もいますから、これも当然のような気がします。せめて「ひらがな」と「カタカナ」くらいは、練習したことがあるというレベルでなければ、確かに難しいところがあります。
とはいえ、真っ白で来ても、活き活きとして勉強している人もいますから、一概には言えないのですが。
ただ、これも、母国でどれくらいの教育を受けてきたか、あるいは、必要性がどれほどあるのかによって、違いが出てくるのでしょう。
母国で、一応、大学教育まで受けている人は、やはり、辛抱が続くのです。「毎日、頑張って勉強していけば、きっとできるようになるはずだ」と考えることができるのでしょう。そこまで教育を受けていない人では、すぐに、やっぱり難しいと投げ出してしまう傾向にあるようです。
「頑張る」ではなくて、「辛抱」で表現しなければならないところが、少し「まずいかな」とも思うのですけれども。
さて、来週の月曜日から新学期が始まります。
在日の人は何人くらい残れるでしょうか。のんびり屋さんも半分ほどいるので、やはり、家にいた方が楽でいいとなるか、ずっと家の中にいるのは、却って辛いとなるか、それが続ける気になるかどうかの分水嶺のような気もするのですが。
日々是好日