日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「蝉の声が途絶えました」。「来週の月曜日から、新学期が始まります」。

2014-08-29 09:01:54 | 日本語学校
 曇り。

 時折、ポツリと来ているようですが、まだ「曇り」状態。

 昨日、もう、来週から、新学期が始まる…ということに気がついて、焦ってしまいました。

 実際、何に焦ったのか、自分でもよく判らないのですが。

 一応、新しい教科書の単語表も作った。「N5」「N4」レベルの漢字テストも作った。「Aクラス」で、今度は本格的(?)にやってみる「N2問題集」の計画と導入段階で入れる(つもり)問題も選んでみた。「読解」のネックになっている「接続詞」に関する対策も考えてみた(結局は繰り返しが大切ということだけなのですが)。夏休みに学校に勉強に来ていたベトナム人学生の勉強の様子を見ながら、新学期(前期の復習のことです)の入れ方や程度なども、考えてみた…。

 悲しいことに、「本格的」と銘打っても、結局は、「一時的」、「暫定的」で終わってしまう場合が多いのですが。

 大きく分ければ、「漢字圏」と「非漢字圏」ですが、(教える場合)かなり考えなければならない(一斉授業と言いながらも、その中で「あなたたちはこれ」「そちらはあれ」と違えてやらせる)場合が多いのです。

 しかも、同じ「漢字圏」で、同じ中国出身の学生であっても、地方によっては、対しかたを違えなければならない場合もある。「非漢字圏」であれば、そういう場合が、更に増えてくるのが普通で、例えば、中国文化の名残が残っている、ベトナムと、「インド文化」の影響が色濃く残っているスリランカ(彼等は違うと言いますが、どうしても、私たち東アジアの人間から見れば…共通項でひっくるめたいところが少なくないのです)とは、違う。

 だいたい、一斉授業をするときには、クラスを三つほどに分けて考えているのですが、いろいろな国の人が多いときと、1、2カ国が突出して多いときとでは、これまた、違ってくる。まじめにやる人が多いときと、ふらつきがちな人が多いときとでも違う。留学生が多いときと、在日が多いときとでも違う。

 留学生は普通、「N5」に合格して来日しています。なぜ合格したのかと(ひらがなも適当にしか書けないし、勉強の経験があるのかと疑われるので)わからない人も、たまに含まれていることもありますが、大半は、「ひらがな」は書けますし、読めます。

 在日の人には、かなりばらつきがあって、時には日本に10年以上も住んでいて、日本人の言うことも、だいたい判るし、普通に日本で生活できるほどの日本語も話せるのだけれども、「正しい日本語(気持ちはわかります)が、話せない。だから、『てにをは』に気をつけて話せるようになりたい」という人もいれば、「日本語」を聞くのも、「ひらがな」を見るのも初めてという人もいます。

 前者は、まず、一か月、もって、三か月ぐらいで音を上げる人が多いのです。勿論、結局は、もう日本で生活できているので、それほど、差し迫った必要性がないということなのでしょう。だから、「やりたい」とか、「できたらいいな」くらいの気持ちはあっても、今さら、助詞を覚えたり、漢字を覚えたりということにそれほど辛抱できないのでしょう。これも当然のような気がします。

 一方、後者は、「留学生」と一緒では、速すぎて、なかなかついて行けないのです。在日の方の中には、時には40才位の方も、それ以上の方もいますから、これも当然のような気がします。せめて「ひらがな」と「カタカナ」くらいは、練習したことがあるというレベルでなければ、確かに難しいところがあります。

 とはいえ、真っ白で来ても、活き活きとして勉強している人もいますから、一概には言えないのですが。

 ただ、これも、母国でどれくらいの教育を受けてきたか、あるいは、必要性がどれほどあるのかによって、違いが出てくるのでしょう。

 母国で、一応、大学教育まで受けている人は、やはり、辛抱が続くのです。「毎日、頑張って勉強していけば、きっとできるようになるはずだ」と考えることができるのでしょう。そこまで教育を受けていない人では、すぐに、やっぱり難しいと投げ出してしまう傾向にあるようです。

 「頑張る」ではなくて、「辛抱」で表現しなければならないところが、少し「まずいかな」とも思うのですけれども。

 さて、来週の月曜日から新学期が始まります。

 在日の人は何人くらい残れるでしょうか。のんびり屋さんも半分ほどいるので、やはり、家にいた方が楽でいいとなるか、ずっと家の中にいるのは、却って辛いとなるか、それが続ける気になるかどうかの分水嶺のような気もするのですが。

日々是好日
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「スリランカの、無口な女の子」

2014-08-28 09:00:38 | 日本語学校
 雨。

 久しぶりの雨です。最近は曇っても、なかなか雨にならず、それどころか、降ったとしても、殆ど体には感じられないほどの微かなものでした。それが、まともな雨が降ったのです。

 ずっと関東地方を除け者にしたかのような雨雲の流れでしたから、本当に久々という感じです。

 最高気温も、この辺りは24度とかいうことですから、もう「秋もたけなわ」と言いたいところなのですが、まだ、8月ですから、夏なのですよね、一応、暦の上では。本当に困ってしまう。「今は、いったい、いつなのだ」と、何が何だか判らないようなことを聞いてみたくなってしまいます。けれども、本当は私たちよりも、虫たちの方が、そう、聞きたいでしょうね。聞かねば、心の準備ができないと、そう思っている虫たちも、案外、多いのかもしれません。

 さて、学校です。

 昨日、学校へ勉強に来たのは、スリランカの女子学生が、一人だけでした。それも、昼頃、アルバイトが急になくなったから、学校に行ってもいいかという電話を寄越しての来校です。

 よくしゃべるスリランカ人学生と一緒になったり、ベトナム人のグループと一緒になったりすると、途端に黙ってしまう彼女。しかしながら、こうして一人だけでいると、私にもいろいろなことが判ってきました。どういうことがやりたいのかということをも含めて。

 いつも、殆ど自己主張をしないので、どうしても、「これをやってごらん」式な指導になっていたのですが、昨日は彼女だけに集中できましたから、幾つか試みてみますと、一つ、急にうれしそうな顔をしたのがあったのです。

 「そうか、これをやりたかったのだな。けれども、言えなかったのだな」ということが、私の方でもわかり、少しばかり、ホッとしました。本来なら、その前に助走の部分が必要なのですが、それが60%ほどしかできていなくとも、本人がやりたいことをやっていく過程で、(本人が、本当にそれをしたければの話なのですが)できるようになることがあるのです。だから、大丈夫。

 好きこそものの上手なれ。やりたいときが始め時。

 読ませてみると、もちろん、それほど上手には読めないのですが、それでも、やはりコツコツと勉強していたのだということがよく判りました。終わると、ありがとうございましたと言いながら…うれしそうに帰っていきました。もしかしたら、彼女があんな顔をして帰っていったのは初めてかな…。これまでは、「ああ、よかった。やっと終わった(責め苦を逃れられる)…」的な顔でしたもの。

日々是好日

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「休み中、学校に勉強しに来た『初級Ⅱ』のベトナム人学生達」。

2014-08-27 09:56:15 | 日本語学校
 曇り。

 まるで秋。蝉の声は全く聞こえません。彼等はどこに避難しているのでしょう。人間達にとっては、ホッと息を抜けるような涼しさであっても、彼等にとってはこの気温はまさしく「死活」の分かれ目。秋の虫の音を聞きながら、ふと、そのような思いにも囚われてしまいます。

 さて、学校です。

 昨日は、学生が、五人ほどやって来て、学校で勉強をしていきました。そのうちの、「初級Ⅱ」の学生達、単語でも、「…んんん…、きれいに忘れているな」から、「おぼろになっているな」、そして「聞いたことはある…くらいの感じ」といった有り様で、まず、きちんと覚えていますとは、とても言えないような状態(こう言うと傷つくかもしれませんが)。

 これも無理からぬことなのかもしれません。夏休みであるにもかかわらず、アルバイトが休みの日は来るくらいですから、真面目な人達であることは確かなのですが、彼等の勉強のやり方を見ていると、とにかく「書く」。「写して写して、写しまくる」なのです。

 こちらは、「まず、カードを見て、覚えろ。言えるようになれ。目と耳と口を使え」と言っているのですが、なかなかそれができないのです(これは休み前の授業のときのことですが)。

 最初は、一人の時、どんな勉強の仕方をしているのかと見ていたのですが、すると、やはり、写しているのです。それが主なのです。

 「まず、教科書別冊の単語の部分を開き、『ひらがな』を写す。それから、右側にあるベトナム語の部分を写す」という作業を、繰り返しているのです。

 それで、「では」と単語カードを持って、授業の時にやっているように、言わせていくと、動詞はかなり覚えているのですが、付随していた「助詞」は、「を」になったり、「が」になったり、時にはなかったり…で、ボロボロ…。

 「書くのは後、まず、口で言えるようになれ」と、(一人でやるように)カードを渡すのですが、ためらって受け取ろうとしない…。「先生、それは…難しい。だめだめ」と言って。

 それでも押し付けてやらせ、それから、前に数度試みたことのある、「日記」を書かせていきます。これは漢字の練習にもいいので、時間が少しでもある時にはやらせていたのですが、殆どの学生には、こういうことを彼らの国でもやったことがないようで、なかなか、言葉が出てきません。「…何を書いたらいいの?」。これは「言葉の問題」ではなく、実際、こういうとき、何を書いたらいいのかがわからないのです。

 ただ、夏休みは、個別の指導ができますから、来た学生(来ているのは、『初級Ⅱ』では、三人です)に、聞いていきます。

 簡単なことからですが、
「昨日は、何時に起きましたか」から始めて、「それから」「それから」と誘導していきます。新しい言葉も入れた方がやる気になるので、料理が好きな学生には、「何を食べましたか」の「何」を少々、詳しく話させていきます。(何も言えない学生でも、「何時に起きた。何時に寝た。アルバイトは何時から何時まで」くらいは言えますので)「起きた」から「寝た」までが済んだところで、「はい、書いてみましょう」とやってみます。

すると、少しはいいようですね。
一人よりも二人、二人よりも、三人。三人ほどがちょうどいいのかもしれません。それ以上になりますと、待てないのです。

 一人目の学生に聞いていっているとき、いったい何を聞くのだろうと、残りの二人も聞き耳を立てているのですが、二人目になると、飽きて遊んでしまうのです。自分の番が来るまで、他の練習をしておこうとか、あるいは、新しいことを言うかもしれないから聞いておこうとかいう気にはならないようです。で、三人か、せいぜい四人が限度なのでしょう。

 三人目が終わって、始めの一人に話を向けると、既に最初に言ったことを忘れていたりするのですから。こういう段階では、「はい、何を言ったか、すぐにメモをとっておきなさい」とも言えず、まずは、「話す」を重点的にやらせていくしかありません。

 で、少しずつやってみたのですが、一応、、二日分くらいは書けたでしょう。学校に来ないときも書けと言っても、彼等にとっては無理難題に聞こえるだけでしょう。そうなると、もう、何か無理を言われるから学校に行くのはやめようとなってしまいます。これでは虻蜂取らずですから、そういう「意地悪」は言いません。まずは、学校に来たときだけで十分。来たときに何かしら、「得をした」ような気分になれればそれでいい。暇だから学校へ行って遊ぼう、それくらいの気分でもいいのです。もちろん、来たら、「遊ぼう」ではなく、「勉強」になってしまうのですが。

 とはいえ、休み中です。学校に、全然来ない学生も少なくないのです。教室に座っているだけでもいいのかもしれません。それに、1回目に比べれば、2回目は随分楽でしたし。聞かれずとも、「朝、何時に起きたか」から、「何を食べたか」、「何をしたか」、「何時に寝たか」が言えましたから。

日々是好日
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「夏休みは『魔の期間』」。

2014-08-26 10:01:58 | 日本語学校
 曇り。

 昨日は、降る降ると言われながら(自転車で行くのはやめておこうかとも思っていたほどでした)、結局は雀の涙ほどしか降りませんでした。

 今日はどうでしょう。予報によると、今日はまとまった雨が降るそうで、大雨の被害を受けた方には気の毒ながら、雨というものは、降らなければ降らないで、その地の者にとっては、これまた辛いことなのです。

 さて、学校です。

 昨日は、三人、勉強にやって来ました。おそらく、真面目な先輩が「アルバイトが休みなら、部屋でうだうだしていないで、学校へ行って勉強しろ」とお尻を叩き叩き、連れてきたものと見えます。この後輩二人、何かと言えば「○○さんに聞いて…(から、答える)」と言っていましたから。

 とはいえ、来れば、そして、(教師に)質問されれば、自分の頭が「学校での日本語」から、かなり隔たっていることに気づくはずです。

 実は、ある意味では、夏休みというのは「魔の期間」でもあるのです。

 前に、こういう学生がいました。夏休み前までは一生懸命に勉強していました。本当は、下のクラスでもう一度勉強した方がいいのかもしれないが、ここまで休まず真面目にやっている学生を落とすのは忍びないと、そのまま、そのクラスにおいていたのです。

 ところが、休みが明けてやって来ると、「こりゃあ、ないでしょう。(やはり、もう一度やり直した方がいい)」。それで、その学生を呼んで、彼の今の状況を話し、どうしたいか聞いてみました。余程頑張らなければ、このクラスにおいておけないと言って。

 彼は、このクラスにいたいから頑張ると言い、まあ、本人は大変だったでしょうけれども、喘ぎながらも、どうにかそのクラスで頑張ることができました。休みが多ければ、まず、問答無用です。しかし、彼は休まなかったのです。それが一番大きい。

 高校生とは違い、彼等は休みの間は日本人と同じだけ働くことができます。経済的にあまり恵まれていない学生にとっては、これは願ったり叶ったりのことなのですが、その反面、日本語の勉強が等閑にされてしまうという危険性もあるのです。

 アルバイトの時は、聞いて、話すだけ。しかも、そこで繰り返される生活日本語とも言えないような、簡単な日本語の羅列でしかないのですが、それらだけには、反応が早くなります。ですから、そういうアルバイトに熱心に励んだ学生は、ちょっと見には、それなりに、受け答えが上手になっているように感じられるのです。

 そうすると、(本人が、なのですが)「これで、もう不足はない」という心の状態になってしまったりするのです。なにせ、アルバイト先ではうまく行っているわけですし、そこでは、「上手。本当に日本語が上手」なんて言われたりするわけですから。

 知識を吸収するとかいうのとは、全く別の次元で、自分は日本語が上手であるという思い込みが完成してしまうのです。

 ところが、学校に来てしまうと、「中級」(「N4」か、せいぜい「N3」くらいのものなのですが)で学ぶ日本語がわからない。それは、「漢字圏」の学生とは違い、一回でも休めば、学校での授業だけしか頼らざるを得ない学生は、(わからないので)もうそこで、「テキトー」となってしまうのです。

 「N3」レベルの文法でも、彼等にしてみれば、簡単といえるようなものばかりというわけではありません。おまけに、日頃、アルバイトなどで遣わないような単語がどんどん出てくるのですから。

 アルバイトの時のように、「これ、いくら」とか、「おいしいね」、「お水ちょうだい」なんて言葉ばかりでしたら、彼等も、店で出会った日本人が言うとおり、「日本語、上手だね」で通せていいのでしょうけれども。

 とはいえ、この「差」が判らないままの人も少なくないのです。一見、流暢に話せているようですが(表情も、堂に入ったものですし)、その実、正確なところは、あまり判っていないのです。学校でも、判らないので、寝ているか、騒ぐしか出来ない人もいるのですから(普通は、下のクラスでもう一度やってもらったりするのですが、午前から午後、午後から午前に替わるというのは、アルバイトの関係上、難しくて、出来ない場合もあるのです)。

 判った風をしていても、問い詰めると、テキトーに聞いていたということがすぐに判ってしまうのですが、そこはそれ、日本であろうが、どの国であろうが、そうやって、問い詰めて、その人の日本語のレベルを上げてやろうとするような、「親切な」人はそれほど多くはありません。

 そういう外国人と話している日本人にしてから、本当は、かなり「テキトーに聞いている」のです。だって、面倒ですもの。それは、どこの国であっても同じでしょう。

 耳と口だけで、終わりという人が今年もかなり出ています。残念だと思いますし、学校の授業の時には、ある程度は書かせているのですが、そればかりやるというわけにも行きません。その時間を長くすると、進度がどんどん遅くなっていきます。本当は家で、10分なり、20分なり書いてくれればいいのですが、家で勉強するという習慣のない人たちも少なくないので、進度を犠牲にしてもそうせざるを得ないのです。が、実際のところ、教えているこちらにしても、内心忸怩たるものがあります。この時間をもう少し他のところへ回せたらなというふうに。

 とはいえ、これは「気持ちの問題」なのです。

 わたしは、たとえ親切心からであろうと、普通は、「(頭ごなしに)これをやれ」とは、言えません。なぜそれをしなければならないか、判った上で自発的にやるのでなければ、続かないでしょうし、学生の方でもまた、犠牲者のような気分になって、少しも楽しくはないでしょうから。だから、うまく流れないときもあるのでしょう。またそれがわかるような相手には、だいたいいう必要もないのです。

 ところで、昨日、来月帰国するという卒業生がやって来ました。

 聞けば、日本に来てから、もう9年が過ぎているとか。話しているうちに、お互いに、まずい(できれば、忘れて欲しいような)ところばかり覚えているのが判って、大笑い。

 これから、母国で過ごすにせよ、あるいは他の国で過ごすことにせよ、日本で過ごした毎日は、きっと役に立つはず。さらなる発展を、教員一同、祈っていますよ。

日々是好日
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「夏休みでも、学生は来ますね。勉強しに来たり、寮費を払いに来たり…」

2014-08-22 15:36:38 | 日本語学校
 晴れ。猛暑は続いています。

 暑さにやられて、ダラダラとしています。もう、外に出たくない…。かといって、一日中、閉じこもっているわけにも行きません。

 へばっているわたしを尻目に、学生達は、普段通りのせいかつをしているかのよう。

 日本人の方がこの天気にやられているのかもしれません。これから、夏は、ずっと、こんな感じになっていくのでしょうか。

 この辺りは、雨が降らずに、カンカン照りで、カラッカラ。一方、日本海側や、夏はあまり雨が降らないはずの東北地方や北海道で、大雨が降る。広島などでは、梅雨末期の集中豪雨のときでさえ、これほどではなかったと思われるような雨の降り…。まったく、何が何だかわかりません。「いつもは」とか、「例年は」とかいう挨拶語が意味を失い、使われなくなっていくかもしれません。それこそ無意味になっていますもの。

 地元の長老がこう言ったからという「記憶が積み重ねられて、出来上がった知恵」も、だんだん役に立たなくなっていきそうです。

 気候が変わっていけば、風土も、それに根ざした慣習も変わっていくかもしれず、そうなると、今、ここに生きて、こうして生活していることさえ、近い将来、博物館でしか知ることができないようになる…かもしれません。

 少子化・高齢化が進んだから、働き方を変えようという前に、温暖化が進み、気候が変わってきたから、生活を改めようと言った方が相応しいような気もしてきます。

 さて、学校です。

 20日、21日、22日と、誰かしら、学生が学校に来て、勉強してくれました。

 今朝など、下で勉強を見ているときに、ドアが開く音がしたので、学生に見に行ってもらいました。

 戻ってくると、その学生、「いいですね。敬語で話してくれました」。

 こういう、休み中にも学校に来て勉強しようという学生というのは、それなりに知識欲やプライドがありますので、言葉に対しても敏感なのです。

 敬語や、「です・ます」体で話してくれる人に対しては、好感を持って、自分もそうありたいと思い、その反対に「だ」体であったり、命令口調で話しかけてくる相手に対しては、「厭だ」と感じ、自分も同じような言葉遣いで応じようとする。

 もっとも、これは、彼等だけのことではないのでしょう。言葉遣いというのは、とても微妙で、僅か一言であっても、それだけで、自分が大切に思われているか、そうでないのかが察せられるのです。

 学校というのは、一斉授業でやっているものですから、普段は、いくら気をつけていても、見過ごしてしまうことも少なくないのですが、こういう休みなどに来た学生には個別に対応することができますから、ちょっとした折に、ああ、そう感じていたのかと気づかされることもあるのです。

 そして、今日、また一人、寮費を払うのを忘れていたという学生がやって来ました。アルバイトのことを聞くと、「今、アルバイトはありません」というので、びっくりして、「お金を払っても、大丈夫か。ご飯はあるのか」と聞くと、大丈夫と答えます。それから、続けて、月曜日に云々と言うのですが、この云々が聞き取れません。そこで、下で勉強していた同国人の女学生を呼んで、話してもらうと、何のことはない、金・土・日が休みだというだけのこと。

 けれども、お金を払いに来たのに、労をねぎらわれなくて、反対に「もっと勉強せい。意味が判らん」と叱られ、割を食ったような気分になったかもしれません。

日々是好日
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「『明日は、寮の検査に行きますよ』の返事…」

2014-08-12 12:24:13 | 日本語学校
 曇り…でしたが、陽が射してきました。

 明日から、「お盆」。「お盆休み」は、13日、14日、15日の3日間です。今年は、次の16日、17日が土、日になりますので、台風が列島を窺っていた11日から休みをとって、帰省していた人たちも多かったようです。

 さて、学校です。

 昨日は、教員三名が検査に行き、戻ってきた時には、もう3時頃になっていました。それから、今日の寮点検のための連絡をしますと、「明日、いません」という「初級クラス」からのメールがすぐ入ってきました。それで、「いなくてもいいけれども、部屋には入りますよ」と告げようと電話すると、元気な声が返ってきました。

「先生、お元気ですか」。(なるほど、これから始まるのですね)
「明日はずっといないのですか」
「はい、アルバイトがあります」
「(アルバイトは)何時から何時までですか」
「7時から12時までです」
「では、一時頃行きますよ」
「……」
すると、傍らから、(ご飯を食べる時間がない)という声が、
「じゃあ、2時か、3時頃ね」
「……」
どうも、「2時か、3時」の、「か」に途惑っている様子。
「2時に行きます、いいですか。3時に行きます、いいですか」
すると、明るく、
「いいです。大丈夫です」

 夏休みは、普段とは違い、一日、8時間働いてもいいことになっているのですが、「初級」の人たちは、まだそこまでは時間をもらえぬようで、一日、5時間か…。う~ん、ちょっと厳しいかしら。

 そして、帰りです。6時過ぎに学校を出て、交差点のところで青信号を待っていますと、横断歩道の向こう側から、私を呼ぶ大きな声が聞こえてきました。

 見ると、インド人のKさんです。両手を振っています。人なつっこいですね。そういえば、先週の火曜日にも、金曜日にも、ここで学生たちに会いましたっけ。彼女を含め、皆、「初級」クラスです。

 自転車で、交差点を渡ろうとして、私に気づき、戻ってきて挨拶してくれたのがベトナムの新入生(七月生)、二人。これからアルバイトだと言って、大慌てで、自転車を走らせていきました。そして、アルバイトが終わったばかりだと言っていたのがスリランカの二人(一人は七月生、もう一人は4月生)。

 昨日出会ったインド人学生は、これから、駅へ行って、ショッピングだそうです。彼女は「ひらがな、カタカナ」が苦手だと聞いていましたので、「べんきょうは?ひらがな、忘れたでしょう?カタカナは大丈夫?」と言ってみます。と、反応だけはいいですね。「両手を開いて、「困ったサン」の表情をしてみせます。

 昨日は休みだったそうですが、「明日は、3時までアルバイトがある」と言っていました。

 ベトナムの学生は、男女を問わず、先輩が紹介してくれる近くの工場に行けるので、アルバイトがなくて困ると言うことはないようですが、大変なのはスリランカの女子学生。同じ国であっても、男子がいるとまずいようなのです。

 それぞれ、お国の事情・習慣があるので、何とも言えないのですが、スリランカの女子学生は、同国の男子がいないところを必死になって捜し回ります。今は、電車で30分くらいのところにある工場に行けるので、少しはましになったかなとも思うのですが(先輩女子が連れて行くのです)、以前、日本語が殆ど話せなくて来日していた人達は本当に大変だったようです。

 経済的な感覚もほとんどない、しかも社会性に、(日本の女性よりももっともっと)欠けている人が多いので、お金が少しでもあると、後先考えずに使ってしまい、なくなってはじめて「お金がない」ことに気づくといった感じ。多分、みんながそんな感じでも、向こうではやってこられたから、何とも思っていなかったのでしょうが、とはいえ、日本に来てこれでは…ほんとうに大変…。

 お金がなくても、「ない」といえば、どうにかなる(だれかがどうにかしてくれる)くらいに考えているのではないかと、時々、思うことがあるのですよね。何ともならないのですけれども…。

日々是好日
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「台風が過ぎて」。「金曜日の学生達」。

2014-08-11 07:58:50 | 日本語学校
 晴れ。

 風はかなり強い。学校の前に置かれた植木が倒れていました。これもまあ、腰高で、ヒョロヒョロしていたから、無理からぬことかもしれませんが…。

 行徳は思ったほど、台風11号の影響を受けませんでした。それほど雨が降らなかったのです。きっと、また今日から、暑い日が続くでしょうね。

 ところが、台風の影響というのは思わぬところに出るようで、「アカトンボ(赤蜻蛉)」が、学校に着く直前の、角を曲がったところに集団で飛んでいました。

 思えば、「オニヤンマ」も「ギンヤンマ」も、そして「シオカラトンボ」だって、「イトトンボ」だって、「チョウトンボ」だって、みんな群れてはいなかった。なのに、どうして、「アカトンボ」だけは、いつも一人じゃないのでしょう。

 平地はこんなものですか(それとても、最近は、あまり見かけなくなった…)、山なんぞに行くと、そりゃあ、ものすごい。人を恐れて這いませんから、ジッとしていると、頭に留まったり、肩に留まったりする 。

 いえ、別に、「アカトンボ」に文句を言っているわけではないのです。

 普通なら、お盆明けくらいから、少しずつ「アカトンボ」が話題になるかしらん。それなのに、まだ、盆前から、団体サンでいるんですもの。

 さて、学校です。

 先週の金曜日は、なかなか賑やかでした。CDを返しに来た者一人、本を返しに来た者一人。本と言いましても、漫画本です。日本の歴史が知りたいというので、こんなものがあると漫画日本歴史シリーズのうちの一冊を教えたのですが、まだ『初級』ですしね。しかもフィリピン人ですから、漢字が大変。見るだけだからと言って借りていったのですが、けれども、やはり読みたかったと見えて、「他の本、借りる?」と聞くと、「ううん、いい。判らないから」と、ちょっとしょんぼりして答えていました。

 それから、約束通り、朝、勉強に来た者が、一人。彼は2時間くらいいてから、面接があると言って帰っていきました。

 今日もこんなものかなと思っていると、午後はなかなか賑やかでした。皆、ベトナム人でしたが、男子四人に、女子一人。みんな、今日はアルバイトがないからと言っていました。

 男子は、皆、同室なので、一緒に来たというところでしょうか。クラスも同じで、「初級Ⅱ」です。女子は「Aクラス」で、話がかなり通じます。困ったときは、彼女に通訳してもらいました。

 5時近くになった頃、「さあ、もう、終わりですよ。皆さん、帰りましょう」と言って帰ってもらったのですが、彼等も、「一人で勉強」は、苦手のようですね。みんなで冗談を言いながら、楽しく、勉強するというのがいいようで、こういうのも、お国振りのひとつなのでしょうか。

日々是好日
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「面接。進路指導」。

2014-08-08 11:34:33 | 日本語学校
 晴れ。

 今日も暑い。少しは雲が出てきたようですけれども、まだまだ青空が拡がっています。

 昨日は、台風の名を間違えていました。先に来て去っていったのが、12号の方で、今、来ようとしているのが、11号。なんということ。申し訳ない。けれども、先に気づいた人が、「あれれ、間違えている…。やはり」と思っていたかも知れません。もちろん、そうなのでしょうけれども。

 この辺りでは、西や北で大雨が降っていても、ずっとカラッカラの状態でしたから、本当は、お湿り程度でも雨が欲しいのです。豪雨とか、特に集中豪雨なんてのは、困るのですが、全然降らないというのも…、困る。

 日当たりのいいところに置かれている植木など、直射日光にやられて、少し陽に灼けて黄ばみ始めているのです。

 とはいえ、たそがれ時、「ツキミソウ(月見草)」を見るのは気持ちがいいし、早朝、「ムクゲ(木槿)」を見ると涼感さえ覚えらる。げに草花の力とは偉大なるもの。

 さて、学校です。

 昨日は、面接二日目。最初の日にうっかりして(来るのを)忘れていた二人を含めて、9時15分から始め、多少順序が前後したものの、一応、無事に終了しました。

 進路希望とか、アルバイトのこととか、準備できるお金のこととか、まあ、だいたいそんなことなのですが、聞いていくうちに幾つかハッとさせられた…というようなこともありました。

 もっとも、今回は二年生だけでした。彼等は来年にはこの学校を出なければならないので、それなりに心の準備とかお金の心配などもできていなければならない…はずなのですが、…どうも、それが、殆どできていない。

 心弱げに、「専門学校のお金はいくら」などと尋ねたり、その反対に、進学のことなどそっちのけで、「卒業したら、すぐに(国に)帰る。帰りたい」などと言うのもいたり…、もちろん、その前に進学先を考えなければならないでしょうがと叱られていましたが…。

 その他にも、一人、手回しよく、専門学校を見に行ったはいいけれども、早とちりで勘違いしていたというのもいました。

 大半の者はどうしたらいいかわからない…状態。「経済」と「経営」がよくわからないので、「経済、経済」と言い張っていたが、聞いてみると、経営の方だったり…。また、学費が専門学校の方が安いから、最初は専門学校に入って、それから大学に行くと言い、「大学四年間の学費」と、「専門学校の2年間の学費」プラス「大学の四年間の学費」の比較計算ができない「会計」志望の学生もいたり…。

 大学に入れそうになければ、それはまあ、それでしょうがないのでしょうけれども、頑張れば(あと半年ある)、そこそこで行けるのではないかと思われる学生まで、専門学校の方が5万円安い…とかに引きずられて、いったい何をしたいのかを忘れてしまっていたり。

 もちろん、日本語の力が、大学志望の学生よりもあっても、専門学校で技術を磨いた方がいい(多分、そっちの方が向いている)学生もいます。その人達には、話を聞いてから、それがやりたいのなら、専門学校の方がいいのではないかと勧めてたりしています。

 要は、何をしたいのか(学びたい、技術を身に付けたい)なのです。大学では専門以外にも幅広く(他の分野も)学ばねばなりませんから、そういうのが苦手な学生もいるのです。そうは言いましても、広い世界を知るという意味からも、たとえはじめは迂遠に見えても、四年間のその勉強というのは、社会人になってから生きてきますから、決して、あだや疎かにしていいというのものではないのです。

 
 とはいえ、学生は、各人各様で、日本語学校の学生といっても、彼らの国の高校を出たばかりの人たちというわけではなく、卒業してから数年を社会人として働いてきている人もいるのです。こういう人たちは、自分が必要とするものさえ学べればいいわけで、こちらはそれを探し、その情報を提供し、後は彼等に任せればいいのです。

 もっとも、我流で探す(つまり、彼らの国の人たちの輪から出られない)人も多いので、それが時々、厄介なのですが。

日々是好日
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「立秋」。「どんなに優れていようと、たかが人」。

2014-08-07 08:59:21 | 日本語学校
 晴れ。

 「立秋」。「秋立つ頃かいな」とはいきませんが。

 立秋が過ぎると、葉書でも何でも、「暑中見舞い」から、「残暑見舞い」に変わると言うけれど、これから、「暑さ」が本格的になるであろうと思われれば、とても「残暑」などと書く気にもなれず、やはり「お盆」が過ぎねば、現実の「暑さ」はどうであれ、気持ちの上では「残暑」では、ないのです。

 思えば、子供の頃は、「台風」が涼を運んでくると、言われていたような気がするのですが、あれは何だったのでしょうね。また、当時はそう聞いても、少しも違和感はなかったのに、最近は、すぐに「おかしいな」と思ってしまうのは、なぜなのでしょう。

 「秋台風」(これも変かもしれません。「梅雨」の最中に、「梅雨前線」を刺激するような「台風」が来たりするのですもの。しかも、「秋」という語がどこかしら、「台風」と馴染まなくなっているのです)が来てはじめて、「残暑」と書いていたような覚えがあるのですが、これも過去を美化しがちな人の心のなせるわざなのでしょうか。

 平均して気温が一度も上がれば、それはおかしくなるのも当たり前。10年ほど、あるいはそれ以上前かもしれませんが、今の東京の気温は、幕末の頃の薩摩の気温と同じであるという話を聞き、不思議なことに、なぜか合点がいったことがありました。

とはいえ、また、「台風」です。

 西と北を襲った「台風11号」(余波もふくめて)が去ったかと思ったら、後ろに控えしは、より巨大な「台風12号」。下手をすると列島を丸呑みするかもしれず、「11号」の傷跡からまだ立ち直れていない山々の保水能力を上回るほどの雨が降るかもしれません。

 「風台風」もさりながら、「雨台風」はもっと怖い。

 子供のころは、「台風」が来るたびに、地区ごとに集団下校していたような気がするのですが、最近は台風が原因で早めに下校するということも、都市ではあまり見られなくなりました。「途中下校するくらいなら、最初から登校させない。またそうできる」というのも、気象観測の精度が増したからなのでしょう。

 「科学」というのも、表裏があり、何事も紙一重。結局は、「人」なのでしょうが、それでも、ときどき、「畏れ」を感じることがあるのです。本来ならば、「自然」とか、「神」と称される存在のみに抱くような「畏れ」を「科学」に対して感じてしまうのですから。

 「科学」は、人にとって、「神」や「自然」の領域に近づいたと感じられているのかもしれません。

 まだまだ、地べたを這いずりまわらねばならないような人間から見れば、昨今の「科学」は人の制御能力を超えている.ようにしか見えないのです。それなのに、その「科学の最前線」にいる「人」たちは、もしかしたら、自分達は(人なのに)「特別な存在である」と誤解しているかもしれないように感じられるのです。。

 どのような能力があろうと、人は人でしかないのに。

 もっとも、これはどのような「場」でも同じことかもしれませんが。。

 多少、長く勤めているかどうかでしか、つかないほどの差であるにもかかわらず、己を優となし、他者を劣と見なす。

 時によっては教室でも、あるいは、アルバイトの話をする学生達の言質からもそれが窺えることがあるのです。

 人なんて、差があっても知れたもの。結局は人としての能力の限界を超えられないのですから。

 この、「優れていようと、たかが人」という考え方は、もしかしたら、これから(人が)忘れてはならないことの一つになるかもしれません。

日々是好日,
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「富士山(五合目)、河口湖、風穴、白糸の滝、一日旅行」。

2014-08-05 10:43:31 | 日本語学校
 晴れ。暑い。今日も朝から、暑い…。

 さて、昨日のこと。皆と一緒に富士山へ行ってきました。もちろん、車で行ける五合目までですが。

 集合は、早朝、6時20分までということでした。が、6時前から、既に四人の影が、チラホラと。「早い者勝ち」ということで、早く来た者から番号札を貰い、好きな席に着ける…。となると、頑張って早起きした者はいいけれども、来るのが遅くなり、6時10分くらいになると、もう半分諦め気分になっています。中には、遅く来たのに、自分は誰それさんと一緒がいいから、前の札が欲しいなんて言う「ツワモノ」というか、「とんでもない者」もいて…、でも、即、「却下」。

 これはくせでしょうね。多分、彼らの国では、こういうわがままが通るのでしょう。可哀想だからとか、何とか言って。

 「それを外国に来ても言うか」ですが、何も言わず、冷たい顔をして「だめ」で終わり。

 下手に、その理由を説明しようものなら、脈ありと踏まれて、しつこく言い始めるに決まっています。こういう時は、如何にもムカッとしたような様子で(本当にムカッと来ますから。暑いのに、朝早くから並んでいる人もいるし、夜勤が終わって、ご飯も食べずに飛んできたモノもいるのですから)、「だめ」でいいのです。

 だいたい、「国では、いつも、こうしてもらっていたから、私を特別待遇にして」みたいな気でいること自体、これからが思いやられるのす。

 もっとも、これが(私の方で常習化してしまうと)、つい、日本人相手にチョロッと出てしまって恥をかくこともあるので、要注意なのですが。

 とはいえ、実際のところ、殆ど問題もなく、皆が集まり、定刻に、馴染みのガイドさんと運転手さんが乗っているバスが来て(もう一台は、6時前から待ってくれていたようでした)、荷物を載せ、それから、学生達が番号順に乗り込みます。出発は6時55分くらいでしたろうか。行きは驚くほどスムーズでした。しかも、浦安の辺りで、富士山まで見えて、みんな、大喜び。
 
 途中、スカイツリーがはっきりと見えたので、一年生(4月生)に、「スカイツリーですよ。きれいですね」と呼びかけると、「スカイツリー?んんん…何ですか」。「ええ!わかりませんか」。こちらの驚いた顔を見て、びっくりした彼は、隣の顔を見ます。と、その隣も首を振っています。で、次に後ろを見てなにやら相談しています。こちらも判らない。次は前にも声をかけています。その、前に座っていた学生が、私を振り返って、「東京タワーですか」。いいえ、違います…。すると、彼は、悩みながら、とうとう、一番前に座っていた二年生に聞きました。「スカイツリーとはなんぞや」と。彼女に、教えてもらっても、あまりピンとはきていないな…と、すぐに判るような表情でしたけれども。

 教室で、何回もスカイツリーの話をしたことがあったのに…。その時は、「はい、はい」というような顔をしていたのに…。君たち、本当は判っていなかったのね。

 で、ガイドさんが、スカイツリーと東京タワーの違いを説明してくれたのですが、まだ、一年生のことゆえ、なかなか判りません(ベトナムではスカイツリーは、あまり有名じゃないのね)。そこへ、ちょうど二つが同時に見えたので、見比べて、「あっちは赤と白だ。向こうは薄い色だ」…くらいしか、感じなかったのでしょうね、きっと。

 それから、無事に、「富士山五合目」に着き、(五合目では「晴れ、時々曇り」でしたが、バスに乗った途端、雨がザアザアと降りだし、「河口湖」に着く辺りで、ピタッと止み)「河口湖」でご飯を食べ、(また、バスにもどると、雨。…着くと止み)「風穴」に行き、中に入って涼んでから、「白糸の滝」 へと廻る。で、時間も予定通りか、それよりも少し早いくらいで 終わったので、今年は楽勝だなんて言っていたのですが、ところが、「好事魔多し」ですね、帰りに来ました、「魔」が。

 渋滞に巻き込まれてしまったのです。「海老名サービスエリア」になかなか着かないのです。予定では、5時40分着の予定が1時間ほども遅くなったでしょうか。そこからは、運転手さんが横浜の方からもどると言って下さったので、うまく行きました。けれども、行徳に着いたのは、8時頃、1時間あまり遅くなってしまいました。

 学生の中には、前日、「富士山」へ行くというので、仕事を休んだから、今日は休めないという人もいました。

 言葉がうまく話せない間は、何事もうまく回りません。うまく話せるように思われても、実際、使い方が間違っていたりすると、却って誤解を招き、嫌われてしまったりするのです。それまでは、日本での生活も、一歩一歩ですね。

 まあ、とはいえ、お天気にも恵まれ、いい「1日富士山旅行」でした。

日々是好日
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「8月4日は、みんなで楽しもう。『自分達だけ』は、なしだよ」

2014-08-01 18:02:40 | 日本語学校
 晴れ。

 「葉月」に突入です。8月になりますと、もう四の五の言ってられません。「夏だ。夏は暑いに決まっている」と、根性で乗り切るしかないのです、この暑さを。

 で、学生達です。ベトナムの学生も、タイの学生も、フィリピンの学生も、平気な顔をしています、この暑さに。本当は平気じゃないんでしょうけれども…、いや、案外、本当に平気だったりして…。

 こういう、「暑さに対する感覚」というのは、風土の差だけではなく、個人的なものもありますから、一概に、どうだとは言えないのですが。

 私たちが北京にいた頃、毎日、35度を超えるような暑さが続いていました。が、耐えられないほどではありませんでした。建物の中に入れば、汗がスッと退いていきましたし、木陰も涼しく、夕方など、夕涼みがてら、散歩ができたほどでしたもの。

 内モンゴルや、新疆のあたりから来ている人達にとって、敵は、暑さよりも、日本の湿度の方でしょう。「梅雨期は、ジメジメ、ベトベトが続くと聞いていたから覚悟していた。けれども、梅雨が終わっても、まだジメジメしている。これには耐えられない」と。

 以前、モンゴル国の女性と同室だった日本人が、こんなことを言っていました。本当かどうかわかりませんが。

 その女性は、一か月に一回くらいしかシャワーを浴びに行かなかったそうなのですが、日本人の女性に「毎日シャワーを浴びるなんて体に悪い」と言ったのだそうです。

 砂漠地帯の人は、そんなに水を使うことができないでしょうし、乾燥しているから、(汗をかかないので)浴びなくてもよかったのでしょう。それで、毎日、シャワーを浴びるという習慣がないのでしょう。日本だって、ダムの貯水量に、赤信号が灯ったときなど、たらいに水で済ませていましたもの。

 「お国変われば、品変わる」。「風土が違えば、習慣も変わる」です。

 さて、学校です。

 8月4日は富士山へ行くということで、昨日は「旅のしおり」の説明の日。担当の教員が説明をしているとき、学生達の反応やら、様子やらを見ていますと、午後も午前もスリランカの学生達に共通点が見られました。大騒ぎをしてはいけないというところで。

 「えっ。どうしてだめですか」

 「この学校には、いろいろな国の人が来ています。バスに乗って静かに友だちと話をしていたいという人もいれば、ガイドさんの話を聞きたいという人もいます。景色を見ていたいという人もいるでしょう。それに朝までアルバイトをして、そのままやって来た人は、とにかく寝たいと思っているでしょう。それなのに、自分達の国の人間だけで、自分達の言葉でわあっと盛り上がり、大騒ぎをしていたら、他の国の人たちに迷惑をかけてしまいます。」

 とはいえ、日本語がまだ下手な人たちは、そういう自分達と違う人たちがいるということが、なかなか判らないのです。話し合うということも多くはないでしょうから。

 それに、国は違えど、同じクラスメートで仲良くなっていれば、その人を知りたいとか、判ってもらいたいとか思うでしょうが、それほどでもなければ、相手が不快感を持っていても、自分が楽しければいいということになってしまいがちですし。

 特に人数に偏りがあれば、それは顕著になってしまいます。4、5カ国の学生が、共にほどほどの数いれば、あまり「自己(国)チュウ」になることもないでしょうが(他の国や民族の様子も窺わなければなりませんから)。二カ国だけが突出しているのですから、ちょっと難しいところがあります。

 留学することの、一番の「良さ」は、「他国の言語を学ぶことを通して、その国の文化・習慣を知り、自国とは異なる価値観の下で生きている人たちがいることを知る」なのに、他国を知ることなく、反対に、他の国の人に自分の国を吹聴することに夢中になったりしているのですから、始末に負えません。

 「留学したのだから、まず最初は相手を知ろうとすべき。それが終わってから、相手に自分のことを知ってもらうようにした方がいい」と言っても、他の国のことが判るだけの言語も、関心もないのですから、それが難しい。

 一年半か二年では、なかなか変えられないのかもしれません。熱心に勉強するというよりも、アルバイトの方に精を出している人の方が多そうな現状では。

日々是好日
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