日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「教室や玄関のアレンジ、ディスプレー…誰の作?」。「『夏休み』を控えて」。

2009-07-31 08:50:31 | 日本語の授業
 今朝、水しぶきの音が聞こえましたので、驚いて外を覗くと、雨は見えません。きっと夜半に雨でも降ったのだろうと、軽い気持ちで家を出たのですが、外は…霧の粒を少し大きくしたような、小糠雨が降っていました。まあ、これくらいならばと、例の如く自転車
に乗って出発したのですが、駆けているうちに、だんだん雨粒は大きくなり、雨脚も繁くなってきます。「小糠」どころか、「大糠」くらいの感じになってきたのです。
 というわけで、今、濡れています。

 皮肉なもので、学校に着いてしまうと、(雨も)止むのです。急に小鳥達の囀りが聞こえてきましたから、それが判りました。

 ところで、学校の玄関です。
 この玄関も、最近、ちょいと面白いのです。「だれか」さんが、勝手に、少し、アレンジするようなのです。
 普通、玄関の靴箱の上には、学生達が持って来てくれたお土産の置物が並んでいたり、花が飾られたりしているのですが、このところ、日本の小さな「招き猫」が、「モンゴル」の「パオ」の中に入れられて、ニコニコ笑いながら手をあげているという光景になっています。

これは…多分、「インド人」のSさんですね。

 この学校には、置物の人形や動物たちだけではなく、「ぬいぐるみ」も多数、「生息」しています。その、彼らの様子も、よくアレンジされているのです。並んで座っていた「シロクマ君」と「カバさん」は、いつの間にか、「カバさん」の上に「シロクマ君」が、熊に跨る金太郎よろしく、据えられていましたし、自習室の二匹の「モンチッチ」は、「子犬と相撲をとる」の図に変えられていました。確か以前は、籠の中で大人しく眠っていたような気がするのですが…。

 学校というものは、「授業」も学生と教師の合作ですし、「アルバイト捜し」などは、学生同士の合作といってもいいでしょう。教室や玄関のしつらえも、いつの間にか、少しずつ教師の手を離れて、学生の創作となっています。こうなると、それほど遠くない日には、私たちが(学生達の)意見を取り入れて変えるというのではなく、学生の一人がチョロチョロと位置を変えると、他の学生が、「いや、いや、これでは」などと呟きながら、また、位置を変えているということになってしまうかもしれませんね。

 その他にも、学校には、小さな訪問者が来ます。以前は、「トンボ(蜻蛉)」や「セミ(蝉)」が部屋の中に入ってきたり、近所の「野良猫」や、その子供たちが、学校のガラス戸で遊んでいたりしたこともよくあったのですが、最近は、仔ネコの訪問は絶えたようですね。その代わり、「チョウ(蝶)」の姿はよく見かけます。

 「モンシロチョウ」は時期が過ぎたのでしょうか、授業中、ガラス戸の外で、よく舞っているのは、「クロアゲハチョウ(黒揚羽蝶)」や「キアゲハチョウ(黄揚羽蝶)」、「アオスジアゲハチョウ(青筋揚羽蝶)」などの「アゲハ(揚羽)」類です。「ハチ(蜂)」は、遠慮のない、歓迎されないお客さんなのですが、「チョウ(蝶)」は、いくら歓迎したくとも、慎み深く、花の廻りをフワリフワリと飛び回り、必要な蜜を吸い終わると、またフワリフワリと去っていきます。

 そう言えば、先日個人レッスンに通っているYさんが、「アサガオ(朝顔)」と「ヒマワリ(向日葵)」を持って来てくれました。「遅咲き」ということで、まだ花は咲いておらず、それ故、「チョウ」の訪問を受けてはいないのですが、この二三週間のうちに、ドンドン蔓が伸びて、隣の鉢に巻き付かんばかりの勢いになっています。
 この、「アサガオ」ですが、彼らの「蔓」というのは、一見頼りなげに、儚く見えるのですが、ところがどっこい、そういうものでは、とんとなく、グングンと手を伸ばし、伸びていく様子は、どこかしら、飽くなき要求を続ける「化け物」じみて感じられます。これくらいの根性がなければ、生きてはいけないのかもしれません。

 さて、来週(月曜日)の「日光見学」で、今期は終わります。「Aクラス」は夏休みに入ります(「Bクラス」には、後一週間ほどは、頑張ってもらわなければならないのですが)。そこで、昨日、「A・Bクラス」合同時間に、「夏休みの過ごし方」についての説明がありました。

 まず、「休み」中にやっておかなければならない「問題集」や「教科書」を配り(本代は後日)、勉強の仕方が説明されました。「留学生試験」で「総合問題」や「数学」「化学」「物理」を受ける者には時間があまり残されていません。計画を立てて、一つ一つ実行していかなければ、せっかく買った問題集も無駄になります(きれいなままで、来年の学生に譲るということだけは、しないようにしてもらいたい…が、本音です)。

 学校へ来る者には、毎日一題の長文(一級)が準備されているから、まず、それを必ずすること。また、新聞の切り抜きも置いてあるから、それを読むこと(要は、これまでにつけた、勉強のリズムを崩さないようすることなのです)。
 また、その他にも、大学の「オープンキャンパス」には必ず行き、忘れないうちに感想を書いておくことや、(大学受験を控えている者は)証明書など、国から取り寄せておかねばならないものは早めに知らせて準備しておくことなどについても、説明がありました。

 指折ってみれば、次の「留学生試験」まで、四ヶ月とないわけだし、自分で出来ることは、この期間を活かしてやっておかなければなりません。その自覚を促すという意味もあったのです。ただ、無理はしないように、一週間のうち、一日だけ、その日の午前か午後に、好きなことをやる時間をとっておくようにという注意もありました。

 引き絞りすぎた「弓」は、折れてしまいます。張り詰めすぎた「心」も同じです。長くは保たないのです。その上、脆くなってしまいます。四ヶ月という期間は、短いとも言えますが、毎日精一杯生きている人間にとっては、長くもあるものです。床についてはじめて、一日の終わりを知るということもあでしょう。人間は弱いもので、そういう生活に耐えられるようにはできていないのです。

 そうならないためにも、必ず、一週間に一度は、ゆとりの時間を持つように。
 頑張った自分に対する「ご褒美」という意味でもいいのです。ただし、それも、度を超さない程度にしておかなければなりません。度を超してしまうと、あっという間に休みは終わってしまい、この三週間は何だったのかということにもなりかねません。

 もっとも、昨日、「休みの過ごし方」について厳しく言いすぎたので、今日は弦を緩めて、(来週の月曜日に行く「日光」の事前授業として)「東照宮」と、「奥日光の自然」のDVDを見せます。

 「東照宮」は、言わずもがなのことですが、水がそれほど豊かではない国や地域から来た学生たちが多いので、きっとこの「奥日光の水の流れ」のDVDも楽しんでくれることでしょう。この「水」の行き着く先に、お昼ご飯を食べることになっている「中禅寺湖」があり、また、(最後の滝、「華厳の滝」を見に、ずっと下まで降りていくのですが)その滝の源を知っていたら、単に滝を見るだけではない、別の思いも抱いてもらえるかもしれません。

 特に「就学生」達は、(日本語)学校が、いろいろな所へ連れて行ってやらない限り、「学校」と「アルバイト先」と二つの点を行き来するだけで、日本での生活を終わってしまうことにもなりかねません。

 ぎりぎりの所で頑張っている学生達が、こういう活動を通じて、少しでも生活に潤いを感じてくれれば(勉強のためというだけでなく)、私たちも、本当に嬉しいのです。

日々是好日

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「アルバイト捜し(先輩の紹介)」。「自国での『プライド』を捨てるべき事」。

2009-07-30 08:10:30 | 日本語の授業

コガネムシ

 朝、出がけに、階段に蹲っている緑色の「コガネムシ(黄金虫)」を見つけました。そう言えば、今週の初めくらいから、蝉の声も聞こえるようになりました。昨日など、朝っぱらから、飛び回っているのも見ましたし。お腹を空かせている「カラス(烏)」に見つかったらどうするのだろうと、不安に思いながら目で追っていますと、飛び方がヨロヨロして、電信柱にぶっつかったりしています。人間ならば千鳥足というところでしょうか。やっとの事で、無事に、街路樹の緑の中に潜り込めたようでしたが、最近の電信柱は、木ではなく、コンクリートですからね、かなり痛かったことでしょう。

 さて、学校です。
 不況の波は、こういう日本語学校の「就学生」をも直撃しています。「4月生」のうち、まだ、アルバイトが見つかっていない学生が、四人もいるのです。中国人学生は、何とかなるとして、大変なのは、「スリランカ人(三人)」と「ネパール人(一人)人」です。

 以前ならば、あれくらい日本語が話せたら、だいたい問題なく、近くの工場で雇ってもらえました。それが、今回は、「募集」がかかって直ぐ行っても、「もう一杯になった」と断られるか、「就学生はねえ、一日に四時間しか働けないから…」と言われるかのどちらかなのです。

 しかも、彼ら自身が、こういう事態になりうるということを、全く考えていなかったようなのです(国で、「日本には仕事がある。給料もいい。『四級」レベルの日本語だったら、大丈夫。アルバイトができるから、生活には困らない」と言われていたようなのです)。

 私たちも、ただ、この「就職難」を、「世界金融恐慌による荒波」程度にしか理解していなかったのですが、最近、ある人から、「自動車産業が不況だから、愛知県などでリストラにあった「日系人」が、大勢、千葉県に来ているようだ。ここには仕事があるという情報が流れている」ということを聞いて、やっと謎が解けました。

 名古屋圏の自動車工場で働いていた「日系の人」たちが、リストラに遭い、こちらの工場に流れてきていたのです。その結果(日系人は、一日の労働時間が決められていないのです)、一日四時間という枠が填められている「就学生」が、はじき出されてしまったというわけだったのです。

 まるで、「玉突き」ですね。もう、ドンドンはじき飛ばされています。そこから逃れるためには、一生懸命勉強して、この「話せない」レベルを超えるしかありません。誰でも、(同じ能力であれば)長く働ける人の方を雇います。それはしょうがないことです。今年は工場は無理か。けれども、コンビニやレストランで働くのは、まだ無理だし…。で、先輩連に声をかけてみました。

 「A・B合同授業」の時に、「みんなのアルバイト先で、聞いてみてくれないか」と頼んでみたのです。「Aクラス」の学生達は、既に「日本語能力試験(一級)」は超えていますから、彼らが働けるようなところでは働けません。けれども、まだ「Bクラス」の学生達は、「二級」に毛が生えたくらいですから、もしかしたら知っているかもしれないと思ったのです。それに、何人か、近くの工場で働いている学生もいることですし。

 すると、翌日、「Aクラス」の「インド人」のSさんが、「私が働いているところは無理ですけれど、日本人の友達がいます。その人に聞いてみます。でも、あまり期待しないで下さいね」と言ってくれました。それから「Bクラス」の「ミャンマー人」のMさんが、「先生、工場で聞いてみました。私の友達ならいいと言ってくれました。でも、その学生の名前を知らなくて困りました。教えてください」と言いに来てくれました。

 「スリランカ」から来た三人は、友達や兄弟が日本にいます。それで、追い詰められたと言っても、まあ、どうにかなるとして、「ネパール」から来たRさんは、どうにもなりません。それで二人に頼みました。片方がだめでも、もう一方で拾ってもらえるかもしれない…。

 こういう時、頼みになるのは、年齢が、多少、上の人たちです。半年から一年ほども日本にいれば、日本人のやり方も判るでしょうし、その上、開放的で、誰とでも友達になれるタイプだったら、まず、大丈夫。工場の日本人にとっても、何かあったら、その人に言えばいいわけですから、安心でしょう。

 ただ、こうやって、アルバイトを捜してもらったりしている間に、いくつか、腹の立つことがでてきました。

 仕事がまだ見つかっていない学生が、勉強もなおざりになっていたのです。仕事はないわけではないのです。日本語が下手だから、断られるのです。そのことを諄いほど言って聞かせました。が、「スリランカ人」のDさんは、「はい、仕事がありません。気分が悪いですから、何もしたくないです」。これを既に一ヶ月以上も言い続けていたのです。

 「勉強すれば日本語が上手になる。日本語が上手になれば、以前、断られたところでも雇ってもらえるかもしれない。だから、何もすることがない今は、勉強に精を出すべきだ。」

この道理を判っていないわけでもないのです。ただ、「気分が悪いですから、何もしたくないです」で、世の中が通ると思っているのです。彼らの国では、通ってきたのでしょうか。日本人なら考えられないことですが、いかにもそれが自分の権利のような顔をして言い続けるのです、飽きもせず、毎回毎回。もう私も、半分以上ウンザリしていました(つきあって聞いてやらないわけにはいかないでしょう)が、言うべきことは言っておかねばなりません。

 とにかく、アルバイトが見つかったら、約束した時間を厳守すべきこと、それから、休む場合は必ず電話連絡をすべきこと。

 ただ、こう言うと誤解を招くかもしれませんので、一言追加しておきますが、彼は、いい人です。人を傷つけたり、迷惑(彼らの「迷惑」で、私が言っているところの「迷惑」ではありませんが)をかけて困らせようという腹は全くありません。そう言いましても、こういう「善人」は、時によっては、とても迷惑になることもあるのです。

 そして、もう一つ、紹介してくれた学生に感謝の気持ちを持ってほしいということなのです。

 同じ学校の学生であるから、アルバイトがなかったら大変だろうからと、一生懸命、アルバイト先の日本人と交渉したり、友人の日本人に頼んだりしてくれたのです。せっかく捜してもらったのに、直ぐに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とやらで、「あっちに、もっと時給のいい仕事があるから」と、紹介してくれた人に一言の断りもなく、やめてしまうということも、「なきにしもあらず」ですから。紹介してくれた人は、彼らの、直接の友人でも、なんでもないのです。彼らと繋がっているのは、同じ学校で勉強しているというだけなのです。

 私たちは、こういうご時世なのに、「自分だったら辛いだろうな」と、(他者の身になって)一肌脱いでくれた学生を得難く思い、感謝もしているのですが、当の「ご本人」が(困っているくせに)、「言われたから、行ってやるんだ」的な態度であったら、紹介してくれた人は救われません。また、そういう態度や考え方を捨てない限り、これからも、日本ではうまくいかないのです。

 まず、自分の国での「プライド」を捨てることです。特に、第三世界から来た人たちは、そうしなければなりません。彼らの国では、生まれた時から身分が決まっていて、向こうで豊かな暮らしをしていたと言っても、それは、本人や彼らの親の努力で得たものではないのです。日本でも、そのつもりで振る舞ったら、それは、当然、馬鹿にされます。この道理が理解できないようでしたら、また、それなりの行動がとれないようでしたら、せっかく仕事を紹介してもらっても、うまくいかないでしょうし、もうだれも(同国人以外は)仕事を紹介してくれはしなくなるでしょう。

日々是好日
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「竜巻」。「『夏休み』前の準備」。「『休み』中の勉強」。

2009-07-29 07:56:23 | 日本語の授業
 今朝も短時間の間に、強い日差しを感じたり、グッと低い雲の下にいるような感覚を味わったりと、忙しいこと、この上なし。午後になれば、昨日のように、急に、ザーッと雨が降ったりするのでしょうか。

 一昨日の晩から今朝にかけて、27日に発生した「竜巻」関連のニュースで持ちきりです。ここ数年のことのような気がします、「竜巻」とやらを日本でも話題にし始めたのは。勿論、アメリカなどの巨大「竜巻」とは、全くスケールが違います。

 けれども、「竜巻」は「竜巻」なのです。自動車が浮いて、クルクル回ったと言います。見た人は、すぐに、「あれが、『竜巻』だ」と気がついたでしょうか。もし、私があの場にいたとしたら、どうしていいか判らず、茫然自失の体だったかもしれません。「台風」や「地震」は気づけても、「竜巻」なんぞは、遠い遠い世界の現象としか思えないのです。

 私が「竜巻」という名や現象を知ったのも、アメリカの『オズの魔法使い』を読んでからです。ですから、「竜巻」というのは、いわば、「物語」の中の出来事だったのです。いくら映像で、アメリカの巨大竜巻を見ても、直ぐに「案山子さん」や「弱虫ライオン」の姿の方が浮かびます。現実味に乏しいのです。

 ただ、小学校高学年で、校庭の掃除当番に当たった「秋の終わり」か、「初冬」の頃には、皆、ちょいとした「ドロシー」気分になれました。時折、強い風が吹いて風が廻り、校庭にかき集められた「落ち葉」を巻き上げるのです。実際は、「風の渦」にしか過ぎないのですが、それが、私たちには、「竜巻」に見えました。その「渦」を見つけると、竹箒の手を止めて、じっと見つめる者や、見つけた途端、走っていって足で踏んづけて、消してしまう者などが出てきます。それも楽しい遊びだったのですが、普通の日本人は、そんな「風の渦」などくらいしか、「竜巻」を想像する術がないのですから、実物を、目の当たりにした人は、本当に怖かったことでしょう。

 もう一つ、「竜巻」に関する思い出があります。中学生くらいになった時です。それは、もう、年も長けていますから、「関東大震災」の話や、「東京大空襲」の話などが少しわかってきます。一番怖かったのは、「火が渦を巻き、逃げ込んだ人々を呑み込む」という話でした。「コの字」型になっていた小学校の校庭や、建物のそばに逃げ込んだ人たちが、そこで、生き物のように、のたくっている「火」に包み込まれ、あっという間に「肺」も「身体」も焼かれてしまうという話でした。

 それを聞いた時、真っ先に頭の中に浮かんだのは、「火」の「竜巻」です。きっと中世の人たちが描いた『地獄変』というのも、また、『阿鼻叫喚地獄』というのも、この「火」の「竜巻」抜きには、存在し得なかったにちがいありません。

 「竜巻」のニュースから、話が、少々「オドロオドロしく」なってしまいましたが、さて、学校です。

 「A・C・Eクラス」は、8月3日の「日光見学」の翌日から、夏休みになります。「B・Cクラス」は、それからも一週間、学校での勉強が続きます。

 「休み」前に、「A・Bクラス」では、「数学」や「化学」、「物理」、「英語」の問題集(休み中の宿題)の申し込みや購入、また、夏休み中の学習計画などの作成をさせておかなければなりませんから、大変です。

 「休み」中であろうと、今までの勉強のペースを落とさないように、「課題」を与えておかなければなりませんし、そのためにも、まず、用事がなかったら、何はともあれ、「学校に来て勉強をする」というパターンを崩さないようにさせておかなければなりません。「家でやる」ことを認めてしまったら、休み明け(8月の最後の週から9月のはじめにかけて)が、とんでもないことになってしまいます。調子を取り戻すためにしか使えなくなってしまうのです。

 10月あたりから、「大学の入試」は始まりますし、11月には「留学生試験」、12月には「日本語能力試験」があります。「大学院」へ進みたい者も、「休み」の期間を活かして、「『卒論』のまとめや翻訳」、また「院の先生方」への連絡などに力を注いでいかなければなりません。8月や9月にオタオタしている暇など、ないのです。

 それに、「Dクラス」にいる「非漢字圏」の学生達も目が離せません。二人は、はっきりと「大学進学」を目指していますから、「初級Ⅱ」が終わってからの「中級」を視野に入れさせておかなければなりません。「初級」後の「中級」は、急に文章が長くなり、「ルビ」も消えてしまいますから、それで頑張れなくなり、やる気を失ってしまうことにもなりかねません。三段階か四段階も上のものを、急に勉強させられるような、「怖じ気」を味わわせてはならないのです。

 そのためにも、「百読、意、自ずから通ず」をやってもらわねばならないのです。つまり、「音読し、多読する」です。ここで、「多読」というのは、「たくさん読む」という意味ではありません。「何度も読む」という意味です。しかる後に「何度も、漢字を入れて書き写す」なのです。

 「漢字」一つ一つを練習し、まず馴染むというのが、「第一段階」。「(漢字交じりの)単語」の「読み」に習熟することが、「第二段階」。それから、「文」、「段落」、「文章」を読んでいく練習が、「第三段階」。読めるようになってから、一歩一歩意味をとらせていくのが、「第四段階」。

 この「第四段階」が、難しいのです。スラスラと読めても、意味が掴めないというのが多いのです。わずか、最長でも「一年半」かそこいらで、この段階までできなければ、「留学生試験」も「日本語能力試験(二級)」も、参加しても意味はないのです。

 「漢字」一つ一つの意味が、理解できていなければ、「文章」の意味(「何を言わんとしているか」、また、「指示語」がさす内容など)もわかりませんし、それどころか、文の意味さえつかめないということにもなりかねません。

 これらは、すでに(同じ勉強方法で)母国語でやり終えている「漢字圏」の学生には不必要なことなのですが、「非漢字圏」の学生にはそうはいきません。既出した「(漢字交じりの)単語」の読みを、「初級」レベルで終えていないと、「中級」になった時に、いくつもの読み方があることに、愕然とし、放心状態になって、やる気をなくすということにもなりかねないのです。

 大半の国の人は、聞いて「物事を覚え、理解する」を習いとしているようですので、「字(漢字)は手で覚えろ」が、なかなか浸透しないのです。「漢字文化」圏の人間にとっては、「言わずもがな」のことなのですが。

日々是好日
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「子供の頃の遊び」。「どんな『大学生活』を送ってもらいたいか」。

2009-07-28 08:25:02 | 日本語の授業
 早朝、かなりの雨が降った模様で、道にはたくさんの「水たまり」が出来ていました。
 私が子供の頃は、この「水たまり」すら遊び場で、空を映したり、運がよければ、虹まで、この上に映っていたものでした。その上、乾き始めると、ここは「泥んこ遊び」の舞台になるのです(当時は、「土」の道の上にできた「水たまり」が過半数だったのです、「アスファルト」の道ではなく)。

 親からは「汚れる」と嫌われましたが、水たまりにできた泥は、ちょっと特殊で、チョコレートのようにしっとりとし滑らかだったのです。そのすぐ下の泥には砂利が混じっていたのに、どうして、この上澄みめいたところだけ、こんなにきれいなのか未だにわかりませんが、この砂利から滑らかなチョコレート状の泥をきれいに剥がし、それから「泥べったん」遊びをするのです。

 今から思えば、随分のんびりしたものです。時代は、「高度経済成長期」真っ盛り、どの家にも「テレビ、洗濯機、自動車がある」ことが望まれた時代でしたが、子供の遊びは、多少の流行こそあれ、前代を引き継いでいました。それほど変わっていなかったと思います。「ままごと」や「鬼ごっこ」、「色つき鬼」や「影踏み」、陣取り合戦。お手玉は廃れがちではありましたが、姉は本当に上手でした。男の子の「ビー玉」や「メンコ取り」も華やかで、その合間に、「野球」や「サッカー」、「ドッジボール」などをするくらいで、お金がなくても遊べる時代でありました。

 実力があったら、自分で買わずとも、「戦い」に勝って、「ビー玉」や「メンコ」を手に入れることが出来たのです。

 最近の子供達、特にここに来ている在日の方のお子さんなのですが、彼らを見ていると、ゲームで遊ぶにせよ、歌謡曲を聴くにせよ、そこには、少なからぬお金が動いていることが判ります。まず、ケータイを一人ひとりが持ち、そのために月々お金がかかるわけですから、何をするにしても「桁の違った金銭」の動きが必要となります。

 ただ、彼らを見ていても、日本では、まだ「人間性を保てる」ということを感じます。日本でも、若い人が、将来に閉塞感を抱いているのも事実ですし、年老いた人が追い詰められているのも事実です。けれども、他国の状況はそんなものではないのです。

 日本人は、ある程度、保障が備わっている欧米などの先進国に住む人々と、自分の今の境遇とを比べて、嘆くという傾向にあります。勿論、それはそれで必要で、そうしなければ、更なる社会の安定や充実は求められません。現状に、常に不満を持ち、問題意識を失わず、向上していくという精神はなくしてはならないものです。

 しかしながら、目を少しでも、今の自分たちの情況に対する不満や、保障大国などからずらしてみると、そこには自分たちの現状すら、どこかしら安堵しなければならないような社会がずらりと並んでいるのに気づくでしょう。経済的には、日本と肩を並べるくらい豊かになっていても、まだまだ社会も組織などの構造もアンバランスで、私たちから見ると同情に堪えないような国も少なくないのです。

 そういう国から、感受性のまだ豊かな時期に、日本へ来た人たちには、経済的に許される限り、日本の大学を楽しんでもらいたいのです。言うまでもなく、何でも日本を否定的に捉え、「自国が一番」という人もいます。けれども、そういう人でも、大半は、一度日本から離れて、戻ってきますと、自国の問題に気づき、日本の良さをわかってくれるものです。

 最初は、誰でも初めて外国に出るわけですから、肩肘張っている部分があります。常に「自分は」とか、「自国は」とか、言いたいわけです。日本と自分の国とを比べて、「自分の国は、こうこうだ。こんなにすばらしいのだ」と言いたがります。それが、帰国後また戻ってきた時には、前に言っていたことと違ってくるのですから、きっと知らず知らずのうちに、客観的に比較できる能力が養われているのでしょう。

 勿論、これは普通の学生で、金持ちの子供で、のらりくらりと今まで(自国で)生活してきたし、日本に来ても、アルバイトもせずに、適当にのらりくらりと長芋のよう生活しているような学生でしたら、そういうことはありません。もっとのらりくらり生活でき、楽に威張って生きていける自国の方がいいのは当然です。ここでは、多少金があろうと、誰も阿諛追従、阿ってはくれませんから。

 けれど、「自己実現」を求めていたり、更なる「知識技能の向上」を目指していたりする人や、「知的な生活に喜びを見出すだけの能力」を備えている人であって、しかも、アメリカなどの「熾烈な競争世界は嫌だ」という人には、この日本の、適度に知的に暮らせ、しかも、「追い落とし」「追い越し」に追われない生活というのは、いいのかもしれません。

 昨日、一人の学生のご両親が、学校に見えました。「進学」の相談です。学生は就学生ではありません。「高考」に失敗したから(500点とれなかったらしいのですが)、日本の大学に入れたいと、お母さんが、去年の7月に呼んだのです。初めて会った時には、暗い顔つきで、押し黙っていました。「4月生」のクラスに入れ、様子を見てみますと、これが出来るのです。では、と言うことで、8月に特訓をしました。これは、どこまでついてこれるかと、「様子見」の意味もあったのです。いくら頭がよくても、「根性」や「好奇心」がなければ、ゆっくりと皆と一緒にやったほうがいい。下手に、無理をして、ストレスを与えない方がいいのです。

 「初級Ⅱ」の42課まで、20課ほどを、三日で遣り終えました。単語を覚えることが出来なかったら、少しペースを落とそうと考えていたのですが、初めて学ぶ言葉であり、文法であるにも拘わらず、水が浸みていくように、スウッと覚えていくのです。文法が多少複雑に交錯していてもぶれません。で、予定では五日だったのですが、三日で解放です。あとは復習しておくように言って。

 それから、何ヶ月くらい経った頃でしょうか、「先生、日本の子供は、『家庭科』を勉強できるの?」と聞いたのは。それからは、いろいろなことを話し始めました。最初の無愛想なお嬢さんが、大きく変化しはじめたのは、この頃だったと思います。次から次に聞いてきます。課外活動では、ガイドの傍にへばり付いていますし、「お雛様」や「クリスマス」にも積極的に参加します。つまり、彼女は、何でも興味を持っているし、知りたいのです。これは受験に関係あるから勉強するでは、だめだったのです。それでは、伸びやかで柔らかい感性が潰されてしまう、そういうタイプの「知的な女性」だったのです。こういう人は日本には向いています。少なくとも、彼女の祖国では、せっかくの才能が潰されてしまっていたでしょう。言い過ぎかもしれませんが、「考」に失敗して幸いでした。

 彼女の高校時代の話を聞いているうちに、本当に可哀想になってきました。勿論、日本の学校にも、日本人から見れば様々な問題があります。けれども、公務員は、偏った「主義」、あるいは「信仰」を持ってはならないし、できるだけ(人間ですから限界はありますが)子供を「公平」に扱わなければならないことは、大学生のうちから、教育大や教育学部で叩き込まれています。その上、理想として「全人的な教育」が、謳われていますから、「音楽」や「家庭科・図工」、「体育」「美術」なども、なおざりにされてはいません。子供の中には、「体育」時だけのスターや、「音楽」時だけのスターなどもいるくらいですから。それも、それだけをやっているという子供ではないのです。みんな同じ勉強をしているという「普通教育」においてです。

 ご両親に話したのは、いい大学を目指すのはいい。けれども、それ以上に考えて欲しいのは、彼女に「枠を填めないで欲しい」ということでした(填めた方がいい学生もいます)。

 彼女の志望は「コンピューター」なのですが、私には、彼女が大学へ入り、様々な枠にとらわれない一般教養を身につけていく過程で、「志望」が変わっていくような気がするのです。今はそれだけしか見えないから、中国での生活の流れで、そう言っているのでしょうが、日本の大学へいけたら、いろいろなことを知ることもできますし、どんどん自分を解放し、開拓していけるような気がするのです。

それで、まず、「総合大学」を考えて欲しいと言いました。それから、「数学Ⅱ」と「物理」「化学」の勉強も必要になりますので、夏休みの期間を利用して、まず「日本の予備校」へ通うことも勧めました。初めは言葉の問題もあるかもしれませんが、この6月の「留学生試験」で、「330点」近くとっていますし、「物理」「数学Ⅱ」「化学」の点数も平均点よりかなりいいのです。「イロハ」からはじめて、一年にも見たぬ間に、これだけの点数がとれるようになったというのは、かなりの能力です(普通、中国の大卒者でも、こんな短い期間で、こんないい点数はとれません)。

 しかも、理系のコースを志しながら、「総合問題(留学生試験)」に関する、世界史や地理、政治経済にも関心を持っています。まあ、ご両親が見えた時には、この「留学生試験」の結果は届いていなかったのですが、結果を見た後でも、私たちが言ったことは同じだったでしょう。

 日本の大学生活を楽しんでもらいたい。彼女なら知的な部分で充分に楽しむことが出来ると思います。その中には、中国の中学や高校で楽しめなかった分(サークルなどで)も入れて欲しい。そのためには、(私たちは)ぎりぎりで、いい大学に入り、勉強だけに終わることのないようにさせたいと考えているということも入れました。
 勿論、合格してしまえば、しようがありませんから、そこでの勉強以上に、他の分野も楽しめるように、更に更に勉強に励まなければなりませんけれども…。

 運動をしたことがないと言っていましたから、「弓道部」や「合気道部」なんてのもいいかもしれませんね。初心者が大半でしょうから。

日々是好日
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「日本列島『運命共同体』」。「『公私』の別」。「『例外』を認める『心の余裕』」。

2009-07-27 07:55:31 | 日本語の授業
 さっきまで、日差しが激しく降り注いでいましたのに、今は、日も翳り、ひんやりとした風まで吹いています。空を見ると、雲が浅いところを走っています。それもかなりのスピードで。九州や山陽地方を、梅雨末期の集中豪雨の雲が、幾日も居座って、死者やけが人が多く出ました。亡くなった方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。

 日本に住んでいれば、すべての「天災」は、他人事ではないのです。「明日はわが身」なのです。ここ、日本列島に「居住している人」というのは、「地震の巣」の上で、生活しているようなもので、災害に遭う時は一緒なのです。貴賤もありません、貧富も関係ありません。もし、差が出るとしたら、「運」の有無だけでしょう。

 その上、大陸に近い海上に、空の流れを遮るように、弓なりの島が連なっているわけですから、フェーン現象も起きます。豪雨・豪雪も来ます。大風も吹きます。その親玉たる台風も来ます。どこが襲われても不思議ではないのです。

 いわば、そこに住む人々の一人一人は、「運命共同体」の一員たることを、宿命づけられているのです。そのことを忘れてしまうと、おそらく「政治」も「経済」も「教育」も、何もかもが、うまくいかなくなってしまいます。歯車が狂ってしまうのです。それで、「単一民族」だの、「単一文化」の国だのと言われているわけなのですが、もとから「単一」であったのではありません。この地に住む人々の体型、顔かたちを見ればすぐに解ることです。

 私も、中国に行くまでは、それほど意識していなかったのですが、中国で、美大に通っている日本人留学生から、「デッサン」に関する話を聞いて、「なるほど、(日本人は)単一ではないわいな」と思うようになりました。

 彼女が話したのは、「裸婦デッサン」のことです。つまり、北方の中国人は、皆、同じ体型で、「つまらない」のだそうなのです。日本人から見れば、「かっこいい」とでも言うべき、すらりとした体型も、来る人来る人が、みな「金太郎飴」であれば、厭いてしまう。その上、竹のようなので、デッサン力を高めるためにも、役に立たないのだ。個としての面白味がないと言うのです。

 中国も国が大きいので、南と北では違うだろうし、北方でも、いくつか大きな民族がいるから、そういうものでもないだろうと言ったのですが、一言で退けられてしまいました。「同じ、同じ。日本で裸婦デッサンをしていたときのような面白味は、全くない。何人人を変えても、同じ体型を描いているだけだ。勉強にならない」と言うのです。

 これは、聞いたことで、私が現場で、そのデッサンをしたわけではありませんから、確かなことは言えないのですが、(彼女に)そう言われて、思わず、当時、親しくしていた(日本人の)友人の体型を見てみると、確かに三者三様なのです。

 かつて、様々な国から、「安住の地」をこの列島に求めて、人が渡ってきたのでしょう。そして、幾代も幾代も経るうちに、多くの天災や人災を共にやり過ごし、生き残った人がここに、その人々の子孫として存在しているのでしょう。

 グローバル化の先取りのようなものです。ただ、この地には「天災」が多く、「新参者」は、「古参者」の知恵を借りねば生きていけなかったのです。そうやって、文化の一部が継承されていったのでしょう。これは、今でもそうです。程度の差こそあれ、どこに住もうと、「新参者」は、頭を低くして教えを請わねばならぬのが、「道理」です。

 それが、形を変えて「掟」と言われたり、「習わし」と言われるものなのでしょう。それは「排他」主義というよりも、生きんがための生活の知恵とでもいうべきもので、そうして先祖伝来の知恵が受け継がれてきたからこそ、この地でも、絶えることなく、多くの人が、生き残ることができたのでしょう。

 「グローバル社会」を体現しているような、この小さな日本語学校でも、そうです。ルール作りが何よりも大切になってきています。だんだん「勉強を主」にする人の数が増え、また、「日本で学ぶことの良さ」を感じてくれる人も増えてきましたから、いよいよ、次の段階に入ったとでもいえるのですが。

 ここで、一言。この学校で、一級レベルに達した後のカリキュラムについて、言っておきますが、多くの知識(教育内容)は、まず、彼らが、それを「知る」ために教えています。つまり、「見たことがある」、「習ったことがある」という経験を作るために、教えているのです。それをどう自分なりに消化していくかは、本人の問題です。「知性」も関係してきます。教えても、それが役に立たない人も出てきます。それは織り込み済みです。強引に、或る解釈を紹介しても意味はありませんから。つまり、「知識」として供給し、日本で生活するならば、知っておいたほうがいいと告げるだけなのです。

 中国人でも(なんとなれば、何の疑いもなく、彼らは「中国の学校のレベルは高い」と信じ込んでいるのです)、特にいい高校でまじめに勉強して来たという学生でも、「社会科系」の科目では、日本の中学生程度の知識レベルにすぎません。レベルは決して高くないのです。こんな幼稚なレベルで、世界に伍していけるのかしらんと心配になるほどなのです(実際、私も、言われてびっくり。自分に「知識がある」なんて、思っていませんでしたから。日本では「歴史好き」なら、だれでもがもてるほどの知識に過ぎません。また、同じような仲間が集まって、好きな人物や関心のある事などについて、世間話のように話したりすることも、日常茶飯事でしたから)。

 日本では、小学生でも、テレビの教養番組を見り、本を読んだり出来ますから、(好きなことでしたら)大人顔負けの知識をもっています。勿論、まだそれを自分なりに解釈したり、理解したりすることはできませんが。それは大人でも同じです。そういうことは、一段上の専門的な知識が必要になりますから、研究者の仕事です。そういう研究者が、テレビや、新聞・ラジオ・インターネットなどで、発表した見解を、私たちは、聞いたり、見たりするわけなのですが。

 で、話は、「ルール作り」にもどります。中国をも含めて、発展途上国から来た人には、「公」と「私」の区別が、あまりついていませんし、「例外」を認めてやる「心の余裕」もありません。日本人でもそういう人はいますが、圧倒的に割合が違うのです。ただ、「公私」の別は、学校で生活していくうちに、自然に身につけるようにさせていきますが、面倒なのは、この「例外」というやつです。

 「一人」に認めると、直ぐに「我も我も」と例外を認めてもらおうとやって来るのです。しかも、それは当然の権利で、正当性は自分にあるという風に言うのです。その度に「戦い」です。「この人は、今、こういう情況にある。だから、例外を認めてやった。しかし、あなたは、そんな情況にない。だから、認めない」というと、「不公平だ。贔屓だ」と来るのです。

 私にしてみれば、「ああ、この人の国では、教師はこうやって好きな学生だけに特例を認めてやっていたのだな。だから、直ぐにこう言うのだな」と思い、哀れみさえ感じているのですが、彼らにはそれは通じません。で、戦いです。

 それはそれでしようがないことなので、仕事の一部と思って、割り切ってやっているのですが、けれども、問題なのは、助けてやらなければならない学生に、そういうことが原因で、二の足を踏んでしまうかもしれない「自分の心」なのです。特例を認めてやったり、助けてやったりすると、直ぐに、他の学生までが、自分にもそうしてくれと言いに来て、一人一人にする、その応対だけでも、非常に面倒な事になりますから。

 それに、一度みとめてやると、それに味を占めて、何度でも言いに来る人がいるのです。「あの時はあの時、今度は違う」が通用しないのです。いくら社会が豊かになっても、(社会の)人気(じんき)というのは、なかなか成熟しないもののようですね。ある種の「仁義」が、どうも欠けて、いびつな形で、豊かになっていきつつあるような気がします。

 まあ、本人が幼稚でも、「家庭教育」ができるだけの「ご両親」を持っている人は、(こちらが言えば)すぐに気づいて変わってくれるのですが…。もしかしたら、どこの国でも、詰まるところは「家庭教育」なのかもしれません。

日々是好日
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「アルバイト捜し」。「『日本語力』いろいろ」。「日本語学校で『勉強する意味』」。

2009-07-24 07:45:12 | 日本語の授業
 今朝の空も、時折、陽が差すものの、曇りがちです。天気予報図には、「雨マーク」が昼過ぎまで続いていましたし、出がけに見たお天気お姉さんは、「ここ(渋谷)では、雨がぱらついてきている」などと言っていました。けれども、ここ、行徳は海の近くだということもあるでしょう、東京の直ぐそばでありながら、(「ヒートアイランドの中心地」東京より)かなり穏やかなお天気なのです。

 さて、「世界金融恐慌」は、日本にも様々な影響を及ぼしています。だんだん広がりを見せ始めていると言った方がいいのかもしれません。このごろは、日本語が自由に話せない「就学生」をも直撃し始めています。

 「初級Ⅰ」か、「初級Ⅱ」を終了した程度では、なかなか仕事が見つけられないのです。少し前までは、その程度の日本語力でも、近くの工場で雇ってもらえました。短時間で、低賃金でも、それは「日本語が出来ないのだから、しょうがない。上手になったら、コンビニかレストランで働けるから」で、頑張らせることもできたのですが、その工場でも、あっという間に人で埋まってしまうのです。「日本語力のない」人たちが、入り込む隙などありません。

 昨日も、この四月に入学した中国人学生に「(日本へ行こうと考えていたなら)大学在学中に、どうして日本語の勉強を始めていなかったのか」と聞いてみました。彼らは言葉を濁していましたが、日本へ行けばどうにかなると思っていたのでしょう。

 日本は「独立国」で、独自の文化を保有する国ですから、英語が話せればどうにかなると思っていた「アフリカやインド圏」から来た学生が、にっちもさっちもいかなくなるように、「漢字も使うことではあるし、日本語は簡単だ」と思い込んできた中国人学生も、どうにもなりません。

 「日本で普通に暮らせる」のは、よほどのお金を持っていない限り、すべては日本語が、ある程度出来るようになってからのことなのです。

 ただ、そう言いましても、中国人の学生の場合は、「一括り」で話を終えるわけには参りません。

 たとえば、中国で「一級(日本語能力試験)」や「二級(日本語能力試験)」に合格していても、来日後、どうにもならない部分というのがあるのです。これは「いわく言い難し」という奴で、なかなか口で言って、理解してもらうのは難しいのですが…。

 この学校では、普通、来日後、「初級レベル(つまり、三級までです)」を終えるまでに、授業の合間や、授業中の例文などで話したり、或いは、学生達の行動から注意を促したりしていくという部分なのです。あまりふさわしいとは言えないのですが、強いて言えば、「日本で生きていくためのノウハウ」とでも申しましょうか。

 これも、一つ一つの積み重ねなのですが、この学校で「初級」を経験していない学生には、なかなか身につけることが出来ないというものなのです。授業の時の言葉遣いなどもその一部なのですが、私たちが「中国暮らし」が長かったこともあり、他の日本人に比べれば、寛大であるにせよ、そこは譲られない一線があります。また、寮費を払う時の約束が守れるか、或いは、水道料や電気代などを決まった時に払えるか。また、学校に時間通りに来られるか、本当に些細なことなのですが、こういう日常生活を通して、少しずつ浸透させていくものなのです。

 なんでも、急には変われませんし、また理解できないものなのです。それを「初級」の時には、その頃にふさわしい「知恵」を、また「中級」の時にはそれにふさわしい「ノウハウ」を、具体的な例から、自然に身につけていく。その「過程」を経ていなければ、「いざ、大学受験」、「大学院の申し込み」といった時に、私たちが要求することの意味がわからないのです。まあ、説明はしますが、それでもわからないのです。こういうことは、一つ一つ身体で覚えていくしかないことですから。

 結局、「初級」から、この学校で勉強した中国人学生が、彼らに説明してくれるのですが、その人は「どうしてだ!」「どうしてそうなのだ!」と戸惑うやら、煩わしいと感じるやらで、こちらが言った通りに出来ず、時間ばかりが過ぎていく…と、そうなってしまいがちなのです。

 特に、中国人で、「名門大学を出ていない」大卒者に見られることですが、中国では、(これまで)教師を頼らずに、自分一人でやって来た。つまり、「英語」専攻であれば、自分の英語力は、自分を教えた大学の教師以上であるという、いわば「うぬぼれ」です。でも、多分、それは本当なのでしょう。多くの英語の先生には、「専攻」がないのです。英語を「話し、聞き」が出来るだけなのです。日本人から見ると、摩訶不思議としかいいようのない可笑しな話なのですが、大学の教師なのに、よくて話せるだけなのです。

 日本でしたら、「英文学」であったり、「米文学」であったりしますから、そこは、そんじょそこらの「大学生」や、「大学院生」などが、太刀打ちできるような「知識の蓄積量」ではありません。普通の人が「太刀打ちできない」から、大学の教師なのです。専門家と言われるのです。

 「英語」や「諸外国語」を学んだだけの「大卒者」が、そんな途方もない「天狗」になれるはずがないのです。「話す力」だけでしたら、英語圏の人を捜して、どんどん話し、聞きさえすれば、適当な会話力は高めていけますから、もし、そういう土俵で戦うだけでしたら、行動力のある「若い人」の方に、だれもがきっと軍配を上げてしまうでしょう。

 そうなると、何のために「年をとっているんだ」と言いたくなりもするのですが、中国では、「机の上に何も置かない、調べなければならないものなんて何もない」というふりをすることが、虚仮威しになるようですから、それはそれで、しようがないことなのでしょう。

 ただ、「日本もそうだ」と思ってもらっては困るのです。(日本では、もし)そういうレベルの人だったら、まず、「大学の助手」の地位にも潜り込むことさえ出来ないでしょうし、(日本人だったら)大学院だって、(入れるかどうか)怪しいものです。私立大学でも、「あれは実力がない」という評判が立ってしまいますから(これは、即、入学希望者数に響きます。つまり、収入に関係してしまうのです)、次の更新手続きの時に、切られてしまうでしょう。

 勿論、テレビなどによく出演したり、親や先祖の関係で、ネームバリューがあると認められたら、「広告塔」の役割をするために、「飼っておかれる」という地位にはつけますが、それだけのことです。偉そうなふりはできません。言葉は汚いのですが、「ケツは割れて」いますもの。

 この学校では、こういうことを「初級」段階から、一歩一歩「知らしめて」いくのです。そして、「初級」から始めている学生には、「大学」に行けば、もっといろいろなことが吸収できる、もっとすばらしい知識を獲得できるという夢を持ってもらうために…。

 ただ、何でもそうですが、「学ぶため」には、お金がかかります。来日後、日本語が「四級」レベルにも達していない学生は、アルバイトを捜すことすら「苦」でしょう。断られるというのが関の山でしょうから。そのためにも、三ヶ月から半年は、日本での生活ができるように、「お金」を持たせておいて欲しいのです。アルバイト探しでウロウロしていれば、当然のことながら、勉強に集中出来ません。どんどん「悪循環」は続いていきます。悪い「連鎖」が続くのです。

 それに、レベルが上がれば、上がるほど「教材費」もかかります。「初級Ⅰ」「初級Ⅱ」で終わりだったら、それでもいいのですが、「それでもいい」と言う人は、できれば「他の日本語学校」を捜してもらいたい。ここは「上級」以上、つまり、「一級合格」後、半年から、一年程度は余裕のある人に、来てもらいたいのです。

 「日本語学校」の見分け方は、「二年間で一級」が、限度です。下手をすれば、一年間で「初級」終了かもしれません。もし、レベルの高い学生がそんな日本語学校に行ったら、向こう(日本語学校)でも困ります。「一級」までは教えられるという「日本語教師」が、せいぜい「最高レベル」ですから。教材も何を選んだらいいか判らないでしょうし、下手をすると、一年で「一級」レベルに達した学生は、お荷物になってしまうかもしれません。「一級」後の、次の段階を準備するのは大変な作業なのですから、私たちにとっても。

 この日本語学校なら、例えば、私もそうですが、「初級」の「イロハ」から、「一級後」一年程度は、どうにか教えられるほどの「ストック」はあります。教え方は、クラスを見てから決めますが、内容は、すでに準備できています。

 また、国立大学を目指せる程度の(母国においても、レベルの高い)学生なら、土日を利用して、日本の予備校に「物理」や「化学」などを勉強しに行くという手もあるでしょう(お金は余計にかかりますが)。

 どんな学生が来るか、それで、その人に対する「私たちのカリキュラム」も変わるのです。この学校には、それくらいの柔軟性はあります。そうではない学校では、あまりレベルの高い学生に来られても困るのです。せいぜい、「『一級』に合格できた。よかった。よかった。それに、(どこかの)大学にも合格できたし…」が、一番幸せなのです。

 「日本(異国)での勉強が、『自己形成』だけでなく、『充実』にも繋がる」などということが、求められていないのが実情なのです。

日々是好日
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「『東京経営短期大学』の先生」。「『非漢字圏』の学生が、日本語の文章を読みこなすことの難しさ」

2009-07-23 07:50:42 | 日本語の授業
全く、「梅雨」です。まだ「梅雨」です。このような雨では、「強行突破」などできません。重い夜来の雨が、ずっと続いています。雨粒が、傘をバシッ、バシッと強く打ち、白い曲線を描いて滑り落ちていきます。このような雨では、「カタツムリ(蝸牛)」さんが、恋われてくるではありませんか。蛍の便りも耳にすると言うのに。

 昨日の「皆既日食」は、本当に残念でしたが、近くでは薄雲を通して、見えた所もあったようです(勿論、この近くでは「部分日食」ですが)。
 しかし、今朝も暗いですね。雲が相当降りてきて、この一帯を、厚く覆っているのでしょう。

 ところで、昨日、「東京経営短期大学」の先生が見えて、卒業生達の近況を話して下さいました。皆頑張っているとのことで、我々もホッとしています。昨年の学生が、二人も「奨励金」をもらえたそうで、「いい学生達です」と言っていただきました。一昨年、お世話になった学生のうち、一人は「湘南工科大学」に転入できたそうですし、そのように面倒をみていただけると、紹介した甲斐があります。「東京経営短期大学」の先生は本当に親切なのです。しかも、入学後も来てくださって、卒業生達の様子を話して下さいます。

 「短期大学」と言いますと、あれっと思われる方もいるかもしれません。
 けれども、特に、「非漢字圏」の学生にとって(大学を目指している場合ですが)、(日本語の勉強に準備されているこの)一年、乃至、一年半というのは、本当に短いのです。国で多少勉強して来ていても、日本に来てしまえば、それが通用するということはあまりありません。最初からやり直しという場合がほとんどです(すでに、間違った「ひらがな」や「カタカナ」を覚えてきている人もいます。それに、「漢字」は論外というところでしょうし。彼らが国で学んだ時の、先生の多くは「日本語能力試験」の「三級」程度の日本語力なのです)し、中には、日本語を教えてもらえるところがないという国から来た人さえいます。

 その人達が、両親から多少の仕送りをしてもらっているとはいえ、日本へ来て、勉強とアルバイトを両立させながら、進学を目指して頑張るのです。彼らの国では「働く」といっても、日本ほどの厳しさを要求されることもないでしょうし、来日後は、いくつもの「壁」にぶち当たります。その上、学校での勉強は、待ってくれません。日々進んでいるのですから。アルバイトに、どうにか馴れるまで待ってはくれないのです。「人間の頭」というのは、同時に二つのことに必死にはなれないもののようです。

 というわけで、「非漢字圏」の学生達の多くは、「初級Ⅱ」で、躓いて、もう一度「初級Ⅱ」をやり直すか、或いは、うまくいっても、何通りもの読み方のある「漢字仮名交じり文」について行けず、「中級」を繰り返したりと、勉強の上では、「波瀾万丈」です。

 国では、普通か、平均以上だったと自負している学生は、その状態に「こんなはずではない」と、「不可解だ」という「思い」から、抜け出せないのです。勿論、(彼らの)心の整理がついてもつかなくても、学校の勉強は、前へ前へと進んでいます。やっと、心の整理がついて、「よしっ。やるぞ」とばかりに教科書を開いても、その時には、すでに、見慣れぬ文字が連なり、しかも、知りもしない文法をそれに抱き合わせていかなければ、理解できないような文が見えるだけで、読み進めるというわけにはいきません。

 「二級レベルの漢字」が、書けるだけではだめで、その幾通りもの読み方を覚えねばならぬし、その上、(漢字一つ一つの)意味も判っていなければならないのです。それらが理解できていなければ、文章を、その文の構造をを一つ一つ繙きながら、理解していくということなど、夢のまた夢でしょう。普通の能力では、だめなのです。一年乃至二年という期間の中にそれをこなそうと思ったら。

 ただ、以前、こういうことがありました。
 その学生は、「スリランカ」から来た学生でしたが、(彼の国の学生達は、総じて(日本語の)ヒアリングと会話には困りません)、一年ほど経って、やはり、「漢字の勉強について行けない、当然、日本語の文章は読めない」ということで、「初級Ⅱ」の「三級漢字」が入るところぐらいからやり直させました。「わかる、わかる」と嬉々としてクラスに通い始めたのですが、そのうちに、「先生、この『言葉』の『漢字』はこうだったのか」と目をキラキラさせるようになったのです。

 彼が、(その部分を)勉強していた頃は、まだ、単語の意味もおぼろげでしたから、それに繋がる漢字というものも、(言われた通りに練習はしていたものの)「わけのわからぬ存在」にしか過ぎなかったのでしょう。

 彼の覚え方というのは、私たちが言うところの「系統だった覚え方」ではないのです。一年ほどを勉強していても、そのやり方では無理だったのです(年齢が、他の学生達に比べて高かったということもありますが)。「単語一つにつき、一つの漢字」というものでした。それから卒業するまで、多分、彼は「漢字」だけは、積極的に勉強できたと言えましょう。日々、発見がありましたから。と言っても、覚えられたのは、気になっていた「名詞」と「動詞」だけでしたが。

 「意味」と一体になれたら、「漢字」の勉強というのは、面白くなります。けれど、それから半年も経たぬうちに卒業してしまいましたから、「漢字」の勉強もそれで切れたでしょう。専門学校では、「専門」分野に力こそ入れ、「日本語教育」には、それほどの力は割けないというのが実情でしょうから。

 今は、日本の「入管」の方針も変わり、「大卒」であるか、「四級合格」しているかが、日本の日本語学校で勉強するための条件となっています。面白いことに、「非漢字圏」出身の「大卒者」に、日本語の勉強の仕方を納得させるのは案外難しいのです。一年ほど経ってやっとわかると者もいるくらいですから。けれども、高校を卒業したばかりの者であったら、大丈夫ですね。教えやすいです。本当に「鉄は熱いうちに打て」です。

 「日本ではこう。日本語の勉強はこうやる。それ以外考えるな」で、それだけで、大丈夫なのです。他のやり方をしようとしたり(だれか他の人に聞いて)したら、私が前に出て、一人ひとり「締め上げ」ます(言葉としてはこうですが、そこまでしなくてもいい場合も多いのです。ただ、叱る時は、私も必死です。生半可なやり方では叱りません。叱る時には、「刺し違える」くらいの覚悟で叱りつけます)。それを二・三度繰り返したら、素直に、漢字を書き、読み、幾通りもの読み方を一つ一つ覚えようとしてくれるようになります、大半の若い人たちは。だいたい、三ヶ月が限度でしょう。その間、こちらがそうやっても変わらなければ、まず、無理ですね。

 これができないのは、大卒者に多いのですが、従来のやり方を変えられないのです。そういう習慣さえついたら、後は、私としても、彼らが道に迷った時に、出張っていけば事足りると言うことで、脇でニコニコ笑いながら見ていられるのですが。
 それ以上は、私の体力が持たないのです。次に来る新しい学生の方に、「重心」を移します。

 日本で成功している(うまく大学に合格できた)学生というのは、このレール(私たちがひいた)を素直に踏んで歩いていってくれた人が大半なのです。人によって、やり方は違うと思われるかもしれませんが、いわゆる「学ぶ上での『王道』」というのは、人によっても、それほど違わないのです。また、そのやり方が判っている人なら、一人で勉強して、学校には来ないでしょう。人は、「学び方」が判らないから、学校に来るのでしょうから。

日々是好日
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「祈るべき天と思えど天の病む」(石牟礼道子)。「アルバイトがやっと見つかった」。

2009-07-22 10:02:16 | 日本語の授業
 来る時は、雨も止んでいました。静まりかえって、時間が停止しているかのような空間を、泳ぐように、自転車を走らせて来ました。が、また、雨が降り出してきたようです。重い、まるで「梅雨時」のような雨です。

 「梅雨」の最中は、晴れの日も多く、一瞬、今年は「空梅雨」ではないかと思ったりもしました。が、あの期間、十分に降りきっておらず、雨の思いも中途半端で終わっていたのでしょう。その「降りたい」という思いを晴らすべく、今朝の雨があるのかもしれません。終わったかと見えて、「まあだだよ」と言ってみせる、そんな雨の表情が浮かんでくるようです。ただ、中国地方では、梅雨の最後によく見られる「集中豪雨」が町や村を襲い、死に人も出ました。

「時により すぐれば 民の嘆きなり 八大龍王 雨やめたまへ 」(源実朝)

 「自然」は、「人知」の及ばぬ存在というよりも、人の遙か上に位置するもので、人はただ、彼らに対し、「嘆き哀しみ、そして、祈る」しかないのです。

 然るに、現代世界においては、「祈るべき天と思えど、天の病む」とでも呟きたくなるような存在に成り果てようとしています。強烈なしっぺ返しが来るにちがいないと思っているのは、水俣に住み、病んだ海、そして大地を丸ごと懐へ入れようとしている石牟礼道子だけではありますまい。

 日本人が、「天」に見て来たのは、「日本古来の神々」と同じ姿であり、その神々というのも、ある意味では、「ギリシアの神々」にも通じるような、泣いたり笑ったり、怒ったり恨んだりする存在でした。その「神々」は、一時期、「仏教」に圧されて、どんどん姿を隠していきましたが、それでも、野山に行けば、親しく交わることができました。

 それ故、大地がとよむような地震がきても、津波が人々を襲っても、台風で何もかもがなぎ倒されても、「自然」から、心が離れることはなかったのです。

 とは言いながら、日本人が「天」と言う時、そこには、中国的な「絶対者」としての存在も含まれています。日本人も、「天」という言葉の字義には、裏表を用いてきたようです。自分らの苦しみや哀しみを判ってくれる存在としての「身近な神の部分」と、人を蟻ン子のように簡単に踏みつぶすだけの「無慈悲な部分」とに。

 こう書き進めていると、ネパール人学生、Rさんが、珍しく早くやって来ました。硬い表情のまま「クラスを変わりたい」と言うのです。「午後だったら、アルバイトがある…」。
(今の彼の「クラス」は、1時15分から4時45分までなのです)。まだ「初級Ⅱ」に入ったばかりの、彼のレベルでは、自分の好きな時間にアルバイトをするというわけにはいきません。しかも、他の人たちのように、友達や親戚が日本にいるというわけでもありません。捜すのは自分。電話をかけるのも自分なのです。

 話を聞いてみると、アルバイト先は、お弁当の工場で、しかも、一昨年、いろいろな意味で評判が悪かったネパール人は一人もおらず、インド人だけと言います。彼は、ヒンディ教徒ですから、ヒンディ語を話す北インドの人たちとは意思の疎通ができます。インド人の人たちに聞いたら、「ここはいいよ。みんな親切だし」と言ってくれたというのです。

 それから、二人で、お金の計算をしました。一時間850円からと言います。彼は就学生ですから、一日に4時間しか働けません。それで、一週間でいくら、一ヶ月でいくらと計算していきます。大学に行きたかったら、これくらいが必要になる。ということは、一ヶ月にいくら貯金しておかなければならないかを考えます。

 もっとも、ずっとアルバイトを探し、何度も断られた末に、やっと見つけたアルバイトです。嬉しい、ホッとしたが先に立って、話はそれほどまじめに聞いていなかったにちがいありません。それに、「クラスを換わりたい」と言ったら、どんなに叱られるだろうと心配していたでしょうし…。

 けれど、朝、来たばかりの時の引きつった表情と、「いいよ」と言われた時の表情を比べてみると、いかに安心したのがよく判ります。ネパールと日本とでは、物価が違いますもの。手持ちのお金がどんどん減っていくのを見るのは辛かったでしょう。

 ただ「勉強はする。漢字は一人で勉強していく」という約束はしてもらいました。頭もいいし、若いので、来日後のこの三ヶ月ほどに、日本流の勉強の仕方を少しはマスターしたでしょうから。「Eクラス」は開講したばかりのクラス。そこに安住していたら、大学は遠い存在になってしまいます。私たちもチェックしますが、何よりも本人の自覚が大切なのです。それに漢字圏の学生と違い、一度落ちたら、なかなか元のクラスには戻れません。それを彼がどれほど自覚しているのかは判りませんが。

 ただ、非漢字圏の学生の場合は、日本語学校の二年間(最長)と大学の4年間を合わせて考えるようにしています(ここで、まじめに頑張った学生は、だいたい大学一年か二年くらいで「二級合格」しています)。

 普通の能力を持っていても、来日後、文法や単語だけでなく、漢字も学ばねばなりません。しかも、「二級」程度の漢字をマスターしても、それを読みこなしたりできるレベルまでは、二年足らずでいくのは至難の業です。二年では、まず無理と考えていた方がいい。その学生の将来性を見ることのできる大学が、(二年間でこれくらい出来たと言うことを加味して)入学を認めてくれることを望むばかりです。

 彼等の母国では、優秀な学生だったようですから(日本人が開いている日本語学校で、日本語を学び、その人が、来日の手続きをしました。その上、来日時は、その学校で事務をしていた日本人が、成田へ迎えに行ってくれました)。

 とにかく、今年は12月の「三級試験」合格を目指します(四月生)。今年の四月生のうち、漢字圏の学生は「二級試験」合格を目指します。

 まず一歩一歩。曲がりなりにも、アルバイトができることになって、本当に良かった。外国でお金の心配をしなければならないのは、とても辛いことです。それを18歳か、19歳くらいでしなければならないのですから。

日々是好日
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「日光『事前授業』」。「クラスによって、『授業のやり方を変えるべき事』」。

2009-07-21 08:18:45 | 日本語の授業
 今日一日、曇りではあるが、蒸し暑いはず…でしたが、まるで秋のような涼しさです。その上、こうしている間にも、雨がぱらつき出してきたようで、道を行く人が、傘までさしています。

 昨日は疲れました。朝から学校に来ていたのですが、気がついたら既に暗くなっていました。それも、今日の「日光の事前指導」のためなのです。「日光」を語るためには、「日本の歴史」のうち、「安土桃山時代」を、少々入れなければならないのですが、ここで躓いてしまいました。「基本」的な事項もまだ入っていない学生に、何を先走りして語るのかと、また、途中で思い始めたのです。

 私の授業は、いつもこうなります。まず、語りたいことがある。判ってもらいたいことがある。それが先なのです。つまり、「後ろの結果」から、順繰りに引いていって、「最初」を決めるのです。勿論、これは、「一級後」の授業に関してですが。

 というわけで、CDを起こしているうちに、考えが変わり、またやり直しというのを二度ほど繰り返してしまいました。どんどんやるうちに、これもまだ知らない。これもまだ入れていないという箇所が次から次へと出てきたのです。

 まずは、「基本」、まずは「基本」これを何度も言ってみます。それから、「授業の流れ」。そして、最後に「色つけ」であり、「主張」、「歴史観」です。

 実は、初めは「信長・秀吉・家康」という、天下取りの三人衆を入れ、次に、現実に「神となった男二人」を語り、「日光東照宮」という宗教的な部分を出すようにしようと考えていたのです。「明神」と「権現」は、東京付近にいる限り、よく聞く神の名でもありますし。

 それで、支度をしていたのですが、90分では無理なのです。二回に分けたとしても、合わせて180分。夏休み前に「近現代の世界」を半分ほどは入れておきたいので、当然そんな時間はとれない。というわけで、そこは一歩譲って、「秀吉・家康」と「神二人」にすべく、授業の流れを考えたのです。けれども、信長なくして、安土・桃山を語れるかというと、それはできない相談。

 で、「神二人」は止めにして、「信長・秀吉・家康」の天下取りを、まず「年表」を用いて説明し、それから、DVDを見せ、「安土桃山」を終える。そして、残された40分ほどで、「東照宮」の説明に入る。そう決めた後、「年表」作りと、主な「単語」などを入れた「プリント」作りをやっと始めることができました。どうにかこうにか、形らしきものができあがった時には、既に7時を廻っていたという次第。

 1時か2時頃には、帰るつもりでしたから、お腹は空いているはずなのに、こういうことをしていると「飢え」は感じないものと見え、ずっと腰掛けたなりでした。それでも、二、三回は立ち上がったでしょうが、やはり、生来の怠け者と見えます。

 この学校で、学生を「日光」に連れて行くのも、既に二度目。その都度、「事前授業」はしているのですが、学生が変わるたびに、「内容」も「形」も変えざるを得なくなり、その度にオタオタするというのも困ったものです。彼らの「日本語のレベル」や、授業を受ける時の「態度」も関係しますし、勿論、私の方で、その間、どれだけ(そのことに関する)DVDのストックができているかということにもよります。けれども、何よりも、彼らの「好奇心」が大切なのです。「上級後」や「上級中」ともなりますと。

 「初級」レベルであれば、「クラス全体」の資質とでも言いましょうか、それが授業の「形態」や「速度」を決めます。バアッと進められるクラスもあれば、バアッと進んでもいいけれど、必ず、何回かごとの復習に時間をかけねばならぬクラスもあります。これは、そのクラスを教えていなければ、判断がつかぬ事です。

 特に「初級」段階で、また「クラスとしての体をなしていない」状態であれば、そうです。まず、「クラス」としての形を作る。それが出来てからこその授業なのです。そのためには、多少時間がかかってもしょうがない。「この学校では、こうする」というのを、その間に、全きまでに、知らしめるのです。

 それが出来てからは、多少速く進めていこうが、教師と学生との間には、(勉強に関しての)信頼関係が出来ていますから、それほど問題は起こらないのです。耐え切らなくなったら、「先生、もうだめだ」と言いますから。

 まあ、これは冗談で、そう言わせぬように、彼らの状態を見ながら、ジワジワッと進めていくのです。ただ、「クラス」構築のためにかける時間は、一見無駄であるように見えても、決して無駄にはなりません。必ず、あとの一年乃至、一年半ほどは、教師を楽にしてくれますから。

 で、今日は、学校に来てから、ブログを書くことなく、まだ「事前指導」の準備をしています。こういうものは、たちが悪い。今日が終わるまで、落ち着きません。「授業」が終わってしまうまでは、どうもまたイライラとしながら、日を過ごしてしまいそうです。

日々是好日
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「(己の能力を顧みず)先走ろうとする人は、伸びない」。

2009-07-17 07:57:12 | 日本語の授業
 待望の「お湿り」です。「梅雨明けって、本当はいつだったの?」と聞きたくなるくらい「梅雨」の最中も、猛暑が続いていました。

 今朝の雨で、ホッと一息がつけました。「茹だるような暑さ」でしたもの。「午前の学生」達が、昼ご飯を食べに出たり、近くのスーパーから(お昼ご飯を買って)戻ってきた時の顔は、全く「茹で上がったタコ」でした(可愛い女の子が多いので、彼らがこれを見ないことを祈ります。可愛い顔をしているくせに、怖いのです)。午後の学生もそうでした。ハアハア言いながら、「先生、暑い。暑いよう」と学校にやって来るのですが、こちらとしても、どうしょうもない。「日本にいるのなら、馴れろ」としか申せません。

 「夏休み」まで、あと半月ほど。それまでは、我慢・我慢の毎日です。といって、「A・Bクラス」の学生達には、自習室での勉強を勧めていますから、「夏休み」でも、気は抜けないし…。

 今年の「A・Bクラス」のことなのですが、このクラスの(高校を卒業したばかりの)学生達は、本当に子供のように素直(ある意味では、小学生さんか、中学生さんのよう)です。日本語が上手になると共に、生意気な口は、随分たたけるようになりましたが、いざ勉強となりますと、すっと態度を勉強モードに戻します。彼らは、多分、国でも、いい先生に恵まれていたのでしょう。

 それが、こちらの言うことを聞かずに、「おまえのことなど信用しない、どういう試験があるのか教えろ、自分で考える」とばかりの態度をとる中国人をみると、彼らの(中国の教師が)よほど質が悪かったのだろうと、頭に来るより、却って同情してしまいます。

 こういう学生は、その態度を変えることができない限り、日本ではやっていけないでしょう。私にしても、ああ先が見えているなと思うだけで、可能性のある学生の方へ気持ちは流れていきます。教えてもどうにもならない人には、教えるだけ無駄です。この学校では、学に値する物は出しています。それが学べないのは、本人の問題です。ここは、「義務教育の場」ではないのですから。そういうことは、自分の国で、義務教育の段階で学んできて欲しい。

 しかしながら、こういう人は、いい学校、いい教師、いい授業に出会ったことがないのでしょう。そうとしか思えないのです。だから、見分けがつかないのです。いい学校、いい教師、いい授業に会ったことがある者は、経験として、それが蓄積されていますから、ピッピッピと反応します。それで、勉強に集中出来るのです。それに比して、そういう経験のない彼らは、何という理由もなしに、ただ先ばかり見て、焦ってしまうのでしょう。

 初めは、一応、来たばかりということもありますから、落ち着けるように説明をしてやりますが、だんだん、腹の中でどう思っているかが判ってきますと、あとは、もう放っておくより仕方がありません。こう考えている人には、説明の仕様がないのです。言ってやっても「(母国での)先入観」が先立ち、それに引きずられて、こちらの言葉が入っていかないのですから。

 こういう人がこれからどうなるか、或いは、どうなれるかは、「(日本の、この学校では)学校の言う通りに、やっているだけでいいのだ」ということが、いつ判るかで決まります。もし、三ヶ月くらい経っても判らなければ、多分、中国にいた時と同じような失敗をすることになるでしょう。
 勿論、日本では大学の数も多く、レベルも様々ですから、東京圏という指定や、学費の多寡を問わなければ、おそらく誰でも(普通の能力を持っている中国人)、大学に入ることは出来るでしょう。卒業できるかどうかは、また別の問題ですが。

 ここでは「『初級Ⅰ」を三ヶ月、『初級Ⅱ』を三ヶ月でやる」と言いますと、「遅い。そんなペースで大学に行けるのか」と言います。私から見れば、そういうスピードでついていけるのかどうかの方が問題だと思うのですが。「まず、自分の能力を知ってから言え」です。

 速ければいいのなら、いくらでも速くできます。実際に、去年も、「能力がある」と見た学生には、速くやりましたし、早め早めに教材も与えました。彼女は去年の7月に「イロハ」から初めて、12月の「日本語能力試験(二級)」に合格もしました。試験に合格しただけでなく、「(言語における)四分野」のバランスもとれています。試験のためだけの、日本語の授業をしたわけではないのです。彼女は出来ると思いましたのでそうしたのですが、こういう人は、無理でしょう。消化できないと思います。それほどの能力はないのです。

 能力のある人は、まず、自分を知っているか(これは難しいところですが、ここでは「先生、(授業の速度が)速い」とか、「先生、ついて行けない」とか、子供でも言えるくらいの認識で、です)、「自分では出来ないから、とにかく先生を信じる」が出来るものなのです。

 こういうことも、日本に来てから、二・三ヶ月も経ちますと、だれでも、自然に判ってくることなのですが。

 「三級レベル」より少し下であれば、やはり「イロハ」から始めた方がいいのです。遮二無二、日本へ来るために「試験用」の勉強だけしてきた人が多いのが実情なのですから。そういう人の多くは、基礎が出来ていないのですから。「拍」にしても「音」にしても。それが、きちんと出来ていなければ、上へは築いていけません。土台が弱ければ、結局いくら努力しても、なかなか上達できないであろうということは火を見るよりも明らかです。ただ、先走る人は、「速く」と思い、「土台を築く」ことを無駄な時間と見てしまうのです。

 「急がば回れ」を実行できるのも、能力。教師の言うことを「信じられる」のも、能力。
この二つとも、出来ないようでしたら、それは、「それなり」であるままでしょう。

日々是好日

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「水を打つ」。「日本では、誰でも学べる『知識』なのに」。

2009-07-16 09:09:21 | 日本語の授業
 昨日も暑かった。一昨日も暑かった。今朝も、暑い。学校に着いてから、日が上がるにつれ、気温がどんどん上昇していくのがわかります。花の水遣りを兼ねて、朝、水を打っているのですが、それも、おっつきません。文字通り、焼け石に水なのです。朝夕、「水を打つ」という言葉も行為も、本来の意味から言うと、もはや、死語に近い状態になっているのかもしれません。だいたい、打つべき対象が見あたらないのですもの。周りは、土ではなく、アスファルトなのです。

 最近は、「水打ち」というのは、「地球を冷やそう」「東京を冷やそう」というキャッチフレーズの下で、「真昼に、大勢で、元気よく」やる行為に変わっているかのようです。

 「来客前に、庭に水を打って、清めておく」というのも、人に知られないようにする、いわば、奥ゆかしげな行為と見えていたのですが、こうなると、どうもそういう印象では語れませんね。言葉も行為も、あらたな意味を与えられて、全く別なものとなったようです。

 ところで、学校です。
 「A・Bクラス合同」の「近現代史」は、昨日で七回目を迎え、DVDも三集目に入りました。

 一昨日のことです。午後の自習室に、その日の新聞の切り抜き(ルビを打ったもの)を持って行くと、暑苦しいほど学生たちで埋まっていました。しかも、その状態でありながら、エアコンをつけていないのです。気を利かせたつもりで、つけようとしたのですが、「先生、つけないでください。これでいいです」と、皆が口を揃えて言うのです。自然の風の方が気持ちがいいからと、真っ当なことを言うのです。

 そう言われてみれば、自習室は、東向きで、お昼からは、日が差し込まない。その上、窓とドアと三方を開け放てば、風も通る。確かにその方が気持ちがいいのかもしれない。そう思っていると、スーダン人のSさんが、急に、真顔になって、私に「大学で何を専攻したのか」と聞くのです。

 どうも、彼女は、私が大学で歴史を専攻したに違いないと思ったようなのです。私が、DVDを見せながら、「近現代史」の説明をしているからなのでしょう。が、その(私が話す)内容とても、日本人から見れば、一般的なことにしかすぎず、その上、説明に用いる日本語のレベルもしれたものなのです(彼らの日本語のレベルも、せいぜい「一級」か「二級」レベルにすぎないのですから。学び初めて一年にも満たないものが大半なのです)

 けれども、Sさんの国(スーダンだけではなく、中国も、インドでも、スリランカでも同じです)では、そういうわけにはいかないのでしょう。多分、「日本人なら、当たり前のように、テレビを見て、知っている。常識に属するような」知識も、大学で専攻したものならいざ知らず、普通の人なら、決して目にすることができないというものなのでしょう。

 それで、「大学で歴史を専攻した者が、どうして日本語の教師になんかなっているのだろう」と不審に思って、聞いたに相違ありません。
 そこで、彼女に説明を始めました。
「私は、大学で歴史を専攻していないし、自分がここで話しているのは、日本では学校教育で学ぶような内容にすぎないのだ」と。

 勿論、私も、歴史は好きです。けれど、勉強したのは、「小中」の時だけ。後は自分で勝手に本を読んだり、テレビの歴史関係のものを好んでみてきただけなのです。これくらいの知識は、日本人で「歴史好き」であれば、誰でも持っているものなのです。

 けれども、私が使った「これくらいの知識」という言葉が、彼女には通じないようなのです。どうして、「あれが、『これくらいの知識』なのか」と思ったようなのです。Sさんも、スーダンの大学を出ていますし、いわゆるインテリです。その上、日本語の学習態度を見ても、彼の国にあった時には、勉強好きであったことがわかります。けれども、普通の日本人がもっている、或いは持つことができる知識ということに関して、どうも心の中にストンと落ちていかないようなのです。

 日本では、「明治の世」から、まず「国民」を「啓発・啓蒙」するための努力が、官民挙げてなされました。国民自体の知識レベルをあげていかなければ、欧米に追いつき追い越せないと思ったのでしょう。たとえ、多少「思い込み」で、間違った方向のものが含まれていたとしても、(一般大衆にまで)知識を遍く広めていかねばならないという頑ななまでの信念が、官の上層部から、知識人の多くにまで、あったのです。勿論、「技術」は、また別です。「科学技術」めいたものは、あっという間に習得出来ました。つまり、その「素地」が、江戸時代に既にあったということなのでしょう。


 いいのか悪いのか、それは、私にもわかりませんが、「明治の世」から、知識人や学者達の仕事の大部分は、「一般庶民」を「啓蒙」することのために費やされました。つまり、欧米の思想書や文学、芸術、その他ありとあらゆるものの翻訳です。「研究」は、その片手間になされたと言った方がいいくらい、たくさんの「翻訳物」が出版されました。勿論、研究者は、厳然として存在していましたが、そういう「職人的な研究者」以外は、まず「国民の資質をあげなければ」という思いにも燃えていたと言っても過言ではないでしょう。

 これは、少し前までの日本的経営で代表されていた「会社」でもそうでした。後を継ぐ人を育て上げることが出来るのが、「良き先輩社員」だったのです。会社が「教育の現場」でしたし、また職人さんを育てる工場も「教育の現場」でした。どこでも、教育だったのです。「手を取って教えてもらう」のは、無理だとしても、「(芸を)盗む」ことは自由だったようです(それにも「資質」が必要ですから)。きっと、当時の職人さんからすれば、「盗めるもんなら、盗んでみやがれ」とでもいうところだったのでしょう。

 その証拠に、「こいつは(できる)」と思ってもらえたら、首根っこを押さえつけるくらいの勢いで教えてもらえたのですから。その教え方には、(先生たる職人さんや会社員たちのそれなりの)いろいろな個性があったとしても、同じ会社に10年、20年いるうちには、叱られたことの意味も判ってきたでしょうから。上の人たちが退職する頃には、「叱っていただいて、ありがとうございました」というのが自然に口から出せたのでしょう。

 ところで、スーダン人のSさんです。何度も聞きました。「日本人なら、誰でも、先生のように知っていますか」。
 私も何度も答えました。「専門家はもっと知っていますし、これらに対する考え方も各自が持っています。日本にいて、日本語がわかったら、テレビや新聞・雑誌などで、これに類することは、たくさん出ています。こういう物が好きであったら、努力しなくても、自然に身につきます」

 日本のすごいところ(日本人の私が言うのも何ですが)、或いは、日本人のすごいところは、こういう、「(彼らから見れば)専門的な知識」を、読んで楽しむ一般大衆が、かなりいるということでしょう。買う人がいなければ、売れませんから、誰も作りませんし、出版しません。売れるから、常時出ているのです。他の国では、こういう損にも得にもならない知識は、売れませんから、出版もされないし、見る人がいないから、テレビでも流さないのでしょう(勿論、国によっては、政府がそういう情報の流通を遮っている場合もありますが)。

 「得にならなくとも、国民を啓蒙していかなければならない」という確固たる信念が、国になければ、半分国営放送のようなNHKが、そういう番組を作ったり、また作ったとしても、放送したりはしないでしょう。また「かつての日本」には、そういう意識が国や社会の中枢にいた人々にあったと思います。そうでなければ、幕末の弱小国、日本が、どうして、「大国清」や「ロシア帝国」と戦えたでしょう。あっという間に欧米列強の植民地になっていたとしても、少しも不思議ではありません。その上、第二次世界大戦で、木っ端みじんに砕かれた国と国民が、いろいろな問題はあるにしても、どうしてここまで頑張れたのでしょう。

 日本にいたら、「当たり前」とも思われる「これらのこと」は、他国の人から見れば、決して「当たり前」の事ではないのです。どうしたら、そういう知識を得ることができるのか、それさえ判らない人、あるいは、そういうものがあることさえ知らない人が、世界中には、たくさんいるのですから。日本にいたら、チャンネルさえ切らなければ、そういう知識を、座ったままで、かなりの程度、目にし、耳にもし、また身につけることができるというのに。

 本当に世界は、「不平等」です。

日々是好日
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「梅雨明け」。「本格的な夏」。「『地図帳』から見た『暑い国』と、『体感』との差」。

2009-07-15 07:31:48 | 日本語の授業
 昨日で、関東地方も「梅雨明け」となり、これから、「本格的な夏」が始まるようです。が、朝晩の風は、既に秋色を含んでいるような、そんな涼しさなのですから、不思議と言えば不思議。けれども、こういうのが「四季の移ろい」というものなのでしょう。
 
 とは言うものの、学校に着けば、汗は噴き出しますし、昼は文句なしに暑い。職員室でも冷房が必要となってきました。ここは、四方八方から風が通りますので、ある程度、風さえあれば、冷房なしでもなんとかやっていけるのです。それに、皆、冷房はそれほど好きじゃないし。

 けれど、教室はそうはいきません。朝、教室のドアを開けるなり、ムッとした空気に襲われます。だいたい、朝、七時前後に空気の入れ換えをすれば、9時頃までは、心地良く過ごせるのですが、学生が来始めるともうだめです。9時少し前から、学生がドッとやってくると、途端に熱気にでも包まれたかのように、教室の空気が膨張してきます。

 それでも、朝はまだいいのです。朝は、草花への水遣りを兼ねて、道に水を打っているので、道からの風も過ごしやすいのです。それが、午後ともなりますと、完全に渇ききっていますから、直接、アスファルト道からの熱風と照り返しを浴びることになります。

 それで、冷房をガンガンに入れてしまうのですが、クラスの中には、「暑がり屋」さんと「寒がり屋」さん、それに「冷房嫌い」さんとが、混在しているので、そうはうまくいきません。しかも、既にこのクラスで、三ヶ月ほどは一緒に勉強しているわけですから、もう互いに、少しの遠慮もしなくなっています。

 「暑い」だの、「寒い」だの、はたまた「止めてください」だの、「つけてください」だの、みんな勝手なことを言いますので、ほんに気忙しい。結局、「自分たちでやれ」と、下駄を預けるならぬピッピ-(リモコン)を預けてしまうのですが、この時、強い中国人の女の子がいると、うまくいきますね。

 だいたい、第三社会の人は、かなり強烈な「男尊女卑」的思想を抱いてやって来ています。多分、表面上はともかく、腹の中では、「男尊女卑」です。
 それが、日本へ来て、日本語学校へ入るなり、(教師によって)一つ一つバッサリと切り捨てられますし、しかも、半分ほどを占める中国人学生のうち、圧倒的に女子学生の声の方が強いのですから、自然、黙らざるを得ません。在籍している人のうち、そんな中においても、時々、声を上げることができるのは、ヒンズー教徒のA君ぐらいでしょう。勿論、その度に、中国人女子学生に、集中砲火を浴びせられ、満身創痍となり、撃沈させられているようですが。

 ところで、学生達も、暑いところから来たから、「暑さに慣れている」というわけでもないし、寒いところから来たから、「暑さに弱い」というわけでもないようです。

 「Eクラス」でも、中国の大連から来たNさんが、「先生、エアコンを止めてください。寒いです」と言ったかと思うと、北インドから来たKさんが、「先生、大丈夫。暑いです」と言う。結局、つけたり、消したりを繰り返すということにもなってしまいます。

 ただ、エアコンの風をまともに受ける席の人は、少々耐えきれなくなるのは、本当のようで、「『暑がり屋』さんは、この辺り。『寒がり屋』さんは、あっち」と棲み分けを自分たちでさせなければならなくなってしまいます。

 そうなってしまうのも、平べったい地図帳を見て、勝手に「暑い国から来た」と思い込んでいる私と、海の近くか、盆地か、或いは高原か、高山か、などのいろいろな地理的要素が絡み合った地から来た彼らとの「体感の差」なのです。彼らには、彼らなりの「夏の記憶」があるわけで、それに合わなければ、それぞれ一種の「不適応」を起こしてしまうのでしょう。その上、日本では「冷房」が、だいたいどこにもあり、しかも、「暑い」所と「寒い」所を、短時間で往復しなければならないわけですから、余計に、その「不適応」が増幅されて感じられてしまうのでしょう。
 以前、スリランカから来た学生達が、「暑い。暑い。日本の夏はどうしてこんなに暑いのですか」と嘆いていたように。

 というわけで、今年、来たばかりの、つまり日本の夏を一度も経験していない学生達の「試練の夏」が始まりました。暑い国から来ている人が多い割には、みな「日本の夏」の暑さには弱いのです。湿度が高いので、「辛い」のでしょう。昼は、風も熱風になっていますし。

 とは言いますものの、「遊び」となるとまた話は違うようです。実は月曜日に、スリランカから来たNRさんが、学校を休みました。お兄さんもこの学校を卒業しましたし、休んだり勉強をまじめにしなかったりすると、檄が飛ぶことになっているので、無断欠席ということは、まず、なかった学生です。

 その彼が昨日(火曜日)早めに来て、
「先生、ごめんなさい。とても疲れて起きられませんでした」
というのです。

 アルバイトも、まだ見つかっていないはずなのに、理由を聞くと、日曜日に名古屋で、200人ほどのスリランカ人が集まって、クリケットの試合があったと言うのです。早朝、バスで名古屋へ行き、試合をし、親睦を深め、そして、夜にまたバスで戻ってきた。で、月曜日はどうしても起きられなかったというのです。

 無断欠席は、言語道断ですから、きつく叱り、もう二度としないと言わせはしたものの、青菜に塩状態で、元気がなかった彼が、ニコニコとまた明るさを取り戻していましたから、スポーツというのは、すばらしいもののようですね。スポーツをしただけでなく、「たくさんの(同国)人に会えた。いろいろな(同国)人と話した」と、目をキラキラさせながら話していましたから、またこれからしばらくは頑張れることでしょう。

日々是好日
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「迷子」。「言葉のゲーム(『からかい』の限度、 『して良いことと、悪いこと』)」。

2009-07-14 08:06:05 | 日本語の授業
 今日は、朝っぱらから、「迷子」さんで、必要以上に彷徨って?しまいました。実は、この日曜日に、友人と、街を少々自転車で走りまして、「うん、通勤時に、ご飯を買うのなら、この道の方が安全だ」と、思い定めたと思し召せ。で、今日、その道を走ってきたのです。

 ところが、一カ所、私が、どうしても、右に折れなければならない角っこで、犬を連れた御婦人連が、二三人、しかも、広がって、立ち話をしているのを、遠くから目撃したのです。それで、煩わしいことを避けて、その前の角で、右に折れたのです。

 それが、まずかったのです。それから、犬が尻尾を追いかけて、グルグル回りしている状態が続きました。その後、しばらく行ったところで、その先が行き止まりであるように見えたのです。それで、もう一度、折れてしまったのです、あろう事か、右に。今にして思えば、左に折れるべきであったのは、明白なことです。でも、やっちゃったんですよね、まずいことに。それからは、狭い四角の内をグルグル回っていたのです、しばらく。

 「どうもおかしい、様子が変だ」とは感じていましたから、内心、焦りました。こんなところで迷子になって、疲れ果て、その上、着くまでに一時間もかかったらどうしょう。などといろいろ思い悩んでしまうのです。こういう時の常として。けれども、いくつ目かの角を曲がった時に、「あれ、この花見たことある」ということで、ルート変更。

 実はこの時、駅の方に出たなら、道は判るけれども、海の方へいってしまったらどうしようと不安だったのです。だって、あっちの方は全く判りませんから。しかし、途中で、犬を連れた、例の二三人の内の一人、パラソルを差していた人を見かけ、その人に向かって突進。随分懐かしいような気がしました。「ああ、この人知っている」というような感じで。で、気がついたら、例の道に出ていました。

 本当に「僥倖」でありました。ほんの小さなことで、いつも不安を感じたり、ホッと幸せになったり、「方向音痴」の者は、精神的な刺激をいつも感じられて、ある意味では、老いによる「呆け」は、ないのかもしれません。既に、「呆け」ているのですから。

 「呆け」という言葉で、思い出したわけではありませんが、「Dクラス」には、「天然呆け」が、どうも二人いるようです。そのうちの一人には、一ヶ月ほど前に、その「呆け」様に、堪らなくなって、「呆けじゃあ」と喚いたことがあるのですが、昨日は、別の一人が、同じような「寝呆けた」ことを言うのです。それで、「あああ、もう一人『呆け』がいた。『呆け』見っけ」とやらかすと、「先輩呆け」が、キリリとした表情で、「二人じゃありません。三人です。『呆け先生』がいます」と言うではありませんか。

 どうも、寮で、先輩連から、いらざる知恵をつけられているようです。それにしても、よく来日後三ヶ月で、こういうことが言えるようになりました。

 これまでも、二人ほど、授業中、「苛める(からかう)」たびに、抵抗する学生がいました。けれども、そのうちの一人、ネパール人のR君は、来た時からヒアリングはかなりよかったし、中国人のLさんは、私が「覚えろ」と言ったことはすべて暗記するくらいの頑張り屋さんでしたから、直ぐに抵抗できるようになったのも、わかるのですが、ヒヤリングがかなり弱い、中国人の大卒で、しかも、(中国で)三ヶ月ほどしか(日本語を)勉強して来なかった人が、もう(言葉で)抵抗できるようになるなんて、ちょっと驚きました。

 苛めてやるものです、日本語が上手になるのですから。まあ「苛める」というよりも、言葉による「からかい」に近いのですけれども。

 人は誰でも、「やられっぱなし」というのは、嫌なものです。やられても、やり返すことができたら、清々して、気分もよくなります。「やられた」以上に、「やり返す」ことができたら、もっといい気分になれるでしょう。からかわれたら、からかい返す。苛められたら、苛め返す。勿論、それほど深刻な意味ではなく。

 これが、日本語を媒介として、なせるようになれば、大したものです。その上、そうやって、言葉による「遣り取り」を繰り返していくうちに、「日本語」的な思考法というのが、身につけばしめたものですし。

 言葉は「道具」でありますから、それを「己のもの」とするためには、「遊戯」が一番いいのです。けれども、学生は既に大人でありますから、それだけでもだめです。同時に、「理屈」も学んでいかなければなりません。「学ぶ」には、二重三重の構造が必要になります。それに、大人の行動範囲は、子供のそれよりも広いのです。

 学校では、教科書を使い、理解し、そして、練習するというのが一つ。冗談を言い合い、やられたり、やり返したりといった「言葉遊び」をしていくのが一つ。

 その他にも、アルバイトが決まれば、その場での「使用頻度」の高い言葉が、彼らの単語帳には書き足されていくでしょう。が、これは、時々チェックを入れるくらいで、学校では扱いませんから、ここには入れません。

 「いかに、『(日本語を)使わなければならない立場』に追い込むことができるか」というのは、ある程度学習させた後に、教師が考えておかなければならないことの一つです。ただその範囲が問題なのです。「ここまではいい。これより先は止めた方がいい」という勘が、教師には必要となるのです。その場の雰囲気や相手の表情などもみておかねばならないのは言うまでもありませんが。

 相手国の文化や習慣、それに個人差などを考慮に入れながら、「からかい」、相手に「(言葉で)反撃させるように仕向けていく」というのには、かなり高度な技が必要になります。言うまでもなく、その底には、必ず「信頼関係」が構築されていなければなりません。それがあるから、自由に、「からかい」、また「からかわれる」ことができるのです。

 それから、もう一つ、大切なことがあります。もし、その人(学生)が、「(教師に)からかわれる」ことによって、必要以上に教師に馴れ親しみ、「ここが学びの場所である」ということと、「相手は、教師である」という「前提」を崩す恐れがあるならば、こういうことはしない方がいいのです。「しない方がいい」というよりも、決して、してはいけません。

 「はい、授業」と、私(教師)が言った時には、すぐその体勢に入ることができる人でなければならないのです。誰にでも「からかって、(日本語を)上手にさせてやっていい」というわけではないのです。

 すでに、来日後、一年が過ぎた「Aクラス」にしてもそうです。休み時間に、言葉のやりとりで、大笑い、大騒ぎをしていても、私が「さあ、授業。教科書の90ページを開いて」と言った途端、直ぐに、皆は「授業モード」に転換することができるのです。
 もし、これができない学生が多くを占めているようでしたら、つまり、「自由時間」と「授業時間」の区別をつけることができない人が多かったとしたら、私はどうするでしょうか。

 多分、嫌々ながらも、こういう人たちに、「つけ込まれ」ないように、ポーカーフェースで、淡々と授業を進めていくという形をとらざるを得ないでしょう。他の人が持った「クラス」を、途中で受け継いだ時には、初め、このような形で、クラスを再構築する場合が多いのです。というのも、多くの場合、こういう「クラス」は、弛緩しきっているからです。

 ただ、教室に一人ぐらいそういう人がいても、大丈夫。私が言うまでもなく、他の学生から「非難の矢」がビシビシ飛んできますから。そういう人が混ぜっ返そうとしても、そうは問屋が卸しません。しかし、これも、昨日今日で、できることではありません。ただ、限度はあります。なんと言っても、「学校」ですから。情況で異なりはしますが、時間がかかった場合でも、一ヶ月以内で、これ(クラスの再構築)ができないと、もうそこは、「勉強できる所ではない」ということになってしまいます。

日々是好日
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「合同授業」。「一級後」。「『資質(含好奇心)』と『日本語力』」。

2009-07-13 07:52:01 | 日本語の授業

エノコログサ

 久しぶりに「きれいな陽」を浴びて学校へきたような、そんな気がします。空き地や駐車場の「エノコログサ」は、陽に映えて、キラキラと金色に輝いていました。「タンポポ(蒲公英)」の綿毛が飛んだ後の空き地は、一面の緑の姿で燃えています。

 そういえば、随分前の若い頃、植物学者としても高名であった、亡き昭和天皇が、「雑草なんて草はない」と、珍しく気色ばんで言われたことがあったという記事を読んで、感動したことがありましたっけ。本当にこの世には、「雑草」なんて草はないのです。何でも十把一絡げにしてしまえるような存在などないのです。この世には、皆、「何事かをなすべく」、役割を持って生まれてきているのですから。

 さて、「Eクラス(7月開講)」も、それなりに落ち着いてきたようです。言い間違えやら、勘違いやら、いろいろと笑い話はありますが、皆、クラスメートに笑われるたびに、親睦を深めていけるような、そんな雰囲気になっているようです。

 「Aクラス」と「Bクラス」は、「上級」後と、「上級」勉強中という、「日本語能力の差」はあるにしても、勉学に対する「態度」は、ほぼ同じであると言えましょう。ですから、二時間ほどを「近現代史」の時間に費やしても、それほど問題はないのです。ただ、「合同授業」ということになりますので、席取りが大変、月曜日の朝は、てんやわんやということになりそうです。

 なんとなれば、後から「Bクラス」の教室へ後から行くことになる「Aクラス」の学生達は、座席位置が、絶対的に不利です。そこで、対策を考えた結果、「『早い者』順」ということになったのです。

 ということで、先週から、月曜日の朝、早く来た者から、順に席を自由に選ばせ、一週間、後半の授業(合同授業)はその席で受けるということにしたのですが、前もって、そのことを学生達に告げていなかったせいもあるでしょうし、「能力試験(1・2級)」の翌日ということも関係していたのでしょう、いつもとは多少、早く来る顔ぶれが変わっていました。いつも早く来ていた学生達が、あの日ばかりは、のんびりと来てしまったのです。来てから「えっ!」となったようでしたが、それはそれでしょうがないですね。「生存競争」ですから。こういうことには、予告なしに「巻き込まれる」ものと相場は決まっています。

 ところで、このような、「上級」が終わり、一般的な、いわゆる「常識」を見せ、また教えていくという授業になりますと、学生達に、「柔軟性」や「知的好奇心」があるかないかということが、かなりの程度で問題になってきます。こういうことは、知らなくても生きていけるのです。
 「これはいくらですか」「500円です」が聞き取れなかったら、日本で生活するのが難しいというような類のものとは、質を異にしているのです。
 それに、国によっては、たとえ大学を卒業していようとも、こういう知識を全く習得できていない人もいます。初めて見る映像であり、また知識であるという人も少なくないのです。

 そういう人の中で、これらの知識がどう「こなされて」いくのか、それは、なかなか難しいところではあります。が、こういう知識を持っていないと、国民の大多数が、いろいろな機会にそれに触れたことのある、自由主義国の日本では、日本人や他の先進諸国から来た人たちと互角にやっていくのは至難の業なのです。

 特に、大学進学を目指している学生にとってはそうです。彼らには、この学校で学んだことを活かし、さらに知識を広め、深めていってもらいたいものです。卒業後も、さらに四年間を、日本の「学びの府」に在籍できるわけですから、大学が所有している書籍や視聴覚教材を利用し、もし見あたらなければ、「リクエスト」して、取り寄せてもらい、「世界の出来事(今現在、進行中のものから、かつてあったことまで)」に通暁してもらいたいのです。

 ここで、今、勉強しているのは、そのための、いわば「予習」とでも申しましょうか、突然に聞いても、すんなりと耳に親しめるような内容ではありませんから。私たち、日本人にしても、小中高で、少しずつ幅を広くし、また深みを増しながら、習ってきたのです。その上、学びの機会は、学校教育だけとは限られていません。図書館も、いろいろな問題があるにしても、自由に活用できますし、「リクエスト」もできます。おまけに、娯楽の象徴であった、テレビなどの映像を通じて、世界のいろいろな動きを、目にし、また耳にしてきたのです。

 だからこそ、私にしても、こう大きな顔をしていられるわけで、そうでなかったら、多分、この学生達と同じように、「えっ。そんなことあったの?」とか、(この出来事、この人を知らずして、近現代史を語るわけにはいかないといったものに対しても)「知らない。何、これ?」とか、「だれ、この人?」とか言って、赤っ恥をかいてしまっていたでしょう。

 勿論、日本人のだれもが、近現代史に興味を持っているわけでも、高校レベルの知識を未だに忘れていないわけでもありません。しかしながら、習ったり、目にしたり、聞いたことは、幾度かあったわけです。一度もそういうチャンスに恵まれなかった人たちとは、根本的に違います。
 が、彼ら(就学生)の多くは、日本で進学しようと言うのです。彼らの、日本語の能力が許す限り、また(この学校での)時間の許す限り、大学や大学院、また日本の会社で、出来るだけ困ることがないように、教えていくというのも、こういう日本語学校の務めではありますまいか。

 嬉しいことに、今回の「A・Bクラス」ともに、真剣に授業に参加してくれています。こういうところからも、来年3月卒業する学生達の質が、以前の学生達に比べて、平均的に上がっているのが判ります。
 
 「知的好奇心」というのは、一朝一夕にできるというものではありません。既に二十数年、あるいは、二十年近くを、母国で過ごしてきた人に、「日本に来たから、さあ、今まで関心のなかったことに興味を持て」と言っても、所詮、無理なことです。ただ、そういう「下地」は、ある意味では、資質ですから、それがあるとないとでは、私たちの姿勢も変わってきます。勉強の方に「打ち込んで」、教えることが出来ますから。

 もちろん、「資質」の程度を談じてもしようがないのです。親や先祖を恨んでも、どうにもならないのと同じです。そうではなく、彼らの資質に合わせて、どうにかなることを、学生自身も、そして、彼らが通うことになった学校自体も、考えていくよりほかないのです。それが、彼らにふさわしい「教育」ということにもなるでしょうから。

 ただ、知的好奇心があり、その上、ある程度の日本語能力もあり、また資質もあるという学生には、(この学校では)教えていけることはたくさんあります。できれば、「日本語能力試験(一級)」レベルになってから、一年ほどは欲しいですね、こういうことを教える時間が。

 さて、今、朝の七時です。今日は少し早目にブログの格好がつきましたから、今から下の教室を開け、植木に水をやってきましょう。

 土・日も、そして、今日も晴れの日が続いたからでしょう。「アサガオ(朝顔)」も「ペチュニア」も、渇ききっていたかのように、どんどん水を吸っていきます。ブログに時間がかかってしまい、朝の水遣りの時間がなくなってしまった時には、いつも一番早く来る(内モンゴルから来た)Sさんが、「いいですよ」と言って、教室を開け、風を通し、植木に水までやってくれます。

 これが「Aクラス」のおしゃまさん達だったら、そうはいきません。「先生。お駄賃」なんぞと言って手を出して、一発食らわされるということになってしまいます。
 大人の女性は、やはりいいですね。

日々是好日
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「憂さ晴らし」。「授業の基本(的な心構え)」。

2009-07-10 07:46:19 | 日本語の授業
 「アジサイ(紫陽花)」という花は、梅雨のうちに色褪せ、老いていくものだったのですね。ふと気がつきました。何となく「アジサイ」は梅雨の間中、元気で華やいだ姿を見せてくれるものとばかり思っていたのです。

「アジサイの末一色となりにけり」  小林一茶

 辺りの「アジサイ」も、一色となり、既に力を失いつつあります。日が暮れてしまうと、空き地の草むらでは、「虫の音すだく」という有様です。

 本格的にな「夏」が始まったとも見えないのに、既に秋の気配が忍び込んでいるのでしょうか。

 最近、イライラしている時、思わず、
「東方朔(とうほうさく)は八千歳(はっせんざい)、三浦大介(みうらおおすけ)百六つ(ひゃくむっつ)」
とか、
「桃栗三年柿八年、柚の馬鹿野郎(ばかやろ)十八年」
とかを叫びたくなってしまいます。
 本当は、いつも、声なき声で叫んでいるのですが、実際に、大声で叫べたら、どんなに気持ちがいいでしょう。
 別に、これらの言葉に、特別な意味などないのですが、ただ大声で叫びたくなってしまうのです。

 それに、ムカッとした時には、
「うれたきや 醜(しこ)なる ホトトギス(癪に障る馬鹿なホトトギスめ)」
と呟きたくなるし…。

 さて、学校です。
 昨日は、久しぶりに「中級」に入ったばかりの「Cクラス」に行きました。行ったと言いましても、別に授業に入ったというわけではなく、5分ほど代わりを務めただけなのですが、このクラスには、(上のクラスから、「もう一回『中級』を勉強した方がいい」ということで)タイ人のT君も姿を見せていました。

 で、私は「頼む」表現で、「かえてくださいませんでしょうか」の「説明」と、「練習」をしたのですが、この表現の理解に、ある種の民族性を感じてしまいました。

 T君は、この「ヒアリング」の教科書を使ったことがあります。その時の記憶が深かったのか、あるいは、教科書にメモをしていたのか、それは定かではありませんが、私の説明に異を唱えたのです。

 この「ミニ会話」は、「学生」が「先生(大学)」に「時間の変更」を頼むという設定です。

 私は、こういう情況を頭に描くように言いました。
「この学生は、自分からお願いしたことなのに、その変更を申し出ている。これは非常に失礼なことである。学生もそれは重々判っている。しかしながら、どうしても、そうせざるを得ない事情がある。もう一つの方も、避けるわけにはいかないし、先生へのお願い事も実現させたい。」
「さあ、そう言う気持ちで」とばかりに、軽く流さないで、思いを込めて「言ってみたのです」

 すると、T君は、「悪いことだから、もっと遠慮して言わないといけない」と習ったと言うのです。で、T君の話を聞いていると、彼が、以前習った時の説明と、私の説明とはほぼ同じで、別に違いはない。ただ、どこに力点を入れて(彼が)捉えたかの差であったのですが、気持ちとしては、「(これは)違う」だったのでしょう。

 T君は、以前、説明を聞いた時に、タイ人式の「遠慮」に、さらに、「言いにくいこと」や「(日本人の)遠慮」という意味が、二重三重に重なって、この表現を捉えたようなのです。

 それで、私の「言いにくいが、どうしてもそれを実現させたい」ので、「遠慮しながらも、思いを込めて」やってみた「実演」が、少々不謹慎とまで行かなくても、それに近い形に見えたのでしょう。

 勿論、個人差はあります。が、この、同じ説明をしても、民族によって受け取り方が異なるという点は、私たちが、ややもすると、見逃してしまいがちなことでもあります。

 私も「ヒアリング」は、久しぶりでしたので、ウッカリしていました。それで、一人ずつ言わせて、チェックしようかなと思っていたのですが、用事が終わったと見えて、「授業の主」が戻ってきたので、退散(仮初めの5分間でした)。

 「そんなこんな」のわけで、特に「ヒアリング」においては、時間と条件の許す限り、設定と状況説明に加えて、「(教師による)実演」、そして、学生が実際にやっているところをチェックするということまでが、とても大切になってきます。

 民族によっては「遠慮」が何乗にも加算される場合がありますし、また「やってもらいたいという思い」が強くなりすぎる場合もあります。

 この学校には、一つのクラスに少なくとも、三つか四つの国から来た人や、いくつもの民族がいます。「各民族の習性」というと、少々大げさなのですが、「控えめな表現を重んじる」国から来た人たちと、「主張は遠慮せずに言った方がいい」が習いとなっている国から来た人たちとが、机を並べていることだってあり得るのです。皆が皆、こちらの指示や説明をその通りに聞いてくれるわけでもなく、これは「日本語のレベル」というよりも、「他民族の習慣に対する『理解力』」が問題になってくるところで、学生に要求するばかりではなく、教師の方でもそういう含みは常時心に携えておかねばならぬところなのです。

 最近は、主に「読解」や「一級後」の「知識・常識(開拓の)」授業に引きずられていましたから、すっかり「基本」を忘れてしまったのかもしれません。
 反省しきり。

日々是好日
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