小雨。
「止むかな、それとも、まだかな。もうちょっとかな…」。小雨の時のお空の様子を見る目は、いつもどこかしら気ぜわしい。
今朝もそんな具合で、うちを出た時には小雨。何度見ても、小雨。それも糸を引くような雨で、「こりゃあ、待ってもしょうがない…」と思わせるような具合。で、今朝も早めに出てきました。職場で七時が鳴ると、どきっとしてしまいます。
「初級クラス」は、4月の末から、少しずつ進めてきました。ベトナムの学生は、多分「ひらがな」「カタカナ」は書けているであろうと一応考えて進めていったのですが、豈図らんや、習ってきたことは習ってきていたが、ひどい「字」…。なんてこった、やり直しじゃあです。今はそっちの手当に大半の時間を割かざるを得ないという状態です。
とはいえ、先に「インド」「スリランカ」の、計四人が来ていたので(フィリピンの学生はほとんど問題がありませんでした。少々問題があったとしても、読めた)、分けて手当をすることができましたから、一時に来るよりも、ずっと楽でした。
しかしながら、宿題を見るだけで(「ひらがな」「カタカナ」それから下の線をはみ出して書く癖、「数字」などを訂正し、書き直させることまでいれれば)、一時間以上かかります。わずか10人のノートなのに、情けない(四人は、在日で、書くまでは考えていないようです)。
もちろん、「漢字」に入る前まで…ということです。いつものことですが、幾度間違えた字を書き直させ、それを一ヶ月繰り返したところで、改める気のない人は、改めません。確かに面倒ですからね、彼らにしてみれば。だから、期限を切ってやっています。少しでも変われそうな人は、引き続き見ていきますが。
一応、来週から「漢字」を入れる予定ですので、それからは文法上の間違いと、あまりにひどい「文字」だけを見ればすむということになるでしょう。
スリランカの学生の一人は、「ナ形容詞」と「イ形容詞」とが、ゴッチャになっているようで、「ナ形容詞」に「ナ」をつけぬまま、「名詞」の前に置いてあったりする。
「ナ形容詞」と「イ形容詞」の見分け方なんて簡単なものなのですが、ただ悩んでしまうと失敗する。「い」の付く例外の「ナ形容詞」を覚えていけばいいのです(「初級」には大してありませんから)。ただこの学生(彼に限らず、スリランカ人学生の大半)は、理屈よりも、聞いて覚えるという方面に長けているので、嫌になるくらい、復習で繰り返してやれば、覚えていきます。人にはそれぞれ、得意なやり方があるようで、それを使って伸ばしていけば、双方とも、疲れないし、イライラして傷つくこともない。
この「繰り返し」というやり方。すぐに定着する傾向のある国・民族と、なかなか定着せぬ国・民族があるので、両方が同数くらいで同時にやってきた時には、ちと技術がいる。もとより、この技術というものも、あまりに差がひどすぎると失敗する。なんと言っても小手先の技ですから。その時は、必死にやる方を選ぶ。ということで、スリランカ勢はよく、当方の視線から外されます。
これまでは、「聞き取れて、話せれば、それで語学の勉強なんて終わりだ」ふうの(スリランカの)学生が多かったので、他の学生(ヒアリングが苦手)の練習を見ている間に、「漢字の練習をせよ」と言っても聞きゃあしません。遊ぶか不平を言うかになっていました。「自分は(彼らと違って)できるんだ」というわけです。
「でも、読めないだろ」というのは、こういう手合いには効かないのです。生活力もありますし、その上、おそらくは勘でしょうねえ、「N3」にはだいたい合格します。
とはいえ、「読解」の授業なんて成立しません。読めないのですから。
こちらも年季が入り、こういう手合いにも慣れ、最初の頃のように向かっ腹を立てることもなく、もっとも、スリランカ勢もだんだん変わってようで、今は、多少その気はあるにしても、言われたとおりに宿題をし、書いて提出してくれています。
学校とはいえども、「日本語学校に来る留学生(大人)」の中には、目的が彼我(「非漢字圏」の学生であろうと、在学中に「N2」まではとらせたい、またとりたい)で、違う場合もあったりするので、そこら辺の兼ね合いは、以前は相当難しかった。とはいえ、今は、真面目で頑張っている人が大半なので、そういう意味の苦労はありません。
日々是好日