日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今のところ、宿題を見るにしても、「文字の訂正」と「書き直(させる部分)」で終わってしまっています。

2022-05-31 08:44:16 | 日本語学校

小雨。

「止むかな、それとも、まだかな。もうちょっとかな…」。小雨の時のお空の様子を見る目は、いつもどこかしら気ぜわしい。

今朝もそんな具合で、うちを出た時には小雨。何度見ても、小雨。それも糸を引くような雨で、「こりゃあ、待ってもしょうがない…」と思わせるような具合。で、今朝も早めに出てきました。職場で七時が鳴ると、どきっとしてしまいます。

「初級クラス」は、4月の末から、少しずつ進めてきました。ベトナムの学生は、多分「ひらがな」「カタカナ」は書けているであろうと一応考えて進めていったのですが、豈図らんや、習ってきたことは習ってきていたが、ひどい「字」…。なんてこった、やり直しじゃあです。今はそっちの手当に大半の時間を割かざるを得ないという状態です。

とはいえ、先に「インド」「スリランカ」の、計四人が来ていたので(フィリピンの学生はほとんど問題がありませんでした。少々問題があったとしても、読めた)、分けて手当をすることができましたから、一時に来るよりも、ずっと楽でした。

しかしながら、宿題を見るだけで(「ひらがな」「カタカナ」それから下の線をはみ出して書く癖、「数字」などを訂正し、書き直させることまでいれれば)、一時間以上かかります。わずか10人のノートなのに、情けない(四人は、在日で、書くまでは考えていないようです)。

もちろん、「漢字」に入る前まで…ということです。いつものことですが、幾度間違えた字を書き直させ、それを一ヶ月繰り返したところで、改める気のない人は、改めません。確かに面倒ですからね、彼らにしてみれば。だから、期限を切ってやっています。少しでも変われそうな人は、引き続き見ていきますが。

一応、来週から「漢字」を入れる予定ですので、それからは文法上の間違いと、あまりにひどい「文字」だけを見ればすむということになるでしょう。

スリランカの学生の一人は、「ナ形容詞」と「イ形容詞」とが、ゴッチャになっているようで、「ナ形容詞」に「ナ」をつけぬまま、「名詞」の前に置いてあったりする。

「ナ形容詞」と「イ形容詞」の見分け方なんて簡単なものなのですが、ただ悩んでしまうと失敗する。「い」の付く例外の「ナ形容詞」を覚えていけばいいのです(「初級」には大してありませんから)。ただこの学生(彼に限らず、スリランカ人学生の大半)は、理屈よりも、聞いて覚えるという方面に長けているので、嫌になるくらい、復習で繰り返してやれば、覚えていきます。人にはそれぞれ、得意なやり方があるようで、それを使って伸ばしていけば、双方とも、疲れないし、イライラして傷つくこともない。

この「繰り返し」というやり方。すぐに定着する傾向のある国・民族と、なかなか定着せぬ国・民族があるので、両方が同数くらいで同時にやってきた時には、ちと技術がいる。もとより、この技術というものも、あまりに差がひどすぎると失敗する。なんと言っても小手先の技ですから。その時は、必死にやる方を選ぶ。ということで、スリランカ勢はよく、当方の視線から外されます。

これまでは、「聞き取れて、話せれば、それで語学の勉強なんて終わりだ」ふうの(スリランカの)学生が多かったので、他の学生(ヒアリングが苦手)の練習を見ている間に、「漢字の練習をせよ」と言っても聞きゃあしません。遊ぶか不平を言うかになっていました。「自分は(彼らと違って)できるんだ」というわけです。

「でも、読めないだろ」というのは、こういう手合いには効かないのです。生活力もありますし、その上、おそらくは勘でしょうねえ、「N3」にはだいたい合格します。

とはいえ、「読解」の授業なんて成立しません。読めないのですから。

こちらも年季が入り、こういう手合いにも慣れ、最初の頃のように向かっ腹を立てることもなく、もっとも、スリランカ勢もだんだん変わってようで、今は、多少その気はあるにしても、言われたとおりに宿題をし、書いて提出してくれています。

学校とはいえども、「日本語学校に来る留学生(大人)」の中には、目的が彼我(「非漢字圏」の学生であろうと、在学中に「N2」まではとらせたい、またとりたい)で、違う場合もあったりするので、そこら辺の兼ね合いは、以前は相当難しかった。とはいえ、今は、真面目で頑張っている人が大半なので、そういう意味の苦労はありません。

日々是好日
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昨日から、ベトナムの学生も授業に参加できるようになりました。「Cクラス」は全員が揃って、14名になりました。

2022-05-26 09:40:26 | 日本語学校

晴れ。

昨日から「Cクラス」は全員が揃い、14名になりました。母語は八種です。「全員が揃うまでは」と、ゆっくり進めていたのですが、さて、全員が揃ったので、少し早めることができるかと思いきや、どうも、先に来ていた(5月の中旬)ベトナムの学生のうち、一名は「カタカナ」どころか、「ひらがな」さえ、ちと危うい…ような。提出された宿題を見た限りでは。

まあ、それはともかくとして、皆、このゆっくりとやりながら、待っていたグループのレベルに合わせられるよう頑張ってもらうしかありません。一応、「N5」に合格して来ているのですから。というわけで、彼らが慣れてきた頃に、もとの速度に戻していくつもりです。

「日本に行く(ことが決まった)から、その前に、すこしでも頑張っておこう」か、「日本に行く(ことが決まった)から、もうやらなくていい、向こうでやればいいや」と考えるか、来日後の道の分かれ目です。何事によらず、ことは、起こる前に始まっている…。

もちろん、ベトナムの女子学生たちは、のんびりしているというか、おっとりしているというか、不真面目というより、そう言った方がいいような人たちで、思わず、「大丈夫かなあ。外国での暮らしは大変だよ」と、背中かどこかを叩きたくなる。

ところが、どうも向こうは何とも考えていないらしい。まだ、現実味を帯びていないのかしらん。試験(「N3」か「N4」)を受けてはじめて、「えっ」となる…かもしれませんが。

とはいえ、これまで、「えっ」となっても、それから頑張り出したというベトナムの学生はいなかったような…気がする(頑張る人は、そんなことがなくても頑張っていますし)。大半の学生は、「風邪を引いた。でも、直ったら、引いたことさえ忘れている」ってような気がする。本当に見事にすぐ忘れてしまうのです。というか、もしかしたら、彼らにとって、「合格する」とか、「日本語が上手になる」とかいうことは、それほど重要なことではないのかもしれません。

教える方は、勝手に、「留学してきたのだから、最初の目的は日本語だろう」と思っているのですが。ただの外国暮らしが目的なのかもしれません。不思議なのですが、だからどうにか辛い日本ででもやっていけるのかもしれません。

日々是好日
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「Cクラス」は留学生7人を入れて、10人になりました。今週、日曜日に来日した三人が入ってくれそうです。

2022-05-24 08:23:12 | 日本語学校

晴れ。

やっと日本に来た…というか、来られたというか、それが、この二年間、待たされた学生たちの本音でしょう。この間、(現地の日本語学校で「N5」に合格した後)ずっと、勉強を続けて来た人は、おそらく、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」も、「文法」も、(来日後)「初級クラス」に入れられれば、自分は(この人たちとは)違うという気にもなってくるのは、当然といえば、当然のこと…ではあるのですが…、ただおかしな我流になっていると、微調整が効かないこともないわけではない。

ここまで頑張ってきた人に、…困ったな、どうしよう…。実は学校の宿題のこと。

このクラスは、4月の第2週に三人から始まり、第4週三人、5月になり、第一週に二人、三週に二人で、現在のところ、10人。そして、多分、明日か明後日、残りの三人が入ってくる。

インド、スリランカからの人は、大して勉強してきていないので、ある意味、来日後にどんどん(日本語を)入れられる…やる気さえあれば…「文字」にしても、「文法」にしても。「文字」を介さずにやるなら、こういう国の人は得手に帆揚げて…で、楽勝なのです。街で物を売っていれば、自然に言葉を覚えられるような人たちですから。但し、限界はすぐにやって来ます。「読み・書き」ができなければ、所詮、知れたもの。これはどこの国においても同じでしょう。普通の人は(天才とか特別の能力を持っている人は別です。まあ、そういう人は、そう多くない)。

ところが、ベトナムから来ている学生の中には、国で、一人で頑張って来た人がいる。おまけに、彼の国の北部は、曽て中国文化の影響を色濃く受けてきたこともあり、寺院などには「科挙合格者」の石碑まであったりする。つまり、歴史の中に「漢字」があるのです。だから、「漢字」に対して拒否反応を抱くどころか、必死に書いて覚えようとさえする人がいる。そこには、どこかしら「書けることがうれしい」ような雰囲気まで感じ取れるのです。

だから、インターネットなどを通して、勉強するのでしょうね。けれど、これが、来日した時に困ることになる…場合がある。

彼女も、(学校に)来た2日目からしっかり宿題をしてきました。「漢字」をできるだけたくさん使って。『教科書』の中にある「漢字」を、(多分、知らないものまで)見よう見まねで書いてくる。変なところが跳ねてあったり、「ノ」とせねばならぬところが「一」になっていたり。…で、「困ったな」。とはいえ、頑張っているのを抑えるのも気が引ける。で、「ひらがな」「カタカナ」を直していくとともに、漢字も一字一字直していった。これは、1回目の提出のとき。それが、昨日(2回目の提出)は、「漢字」の数が何倍にも増えていた。「ちょっと、こりゃあ…、だめだ」で、「しばらくは、『ひらがな』『カタカナ』に専念するように」と言うことにした。

今日、注意するつもりですが、それでやる気が殺がれなければいいのですが…。他の学生たちは、まだ「カタカナ」に入ったばかり。来日時に「ひらがな」は、皆、読めるし書けると言ったけれども、提出された宿題の「字」はひどかった。後半の授業で、「ひらがな」の勉強を進めていくうちに、宿題の「ひらがな」のミスも少なくなってきて、「文字」に関してはそれほど注意することもなくなってきただけに、彼女の「字」は目立つのです。

このクラスでは、今は、「カタカナ」に入っていて、最初からやっている学生は、日本人が見ても、「うん、きれい」と思える…それほどでもないか…くらい真面になってきた。しかも、きちんと大きく書かれてあるので、判りやすいのです。だから余計目立つ。

おそらくは一番来日を待ったであろう学生。一番頑張ってきたであろう学生なのですが、やはり基本は「字」ですからね、できるだけ心を傷つけぬように言ってみるつもりです。後々、役に立つことですから。でも、それが判ってくれるかな。他の学生たちよりも自分の方ができる…という気持ちが強そうな人のように見えるので、もしかしたら、中国人に対する時のように、強く言ったほうがいいのかも知れません。ちょっと迷っています。

もうこうなったら出たとこ勝負ですね。

日々是好日
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今日一人、また一人と、ばらばらと人が入ってきます。賑やかになっていいですね。

2022-05-20 07:51:20 | 日本語学校

晴れ。

最近、留学生が入国できるようになったからでしょうか、卒業生が時々、顔を覗かせてくれるようになりました。それと同時に、以前この学校で勉強していた人が、日本の国籍を取得できたという新たなニュースも耳に入るようになりました。

留学生が、数年日本で働き、税もきちんと納め、そして国籍を取得するというのは、前からよく聞いていた話なのですが、在日の人というのは、それっきりの人も多いのです。また、一人一人がバラバラでやってきますし、期間も短いが故に、他学生(留学生)とそれほどつながりもない…で、留学生たちが来ても話に上らない。

街で、急に、「先生、お世話になりました」と言われて、戸惑ってしまうのはこんな時。しかも、今はマスクをつけていますし、その上、イスラムの人は髪もヒジャブで隠していますから、全く目だけしか見えない…数年、もしかしたら十数年前に学校にいた人だったかもしれない…だれだっけ??でも、どなたですかとは聞きにくい。というわけで、何となくお茶を濁して、元気でねとしか言えない…。とはいえ、同国人同士では緩やかなつながりがあると見え、数年経ってから、急に前の人のニュースが入ったりすることもあります。

それだけではありません。国によっては、法律上の名前で呼ばず、愛称で通すという事もありますから、在学中は私達はその名に親しんでいたのに、卒業後、その国の人が、その人の名をパスポートに書いてある名で読んで、こちらに聞かれても、これまた「うーん。だれだっけ?」。

また名前が長い(日本では姓と名、普通は二つです。けれども、日本でも古くは長々と下についた名もありましたっけ)人の場合は、どの名前で呼ぶかで、記憶が甦る場合と、う~んと諦めてしまう場合とがあるのです。

特に、以前多くいたスリランカの学生などは大変です。卒業生曰く「先生、○○さんを覚えていますか」「ん?だれ?」。私達は三番目の名前を呼び慣れていたのに、彼らの間では五番目の名前を呼んでいた…これじゃ、わかりません。しかも、同じような名前が多いのです。

ベトナムの学生も大変。全く同じ読みの学生もいたり(時々、彼らに、二人は違う発音と言われるのですが、私の耳には同じ音にしか聞こえない。しかも、練習しても、ダメだしが、永遠に続く…時々、こいつら、日頃の仇を今とっているなと思えるくらい)、実際に全く同じ名前の人もいたり。

中国人であったら、同じ音であっても、漢字が違う場合もあるので、そこは日本語読みにすれば何とでもなる。しかし、ベトナム語はいわゆる「カタカナ」(「アルファベット」でと言うべきか、「ピンイン」というべきかは判りませんが」)、「カタカナ」で書けば、全く同じということになる。

今期の入学生にも、全く同じ(彼らの音では違うかもしれませんが)「カタカナ」で書かざるをえない人がいるようです。前の時には、一人は全部読み、もう一人は後半部分だけというふうにしてもらいましたが、大きい学校だったら大変でしょうね。

そんなこんなで、昨日、自宅待機をし、陰性だった人が、一人授業に参加しました。彼女は『みんなの日本語・40課」まで勉強したそうですが、やはり「聞く」や「応用」というのは違います。たとえ、2,3週間であろうと、私達と問答をしてきた学生と比べれば、まだ、応用力に難があるようです。「初級クラス」で一緒にやっても大丈夫でしょう。別の部分で他の学生より早くやればいいのですから。

ということで、最初は、やはり「複式授業」のような形をとらざるをえないということになります。メインは四月の後半に来日した四人とその前に来日した一人、この五人です。年齢も高く、なかなか覚えられないという二人と、5月末、多分6月の初めに参加できそうな三人は、最初はあまり無理をさせず(ただ、三人とも一応『みんなの日本語(Ⅰ)』は国でやってきていますから、ヒアリングが付いてきたら、それほど気にかけずともいいでしょう)、そしてウズベキスタンの人は、モンゴル人と同じですから、すぐに追いつけるでしょうし(「ひらがな」「カタカナ」も頑張ると言っていましたから)。それから「40課」まで勉強してきた一人。この人には、授業中は、飽きさせぬのように応用で問題を出していけば大丈夫でしょう。

「初級」クラスが賑やかになってくると、如何にも学校のようで、いいですね。

日々是好日
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「五月晴れ」。

2022-05-19 08:12:08 | 日本語学校

晴れ。

遅ればせながら「五月晴れ」。暑くなりそうです。

空き地では、この時期の野草たちが自由に顔を覗かせ、まるで遊んででもいるかのように風に揺れています。見ていると、子供の頃のことが思い出されてくるから不思議です。学校の帰り道、だれか物知りがいつもいて、「あれは○○。これは△△」と、皆に教えてくれたものでした。そういう子の家に行くと、だいたい広い庭があって、花好きのおじいさんがいて…。みんなどうしているかなあ。

と、現実に戻ります。そういえば、あの、背が高いあれは、「ハルジオン」だったっけ、「ヒメジョオン」だったっけ。確か、蕾が下を向いているかどうかで、区別していたような気がするんだけれど…。

今朝、「スイカズラ」を見つけました。これが「金銀花」であることを、以前、漢方薬を勉強している人に聞いたことがあるのですが、たしかに同じ根から伸びている蔓に付いている花の色が「黄色」と「白」。これが「金色」と「銀色」に見えないこともない、というか、こちらの名前の方が覚えやすいのです。すぐに漢字に転換できるからなのでしょう。野山散策の時に、よく見かけていたこの花を、こういう普通のところでも見られるとは、ちょっと得をしたような気分です。

さて、学校です。

「Aクラス」では、勉強した後、二、三日して、ポツンと同じことを質問したりすることが増えました。もちろん、「この前、説明したろうが」と言いたくなるし、言いながら睨むことも多いのですが、慣れている敵方はなんとも思わない。「習ったけど…ね」と言いながら、「へへへへへ」で終わり。

昨日は「『納得』は『わかる』?」。あのとき、説明に「うん」と頷いていながら、きっと、どこかストンと落ちていかないところがあったのでしょう。それが何かの拍子にフイッと出てくる。ずっと気にはなっていたのか…そうか、エライ。本当はそう言いたいのですが、反対に、こっちの方が偉そうに「言っただろうが」と言ってしまうのです。困ったものです。

前回とは違う例を挙げ、最後に、「『判る』けれども、『納得』はできないと言われることもある」と言うと、そばで聞いていた一人が、「うん、そうか」。ところが、帰りかけた別の一人が階段のところで、「了解と同じでしょう」。「うむ。戻っておいで」。「へへへ、先生、忙しい」と大急ぎで階段を駆け下りていく。

一年間を共に過ごしていますと、どうも、身内か友だちのようになってしまいます。ちょっとばかり、教師の威厳を取り戻さねば。

日々是好日
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「日本には悪い人がいないのですか」「いえいえ、どこの国も同じです。いい人もいれば、悪い人もいる」「でも…」

2022-05-18 08:29:38 | 日本語学校

晴れ。

「走り梅雨」だとか、いや、もしかしたら、もう「梅雨」に入ったのかも…なんて言われていましたが、今日はきれいな青空で、「洗濯日和」。だいたい、「走り梅雨」と言うにしても、一ヶ月ほども早かった。「おかしいな、梅雨みたいだな」と思われるような天気が続き、一人の予報官が「走り梅雨みたいですね…でも」とか言っていたと思ったら、数日後には皆が「走り梅雨」という言葉を使うようになっていた。なにせ、温暖化の進む今日この頃、お天気もどうなるか判らない、どう判断していいか判らない…というところなのでしょう。

さて、学校です。

一月ほど前のある日。授業が終わってから、学生が、急に「日本人には悪い人がいないのか」と訊いてきた。思わず「はあ???」。そして「悪い人はたくさんいます。どこの国の人だって同じでしょう」。ところが、よくわからないという顔つきで「でも、悪い人はいないです。私の国にはたくさんいます」

その時、教室にいた二人とも「そうだ、そうだ」と、口々に話し出したので、多分二人ともそう感じていたのかな。ただ、私達の考える「悪い人」と、彼女たちの言わんとする「悪い人」とは、もしかしたら違うかもしれません。

これが、留学生ですと、まず、こうは言いません。せいぜいが「日本人は親切です」くらいかな。アルバイトという「お金に絡むつきあい」が、日本人とはすぐに始まってしまいますから、そうなるのでしょう。実際に、「親切」とか「いい人」とかいう言葉でひとくくりにできないところが見えてくるからなのかもしれません。

来日後、だいたい半年か一年くらい経ちますと、中には、「日本人は本当に頭が悪い」と言い出す人も出てきます。アルバイト先で、現状を見て「こうしたほうがいい」と提案しても、金太郎飴でしか仕事のできない上司がいたりしますと、(その人の頭には、「こうするものだ」という考えがしっかりと填め込まれていますから)レールで運べるもの以外は受け入れてもらえないのです。

まあ、こういう人はどこにでもいますから、その時は「我慢できなかったら、他を探すか」とか、「(他を探せるほどの日本語力がつくまでは)仕方がないから、我慢するんだね」としか言えません。能力がいくらあっても、ここは日本ですから、日本語の力が劣っているだけで、下に見られてしまいます。もちろん、相手(日本人)の能力が高ければ、言語外の力も見てもらえるでしょうが。けれども、それは、日本に限らず難しいことです。

ところが、子供関係の日本人としか交流の機会がない在日の人たちは、一様に「日本人はいい人ばかりです」と言います。いくら「違います。人間はどこでも同じ。いい人もいれば悪い人もいる」と言っても、「でも、自分たちの国とは全然違うと言います。

一つは治安がいいからでしょう。確かに前いた留学生たちも、「日本は安全だ。女の人が夜、一人で歩いている」とびっくりしていましたし、「警察官が優しい。信じられない」とも言っていました。

ある留学生は、アルバイトが終わった後、ジョギングを始めたと言っていましたっけ。インドではできないことだとも言っていました。警察官の件では、実は警察官を見ただけで逃げ出そうとした、来日直後のベトナム人学生がいたので、「なにも悪いことをしてないのに、どうして逃げようとするのか」と訊くと、「殴られるからだ」と言うのです。警察官に目をつけられると大変だと思っているらしい。でも、実際に(日本の)警察の人と話したりしますと、だんだん表情が緩んでくるのです。言葉はわからなくとも、相手の態度などから、怖がらなくてもいいということが察知できたのでしょう。

また、これとは反対に、警察官は大っ嫌いと言っていた人もいましたっけ。この人は、赤信号で停まらずに、自転車を走らせていたところ、捕まって叱られたらしい。けれども、「バングラデシュでは赤信号で行くのだ」とか言って難を逃れたというから肝が太い。もちろん相手の警察官は首を傾げたらしい。そして、「日本は違うからね。注意してね」と言われたという。私達から見るとナンと優しい警察官なのだ。私達だったら、こっぴどくしかりつけてやるのにというところなのですが。

彼はちょっと警察の人を甘く見ていましたね。日本人は困った時に、すぐに警察に助けを求めるという「習慣」があるので、警察の人を甘く見たり、馬鹿にしたりすることは、まずありません。「助けてくれる人」なのです、日本人にとっては。

ところが、この彼、アルバイトに行く途中、よく私服の警察官に止められて、在留カードの提示を求められるそうで、その都度嫌な思いをしたらしい。可哀想なのは可哀想なのですが、でも、そう言われて彼の顔を見直すと、確かに強面で、一見怖いかなあ。本当はとても優しくて、私が落ち込んでいると、ブルースリーのまねなどをして笑わせ、力づけてくれるような学生だったのですが。

さて、そろそろ学生たちが来そうです…もちろん、新入生です。古株の学生たちはどんどん遅くなって、ぎりぎりの人が増えてきました。まあ、これも自然の流れのようなものなのでしょう。

日々是好日
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新しいクラスは、今のところ、飛ばせてやれそうです。進度はゆっくりなのですが。

2022-05-17 08:46:51 | 日本語学校
曇り。

今日も、パラパラッとくるかもしれない…ような空模様。ジメジメの毎日です。

さて、新たに開講した「Cクラス」。今月中に「ベトナム」からの留学生も皆、入国できるとのこと。入国してから一週間の自宅待機ですから、全員が揃うのは六月に入ってからということになるでしょう。

今は、インド人、スリランカ人、フィリピン人の五人が主で、彼らのレベルの合わせて授業を進めていますが、ベトナムからの五人が入りますと、おそらくはこういう形での授業はやれないでしょうね。

始めたばかりの頃、「ひらがな」と「カタカナ」両方が書けるという人は五人中、四人。「カタカナ」はちょっと…と言う人も一人いたのですが、宿題は、それに関係なし。ただ、読むのは「難あり」ですから、『教科書』に出てくる、人名、国名は皆こちらが先に読むことにしました。すると、勘がいいのでしょうね、「カタカナ」を学ぶ前になんとなく「目」で覚えていけるようなところがあって、一、二度読めば、後は自分でできるようになっていました。正しく書くのはまた別の話です。まずは形に慣れる。

それから、第一日目の作業ですが、まずは『教科書』の巻末にある世界地図の中に、彼らの国名を書き込んでいく。それが終わると、『教科書』の中に出てくる国も書き込ませていきました。今日で四課が終わるのですが、出てくる度に、地図で確認。なんと言いましても、東西南北という言葉が判らなければ、位置を確かめようがない。ということで「きた」「みなみ」「ひがし」「にし」という言葉を二、三日繰り返しているうちに、覚えたようですし、「フランスの東の国は?」などの問いにも答えられるようになりました。

こういう、国で「N5」に合格しないまま、来日している人たちにとって、一番の難関は何かと言いますと、「数字」「月」「日「時」「分」「助数詞付きの数」などなのです。第一日目、彼らを教えていきながら、「これはいけるな」と踏めましたので、その日から、こういう言葉をドンドン入れていきました。だいたい入った頃(こういう人たちはすぐに覚えられるのです。その順であれば)、すぐに応用に入ります。そこで止めておいたら、階段の踊り場にいるような状態になって、ノラリクラリとなってしまうものなのです。

で、いろいろな形にしていくと、さあ、できない。やっとできても、また忘れるという時期が来る。それを、多分、二、三度繰り返せば、60%位は落ち着くでしょう。そしてその頃に、教科書ではそれらを使った練習問題が出てくる。こんなのは、出てくる前に覚えておかなければ、練習なんてできませんもの。これで練習がかなりできる。

この点、「ベトナム」からの学生(高卒生)は、皆「N5」に合格後、来日しますから、こういう点だけは、ほぼ完璧なのです。ただ、中には(コロナ禍のせいで)、二年も待った学生がいます。彼女が気持ちだけでなく、勉強の方も持続させてくれていたらいいのですが。

この現「Cクラス」の面々、「ひらがな」も「カタカナ」も書けると入ったものの、「シ」など下から跳ねていたり、右から線を引いていたり、上と下がくっついていたり、いろいろでしたね。私は「文字」は担当していませんが、宿題という形で毎日ノートを提出させているので、はは~んでしたね。

答えはあっていても、「こりゃあ、どっちだ。『ソ』か『ン』か、『ワ』か『ク』か、なんてのが続出していましたから、次のページに、間違えた文字をズラリと書いて、横に練習させるようにしました。

そして、2日目です。来るのは、だいたい最初の頃は早いもの(これが一年目、2年目とだんだん遅くなります)。15分前には、来ています。おそらく早く来ても何もせずに座っているだけだろうなと思ったので、こちらも二人ほどが来た頃に行き、様子を見てみます。

思った通り、きちんと座っていても、机の上には教科書もノートも鉛筆も出していません。それで、まずは机の上にそれらを出すように言い、次に前日の宿題(ノート)を配り、間違えたところを確認してから、書き直すように指示します。初めは(何を言われたのか判らなくて)驚いたようでしたが、それも三、四日経ちますと、行くだけですぐに教科書を出すようになり、宿題を書き直すようになります。

こういうのは、子どものころからの習慣でしょうから、急に「やれ」と言ってもなかなかできるものではありません。しかしながら、大きな区切り(この場合は異国に来た)がある時には一番変えやすいものなのです。いわばチャンスです。一週間も放っておくともうだめですね。

「カタカナ」が「まだだ」と言った人はちょっと可哀想で、他の人はノート半分くらい(最初の日)だったのに、彼だけは一ページ全部でしたね。9時になってから、15分ほど経っても書き終わらなかったので、うちに帰ってからやるように言って、授業に入ったのですが、やはり言葉が通じていなかったようで、翌日も残りが書かれていないままでした。すぐに、今、書きなさいと書かせ、終わらない分は明日提出というふうにやりますと、おそらく同国人の一人が判ったと見えて、彼らの言葉で、何か説明しています。すると、ああというふうにうなずいて私の顔を見ていましたから、判ったのでしょう。次の日には書かれていました。こういうことの繰り返しなのでしょうね。

昨日は五月とは思えぬような肌寒い一日だったのですが、一、二時間目が終わって、「はい、これで終わり」と言った途端、一列目のスリランカ男子が、「寒い」と震えるような格好をして言いました(早く言えばいいのに)。最初彼を見た時に「半袖で寒くないのですか」と聞いたのですが、その時は大丈夫と言ったのに、やはり寒かったのでしょう。すぐに察したインド人学生が、大急ぎで2箇所の窓を閉めに走りました。

それを見たこっちも慌てて、「窓は閉めません」と叫びます。もちろん、言葉は通じませんから、バーンと開けるまねをします。よくわからない顔をしていましたが、「コロナ」というと、ああと言う顔つきでまた開けます。もしかしたら、窓を開けておくというのが母国では習慣になっていなかったのかもしれません。

日本では、寒い時は隣の部屋の窓を開けて空気の流れを作るとか、寒い時は窓を開けるにしても、何㎝くらいでいいとか、空気の流れに関しては耳タコで聞かされていましたから、こういうときに文化の差みたいなのが出てきます。うっかりしていると、まだまだ危ない。しばらくはよく見ていませんと。

現「A、Bクラス」の人たちは、一年以上を日本で暮らしていた在日の人たちですから、コロナへの対策も、もう慣れきっています。この点、来日した人たちは、国が違えば、やり方も少々違うようです。ただ、来日し、この学校で学ぶ以上、日本人が当たり前と思っているやり方でやってもらわないと困ります。うれしいことに、皆、日本人がマスクをしているのを見て、マスクをしてくれていますし、手を洗うように言いますと、その通り、来てからすぐに洗ってくれます。

来日する人が、「自由」ばかり振り回しますと、日本も日本人も「鎖国」状態になりかねません。「弱者への思いやり」…これは強要ではありません。前には、「同居している年寄りがいるから」と、友だちの誘いを断って、早く帰った若者もいましたし。自分は(そうしなくて)よくても他者のことをまず考える。これは巡り巡って、お互い様ということになる。多分、日本社会はこういう流れで動いているのでしょうね。早くその事を掴んでほしいと思います。

日々是好日

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全く、梅雨時のような雨です。だんだん本格的になってきました。

2022-05-13 08:26:52 | 日本語学校

雨。

小降りの時を狙って、早めに来たつもりだったのですが、今はさっきよりももっと小降りになっている…、なんてこった。

なかなか予測ができません。雨雲の塊は二つらしいのですが、その切れ間の他にも、雲の薄い暑いがあり、これは運試しのようなものですかね、いつ家を出るかというのは。

さて、学校です。

どんどん先に進もうと、前につんのめり気味のインド人女子学生。彼女に引きずられるように、皆も進んでいます、今のところ(我慢の程度を見ながら進めているのですが)。日本の小中高でも、今年(今期)の学生はレベルが高いとか、低いとかありますよね。それと同じで、今のところ、この少々酷なやり方でもついて行けています。まあ、それが少しばかり会話ができるようになるまで、続くかどうかはわかりませんが。

それでも、数や時間などは、早めに入れていったほうがいいし、定着とまではいかなくとも、ある程度、落ち着くまでは時間をかけて、繰り返したほうがいい。それに、心の準備ですね。まだ漢字には入っていないけれども、年、月、日、円などは、日本にいれば嫌でも目にする「漢字」です。絵と同じですから、こんなふうな形のものが出てきたら、それは「漢字」の一つであると、意味は、100円であれば、金であると。そうやって慣れていくことも、必要であると思います。国ではそれはできないことなのですから。

「鉄は熱いうちに打て」というのは、真のことで、あまりに教科書通りにとか、いつも通りにと言っていたら、覚える「時」を失ってしまいます。できると思ったら、学生でなくこちら側もつんのめらなければなりません。もちろん、あっぷあっぷ言っているなと思ったら、スピードを緩めること、復習に舵を切ること、楽しげな話題を提供すること、いろいろと手はある。

こちらができるなと思えるような学生は、だいたいが、語学に対して「勘がいい」のです。或いは、「勘」がよくなくとも、「表情」が読めるものなのです。そういう人たちは、単語の一つ一つが判らねば、全体が見えないということはありません。一つなにか「話題」の尾っぽでも掴めると、相手を見ているうちに、なにやら感じるところができてくる。それも訓練です。全部が判らねば、わからないと言うこともない、「勘」は訓練でも育てることができるものなのです。

「こいつは猛スピードで、なにやら、ペラペラしゃべっている。速すぎて、『判らん』。が、『あれ、この単語は習ったことがある』。じゃあ、こういうことを言っていたのではあるまいか。」間違ってもいい、そう察しようとすることも大切なのです。

いつもこれではナンのための教師かわかりませんが、たまにはこれもいい。

さて、そういう駆け引きができるクラスのようです、新しいクラスは。

日々是好日

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トントンと授業を進めています。ベトナムの学生たちも5月末には学校に来られそうです。

2022-05-12 08:21:35 | 日本語学校
曇り。

やはり(本格的な?)「走り梅雨」に入ったようです。今朝、「アジサイ」の小さな蕾がかなり膨らんでいるのに気がつきました。葉は、手のひらほども広がっていました。

「紫陽花の花 一色(ひといろ)となりにけり」だったのか、「紫陽花の 末一色となりにけり」だったのか…、子供の時覚えたのは、「アジサイの花 一色となりにけり」だったような…。

変ですね。先に覚えた方がどうも強い。いくら後者が、芭蕉の本当の句だとしても。

さて、学校です。

先週の金曜日に来始めた留学生(先に来ていた三名は別に)を入れて、留学生は、併せて五名になりました。この五名と二月から来ていた在日の人二人+週2の一人を入れて、現在のところ、八名が、「Cクラス」の構成員です。今月末には、ベトナムの五名も加われそうですから、計十三名。久しぶりの大所帯ということになりそうです。

ただ、在日の人は二人が週4で、一人が週2、そして午後のプライベートレッスンが主ですから、実質、留学生を教える時のペースで流していけるということになります。

これまでの二人だけの授業であったら、一人が休めば、そこで足踏みせねばなりませんし、その時に、前にその一人が苦手とするところを復習することもありましたし、つまり各人のレベルに応じて、ゆっくりと教えていくことができたのです。

ところが、留学生となりますと、彼らには「日本語を学ぶ」だけでなく、次のステップも視野においておいてもらわねばなりません。しかも、それを期限内でやらねばなりませんから、頑張っている人には、足踏みはさせられないのです。

学校で学んでも、そのままであれば、翌日には忘れているもの。「それ、ナンだっけ?」で、また短くない時間を復習にとられるということになる。そうして、その日、覚えられても、翌々日には、多少その時間は短くなるにせよ、またその復習に時間がとられる。毎日、多少なりとも先に進んでいるわけですから、下手をすると、復習でその日は終わりと言うことにもなりかねない。

それ故に、宿題という形で、自分で復習し、それを見える形にする(書けば、まずは「ひらがな」「カタカナ」が覚えられますし、その習慣が続けば「漢字」へと流れていくこともできるでしょう)。まだ「2課」くらいのものですから、大した分量ではありません。しかしながら、同時に、「数を覚え、年、月、日、また時間、曜日などを覚え」をやっていくわけですから、決して少ないとは言えません。国でやったことがほとんどない人であれば。

とはいえ、実際のところ、まだベトナム勢が来ていませんから、本格的な「留学生用の計画」ではないのです。「これはできるな」と踏んで、あまりに先に進んでしまうと、今度は一ヶ月遅れで入ってきた人たちがついて行けなくなるからです。もっとも、ベトナム勢は高卒ですから「N5」には合格しています。その点は安心しています。

それに、ベトナム勢五人のうち、一人は、二年待っていてくれた学生です。その間も勉強を続けていたということですから、来日してもそれほど慌てることはないでしょう。ただし、今いるインド、スリランカ、フィリピンの学生たちは耳がいいのです。聞いて覚え、すぐに応用できます。ベトナム勢は総じて、日本人と同じで、これがなかなか素早くできない。それ故、彼らにとって復習となるこれらも、決して無用のことではないのです。「N3」以降の勉強に役立つでしょうから。

日々是好日
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留学生が入ってくると、いかにも「学校らしく」なってきました。大きな声が響いています。

2022-05-11 08:30:16 | 日本語学校

薄曇り。

陽は照っています、うっすらとですが。雨にならなくてよかった…というのが本音。雨になると自転車での通勤は辛くなります。もともと、自転車というのに、慣れていないものですから。

自在に乗りこなしている人を見たりすると、「ありえんだろう」などと思ってしまいますし、ハンドルから手を放し、傘を差している人などは、思わず、「曲芸師かいな」と見てしまうのです。

さて、街です。

木々は葉の色を濃くし、葉蔭はあたりを暗くしています。街路を華やかに彩っていた「サツキ」の花は、すっかり草臥れ果て、下の葉にへばりついています。これが雨に流され、姿を消してしまう頃、「梅雨」が始まり、終われば、夏本番となるのでしょう。疾うに「立夏」が過ぎたというのに、肌寒い日が続いていたので、違和感はあるのですが、本来、こんなものだったのでしょうね。

もしかしたら、口にはしていても、季節の流れというものを、それほど認識していなかったのかもしれません。気になるようになったから、頭の中にあった季節感と現実とが折り合いをつけられず、不満に感じてしまう…だけのことなのかもしれません。人とは本当に勝手なものです。

学校では、留学生が五人やってきて、久しぶりに、「初級クラス」らしい、大きな声が響くようになりました。学校とはこうでなくてはいけません。素直な人が多いから、言われたとおりに大きな声を出して練習してくれるのでしょう。10人くらいだと、発音の違いに気づけるので、助かります。声が小さいと、なかなか気づくことができません。

それに、いくら慣れたと言いましても、まだまだ、コロナには注意しなければなりませんから、席は一つおきです。とはいえ、一緒に来た人は近くに寄りがちですし、一日でも早く授業に参加した人との差は、既に出ていますから、教え合ったりして、気がつかぬうちにスルスルと近づいていることもあります。ちょっと注意ですね。

留学生がいなかった頃の習慣で、人が揃っていても、欠けていても気にはなりません。どのクラスにも、週四、周三、週一などの人もいて、皆それに慣れているようなのです。人が増えても減ってもそれほど気にならぬというのは、いいことなのかどうなのかは判らないのですが、私とてそれに慣れて、カリカリすることもなくなりました。

留学生がほとんどだった頃には、一人でも休むと、雰囲気が変わってしまい、やり方を変えなければならなくなったりしたので、イライラすることもありましたし、復習にそれほど手をかけられない時には、ついきつい目で相手を見たりしたこともありました。

ところが、在日の人ばかりになりますと、そうは言っていっられません。毎日は来られないと言う人が増えてきますし、子供が病気でとか、用事があってとか来られないことも多いのです。その都度、イライラしてはやっていけません。おおらかに、どっしりと構えられるようになりました。

毎日来る人を主に、それ以外の人はその都度手当てをしていけばいいくらいに考えていると、気分ものんびりしてきます。気持ちもすっかり楽になっています。

頑張らせねばならないとか、大学に入れねばならないとかさえ、考えなければ、彼らが今必要なものを出していくだけでいいのですから。

日々是好日
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「授業2日目」、「Cクラス」は順調に進みそうです。

2022-05-10 08:27:07 | 日本語学校
晴れ。

今日を除けば、今週は雨の日が続きそうだとのこと(昨日も夕方から雨でした)。少し前までは、「走り梅雨」…?いやいや、一週間か十日ほども早い。まだまだだろう。それにしても、梅雨みたいな状態になりそうな…。という感じだったのに、今日昨日と、「走る梅雨」という言葉には至らずとも、「梅雨の走り」という表現に変わってきています。気象専門家も迷っているのかな。「梅雨の走り」と「走り梅雨」とは、やはり違うもの。

温暖化が進むと、春と秋が短くなって、もしかしたら「梅雨」と「秋の長雨」の時期が長引くのかもしれません。そうなると、日本も「乾季」と「雨季」という言い方で季節が表現されていくのかもしれません。

近くのマンションの植え込みの下に、色鮮やかな「スギナ」が伸びていました。今年も「ツクシン坊」を見ずに終わってしまった…。毎年、伸びた「スギナ」を発見しては、後悔しているというのに、同じことの繰り返し。人間はというか、私はというか、進歩しませんね。そして、その都度、損をしたような気分になっている。気にしなければいいようなものの、春の「スミレ」や「ツクシ」は、どうも他の草花とは違うような気がします。

勿論、山里を歩けば、あっちにもこっちにも、「春の便り」を目にすることはできるでしょうが。そして、それと共に、「春のにおい」ですね。草花、或いは樹木が名乗りを上げる時のにおいというのは、人を元気づけるもの。また、あちこちに行けるようになるといいのですが。

さて、学校です。

金曜日、インドからの学生も参加し、久しぶりに賑やかな「Cクラス」となりました。尋ねると、二人とも「ひらがな」は大丈夫だそうな。「『カタカナ』は、ちょっと…」という一人も、授業中は、真っ直ぐにこちらを見ていて、きちんと言えていましたから、心配はないでしょう。

まず、白地図上に、各人の国を発見させ、それぞれの名を書かせていく(地図帳参考です)。教室の世界地図を指さして、注意を惹き、上を指して「北」、下を指して「南」…これもすぐに覚え、楽しんでいましたから、心配なし。このクラスは、インド、フィリピン、コロンビア、スリランカ、イラク、ウズベキスタン、シエラレオネと、今のところ、9人しかいないのに、国数だけは多いのです。その他に、教科書に出てくるタイやブラジル、アメリカ、イギリス、ドイツなども書き込ませていきました。

他にも、ベトナムからの学生が来るのですが、その五名のうち、二名は5月末くらいから参加できそうです。

そして、昨日の授業、2日目です。金曜日に参加できていた人たちは、皆、宿題を提出してくれました。「『カタカナ』が、ちょっと、ちょっと…」と言っていた学生も「カタカナ」を書いていたので、「オョ…」だったのですが、でも、向きが違っていたり、斜めだったり…「心なしか」少しばかり「違う」字になっていました。

もとより、努力は無駄にはならないとは言うものの、もし、変な癖がついてしまっては(大変…)。でも、計画では、「ひらがな」は今週で終わり、来週から「カタカナ」に入れるようですから、間違っていた「字」は、提出されたその都度、注意しておけば、正式に習う時に少しは楽になるでしょう。

そして、昨日は、授業に出てきた国を、その都度、地図で確認していきます。それから「神戸」が出てきましたから、大阪、兵庫、奈良、京都をチェック、それからここ千葉県を中心に東京、埼玉、神奈川をチェック、それから広島、長崎、北海道、沖縄をチェック。授業を進んでいけば、その都度増えていくでしょう。とはいえ、「沖縄」と言った時に、「西」と答えられたのには参りました。確かに地図上の西に沖縄はありました…けれども、いちいち、世界地図を見させて確認していくのは、ちょっと大変でしたね。それに、まだ日本での勉強2日目の人たちでしたから。

何事によらず、最初のころは、「遊び」です。「楽しい」が大切。勿論、「N3」「N2」「N1」と進んでいくにつれ、その遊びと勉強が一つになって、知識が、喜びや達成感となるのでしょうが、最初のころは苦手意識を持たせないことが大切。とはいえ、どんどん進んでいった方がいい人もいますので、クラスが分かれるまでは(初級のころ)までは、複式授業の心持ちでやった方がいいのかもしれません。

という感じで、二日目は無事に過ぎました。

日々是好日
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「Aクラス」はそのままに、「Bクラス」では授業内容が変わり、「Cクラス」には、留学生が入り、新たに始まります。

2022-05-06 08:34:07 | 日本語学校

晴れ。

長かった「連休」も終わり、さて、皆は、今日、どんな顔をして表れてくるかな。

今日から、「Cクラス」は、一階の教室で、「Aクラス」は三階の教室で、授業を受けることになっています。

「Bクラス」は、移動はありませんが、授業内容が変わります。これまでは『みんなの日本語Ⅰ・Ⅱ』、続けて、『N4文法のまとめ』をやってきました。それも一段落つき、今日からは、『N4読解問題集』(週2)、『N3聴解』(週一)、『N3中級へ行こう』(週2)となります。「文法」と「漢字」は復習が主です。

このクラスは受講者が3名(先週までは2名)、しかも家事と育児が両肩にかかっているということで、学校に来られないという日も少なからず有り、こちらとしても、なかなか進めづらかったのですが、どうにか「N4」の内容もほぼ終わり、中級へ行けそうになっています。あとは、その少ない時間をいかに生かしていくか彼らにかかっているといってもいいでしょう。

「Aクラス」は今まで通りで、いいのですが、それに比べて「Cクラス」には、今日からインドの留学生2名が入り、腹の探り合いが、少々続くことになるでしょう。なんと言いましても、今日、初めて会うわけですから。

まずは、「ひらがな」「カタカナ」が言えるかどうか、書けるかどうかでしょうね。2名とも大卒なので、「N5合格」というハードルが端っからないのです。ということで、そういう人の中には、「日本語未体験」という人もいる…場合もあるのです。結局は彼らを紹介した人が、どう考えているかによるのでしょうけれども。その点が不安といえば不安。得てして南アジアに多い、「聞き取れて、言えれば御の字」という考え方で来られると、日本では後がない…ということを、はじめから判っていてくれれば、こちらとしても楽なのですが。

このためにも、来日後の、日々の「『復習』兼『宿題』」というのが欠かせない。

どちらにしても、日本語学校へ留学するということは、目的は日本語を学ぶということなのですから、その点、在日で、仕事や家事・育児をしながらの日本語の勉強とはちと違い、こちらも強面で対処することができます。つまり、「書かなければ、文字は覚えられない」を強く言うことができるのです。

在日の人たちの場合、なかなかこれを徹底させることができません。どういうやり方が一番文字を覚えられるかというのを、各段階に応じて説明しはするのですが、どうもストンと落ちてはいかないようです。彼らの社会、いわゆる「世間」で、交流のある日本人やその他の人たちから、「日本語が上手」と言われれば、それで満足してしまい、口では「N2」を目指すと言うけれども、そのために何をせねばならぬかが、判っていない。痛い目を見るまでは、多分、母国での勉強の仕方そのままにやっていくでしょう。

宿題を地道にやってきた人たちとの差は、「N5レベル」から歴然としてくるのですが(何となれば、「N5」の漢字とて、優に100は超えているのですから)、比べられる人が少なければ、それも判らないでしょう。人が多ければ、「向こうより、私の方が(日本語が)上手なのに、どうして点が取れないか、文章が読めないか」と思うこともあるのでしょうが、人が少なければ、それもない。

「N4」を超えれば、あとは(彼らの母語のレベル以外では)「漢字なのですけれどもね。文字がいかに間違わずに早く読めるか。とはいえ、文字の大切さに気付かねば、「聞き取れる」「話せる」が、日本語のレベルを表しているような気になってしまう。「書く」は集大成だから、別にしても、「読める」は、とても大切なこと。それが判るような人でいてほしいものです。

日々是好日
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