日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『そちらの学生が着いています。一緒に連れて帰ります』。…ありがとうございました」

2014-06-30 09:55:30 | 日本語学校
 曇り。

 昨日は、朝は篠つく雨に、夕方は雷様を伴っての、「夕立」に、全く本当に気紛れなお天気に振り回された1日でした。

 そして、今日は…。一応、曇り空なので、このまま続けばいいのですが。

 さて、朝、八時ごろ。

 「そちらの学生が、今、成田にいるんですけれども…」という連絡が入り、大慌て。ベトナムの学生で、来ることが分かっていたのは、明日のことで、しかも男子学生。女子学生ではない…。

 最初、ベトナムは真夜中発ですから、1日ずれて連絡していたのかと、焦っていたのですが、聞くと、女子学生という…。これは違う。で、早速ベトナムの日本語学校の日本滞在の人に連絡をとってもらうと、「…ごめんなさい。忘れてた」という。

 連絡してくださったのは、千葉市にある日本語学校のスタッフの方で、「この学生はまだ話が出来ないから、成田に一人で待たせておくのも可哀想。自分の学校の方に、一緒に連れていくから、そちらに向かえに来て欲しい」と言って下さいました。なんともご親切なことで、本当に助かりました。学生も心細い思いをせずにすんだことでしょう。

 新入生を迎えに行く時、時々こういうことが起こります。

 学校では、いつも、同じ国から来ている学生を伴って、迎えに行っているのですが、学生達は、この学校の学生の相手をするのもそこそこに、迎えが来ていない(他の日本語学校の)同国人の世話をしはじめるのです。

 (迎えに行った教員達の)話によると、「帰るよ。みんな揃ったから」と、教員が言っても、「もう少し待って下さい。まだこの人の迎えが来ていないから」とか、「今、この人の友達に連絡して、来てくれるように話しているから、ちょっと待って下さい」とか言って、なかなか戻ろうとはしないそうで、知らん顔して、他の人の面倒をみない人は稀のようです。

 今度は、うちの学校の学生が、他の日本語学校のスタッフの方にお世話になりました。実際に、お世話になってみると、ありがたさが、身に沁みてきます。一人、空港に取り残されていたら、きっと心細さで、どうして日本に来たのだろうなんて気にもなっていたかもしれません。

 今日は、本当にありがとうございました。

日々是好日
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「漢字の練習」

2014-06-27 17:22:23 | 日本語学校
 晴れ。

 どうも、あの雲は低いところにあるらしい。かわいらしい雲がゆっくりと流れていきます。

 涼しい風が吹いてきます。けれども、少し蒸し暑い。ところによっては小雨が降るとか。

 「漢字」の理解力について考えています。

 『初級Ⅰ』が終わり、来週の火曜日から『初級Ⅱ』に入る予定のクラスと、一年ほどが終わり、現在『中級』を学んでいるクラス、この二つのクラスのことを考えています。

 「初級」のクラスでは、やっと140字ほどを学んだだけですから、比べると言いましても大した比較はできないのですが。

 例えば「外出」という漢字。「外」も学んだ。「出る」も学んだ。で、「外出」の意味は?と聞いてみる。この「初級」クラスでは、やはり、まだ関係づけて答えることが出来ないので、「漢字」一字ずつに分けて説明してみる。すると、その時は「そうかァ」と言ってみせるのですが、2日か3日後に、また「この意味は?}と聞いてくるのです。

 20名ほどの学生、全員が皆、忘れたということは考えにくいのですが、おそらくはまだ漢字の意味を理解する思考回路が築けていないのでしょう。まだ3か月ですし…。

 ところが、一年ほども経っていると(「現「Aクラス」ですが、このクラスには、去年の「四月生」、「七月生」、「十月生」が含まれています)、自分達から、例えば「通勤」などという漢字に、「通います」と「通じる」、また「勤める」という「読み」が出てきます。

 そこで、少々こちらが、「『通う』方の意味ですね」とか、「『勤める』というのは、『仕事』や『会社』と関係がありますね」などと、補っていけば、当たらずとも、それに近い答えが出てきます。

 もちろん、(意味をとっていくのに)時間はかかります。「N3」であろうと、「長文」には、彼等が未習の熟語が出てきますから。

 もちろん、こんなこと、毎年感じてはいるのですが、とりわけ、今年の「Aクラス」は、久々に「漢字圏」の学生が「ゼロ」なものですから、特にその思いを強くしたわけです。

 今年の「四月生」など、(言われたとおりに、書いて練習しない学生は論外として)一生懸命書いているのに、いざ、(テストの時)文の中で書くとなると、「どの漢字だっけ」となる学生が多いのです。が、それでも、半年ほども経つと、今の「Aクラス」の学生のようになれる人が、ボツボツ出てくるのです。

 けれども、それまでは、険しい道ですね。『初級Ⅰ』の漢字が終わったところで、「難しい。難しい」を連発していますもの。ただ、ひらがなで一文を書き、その数カ所を漢字にさせるような問題では、もう、多少、勘働きができる人も出てきているのです。おそらく、ここは「ことし」と読むのであろうと踏んで、「ことし」と書いていたりするのですから。

 漢字は、書くことは、もちろん大切ですが、まず、読めるようになることと、意味が掴めるようになることが一番なのです。書く練習をするにしても、意味も捉えられぬまま、なぞっていても、何にもなりません。2年居て、書けたのは、意味が判った「一。二。三」と「上。下。中」だけという学生だっているくらいですもの。

日々是好日
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「クラス替え」。

2014-06-26 08:38:14 | 日本語学校
 曇り。

 昨日はやはり、一昨日と同じように、不安定なお天気でした。雨も降ったり止んだりを繰り返していましたし。ただ、雷様の「ゴロゴロ:は遠くから聞こえてくるばかりで、こちらにはお出ましにならなかったところが、違うと言えば…違う…。

 さて、「七月生」の入国を前に、クラス編成をしようと、各クラスの学生達と相談です。

 「(勉強が)難しいから、もう1度やり直したい」と、自分から手を挙げるものもいれば、勧めても、「このクラスで頑張りたい」という者もいました。最後は本人に決めさせるのですが(特に、「一年生」)、中には、本当はやり直した方が良いのだろうけれども、クラスの人と親しくなったから、このクラスを出ていきたくないという人もいるのです。

 私たちも、以前は、やや強く勧めて、やり直させたこともありました。けれども、勉強したいと強く望んで来日した人以外は、これはあまり効果のないことでした。やっと仲の良くなりかけたクラスメートと離れて、却って授業から遠ざかるという人も出てきたりしたのです。しかしながら、よくよく考えてみれば、これも無理からぬことで、どこで暮らしていても、やはり「仲間」が必要なのです。

 例えば、4月に来日した「四月生クラス」。

 自分が選んだクラスでもないし、仲間でもない(この期の学生達は、皆同じくらいの日本語のレベルでしたので、皆、同じクラスになりました)。最初は軋むこともあったでしょうし、言い合いをすることもあったでしょう。思いもかけぬ反応にドギマギさせられたこともあったでしょう。そして、3か月。やっと、それが、鎮まりかけた頃です。また、1からやり直すというのは嫌だと言うのもわかります。クラスが替わって、「やり直さなければならない」のは、「勉強」だけではないのです。

 (このクラスは)、最初は、当然のことながら、ベトナム、スリランカ、フィリピン、中国、タイ、シリア、インドと、それぞれが勝手に主張し合う、いわば、ごった煮のような状態(同国人間でも、時々言い合っているのを目撃したことがあります)でした。それが、一緒に授業を受け、あるいは、課外活動で、「水族館」や、「浅草」、「鎌倉」へ行ったりしているうちに、互いに少しずつ慣れ親しみ、授業においても型ができはじめているところです。こちらの意を汲めるほどにまで、余裕が出てきたのでしょう。

 嫌なことが多少あろうとも、皆の顔を、いつも通りに見、ワイワイガヤガヤと(休み時間)騒ぎ、そして、少しずつ、(日本語の)判るところが増えていく。クラスが少しずつ、まとまり始めています。ただ、こういうクラスも砂上の楼閣のようなもので、決して堅固ではありませんから、常に、あちらこちら、手入れをしておかなければなりません。こういう、やっと、形ができはじめているころには、クラスを抽象的なものとして成立させていくためにも、具体的な部分でも、つまり、今の場所でも動かさないでいることがまだ、必要なのです。

 初級においても、中級においても、授業のやり方の「いつも通り」ということが大切であるように、もう少し固まるまでは、「いつものクラス」、「いつもの教室」という必要があるのです。多分、もう少し経てば、どこへ行っても、「このクラス」でいられるでしょうが、まだまだ、私には、その自信はありません。「いつも」と変わってしまえば、それが「蟻の一穴」となるやもしれず、その意味では、クラス経営というのは、常に薄氷を踏むような思いでやっていかねばならないのです。

 おそらく、学生からは、そうは見えないでしょうが。

 日々是好日

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「なぜ、自分は頭がいいと思えるのだろう。また、それを人にも言えるのだろう…判らない…」。

2014-06-25 08:29:11 | 日本語学校
 曇り。

 昨日同様、時々薄日が漏れてきます…が…。

 昨日は、大荒れでした。雷様はドカドカとやってくるし(遠慮してくださいと言いたいくらい)、稲妻もピカピカ、雨もザー(降っては止みを繰り返していましたが)。ところが、「二年生クラス」は全く動じなかったとか。さすがですね、慣れたもの。これが、「一年生クラス」ですと、そうは行かない(君たちはスコールに慣れているでしょと言いたいのですが、やはり他の国でこういう目に遭うと、感慨は異なるようです)。

 まだ、春浅きころ、一回、ゴロゴロと鳴ったことがあったのですよね、すると、「おう」とあちこちからいろいろな顔が伸び上がってきました(心が雷様の方へ向いているな)

 「先生、あれ…」。同国人がいるところでは、早速、彼等の言葉で「雷だ」「雨が降るぞ」みたいなことが言われていたのでしょう。このときは、遠くで鳴る(鳴った)で終わってしまったのですが、昨日の雷様はかなり大型で、ドスンドスンとお出ましでした。

 もっとも、他の地域ではそれで済まなかったようで、都内で、大量の雹が降ったところもあったようです。千葉県内でも、大雨だったところもあったとか。まあ、このあたりは、学生達が帰る頃には殆ど止んでいて、直接の被害はなかったようですが、夜、アルバイトがあった学生は、大変だったかもしれません。

 なにせ、「馬の背を分ける」と言われるくらい、違うのですから。こちらではカンカン照り。なのに、電車で、10分も行ったところでは大雨。そういうこともよくあります。特にこのように、大気が不安定な時期は、それが甚だしいのです。

 さて、学校です。

 「日本語能力試験」の受験票が届きました。学生達にそれぞれ渡し、開けてもらってから、学校でコピーをとっておきます。在日の方で、レベルが合わなくなったり、仕事が見つかって来られなくなったりした人の分も届きましたから、連絡しておきます。

 現在、この学校では以前とは真反対のことが起こって、レベルが合わなくなって、来なくなるということがあるのです。

 以前は、中国人学生が多かったので、「上のクラス」では、だいたい一年ほどで、「一級(現、「N1」)合格、あるいは合格レベルにまでのせることができたのですが、「漢字圏」の学生達が遠のき、「非漢字圏」の学生達が主となりますと、そういうカリキュラムでは、到底やって行けません。それで、かなり速度を落とすということになってしまいます。つまり、漢字の練習や単語の意味に重点を置いたり、また文法理解に時間を割いたりしなければならなくなってしまったのです。

 特に、語順が日本語とは違う国や地域の人たちが多かった場合は大変です。文法を説明し、意味が判れば、「後は自分でできるだろう」では、話がこんがらがっていくのです。修飾、被修飾の関係が反対であったりするのですから。幾つか文を作らせ、「ああ、こうじゃないのだ」と実感させる必要があるのです。

 ところが、クラスには、日本語とほぼ同じ文法であって、文法に困らないという国や地域から来ている人もいますから、その人達は暇になるのです。で、怖ろしいことに、「自分はできる」と過信する人も出てくる…というわけで、「楽は苦なり、苦は楽なり」が始まるのです、同クラス内で。

 結局は、苦労して覚えた方が本人のためなのでしょう。なにせ、少しでも暇があったら、おしゃべりに精を出すだけで、漢字を書くとか、単語を見直すとか、文法を覚えるとか、そういうことができない人たちが大半なのですから。

 遊んでいるうちに(自分の方が上だと思っているうちに)、劣っていると思っていた人達の方が先に行き、後でそれに気づき、臍を噬む…。これは、いくら言っても、だめで、毎年、何人かこういう人が出て来るのです。普通の人たちなので、「もう少し頑張れば」とも思うのですが、こっちが焦って、あの手この手を尽くしてもだめなのです。多分、こういうことが、その人達が、ものを学ぶ上での、限界なのかもしれません。高を括ってしまうのです。おそらくは、彼等のこれまでの生活に由来しているのでしょうが、きっとそういうテキトーな勉強でも、彼らの国では何とかなっていたからでしょう。

 これも、自分のレベルが判らないことから来るのでしょう。

 こればっかりは、自分で経験しないとわからない。人はそれほど聡明に出来ているわけではありませんから。田舎で、あるいは都市ででも、それまで受けてきた場所や地域、家族の制約を、人というのは受けて育つものですから。それから逃れることができるのは、先に自分の好きなこと、専門としたいことを見つけ出せた人くらいでしょう。彼等を見ていると、そんな気がしてきます。

 そういうものがあれば、それを学ぶために、(日本に留学したのであれば)日本語が必要になりますから、頑張って日本語の勉強にも励む。けれども、それがなければ、(日本語力が)テキトーくらいでも、アルバイトはテキトーにあるわけですから、困らない。

 私たちは、彼等にとって異国人ですし、何の損得も利害関係もありません。そういう目で見るわけですから、時には、彼等にとって、あり得ないという判断を下すことだってあるのです。

 もとより、ここは日本語学校ですから、語学に長けた人が、どちらかと言えば威を張ることができます。けれども、そうではない部分というのも、見えてくるのが、二年という歳月を共に過ごすからなのでしょう。

 「『どうしても、ヒアリング力がつかない』、「漢字が覚えられない(これは、見ていると、意味を掴もうとしないとか、書くだけで覚えようとしていないとか、理由はあるようですが)』、『テストで点が取れない」」といった語学の分野での「劣」だけを見ると、「困ったサン」でも、他の分野での能力が優れていることに、嫌でも気がついてきます。

 その時は、「ここ(日本語学校)では、日本語の力は、なかなかつかないようだけれども、大学に行って専門分野を学べば、きっと自然に日本語力はついてくるだろう。だから、今、日本語が下手だと嘆く必要はない」と言うこともできるのです。

 実際に、そういう人も、少なくはないのです。人は「好きこそものの上手なれ」とは、よく言ったもの。日本のような社会では、もしかしたら、そういうものがある人が一番強いのかもしれません。

日々是好日
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「鎌倉で」

2014-06-24 09:39:46 | 日本語学校
 曇り。

 時折、薄日が射しているようですが、今日は梅雨空が戻るとか。「アジサイ(紫陽花)」も元気がなくなっていることですし、それに何より、梅雨どきに雨が降らないというのはいただけません。「夏は暑く、冬は寒く、梅雨は雨」というのが一番なのでしょう。

 先日、皆で「鎌倉」へ行った時、「大仏さん」のところで、学生達は、既にグロッキー。入口近くの木陰で座り込んだまま、ジッとしていました。それで、急遽、次の「長谷寺」を取りやめて、一路、「由比ヶ浜」を目指すことにしたのです。

 これが正解で、ダラダラしていた学生も、大半は「海」と聞くや否や、わァと沸き立ち、元気に出発できたのでしたが、中に数名、「…先生。…はな(花)…」と小さな抵抗を試みる学生もいて、ちょっと、困りました。

 その、女学生には、「大学に行ってからね、日本人の友達と一緒に、『長谷寺』へ行きなさい。『鎌倉』が好きな若い人が多いから、一緒に『アジサイ』を見たら、もっと楽しいと思いますよ」などと言って、その場を切り抜けた…つもりでいた私。しかし、切り抜けられたと思ったのは、少々甘かった。彼女、帰りにも「今日はどうでしたか」という問いかけに、「…先生。…はな…」を繰り返していましたから。

 この、「鎌倉」の事前指導の時に、「アジサイ」をかなり吹聴していましたし、玄関脇に飾られていた写真にも、一昨年、行った時の、「アジサイ」に埋もれた学生達の笑顔が溢れていましたから、そんなこんなで、彼女なりに期待していたのでしょう。申し訳なかった。けれども、皆、疲れ果てていた…ように見えましたから、今回は堪忍ね。

 やはり、南国の人達は、東アジアの人間よりも、疲れるのが「ハヤイ」ような気がします。別にこんなことで頑張ったって、大したことではないような気もするのですが、一事が万事と申します、日本で生きて行く上で、かなり大変であろうなと感じられました。

 一見、「淡泊」で、「欲がない」ように見えますが、多分、こういうことに興味がないだけで、サッカーをしたり、踊ったりといったことに対しては、普通なのでしょう。ただ、普通の日本人などが、肯定するような面における「欲深さ」がないのです。知識欲とか、そういう方面の欲も…それほどない…。もちろん、個人差はありますが。せっかく来たのだから、もっと見てやろうとか、もっと楽しんでやろうとか、そういう気分になれないのでしょう。

 とはいえ、海に着いた時には、我先に、靴を脱ぎ、海の中へザブザブと入っていき、波が来るたびにジャンプして、あるいは駆け回って…楽しんでいました。「あれれ、さっきまでの、ふて腐れた様子はどこへ行った?」だったのですが、楽しいことは別なのです。これは万国共通。それに、どんなに疲れていても、遊べるというのは、若さですね。

 と言うわけで、次からは、「鶴岡八幡宮」へは行かずに、「大仏さん」と、「アジサイ」と、「海」という三点セットで鎌倉を体験することに…なりそうです。

 もう一つ、いいことがありました。それは明るいうちに帰れたということ。駅に着いて、明るい空を見上げた時、「鶴岡八幡宮」に拘りすぎていた自分達に、改めてびっくりしました。

 日本人にとっての「鶴岡八幡宮」と、学生達が感じる「鶴岡八幡宮」とは違うのです。まだ日本の文化どころか、日本語さえ稚拙な彼等。この人達は、こういう神社へわざわざ行くということさえ、(いくら説明しても、おそらくは)判らないでしょう。そういう時に、押し付けてもしようがないのです。

 女子学生が大好きな「花」、そして大きさにびっくりする「大仏さん」、そして皆、童心に戻れる「海」。これが一番。それに、明るいうちに帰れるということで、夕方からのアルバイトに間に合う…。女子学生の一人は、ずっとこのことを気にしていました。昼からのバイトは断ったけれども、6時からのバイトは、できたら、間に合うかなと思って、断っていない。…大丈夫かな。

 その時は少し早めに帰ればいいからと言っておいたのですが、このコース(一つを外す)だと、十分に行徳に戻ってこられた時間なのです。彼女だって、皆と行き、皆と一緒に戻ることができたのです。「何事も無理はいかん」…こちらも、少しずつ、やり方が判ってきたような…。
  
 学生達は、教室の中とは全く違う表情をみせてくれます。海に行った時が最高潮で、本当に人は楽しい時、素直になれるのだと思います。 
  
 皆が海に入って、遊んでいる時、砂浜の、それも、かなり波打ち際から遠ざかったところで、一人砂を掘っていた学生。他の学生が、海に入るように勧めても、ただひたすら砂を掘っていたとか。結局は、海から上がる時、皆、そこ(彼が掘った穴)で、厄介になって(足を洗って)いたようなのですが。彼としては、砂を掘ることに歓びを見出していただけで、これは波の中で駆け回るのと、同じくらいの楽しさだったのかもしれません。

 昨日、フィリピン人学生が、「初めて海に入った」と言っていましたから、「海がわりと近くにあることだし、海で、よく遊んでいたろう」と考えてはいけないのかもしれません。    

 中国の場合、日本に来るまで、海を見たことがないという人たちが大半だと考えてもよかったのです。ペキンの人はまず、殆どが海を見たことがなかったし、内モンゴルからの人たちだって、海を見て、「海だ、海だ、海だ。この海は…どこまでですか」なんて聞いていたくらいでしたから。

 ただ、ベトナムとか、フィリピンとか、タイとかからだと、あまりそういうことは考えていなかったのですね。せいぜい、「(海が)懐かしいだろう、(海で)遊びたいだろう」くらいのもので。ところが、その彼等にとっても、海というのは初めてだったわけです。

 海を中心に持って来たほうが、(鎌倉で)幸せな時間を過ごしたということになるのかもしれません。

日々是好日
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「教室の外で、新たに見えてくること…」。

2014-06-23 08:48:57 | 日本語学校
 晴れ。

 爽やかな朝です。

 先週の金曜日に、予定通り、「鎌倉」へ行って参りました。お休みした学生も数人いましたが、「四月生」は、皆、来ることが出来、まずまずといったところでしょうか。

 来たばかりなのに、もう、こういう活動に来ないということは、つまり、問題があるということなのです。こういう「日本を見よう」的な活動に興味を持たずに、来日した…というわけですから、「いったい何が目的?」「何しに来たのか」「日本語を勉強するということが第一ではないのか」と、疑いを持たざるを得ないからです。それに、クラスの中で「浮いている」ということでしょうから…。

 こういう「課外活動」は、それ(行き先)に興味を持っていなくとも(説明しても、DVDを見せても、判らない部分がありますから)、友達が行くなら(自分も。楽しいだろうから)というくらいの気分で行ってもいいのです。ところが、行かないということは、それすらないのか…とこちらが思わざるを得なくなる…のです。

 これが、一年ほども学校で勉強していますと(もちろん、普通に、毎日、学校に来て勉強していれば)、私たちの説明も、ある程度聞き取れるようになっていますから、「ふむ、ふむ」というところが、少しは出てくるのです(つまり、知的な好奇心です)。

 もっとも、日本語がそれほどわからない「四月生」にとっても、公道の歩き方、エスカレーターの乗り方、車内での過ごし方、神社や寺の拝観の仕方など、やはり、勉強になるところは多かったようです。

 それに、実際に、動いてみなければ判らないことは多いのです。これは、彼等だけでなく、彼等を見ているわたしたちにとってもそうです。

 教室の中では、優等生であっても、実際に何事かをやらせてみると、「これじゃあ、アルバイトをコロコロと変わってしまうというのもわかるな」と思われたりするのです。仕事を「『嫌、嫌』やっているだろうな」と思われるところが透けて見えたりするのです。

 こういう人には、「『雇われているんだよ』。『相手が金を払っているんだよ』。『雇うのは、何も君じゃなくてもいいんだよ』」というのが見えないのです。だから、「働いてやっている」みたいな態度になって、嫌われるのでしょう。もっとも、多少嫌味でも、仕事ができれば、今のような人手不足の折、雇われはするでしょうが、気持ちよく働くとまではいけないでしょう。

 「どうしてそんなに偉そうな態度が取れるの」と、多分、雇っている方もそう思うでしょう。だって、それほど、仕事が出来る、あるいは仕事のことをよく知っているようには見えないのですから。

 たとえ、相手が年下でも、先輩と立てねばならないのは、理由があるからで、それが判らない。判ると言っても、多分、日本人が思っているようには判っていないのです。

 最初は、だれかに教えてもらわなければならないから、「(教えてくれる人を)立てる」。しかし、ある程度やっていると、その人よりも、自分の方が長じているようなところも見えてくる。すると、「自分の方が上じゃん」的な態度を取り出す。それが目に余れば、上の者に「生意気だ」と思われ、で、ちょっと口論して、「嫌な気分」で、辞めることになってしまう。

 こういう学生も、チラホラしています。特に自分に自信のある学生ほど、そう言う傾向があるようです。

 彼等は、判っていないのです。上の人は、そんなに簡単には教えてくれません。また、教えるつもりで、いろいろ言ってくれても、その人(新米)には、判らないのでしょう、当然のことですが。それで、面倒なことはしない。それを(新米は)「盗む」しかないのです、仕事に関わりのある技術や知識というものを。

 それに、簡単に「盗む」と言っても、すぐに「盗める」ものじゃあありません。その人にある程度の能力、眼力がなければ、「盗め」などしないのです。何を「盗んで」、何を捨てればいいのかが判らないでしょうから。ですから、そういう能力、乃至力を持っている人は、大らかなものです。「『盗める』ものなら、盗んでごらん。できやしないんだから、あんたくらいの者には」で、終わりです。

 また、「一から教える」場合には、それは新米のアルバイターに一番近い立場にいる人の方がいいのです、教える内容だって同じようなものなのですから。それに、その内容を親切に教えてくれる人だって、普通は、そんなにいないのです。だって、たいてい、皆、正社員というわけでもなく、明日には辞めてしまうかも判らないような人達でしょうから。

 以前は、日本の会社は、人を育てると言われていました。けれども、こう、アルバイトの人が増えてくると、もう対応出来なくなっているような気がします。10年、20年は(その会社に)いるから、育てる(育てられる)のであって、明日、辞めるかもしれない相手は「使い捨て」的な扱いしか出来ないのです。これはお互いに不幸なことですが。

 もう。何十年も前になりますが、中国人の女子学生が、アルバイトを探しているという同国人に、自分が勤めているレストランを紹介したことがありました。その時は、感謝していたようでしたが、それから1か月もしないうちに、その人が辞めると言いだし、今度は大げんか。訊くと、時間給で、5円高いところがあって、そこに行くことにしたというのです。これは、彼女がいくら怒っても、もうどうにもならないこと(「メンツ」と「お金」で、平行線です)で、彼女は、「私のメンツは丸つぶれ。もう2度と中国人に紹介なんかしない」と言っていましたが、言われた方は何とも思っていないようでした。

 今は、店の方でも、余程のことがない限り、割り切って使っているのでしょう。一年以上も働いている人は別でしょうが、それまでは、何時辞めるかもしれないわけですし。大切に思ってそういう扱いをして、最後に、嫌な思いをさせられるのは避けたいと、そういうことになっているのかもしれません。

 実際、一年以上も、一つところで働いていた人は、だんだん、時間も曜日も自由になっているようです。大学に進んだ学生が、辞めたいと言いに行ったところ、「(時間は)そちらの自由にしていいから、辞めないでくれ」と言われたという話もよく聞きますし。

 結局は、信頼関係なのでしょうね、何事も。

日々是好日
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「授業中、騒ぐ…」。

2014-06-19 11:56:50 | 日本語学校
 晴れ。

 昨日の雨、急に降り出して、まあ、ほそぼそとした雨でしたが、あっという間にあがってしまいました。本当に、梅雨時の雨だったのかなあ…。とはいえ、学生達、一様に、外を見て、「傘を持ってきていない…」。だからァ、梅雨時は、油断大敵って言ったでしょう…。もっとも、すぐに止んだので、ホッとして、帰っていきました。…これは午前の学生たち。

 「午後の学生(「四月生)達は」と言いますと、(電車で来ているのは、一人だけですから)にこやかにやって来て、そしてにこやかに帰っていきました。来週末で、『初級Ⅰ』が終わり、『初級Ⅱ』に入るというのに…、大丈夫かな。

 彼等に「大丈夫ですか」と尋ねてみると、「『はい、ちょっと難しい』…、一瞬、険しくなった私の顔を見て『ちょっと、ちょっとだけ』と言って、愛想笑い」。これで終わっているのですが、まあ、「苦手意識」がないのだけが、取り柄という人たちですから、そのまま「Ⅱ」に入っても、どうにかなるでしょう。難しいのは『Ⅱ』であって、『Ⅰ』ではないのです。『Ⅰ』なんて、お慰み程度なのです…、『Ⅱ』をやり始めれば、きっとそれがわかることでしょう。その時に、もう一度やるかどうかを考えても遅くないのです。

 この学校では、レベル分けのような形で、よくクラス分けをしています。それでも、アルバイトの関係で、「午前しかだめ」とか、「午後しかだめ」という学生がいて、困ることがありました。「本当は、午後に入れた方が伸びるのになあ」とか、「午前の方が向いているのになあ」とか、こちらとしては、そんな気持ちだったのですが、学生の方は、ケロリとしたもので、私たちのような迷いはありません。だって、無理だもので終わり。

 もちろん、中国人のように、短時間で、速く日本語の「N1」に合格させねばならないとかそういうことはありませんでしたが(稀にそういう人がいたりしたのです。大半は彼等とドッコイドッコイでしたけど)。

 今も、感じることなのですが、彼等は「楽しい」のが一番いいのです(括弧付きのですが)。それが、度がすぎると、これも、大騒ぎするとか、勝手をしてしまい、収集が着かなくなってしまいます。ここは学校なのですから、笑うにしても、騒ぐにしても、限度があると思うのですが。

 スリランカの学生も、ベトナムの学生も、ちょっと目を放すと、ガヤガヤ、ギャアギャア騒ぎ始めます。そして大きな声で、馬鹿笑いをしますから、手綱は緩められないのです。もちろん、今は、この二つの国から来ている学生の数が多いので、目だって感じるだけのことでしょう(以前は、中国人が多かったので、彼等の方がうるさかった…)。

 スリランカの人たちは、普段はおとなしいので、あそこまで、ギャアギャア、うるさいとは思っていませんでした。急に「粗野」で「下品」になったので、驚いたくらいです。あちらの方が本性なのかなと思わせるくらいの、ギャップがありました。ところが、彼等がそういう騒ぎ方をしていても、インド人もバングラデシュ人も、眉を顰めたりしなかったのです。それどころか、中に入って一緒に騒ぎたいといったふうでしたから、騒ぎ方は、きっと、インド圏は同じなのでしょう。

 そういえば、中国にいた時、東欧の人たちの騒ぎ方というか、荒れ方もすごいものでした。クラスで集まって食事会をしたときのことなのですが、急に、日本人の男の子達が、「ここにいない方が良い。あちらにいって」と、日本人の女性達を避けさせたのです。彼等は、こういう東欧の男子学生達とも親交があったので、そのことがわかっていたのでしょう。遠くから見ていたのですが、まったく「すごいな」でした。見ていても、それが楽しそうな行為であるなんて、全く感じられませんでした。

 ただ、ここは、日本で、しかも学校ですから、場所柄を弁えた行動はとってもらわねばなりません。というわけで、大騒ぎをしようとすれば、睨まれたり、叱られたりしてしまうということになってしまいます。

 とはいえ、まあ、限度を守って、楽しむ分には、何も文句は言いません。けれども、不思議なもので、勉強していなくて、日本語が下手な人は、こういう日本の文化的なものもわからないのです。いつまで経っても、自分の国のやり方でやってしまうのです。だからこそ、私たちは、日本にいるなら、まず日本語を勉強しなさいと言うのですが。

日々是好日
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「留学ビザは、『勉強したい』と言ったからもらえたの。『勉強』する時は、学費を払うものなの」。

2014-06-18 08:18:26 | 日本語学校
 曇り。

 梅雨空が戻って来そうな雰囲気です。

 先程から、チッチチッチと鳥の声が響いてきます。まるで舌打ちをしているかのよう。この声の持ち主は、一体だれなのでしょうね。湿度がグンと上がって、80%ほどもあるそうですから、「嫌だ、嫌だ」と行っているのかもしれません。あるいは、狙っていた虫を捕るのに失敗して、苛立っているのかもしれません。鳥ならぬ身、相手の気持ちなんて、いくら推し量ろうとしても無理なのでしょう。

「心こそ 心をはかる 心なれ 心のあだは 心なりけり」

 何事も、大らかにいきたいと思うのですが、なかなかそうは参りません。「教える」ことだけに専念できたらとも思うのですが、なかなかそうも参りません。日本での生活上の注意くらいならまだましなのですが、「学費」を払う頃になると、払わないで済まそうという人たちとのやり取りで、グッと嫌な気持ちになってしまうのです。だいたい、「黙っていれば、適当にやり過ごせるのに、…学費を払えなんて、どうして、そんな嫌なことを言うのだろう」としか思っていないのが、ありありなのですから。

 頑張って勉強したいと思っているのに、経済的な事情とかでそれができないというのなら、まだ話はわかります。けれども、来日後、アルバイトをすれば、多少の金は入っているはず。それで適当に、(彼等は、きちんと生活しているというのですが、私たちから見ると、お金がないというのなら、それ相応の生活をして然るべき。それなのに、どうして国にいる時と同じようにして、自分を律することが出来ないのだとしか思えない場合も少なくないのですが)学校に来て、座っている。

 学校でも座っているだけで、休み時間になれば、いつも通り友達と大騒ぎしている。中には、授業中でもコソコソと携帯を見たり、友達と話したり、相手のノートに書いて、やりとりしている者もいる。やめるように言えば、「はい、先生」と返答するか(それでも、止めません)、「いえ、勉強している」と言う(座っているのは確かですが、勉強はしていません。けれども、フリを止めない人はいる、確かに)

 彼等の「勉強している」というのは、(全員というわけではありません。まあ、クラスによっては80%以上ということもありますが)「学校に来て、座っている」ということ。

 当然のことながら、時間がないから、宿題は休み時間にするとか、授業中も、合間を見て漢字の練習をするとか、判らないことを聞くとか、そういうことはしません。

 普段通り(多分、彼等が国でしてきたと同じような生活をして)、勉強が難しいと言うのです。それは、漢字の勉強もしない、一緒に読む時も読まなければ(読めないわけではなく、ルビを打ったものをわざわざ作って、必要なものには、コピーさせています)できるわけがないのです。『初級』の時のように、繰り返せば、いいと言うものではなく、考えなければならないところも、努力して覚えなければならないところも出てきますから、座っているだけの、「普通の人」は、すぐに判らなくなります。(

 実は、彼等を入れた初めのころ、最初は、こういう人たちでも、何とかできないかと、教授法を彼等向きに変えたり、資料や教材を作ったりしてみたのです。そして残したりしてみたり、今から思えば、徒労としか思えないようなことをやっていました。

 けれども、それらの作業を通して、判ったことがあったのです。相手は、もう二十歳を疾うに過ぎた人たちである。目的があって、日本に来たのであって、しかも、その目的というのは、勉学ではない場合が多い。やる気がない人に、こちらが毎日、余分に1時間を割いてやってやったとしても、彼等から見れば、要らぬお節介でしかない。

 それからは、かなり客観的に彼等を情を入れずにみる習慣がつきました。もちろん、勉強したいと言う人には、他の国の人たちと同じようにしていますが。

 ただ、こういう時期、学費を払わなければならないような時期に来ると、嫌ですね。

 学校にいる時も、時間があれば、すぐに本を読んだり、調べたりしている学生が、アルバイトで、自由な時間(勉強する時間)がないというのならわかるのですが、だらだらとしていて、「時間がないです。お金がないです」と大声を張り上げる(言い訳ばかりしているように見える)のは、本当に判らない…。しかも、本当に辛そうなのです。いったい、どういう時間の使い方、そしてお金の使い方をしているのだろう…。

 学生に(2年目の学生)、「7月から半年分の学費はいくら」と言いますと、「お金がないから払えない」と言うのです。「勉強に来たのでしょう。お金を払わずに、勉強するつもりですか」と言っても、「ない」と言えば、それですまされると思っているようで、「ないです」。「ゼロですか。じゃあ、生活はどうするのですか。ゼロなら、日本では生活できないでしょう。食べ物はどうするのですか…」。…よくわからない。

 以前、ネパールの学生で、本当にお金がない時、彼は申し訳なさそうに、そして辛そうにそう言っていたのですが、彼等にはそれがありません。そういう人(スリランカもベトナムも)が多いから、平気なのでしょうか。それとも、一人だけあると、却って、浮いてしまうから(「貸してくれ」なんてことになるかもしれないし…断れないようですね)なのでしょうか。

 実際は、彼等はアルバイトをしていますから、お金がないということはあり得ないのです。一年間、日本に居れば、たとえアルバイトであろうと、彼等が国で稼げるよりももっと多くの金を得ているはずです。それが、今、七月からの学費を一銭も払えないというのは、どう考えても、おかしい。どうしてそうなるのか。

 本当に不思議になることがあるのです。

 まず第一、金がないと大声で言っても、少しも恥ずかしいと思っていない。普通の日本人なら、それは恥ずかしいことです。頑張れば、稼げるのですから。当然のことながら、日本人が言うところの、「頑張る」には、辛くても辞めない。ただメクラ滅法にがんばるだけではないという意味も入っています。

 ちょっと嫌なことを言われると、プライドが傷ついて、すぐ辞める。そして次の仕事が見つからなければ、「お金がない。お金がない」と言う(自分の生活のレベルは落とさない)。いったい全体、彼等のプライドってなんなんだ。大の男が、しかも病気というわけでもない。健康で、遊びなら何時間でも騒ぎ廻れるくせに、平気で、「お金がない」と言い募れる。

 本当に、よくわからない。

 計画性がないのはよくわかっていますから、「貯金するように。また、毎月決めて銀行に入れるように」言ってあります。時には、若い教員が、アルバイト代はいくらだから、毎月いくらずつ払っていくという風に、寮費の払いまでは教えてやっていますが(これすら、自分では出来ないのです。だらだらと暮らして、ちょうど「払うように言われた時」にお金があれば、払う。なかったら、ないでやり過ごそうとする…本当に、こういう了見が判らない。

 払わなければならないお金です。前から判っているお金です。払いますと言って来ているのですから、大半の学生が払えないというのは変でしょう。それでもそう言います。払うのは当然でしょうが、通用しないのです。勉強すると言って日本に来ているのです。ビザも、勉強すると言ったから、もらえたのです。

 日本人なら、金がなくなったら、普通、すぐに帰ります。彼等には、そういう「潔さ」もない。もちろん、そういうことで帰国したら、恥はかくでしょうね。もし、借りて来ていたら、返せなくて困るでしょうね。けれども、どうして日本にいる時に、恥をかかないように、困らないように頑張れないのかが、わからない。金がなくても、まだ、そこにいたかったら、プライドなんてかなぐり捨てて、嫌なことでも我慢して、頑張るべきでしょう。

 だいたい、彼等の言うところの「頑張り」には、「プライドを捨てて」が、全くないのです。ある人は、あの人達は誇り高い民族だからと言いますが、私はそうは思いません。実体のない誇りなんて、どぶに捨てた方がましです。だいたい、何を誇っているのか。

 本当に不思議です。前にいたモンゴル国の人は、平気で、「面の皮、通常人の100倍」という感じで、大手を振って、そういうことをしていましたが(一言、そうじゃない人もいました)、彼等は、そこまでは図々しくはないのです。だから、チョコマカとズルをしたいのでしょう。

 教えることなら、労を厭わないというのが、普通の教員なのですが、学校という場に相応しくない(目的が違うので)人があまりに多すぎると、ちょっとイライラが募って来るのです。

日々是好日
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「梅雨の花…アジサイ、クチナシ、タイサンボク…」。

2014-06-17 08:49:00 | 日本語学校
 晴れ。

 今日も、晴れ。「アジサイ(紫陽花)」の花が、草臥れた様子で首を垂れています。大丈夫かな。こんな、梅雨時の花は、晴れが続くと、参ってしまうのです。

 そういえば、今年は、まだ「クチナシ(山梔子)」の花を見ていない。「タイサンボク(泰山木)」の花も見ていない…。今週末、「鎌倉」へ行くので、「アジサイ(紫陽花)」ばかりが頭にあったのです。

 5月の中旬からは、「(アジサイ)間に合うかしらん」程度だったのが、雨が続くと、しかも、ものすごい雨でしたから、「(行く日)雨になったら、来ない学生が出てくるかもな」に変わり、そして、今、予報では、晴れということで、今度は「(晴れが続くと、アジサイも)元気がなくなり、美しい姿を見せてくれないのではないか」と気を揉むことになっています。

 人というのは、全く、つくづく、欲深くできているものと見えます。

 日本のように、行事が、それぞれ、季節と深く関わりあっている国では、その行事の頃に、(あの木が、あの花が、またあの鳥が、あの虫たちが、というふうに、)揃っていないと、物足りなさを感じてしまうのです。それどころか、時としては、行えないことさえあるのです。

 そして、「何年の花見は、桜が例年になく美しかった」とか、「何年何月の紅葉狩りでは、紅葉がいつになく赤かった」とか、こういうことでその年が思い出されることもあるのです(しかし、考えてみれば、平和ですね。草木の美しさでその年を覚えているというのは。ほんの数十年ほど前には、事件で、しかも血腥い事件で、その年が蘇っていたのですから)。

 もちろん、四季がはっきりとあるところでは、日本と同じように、それが伝統として残っているでしょうが、この話、学生達には通じないことも多いのです。

 彼らの国では、「雨期」と「乾季」しかなかったり、「冬がある」と主張している冬が、せいぜい、「(夏と称するところと)5度」くらいの差しかなかったり、(それを聞いた私が、「それならば、日較差程度ではないのか」と突っ込みを入れて、総スカンを食らったこともありましたが)凡そ、日本人が感じるところの夏と冬ではないのです。

 これは、彼等にとってもそうでしょう。「日本の冬は寒いです」…この言葉も、彼等の思うところの「冬」から来ているのであって、それが「ロシア」や「モンゴル国」の人にとっての、「冬」とは、全く違うものなのです。彼等と来たら、真冬に薄着で来て、「寒くない。日本の冬は、何でもないから」だったのですから。

 私も、九州から初めて東京に出てきた時、それはちょうど浅草で羽子板市が開かれている頃でしたから、正に冬だったのですが、「東京とは、寒いところである」というのが実感でした。もちろん、同じ東京であっても、海寄りの地と、山寄りのところとではかなりの差があり、海寄りの地はまだまだましな方であったというのは、後から気づいたことでしたが。

 そして、梅雨です。毎年、南方(この場合はスリランカ)から来た学生達も、日本のこの梅雨期独特の「ジメッとして暑い」というのには、相当参るようで、毎年のように「スリランカはこんなに暑くない。こんなにベトベトしていない」と言って、グタッとしています。

 ところが、ハノイなどから来ているベトナム人学生は、冬も大丈夫、梅雨期も夏も大丈夫と、季節の移行からなる様々な問題に驚くほどの逞しさを見せているのです。ベトナム女性の強さというのは、彼等の風土が作り上げたのではないかと思われるほどに。

 でも、女性は強いのに、なぜ男性は??という疑問はさておき(多分、両方ともということはあり得ないのでしょう。片方が強かったら、もう一方は弱いに決まっている。片方が呆けだったら、もう片方は突っ込みをやるに決まっているように)、普通の学生達は、暑さ寒さに対処するだけで、エネルギーの半分ほどを失っているのを見るにつけ、異国の地で強く生き残るためには、まず、生まれた地で基礎体力が付けられているかどうかによるとも思われるのです。

日々是好日
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「『中級』で。読むのは、どうも、苦手のようです」。

2014-06-16 09:44:42 | 日本語学校
 晴れ。きれいな青空です。

 こうも晴れの日が続きますと、「梅雨の晴れ間」という言葉が色褪せて見えます。今、ホントに「梅雨」なんですよね。だれかに言って、ほっぺたを抓ってもらいたいような、いやいや、これは言葉の上だけのことなのですが。

 昨日は、「日本留学試験」の日でした。「漢字圏」の学生が多いと、6月は6月なりに、どこか必死になるところもがあるのですが、今回は珍しく、「漢字圏」はゼロですので、こちらとしても、それほど、頑張りようがないのです。

 試験までに作文指導を数回入れ、模擬試験を一度やり、試験対策(といいますか、そういう受験対策とまでは行かなくとも)を、まあ、チョボチョボとやりしたくらい。

 実は、「読解」でも、こういうところを注意して読まねばならないというところが、判らないと言うか、全く勘働きができない学生が多いのです。母国でも、本を(教科書以外は)殆ど読んだ経験がない人も少なからず…というわけで、それが、ちと大変。学ぶ方も、そして教える方にとっても。

 多分、それ故にでしょう、読むということに、すぐ、飽きてしまうのです。一つでも、判らない単語があると、そこで、だれかに聞こうとフラフラし始める。「判らない単語はそのままにして、先を読むように」と言っても、こういう人はそれが苦手のようで、だれかに聞けるまで、先へ進めない。固まってしまうのです(遊び相手がいなければですが)。そして時間だけが過ぎていく…。

 課題を与え、文章を、もう一度読み返してみるようにと言っても(文法や単語の説明が終わったものです)、「もう判るから」(説明は終わっていても、質問自体も、それほど判ってはいないと思うのですけれども)と、すぐ隣の人と遊びにかかる…。そういう人が一人だけであれば、相手にする人がいないから、何も出来ないのでしょうが、残念なことに、クラスに一人だけということはありえないのですよね。

 叱ると、すぐに、机に俯して、寝てしまいます。よくわからない…。自分はわからないわけじゃないと、判らないということは別に恥でも困ったことでもないのに、それを認めないというもっと困ったところで、立ち止まっている人がいるのです。

 その他にも、判らないと、すぐにお腹が痛くなる(?)人がいます。眉をしかめたり、手をお腹に当てて、如何にも具合が悪そうな恰好をするのです。多分、ここで、彼らの国では、だれかが、同情して声をかけたり、(事情がわかっている人が)相手をし始めたりするのでしょうけれども。

 実は、私には経験があるのです。中国で、中近東から来ていた女子学生が二人とも、代わりばんこと言っていいくらいに、そうやっていましたから。そして、同情しないと、少なくとも、ちょっとくらいは相手をしてやらないと、こちらをぼろくそに言うのです、蔭で。だから、そんなことをしても、「ああ、あれか。あれと同じだな」で終わり。彼女が期待していたようなことはしません。同じように授業を続けていきます。だって、毎度のことなのですから。皆が笑っていたり、母国語での雑談の時には、もう元気いっぱいで参加しているのですから、気にする方が馬鹿を見ます。

 結局、授業中は、そういう人の相手をしてはならぬのでしょう。でないと、眠い目をこすりながら、学校にやってきて、頑張っている学生達が割を食ってしまいます。勉強したくないのなら、そこで、一人で止まっていればいいことで、皆を同じように引きずり下ろす必要はないのです。

 『初級』は、だいたい何の問題もなくスムーズに終えてしまう、スリランカの学生に言えることなのですが、『中級』に入ると、一転して、「茫然自失」組が増えてしまうのです。

 頑張れないのですよね。『初級』のときは、「聞く」「話す」で、それなりに「上手そう」に見てもらえていたので、高を括っていたのでしょう。みんな(日本人も含めて、私のことを)日本語が上手だと言うと自慢げに話すのが常でしたから。

 これも、「聞く」「話す」(簡単な受け答えくらい)は、耳に入ってくるのを繰り返したりしていれば、それなりにできても(インド人もスリランカ人も、バングラデシュ人も、モンゴル人も、ネパール人もそうでした。すぐペラペラと話せるようになるのです。アルバイトくらいは、それで十分だったのでしょう。ただ、いわゆる「差」は『中級』で、文章の理解力があるかどうかで出てくるのです)、コツコツとする勉強が、なかなか身につかない。

 これも、以前は、「暑い国の人は、一生懸命に何かをしてしまうと死んじゃうから、みんな努力しないんだよ」で、すませていたのですが、同じように暑い国の人でも、懸命に努力する人もいることが判ってからは、そうも言っていられません。

 他の国の人たちと同じような要求をしてしまいます。すると、どうも、すぐ「飽きる」という傾向があることがわかってきた…。

 「お国振り」というか、こういう学校にきている、ごく普通の人たちを見ていると、「お国振り」が、割合と顕著に出てくることがあって、おもしろい。もっとも、おもしろいではすませられないところもあるのが、厄介なのですが。

日々是好日
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「梅雨の晴れ間」。「布団干し」。

2014-06-13 08:26:20 | 日本語学校
 いいお天気です。梅雨時に、時たま、こういう晴れ渡った、いいお天気の日があるのですが、またそうなるとなったで、「やれ、洗濯だ。布団干しだ」と、慌ただしいこと、この上もないのです。

 先日、学生に、「布団干し」の話をしたのですが、皆、キョトンとした顔をしています。何人かが、訳知り顔で、コソコソ言っていたようですが、さて、実際のところは、ドウなのでしょう。

 学生達は、午前か午後(この学校は、午前クラスと午後クラスの二つに分かれています。今は、午前クラスが二つ、午後クラスは一つですが、七月生が入ってくれば、午前、午後二つずつのクラスになるはずです)は、学校、そして学校が終わったあとか、あるいは始まる前に、アルバイトという生活を送っていますから、なかなか「布団干し」のようなことはできません。

 とはいえ、この「梅雨」という時期に、布団を干さずにいると、あまり体にいいことはないのです。そういうわけで、「布団干し」の話をしたのですが、どうも、反応がよくない…。

 そうか、彼等は、母国で、(日本のように)ギュウギュウ詰めにされた鰯かサンマのように、狭い部屋に押し込められて生きてきたのではなく、広く、天井の高い部屋で、のんびりと暮らして来たのだっけ。

 布団など、特に、「お日様に当てなくちゃ」と、天気のいい日には、大慌てで、南側の物干しに干す必要なぞもなく、また少しでも日が陰った時には、またまた大慌てで、バタバタと取り込む必要もなく、布団も、そのまま、ベッドにおいておくだけで、夜はまた心地よく寝られるのでしょう。

 学生達は、「布団干し」の話を聞いたあと、改めて、ベランダにずらりと並べられた布団を見、「これかいな」とばかりに、ほうっという顔をしていましたから、これもまた、おかしい。

 とはいえ、可笑しいなどと言って、笑ってでばかりもいられません。少しでも不衛生にしていますと、彼等の住んでいるアパートなどは、すぐにカビが生えてきます。(学校やアルバイトなどから)帰った時は、短時間でもいいから、窓もドアも全部開けて、風を通しておかなければならないなどと話したのですが、さて、そういうことも、どこまで理解できたのやら。生活に実感がないと、本当に、どうにもこうにも、ピンとこないようです。

 というわけで、今日は、得難い梅雨時の晴れ間。もう一度くりかえしておきましょう。「10分でもいいから、帰ったら、窓を開けるのだ」と、そして「風を通しておくのだ」と。

日々是好日
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「日本語学校で勉強するのは、何のため?」。

2014-06-11 13:00:31 | 日本語学校
 曇り。

 だんだん暗くなってきました。一人、8時少しすぎに、雨が降りそうだからと、早めにやって来た学生が一人いました。アルバイトが終わって、そのまま来たのでしょう。そうでなければ、うちに帰って、そのまま寝てしまい、学校には来ていないところでした。

 私が一人でいるのを見て、いろいろなことを聞いてきます。「それは、昨日、あの先生と決めたのでしょう。先生はどう決めたのか知りませんよ」。また一つ「それは、一昨日来た時に、あの先生と一緒に書いていたのでしょう。先生とは書いていないでしょう。どこに問題があったかなんて何も聞いていませんよ」。またまた、一つ、「それはあの先生と約束したのでしょう。先生は何を約束したのか知りませんよ」

 彼は、多分、勉強のことではなくて、ビザのことだけが気になるのでしょう。彼の頭の中では、日本語学校というのは、ビザを取るためにだけ存在しているのだから、それをその学校で働いている人間が知らないのはおかしいということになるのでしょう。

 どのような集団であれ、機能的に動く場合には、そこには職務が分掌されています。もちろん、小さな組織では、そこは非常に緩く、担当者がいなければ、そこにいたものが代わりにしたりしますが、それとても、「代わりに」するわけで、その担当者が戻ってくれば、すぐに引き継がれ、やはり責任はその担当者が負うという形になっています。

 だから、「だれに聞けばいいですか」という問いが意味をなしてくるのです。

 学生の中には、最初から、働くために来ているわけではないにしても、来日後、アルバイトに疲れ果て、結局、勉強できないという状態になってしまう人も出ています。

 彼もそうです。来ようと思えば、来られないわけはないと思うのですが、やはり、「だるい。けったるい。それにもともと勉強なんて好きじゃないし…」で、そのままになってしまうのでしょう。

 もちろん、「本当に勉強したいと思ってきた、でも(現実に)負けてしまった」という学生もいます。けれども、そういう学生は、それほど多くはないのです。だから、その、あまり勉強したくないという、大多数に、どれほど、学校に来た方が良いのだということをわかってもらえるか。それを、あれやこれやと、今は試行錯誤しながら、やってみているという状態なのです、この学校でも。

日々是好日
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「外国へ行き、そこで勉強するということは…」

2014-06-10 09:27:39 | 日本語学校
 曇り。

 曇りですが、怪しい雲行きです。「こいつぁ、降るな」と思わせるような怪しさです。

 空気中の水分が膨れあがって、木々の緑も膨張しているような感じです。一雨来るかな、一雨ならいいけれども、それが長雨になり、突風まで吹き、雷様もお出ましになり…などと考えていると、どうもいけません。お天気が悪いと学生達の出も悪くなってしまうのです。

 さて、学校です。

 今度の日曜日の「日本留学試験」を前に、作文だけは指導を入れずばなるまいと、テーマを決めて書かせてみたのですが。ちなみに、今の「Aクラス」には、漢字圏の学生はいません。殆どが、「ひらがな」か、あるいは、「初級Ⅰ」から始めた学生達です。

 というわけで、もちろん、設問は、まだ読めませんから、一緒に読みながら、意味を取っていきます。けれども、お国や民族、あるいは宗教の違いなどから、日本語の設問に対して思わぬような理解をしてしまうのです。順を追って言いますと、

 まず、設問が読めない。読めても意味が掴めない。意味が掴めたと誤解して書き始めてみても、設問に対する答えになっていない。設問が正しく理解できても、いつの間にか、話題が入れ替わって、自分の書きたいことを書いてしまう…。

 こういうこと(問い)なんて考えたことがないのでしょう。

 まだ、ベトナムの学生やフィリピンの学生達は、自分のことを素直に書き始めるので、いいのですが、スリランカの学生たちは、なかなかそうはいかない。難しい。よほど、自分の国は世界で一番良い国だと、脳に埋め込まれているのでしょう。下手に自分の国の悪いことなどを書いてしまうと、非国民呼ばわりされかねない。「私の国は世界で一番きれいで、外国人が大好きな国です」と、お決まりの文言を重ねておくしかないと、膝頭を叩けば、足がピンと跳ね上がるように、一様にそう書くのです。

 もちろん、全然違うのですが、「私は国のために、すべてをなげうって、尽くします」と、心にもないことを必ず書いてしまう中国人のことを思い出してしまいました。問い詰めると、驚くのです。どうして、そんなことを聞くのかと。これも、小学校、中学校、高校と、そう書くように指導を受け、それが当たり前になってしまい、だれからも文句を言われたことがないからでしょう。

 日本人なら、思っていても、気恥ずかしくて決して言えないせりふです。それで普通、日本人は、こういう文を見ると腹が立ってくるのです。本当のことを言っていない、いつもと全然違うじゃないかと。嘘つきだと思ってしまうのです。特に「現世」、「利益」という言葉の間で踊っているくせにという気がしてたまらなくなるのです。それで、つい、「そんなはずはない。自分のために働くのでしょう。お金が欲しいからでしょう。国のために働くなんて考えたことないでしょう」と言ってしまうのです。

 日本人は、本当に中国人達とは反対の教育を受けてきています(今はどうか判りませんが、「自信」を植えつけられてはいないことは同じような気がしますが)。

 国を出る前、いつも「日本人は島国根性の持ち主だ」という言葉を聞いていました。だから、「気をつけて目を広く見開いていなければならない。自分の国の欠点も長所も、他の国の欠点も長所も、私(わたくし)を入れずに見たり聞いたりしなければならない」と、そんなふうに、子どもの頃から言われていたのです。

 もちろん、学校ばかりではなく、新聞を読んでもそう。テレビなどの有識者の会談でもそう。日本人はこれこれで、いけないから、これこれしておかねばならないと、ことある毎に聞いてきました。

 けれども、外に出てみると、日本人なんてまだまだましな部類なのです。世界にはもっとひどい状態の国が山ほどありました。

 日本人は、架空の、いわゆる「理想」を描いて、それにはまだ至っていないから「これこれしなければならない」と常に言っていたのでしょう。

 しかし、外の世界では、だれも自分のことを、そういうふうに戒めているような国も民もいませんでした。

 小国は小国なりに、唯我独尊としか思えない考え方で、もとより大国は言わずもがなですが。

 もう、今では、私は、自分達のことを島国根性の持ち主だなんて言うのを止めています。この学校に来ている学生達の方が、日本人よりも、ずっとずっと島国根性の持ち主ですし、しかもそれを気づいていないのですから。同国人で少しでもそれに気づいて何か言おうものなら、「(国の欠点を)言うな」とばかりに睨みつけられているくらい。だから、同国人の目を、一番畏れている…ような人も少なくないのです。その中で、「いい人」になりたいのでしょう。そうでなければ、蔭で何をいわれるかわかったもんじゃないのでしょうから。

 こんなんじゃ、作文なんて書けやしません。

 まず、素直に自分を見、それを言ってみることが大切なのです。どの国だって欠点はあります。そしていいところもあるのです。いいところばかり吹いて、だから世界中の国の人は自分の国に来たがるなんて言えば、言えば言うほど、他の国の人から、「へえ、ほんとう?」と、却って馬鹿にされるだけです。

 自分の国を、色眼鏡を付けずに見る(もちろん、難しい。けれども、そうするように努力する。色眼鏡を付けてみているのじゃないかと疑ってみる。そういう態度が大切なのです。だいたい、色眼鏡を全く付けずに見られる人なんて、この世の中にいやしません。もし、いたら、それこそ、人間じゃない)。

 もちろん、彼らの国では、親も学校の教師も、「誇りを持つように」教育してきたのでしょうから、それを急に変えろと言っても無理なこと。それは重々判っているのですが、「本当に自分の国が他の国に劣っているところってないの?知らないの?気がつかないの?」と尋ねたくなってしまいます。

 日本だったら、一度も自分の村(多分、県庁所在地くらいは行っているでしょうが)から出たことがなく、それを聞かれて、「私の村が一番」とほのぼのと笑って答えられたら、皆は、なんと幸せな人なのだと思うことでしょう。だって、日本人だったら、高校生だって、一ヶ月くらいアルバイトをすれば、外国に行けるのですから。

 けれども、彼等は留学生であり、何かを学ぶために来ているのであり、学べば当然のことながら、自国に対する不満が出てくるはずです。出てこないというのは、勉強していないからとしか、言いようがないのですが。

 別にこれは、彼等だけというわけではありません。他の国に行けば、自分の国の良さを改めて認識するということも、当然、あります。けれども、「自分の国は良い国です」で終わってしまい、振り返ることもなければ、なんのために国を出たのか(しかも若いうちに)判らなくなってしまいます。何もしなくとも、出てみるだけでもいいとは言うけれども、それは自然に見えてくることがあろうからという親心であって、それでいいというわけではありません。

 外から見るということは、内にいる時に比べて、客観的に見える部分が、多少なりとも拡がる、深まるはずなのです。その、せっかくの機会を活かせないということは、甚だ、もったいないことなのです。彼等が、これからどこの国へ行くことになろうとも、どういう仕事をすることになろうとも、それは、必ず、生きてくると思うのです。そのためにも、一つ、殻を破って欲しい。本当にそう思います。

日々是好日
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「梅雨の晴れ間」。「人それぞれ」。

2014-06-09 08:33:54 | 日本語の授業
 晴れ。

 金曜日から続いた雨で、木々や草花は十分に潤い、急に勢いづいてきたように見えます。今朝など、「キョウチクトウ(夾竹桃)」の緑の葉の間から、鮮やかな紅が見え隠れしているようですし、角のお宅の「ホタルブクロ(蛍袋)」も、たわわに「実って」見えます。

 本格的な「梅雨」期が始まると、晴れ間が本当に眩しく感じられます。その貴重な晴れ間が今朝のお空。もちろん、「晴れ」とは言いましても、「青空」とは、ほど遠く、うっすらと雲の白い膜が貼られているようで、まあ、きれいな「水色」といった方がいいのかもしれません。とはいえ、大地に、陽の光はしっかりと届いています。

 ただ、湿度は高いようですね。まだ大気は不安定だそうで、また降り出すかもしれません。小雨程度だったらいいのですが、本格的に「ザァー、ザァー」来られますと、長靴のお世話にならねばならなくなってしまいます。

 そういえば、金曜日の先生が、「これから、可愛い『レインブーツ』を買いに行ってきま~す」と、うれしそうに帰っていきましたっけ。このシーズンが始まりますと、靴屋は言うに及ばず、デパートなどのショウウインドーにも、しゃれた傘やら、色とりどりのレインブーツやらが、飾られるはじめます。

 こういうファッションも、どんどん色鮮やかに、そしてタブーがなくなっていきます。これも「国際化」の一つの表れなのでしょう。いいと感じられるものはすぐに取り入れていくという。

 もちろん、どの国でも、昔から男女を問わず、また年齢を問わず、「かっこいい」とか「しゃれた」ものを、率先して身に付けていく人たちがいました。今時の言葉で言うと、いわゆる、「ファッションリーダー」と言われる人たちです。浮世絵に描かれた「茶屋の娘」であったり、「歌舞伎役者」であったりしたのでしょうが、彼等の服装や仕草などを見て、真似したいと思った一般大衆が、金銭的に許される限り、たとえ「まがい物」であっても、似たものを身に付け、町を闊歩していたのでしょう。彼等と一体になれたような「晴れがましさ」を感じながら、その時だけはスターになれたような気分で。

 たとえ「真似」であっても、サムライの時代、明治、大正、昭和の前期などであったら、かなりの勇気がいったでしょうね。常に「常識的な装い」というものがありましたから。

 今では、この日本、ファッション一つをとりましても、「何でもあり」の国になっています。時々、「アレレレレ…??」という服装をしている人も見かけますが、そういう服装をしているからといって、見咎める人も眉を顰める人もなく、ヨーロッパ人から見ても、「自由で羨ましい」と思われる程だとか。

 私たちの方では、パリなどの方が「自由」と思いがちなのですが、彼らの国には、「然るべき階層の人は、然るべき服装をすべき」という「世間の目」があるようで、階級制の残っている「古」欧州の方が、ある意味では、日本などよりも、かなり保守的であるのかもしれません。

 この学校の学生達は、そういう(西ヨーロッパの)国よりも、もっともっと保守的な、あまり開放されていない国から来ている人達が大半ですから、時々、あまりに「自由すぎる服装」をしている若い人や若く見える人を見て、まるで、頑固な年寄りのような目になる人も、出てきます。見咎めるのでしょう。

 もう、日本人は、「人それぞれ。服くらいのことに目くじらを立ててどうするんだ」くらいのことに考えているのですが、いわゆる(中高校生の受験期に、学校から言われる)「服の乱れは心の乱れ」と解するのでしょう、どうも、許せないと思う人もいるようです。

 私たちは、「もう、大学生になっていれば、また社会人になっていれば、『私〔私〕の時間』に、何を着て街を歩こうと、その人の勝手。その人の責任でやればいい」くらいに考えて、別に「見る」ということなんぞしないのですが、彼等はそうはいかないようです。

 正義感に駆られでもしたかのように、批判的にそういう人を見て、「自分の国では、若い人(特に女性を指す場合が多いのですが)は、こんな恰好で街を歩かない」と、自分の国を誇る人まで出てきます。私たちは、「だからどうなんだ」と思いますし、「どちらの国の方にそういう『禍々しい』犯罪が多いのか」とも思うのですが、やはりだめですね。見た目で、非難して終わりです。

 人は、なかなかに自分とは異質の他者を認めることは難しい。たとえ若い人であっても、「自分の国のやり方が、『是』であり、その範疇に入らないものは、すべて『非』」としてしまう傾向は、変わらないようです。

 もちろん、「変わって欲しい」なんて思いもしないのですが、「『人それぞれ』を自分だけでなく、他者にも感じてほしい」という気持ちだけは、こういう言葉を聞くたびに、強くなるのです。

日々是好日
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「自分の国を誇るのはいいけれども、皆が皆、他の国を貶めたら、良い国でも何でもなくなってしまうよ」。

2014-06-06 18:05:06 | 日本語の授業
 曇り。

 今朝も…(昨夜から)ずっと大雨が続いている…と思って、窓を開けたのですけれども…ベランダは乾いていました。

 昨日、関東地方も「梅雨入り」し、本格的な「雨の季節」が始まりました…多分。

 雨の日は、「ジメジメ、ジトー」として、鬱陶しいだけ…というわけではないことを、学生達にも判ってもらいたいのですが…。外に出ましょう、長靴を履いて、傘をさして…と言ったところで、ベトナム人学生やスリランカ学生の足元を見ると、つっかけ…。そうか、彼等は、夏はつっかけなんだ。内履きも、外履きも同じ。おんなじような、つっかけだったんだ…。そういえば、ペキンの人もそうだった。男の人は、どこへ行くのも、半パンにつっかけ履きだったっけ…。

 夏暑いと、そうなるのでしょうね。これは習慣だから、しようがないか。それを考えると、ジトジト、ムシムシするこの時期に、長靴だったり、蒸れやすい靴だったり、あるいはスポーツシューズだったりを穿いている、日本人は、本当に忍耐強いというか…。

 そうだ。楽な恰好をして歩いてもいいんじゃないかと、思わず彼等の肩を叩いてやりたくなってしまいます。

 日本人は、周りの目が気になるのでしょうか。それとも、外に出る時くらい、バシッとした恰好をしたいのでしょうか。確かに、考えてみれば、堅苦しい…。

 私がいろいろ考えているうちに、学生達はどこかへ行ってしまいました。彼等は(日本へ来ても)外へ出て、日本人と話し、日本語の勉強をするよりも、時間があったら、部屋の中で、ゲームをしたり、友達とダベリングをしたりしたいのでしょう。母国にいた時と、できれば、同じように過ごしたいと思っている学生達が大半のような気がするのです。

 さて、学校です。

 昨日、学生達に、日本の社会の変化について、少し話をしました。文化も、習慣も、そして伝統行事も、少しずつ変わってきていると言ったのですが、その後、「さて、君たちの国では」と振ってみました。最初は顔を見合わせていた学生達も、自分の国のことをいくらでも言っていいのだということがわかりますと、私の国はこうですと先を争って言い始めました…。

 もちろん、それはそれでいいのですが、そこで終わりなのです。「私の国は、『こうだ、こうだ』」で、終わりなのです。それから一歩進んで、「ここが、日本と違う」とか、「それはどうしてなのか」とか、「どうなった方が良いのか」などの方へは行かないのです。、途端に口が貝になってしまうのです。中には、日本と違うということを言う学生もいましたが、それは「だから、私の国はすばらしい」を言わんがためのもので、意見でもなんでもないのです。

スリランカでは、
「お母さんは、朝、6時に起きて、みんなの御飯を作ってくれます」
「男の人は、料理なんて作りません」
「女の人は会社へ行きません。ずっと家の仕事をしています。男の人が働いて、お金をみんなにあげるのです」
「女の人は、夕方、6時よりあとは、外に出ません」
「お正月は、昔から一緒です。変わりません。同じことをします」

ベトナムでは、
「お母さんが、朝早く起きて、料理を作ってくれます」
「ベトナムでは、暑いですから、昔から、△形をした帽子をかぶります」
「お正月には、みんな、お米で作ったケーキを食べます。家で作ります。中にはお肉も豆もいろいろな野菜が入っています」

人数の少ない、フィリピン学生は。
「料理は、男の人が作ってもいいし、女の人が作ってもいいです。同じです」を言うのがせいぜいでしたが。

 彼等の話は皆、「自分の国がいい」、「他はおかしい」と思っているように聞こえるのです。

 スリランカの学生に、どうして女の人は夕方暗くなったら、外に出てはいけないのかと聞いみると、黙っています。多分、どうして出てはいけないのか、出られないのかなんて考えたことがなかったのでしょう。

 「私の国は、こうだ」で、終わっているのです。

 もし、1000年も前のリーダーが決めたことをそのまま、今でも守らなければならないとすれば、必ず、息苦しくなって耐えられなくなる人が出てくるはずです。

 ルールを決めた時が、戦時下であったとしたら、平和を取り戻した時には、変えて然るべきでしょう。

 以前、ペルーの女の子を教えたことがありました。彼女は小学校の数年を日本で過ごし、それから、2、3年、ペルーに帰っていたのですが、どうしても日本に戻りたいといって中学三年生の時、また日本に来たのです。けれども、小学校レベルの日本語と中学校の2年間で習得する日本語とは大きな差がありました。その上、中学校の2年間は、言語を習得するだけではなく、それに付随した知識(本末転倒かもしれませんが)も入っているわけですから、小学校レベルの日本語や知識では、進学したいにせよ、他の人たちと太刀打ちできなかったのです。

 戻ってきても大変なことは判っていたであろうに、どうして戻ってきたのかと聞くと、「日本ではコンビニが24時間開いていて、いつでもおいしいものが食べられた(向こうでは、食事も質素だったと聞きます)。それに、向こうは、夕方になると、女の子は外に出られない」。

 彼女は、少なくとも、ペルーに帰された時点で、それなりの不満があったのだろうと思います。だから、日本とペルーとを比較し、どちらの国がいいか、それはなぜなのかを考えたのでしょう。もちろん、彼女はまだ中学生でしたから、「考え」にしても、「嫌だった」くらいのものでしかなかったのですが。

 ところが、既に高校を出ているにもかかわらず、留学生達には、物事を比較するという習慣も、なぜそうなのかと考えるということも、ほとんどないのです。これはこの期の学生だけというわけではありません。多分、そういう教育をあまり受けていない…ような気がするのです。

 もちろん、外国へ行くと、自分の国が、欠点のない、夢の国のように見えてくるというのは、本当でしょう。だから、と言ってしまえばそれまでなのですが、それにしても、もう少し、客観的な目が欲しいし、建設的な意見も欲しい。

 結局、あれやこれやと、私が欲張りなことを言ってしまって、学生達を少し暗い気持ちにさせてしまいました。終わってから、反省すること頻り。もう少し、じんわりと攻めるのでありました。

日々是好日、
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