日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「雨の日」。「『初級(Ⅰ)』クラス」。「スーダン人の学生」。

2009-01-30 08:11:17 | 日本語の授業
 今朝は雨。今日、明日と雨が降り続くとのことです。

 雨、雨、雨…。ふと「雨の日」を面倒がっている自分に気づいて愕然としてしまいました。いつから、こんな気持ちになり始めたのでしょう。確か、子供の頃には、「雨の日」が、特別な日だったような気がするのですが…。

 アスファルトに当たって跳ね返る「水しぶき」を、飽かず、眺めたり、道沿いの家々の庭木に当たる「雨音」に耳を傾けたり…。特に、学校から帰るときには、いろいろな発見がありました。「雨の日」は、「晴れの日」とは違うのです。景色が違うのです。「雨の日」にしか見えない「町の景色」というものがあるのです。

 傘を用いた遊びも、当時は、健在でした。手のひらの上に、真っ直ぐに立てて、曲芸師まがいのことをし、その時間を競ったり、或いは、傘を広げて、ブンブンと振り回しながら、競争してみたり(これは、案外に走りづらいのです)、傘をさしたまま、「水たまり」の上を、パチャパチャ「水しぶき」を、跳ね上げながら歩いてみたり…。

 あんな(今から思えば)、単純な遊びが、どうしてあれほど楽しかったのでしょう。「雨の日」の、遊びの種は尽きず、雨が降ることを待ちわびていたような気がします。

 けれども、今は、「雨の日」を面倒だと思っている自分の心に気づいて、驚いているのです。不思議ですね。

 今頃の季節でしたら、分厚い椿の葉に目を留めて、滴のきらめきに心躍らせて然るべきでしょうし、雨に濡れた裸の木々の、そのまた上を、滝のように滑り下りていく水の姿に見入って然るべきでしょう。木々の肌が、雨に濡れて黒光りし始めるのも、濡れ濡れとしたその木肌に、車のライトが反射して光を生むのも、魅惑的な光景なのですから。

 「冬の雨」は、「春時」や「梅雨時」の雨とはまた違い、格別な味わいがあるはずです。それなのに、今では「見入る」どころか、「素通り」しているのです。そして、それに気づいて、驚いているのです、自分に自分が。どんどん大切な感覚が摩滅していく自分に、焦りを感じるのは愚かなことでしょうか。

 さて、学校です。

 昨日「初級Ⅰ」のクラスに行きますと、後ろの席に中国人の学生が三人並んで座っていました。昨日まではバラバラに座っていましたのに、どうしてかと問いますと、ニコニコしながら「いいでしょう」というのです。

 何もなければ、それでよし。様子見です。他の国の学生達と、仲は相変わらずよろしい。おかしなことを言っては、前後で握手をしあっています。つまらないことでも身体を動かすというのは大切です。特に初級の間は。それで、彼らのいいようにと、席はそのままにさせて、授業を進めていきました。前と後ろで「ミニ会話」をさせていけば、それはそれで問題はないのです。

 そう思って、前列を見てみますと、きれいに国際化が図られています。向かって右から、タイ、ガーナ、インド、タンザニア、スーダン。この中で、開講時からいるのは、インドとガーナとタイの学生だけ。スーダンとタンザニアから来た学生は、祖国でも日本語に触れる機会がなかったわけですから、大変です。「ひらがな」と「カタカナ」を覚えるまでは、自分たちの言葉で、音を取らせておきます。

 さて、授業も終わって、「お昼」も済ませて、自習室の様子を窺ってみますと、半年前からきている「先輩」たちが、自分たちも勉強をしながらですが、時々注意を与えている様子。タンザニアから来た学生は、英語が分かるので、どうにかなるとして、スーダンから来た学生は、アラビア語ですからね、どうしているのかなと見ていると、(先輩達は)日本語で話しかけながら、目などの表情と手などの動作で、意志を伝えているようです。

 言語を学習する場合、これも大切な要素で、これだけでもかなりの部分を伝えることができます。学校が準備した子供用の「あいうえお」の器具と、プリント。それに、可愛い先輩達の指導(?)(後は適当に教師が注意を与えています)とで、「あ行」と「か行」は言えるようになったようです。「さ行」は、ちょっとあやふやだったかしらん。それと書く方も、「え」と「お」は悩んでいたようでした。けれど、イメージがないのだから、どうしても急には無理です。落ち着くまでには、時間がかかります。

 タンザニアから来た学生は女の子ですから、まだ良いとして、スーダン人の学生は男性ですからね。力尽くの勝負では、こちらの方が少々不利です。しかも、非常にがっちりして、背も高いのです。ところが、彼は「小人の国」、日本へ来て驚いてでもいるのでしょうか。いつも身を縮め気味にし、気弱そうに微笑んでいます。まるで、威圧感を与えるのを畏れてでもいるかのように。が、気が弱いなと侮っていると、おおごとです。なんといっても力はあるのですから。

 書くときは、指の一本一本に力を込めて、鉛筆をしっかりと握って、書くのです。誤っている箇所を直させようと思って、こちらが手を添えて書かせる時は、特に大変です。曲げてはいけない所に力を入れて、ギュッとばかりに曲げようとするので、こちらの指のほうが追いつきません。力を入れるなと言いたくとも、言葉が通じないのですから。で、もうこうなったら、力比べです。昨日は「う」と「え」と「お」の字だけで、さすがの私も力が尽きてしまいました。

 「軽く書く」、「力を抜いて書く」とい習慣をつけさせるためには、(面倒でも)早くから、「筆ペン」を持たせておいた方がいいのかもしれません。(けれど、あんなに力を入れて書いていて、指が疲れないのでしょうか。どうも、彼らの書き方は力尽くで線を引いているように見えて仕方がないのですが)。

日々是好日

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「電信柱」。「街路樹」。「『青』のうちに渡りきれない『横断歩道』」。「『例外』の許された『社会』」。

2009-01-29 07:39:57 | 日本語の授業
今朝は、曇り。夜がゆっくりと明けていきます。

 いつもに似ず、人影も多く、どこか不自然で、おかしな気がします。しかしながら、そういう私も、不自然さを醸し出している中の一人なのですから、他の人から見たら、やはり変なのでしょう。

 ジョギングをしている人達も、車に注意を促すかのように、「白」や「黄」の色を、まとっています。中には「蛍光塗料」が走っているかのような人もいて、これは笑ってしまいます。しかも、一度見たら、目が貼り付いてしまいそうで、却って危ないのです。ただ、(こういう人に限って)急にUターンするのです。自転車に乗っている側としては、とても困りますね。運転(自転車の)技術がそれほど高いというわけではないので…。

 薄闇の中で、信号待ちをしているとき、ふとそばの電信柱が気になりました。昔は(遺老の繰り言めいて、恐縮ですが)、『みんなの歌』の中に登場する「寂しげな電信柱さん」であったり、テレビの時代劇の中に、時々遠くに見えたりする「おどけ者」であったりしたのですが、もし、この電線を地中に埋めてしまうということになると、彼らの姿も見られなくなってしまいます。

 「都市の景観」という点から考えれば、それは勿論、「美観」へと移行するわけですから、不満を言えば、「罰当たり」です。

 けれど、我々の傍らには、いつも彼らの姿がありました。「寅さん」の映画を待つまでもなく、電信柱の立っていない道なんて、どこにもありませんでした。日本が貧しかったときも、バブルで浮かれて踊り狂っていた頃も、いつも私たちの傍らには、電信柱が静かに立っていました。こうなると「同志」ですね。闇の中に浮かんでいる彼らを見ていると、「昭和の残像」には、必要不可欠な存在であるかのように思えてくるのです。既に、彼ら自身が、「昭和の人々・景色」と一体になっているのです。

 今の日本人の心の中には、「電信柱」が(道の両側に立っているという意味で)、「街路樹」の代わりのような役目を負わされているのかもしれません。。

 そういえば、江戸時代は「一里塚」として、「松」の木が植えられていましたし、「桜並木」を楽しむこともあったようですが、今はどうなのでしょう。そういう心の余裕がない時代に生きていると言われてしまえば、身も蓋もなくなってしまうのですが。

 ところが、80年代の中国にはそれがありました。

 あの「通り」には、「槐の木」が道の両側を覆い、向こうの「通り」には、桐の木がすっくと立ち並んでいた…。自転車を走らせているとき、高大な楊の木は別格としても、どれほど彼らのお世話になったのかしれません。

 しかし、最近は、北京でも、車が町から溢れるほどになり、並木の「ありがたみ」は、「景観」だけと成り果てているようです。

 北京は日本と違い、なんといっても、道幅が広いのです。高大で、枝を広く伸ばした木がよく似合います。しかしながら、何事によらず、「『長所』は、即ち『短所』」。道幅が広いということは、歩いている人間から見れば、これは大変なことなのです。

 歩いていては、「信号」が「青」のうちに渡り終えることができないのです。車道が何車線もあり、広いからというだけでもありますまいが、歩いているときに「青」の信号が直ぐに点滅を始めるのです。これは一つ二つという問題ではありません。あちらでもこちらでも、そうなのです。横断歩道の真ん中辺りで、立ち尽くすという事もしばしばでした。

 そんなわけでもありますまいが、だから、人々は交通規則を遵守しないのでしょう。たったあれだけの時間のうちに、あの広い道を渡りきるなんて、土台無理な話なのですから。「車が通っていなくても、『信号』が『赤』であったときは止まる」という習慣がついている国、日本から来た私でも、守れなかったくらいなのですから(これを見ていたイタリア人の友人曰く「ドイツ人と日本人は阿呆だ」。ドイツ人の友人も私と同じ行動をとっていました)。


 ここでは、「みんな一緒に」が、何よりも強い。だれかが渡り始めたら、直ぐに皆争って渡ろうとします。そうしないと、場合によっては、命の危険さえ感じさせられることがあるのです。

 日本から中国へ行くと、「『強い者が偉いの』は、真実である」ということが、よく納得できます。「車」は「自転車」よりも偉いし、「自転車」は「人」よりも偉いのです。

 日本では、交通事故に遭った場合、強い方が悪いのです。「車」と「人」がぶつかった場合、どんなに「人」が悪くても、「車」に乗っていた者が責められますし、補償しなければなりません。だから、「車に乗っている人」は、「自転車」が怖いのです、「歩いている人」が怖いのです。

 「黒帯の猛者」と「チンピラやくざ」が喧嘩した場合、どんなに「チンピラ」が悪くても、「黒帯の猛者」が正しくても、それによって、「チンピラ」がけがをした場合は,「黒帯の猛者」が非難されます。。

 「弱い者が、(法に守られて)強い」というのは、ある意味では「理想の社会」でしょう。しかし、それも「法」あってのこと。それを守らねばならぬようにする「法」あってのこと。「監視」も必要となりますし、「罰則」も必要となります。

 そこには、「人は過ちを犯す」という共通の認識がなければならないのです。この「人」というのは、「あらゆる人が」という意味です。「例外」を認めるような社会であったら、「法」というのは、箍の外れた桶のように、バラバラになってしまいます。

 「『例外』の許される社会」とは、「堕落した社会」とも言い換えることができます。

 「昨今の日本」を、どう言い表せばいいのでしょう。「規制緩和」で、「派遣社員」を使う側に、数々の「自由」、或いは「(正社員を雇う場合に比べれば)様々な例外」を認めてしまったのです。

 そうして、瞬く間にそれは広がり、「保護される者」と「例外の者」という「差」が、生まれてしまったのです。「保護されつけている者」は、その枠を外されることを厭います。そうされまいと足掻きます。勿論、それは当然でしょう。「政・官・財・民」間で、何十年もかけて、やっと掴んだ「保護」なのですから。ということは、「例外の者」を、引き上げねばなりません。「保護されるべき人」として、待遇改善をせねばなりません。「法」の下に、「例外」を作ってはならないのです。

 どういう国に住んでいても、多少の不満で終わる程度で暮らせたら、どんなに良いでしょう。
 どこに住んでも同じだと言えるような社会になったら、どんなに良いでしょう。
 「帰れない」し、「帰りたくない」と自分の国を思わなければならない人がいるのは、どんなに辛いことでしょう。

 日本もそうなって欲しくありません。

日々是好日
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「ヒヨドリ」。「ネコ」。「勢揃いした『一月生』」。

2009-01-28 08:10:48 | 日本語の授業
 今朝、空を見ていて、不思議なことに気がつきました。最初は、少し明るくなった空の青に黒い雲が浮かんでいて、「こいつあ、斑の空だ」と、勝手に喜んでいただけだったのですが、学校に着く頃、消防署の角を曲がる頃には(随分明るくなっていました)、東の方の雲は、まだ黒っぽいままでしたのに、そのずっと上、私の頭上の雲は、既に白くなっていたのです。東の地平線から遠ざかれば遠ざかるほど、白くなっていたのです。

 夜明けが、お日様と反対側の、雲の色から始まっていたなんて、今まで気がつきませんでした。

 けれど、本当に夜が早く明けるようになりました。暮れるのも遅くなったようです。
これは、昨日のことでした。午後の学生が、帰るときに、
「先生、まだ明るいです。変です。日本はまだ冬なのに」
と言っていましたっけ。

 そう言われてみると、彼らが帰るときには、玄関と階段の灯りが必要でしたし、私にしても、朝、カギを探すのに、(暗かったので)もたついていましたっけ。「春遠からじ」でしょうか。この後、幾度か、冬将軍の訪れがあるにしても。

 春と言えば、学校のマーガレットの花はもう咲いています。先日、それを啄みに、ヒヨドリもやって来ました。二羽のヒヨドリが、いきなりやって来て、乱暴に花びらをむしり始めたのです。

 何ともはや、ギャングだけあって荒々しい所行ではありました。が、それでも、小鳥は小鳥。よくぞ、道路の、直ぐそばまでやって来たものです。最近は野良猫もウロウロしているというのに。

 猫と言えば、一階のクラスは道に面しているので、最近は、授業中も、猫の姿をよく見かけるようになりました。

 一昨年は、裏の猫が数匹の子供を生んで、その仔ネコたちの遊び場が、一階の階段でした。階段と言いましても、窓に面している三段ほどです。そこに季節の花をプランターに入れて飾っているのですが、やって来て遊ぶのは、ここと決まっていました。花と戯れたり、蝶を追いかけたり、時には窓ガラスにとりついて、教室の中をのぞき込んだり…。そうすると、まだ子供ですから、夢中になって遊んでいるうちに、人間の直ぐそばまでやって来るようなこともありました。勿論、母猫に呼ばれて飛んで帰るのですが。可愛かったですね。春が近づくたびに思い出してしまいます。彼らはどうしているでしょうか。無事に育っているでしょうか。だれかにもらわれて、幸せに暮らしていると良いのですが。

 今、よく目にするのは、、大猫です。大人の、大きな猫。しかも、新顔が二匹、加わっています。それぞれ違う時間にやってきて、辺りを悠然と歩き回って、それから、ねぐらに帰っていくのです。これはもう、毎日の仕事ですね、彼らの。雨が降らない限り、続けられているようです。

 力関係で、向かいの駐車場の日当たりの良い所で、日向ぼっこができるかどうか決まってくるのでしょう。寒さが厳しかった頃には、訪れる猫もいなかったようでしたが、晴れた日や風のない日には、学生達が、
「先生、先生。あそこ、あそこ」
と言って教えてくれるので、直ぐに判ります。

 ところで、一月生、最後の一人が、一昨日、無事に着きました。タンザニアからの学生です。

 タンザニアからエミレーツ航空で、ドバイを経由し、関西空港に着き、JALに乗り換えて、羽田に着いたのが、一昨日の夜。昨日は疲れていて学校に来られないだろうと言っていたのですが、朝、彼女を呼んだ人に、ちゃんと連れてきてもらっていました。

 これで、「初級Ⅰ」クラスは、アフリカ勢が二名ということに…と思っていたのですが、お隣のマンションに住んでいるスーダン人の男性が、友人を連れてきたのです。その人は大使館の仕事をしていて、もう日本に来てから一年になるけれども、日本語が話せないので、困っていると言って。それで、まず、授業を見てもらうことになり、結局昨日の授業の時には、アフリカ勢が三名、参加することになりました。アフリカ勢三名、インド人一名、中国人三名、これにあと病気で休んだタイ人の男の子が一人加わるのですが、何とも賑やかなことです。

 タンザニアから来た女子学生には、隣にガーナから来た学生が座り、世話を焼いていました。授業が終わった後も、お手伝いで、同室になる中国人の女の子と一緒に、彼が荷物を運んだり、市役所へ行ったりしてくれました。

 学校に戻ってきてからも、教師の手が空く四時までは、自習室で勉強していなさいと言うと、素直に上がって待っていてくれました。そして、彼らが出ていった後、教室を見てみると、黒板一杯に「ひらがな」が書いてありました。どうも、二十日ほど前に来て、既に「ひらがな」「カタカナ」をマスターしていたガーナ人の青年が、彼女に教えていたらしいのです。

 「二十日前」の先輩です。たった二十日しか違わなくても、一生懸命勉強していただけのことはあって、こうして教えてやることができるのですね。これまでは、「ひらがな」「カタカナ」を書くのも遅いし、言葉も通じているのかいないのか、判らないような部分もあったのですが、彼女に通訳してくれているところを見ていると、こちらの意図する所
を察するだけの力はついているようです。無駄に二十日間を過ごしていなかったことが判って、一同ホッとしました。

 ただ二十日も遅れてから日本へやって来たというのは、勉強の面から考えると、彼女にとっては、少々辛いことです。ただ、昨日一日だけで、もう「仲間」という感じになっていたので、人間関係は徐々に築き上げていけば、大丈夫。あとは日本語の勉強だけです。まずは「ひらがな」「カタカナ」です。何事もそれからのこと。

日々是好日
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「玄関の模様替え、節分」。「『泣いた赤鬼』、赤鬼の気持ち」。

2009-01-27 10:53:37 | 日本語の授業
 さて、昨日、若い先生が、玄関の「模様替え」をしました。テーマは「節分」です。「模様替え」をすると言いましても、「靴箱の上の空間」と横の「壁面」が活かせるだけですから、知恵を絞らなければなりません。しかも、「壁面」の、横半分は、すでに、最近の(課外活動の折の)写真が溢れていますし、上を見ましても、所狭しとばかりに、「卒業式」や「(大学合格の際の)うれしそうな顔」で一杯です。

 その「節分」を、早速、午前の学生達が帰るときに発見しました。「これは何だ」と「鬼の面」を指して言っています。どうも鬼の面に興味を惹かれるようですね。可愛い鬼だからでしょうか。「グロ可愛い」です、最近の言い方を倣って、表現しますと。

 同じ「鬼」という漢字を用いても、中国語と日本語とでは、意味が異なります。しかも、日本の「鬼」は、どんどん可愛くなって、カタカナ的な「オニさん」になってしまい、以前はあった「なまはげ」的な怖さは、今では、もう感じられなくなってしまいました。

 私にしても、中国語の本を勝手に読んでいる時に(漢字はだいたい判りますので、「初級」レベルであろうと、中国語の文章は読み飛ばせるのです。特に古典は)、「何か変だな」と感じた字でもありました。中国語では、「死者」を指すのが、「鬼」という漢字ですので、地獄の様子を表す文章を読んでいると、「何か変だな」状態になってしまうのです。日本では地獄で「死者」達を苦しめ、苛むのが「鬼」なのですから。

 けれども、漢文を大学で専攻した日本人達は、「うん、死者のこと」で納得していました。多分、現代中国語でも古代中国語と同じ意味だということが判って、ホッとしたのでしょう。、

 とは言いましても、普通の日本人には、それは通りません。日本昔話で出て来る「泣いた赤鬼」のイメージが強いのです。そして、直ぐに「見かけが怖そうだからといって、差別するのはいけない」というメッセージが伝わってきます。「道徳教育」のなせるわざ。怖ろしい所ですね。植え付けられているのです。その反対のメッセージ(いわゆる「見かけが優しそうだからといって、優しいとは限らない。本当は怖い人かもしれない」)も。

 この昔話には、善人で気の弱い「赤鬼」さんと、彼の良き友、「青鬼」さんが出てきます。
 
 「赤鬼」さんは、可愛い人間の子供達と友達になりたくてしょうがない。けれども、怖い顔をしていますので、どんなに親切にしてあげようとしても、逃げられてしまうのです。しょんぼりしている「赤鬼」さんを、見るに見かねて、友達の「青鬼」さんが、ある計画を思いつきました。「青鬼」さんが怖い顔をして、子供達を虐め、それを「赤鬼」さんに助けさせるというのです。計画は図に当たって、子供達は「赤鬼」さんに感謝し、彼と遊ぶようになります。「赤鬼」さんは、子供達と遊べるので、楽しくてたまらない。毎日を
夢のように過ごしていました。そんな「赤鬼」さんの許へ、「青鬼」さんから手紙が届きます。そこには、こんなことが書かれてありました。

 「自分と友達だと言うことがわかったら、せっかく友達になれた子供達が、また離れていくだろう。だから、自分は引っ越しをする。君は子供達とこれからも楽しく暮らしてください。さようなら」。

 それで、「赤鬼」さんは泣くのです。

 「青鬼」さんの気持ちが判ってからの、「赤鬼」さんはどうしたか。それは判りません。子供達に自分で考えさせたのでしょう。短絡的に、「青鬼」さんを追っかけるとか、謝るとか、或いは、やっぱり子供達と遊ぶ方が面白いからそうするとかいう答えを出せても、「情操教育」という観点から見れば、何にもなりません。

 人はそれぞれ複雑で、割り切れない気持ちを抱きながら生きているのですから。

 ここでは、「青鬼」さんの「赤鬼」さんへの友情、そして、その「青鬼」さんの優しさを知ったときの「赤鬼」さんの気持ち。これがすべてなのです。見えて感じられたことが、すべてで、「赤鬼」さんの行動に評価を下すというのは、人として、やや増冗漫ですね。

 もっとも、子供の時、この話を初めて聞いたときは、本当にやるせない気持ちになりました。「赤鬼」さんの女々しさも、「青鬼」さんの潔さ、思いの深さも、みんなそのまま受け入れられたのです。それで、やるせなかったのでしょう。そして、自分ならどうするかなと考えたのです。考えて、どれも違うと思いました。どうしても、心が別の方に残ってしまうのです。どういう行動をとってもだめだな。「子供達に本当の事を話して、『青鬼』も呼んで一緒に楽しく暮らす」が、多分、求められている答えだろうなとは思ったのですが、いい子ぶっているようで、また、実際にそんなことをしても、それでも、子供達は以前のまま遊んでくれるだろうかなとも思われたのです。子供というのは残酷ですから。で、結局、答えはなし。書けませんでした。

 今ではそれで良かったのだと思います。答えなんてないのですから。

 というわけで、日本人の心の中では「鬼」さんは、「オニ」さんで、のんきだったり、気が弱かったり、人間に騙されたりするのです。「人」と同じなのです。

 「節分」の時、「オニ」役になっても、楽しく逃げてください。口では「オニは外」なんて言いますが、本当は可愛い「オニ」さんが、大好きなのですから。

 ところで、昨日は、おしゃまさん達の英語授業二回目でした。先生は
「うーん。まだまだですね。けれども、やるように言ったことはしっかりとやって来ているので、私も頑張ります」
とのことでした。

 そして、
「明日、先生に英語であることを言うように言っておいたので、聞いてください」
と、言われたのですが、うん????状態。

 しかし、一人が帰るときに、靴を履きながら、
「先生。……(これは英語です)」
と、いつもには似ず、蚊の鳴くような声で、長い文を言っていました。
「先生(これは大きな声で)、判りましたか」
「はい、判りました(本当は、あまり判らなかったのです)」
途端に、
「ふふふ」
と笑って、元気よく帰っていきました。

 実験台に、どうぞ(私を)お使いください。(私も、英語を)日本語に訳してもらいますから(私に言った人にですぞ)。それから、どうか、おしゃまさん方、英語になった途端に小さな声になるのはやめてくださいね。ますます聞こえなくなりますから。

日々是好日
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「『気持ち』に支配される『脳』」。「人々を育てていく上での『マスコミ』」

2009-01-26 08:15:53 | 日本語の授業
 静かな朝です。雨催いの時には、空を「菫色」と見ましたのに、今朝はきれいな「青」になっています。限りなく「闇色に近い濃紺」が、そのまま淡くなってできたような「青」です。そして、東には、柔らかな光が夜明けを告げています。

 不思議なことに、今朝は、来る途中、鳥の鳴き声も聞きませんでしたし、姿も見ませんでした。風もなく、どこかしら、見知らぬ町を行くようで、心許なさを覚えたほどでした。

 さて、現実に戻ります。

 様々な出来事を知る(知らなければ、何事も判断できませんし、それに則った行動をとることもできません)ための、いわゆる「発達したマスコミ」というものを、まだ持たされていない国から来た人達の話です。

 そういう国では、「公教育」が、大きな力を持っています。親兄弟とても口を挟めぬほどに。その理由の一つは、おそらく、国がそれだけの(良きにつけ、悪しきにつけ)権威を持っているということでしょう。また、今一つの理由は、親兄弟も、その力によって、国の望むような状態に、すでに育て上げられているということが考えられます。

 子供は社会的な「弱者」であると同時に、社会に危機を告げる「カナリヤ」のようなものです。社会の危機を、一番最初に感じるのです。彼らの周りには、違う考え、視野を持った人間を、雑然とおいておかなければなりません。それでこそ、バランスを取ることができるのです。「同じ主張」、「同じ考え」、「同じ反応」。それを、「怖ろしい」と感じる心がなければなりません。それを育てなければ、国や民族の未来はなきに等しいのです。親や世間が判るような「反応」であったら、百年前と同じということになります。社会がこれほどの勢いでグローバル化されているというのに、皆同じ反応だなんて、気持ちが悪いじゃありませんか。

 そういう中で育った人間が、違う世界を知ったとき、また若ければ、それを学ぶこともできるでしょうが、もう土台ができあがっていた場合、かなりの知性が無ければ、もう受け入れていくことはできないでしょう。

 大学を出て、大学院を目指すために努力している人達に、それを感じることがあるのです。世界各地で、グローバル化が、かなり進んでいるとはいえ、まだまだ、彼らの活動範囲は狭いのです。相手国は、自分の国より、国際的な取り決めを遵守するという姿勢に欠けた国々が多く、自分の国の方がマシのように思えているのです。

 発展著しい「中国」にしてもそうです。「インド」にしてもそうです。

 随分前の話になりますが、私が中国にいたときのことです。日本にいたときには、地図帳でしか見たことのないような国の人達と、同じ学校の中で生活していました。初めは学生でしたから、「クラスメートの友達は友達だ。その友達も友達だ」という感じで、幅広く話を聞いたりする機会がありました。

 話の圏外にいて、みんなの会話を聞いているとき、この民族はこういう考えで見ていたんだなと合点がいくこともありましたが、この国の人達は、どうしてこう考えているのだろうかと、頭をひねりたくなることも少なくありませんでした。

 その中で思ったのですが、一口に「考え」と言っているものも、実は「気持ち」でしかないのだということなのです。「頭」が考えているのではなく、これまで経験したことの中で味わったことが「気持ち」となって、あたかも論理的に考えているかのように、口から迸っているのです。そのような「気持ち」というものは、私のような人間から見ても、狭い視野の中で蠢いているようにしか見えませんでした。

 こうなってくると、それぞれが狭い自分の視野の中に閉じこもっているようなものですから、討論していても、おかしな具合になってきます。どこまで行っても平行線なのです。正確な情報を与えられて育ってもいなければ、それを要求することが出来ると言う環境にもなかった者同士が、どうやって討論をすることができるでしょう。その上、そういう状態を、不満に思ってもいないのです。

 彼らの国では、多分マスコミが、間違った情報を人々に提供しても、「間違っていた」と謝ることなんてないでしょう。そういう国のマスコミなんて、国と一体なのですから。もし彼らが謝ったら、国が謝ったことになってしまいます。メンツの問題になってしまうのです。

 中国にいたとき、或る中国人の女学生と話をしたことがあります。親しいというわけではなかったのですが、彼女は外国人と話をしたがっていました。いろいろなことを聞きたかったらしいのです。

 この人は内モンゴル出身でした。

 彼女が言うには、
 「私は故郷にいたとき、とても貧しかった。父は『下放』されて、内モンゴルにやってきた。『裸足の医者』だった。私は父をとても尊敬していた」。
彼女の話は続きます。

 「子供の時、『誕生日に新しい服を買ってほしい』と父に頼んだことがある。父はそれを聞くと、『資本主義国の人達は、食べるものも、着るものもない惨めな生活をしている。おまえは、食べるものが十分ではなくとも、ひもじい思いをしなくて済む、すばらしい国に住んでいるのだよ。けれども、かわいそうな資本主義国の人達のことを思わなければいけない。彼らのことを思えば、新しい服が欲しいなんて、贅沢な事を言っちゃいけない』」。

 「私はそれを聞いて、この国に生まれた幸せを思った。そして、飢えて泣いている資本主義国の人達の事を思い、本当にかわいそうだと思った」。

 「そうして、大学に合格して、初めて故郷を出た。北京だ。来てみると、大学の中には、外国人がたくさんいた。欧米や日本などから来た人達は、垢抜けていて、きれいな服を着ていた。とてもおしゃれで、お金持ちに見えた。彼らは私たちが見たこともないようなカメラやテレビ、化粧品、なんでも持っていた」。

 「(資本主義国の人達は)いつも飢えて、泣いているとばかり思っていたのに、全然違っていた。私はとても驚いた。何が本当で、何が嘘なのか判らなくなった。誰も、何も、信じられなくなった」。

 「父に言った。『お父さんは嘘を私に教えた』。父は何も言わなかった。きっと父も、上の人から聞いたことや、新聞を読んでそう信じ込んでいただけだったのだろう。今では父を恨んではいない。それどころか、とてもかわいそうに思っている。もっと楽しく暮らせたかもしれなかったのに…」。

 「ただ、私は、今では、何を信じて良いのかわからないのだ。確かなことは、誰も本当のことを言っていなかったということ。けれども、私は本当の事が知りたい。いろいろな国へ行って、自分の目で確かめてみたい」

 彼女と話したのは、記憶にある限り、あのときだけでした。

 あれから彼女はどうしたでしょう。あのときの気持ちを、今でもまだ持ち続けているでしょうか。中国は大きな変貌を遂げました。町には車が溢れ、贅沢な服を着た人達も増えました。彼女が驚いて見つめた資本主義国の人達と同じような暮らしを、都会にいる人達は、手に入れたかのように見えます。

 けれども、一番大切なものは、多分まだ遠くにあって彼らの手には届かないでしょう。本当に必要だと思うようになるまで。

日々是好日
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「自分を『戒め』る」。

2009-01-23 08:16:21 | 日本語の授業
 今朝も雨。だんだん小降りになってきましたから、学生達が来る頃には止んでいることでしょう。

 この学校に通っている学生達のほとんどは、学校のすぐ近くに住んでいます。大半は自転車か、歩きで、学校へやって来ます。勿論、電車通学の学生もいることはいるのですが、少ない。
 
 「あれ?あなたは電車なの」と驚くほどに少ないのです。ただ、ホームペ-ジを見て来たとか、友人の紹介でという人は、電車ですね。しかし、電車で来ると言っても、二駅ぐらい乗るだけですから、それでどうのこうのと言うほどのことはありません。

 ところで、気が短くて、人の好き嫌いがはっきりしている、私のような人間が、「教職」に就いていますと、様々な「厄介事」が生じてきます。別に「薬罐」というほどではないのですが、「生来の性」という奴が厄介なのです。

 嫌だと思ったら、もうどうにもならない。自分のそういう気持ちを、力ずくで折り曲げるか、一枚皮を被ってしまうかしないことには、そのまま、顔に出てしまいます。

 そんな私ですが、そこはそこ、そんな自分を抑えるための自衛策というのを持っています。カーッとなったとき、己の悪しき性分を落ち着かせるために、念仏のように唱えるのです。

 つまらないとお思いになる事なかれ。これを何回か唱えていると、毒が体中に回ってしまう前に、ムクムクと盛り上がってくるこのどうしょうもない気持ちが、自分から、そうだ、そうだ、その通りだ。おまえが悪い」と鎮まってくれるのです。

 「直ぐなると 用ゆる斧も 曲がらねば 立たぬ屏風も 世の中ぞかし」(『耳袋』)

そうだ、そうだ。人はさまざま。みんな、そのままでいい。それで、世の中は立派に成り立っているのだから、区々たるおまえが、文句を言う筋合いのものではない。

「思ふべし 人はすりこ木 身は杓子 思ひ合わぬは われ歪むなり」(最明寺時頼))

相手だけに非があるのだろうか。おまえに問題があるから、このような結果になるのではないのか。頭を冷やせ。己を顧みよ。

「曲がりても 杓子はものをすくふなり 直ぐなやうでも 潰す摺子木」(四方赤良)

唯我独善に陥っているのではないか。「自分は間違っていない」と思うことが、すでに「悪」を孕んでいるのではないか。真っ直ぐだから、それで良いとは限らない。周りを見よ。一歩退け。おまえのやり方で、本当に良かったのだろうか。

「おまえ」とは「私」のこと。呼びかけているのは、おそらく何層か下の「私の心」でしょう。

「われながら 心の果てを 知らぬかな 捨てられぬ世の また厭わしき」(藤原良経)

「心」を見る「心」。「『心』を見ている『心』を見ている心」。これは永久に続くのでしょう。

 蓮葉にたまった露に映った景色。その景色を湛えた露をまた映す露。どこまでも繰り返されていきます。「小」の中に宿る「大」。どこまでの「深さまで下りていけば、自分の本当の核である「心」を捉えることができるのでしょうか。

 その心は「海ほど深い」とも、また「宇宙と同じくらい広い」とも、言われます。

 そういえば、
「宇宙はどれくらい広いの」
と聞かれた親が、
「君の心と同じくらい広いのだよ」
と答える素敵なコマーシャルがありましたが…。

 心という奴は、どれほど深いのか、海のことすら判らない人間には、永遠の謎なのでしょう。また、それ故にこそ、自分自身を責めるのも「心」、褒めるのも「心」。自分自身を育てていくのも、結局は自分の「心」なのでしょう。

日々是好日
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「菫色の空」。「『掃除』から判る、学生の状態」。「生活指導」。

2009-01-22 07:55:20 | 日本語の授業
 小糠雨よりももっと疎らで、湿気が「身体にまとわりついているだけ」としか感じられないような雨です。それも、消防署の角を左折する頃には、ほとんど止んでいましたから、夕べからの「名残の雨」だったのでしょう。

 昨日、学校が終わり、午後の学生達が帰る頃には、まだ降り出していませんでした。雨催いの空を眺めながら、
「ああ、せっかく傘を持ってきたのに…」
と愚痴る学生の姿もちらほらしていました。多分、天気予報を見て、これは傘を持って行かなくてはと思ったのでしょう。

 最近は季節を問わず、急に降り出したり、或いは黙り込んだりのお天気が続いるような気がします。これも温暖化のせいなのでしょうか。とは言いましても、大きく外れることはなく、せいぜい二三時間降るのが遅れたり、早まったりという程度なのですが。

 昔は「馬の背を分ける」とも言われたくらい、同じ「町内」でも、同じ「丁目」の中でも、降っている所と降ってはいない所とが、はっきりと「目に見えた」そうです。少し遠くから見ていると、そこだけ黒雲が覆い、暗いのです。その横では、お日様が照って、青空で、カンカン照りというふうに、歴然としていたそうです。今でも、一駅先で下りると、「えっ。地面が濡れている」と驚いたりすることもあるのですが、水の多い国、日本ならではの事なのかもしれません。

 そんなわけで、雨上がりの早朝の空は、「菫色」でした。朝早く出るということは、暁の空の変化が見られるということで、「役得」ならぬ「時得?」があるのですが、それがないというのは少々寂しい。ですが、「菫色一色」の空というのも、なかなか乙なものでした。

 さて、今日は木曜日ですから、「ゴミ出しの日」です。この学校では、教師が掃除をしているのですが、これはとても大切だと思います。学生の心の状態というのが、「ゴミの出し方」とか、「ゴミの中身」とかからも窺えるのです。それに、机の上に消しゴムのカスが多ければ、(見ていなくても)自然と、一生懸命に書いたり消したりを繰り返している姿が想像できて、微笑ましくなってしまうのです。

 というのも、この学校には、「非漢字圏」の国から来た学生が少なからずいるからなのです。特に「アルファベット」を主にしている国から来た学生の中には、「話せれば、事足りるはずだ」と誤解している学生もいて、なかなか筆を手にしようとしないのです。その人達の、「書いて覚えようとしている」という変化が入実に現れてくるのが、この「机の上の消しゴムのカス」なのです。(私たちには、誰の席かが判っていますから)

 その他にも、こういう些末な事から、生活指導の面で、注意しなければならないことが発見できたりもするのです。「生活指導」と、一口で言いましても、まず、「全体」で注意しなければならない事と、各「クラス」、或いは、「個々人」で注意を促せば足りることとに、分けておかなければなりません。

 自分もそうだったのですが、皆さんもそうでしょう。わずか一人のために何で全員が注意されなければならないんだと思われたことがおありでしょう。

 ただ、「誰がそれをしたか」が判らなかったときや、その人の「プライド」に関わるような時には、その人の属する「クラス」か、或いは「全体的に」注意をするという場合もあります。子供ではないのですから、基本的な日本語さえ分かっていれば、「それは自分の事だ」と判ります。判って、それから、もうしなければいいのです。

 学校というのは、人を「管理」して、何事かを為すという場所ではありませんし、警察のように、「犯人を見つけなければならない」という所でもないのですから。

 こういう注意をするのも、みんなが「気持ちよく勉強できる環境を作るため」なのです。それから、もう一つ。「日本では、そういうことをしたら、やっていけない」ということを、伝えるためなのです。

 日本語が、多少話せるようになると、皆、短時間でもいいから働きたいと言い出します。経済的に、そうしなければならないということもあるでしょうが、「武者修行」という意味あいもあるようです。使いたくなるのです、学んだ日本語を。それに、日本語の勉強に要するお金くらいは自分で稼ぎたいという気持ちもあるのでしょう。

 その時に、自分の国のやり方をそのまま持ってきて、日本で何事かをしようとしても、それは無理な話です。何もできません。互いに「悪感情」を抱き合って終わりと言うことにもなりかねません。それは、日本人が海外で(旅行ではなく)、何事かをしようとして、その地の人達と摩擦を生じさせてしまうのと同じことです。単なる「旅行」や「留学」でしたら(働かずに)、それは「お客さん」で、その地の人達の「(経済的な意味での)利」になるだけで、「損」には、なりませんから、当然「大切」にされます。けれども、その地の人達と、競合しなければならなくなったときには、その地のやり方を知っていた方が強い。

 まあ、そういうためだけでもないのですが、何か起こったときには、やはり、今、いる日本の「習い」を知っていた方がいい。知った上で、その通りにするかどうかは、その人の問題です。教えておくまでが、学校の、ある意味では「義務」なのです。

 「日本語学校で日本語を学ぶ」とは、よく言われることですが、単に「日本語を学ぶ」だけではないのです。

日々是好日

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「英語の授業」開始。「ガーナ人学生」の病気。

2009-01-21 07:40:33 | 日本語の授業
 今朝は曇り空。月の光の失せた、静かな道を走ってきました。(自転車で)走ってきたつもりなのですが、どうも速度の点から言って、あまり走っているとは見えないようなのです。自分では、それほど自覚していないのですが。ところが、時々、他者の存在が、己の速度の遅さを、否応もなく自覚させるということもあるようで…たまらないですね。

 今日もそうでした。前を走っている普段着の青年をどうしても追い越せないのです。後ろから見ると、小走りで、とても根性を入れて走っているようには見えないのですが。普通に考えれば、絶対にこちら(自転車)の方が早いはずなのに…。

 さて、「中級」クラスで、大学を目指している学生達の「英語」の授業が始まりました。彼らは運が良い。良い先生にめぐり会えて。彼らが中国にいるときに、こんなに英語の能力の高い先生に教えてもらえるなんてあり得ないでしょう(中国に限ることではないのですが、第三世界では、教師という職業はお金にならないのです。それで、教育に関心があってもそちらの方向に進む人は、まず、いません。ほとんどが、外資系の企業か、官僚を志してしまいます)。この先生の良いところは、英語力があるだけでなく、まじめで、しかも、学生達をよく見ようとしてくれます。彼らのレベルにあった教え方はと、考えてくれています。無理に(量も内容も)教えて、腰砕けになってしまっては何にもなりませんから。

 英語は週1です。まだ、彼ら(学生)は「二級」に毛が生えた程度の日本語ですから、まず、日本語力をつけねばなりません。次に、英語(理系の学生は数学、科学、物理など)。けれども、「上級」に上がり、だんだん日本語の力がついてくる頃には、ヒアリングの力もつき、簡単な英語のやりとりくらいなら、できるようになっていることでしょう。同時に、少しずつ、「長文」らしきものも入れていくという計画のようです。

 この先生と、学生三人が初めて会ったのは(英語を教えてもらうということで)、今週の月曜日、彼らの午前の授業が終わったときでした。午後1時15分から、英語を教えてもらうということで、挨拶をしてもらったのです。その時、私はちょうど授業中で、終わって教室に残って後片付けをしていると、三人の中の一人の学生が、やって来て、早速報告です。
「先生より厳しそう…」
でも、なぜかニコニコしています。そのことを職員室に戻ってから、英語の先生に話すと
「まあ、私は優しいのに」

どうも、授業中、
「私のことを、厳しそうだと言っていたでしょう」
と、先生が言ったらしく、英語の授業後、自習室へ行くと
「先生。どうして英語の先生に言いましたか。あれは秘密ですよ」
と、また、なぜかうれしそうに言うのです。

それから
「(英語の)先生が聞いたことに、みんな『はい、Yes。はい、Yes』。と答えるだけだった」
と、一人が言うと、残りの三人も、
「そうそう。もうそれだけ」
といかにも楽しそう。

 それで良いのです。「英語は怖くない」。「難しくはない」。ということは、当然、「苦手じゃない」ということを判ってさえくれれば。(英語の)先生の計画は当たったようなものです。

 けれども、三人は「まだ、買わなくてもいい」と言われていた長文の問題集を、すぐに買いに来ました(「(英語の)先生曰く、まだちょっと難しいのではないか」)し、三人のおしゃまさんたち(英語にちょっとへっぴり腰だった女の子も)は、なぜかやる気ムンムンになっていました。(頑張れ。頑張れ。でも、日本語を頑張ることも忘れるな)。

 ところで、ガーナから来た学生のことです。昨日、午前の後半の授業に出てみると、ちゃんと答えはするのですが、集中できないようで(覚えられないのです。普段は二三回繰り返せば大丈夫でしたし、自分から「ひらがな」「カタカナ」を、人に聞かずに読もうとしていましたのに)、変だなと思って聞くと、風邪とのこと。

 先週の末に具合が悪くて、彼のガーナの友人に来てもらったのですが、その時も結局病院へ行っていなかったようなのです。薬を飲んだのかと聞いても、大丈夫と答えるばかりで埒があきません。寮へ帰っても一人ですし、ということは、帰しても、学校にいても同じです。職員室で体温を測ってもらうと、38度を超えています。早速病院の予約をしてもらい、午後病院へ連れていってもらうことになりました(近くに英語の話せる先生のいる病院があるのです)。

 (彼を病院に連れて行ってくれた)若い先生が戻ってきてからの話によると、昼ご飯はいつも食べないと言っていたのは、ガーナの習慣というのではなく、日本へ来てからずっと食べられなくなっていたからなのだそうなのです。今、(一時的に学校の寮に住んでいるのですが)一緒にいる中国人の学生も、いい子達ではあるのですが、面倒見のいい方でもないし、自分の世話さえ、みきれていないようなところのある学生達ですから、頼りにはなりません。

 多分、彼は病気になったことにもショックを受けているのでしょう。この10年間病気になったことなんてなかったと言っていたようでしたから。食事もどれが口にあるのか判らないのかもしれません。実は彼の叔父さん宅に住むはずだったのですが、用事があって、その叔父さんが一時帰国していてまだ戻ってきていないのです。もしかしたら、彼は、叔父さんが戻ってくるまでと、ひたすら耐えていたのかもしれません。午後も残って、自習室で勉強していたので、大丈夫かと思っていたのですけれど、本当はとても心細かったのかもしれません。

 今日、また元のように、元気に登校してくれると良いのですが。

日々是好日
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「『国・地域』、『民族』、『宗教』、『主義・主張』、絶対とは?」。

2009-01-20 08:01:56 | 日本語の授業
 今朝は薄曇り。雲の切れ間から、月の光が漏れてくるような、そんな空でした。

 「国・地域」、「民族」、「宗教」、「主義・主張」などについて、考えています。これは人は皆、「ヒト」という同じ種であり、「苦しいときには、皆、苦しい」し、「悲しいときには、皆、悲しい」という前提の下での「違い」についてです。

 「宗教」も、当初の目的は、生きとし生けるものが、すべて「不幸で泣くようなことが無いように」、「『心静かに』或いは『心楽しく』、その『生』を全うすることができるように」生まれたものでしょうし、「国」や「地域」にしても、その「区分け」は、人がより便利に、より豊かに生きることができるようにできたはずです(そうでない場合が多いことはよく判っていますが)。

 ただ、「民族」というものは、切ない。どう考えて良いのかわからないのです。祖先を共にする者同士と、言い切れない部分もありますし、我から進んでそこに入ったのかというと、そうとも言えません。それでいて、この言葉には不思議な魔力が含まれているようで、「同じ民族」とか「同胞」という響きを聞くと、もうそれだけで、踊り出し、血を沸き立たせるという人も、また、そういう時代もありました(今でもあるのは知っていますが)。

 「日本語」という、狭い地域で使われている、一つの言語を、教壇に立って教えている時、こういう「国・地域」「宗教」「民族」、「主義・主張」などが、心の中の大きなスペースを占めている人に出くわすことがあります。

 普段は何のこともない普通の人なのですが、何かの折に、ひょいと、こんなことが出てしまうと、急に始末に負えないような状態になってしまうのです。一旦漏れしまうと、自分でも収拾がつかなくなるようで、いつの間にか、物の怪にでも憑かれたように、自作自演めいた「演技」を、臆面もなくしてしまうようなのです。一種の忘我状態なのかもしれません。いつも虐げられてきた、そういう意識がなせる業なのかもしれません。

 けれど、それが判らない私たちには、彼らに同情するというよりも、逆にしらけてしまうのです。「皆が皆、彼らと同じ心であるとは限らない」ということが、こういう人達には見えないのです。ある人達にとっては「民族」が一番であり、ある者にとっては「宗教」が絶対であり、ある者にとっては「国」がこの世での無比の存在なのですが、こういう「絶対」という感覚が、現在の、多くの日本人には、理解できないと思うのです。

 特に、「日本語」という、それを話せたからといって、「力」をつかむでもなし、「財」を得るでもないような「弱小」言語を学んでいる時です。それが、「だから、どうなんだよ」という捨て鉢めいた言葉しか、彼らには返せません。本当に「だから、なんだっていうんだよ」なのです。そんなことはどうだっていいのです。「それで戦いたい人がいたら、おめきながら、戦えばいい。こんな処に来てまで、言うなよ。関係ないだろ」なのです。

 けれども、そうすることに慣れている人には、他地域の「他者の目」が見えないのです。私には、そういう人は、往々にして、己の影と戦っているように見えます。私たちはそれを何とも思っていないのに。そんなことは、「屁の突っ張り」にもならないのです。一人で、どんどん妄想を膨らませ、それを過大解釈し、いつの間にか、その影に呑み込まれているように見えるのです。

 こういう話があります。大酒飲みのことです。「人、酒を飲み、酒、人を飲み、酒、酒を飲む」。全くこういう状態になっているように見えるのです。

 確かに、最近はこういう人に出会うことが少なくなりました。勿論、どの国にも人々が歩んできた「歴史」というものがあり、それから逃れることはできません。しかし、少し遠くから「他国の歴史」を見、翻って「自国の歴史」をも見ることができる人が増えてきたのは事実のようです。そのように、極東にいる私は考えているのですが…。

 これとても、火種はあるにせよ、この近辺がここ数十年、戦いを経験していないからなのでしょう。「グローバル化」が進んだおかげなのかもしれません。ある国など、ほんの少し前まで、政府の言うことだけが絶対でした。今でも、そういう国はあります。けれども、それだけではないと言うことを少しずつわかり始めた人が出始めたのでしょう。言うまでもないことですが、自分からそう思いこみたい人は別です。それは知性の差、或いは心の柔軟性の差に過ぎません。勝手な理屈であり、他者から見れば、単に愚かしいだけです。自分だけにとどまらず、他者をも巻き込もうとするものですから。

 しかしながら、世界を見渡してみると、中世さながらに、「国・地域」「民族」「宗教」「主義・主張」などが戦争の口実になっている場合が少なくありません。

 この学校には、就学生だけでなく、北東アジア・東アジア・南アジア・アフリカ・オセアニア・ヨーロッパ・南アメリカなどの国々から、何人もの人が日本語を学びに来ています。

 この学校にいて、日本語を共に学んでいる人達の様子からは、それぞれの国で、「血腥い争い事」が、愚にもつかぬ理由から起こっている事など、想像さえできません。ましてや「ヒト」が争いを好む「サル」に近い種であるなど、考えることもできません。

 時々、こんなことも考えるのです。半世紀以上前、そうであったように、ここでニコニコと机についている人達の子供達が、口汚く罵り合い、戦をする日が来るのだろうかと。

 あり得ないと思うだけに、反対に、妙に現実味を帯びてしまうのです。

 それは、とても怖いことです。いつまでも、皆が、現在のように、心置きなく、学びたいことを学んでいられますように。忙しい、忙しいと笑いながら、仕事に、勉学に、励むことができますように。

 昨今の血腥いニュースを見聞きするたびに、学生達の事を、そして、平和に暮らしている我々自身のことを、思わずにはいられません。

日々是好日
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「初めて(1986年)の『春節』」。

2009-01-19 07:44:59 | 日本語の授業
 明け方まで雨が降っていたようで、今朝は、雨に濡れて黒くなった道を、自転車でやってきました。車道を走る車は、いつもにも増して速度を速めています。こういう時は、車の邪魔をするのは憚られます。喧嘩しても勝てっこありませんもの。というわけで、今日は、遠慮がちに歩道を走ってやってきました。空気も、かなり湿り気を帯びているので、冷たく感じられます。

 何でも、天気予報によると、昼には15度前後になるということでしたが、学校に着いてみると、部屋の中は、それほど暖かいとも思えません。温度計を見ると、いつもよりわずかに一度高いだけの、7度でしかないのです。天気予報の叔父さん・お兄さん・お姉さんを疑うわけではありませんが、本当に今日、暖かくなるのでしょうか。

 朝、着くとすぐに、メールを見ました。中国の友人から、「お正月には故郷へ帰る」とのメールが入っていました。「お正月」か…、中国ではもうすぐ「春節」なのですね。ふと、中国での最初の「お正月」のことを思い出してしまいました。

 中国で過ごした最初の「お正月」は、「昆明」、「大理」、「西双版納」への旅行の最中でしたから、めちゃめちゃ怖かった。中国人運転手は、「春節」を故郷の家で過ごそうと、「暴走族」顔負けのスピードで飛ばします。平地を走るのと同じスピードで、山を駆け上り、落ちろように下りていくのです。しかも、出発は早朝。到着は真夜中。どちらも暗いのです。乗っていながら、この運転手は「勘」で運転しているのではないかと恐れました。多分、そうだったのでしょう。

 あんな真っ暗な中を、あの猛スピードで走るのですから。着いた時には(ただ座っているだけだったのに)、体中が強ばっていました。「もうどこへも行きたくない。動きたくない。春節の期間が終わるまで、じっとしているぞ」と、思ったのですが、途中では帰れません。多分、三日でしたね。こんなのが続いたのは。

 私は車が大の苦手なのです。一応、何年か運転はしていましたけれど、それはもう、しょうがなくて免許を取り、しょうがなくて運転をしていたと言うだけのことで、(運転)しなくてもいいと言われた途端に、ホッとして、もう二度と運転などするものかと(免許は)返上してしまいました。

 しかし、「春節」の話です。あの期間は、(中国では)動かないに限ります。もっとも、一度手ひどい経験をしたから言えることなのですが。それなのに、「北京は寒いから、暖かいところへ行こう」と誘われて、ついその気になってしまった自分が悔やまれます。

 北京からの列車も大変でした。「軟臥」は四人部屋で、誰と一緒になるか判らないから、やめた方がいいと言われて、「硬臥」で、行ったのですが、一緒に行った人達(皆、留学生です)が、これまた「『旅』大好き人間」達で、その中の一人など、当時、カシュガルへ、「硬座」で、行って帰って、それでも平気の平左という、猛者(女性です)でしたし、もう一人は、汚いところを見ると、すぐに興味津々で寄って行くという性癖の持ち主(女性)でした(まさか汚いところが好きというわけでもないのでしょうが)。

 「まともな人間は、私一人だ。どこかへ行くなら行くで、まともな『連れ』を選ぶべきだった」と、最初は一人で喚いていましたが、「洱海」に着いた頃は、もう死にそうな状態になっていました。私は、旅行が嫌いでしたから、列車での「宿泊」なんて、国内外でも初めて。しかも、「下関」から「大理」までのバスがひどかったので、車酔いが、バスから降りて二日経っても治らないのです。

 元気なみんなが鼻歌交じりに、山の方へ見物にいっている間、「洱海」の畔で、一人寝転んでいました。もう、歩けない状態だったのです。ずっと食べられなかったから、当然と言えば当然です。身体にリキが入らないのです。他の人に言わせると、「なるほど。何日も食べなくても、人間死なないもののようだね。けれど、動けなくなるんだね。動けないときは動かない方がいいよ」。本当に、いい友達です。

 だから、私の、中国での最初のお正月は、「洱海」の畔の豆の花のそばで寝転んで、それで終わりです。

 もう、それからは、北京にじっとしているか、中国国内から逃げるかのどちらかにしました。もっとも、当時はまだ「廟会」が許されていなかったので、北京に残っていても何も見るものがなかったでしょう。

 そういえば、あの頃、留学生に人気があったのは、海南島でした。けれども、海南島へ行っても面白くないという人もいました。北京の留学生連中がみんな来ているから。海南島へ行くくらいなら、タイやシンガポールまで足を伸ばしたのです、少し経済的に余裕のある留学生は。

 中国人にとってみれば、「春節」とは、家族が全員揃うとか、懐かしい友人知人に会えるとかいった意味でも得難い期間ですが、そういうものがない外国人にとっては、長期旅行ができるというだけの期間でしかないのです。

 日本に戻ってからは、いつも静かなお正月です。家族が揃っていたときのように、型にはまった「お正月の過ごし方」はしていませんが、どうもこちらの方が私には合っているようです。

日々是好日
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「満員御礼」の自習室。「『卒業文集』の作文」から。

2009-01-16 08:03:20 | 日本語の授業
 今朝はもう、「クラゲ」のようなお月様になってしまっていました。随分前から、「クラゲ」は「癒し系」と見なされ、「ソフト」でゲームになったりと、心身共に草臥れ果てた日本人のよき友になっていたのですが、とうとうお空にまで、現れてしまったのですね。

 でも、あれは形からいって、「横座りのクラゲ」ですね。「具の詰まった餃子」とも見えます。見方によっては、その方が自然かもしれません。

 昨日は、午後の自習室に、「満員御礼」の札がでてしまいました。小さい学校なので、この自習室は12人で一杯になってしまいます。食事を済ませて、戻ってきた学生が、「先生、イスがありません」と言いに来ました。

 勿論、3時頃を過ぎると、アルバイトへ行ったりする学生が出ますので、空いてくることは空いてくるのですが。けれども、いろいろな国から来た学生たちが、(日本語の)レベルも異なった状態でありながら、一緒の部屋で勉強しているのを見るのは、いいものです。こうやって、少しずつ「国際化」していくのでしょう。

 今、「Bクラス」の学生達に、「卒業文集」に載せる作文を書いてもらっています。あれだけ口が悪い連中ですから、お世辞など、小指の爪の先ほども書くまいと思っていたのですが、うれしいことをたくさん書いてくれていました。

 まず、多かったのが、「学校が楽しい。勉強も楽しいし、いろいろな国の友達とのおしゃべりも楽しい」ということでした。

 「よく学び、よく遊べ」です。勉強は「辛い」だけではありません。頑張れば、それなりの果実を味わえるのが、「学校の勉強」のいいところ。きっと、この人には「勉強の成果」が、自分でも感じられるようになったのでしょう。社会に出たら、なかなかそういうわけにはいきませんから。

 だいたい一ヶ月に一回くらい「都内見学」に、連れて行っているのですが、初めての時は、みんなどうして良いのか判らなくて、オタオタしてしまいます。けれども、教師が一言、「来たばかりの学生だから、この人を頼むね」と言っておくと、先輩(たとえ、わずか三ヶ月しか違わなくとも、先輩は先輩です)達が、適当に面倒をみてくれます。切符の買い方やエスカレーターでの並び方、また乗り換えなど、こちらは、全体的な指示を出すだけで済むのです。

 「定時」に集まりさえすれば、指示も皆に同時に出せますので、その日の行動もスムーズになります。その結果として、お互いに苛立つこともなく、楽しく過ごせるのです。目的地に着くまでのおしゃべりも楽しいし、着いてからはみんなで写真を撮ったり、説明を聞いたりと、これもまた楽しいというところなのでしょうか。

 それから、こんなことも書いてました。「(学校での)勉強を通して、自分の知識が本当に不十分だったということに気がついた。良い大学を目指して、もっと頑張らなければならない」。こうなると、教師の側も頑張らざるをえません。この学校にいられるのは、長くても2年に過ぎないのですから。あと、彼らに残された時間は一年足らずしかないのです。

 「Bクラス」の学生達は、今「『中級』の教科書」の「21課」に入ったところで、少しばかり、「環境」関係の単語を覚えました。けれども、世界各国の取り組みなどは、まだまだ教えられる状態ではありません。「日本語のレベル」が低すぎるのです。正確にこちらの言わんとするところが掴めるようになるまで、(言語能力が)素質的に高い子でも、無理なのです。中には、日本で勉強していく上で、自分の国での勉強や知識が、妨げとなっている人もいるのです。

 「すり込まれて」いて、客観的に見ることができないのです。こういう状態になっていて、しかも、あまり若くない人は、私としても対処に苦しみます。本人が自覚しない限りは、こちらがいくら言っても無駄なのです。「ゼロ」ではないのでしょうが、お互いに「苦しい」のです。こういう状態は避けた方がいい。知りたくないのなら、知らなくても良いのです。どちらにしても、こういう人は、遅かれ早かれ、国へ帰らざるを得なくなるでしょうから。

 勿論、その国に、生まれ、育って、その国の人の大半が考えるように考えているというのは、当たり前の事です。日本でもそうです。それぞれの国は、自分たちに不都合なことは発表したがりません。それは当然のことです。しかし、マスメディアが発達している国は、政府が隠そうとしていることを、公の目に触れるように発表していきます。けれども、まだマスメディアが発達していない、いわゆる「情報途上国」は、一つの考え方しか経験していないので、「考え方の道」は一つと思いこんでいるのです。この場合の道とは、「思惟」のことです。それを急に変えようとしても無理なことです。本人も苦しいでしょうし、岩盤に向かって説明しているような教師の気持ちも辛い。

 けれども、若い人は、考え方も「柔軟」です。「可塑性」があるのです。見聞を広めていけば、いろいろな考え方を受け入れることが、できるようになるでしょう。一年ほどもすれば、世界には、「従来慣れ親しんできた世界」の他にも、「様々なものの見方、考え方をする世界」があるということが、自然に判ってくるでしょう。

 それまでは、狭義の意味での「日本語の勉強」に励まざるを得ません。

日々是好日
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「信号の『青』」。「言葉の『矢』、言葉の『槍』」。

2009-01-15 07:49:32 | 日本語の授業
 今朝も、いつも通りに家を出、いつも通りの道を歩いてきました。ところが、いつもの交差点で信号待ちをしていますと、ふと遠くの信号が皆「青」であることに気がつきました。

 冬なのですね。街路樹がすっかり葉を落としていますので(少し前までは見えなかった信号が)、早朝ともなりますと、くっきりと闇に浮かび上がってくるのです。まあ、街路樹と言いましても、小さな細っこい木で、それなりに緑化事業には役立っていると思うのですが、大陸の、自由自在に枝葉を伸ばした街路樹を思い浮かべるとしたら、「ああ、勘違い」と言うことになってしまいます。

 日本の道は、街路樹と同じように、小振りなのです。狭い車道、狭くて歩きにくい歩道…。しかも、年度末ともなりますと、あちこちで、アスファルトを引っぺがし、いろいろな工事が始まります。そんな道に似つかわしいのは、やはり可憐で邪魔にならない「木」ということになってしまいます。

 ボウッと信号の「青」を見ているうちに、自分が、どこかの雪国にいて(しかも、雪が降りしきっているのです)、柔らかな、緑の灯を見つめているような気分になってきました。旅に出たいですね。なぜかしら、郷愁を感じてしまいました、おかしなことに、信号の「青」に。

 気分を転じて、天空を見つめます。すると、すでに夜明けの、空の色の変化が始まっていました。じっと見つめていますと、ある空の部分が、うす赤紫とでも言うのでしょうか、そんな優しい色に変わり、見る間に、色を明るくしていきました。

 信号の「青」が呼び込んでくれた「ささやかな幸せ」です。信号の「青」のおかげで、普段は気づかない「空の変化」にも気づけたわけで、どこで、どんな幸せが待っているのか判りませんね。

 さて、場面は学校へと移ります。

 今年の、一昨日から、一つ大きな変化が現れました。「九時一分の○○」といつも私が言っていた女の子が、なんと、火曜日に九時前に学校に来たのです。初日は「雪が降る。槍が降る。台風が来る。世の平和を乱す」などとからかっていたのですが、何と、水曜日にも九時前に来たのです。しかも、いつもかなり遅れて学校に来、そろりそろりとドアを開けて、斜めの姿勢で中に入り、(私と)目を合わせないように、伏し目がちにコソコソと席に着いていたインド人の学生までが、九時九分に来たのです。

 「こいつあ、てえへんだ」とばかりに、ひとしきり、みんなが囃し立て、私は一瞬「三日で終わったら、『三日坊』だよ」と言いたくなったのですが、それはぐっと怺え、ぐっと力を入れて(本当は、にやついて)次の機会を待つことにしました。

 一応、今日も九時前に来るとすると、三日続くことになります。つまり、まだそれで、切れているわけではないので、言えないのです、「三日坊主」と。

 しかしながら、私が、「三日坊主」と言ってやろうと、手ぐすね引いて、待ち構えているとは、まさか彼女も思ってはいますまい。

 学校では、お互いに、「戦時体制下」にあるわけですからね。私が「ドジ」れば、すぐに「言葉の矢」が飛んできますし、時には「言葉の槍」が、あちこちから振ってくるということにもなりかねません。お互いに気が抜けないのです。何か言ってやろう。何か言い返してやろうと虎視眈々と待ち構えているわけですから。

 先日も、九時直前に、ダダダ-ッと階段を駆け下り、ガラガラと扉を開き、バタバタバタと入ってきて、ハアハアハアと息をついている女の子に「猪武者」と呼びかけました。その子は「うーん。うーん」と呻っていましたが、皆は大喜び。さすがに返せなかったようですね。だって、本当のことですもの。調子に乗って「猪突猛進」まで入れてしまいましたが、帰る時、その子が
「先生、『猪武者』って、女の子もいいんですかあ」
と聞いてきました。
「本当は、女の子には使いません。けれども、あなたにはいいんです」
みんなも、へらへらしながら、「そうだ、そうだ」と言っているように見えました。


 それに、髪の毛を針の先のように、おっ立てていた男子学生には、「ツンツン」という言葉を入れて、ついでに針の山、(だれかがハリネズミのことまで聞いていましたっけ)なども入れてしまいましたから、向こうも、きっと私が失敗するのを待ち構えていることでしょう。

 もう帰国してしまったのですが、フィリピンの少年にも、そうしていました。彼は、漢字テストの時には、いつも最後に提出。「出せ、出せ」と言っても、なかなかあきらめないのです。
「もう少し待ってください。ああ、どうして忘れてしまったのだろう。あんなに練習したのに。さっきまで覚えていましたのに」
と藻掻き、足掻き、その様子があまりに可愛らしく、面白いので、「あがきの○○」と呼んでいました。まあ、この子は素直で、20歳前後のおしゃまさん達のようには、抵抗しませんでしたけれど。

「中級」クラスぐらいで、こういうふうに言葉のやりとりができると、随分と授業が楽になります。一クラスに4,5人ほども、それができる学生がいると、自然に他の学生の口も動くようになるのです。それは、早ければ早いほどいい。そうすれば、今年の七月の「一級」テストの後は、かなり内容豊かな授業ができます。

日々是好日
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「初級クラスの新入生」。「均質社会の日本」。「覚えるために手を動かすということ」。

2009-01-14 08:33:17 | 日本語の授業
 今朝のお月様は、少々右裾が欠け気味。「満ちれば欠ける世の習い」そのままの姿。しかしながら、虹色の笠をかぶって、それはそれなりに美しい。

 今朝も雲一つない濃紺の空です。

 さて、先週の木曜日に入学した新入生のことです。他のクラスに編入することになった学生はさておいて、「初級Ⅰ」クラスで、「いろは」から学ぶことになった学生達のことなのですが。

 昨日、初めて彼らの教室へ行きました。この教室には、新入生として、ガーナ人学生と、インド人学生が入っています。

 このインド人の学生は、今、「中級」クラスにいるインド人の学生の紹介によるものです。実は、この新入生の顔を見るたびに、思い出すことがあるのです。

何ヶ月か前のことです。
「先生。友達を呼びたいのですが」。
「どんな人ですか。まじめに勉強できますか。ちゃんと漢字を覚えることができそうですか」
(彼は、時々、「先生、私、漢字は捨てました」と言うのです。そして、そのたびに叱られて、「大丈夫。拾ったから大丈夫です」と言うのです。いったい何のこっちゃ。)
「とてもいい人です。それに、私より頭がいい人です」。
「(あなたより頭が良い)だから、何なのですか」
と、若い若い学生に言われて、一瞬、固まってしまいました。彼は既に「言外の意」を汲み取ることができます。言う方も、かなりのものですけれど。

 この「中級」クラスは、「できるクラス」特有の、「クラスの仲間が、みんな仲良し」なのですが、全くお互いに遠慮というものがありません。「言われたら、言い返そう。今、言い返せなくても、チャンスは逃さないぞ」といった、常時、言葉の「戦闘態勢」に入っているのです。

 このインド人の学生は、とても親切で、優しいのですが、からかいやすい何人かの学生に、よく言葉の攻撃をかけています。どうも、それが仇となって、その「仕返し」攻撃を受けざるを得ない状態になったらしい…。何と言っても、高校を卒業したばかりの中国人の女の子は、やられたら、やり返します。もう、怖いものなし。「さあ、来い。さあ、来い」とばかりに、目をキラキラさせて、待ち構えています。

「でも、(中国人学生を目で制して)でも、でも、先生。本当に頭が良いです。私は、小学校から大学まで一緒でした。よく知っています。それに、とてもいい人です」
と、(中国人学生の言葉を聞かなかったことにして)顔を真っ赤にしながら、力説していました。

 新しく来たインド人学生は、彼の言った通り、誠実そうないい人です。しかも、できない人を待つことができるのです。大人なのですね。年は23歳と、まだ若いのですけれど、よきインド人といった感じです。

 しかしながら、私は、彼の、落ち着いたその顔を見るたびに、(彼の友人のあの時の顔を思い出して)、プッと吹き出してしまいたくなるのです。困ったことです。

 学校には、団体行動をとらねばならぬ事がよくあります。一斉授業ですし、課外活動などで、一緒に外に出ることもあります。その時に、勝手にどこかへ行ったり、或いは、他の人を待てなくて、苛立ったりすると、もう、すぐに摩擦が起きてしまいます。

 そういう行動をとる人は、自分が何でもできると思いこんでいるらしいのです。だから、できない人間が邪魔にみえてしまうのでしょう。「そこのけ、そこのけ。オイラが通る」ですね。こうなってしまいますと、一番最初にはじき飛ばされてしまいます、日本では。

 日本は、諸外国に比べれば、まだ、とても均質的な社会なのです。昨今は、いろいろなことが言われていますが。

 「人の能力は、多種多様であり、均してしまえば、同じ」という考え方が、学校教育などで浸透しているからなのでしょう。クラスにノーベル賞を取れるような子供がいても、一緒に二年生になり、三年生になっていくのですから。勿論、高校や大学に入るときには進学先で、差はでます。しかし、そのまま入れば、みんな卒業するときは同じです。形は同じなのです。程度、濃度に差はあっても。

 これが、「飛び級」などがある国だと、多分、大して能力がなくとも、「自分が天才だ」と、「他の連中とは違う人間だ」と、小さいときから思わされてしまうのではないでしょうか。「昔、天才。今、秀才。二十歳過ぎれば、ただの人」に過ぎないのに。

 さて、「初級」クラスのことです。彼は、隣に座ったガーナ人学生が、「ひらがな」や「カタカナ」で時間を取っていても、待っていました。いい人を紹介してもらえました。

 このガーナ人の学生は、(インド人のこの二人の学生は、共に180㎝は超えているでしょう)インド人の学生よりも背が高い、しかも、インド人の学生は細身なのですが、彼はとてもがっちりしています。その学生が、午後、自習室で、「中級」クラスの学生達と肩を並べて自習しているのを見るのは、とても楽しいことです。

 身体は大きいのですが、「初級」なので、まだ日本語がほとんど分かりません。「中級」の学生達も、ガーナから来た人は初めてなので、興味津々といったところ。時々話しかけては、(判らないので)困った顔をしています。ガーナから来た学生は、それでも、話しかけられると、(話せなくても)ニコニコと笑みを返しています。それで良いのです。「愛想が良い」のが一番です。笑みを返した後は、また机に向かい、一生懸命に宿題をしています。書くのはとても大変のようですが、それでも、挫けずに書いています。

 「非漢字圏」の学生を、「いろは」から教える場合、いくつか大変なことがあります。その中でも、何よりも困るのが、「書く」という習慣がない国から来た人の場合です。「ひらがな」「カタカナ」まではいいのですが、漢字に入ったときが問題なのです。教師が、書いて練習するように言った時の、学生の反応には、三つのタイプがあるように思われます。

 前のフィリピンから来た学生もそうだったのですが、このガーナ人の学生のように、言われた通り、「覚えるために書く」ことができるタイプ。それから、言われたから書いているだけのタイプ(つまり、覚えようとしないのです。書くのは100回でも、200回でも、言われるままに書くのですが、覚えるつもりがないのですから、すべて徒労です。当然のことながら、覚えられません。)。それから、見ているだけで覚えられると言い張って、なかなか手を動かそうとしないタイプ。

 今年の新入生の二人が、一つ目のタイプに属する人であって、本当にホッとしています。

日々是好日
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「成人式」。「月」。「不幸の中で生きる術」。

2009-01-13 08:33:47 | 日本語の授業
 昨日は成人式でした。この学校にも何名か、今年、本来ならば成人を迎えるはずの、学生がいるのですが、不思議なことに、とても静かです。例年ですと、「こんな葉書が来ました。何ですか。どうすればいいのですか」と、慌てふためいて報告に来ているところなのですが。きっと在日の叔父さんや叔母さん、いとこやはとこに聞いて(判ったので)、落ち着いて、すまし込んでいるのでしょう。

 さて、今朝のお月様は(「氷輪」と評するには、あまりに明るく、しょうがないので「皎皎と」とでも形容しておきましょうか)、まん丸く、朗らかなお顔をなさっておいででした。笠をかぶっていらっしゃるというわけでもないのに、お顔が二重に見え、その光の輪の、それぞれの点の輝きが、飛び跳ねているようにも見えましたから、なんぞ変わったことでもあったのでしょうか。しかしながら、星は見えません。お供をお連れにならず、お寂しいことですね。

 というお月様を、立ち止まって見とれたり、そのまま歩いたりをしているうちに、消防署の角で、左に曲がり、東を向く段になって、初めて空が白み始めているということに気がつきました。月があれだけ輝いていましたから、周りの空はてっきり濃い闇色だと思っていましたのに、東の空は、少し灰色を帯びた水色で、茜色もすっかり姿を消していました。

 お月様の光が明るく、寂しげでないと、今日も良いことがありそうで、うれしくなってしまいます。

 その上、学校の玄関の扉を開けますと、水仙の香りが、パアッと飛び込んできたのです。「花気襲人」そのままですね。金曜日も、何人かの学生が、「これは何の花ですか」と聞いていました。きっと「タイ」や「ミャンマー」、「インド」などといった南国にはない花なのでしょう。

 それなのに、中国人は…この花を知らない者もいましたけれど…。私は、こういう事に出くわすたびに、「潜りの中国人」と、心の中で叫んでしまうのです。中国人は、自分たちの文化を誇る割には、自国の文化を知らない人が多いのです。もし、これが文革の影響に過ぎぬとしたら、後30年か40年くらいで戻るのでしょうけれど、そうでなかったら…大変ですね。

 中国人は、中国が日本に文化を与えたと思っていますし、口にもします。自分たちも他国から影響を与えられて、かつての輝かしい文化を築いてきたのだということが解っていない人が多いのです。陸のシルクロードを通って、或いは、海のシルクロードを通って、ペルシャやローマの文化が中国に伝わりましたし、インドの文化も(仏教に限らず)中国の文化に影響を与えました。

 チンギスハンの「モンゴル」が、中国の文化をそれほど尊重しなかったのは、「モンゴル」が世界的な大帝国だったからでしょう。中国の文化の他にも、すばらしい文化を持っている国がたくさんあることを、世界中を征服する過程で、知っていたからなのでしょう。

 現代に生きる私たちは、多くの国や地域に独自の文化があることを知っています。「夜郎自大」が、一番始末に負えません。もし、「これはすばらしい文化だ」と、自分が思ったら、自ら進んで影響されようと、飛び込んでいけばいいのです。躊躇うことはありません。これは、だれかに強制されて、そうするのではないのです。自分がしたいから、そうするのです。

 その文化が、弱小民族のものであろうと、経済的・政治的・科学的な分野で、一見劣っていると見られる国家のものであろうと、すばらしいものは、すばらしいのです。「数千年間、変わっていない」という、ただそれだけで、多くの人が惹き付けられるということもあるでしょう。人々はそのことによって、自らを省みるきっかけにすることもあるでしょうし、また、自分の感性や想像力に、刺激を与えるために、その中に身を置く場合もあるでしょう。

 「異文化」というのは、「均質な社会」で生い育ってきた者にとって、汲めども尽きぬ活力を与えてくれるものです。しかしながら、その中に、自らと「異なっている部分」を見つけられない者もいます。見つけ出せるのも、ある意味では、その人の力、知力や感性なのです。

 日本は「明治」以降、ずっと走り続けてきました。自分の力以上に、遠くへ、しかも、できるだけ速く行こうとしてきました。自分たちが「先進的な」と思えるものに向かって。これまでにも、「もういいだろう。立ち止まるべきだ」という声が、国の内外から、聞こえていました。けれど、慣性の法則なのか、猛烈な勢いで、走り出したこの国は、なかなか歩みを緩めることができませんでした。

 「金融危機」、あるいは、「100年に一度という大不況」とかが、叫ばれる今日この頃になって、やっと「物事の真価を問う」という形で、皆立ち止まろうとしています。

 「不況」は「不幸」なことですけれど、「不幸」の中で生きる術を、戦後、長い間、日本人は忘れていたのではないでしょうか。「幸せ」になろうと、なんだかよく判らないけれど、「幸せ」になろうと、(「幸せ」の実態も掴めないのに、他の人よりも「不幸」は嫌だからと)齷齪する必要はないのです。そうやって、判らないものを追い求めていく過程こそが、「不幸」を生む母胎になっていたのかもしれないのですから。

 「幸せ」を追い求めるのは、「こうなったら幸せなのだ」とか、「これがあったら幸せだ」というものが見つかるまで、しばらく「お預け」にしておいた方がいいのかもしれません。

日々是好日
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「今朝は雪のはず…」。「入学式」。

2009-01-09 07:58:06 | 日本語の授業
 昨日の天気予報を見た限りでは、今朝は雪景色の中で目覚められるはずでした。カーテンを開けると、うっすらと道は雪化粧…のはずでした。

 ですから、起きるとすぐに、勢い込んでカーテンを開けたのです。が、道は黒く濡れ、そぼ降る雨が、私を迎えてくれるばかり…。

 そういうのも、嫌じゃないのですけれど…。予定では、通勤も、雪の中を歩いていくはずでしたし、そういうつもりだったのです。

 けれども、あろう事か、歩いているうちにポカポカしてきました。やはり、雪は無理だったのかもしれません。ここ、行徳は、予報のなかなか難しいところのようで、「日本橋」にも地下鉄で20分と、すぐ近くなのに、そことこことでは、お天気が全く違うのです。しかしながら、雪がないとなると、学生達は気落ちしたことでしょうね。

 昨日の帰り、「明日は雪のようです」の一言に、「寒いぞ」という反応ではなく、「わあい!」でしたから。ともかく、雪はお預けのようです。年度末までに降ってくれるのかしらん。

 さて、昨日は「入学式」でした。

 「一月の就学生」、計六名。一名はまだ来ていないので、昨日参加できたのは、五名です。ミャンマーからの学生が二名。ガーナ、中国、インドからの学生が、それぞれ一名。それに、「初級(Ⅰ)」のクラスの開講を、待っていた学生が参加して、なんとも賑やかな「入学式」でした。

 午後の「初級(Ⅱ)」のクラスの学生と、午後も残って勉強していた「中級」クラスの学生が、何名か参加しただけだったのですが、事前に(「式」の準備の間に)、練習していただけあって、ガーナからの学生も、立派に自己紹介できましたし、在学生達の挨拶もなかなかのものでした。

 その後の簡単な茶話会でも、
「先生、ジュースはこれだけ?もうないの?」
「ない、ない。それだけ。それだけをチビチビと飲むのだ」
という教師の諭し(?)通り、在学生達は、
「これだけだからね。大切に飲むのだよ」と、
新入生達を指導(?)してくれましたし、人種・国籍・民族に関係なく、和気藹々と写真を撮ったり、撮られたり。相手に通じていようがいまいが、関係なく、話しかけたり、話したり。特にシュークリームをぱくついているところを撮られた学生など、
「先生、わるーい!○○さん、わるーい。消して!消して!」
と追っかけ回していましたが、撮った学生の方は、知らん顔。背の高さと腕の長さを生かして、みんなに見せてやっていました。

 その後は、通訳担当の学生を残して、オリエンテーションです(「初級(Ⅱ)」のクラスの学生達は、3時から授業です)。

 日本で暮らしていく上での注意事項の説明が終わったあとは、勉強に関すること、特に授業中の注意、心構えなどを説明しました。

 ところで、ふと気づいたのですが、いつの間にか、新入生一人一人に、通訳担当の人がついていたのです。タイの学生には、タイ人の学生が、インド人にはインド人の(同じ言葉を話す)学生が、ガーナ人には英語の得意なインド人の学生が、ミャンマーからの二人の学生のためには、引率してきた先生が通訳の役をかってでてくださいましたし…。なんとも贅沢なことですね。

 それからは、属する「クラス」の確認です。全く「いろは」からの学生が二名、「初級(Ⅱ)」レベル(三級合格レベル)の学生が二名。「中級(20課から)」の学生が一名(ミャンマーで「上級」の教科書まで終わっていますが、私の授業中の言葉の速さについて行けないので)。それから、必要な教材を確認してもらい、オリエンテーションは、終わりました。

 言葉の不自由さはあるものの、この「入学式」を通して、学校の雰囲気、在校生の勉強に対する意気込み(出席してくれた在校生達が、口を揃えていってくれたのは、普段は優しい先生だけれど、勉強の時はとても厳しい)などを、肌で感じてくれたことでしょう。

 勉強を一生懸命している人達は、半年も経つと日本での暮らしに慣れ(もう何十年もここにいるような顔をしている学生もいます)、やりたいことを責任を持ってできるようになりますし、他の人に教えてやることもできます。それが、ひいては、日本語に対する自信にも繋がり、もっと勉強しようという意気込みも生まれてくるのでしょう。

 特に「中級」の学生達は、できるだけ速く「一級レベル」にまでやって、自由に新聞レベルのものが読め、テレビのニュースくらいのものは聞き取れるようにしておかねば、大学や大学院に入っても苦労してしまいます。

 勿論、こういう「式」や「課外活動」などは、学生達も参加して楽しめますし、学校側にとっても、一つの区切りになるので、やっているようなものですが、それだけではありません。

 教室の中では見えない学生達の良さ、がんばり度などが、教師に判るだけではなく、学生同士でも確認できる場にもなっているのです。

 何人かの学生は、他の学生から、
「びっくりした。上手になったねえ」
と言われることによって、それまでは、宿題のプリントなども出しっぱなしだったのに、間違いの箇所をチェックするようになりましたし、どうしてそこが違っているのかを質問するようにもなりました。

 本当に、学校も、一つの教室のようなものなのです。毎日、一緒に勉強しているのですから、この中の一人だけが、みんなとは別個に、一人だけ日本語が上手になれるというわけがありません。毎日を共に勉強し、おしゃべりし合っているのですから、上達の早い遅いこそあれ、結局は同じように上手になるのです。毎日、互いに影響し合っているのですから。

 それも確認し合えた、いい「入学式」でした。

日々是好日
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