あっという間に、今年も、四月、最後の日を迎えました。本当に、今年の四月は短かった……というのが偽らざる気持ちです。追われるような毎日が続いていました。それでも、四月のうちに、何とかしておかねばならぬことがいくつか、まだ残っています。頼みの綱は、この「連休」です。この「連休」を利用して、それらをやってしまい、五月には、多少なりとも余裕のある表情で学生たちに対していこうと思っています。
ところで、木曜日の「課外活動」は、一転二転と、まころぶように、変わっていきました。
その日は、あいにくの「雨天」になる…というのは、先からわかっていたのですが、その「雨の降り方」やら「雨の量」やらが、わからないのです。なにせ、「春のお天気」は「秋の空」のように定まりなきものゆえ。
「行徳駅」で、皆を待っている間にも、バケツの底が抜けたように土砂降りの雨が続きます。その一時間ぐらい前には、薄日が射していましたのに。おまけに風までビュンビュンと吹いてきます。もう、こうなってしまっては、この豪雨の中を、「皇居散策」としゃれ込むことはできません。それで、一路、「葛西臨海公園内の水族館」へと向かいます。ところが、ついてびっくり。何としたことでしょう、ここは、木曜日がお休みだったのです。博物館も図書館も月曜日がお休みなのです。それで、ついつい木曜日は安全圏だとばかり考えていました。そういうものの、雨の中をぼんやりと立っているわけにはいきません。で、まずは雨を凌ぐために展望台に上り、雨に煙る海を眺めます。
とはいえ、せっかく外へ出て来て、これで「はい、お仕舞い」というわけには参りません。まず、(学生たちに)午後のアルバイトの有無、(アルバイトが)あると言った人には、その時間を確認してから、急遽、道を知った教師が鳩首会談。その結果、「ゆりかもめ」で「お台場」へ行き、「フジテレビ」を参観することに決定。
「フジテレビ」に着くと、あのような豪雨の中、いや、だからこそ、行き先変更で来ていたのでしょう、高校生などがたくさん来ていました。小学生が多かった「NHK」とは少々違っていましたね。まず展望台に上り、そこでは、ガーナの学生とモンゴルの学生がアナウンサーになってテレビ画面に登場します。どうもかなり緊張していたようです。それから五階に下りて、写真とコンピュータの合成?で、変身したり、アニメーション「ワンピース」の模型の船を見て感動したり……とまあ、「NHK」へ行った時と同じようなことを、あれこれやっていたようです。
そして、1時半頃に、その一階で解散。「お台場」には、いくつか、楽しく時間を過ごせる場所があり、駅にはそれを書いた地図がおいてあります。駅に着くとすぐに、それを渡しておきましたから、車の好きな人はモーターショーに行ったかもしれません。留学生にとって、無料で楽しめるというのは、何よりもありがたいことです。どうしても交通費がかかりますから。そんなわけで、「すぐに帰る」と言った学生は、だいたい半数くらいでしたかしらん。
学生たちは、「フジテレビ」の中にいる時も、時折、窓の外を見ては、「まだ、降っている…」
モンゴル人の学生が、天の底が抜けたような雨を見ながら、「この雨は…、雨が降った時の、モンゴルと同じ。一度降ったら、道がなくなります…」
そう言えば、中国の「新疆自治区」へ行った時もそうでした。観光地ではカンカンの日照り状態なのに、道路が遮断され、鉄道が不通になったりするのです。それで、バスも道なき道を走るということになります。だいたい座ってなどいられないのです。バスが穴ぼこの荒原を走りますから、穴に落ちるたびに、乗っている人間も、バコンバコンと飛び上がり、(下手をすると)天井に頭をぶつけてしまいます。それで、子供も大人も、皆、バスの中で立っているのです。そして、車がバコンバコン揺れるたびに、その場で、人間もバコンバコン、ジャンプするのです。
多分、モンゴルでも、それと同じなのでしょう。土は、水を吸い込み、溜めておくというよりも、土の表面を流れていくのです。だから、すぐに洪水のようになって、せっかく作った道も鉄道も壊されてしまうのでしょう。こういう知恵比べでは、人間は自然にかないっこありません。必ず負かされてしまいます。人には、天が恵んでくれたわずかばかりの恩恵を「如何に溜め込んでおけるか」くらいの知恵しかないのです。そして、それができる人を、知恵者と称呼し、尊んできたのです。
世が「進む」と、人は「愚か」になり、自然と「闘える」と思うようになりました。雨が激しく降れば、外に出なければいいのです。寒さが厳しければ、蒲団にくるまって寝ていればいいのです。しかしながら、それがわがままであると言われ、おいそれとは、そうできない世の中になりました。雨が降っても働かねばならず、また学びに学校へ行かねばなりません。学ばねばならぬことは山ほどあり、働いていなければならぬことも多いのです。
学べば学ぶほど、まだ、働けば働くほど、人は無知であり、弱い存在であるということがわかるのは皮肉なことです。人は、何もできない「裸の存在」であるということに気づくようになっていくのは、もしかしたら、自然が人間に与えてくれた「恩寵」なのかもしれません。
原始の昔、人はただ「今」に生き、「今」を畏れているだけでしたから……。
不思議ですね。今日はきれいな青空です。このような日に、雨がザンザ降りであった日のことを書いているのですから。
日々是好日
ところで、木曜日の「課外活動」は、一転二転と、まころぶように、変わっていきました。
その日は、あいにくの「雨天」になる…というのは、先からわかっていたのですが、その「雨の降り方」やら「雨の量」やらが、わからないのです。なにせ、「春のお天気」は「秋の空」のように定まりなきものゆえ。
「行徳駅」で、皆を待っている間にも、バケツの底が抜けたように土砂降りの雨が続きます。その一時間ぐらい前には、薄日が射していましたのに。おまけに風までビュンビュンと吹いてきます。もう、こうなってしまっては、この豪雨の中を、「皇居散策」としゃれ込むことはできません。それで、一路、「葛西臨海公園内の水族館」へと向かいます。ところが、ついてびっくり。何としたことでしょう、ここは、木曜日がお休みだったのです。博物館も図書館も月曜日がお休みなのです。それで、ついつい木曜日は安全圏だとばかり考えていました。そういうものの、雨の中をぼんやりと立っているわけにはいきません。で、まずは雨を凌ぐために展望台に上り、雨に煙る海を眺めます。
とはいえ、せっかく外へ出て来て、これで「はい、お仕舞い」というわけには参りません。まず、(学生たちに)午後のアルバイトの有無、(アルバイトが)あると言った人には、その時間を確認してから、急遽、道を知った教師が鳩首会談。その結果、「ゆりかもめ」で「お台場」へ行き、「フジテレビ」を参観することに決定。
「フジテレビ」に着くと、あのような豪雨の中、いや、だからこそ、行き先変更で来ていたのでしょう、高校生などがたくさん来ていました。小学生が多かった「NHK」とは少々違っていましたね。まず展望台に上り、そこでは、ガーナの学生とモンゴルの学生がアナウンサーになってテレビ画面に登場します。どうもかなり緊張していたようです。それから五階に下りて、写真とコンピュータの合成?で、変身したり、アニメーション「ワンピース」の模型の船を見て感動したり……とまあ、「NHK」へ行った時と同じようなことを、あれこれやっていたようです。
そして、1時半頃に、その一階で解散。「お台場」には、いくつか、楽しく時間を過ごせる場所があり、駅にはそれを書いた地図がおいてあります。駅に着くとすぐに、それを渡しておきましたから、車の好きな人はモーターショーに行ったかもしれません。留学生にとって、無料で楽しめるというのは、何よりもありがたいことです。どうしても交通費がかかりますから。そんなわけで、「すぐに帰る」と言った学生は、だいたい半数くらいでしたかしらん。
学生たちは、「フジテレビ」の中にいる時も、時折、窓の外を見ては、「まだ、降っている…」
モンゴル人の学生が、天の底が抜けたような雨を見ながら、「この雨は…、雨が降った時の、モンゴルと同じ。一度降ったら、道がなくなります…」
そう言えば、中国の「新疆自治区」へ行った時もそうでした。観光地ではカンカンの日照り状態なのに、道路が遮断され、鉄道が不通になったりするのです。それで、バスも道なき道を走るということになります。だいたい座ってなどいられないのです。バスが穴ぼこの荒原を走りますから、穴に落ちるたびに、乗っている人間も、バコンバコンと飛び上がり、(下手をすると)天井に頭をぶつけてしまいます。それで、子供も大人も、皆、バスの中で立っているのです。そして、車がバコンバコン揺れるたびに、その場で、人間もバコンバコン、ジャンプするのです。
多分、モンゴルでも、それと同じなのでしょう。土は、水を吸い込み、溜めておくというよりも、土の表面を流れていくのです。だから、すぐに洪水のようになって、せっかく作った道も鉄道も壊されてしまうのでしょう。こういう知恵比べでは、人間は自然にかないっこありません。必ず負かされてしまいます。人には、天が恵んでくれたわずかばかりの恩恵を「如何に溜め込んでおけるか」くらいの知恵しかないのです。そして、それができる人を、知恵者と称呼し、尊んできたのです。
世が「進む」と、人は「愚か」になり、自然と「闘える」と思うようになりました。雨が激しく降れば、外に出なければいいのです。寒さが厳しければ、蒲団にくるまって寝ていればいいのです。しかしながら、それがわがままであると言われ、おいそれとは、そうできない世の中になりました。雨が降っても働かねばならず、また学びに学校へ行かねばなりません。学ばねばならぬことは山ほどあり、働いていなければならぬことも多いのです。
学べば学ぶほど、まだ、働けば働くほど、人は無知であり、弱い存在であるということがわかるのは皮肉なことです。人は、何もできない「裸の存在」であるということに気づくようになっていくのは、もしかしたら、自然が人間に与えてくれた「恩寵」なのかもしれません。
原始の昔、人はただ「今」に生き、「今」を畏れているだけでしたから……。
不思議ですね。今日はきれいな青空です。このような日に、雨がザンザ降りであった日のことを書いているのですから。
日々是好日