曇り。時々薄日が射しています。
お日様が隠れると、気温も少し下がり、学生達の表情も緩んできます。暑いと、それは大変ですね。二年生はどこかしら慣れた様子で、普通に「暑い、暑い」と言いながらやって来るだけなのですが、今年度来たばかりの学生達はそういう余裕はありません。こわごわやって来ています、特に来てから一週間も経っていない学生は。そういう一週間単位での差が、表情にも態度にも表れているから面白い。4月に来た学生は、もちろん二年生と比べるとまだまだ初々しいのですが、7月生と比べると、やはり初々しいの最初の「初」がとれているような感じ。
もちろん、面白いなんて言っちゃ悪い。向こうは緊張しているのですから。
朝はセミの声が忙しなく響いていますし、帰りは夏の虫たちが鳴き始めています。けれども、夏らしくないお天気が続いています。前線の影響とか、台風の余波がとかいう声も聞こえてくるのですが、心配なのは、8月2日のお天気のこと。
昨年は悪天候で、富士山の五合目は、1㍍先の人の顔も見えなかった…。
富士山が近づいていたのに、バスの中では「富士山はどこ」。五合目に着いても、富士山の中に入っているというのが理解できず、見晴台からも青木ヶ原も何もかも霧で見えませんでしたから、狐につままれた顔つきでみんな帰っていきました。まあ、白糸の滝へも行きましたから、そこで少し気分転換はできたのでしょうけれども。
今年もそうなってしまったら、特に二年生は可哀想という気がしてなりません。一年生は来年があるけれども、二年生はこの学校にいた間、近くで富士山を見たことがなかったという記憶しかもてないのですから。
学生達にとって「富士山」は特別な存在で、「富士山へ行った」で、初めて「日本へ来たことが本当になった」ような、そんな気がするのでしょう。
特に南アジア圏の人たちは、こういう時代になっていても、日本のことを何も知らないのです。知っているのは富士山だけ。
日本人から見れば、在日外国人の数も増えたし、外国人の旅行者も大勢来ている…のでしょうけれども。トヨタは知っていても、日本とはどのような国であるのかわからない。
もっとも、『初級』で、地図を開かせ、一つ一つ教科書に出てくる国をチェックさせていくと、彼らが如何に自国以外のこと、国名すら知らないことがわかります。これは日本語云々ではなく、他国は関係ないのです。ただ、この国に留学するつもりで来ているのに、日本のことを何も知らないなんて、不幸だなと思ってしまいます。
中には、知る気もない人もいます。日本語学校が外国で金を作るには一番手っ取り早い。行けば日本語は話せるようになるだろうし、専門学校で少しばかりの技術を身につければ、どうにかなるだろうくらいのレベルで来ている人も、いることはいる。以前に比べれば、随分少なくなりましたけれども。
それなりに勉強していけば、他国に来ているわけですから、自然と視野も広がるものなのですが、2年いてもアルバイトで使えるくらいの生活日本語から発展していなければ、自国にいるときと大した違いはありません。もともと自国しか知らないわけですから、他国が見えないのです。まあ、それも幸せでいいのでしょうけれども、外国に来たら、学ぶべきでしょうね、そうでなければ意味がない…と思うのですが、こういう人ほど、「関係ない」と思ってしまうようです。いくらこちらが資料を提供しようと、話しかけてみても、変われない人は変われない…のでしょう。
年というのは、彼らの国では大きい。既に25くらいになっていれば、「生活」を考えて動きますから、「知識」とか「見聞」とか「技能」とか、こちらがいくら言っても、「何のお題目を唱えているんだ」くらいにしか受け取れないのでしょう。
ただ、日本語学校で、「N2レベル」まで至れた人は、それだけ多くの文章を読むことができますし、DVDなどを見ても聞いてわかるわけですから、この弊害から逃れられるような気がします。アルバイト先で日本人と話すだけでなく、書物や映像などを通して、日本を知り、世界を知り、現代を知り、歴史を知ることができれば、日本のみならず、自国のことを知る機会も増えるからでしょう。
そうなると、同国人が気ぶっせいに思えてくるようで、それも一つの過程なのかもしれません。年をとればそういう自国民がかわいらしく愛しく思えてくるのでしょうけれども。
とはいえ、ここにいる間に、学べることはみんな学んで欲しいものです。いい機会なのですから。
日々是好日
お日様が隠れると、気温も少し下がり、学生達の表情も緩んできます。暑いと、それは大変ですね。二年生はどこかしら慣れた様子で、普通に「暑い、暑い」と言いながらやって来るだけなのですが、今年度来たばかりの学生達はそういう余裕はありません。こわごわやって来ています、特に来てから一週間も経っていない学生は。そういう一週間単位での差が、表情にも態度にも表れているから面白い。4月に来た学生は、もちろん二年生と比べるとまだまだ初々しいのですが、7月生と比べると、やはり初々しいの最初の「初」がとれているような感じ。
もちろん、面白いなんて言っちゃ悪い。向こうは緊張しているのですから。
朝はセミの声が忙しなく響いていますし、帰りは夏の虫たちが鳴き始めています。けれども、夏らしくないお天気が続いています。前線の影響とか、台風の余波がとかいう声も聞こえてくるのですが、心配なのは、8月2日のお天気のこと。
昨年は悪天候で、富士山の五合目は、1㍍先の人の顔も見えなかった…。
富士山が近づいていたのに、バスの中では「富士山はどこ」。五合目に着いても、富士山の中に入っているというのが理解できず、見晴台からも青木ヶ原も何もかも霧で見えませんでしたから、狐につままれた顔つきでみんな帰っていきました。まあ、白糸の滝へも行きましたから、そこで少し気分転換はできたのでしょうけれども。
今年もそうなってしまったら、特に二年生は可哀想という気がしてなりません。一年生は来年があるけれども、二年生はこの学校にいた間、近くで富士山を見たことがなかったという記憶しかもてないのですから。
学生達にとって「富士山」は特別な存在で、「富士山へ行った」で、初めて「日本へ来たことが本当になった」ような、そんな気がするのでしょう。
特に南アジア圏の人たちは、こういう時代になっていても、日本のことを何も知らないのです。知っているのは富士山だけ。
日本人から見れば、在日外国人の数も増えたし、外国人の旅行者も大勢来ている…のでしょうけれども。トヨタは知っていても、日本とはどのような国であるのかわからない。
もっとも、『初級』で、地図を開かせ、一つ一つ教科書に出てくる国をチェックさせていくと、彼らが如何に自国以外のこと、国名すら知らないことがわかります。これは日本語云々ではなく、他国は関係ないのです。ただ、この国に留学するつもりで来ているのに、日本のことを何も知らないなんて、不幸だなと思ってしまいます。
中には、知る気もない人もいます。日本語学校が外国で金を作るには一番手っ取り早い。行けば日本語は話せるようになるだろうし、専門学校で少しばかりの技術を身につければ、どうにかなるだろうくらいのレベルで来ている人も、いることはいる。以前に比べれば、随分少なくなりましたけれども。
それなりに勉強していけば、他国に来ているわけですから、自然と視野も広がるものなのですが、2年いてもアルバイトで使えるくらいの生活日本語から発展していなければ、自国にいるときと大した違いはありません。もともと自国しか知らないわけですから、他国が見えないのです。まあ、それも幸せでいいのでしょうけれども、外国に来たら、学ぶべきでしょうね、そうでなければ意味がない…と思うのですが、こういう人ほど、「関係ない」と思ってしまうようです。いくらこちらが資料を提供しようと、話しかけてみても、変われない人は変われない…のでしょう。
年というのは、彼らの国では大きい。既に25くらいになっていれば、「生活」を考えて動きますから、「知識」とか「見聞」とか「技能」とか、こちらがいくら言っても、「何のお題目を唱えているんだ」くらいにしか受け取れないのでしょう。
ただ、日本語学校で、「N2レベル」まで至れた人は、それだけ多くの文章を読むことができますし、DVDなどを見ても聞いてわかるわけですから、この弊害から逃れられるような気がします。アルバイト先で日本人と話すだけでなく、書物や映像などを通して、日本を知り、世界を知り、現代を知り、歴史を知ることができれば、日本のみならず、自国のことを知る機会も増えるからでしょう。
そうなると、同国人が気ぶっせいに思えてくるようで、それも一つの過程なのかもしれません。年をとればそういう自国民がかわいらしく愛しく思えてくるのでしょうけれども。
とはいえ、ここにいる間に、学べることはみんな学んで欲しいものです。いい機会なのですから。
日々是好日