日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「私のふるさとは山の中」…いいですねえ。羨ましい…。

2019-01-31 08:53:01 | 日本語学校
曇り。

早朝には、月も出ていたのに、もう灰色の雲に覆われています。今にも雨が降り出しそう。こういう天気は嫌ですね。雪になるほどの寒さではないとはいえ、雨になると、ぐっと寒さが増してくる…。これより寒くとも、なぜか、雪だと寒くはないのに…。

去年、雪を見たという二年生の話を、如何にも羨ましそうに聞いている一年生達。勿論、ネパールの学生の中には、「私のところには、雪が降る」と言う学生もいました。すると、「えっ!」とそちらを振り返るネパール人。

「私のところは山だから」…なるほどね。ネパールの山だったら、絶対に降っている。

彼女曰く、「私の家は、山。そこには電気もない(ニコニコとうれしそうに言うのです)。ヒツジ(羊)をたくさん飼っている。学校は、町で行った」。一文をいくつか、羅列して言っているだけなのですが、「私のふるさとはいいところ」と思っているのがよく判ります。日本人も、そういう自然の中で育っている人が大好きですから、思わず想像してしまいます。あっちを見ても、こっちを見ても山。空気は澄んでいて、夜には星がたくさん見えていて…、羊がたくさんいて、メエメエと鳴いている。そして、彼女…。思い描いているうちに、気分は同じようにうっとりしてきます。

町と田舎、都市住民とそれ以外の人達の生活水準に非常に差があるような国から来た人達は、そういう自然の中で育った人を、蔑みの目で見がちです。中国にいた時に、それを初めて目にし、「この国は、こうなんだ」と、がっかりしたことがありました。けれども、こういう考え方をする人は中国人だけではないようです。ネパール人はどうも、そうではないようですが、どうしてでしょうね。

もしかしたら、都市に住んでいても田舎に住んでいても、同じようなものだからかもしれません。ほんの一握りの大金持ちと、それ以外の一般大衆という分け方で、話せるからかもしれません。それか、男と女で分けるとか、カースト制もまだ関係しているからかもしれません。おそらく、都市と田舎という分け方では無理な部分が多いのでしょう。

本当に、「同じは違う、違うは同じ」と、ブツブツと呟きたくなってくることが多く、学生達を同じと見ることは、却って、悪平等に繋がるということを芯から感じさせられることが多いのです。

日々是好日
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インフルエンザが学校にも、やって来ました。

2019-01-28 08:38:52 | 日本語学校
曇り。

お日様が出ていないと、気持ちも、どこかしら、ヒンヤリとしてきます。空は、厚い雲に覆われている…かと思いきや、西の、ぐっと下がった辺りはこの雲も切れているような…。

午後は晴れるのでしょう、きっと。ずっと雨らしい雨が降っていないので、カラカラ天気が続いています。もし、今日、降るとしたら、雨ではなくて、雪になるかもしれません。粉雪が舞ってくれたら、同じ寒いにしても、ちと違う。きっと、少しばかり、心が弾んで来るような気がするのですが。

もっとも、皆が興奮して授業が中断…なんてことになるかもしれません。雨か雪か…どっちか判らない…みたいな時でも、ミャンマーの学生が、急に立ち上がり、「先生。外へ行きたいです。写真を撮りたいです」でしたもの。インドの学生は、道路で踊って、向こうからやって来た自動車の人に笑われていましたもの。

はっきりと、「白い雪」に見えたらうれしいのですけれども。だいたいが、粉雪のもっと小さいようなもので、撮っても、何も写っていなかったということがありました。興奮しきって写した学生は、興奮していただけにがっかりしてしまい、本当にかわいそうでしたけれども。

雪は降ったら降ったで、ちと大変ですが、雪が見たいと言う学生が多いので、少しは降って欲しい…かな。。

二年生に訊くと、「降ってきた」雪を両手に挟んだら、溶けた…それに、「一番驚いた」そうでしたから、何に驚くか、私たちには想像も付きません。

とはいえ、私だって、雪国の人に、「かまくら(例の「かまくら」です)」の中に何を入れるのかと訊いたことがあったのですが、答えは、「何も入れない。そのままで固まる」。へえと言ったは言ったけれども、実際、今でも、納得出来ていません。その答えで、そうかとは、なかなか、ならないのです。つまり、私の知っている雪は、地面に落ちたら、たいてい、すぐ溶ける。溶けるとまではいかなくとも、部屋のように作られた「かまくら」の中で、火鉢を焚いて、暖かいものを食べて、人が座っているなぞは、絵本の中での出来事くらいにしか思えないのです。彼等の感覚は、私のそれと、もしかしたら、似ているのかも知れません。

さて、ドンドン寒くなってきました。風邪引きさんどころか、インフルエンザ引きさんもあっちでもこっちでも出ています。というわけで、「インフルエンザになったら、病院へ行かなければなりません」というのを、言い聞かせる必要がなくなっています。これはいいことなのかしらん。

病気になったら、国から持って来た薬を飲むという習慣がある人達が多く、これに少々手を焼いた時期もありました。勿論、風邪程度、あるいは、慣れない豚肉や刺し身を食べて、お腹がびっくりして具合が悪くなったりする程度であるならば、それでもいいでしょう。言っても、病院に行かない人がいるのです。で、「では、部屋でゆっくり休んでください」で終わるということになる。

ところが、インフルエンザともなりますと、全くそれらとは違ってきます。私たちにしてから、(電話で連絡されれば)「すぐに病院に行きなさい」と言いますし、だいたい、今頃ですと、「熱がある」とか、「体がだるい」ということを聞いただけで、すぐに病院に連れて行っています。

…それが、あまりに多かったのか、いつも病院に連れて行ってくれていたスタッフまで、インフルエンザにやられてしまいました。

日々是好日。
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クラスによって、授業の進め方をガラリと変えた方がいいのでしょうね。クラスの人数や学生のタイプにもよるのでしょうが。

2019-01-24 08:24:33 | 日本語学校
晴れ。

今朝の風は、冷たい…。「大寒」が過ぎた頃から、寒くなるなんて(わかるけれども)。確か、以前「小寒」から「大寒」にかけてが、寒さの底とか、訊いたことがあるような、ないような、気がするのだけれども…。今日は久しぶりに冷たい風を感じました。もっとも、まだ吐く息は、白くはなっていませんが。

学校に来る途中の、道の角の「サクラ(桜)」の樹。まだ真っ黒です。蕾が膨れてくる前、幹も枝も、遠目から見ると、心持ちピンク色を帯びてくるのですが、それが限界に達すると、その色が溢れるように流れてピンクの花が咲く…。でも、まだまだ冬眠中のようです。

さて、学校です。

留学生達を見て感じることのですが、知識の詰め込みがあまり利かないタイプで、ヒアリング力が弱い人達には、『初級』が終わっても、あまりきちんとしたやり方は向かないのではないか…。

文一つ、単語一つにしても、中途半端な理解で終わらせるよりは、たとえを多用し(このたとえも彼らの生活から引きだしたもの)、彼等のことを語らせながら、定着を計っていった方がよいような…、一見、回り道のように見えても。

以前も、こういうクラスを持っている時には、そうやっていたのですが、どうもあれでは中途半端で、どっちつかずであったような気がします。反省頻りです。思い切れていなかったのです、私の方が。それで、生かされず、却って時間がかかってしまったのでしょう。

どうしても、教科書というヤツがあり、試験があると、教員出は、それに引きずられてしまうのです(言い訳ですが)。試験に合格させなければと、ついつい、そっちの方に気が回ってしまうのです。

しかしながら、スリランカなどインド圏の学生達のように、ヒアリングがよく、早くに日本人と話せるようになった学生は、授業中寝ていても、1年くらいで、「N3」くらいなら合格してしまいます。学校での勉強は、頭の片隅にも入っていなくても、日常のアルバイト生活で、「N3」くらいの文法や単語なら、使えも、聞き取れもするのです。

それに比べ、ベトナムからの学生はそういう器用なことは出来ません。またインド圏とはいえ、ネパールの学生の中には、ベトナム人と、どっこいどっこいというくらい、ヒアリングの悪い人もいて、彼等と同じような悲哀を託つ人もいるのです。

そういう人が多いクラスならば、徹底して話させ、それを互いに聞き、ある程度レベルが上がった段階で、正規のやり方に戻した方がいいのではないか。そんな気がしています。

勿論、これは私の時間だけで、他の時間は、「N3聴解」はもちろん、「N3文法」もきちんと入れ、「N3漢字」のテストも練習させて、週一のテストにも合格させるようにしてはいます。しかし、中心教材のやり方を大幅に変えた方がいいのではないかと、今はそう感じているのです。初めは時間がかかりますが。

上のクラスでは、「詰め込み」というと語弊があるかもしれませんが、日本人の授業風景と大して変わりません。7月には「N2」を目指し、出来うるならば、次は「N1」を目標とさせたい。勿論、本人の資質も、それから環境も、やる気度なども関係してくるので、こちらの思うようにはなかなか行かないものなのですが。

しかしながら、日本で生活している以上、日本語が聞き取れ、話すという力が一番必要です。聞き取れさえすれば、日常生活に必要な単語は自然と覚えられるもの。そうすれば、反応も早くなり、生活にも自由度が増してくるでしょう。

それに何より、こうやって遠回りしながら教えていった方が、私も楽しいのです。「一つできた。二つ出来た。一週間前には言えなかったことが、今日言えた」と、こちらでも達成感があるのです。少し前まで、言えなかった文法の暗記分がスラスラと言えるようになれば、彼だってやる気も増してくるでしょうし。

日々是好日
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日本に来ることが決まってから、…結婚するんだ…。そうなんだ…。

2019-01-23 14:49:56 | 日本語学校
晴れ。

晴れとはいえ、今朝は黒っぽい雲が空を流れています。最近は、雲一つないという空ばかり見ていたせいか、最初は「あれっ?」という感じでした。どこか馴染めないのです。それほど、乾燥した空気の中にいたということなのでしょう。

さて、学校です。

昨日、ネパールから来た女子学生が、額の生え際のところに、赤いものを塗っていたので、あれっ?… 。確かにこれまでにも見たことはありました。でもそれは、もっと下だった…ような気がしたので、「そこ?もっと下じゃないの」。

すると、「結婚した人はここに塗る…」。しかも、「ネパールに既婚の女性は毎日塗らなければならない」と言います。「…日本では、そうしないけれども…」とも。

私たちは、彼女が結婚していたのを知らなかったので、「おや?結婚していたのか…」。

実は、ネパールの留学生の中には、来日が決まってから結婚したという人が何人もいて、その都度、驚かされていたのです。彼等は自分ではなんとも思っていないので、「結婚している」と、来日後、あっけらかんとして言うのですが、こちらはこちらで「へっ?」なのです。

勿論、今は、もう、心の準備が出来ているので、おそらく結婚しているであろうと思いながら、来日後の彼等に結婚の有無を聞いたりしているのですが、初めてネパールの学生を迎えた頃は、「えっ?あなたも?あなたも結婚しているって?」と聞かされるたびに驚いていました。

これは、彼等の国では、そういう習慣なのでしょうねえ。こういうことがあると判ってからは、現地に行っての面接時に「留学すると言うことは、勉強のために日本へ行くということなのだから、勉強に集中できるような状態で来てほしい」と何度も繰り返して言っているのですが、彼等にとっては「当たり前」のことのようで、いくらこちらが真剣に言っても、どこか入っていかない。

もっとも、そうは言いましても、皆、気持ちのいい人達なので、反対に、こちらの方が困ってしまう(なぜか、困ってしまうのです)私たちの気持ちは伝わらない…。そういう習いというか、そうなのでしょう。

もちろん、こういう結婚というような個人的なことに、無関係の私たちがとやかく差し出がましいことは言えません。とはいえ、今迄の経験から言えば、結婚している人はそれほど勉強に集中できない場合が多いような気がするのです。どうしても生活の方が大切になり、勉強にも、ひいては進学にもそれほど「リキ」が入らない…傾向にあると言っても…いいかな。

私たちは、勉強に集中して欲しいので、生活の方に重心が移ってしまうと、ちょっと困る。勿論、結婚していても、一生懸命に勉強する人もいれば、独身でも、フラフラしている人はいます。だから一概には言えないのですが。

そう言えば、内モンゴルから来ていた学生の中にも、そういう人がいました。だから、多分同じような理由で、親は結婚させるのだとは思うのですが。

で、冒頭の彼女です。こちらがちょっと困り顔などには気がつかず、本当にうれしそうに、「日本に来ることが決まってから結婚した」。でも、「ちょっと結婚は早いのではない?」と問いかけてみると、仏教徒の学生が、「ヒンドゥー教徒の女性は結婚するのが早い」と言います。では、「あなたたちは?」。二人とも、笑いながら「私たちは仏教徒だから、そんなに早くは結婚しない」と言います。ふむふむ。そういう違いもあるのか。また一つ知識が増えました。

すると、額に赤を塗っていた学生が、「私は結婚するまで相手を知らなかった」と言います。これにはみんなびっくり。でも、また、言い直して、「結婚式の2日前に、家族同士で初めて会った」と言います。

他のネパールの学生も、驚いて、へえ~。…彼等が驚いたと言うことは、同じ国であっても、宗教が違うと、どうも知らないことも多いらしい…。そういえば、確かに、ネパールはどの地区に住んでいるかで、だいたいどの宗教かがわかるような気がする。大まかですけれども。

そうこう言っているうちに、彼女がスマホに保存してある結婚式の写真を見せてくれました。花嫁も花婿も、赤の服を着、金の飾りでピッカピカです。そうか、赤と金なんだ…。

「でも」と、額に赤の学生が言います。「○○さんと、○○さんは、好きな人と結婚したな」。へえ、「でも、あなたは好きな人と結婚したんじゃないんだ」。「結婚してから好きになった。今、とても会いたい。かれはクウェートに働きに行っている。私のために」。

そうか、結婚してから好きになったんだ。 

このように、一年近くも一緒にいますと、だんだん垣根を越えて、いろいろなことを話してくれるようになります。もとより、言葉の問題もありますから、彼等がこちらの意図を誤解することもあれば、私たちが意味をはき違えてしまうこともあります。とはいえ、それによって、私たちの間がおかしくなるようなことは、ほとんどありません。勿論、あまり学校にこない、あるいは、来ても別に勉強する出ないような人は別ですが。

日々是好日
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まだ、三人、残っています…。

2019-01-22 09:07:06 | 日本語学校
晴れ。

カラカラ天気が続いています。冬は乾燥しているものなのですが、とはいえ、なんだか、雨(雪ではないところがミソ)が恋しくなりますね、こうも水分が足りなくなりますと。

とはいえ、行徳駅から南行徳駅へ、そして南行徳駅から浦安駅のちょっと先まで、小さな富士山がよく見えています。もっとも、電車のドア側にへばりついていれば…なのですが実は、学生がよく、富士山を見たことがないと言うのです。国で見た写真の、大きな富士山とあまりにも違っているからなのでしょうね。実際、建物の間から、ひょっこり頭を出した…くらいにしか見えませんから。

さて、学校です。

二年生で進学先が決まらず、残っているのは、高校受験と大学院受験を控えている二人だけ。おっと、もう一人、大学受験生がいました。今はこの三人だけが、「待ち」状態。

一番不安そうな顔つきなのが、大学受験生。「どうすればいい、どうすればいい」と、うるさいのが高校受験生。まあ、子供ですからね、不安は不安なのでしょう。でも、この子の方が日本語は出来る…。

そして、なぜか、明るいのが大学院受験生。専門分野について話すのが楽しくて堪らないといった感じ。そういえば、「道具」である日本語の勉強に明け暮れていましたから、専門についての話なんで、この2年近くやっていませんでしたから、そりゃあ、楽しいでしょうね。話せば話すほど、英語の「なになに」は、日本語の「なになに」であるという、専門分野に関する日本語が身につきますもの。

好きこそものの上手なれ。自分の意見を言うためには、また相手を納得させるためには、共通言語である日本語が必要になる。日本語で話をしているうちに、ドンドン日本語のレベルも上がっていくことでしょう。特に専門分野に関する言葉、言い回しなどは、決まり切ったものも少なくありませんから、何度でも出てくる。何度でも耳にし、自分も使っているうちに、血になり肉となる。そうすれば、しめたもの。早くそこまで行けるといいのですが、まあ、今のところは、私と雑多な話をしているくらいですから、これは将来の話。院は、英語でという話ですから、それはこちらには手が出ません。

こういう専門がある人は、単に日本語を勉強するというのは向かないのかも知れませんね、基礎は別として。

インド、パキスタンという国から来た人達は、他国からの学生(スリランカ、ベトナム、ネパール、フィリピン、バングラデシュなど)に比べれば、まあ、かなり声は大きい…、主張する。他の国からの学生は、人数が多いにもかかわらず、自己主張がほとんどない…。そうしなければならなかったという経験もなかったのでしょう、外国に行くまでは。国が大きくて、人口が多い国とか、移民の多い国では、そうせねばならない事情も他国に比べある…から、そうなるのでしょうね。

日本人は自己主張がないという話をよく聞くのですが、こうしてみていると、日本人と同じような国の人のほうが、そうではない国の人よりも多いような気がします。だから、こんなところでは、インドやパキスタンの学生は目立つのでしょう。

ところが、在日のインドの学生はそうでもない人がいるのです。「自分は…云々」がなく、おっとりしているのです。年が幾分、上だからもしれませんが、こうなると、私たちの彼への評は、「あの人はインド人らしくないね。日本人みたい…」。

実は、在日の人で、学校に電話をかけてくる人の中にも、言いたいことだけがなり立てて、こちらの話を聞かずに、勝手に思い込んで、文句を言う人がいるのですが、それもこの二つの国系か、中国系の人が多いようですね。言い方は違うのですが。まあ、そういう個人が多い傾向にあると言うことなのでしょう。

学生の場合は、慣れると、まあ、結構、こちらも楽しいのですが。

日々是好日
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寒く、乾燥している日々に思うこと…「雪」。

2019-01-18 08:30:24 | 日本語学校

晴れ。

また、「乾燥注意報」が出されるような日が続いています。雨や雪にならないのはうれしいのですけれども、こうも続くと、喜んでいいのか、困っていいのか判らなくなってしまいます。

この時期、雨になれば、氷雨ということにもなるでしょうし(なぜか、「氷雨」は夏の季語だそうな)、濡れてしまえば、風邪を引いてしまいます。悪くすると、今、インフルエンザになってしまうかもしれません。

雪は…学生達は喜ぶでしょうね、一瞬。けれども、遊ぶならいいけれども、どこかへ行かなければならないとなると、途端に不自由になることがわかり、困ってしまうでしょうね。歩くにしても、慣れていないので、滑らないように、ズリズリとせねばならないでしょうし、足を取られて、スッテンコロリンともなるかもしれません。だいたい、日ごろ、移動は自転車でしているので、アルバイトに行くのも大変です。不器用に歩いて行けば時間がかかります。それに、また夜遅く、そんな道を歩いて帰らなければなりません。

この辺りでは、積もることはめったにないのですが、それでも数年に一度くらいは、2,3センチくらいは積もることもある、夜降ればですが。もっとも陽が出れば、すぐにシャーベット状になって、歩きにくいこと、この上もない。残るにしても、日陰の片隅で縮こまるような土塗れの氷になってしまい、優雅な白い雪という印象からはほど遠くなってしまう。

とはいえ、学生達は、冬、雪が降ってくれるのを待っています。

毎年、専門学校や大学への面接準備の時に、日本に来て一番うれしかったことはと訊くと、数人は必ず、「雪!」と言いますもの。「雪の何が」と問いかけると、「きれい」と言う他に、「手に舞い落ちてきた雪がすうっと消えた」と答える者もいるのです。そうか、雪のそんな姿に驚いたのかと、雪の舞い落ちてくる様子に喜んでいるだけと思っていたこちらはそれに驚いてしまったりするのです。

そう言えば、日本人だって、桜の散る姿に感銘を受けたりしますものね。それと同じように、何か、それ以上のものが感じられていたのかもしれません。

ちょっとだけ、降らないかな…。

日々是好日
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花の季節が始まりそうな予感がしています。

2019-01-17 08:44:15 | 日本語学校
晴れ。

面白いもので、既に1月も半ばを過ぎますと、もう目は次の季節を知らせる花を探しています。

「サザンカ(山茶花)」は、もう終わりがけというか、目は求めていませんね。「ウメ(梅)」に「ツバキ(椿)」、もう少し経つと、白やら、赤やら、黄色やらで、辺りは賑やかになり、それが一区切り付いた頃に、「サクラ(桜)」が街をピンクに染め上げる。

先日、大して花の名を知らぬ私に、一人の学生が、「日本人は花の名をよく知っている。どうしてか」と、訊いてきました。

華道を嗜んでいる人は言わずもがなとしても、俳句・和歌を好む人の中にも、驚くほど草花の知識を持っている人がいますから、多分、その人達のことだろうとは、思ったのですが、以前、中国人の友人に、野の花の名を尋ねた時、「ああ、あれは雑草」と一言で片付けられてしまったことがありましたから、こんな私でも、「知っている!」と、思って訊いてきたのかもしれません。

身内に、芸事を好む人がいれば、その人は必ずと言っていいほど、他者よりも草花の名に詳しいはずですし、着物を好んで身につけている人もそうでしょう、よく知っているはず。また、和風の小物好きも知っているでしょう。そうでなくとも、散策が好きな人なら、道端に生えている草花に自ずと目は行きます。毎日のように、目に入ってくれば、自然と知りたくもなるでしょうし、時期が来れば、今年も…と思って、辺りを探してしまうでしょう。

こんな場合、以前なら詳しい人に名を訊くか、あるいは草花事典を買って自分で調べるかしていたものですが、昨今のように、写真を撮って送れば、すぐに答えが返ってくるようになりますと、草花の名に詳しい人はますます増えていきます。

だいたい、こんなことには、男女の区別なんてありませんもの。

華道だって、立花などは、室町初期の婆娑羅たちが、よくやっていたとか聞いたことがあるほどですもの。サムライ達のものと言ったっていいのでしょう。

さて、学校です。

よくしたもので、この頃になりますと、二年生達のクラスの授業は随分楽しくなってきます。話し合いが成立しているのです。一人が何か言えば、それに応える学生がいて、こちらでも、差し出口ならぬ一言を、付け加えることもありますし、それで、ワイワイガヤガヤ…。これまでは、覚えねばならぬ、出来ねばならぬであったのが、自然体で授業を受け、自然体で応えられるようになり、おそらく学生達にとっても、この方がずっと楽しいでしょうね。試験がありますと、それに向かってやらなければならないという面が強くなり、自発的な作業という面が軽くなってしまいます。

それを、今、まとめてやっているようで、笑い声が絶えぬのがこちらとしても、うれしい。まあ、時々、老婆心からの注意などもするのですが、それが判るほどに(アルバイトなどで苦労していますから)成長しているということも関係しているのでしょうけれども。

もっとも、あと数人、どうするのか判らない人がいます。

「帰る」と言っていたのが、急に「まだ、いたい」などと言いに来たり、いつまで経っても、外国にいるというのが、理解できないのでしょう(同国人からの情報にばかり頼っている人に良く見られる傾向です)。もっとも、出席率が95%を超える人には、あまり見られないことですけれども。

日々是好日
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「試験」のための授業になってしまいがちなのが、悲しいですね。自由なのは、1月くらいでしょうか。

2019-01-15 09:59:31 | 日本語学校
晴れ。

今日も乾燥しています。インフルエンザが流行っているとのことですが、学校にも一人、二人出ているようです。具合が悪いということで、すぐに病院に行っても、ある程度の時間が経っていなければ、インフルエンザかどうかわかりません。下手をすると、翌日また病院に行かなければならないということにもなりかねず、学生は戸惑っています。

まあ、病気のことですから、しょうがないといえばしょうがない。体の具合を確かめながら、対処していくしかないということなのでしょう。

さて、先週の金曜日に「江戸東京博物館」へ行き、これまで学校ではあまり触れる機会のなかった「江戸(文化」にも、近づいてもらいました。これまで、せいぜい、「ニンジャ」は聞いたことがあるくらい…。中には「サムライ」を知っている人もいましたが、その反対に、二者とも知らないと言う人もいて、江戸のイメージというのは、どんなでしたろう。直前に、付け焼き刃的にDVDを見せ、説明はしたのですが、一国の、ある時代の文化なんて簡単にはまとめられませんものね。

学校での勉強が、「専門学校」や「大学」に合格するためのものになってしまい、なかなか系統立てて「日本文化」や「日本社会」を教えることができないというのが、現在のところ、日本語学校の宿命みたいになっています。内心、忸怩たるものがあるのですが、まずは「N3」に合格出来なければ、彼等が日本に来た目的が達せられなくなってしまい、致し方のないことながら、そうなってしまうのです。

とはいえ、二年生は12月に「日本語能力試験(N2)(N3)」が終わると、少しホッとして、12月は、ディズニー関係のDVDなどを見て、知識を広めることも出来ましたし、1月からは、「N1」「N2」の文法や漢字を入れると同時に、「枕草子」「徒然草」などの古典の一節や、和歌や俳句なども入れる予定でいます。それに「卒業文集」も書かねばなりませんから、ある意味では、これまでよりもずっと内容の濃い授業になってきます。

このときに休むというのは、本当に損です。「卒業したら、帰国する」からと言って、学校に来なくなっている人もいる。これまで、2年近く勉強してきたから、今、これを学べるのだということが判らないのです。

これまでは、次に行くためにどうしても日本語の「試験に合格する」ことが必要だった。だから、「N3」や「N2」の試験を受けた(12月の二回目の結果はまだわかりません)。けれども、(それから)自由になってからは、「文化」や「社会」についての幅広い分野で、いくつかを学ぶことが出来る。

私たち(教師)も自由です。授業中に脱線して、テストとは関係のないことを、彼等と共に話し合うこともできるのです。

私たちの話は、主に、「これから」に向けてのこと。これまでのように「日本の生活を知らない人」を支えるというよりも、「ある程度判って、生活ができる人」に、判らないことがたくさんあるんだよということを知らしめる方に力が入るといった方がいいのかもしれません。

アルバイトなどで重宝され始めると、もう、それだけで何でも判った気になってしまう人が出てきます。これが一番危ないのですが、それが判らない。もちろん、こちらがいくら力を入れてそれを言っても、通じない人には通じない。これは日本人でも同じことですが。とはいえ、そうだと思ってくれる人も出てきますから、この時期はそれなりに大切なのです。

学生達にはいつも、「今」でなく、「10年後」に何をしていたいか、どういう人と知り合っていたいか、どういう暮らしをしていたいかと考えるように言っているのですが、これも、日本人の暮らしがよく判っていない彼等(彼等の知っている日本人というのは、アルバイト先での知り合いくらいで、本当に幅の狭い「日本」なのです)にとっては、難しいことなのかもしれません。

日々是好日
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みんなで「江戸東京博物館」へ行ってきました。

2019-01-11 15:31:31 | 日本語学校
晴れ。

朝は寒く、今朝も、早めに駅に着いて、そこのベンチから、学生達に電話をかけ、起きているかどうかの確認をしていたのですが、その呼び出しの時にも、思わず、「寒いよ~。早く来てね」を付け加えてしまいました。

ネパールの学生達は寮住まいですので、二人くらいに連絡できればいいだろうくらいに考えていたのですが(前回はそれで大丈夫でした)、今回はそれは通じず、ばらばらとやって来ました。まあ、それも仕方のないことでしょう。ダラダラといつまでも起きない人を待って、全員が遅刻してしまうよりは、その方がずっといい。それに、ばらけている方が、観覧料も集めやすい。

けれども、9時を少し過ぎたくらいで、改札口をくぐることが出来ました。来た電車にすぐに乗り、門前仲町で大江戸線に乗り換え、両国で降ります。降りたらすぐです。

チケットをもらってから、二列に並んで待っていた学生達と一緒に、エスカレーターで六階に上がっていくのですが、ここで、すでに歓声が上がります。「わあ、長い」、「まだですか」、「まだまだですか」、「まだ降りない?まだ上がりますか」。もうこの段階からうれしそうです。

そして、館内に設けられた日本橋を渡って、江戸時代に入ります。

実は今回、二年生だけでなく、一年生にも、「江戸文化」の紹介をしていたのです。どうせ「江戸博」に行くのなら、事前授業としてやった方がいい、それは当然のこと。とはいえ、4クラスともそれができるかというと、なかなかそうは行かなかったのです、これまで。これは日本語のレベル云々の問題ではなく、関心があるかどうかと言うことで。

二年生クラスでも、上のクラスは大丈夫でしたが、下のクラスではうまくいかなかった。続かないのです。簡単な言葉で紹介しても、残らない。これは多分、こんなのと同じなのでしょう。例えば、着物をみせる、「きれい」と言う。で、終わり。きれいな景色をみせる。「いいなあ」と言う。それで終わり…と同じなのです。

彼我の文化の比較などとんでもない。江戸時代はみんなの国ではどんな時代かな(西暦で書きます)とか、言っても、キョトンとしている。

特にベトナムの学生はだめですね。漢字などは真面目に書いて覚えようとするのですが、こういうのはだめです。授業になりません。見せ始めると、途端に話し始めるか、スマホをいじり出すか、あるいは寝てしまう…。この学校のベトナム人学生は、ほとんど例外なくそうでした。今年は一人、見ようとする二年生がいたので、びっくりしたくらいです。理解できなくても、見て知識を深めるとか、好奇心を抱くとかいった習慣がないのではないかとしか思われません。大卒でもそうでしたから。

その点、ネパールやスリランカの学生が興味を持って見てくれますし、話も聞こうとする。それならば、ということで、今年は一年生にも「江戸文化」の紹介もし、映像も見せました。きっとベトナムの学生が多かったら、しなかったでしょうね。

私は、彼等がビデオを見ずに話し始めたら、すぐにビデオを切ります。そして「はい、教科書」と言って普通の授業をしてしまいます。ベトナムの学生は損をしていると思うのですが、こういった面で。それに、こうやってせっかくの機会が失われてしまうので、ベトナムの学生が多いクラスでは、ほかの国の人が損をさせられてしまうのですが、でも、それはしょうがないことなのです。

今年はそういうことがなかったので、気持ちよく(本当は二年生の上のクラスで、ベトナムの女子学生が三人話し始めたので、切ってやろうと思ったのですが、ふと見渡すと、他の学生が一生懸命に見ている。それで放っておきました…。これは、私としては本当に珍しいことです)見せ、紹介を付け加えておきました。

すると、江戸博の会場でも、きちんと「浮世絵」の版木のところで、思い出してくれていましたし、二年生は「時蕎麦」の「一文」「二文」を思い出してくれて、「これですか」。こちらとしては、少しでも記憶に留めてくれていたことに感謝。よかった、よかった。

直接、お金に関係しないことに関心がない人も見うけられるのですが、これは、その国の、いわゆる「お国柄」と言うよりも、彼等の国の生活水準が関係しているのかもしれません。「文化」とかは、多分、暇人の遊びでもあるのでしょう。「衣食足りて、然る後…」の部類に属するものなのでしょう。

ということで、最後まで残った半分ほどの学生達と一階まで降りていき、そこの「宝船」の前で、全体写真をパチリと撮って、お開きとしました。

日々是好日
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今日は本当に寒かった…明日、「江戸東京博物館」へ見学に行ってきます。暖かいといいな…。

2019-01-10 17:32:13 | 日本語学校
晴れ。

今日も乾燥しています。だんだん寒さが厳しくなるようで、「小寒」が過ぎると「こんなものだったなあ」という感慨を抱くのですが、(北国の人から見れば、???)でしょうけれども。とはいえ、こんな寒さも長くは続かず、明日はまた暖かくなるそうな。そして土日はぐっと冷え込んで、そしてまた少し暖かくなって…。

冬なのに、暖かくなって…と言う言葉が躍っているのが、どこか不自然なのですが、でも、そうなのですよね。これが、いわゆる「暖冬」といういうヤツなのでしょう。

さて、学校です。

二年生の中には、今年、進学せずに「帰る」という学生や、卒業してから「ビザの変更」をする(就職ではなく)という学生がいて、それが少々例年と違うところ。これまで、卒業までいて、「帰りたい」から「帰る」という学生はいませんでした。

 在日の人で、親類が「日本に行って、勉強したい」と言うので、呼んだけれども、(その子が勉強しないから、怒って)「帰す」ことになり、「帰された」という学生はいました。でも、それは1年も経たないうちでのこと。留学生ビザから結婚ビザに「換えたい」という人もいましたが、それも1年は経っていなかったような気がします。

こんなに卒業までいて(3月が卒業です)、つまりギリギリまで留学生としてやっていて、そして帰る、あるいはビザを換えるというのは珍しい。そういうば、一昨年の一月生が、大学や専門学校に合格してから、新しいビザが出るまで、国で待たねばならなくなり、帰国した(この1月に三人で帰国しました)というのも、初めてのことでした。

初めてのこと故、担当者は本当に手続きが大変でしたが。なにせ、専門学校も大学も、本来なら彼等がやってくれて当然のことでしょうに。これも、どういう手続きをとったらいいか、きちんとその筋から指導がなされていない故に、こちらもアタフタとせねばならなくなると、愚痴の一つでもこぼしたくなるのです。とはいうものの、担当は、2年ほども彼等と親しくしている故、かわいそうでならなくなり(帰りたくないと、当然のことながら、三人の真面目な学生は言います)、必死であちらへ聞き、こちらへ聞き、また自分でも調べなどして、書類の作成をしていました。

それも、やっと彼等が帰国するまでにはどうにかできたようで、…あとは神頼みです。

彼等のことを考えると、また恨みがましい気持ちになってしまいます。…ほんとうに嫌ですね。

日々是好日
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昨日から新学期が始まりました。「今日からですか」という電話を、朝一番に、かけてきた学生もいましたが…。

2019-01-08 08:28:34 | 日本語学校

晴れ。

土曜日は、春のように暖かかったのに、一昨日、昨日と寒さが続き、そして今日はちょっと一休みかしらん。天気予報によると、この冬は、寒さが続くことはないようで、2月には、春の足音が聞こえてきそうな様子とか。

そう言えば、「スイセン(水仙)」の花も、あちこちで咲いているようですし、「ロウバイ(臘梅)」も咲いているでしょう。「ボケ(木瓜)」も咲いているかな…。

年をとってくると、子供のころ庭に咲いていた花や、遊び場所で見た花が、恋しくなってきます。見ると懐かしく、その当時を思い出してしまいますから、「モノ」というのは、不思議な力を持っていますね。時間を超越させてくれます。

で、昨日のこと。昨日は新学期の始めの日でした。

朝、一番に、学生から電話です。
「先生、学校は今日からですね」
「…はい、そうです。どうしましたか?」
「みんなに聞いたけれども、だれも知らないって。だから、電話しました」
「(ムっと、思いはしたけれども、そこは大人げなさをかみ殺して、優しく)今日からです。ほかの人にも言っておいてくださいね」
「は~い」
でも、日ごろの私の言動から、「怒っているな」と思ったらしく、しおらしく学校にやって来ました。

休みが終わる頃には、時々こういう電話が入ってくるのですが、これは特に「正月明け」というのが多いようです。

同じ休み明けと言っても、多分、お正月明けは、他とはちょっと違うのでしょう。春休みの時は、新入生を迎えに、空港へ行く人を選んだり、また頼んだりで、3月の終わりから4月の始めにかけては、しょっちゅう学生たちと連絡を取り合わざるをえず、彼等にしても、おちおち休んではいられない…というところなのかもしれません。

夏休み明けは、長い休みのあとで、学校へ行って皆と会いたいという気持ちが先立つからか、始まりを待ちかねているふうもあり、こういうこと(今日からですか?)はあまりありません.

ともあれ、だいたい揃って(勘違いしていた人が多かったらしく、来た学生が、「明日からだと思っていたけれども…」なんて言っていましたから)、まあまあの出来、早速、今年の7月を目指すのだとハッパをかけて、1年の始まりとしたのですが、「うん、そうだ」と言う顔つきの学生は、半分くらいかな。でも、みんな元気そうで、何よりでした。

日々是好日
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。

2019-01-04 10:17:43 | 日本語学校
晴れ。

年末から年初にかけて、いいお天気が続いています。しかも、思ったほど寒くはないのです。冬がこれでいいのかなと思いますけれども、まあ、確かに秋でも、春でもない、冬です。

休み中も、別に問題もなく、過ごせていたようで、ほっとしています。

この3日。一昨年の、「一月生」三人が一緒に帰国しました。一人は大学、二人は専門学校に合格しているし、ビザも3月まであります。けれども、次のビザを待って、再入国しなければならないということで、それで帰国です。

とはいえ、部屋や荷物にしても、アルバイトにしても、帰国ともなりますと大変です。専門学校に合格した二人は、他のスリランカ人からいろいろな情報を得て、誰それに頼めば、帰らなくて済むような手続きをしてくれるとかそんなことを言いに来たりもしていました。そのたびに、「そういうことはできない。騙されるだけだから、そんな人の話に乗ってはいけない」と言われ、学校を信じないわけではないけれども、どこか気持ちも吹っ切れないところがあったのでしょう、入管に二人で聞きに行ったようです。

帰りたくない気持ちだけではなく、「荷物はどうするんだ? 部屋は? せっかくある今のアルバイトは? 」と、気持ちも乱れていたのでしょう。

しかしながら、そこで、はっきりと「やはり帰らなければならない」と言われたらしく、それで、踏ん切りがついたのか、それからはスッキリとした顔で、自分たちなりに為すべきことをしていたようです。

こちらとしては、かわいそうで仕方がなかったのですが。

手続きも、専門学校や大学の方でやってくれないということでしたので、この学校(の担にもそれほど通じているわけではなかったことから、面倒を極めていたようですが。それでも、昨年末には、共に、「やるべきことは全てやった」という気持ちになれたのか、最後に学校にあいさつに来た時も、明るく、こちらが申し訳ないと思われるほど、朗らかに、3日に三人で帰りますと言っていました。

できれば、卒業式前に申請が通るといいのですけれども。
今年最初の気がかりはそれに尽きます。

三人が無事に日本に戻れ、卒業式に参加できますように。
今年も皆にとっていい年になりますように。
これに尽きます。

さて、新年のご挨拶を。

昨年はいろいろとお世話になりました。
これからもよろしくお願いいたします。

今年も皆様にとって素晴らしい年になりますように。

日々是好日
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