日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「二人の新入生」。「課外活動、『浅草散策』」。

2011-04-28 08:35:27 | 日本語の授業
 昨夕、雨が降りました。帰りに買い物をしようとした頃から、大粒の雨が、ぽつりぽつりと。危機一髪でしたね。一ヶ月ほど前でしたら、皆、慌てて傘を差したところでしょうが、今はこれくらいの雨ならと、以前通りに適当に濡れて歩いています。

 昨日、新入生が二名、学校にやってきました(その前日に羽田に着きました)。今は友人のところにいるとのこと。二人は結婚しているので、男女毎に分かれて住んでいる寮で生活するというわけにはいかないようです。それで、自分たちで捜さなければなりません。

 来日前には、学校からも自転車で通えるくらいの所を、捜していると聞いていたのですが、蓋を開けてみると、ここから、地下鉄で五十分もかかる所に住むというのです。そこから、この学校に通うというのは、まず、無理です。(勉強もし、慣れないアルバイトもし、しかもラッシュ時の電車に揺られなければならないという)日本での生活を、彼らの国での生活と同じように簡単に考えているようです。しかも、日本語は「ひらがな」も書けませんし、読めもしません。来日が決まってから、全く勉強していなかったということがよくわかります。その程度なのです。

 すぐに、こちらで捜すように言います。羽田に迎えに行った彼らの友人が連れてきてくれたのですが、彼も、埼玉県の方に住んでおり、この近辺の地理に詳しいというわけではありません。ディズニーランドのある浦安に住むと聞いていたから、私たちも安心していたのですが、埼玉県ではね。来るにしても、埼玉県を出て、東京都を通り抜け、千葉県に来るというわけです。どうも、モンゴルの大地を頭において、日本での生活を考えているようで、ちょいと、困ってしまいます。

 というわけで、急遽、今、部屋を探している去年の4月生に電話して、来てもらいました。この二人も夫婦(来日後、途中で籍を入れたのです)で、(結婚したので二人で暮らしたいと)安いアパートを探していたのです。

 新入生が持参したお金を聞くと、これでアパートを借りるのは、ちょっと苦しいかという感じ。けれども、先輩は頼もしいですね。任せておいて、大丈夫のようです。

 こういう事は彼らの方が情報が速かったりするのです。ただ、どちらにせよ、最後には、学校側が(彼らが契約する前に)その不動産屋ないし、アパートをチェックします。その面では長けた人が学校にいますので。

 卒業生は、すでに二年以上を日本で過ごしていますし、この近辺には、アルバイトを通しての(日本人や外国人の)友人もいますし、いざという時には、進学先の大学、専門学校、大学院が頼みにもなります。ところが、まだ日本学校に在席している程度の人たちは、日本語もそれほど自由ではありませんし、日本の事情にも詳しくないのです。結局、日本語学校か、先輩・知人が面倒をみるということになります。ただ、いくら彼らより先に来日していたという人であっても、結局は外国人ですからね、、判らないこと、想像できないことも少なくないのです。翻ってみれば、わかることですが。

 まあ、これはひとまず措いておいて、

 さて、今日は「浅草散策」としゃれこんでいます。ちょうど今、外国人があまりいないので、ゆっくり見ることができるでしょう。お金を余り使わない留学生で、仲見世の方々には申し訳ないのですが、彼らが大学を卒業してからに期待しておいてもらうことにしましょうか。

 朝の空気は、昨日の雨のおかげでしょう、しっとりとまだ濡れそぼっているような感じです。路傍の「サツキ(杜鵑花)」の花がひときわ鮮やかに見えます。いいですね。もうすぐ五月です。

 昨日は、朝から強い風が吹いていました。ずっと電線がブルルルル、ブルルルルと唸り続けていました。「Aクラス」の授業の時、「春の嵐」と黒板に書いてみましたが、クラスの半分ほどの中国人も、漢族はわずか一名だけ。どれだけ想像することができたでしょう、和製漢字の妙味を。

 というわけで、今日も風はかなり強く吹いています。そして早朝の重い雲をどこかへやってくれました。今は晴れています。暑くもなく寒くもない。課外活動にはちょうどいいお天気と言えるでしょう。それもこれも、多分、今年、「雨女(雨男)」が卒業したからでしょう。今年度に入ってからの課外活動は、二回とも、晴れなのですから。

 さて、そろそろ学校を出ましょう。私は、これから、遅れそうな学生たちの寮へ行って、彼らを起こしてから、一緒に駅へ行くつもりです。

日々是好日
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「『フジ(藤)』の花」。

2011-04-27 08:47:37 | 日本語の授業
 初夏です。五月になる前から、もう初夏の陽気になっています。早朝でも半袖でいいくらいの暑さです。ただ春の嵐でしょうか、今日は風が滅法強い。遠回りして自転車で来れば、あちらでもこちらでも「鯉のぼり」が巻き上がるくらいの勢いで風に舞っていました。

「瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ 畳の上に とどかざりけり」(正岡子規)

 初夏の訪れを告げる花、「フジ(藤)」は、古来から、至極豪華で艶冶な花とも見なされてきました。ところが、子規のこの歌により、もう一つの意味が添えられてしまい、また、それどころか、この歌の雰囲気が、古来からの「フジ」のイメージを払拭してしまったかのような観さえあるのです。見目の、色でも形でも、ましてや感じる、華やかさでも艶っぽさでもない、「物体」としての「フジの存在」です。

 別の一面を開拓したのはよいけれど、そのおかげで、どこかしら、「フジ(藤)」の花の、全体をひっくるめての「美」という観点から、楽しめなくなったような気がします。死期の近づいた「子規の眼」が、いわゆる「末期の眼」として、藤にまつわりついて離れないのです。

 しかしながら、もう「フジ」は、その眼から解放されてもいいでしょう。王朝人が楽しんだように、平成の私たちも、その美を、楽しんでもいい頃でしょう。

 「藤棚」とも言い、都会では庭木としても、よく植えられ、華やかさを演出するために、専門店などで、ディスプレイとして用いられることも多い、「フジの花」ですが、いったん都会を離れ、山を歩けば、険しい断崖に絡みつくように生えている、生命力の横溢した花木でもあります。花期を除けば、あの龍とも見まごうばかりの逞しい幹しか存在していませんから、まさにその生命力に、圧倒されるような思いがします。

 ところが、今は、その姿を一変させ、逞しい体に、天女の衣を纏い、美女に変身する時でもあるのです。

 今年は、学生たちを連れて行くことができませんが、もし、この連休期間、彼らに時間があるならば、ぜひ、亀戸天神社に行き、満開のフジの美しさを楽しんでもらいたいものです。

日々是好日
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「戻って来た学生」。

2011-04-26 08:43:16 | 日本語の授業
 晴れ。昨日も晴れでしたが、午後何時頃でしたかしらん、急に空が暗くなり、ほんの少しだけでしたが、雨が降りました。突然暗くなったので、学生たちも不安になったのでしょう。気弱そうな表情に見えました。そこで、「(なんと言うことはないとばかりに、わざと)大丈夫、こういう雨はすぐ止みます」と言ってみると、ほっとした様子になりました。

 「結局、日本に残っていても、大したことはなかった。残っていてよかった」のだという気持ちが半分。「そうは言っても、やっぱり少し怖い」という気持ちが半分。勉強を続けている学生たちの表情は、彼らの心の不安を計るバロメータでもあります。その都度、その不安を取り除くように気をつけてやるのも、(日本語を教えるだけではなく)私たちの仕事の一つでしょう、特に今は。

 何せ、日本語は、彼らにとって外国語でありますから、日本人なら、新聞やテレビ、インターネットなどを通じて、随時、必要な情報を手にすることはできるのですが、彼らの「できる」には限界があるのです。

 先週末、戻ってきた学生が、
「先生、日本では『品薄』になったのでしょう。『便乗値上げ』はありませんでしたか」。

 彼にしてみれば、大枚をはたいて帰国し、また大枚をはたいて戻ってきた。お金はそれで使いはたしたも同然。その上、元々、物価高の日本で、さらに物価に苦しめられるのはたまらないというくらいの気持ちだったのでしょう。

 私が答えるよりも先に、他の学生が、
「値段は同じだよ。もっと安くなったのもあった。日本は大丈夫」

 つまり、事故発生後も発生前と、商品の値段という点からみれば、変わっていなかったのです、品薄になったものもありましたが。それでも、その商品が入荷した時に運良く出くわせば買えたのです。ただ、そうでなければ、なかなか手に入らなかったというくらいのものでした。

 それでも、大半のものは、例年の季節ごとの(値段の)推移とほぼ同じ、流れは変わっていないのです。長雨が続けば、野菜の値段は上がっていきます。もちろん許容範囲はどれくらいかには論議のあるところでしょうが、少なくとも、(大地震があった。大津波が来た。原発の事故があった)だからといってスーパーで売っている商品の値段が上がったということはありませんでした。

 二人が戻ってきたということもあり、あの「三重苦」の中で作業している人たちの様子、耐えている人たちの様子、そして何よりも彼らの不安を少しばかり取り除くために、昨日の授業で(「Aクラス」の学生だけです。他のクラスでは見せても、学校で見せる意味、またその必要性、理由などがわからないでしょうし、それどころか反対の結果にもなりかねませんから、見せるつもりはありません)、この一ヶ月をまとめたものを見せました。もちろん、適宜、説明を加えていきました。

 日本に残っていた学生たちは、もう「余震」にも慣れ、日本人と同じように、(余震があっても、その強さ、長さを)計りながら、行動が取れるようになっています。けれども、その間、国に帰っていた学生たちは、この「(体の中での)記憶の蓄積」がありません。一ヶ月前の、そのままの気持ち、あるいは、もっと悪いかも知れません。彼らの母国で、一ヶ月もの間、「(どこまで正確なのかわからない、しかも、風船のように、煽られ、膨らみ続ける不安の下での)情報」に取り込まれていたのですから。

 日本の日常に「戻れる」には、まず何よりも、毎日の授業に出席し、アルバイトを開始し、続けていくことです。そうすれば、皆が、ここ行徳では、彼らが以前生活していたのと、同じような日常が送られていたのだということに、気づくでしょう。

 これは百万言費やしたとて、わかってはもらえないことです。自分の体で掴まなければ、わかり得ないことなのです。そうして、一枚一枚、彼らの母国で覆われてきた殻を脱いでいきます。そうすれば、現実が見えてくるでしょう。見えてきたものを信じる、つまり、自分の目を信じるしかないのです。それが出来ない人は、おそらく異国での生活に適さない人なのです。自分の国で騒ぎながら暮らしたほうがいいのです 。

 一方、私たちの方でも、残ってくれた学生、戻ってきたくれた学生たちが、「残っていてよかった。戻ってきてよかった」と思ってくれるように、手を尽くさねばなりません。そのためには、ひとえに勉強です。なにせ、彼らは勉強するために残っていたのですし、戻ってきたのですから。ただ、残っていた学生はともかく、一ヶ月間、日本語が空白だった学生は、そんじょそこらの努力では補えませんぞ。

 もっとも、「腹を据えて掛かってこい」くらいの気持ちは、私たちにはあるのですがね。

日々是好日
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「既に初夏の装いの始まった街」。「政府を監視する人たち」。

2011-04-25 12:21:52 | 日本語の授業
 晴れです。お向かいのビルでは、鉄骨が、ほとんどこの職員室の高さと、同じくらいまで伸びています。これくらい高くなりますと、時々、仕事をしている人たちと目が合うことがあります。向こうはやりにくいかもしれませんが、私たちにしてみれば、もう既に一枚の風景画のようなものなのです。声がしてくるのが不思議なくらいに。

 さて、ふと気がつくと、既に「ハナミズキ」の花が満開になっていました。あちこちで、白やピンクの花が風に揺れています。「ハナミズキ」、「ハナミズキ」と呪文のように唱えながら自転車を走らせていますと、近くの幼稚園の「フジ(藤)」の花が、花房を随分と伸ばし、豪華な花をつけているのに気がつきました。そこで、今度は「フジ」、「フジ」、「フジ」です。

 「ハナミズキ」と「フジ」と「ツバキ(椿)」、「アネモネ」と「スイセン(水仙)」と「タンポポ(蒲公英)」。何だか知らぬ間に、初夏になってしまったのかもしれません、春の尾っぽを引きずりながら。

 隣のマンションのベランダには、「鯉のぼり」が風に翻っています。緋鯉に真鯉にと、なかなか華やかです。田舎のほうでしたら、大きな鯉のぼりが風に乗って泳いでいても決して不思議ではないのですが、こういう街中ですと、小振りの「鯉のぼり」でも、見つけると、思わず、ハッとしてしまいます。

 ところで、今週の週末から五月のゴールデンウィークへと休みが続いていきます。学校では、その前の28日に「浅草」見学を計画しています。「スカイツリー」を見て、ついでに外国人のいなくなった「仲見世」を冷やかしながら歩いき、そして最後に「お参り」です。

 いつもですと、押し合いへし合い、押すな押すなで、身動きが取れないのですが、今度ばかりはゆっくりと見ることができるでしょう。これも、今、買う買わないではなく(留学生はお金がありませんから、お店の方も、将来に対する投資だと考えて欲しいのです)、将来的に友だちを浅草に連れてくることができるように、見聞を広めておくのです。「観光学」を学びたいという学生だっているのですから。

 そういえば、金曜日に学生が二人、中国から戻ってきました。内モンゴルは帰るのも一苦労、戻るのも一苦労。北京や上海で、デマが落ち着いた頃、向こうでは本格的になるのです。その狭間で、学生たちは両親や親戚一同、友人たちまで説得するのに、おおわらわだったそうです。

 「本当は一時帰国もしたくなかった。お金もかかるし、その間アルバイトもできないし、それに疲れるし…。でも、毎日入れ替わり立ち替わり、みんなから電話が来て、日本にいても休めなかったから、どうしても帰らざるを得なかった…」

 彼の場合、「帰る」と言うと、お母さんが急に病気になったりしていたらしく、この面でも、大変だったようです。ただ、学ぶことがはっきりしている学生は、まだ強いのです、自分の意志を貫けますから。けれども、そうではない学生は、弱い。その上、中国の社会を知らなければ、どっちに転んでも(日本にいようと中国にいようと)同じだというふうに考えてしまうのでしょう。後で、判ることなのですが。

 彼らは、噂だけで動く社会にいるので、ある意味ではしょうがないのです。とはいえ、今回のことで、「政府の言うことを信じる?!」ことが、彼らの国では、奇妙奇天烈どころか、奇跡なのだということがよくわかりました。日本では、戦時中の「大本営」発表ならいざ知らず、今時、「政府」発表を信じない人のほうが珍しい。もちろん、全部が全部信じるというのではありません。注を付けますと、これには、信じられる「分野」と、信じられない、つまり、最初から「怪しい」と決めてかかる分野とがあるのですが。

 そうは言いましても、政府が嘘をついたら、それこそ、えらいことになってしまいます。そんな政府やその政府を構成している党なんて、すぐに選挙に負けて、下野させられてしまいます。そうなると、本物の政治家以外は、おまんまの食い上げです。そのうえ、そのままということにもなりかねません。もしかしたら、完全に復活できないかも知れません。まあ、解体して、また別の党を作って、「禊ぎだ」と喚いていれば、許してくれる、寛大な(馬鹿で忘れっぽい)日本人が選挙民ですから、甘く考えている人たちもいるでしょうが。
 
 ただ、そうは思っていても、自由主義国家には、しつこくて、しつこくて、一度ひどい目に遭ったら、とことん食らいつくマスコミの人がいますから(日本だけではありません。アメリカにも、フランスにも、イギリス、ドイツなどの国にも)、気は抜けません。

 こういう第四の権力の目的とするところは、「反権力」です。私たちのようなノンポリから見れば、行き過ぎのような気がすることもあるのですが、こういう人たちがいて、しっかりと政府を監視してくれているから、私たちも、普段通りの生活を、余計な気を遣わずにやっていけるのです。そういう点からは、こういう人たちがいてくれることを感謝しなければなりますまい。

 さあ、授業の時間になりました。

日々是好日
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「国土に相応しい『街作り』」。「一人一人の夢」。

2011-04-22 08:54:35 | 日本語の授業
 曇り。時々薄日が射しています。街は、木々の様子をみる限り、既に初夏の装いを始めています。若葉の緑が目に眩しいほどの輝きを見せ、風に揺れています。

 目に馴染んだ、この国の風景は、本当に懐かしく、いつでも美しい。国の発展を考える前に、もしかしたら、この風景を残していくことを考えたほうがよかったのかもしれません。その方が、この国の、将来の民への、何よりの贈り物になったかもしれません。美しい大地さえ残っていれば、知恵は出てくるものなのです。人というものは、それほど捨てたものではないのです。

 「国の発展」というのも、長くてもせいぜい数十年かそこいらのものでしょう。「歴史に学ぶ」ということは、歴史から「諦め」を学び、「人というものの『愚かさ』」を知ることなのかもしれません。何も、自分の国を誇らしく思い、人間のすばらしさを学ぶことだけではないでしょう。

 つくづくと「在る」ということの得難さ、「在り続ける」ということの難しさを思います。そして「人の思い上がり」の虚しさも。

 人は絶頂を極めたといっても知れています。得意の絶頂といってもたかが知れているのです。山や海、木々や草花を目にした時感じる、深さ、底知れなさに比べれば、米粒ほどの「得意さ」であり「誇らしさ」でしかないのです。

 人智を越えた自然と、いにしえより向き合わざるを得なかった日本人は、誰よりもそれを知っていたはず。その「勘」を失わせたのは、もしかしたら「発展」であったのかもしれません。「(科学)先進国」とか「経済大国」とかいう呼称により「驕り」が産まれたのからかもしれません。

 最近は、コンピュータを立ち上げるたび、「東京電力の電力使用量」を見るのが習慣となりました。これも「計画停電」なるものが、実施されたことからついたものなのですが。最初の頃は、85%を超えると、もう、ハラハラドキドキです。「頑張れ、みんな、電気を使うな。90%近くなったら、『計画停電』が実施されるじゃないか」と、思わずリキが入ってしまいます。

 おそらくは、「計画停電」なるものを体験した人ならではのことかもしれませんが、この気持ちも。皎々と光に包まれていた街が、一瞬で真っ暗になってしまうのです。闇は便利不便利を通り越して、人の心を萎縮させてしまいます。しかも、直前になるまで、実施されるかどうかわからないのです。実施する方でもあたふたしていますから、発表も遅いのです。その上、公平性や計画性などが、そういう目に遭う人たちに感じられないものですから、東電に対する一般大衆の目はどんどん厳しくなっていきます。

 もちろん、これは「職務だから」と観念して、原子力発電所内に残って作業している人たちに対するものではなく、システムを作ることを怠っていた、また現場の感覚が通じなくなっている人たちへの怒りなのでしょうが。

 「原発の事故」は、起きてしまったからと言って、逃れるわけにはいかないのです。現場の人間が、危険な作業に走らなければならないのです。その上、現場では一つ一つを作業していくのが精一杯で、大局的に全体を俯瞰しながら計画を立てていくなどということはできません。だいたい疲れ果てていて、そういうところまで気が回らないでしょうし。

 だから、上の人たちが、きちんと専門家と話し合いながら、計画を練っていてくれなければ困るのです。そうでなければ、犬死にや無駄死にをさせられるように気分にもなりかねず、士気は上がりようがないのです。そういう気持ちを、今、現場で働いている人たちは感じているはずです。自分たちの会社が起こしてしまったから逃れられないのだという「責任感」と「義務感」から。

 けれども、これはどの原発が起こしてもおかしくはなかったはずです。国内の中部でも四国でも九州でも、そして、どこの国のどこの原子力発電所でも、起こり得るはずです。明日は我が身なのです。

 だいたい日本という国土に、コンクリートの壁は似合わないのです。木々の緑の鮮やかさ、秋になれば錦となる木々の華やかさに包まれ、この風景に似つかわしい建物を作っていけばよかったのです。そのためには、「場当たり的」な政策ではなく、「この国をどう形作っていくか」という思想が必要だったのです。政治家に、絶対的に必要なこの部分、つまり素質。日本では、それが欠けた人たちが多く政治家となっていた。もちろん、実務派の政治家も必要です。けれども、そういう人たちばかりが必要というわけではありません。こういうことも、きっと初めは絵空事のようにしか見えないでしょうし、「あいつは霞を食って生きろというつもりか」と言われるかも知れません。

 けれども、そういうことを語ってもなおかつ、人々に「傑物である」と思わせるだけの哲学の持ち主が欲しかった。人は我慢することを知っています。日本人は「未来さえ描ければ」、我慢する術を知っていると思います。ただ誰も描いてくれないのです。だから、我慢できない。皆、今はとても辛いと言います。そして、それだけなのです、悲しいことに。

 学校という小さな空間でも、想像力は必要です。学生たちが何を学びたいかが判ったら、それで、まず夢を描かせることから始めます。将来の夢です。できないと思わせないように少しずつ魔術をかけながら…。現実的な学生は、すぐに「できっこない」と言います。けれど、毎日毎日魔術をかけ続けていけば、その気になるのです。これは人が夢を追い続けたいという本能があるからなのでしょう。信じたいのです。

 これさえできれば、多少辛くとも頑張ることができます。私たちが魔法をかけなくとも、一心不乱に追い求めることができる学生もいるにはいますが、やはり大半の学生はそうではないのです。少しずつ心の束縛を解いていき、そしてそこに夢というものが入っていけば、果実は必ず味わえると、自己催眠をかけるようになり、そして、大まかに言えば、その夢に近づけるのです。

 国のリーダーにもそれを期待しているのですが…。これを職業と考えているような政治家ではまず、無理なのかもしれません。

日々是好日
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「『一斉授業』という形」。

2011-04-21 12:16:19 | 日本語の授業
 曇り。鉛色の雲が空一面を覆っています。この一週間前には、「もう春だ。春だ」と大喜びで、冬物をしまい込んでいましたのに、なんということでしょう。今週は、ブチブチと文句を言いながら、一枚一枚、しまい込んだ冬物を引っ張り出しては、着ています。

 季節の歩みは一進一退ということを、この日本列島にもう何十年も暮らしているからにはわかって居ろうものを、「春」とか「秋」とかいう言葉に弱いのです。

 「夏」と「冬」は、判りやすい人生のようなもの。「春」と「秋」はどう転ぶかわからない人の心のようなもの。人には、どうやら危険な匂いを、敏感に嗅ぎ分け、そのものへそのものへと、心が惹かれていく習性があるようです。

 さて、学校です。

 一月開講のクラス(「Bクラス」)は、少し授業の歩みを速めながら、進んでいたのですが(春休み中の補講も含め)、今週から、やっと、「中級」に入ることができました。これからは、しばらく「読解・文法」と「会話・聴解」を、毎日やっていくことになります。

 運良く、このクラスには、一月に(来た段階で)、「ひらがな・カタカナ」が書けないという学生がいませんでした。それで、少し進度を速めた授業をすることができたのですが、もし、これが、いつまでたっても、「カタカナ」はおろか「ひらがな」も書けないという学生が、何人かいましたら、こうはやっていけなかったでしょう。

 もし、そうでしたら、トロトロと、やり方を(こういう人たちにあったやり方を随時手探りで)考えながら進めていくか、そういう学生は三ヶ月後に落とすことにして、つまり次期開講のクラスに入れることにして、三ヶ月間を目をつぶって進めていくということになります。

 こういう学生は、個別に対応していくしかないのです。一斉授業のやり方について行ける人たちではないのですから。何となれば、「N2」レベルの「読解」や「聴解」であったら、ある程度の能力を必要としますから、(判らなくても)むげに冷たい態度はとれないのですが、けれども、母国で高校を卒業できるほどの能力がありながら、来日後一ヶ月たっても、耳にした「ひらがな」が、書き取れないというのであれば、それは、その人個人の問題です。

 (ひらがなやカタカナの)形や書き方は学校で教えますし、覚えられるよう練習も、ある程度はさせます。それでも覚えられなければ、自分で練習していくしかないのです。高校を卒業しているにもかかわらず、そのことすら判らないのであれば(日本語も通じませんから)、何回も繰り返してやってもらい、何回目かに、書けるようになってもらうしかないのです。

 だいたい、留学生を主とした対象としている日本語学校における、普通の授業形態は、一斉授業でしかありえず、教師が必要と認めた個々の場合しか、個別の作業は学校でさせられません。教師がつきっきりで教えていくわけですから。ボランティアで教えているわけではないのです。勉強したい人を主に教えずして、誰を教えていくというのでしょう、この学校に来ているのは、既に高校・大学を卒業している人たちなのですから。

 学校側が、力を注いでやるべきは、学びたいけれども、今までそういうチャンスがなかった人、あるいはそれ(現在のクラスの進度と内容)以上を学ぼうとし、しかもその能力も時間もある人であって、それ以外の者ではないのですから。

 来日する学生の中には、(不思議なことに)彼らの母国の学校から、「既に『みんなの日本語Ⅰ』は学んだ。ちゃんと『N5』も受験させた。合格はできなかったけれども、ある程度の点数はとっている」という報告が来ているにもかかわらず、蓋を開けてみれば(来日してみれば)、「んん?!ひらがなが書けないじゃないか」という人もいるのです。

本当に不思議なことですが。

 とはいえ、この学校でも、ご家族の関係で、中学校や高校途中で日本に来ざるを得なかったという中学生や高校生に日本語を教えてくれと頼まれることがあります。

 こういう場合、母国で勉強の習慣がついていないということも少なくないので、そういう場合は親御さんも交えて話をします。子供にしてみれば、「なんで日本に呼んだんだ。本当は来たくなかったのに。母国で友だちと楽しく遊んでいる方がよかったのに」という場合だって少なくないのです。親の都合で、たとえ親がよかれと思ってしたことであっても、子供にはわかりませんから。余計に日本語を学ぶ気にはなれないでしょう。

ある種のあきらめが生まれるまでには時間がかかります。日本で生きていくしかないというあきらめか、成人するまではここにいるしかないというあきらめです。そして(日本語を)勉強する気にさえなれれば、半年ほども日本語学校で日本語を学んでから、(中学生なら)中学校へいくということが、一番妥当な方法であろうと思います。

 小中学校においても、一斉授業ですから、全然日本語のわからない子供がクラスにいて、授業中、何かをさせてやることも、意思の疎通を図ることもできないという状況に自分が置かれたとしたら(私は以前中学校の国語の教師でした)、それは参ってしまいます。
その学年の各クラスに国語を教え、クラスの日本人の子供たちの面倒をみるだけでも、手一杯なのですから。

日々是好日
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「『手強い』新入生」。

2011-04-20 08:32:54 | 日本語の授業
 晴れ。昨日は、早朝、雨が降り、日が昇ると同時にそれも止み、そして午後の学生たちが帰る頃からまた降り始め、そして今日は晴れです。空気はしっとりとしています。

 お日様が出ていないと、「せっかく遅くまで明るくなっていたのに」と、愚痴をこぼしたくなってしまいます。午後の学生たちが、明るい中を帰って行きますと、どこかしら、私たちの気分も明るくなるのです。なんといいましても、明るい中でさようならが言えますから。

 今朝、学校に来るのに、ちょっと遠回りをしてみました。小学校のほうへまわってみたのです。小学校の「サクラ(桜)」が、「シベザクラ(蕊桜)」になっていました。その中をヒヨドリがいかにも残念そうに飛び回っています。憎たらしいヒヨドリですが、思わず、もう蜜はないよと声をかけてやりたくなってしまいます。

 先頃、海外のあるマスメディアが、花粉症の対策として完全防備をしている人の姿を、放射能が怖くてこんな姿になっていると放送したと聞きました。日本では、春先、「スギ(杉)」の花粉が飛び散る頃に、花粉症の人たちは、病院に行くか、あるいは完全防備で通勤・通学するかを迫られるのです。

 日本のことを全然知らない、無責任な国の報道機関ですね。こういう国では、そんなことを放送しても、誰も責任を問われないのでしょう。その国の国民は、いつも、どんなことを「ニュース」として流され、見聞きしているのでしょうか。知ったかぶったりで中途半端なことを放送しても、ガセネタを報道しても、適当に暮らしていけるのでしょう。

 まず、報道人としての義務・責任を学んでから記者になるのが、先でしょうに。そうでなければ、その国のマスコミは、いわゆる「第四の権力」には、なれません。その国を代表する報道機関であろうと、御用新聞・ゴシップ雑誌のレベルで終わってしまうことでしょう。だれも信じてくれない記事を書いたり、ニュースとして、したり顔で放送したりするのは、辛いことでしょうに。その神経もないのでしょうか。

 この季節(二月末から四月上旬頃)に日本にいたことのある外国人でしたら、だれでも、見たことがある光景のはずです。確かに異様ではありましょうが、日本人には馴染みのある、既に風物詩の一部のようなものです(私も花粉症ですから、こういうものをつけたくなる人の気持ちはよくわかります)。外国人でしたら、きっとそれは忘れられない光景だと思います。とにかく、びっくりしてしまって。

 背広姿にゴーグル、それにマスク。時には花粉が髪につかないように帽子までかぶっているのです。その上、服についた花粉はなかなか落ちにくいので、ツルツルした花粉がつきにくいコートを着ていたりします。

 ですから、ひと言、同国人に確かめたらよかったのです。だいたい中性子が、咳やくしゃみ用のマスクで防げるとでも思っていたのでしょうか。

 さて、文句はこのくらいにして、学校です。

 今年の新入生はいつもにもまして、「手強い」ようです。なぜ「手強い」かと言いますと、全然聞き取れないからです。どこかしら、「自分たちはできている」意識が強いらしく、聞き取れなくとも、困っていないようなのです。結局は、いつも同国人の先輩たちの力を借りてしまうのですが、普通はもう少し柔軟なのになという気がしています。

 来日が後れている学生が何人かいて、クラスの人数が少ないから、より一層それを感じてしまうのでしょうが、「う~ん、『手強い』なあ」と、思わずため息をついてしまいます。

 とはいえ、例年、二ヶ月ほどもすると、学校のやり方にも慣れ、大きな声で挨拶もできるようになり、それとともに、日本人との交流も少しずつできるようになるものですから、それほど心配もしていないのですが。

日々是好日
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「『日本人はすばらしい』に、自分は含まれているか」。

2011-04-19 08:52:29 | 日本語の授業
 先程まで、ザアザアと、かなり強い雨が降っていました。が、もう止んだようです。少し肌寒いくらいです。関東地方では20日ぶりのまとまった雨とのことでした。雨が降ると、特に春、雨が降ると、いいですね。空気が和み、どことなく、苛ついていた気分が鎮まってくるようです。

 この辺りの「サクラ(桜)」は、この雨で、すっかり散ってしまったようですが、福島など、被災地、東北地方の「サクラ」は、今、満開の時を迎えているようです。そして、五月の連休くらいになると、また、北上して、今度は北海道にサクラの季節がやってくるのでしょう。

 昨日、テレビを見ていて、ふと、思いました。日本人は、「日本人は悪い」と言った場合、この「日本人」の中に必ずと言っていいほど、己が含まれているのではないかと。そして、その反対に「日本人はすばらしい」と言った場合、まず己は含まれていないのではないかと。まあ、含んで言っている人もいないわけではないでしょうが、それは自意識過剰の、日本人同士であってみれば、あまりお友達にはしたくないタイプの人と言ってもいいでしょう。

 その反対に、中国人が「中国人はすばらしい」と言っている時、まず自分を含んでいます。そして「中国人は悪い」と言っている時には、その中国人の中に、自分は入れていません。

 以前、中国にいる時、一度「日本人はやるね」と言ったことがありました。すると、そばにいた中国人に「自分で自分のことを褒めてやがる」みたいなことを言われ、一瞬、意味がわからず、戸惑ったことがありました。これは「自分以外の日本人はすばらしい」と言っているのです。日本人がみんなで、「日本人はすばらしいね」と言っても、日本人であれば、それに少しの矛盾も感じていないのです。奇妙と言えば奇妙でしょうが。

 それからも注意していみていると、どうもこういう感覚において中国人と日本人は反対であるようなのです。ですから、日本語がいくら流暢に話せる中国人であっても、日本人との間で意思の疎通を図らなければならない時とか、通訳や翻訳をしなければならない時とかに、まったく反対の意味を付け加えてしまうことがあるのも、ある意味では、当然のことなのかもしれません。

 これは、友人同士の、つきあいにおいても、そうです。

 相手のことを先に考えて行動するのが日本人。「当たって砕けよ」とばかりに、まず行動してしまうのが中国人。相手のことを考えれば、普通は頼みにくいことでも、それを考えない中国人は堂々と頼みに行って、堂々と要求します。できなかったり、嫌だったら断ればいいと考えるからです。相手にすまないから頼めないなどと言うことは、まず、ありません。

 ところが、それを頼まれた日本人のほうでは、「こんなことは、普通、人に頼んだりしないものだ。その、頼みにくいことをわざわざ頼みに来るということは、よほど切羽詰まっているのだろう。あるいは、頼る人がいないのだろう。気の毒に」と思い、できないことであっても手を尽くし、他の人に頭を下げてでも、どうにかやってやろうとします。

 ところが、いざ、「それができたよ」と言うと(つまり、喜んでもらえると思い込んでいるのです。期待していると言ったほうがいいのかもしれません、感謝の言葉を)、「ああ、それは他の人がしてくれた。今度はこれを頼む」と簡単に言ってのけられ、開いた口が塞がらないということにもなるのです。

 いったん、こういうことを経験してしまうと、日本人のほうでは、もう中国人のために苦労してやるものかという気になってしまいます。なんという図々しい奴だ。口をきくのも嫌だとなってしまうのです。

 一方、中国人にしてみれば、「できないなら、最初から無理だと言えばいい、難しいのなら、断ればいい。それを言わなかったお前のほうが悪い。度量のない奴だ」と、これまた、助けてくれた日本人を見下げてしまいます。

 中国にいる時、こういうことはよくありました。私にしても、わかっていても、なかなか心と反対のことはできないのです。心と体がばらばらになってしまうようで、甚だ居心地が悪いのです。こういう目に遭うだろうとわかっていても、何度も同じことを繰り返してしまうのです。で、勢い、そういうことをしそうな人のそばには、できるだけ近寄らないようにするということになります。

 多分、こうなるだろうなとわかっていても、日本人は断るのが苦手なのです。「自分だったら、よほどのことがない限り頼まないだろう。それを頼むのだから、よっぽど大変だろうな」と、ついつい、考えてしまうのです。ところが、相手は何人もの人に適当に頼んでまわっているのですから、数打ちゃ当たるという考え方です。「その人に、その人だけに」という、思い入れは全くありません。ですから、難しいのです。互いの思いは、平行線上で交わることはありません。

 もちろん、日本人の中にも、中国的な考え方をする人がいますから、そういう人は中国ではうまくやっていけるでしょうし、中国人の中にも、日本的な考え方で事をなす人もいますから、そういう人は日本では支障なく暮らしていけるでしょう。

 本当に、言葉というのは使えるだけでは役に立たないものです。反対にそれが相互理解を阻害してしまうことだってあるのですから。

 とはいえ、わかっていても、変えられないですね。わかっていても、何十年と身についた心と体の仕組みは変えられません。変えると、バランスを崩してしまって、どうかなってしまいそうになります。もっとも、変わらなくてもいいのです、こういうことは。はっきり言えば。自分が暮らしやすいところで暮らしていけばいいだけのことですから。

日々是好日
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「一重の『ヤマブキ』」。「学校の強者」。

2011-04-18 08:51:35 | 日本語の授業
 薄日が射してきました。今日は一日中曇りかと思われましたのに。

 今朝、久しぶりに歩いて来ました。自転車で来る時には、いくら慣れた道とはいえ、どこやら真剣みがつきまといます。ところが、歩くとなると、強いですね。まずお弁当を買って、それからぶらりぶらりと歩いて、できれば公園やお花のある家のそばを通りたいと欲も出てきます。

 欲の出たおかげで、「ヤエヤマブキ(八重山吹)」を見ることができました。

「七重八重 花はさけどもやまぶきの みのひとつだに なきぞあやしき」(兼明親王)

 この歌も、太田道灌の故事(道灌が雨に遭い、貧しい民家へ行き、蓑(みの)を借りようとした。すると出てきた娘が、実をつけない八重山吹の歌を用いて、蓑のないことを詫びた。しかし、その時、道灌はその意味を覚れず、後になって教えられ、恥じた)

「七重八重 花はさけどもやまぶきの 実の(蓑)ひとつだに なきぞかなしき」
のほうが先だったのですが。

 私のふるさとでは、「ヤエヤマブキ」が垣根などによく植えられており、一重の「ヤマブキ」があることなど知りませんでした。これも奥多摩の山に登った時に初めて見て、知ったのです、一重の「ヤマブキ」なるのものが存在することを。山でみた一重の「ヤマブキ」は大きくて、華やかでした。八重の「ヤマブキ」は、もっとずっとこぢんまりとして、地味なのですが。

 ということは、もしかすると、

「山吹の立ちよそいたる山清水 汲みにいかめど 道の知らなく」 (高市皇子)
異母妹の十市皇女の死を悲しんで詠んだ歌に登場する山吹も、

「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」 (芭蕉)
の「山吹」も、

「我が心 いかにせよとか 山吹の 移ろふ花の あらし立つらむ」(源実朝)
の山吹も、一概に八重であったとは見なさるべきではなく、その時々の作者の心情を加味し、忖度しながら、考えてみるべきなのかもしれません。

 さて、また、一番乗りのベトナム人新入生。

 (今日で二度目。前回同様)入って来るなり、また職員室にかばんを置こうとします。こちらもまた、置かせてなるものかと、「下へ行って勉強しなさい」と一喝。そう言われて、一瞬、はっとした様子でしたが、しかし、思い切りの悪い学生です。

 いかにも残念そうに、ブツブツブツブツ。どうせベトナム語です。私にはわかりません。放っておきます。何か言いたければ、勉強すればいいのです。勉強して、上のクラスの学生のように、言い返せるようになればいいのです。

 結局、「学校を休まない。日本語が上手」の二つのうち、どちらが欠けても決して日本語学校の強者とはなり得ないのです。

日々是好日
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「ベトナム人の『困った学生さん』」。

2011-04-15 12:40:46 | 日本語の授業
 白い雲が、棚引いています。今朝も晴れ。今日も初夏のように暑くなりそうです。道端には「スミレ」や「タンポポ」が場違いのようにかわいらしく咲いています。「スミレ」の濃い紫、「タンポポ」の華やかな黄色。「サクラ」の後は、彼らの独擅場です。

 そういえば、先週、「ツクシ」の団体さんを見つけました。小石川の植物園ででしたけれども。「ツクシンボ」は、いがぐり頭の坊やのような様子で、スックリと伸びているから楽しくなるのです。「春だよ、ポンポン。春だよ、ポンポン。起きてよ、みんな」と、「オタマジャクシ」やら、「メダカ」やら、春の小動物たちを目覚めさせる、「春の起し屋さん」のような気がしてならないのです。

 と、ここまで書いていると、ベトナムから来た新入生が、入ってきました。どうも始業時間を一時間間違えたようです。寮にしているアパートが学校の裏なので、「一度帰ってから、また来ますか」と聞いたのですが、「帰ります」がわかりませんし、「来ます」も聞き取れません。「食べましたか」とも聞いてみましたが、困ったような顔をしています。

 それで、とにかく、「教室で勉強しなさい」と教室へ連れて行きます。そして時計を見せて、「今は八時です」と言うと、「ああ」。とはいえ、本当のところ、わかったのかどうなのかわかりません…。

 まあ、の学生のことは、それで「よし」として、職員室に戻ってきて、ブログを続けようとすると、すぐに彼まで上がってきました。なにか言いたげにしています。もう、彼も困っているでしょうが、私も困ってしまいます。お互いに困ったさんになって、見つめあるということになってしまいます。

 「どうしたのですか」と聞いてみたのですが、何も言わず(言えないのです)、私が書きかけているブログを覗き込んで、とにかく一人ではいたくない様子なのです。

 「これは先生の。あなたは下で勉強します」と、いくら言っても(通じませんから)、職員室から動こうとしません。それどころか、他の先生のいすに腰を下ろして、その机の上にある雑誌を開こうとしています。私はあわてて、「ここにあるものは、勝手に見てはいけません。この先生のです。あなたは下に行って、勉強しなさい」と、とうとう実力行使です。結局、やっと追い出すことに成功したのですが、多分ひどいことをする人だと思ったことでしょう。

 「人の机の上においてある物は、勝手に触ったり、見たりしてはいけない」という習慣ができていない外国の人たちはたくさんいますが、それでも、職員室で堂々と先生のいすに座り、その机の上に置いてある本をみようと言う人は、そうはいません。

 もっとも、前に来ていたベトナムの学生もそうでした。あまりに幼いので、いつも「もうっ、何回言ってもそんなことをする。君は幼稚園さんだ」といつも言っていたのですが。彼がやっとすこしわかるようになったと思ったら、また「一からの幼稚園さんが来た」という次第。とはいえ、この学生たちは、そういう点が幼いだけで、一生懸命に勉強しようという姿勢はあるのです。

 つまり、生活面において、いつも構ってもらわなければだめな人というのでしょう。日本的に言えば、そういう面での、「幼稚園さん」というだけなのですが。

日々是好日
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「『弱い』は『強い』、『強い』は『弱い』」。

2011-04-14 13:02:07 | 日本語の授業
 今日も優しい青空が広がっています。朝も暖かさを通り越して、少々蒸し暑いくらいに感じられます。風もありません。まるで初夏のようです。

 被災地で、津波によって倒されたサクラの木に、一輪の花が咲いたという報道がありました。「桜を見ると、勇気が湧いてくる」。人間の力など、敵いませんね、まったく。「『弱い』は『強い』、『強い』は『弱い』」というのは、本当です。

 「川だちは川で果てる(川で育ち、川に慣れた者は、水に油断して、川で身を滅ぼす)」と言いますが、そうは言いましても、「蟹は甲に似せて穴を掘る」しかなく、それが動物としての人の限界なのかもしれません。

 「先立つも何か先立つ 後るるも何か後るる 哀れ世の中」
さあ、誰の歌でしたろうか。

 さて、学校です。
残った学生たちに、プラスアルファで何をしていったらいいのかを考えます。いくつか見聞を広めるために見せてみて、「うん、これ。」ということで、今年も、白地図になりました。

 世界は広いのです。けれども、若い彼らが、考えられるのはせいぜい自分の町くらいなもの。自分の国のことは知っているとは言いますけれども。聞いてい見ると、本当に平面的なことか偏ったことしか知らないのです。もちろん、若さ故ということもあるでしょう。日本人も異国へ行って初めて自分の国に関心を持つようになったと言いますから。けれども、ちょっと違うなという感じなのです、日本人が言うのとは。

 自分の国で知っている所と言えば、一つはふるさとですから、それ以上でもそれ以下でもありません。

「ふるさとの山にむかひて いふことなし ふるさとの山は ありがたきかな」(石川啄木)
ですから。

 そして、もう一つは、近代国家を代表するかのような輝かしい大都市です。そこに潜んでいる社会問題などは、全く見えていませんし、そういう問題が存在することすら知らない若者もいます(つまり、彼らの国においては、彼らは強者の一部なのかもしれません。本当は騙されているだけなのにという気がしないでもないのですが。彼らの国において、社会に出てみれば、誰が強者で誰が弱者であるのか、そんなこと、すぐにわかるはずです)。

 こういう国では、報道機関は報道機関としての本来の働きを制限されていますから、大本営発表的な、一方的な情報が、唯一の情報として若い人々の心に入っていくだけです。

 もし、その国の政府に、彼らを自由に批判するだけの力を、自国の報道機関に与えることができるなら、それはもう、その国の政府は先進国並であると言ってもいいでしょう。それに、そういう政府が、信じるに足るだけの能力を、その国の民がもっていると認めているということになりますから、民度も高いということになります。

 とはいえ、たいていの場合、そうではないのです。日本でもそうです。一応先進国ということになっていますけれども。もちろん、途上国や独裁政権の国に比べれば、報道機関の自由度は非常に高いとは言えるでしょう。けれども、往々にして、反対せんがための記事や建設的な批判なしの暴露記事めいたものも出てくるのです。

 それが常日頃なら、「またか」とか、「この雑誌はそういう種類のものだから」とか、一顧だにせずにすませられるのですが、大震災のあとの紙不足(製紙工業が津波によって破壊された)などの報道を見た後ですと、思わず「おい、おい」と言いたくなってしまいます。

 これは、どの先進国においても同じようなものかもしれません。それがなされていない方が、反対に恐ろしいことなのかもしれません。もっとも、日本は、他の先進国からも、被虐的だと言われるほどですから、自国の醜い部分を暴き立てようという傾向は他国に比べて強いのかもしれません。

 学生が、「先生、日本はそんなに悪い国なの」と聞いてくることがあります。聞くと「テレビでそう言っていた」。これは他の国のテレビ局の報道ではありません。日本のテレビ局の番組でです。

 もちろん、その反対に「臭いものに蓋」を考える人も多いのですが、問題は常に見えていたほうがいいという考え方の人のほうが、圧倒的に多いので、「臭いもの蓋」派は、常に守旧派のように扱われてしまいます。日本人はそうやってバランスを取ってきたのでしょう。悪く言われれば、それほどではあるまいと思い、よく言われれば、それほどじゃないよと思い、そうやって自分なりの落としどころを考えているのでしょう。

 いいことばかり聞かされていると、人は増冗漫になって、馬鹿にもなるでしょうし、悪いことばかり知らされていると、人はコンプレックスの塊と化してしまいます。

 これも、為政者が自国の民をどう考えているかということから来るのでしょう。自国民を信じられず、それどころか、(こいつらは)なにかあると、すぐにガアガアとカラスのように喚き立て、文句さえ言っておけば分け前が増えるとでも考えているとしか見ていなければ、真実を知らせるはずもないのです。たとえ、自分が恥ずべきことをしていなくとも。

 政府は本当のことを言わないと不満を洩らす人たちを、私は不思議な気持ちで見ています。それよりも、あなたたちの政府があなたたちをどういう人間だと思っているのかのほうが腹立たしいことでありましょうに。

日々是好日
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「打ちひしがれた人々への『思い』」。

2011-04-13 08:42:08 | 日本語の授業
 春の優しい空がどこまでも広がっています。この柔らかな空色の空の下で、さまざまな人生が繰り広げられ、人々は泣き、笑い、悲しみ、怒り、喜びながら、古代人と同じ営みを続けています。

 そして、私もその中の一人なのです。一人一人の命は確かに、得難く、かけがえのないもの、とはいえ、決して一人一人が特別な存在というわけでははありません。

 特別な命を授かっている人など存在しないのです。全て同じ命なのです。彼らの両親や彼らを大切に思う人にとっては、かけがえのない命、けれども、そう思われているのはその人だけではないのです。誰もに、身近な人を大切に思う気持ちがあるように、思われている人にも、その人を大切に思う気持ちがあるのですから。一人一人が、それぞれにとって、かけがえのない存在なのですから。

 「同じ」という言葉に、今ほど心を打たれる時はありません。日本に残り、日本人と同じ記憶を心にとどめようという人たちに、不思議な親近感を覚えます。

 「震災」発生後の、この一ヶ月余りの日々は、かつてない「記憶」となって日本人の心に残るでしょうが、それは日本人だけでなく、この時期、この列島に存在した全ての人々に残る「記憶」もあります。

 「あのとき、また地震があったね」。この学校の学生であれば、「そう、そう。みんなで花見に行った翌日だった」ということになるでしょうが。「初級」「中級」の学生たちは、まだ日本語で、情報を入れられるようなレベルではありませんから、おそらく日本に残っているといっても、その情報源は同国人でありましょう。その(情報源たる)人たちがどれほど日本語に長けているのかは、わかりませんが、学生たちの様子を見る限り、知れたものだと思います(牛乳は危ないなどと言うのですから。ひと言付け加えると、私はスーパーで買った牛乳を、ずっと飲んでいます)。

 ただ「中級」の後半に入り、既に一年近く、あるいはそれ以上をこの学校で学んできた学生であれば、こちらが説明すれば、かなりの程度を日本語で理解してくれます。

 「津波や地震であれば、どのような災害であろうとも我慢できるし、立ち直ってみせる。」と言えるだけの力を持った人々を、原子力発電所の事故は打ちのめそうとしています。立ち入り禁止地区に残された遺体も、そのままです。

 ちょうどこの頃、友人のお父さんが亡くなりました。静かに棺を家から送り出したのだそうですが、泣く者は誰もいなかっのだそうです。「家から送る」ことができたということに、どこかしら僥倖めいたものさえ感じたと言います。

 そういう感覚を、この列島に、今なお、営みを続けている日本人全員が、ある意味では、共有しているのではないでしょうか。何事かが発生しなければ、それは表に出ては来ないものです。それを、日本にいる異国人は、今、感じているような気がします。

 もちろん、それのみに覆われているわけではありません。「復興」という言葉が頻りにささやかれていますし、そのために、国は、地方は、個人は、何をどうすればいいのかを、有識者たちは語り始めています。けれども、この天災・人災は、あまりにも大きかった。しかも、まだ続いています。震災に遭った人々も、それを見つめ呆然とした近隣の人々も、打ちのめされた心が、まだ回復してはいないのです。

 どのような提言であろうと、白々しく聞こえるという気持ちを消し去ることができないのです。

 ただ、人は前を向かねばならない。しかも、前を向くだけではなく、前へと進んでいかなければならないのです。その時、一番大切なのは、残された「思い」です。自分に近い人々への「思い」、死者たちの残された者への「思い」。その「思い」に応えた、それぞれの「未来」でなければならないと思います。

 1945年八月、戦争に負けた時、残されたのはアメリカ軍の空襲を受け、廃墟と化した東京でした。東京だけではありません。日本で唯一、地上戦が行われた沖縄はもっとひどい状態でした。その時、いわゆる「北方領土」は、ソ連に占領され、住民は全て追い出されました。

 それからも、何事かある度に、戦争で殺された人々の「思い」を、戦後の日本人は受け止めていないと、ずっと批判されていました。

 「日本をすばらしい国にしてください。そのために私は死んでいきます」と、「人を殺したくない、自分も殺されたくない」と心の裡で叫びながら、学徒兵たちは戦争に参加させられていきました。

 その人たちの「思い」は、戦後、繁栄を極め、バブルに踊った日本人の心とは遠く隔たったものでした。今度こそ、日本に存在していた多くの人たちの「思い」を、残された私たちは継いで行かなければなりません。みんな、生きていたかった、生きて、皆と一緒にいたかったのですから。

日々是好日
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「花見の明日」。

2011-04-12 08:40:39 | 日本語の授業
 今朝も青空が広がっています。ただし、風が強く、温い天気になれた身には、この風の冷たさがこたえます。昨日のサクラは、昨晩の雨と今朝の強風で、散り急ぐことになるかもしれません。

 昨日は、暖かく、風もほとんどなく、ホンにいい、お花見日和でした(午前中だけです)。
いつも(駅集合です)とは違い、学生達を学校に集めて、春休み中のニュースを伝えます
。今のところ、問題のある農作物は集荷されていないことや、それ故、店頭に出回っている食品は、食べても大丈夫だということ。私たちも、水道水を飲み、スーパーでものを買っていることなどを伝えます。

 もちろん、震災の前のようには、ものが溢れていません。もしかしたら、そのほうが異常だったのかもしれません。小さなスーパーにだって何でもありましたし、24時間営業が普通でしたから。それに、値段は事故後と前とでは変わっていません。投機による値上げなどは、ここを見る限り(また友人に聞いた限り)起こっていないようです。

 一時、水質の問題で、パニックになりかけましたが、それは乳幼児など発達段階にある人にだけ影響が出る可能性のあることであって、既に成長期を過ぎた人には何の問題にもならぬことが報道されましたし(チェルノブイリの事故後の追跡調査など)、また乳幼児などのいる家庭に、すぐに水が配られたことなども功を奏したのでしょう。

 まずは、普通の生活をすること、そうしなければお金は回りません。経済が潤滑油を欠くと、復興を目指して活動を始めた東北地方の町まで影響を被ります。

 それから、新学期は、ゴールデンウィークまで、特別編成でいくということを伝えました。「Aクラス」と「Cクラス(新入生のクラス)」は、午前9時から12時まで。その間教員が一人で一教科を教えます(今までは二人で二教科でした)。そして、「Bクラス(去年の10月生と今年の1月生)」は、午後のこれまで通りの時間帯で行きます。学生がほぼ揃っていますから。

 さて、30分ほどで説明は終わり、すぐに出発です。九段下で降りて、地下から地上に上がっていきます。すると地上に出るなり、「わああ」「きれい」「すごい」の連続で、皆そこで写真を撮り始めて、流れは止まってしまいました。

「まだ、まだ、道は長い。きれいなところはたくさんあるから、安心して。そろそろ出発しましょう」と言っても、フィリピン組とタイ・ロシア組はなかなか動きません。それでもよかったのです。今年は、外国人が続々と帰国したことで、どことなく「本来の花見」の流れでいけたような気がします。ゆったり、のんびり、穏やかにです。

 だからでしょうか、いつもなら、彼らをもっと急かせたところでしょうが、引率している我々も、そういう雰囲気に呑まれて、のんびりと構えていたような気がします。

 まずは武道館の方へ向かい、江戸時代の大きな城門を見せ、それから千鳥ヶ淵の桜道へと回ります。私は列の中間くらいの所を、迷子はいないかとうろうろしていたのですが、皆写真に撮ったり撮られたりを繰り返しながら楽しんでいますから、いつの間にか、長く伸びた列がスカスカになってしまい、真ん中辺りで切れてしまいました。しばらく待っていたのですが、後列がなかなかまいりません。前方にいた学生達は、もうボートに乗りたい一心でそればかりを考えています。やっと来た学生は、写真のことで頭がいっぱいでしたから、ボートと聞くなり、「えええっ!」

 例年ですと、どれくらい待たされていたのでしょうか、待つのが嫌いな人は、まず、こういう時に、ボートなんて考えません。けれども、昨日は案外早く乗れたようです。花見で、ボートに乗るために列に並ぶなどということなど、金輪際考えられないような中国人学生までが、モンゴル族の友だちと一緒に乗ったらしいのです。午後に来たお姉さんが「大学が始まっていたから、行けなかった。弟が、自慢そうに見せてくれた。本当にきれい。羨ましい。私も行きたかったのに」と言っていましたから。そうです。せっかく日本にいても、一人ではなかなか行けません。

 「神様のご褒美」と言ったほうがいいのかもしれません。毎年、どんどん春は早くなり、入学式の前に桜は散り、学生達を連れて「花見」が出来ない状態が、ここ何年か続いていました。ところが、今年は、本当に美しいサクラを、しかも一番すばらしい状態の時に見ることが出来ました。

 ちょうど期待していたとおり、満開を通り越し、触らば散りなんといった風情のサクラが、わずかの風にも誘われて、ひらひらひらひらと舞い落ちてきます。時折、強い風が吹くと、とたんに桜吹雪に変身です。道にも、桜色の花びらが、自然の芸術よろしく模様を描いています。お濠をみれば、お濠の水にも花筏が浮かんでいます。その上を、ボートが軌跡をつけて進んでいるのです。お壕の水に、今にも届きそうなくらいまで伸びている枝もありますから、その側まで漕いで行き、サクラを見つめ、しばし時を忘れているかのようなカップルもいます。

 これでは、学生がウズウズしてしまうのも当然なのかもしれません。

 と、ゆったりとした気持ちで学校に戻り、仕事を続けていると、また地震です。そして雨まで降り始めました。本当に、残った学生達のために、神様が誂えて下さったような、昨日の午前中の、至福のひとときでした。

日々是好日
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「桜狩り」。

2011-04-11 08:41:47 | 日本語の授業
 花曇り。春はいっそう闌けてきました。さまざまな野草たちが足下に乱れ咲いています。

 今日は「桜狩り」。「花見」に参ります。

 行くのは予定通り「千鳥ヶ淵」です。皇居のお濠の、そこまでは230円で行けますから、往復でも500円かかりません。もちろん、せっかく行くのだから、銀座や秋葉原を見てみたいという学生たちは、一日券を買って行ったほうがずっと安上がりになるでしょう。

 ただ「千鳥ヶ淵」の(サクラの)満開は先週でした。散って寂しくなっていなければいいのですが…花の命は短いし…などと、あれこれ考えてしまいます。とはいえ、サクラは、「花吹雪」と化した時が一番美しいのです。その上、ここには水がありますから、「花筏」となって水に浮かんでいる姿まで、見られるかもしれません。闌けたサクラと、「花吹雪」、そして「花筏」という組み合わせが見られれば、「極めつけ」を堪能できるわけで、頑張って日本に残っていた学生たちへの、何よりの「ご馳走」となるでしょう。…などと、贅沢なことも考えているのですが。

 というわけで、美しいサクラを満喫する予定の、「今日」が終われば、明日からまた勉強の日々が始まります。「読解」に弱い「Aクラス」の学生たちには、いくつか短編を選んでありますから、それを入れながら、「読む」習慣をつけさせて行こうと思っています。

 と、書いているところに、ベトナム人の学生から電話が来ました。「先生、今日は何時から勉強ですか」「…(まあ、時間を聞いてくれるだけ、マシか。電話で確認をとってまわったのに。聞いた振りしていたな…)」「9時前に学校に来てください。それから一緒に駅へ行きます。お花見に行きます」「は~い。じゃあ、新しい学生も、私が連れて行きます」「ありがとう。先生が迎えに行かなくてもいいですか(この学生は寝坊助なのです。ですから、課外活動がある日には、起こしに行っています。どうせ、学校から呼べば答えられるところに、寮として借りているアパートがあることですし)。」「は~い。大丈夫です。」

 おっと、もうやってきた。来たのは、フィリピンから来た新入生です。新入生はまじめですね。予定時間の30分も前に到着です。ただ、まだ日本語がほとんどわかりませんから、「Aクラス」のフィリピン人学生が来るまでは、ちょっと寂しいかもしれません。

日々是好日
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「雨が降っても、いつも通り」。「被災地の農作物」。「投票」。

2011-04-10 08:26:04 | 日本語の授業
 花曇り。

 昨日少し雨が降りました。原子力発電所の事故が起こった後、1回目の雨の日には、みんな神経質になっていたかもしれません。濡れたら…といったふうに。しかし、昨日、自転車で外に出た私も、また他の人達も、ホンの小雨程度であったからでもありましょうが、傘もささず、フードもかぶらず、そのまま自転車を飛ばしていました。

 これからの一週間ほどは、花見客が出るでしょう。いくらそういう気分にならないといっても、お互いに後何回桜を見ることが出来るのかわからないのですから。

 その時に、福島の酒を選んだり、福島の野菜を使っていますという料理を買ったりすればいいのです。もちろん、少しは地元にも貢献したいと思いますが。

 被災地の農家では、インターネットを使って、直接消費者に届けようという動きも、少しずつ始まっています。小売業の人達が風評を気にして、買ってくれないのなら、そういう風評に負けない消費者、或いは応援してくれようという消費者に個人的に買ってもらおうという動きです。

 もちろん、みんな汚染された野菜など食べるつもりはありません。けれども、しっかりと検査されている野菜です。しかも、生産者が名前入りで責任を持って送ってくれるのですから。それよりも、農薬漬けであったり、おかしな添加剤などを入れられた野菜の方がずっと怖い。

 だいたい、そんなものを市場に出して、平気でいるような国では、作っている人や、それを売っている人だって、それが人体にどんな影響を及ぼすのか、わかっていないのでしょうから。儲ければいいと思っているだけでしょうし。何をしているのかわかりませんもの。

 さて、今日は投票日。千葉県でも県議会、市議会議員の投票が始まっています。東京という、一国程度の予算を組める都市でも、都知事を選ぶための投票が始まっています。

 危機に直面したときに、しっかりと第一線で、身体をはって、働ける人達が選ばれると良いですね。健康で、体力のある人。適当に、「想定外だ」と逃げたりしないで、様々な事態を想定できるだけの能力のある人。安全ではないことは、安全ではないと、誰に向かっても、言い切るだけの胆力のある人。それから、国や都市の、行政上の失敗を失敗として終わらせたり、人々をごまかしたりするのではなく、それを得難い教訓として、新しい組織をつくったり、それに正しい機能を与えることのできる人が出て欲しいですね。

 とはいえ、自分にはそれらをするだけの能力がないと思っている人は、手をあげていないでしょうから、手をあげている人は、みんな、自分でそれができると思っているのでしょう…、かしらん。

日々是好日
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