曇り。直に晴れるようです。
「台風一過」。あるいは「一雨毎に」という表現がもやは死語になりつつあるような。そこから導き出される結果…これは「習い」となっているようなものでしたが、(秋口のこれは)涼しくなるというのは、もうあり得ないことなのでしょうか。
「台風15号」が去った後の、あの猛暑。真夏でした。やっと涼しくなりかけたと思っていたら、これですもの。「二百十日」辺りに来る台風は、猛暑を連れてくると覚悟しておいた方がよいのかも知れません。もっとも、今日は、「秋」に戻りましたけれども。
さて、学校です。
「日本語能力試験」の結果が届き、喜ぶ者、ショックを受けて落ち込む者、様々です。やはり努力をしていた者は報われたようですね。「自惚れは失敗の母」なのかもしれません。
というわけで、大学入試に備えて、「作文」の練習をしています。まずは、来日後を振り返って…。「びっくりしたこと、楽しかったこと、嫌だったこと、いろいろあったでしょう。さあ、思い出そう。どんなことがありましたか」
ネパールの男子学生、これが大変。驚いたことはたくさんあったようですが、嫌だったことが思い出せない。「あったでしょう」「……」「思い出せ」「……ない。先生、ない」「無かったはずがない。思い出せ。学校で、アルバイト先で、日本での暮らしで」「ない。無かった」
まるで、私が意地悪をしているみたいです。問い詰めていくと、「あっても、忘れた」。どうもこの学生は、辛いことがあっても、すぐに忘れてしまうタイプのようで、こちらも困ったけれども、相手も困っている。果ては思い出せない自分を責めて、私を気の毒に思っているような感もあり。
けれども、多分「嫌なことなんて無かったのに、どうしてこう責めるのだろう」くらいは思っていたのかも知れません。最後には、「あとで…。うちで書く。大丈夫、うちで書いてくる。…あっ。金曜日は漢字テストだから、来週…、書いてくる」
図体はでかいのに、もう、子供のように逃げ腰になっています。
お人柄なのでしょうね。「だれも自分を傷つけるはずがない。自分も他人を傷つけるつもりはない。みんないい人だ」という型です。無防備といえば、無防備なのですが、明るく人を信頼しきって見つめている。「嫌だったことを思い出せない?それなら意地悪をするぞ」と脅しても、「はい、大丈夫」とニコニコして、あなたがそんなことをするはずがないと明るく見つめている。いつもの脅しが効きません。
困ったなあ。今、来日後、1年半ほどのことを思い出しておかないと、もう、思い出せなくなるのです。せっかくの機会だから、思い出して欲しいのです。これでは、この学校に来てからのことを省み、今を自覚し、これからのことを希望をもって見つめ、次のステップに備える心の準備ができないのです。それに、同じ境遇の人たちへの同情心も湧かなくなる。それが、独りよがりに映るということだってあり得るのです。
とはいえ、「今まで、何かあったかもしれないけれども、大丈夫だったし、今も大丈夫。これからも大丈夫でしょう、ね」と、思っているのでしょうね。嫌なことなど思い出す必要はないというところなのでしょう。それは、まあ、それでいいのですけれども。「面接で聞かれたらどうするつもりだ」と言えば、迷い無く、「ありませんでした」と答えるつもりなのでしょうね。
こういう学生は、一対一では、まずい。クラスで、皆でいるときに、聞くしかないのです。すると、何人かが、きっと「あったよ」、「○○も」、「△△も」、「××とか、◎◎とか」と言いだし、そうなると「ああ、そうか、あれか」となるのでしょう。本当に一手間も二手間もかかる人です。まあ、実際、本当にいい人なので、不満はないのですけれども。
日々是好日