快晴。
昨日は午後三時頃から、少しずつ黒雲が拡がり始め、4時頃には、どうも怪しい雰囲気に…。けれども、行徳の辺りでは、どうやらもちこたえられたようです。今朝、お天気のお姉さんが、都心では、昨晩、ザアッと、一雨来たと言っていましたけれども。
これでは、まるで馬の背を分けるという「夕立」のようですね。おまけに、昨晩のお天気図に映されていた、日本列島を横切るような雲の流れの、至る所に、バッテンマークがついていましたから、どこもかしこも「ピカッ…ゴロゴロ、ゴロゴロ、ドカーン」と、雷様が太鼓を叩きながら、お出ましになっていたのでしょう。くわばらくわばら…。
さて、補講も今日(木曜日)で終わりです。とはいえ、「Eクラス」の学生たちは、あまりよくわかっていないようです。いくら言ってもストンと落ちていかないのです、金曜日は学校に来なくてもいいというのが。
もうこのことは他のクラスが春休みになってからずっと(つまり、3月19日から)2日か3日に一回ほどの割合で言っているのですが、言う度に「おう」と嬉しそうな顔を見せてくれるのです。それでその度に、当方としても、「よかった。判ったのだ」と感動していたのですが、それが、二度も三度も続くと、「ふむふむ。結局判っていないのだな」と諦め半分の疑わしいような目つきにならざるを得ないのです。昨日もそうでした。
若い先生が一昨日言った時、みんなオウと言っていたので、多分判っていなかったと思うと言ったのです。それで私も、「やはりな」。で、彼らが帰る時に、出口でもう一度、「明日で終わりですよ。明後日、金曜日は来なくてもいいのですよ」と言ってみました。すると「えっ」という大袈裟なリアクションが。
学校に来なくて勉強してくれないのは困るけれども、どうせ彼らは歩いて二三分の所に住んでいるのです。「散歩かたがた来るのもいいかな。だいたい、日本語をきちんと覚えていないから、こんな時に(休みなのに学校へ来てしまうという)割を食うのだ。何事もくどく、しかも、彼らが判るくらいにかみ砕いて(教師が)いちいち言ってやるのも、却って、彼らのためにはなっていないのかもしれない。それに慣れているから、結局はどうにかしてくれると思ってしまうのだ。それにだいたい判らなくても、困らないと思っているから。しっかりとそれを、知らしめた方がいい」と意地悪な気持ちにもなってしまいました。が、そこはそれ、いい人ぶりたいので、腹の虫を押さえて「明日来ます。明後日来ません」と言ってやりました。
多分、もう判ってはいるのでしょう。けれども、(あちらはあちらで)既にわかっていると反応してみせるのも、毎日のように言ってくれる教師に悪いと思っているのかもしれません。
そうは言いましても、最初のころは、私の顔色や様子などを見て、これは嬉しそうな顔をした方がいいのだろうと(判断して)、それに応じたに過ぎなかったと思います。
もちろん、これも生き残るワザの一つですから、文句を言う筋合いのものではないのですが。ただあまりにそれに長けてくると、外国人に慣れていない人たちは(誤解して、判ったものと判断して)説明してくれない恐れもあります。
いくら近くに住んでいるとはいえ、起きて学校に来るのは大変です。それに、彼らは、春休みにしっかり稼いでおこうと、アルバイトの予定をぎっしり詰めています。それでも、今、(春休みの補講に)眠い目をこすりながら学校に来て、勉強を続けています。彼ら(「Eクラス」の学生たち)は、他の学生たちとは違い、春休みは短いのです。とはいえ、たとえ10日ほどであろうとも、いつもよりもたくさん寝て、少しは疲れを取っておいてくださいね。新学期からは、また厳しい勉強が始まりますからね。
日々是好日
昨日は午後三時頃から、少しずつ黒雲が拡がり始め、4時頃には、どうも怪しい雰囲気に…。けれども、行徳の辺りでは、どうやらもちこたえられたようです。今朝、お天気のお姉さんが、都心では、昨晩、ザアッと、一雨来たと言っていましたけれども。
これでは、まるで馬の背を分けるという「夕立」のようですね。おまけに、昨晩のお天気図に映されていた、日本列島を横切るような雲の流れの、至る所に、バッテンマークがついていましたから、どこもかしこも「ピカッ…ゴロゴロ、ゴロゴロ、ドカーン」と、雷様が太鼓を叩きながら、お出ましになっていたのでしょう。くわばらくわばら…。
さて、補講も今日(木曜日)で終わりです。とはいえ、「Eクラス」の学生たちは、あまりよくわかっていないようです。いくら言ってもストンと落ちていかないのです、金曜日は学校に来なくてもいいというのが。
もうこのことは他のクラスが春休みになってからずっと(つまり、3月19日から)2日か3日に一回ほどの割合で言っているのですが、言う度に「おう」と嬉しそうな顔を見せてくれるのです。それでその度に、当方としても、「よかった。判ったのだ」と感動していたのですが、それが、二度も三度も続くと、「ふむふむ。結局判っていないのだな」と諦め半分の疑わしいような目つきにならざるを得ないのです。昨日もそうでした。
若い先生が一昨日言った時、みんなオウと言っていたので、多分判っていなかったと思うと言ったのです。それで私も、「やはりな」。で、彼らが帰る時に、出口でもう一度、「明日で終わりですよ。明後日、金曜日は来なくてもいいのですよ」と言ってみました。すると「えっ」という大袈裟なリアクションが。
学校に来なくて勉強してくれないのは困るけれども、どうせ彼らは歩いて二三分の所に住んでいるのです。「散歩かたがた来るのもいいかな。だいたい、日本語をきちんと覚えていないから、こんな時に(休みなのに学校へ来てしまうという)割を食うのだ。何事もくどく、しかも、彼らが判るくらいにかみ砕いて(教師が)いちいち言ってやるのも、却って、彼らのためにはなっていないのかもしれない。それに慣れているから、結局はどうにかしてくれると思ってしまうのだ。それにだいたい判らなくても、困らないと思っているから。しっかりとそれを、知らしめた方がいい」と意地悪な気持ちにもなってしまいました。が、そこはそれ、いい人ぶりたいので、腹の虫を押さえて「明日来ます。明後日来ません」と言ってやりました。
多分、もう判ってはいるのでしょう。けれども、(あちらはあちらで)既にわかっていると反応してみせるのも、毎日のように言ってくれる教師に悪いと思っているのかもしれません。
そうは言いましても、最初のころは、私の顔色や様子などを見て、これは嬉しそうな顔をした方がいいのだろうと(判断して)、それに応じたに過ぎなかったと思います。
もちろん、これも生き残るワザの一つですから、文句を言う筋合いのものではないのですが。ただあまりにそれに長けてくると、外国人に慣れていない人たちは(誤解して、判ったものと判断して)説明してくれない恐れもあります。
いくら近くに住んでいるとはいえ、起きて学校に来るのは大変です。それに、彼らは、春休みにしっかり稼いでおこうと、アルバイトの予定をぎっしり詰めています。それでも、今、(春休みの補講に)眠い目をこすりながら学校に来て、勉強を続けています。彼ら(「Eクラス」の学生たち)は、他の学生たちとは違い、春休みは短いのです。とはいえ、たとえ10日ほどであろうとも、いつもよりもたくさん寝て、少しは疲れを取っておいてくださいね。新学期からは、また厳しい勉強が始まりますからね。
日々是好日