日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「大学は試験がありますよ。合格しなければ入れません。いい専門学校も同じですよ」。

2014-10-30 14:34:21 | 日本語学校
 晴れ。

 上空は風が強そうで、絹のような雲が流れています。今朝も寒い。そろそろ暖房が必要な頃となってきたのでしょうか。少しばかり寂しく感じてしまいます。

 空き地の「ススキ(薄)」は一向に穂を白くする気配がありません。いいのかな「ネコジャラシ(猫じゃらし)」もそう。いいのかな。

 さて、学生達です。

 スリランカの女子学生が、「私は○○大学に入りたいです。いいですか」と聞きに来ました。「受けるのは自由ですよ。受けたいですか」。「私は試験を受けたくないから…。いいですか」「へ…?」

 どうも話が噛み合わない…で、よくよく聞いてみると、日本語学校の教師が「よし」と言ったら、そのまま、その大学に入れるとでも思っているらしい。国から日本へ来るときの、そういう手続きと、同じにでも考えていたのでしょうか。「試験はありますよ。どの大学でも」「……」。

 そういえば、国で看護大学(四年制)を出たフィリピン男子学生に、日本の看護専門学校を勧めて、一度見に行くようにと言ったことがあったのです。その時も、その話を小耳に挟んだ、スリランカ人女子学生が、翌日、別の一人連れてきたことがありましたっけ。この人がその学校に入りたいと言っていますと言って。その時は「無理です。彼女は条件を満たしていませんから」で終わったのですが。

 フィリピン人学生には、試験を受ける資格があるかどうか、そして看護士の国家試験のことについてとか、一度(その学校に)行って、よく聞いてみるように言っていたのですが。もちろん、同時に、彼は大学で専攻したことでもあり、しかも、フィリピン人で、英語には問題ないことなど、利点を話していたのです。

 それが、全く聞いていなかったのですね。いえ、聞いていても、判らなかったのでしょう。

 これも、思い込みのせいなのかもしれません。なんの試験もなく、スルリと入れるような大学なんてあるはずがありませんのに。

 聞くと、日本語教師が入ってもいいと言ったら、「自動的に」入れると思ったらしい、スリランカ人はヒアリングがいいので、日本語が上手だとよく思われているのですが、実際には、正確なところがわからぬまま、はいはいと言っている場合だって少なくないのです。このときも、このフィリピン人学生よりももっとスラスラと話せる学生でしたから、まさか、ここまでわからなかったのかと驚いたくらいでした。

 思わず、フィリピン人学生も誤解していたら大変だと思って、彼が来たときにすぐ確かめてみたのですが、彼はごく普通の理解の仕方をしていました。私が言ったとおりに理解していたのです。

 で、話は戻りますが、どうも、スリランカ人学生に共通してみられる一つの傾向として、思い違い、つまり思い込みから来る勘違いなのでしょうけれども、それが、クラスのみんなのレベルが上がったときに、判ってくるのです(初級段階では、当然のことながら、耳がいい人の方が上達が速く、褒められる回数が多くなります。けれども、努力しなければ、頭打ちになります。上手と言われたで、ストップしてしまうのです。悲しいことですが)

 ある程度以上の日本語になりますと、耳がいいから云々ではすまなくなってきます。普段は使わないような言葉や、かなり難しい文法が必要となってくるのです。正確さを要する場合、突きつめて問うていきますから、そうすると、「あれれ」ということに、よくなるのです。

 こうなりますと、適当に慣れで話していた人は不利ですね。結局は、多少鈍臭く見えても、きっちりやっていた人の方が勝ちということになるのでしょう。

日々是好日
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「青空」。「『学生の本分』を考えていただける企業やお店」。

2014-10-29 09:43:49 | 日本語学校
 晴れ。

 今朝の寒さは、昨日よりも、グッとこたえます。「冬のような寒さ」などと、昨日の「N3」クラスでの授業に用いた例文が浮かんできます。

 しかも、乾燥しているとか。カサカサです。そして、空は久しぶりの秋の青空(昨日は白い雲があった…)。この空の色も、いつもにも増して、青く、しかも「藍」に近いようなそんな色なのです。

 日本では水蒸気が多いせいか、ちょっと白が混じっているような、そんな優しい「青色」の時が多いのです。北京の秋の空のような青ではないのです、普通は。

 もっとも、ここで私が言っている、「北京の空」というのは、今のように公害云々と騒がれていなかった頃の空のことです。初めて、北京で秋空を見たとき、「ああこれが、絵画に描かれていたところの北京の秋空か」と、その青さに驚いたものでした。

 とはいえ、それから中国の各地を旅行する機会があり、また、旅行した人から写真を見せられたりして、彼の地にはもっともっと「藍」の濃い空が存在しているのだと言うことを知りました。

 砂漠の真ん中で、空を見たときには、これが本当の「青」なんだと感動したものでしたし、チベットにバスで行った人が見せてくれた写真には、花畑と一緒に「天に近いところだけにしか現れるないような空の色」が写されていましたし…。

 しかしながら、日本の空も、捨てたものではないのです。馴染みの深い日本の「青」なのです。そして、今朝の空は、一段と深い、歌舞伎の「青」色の世界です。

 さて、学校です。

 少しずつですが、この学校にも、地域からアルバイトの要請が来るようになりました。私たちにとっても、地域の方はとても大切な存在です。紹介してくれと言われたからといって、「はい、そうですか」と、だれでも紹介できるとは思っていません。

 もちろん、そういう企業の中には、単に「頭数」としか、考えていないところもあります。そういうところへは、こちらも、「行きたい人は行ってごらん。だめだったら、日本語のレベルが低いということだから、また頑張ってね」と言って送り出すだけなのですが。

 そうではない企業、つまり、きちんと学生達、一人一人を見て、雇ってやろうというところもあるのです。そういうところは、「働けると同時に、育てていただけるところ」と私たちも考え、日本語のレベルや適性を考えると同時に、いえ、それ以上に、先様に迷惑をかけないような学生をと思います。

 これって、だれでも、同じでしょう。

 ただ、途上国から来ている学生の多くは、日本人が留学するときとは、比較にならぬほどの経済的な問題を抱えています。最初から、稼ぎに来たと見える学生ならば、また話は別なのですが、経済的な問題さえなければ、もっと勉強できるのにと思われる学生も、実際には、少なくないのです。

 そういう学生達の負担をできるならば、少しでも軽くしたい。こう思うのは、別に、外国人だからとか、日本人だからという別があるわけではなく、そういうふうに頑張っている若い人達に対する、自然な気持ちなのかもしれません。

 特に幾つかのアルバイト先からは、「最初は日本語が下手なのは判っている。けれども、きちんと学校へ通って、勉強していけば、必ず上手になるのだから、今は、日本語の面では心配しなくてもいい」と言っていただき、学生達ともども、それには、大いに力づけられています。

 学生の本分は、学ぶことにある。それを忘れずに働かせていただけるところ、そういう企業やお店と、私たちも長いおつきあいができればと、願っています。

日々是好日
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「ぐっと、寒くなりました」。

2014-10-28 08:54:10 | 日本語学校
 晴れ。

 近畿地方に「木枯らし1号」が吹いたという知らせ。関東地方でも今日は風が強く、もしかしたら、これが、ここでの「木枯らし1号」と言われることになるかもしれません。霜月を目前にして、秋深まり行き、そして冬。

 ところが、空の白雲は、少々、ボッテリとして、風が強そうなふうもなく、浮かんでいるのです。こちらの気が急いているのかも…。いやいや、冬は、できれば遅めの方が良い…ですから、決して「冬よ、来い。早く来い」と願っているわけではないのです。ただ、紅葉や紅葉が、待ち遠しいだけなのです。

 だって、今、花が少ないのです。本来ならば、街を彩っているはずの街路樹の花、そして家々の花も、なぜかこの時期は少なく感じられるのです。そこに、この風。この風は既に気弱くなっていた葉を落とし、すっきりと青空の領域を増やしてくれてはいるのですが、それでも、色が乏しいという感じ。

 もう少し経てば、イチョウの黄、紅葉や楓、その他の木々の葉が、赤や黄色に街を染め上げてくれるのでしょうが、ちょうど今は、ちょっと、寂しいですね。ススキなどの草もその代役はできませんし…それに、虫の音も寂しく聞こえ、少し前のような?時雨のように草むらから響き渡る…状態ではなくなっていますし…やはり、秋は寂し…というわけなのでしょうか。

 さて、学校です。

 昨日、「Cクラス」で、新しい本を配りました。昨日配ったのは、『N3文法』と、『N3漢字』だけだったのですけれども、なんか、学生達、うれしそうでしたね。子どもの時と同じ。新しいものは、何でもうれしいのです。意外なのは、2名の中国人学生、なぜかこの二人が、パラパラと『N3文法』を見、「んんん…。難しそう…」

 全く、「おい、おい」です。他の国の人達が、こういう、今までになかった、漢字が多いものを見て、「難しそう」と言うのならわかりますがね。それが、漢字の本家本元の、中国人が言うのです。ジロリと睨んでやると、慌てて口を押さえていましたが…。

 そして、彼等にしても、いまだに、「N3」「N2」などと、かつての「三級」「二級」などとの区別がつかなかったようなのです。口を酸っぱくして言ってきたつもりだったのですが。

 曰く「『N1』の次が、『一級』なのか」。そうか、そう考えてもおかしくはないなと思いながらも、思わず、「んもう。何回もいったでしょ。もう、『一級」なんてありません。あれはなくなって、『N1』と言うようになったのです」まあ、下手な説明ですが、まだ「初級」が終わったばかりですからね、こういう言い方しかできません。

 多分、他の人たちも、それぞれの、自分達なりの考え方で、かつての「三級」や「二級」と、現「N3」や「N2」などを考えているのかもしれません、こちらのしつこい説明を聞きながら。

日々是好日
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「漢字が読めてから、次の段階、『読解』へ」。

2014-10-27 08:52:06 | 日本語学校
 曇り。あまり寒くありません。

 気温は、今、19度ほどだとか。ただ湿度が高い、88%もあるらしい。それもそのはず、昨夜雨が降ったと見えて、道が濡れていました。日中は26度くらいにはなるそうで、また、夏物を引っ張り出さずばなるまいと見ていると、寒気団が近づいているそうで、夜は15度と、寒くなるらしい。帰りはマフラー使用と行くかと、この時期は、服に、本当に困ります。東北地方は平野でも今日雪が降るかもしれぬといいます。小さくとも、東西に長く延び、しかも日本海側は(冬)豪雪地帯ときている。今年もドカ雪が降るかもしれません。

 テレビを見ていると、10月26日(日)に、瀬戸内海で、島々を結ぶサイクリング大会が開かれたとか。普段は走れぬ高速道路(橋です)を、自転車で走る大会とは、何とすばらしいことでしょう。コースもいくつもあって、最長は111㌔と書いてありました。島から島へと渡る道を、船ならぬ自転車で走り抜ける、本当に時代は変わりました。参加者はさぞ気持ちがよかったことでしょうね。

 さて、学校です。

 金曜日に行った「上野動物園」。人数も多かったと言うこともありました。が、上の駅に着いてから、列が、ドンドン間延びしていき、入口に着いたときには、もはや収拾のつかぬほどになっていました。動物園の中は、迷子になって「助けて」という電話がない限り、お好きにどうぞというしかないか…で、そのままに。

 説明を聞きながら、一緒に見る…なんてこと自体が成立しないのです。特に、10月に開講したばかりのクラスの在日の人達は、ファッションショーに参加するのではかいかと思われる程決めてきて(なんか、ちょっと恥ずかしいような一団になっていました、そこだけ)、そして「自分撮り」に夢中です。「さあ、急いで。前が見えなくなりそう」と言っても、不満げにブウブウ言うばかり。こういう人たちは、(国の)学校で「集団のルール」なんて教えてもらったことがないのでしょう。

 エスカレーターの乗り方、電車の乗り方、どれ一つとっても、大変(反省会で初めて気づいた)。まだ言葉が通じないので、下手に説明しようものなら、「私は悪いことをしていない」と叫び出すに決まっているし…。まあ、一歩一歩ですね、はあ…。

 ところで、今年の「4月生」と「七月生」たち。だいたい予定通りのスピードで授業は進んでいます。「4月生クラス」は、今日から「N3コース」へ、そして「七月生クラス」も今週中に「みんなの日本語Ⅱ」に行くことになっています。

 現在、この学校では、あれほど多かった中国人留学生がゼロ状態というわけで、ちとばかりレールを曲げて、「非漢字圏」用の授業形式、内容になっています。つまり、「非漢字圏」の学生達が殆ど(在日の中国人学生はいます)なので、「書く」はともかく、「読み」のレベルを上げるために四苦八苦せざるを得ないのです。

 第一段階、「漢字」一つ一つの、「読める」「意味が判る」「書ける」を通して、第二段階、「簡単な文章」が読めて、意味が判る状態にまで上げていく。この「一文がわかる」というのでなく、「文章」の意味が判る状態にする…というのが、本当に難しい。

 第一段階までは、学校に毎日来て、真面目に、言われたとおり、コツコツ勉強することが出来る人はどうにかなるのですが、「それからが」が、なかなかできない。「いったいどうして」と最初の頃は、どうして判らないのかが判らなくて、ため息ばかりついていました。殆ど、「出来る人はできる、出来ない人はできない」で、それ以上どうにもならないようなところがあったのです。

 「読解」のための教育なんて受けていないのでしょう。だから「この文章を読めと言われたから、読んで見せた。漢字だって読んだ。それなのに、指示語を聞いたり、(この文章の)内容を問うたりする。そんなの、なによ。わからん」と、なるのでしょう。

 文章の意味が判るために読んでいるのに、「字面だけ読めた」で、誇らしげに私を見て褒められないと不満タラタラの顔つきになる…。読めたら、内容を考えてよと思うのですが…それが、ないのです。ぷっつりとそこで切れているのです。…ほんとうに、どうしよう…。

 もちろん、どうもそれだけでいいと言わざるを得ない人もいますし、放っておいても読める人もいます。それに、論外の人達もいます。問題になるのは、その中間層なのです。どうにかなるのではないか、普通の国語教育のやり方(内容を問うとか)で、どうにかなるのではないかと思える人達なのです。

 というわけで、今日もこの学校では試行錯誤が続いています。

日々是好日
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「行楽日和。いざ、上野動物園へ」。

2014-10-24 08:01:52 | 日本語学校
 晴れ。

 昨日の、雨と寒さが嘘のようです。雲こそまだ少しばかり残っていますが、これも陽が高くなるにつれて、消えていくことでしょう。風もなく、午後は、昨日よりもずっと暖かいとのこと。昨日は、なにせ、11月並の気温、14度とかでしたからね。みんな、日本のお天気はいやだと震えていました。特にまだ「冬を経験していない」初級クラスの学生達は。

 今日は、最高気温が、20度を超えるということですから、日溜まりの中できっと寛げることでしょう。。

 そんな行楽日和に、皆と一緒に、「上野動物園」へ参ります。

 昨日、授業の時、初級クラスの学生から、「明日、もし雨だったら、学校は休み?」という質問が出ました。こういうのは、面白いことに上のクラスからは出ないのです。彼等はお天気をチェックする術を知っているからでしょう。

 で、「明日は晴れます」と断言しますと、「でも…」。「雨でも大丈夫。上野には、いくつもの博物館や美術館、公園などがあって、行き場には困りませんから」「…」

 どうやらテキは、「休み」を期待していたらしい。あま~い。これは勉強ですからね。動物をじっくり見ましょう。

 以前、「誰それさんは、何々(の動物)に似ています」とよく言い合っていた、仲のいいクラスがありました。その時は、動物園へ行ったときなど、その動物の前に行くと、必ずと言っていいほど、呼びに来て、「先生、誰それさんの友達がいる…」って言ったものでしたっけ。言われた方も、言った相手の(似ているとよく言っている)動物を探しに行って、同じことをやり返す…。

 まあ、子どもっぽいと言えば子どもっぽいことですけれども、アルバイトで疲れて、ついつい、授業中も、船を漕ぎがちな学生達も、そんなこんなで、皆が笑うと、授業に立ち戻れたりするのです。こういうネタは何でもいいのです。

 とはいえ、それが高じて、水族館に行ったときなど、こちらの説明がマズッタからかもしれませんが、「ハコフグ」の団体サンを指して、「先生だァ」と、私をムカッとさせたことさえありましたっけ。こちらをムカッとさせるなんて、なかなかの能力です。

 狭い自分の価値観の中にいたりすると、なかなかこういう冗談は通じません。これらを悪意のない(あるかどうかは、仲がいいかどうかで判ります)冗談として捉え、互いに異国人同士笑い合えるというのも、一つの能力なのです。

では、上野動物園へ行って参ります。
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「『お金の価値は、何に使うかで決まる』。特に、懸命にアルバイトで稼いだ自分の金は…」

2014-10-23 08:50:55 | 日本語学校
 雨。

 起きた頃には、時折、陽が射したりしていましたが、うちを出る頃には、それが、曇り空に。

 いつもより少し早く出て…、出たというのが、ラッキーでした。着いて少しすると、雨がまた降り出し、もう少し遅かったら、今日も「歩き」のところでした。

 とはいえ、…寒い。寒いですね。なんでも11月頃の気温とか。例年ですと、10月なんて、残暑がまだ残っていることもあり…でしたのに。秋が足早に去り、「冬がまた来る」のではないかという予感さえしています。

 さて、お眠さんが多い、「Cクラス」のことです。

 このクラスの特徴は、大半が「眠い」けれども、まだ「足掻いている。眠さに降参していない」というところでしょうか。「私は眠いんだ。疲れているんだ。なぜ邪魔をする」と目を怒らせて「自己主張」する人も、見かけられるクラスもあるのですが、ここは、まだ救いがあります。

 もちろん、どのクラスの学生達も、勉強が目的で来日しているので、できることなら、もっと勉強に集中したい…のでしょうけれども、親や監督者から離れて、自由になったということが、その「初心」から彼等を遠ざけているようにも見えるます。それに、アルバイトをすることによって、自分の自由になるお金ができたということも、それを助長しているのかもしれません。「どう使おうと、私の金だから、お前達の指図は受けない」となるのでしょう。

 お金なんて、何に使うかで価値が決まってくるものですのに…。

 一人でも、ワイワイやり始めると、それが楽しいものだから、すぐそちらに引かれていくのです。違う国の人間同士であれば、生半可なことでは同調しません。皆、最初は、「この人はどういう人であろう」と、他国人をよくよく見ようと、様子を窺うものですから。

 ところが、同国人が多いと、ついつい寂しいものだから群れたがるのです。一人が、授業中、チャチャを入れれば、笑ってやらなくてはならないようで、すぐに相手をしてしまうのです。遅れてきた人間は静かに入ってくる…で、いいはずのに(そうしているのに)、わざわざ「どうして遅れたのぉ」とか、一言何かを言ってやりたくてたまらないようなのです。

 これは、何回叱ってもだめです。ということは、多分、彼らの国では、小学校の頃から、こんなことをしていても、教師が問題にしてこなかったのでしょう。たいていの場合、一年ほどで言わなくなるものですが、1年が過ぎてもまだ言い続け、時には他の国の人にまで言ったりするものですから、「うるさい」と怒鳴られたりするのです。

 そんな習慣がある国から来ていて、そういう人達に背を向けて、勉強を続けていくということは…かなり難しいことらしく、聞くと、「皆と一緒にワイワイやらないと、シカとされる」と言います。

 誘われたら断れない…という、人と人との関係の近さ・濃さが、却って(彼等の)仇となって、足を引っぱっている(足を引っ張り合っているといった方が相応しい)…という一面もあるのでしょう。それに、多少なりとも、自分の自由になる金が手元にあると言うことは、人を強情に、そして気も強くさせる…一因ともなっているのでしょう。10万や20万円くらい持っていても、それで何ができるのかと問われれば(ここでは、それで生きていけるのかという意味で)、何も言えなくなってしまう…くらいのものでしかないのに。

 もちろん、大学を目指して頑張っている学生にとっては、入学金がだいたい20万円くらいですから、大切なお金です。けれども、友だちとパーティを開いたり、どこかに遊びに行ったりすれば、あっという間になくなってしまうくらいの額でしかないのも、また事実です。

 留学生であったら、特に経済的に恵まれていない留学生であるなら、それこそ、爪に火を灯すようにして、両手でロウソクの火を抱くようにして守っていかなければならないのが、そういった、自分で稼いだ「お金」であるはずですのに。

 2年目を迎えた学生は特に、そういうことを考えるようになってほしいと思います。

日々是好日
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「雨…、昼からもっと寒くなるそうです…。」

2014-10-22 08:57:43 | 日本語学校
 今日も雨です。

 起きたころはまだ降っていなかったのに、正直なもので(なぜか、そう思ってしまいます。雨伯からみれば、何を偉そうにでしょうけれども)、予報通り、6時を過ぎた頃からバラバラと降り出しました。

 今はかなり暖かいのですけれども、午後は、明け方よりも寒くなるとの予報。それで、私は一枚よけいに持って来たのですけれども…。午後の学生、まさか、昨日と同じように、半パンに素足…というようなことはないでしょうね。

 午後のクラスの学生達(今年の4月生)、特に、ベトナム人学生達は、いまだに、まだこの恰好なのです。「風邪をひくぞ」と脅しても、ニコニコして「大丈夫」と言う。「裸足だ、裸足だ。大変だ」と追っかけ回しても、遊んでもらっているようなつもりなのでしょう、少しもへこたれない。とはいえ、彼等は、睡眠不足気味なので、おそらくは、どこかでバテるのではないかと危ぶんでいるのですが。

 彼等のうち数人は、来日してすぐに、午前のクラスのベトナム人学生が、日本語があまりできなくても働けるところへ紹介してくれたので、ラッキーと喜んでいたのですが、以前のベトナム人学生は、アルバイト探しに苦しんでいましたから)、けれども、その時間が、午後の受業が始まる前、朝の7時から12時までなのです。 いつも駆けてくるので、遅刻にはならないのですが、ただ、着いてホッとするのか、それから、睡魔に襲われてしまうようなのです。

 いつもは、「頑張るんだ。頑張るんだ。寝るな」と励ましているのですけれども(彼等からすれば、「よけいなお世話。お願い寝せて」でしょう)、時々、「顔を洗いに行ってもだめ、(ガムを噛ませてと言うので)噛ませてもだめ」な時があるのです。

 まあ、人によって、時によって…ですが、その時は、ちょっと、甘くなってしまいます。もっとも、これも、いつも彼等ができる限りのことをしているというのが判った上でのことなのですが。

 そして、このクラス。日本語が「少しずつ」話せるようになり、自分の言いたいことが「少しずつ」言えるようになると、わがままも「少しずつ」出てきます。もちろん、このクラスに限ったことではありません。来日後半年でしょうか、そういうのが出てくるのは。

 そして、一年ほども経ってくると、それなりに、互いが理解できるようになるというか、言ってもむだだと諦めるというか、そうなるのですけれども。

 あれこれと言い合い(鬩ぎ合い)、そして時々「せんせ~い(助けて)」と叫びの声を上げる「今」が、もしかしたら、一番いい時期なのかもしれません。

日々是好日
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「シトシト雨の日」。

2014-10-21 09:33:58 | 日本語学校
 「晴れ」と言いたいところですが、今日は雨。シトシトと静かに降り続いています。

 起きた頃は、止んでいたのですが、「さて、学校へ行くか」という頃になって、少しばかり、ポツリ、ポツリと、きはじめました。それが、自転車を走らせているうちに、雨脚が白く見えるようになったのですから、さあ、大変。大急ぎで学校に来たものの、少々濡れてしまいました。うちを出た頃は、傘をさした人もあり、またささぬまま歩いている人もありで、まあ、平穏無事に着くかと思っていたのですけれども。

 今日一日、このような天気が続きそうです。帰る頃には、止むとの予報が出ているようですけれども。

 「10月生」のクラスが始まってから、一番先に来る人が、「代替わり」したようです。今朝は、8時頃に来ました。おっ、早いな。

 これまでは、夜勤明けでそのまま学校に来たり(一度帰ってしまうと寝てしまって、来られなくなってしまうから)、あるいは、電車通学で早く出ざるを得ないといった、止むにやまれぬ事情から、早く来ていた学生が大半だったのですが、今回は、在日のご近所さんですから、多分、学校にいた方が、気が紛れたり、面白かったりするのでしょう。

 とはいえ、1時間ほども、一人ぼっちで、教室にいるというのは…、耐えられるかな。

 今、9時前、15分。少しずつ、10月生の姿が見えるようになりました。やはり、皆、早いですね。一番遅いのは、去年の4月生かな。

日々是好日

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「『帰化申請』をしたという卒業生」。

2014-10-20 08:09:39 | 日本語学校
 晴れ。

 昨日は、暑かった。そんな中で「千葉アクアラインマラソン」が実施されました。走った人は如何にも心地よさそう。海の上を走るのだから、当然でしょうけれども。昨日はお天気がよかったから、空の青が拡がる中を、海の青の中の道をどこまでも走っていくような気分になれたでしょうから。

 そういうわけで(?)今朝も朝焼けが見られました。今日は、起きてから、ぼんやりと明けていく外を見ていたのです。すると、だんだん白み行く空が、ある時点から急に紅に染まりだし、そしてスッと色を失っていきました。薄紫に褪せたところで、窓際を離れたのですが…。朝焼けはいいですね。朝焼けを見ていると、目の前に円盤が止まったなんて言っていた人もいましたっけ。でも、そんなことがあっても不思議ではないのかもしれません。この世の中には判らないことだらけですもの、何が起こってもおかしくはないのです…。

 と、美しい朝焼けから話が逸れて、昨今のニュースです。

 最近は、ニュースを見ていても、中国の日本における存在感が、随分希薄になったような気がします。一面で扱われても、その下の方に、ちょろっとある…そんな感じなのです。とはいえ、もしかしたら、この方が正常なのかもしれません。問題はすべて自国の国内から生じ、庶民の目を逸らすための仮想敵国も、ライバル国も、たとえ、政治家が声高に宣伝しようとも、本当は、ないのでしょう。それを聞いても、国民の目は、却って、冷ややかになるだけでしょうから。

 アメリカは別格として、(日本人の企業から見て)いくら市場が巨大であろうとも、利益がないとなれば、関心は急激に失われていくのは当然のことです。やや一歩引いた立場で、お互いに、見てみた方がいいのかもしれません、余りに近すぎると見えなくなることも少なくはないでしょうし。

 さて、学校です。

 きっと、日本で就職した人達が、そういう時期を迎えたと言うことでしょうね。帰化申請をしたという知らせを持って、卒業生たちが三々五々、会いに来てくれるようになりました。これまでも、永住権をとったなんてのはあったのですが。「そうか、帰化か。日本人と呼ばれるようになるのか」と、「はい、あなたは何々国ね。はい、あなたは何々国ね」と言って、互いに紹介しあっていたのが嘘のようです。

 確かに、仕事や旅行の便不便を考えるならば、永住権だけでもいいのです。けれども、この国で家を買ったり、子どもを育てようと思うなら、帰化も一つの選択肢でありましょう。

 ただ、帰化申請をするという卒業生は、皆、話せるだけではなく、ある程度漢字が書け、読めるのです。つまり、仕事に必要なものは、読めもし、書けもすると言うことです。

 この学校を卒業して、専門学校で数年暮らし、その後、日本の企業に勤められたとしても、漢字が全くと言っていいほど読めず、つまり、「N3」でさえ、合格できない状態であるならば、帰化申請なんてする気にもならないでしょう。それどころか、ある程度、お金が貯まったら(日本にいる理由がなくなったら)、すぐにでも「国に帰りたい。帰りたい」だけでしょうから。

 本当に、文字が読めないということは、結局はその国の人になれないのです。その国の人達とは親しめないのです。文法が余りわからないと言うことは、その国の人達の複雑な思考回路も理解できないということですから。
 
 言葉はその国の歴史・文化が積み重なって出来上がったもの。その地の人達との、「見て、聞いて、話して」だけからは見えない部分がたくさんあるのです。

 もっとも、日本の書物(詩や小説などに限らず)を読むのが好きだという「非漢字圏」の学生はこれまで、いませんでしたけれども。

日々是好日
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「手を動かすようにさせる(書かせる)のは、本当に大変」

2014-10-17 14:32:27 | 日本語学校
 きれいな空が拡がっています。晴れ。

 今年4月に来た学生が、二人ほど、「クラスを移りたい」と言いに来ました。

「下のクラスに行きたい」
「移ったら、きちんと勉強しますか」
「勉強します。勉強します」
「もし、また勉強しなかったり、携帯で遊んだりしたら、戻ってこさせますからね」
「しません。しません」

 だいたい、こんな内容のやり取りで、二人が、すぐに「十月生」クラスへ移りました。「四月生」クラスは、来週いっぱいで「初級」が終わり、次の週からは「N3」レベルに入ることになっています。教科書が変わります、だからかな。

 この「初級」が終わった時というのは、移りやすいと言えば移りやすい。とはいえ、国によっては、「ひらがな」も「カタカナ」もよく間違えるのだけれども、ヒアリング力と会話力だけは長けているので、なかなか「もう一度」と言えない人たちもいるのです。普通、こういう人たちは、書いたり、読んだりが、不得手と言うよりも、やる習慣がないので、たとえ、「もう一度、『初級』を」したところで、(漢字を書いたり、宿題をしたりということはしないでしょうから、)やり直してもやり直さなくても同じということになるのです。

 おそらく、英語の勉強にしても、こういう人たちと日本人などとは勉強の仕方が違うのではありますまいか。

 日本人は英語を習い始めたときから、正しく書けるように指導を受けます。が、彼等はきっとそんなことは余り考えていないしょう(もとより、皆が皆そうというわけではありません)。日本の中学や高校では、聞き取りがうまかったり、かなり話せたりしても、それなりで、最後の点数はやはり、読み・書きで決まるような気がします。

 スペルが間違っていると、点数が取れないようにできているのです。話せればいい、聞き取れればいいとはならないのです、なかなか。一方、こういう人たちは、話せればいいし、適当に聞き取れればいいで、それで御の字なのでしょう。もちろん、どちらがいいい、悪いと言うことではないのですが、そういう教育を受けてきていると、日本語の勉強のとき、ちと困るのです。

 話せるだけでは、進学が難しいのです、なにせ、留学生で、皆、進学を目指しているのですから。ペラペラ話しているなあと思っても、読めなかったり、書かせてみると、全く「別の音」の字を書いたりするのです。きちんと話せているので、話の内容は判ってはいるのでしょうけれども、違う音でとらえていたのでしょうね。いやそれどころか、文字にしたらなんて、考えたこともないのでしょう。

 日本人のように、手を動かす教育を受けてきた人達には、「もっと『適当』でいいよ」と言うべきでしょうし(反対に、耳がお留守になっているのです)、反対に彼等のような人達には、「もう少し『気をつける』」ように(手と目がお留守になっていますから)といわねばならないのでしょう。しかしながら、これは、なかなか難しい。相手は、書く必要を全く感じていないのですから。本当に大変です。

日々是好日
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「秋。キンモクセイ(金木犀)の花」。

2014-10-15 08:35:22 | 日本語学校
 曇り。

 早朝から、雨が、時折、ポツリ、ポツリと来ていました。それが今は、バラバラと重い音を立てて降り始め、ものの10分と経たぬうちに、また止む。とはいえ、やはり、今日一日は、雨催いの空が拡がることになりそうです。

 学校では、「(遅まきながら)参上」といった態で、「キンモクセイ(金木犀)」の花が盛りを迎えています。この数年、だんだんに花樹の力が衰え、花数が少なくなってきた…と思っていたのに、今年はどういうわけか、満開です。

 この、オレンジ色は如何にも秋らしくていい、いいですねえ。この花を見るたびに、内モンゴルから来た学生のことを思い出しています。花の名を聞いて、知ったときの驚きよう。初めて名と実物とが一致したのでしょう。思えば、草木に一番関心を示していたのは、内モンゴルから来た学生達でありました。

 課外活動に出るたびに、何かしら驚きがあったようで、鎌倉では、大木に咲いたきれいな花を見て、「樹に、花が咲いています。先生、見て見て!」と大騒ぎ。博物館の前の樹を見て、「この樹は病気です」(こういう、赤っぽい葉色を持つ樹だったのですが)。上野公園では、「日本の公園は樹がたくさんありますね。公園には、木を植えるのですか」(へ?思えば、日陰ができるほどであり、びっしりと植わっていましたっけ。背がそれほどないから、よけいに樹の陰が濃く感じられたのかもしれません)。

 当たり前と感じていたことに、いちいち疑問を投げかけられて、思いもよらぬ、いい勉強をいたしました。とても面白い問いかけであり、また、彼等なりの結論の付け方でありました。これは、漢民族と同じような教育を受けてきた内モンゴルの人達には、見られない姿で、本当に、教育によるのですね。

 とはいえ、教育というのは、本来、持って生まれた資質、また性格を素直に伸ばしていく、それが一番大切なのでしょう、特に義務教育期間は。

日々是好日
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「『台風19号』が去って、今は、青空。学校は休みにはなりませんでした」。

2014-10-14 08:17:02 | 日本語学校
 晴れ。

 昨日は、「今、来るか。今、来るか」と(別の待ちわびているわけではなく)、結局、何もできなくて終わってしまいました。この「今、来るか」というのは台風19号のことではなく、「雨が」のことなのですが。

 この台風はまだ至らずとも、関東地方に雨か風か竜巻が起こる可能性があるということで、行動が何も取れなかったのです。

 朝もそうでした。まだ仕事が残っていたので、学校にやって来たのですが、ハッと気づくと、ポツポツ降っているではありませんか。「いよいよ、やって来たか」で、大急ぎで、うちに飛んで帰ったのですが、何と言うことはない、それで終わり。しかし、帰ってみると、今さらまた外に出るなんて…と億劫になってしまうのも、まあ当然でしょう。お天気もそのまま。本格的な雨になったのはずっと後のことでした。何だか狐につままれたような気分でした。

 そして、今日。台風が去ったなと起き出してみると、5時過ぎに、突然雨がザアッと来ました。おっ、残んの台風と身構えるたのですが、すぐにパタリと止んで、今度はあっという間に雲が消えて、青空が拡がり始めました。

 で、結局、今日はあるのですよね、休みにはならないのですよね、学校が。

 「もし、8時半になっても、風雨が激しければ、休み」ということで先に連絡しておいたので、多分、皆、余程のことがない限り来るでしょう。こういう時に限って、普段休みがちな人も来るようですから。

 「今日あるかな、やっぱりあるだろうな。でも、万一」と(おそらくは、そう)思って電話してきたのは、一人だけ。彼女は電車通学ですから早めに出なければならなかったからでしょう。まあ、「ある」と聞いた時、ため息をついたような気がしたのですけれども、…そうだったのかな。

日々是好日
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「初心忘るべからず」。

2014-10-13 08:31:28 | 日本語学校
 曇り。

 台風は九州に上陸した頃だそうな。

 今度の台風は徐行運転でやって来ると思いきや、列島に着くなり、アクセルをぎゅっと踏んで、足早に通りすぎていきそうです。

 一昨日までの予報では、火曜日は大雨で強風、そして、雨は水曜日まで残る…だったのですが、今朝の予報では、台風の影響は比較的短くてすみそう…。それも、今夕から明日の朝にかけてで、うまく行くと、学校は休まなくてもよくなりそうです。

 もっとも、「休みだと思っていたァ」なんて言って、お休みしてしまう不逞の輩が出没するかもしれませんが。

 先週の火曜日、台風で前日の月曜日は休みだったということもあって、いつもはすぐに(授業中に)沈没してしまう学生が、「昨日、よく寝たから今日は大丈夫」とニコニコしていましたっけ。彼等の期待を裏切ることになるかもしれないので、ちょっと申し訳ないのだけれども、もちろん、休みにならなければならないで、それもまたよしとしなければなりませんね(聞いているかな)。

 留学生が、一番辛い時期は、だいたい来日後半年から1年にかけてで、そこが、いわゆる「分水嶺」となるのです。そこで落ちなければ、多分、かなりいけるものなのです。特に、非漢字圏の学生が殆どという、ここ数年は。

 初めのころは、アルバイトも決まらぬし、あっても月々のお金は十分とは言えぬ。それ故に、あまり暢気には過ごせないのです。けれども、時間はある。授業中に寝てしまうと言うことはまず、ない。もっとも、借金をして送り出されてきた学生のうち、日本語が多少できる学生は、そうも言っていられませんから、今日はあちらへ面接、明日はこちらへ面接と、学校を休みがちになってしまうのです。

 本人は、ある程度(日本語が)できているつもりでも、彼らの国でやって来た日本語はあくまでも、外国人の日本語。当然のことながら、態度もあちらの態度。ということで、不遜な奴と見られることもあるのです。けれども、教師に聞こうとしないし、教師が態度を改めるように言っても、聞かぬ振りをしている者もいる。三つ子の魂百までですね。面接に、昨日も落ちた、今日も落ちたなのに、理由はすべて先様のせいで、己のことは頬被り。

 面接に失敗するということは、きっと、本人が「自分は日本語が上手だ」と思っているのと別の意見が先様にあると思うのですけれども…不思議ですね。変な自信が彼等の体を取り巻いていて、目を暈ましているのでしょう。

 そうなったときは、まず、自分の日本語のレベルを疑えばいいのに。そして、日本語に励もうとなってくれればいいのだが、こういう人に限って、なかなか方向転換がうまく行かないのです。いくら言っても、こちらの意図するところがわからない。

 もちろん、この世には無駄は何もないわけで、その人に言っているのに、その人には届かず、そばにいる他の人の心に届いたりすることもある。ハッと気づいた人の中には、それまでは3列目や4列目に座って、安心して眠っていたのに、ある日を境に、1列目に座って勉学に励もうとしたりする。アルバイトで疲れていても、ウトウトしながらでも、学校に来て勉強しなければ遅れてしまうことに気づいたりするのです。

 だから、何事にも無駄はないのです。徒労ということもないのです。

 この「気づき」が、できるかできないか。これは大きいですね。もし、気づくのが、来日後半年ほどであったなら、まだまだ頑張りがきく。ところが1年半くらいで、しまったとなっても、その時には、次に行く専門学校で頑張るしかないのです。それほど、毎日の勉強というのは重いのです。

 面白いことに、大したことはないと高を括っている人ほどそう。

 自分は外国語の勉強が苦手だからとか、それほど器用じゃないからとか思っている人の方が、コツコツとやっているうちに、いつの間にか知らぬ間に、関を越え、初めは先を歩いていた人を追い越したりすることもあるのです。

 「ウサギとカメ」のお話は生きています。もっとも、どんな人達が多いクラスで勉強するかということも大切ですが。朱に染まれば赤くなると言うのも本当です。

 「初心忘るべからず」で、この「初心」を持っていた人には、こちらが少しばかり、弱気になっているときに、「なぜ日本へ来たの」とか、「どうして日本へ来たの」と問うて行けば、「ハッとして」立ち直れるものなのです。また、こういう人を立ち直らせるよう、また途中で落ちていかないようにしていくのも、学校の役割なのかもしれません。

 時々、どうしょうもない人がいるのですが、こういう人も、前者と同じように考え、そうしてもらいたいと思うから、「どうしょうもないな」と(我々が)感じるのであって、それ以外ではないのです。

 外国へ来て、アルバイトをして、自国では手にすることもできないような金が手に入った。それに、外国を僅かながらでも見聞することができた。こういうことは、いい経験になるだろうから、それでもいいか。適当に、彼等がいける専門学校へ行き、そこで2年暮らして、またぞろどこかへ行って、適当に外国暮らしを楽しめれば、それもまた可なりとするかと思っていれば、こちらも焦らないですむのです。

日々是好日
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「いつも同じ国の人間と、徒党を組んでいることのおぞましさ」。

2014-10-12 13:18:17 | 日本語学校
 「ススキ」と「セイタカアワダチソウ(オミナエシではなく)」、そして虫の音と満月。こういう秋の取り合わせも、これからは余り見られなくなるのかもしれません。少し郊外に出れば、柿の実が、きれいな朱色に光っていますけれども、台風が「スーパー台風」なんて呼ばれる時代になっては。

 さて、学校です。

 この学校にはスリランカ人学生とベトナム人学生が、凡そ全体の三分の二ほどいるのですけれども。最近は、スリランカ人達とのどうしても超えられない壁に、「苛つく「を通り越して、「捨てた」に近い状態にまで来ています。これまでは、話せば、どうにかしてやれるのではないかと思っていたのですけれども、結局はどうにもならないのでしょう。徒労です。

 勉強させるためには、教室で、普通、日本で「成人」に対してやるやり方ではだめなのだなと、ガックリとしながら思っています。

 もちろん、なぜそうなのか、なぜそうしてはいけないのかを、話せばわかる人もいるでしょうが、今のところ、それを、大半のスリランカ人に判らせるのは、とても難しい。彼我の間には大きくて堅い、磐の如き山があって、向こうに全く通じないのです。これは日本語の問題ではない。言葉の問題では、全くないのです。今年三月に卒業したスリランカ人には、そんなこと、感じたことがほとんどありませんでしたから。

 まだ初級段階にいながら、今年の12月に「N3」を受けるという学生がいます。勉強は少しも頑張っていません。「N3」と、かつての「三級」の違いを理解していないのかもしれないと思い、図に書いて説明して、その無謀なことを悟らしめようと努力してみます。けれども、まったく、聞こうとしない(聞く耳持たずが、はっきりと判ります。ヘラヘラしているだけですから)

 それで、「今は(初級教科書の)ここまで勉強している。12月に入っても『N3』文法は終わらない」と進路状況を説明してやります。「大丈夫」と相変わらずニタニタしています。結局、申込ました。もちろん、自分で金を出すのですから何を受けようとも自由です。けれども、「カンニングでもしない限り、『N4』だって危ない状況なのに」と、試験を受ける彼よりも、説得できなかった自分に責めを感じてしまい、居たたまれません。

 ああまでして(こちらの声を振り切ってまで)申込をしたのですから、少しは勉強するかと思ったら、毎日学校に来ることは来ていますが、授業態度は相変わらず。漢字も覚えようとしませんし、文法だって、何が判って何が判っていないかも、おそらくはわかっていないでしょう。

 申し込んでしまったのだから、全力を尽くさなければと言っても、暖簾に腕押し。申込のお金は、留学生達にとって決して安いものではないのです。それなのに、私が言うことは少しも相手に届いていない(のは判ります)。私は言うべきことは言いました。もちろん、受けるのは彼です。申込が無駄にならないように、どうにかしてやる気が出るようにさせたいのですが、いくら言っても、やはりだめなのです。

 それで、どうしたらいいのかと、(スリランカにはスリランカのやり方があるだろう。日本式がだめなら、それでと思ったのです)既に一年半ほど、日本にいる上のクラスのスリランカ人に聞きました。最初は、一応、私の顔を立てて、話を聞いています、けれどもとどのつまりは、「『金を払ったのは自分なのに、何をうるさいことを言う』と思っていますよ。そうでしょ。勝手でしょ。当たり前だ」と、私の気持ちを切り捨てます。それどころか、私が悪口を言っているとでもとったようです。

 「そんなことは判っている。けれども、日本では、教師はその人が損をしないように、できれば、うまくいけるようにと最善を尽くす義務がある。責任がある。だから、金を払ったのだから、何でも俺の勝手とはならない」。

 これは、日本の会社でもそうです、その人の直属の上司はそういう責任を負っていますし、同時に義務もあるのです。

 スリランカ人の反応はわかってはいました。けれども、どこか私は甘く考えていたのです。こちらが頑張れば、どうにか変えられるのではないかと。

 結局は、何も変わりません。スリランカにいたときと同じように、後ろで大きな声で我が物顔で雑談するか、口先だけで、如何にもいい子ブリッ子をしているだけです。

 先日も、一番前の席に座り、ガバッとうっぷして寝ているスリランカの女子学生がいたので、「寝たいなら後ろで寝るように」と言ったのですが、途端に怒り出し、「私は勉強するからここに座っているんだ」と喚きます。「でも、寝てたでしょう」「私は勉強するからいるのだ」堂々巡りです。

 ただ、作文の時間でしたので、彼女の左右の席(スリランカ人ではありません)は、彼女のバアッと拡がった髪の毛が、肌に直接当たる(まだ暑い頃です)ので、それを避けるために如何にも不自由そうに肩をすくめて作文を書いていたのです。それで、もう一度、「寝るのなら後ろへ行きなさい」と言うと、ふて腐れた態度で起きたのは起きたのですが、今度は早速携帯電話で、カチャカチャやっています。そして、喉の奥で笑い声を立てています。「邪魔だから携帯を見るのは辞めなさい」と取り上げると、ずっと私を睨みつけています。

 無視して授業を続けていたのですが、そのうちに、教室を出ていきました。なかなか戻ってきません(こういう、途中でいなくなる学生は、ベトナム人にもスリランカ人にも、何人かいます。けれども、だいたい三列目か4列目に座っているのです。授業の邪魔にならないので、余程のことがない限り放っておきます)。遅いなと思って時計を見て、しばらく経ってまた見ると(質問が切れたときです)先に見たときから既に五分が経っていました。

 ああいうタイプの人はスリランカに多いのかと、その場にいた数人のスリランカ人に聞きますと。「いや、いや、いない」とか、「あんなのは初めて見た」とか言います。

 でも、私は、ちょっと途惑ったのです。私が思う彼女の「変わっている面」と、他のスリランカ人が言った「変わっている面」とは、違うのではないかと。

 だって、今の学生の中にも、彼女のように、1列目で、ガバッとうっぷして寝るスリランカ女性もいますし、1列目でずっと携帯を見ている女子も男子もいます(三四列であったら、静かにしている限り、私は何も言いません。もともと、勉強する習慣のない人たちですから)。決して彼女だけではないと思うのです。スリランカ人が彼女のどこを見て、「自分達とは違う」と叫んだのかは判りませんが、私から見れば、(彼女は)少し「我」が強くて、ジコチュウ(他者のことを考えない)で、教師の言うことを聞かない(スリランカでも教師に対してそういう態度だったのでしょう)点こそ違え、後は、他のスリランカ人と大差ないのです。

 ただスリランカ人は「皆と同じ」ことが大切みたいで、「違う」のが嫌みたいですから、そんなことはしません。それが彼女の場合、あまりない。自分は特別だと考えているのでしょう。もっとも、そういうスリランカ人はたくさんいるので、特にその思いが強いのだろうとしか思われないのですが。共通点は、自分が悪いとは全く考えないこと。これじゃあ、進歩しないですよね。少し話せるようになると、言い訳ばかりし始めます。

 人は、心からそうだと思わない限り、変われません。自分達の国では、全く問題なかったことが異国では問題になることも少なくないのです。それがわからないというか、いくら言っても、馬耳東風です。

 中国人学生が、こんなことを言ってきました。学校の課外活動で、お寺に行ったときのこと。お賽銭を入れて、拝もうとしたとき、一人のスリランカ人が近づいてきて、「お金、ください。私、お金ないから」と言って手をさし出したのだそうです。お寺ですから、日本人もいます。他の国の人もいます。そういう人達の前で、「お金ください」ですから、呆気にとられるやら、恥ずかしいやら…。

 それを何度も繰り返し、まるで彼女がお金をやるまで離れなさそうな様子。もとより、学校の学生ですから、それが冗談であると言うことはわかった…でもとても嫌だった、気持ち悪かった。おまけに、そのしつこいこと。中国人女性ですから、黙ってなんかいません。最後は怒って…。

 冗談を言っているんだということは判っても、言っていい冗談と言ってはいけない冗談(他の人が嫌な気持ちになる冗談)がある。しかもしつこいのだから、ホントに嫌だった…。その気持ちはよくわかります。

 そういえば、前にこんなことがありました。何でもないときに急に「先生、買って下さい。あれが欲しいです」と言うのです。しかも、みんなに判るように何度も何度も繰り返すのです。しつこいのです。こっちも、気持ち悪いやら、腹が立つやらで、最後には「いい加減にしなさい」と、言って、振り切ったのですが。その時の不愉快さは今でもよく覚えています。

 こちらも、その時はスリランカ人のことが余りよく判っていませんでしたから、相手に恥をかかせてはならないだろう、けれども、いったいどういうつもりでそんなことを言うのだろうと考えたのですが、日本人の普通の思考回路からは答えが出てきませんでした。だから一瞬、どうしたらいいのか判らなかったのです。今から思えば、彼等は国でそんなことをよく言い合っていたのでしょう。だから、それをそのまま日本語で言えば、言われた人が笑ってくれるとでも思っていたのでしょう。少なくとも、言われた日本人は、「不愉快千万」で、決してそう言った人に好意を持つということはないのですが。

 なんで判らないのでしょうね。ここは、スリランカ人が多いし、彼等は徒党を組む傾向があるので、他の国の人の様子がわからないのでしょうか。だれも、そういう人間を重んじてくれないのは、明々白々のことですのに。

 実際、効果は真逆で、私も中国人のその女性も、ものすごく気持ちが悪かったし、もう暫くの間は、スリランカ人と口を利くのも嫌になったくらいでした、またやられると思って。相手のことを考えない、しつこさというのは嫌ですね。

 思えば、ベトナム人学生は、彼等を入れ始めてから数年経つうちにだんだん話がわかる人達が増えてきました。明らかに最初の頃と、「層」が違ってきたのです(まだ何が何だか判らない人もいますが)。ところが、スリランカ人の場合は、昔も今も同じ。時々、私たちから見て普通の人(つまり、私たちが嫌だと感じることがわかり、それをしない人。あるいは、勉強を一生懸命にする人)が来ても、それは変化ではないのです。またすぐに、来はじめた10年前と同じような、何が何だかわからない連中も同じように来る。そして、スリランカでの行為をここでも繰り返そうとする。相手がそれを嫌っていることが歴然としていても、それを繰り返す。しつこく繰り返す。

 もう先週で、私はプッツン行きましたから、勉強したい人にはそれなりに他の国の人達と同じことをするつもりですけれども、そうではない人は、授業の邪魔にならない限り、そのままにさせておきます。話し合おうとか、判らせようとかは、しばらくやめにします。やめにしない限り、こっちの方が壊れてしまいそうです。他にも学生がいますから、それは困ります。

 だって、「金を払ったのだから、俺の自由だろ」ということは、「学費を払ったのだから、あとは俺の自由だろ。金をもらっていて何を(文句を)言う」というわけですから。

こちらが、老婆心から、あれこれと先を見て、注意を促したり、してやったりするのは、彼等にしてみれば、いらぬお世話にすぎぬのでしょうから。

日々是好日
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「入学式」。

2014-10-10 17:36:57 | 日本語学校
 「ススキ(薄)」の稚い穂が揺れ、雑草の間から虫の音が聞こえています。

 秋。今日も秋晴れ。

 ところで、「台風19号」が来週の初めには来そうな様子。来る来ると言われながらも、逸れてくれた台風もあったので、それを期待していたのですが…。でも、来そうなのです。

 関東地方を襲うのは月曜日と言われているのですが、上陸すると途端に足を速める傾向があるので、もしかしたら日曜日になるかも、なんてこちらでは考えていたのですが。けれども、ある学生など、今週は月曜日が「台風の日」でしたから、「きっと、火曜日に来る」(月曜日は「文化の日」で祝日です)と言って期待しているようです。

 さて、学校です。

 「10月生」が、一名を除いて、すべて揃いました。その上、在日の方で勉強したいという向きも、いつもよりも多いようで、教室は一挙に狭いものとなりました。

 ただ、このクラスはうれしいことに、七つの国からの人達が集まってできたので、会話にしても何にしてもきっと面白くできることでしょう。国別では、スリランカ8名、ベトナム2名、タイ3名、インド3名、パキスタン2名、モンゴル1名、バングラデシュ1名。

 こうですと、教室の中でも、(同国人の人)数が多いことから「オイラ達の常識が世界の常識」みたいな雰囲気も生まれにくくなるでしょう。そんなことをしていれば、気の強いタイ人女性から、「うるさい」とか、「変なことを言う奴がいる」と見られるだけでしょうし。

 この行徳地区は、外国人が多く住む地区で、街を歩いていても、インド系の人、東南アジアの人、アフリカ系の人たちに、よく出会います。それで、いつも誰かしら、そういう方たちの親族がここに通って来ているのですが、それにしても今回は多かった。断った人も何人かいたくらいでしたから。まあ、今期は特別なのでしょう。ただ、身内を呼ぶ人が、近所でも、増えた…ような気がします。最初は妻を呼び、次は子を呼び、次は兄弟親族を呼びという感じで。

 それも、日本が住みやすいからかしら。日本人の間では、日本は不景気になっているとか、給料は余り上がらないとか言われていますし、若い人の間では就職が難しいとか、アルバイトもいいのがないとか、言われているくらいなのですが。

 そのアルバイトの話です。

 一昨日、いつも学生達がお世話になっている焼き鳥屋の店長さんがアルバイトの手が足りなくなったのでと言って来られたので、早速何人か、アルバイトを捜していたり、派遣でなかなかお呼びが懸からないと言った学生に電話をして捜しました。これも、誰でもいいというわけではありませんから、まず休まない(約束を守れる)学生から捜していきます。

 外国人に理解のある店長さんのいるいい店です。それなのに、自分の国にいるつもりで、勝手に休んだり、辞めたりされたら困るのです。次に、留学生を雇ってくれなくなってしまいます、そんなことをされると。

 ですから、いつも学校に来ている学生に、まず連絡してみます。

 一人は平日に三回、もう一人は土日だけなのですが、この土日になった女子学生。そこが焼き鳥屋さんであることが、最初、余り理解できなかったようで、連れて行くと、「先生、お酒があった。怖い」。

 「あなたは仕込みだから、朝だけで、串に肉や野菜を刺すだけ。お客さんがいないときだから、お客さんとは話さなくていいの」。けれども、またドアを開けて、「すみません」と言って、店長さんにも話していただきました。

 店長さんもびっくりして、「大丈夫だよ。お客さんのいないときだから」と言って下さったのですが、店長さんにしても、こういう外国人がいるというのは、初めての経験だったのでしょう。

 そんなことを言っていたら、レストランでも一膳飯やでも、アルバイトはできません。

 実はこういう小さな店が一番いいのです。こういう頼りになる店長さんがいつも目を光らせていてくれるので、何かあったらすぐに助けてくれるのです。

 ここでは、最初に中国人の女子留学生、次にベトナムの女子留学生と男子留学生がお世話になり、そして今度はスリランカ人留学生。みんな、日本語や漢字を教えてもらって、厳しいけれども、いい店長さんだと言っています。彼女も、アルバイトをしてみればきっとそれがわかるでしょう。実際には、こういう店長さんは少ないのだということが。

日々是好日
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